カンテラ時評42(1231~1260)

 (最新見直し2013.11.14日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「カンテラ時評42(1231~1260)」を転載しておく。

 2007.3.24日 れんだいこ拝


 れんだいこのカンテラ時評№1260  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 7月24日
【大正天皇実録考その3】

 本稿で、大正天皇論に纏わる病弱論、無能論につき検証しておく。大正天皇の履歴については別サイト「大正天皇の足跡履歴」に記す。ちなみに、「ウィキペディア大正天皇」(2015.7月現在)の大正天皇論を確認するのに標準的な記述になっている。これが大正天皇論の現在の相場ではあるが、本稿でその凡庸記述ぶりを露にさせておこうと思う。

 それにしても何故にかくも有能優秀なる大正天皇をかくも悪し様に罵るのであろうか。それはちょうどかくも有能優秀なる田中角栄をかくも悪し様に罵った様と通底している。我々はこの「仕掛けられている逆評洗脳」につきもっと深刻に洗い落とさねばならないのではなかろうか。

 大正天皇実録、明治天皇記その他によれば、確かに、後に大正天皇として即位することになる明宮嘉仁(はるのみやよしひと)親王は、生後まもなくの頃及びこれに続く幼少時代には病弱が認められる。しかし、子供の頃の病弱体質が次第に克服され青年期以降は却って壮健になる例は幾らでもある。幼少時代の病弱でもって終生にわたって病弱であったとする説には首肯し難い。

 1887(明治20)年、8歳の時、嘉仁親王は、学習院初等科の今の小学2年生にあたるクラスに編入されている。その時の様子は次の通り。最初の年は病気がちで83日欠席し進級試験も受けられなかったため留年している。その後、体調が安定して進級を重ね、4年生の時には1年間を1日も休まず皆勤賞としての「精勤証書」を受けている。「学期末の御成績も著しく(良くなった)」と記されている。1889(明治22)年、10歳の時、皇室典範の制定により立太子礼を挙げ皇太子となる(これにより、以降を嘉仁(よしひと)皇太子又は単に皇太子と記すことにする)。嘉仁皇太子は6年生になると再び大きな病気(腸チフス)をして12月から3月まで74日間にわたって欠席している。

 学業について「明治天皇記」は次のように記している。

 「時に齢11歳、既に学習院に学び、文武諸官輔導の任に当たり、学業日に進む、聡明にして仁慈性に具わる、近時身体すこぶる健なり」。

 1892(明治25)年、13歳の時、「徳大寺実則日記」の記述によれば、東宮武官長・奥保かたが明治天皇に対し次のように報告している。

 概要「24.6月より25.7月まで、殿下の学業成績は読書、馬術は著しく進歩され、随って記憶力も勝れ、但し読書進歩の割には意味を解せらるること乏しい。算術は他に比較すれば困難なり」。

 してみれば、13歳の頃よりは心身の気力が充実し成績も頗る良くなっていたことになる。1893(明治26)年、14歳の時、学習院初等科を卒業し中等科へ進んでいる。1894(明治27)年、15歳の時、体調が芳しくない事もあって中退している。その後は、赤坂離宮に設けられた御学問所で個人講義を受ける身となる。この時、当代の碩学泰斗が東宮侍講に選ばれ学問を授けている。東京帝国大学教授の本居宣長のひ孫に当る本居豊頴(とよかい)が国学を、同じく東京帝国大学教授の三島中州(ちゅうしゅう)が漢学を教えている。両者の学問が殊のほか功を奏し、歴代天皇の中でも指折りの名歌人として孵化することになる。これにつき次々稿で確認する。

 この頃、宮廷内に東宮職が設置され、その武官長として近衛歩兵第一旅団長の陸軍少将・奥保かた(やすかた)が就任し且つ東宮大夫も兼ね皇太子教育の最高責任者になっている。1892(明治25)年、陸軍歩兵中尉に昇進している。1894(明治27)年、日清戦争勃発。1895(明治28)年.16歳の時、陸軍歩兵大尉となる。同年8月、腸チフス肋膜炎肺炎などを併発し一時重体に陥る。結果的に医師ベルツらの助力もあって11月に無事全快に至った。大きな病気としてはこれが最後となる。(中略)

 1898(明治31)年、19歳の時、青山御所が東宮御所と定まり、明治天皇の意向により皇太子より17歳年上の有栖川宮威仁(たけひと)親王が東宮賓友に就任する。両者は稀に見る信頼関係を築いて行くことになった。ちなみに有栖川宮は、1891(明治24)年のロシア皇太子ニコライ(1868~1918)一行の訪日及び巡遊の際、長崎での出迎えから大津事件で中止になるまでの間の行動を共にし、ニコライ皇太子が人々と和合する姿を目の当たりにすると云う貴重な体験をしている。有栖川宮は「御健康第一、御学問第二」とする補導の方針を打ち出し、これを徹底させていくことになる。この年11月、皇太子は陸軍歩兵少佐並びに海軍少佐となっている。

 これらより推測するのに、嘉仁皇太子は、軍事教練と学問の功により「立派な大人に成人」していたことが判明する。原武史・氏は、著書「大正天皇」の中で次のように指摘している。

 概要「大正天皇は最終的に政治的な立場から排除(「押し込め」)された天皇であり、『生まれながらの病弱な天皇イメージ』が政治的な思惑を含んで流布されたものであり根拠に欠けるものだ」。

 然りであろう。大正天皇病弱粗脳論なる「政略的虚説」が今日まで定説化されているが、その始発は1921(大正10).11.4日、大正天皇直臣の原敬首相の暗殺直後からである。この頃より意図的故意に流布されるようになったものである。真実は、青年期を迎えた頃にはむしろ壮健な丈夫(ますらお)になっていたと推定できるのではなかろうか。

 れんだいこのカンテラ時評№1259  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 7月22日
 【大正天皇実録考その2】

 本稿で大正天皇の出自考をしておく。見たことも聞いたこともない話しになるであろうが、三度ぐらいは読み直して欲しいと思う。

 大正天皇は、1879(明治12)年、明治天皇の第3皇子として生誕する。母は側室2位局の柳原愛子(やなぎわらなるこ)である。親王の幼称は明宮(はるのみや)、御名は嘉仁(よしひと)。明治天皇には5人の皇子がいたが成人したのは明宮嘉仁だけである。これにより明治天皇没後、大正天皇として即位する。この大正天皇が在位中に幽閉され最終的に毒殺される。大正天皇に限ってなぜこのような最たる不敬事件が起り、それが許されたのか。大正天皇をして何がかくも過酷な運命を強いたのか。

 こう問うことに一理あるように思われる。こう問わない大正天皇論は物足りない。れんだいこは、この解を次のように求める。それは大正天皇の母に秘密が隠されているように思われる。その扉を開ければ、母の愛子(なるこ)が日本天皇制史上の拮抗軸である「出雲系/外来系」に照らして出雲系皇家の血筋であることが見えて来る。当時の家柄としては藤原北家の血を引く公家華族であるが、この際の「藤原北家」にはさほどの意味はない。要するに公家であり歴史的交合の結果として出雲系として登場していることに意味がある。

 ちなみに、愛子は歌人として知られる柳原白蓮(本名燁子、あきこ、1885-1967年)の伯母に当たる。即ち白蓮の父・柳原前光の妹である。してみれば、愛子と白蓮は姪の関係であり、愛子の子たる大正天皇と白蓮は従兄妹にあたることになる。(白蓮については「柳原白蓮考」参照のこと) このことの重要性がどこにあるのか。愛子を白蓮同様の歌人としての血筋に注目すれば足りるのだろうか。否、歌人としてのDNAは結果であり、本当に重要なことはもっと深いところに求められるべきではなかろうか。れんだいこは、その解を、「出雲王朝系血筋」に見出す。即ち、大正天皇の母が出雲系である故に出雲系の血筋を引き継いでおり、その親王がポスト明治天皇後の大正天皇として登場したところに特筆されるべき歴史的意味があると解している。

 このように注目されることがない。それは日本を歴史的にどう見るのかの視座が定まっていない故のことでしかない。日本を「原日本/新日本」の標識で解析しようとする史家の眼には大正天皇の特異性が見えて来る。即ち出雲系親王として愛育され、1889(明治22)年、11歳で皇太子。1900(明治33)年、20歳で同じく出雲系の九條道孝公爵の4女・節子(さだこ)と結婚。夫妻は4男の息子に恵まれている。1912(明治45)年、34歳で大正天皇として即位。これより「押し込め」幽閉されるまで近代日本史上稀有の出雲王朝系天皇の御代が続いたことになる。

 大正天皇は当然、出雲王朝(原日本)系政治を志向し始める。大正時代の時代的明るさはこれによる。それは何も西洋語のデモクラシーのみで語られるべき筋合いのものではない。出雲王朝(原日本)系政治の功でもある。但し、そういう大正天皇政治は難航を際めた。それは、日本史上に新たなベクトルとして「土着日本/国際ユダ屋」なる対立が登場していたからである。出雲王朝派の政治と国際ユダ屋の政治とは政治の型がまるで違う。それはやや小ぶりになるが戦後日本政治のハト派とタカ派の政治の型の違いに比することもできよう。

 大正天皇の御代、既に黒船来航以来の国際ユダ屋勢力が跋扈しており、これに抗する在地土着派と呼応する売国派との抗争が深刻化していた。結果的に大正天皇派が破れ、大正天皇は「押し込め」られ、代わりに皇太子裕仁親王が摂政となり、1926(大正15)年、崩御。こたびの大正天皇実録の第二次公開により、元老・山県派による執拗な大正天皇攻撃、その最後としての毒殺が推理されることになった。

 そういう悲惨な結末を余儀なくされたが、今瞑して思うべきは大正天皇の御代そのものを創り出した能力の方を好評価すべきかもしれない。この観点から見れば、昭和の御代は既に国際ユダ屋に引きずられる歴史の負の流れでしかない。昭和の御代に浮かれる者は大正天皇の御代を知らない半可通でしかない。結果的に大東亜戦争に誘い込まれ、国家的民族的危機に追い込まれた。その敗戦国日本を復興しその後の高度経済成長へと導いたのが原日本派の能力であった。これが戦後日本の保守主流派を形成したハト派の本質である。但し、戦後日本は一筋縄で括れるものではない。戦勝国側に餌食にされるべき運命にある。この両ベクトルが絡み合って進んだのが戦後日本ではなかろうか。

 更に云えば、現代日本政治とは、自公であろうが民主、維新であろうが目先だけの差であり、本質は国際ユダ屋に雇われた者たちによる請負政治に過ぎない。彼らは、原発、国債、重税、派兵、TPP、改憲の六重奏で二度と立ち上がれない日本づくりの下働きをしているチンケな連中である。これにより、国際ユダ屋配下日本と云う新たな日本、日本でない日本、見たことのない日本に向かうことになるであろう。

 れんだいこのカンテラ時評№1258  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 7月20日
 【大正天皇実録考その1】

 「NHK/大正天皇の実像詳細に」その他を参照する。
 (http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0701.html

 2015(平成27).7.1日、宮内庁が、大正天皇実録の第二次公開としてほぼ全文を公開した。「大正天皇実録」とは、生歴1879(明治12)年-1926(大正15)年、在位1912(明治45).7.30日-1926(大正15).12.25日と云う履歴を持つ大正天皇の47年の生涯を記録しおり、当時の宮内省が1927(昭和2)年から1937(昭和12)年まで10年間にわたって編修し、計95冊で構成されている(本編は85巻5000ページ余りからなる、ともある)。大正天皇実録は全巻が皇居にある宮内公文書館に所蔵されている。昭和天皇実録は2014(平成26)年に完結し2015年の3月から段階的に出版が始まっているが、大正天皇実録は今のところ出版計画がない。所定の手続きをとれば宮内庁書陵部図書課で閲覧できるとのことである。

 宮内庁は、大正天皇実録を2002(平成14)年~2011(平成23)年にかけて4回に分けて順次公開した。これを仮に第一次公開と命名する。その際、特殊性、機密性の強い箇所については個人識別情報として全体の約3%を黒塗りにしていた。その後、2011年、公文書管理法が施行された。一方、2014(平成26)年に完成した昭和天皇実録は個人情報に当るものも可能な限り公開するとして黒塗りは行われなかった。そこで大正天皇実録についても同じ基準での公開が迫られていた。

 2015(平成27).7.1日、大正天皇実録の第二次公開により、これまで個人情報保護などを理由に黒塗りにしていた部分の大半が解除された。解除された黒塗りは本編だけでも1000ヶ所以上に及び黒塗り部分の凡そ8割に当る。これにより黒塗り部分は全体の3%から0・5%に減った。宮内庁は、「時の経過」を踏まえて「考慮した結果」と説明している。但し、診断書や成績は引き続き非公開となっている。

 ところが、「こたびの大正天皇実録のほぼ全文公開」につき、ネット空間では音沙汰なしのようである。このことは関心が薄いことを示しているが、れんだいこは大いに注目している。騒がれていないのは、長年にわたって大正天皇に関心が向かわないよう報道管制が敷かれて来た結果としての盲目に過ぎないと思っている。事実は衝撃的である。その一つは、大正天皇論に纏わる病弱論、無能論が否定されたことである。事実は、「れんだいこの大正天皇論」に記したように「大正天皇の才を見るにむしろ稀に見る英才であり歴代天皇の中でも指折りの有能の部類に入る」と評されるべきである。

 もう一つ確認しておく。大正天皇実録の第二次公開によって大正天皇論毒殺の経緯と様子が間接的に明らかにされた。主犯は元老・山県有朋及びその徒党である。これを確かめるには大正天皇実録を直に当らねばならぬが、かく予想しておく。

 この系譜が、1・第14代征夷大将軍/徳川家茂急逝(1866.6.20日、20歳)、2・第121代天皇/孝明天皇急逝(1866.12.25日、36歳)、3・第122代天皇/睦仁親王(京都明治天皇)急逝(1867.7.8日)を手掛けており、大正天皇論毒殺はこれに続く「王殺し」であった。背後に潜むのは、黒船来航以来、我が国内を大手を振って闊歩し始めた国際ユダ屋である。こういう推理に導かれるからこそ大正天皇実録が公開されずに来たのではなかろうか。以下、これを論証とする。

 れんだいこのカンテラ時評№1257  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 6月10日
 2015自共党首討論の和気藹々考

 遅まきながら、2015.5.20日の安倍晋三首相と日本共産党の志位和夫委員長の党首討論を論評しておく。実に興味深いやり取りをしているので魚拓文にしておこうと思う。実際のやり取りは、「2015.5.21日付けしんぶん赤旗」の「日本の戦争を『間違った戦争』とさえ言えぬ首相、戦争法案を提出する資格なし、党首討論、志位委員長の発言」で確認することができる。

  党首討論は、志位(委)が安倍(首)の大東亜戦争観を尋ねるところから始まっている。一般的にどう思うかではなく、「過去の日本の戦争は間違った戦争という認識はありますか」と誘導質問的に問うている。安倍(首)は次のように答えている。概要「戦争の惨禍を二度と繰り返さずの不戦の誓いを心に刻み、戦後日本は平和国家としての歩みを進めてきたことを踏まえつつ世界の繁栄や平和に貢献することを決意しています」。

 志位(委)は概要「答えになっていない」と評し、続いて「戦後の日本は1945年8月、ポツダム宣言を受諾して始まりました」と前置きしてポツダム宣言の中身に言及している。即ち、特に第6項の「世界征服企図戦争論」、第8項「カイロ宣言認定の侵略論」の規定を採り上げ、両宣言共に大東亜戦争を「間違った戦争だとしている」とした上で、「総理はこの認識をお認めにならないのですか」と迫っている。これに対し安倍(首)が次のように返答している。概要「私はまだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので承知はしておりません。今ここで直ちにそれに対して論評することは差し控えたいと思います」。

  これに対し、志位(委)は「ポツダム宣言の認識を認めるのか認めないのか」と折り畳むように尋ねている。安倍(首)は次のように返答している。概要「ポツダム宣言を受け入れて戦争を終結させた。日本はこれを受け入れることによって終戦を迎え平和国家としての道を歩き始めることになった訳です」。志位が次のように難詰している。概要「戦後の国際秩序は日独伊3国の戦争は侵略戦争だったという判定の上に成り立っております。ところが総理は侵略戦争はおろか間違った戦争だともお認めにならない」。返す刀でこう結んでいる。概要「そういう歴史判断の暗い総理が日本を海外で戦争する国につくり変える戦争法案を出す資格はない。撤回を強く求めます」。

 何となく志位の攻めが功を奏しているように思える。世評も断然、志位の方に軍配を上げている。しかし、れんだいこは別の見方をしている。これが云いたい為に本ブログを書き付けつつある。志位質疑を好評するとすれば、他の論者が気の抜けたビールのような党首討論しかしていないのに比して、多少なりとも意味のある質疑応答をしていたと云う点においてである。つまり形式要件においてである。中身を採点すると面貌が変わる。結論から述べれば、両者共に由々しき政治家失格識見を披露している。これを仔細に見れば、斬られはずの安倍の方がかかと一枚残しており、斬ったはずの志位の方が再起不能的脳震盪に見舞われる予感がある。これを確認しておく。

  安倍の由々しき政治家失格的識見ぶりは無能力と無責任に帰す。中曽根、小泉以来の更なる軍事防衛国家化へ向けての日本大改造を手掛けている最中の当事者である首相が、戦後日本始発の国際テーゼに対して「不詳」と公言することが許されるのかどうか。普通は有り得てならない失言であり、実際にそうであれば失態と云うより現下の戦争法案は出直しが当然であろう。しかも、安倍は、この無知を無知と痛痒していない能天気さをも晒している。今や安倍のこの能天気さは国内のみならず世界でもお笑いの域であり、知らぬは当人ばかりなりの感がある。その意味で、この答弁を引き出した志位質疑は重要なポイントを上げたことは相違ない。

 ところが、志位は、安倍を斬るのに、その論旨が志位自身を切り刻んでいる感がある。即ち、この質疑を通じて、共産党の委員長たる志位がポツダム宣言を丸呑み、錦の御旗の絶対正義としていることを判明させている。しかしながら、そのような態度が本来の共産党のものであろうか。ポツダム宣言は勝国側の手になるものであり、もっと端的に言えば国際ユダ屋側のものである。こたびの党首討論は、志位がその国際ユダ屋戦後テーゼの忠実な教徒ぶりを満天下に晒したことになる。れんだいこは、ここに異様さを見て取っている。もっとも当の志位は無痛のようである。前委員長・不破のフリーメーソン史観を忠実に継承しているだけのことと嘯いているのかもしれない。

  こうなると、裏舞台を見れば、右と左と云うポジションは違えども両者は案外と国際ユダ屋同盟仲間なのではなかろうか。通りで党首討論が剣呑にならず和気藹々質疑で終始した訳である。もう少し詳しく述べれば、両者とも国際ユダ屋に飼われている仲間であり、右からのそれが安倍(自公民)、左からのそれが志位(社共)と云うことになるのではなかろうか。れんだいこは、国際ユダ屋論を獲得して以来、これを否定するより肯定する事象ばかりが目についてくる。即ち、この観点より総洗いざらいすれば歴史の深層の真相がよほど見えてくるのではなかろうかと思っている。誰か共認せんか。

 れんだいこのカンテラ時評№1256  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 5月 3日
 護憲論としての縄文社会主義論その8

 そろそろ「護憲論としての縄文社会主義論」を煮詰めておく。本稿では、これまで縷々縄文社会主義論に言及してきたことを受け、「何で今、縄文社会主義論なのか」と設題し解答しておく。縄文社会主義社会の政体、生態についてより詳しくは「別章【出雲王朝神話考】」に只今進行中で書き付けつつあるので参照されたい。付言しておけば、世界から好評価されつつある日本のあれこれは、この頃に作られた日本のあれこれである。

 もとへ。「何で今、縄文社会主義論なのか」の解はこうなる。日本史上の記紀神話が意図的故意に及び腰な言及で済ませている大和朝廷以前の邪馬台国御代、更にそれに先立つ出雲王朝御代の政体を高く評価せよ。

 それは何も懐旧趣味によるのではなく、どうやら実際に善政を敷き、その善政を支える思想、精神、文化、習俗、伝統等を確立していたと知るべきで、それがエコロジー的に高度で今後の人類の未来社会を先取りしている風がある。故に、それを追慕し且つ現代版バージョンに焼き直せよと指針せしめることになる。

 こう聞いて嘲笑する者も居るだろうが笑う者が笑われる。日本上古代史の出雲王朝御代は世界に冠たる否人類史に冠たるお手本的な御代であり、この文明を探索することは大いに有益である。こう確認するところから縄文社会主義論が始まる。れんだいこらしい一言を添えておけばこうなる。訳の分からん日ユ同祖論で煙巻きする暇があるなら、縄文社会主義論に集約される日本文明源流論を学ぶべきである。同じ荒唐無稽譚に興じるなら日本文明源流論の方がはるかに傑作で有益であろう。

 この縄文社会主義論の現代的意味、意義は、この論こそが現代世界の閉塞をこじ開ける能力を持つからである。現代世界を席巻する国際ユダ屋の創造する社会が余りにもいびつなものであり、地球環境の絶対的危機にまで辿り着いてしまっているにも拘らず解決する能力がない。

 と云うか、危機であればあるほどその閉塞にますますのめり込む式の知恵しか持ち合わせていない。分かり易く云えば、原発事故が起れば起るほどますます原発にのめり込もうとする愚かさに似ている。彼らの頭脳は原基的に中毒性気質を帯びている。そういう類のものでしかない。

 それと余りにも対比的なのが日本式縄文社会主義論である。国際ユダ屋文明が錯乱しつつある今日のような折柄に於いては、いやましに脚光を浴びざるを得ない。縄文社会主義論こそが狂気性を深めつつある国際ユダ屋的支配に棹差し、反転させ、本来のあるべき社会を創造し得る。現代社会の危機を救う処方箋を提示できる。

 出雲王朝御代、邪馬台国御代へと辿り着く社会総体を仮に日本文明と命名すれば、日本文明の素晴らしさは人間と自然との共生叡智を確立しているところにある。自然の中に神を観ているので神人和楽となり自ずと共生志向する。人間と自然の関係が共生であれば人間と人間の関係もそうなる。社会、国家もこの共生原理を通底させることになる。ホツマ伝えを見よ、そのように指針させている。

 この点で、国際ユダ屋のそれは真っ向から対立している。彼らにあっては自然は人間に支配される物質に過ぎない。彼らは自然支配する故に人間と人間の関係もそうなる。社会、国家もこの支配原理を通底させることになる。彼らの闘争論にはやるかやられるかしかなく、やるなら徹底的にやれ、中途半端が一番悪いと教える。故に日本式手打ち論を憎む。故に人と人との万年闘争論、階級闘争論、積極的平和主義と云う名での永久戦争論を振り回すことになる。タルムードを見よ、そう書いてある。

 最近のTPP騒動も、絵に描いたように国際ユダ屋の悪知恵商法である。日本文明は長期安定的平和的なシルクロード交易を好むが、国際ユダ屋は一攫千金的な収奪的なハゲタカ交易を求め続ける。科学と化学の関係もそうである。日本文明は科学>化学で科学を基調としているが、国際ユダ屋は化学>科学で殊のほか化学を好む。この化け学志向が彼らの原理であるように思われる。今やその化け学が原爆、原発に辿り着いており、同様な意味において経済的にも金融的にも詐欺的なことばかりしており、司法的にも政治的にも警察的にも軍事的にもその他何でもかんでもご都合主義的なインチキばかりしている。

 今や人類の救済はこうシグナルさせている。国際ユダ屋を支配の座から引き摺り下ろし再び歴史的に蟄居させねばならない。この連中に世上権力を与えてはならない。彼らをのさばらせれば碌なことにならない。こういうことが歴史的にはっきりしたのが現代である。

 ならば誰がそれを引き受けるのか。心配しなくて良い。既に新しい時代に相応しい動きが西欧圏、イスラム圏で始まっている。アジアでの中国、インド、南米その他の台頭もこれにリンクし始めるであろう。問題は我が日本である。一番遅れている。自公民政治とは、お笑い劇場内でトラックを手を振りながら逆走して拍手されている芸者型ピエロに過ぎない。世界は、あんなものは本当の日本ではないとみなして冷ややかに嘲笑している。それはさておき、日本が新時代の世界にリンクするには縄文社会主義論で伍すのが良い。縄文社会主義はこういう位置づけから生まれつつある。誰か共認せんか。

 れんだいこのカンテラ時評№1255  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 4月 3日
 護憲論としての縄文社会主義論その7

 前稿の補足として気にかかることがあるので言及しておく。日本左派運動が、戦後憲法をプレ社会主義法的なものとして位置づけ損なったことを指摘したが、そういう誤りに似た例として革命論を廻る論争がある。テーマとして日本資本主義の帝国主義への転化が未然か既遂か、日本資本主義の自立への転化が未然か既遂かを廻って論争が繰り広げられてきた。

 専ら日共系が帝国主義への転化未然論、対米従属論を唱え、新左翼系が帝国主義への転化既遂論、日帝自立論を唱えてきた。その折衷変種として日帝対米従属論も存在する。1970年代まではこういう革命論が盛んであった。しかしながら、1980年代に入って左派運動が衰微するに連れ、いつの間にか議論されなくなって今日に至っている。これにつき、れんだいこに見えてきた見解を発表しておく。

 日共系の対米従属論はいつもの例の通りのすり替えである。本来は国際金融資本(れんだいこは「国際ユダ屋」と命名している)を見据え、これに対する従属とすべきところを対米従属にすり替えている。このすり替えの犯罪性は、アメリカも又国際ユダ屋に従属させられており、いわゆる先進国と云われる西欧諸国全体が然りであるとする見立ての発展を阻止しているところにある。国際ユダ屋に眼がいくところを意図的故意に米国にすり替えて事足りようとしており、要するに急所をぼかしていることになる。これがどうやら意図的故意だから許し難い。

 他方、新左翼系の日帝論、その自立論が虚妄であることがますますはっきりしたように思われる。今日の日本の現状を見れば、日本資本主義を帝国主義規定して論ずる必要はない。むしろ国際ユダ屋従属性こそがトレンドのように目立っている。してみると、日共系が国際ユダ屋論へ向かわないように巧妙に論を組み立てているのに対し、新左翼系と来たら国際ユダ屋問題論そのものがないと云うことになるのではなかろうか。中には米国の東部経済と西部経済の争いが云々なる珍論で煙巻きするところもあるが、日共のアメ帝論同様の意図的故意のすり替えであろう。

 思えば、新左翼系のその後の自滅は、こういうところの理論の未熟から来ているのではなかろうか。社共式運動が国際ユダ屋の左側走狗に過ぎないと認め、対抗運動を創出したのには正義性があり、新左翼各派はその限りに於いて支持され一定の党的発展を遂げた。だがしかし、自前の革命運動レベルでの能力が問われる段になると解体玉砕方式しか展開できなかった。そういうお粗末な経緯を経ながらでも今現在、党的力量を保持している党派があるとすれば値打ちものであり立派と云うしかない。

 問題は次のことにある。日本左派運動の背景に指針、理論の間違いぶりがあり、それ故に人民大衆的支持を得られないまま今日に至っていることに気づくべきではなかろうか。一案として、れんだいこカンテラに従いレールを敷き直せば再度歓呼で迎えられる機会があるのではなかろうか。即ち、社共運動のエセ性を見据え、日本型共生主義の大道に歩を力強く進める。その際の基準は縄文社会主義であり、日本式神人和楽の助け合いによる王朝楽土建設である。外国式絶対真理如意棒を振り回す必要はなく、内に向けても外に向けても諸国民共和を志向し、そのらせん的漸次革命による共同体づくりに邁進すれば良い。

 こういう政治運動がないことが政治貧困なのではなかろうか。何故にそうなるのか興味がわくがここでは問わない。こういう政治運動があり、そういう政治運動下に身を投じて生活していけたとしたら寿命が短かろうが悔いるものはない。今後、この種の新党が誕生し日本政治を席巻する日を夢見たい。その為の日本改造指針論を著してみたいと思う。

 れんだいこのカンテラ時評№1254  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月28日
 護憲論としての縄文社会主義論その6

 以上が憲法の示す反戦平和規定である。世上のそれと戦後憲法のそれが似て非なるものであることが分かろう。つまり世上のそれが戦後憲法に即したものではなく戦勝国側の国際ユダ屋テキスト通りのものに過ぎないことを意味している。と云う訳で、厭戦主義、無抵抗主義、服従主義、降伏主義、謝罪主義、賠償主義、自虐史観と云う国際ユダ屋の世界支配に好都合な反戦平和思想となっている。

 即ち、先の大東亜戦争からの教訓として、1・そもそも戦争するべきでなかったとする総括、2・戦争の悲惨さを伝える恐怖論。ここまでならともかくも、この後に続く3・勝ち目のない戦争であったのに無謀にも戦争に向かったことへの反省。4・そういう勝てない相手に二度と歯向かいませんの恭順降伏。5・戦争指導者批判。昭和天皇の責任免責の上での軍部批判。特にA級戦争犯罪人に対する戦争責任の徹底追及。6・日本の国家的戦争責任としての諸外国に対する侵略謝罪、7、日本の国家的戦争責任としての諸外国に対する賠償責任、8・自虐史観等々の論から構成されている。

 特徴的なことは、敗戦国側にのみ戦争犯罪が適用され、戦勝国側に対する責任追及が免責されていることである。故に戦勝国側の為した市民無差別殺傷の都市爆撃、広島と長崎への原爆投下による大量殺人は免責されるどころか終戦を早めた聖戦ジハードとして称賛されたりする。

 逆に負けた方に対しては、史実検証よりも弾劾が優先される東西での敗戦国側の戦争犯罪が告発され続ける。これが東京裁判の全体構図であるが、こういう「勝てば官軍、負ければ賊軍」を地で行く反戦平和論が洗脳的に教育される。世上に流布されている反戦平和論はそういう論理式で検閲済みのものばかりである。

 東京裁判式反戦平和論のどこがオカシイのか、これを確認しておく。第一次、第二次世界大戦は実は、近代史に発生した国際ユダ屋の世界支配問題を廻る両派の世界大戦であった。結果的に国際ユダ屋派が勝利した。その結果、この戦争に関して勝者側の国際ユダ屋派的総括ばかりが押し付けられているに過ぎない。

 日本式の戦(いくさ)の場合には平家物語、太平記で分かるように喧嘩両成敗的な、あるいはどちらが正義であるにせよ戦争の中に両者の悲しみを見て取るような視点があるが、国際ユダ屋派的総括にはそういうものは微塵もない。負けた相手は徹底的に極悪非道にされ、未来永劫に戦争責任が追及されていく。そういう反戦平和論になっている。

 しかしながら、仮に連中の反戦平和論を日本伝統式の公正な見方で評するとしたらどうなるか。それは全く逆の景色になろう。即ち狂人ヒットラー論に対しては、ヒットラーの菜食主義者、禁煙者、ベルリンオリンピック名指揮者、親日家、霊能力者ぶりの側面が見えてくるかも知れない。降伏後のナチスに加えられた拷問の非道さが見えてくるかも知れない。

 もう一つ確認しておきたいことがある。日本の大東亜戦争が、西欧列強による世界分割戦の結果としての植民地を覚醒させ、戦後のアジア、アフリカ諸国の独立闘争の契機になったと云う側面がある。この点で世界史に大きく貢献していることは疑いない。日本のこの世界史的貢献に不言及な反戦平和論は片手落ちなのに世上の反戦平和論は全く無視している。このような視点を欠いたままの反戦平和論にされてしまっている。我々はそろそろ、そういうニセモノ反戦平和論、護憲論に辟易すべき頃ではなかろうか。そういうものとは別の真に有益にして公正な理論と実践を欲すべきではなかろうか。その上での改憲策動との闘いが要請されているのではなかろうか。

 目下、自公民派によるサイコパス的好戦主義に基づく積極的平和主義に基づく軍事防衛政策史の塗り替えが進行している。これの黒幕は国際ユダ屋の世界支配網である。連中は何しろ5千年の悪知恵で仕込まれているので手強いといえば手強いが、その戦争政策が自家中毒しており、遂に我が身を滅ぼす段階域に辿り着いているように思われる。連中はいわゆる賢こ馬鹿で、狂ったまま自滅すると思うから楽観はしないが悲観もしない。

 れんだいこのカンテラ時評№1253  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月23日
 護憲論としての縄文社会主義論その5

 戦後憲法前文と9条の反戦平和論を有機的に結合させると、1・国際平和希求、2・戦争放棄、3・武力行使放棄、4・戦力不保持、5・国の交戦権不認の5項目を基本的要件として規定していることになる。これを一括して「戦争放棄条項」と規定している。社会党的には非武装中立論であり、文学的には「あっと驚く徒手空拳防衛主義」と形容できようか。

 これを虚と見なすのか実と見なすのかが問われている。今日の状況から評すればドン・キホーテ的理想主義には違いない。しかしながら、この規定が第一次、第二次世界大戦で蒙った世界的戦争悲劇の余燼燻る中で生まれたことを理解せねばならない。当時に於いては実在力があった故に規定されたと見なすべきだろう。ここのところは、歴史的与件抜きに後付け話法で評する者はいつの世でも粗脳でしかないので留意すべきだろう。

 憲法学者・西修博士の研究「日本国憲法を考える」(文春新書)によれば、「国策遂行の手段としての戦争放棄」規定は、1928年に締結された不戦条約で述べられた思想に発し、1931年のスペイン憲法にも戦争放棄条項が加えられており、世界の現行憲法の中で何らかの平和条項を持っているものは124カ国にも上ると云う。しかし、最も明確に厳格に「不戦規定」しているのは日本国憲法を嚆矢とする。

 ここから汲み出す法解釈は、「日本国憲法に随う限り、我が国の軍事防衛政策は、国家権力の手段として対外的には平和外交を通じての国際友好親善活動、通商交易による不断の国際協調路線、対内的には災害救援隊活動、純軍事的には専守防衛活動しか為しえない」ということになるであろう。この規定が空文であるのかないのかの論議は又別であり、忽ちはかく理解すべきであろう。

 以上の「憲法前文と9条の生成過程」の一部が次のように明らかにされている。GHQ草案作成過程で、新憲法の理想的精神について、幣原首相とマッカーサー元帥との間で白熱共鳴のやり取りが為されている史実がある。第9条の「武装放棄」については、幣原はマッカーサー元帥に、マッカーサー元帥は幣原の発案としてお互いが譲り合っている。「羽室メモ」は次のように証言している。

 概要「幣原はさらに、世界の信用をなくした日本にとって、二度と戦争を起こさないということをハッキリと世界に声明することが、ただそれだけが敗戦国日本の信用を勝ち得る唯一の堂々の道ではなかろうかというようなことを話して、二人は大いに共鳴した」。

 幣原首相は次のように述べたと伝えられている。

 「中途半端な、役にも立たない軍備を持つよりも、むしろ積極的に軍備を全廃し、戦争を放棄してしまうのが一番確実な方法だと思う」、「旧軍部がいつの日か再び権力を握るような手段を未然に打ち消すことになり、又日本は再び戦争を起こす意思は絶対ないことを世界に納得させるという、ニ重の目的が達せられる」。

 ところで、日本国憲法は第99条で、行政当局者の憲法遵守義務規定を次のように課している。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う」。これによれば、行政当局者は、憲法改正を論じ運動することは許されても、改正以前に於いては現憲法を遵守するべしとする厳格な義務を負っていることになる。これを法治主義と云う。現下の前倒しは法治主義違反であり、勝共連合統一原理派の挙動はそのレベルを超えて憲法テロリストサイコパスの域のものである。この痴態を許してなるものかわ。

 本来であれば、この99条規定に基づく違憲訴訟裁判所が設けられ、違法行為につき監視すべきであろうが、そこまでの強行規定にはなっていないようである。諸外国の憲法との比較で論じたいが残念ながら知識がないので分からない。しかし、この規定によって役人は何人も、この規定との緊張関係なしには業務できないのであり、国民はこれを監視する権利を得ており義務があると云うべきだろう。ここを疎かにするような憲法学者を御用系と云う。この手合いの憲法学者が最近の憲法改正の動きに鈍感きわまるのもむべなるかな。

 れんだいこのカンテラ時評№1252  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月22日(日)
 護憲論としての縄文社会主義論その4

 ここで、戦後憲法に結実した反戦平和論の論理を解析しておく。世上の護憲論理とどう違うのか、その相似と差異を確認しておきたい。戦後憲法上の反戦平和論は前文と9条に記されている。これを確認する前に、あらかじめ分からず屋に申し上げておく。

 前文では先の世界大戦に対する謝罪とか賠償とかの歴史責任に言及していない。これを逆から云えば言及するよう強要されていない。このことは、当時の背景にある思想として、戦勝国も敗戦国も戦争行為につき同等の責任としており、東京裁判の如くな戦勝国称賛、戦勝国戦争犯罪免責、敗戦国懲罰、敗戦国戦争犯罪有責の構図にはなっていない。この違いを弁えねばならないところ国際ユダ屋テキストの指針する東京裁判史観に基づく反戦平和論ばかりが説かれて本来の護憲論理とすり替えられて今日に至っている。

 前置きはこれぐらいにして戦後憲法上の反戦平和論を解析しておく。前文は、敗戦国日本の今後の国の指針として自由自主自律的に「不戦の誓い」を格調高く宣明している。これが戦後日本出直しの始発となっている。世界がこれを認めることで国際社会に受け入れられ、戦後日本はそういう国際友好親善道を辿り始めたということになる。してみれば、先の世界大戦に対する謝罪とか賠償とかの歴史責任を深く負えば負うほど護憲的であるとする今日の社民式共産式護憲論が如何に的外れなものかが分かろう。

 前文を少し詳しく確認しておく。第一項概要「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、この憲法を確定する」。かく反戦不戦平和国家造りを使命として憲法を策定したことを明らかにしている。してみれば、「反戦不戦平和の誓い」は戦後日本の背骨的な原理であると云うことになる。第三項概要「日本国民は恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」、第四項概要「我らは平和を維持し、国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」。かく恒久平和主義、平和維持活動、国際友好親善、国際協調主義に努めることを誓約している。

 第五項「全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。かく国家責任的平和的生存権思想を打ち出している。第六項「この法則に従うことは、自国の主権を維持し他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」。かく国際的対等互恵主義を打ち出している。第七項「日本国民は、国家の名誉にかけ全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」。かく意図的に理想主義を掲げ、それに邁進する日本を宣明している。

 次に憲法9条を確認する。第1項で次のように規定している。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。ここで、憲法前文を受け、更に能動的且つ大綱的に反戦不戦条項を敷衍していることになる。即ち、1・国際平和希求、2・国際紛争を解決する手段としての戦争放棄、3・武力行使放棄を詠っている。

 第2項で次のように規定している。「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。即ち、4・戦力保持の禁止、5・交戦権の禁止を詠っている。

 以上、戦後憲法上の反戦不戦平和条項が5要素から成り立っていることが分かる。これを理解する上で肝要なことは、憲法前文と憲法9条を分離して論ずるのではなく有機的に結合させて読み取ることであろう。専ら憲法9条のみ吟味され骨抜き方向に拡大解釈されて来ている経緯があるが、それは不毛な論議に誘われるであろう。

 なぜなら、憲法9条の規定は、憲法前文の思想性に依拠しており、その論理の赴くところとして密接不可分に規定されているのであるからして、国の在り方としての思想性を問わない軍事防衛論議はどこまで行ってもスコラ学的解剖学的にならざるを得ず、それは憲法9条の意味を捉え損なうであろう。

 してみれば、自公民政権下での防衛論議が何とクダラン駄弁に終始していることだろうか。安倍政権下の自衛隊常時武装出動法案は何と憲法違反なことだろう。このところの国会質疑が何と憲法規定を無視して議論されていることだろう。ひたすら国際ユダ屋の指令するままに口パクし仰せの通り政治を請け負っているに過ぎない。

 これは既にサイコパスの域である。正確には戦後憲法テロリストサイコパスである。このサイコパスは思想的には勝共連合統一原理派に属しているようである。この系譜の連中ばかりが重役に就いているので、こう評することができよう。

 これにより連中が日本的でなさ過ぎるのが能く分かる。帰化人系がこの思想に馴染み易いようで要するにお似合いなのだろう。このサイコパスが原発放射能の糞尿垂れ流しのまま再稼動やら輸出せんとしている。何と高いお詫びが後世につくことだろうかと今から危惧するが、サイコパスは日本をそういう苦しむ目に遭わせてみたいらしい。この連中とは刺し違える以外に方法がないかもしれない。

 れんだいこのカンテラ時評№1251  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月16日
 護憲論としての縄文社会主義論その3

 目下のシリーズは人気がないようだが今しばらく続ける。日本左派運動が戦後憲法のプレ社会主義法性を見つけ損なっていることが様々な面で悪態を生んでいる。その一つが憲法記念日の傍観無為である。憲法記念日祝祭はハト派が戦後保守主流派であり得た時代に於いて大事に祝されてきたがハト派が解体されて以降はおざなりの行事に化している。

 日本左派運動は、理想社会を先取りした戦後憲法のせっかくの祝祭日を得ておりながら、この行事を主体的に運営し、戦後憲法受肉化の為の紅衛兵運動を組織し、憲法を息づかせることをせぬままにやり過ごして来た。

 その癖、タカ派系の建国記念日、靖国神社、保守系検定教科書等々に於ける右翼の活動に難癖つけて悦に入ってきた。要するに自前のものを生み出す苦労を厭い、相手のそれを引っ掻くと云う安逸な作法を得手としてきた。そういうものを幾ら戦闘的にしたとしても本質的に卑怯姑息でありケチ付け運動に過ぎないのではなかろうか。れんだいこには若い頃からそういう不満があり彼女とトラブってきた苦い履歴がある。

 「新しい歴史教科書をつくる会」の検定教科書用「日本の歴史」に対する抗議運動に言及しておく。それが仮に右派系のものであるとすれば、それに対抗する左派系の検定教科書用「日本の歴史」を編纂して対置すれば良いではないか。肝心のそういう営為をせず、保守系歴史教科書批判に耽っても説得力が弱かろう。

 ここでこのことを取り上げるのは、この作法がどうも日本左派運動の宿亜ではないかと思うからである。国会内外で口先だけの批判をしてお茶濁しをしている議員活動、「国連への手紙」などを得意げに吹聴しているだけのアリバイ反対派の生態に似ている気がするからである。連中は一事万事がそうである。

 戦後憲法のお陰で世界一自由な主義者活動が許されながら結果的に次第に政権に辿り着く道から遠ざかり、今となっては野党暮らしを楽しみ、否むしろ今日的には総破産しており、社民、民主の場合は裏取引専門になり、共産の場合には政界ゴシップ騒動屋としてのみ機能させられている。致し方ないと見なすべきではなかろうか。

 そこで、れんだいこの出番となっている。れんだいこは、戦後憲法をプレ社会主義的なるものとして位置づけ、今や更に日本固有の在地土着的縄文社会主義を獲得することにより、そういう観点からの護憲の御旗を手にしている。この系からの運動は今始まったばかりであり目下は海のものとも山のものとも分からぬ状態であるが、渇いた大地に水が浸み込むように支持されていくであろうことを確信している。

 生まれ代わってもう一度チャレンジできるなら、この史観、思想で学生運動を仕切り直し天下を取る。天下が自己目的ではない。政権を取ることによりできるあれもしたいこれもしたいを実現させたい為である。丁度、田中角栄政権をもう三倍政権に就かせていたら同様の夢を見られたのにとも思う。そういう日本にさせてはならないとする判断からの用意周到な角栄潰しがロッキード事件の真相ではなかろうか。

 この観点にたって初めて改憲派の狙いが透けて見えてくる。自公民政権下での改憲策動は、国際ユダ屋が日本の自衛隊を傭兵として使い、日本をアジア、イスラムと戦わせようとしていることによる。その挙句に使い捨てにしようとしている。但しそればかりではない。もう一つの狙いとして日本の伝統的な縄文社会主義的共同体の絆を切り刻んでしまい、日本人野郎を国際ユダ屋の下男に日本人野女を娼婦にせんとしている。

 従軍慰安婦問題で殊更に謝罪を強要しているのはひょっとして日本人野女に今後同様の償いをさせようと企図している伏線ではあるまいか。ああいう連中だからこれぐらいのことは十分あり得る。そういう時代へ引き込む呼び水が改憲の意図ではなかろうか。これが近未来の日本の姿であるとしたら涙なしには語れない。

 れんだいこのカンテラ時評№1250  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月14日
 護憲論としての縄文社会主義論その2

 「護憲論としての縄文社会主義論その1」で言及したように、日本史上の歴史的伝統的な正統革命家である角栄に対して、西欧思想被れ結社として自己形成しているに過ぎない当時の社会党、共産党が角栄討伐の先陣争いに向かった。それを誰が号令指揮したのか。こう問う者は少ないだろうが、れんだいこは疑惑し続けている。

 一例として次の事件を挙げておく。1983(昭和58).8.26日、ロッキード裁判で検察が角栄に対して懲役5年・5億円追徴、秘書の榎本に対して懲役1年の論告求刑した。その当夜のこと、マスコミは一斉に検察求刑を正義的に評した記事を載せ、総評、社会党、共産党も呼吸を合わせて「検察応援・論告支持・田中有罪」の御用ちょうちんを持って目白の田中邸を包囲した。

 ちょっと待て。平素取り締まられることはあっても取り締まる側に回ることなぞなかったであろうに、この時の総評、社会党、共産党はお上権力丸出しの「御用」と記したちょうちんを持って角栄糾弾闘争に向かっている。オカシくないだろうか。れんだいこにはその神経が分からない。これが分かる為には、この立ち位置が案外といざ鎌倉時の社共の裏の顔ではなかろうかと察すれば良い。

 ロッキード事件で戦後保守ハト派の総帥角栄を潰し、田中大平同盟に楔を打ちこんだことによって、中曽根に始まる戦後保守タカ派主流派時代を呼び水したの周知の通りである。それは丁度、60年安保闘争で、これを牽引したブントがタカ派の岸政権を打倒することによりハト派の池田政権を呼び水したのと対照的であった。当人たちの意識とは別に歴史に果たした役割を俯瞰する時、ブントが好評価されるべきで社共が悪評価されるべき理由がここにある。ここでは、そういう彼らの戦後憲法論を確認しておく。

 社会党、共産党は穏和的な左派運動を担っているところに役割がある。彼らの革命論は民主主義革命であり、社会主義革命派に対して厳しく対峙する役目を持っている。これが、党員レベルではいざ知らず党中央レベルが担っている裏の顔である。左派系党派の党中央がそういう風に飼われていると判ずる必要がある。素人がそういう党中央に身も心も預けると碌なことにならないのでご注進しておく。

 その彼らの護憲運動論が興味深い。彼らはブルジョア憲法を何故に護るのかと問い、日本革命の当面が民主主義革命を要求している故にと説明する。この範疇で戦後民主主義論を唱え、これに護憲論を接合させると云う論理式の護憲論を唱えている。

 この理論は、戦後憲法の中にある社会主義性を認め、それを擁護称揚すべきであるところ、敢えてそう説かず民主主義革命の範疇で語り続けると云う意味で反動性がある。但し、回りくどかろうとも結果的に護憲論にシフトしており、このことが歴史的な正当性を獲得し、人民大衆的に支持されてきた要因であると思われる。

 こういう社共運動のエセ運動性に反発して登場して来た急進的社会主義革命呼号派の新左翼の運動はどうだったのだろうか。モーリス・メーテルリンク作の童話劇「幸せの青い鳥」になぞらえれば「幸せの赤い鳥」を求めて彷徨した挙句、結論から云えば度し難い運動に陥ってしまった。

 その間違いは、新左翼各派も又戦後憲法をブルジョア憲法と位置づけ、要するに戦後憲法の中にプレ社会主義性を見つけ損なったところにある。その上で社共との違いを際だたせようとしてか社共式護憲論に反発した戦後民主主義体制解体論を対置し悦に入った。こうなると、曲がりなりにも護憲に成功した社会党、共産党に比して、直接的な社会主義革命を唱えながら、プレ社会主義的要素を先取りしている戦後憲法を否定すると云う、とんだお笑いの空理空論の倒錯理論に陥ってしまったことになる。

 今でこそ戦後憲法に依拠する運動を創出しているが、それは救援活動等の経験から本能的に生み出しているのであって未だに理論的な裏づけを持っているように思えない。能天気に護憲論と解体論を持ち出す要領を得ない代物となっているのではなかろうか。彼らはブルジョア憲法であるとする戦後憲法を何故に擁護するのかと云う理論課題を未だに解明していない。一時はポツダムヤルタ体制打倒論を唱えて右翼の改憲論とハーモニーする時期さえあったほどである。

 れんだいこ史観から評すれば、社民やマルクス主義派の護憲理論がこのようなものであるので新旧左翼とも頼りにならない。こうなると気づくことがある。一番望まれている社会主義革命論を唱え且つ護憲と云う党派がなぜ出てこないのだろうか。肝要な党派がスポッと抜け落ちた形で左派運動が展開されていることになるが、これは偶然だろうか。

 彼らは過渡期論で間に合わせれば足りるのに徒に小難しく革命論を論(あげつら)う癖がある。我々はさほど意味のない革命論に耽らず、人民大衆の生活第一を掲げ且つ護憲派政党を期待している。こういう政党がなぜ登場しないのだろうか。仮に登場しようとすると、よってたかって袋叩きにされるのはなぜなのか。こういう時に決まって共産党がしゃかりきにいきり立つのはどういうことか。こういう疑問が生まれることになる。

 れんだいこのカンテラ時評№1249  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月 8日
 夜に昼に継ぐ戦後憲法制定作業考その1

 戦後憲法論を廻って、改憲派が論拠にしている一つが「GHQにより押し付けられた論」である。これについては別稿で確認する。本稿では、もう一つの「夜に昼に継ぐ僅か一、二週間で戦後憲法が生み出された論」を検証する。これを仮に「15日間作成憲法」と命名する。

 3.6日、安倍首相が、この戦後憲法「15日間作成憲法」観点から衆院予算委員会答弁で次のように述べている。「短い期間で連合国軍総司令部(GHQ)において25人の方々によってつくられたのは間違いない。こういう過程でできたから変えていく、ということについて議論するのは当然のことだ」。

 他にも「新憲法草案作業は憲法の専門家1人もいない占領軍民政局の21人のアメリカ人によりたった1週間で作成された。アメリカ、ソ連憲法を適当につぎはぎして作った代物である」なる説が流布されている。こういう通説は本当だろうか。歴史の検証に耐えられるのだろうか。

 れんだいこは、この通説は精査されていない雑な見方と判じたい。半分本当で半分正しくないと解するのを相当としたい。そもそも通説は、戦後憲法制定作業期間を「僅か1週間とも2週間」としてドラマチックに仕立てているが漫画的過ぎるのではなかろうか。そういう理解は漫画頭脳に相応しい漫画的受け取りに過ぎないのではないのか。

 実際に創り出された戦後憲法の構成、諸規定、その特徴等を見るのに、「僅か一、二週間で一から生み出された」ようなものには到底思えない。実際は、用意周到に練られたグランドデザインとしての原案が既にあり、その最終稿確定検討に要した期間が「僅か1週間とも2週間」ではなかったか。即ち「最後の細部のツメに要した期間」と受け取る。

 ここでこのことを格別に論ずる理由は、この時の原案がよほど用意周到に練られた草案であったことを確認したいからである。戦後憲法論に於いてこのように論ぜられることが少ないが、それは意図的故意にキモの部分を避けているからに過ぎない。

 一説に、アメリカ側よりする戦後日本の人民大衆的取り込み策として、ソ連憲法にも増して優位な民主主義憲法を打ち出す必要があり、この意を挺して日本人を含む知日派の複数メンバーが最高の頭脳を駆使して草案化し原案を作成したとの説がある。こう見なす方がまだしも正確なのではなかろうかと思う。

 但し、れんだいこが窺う真相はもっと凄い。実は、日本の戦後憲法策定に当たっては、どういう経緯によってか分からないが、第二次世界大戦後の歴史事情に鑑みたいわば理想主義派が隙間的に登場し、この連中が戦後憲法の骨格を作成し草案化し、それを当時のGHQ内ニューディラー派の民政局GS(ガバメント.セクション)」が引き受けて戦後憲法作成に指導能力を発揮したと解している。この流れに関わるインテリジェンスが「戦後日本の青写真」を作り、憲法はかくあるべしの理想主義的見地から作成されたように解している。彼らの登場、その策定物としての戦後憲法そのものが歴史の僥倖による賜物であった。

 付言しておけば、戦後憲法は手放しで礼賛できるものではない。当然のことながら戦勝国側の対日支配に有利な戦後日本作りの為の諸規定が仕掛けられている。但しそれだけではないところに素晴らしさがある。日本及び日本人民をこよなく愛し、その歴史を知っていた者による伝統的な縄文社会主義的日本作りのベクトルも働いている。両者の思惑が混交して成文化されているのが戦後憲法であると了解したい。そこには、戦後日本再生に関わる「偉大なる智者の推敲」が働いているように見える。誰がこれを為したのか。恐らくこれは永遠の秘密のヴェールに包まれるのだろうと思われる。そういう知恵が随所に入っているのが戦後憲法である。

 「偉大なる智者の推敲」は、戦勝国側の利益と縄文社会主義のどちらを主にしているか。れんだいこには、前者を従として後者を主としているように思える。してみれば、昨今の改憲の動きとは、従とされた戦勝国側の利益を主とせしめ、縄文社会主義的観点からの規定を排斥する為の策動と思える。

 こう見て取ることにより、改憲派の素性がよく見えてくる。日本を愛するという割には少しオツムの弱い、利にさとい、手前の立身出世に有利となれば日本を売り渡すことに何の逡巡もない連中ばかりであることが分かる。この連中がこぞって原発再稼動派であることも興味深い。原発利権族と改憲族はよほどハーモニーしているのだろう。

 れんだいこのカンテラ時評№1248  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 3月 3日
 護憲論としての縄文社会主義論その1

 安倍政権下で憲法改正策動が強まりつつある。そういう状況柄、我々は何故に戦後憲法を護憲するのか、その理論を開陳し世評を仰ぎたい。れんだいこはこれまで、「Re:れんだいこのカンテラ時評285、れんだいこの戦後憲法プレ社会主義法論」その他で、戦後憲法のプレ社会主義法性を指摘し護憲の論拠としてきた。本稿では、これを更に推し進め日本固有の出雲王朝式善政論と結びつけ、戦後憲法がこの日本式理想政治とハーモニーしている故に護憲すべしとする縄文社会主義論を提起したい。

  れんだいこは今や何事も輸入理論で解く見地を捨て、日本語としての言語が象徴的にそうであるように日本文明が在地的土着的自生的に発生してきた可能性に注目し、それで解ける場合はそのように解こうと努めている。

 要するに、古代に於いてはインド、中国、朝鮮から、近代に於いては西欧からとする万事に於ける外国被れの見方を排斥しようとしている。当然、政治理論も然りである。出雲王朝御世の理想的な大国主の命政治に注目することによって縄文社会主義論を生み出し、これを基点機軸とすることによって既成の西欧的諸思想被れ論から決別せんとしている。

  戦後学生運動著書2冊を持つれんだいこが若い頃、信奉してきたマルクス主義、アナーキズムとの比較においてさえ、日本の縄文社会主義論と共通の思想ありし場合にのみ、その限りに於いてそれらの思想の値打ちを認める。マルクス主義、アナーキズム文中の、日本の縄文社会主義論から受容できない思想については否定し受容を拒否する。そういう思想スタイルを確立している。

 これが逆にはならない。即ちマルクス主義、アナーキズムの見地から縄文社会主義論を解析し、共通の思想ありし場合にのみ値打ちを見出し、その限りに於いて認める、のではない。主客論において、日本の縄文社会主義論を主、外国的諸思想を従としている訳である。この思想スタイルがここまで辿り着くのにほぼ30年余を要しており、この構図はもはや変わらないと思っている。

  れんだいこは、この縄文社会主義観点からの護憲論を唱えている。こういうものは初稿であろうから多くの者は判断停止になろう。しかし、本稿が次第に説得力を増し、仕舞いには総出の拍手で迎えられることになろう。こう期待している。直先のブログ「2015.2.11建国記念の日に思う」で次のように述べた。「我々が採るべき態度はこうである。悪法は変えれば良い、と云うか変えるべきである。ところが良いものであったら良きものと見定め称え護リ、悪用を許さず善用せしめて行くことが肝心である。これはまったく憲法論にも通じている」。全くその通りで、この観点が戦後憲法護憲の骨子にならなければならない。我々が護憲するのは戦後憲法が良質なものだからであり、それ以外の理由はない。

  それでは戦後憲法はどう良質なのか、これを確認しておく。結論から述べると、どういう経緯かは別にして結果的に縄文社会主義と照応する名憲法となっている。ここに我々の護憲の論拠がある。戦後憲法は、日本の祖法である縄文社会主義に照応している故に公布されるや急速に受肉化されて行った。要するに黒船来航以降の明治維新によって、国際ユダ屋系のネオシオニズム思想並びに政治が次第に権勢を振るい始め、その流れに連れて圧殺されていた日本的共同体の紐帯DNAが、戦後憲法を仲間と認め悦び迎えた訳である。戦後憲法受肉化の真因をこう理解せねばならない。その主体は無名の大衆であり、政治的には戦後保守本流ハト派が担った。

  戦後憲法を縄文社会主義論の見地から是認し、その理想を政治の基礎に据え、政治活動を展開した代表的政治家が田中角栄であった。社共は護憲を云うけれど野党としての口先だけであるから弱く、真に権力を握って政治を操舵し護憲してきたのは戦後保守本流ハト派であり、そのモーターが田中角栄であった。

 要するに、縄文社会主義論によれば田中角栄こそが本物の革命家であった。しかしこうなると、その角栄を葬るのに一大戦争を仕掛け、未だに正義ぶって自慢し続けている社会党、共産党とは何ものぞと云うことになる。当然、彼らの護憲論は本物なりやと関心が向かうことになる。

  1976年のロッキード事件で角栄を失脚させて以来、これを境に戦後保守本流ハト派が痩せ細り、それにつれて戦後憲法の真の護り手が居なくなり、角栄派が解体されて以来、戦後憲法が病床に伏すようになり今日では骨川筋衛門にされている。

 こう捉えて護憲するのが本来の護憲論ではなかろうか。この観点を打ち出さず小難しく語るばかりの護憲論、口先擁護だけの護憲論、戦後憲法の擁護者であった角栄討伐戦に精出した側の護憲論、これらは偽者である。共同戦線的には組むべきであるが信を置くに値しない。

 ありがとうございました  投稿者:れんだいこファン  投稿日:2015年 2月21日
 やはりネット検索、メール、HPなど嫌がらせをされているんですね。復旧工事がたいへんですね。時にはウィルスにPCがやられたりしませんか? それにしても、すばらしい生きざまに感心させられました。そうでなければ、あれだけのHPは作れませんよ。さらなる精進とHPの充実を期待しております。ありがとうございました。メールも差し上げますのでよろしくお願いいたします。

 嫌がらせについて  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 2月17日
 「れんだいこファン」さんちわぁ。れんだいこメールは(E-mail: rendaico@marino.ne.jp)です。ホームページの末尾に記しております。

 命についてですが、今日までのところは大丈夫です。掲示板、メール、ブログ、ネット検索上の嫌がらせはしょっちゅうです。れんだいこ的には、寿命に限りある身なので、云いたいこと云ってしたいことして命を燃焼しきりたいです。それが為に殺されるのは嫌ですが、それを恐れていたら何もできないです。そう考えて今日まで参っております。大げさに言えばオマンマ稼業のやりくりも含め毎日がドラマです。どこまで生きられるのか楽しんでおります。ホームページは生ある限り書き続け書き直し刻み抜くつもりの宝物にしております。そういうこともあって、今のところどこにも脳の萎縮が見られないと知り合いの内科の先生が感心してくださりましたふふふ。有難いことです。

 嫌がらせは?  投稿者:れんだいこファン  投稿日:2015年 2月15日
 れんだいこさんのHPをいつも読ませてもらっています。
内容も良いのですが、その膨大な量に驚かされます。
xxx党の研究はすばらしいです。ご存じの通り,彼らは反党分子にたいしてイジメは尋常ではありません。これだけの反党文書をネットに載せて、抹殺されませんね。ネット記事はいいとしても、命を狙われませんか。詳しくは、掲示板でなくメールでお訊きしたいので、メールアドレスを教えてください。

 れんだいこのカンテラ時評№1247  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 2月11日
 2015.2.11建国記念の日に思う

 今日は2015.2.11日、「建国記念の日」による祝日である。この建国記念の日を左翼的に批判するのではなく、右翼をたじろがせる建国日論を発信して撫で斬りにしておきたい。「建国記念の日」の理論的考察、登場までの歴史的経緯については既に「建国記念日考」、「2013.2.11建国記念日に思う」で述べているので繰り返さない。本稿は新たな発信をしておくことにする。kodaishi/kodaishico/koki2600nenco.html
 

 「2.11建国記念の日」をどう拝するべきか。この祝日を規定した側は、日本書紀記述の「神武天皇が辛酉の年の庚辰朔の年の正月に橿原に宮を建てた」のを由来として西暦換算による「紀元前660.2.11日」を建国記念日としている。しかしながら、少し古代史を学んだ者には自明であろうが、紀元前7世紀頃に神武天皇が橿原に宮を建てたとするのはかなり無理がある。記紀神話の他の記述と辻褄の合わないことが多過ぎるからである。にも拘らず「紀元前660.2.11日を紀元元年」としたのはどういう訳か。実は「日」自体には意味がなく、建国記念日を設けることに意味があった故と云うことになる。

 ところで、れんだいこは、別の基準で「西暦紀元前660.2.11日を日本皇統史元年」とすることに納得しようとしている。どういう理論によって首肯できるのか、それを開陳しておく。

 建国記念日を「神武天皇が辛酉の年の春正月の庚辰朔に橿原に宮を建てた」に置くのがそもそものナンセンスである。日本古代史上、避けて通れないのが邪馬台国であり、この国が存在したのが紀元3世紀頃とすると、れんだいこ史観によれば神武天皇は邪馬台国滅亡と絡んでいるはずであるから紀元3世紀頃とせざるをえない。ここからは「紀元前660.2.11日を紀元元年」とする理由が出てこない。

 ところが、「紀元前660.2.11日」を紀元元年にし得る理論がある。それは、この日を、出雲王朝形成期の元一日とすることによってである。あるいは出雲王朝の次の段階としての八束水臣津野命(ヤツカミズオミヅの命)の「国引き譚」記念日に該当させるべきかも知れない。れんだいこ史観によれば、出雲王朝は「国引き」により「八雲立つ出雲」から連合王朝に向かう。こうした出雲王朝形成の元一日を「紀元前660.2.11日」に求めると奇妙に符合するから不思議である。

 神武天皇を初代とする大和王朝が皇統の万世一系を云うならば、直前の邪馬台国王朝、更にその前の出雲王朝の皇統まで辿ることが是となり、その出雲王朝の元一日が「紀元前660.2.11日」だとすれば、この日まで遡って、この日をもって建国記念の日とすることには合理性があると云うことになる。

 明治政府の歴史認識は、「神武天皇が辛酉の年の春正月の庚辰朔に橿原に宮を建てた」を「紀元前660.2.11日」と定め建国記念日とした訳であるけれども、この日を日本皇統譜の始まりである出雲王朝創生の元一日として位置づけ、この日を建国記念の日として祝うことは可能な訳である。

 今日、建国記念日そのものを分裂的に方や称え、方や批判するのが流行である。それは日の丸、君が代、菊花弁に対しても然りである。しかしながら奇妙なことに日の丸、君が代、菊花弁は皆な出雲王朝系の産物である。国旗としての日の丸、国歌としての君が代、家紋としての菊花弁は、それを悪用した者と善用した者により醸し出されるものが違う訳で、それ自体としてはそれぞれ秀逸なものである。こう考える必要があるのではなかろうか。

 建国記念日、日の丸、君が代、菊花弁そのものを批判するサヨ、称えるウヨの論理式は実は一緒である。裏で操る者がいて繋がっていると考えた方が良い。我々が採るべき態度はこうである。悪法は変えれば良い、と云うか変えるべきである。ところが良いものであったら良きものと見定め称え護リ、悪用を許さず善用せしめて行くことが肝心である。これはまったく憲法論にも通じている。

 Re: 謎の(初めてなので)訪問者  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 1月25日
> No.360[元記事へ]

 名無しの探偵さんへのお返事です。

> 初めて訪問します。名無しの探偵です。管理人さんとほぼ同世代。まだ勝手が分からず、メッセ―ジはありません。
> 見渡したところ、二人の投稿者しか見受けられなかった。話が難しすぎるからか。田中角栄と三木武雄の妾騒動に重点が移っており、ややこしくなったのだろうか?
> 今日はこの辺で。

 39です。あれこれの雑談の中でひらめきをもらうことがあります。そういう訳でご遠慮なしにご登場ください。

 謎の(初めてなので)訪問者  投稿者:名無しの探偵  投稿日:2015年 1月24日
 初めて訪問します。名無しの探偵です。管理人さんとほぼ同世代。まだ勝手が分からず、メッセ―ジはありません。見渡したところ、二人の投稿者しか見受けられなかった。話が難しすぎるからか。田中角栄と三木武雄の妾騒動に重点が移っており、ややこしくなったのだろうか? 今日はこの辺で。


 れんだいこのカンテラ時評№1246  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 1月20日
 為にする田中角栄悪評論を斬り捨てておく

れんだいこブログの中で「田中角栄の妻及び愛人との絆考」が人気記事ランキング第1位であり最も評価が高いようである。これに比して、角栄に対する為にする悪評が為されている。本稿でこれを質し斬り捨てておく。ネット検索で「政治家愛人伝説、政敵の愛人店を乗っ取った田中角栄」、「竹田恒泰の田中角栄は三木武夫の愛人も世話をしていた」に出くわす。それらが、れんだいこの「田中角栄の妻及び愛人との絆考」以前のものなら許せるが、以降のものであれば容赦する必要はなかろう。

 「政治家愛人伝説 政敵の愛人店を乗っ取った田中角栄」が発表されたのは2012年10月10日頃の週刊FLASH10月23日号である。政治評論家の小林吉弥氏の言として次のような文章が記載されている。「クリーンな印象の三木武夫元首相にすら愛人はいました。ただ、その愛人が銀座にクラブを開店させたとき、それを聞きつけた田中角栄が『そりゃ、めでたい』と通い常連になってしまった。そうなると竹下登や小渕恵三など田中派の若手も飲みに来る。いつしかその店は田中派に乗っ取られていたんです。田中と三木の怨恨は知られるところ。政敵の店をまんまと…ですね」。

 この文の内容の真偽を確認しておきたい。問題は、角栄が政敵である三木の愛人が経営するクラブの通い常連になり仕舞いには田中派常連の店にするようなことが本当にあったのか。「小林吉弥発言」としているが小林吉弥は本当にそのように発言しているのか、これを質したい。れんだいこは、角栄が「クラブへの通い常連」になること自体があり得ないと断言しておく。角栄が飲食接待に顔出しするのは奇妙なほどに料亭でありクラブへの出入り履歴を知らない。

 角栄はなるほど洋酒ウイスキーとしてはオールドパーを愛飲していたがクラブ、スナックに神出鬼没していたとは聞かない。逆に和風料亭出入りなら履歴を相当に残している。それを、「小林吉弥発言」は、1、角栄が三木の愛人の経営する店だと承知しておりながら、2、常連になり、3、田中派行きつけの店にしたと云う。角栄式義理人情論を踏まえればありえない。要するに為にする角栄悪評である。これを垂れ流す「週刊FLASH10月23日号」の執筆者は伏せられている。卑怯姑息なことよと指弾しておく。なお、小林吉弥が実際に「小林吉弥発言」をしていたとしたら説明責任がある。何を根拠にしているのか明らかにせよ。

 次に、「明治天皇の玄孫」を売りにしている竹田恒泰の「田中角栄は三木武夫の愛人も世話をしていた」を確認しておく。これによると、発表されたのは2014年2月4日頃で、竹田が YouTube上で 「田中角栄元総理は5人の愛人を囲っていたのにもかかわらず三木武夫元首相の愛人の世話もしていたそうです」と伝聞発言している。竹田の論拠は分からないが、「小林吉弥発言」を唯一の根拠にしていたとしたら評論能力のお粗末さを示している。人を評するのに、擁護せねばならぬ者を批判し愚弄する癖がある御仁であると見立てておく。こんな評論で高給暮らしなぞあってたまるものかわ。それなられんだいこの評論能力は億万長者に値しようぞ。世の中大いに間違っとるわい。

 ところで、こういう為にする角栄悪評はどこから生まれるのだろうか。本来なら角栄は近現代史を彩る世界史的な傑物政治家としての日本が誇るべき人物である。それを悪し様に評し立花-日共式に「金権腐敗政治元凶論」で罵り、返す刀で中曽根名宰相論を唱える。こういう見解を生み出す黒幕が国際ユダ屋である。連中はあらゆる方面にテキストを作成しており、これを上手に口パクすれば出世する道が敷かれている。この門を潜ると学んでますます馬鹿になる。こういう自称インテリが多いが、連中が大人しければまだしも力むとなると相手にせずそっとしておく一手である。角栄好評の我々は連中に背を向け、我々の空間を広げつつ語り部になる努力をすべきであろう。

 謹賀新年  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 1月 1日
 2015年、明けましておめでとうございます。今年一年の抱負はいろいろありますが、自分で自分を褒められる年にしたいと思います。皆様方にもご多幸な年であらせますように祈念申し上げます。れんだいこ拝

 れんだいこのカンテラ時評№1245  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 1月 1日
 2015たすけあい党新年声明

 2015年、明けましておめでとうございます。これまでの党声明を受け恒例の「たすけあい党新年声明」をお届けいたします。(「2007声明 」、「2008声明 」、「2009声明 」、「2010声明」、「2011声明 」、「2012声明 」、「2013声明」、「2014声明」)

 これまでのところたすけあい党は全くのネット政党でしかなく、しかも宣伝戦に努めていないためもあって特段の党的発展を得ておりませんが、もうそろそろ時代のギヤと噛み合う頃だと思います。よしんば我が党の発展が予想より遅くとも、我が党が指針せしめた俯瞰図が時代をリードして行くことはこれまでもそうであるしこれからもそうことに変わりはありません。

 「2015声明」は歴史眼を養うことの呼びかけから始めたいと思います。今、これが異常に曇ったものにされているからです。その代わりにくだらない「見聞きして為にならないもの」に時間を費消させられている気がしております。歴史眼養成の代替として「見聞きして為にならないもの」が流布されているように思います。この風潮に騙されることなく銘々が歴史眼養成に向かわねばなりません。このことを一言しておきます。

 さて、「歴史眼を養う」の「歴史」とはどのようなものを云うのでせうか。これを理解するのに為になると思われる語源話しをしておきます。ここでは西欧的な語源を確認しておきます。「歴史」の英文スペルは「history」、仏文スペルは「histoire」です。語源的にはギリシャ語・ラテン語の「historia」から来ているとのことです。「調査、探究によって学んだり知ったりすること。あるいはその積み重ねによって得られた知識、情報、知恵」を意味しています。古代ギリシアの歴史家・ヘロドトスが古代エジプト見聞録に「ヒストリア」と命名し、その書物が高い評価を得て以来、「ヒストリア」が今日的な意味での「歴史」を意味するようになったとのことです。この語源史が「歴史」の意味を示しているように思います。

 「history」に纏わるもう一つの有益な話しを確認しておきます。「history」は「his」と「story」に分解できます。これは、元の言語として「story」があり、これに「his」が加わって「history」が生まれたことを示しています。「story」は「物語」と訳されております。「his」を「彼の」と訳せば「history」は「彼の物語」と云うことになります。「his」を「神の」と訳す向きもあるようで、この場合は「神の物語」と云うことになります。おそらく「his」には「彼の」と「神の」の両方の意味があるように思われます。そういう「物語」を綴り纏めたものが「歴史」なのではないでせうか。

 何が言いたいのか。そういう語源を持ち大事に育まれて来た「歴史」が最近やけに粗略に扱われているのではないのか、もっと大事にせねばならないのではないのかと云うことが云いたい訳です。世界全体がどうなのかは分かりませんが、最近の日本で特に歴史が疎かにされている気がしてなりません。過去の歴史を疎かにすると云うことは現在を疎かにすると云うことであり、当然ながら未来を損なうことになります。そうであってはならない為に「歴史」を大事にしたいと思います。

 さて、本論です。日本の今、何が問題なのか。問題なところを列挙すればキリがありません。これを一言で評する「解」を見つけました。それが「歴史眼オンチ病」です。現下の日本は「歴史眼オンチ病」に罹っているのではないでせうか。正確にはオンチと云うより脳死状態と見なすべきかもしれません。。なぜそういうことが云えるのか。それは政治、経済、文化、精神のあらゆる指標が狂っており、否、狂い過ぎており、それにも拘らずブレーキをかけようとせず、同じレール上を突き進んでおり、これに異議を唱える者がいたとしても押さえ込まれており、全体として滅びの道へひたすらに歩を進めているからです。

 これを具体的に述べると原発問題が典型でせう。2011.3.11日の福島原発事故から今年で5年目に入ろうとしておりますが、事故処理が終了する方向に進むどころかますます混迷しつつあります。安倍首相が世界に公言した「アンダーコントロール」の嘘責任が問われる日が近いうちに必ずやって参ります。被災民対応もお粗末な限りです。海の者を山に連れて行き、海辺なのに海が見えないようにする防波堤を高く築くことに尽力しておりますが、これら全てが無駄な逆努力でせう。最近、立ち退き被災民は安全でないのに安全と偽られ帰還督促されております。これの責任を問われる日が近いうちに必ずやって参ります。食の安全、環境汚染問題まで含めると日本列島全体が生体実験下に置かれております。そうであると云うのに自公民政治は原発再稼動、原発輸出に精出しております。これの責任が問われる日が近いうちに必ずやって参ります。

 我が党はもはや猶予ならない事態であるとして本年度より、原発問題を原発事変と捉えるよう訴えます。今や戦前の支那事変の如くに原発問題が「ぬかるみ」に入り込んでおり、抜き差しならないところで立ち往生していることを確認する必要があります。自公民政治は、この「ぬかるみ」にますます入り込もうと誘導しております。戦前の支那事変もそうでした。国際ユダ屋に操られるままに好戦的な日本帝国主義の道へ誘導され、支那事変、大東亜戦争へと進んだ挙句に悲惨な敗戦を余儀なくされ、まかり間違えば日本の国も民族も失うと云う瀕死の重態下に置かれました。

 今また同じ「ぬかるみ」に引きずり込まれていると云う歴史眼を持たねばなりません。願うらくは、この道は偶然事象ではなく、戦前同様に国際ユダ屋勢力によって仕掛けられていると疑惑することが必要です。日本は今、戦後世界を席巻支配する国際ユダ屋にひざまずく売国奴によって戦前の二の舞三の舞を演じるよう誘導されております。この連中が政官財学報司警軍の八者機関の上層部に屯(たむろ)して悪事を策しています。この連中は一体、日本をどのように料理しようとしているのか。こう問題を設定し、その解を見出し、そのシナリオを見抜き、対応せねばなりません。この能力が問われております。

 もう一つ、不正選挙問題を取り上げておきます。これも不正選挙事変と命名します。ありうべからざる事態なのですが、今やこの不正選挙事変が蔓延しております。これの最も被害を受けているのが小沢どんグループです。この系譜は一新会、未来の党、生活の党と変身しておりますが無理やりに逼塞させられて今日の低落に至っております。昨年の2014衆院選では次世代の党が同じような圧力を受け壊滅的な打撃を受けています。奇妙なことに両党とも正式な抗議をしておらず、ムサシマシーン裁定を受け入れているのがお笑いです。

 我が党はかく進言しておきます。戦後憲法の代議員制に従う限り選挙の投開票の公正さは政治の命です。このところの流行りの「政治と金権問題」を十とするなら、その百倍ほど大事な政治の基礎ではないかと考えます。何故に十倍の「政治と金権問題」に目クジラし、百倍の不正選挙問題に目をつむるのか。我が党はこういう不正に怒ります。

 最近の選挙にエックス線を当てれば不審な像が見えます。そうであるのに選管は選管しないで逆の動きばかり強めております。そうである以上、選管を管理する選管管理委員会を設けねばなりません。これにより開票後の投票紙の再チェックをせねばなりません。この選管管理委員会も機能しなくなれば選管管理の管理委員会を設けと云う風に正しい選挙が担保できるまで委員会を立ち上げ続けねばなりません。これが膨大な無駄であることを思えば初手に戻って選管を正しく運営できるものにせねばなりません。

 本年度はこの二点に絞って年頭発信しておきます。今年全体を展望すれば不況がさらに深刻化し個々の生活レベルが相当程度なまでに苦しむことになると予想されます。なぜなら、このところずっと政治が逆行なことばかりし続けているからです。こういう時代を生き抜く知恵を見つけねばなりません。主体的な獅子奮迅とたすけあいにより生き延びるしかありません。共に進みませう。

 付言しておきます。昨年末、「生活の党と山本太郎となかまたち」が生まれました。見事な歴史対応力だと思います。政治の本質は共同戦線にあり、互いの違いを踏まえつつ共同する合同するのは知恵がある証拠です。これを称えたいと思います。逆に評する政論があるようですが無視する一手だと思います。

  2015.1.1日 たすけあい党党首れんだいこ拝

 れんだいこのカンテラ時評№1244  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年11月 9日
 手塚説と江口説が矛盾していないなんてことがある訳がなかろうにその2

 手塚とは何者か。「れんだいこのカンテラ時評№1111、補足・小林多喜二の妻・伊藤ふじ子、多喜二研究家・手塚英孝考」で素描している通りである。ここでは、Sが知らしめた省略部分の「合法的に動いていた私たちと非合法の彼とのあいだには何の連絡がなかった」に注目しておく。

 本人の弁で、多喜二の生前に於いて特段の接点がない御仁であったと語っている。むしろ「多少の誤解がある」として「伊藤ふじ子存在説」を証言した江口の方が多喜二と親交が深かった人と云うことになる。その江口氏が、「ふじ子は通夜にも葬式にも見えていない」なる手塚式偽証に異議を唱えていることの重みを受け取るのが筋であろう。

 付言しておけば、「多喜二の通夜の席へのふじ子の存在有無」判断につき、組織防衛的見地からの偽証であればあるほど、手塚如きが決められるべき筋合いのことでもない。ならば誰の指示によるのかと云うことになる。Sレベルの事情通ぶりでは皆目見当がつくまいが、蔵原-宮顕ラインの指示に従っての歴史詐術と云う線は大いにあり得ると窺うべきだろう。

 「ふじ子の来訪と激しい哀惜ぶり」を歴史に刻むか隠蔽するかにつき、これは歴史的行為であるから歴史的眼力で判断して差し支えない。が、一応は当人の考えも聞いて見るべきだろう。これを確認したところ、当人が史実を隠蔽するよう依頼していた形跡はないようである。否むしろ「ふじ子は通夜にも葬式にも見えていない」とする手塚式偽証の方にこそ非人情を感じているのではなかろうかと思える節がある。

 「ふじ子のこの後の生活に傷がつくことを踏まえ、彼女の生活に迷惑をかけたくないから」云々なる思いやり論による偽証正当化は気色の悪いものでしかない。事件から半年後、釈放されたふじ子が、それまで若干の付き合いのあった漫画家の森熊猛・氏の部屋のドアをノックして、「クマさん、今日やっと出されたのヨ。今晩とめて…」と訪ねて来た時、森熊氏にはふじ子と多喜二との仲は公然のことであり、そのことを受け入れた上で二人が睦みあう家庭を持ったのが史実である。手塚式思いやり論のおたく性、詭弁性が知れよう。

 Sの「手塚の事実隠しを宮本顕治の陰謀だと持っていくのは、下衆の勘繰りとまでは言わないが、あまり趣味の良くない推論だろう」の謂いには何の論証もない。云い得云い勝ちの弁でかく云いなして傲然としている。宮顕英明指導者論者のSが宮顕スパイ頭目説を唱えるれんだいこに敵意を燃やすのは分かるが、責任ある発言には多少なりとも論証が必要ではなかろうか。今や、れんだいこ説とS説のどちらが正しいのかが問われている。こういう論点の対立はどちらかが正しく、足して二で割る式の折衷では納まらない。れんだいこは歴史の審判が下るまでの道中を火の粉を払いながら待つことにする。

 それにしてもSの没論理性が気になる。「手塚の不在説は訳ありなのであり、偽証には違いないが偽証事情を忖度せねばならない」と述べ、この線でとどめるのなら一応は筋が通っている。ところが「手塚英孝と江口渙は矛盾していない」と云いなしている。こうなると完全に味噌くそ同視詭弁であり、且つ限度を超しているとみなすべきだろう。こういう論法を使い始めると物事の見境いがなくなってしまう。

 Sへのはなむけの言はこうである。当人は「趣味の良い推論」派を自認しているようだが、罵られた方のれんだいこからすれば、この手合いが高潔紳士として世間に通用しているとしたら気色の悪い、世渡りが上手過ぎるのではないかと思う。

 れんだいこのカンテラ時評№1243  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年11月 9日
 「手塚説と江口説が矛盾していないなんてことがある訳がなかろうにその1」

 鈴木頌・氏の「"http://shosuzki.blog.jp/archives/11542673.html" 手塚英孝と江口渙は矛盾していない<」にネット検索で出くわした。同ブログは、「"http://6616.teacup.com/rendaico3/bbs/203" れんだいこのカンテラ時評№1111、補足・小林多喜二の妻・伊藤ふじ子、多喜二研究家・手塚英孝考」に反論している。れんだいこ立論1、多喜二虐殺通夜に於ける「手塚の伊藤ふじ子不在説」は偽証である。2、そういう変調記述の背後に宮顕の影があるに反論したつもりになっている。れんだいこが反論への反論をしておく。以下、鈴木頌・氏を仮にSとする。

 Sは云う。手塚と江口の両説は食い違っているように見えるが実は「ウソも方便的偽証」なのであり「手塚英孝と江口渙は矛盾していない」と云いなしている。Sは更に云う。「手塚の事実隠しを宮本顕治の陰謀だと持っていくのは、下衆の勘繰りとまでは言わないが、あまり趣味の良くない推論だろう」。Sはこの謂いを論証している訳ではない。レトリック文に終始しつつ結論を誘導しているだけである。こういう手合いを相手にするのは大変であるが斬り込んでおく。

 Sはのっけから「記事のはじめに、れんだいこさんが省略した部分がある」、「記事の終わりにもれんだいこさんの省略した部分がある」の物言いで、れんだいこ立論を落としこめようとしている。しかし、省略文のところを加味してもれんだいこ立論に何ら影響を与えない。つまり怪しげさを臭わそうとして持ち出しているだけの印象操作に過ぎない。

 興味深いことはSのロジックである。手塚の不在説を偽証と認定した上で庇うという芸当を見せている。その種明かしは「偽証の背景事情を忖度せよ」なる論理論法である。これにより偽証故に評価するという変調話法へと至っている。次のように述べている。「以上で明らかになったことが二つある。ひとつは、どう考えても二人は熱愛関係にあり、ハウスキーパーごときものではないということである。もうひとつは、直接には組織防衛のためではあるが、後には彼女のプライバシーを守ろうという関係者の暗黙の了解があったことである」。

 この論旨自体が粗雑であるが、世の中にはこういう粗雑な論旨に合点する者が居る。類が類を呼ぶ粗脳同盟でしかない。これを論証しておく。この物言いの問題性の第一は、Sがハウスキーパーを格別に蔑視していることが分かるところにある。「二人は熱愛関係にあった故に伊藤ふじ子はハウスキーパーではない」と立論しているが、「熱愛関係の有無」をもってハウスキーパーかどうかの認定基準にするのはSの基準であって一般的なものではない。この辺りはSの同棲観、結婚観、妻妾観、ハウスキーパー観を聞いて見たいところであるが恐らく愚頓な弁を聞かされるだけのことになろう。

 Sの物言いの問題性の第二は、「組織防衛&プライバシー保護&関係者の暗黙の了解」の面からの意図的故意の偽証を正当化していることにある。こういうロジックを好むのが宮顕であるからして、Sには自覚がないだけで実は相当深く宮顕理論、論法に被れていることが分かる。本質的に御用理論であるところに特徴がある。

 この種のロジックによって日共史もソ連共産党史も何度も書き換えられたのではなかったか。こういう論法を認めると適用範囲が際限がなくなるのではないのか。そもそも「偽証の正当化」を誰が認定するのかと云う問題もある。Sはこの種の論法を未だに平然と肯定しているようであるが、陸上競技に例えればトラックランナーとして二周ほど遅れている気がしてならない。

 Sはどうやら今日においても宮顕を戦前共産党運動の英明な指導者と賛美しており、宮顕時代の日共史を極力肯定したがっているようである。この点で、れんだいこの認識と大きく食い違っている。れんだいこは、「宮顕英明指導者論は逆であり、宮顕こそがスパイM以降、スパイMに成り代わる形で登場した共産党史上最大のスパイ頭目である」と批判している。この観点の差が、手塚の意図的故意の偽証を生み、それを容認するSを生んでいると解している。

 断言しておく。Sは手塚の意図的故意の歴史偽証を容認できるものとしているが、宮顕が牛耳り始めた党活動史上に於いて、多喜二の通夜の席に実質的な妻であろうがハウスキーパー的地位であろうが、そういうことに関わりなく伊藤ふじ子が居たことを隠さねばならないほどの運動上の利益は何もない。偽証及びその偽証の正当化を促す動きが認められるが嘘の上塗りの居直り弁でしかない。伊藤ふじ子の多喜二通夜への来訪と激しい哀惜ぶりは、隠すより事実を史実として語らしめた方が歴史に対して真摯である。

 れんだいこのカンテラ時評№1242  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年11月 2日
 なぜ日本がホロコーストされるのか考その8

 日本思想では労働を好感度的に受け止めているのに対し、ネオシオニズムでは本質的に苦痛なものとして観念化していることを確認した。次に見るべきは、日本思想では概ね生活と仕事が一体であるのに対し、ネオシオニズムのそれは労働を自由抑圧としか捉えていないように思われることであろう。

 マルクス主義的搾取理論も、この系の労働嫌悪観から生まれている気がしてならない。これについては別途考究してみたい。もとへ。この種の労働嫌悪観から奴隷制度が生まれているのではなかろうか。つまり、自分の苦役労働を避けるための代替労働として奴隷が生まれ、これが制度発生の要因になっているのではなかろうか。

 そういう風に考えると、東洋圏からは奴隷制度が生まれていないことが首肯できることになる。東洋圏でも貴賎の差、身分の差は生み出しているが、西欧的な露骨なほどまでの奴隷制、階級差別、階層差別、人種差別は生み出していない。それらはネオシオニズム的思想土壌から生まれているのではなかろうか。なぜなら、奴隷制、階級差別、階層差別、人種差別は選民思想を媒介にせずんば生まれないからである。

 その他、日本思想は***、ネオシオニズム思想は***と色々に指摘できよう。要は日本思想と国際ユダ屋が奉ずるネオシオニズム思想とはこれほどに内実が違うと云うことが分かれば良い。最後をれんだいこ的関心ならではの識別をして締め括ることにする。誰か一人でも得心してくれたら本望である。

 ネオシオニズムでは個と個が良い意味では自律、悪い意味では対立している。その様は決して手放しで礼賛するには及ばないものである。これに対し、日本思想は逆に共同体一員思想に馴染み深く互いに助け合い、分かち合おうとしている。その分、個の自律を弱めてはいる。物事は一長一短が背中合わせなので良いとこ取りはできない。ネオシオニズムは共同体からの自律を求めて自由に憧れる。日本思想ではそれほど自由に憧れない。むしろ自ずと共同体内化する方向に歩み、共同体内での報恩感謝、義理人情に注意を払う。これも大きな違いだろう。

 両者の闘争観、戦争観も違う。ネオシオニズムは相手の絶滅を期して殺し合いなぶりあいイジメ合う。勝者は敗者を殺すか奴隷化する。中途半端な手加減が一番悪いとしている。日本思想は逆である。あらかたの勝負がついたところで手打ちし、勝者は敗者の生息を許す。ネオシオニズムは恨みを歴史に刻み報復戦を聖戦化させる。日本思想では怨恨を水に流すことを尊ぶ。

 ネオシオニズムは、「過ちては認めるなかれ」、「人の過ちには謝罪と賠償を要求し、手前の過ちには言葉巧みに言い逃れるべし」と教え訴訟社会に誘導する。東洋では「過ちては改むるに憚ること勿れ」との教えがあり、日本思想では潔い精神を高潔としている。こういう相違が文化にも出てくる。例えば服装の違いも興味深い。細々とは述べないが洋装と和装の様は何から何まで対比的である。和装が洋装に劣っているなどと云うことは断じてない。和風建築技術、土木技術も然りで西欧に劣っているなどと云うことは断じてない。

 最後に次のことを指摘しておく。ネオシオニズム思想の特殊的に複雑なところは、その二面性二枚舌性にある。連中は、手前達の共同体内部に向けては血統主義、同族主義、民族主義、愛国心を説く。ところが、外部向けには平気で逆の主義を説く。血統主義、同族主義、地縁主義に対して封建的と批判し、民族主義、愛国心に対しては代わりに国際主義を勧める。

 国際法に対してもそうである。イスラエルのガザ攻撃を見よ。手前らは不都合な時には国際法なぞどこ吹く風で縛られない。その癖、都合の良い時には国際法を持ち出して相手を咎める。ご都合主義、得手勝手主義の極みと云うべきだろう。これらは本音と建前の乖離とするより二重基準(ダブルスタンダード)論理論法として見据えた方が良い。ネオシオニズムほど酷い使い分けはないと思う。

 以上、もう少し愚考し続けたいがここで小休止させる。結論として、これほどに真逆な関係にある日本思想とネオシオニズム思想であるからして日ユ同祖論など有り得ないと知るべきであろう。本稿シリーズがこのことを様々に述べ今後の議論の際の一助としたことが誉れである。

 れんだいこのカンテラ時評№1241 投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年10月30日
 なぜ日本がホロコーストされるのか考その7

 ところで、ネオシオニズムは究極無神論であると云うことに同意いただけるだろうか。正確には、神の立場に金貨が座っている訳で、そういう意味では金貨が神であるとする金貨信仰と云えよう。古代宗教の一つに拝火教と云うのがある。これに倣えばネオシオニズムは拝金教である。この拝金主義が桁違いの蓄財主義、資本主義を生んでいると見なしたい。

 現代世界を資本主義体制と判じ、且つこれを歴史法則とみなすのが歴史学や社会科学の教説であるが、れんだいこ史観は異説を持っている。資本主義は歴史法則ではなくて、近代のネオシオニズムが人為的に強制的に持ち込んで出来上がっている体制でしかないのではなかろうかと。人類史の歩みは別に成立し得たところ無理やりに変質せしめられているのではなかろうかと。

 もとへ。ネオシオニズムは金貨こそが万能であり信仰の目標である。確かに金の力で市場の殆どのものが買える訳だから間違いと云う訳ではない。しかしながら、世の諸価値には金では解決できないものもある訳で、しかも大事なものほどそうである訳で、彼らが拝金教を信奉するのは勝手だとしても、彼らがそういう拝金教を他人様に押し付けようとし、従わない者に対する生殺与奪権を持っているとするなら大問題であろう。世界を拝金教ワンワールド秩序に拵えようとするのは無用な軋轢を生むだけであろう。

 そういう意味で、日本思想が対比的なほどに拝金教に被れていないところに値打ちが認められる。日本思想が仮に金権に被れるにしても金貨を自己目的化する訳ではない。ネオシオニズムのように手段と目的を逆転させてまでひたすらに拝金教に凝り被れるものではない。同様に、世界の民に於いては金貨信仰に同意したり酔える者はそう多くはない。大概は日本思想の如くに金貨至上主義を排斥する。

 日本思想では宵越しの金を残さずの江戸っ子気質が賛美されている。「立って半畳、寝て一畳」と云う精神もある。損得から云えば得にならない親兄弟の面倒を見る精神もある。こういう精神をネオシオニズムと比較考量した場合、劣っていたり間違っているとするのは勝手な見立てだろう。

 そういう人生観のみならず労働観も際立って相違している。ネオシオニズムに於いては労働は基本的には苦役な罰的苦痛のものである。これはどうもユダヤ教聖書(キリスト教に於ける旧約聖書)の「創世記」 の記述に影響されているようである。それによれば、エデンの園に於いて禁断の果実を食べたアダムとイブに対し、神は罰としてアダムには労働の苦痛をイブには出産の苦痛を与えることになった。英語の 「ビジネス(仕事)」 の語源は 「ビッジー(忙しい)」 であり、また 「レイバー(労働)」 の語源は 「難儀」 であり、フランス語の 「トラバーユ(働く)」はラテン語の 「トリパーリアーレ(拷問する)」 が語源であると云う。こういう労働観を持つネオシオニズムに於いては、若い時に早く荒稼ぎし、蓄財し、早くリタイアして労働から解放され、余生をバカンス的に楽しむのを良しとするようになる。

 日本思想はその真逆の労働観に立っている。労働できるのは健康な証拠であり、そういう健康を授けてくださる神に御礼を込めて健康な限り働く。「(我が働きで)傍々(はたはた)の者を楽にさせるので傍楽(はたらく)と云う。これが働きの本当の意味である」と云う御言葉もある。そこまで思わなくても、労働することによって却って生き生きとなり、そういう労働をできるだけ長く続けることを願っている。一攫千金型ではなくまじめにこつこつと働き、細々と長く給金を貰う作風を確立している。

 そういう意味で労働が生甲斐であり御用務めである。報酬は相手様のお役に立ってのものであり、人を泣かせて苦しめて我さえ良ければ式の蓄財とは無縁である。日本思想の元々の労働観はかようなものである。かって、我が社会にこういう労働観があったとするのが、れんだいこ史観である。こう捉えないと日本文化、伝統の巧みの技が理解できないからである。

 こういうことも確認しておきたかった。本稿がそういう役目を果たすことになった。さて、長々と続いているので、そろそろ締め括りに向かおうと思う。

 れんだいこのカンテラ時評№1240  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年10月25日
 なぜ日本がホロコーストされるのか考その6

 日本思想とネオシオニズム思想の違いが最も端的に集約されているのが天地創造譚である。思想上は天地創造譚こそ万物発生のルーツであるから、これを重視する必要がある。確認するに両者の天地創造譚に於いて、その際の神の規定がまるで違う。

 日本思想は「HOWTO哲学」を基調とする機能論から、それぞれの機能を持つ八百万(やおよろづ)神々の御業(みわざ)を媒介させつつ天地創造を説いている。その最高神は慈母的である。ネオシオニズム思想は「WHY哲学」を基調とする真理論から、絶対的な権能を持つ唯一神の御業を媒介させつつ天地創造を説いている。その神は厳父的である。この辺りについては既に「"http://08120715.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-f236.html" "ホロコーストの原義考」で「要するに、ユダヤ教と日本神道では神と人との関係が全く逆なものになっている」と述べているところである。

 ネオシオニズムは、これを如何にも思弁的に説く。この思弁能力によって他の思想よりも高位の理知思想であると自負する。返す刀で日本思想を低位なシャーマニズム(Shamanism)レベルのものと評している。しかしこういう仕分けこそがネオシオニズム優位の結論をもたらすヤラセ問答に過ぎないからしてナンセンスなものでしかない。

 実際には両者共に理知能力、思弁能力、シャーマニズム能力を備えている。ネオシオニズムはより多く語ることに意義を見出し、文書にする作法がある。日本思想の方は逆に感得を重視させているので少なく語ることに意義を見出し、文字で説き明かすことを危ぶみ不立文字に憧れている。そういう差があるが、その差でもって中身の判定にまでは及ぶべきでないと考える。

 ここまではまだ良い。問題は、天地創造譚から導き出される被創造物の諸々の関係にある。これは次のような構造になっている。即ちまずは「神と人との関係」が基準になり、それが「人と人の関係」に適用される。次に「人と人の関係」が基準になり「人と他の生物との関係」に適用される。最後に、これらが基準になり「人類と自然との関係」に適用される。これが両者ではどうなっているのだろうか。

 日本思想では、「神と人との関係」では人類は神の氏子であり、「人と人の関係」では氏子間は一列平等である。仮に現実の社会にどんな階級、階層が生まれようとも思想原理的には一列平等を旨として関係づけられている。「人と他の生物との関係」は生態系を乱さない捕食関係、用役関係を保つ。「人類と自然との関係」も然りで互いに調和的に関わっている。自然の恵みを享受し、自然の摂理を聞き分け、それに合わせて御す賢明さを求めている。

 然るにネオシオニズムでは全てが逆である。「神と人との関係」では人類は神の氏子であるとしても、「人と人の関係」では氏子間は平等ではない。創造主の意志だとしてユダヤ人が選民特権を享受しており、他の民族はユダヤ人の家畜類的ゴイムと位置づけられている。ユダヤ人が創造主の意志により世界の民を支配する権利を得ており義務を負っていると云う。この傲慢な思想を「ユダヤ選民主義」と云う。

 このことを、ユダヤ聖書が神の御言葉として次のように記している(「ウィキペディア選民としてのユダヤ人」参照)。「今、もしあなたがたが、本当に私の声に聞き従い、私の契約を守るなら、あなたがたは全ての国々の民の中にあって私の宝となる。全世界は私のものだから。あなたは私にとって祭司の王国、聖なる国民となる」(出エジプト記19章5、66節)。「主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも多かったからではない。事実、あなたがたは全ての国の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主はあなたがたを愛された。また、あなたがたの先祖達に誓われた誓いを守られた」(申命記7章7、8節)。

 ユダヤ人は、この独特の選民主義によりユダヤ人に都合の良い論理を振り回すことになる。「人と人の関係」では弱肉強食型競争論、「人と他の生物との関係」では収奪的捕食関係論、「人類と自然との関係」では人類による自然支配論を編み出している。ユダヤ聖書は、神の御言葉として次のように記している。「生めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」。この神言の「生めよ、増えよ、地に満ちよ」は良いとしても、「地を従わせよ、生き物をすべて支配せよ」とする必要がどこにあるのだろう。

 れんだいこが見立てるところ、ネオシオニズムのこの奇矯な選民思想が全ての悪事の始まりのように思える。この選民主義が独善主義と排他主義、排外主義を生み、それに基づく支配思想、征服思想を生んでいる。それが人に対しても民族に対しても社会に対しても国家に対しても自然に対しても向かう。その完成態が、イスラエルの民を指導民族とする秩序であり、これこそ創造主に命じられた正義であるとして、その為の永続革命に向かう。

 かの時、出エジプトを成功させた霊能指導者モーゼが、ユダヤ選民主義の行き過ぎた独善主義を避けるべく「十戒」を授け、思想に重石をつけてユダヤ教に平衡感覚をもたらした。ユダヤ教がこの戒律を踏まえる限り思想にブレーキが掛かり平穏化する。問題はモーゼ戒律を外したときのユダヤ教である。興味深いことは、ネオシオニズムはユダヤ教内の反モーゼ主義派であり、そういう意味での原理主義である。このユダヤ教原理主義に悪魔主義(サタニズム)が加わるとどうなるのか。ネオシオニズムの怖さ危うさがこの辺りにある。

 れんだいこのカンテラ時評№1239  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年10月19日
 なぜ日本がホロコーストされるのか考その5

 本稿で、日本思想と国際ユダ屋が奉ずるネオシオニズム思想の違いを確認する。ここで云う日本思想とは日本思想一般ではなく、「れんだいこの原日本論新日本論」で云うところの「原日本の日本思想」のことである。同様にネオシオニズム思想とはユダヤ教内タルムード派、即ち「パリサイ派のネオシオニズム思想」のことである。まずは論ずる対象をこう確定させておく。この両者は思想の根本の型が違う。しかも凹凸的なほどに対極的に異なっている。これほどの違いを踏まえれば日ユ同祖論などあり得るはずがない。どうしても親しく関係づけたいなら、真逆な故に矯正的に補うことができる間柄であるぐらいのことは言えそうである。

 この問題は非常に興味深いテーマなのだが、今のところこのように問う例はないようである。試しにネット検索してみれば良い。れんだいこの問いぐらいしか出てこないであろう。これは、こういう観点からの問いかけがなされないよう誘導されているか抑圧されていることを意味している。そういう意味で先達の労作から学ぶ機会はない、手探りで解を見出さなければならない。以下記すが、その内容につき今後更に精度を上げて行きたい。

 本稿では日本思想とネオシオニズム思想の最も端的な違いを確認する。それは多神教と一神教の差に見える論理構造にあると思われる。これを根本解としたい。次稿ではやや具体的に見ていくことにするが、ここでは根本解のみを採り上げる。根本解は全体を総合的に把握する為に抽象的な解になる。抽象的に述べると普通は分かり難いのだが、時には却って分かり易いと云うこともあろう。

 さて結論である。日本思想とネオシオニズム思想の差は多神教と一神教の違いに見える論理構造の差であり、それはカオスとロゴスの差である。カオス論理式は絶対的真理なるものを予定しないので当然の如くに諸理論が共存する。更に云えば共存しつつ競り合いしつつ共生する。新たな理論に対しても登場させ易いようにオープン&アバウトな柔構造にしている。WHYと問い真理を求めるよりもHOWTOと問い機能を解析し、これにより得る知見を役立てようとする。これを仮に「悟る系」と命名しておく。

 これに対してロゴス論理式は逆に絶対的真理なるものを求めることこそ命とするので、我こそが真理なりとして互いに排他的な論旨を組み立てる。他の理論に対する唯我独尊的優位を誇り易いクローズド&生硬な剛構造にしている。HOWTOと問い機能を解析するよりもWHYと問い真理を求め、これにより得る知見を役立てようとする。これを仮に「発見系」と命名しておく。

 要するに両者は逆さまな関係になっている。日本思想は前者、ネオシオニズム思想は後者のものである。この差は丁度、新生児臀部の母斑の如くにDNAにまで沁み渡っているのではなかろうか。人は、この母斑思想に基づきながら思索しているのではなかろうか。両派の対立が何時頃より発生したものかは分からないが今後も永遠に続くように思われる。どちらもが正か邪か簡単には裁断できないが敢えて判定すれば、真理教条棒を振り回すネオシオニズム思想よりも、そういうものを振り回さない日本思想の方が実は英明で深いのではなかろうか。

 なるほどネオシオニズム思想の真理探究エネルギーには感服させられる。だがしかし、膨大な学的体系を構築して見出した真理に対して、彼らは、その真理を相対化すれば良いものを絶対化する癖がある。これにより別の教条を持つ思想と出会うや融通がきかない。互いから学ぶことをしないで己の正義を主張し合うことになる。これに対し日本思想はそういう真理論に耽らない、絶対的真理なるものを弄ばない。むしろ、真理論に拘泥して真理ならざる真理を無理やりに見出して、それへの恭順を説く思想を暗愚として忌避している。そういう分別、弁えを持っているので、対象の真理論ではなく機能論の探求に向かう。絶対的な真理教条をもたないことによる融通無碍の柔軟さがある。

 両者にはそういう違いがある。この気づきが何故に重要なのか。それは、先の「なぜ日本がホロコーストされるのか考その3」で述べたように、思想デザインが事物発生の原基ではないかと思っているからである。この原基はレールのようなもので、レールが変われば運ばれる先が変わることになる。故に政治、経済、文化、諸芸、学問、精神、規律、その他諸々が異なるようになる。これにより所作が違うことになる。こうして思想上のロゴス派とカオス派の違いがあらゆるところへ波及しているように思われる。そういう訳で、「社会の根本は思想闘争の歴史である」とでも云えるような思想こそが社会の根本的な規定をしているのではなかろうかと考えている。

 本来は、この違いをもっと重視すべきところ、されていない。今や次第にネオシオニズム思想の方が主流化しつつあるように見える。これは、現代文明がネオシオニズム思想の威勢に押されていることによると思っている。本来は日本思想の方の威勢が押すべきではなかろうかと思っている。これは歴史に委ねるしか方法がない。

 れんだいこのカンテラ時評№1238  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年10月12日
 なぜ日本がホロコーストされるのか考その4

 本来はそろそろ日本思想と国際ユダ屋が奉ずるネオシオニズム思想との違いに入るべきだが、これはかなり高度で難解と云うこともあり、もう少し回り道しておく。要するにもったいぶりながら時間稼ぎしている訳である。

 日本思想のネオシオニズム思想との出会いは戦国時代であった。丁度、種子島への鉄砲伝来時期とバテレン布教開始時期が符合している。通説は、1543年(天文12)年辺りにポルトガルの商船が暴風雨にあって種子島へ漂着し鉄砲を売りつけたのが伝来史であるとされている。しかし、鉄砲伝来時期とバテレン布教開始時期が妙に符合していることを考慮し、バテレンが日本攻略術の一環として鉄砲を伝来させたと読みたい。こういうところは表に出てこないので推理能力を働かせる以外にない。

 バテレンが来襲するところ追って必ず王殺しが始まっているのが世界史の通例である。そういう目で見ると、バテレン来日以来の王殺し、寺社焼き討ちも疑わねばならない。「れんだいこのイエズス会考、ネオシオニズム系宗教結社考」で述べたが、1565(永禄8)年の13代足利将軍・義輝殺し(永禄の変)。1567(永禄10)年の東大寺大仏殿焼失。1571(元亀2)年の比叡山延暦寺を焼き討ち。1582(天正10)年の織田信長殺し(本能寺の変)。通説は、これらの事変の背後にバテレンの差し金を読まないが何とも味気ない。こういうところは表に出てこないので推理能力を働かせる以外にない。

 それはともかく、この時期、バテレンが次から次へと上陸し日本のキリスト教化を図った。このバテレンと云うのはキリスト教信徒団体を装っているが当時の国際ユダ屋の回し者である。その証拠が限りなく残されているので間違いない。以下、本稿ではバテレン教と表記する。バテレンによるバテレン教化は世界各地で首尾よく成功したのに日本では失敗した。これをどう読むべきか。具体的には織田信長の晩年のバテレン教離れ、豊臣秀吉のバテレン追放令、徳川家康のバテレン教禁教と鎖国により実現した訳であるが、時の権力者をしてそのように采配せしめたのが日本思想であり、日本思想こそが撃退したと読みたい。

 これにつき、1587(天正15)年の「豊臣秀吉の伴天連(ばてれん)追放令」で法理を確認する。追放令の直接的契機は、バテレン勢力に日本国乗っ取りの兆しがあり、これを認めたからである。秀吉が九州最後の大大名・島津氏攻めの為に博多に下った時、日本イエズス会・準管区長に新任したコエリヨが南蛮式軍艦に乗って大提督のような格好をして出迎えた。コェリョは大砲などの武器を見せ、スペイン艦隊が自分の指揮下にあるごとく誇示した。且つ九州を一巡する間にバテレン教大名によって無数の神社やお寺が焼かれているのを確認した。秀吉は九州平定直後、バテレン追放令を発布しバテレン勢力の掃討に乗り出した。

 バテレン追放令の法理を確認する。一つは、「植民地政策の尖兵として宣教師の布教が為されている」とする「日本国乗っ取りの危惧」であった。後に判明するところ真に英明な判断であった。次に、バテレン教がバテレン教以外を邪教とし排斥し、各地の神社仏閣を破壊し神官、僧侶らを迫害していることを咎め、「バテレン教の唯我独尊的独善ぶりは、神国日本の祖法である宗教各派の平和的共存政策を否定する邪教である。バテレン教が神社仏閣を打ち壊すのは不届きであり今後はきつく処罰する。教会に領地を寄進してはならない」として排斥している。これも又真に見識の高い判断であった。

 三つ目は、日本人男女を南蛮に売り渡す人身売買(奴隷売買)を禁止した。当時、「鉄砲火薬」と引き換えに日本人数十万人が奴隷売買され世界各地へ売られていた。これは余り知られていないが史実のようである。これにつき天正遣欧使節の次のような証言が遺されている。概要「どこへ行っても日本人奴隷が目につく。首を鎖でつながれ、我々をみて哀れみを訴える眼ざしは辛くてならぬ。日本の娘らが秘所をまるだしにつながれ弄ばれている。血と言語を同じうする日本人を家畜のように安い値で手放すわが民族への怒りに燃え立たざるを得なかった」。これも又首肯できるものであろう。四つ目は、肉食禁止令の系譜からのものであった。「宣教師達は牛馬を食べることを好む。それは日本の祖法に抵触している」。秀吉は、「馬や牛は労働力として活用するものであり食べるものではない」と批判している。これも又首肯できるものであろう。

 れんだいこは、これらの論理論法に注目している。見てきたようにバテレン教を正確に解析し、今日にも通用する見識でもってバテレン教を邪教と断罪し排斥している。この見識の拠って来る淵源に日本思想があるのではなかろうか。この日本思想は西欧被れ派に云われるような未開野蛮なものではなく西欧思想の一歩先を行っているのではなかろうか。かの時に確固として確立されていた日本思想のお陰で、日本は西欧列強の植民地支配の餌食にされずに済んだのではなかろうか。興味深いことに、隣の韓国では相当なキリスト教化が進んでいると聞かされているが、日本は今日まで世界各国の中でユダヤ-キリスト教がこれほど育ちにくい国はないとされる栄誉に与っている。これのお陰を日本思想に求めるのが、れんだいこ史観である。

 れんだいこのカンテラ時評№1237  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年10月 8日
 なぜ日本がホロコーストされるのか考その3

 なぜ国際ユダ屋が日本を警戒するのか。それは、日本思想が国際ユダ屋が信奉するネオシオニズム思想と最も本格的に対立、拮抗し、転覆せしめる可能性を持つからである。思想にそれほどの威力があるのか。れんだいこは然りと答えたい。あらゆる物象、事象、心象、念象の根本には思想があると考えている。人類の始発に於いては、この思想を根底にして宗教も政治も経済もが始まっており、今も通底している気がしてならない。思想をデザインと言い換えても良い。

 マルクス主義の「すべてこれまでに立ち現れてきた社会の歴史は階級闘争の歴史である」(「共産主義者の宣言」)は能く知られているフレーズである。この見立てさえ既に怪しいと考えている。この文意は実は国際ユダ屋の信奉する歴史理論に由来するもので、これの原文テキストが別にあり、それの焼き直し的フレーズに過ぎないと看做している。

 社会の歴史を通史で判じるなら、正しくは階級闘争論ではなく「社会の根本は思想闘争の歴史である」と云うべきではなかろうかと考え始めている。それほどに思想の意義を高く確認したい。その時代の基本の思想が偏狭であれば社会が偏狭になり、逆におおらかであれば社会がおおらかになる。これは逆ではない気がする。

 付言しておけば、マルクス主義的哲学に於ける唯物論、観念論規定も既に古臭いと考えている。マルクス主義から出藍する新哲学を提起したいとさえ考えている。これによれば、元々に於いて物質と観念を「二つ一つ」、「色心不二」の生命相で捉えることに賛成である。単なる物質、単なる観念ではない阿吽の呼吸的に両者一体の生命相で捉え、その片方の表出体が物質であり、他方の表出体が観念であるとする一体的相互作用的に捉える言霊哲学を欲している。

 もとへ。そういう風に思想の意味、意義を位置づけ、これを高く評価し、その上で、日本思想対国際ユダ屋思想の対立の位相ぶりを確認してみたい。何と日本思想とネオシオニズム思想とは両極なほどにことごとく根本的に対比的に相違している。世上の一部で日ユ同祖論が流布されているが、この思想の型の違いからしてあり得ないと断定したい。これについては既に「"judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/nithiyudosoronco/
rendaicoron.htm
" "れんだいこの日ユ同祖論の陥穽考、日ユ反祖論」で言及している。

 日ユ同祖論否定上、次のことを強調して再確認しておく。国際ユダ屋の篭絡手段して日ユ同祖論が云われているのであり、連中は赴く先々で同様の説話を拵える。大きい話しでアングロサクソン同祖論、黒人同祖論、アラブ同祖論。個別的には英ユ同祖論、エチオピア人同祖論、インディアン同祖論、ハワイアン同祖論、日本同祖論、朝鮮同祖論等々キリがない。要するに、彼らが植民地化を企図するところいつでもそういう洗脳から始める。宣教師はキリスト教の牧師としてこれを教えるが、実際にはユダヤ教のラビ活動をしており、結果的にユダヤ教の別教義であるタルムード教を奉ずる国際ユダ屋の秘密結社員に仕立て上げ、そのエージェントとして活用する為の洗脳教義のプロパガンダ要員に過ぎない。これが国際ユダ屋式支配の方程式である。

 日ユ同祖論はかくイカガワシイものであるが、これの浸透ぶりが激しい。先だって、日ユ同祖論を否定するれんだいこに向かって「れんだいこは非常識にも日ユ同祖論を否定する」なる批判言辞を頂戴させられた。この御仁にとっては日ユ同祖論の方が常識であり、批判する方が非常識と云うことらしい。エライ時代になったもんだと思う。そう云えば、あの人もこの人も日ユ同祖論者であり、今や日ユ同祖論が大手を振って闊歩しているらしい。しかしながら告げておく。日ユ同祖論の尤もらしい論拠はこじつけ話しに過ぎない。そういうものはどうでもなる。それよりも、日ユに於ける次に述べるような思想骨格の真反対な違いをどう説明するのか、口をもぐもぐさせずに述べてみぃ。
 

 れんだいこのカンテラ時評№1236  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年10月 3日
 なぜ日本がホロコーストされるのか考その2

 なぜ日本がホロコーストされるのか。2014年現在の日本は、国際ユダ屋の世界支配秩序派が世界に向けて「敗戦国日本のその後を見習え」と誇るほどに全く従順に馴致、飼育されている。よって、この状態から国際ユダ屋の世界支配秩序を脅かすものが生まれる訳ではない。

 問題は、日本が一見して単一民族的な天皇制国家に見えるが実は日本の政治支配構造の二重性にある。これには去る大昔の古代史上の最大政変たる国譲りが大きく関係していると見立てるのが、れんだいこ史観である。即ち、国譲りにより、それまでの支配者の原日本系が力を温存したまま野に下り、新日本系が新王朝として君臨することになった。この「手打ち」史実が日本史の根底を規定している。この史実を踏まえない歴史家が多いが、ここを踏まえないと日本史の歴史事象が理解できないだろう。

 以来、日本は新日本系が支配するようになったものの、野に下った原日本派が陰に陽に新日本系王朝に影響を与え、両者の有無相通ずる了解で諸事を御している。これを逆に云えば、原日本派の意向を蹂躙することでは何事も首尾よく進展しない。そういう圧政の時期もあったが最終的に両者協調することで日本史を連綿とさせて来た。これが天皇制にも刻印されており、いつの間にか次第に原日本系の大王制と新日本系の天皇制が同衾して今日に至っている。日本はそういう意味で珍しいタイプの二重拮抗国家となっている。

 れんだいこは、「原日本論新日本論」で日本史をかく紐解こうとしている。これが日本に対する正しい理解の仕方であると思っており、お陰で日本史がよく見える僥倖に浴している。中曽根式単一民族論&一元的天皇制論なぞはカンナクズ的に薄っぺら過ぎる白痴理論と考えている。

 なぜ日本がホロコーストされるのかが、これに関係している。即ち、紀元3世紀中頃、原日本系出雲王朝の最後の政体としての邪馬台国が滅ぼされて後、新日本系がその後の日本を支配することになったが、その支配がまもなく破綻する。このまま行くと日本は国際ユダ屋支配の植民地にされる。しかしこうなると、かって野に下った原日本派が黙っていられない。国譲りの際の取り決めに「善政誓約事項」がある。それが破綻した以上、原日本派が復権し再び英明な政治に転換させ日本を御して行く以外にない。近未来の日本はこのどちらかに向かわざるを得ない。今は、そのせめぎあいの時代である。

 仮に、原日本派政治が復権したとしたら、原日本派の能力が素晴らしく高いものであり、それが自ずと国際ユダ屋の世界支配秩序と対立し、その秩序を打ち壊す勢力となる可能性がある。それ故に日本が警戒されている。分かり易く云えば、国際ユダ屋は日本のこの潜在能力を恐れている。原日本派が国際ユダ屋と対立しているあらゆる勢力と提携することが、彼らから見た最悪夢である。この事態を避ける為に、いっそのこと「日本を双葉の芽のうちにホロコーストせよ」指令が下されている。あらゆる日本研究を総動員して日本という国と民族と社会の破壊、解体、溶解、骨なし化を企図している。簡単に言えば、こういう図式となっている。

 こう知ったからには既に半分が解答されている。後の半分は、日本側の実践的な対応である。これが我々に問われている政治能力である。以下、目下の自公民政治の愚劣さを確認したいが、これを割愛し、国際ユダ屋の恐れる日本思想と国際ユダ屋思想の根本的対立の位相を確認することにする。

 れんだいこのカンテラ時評№1235  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 9月23日
 なぜ日本がホロコーストされるのか考

 このところホロコースト絡みの論考を連続している。筆が進まないのは扱う内容が難しいからである。新たに本稿を加える。論題は、「なぜ日本がホロコーストされるのか。これにどう処すべきか」である。先に「ホロコースト日本論」を述べたが、こう問う者は私が初めてだろう。但し、こうはっきり問わないだけで同じような思いを持つ者が居るはずであろうから、そういう人たちには興味の湧く問いであろう。本稿を読んでなおカエルのツラにションベンの者はよほどの極楽トンボであろう。

 「なぜ日本がホロコーストされるのか」。結論から述べると、それは、日本が現在の国際ユダ屋の世界支配秩序を崩す可能性を持つ有力勢力の一つだからである。今や全く従順に馴致、飼育されている感のある戦後日本が何故に国際ユダ屋の世界支配秩序を崩す可能性があるのか。

 これに答えられる者がいるだろうか。恐らくいない。何ゆえか。それは「れんだいこの原日本論新日本論」を媒介せずには解けないからである。それほどに「原日本論新日本論」の価値は高い。この見解は決してれんだいこ独自のものではない。有益系の学識を煎じ詰め、したたり落ちるものよりもたらされたものなので、同じような煎じ方をした者が居れば同様の見解に辿り着こう。

 「これにどう処すべきか」。これを「れんだいこの原日本論新日本論」でトレースすればどう解けるのかの解を開陳する。日本がホロコーストされるべき理由は、現在の国際ユダ屋の世界支配秩序を崩す可能性を持つ有力勢力の一つだからであり、今や全く従順に馴致、飼育されている感のある日本が何故に国際ユダ屋の世界支配秩序を崩す可能性があるのかの問いに対して、れんだいこは、こう答える。

 その前に諸賢の解を待ちたい。待てど暮らせどそういう解は提起されないだろうが、もったいぶることにした。なぜなら、れんだいこ自身が今、論を発酵中なので多少時間稼ぎする必要があるからである。

 れんだいこのカンテラ時評№1234  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 9月 3日
 ホロコースト日本論

 2014.7月来のイスラエルによるガザホロコーストを注視し、翻って次のような気づきを得たので発表しておく。アウトライン描写ながら、れんだいこの気づきを公開しておく。

 今ガザでは人の最低限生活のライフラインさえもが意図的故意に壊され、それでも逞しく生きているパレスチナ人を確認することができる。ガザホロコーストの残虐非道ぶりはめったに報道されないが、たまの報道の隙間からかく窺うべきである。

 日本ではガザホロコーストを他人事と思ったり、イスラエル支持寄りの姿勢で論調する者が大多数のように思われるが、これは敗戦国現象である。即ち、去る日の第二次世界大戦に敗戦し、戦勝国側の国際ユダ屋支配秩序に馴致され飼育させられているからに過ぎない。それは丁度福島原発被災民に対する無関心と軌を一にしている。はっきり言っておく。それは滅びの道である。

 思うに、日本は、ガザホロコーストと無縁であるどころか既に「西のガザ、東の日本」と位置づけられるようなホロコースト被災民仲間ではないのか。違いがあるとすれば、「西のホロコースト」がハードタイプであるのに比して、「東のホロコースト」はソフトタイプと云うことなのではないのか。こう捉えることで始めて今、現に日本で進行中のあれこれの変態事象が説明つく。

 この変態事象を挙げようとすれば全分野において多重多角多面的であるのでキリがない。要するに日本が国家としても民族としても社会としても滅ぼされようとしており、あるいは溶かされようとしている。そのサマは暴力的、薬害的、中毒的、汚染的、白痴的、痴呆的、少子化的、貧困化的、多重債務化的等々あらゆる悪の仕掛けの術中に嵌められている。

 政治が、これを阻止するのではなく、どんどん呼び水すべく立ち働いている。この方向に照準が合わされ、これを請け負うと誓約した政治家のみが国際ユダ屋の後押しで権力の出世階段を上り、売国狂態政治に呆けている。

 こういう政治の愚劣化は1980年代初頭の中曽根政権と共に加速した。連中は口では愛国者然、民族主義者然と唱えるが、その裏で売国政治に勤しむのが特徴である。こういう政治がもう既に30年余続いている。それにしては日本丸はよくぞ持ちこたえているなと感心させられるほどの粘り強さではある。この認識が現下の日本を捉える大きな構図となるべきではなかろうか。この構図下で個々の分析をすれば良い。この逆を説く論説が現れたら大きく眉唾すればよい。

 今や日本を語るのに、「西のガザ、東の日本」の位置づけでホロコーストとして見なさなければ正鵠を得ないのではないのか。そういう生体実験が続けられているのではないのか。福島原発事故対応のお粗末さは、生体実験日本の象徴なのではないのか。かく認識し、日本を見据えれば次から次へと見えてくるものがある。ここを共認識することが次の時代の政治の第一歩となるべきではないか。自公民、その亜流政治なぞ評するに足りない。

れんだいこのカンテラ時評№1233  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 8月22日
 ホロコーストの原義考

 ここで「ホロコースト(holocaust)の原義考」をしておく。「ホロコースト」は現在、「ナチスによるユダヤ人迫害」を指して使われている。ホロコーストの史実性詮議はさておき、ここでは何故に「ナチスによるユダヤ人迫害」にホロコーストなる概念が被せられているのか、その不自然さに対する解を求めたい。

 その為にまず「ホロコーストの原義」を確認しておく。どうやら旧約聖書の創世記の章での「ユダヤ民族の直接の父祖・アブラハムとエホバ神の問答」に端を発している。それによれば、アブラハムは晩年にようやくにして初めての子としてイサクを授かっていたが、或る日、「イサクを山上の聖壇で焼き殺せ」との神示を受けた。この場合の「焼き殺せ」をホロコーストと云う。

 アブラハムが逡巡したのかしなかったのかは分からないが、神の命令を絶対として指示通りにイサクを祭壇の上でホロコーストしようとした。その刹那、「待て待て、もう良い。お前の信仰の深さはよくわかった。神の命令とあらば、ようやくにして授かった一人息子さえ犠牲にするその覚悟を見届けた。もうイサクをホロコーストするには及ばない」との天の声があって、めでたしめでたしとなった云々。この神話は、神の意思が絶対であること、神の意思を第一とするのが信仰であること、この信仰者に対して神の恩寵がもたらされるとする三段論法説話になっている。

 この「アブラハムとエホバ神との問答」からホロコーストが始まっている。元々は「全燔祭」と訳されている。「日の出とエルサレム神殿と燔祭(ホロコースト)」(ピーター・コノリー・パトリック・レステリーニ著「イエス・キリストの時代」(東京書籍、1989年)参照)が次のように解説している。

 概要「エルサレム神殿では、日の出の時、祭儀として犠牲の燔祭が東に向けて捧げられた。聖所が東向きに建てられており、一対の幕が下がり、白い大理石の床にT字帯(月経帯)型の溝が掘られている。ちょうど聖所が太陽を出産しているようなかっこうとなっている。ユダヤ教の律法の書に従って、日の出の時、T字帯の床に犠牲の血が注がれる。血を抜いた犠牲の内臓とその脂肪を聖所の前で焼き、その煙を天に届ける。この祭儀を燔祭(ホロコースト)と云う。その祭儀は、西暦70年、神殿の聖所が焼き討ちに遭い、立て篭もっていたユダヤ人が焼き殺されるまで毎朝続けられた」。

 これが「ホロコーストの原義」である。それは、「信仰の真性を証す為に人身御供(生け贄)を聖壇で焼き尽す」儀式であり、その儀式を通して共同体の意思と結束を固め、「災厄の除去、贖罪、隆盛を祈願する」祭りとなっている。特に新年祭で盛大に行われ、様々な生け贄が供犠所に捧げられる。その最大の生け贄が人間で、その究極が新婚夫婦の「初子のお供え」であったと云う。この祭り全体を総称してホロコーストと呼ぶ。

 しかしながら、どう見てもこのような教義、儀式、祭りは一般的なものではない。恐らく世界中捜しても例がない。例えば日本神道と比較してみよう。日本神道では神と人とは和楽的且つ談じ合い的であり、間違っても「アブラハムとエホバ神との問答」的な厳罰的なものはない。神は人の親であって、慈悲は掛けても、親が子に過酷な命令をすることはない。これを人から見れば、神は人にとっての理想であり、人が好んでその能力にあやかりたいと思うのが神であり、その神が人に対して酷い命令をすることはない。要するに、ユダヤ教と日本神道では神と人との関係が全く逆なものになっている。

 よって、日本神道の教理にはホロコースト的教義は全く見出せない。そういう意味でホロコーストはユダヤ教独特の教義であり、ユダヤ教義の異質性を象徴している。日本神道から見れば、ユダヤ教の狂気性を物語る教義が多々認められるが、ホロコースト譚もその典型的な一つであり、それでしかない。

 もとへ。以上で「ホロコーストの原義」を確認できたとして、「ナチスによるユダヤ人迫害」にホロコーストの名を被せるのにはどういう理由があってのことだろうか。見てきたように普通には繋がらない。それを敢えてホロコーストと命名しているからには、然るべき理由があってのことではなかろうか。

 但し、ここが曲者なのだけれども、彼らは特有の二重基準で「内向けのホロコースト」、「外向けのホロコースト」の両刀使いをしており、「内向けのホロコースト」の意味を明かさない。「内向けのホロコースト」の意味は隠したままで、「外向けのホロコースト」即ちナチス糾弾論を流布させている。そういう訳で、「内向けのホロコースト」の意味を詮索せねばならない。彼らが、「ナチスによるユダヤ人迫害」にホロコーストなる命名を宛がった理由と真意を探らねばならない。思うに、「ホロコースト」には自律的積極的肯定的宗教的な「生贄の犠牲思想」が媒介している。であるとするならば、「ナチスによるユダヤ人迫害」にどのような犠牲思想性が認められるのだろうか。こう問う人は滅法少ないであろうが重要な問いである。

 参考までに確認すると、「三省堂大辞林のホロコースト」は次のように記している。「大虐殺。特にナチスによるユダヤ人の大量殺戮(さつりく)をいう」。「小学館大辞泉のホロコースト」は次のように記している。「大虐殺。とくに、ナチスによるユダヤ人の大虐殺」。他も似たり寄ったりで、原義の「ユダヤ教に基づく燔祭的意味」をすっかり外していることが分かる。これでは「ナチスによるユダヤ人迫害」にホロコーストなる命名を宛がった理由が解けない。

 「ホロコースト」はユダヤ教独特の用語であり、「祭儀の際の人身御供生け贄」を指している。「ナチスホロコースト」命名者は当然その語義に基づき命名している。となると、解し方は、「ナチスホロコーストの犠牲者」を「ホロコースト的生け贄」と受け取るしかない。あるいは「ナチスホロコーストの実行者」を「報復的生け贄」にするとの意思を込めたものと受け取るしかない。これ以外の理解の仕方は難しい。

 こうなると、「シオン長老の議定書」に濃厚に表れている近代シオニズムのユダヤ王国再建思想を媒介せずには解けないのではなかろうか。即ち、「ナチスホロコースト」を、彼らの世界支配計画に政治的に供えられた生贄と位置づけ、彼らのイスラエル建国運動に資せる形で利用して行くものとする。これが「ナチスホロコースト」が歴史的に持つ使命であり地位ではないのか。

 こう考えると、「ナチスホロコースト」は徹頭徹尾宗教性のものであり政治主義的なものであることが分かる。然しながら、ホロコースト命名者たちは、そのシオニズム的意味を隠して単に戦後反戦平和運動の誓いの起点としてプロパガンダさせていった。これにより「ホロコーストの教訓」が戦後反戦平和運動のリトマス試験紙の役割を担うことになった。お調子乗りが、ホロコーストに纏いつく宗教的政治的意味を理解せぬまま追随し今日に至っている。南京大虐殺事件には疑義を挟むがホロコーストは絶対の真なりとして講釈する自称インテリが身近にいるが、そういうユダ屋ナイズインテリばかりが登用されている。

 ここまではまだ良い。問題は、「ナチスホロコースト」が偽史であった場合にどうなるか。これにつき西岡医師が精力的に論証しているのは周知の通りである。仮に「西岡医師のホロコースト虚構説」が真ということになると、一体どういうことになるのか。話がこういう風に続いていくことになる。この辺りでいったん筆を置くことにする。

 れんだいこのカンテラ時評№1232  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 8月 4日
 ガザホロコースト考

 2014.7月、もう何度目になるのか数え切れない新たなガザホロコーストが始まり8.4日現在なお続いている。この情報を得たいが世界的に報道管制が敷かれている。日本のみならず世界でも、日本ほど酷くはないがガザホロコーストが極力スルーされている。代わりにマレーシア旅客航空機撃墜事件、ウクライナ軍事危機等々がメイン報道されている。これを伝えるニュースキャスターの表情を窺がうのに真実報道よりもニュースショーを演じている気がしてならない。

 「ガザホロコースト」とは、パレスチナのガザ区に於ける、イスラエル軍によるワンサイドゲーム的な空爆及び地上戦闘によるガザ難民虐殺を云う。「ガザホロコースト」には殺し方に特徴が認められる。即ち、無慈悲に殺さねば殺したことにならないとばかりな冷酷無残な殺傷に終始していることである。もうひとつは、国際法的な安全地帯である学校、病院、教会、国連施設にわざわざの砲撃を加え非戦闘員である子供、婦女子、老人に巻き添え死を強制している。こたびの2014ガザホロコーストでは特にこれが目につく。れんだいこには、「ガザホロコースト」の一連の過程が、あたかも惨劇の祭りをしているように見えて仕方ない。そのサマは許し難いの度を超していよう。

 この「惨劇の祭り」の背景にあるものを愚考してみたい。「惨劇の祭り」は彼らの歴史的伝統からもたらされているのではなかろうか。れんだいこは、「ガザホロコースト」の一部始終にイスラエル及びイスラエルを支配する国際ユダ屋に特有な「歴史的癖」を認めている。ここで云う「歴史的癖」とは「悪魔教的信念に基づく意図的故意の狂態」を云う。かれらの目線にあるのは「同胞ユダヤか敵方ゴイムか」の判別しかない。「同胞ユダヤ」となれば等級をつけ序列化して囲い込む。「敵方ゴイム」となると何の遠慮も要らない虫けら、畜生類扱いして、煮て食おうが焼いて食おうが我らの権利であるとして気ままなな意思による処断に任せ、残虐であればあるほど正義だとしている。こういう論法、行為が許されること自体信じられないが現に通用している。

 こういう見立てをする国際ユダ屋が歴史の表舞台に登場する比重が強まるにつれ、人類史上に惨劇が常態化するところとなったのではないのか。それが証拠に、国際ユダ屋が歴史の表舞台に登場してきた近代以前に於いては、世界史を見渡してみても、これほど執拗な惨劇の常態化は見当たらない。同様の事例があるとすれば裏で国際ユダ屋が糸をひいているケースが多い。近代から現代までの人類史上の惨劇の主流は、彼らのドグマ的な教条に基づく非和解的絶対戦争によるものではなかろうか。

 その昔、ローマ帝国がこの「国際ユダ屋の歴史的癖」に手を焼き、この連中の扱いに苦慮し、とにかく国家を持たせぬのが賢明として所払いさせた。これにより連中は長らく国家を持たぬ放浪の民となった。各国の申し合わせにより、連中の行く先々で公民権が剥奪された。何とならば、この連中に権力を持たせると人類史に災禍が及ぶことを見抜いていたからである。今にして思えば、ローマ帝国の対国際ユダ屋対策としての「国家を持たせない、所払い、公民権剥奪」は国際ユダ屋の習性を見抜いた英明な政策であったことになるのではなかろうか。

 その放浪の民が国家を持とうとする悲願の末に漸くにして第二次世界大戦後に建国したのがイスラエルである。この経緯の考察は本稿では割愛する。これにより、数千年来パレスチナの地に住み続けていたアラブ人が俄かに土地を追われ難民と化した。その一部がガザに住みつきガザ難民となって今日に至っている。

 興味深いことは、イスラエルの建国過程とパレスチナ難民の発生過程である。さる昔のローマ帝国の危惧した通りの「国際ユダ屋の歴史的癖」を満展開させつつ今日に至っている。国際ユダ屋が絶対権力を振るうところ決まって「残酷非道なゴイム掃討戦」が見舞われているが、これまでもそうでありこの先もそうであろう。この過程で全てが逆さまに評される。即ち正義が不正義にされ不正義が正義になる。有徳が背徳にされ背徳が有徳にされる。

 こたびの「イスラエル軍によるザホロコースト」がいつ収まるのか分からない。イスラエル軍の絶対的優位が続いているように見えるが、この優勢が永遠に続くことは有り得ない。パレスチナ人の恨みが物質化される日がそう遠くない将来やって来る。この時、「国際ユダ屋の歴史的癖」とは一味違うパレスチナ人の英知による平和創出を見てみたいと思う。付言しておけば国際ユダ屋主導の平和なぞ有り得ない。彼らを憲兵にさせるのは、泥棒に権限を与えて夜回りさせる愚に似ている。強姦魔に婦女子を自宅に送らせる愚に似ている。これだけは有り得ないしあってはならない。こう例えれば分かって貰えるだろうか。歴史を紐解けば、そういうことが見えてくる。

 れんだいこのカンテラ時評№1231  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 7月 3日
【れんだいこの滋賀県知事選考】

 6.26日、嘉田由紀子知事の任期満了に伴う滋賀県知事選が告示された。投開票は7月13日。これに一言しておく。

 何も滋賀県知事選に限ってではないのだが、「自民・公明系A候補対共産系B候補」の選挙戦と云うのが、このところの定番である。自公系のAが常勝し、共産系のBが善戦総括してシャンシャンとなる。これも定番である。問題は、これをどう見るべきかである。今度こそ共産系Bを勝たさねばならない、そうならないのはひとえに我々の努力が足りない、この真実が分からない愚弄の民の啓蒙に引き続き邁進せねばならないと合点する向きの者は、以下読む必要がない。あらかじめ申し上げておく。

 こたびの滋賀県知事選は、自民、公明系A候補(元経産省官僚の小鑓(こやり)隆史、47歳)対共産系B候補(党県常任委員・坪田五久男、55歳)。これにC候補(元民主党衆院議員の三日月大造、43歳)が割って入っている。これをどう見るべきか。C候補の三日月氏が選挙定番にお邪魔虫しているだけだろうか。れんだいこは違うと考える。案外と重要な戦いに打って出ているのではなかろうか。

 C候補三日月氏は、「自民・公明推薦A候補対共産推薦B候補」と云う表見的には対立しているようで本質的に同じ穴のムジナのじゃれ合い選挙にノンを突きつける有意義な選挙戦を戦っているのではなかろうか。万一、C候補三日月氏が当選すれば、「自民・公明対共産」と云う「政治お遊び」に鉄槌を下し、日本政治史上のこのところの流れを変えるきっかけになるのではなかろうか。その意義は高いと考える。

 それにしても透けて見えてくるのは共産党の変態的な対応振りである。共産党は、平素は自民、公明と対極的に闘う位置で発言する。但し、その共産党よりもっと鋭角的に自民、公明と闘おうとする左派が出てくると、自民、公明になり代わって、あるいは自民、公明の及ばざるところを補足する形で攻撃し始める。仮にその左派が壊滅されれば、又元に戻って共産党が自民、公明と闘い始める。こういう仕掛けの場合、共産党のような対応をどう評するべきだろうか。これを的確に把握する眼力が問われているのではなかろうか。

 以下、文意の流れからすると、れんだいこの眼力を披瀝するようになるのだが、余りの衝撃の故に脳震とうを起す者が生まれることがあることを思い、本稿では控えることにする。結論を言えば要するにニセモノ論になる。日本政治は今や自公と云う表権力ニセモノ、社共と云う裏権力ニセモノに支配されており、このクビキから一刻も早く抜け出さないと事態をますます悪化させると読む。

 あらゆる政治課題に云えることだが「自民・公明対共産」に任すと一見対立しながら次第に良くない方向にリードしてしまう。それは最悪、大和国家と民族が解体される。それを良しとするオカルト勢力が愛国心を吹聴しながら手前本位の利権政治にうつつを抜かしていると読んでいる。この流れに棹差さんが為に本稿を発信しておく。




(私論.私見)