カンテラ時評

 更新日/2017(平成29).12.21日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 れんだいこの丹精こめた珠玉の発言集「カンテラ時評」をここに保存しておくことにする。絶えず繰り返されるアラシの中で、意に介さず怯まず、れんだいこが発信したくなった事案に対するれんだいこ見解が披瀝されている。何度読み返しても、れんだいこ自身が面白い。字句の間違いの訂正、文意の修正もやっておこうと思う。

 2007.3.24日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評772 れんだいこ 2010/07/21 22:24
 【カンテラ時評の一括サイトアップのお知らせ】

 2010.7.21日現在、れんだいこが主宰する掲示板「左往来人生学院」は次第に円熟しつつある。カンテラ時評はbV71を超えている。途中で番号が間違えていたりするので実際にはもっと多い。その他、カンテラ時評にはなっていないが、参加者との応答もかなりある。最初から確認すると、折々に多くの方から質疑頂いていたことが改めて分かった。この場を借りて改めて感謝申し上げます。

 この辺りで、これらを一まとめにしようと思い立った。その最大の理由は、このところ執拗に棲みついているバーゲン情報投稿を払いのける為である。読みづらくてイケナイ。削除せずに晒しているので誰にも判明しようが、とある機関の組織的イヤガラセとみなさない訳にはいくまい。これを、それぞれの個人が販促手段として我が掲示板を利用していると解する御仁がいたら、よほどおめでたい御仁であろう。

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 本掲示板読者に告げておく。れんだいこは、現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義とそのイズムにおけるネオシオニズムに対する警鐘を乱打している。彼らをネオシオニストと呼ぶことにしているが、世界各地に公然半公然非公然の「秘密」結社を組織し、各国の政財官学報司警の七者機関を籠絡支配し、これにより各国社会を裏コントロールしている。これに応じて各国の人民大衆は正常な社会的進歩を殺がれ、貧困に辛吟させられている。これを歴史上はユダヤ犯罪と云うが、ユダヤは敬虔なユダヤ教徒からネオコン的なユダヤ教徒まで様々に分立しているので、特に凶悪な選民思想に依拠しているユダヤを識別させてネオシオニストと呼ぶことにしている。

 ネオシオニスト犯罪を指摘し、これに立ち向かう運動を展開するところに共通してテロが襲う。人類はこれを何千年来繰り返している。西欧はその争闘史である。この真性テロリストが、テロリスト退治の名目でアフガン、イラク戦争を仕掛けたまま今日を迎えている訳であるが、何とお笑いであろうか。軍事、原子力、資源エネルギー、食糧、医療、文化、精神のそれぞれの界が彼らに牛耳られ、それと共に今日では人類と地球が衰亡の危機を迎えていることは何と恥ずべき「正義」であろうか。

 こういう指摘をすると、自称識者がしたり顔して陰謀論云々を講釈してくれる。その手の自称識者の能力は共通して低い。聞き分けのない者に説法して見ても馬の耳に念仏、猫に小判の類で無益でしかないから、れんだいこは語らない。その低い能を高く見せようとしてか隠そうとしてか著作権に異常に執心なのもお笑いである。著作権を生みだした西欧諸国内で強権型著作権の見直しが始まろうとしている折柄、強権型著作権棒を更に振り回して正義ぶろうとしている今日の日本の自称識者の生態は更にお笑いである。

 もとへ。はっきりしていることは、我が掲示板に何故に連中が棲みつくかである。現に確認できるわけだから解いて見るが良い。繰り返すが、個々のハンドラ―によるバーゲン情報投稿ではない。或る種暗号めいており、最近流行りの首落としバラバラ殺人の請負者を集っているように見える。相当の報酬を出す、意思有る者は連絡せよとの待ち受け情報のようにも読める。確認すべきは、そういう結社員が現に蠢いているということである。こう感ずるのを、れんだいこの脳病だと思うなら思えば良かろう。れんだいこの身に異変があって初めて事態のなにほどかが呑み込めよう。

 そういう緊張感の中である為か却って知恵が増す。れんだいこは、これまでの投稿文を一括しサイトアップすることにした。bPから順次確認して見た。書いた当の本人が忘れており、あるいは改めて興味を覚えたこと等がじんじんと響いてくる珠玉の名言集となっている。言及範囲も広い。政治、政局、選挙、思想、哲学、文学、歴史等、そのつど浮かんだテーマに、れんだいこがのめり込んでいる。共通して、後はこれを足掛かりに更に論を発展させればよい論拠と指針を示している。

 これを誰にでも読めるように、読みやすくするようにした。そろそろしておくべきだと思った。れんだいこ蝉は命ある限り鳴き、夏の終わりと共に命果てても悔いなしとしようと思う。その蝉の声だと思って、どなたか読んでくだされば良い。これは最近、吉田松陰から受けた人生論寿命論の一節の影響である。

 れんだいこ論評集
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/ronpyo/)

 時事評論集
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/ronpyo/jijihyoronsyu/jijihyoronsyu.htm)

 カンテラ時評
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/ronpyo/jijihyoronsyu/kanterajihyo/ka
  nterajihyo.htm)

 2010.7.21日 れんだいこ拝


コード 項目
カンテラ時評01(001〜030)
カンテラ時評02(031〜060)
カンテラ時評03(061〜090)
カンテラ時評04(091〜120
カンテラ時評05(121〜150)
カンテラ時評06(151〜180)
カンテラ時評07(181〜210)
カンテラ時評08(211〜240)
カンテラ時評09(241〜270)
カンテラ時評10(271〜300) カンテラ時評50(1471〜1500)
カンテラ時評11(301〜330) カンテラ時評51(1501〜1530)
カンテラ時評12(331〜360) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評13(361〜390) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評14(391〜420) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評15(421〜450) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評16(451〜480) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評17(481〜510) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評18(511〜540) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評19(541〜570) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評20(571〜600) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評21(601〜630) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評22(631〜660) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評23(661〜690) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評24(691〜720) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評25(721〜750) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評26(751〜780) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評27(781〜810) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評28(811〜840) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評29(841〜870) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評30(871〜900) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評31(901〜930) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評32(931〜960) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評33(961〜990) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評34(991〜1020) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評35(1021〜1050) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評36(1051〜1080) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評37(1081〜1110) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評38(1111〜1140) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評39(1141〜1170) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評40(1171〜1200) カンテラ時評52(1531〜1560)
カンテラ時評41(1201〜1230)
カンテラ時評42(1231〜1260)
カンテラ時評43(1261〜1290)
カンテラ時評44(1291〜1320)
カンテラ時評45(1321〜1350)
カンテラ時評46(1351〜1380)
カンテラ時評47(1381〜1410)
カンテラ時評48(1381〜1410)
カンテラ時評49(1411〜1440)
カンテラ時評50(1441〜1470)




(私論.私見)

 国会質疑削除考

 「ライブドア社長ホリエモンの送金指示メール偽造事件」をめぐって腹立たしいことがあるので、備忘録的に書き付けておくことにする。全ては永田議員の勇み足的処理で、永田議員及び国対委員長・野田議員の責任を問う形で決着したが、果たして永田議員の単独プレイであったのだろうか。民主党若手ホープの永田議員をして爆弾発言させるシナリオに巻き込まれた可能性は無いのか。永田議員は、党を挙げて全面支援するとの言質により質問に臨んだのではないのか。前原代表の強烈な後押しなしにはなし得なかったのではないのか。永田議員はかくて、党執行部の後押しを得て質問に立ったが、民主党執行部は、小ネズミ首相の即座のガセネタ指摘により腰砕けになった。永田議員は梯子を外され、病院へ隔離させられた挙句、議員辞職を余儀なくされようとしている。しまいには、前原ー鳩山ー永田は、わざわざテレビ映り仕掛けの衆人環視の中でお詫び珍芸する始末となった。れんだいこは、全てが臭いと思う。

 民主党が真に反省せねばならぬのは、かような執行部を生み出したことに対する責任ではあるまいか。民主党はこのところ、鳩山ー岡田ー前原という党内右派系列に執行部を占めさせてきているが、それが次第に反感と失望を生み出しているのではないのか。この連中の憲法改正及び自衛隊の武装海外派兵感覚は、自民党若手に比して何ら遜色のない「改革派」である。本来なら、自民党内で活動すればよいものを、ポスト制限によりあぶれたことにより民主党に鞍替えしてきた連中ではないのか。そういう系譜の者どもによる二大政党制は本来の意味でのものではない。我々は、こういうことを確認すべきではなかろうか。

 それはともかく、「国会質疑の議事録削除」について考察する。民主党は、「自民党からの公開質問状に対する回答」として、様々に陳謝した挙句、「衆議院予算委員会及び国家基本政策委員会の議事録については、ご要求通り該当個所の削除に応じます」と回答している。れんだいこは、たかが飲酒とタバコぐらいのことで、しかも卒業式の二次会という宴席の場でのことで、苫小牧高校野球部の春の甲子園大会出場辞退を余儀なくされる風潮にも不快を感じているが、「国会質疑の議事録削除」にはもっと不快を感じている。

 誰も問題にしていないようだが、「国会質疑の議事録削除」とは何ぞ。国会議員が国会という場で為した発言は永久に取り消しが出来ないことこそ政治改革の第一歩ではないのか。発言の訂正及び陳謝は有り得て良い。それらは全て付帯されるべきだろう。だがしかし、何の理由で、実際に為された発言を議事録から削除せねばならぬのか。これこそ国民を愚弄する臭い話ではないのか。自民党が要求し、民主党も何の違和感もなく応じているようだが、社民党、共産党も特段の抗議をしていないようだが、一体どういうことなんだ。

 みんなもなぜ問題にしないのか。マスコミは相変わらず、苫小牧高校野球部の春の甲子園大会出場辞退当然論的立場から関係者を批判しているが、バカも休み休み言いたまえ。現役選手の重度の不祥事ならともかくも、オービーの素行にまでなぜ責任を被らねばならないのか。あるいは選手登録されなかった部員の不祥事でも同様の辞退が強制されているようだが、そういう一蓮托生制は行き過ぎではないのか。社会的マナーは、相互の「自由、自主、自律」により獲得形成すべきもので、相互監視制度から強制されるものでは無かろうに。この行き過ぎが咎められないのはなぜなんだ。

 マスコミは、逆から批判するのを得意技にしており、「国会質疑の議事録削除」についても然りのようである。誰も問題にしていない。れんだいこはこの際確認しておきたい。一体、「国会質疑の議事録削除」は戦前の帝国議会でも常用されていたのであるのか。戦後の国会ではいつ頃から始まったのか。諸外国でも同様の措置を採っているのか。これらの点に付き、どなたかご教示賜りたい。

 参考までにお伝えすれば、れんだいこの知る限りでは、1988.2.7日の衆院予算委員会での浜田幸一委員長の「宮顕のリンチ疑惑発言」の取り消しが初見である。この時、日共の宮顕ー不破は、ハマコー発言を議事録から削除することに成功している。そういう経緯があるので、日共は、こたびの永田議員の発言削除に対しても何の発言も出来ないのは理屈である。むしろ、そういう前例を作った党である故に、「国会質疑の議事録削除」を不審がる資格さえない。

 それはともかく、「国会質疑の議事録削除」は、これが度重なれば歴史の偽造になりはすまいか。どういう法益があってさようなことをするのか、れんだいこにはどうしても解せない。れんだいこは他にも、引用、転載に承諾要す著作権論にも疑問を持っている。れんだいこ解釈の誤りを指摘してもらいたい。

 最近気づくことに、市井の会話の中に「意味が分からん」というぼやきのようなフレーズが流行っている。世相は時代を敏感に反映している。確かに、諸事万事精査されぬままに美名の掛け声だけでゴリ押しされており、「意味が分からん」時代になっているのではなかろうか。


 2006.2.5日 れんだいこ拝