カンテラ時評34(991~1020)

 (最新見直し2011.04.21日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 れんだいこの丹精こめた珠玉の発言集「カンテラ時評」をここに保存しておくことにする。絶えず繰り返されるアラシの中で、意に介さず怯まず、れんだいこが発信したくなった事案に対するれんだいこ見解が披瀝されている。何度読み返しても、れんだいこ自身が面白い。字句の間違いの訂正、文意の修正もやっておこうと思う。

 2007.3.24日 れんだいこ拝


れんだいこのカンテラ時評№991  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月 2日

【津田左右吉学説考その1】

 ここで、れんだいこの津田左右吉論を記しておく。過日、今後の古代史研究の方向性を探る為に津田左右吉の諸学説を確認しようと思いネット検索した。確かに「ウィキペディア津田左右吉」を始めとして出るには出てくる。だが津田学説の中身を知ろうとしても一向に分からない。

 こういう例は何も津田左右吉ばかりではない。極論すればあらゆる情報が表相であり肝腎の知りたいものが出てこない。あたかも「知らしむべからず寄らしむべし」を地で行っている感がある。これがネット情報の限界なのだろうか。

 政治や思想関係に限って言えば、敢えて入口止まりの情報に止められている気がする。グーグル検索とヤフー検索が次第に似てきており、こうなると情報統制の恐れなしとしない。こういう寒い状況に抗して、この閉塞を打破し、真相を解明し、これを積極的に知らせる為のサイトアップが要請されている。

 一般に或る対象を解析する為の常法は「5W1H」である。「WHEN(いつ)」、「WHO(誰が)」、「WHAT(何を)」、「WHY(なぜ)」、「HOW(どうした)」を確認すれば、当らずとも遠からずとなる。ところが、ネット上に出てくるのは「WHEN(いつ)」、「WHO(誰が)」、「WHAT(何を)」止まりであることが多い。

 肝腎の「WHY(なぜ)」、「HOW(どうした)」が抜けている。更に付け加えれば「REASON(論拠)」、「PROCEED(経緯)」の考察が必要である。これがなければ絵画彫刻で云えば「画竜点睛」を欠いていることになる。これ故、今後は「5W1H+RP」(略して「5W1HRP」)を正解としたい。これを「れんだいこの実践論理学」に加えることとする。

 「れんだいこの実践論理学」
 (gengogakuin/jissenronrigaku/jissenronrigaku.htm

 「WHY(なぜ)」、「HOW(どうした)」、「REASON(論拠)」、「PROCEED(経緯)」のくだりは難しいところであるから評しにくいのは分かる。しかし、ここを評さなければものになるまい。ものにならないまま上ヅラの情報のみで事勿れし、事足りている精神の持主はよほど幸せもんだろう。

 代わりにご執心なのが著作権である。著作権法によれば、著作者、出典元、出所元等を記し、盗用の恐れのないよう配慮に気をつければ引用転載可と読むべきところ、この規定を超えて事前通知、事前承諾なければ引用転載不可論、他にも文量規制論を公言する手合いが多い。

 中には引用は可であるが転載はダメだとか、分かったような訳の分からない理屈をこねる者が後を絶たない。最近はさすがに少なくなったが、ネット上のリンクさえ事前通知、事前承諾の対象とするサイトが存在する。中には営業的利用は不可だが学問的利用は可論を唱える者もいる。しかし、営業的と学問的の仕切りをどこでするのかにつき精密に規定できるものはない、即ち問題を小難しくしているだけのことに過ぎない。

 強権的な著作権論を振りまわして著作権森の中から獲物を見つけ出して狩猟に励むよりも、我々の学問水準が大きく立ち遅れていることを憂慮し、この遅れを打開する方向に頭を使うべきだろう。その頭脳がない腹いせ代償行為と思われるが、強権的な著作権論を仕立て上げ強硬的適用で正義ぶる手合いが多い。

 こういう連中に漬ける薬はないものかと思案しているが、れんだいこが身を持って手本を示すに如かずとして意欲的にサイトアップし続けている。これにより知識を得た者は己の狭い了見による囲い込みの非を恥じ、私も貰うがお返しもするの助け合いの精神に転じ、沃野の開墾に向かい始めるだろう。

 分別すべきは我々の寿命である。朝に紅顔ありとも夕べには死す身の者が千年万年の鶴亀の如く生ある身と勘違いして欲心起こすこと勿れ。著作権野郎と、れんだいこおのこと、どちらの云いが生産的か暫し沈思黙考せよ。

 2011.9.2日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№992  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月 2日

【津田左右吉学説考その2】

 もとへ。津田史学をどう受け止めるべきだろうか。これが本稿の本題である。れんだいこは次のように考えている。もっとも今時点では津田氏の書籍を読んでいない。諸氏の評から透けて見えてくる津田史学を前提にして批評する。

 津田氏は、当時の皇国史観に立ち向かった稀有の学者であった。多くの者が皇国史観を鵜呑みにし、或いは皇国史観が御用学故に批判することの不利益を思い面従腹背で上手に世渡りしている折柄に於いて、堂々たる皇国史観批判諸説を開陳した。ここに津田史学の意味と価値がある。

 次のように評されている。
 「津田史学は、古事記、日本書紀の記述間の食い違い、あるいは相互矛盾をとりあげ、記紀に記されている神話は天皇制が確立した第29代欽明天皇の時代の頃、即ち6世紀の中頃以後、天皇家の権威を高める為に大和朝廷の万世一系の皇統譜を正当化しようとする政治的意図に従って作りあげたものであると説いた。 端的に云えば、神話は机上でつくられた虚構創作であり史実を記した歴史ではないとした 」。

 戦後、皇国史観否定が時代の流れとなり、これを批判していた津田史学が学界に迎えられた。津田自身の戦前における弾圧の経験が軍国主義に屈しなかった進歩的学者と持ち上げられ歴史学者の泰斗の評を得た。唯物史観を戴くマルクス主義派が津田史学を支持するようになり、津田史学が第二次世界大戦後の歴史学の主流となった。津田は、敗戦による価値観の転換を体現する歴史学者の代表となった。これにより記紀記述を代表とする日本神話を軽視する流れが生まれた。日本のマルクス主義歴史学はこの系譜から生み出されている。

 但し、津田氏の皇国史観批判スタンス即ち記紀神話批判スタンスの荒唐無稽論は良いとして、本来はその先に向かわねばならない筈のものではなかったか。記紀神話の裏に秘められたる筆法による歴史記述をどう嗅ぎ取るべきか、これが問われていたのではないのか。この問いに対し、津田史学はどう立ち向かおうとしていたのだろうか。津田史学がここに及ばないとすれば片手落ちではなかろうか。

 記紀の編者達の能力をどう見るかによることになるが、編者達は時の御用学者、御用史家として云われるままに荒唐無稽説を記したのであろうか。れんだいこはそうは看做さない。荒唐無稽の部分は逆に荒唐無稽を浮き上がらせる形にしており、史実とは違うことを裏メッセージしているようにも思える。

 19世紀の文献批判学者達が古代ギリシャ神話のイリアス、オデュッセイアなどをホメロスの空想の所産でありお伽噺に過ぎないとしていた折柄、学者としてはアマチュアのシュリーマンが神話の中に潜む真実に魅せられて遂に伝説のトロイアを見つけ、都市トロイアの存在を証明した。この例は、荒唐無稽論者の方が荒唐無稽であることを逆証左した。

 例えば皇紀2600年問題に繫がる「辛酉年春正月庚辰朔」などが典型である。明らかに詐術しているのであり、こういう場合、詐術批判で済ませてはならない。なぜ詐術しているのか、真相はどうなのかへ関心を向かわねばならない。他の下りも同様である。

 記紀編纂時点で伝承が混乱しており混乱のまま記述している場合もあろう、時の政権の正統性を引き出す為に不都合記述を削除し、有利な記述を更に脚色している場合もあろう。いろんな筆法がなされているであろうが、これを読み解くのが仕事であり荒唐無稽批判するのは入り口の話でしかない。

 繰り返すが、記紀神話の荒唐無稽批判の次には真相の史実を探ろうとせねばならない。これが引き続きの学問的営為となるべきであろう。津田史学は荒唐無稽批判の次に何を営為したのだろうか。ここが知りたいところだが見えてこない。荒唐無稽の個所を荒唐無稽と批判しても、当たり前過ぎる批判に過ぎない。仮に津田史学が記紀神話の荒唐無稽批判で事足りているとしたら、それは時の皇国史観批判に於いてのみ意味があり、それ以上のものではないと断ぜざるを得ない。

 れんだいこは、津田史学の記紀神話荒唐無稽批判を受け入れる。だがしかし、ならば真相はどうだったのかを次に引き受ける。津田史学が何故にこの姿勢を持たなかったのかを訝る。この姿勢を持たない津田史学とは何ものか。ここに疑惑を宿さない訳にはいかない。

 以上は、津田氏の著書を読んでないままの評である。実際に読めば、津田史学の本意は皇国史観的歪曲を政治利用する近代天皇制批判の為に記紀神話批判を策したのであり、日本神話の否定自体が目的であったのではないと理解することができるのだろうか。実際の津田史学については知らないので舌鋒が鈍るが、津田史学はかく理解される時にのみ価値がある。単に日本神話否定論を唱えていたとしたら歴史の屑かごに入れられるべきであろう。

 日本のマルクス主義歴史学然りであり、本来であれば戦後は古代史解明の貴重な資料として非皇国史観的理解による日本神話研究に精力的に取り組むべきであった。日本神話否定、却下に向かうべきではなかった。史実は、津田史学の最も悪しき方向へ舵を切ったことになる。そういう意味で、れんだいこの日本神話研究こそ、日本マルクス主義歴史学が誤った学的態度の今時の軌道修正に向かう営為であるということになる。誰かかく共認せんか。

 2006.12.3日、2011.9.2日再編集 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№993  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月 3日

 【野田首相の組閣能力考】

 2011.9.2日、野田政権が正式に発足した。この陣容をどう評すべきかが問われている。早くも日共お得意の政権アラ探しが始まっている。れんだいこは商売口風の批判の愚を避けたい。野田政権の政策面は今後の問題であり、今は野のものとも山のものとも海のものとも分からないとして論の先走りを避けたい。せねばならぬのは組閣を終えたばかりの組閣能力論である。

 野田政権の陣容を見るに、野田は最初に首相の片腕としての幹事長に小沢系の重鎮として知られている興石を起用した。これをどう評するべきか。興石は既に菅政権時代に(役職は分からなくなったが)内閣の一員に取り込まれていたので、この時点で野田との接点が始まっていたと思われる。野田は、代表選演説、代表選出後の一声でも共に「ノーサイドで行きませう」と公言した通りの人事を行いサプライズを演出した。

 先代の菅政権が、党内を二分している小沢派を徹底的に排除したのに比して鮮やかな対照であり名采配と評すべきだろう。反対派をも然るべく登用すると云うのが議会制民主主義下の組閣の常道であり、野田が真っ当なものに戻したと評すべきだろう。これを野田采配の第一の識見と見立てたい。

 野田采配の第二の識見は、野田自身を除く菅政権下の重役を蟄居せしめたことにも見て取れる。岡田幹事長、枝野官房長官、仙石を退けたのは爽快でさえある。前原は政調会長として起用されているが、代表選の決選投票での支持経過からして止むを得ない措置であろう。これも名采配であろう。

 野田采配の第三の識見は、鳩山政権、菅政権と続いてきた経緯に鑑み鳩山派、菅派の起用を極力抑えたところにも見て取れる。鳩山派では平野博文の国対委員長、菅派では平岡秀夫の法相のみとなった。鳩山派は、小沢派とも野田派ともブリッジしている故に今後の政局に一定の役割を果たすことが予想できるが、菅派の芽は完全に潰れたと見立てたい。この間の反小沢一辺倒式変則党運営の当然の報いであり、これを自業自得と云う。菅派代議士の選挙区は今後草刈り場になることが予想される。

 野田采配の第四の識見は閣僚を一新させたことにある。再任として細野豪志の環境相・原発事故担当、平野達男の震災復興対策担当、自見庄三郎の郵政改革担当は職務の特殊性からして継続性を重んじたものであり首肯できる。それ以外の閣僚につき、新任として安住淳を財務相他、鉢呂吉雄を経産相、前田武志を国交相、小宮山洋子を厚労相、中川正春を文科相、一川保夫を防衛相、山岡賢次を国家公安委員長他、古川元久を国家戦略相他に起用し総計8名に上る。この人事は、野田―興石ラインの人選に拠ったと思われるが、いわば意地を通した格好であり評されるべきであろう。

 野田采配の第五の識見は、挙党態勢づくりに成功していることである。反小沢色の強い順に確認すると、前原派から安住財務相、小宮山厚労相、古川国家戦略相の3名。野田派から野田首相、蓮舫行政刷新相の2名。玄葉派から玄葉外相の1名。.菅派から平岡法相の1名。民社系から川端総務相の1名。鹿野派から鹿野農相の1名。社会党系から鉢呂経産相の1名。羽田派から前田国交相、中川文科相の2名。小沢派から一川防衛相、山岡国家公安委員長、平野震災相の3名。この組み合わせは芸術的でさえある。

 以上、第五点に亘っ好評価を下すことができる。今度は逆に野田政権の布陣に難点を見出してみたい。その第一に、ハンドラ―ズの対日指令政策である増税、国債擦りまくり、農産物他の自由化、原発続投、自衛隊の海外派兵の五点セットに対して迎合的なシフトになっていることである。

 これを見れば野田政権が今後ハンドラ―ズの対日指令政策の忠実な請負をして行くことが予想される。党内の反ハンドラ―ズと人民大衆の結合により、この動きを封殺し、日本再建の別の道筋を見つけ出していくならば、野田政権は案外長持ちするかもしれない。逆は逆である。

 野田政権が、ハンドラ―ズの対日指令政策のもう一つの戦略である衆院解散に対して、今のところその意思を持ち合わせていないのは良きことであろう。こたびの代表選で前原派が勝利していたならば衆院解散シナリオに向けて突き進む公算大だったことを思えば了とせねばならぬ。今は鳩山、菅の二代続けての悪政で民主党の支持が潰(つい)えており解散は直ちに壊滅を余儀なくされるだろう。

 仮に海江田政権が登場していたなら野田政権の顔ぶれとどう異なっていただろうか。容易に姿を消すのは安住、小宮山、古川、蓮舫であろう。代わりに原口、川内博史、田中真紀子、森ゆうこ辺りが登用されていた可能性がある。これを見られなかったのは残念ではある。以上、簡単ではあるが野田政権に対するれんだいこの第一評としたい。

 補足しておけば、野田政権下ではノーネクタイの遊び人風のだらしない姿での執務を止(よ)して欲しい。皇居での任命時にネクタイ着用なら当然国会でも然りとすべきだろう。小泉以来菅までの間に流行っ悪弊だが、そろそろ終わりにして貰いたい。クールビズを云うのなら靴を止めて下駄、草履、雪駄で闊歩すれば良かろうが。ついでに下着もステテコで答弁すれば良かろうが。これが云っておきたかった。

 2011.9.3日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№994  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月 4日

 【野田政権に対するれんだいこ書簡その1、角栄政治の真髄を知れ】

 野田政権発足に当たって、菅政権時にしたように「れんだいこ書簡」を発表しておく。シリーズの予定であるが、今はこの一書のみとする。これで充分だろう。この書簡が野田の耳に届けられるのか、届けられたとして聞く耳を持つのかにつき、当方は与り知らぬ。云えることは、聞くも耳を持てば歴史の評価に堪えるものになり、逆は逆であると云うことである。

 菅は聞く耳を持たず、シオニスタン宦官政治にのめり込み、小沢どんを用済みとして斥(しりぞ)け、一時の栄華に酔いしれた。しかし、たかが1年有余の儚い宴であり、今頃は悪酔いしていることだろう。歴史の法理は厳然としている。闘いに敗れ斥けられたのは菅派の方であった。

 こたびの組閣で、菅派は平野法相一名の登用で終わった。その平野も菅派であるかどうか旗色はっきりしない御仁であることを思えば、菅派自体が息の根を止められた感がある。遊び人は遊び人特有の粗脳故に歴史の屑かごに捨てられることになる。何事によらずプロが鎬を削る世界に遊び人が大事を司ることには無理がある。教訓とすべきだろう。

 もとへ。れんだいこは、野田首相が見せた組閣人事能力を評価し、野田政権にとっておきの政治訓話を授けたい。松尾芭蕉の名俳句「古池や かわず飛び込む 水の音」の解釈に似て、万言を費やしても足りない名訓話になっている。何度も聞き、何なら閣議の前にみんなで聞くようにして貰いたいほどである。過日、偶然目にしたものだが有り難い出会いであった。以下は、れんだいこがビデオから書き起こしたものである。政治家諸君、毎日の業として暗誦せよ。

 【1984.3月、ネミック・ラムダ長岡工場竣工式での田中角栄の祝辞】
 (http://www.hirameki.tv/10video/Mr-tanaka/mrtanaka1.html

 斑目力曠社長の弁から窺える角栄の弁は次の通り。
「君、福島なぞ行かないで長岡へ行ってやれよ。君は若いんだから失敗したっていいじゃないか。思い切りやってみろよ。長岡で電子の灯を灯すつもりでやってみろよ」。「従業員は何名になったか」。「渡部君、潰してもらっちゃ困るよ、いいね、潰してもらっちゃ困るよ、潰してもらっちゃ困るよ」。

 角栄の弁は次の通り。
「まず第一に、斑目(まだらめ)社長を中心にした従業員諸君の力添えで、えぇ、創業15年にして今日の、この、おぅ、興業の第一期工場の竣工式を挙げられことに対し、深い敬意を払いますと共に、お喜びを申し上げます。又ご参会の皆様には、こうして応援を頂き、当社の将来に対しても、重ねて、お力添えをいただくことにつきまして、えぇ、私からもお礼を申し上げます。今、斑目社長から述べられた通り、この会社には私も、創業からの責任を持っておる者でございます。

 斑目君はあのぅ、出身は高野山でございます。私の菩提寺もございますので、まっ、この仏様のご紹介と云う事で、で、一つおぅ腰を入れなければいかんと云うことで、おぃ長岡へ工場を造らんか。と云うことだった。でもう既にここに第一の工場ができたじゃないですか。第二の工場が1300億を投資をしながら工場出荷額1600億ないし1800億、4月の1日からオ―ジ―アイには東京三洋の工場が**。工場を始めようではありませんか。それだけじゃありません。同じオ―ジ―アイに松下電送の工場が4万5千坪、今、宅地造成を始めているんです。それがいつですかな、起工式あるんです来月の初めですか。6月1日から始めるんです。しかし、それにも来てくれと云うから、いや、まだ返事しないんです。斑目君のとこへ行ってからの話である。(笑) ホントですよ。うん、そういう意味で今日は、この工場に伺った訳ですが、今、斑目君も述べられた通り、故なくして今日ある訳はないんです。

 これはあのぅ、雪国というのはまぁ雪国というのに工場来るかなんかと心配する者がありますが、これはあんまり勉強不足なんです。雪国がなければ精密工業基地足りえないのであります。うーん世界には166カ国あるけれども、主要工業十ケ国のアメリカ、カナダ、日本、リべリー、フランス、西ドイツ、イギリス、オランダ、ベルギー、スウェーデン。10ケ国の内の9ケ国の工業地帯は、奇しくも日本の弘前よりも全てが北であります。しかも超精密工業地帯はどこかと云うと、日本がかって領有した樺太よりも北であります。どうしてそんなことが分からんのか。地球儀を回すまでもないことだもの。温かいところには主要工業地帯は地球上には一ケ所もない。ねぇ、ホントです。それがなぜ一体、日本だけが太平洋側に工場ができて、雪の降る所が南方産の稲を育てておるか。これは逆さまであります。うーんこれは千年以来、為政者が太平洋側にだけしか存在しなかったと云う、たった一つの簡単な理由であります。

 しかし、科学的な、要請される条件を備えておるものが、逆さまのままで永久に行く訳がないんで、重い工業、原材料を海外から輸入しなければならない、そして加工してすぐ輸出しなければならない、大規模な工業は全て太平洋岸でありましたが、しかし例外があったんです。非常に精度の高い工場が一つだけ、北陸にあったんです。それは何か。それはツガミである。ねっ、長岡のツガミの歴史を見れば日本の工作機械の草分けである。非常に精度の高い技術であり、ツガミの社史を読むまでもなく分かるじゃないですか。地元に居ると分からんだけであります。日本産業史の中でツガミの歴史は燦たる歴史だ。だから一ぺんぐらい潰れたってね、立ち上がるに決まっとるんだ。ホントですよ、うん。

 その意味でね。斑目君にね、ツガミがあるんだよと。長岡の歴史というものは必ず君を成功せしめるから。まぁローマは一日にしてならんと云いますが、石橋叩いて必ず渡る。こう云ったらですな、15年間で、斑目君がこれだけのものをつくったじゃないですか。さっき悪口云いましがね。人のうち借りてボロ屋だったとか、何を云うか。(笑) 古色蒼然たるとはいらんことである。と思うけどね、ほんとうですよね。**古色蒼然たる中からたった15年で、これだけのものが生まれたじゃないですか。この後、第二次工場3000坪あるんですから。そうでせうっ。

 私は、潰してはダメだよといったのはね、若い連中ばっかりなんだこの工員が。君はね、経営者だから潰れたっていいよと。ましてや荒道を漕ぐ人は一回や二回倒産の危機にね、頻する、これはやむをえん。しかし、必ずこの仕事はね、日本が求める。日本の代表的産業なんだから潰れる筈がないだぞ。ただ潰すと若い連中が泣くから。やっと結婚した、やっとウチをとにかくつくろう、ローンを借り始めた。社会的混乱起こすから、潰しちゃダメだよ。こう云ったに過ぎないのであります。

 来るには来るような受け入れ態勢がなくてどうして来ますか。私は、受け入れ体制がなかったけれども斑目君が、ここまで努力した実績に対して本当に深い敬意を払います。今度はまぁ潰すなよなんて云いません。(笑) えぇ。今度は大いに発展をする為にお互いに協力する、共同の責任を持って後は保証してやるから、さぁしっかりやってくれ、こういうつもりでおります。どうぞご参会の皆さまも、ただ一つの工場が生まれたいうのではありません。これは長岡の新潟県の工業化の、一つの歴史の一ページ、第一号工場である。この後が続く。

 私は、ホント25年間、自分の、責任のように考えてきただけに、こうしてしばらく時間をいただいて事実を申し述べ、皆さまの変わらざると云うよりも、これから本当にこの会社が大きくなるように。この会社がね、うまくいかないようだったら、必ず行きますよ、必ず行くように保証します。これから技術的にも、あらゆる角度から応援体制を整えます。ねっそういうつもりで来たんです。まっ皆さんからも、本当に格段のご支援ご鞭撻ご協力をお願いをいたします。これはもう、本来ならば会長の職にある関とうえい君、うーん、だったらもっともっと、強く皆さんにお願いするでせう。私もこの、まっ工場を育てる、立場である責任者として、これからお願い申し上げます。渡部君を中心とした当社の全従業員一丸になっての奮闘努力、精進努力に心から期待をして、私のまっ祝辞と云うよりもご挨拶を終えたいと思います」。

講釈は不要であるが蛇足しておく。角栄政治は、かように中小零細企業に対する目線が温かく育成に力を貸していた。特に今後の日本が生き延びる道として、先進的先端産業に力を貸していたことが分かる。演説の片言節句からしても、角栄の視野が壮大であることが分かる。話も面白い。間の取り方も良い。短か過ぎず長過ぎず、話に愛情があり、スピーチの見本である。スピーチだけが良いのではない、日頃の政治の姿勢が滲み出ていると窺うべきだろう。

 れんだいこが最も気に入ったのは、斑目力曠社長の「会社は潰してはならず、存続させることが社員に対する最大の福祉である」云々の弁である。今時の、会社を潰すような方向にばかり政治を舵取りしながら他方で雇用対策を云々し、その挙句に財源が足りないと云っては増税政策にシフトする政治と比すれば真逆である。

 これが角栄政治の要諦である。暫し沈思黙考せよ。立花―日共―その他馬鹿どもによって貶され続けてきている角栄であるが、歴史の評定は振り子のように然るべきところに戻るのを常とする。もうそろそろ角栄を角栄として評する時代になっても良かろう。

 2011.9.4日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№995  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月 9日

 【野田政権に対するれんだいこ書簡その2、ブラジルとの合弁事業「セラード農業開発協力事業」考】

「野田政権に対するれんだいこ書簡その1」で、角栄の国内産業に対する英明なる振興策を確認したが、「書簡その2」では角栄の対外支援の英明策としての「日本―ブラジル間のセラード農業開発協力事業」を確認する。

 この功績は余り知られていない。れんだいこもごく最近知り本稿を書き起こすことになった。一事万事の理で国内を能く制する者は国外をも能く制する、逆は逆であることが分かれば良い。

 1974.9.12日、田中首相が中南米のメキシコ、ブラジル、米国、カナダの4カ国歴訪に出発している。これが田中政権の6番目にして最後の外交となる。9.14日、メキシコ訪問。日本メキシコ学院の設立のための援助資金を持ち、 エチェベリア大統領との首脳会談で、「両国民の相互理解のために画期的な重要性を有するものであって、早期建設を支援する」旨の共同声明を発表している。

 9.18日、ブラジル-訪問。ガイゼル大統領と首脳会談し、日本とブラジルが共同して農業開発プロジェクトに着手することに合意し共同声明を発表する。これより早く次のような根回しが行われている。1973年、農林省がブラジル農業開発輸入検討に調査団派遣。1974.3月、コチア産業組合中央会(CAC)がミナスジェラィス州サンゴタルドに入植する。1974.8月、国際協力事業団(JICA)が発足する。

 日本とブラジルの共同声明の約束は守られ、1975年、ブラジル政府がPOLOCENTRO計画を策定する。同5月、経団連、日伯経済協力委員会の下部組織として日伯農業開発協力委員会を設置する。同6月、倉石農林大臣、9月、福田副総理がブラジルを訪問する。同10月、JICA、政府・民間関係者によるミッンョン(農林省国際協力課菊池課長補佐及び伊藤忠商事越後部長役)をブラジル派遣し基本的枠組みを決める。11月、JICAが調査団を派遣する。同12月、日伯農業開発協力推進議員懇談会が結成される(会長・倉石農林大臣)。

 1976.4月、「日本―ブラジル(日伯)セラード農業開発協力事業(PRODECER)」が設置される。同9.17日、日本政府がセラード開発計画を閣議了解する。ガイゼル大統領が来日し、セラード開発について「討議議事録」に署名する。これにより総事業費684億円が拠出されることになった。

 具体的には、多数の農業専門家の派遣、入植者717戸(内、154戸が日系農家)に対する融資、農地造成、灌漑整備の導入等々、ブラジルの近代農業を推進する事業となった。こうして田中首相が支援を約束してから約5年の準備期間を経て日伯合弁会社が設立され、国際協力事業団(現JICA)が出資する形で2001.3月までの21年間3期に分けて実施された。

 JICAのセラード農業開発プログラムは、日本のODA事業の中でも極めて規模の大きな事業となり、ミナス、ゴヤス、バイア、トカンチンスなど9州にまたがる(首都ブラジリアもこの地域に含まれる)熱帯サバンナ地帯の約面積2億ヘクタール(2,045,064km?、メキシコ並み且つ日本の約5.4倍ほどの面積)の潅木林地帯で土地の土壌改良による穀物栽培の開拓が行われた。

 これにより同地帯は一大穀倉地帯に変貌した。2008年のFAO(国連食糧農業機関)の農産物生産統計によれば、ブラジルはサトウキビ、オレンジ、コーヒー豆が1位、大豆が5924万トンと米国に次いで2位、トウモロコシも含めた輸出大国となっている。「セラード農業開発は、20世紀農学史上最大の偉業のひとつ」と評価されており、「セラード農業開発協力事業」は世界の食料供給基地をアメリカとブラジルの二極化することに貢献した。

 「セラード農業開発協力事業」2000年で一応終了し、その後を継いだ小泉政権以降の歴代政権は新方針を打ち出さぬ為に尻ぼみの状態になっている。尤も、現代においては森林資源保護と云う地球環境保護問題が絡み始めており、新たな政治能力が要求されている。それはそれとして、角栄政治がブラジルに貢献した偉業、世界の食料供給事情の二極化の成果を確認せねばなるまい。

 現在、この経験を生かしてブラジルと日本によるアフリカ支援へと繫がっている。2009.4月、日伯間で対アフリカ熱帯サバンナ開発協力の合意文書が結ばれ、その協力対象国として公用語がブラジルと同じポルトガル語のモザンビークが選ばれ三角協力の実施が決定した。同9.17日、モザンビークの首都マプト市で、日本、ブラジル、モザンビークの代表が、熱帯サバンナ農業開発推進合意文書に署名した。ブラジルのセラード地帯で日本とブラジルが行った熱帯サバンナ農業開発協力の知見をモザンビークひいては将来的にアフリカの熱帯サバンナ地域の農業開発に生かそうとしている。

 2010.5月、ブラジルは初めてアフリカ全土から農業大臣を招聘し、「ブラジルーアフリカ対話」会議を主宰した。ルーラ大統領は次のように述べている。「ブラジルは先進諸国に対して一緒にアフリカでの農業開発協力に取り組もうと長らく訴え続けてきた。そして、一カ国、日本と共同にてモザンビークで取り組むことが決まった」、「アフリカ熱帯サバンナはブラジル・セラードの農業潜在力をはるかに凌駕する。我々はセラード技術をこの広大な農業フロンティアに導入することができる」。

 以上の総評として次のように述べておく。ここにも角栄政治の卓見と功績を見て取ることができる。れんだいこが調査して判明する限り、角栄政治の秀逸さ―それぞれの課題に対して国家百年の見地から有能な判断と処理を為すことで日本丸を充分に舵取りしていたこと―に驚かされるばかりである。

 そういう意味で、角栄政治を悪しざまに罵る者の政治、評論ほどお粗末なものはない。近いところでは小泉、菅が角栄政治の真逆を行い国運を誤らしめ、にも拘わらずマスコミが提灯報道し続けたのは衆知の通りである。立花隆その他の売国奴エピゴーネンが未だに角栄批判のボルテージを上げ続けている。ことあるごとに角栄政治との距離を測り、接近しようとすると批判の太鼓を打ち鳴らし、反角栄政治にシフトすると喝采すると云う痴態を演じ続けている。

 この政治、論調にどう終止符を打ち、日本が自由、自主、自律の国内国際政治を御していくことができるのかが問われている。第二次世界大戦での敗戦から65年余、一時1970年代初頭に田中―大平同盟政治により半ば達成したかの感のあった主権政治がロッキード事件の喧騒を通じて元の木阿弥的植民地政治に戻されてしまって今日に至っている。与野党問わず政界上層部に屯(たむろ)するのはシオニスト宦官ばかりと云う痴態に陥っている。この不義を如何せんか。

 2011.9.9日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№996  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月 9日

【野田政権に対するれんだいこ書簡その3、どじょう政治考】

「野田政権に対するれんだいこ書簡その1、角栄政治の真髄を知れ」、「野田政権に対するれんだいこ書簡その2、セラード農業開発協力事業考」に続き「野田政権に対するれんだいこ書簡その3、どじょう政治考」を発信しておく。

 野田首相が、如何なる意味で「どじょう政治」を詠ったのかは定かではない。民主党代表選の演説で、相田みつを氏の作品句「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」を引用し、ここから野田式どじょう政治論が生まれているようである。これを教えたのが輿石と云われており、どじょうが取り持つ縁により野田政権発足に伴い幹事長に抜擢されている。

 れんだいこは、相田みつを氏の文句よりも「どじょう」そのものに興味を抱いている。野田の「どじょう論」は「どじょう」になぞらえての「どじょう政治」として云われているが、当然「どじょう精神」、「どじょう文化」、「どじょう経済」といろんな風に使うことができる。野田が本気で、こういう意味合いを持つ「どじょう」を掛け声しているのなら面白い。

 巷間、野田は、松下政経塾上がりの増税論者、反小沢として知られている。こたびの組閣を見る限り、この線からの大臣、副大臣、政務官が多数登用されている。その片方で、非増税論者、親小沢として知られている大臣、副大臣、政務官も登用されている。つまり、本来成り立ちにくい相反する二勢力を見事に混成させたのが野田政権の特徴となっている。これを仮に「どじょう組閣論」と命名する。

 この技を為し得る者は政界広しと雖も目下は野田一人かも知れない。野田は、この混成を「どじょう」と表現し、天才バカボン親父の言を真似て「これでいいのだ」と自負しているように見える。理屈は合っているように見える。

 しかし、こうなると、いずれ、本来成り立ちにくい相反する二勢力の衝突の日が訪れることになる。その日が近いのか遠いのか、それはまだ分からない。早くも前原系が右から揺さぶりに出ている兆候が認められる。問題は、「どじょう論」の神通力がどこまで効くかにかかっているように思われる。その効能次第で政権の長短が決まるように思われる。

 「どじょう組閣論」について論ずれば、鳩山政権も相反する二勢力のバランスにシフトしていた。ただ、鳩山政権の場合にはパワーバランスとして反小沢と親小沢を並列的に取り混んでいただけなのに対し、野田政権の場合には反小沢と親小沢を混成的にしているところに違いが認められる。つまり、野田首相は混合せしめる神通力を持っており、その言葉が「どじょう」なのではなかろうかと思われる。この言葉の魔力を見染めた野田は偉いと云うことになる。

 問題は、野田自身が、この「どじょう政治」をどこまで本気に育み、貫徹させるのかにあるように思われる。この元一日の日の誓いを忘れず、政治と政局を御して行けるのかと云うことになる。

 興味深いことは、れんだいこの理解する「どじょう論」によれば、野田のこれまで掲げてきた政治論、政策論は「どじょう論」によって自ずから変更を余儀なくされ、野田自身が自己否定を伴う脱皮を要請されることになるだろうと予見できることである。野田は、この自己否定の道へ進むことができるのだろうか。れんだいこの興味はここにある。

 れんだいこ式どじょう論によれば、「どじょう」とはまさに「土壌」であり、泥臭い土の中にまみれて生命を育む生き物である。この生き物は、見栄とか格好とかの金魚的な鑑照とは真逆の生活実利的な地味な生き物である。政治論で云えば、上部構造的大将論ではなく下部構造的兵卒論になる。野田は、「どじょう論」を口にすることで、政治の視座を下部構造的兵卒論に据えると表明していることになる。下部構造的兵卒論とは人民大衆論とほぼ等値の概念である。してみれば野田は人民大衆政治論を唱えていることになる。

 加えて、「どじょう」とは河川の地底に潜み泳ぐことで在地土着精神を表象している。してみれば、「どじょう政治」とは在地土着政治を表象している。政治に於ける在地土着性の肝要さは今日ほど要請されている時はない。多くの政治家が与野党問わずジャパンハンドラ―ズの指揮指令に服し宦官化していることは衆知の通りである。つい先日、前原が日本の国政の機密情報を米国政府公館に公然と売り渡している機密文書がウィリークスにより暴露された。

 これは何も前原に限る話ではあるまい。野田の「どじょう政治論」は、この売国奴政治に対する決別の叛旗となる可能性を秘めている。野田当人に果たしてその見識があるのかどうかは分からないが既に意識の基底で呟いていることになる。れんだいこが野田政治に注目する所以である。

 意識と云うものは長い練磨を経て熟成されるのが普通だが、突然にひょういする場合もある。これを宗教者の場合には神がかりと云う。或いは天啓と云う場合もある。野田の場合にはどちらか分からないが、政治的マヌーバーではなしに生涯を貫く赤い糸となることを願う。

 但し、最新情報で鉢呂経産相の「死の街発言」に対し、「不穏当な発言だ。謝罪、訂正してほしい」なる批判をしている。この早くも守りに入っている調子からすれば野田に期待するのは無理かもしれない。たまさかの「どじょう論」だったのではないかと思う。

 2011.9.9日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№997  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月10日

 【マスコミによる閣僚発言の政治主義的歪曲記事報道考】

 2011.9.8日、野田政権発足間もないこの日、マスコミが、鉢呂経産相発言を政治主義的に歪曲報道し辞任の流れを作ると云う不埒な事件が発生した。これを確認しておく。鉢呂経産相がする必要もない辞任を強要されている様子なので緊急投稿しておく。以下のサイトに書きつけておく。

 記事姿勢、論調論、事件考

ronpyo/mascomiron/kijishiseico/kijishiseico.htm

 マスコミの発言歪曲記事報道考

ronpyo/mascomiron/kijishiseico/hatugenwaikyokukijico.html

 この日、鉢呂経産相は、野田佳彦首相に同行して福島第1原発や原発から半径20キロの警戒区域を視察した。福島第1原発などを視察した際の印象について記者団に次のように語った。「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の街という形でした」。

 この問題で大騒ぎするのは悪質なフレームアップであろう。鉢呂経産相の「死の街発言」が問題なら、これまで左派圏で語り継がれている「死の灰発言」も問題にされるべきであろう。他にも「死の海」、「死の商人」等の表現もある。今後はこういう表現はできないのか、マスコミ諸君返答せよ。

 鉢呂経産相が、立ち退き命令でゴーストタウン化した福島原発近辺の「人っ子一人いない」情景に対し「死の街」と表現したとして、これが何で問題になるのか。れんだいこが現地へ行っても、そういう印象を持つだろう。マスコミは住民の怒りの声を次々報道することにより不適切発言であるかの如く誘導しているが、その魂胆こそ臭い。度が過ぎると言葉狩りになろう。マスコミは、鉢呂経産相の個性的表現を確認し、「で、大臣、この街は今後どうなるのでせう」と聞くのが仕事であるところ、「死の街発言」に飛びつ大騒ぎすると云う粗脳ぶりを丸出ししている。

 次にマスコミが飛びついたのが「放射能をつけたぞ」発言である。これにつき、当事者の毎日新聞記者が正確に報道する義務があるが今のところしていない。れんだいこ寄せられた情報によれば次のようなものである。「死の街発言」後の8日午後11時過ぎ、東京・赤坂の議員宿舎での取材で、10人程度の記者が鉢呂氏を取り囲み次のようなやり取りをしている。鉢呂経産相は防災服を着替えないまま議員宿舎に戻り、報道陣の取材に応じていた。

 記者「大臣(作業服)、着替えてないんですか」。大臣「今福島から戻ったばかりだ、そんな暇ないよ」。記者「じゃ福島の放射能ついたままですか」。大臣やや怒って、毎日新聞記者に近寄り、防災服をすりつける仕草をした。この時、「それがどうした? 放射能つけてやろうか?」と述べたと報道されている。

 末尾の「放射能つけてやろうか?」発言につき、鉢呂氏は、「(記者に)近づいて行って触れることもあったかもしれない。そういうこと(放射能をつけたぞ)は言っていないと思う」と釈明している。鉢呂氏は9日午後、「被災地に誤解を与える表現だった。軽率だった。被災をされている皆さんが戻れるように、除染対策などを強力に進めるということを申し上げたかった」と釈明している。

 この問題で責められるべきは果たして鉢呂経産相だろうか。どこの記者の発言か定かでないが恐らく毎日新聞記者として、この記者の「大臣(作業服)、着替えてないんですか」、「じゃ福島の放射能ついたままですか」発言の方が問題ではないのか。この記者は何が云いたいのか。防災服のままの姿を咎めたのではないらしい。「じゃ福島の放射能ついたままですか」の方に真意があり、その質問意図こそ詮索されねばなるまい。どういう意味の質問であったのか説明せよ。事と次第によっては、福島の原発被災地民の怒りは、この質問者の方に向かうべきではないのか。

 次に、「放射能つけてやろうか?」発言が為されていたとして、これを吟味したい。普通に読めば、放射能汚染を恐れる記者の様子を面白がって、近づくことにより「付くぞ、付けたろか」とからかった感じである。これが本当なら不謹慎であるが、誘導誘発した記者の質問の仕方にも問題があるのではなかろうか。手前は云いたい放題、相手の返答は逐一問題にすると云うのはヤクザの云いがかり論法である。大臣が放射能がついたままの防災服を着たままでいることは問題と思うが、そのようには問うていない。鉢呂大臣は、そのことに気が回らないほど被災地及び汚染問題を真剣に考えていた、その結果としての防災服着用姿だったと受け取れば美談になるような話ではなかろうか。

 毎日新聞記者の証言を要するところ記事がないのも釈然としない。仕草だけだったとも云われている。だとすれば「放射能つけてやろうか?」は捏造記事と云うことになる。仮に捏造なら、そういうものを大々的に報道した記者及び関係者は懲戒免職に値する話になる。今後の一罰百戒の為にも、そうせねばならない。その前に、鉢呂経産相の実際の発言をはっきりさせねばならない。

 この経緯にいして、野田首相も藤村官房長官も鉢呂経産相を庇っていない様子がうかがえる。本来は、「どういう状況、経緯のなかの発言か確認したうえでコメントする。今は情報収拾の段階である」云々で良い。この弁のないままに非常識発言として咎めているのは早計ではなかろうか。

 問題は、マスコミの変態的な嗜好性にこそあるように思われる。この時期の真の重大発言は、前原政調会長のワシントンでのトンデモ発言の方である。これを論評せぬままやり過ごし、鉢呂経産相発言に対して重箱の隅をつつくような報道の仕方こそ不正にしてイカガワシイ。自公、みんなの党―マスコミ連合の大騒ぎは虚に吠えているだけの党利党略でしかなく、これまたアホウ丸出しである。

 2011.9.10日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№998  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月17日

 【野田政権に対するれんだいこ書簡その4、角栄の反民営化論、反増税論を傾聴せよ】

 「野田政権に対するれんだいこ書簡その4、角栄の反民営化論、反増税論を傾聴せよ」を発信しておく。野田が「どじょう政治」を目指すなら、範とすべき角栄政治論へ辿り着かねばならない。ここでは反民営化論を論証しておく。

 角栄は、中曽根政権の民営化路線に終始異論を唱えていた。だがしかし、ロッキード事件にはがい締めされ、金権政治の元凶として十字砲火を浴び続けている折柄であり、角栄の言は掻き消された。れんだいこは、月刊誌「現代」誌上の寄稿文で知り、凄いとうなった覚えがある。

 目下、これがネット検索で出てこない幻論文となっている。知人のH氏にお願いしていたところ、1985(昭和60).8月号の月刊現代に「田中角栄 国鉄廃止なんて愚の骨頂だ!」を入手してくれた。久しぶりに読んでみたが、れんだいこの記憶している論文と違うような気がする。ひょっとしてもう一本あるのではないかと思う。これを探さねばならない。とりあえず、これをベースに角栄の反民営化論を傾聴する。既に、「れんだいこのカンテラ時評890、角栄頭脳発見の旅 田中角栄の幻論文『国鉄廃止は愚の骨頂!』を発掘せよ」で言及しているので重複は省く。

 角栄と国鉄民営化論者の視点差は、民営化論者が目先の単事業単年度利益を重視するのに対し、角栄は国鉄が果たしている役割を総合的に捉え、単事業単年度利益判断に反対していたことにある。角栄に於いては、都市計画には道路と鉄道が基盤になるものであり、先行投資する訳であるから赤字は当たり前であり、国家財政で賄うべしとしていたと思われる。道路と鉄道による都市創造により、やがて国家税収か増すのであるから、国鉄赤字を大仰に云うのは反対としていた。

 どうしても黒字に持って行くのであれば、黒字になるよう民間鉄道並に規制緩和し、沿線の宅地開発やホテル経営等の副次的業務の許認可を与えれば良い、これをさせずに於いて国鉄赤字を騒ぐのはケシカランとしていた。これは何も民営化でなくてできる訳で、体制として国鉄のまま一部民営化的事業を導入して対処すれば良かろうとしていた。

 このことを次のように述べている。

 「それを北海道が赤字だから鉄道外せ、なんていうバカがいる。バカと云うのが悪かったら、利口でない人の暴論、バカ論です。たった百十年前に人口四万人足らずの北海道が、今、人口五百七十万人になる為には、彼らがどれだけの苦労をし、辛酸をなめてきたか。北海道の鉄道は全部赤字です。これから百年赤字だ。その代わり、鉄道の赤字の何万倍以上、国民総生産に寄与しているじゃないの。(中略)それを短絡的に赤字だから鉄道を外せと暴論を吐く。北海道には五百七十万人、札幌には百五十万人おる。生産はないし、物価は日本一高い。それでも北海道に人がいるのは、北海道に生まれ育ったからだ。北海道に骨をうずめるつもりなんだ。何も北海道だけでなく、これは地方のあらゆる都市に共通していることでしょ。そういうことを考えない政治とか経済とかというものは、もうたわごととしか思えないね、私には」。

 れんだいこの記憶によれば、角栄は、月刊現代寄稿文の一節で、中曽根式国鉄民営化論による赤字線廃止をすれば、これまで投資した北海道開発費用が反故になり、それによる損失の方が国鉄赤字よりも深刻であり、国家財政の大負担になって跳ね返ってくるであろうなる卓見を述べていたように思う。あれから30年、北海道は角栄が危惧した通りの過疎と荒野が進みつつある。この地域の再開発は気の遠くなる話となってしっぺ返しされている。角栄の指摘通りではないか。

 考えてみればオカシなことに気付く。中曽根政権時代、国鉄、電電公社、日本専売公社の民営化(Privatization)に乗り出したが、国家主義の立場に立つ時、果たして必要だったのだろうか。中曽根自身は国家主義者として売り出しているので、その中曽根がやることがまさか反国家主義とは思いにくいが、その間隙を縫ってやっていることは厳然として国家主権の剥ぎ取りである。

 小泉政権時代、中曽根と同じように靖国神社を公式参拝して国家主義者として売り出したが、郵政民営化、道路公団民営化は国家主義の見地からすれば同じく由々しき主権の剥ぎ取りではなかろうか。角栄式に国有公営企業体制下での機構改革で間に合うものをの敢えて民営化にさせ、国家権能を著しく低下させているのではないのか。相当の国家機密が漏れやすくなっているとも思う。

 留意すべきことは、国家主義とか民族主義をことさらに叫ばないハト派系政治がむしろ国家権能を維持しようとしており、国家主義とか民族主義をことさらに叫ぶタカ派系政治が国家権能剥離に動いていることである。普通のロジックでは有り得ない逆さま事象なのであるが、実際に起っていることである。

 これを解くのに、大田龍―れんだいこ史観のプリズムを通せば分けなく説ける。即ち、戦後タカ派系政治とは60年代の岸、80年代の中曽根、2000年代の小泉と共通して国際金融資本帝国主義のエージェント下僕であり、彼らの意思を請負しているけばけばしいピエロに過ぎない。故に、口先で国家主義を演出すればするほど裏で民営化と云う名の国家主権売り渡しに忠勤して恥じない。岸、中曽根、小泉は突出したエージェントであった故に右代表式に挙げているだけであり、その他歴代の首相はハト派系以外ほぼ全てこの手のエージェントである。念の為云っておくが、三木はタカ派系政治の範疇の者であり、マスコミの説く如きのハト派像はインチキ評論でしかない。

 れんだいこが、ここで何故に民営化論を採り上げるのか。それは野田の増税論と重なるからである。野田の増税論は今後どう展開するのか予断を許さないが、民営化論になぞらえれば推進側の論理論法である。我々は、中曽根政権の国鉄、電電公社、日本専売公社の民営化に断固反対した角栄の国有化維持&構造改革論こそ採るべき道と悟るように、民営化論側の野田式増税論と厳しく対決せねばならない。

 野田が、孫子の代までツケを先送りしないと云うのであれば、こちらの方に力点があるのであれば、孫子の代までツケを先送りしない反増税の道を訪ねねばならない。その方策ありや。れんだいこはありと答える。これについては以下具申することにする。

 2011.9.17日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№999  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月20日

 【野田政権に対するれんだいこ書簡その5、増税中毒路線批判】

 これまでは野田政権エールの書簡であった。これより批判の書簡に転ずることにする。9.20日、野田首相は就任後発の外遊となる米国詣でに向かった。オバマ米大統領との初の首脳会談が予定されている。その場で、かねて打ち合わせ通りの増税の言質と、その際の見返りとして相当額の資金の米国貢ぎが約束させられることになろう。「思いやり」から一気に「恩返し」へと質的に高められたものを要求され応えることになろう。この言の確かさは間もなく判明する。

 こうして見れば、日本人民大衆に今課されようとしている増税は日本政治の内的必然性よりもたらされているものではなく、外圧要請によるものだと云うことが判明する。野田政権はこれに応えようとしている。その姿勢は、日本経済を壊滅させ、IMF管理に置いて後、かねてより日本熔解、解体後の日本の調理を企図するジャパンハンドラ―ズの対日支配教程に基づく指令の請負であり、邪悪な意思と意図により画策されていると云うことになる。してみれば、野田首相御一行は飛んで火に入る油虫そのものである。あるいはモグラであり強烈なモグラ叩きに遭わされるであろう。

 さて、ここから野田政権批判に入る。しかしながら野田よ、「どじょう政治論」を掲げて野田政権の元一日とした以上、この信義を重んずるのが政治の筋と云うものではなかろうか。野田自身が政権公約第一号を反故にすることは許されない。しかし、野田にはこの声は届かないだろう。それはそれとして以下呼びかける。

 野田は、「どじょう政治論」に従う限り従来の野田式増税論を吟味せねばならぬのではなかろうか。財政悪化、社会福祉財源の確保を理由として増税せんとしているが、その方策が本当に増税に拠るしかないのだろうか、他に有能な方法がありやなしや、かく問い、これを真剣に議論することの方が先決なのではなかろうか。かかる経緯を経て始めて政策化されるべきではないのか。これこそ政治家の眼力と胆力が発揮される舞台であり役目なのではなかろうか。

 議論に費やす日時に猶予がないなどと云うのは粗脳政治家特有の言である。目下のような殆ど何の議論もないままの、仮にあったとしても上滑りの議論のままに拙速で増税が政策化されるのを危惧するのを政治家の矜持とすべきではなかろうか。れんだいこは、野田式増税論が取り返しのつかない日本経済大打撃を与え、邪悪なシナリオの袋のネズミへと追い込まれようとしていることを危惧している。

 以下、れんだいこの方策を授ける。その一は、従来式の節税狙いの機構改革である。いわゆる冗費削減と云うことになるが、これはやれば良い。但し、これまで橋本政権時の省庁再編、鳩山政権時の機構改編を経てきているが何の役にも立たなかったのではないのか。

 省庁再編は大蔵省を財務省にと云う具合に省庁名が紛らわしいものに代えられ、厚生省と労働省の統合による厚生労働省、運輸省と建設省と国土庁を国土交通省、北海道開発庁と環境庁を環境省と云う何の意味もない、と云うかむしろしてはならない行革をしただけに過ぎない。その後の新たな機構の続々たる創設を考えれば馬鹿騒ぎでしかなかった。それぞれの新省庁の機構改編もつけ刃でしかなかった。要するに日本経済の発展の為には余計な機構いじりでしかなかった。俗に云う「隔靴掻痒」の感がある。

 節税対策に真剣に取り組むのなら余計なことをせずにズバリ軍事費、原発費に手をつけねばならない。ここを聖域にして省庁再編や小額予算のものを更に削るのは単なるパフォーマンスの政治遊びに過ぎない。これがイロハのイである。だがしかし、このイに手をつけずロハ的な機構いじりをするから、マジメそうに議論しても何の役にも立たない。

 と云うか、直近の鳩山政権時の枝野―れんぼう式予算カットを見よ。必要なものの予算を削る悪質なものでしかなかった。単に大騒ぎしただけのことであった。次回の投稿で述べるが、殆ど「天下り高給与」の規制で解決するものばかりであった。それをせずに予算のみ削る方法に何の正当性ありや。かの時、何をやったのかもう一度はっきりさせる必要がある。ハンドラ―ズのシナリオに乗り国家百年の計に資するものが狙い撃ちされていたことが判明しよう。野田政権は枝野―れんぼうライン引き続き重用しているが、これまた胡散臭い。

 軍事費、原発費に手をつけた後に我が社会が真に取り組まねばならないのは高額給与問題の方である。1980年代以降、国際金融資本の息のかかった中曽根系御用聞き政治の登場によって、我が社会の所得格差が格段に広がり始め、小泉時代の竹中路線により一挙に超高額所得者が雨後のタケノコのように出現し、その代わりに戦後日本が誇ってきた中産階級が壊滅させられ、低所得者層が大量発生しと云う具合で、今や由々しき事態になっている。

 かく認識せねばならない。これを思えば今こそ我が社会に適正な給与体系を確立せねばならない。この問題に切り込まない財政論は全てニセモノと断じて良い。順序として給与問題の方が先であり次が冗費削減であろう。給与問題を解決すれば大方の問題が自動的に解決される。逆は逆である。

 これにつき、鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が偉大な貢献をした。竹原市長は、全職員の給与明細を公開し、予算に占める公務員給与の実態を明らかにし衝撃を与えた。それによると、阿久根市の年税収は2006~08年度平均として僅かに20億円のところ、職員の人件費総額は約17億3千万円、実に予算の86%強を占めていると云う驚くべき実態が判明した。他の市町村も大同小異と思われる。

 この例に倣えば、都道府県公務員給与、国家公務員給与の予算に占める割合をも公開させねばならない。これを為し得て初めて適切な対策を講ずることができる。ところが、この肝腎な情報が秘匿され続けている。いずれにせよ、竹原市長が暴露した職員給与の予算に占める割合が86%強なる機密情報は、公務員給与の是正なくしては財政再建も日本再建も始まらないことを示唆している。

 これに対処する為の審議会が開かれるが、粗脳の学者を使って出てくるのは決まって「一律何%カット」と云う方式である。これは小手先の誰でも答申できるおざなり改革でしかない。上から下までの一律カットは、下の側に位置する労働者にのみ苛酷で、労組の反発を生むばかりであろう。労働意欲の低下を考えると至極尤もであり、つまり功を奏さない。要するに急所を外している。為さねばならぬことは、労働の質に比して卑大な高額給与者の給与の適正化を図ることであり、これに適正な処方箋を調合しない限り事は処理されない。

 ここを質して次に景気振興対策つまり持続可能な経済成長システム、現下ではこれにエコエネ問題を含めた総合対策を講じねばならない。出るを吟味し、入るを増やさない限り対策にはならない。現下の如く入るに工夫を凝らさぬままずるずる逓減し続け、他方で出るをザルにしたままの放漫財政では事態は打開できない。

 これに対し、増税に次ぐ増税の中毒路線に突入しようとしているが、よほどバカげた政策と云わざるを得ない。事態がこじれるだけで却って悪化するのは火を見るより明らかである。ならばどう施策すべきか。論をこう云う風に設定すべきではないのか。今時の論には、医業の細分化の例に似て特殊分野の専門家は育成されているが、全体を束ねる医者、医院が居ない。その場は治まるが「手術は成功した。しかしながら余病を併発し患者は亡くなりました」式のトンチンカン処方が多い。

 故に、名医を探せ。名医に国政の舵を取らせよと云うことになる。このことが今ほど望まれていることはない。次に、いよいよ高額給与問題の処方箋を出してみる。

 2011.9.20日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№1000  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月21日

 【野田政権に対するれんだいこ書簡その6―1、高額給与法案考】

 本ブログが、れんだいこの「カンテラ時評」1000回記念になった。これに値するものであるのかどうか世に問いたい。以下、高額給与問題の処方箋を出して賛否両論を蒙りたいと思う。

 丁度今、元毎日新聞記者にして政治経済評論家の板垣英憲氏が、9.20日付けブログ「野田佳彦首相は、国家の非常事態を救うため『金持ち大増税』で富裕層の『愛国心』の有無を試せ!」で、れんだいこ処方箋とハーモニーする主張を述べている。

 れんだいこが一番欲していた下りは次の個所である。「西郷隆盛翁の『南洲翁遺訓の13』をいま一度、拳拳服膺すべきである。『租税を薄くして民を裕するは、即ち国力を養成する也。故に国家多端にして財用の足らざるを苦しむとも、租税の定制を確守し、上を損して下を虐げぬもの也』。要するに、かつて大蔵省が所得倍増論を編み出した下村治さんを輩出したように、『第2、第3の下村治』を生み出す努力をする必要がある」。実にその通りと思う。

 (http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/cfb52fe06e5e19304ccac6c98362a4f1

 今や我が社会の最大の問題は所得格差である。これに関連して、既に欧米で富裕層や大企業の経営者自身が「われわれに課税せよ」の声が挙がり始めている。この間の行き過ぎた資産家優遇政策の見直しが必要に迫られつつある。他方、日本の経団連は9.14日、税制改正に関する提言を発表したが、消費税増税の必要、法人税の5%減税、個人所得税の最高税率の引上反対を指針させた。トラック競技で二周ほど遅れたバカの一つ覚え提言をしていることになる。

 高額給与問題は次のように処方されねばならない。今現在の収入感覚で云えば年収500万円辺りはどうでも良い。問題にすべきは年収1000万円以上、数億円、数十億円を手にする者に対する対策である。既に相当数の者が対象になる。こうした高額給与に対する規制が急務となっている。現実策としてまず公務員に適用し、民間系に右ならえ式の対応を促すのが良かろう。但し、松下幸之助翁が高率累進課税を嘆いていた経緯があり、この嘆きの理を汲み、翁が得心する工夫をせねばならない。

 高額給与の境をどこで仕切るべきか。れんだいこは、分かり易い意味で一人当り年収1000万円をラインとする。但し、年収800万円以上を高額給与とみなす方が実効的であると思われるので仕切りを二段階にすることにする。これによると、年功序列的昇給の場合には毎月60万円の給与で年収720万円。これにボーナスを80万円付けて800万円とする。初任給に対して年功と通常役職を上積みして行き最終800万円になるような給与体系を作れば良い。これを所得モデルとすべきではなかろうか。

 今現在の収入感覚論で云えば、年収800万円あれば充分食えるし、家族を養う事ができ、多少の余暇予算を持つことができ、生活意欲を高めることができる。この給与帯が一番能く働くことも分かっている。

 圧倒的多数が年収500万円前後であることを思えば、年収800万円を充分高額給与と思うべきだろう。これを公務員給与のひな型とする。年収800万円より年収1000万円の間を能力手当とする。年収1000万円を超える手当は特能手当とする。これに値するのは役所の代表クラスに限定する。その識別には手引きを設ければ良かろう。

 そもそも公務員の労働において、年収800万円を超すような能力労働がある訳がない。現行の如く年収800万円を超える部分がいとも容易く支給されているのは、単に従来式の年功序列的給与体系からところてん式に生み出されている悪乗りでしかない。れんだいこは、給与制度を根本的に見直すのは所要の手続きと時間を要すると思われるので、できあいの機構、制度をそのままに踏まえたうえで「年収800円縛り+年収1000万円縛りの二段構え策」を授けたい。

 具体的には、従来の徴収方法はそのままに施行する。これに加えて新たに年収800万円を超える部分に対して特別に「3割特別加算税」、年収1000万円を超える部分に対して特別に「4割特別加算税」を課すべしと思う。これは、「年収800万円以上の所得に対する新たな課税」であって、これ以上の支給が認められないと云うのではない。年収800万円以上の所得に対しては高率の税金が賦課されることを意味している。

 これにより、それほど税金徴収されるのなら意味がないとして「年収800円縛り」の線に留まることが予想される。となれば給与の相対的均一化が生じるであろう。それで良いではないか。これを仮に「高額給与法案」と命名する。

 高額給与法案により徴収される税金の会計を別にして、これを国が借り受ける形にする。但し、その支払を「有る時払いの催促なし」とする。こういう新たな借金を創造すれば良い。国債とは別発想の国の新たな借金種と位置づけることができる。国は該当者の名簿と返納金額を管理しておき、景気回復で世が良くなれば合理的な返済をすれば良い。その財源を景気振興策にのみ使い、そこから生まれる福利で払い戻せば良い。

 且つ高額給与納税者がその後の事情によって失格した場合、所定の手続きを経れば、それまで納めていた返納金額の半額を上限として引き出し利用できるようにすれば良い。このエリートによる組合が組織され、県単位、国単位の年次総会が開かれ、財源の有効利用に対する議論と成果報告が行われれば尚良い。

 公務員高給与は、そもそも不当に上積みされて支給されているところの類であり、これを没収されても仕方のない貪りのところを国が一時預かり式に借りると云うのだから異存がない筈である。公僕使命を持つ公務員がまず範を示し、これが民間給与の在り方を規制して右倣えせしめていくのが望ましい。最終的に官民問わずとなれば良い。これを国家の新たな財源にすればよい。

 これは明治維新期の版籍奉還、廃藩置県に匹敵する事業ではなかろうかと思われる。こういう創意工夫によってのみ目下の財政改革が為し遂げられる。ここに踏み込まず、徒に欧米式の国債発行、消費税導入で対処せんとするのは何の役にも立たないどころか有害なものでしかない。付言しておけば、国債発行、消費税導入のどちらもが国際金融資本による戦争政策に伴い導入された悪税である。各国ともこれに苦しめられているのは衆知の通りである。

 現在、欧米式の超高額給与支給方式が導入され定着しつつあるが、我が社会に於いては昔から、そういう富の偏在は馴染まない。労働能力に差があるのは事実であるから所得格差が生じるのは致し方ない。しかしながら、或る団体内での最低賃金者と最高賃金者の所得差は10倍以上であってはならないとする内規を拵えるべきで、これと高額給与法案」をリンクさせるのが良い。即ち団体の長の所得は初任給に対して10倍以内に押さえられねばならないとすべきで、仮に初任給を年収300万円とすれば10倍の3000万円が最高額となる。

 800万円を超す者は部長(局長)級以上として、仮に特別役職手当と命名するとして1ランク上がるごとに相応の上積みをして行けば良い。スペシャリスト的能力給も然りであろう。地方公務員の市町村の場合には首長を最高職として年収1500万円もあれば良いのではなかろうか。都道府県の場合には市町村の3割増として2000万円、国家公務員の場合には、都道府県の3割増として2600万円を最高額の目安とすれば良いのではなかろうか。

 今、民間では、日産のゴ―ンを始めとして外資系の進駐軍的経営者が年収数十億の給与を取得している。これに倣う企業が続々と生まれつつあり、高齢重役者が卒倒する高給与を支給されている。そういう所得格差拡大式の給与体系が生み出されているが馬鹿げていよう。民間給与は原則として任意であるべきであろうが、公務員的基準を設けることで次第に均していくのが良いのではなかろうか。

 公務員の場合には、最低賃金者と最高賃金者の所得差は10倍以上であってはならないとする内規を拵えたが、民間の場合には浮き沈みを常としているので制限を緩くしてもせめて100倍以内とすべきだろう。仮に初任給を250万円とすれば100倍で2億5000万円が最高額となる。ここまでが認められる限度としよう。不足と云うのなら初任給を上げるようにすればよい。民間がそれほど高いのなら公務員なぞやってられねぇとする者は民間へ行けばよい。公務員は公務精神を尊ぶ者が選抜されるべきだろうから。

 これが基本である。但し、これは公務員を基本とする長期勤続定年制の給与体系の場合の処方箋である。世の中には一時稼ぎ的職業も存在するので、これについては次章で補足する。

 2011.9.21日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№1001  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月21日

【野田政権に対するれんだいこ書簡その6の2、高額給与法案補足考】

しかし、こうなると、高額給与法案による国庫返納金が多い者に対して対価的な優遇措置をどう講ずるべきかが講ぜられねばならない。納税特別貢献者として表彰し且つ様々なプレミアをつけて優遇措置を講ずるべきであろう。何を優遇すべきは追って詰めて行けば良かろう。松下幸之助翁が満足するような措置を講ぜねばならない。これについては後で触れることにする。

 高額給与法案を導入すれば天下り問題などは忽ち解決する。目下の天下り全面禁止論は現実的ではない。我々が天下り問題に於いて怒るのは天下りそのものではない。公務員は定年が早いので天下り先も必要であろう。問題は、二次奉公であるにも拘わらず且つロクな仕事もしていないのに高給与、且つ高退職金のウグイスの谷渡りをしている高級官僚が相当数存在することである。これを掣肘せねばならない。

 天下り機関の給与は、純民間の中小零細企業の労働者、経営者の如くの労働実態に相応しい報酬で報われるべきではなかろうか。仮に平均月給50万、年収600万円として充分な支給ではなかろうか。ここでも「年収800円縛り+年収1000万円縛り」が適用されるべきであろう。理事長クラスで月給100万、年収1200万もあれば充分ではなかろうか。退職金も普通通りの支給であり僅か数年で数千万円貰うことなぞ許されるべきではなかろう。

 この高額給与法案により幾らの財源が生まれるのかどうか分からないので試算をお願いしたい。恐らく官民合わせればン千億円になるのではなかろうか。ン百億円ではない気がする。仮に思ったほどの財源にならないとしても、人の生き方、社会の在り方がよほど真っ当なものになるのではなかろうか。個人の利福と国家及び社会の利福が調和し、歪んだ社会から真っ当な社会へと転換できるのではなかろうか。目下の格差社会は人工的に造られた悪政の賜物であり、国際金融資本の得手とする搾取制に起源を発しているものとみなせる。我が社会には、かようなものは似合わぬ。上が民の竈を思いやる精神、労働を通じて社会に貢献する精神が貫かれなければならない。

 次に、先のブログの末尾に記したが、世の中には60歳定年型給与ではない、スポーツ選手等の一時稼ぎ的職業も存在するので、これについて処方箋しておく。体力消耗等により短期の一定期間しか稼げない業種については当面現行通りで良いのではなかろうか。作詞作曲著作等の文能利得、発明対価的な特許利得も然りで、当面現行通りで良いのではなかろうか。労働能力の在り方の違いとして認められ、国策上の見地から優遇されるべきであろう。株式、不動産収入に対してはむしろ分離課税方式にした上で現行通りで良いのではなかろうか。これでほぼ全部の収入形態に言及できたと思う。

 高額給与者が既に高額給与を前提にして借金を背負っている場合、あるいは背負う場合にはどうするか。これについては、その返済額部分が全額「特別加算税」から控除され、課税を免れるよう措置すべきだと思う。例えば学資、住宅、車両、医療、介護等々のローン費用が毎月の給与から差し引かれている場合、あるいは現実に出費が証明される場合には、これに配慮せねばならないと考える。こういう具体的措置については更に精緻に深める必要があろう。

 高額給与法案」はもう一つの縛りを要件とする。それは、給与がかように制限される政権される対価として、団体としての交際費、接待費、外渉費、支援費、寄付金等を大幅に会計経費に認められるようにしてはどうだろうか。即ち役職者の権能に於ける自由裁量的使途が団体会計経費に大胆に認められるべきである。これが役職権限のうま味になる。

 松下幸之助翁に打診したいところだが、翁の裁量で会社の経費を使っていろんな使い方ができるのであれば、個人給与を馬鹿高くするより賢明と云うべきではなかろうか。もう一つ。雇われ社長でない創業者社長及び取締役などは、保証人になるなどして企業と運命を一体化している限りにおいては、従来は個人給与から支出していた子供の養育費、車両購入費等の経費も社内経費として認められるようにするべきであろう。

 これらの諸問題は全てを経済活性化のカンテラで照らせば解ける筈である。景気が良くなるように政策誘導するのがコツである。こうなると税法の大幅な変更が要件とされることになるが、却って税収が伸びるのではなかろうか。分かり易く云うと、役所であろうが民間企業であろうが人が街に繰り出して使える資金が豊かになるように施策せよと云うことになる。今は逆のことばかりしている。

 目下の税法は複雑さにおいて自縄自縛に陥っている。新たな視点からの原理原則に基づいた新税法への転換が望まれているのではなかろうか。根本的には向こう10年、20年の審議を経て再構築される必要があると思う。れんだいこがなぜこういう発想をするのか。それは現行の仕組みが不景気になるよう誘導されているからである。逆発想から構想した次第である。

 野田首相の「どじょう政治論」が真っ当なら、財政再建、財政改革を名目とする増税の前にやらねばならぬことが以上述べた給与改革、税制改革、経済改革、政治改革であろう。れんだいこは、こういう政治を夢想とする。まだ試案段階であるが、野田政権が、面白いと受け止め早急な検討に入ることを望む。消費税の増税に次ぐ増税の薬物中毒の道に入り込む前に検討すべきと思う。

 これに手をつけず背を向けたままの増税論の何と安逸軽薄なことか。かく大ナタを振るえば良い。いろいろ抜け道が生まれるかもしれないが、それは試行錯誤で手引きを作って行けば良かろう。こういう政策の可能性について真剣な議論を経ぬうちの増税は「どじょう政治」に馴染まないのではなかろうか。昔から「新しい革袋には新しい水を入れねばならない」と諭されている。かく提言しておく。

 政治家の給与について一言しておくと、政治家とは選良を選ぶ大事な国家的営為であるから、選挙期間中を含むネットの全面活用を認め運動費の削減策を講ずるべきである。且つ、基礎票縛り付きで選挙資金の一定枠を国家がみれば良い。例えば、国政&首長選で2千万円、県議選で1千万円、市議選で500万円支給すれば良い。こうすることにより政治家の給与をも特例とすることなく一般化することができよう。

 更に、政治資金規正法は全申告公開を要件として企業、団体、個人献金ありの方が良かろう。政治家を貧する状態に置くことは却って危険であると考えるからである。政治家が自律して国政に関与できるような仕掛けを講ずるべきである。政治家を窮させると国際金融資本の狡知に嵌められる恐れがある。徒なキレイ潔癖を求めるのは却って裏があると読むべきだろう。

 2011.9.21日 れんだいこ拝

お久しぶりです  投稿者:グッキー  投稿日:2011年 9月23日

お久しぶりです れんだいこさん

米国の最上位の富裕層は、所得に占める税の割合が十数%で、次の階層より大幅に所得に占める税が低いということを知っていますか。

これは利子配当課税が低いからです。
日本も同じことが言えます。最上位の富裕層は労働などせず、不労所得、利子配当課税、賃貸料など、あるいは株の売却益、不動産の売却益などで所得を得ていますから税率が低くなるのです・
賃貸料などは会社を設立し、会社の所得、法人税として申告しますから、所得税より低く成ります。

何で所得税の重税感が大きかったのか、日本では働いてお金を貯めようとする人より、最上位の富裕層の方が税率が極度に低かったからです。
働く人には重税を、不労所得の富裕層には軽税をという仕組みだったからです。

これを無くすには国民背番号制を導入し所得を捕捉し、総合課税制度を導入しなければなりません。

しかし国民背番号制を導入している米国でも利子配当課税は低いままです。
これはグローバル経済で資本の移動が自由で、税率を上げれば資金がどんどん、税率の低い国、タックスヘイブンなどに逃げて行ってしまうからです。

まあ、東京23区で消費税率が違えば、みんな消費税率の低い区に買い物に行くのと同じことです。
グローバル経済という環境の下では税による富の再分配という方法は難しくなったので、別の方法を考えなければ成りません。


「れんだいこの高額給与法案」について  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月25日

グッキーさんちわぁ。御指摘の米国の最上位の富裕層の税の軽減問題、それの日本への浸透等、即ち「働く人には重税を、不労所得の富裕層には軽税をという仕組み」は、いわゆるネオシオニズムの選民―ゴイム思想に基づく収奪システムと考えれば説明がつくと思います。我々は別系の助け合い的納税システムを考案せねばならないと考えております。「れんだいこの高額給与法案」はまだ練りが足らない試案ですが骨格は参考になると思っております。

 「これを無くすには国民背番号制を導入し所得を捕捉し、総合課税制度を導入しなければなりません」についてですが、国民背番号制は悪用されることに対する警戒が必要と考えております。国民背番号制に繫がらない歯止めつきの地方自治体ごとの把握で十分ではないでせうか。総合課税制度についてですが、税法は詳しくないのですが、本体を総合課税、収益的にものついては分離課税の方が筋が通っていると考えております。これについてはカンです。議論できるほどの知識はありません。

 「グローバル経済環境下での税による富の再分配」についてですが、「れんだいこの高額給与法案」により住民移動が起こるとは考えておりません。不足を補えば、都市と田舎の地価とか家賃の差が歴然としており、適正な変数を組み合わせる必要があると考えています。その他尤もな理由の変数を加え、緻密にして行けばよいと考えております。要は、現行の税法ではもはや対応が難しいのではなかろうかと思っており、抜本的な新税法の必要を構想しております。れんだいこの案は見通しを試案化した段階であり、いろんな案が出て叩き台として検討して行けばよいと考えております。というようなことでまた。

 2011.9.24日 れんだいこ拝

お誘い  投稿者:高槻成紀 メール  投稿日:2011年 9月28日

> No.21[元記事へ]

高槻成紀
です。たまたま訪問しました。よろしければ「がんばれナラの木」に岡山版をご紹介いただけませんか?中国地方はまだありません。このサイトから私が引用するのははばかられますので、私のブログがメールに投稿いただくという形をとらせてください。

「がんばれナラの木」  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月30日

 高槻成紀さんちわぁ。どうぞご自由に使ってください。著作権なんたら主張するつもりはありません。

「がんばれナラの木」  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年 9月30日

 高槻成紀さんちわぁ。今メールを差し上げようとしましたらうまくいきません。よろしければお手数ですが転載で吉備太郎版としてアップして貰いたいです。有り難いことです。

れんだいこのカンテラ時評№1002  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年10月 4日

 【平松式超電導発電機】

 滋賀県草津市に住む大工を生業とする平松敬司(73歳)さんが画期的な超電導式発電機を考案した。素人の知恵が玄人を上回った事例である。れんだいこは理系に弱いので意を尽くして説明することはできないが、これを確認する。私も平松さんを見習い、考案するなり著作するなりして何がしか世の中に貢献しつつ飯が食えるようになりたいと思う。

 発想はライトをつけて自転車を漕いだ時の重さだった。一日の仕事で疲れた体にはキツかった。回転する磁力板がS極とN極の因果によりコギングトルクという抵抗現象を生み、回転負荷がかかる為に発電機がスムーズに回転せずペダルが重くなると云う現象だった。これがどうにか軽くならないかと常々思っていた。

 平松さんは、定年後、長年の懸案だった自転車ペダルのlふみこみを軽くする研究をしてみようと思い立った。欲得で始めたのでない、世の中に利便をもたらそうとする至情から始まったことが分かる。これが平松式超電導発電機の元一日となった。この時点では、それが発電機革命に繫がるとは夢にも思わなかったであろう。ここから平松式エジソン物語が始まる。

 近くの自転車屋で自転車ライトの発電機を貰い分解したところ、磁石とコイルが結び付けられているだけの簡単な仕組みだった。平松さんは、自転車ペダルの発電機抵抗を軽くしようとの一念で思いを凝らし始めた。或る時、「磁石を二つ並べたらどうなるのだろう」と着想した。二つの発電機の位置を変え、磁石特有のS極とN極の調整を試み始めた。試行錯誤の末に抵抗感が低減される感触を得た。「これはいける」と確信したと云う。奥さんに頼み込んで老後の蓄えを注ぎ込んだ。旦那の心意気に応じた奥さんも偉い。

 昔の仕事仲間に声をかけたところ、電気職人の松下誠一さん、金属職人の関田明さんらが呼応した。こうして3年間試作品を作り続けた。真ん中に1本の軸を通し、その中に磁石を取り付けた回転円盤を4台取りつけ、これを回転させることで電気を発生させる装置ができた。当初の二つが四つになった。回転円盤上には磁石を相対させ、磁石同士の引きあう力により回転が重くなるのに対処する為、互いの磁石の位置を微妙にずらすことで抵抗をやわらげ常に回転方向に引っ張るように力が働くよう工夫し始めた。これにより回転がスムーズになる。

 各円盤上の磁石の位置をどう適正化するかの見極めが肝腎だった。軸から見て均等な角度でずらすことで磁石が引き合う力を相殺させることができることが分かり、遂に「磁石4連式手回し式発電機」が完成した。見かけは単なる手回し発電機でしかないが、家庭のエアコンを動かすことができた。これを特許申請した。現在、国際特許を出願し審査中とのことである。

 但し、これでハッピーになれたのではない。これからが大変だった。要するにどう認知され、売り込めるかが課題となった。世上の常として、日本で発明されたものが日本では評価されず外国で認められて初めて日本人が見直すと云う倣いがある。「磁石4連式手回し式発電機」の歩みはどうなったか。

 平松さんは、民間の試験機関に依頼して性能認定を得た。その解析データを元に大手の機械メーカー、自動車メーカー10社、大学の研究機関7社に持ち込み、事業化を提案したが門前払いされた。元大工の畑違いの発明に耳を貸す者はなく、「素人が止めとき」と云われた。多くの者はここであきらめる。だが平松さんは違った。と云うか神の導きのような幸運を得る。これでダメならあきらめようと最後の望みを託して京都大学の学生課に電話した。「電気に詳しい先生に見ていただきたい発電器があるのですが、ご紹介いただけないでせうか。宜しくお願いします」と告げたところ、たまたまその場に工学部電気工学科の中村准教授がいた。超伝導や電気機器の専門家だった。その中村先生に電話が渡され、「発電機なら、私少しだけ詳しいですけど....」。これが運命の出会いとなった。

 平松さんが中村先生を訪ねることになった。中村先生は、持ちこまれた発電機のハンドルを回した。回転の軽さに驚いた。装置の中身を見て永久磁石の位置を少しずつずらしているのを確認した途端、「コロンブスの卵」的発想であることを直感した。中村先生は後に、「回転機を生業としている私も目からウロコのところはありました。小さな一歩だけれど、着実な一歩だというところはありました」と述懐している。但し、「これは既に研究済みの原理だ」と思ったと云う。ところが、過去の特許を調べたところ、隅から隅まで確認しても見当たらなかった。

 後日、コンピューター解析したところ、平松式発電機の発熱ロスが少なくエネルギーを効率よく電気に変換していることが判明した。発電機を8台並べると磁石の抵抗がゼロになることも分かった。「長年、科学者たちが気付かなかった夢の超電導に近づく画期的な発明」となった。オシロスコープで波形を観測すると、キレイな山形の波形を表示しており、コギングトルクのロスのギザギザの波形とは全く違っていた。低回転でも電気が取りだしやすいことも分かった。異常振動や騒音等が少ないメリットもあった。発熱ロスの少なさは従来の発電機の弱点である制御装置や廃熱装置を不要にさせ、発電機革命の可能性さえ秘めていた。発電装置の簡略化が見込め、電気自動車や風力発電などに応用できる。

 平松式超電導発電機がこれまでの発電効率を8%以上向上させることも分かった。中村先生は次のように述べている。「発電の仕組みに関しては火力発電でも原子力発電でも基本的に同じ原理で成り立っており、モーターの高率を1%上げると、日本の電力事情を考えると、100万キロワットクラスの発電機が一基不要になるほどの省エネ効果があると云われている。目からウロコの発想だが、どうして今まで誰も気づかなかったのか。各分野への広がりが期待できそうだ」。

 2011.5月、中村准教授が、茨城県つくば市で開かれた春季低温工学・超電導学会で平松式超電導発電機を発表したところ、国内外の企業からオファーが殺到した。現在、実用化に向けて開発が進んでいると云う。2011.5.31日、京都新聞が取り上げた。同9.18日、TBS系テレビ番組「夢の扉」でも取り上げられた。実演で400ワットのライトと家庭で使うエアコンを作動させて見せた。

 最後に平松さんの弁を確認しておく。「大阪城でも秀吉が建てたんとちゃう。大工が建てたんや」、「自分を応援してくれた全ての人を笑顔にしたい」、「世界最先端で世界最新のものができる」。うーーーん凄い。れんだいこは、発明よりも人間学的な興味を覚える。

 2011.10.4日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№1003  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年10月 7日

 【2011.10.6日、小沢初公判での小沢どんの意見陳述文】

「2011.10.6日、小沢初公判での小沢どんの意見陳述」が確認できたので、これを公開しておく。「憂き世の日々に埋もれて、たまには温泉へ」氏の「小沢魔女狩りの最終局面、小沢公判での小沢一郎の意見陳述はゴロツキ検察へのまさに宣戦布告。その意見陳述全文」と日本一新の会の「小沢氏冒頭陳述全文」を参照した。これは歴史文書となるだろう。それにしても、小沢どんのこういう訴えを支援するのがジャーナルであるところ、難癖をつけて批判する得体の知れない正義がばっこし過ぎていよう。エエ加減にセンカイと怒鳴りつけてやりたい。

「小沢魔女狩りの最終局面、小沢公判での小沢一郎の意見陳述はゴロツキ検察へのまさに宣戦布告。その意見陳述全文」
http://onsen-kabumasa.cocolog-nifty.com/okirakunikki/2011/10/post-8d29.html

 2011.10.7日 れんだいこ拝

 今、指定弁護士が話されたような事実はありません。裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の主張に対し、私の起訴状への見解を申し上げます。指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくものに過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきです。

 百歩譲って裁判を続けるにしても私が罪に問われる理由はまったくありません。なぜなら、本件(政治資金収支報告書)では間違った記載をした事実はなく、政治資金規正法の言う虚偽記載に当たる事実はありません。ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてないからです。

 また本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民から何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじったという意味において、日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。

 以下にその理由を申し上げます。

 そもそも政治資金規正法は、収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、みずから発見したものであれ、マスコミ、他党など第三者から指摘されたものであれ、その政治団体の会計責任者が総務省あるいは都道府県選管に自主申告して収支報告書を訂正することが大原則であります。贈収賄、脱税、横領などの実質的犯罪を伴わないものについて、検察や警察が報告の間違いや不適切な記載を理由に捜査すると、議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性があり、ひいては国民の主権を侵害するおそれがあります。

 だからこそ政治資金規正法が制定されて以来、何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても、実質的犯罪を伴わないものは検察の言う単純な虚偽記載も含めて例外なく、すべて収支報告書を訂正することで処理されてきました。陸山会の事件が立件されたあとも、今もそのような処理で済まされています。

 それにも関わらず唯一私と私の資金管理団体、政治団体、政党支部だけがおととし3月以来1年余りにわたり、実質的犯罪を犯したという証拠は何もないのに東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。

 もちろん、私は収賄、脱税、背任、横領などの実質的犯罪はまったく行っていません。なぜ私のケースだけが単純な虚偽記載の疑いで何の説明もなく、突然現行法の精神と原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。これではとうてい公正で厳正な法の執行とは言えません。したがってこの事例においては、少なくとも実質的犯罪はないと判明した時点で捜査を終結すべきだったと思います。それなのに、おととし春の西松事件による強制捜査、昨年初めの陸山会事件による強制捜査など延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸しています。

 この捜査はまさに検察という国家権力機関が政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の乱用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であります。

 オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で「小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、『人物破壊』は、政治的に類を見ない」と言っています。「人物破壊」とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺であり、生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だと思います。

 それ以上に、本件で特に許せないのは、国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。おととしの総選挙の直前に、証拠もないのに検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を乱用して、私を狙って強制捜査を開始したのであります。

 衆議院総選挙は、国民がみずから主権を行使して、直接、政権を選択することのできる唯一の機会にほかなりません。とりわけ、2年前の総選挙は、各種世論調査でも戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分に予想された特別なものでありました。そのようなときに総選挙の行方を左右しかねない権力の行使が許されるとするならば、日本はもはや民主主義国家とは言えません。

 議会制民主主義とは、主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、その良心と良識に基づいて、国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。国家権力介入を恐れて、常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。

 日本は戦前、行政官僚、軍部官僚検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でした。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。

 東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、東京電力福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層深まり、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。そうした悲劇を回避するためには、まず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外に方法はありません。

 まだ間に合う、私はそう思います。裁判長はじめ裁判官の皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ私の陳述を終えます。ありがとうございました。

れんだいこのカンテラ時評№1004  投稿者:れんだいこメール  投稿日:2011年10月16日

 【「ホツマ伝え」共同研究の勧め】

 れんだいこが「ホツマ伝え」研究に手を染めてかれこれ1カ月を越す。同書の重要性がますます分かりかけてきた。にも拘わらず、その研究となると遅々として進まない。凝り性のれんだいこが集中して取り組んでも、やりたいこと全体の1割にも至らない。他のことができなくなるので、この辺りで一服させることにする。

 研究が進まないのは全篇40綾(文)と云う内容の膨大性のせいだけではない。この程度の分量であれば、れんだいこは既に「共産主義者の宣言」その他で為したように、さして難しくはない。「ホツマ伝え」訳文案出の困難性の真因は、前篇40章(文)の文の確定がままならぬところににある。

 元々がホツマ文字と云う世にも珍しい宇宙の交互作用を象った図象文字で記されており、和歌体文が二列に配置された形式で延々と続いている。この二歌を一行毎に組み替えるところから始めたところ、ネット上にアップされているものは一括文であるので、これを一から解(ほぐ)さねばならない。これには相当の労力が掛かり難儀している。

 それから後に次のような作業が待ち受けている。現代日本語訳を作りだす為には、その前作業として、まずホツマ文字原文を確認せねばならない。その為には、ホツマ文字の一字毎をコピー可能な状態で使えるようにならないと編集替えできない。

 既に発表されているのかも知れないが、その利用に際して煩瑣な手続きが必要なようである。これではいけない。せっかくの労でホツマ文字を記号化したのであれば無料サイトアップし、誰でも利用できるようにして普及させるのが本望ではなかろうか。先人の労が却って報われるのではなかろうか。箱にしまい込むようなことでは勿体なかろう。いずれ誰かが取り組み、ジョブズ的精神で公開するようになることを思えば、先行者がオープンにするのが合理的ではなかろうか。一刻も早くこれを簡便に誰でも利用できる状態にしてくれることを願う。

 次に、これの万葉仮名訳文に目を通さねばならない。次に、これのひらがな文、カタカナ文に目を通さねばならない。次にこれを日本古文に書き直さねばならない。その際には精密な審査が必要と思う。目下の翻訳はかなり悪訳な箇所が見られる。不明なところはカタカナ表記にしておき、今後の解明に待つべきではなかろうか。

 この際、れんだいこは、ホツマ伝え原文の元々は縦書きの巻物であったと思うので、現在公開されているような二文形式に捉われず、文意毎の文節に区切り替えすることにした。この方が、「ホツマ伝え」和歌文の鼓動が生き生きと伝わると確信するからである。これにより非常に読み易くなった。

 次にこれを現代日本文に書き直さねばならない。最後に注釈付きの解読書に焼き直すと云う作業が必要となる。現在、ネット上から学びとれるのは、それぞれこの行程の一部でしかない。上記の行程を比較対照的に積み重ねておらず、為に凡そ学問的域に入っていない。厳密さに欠けており、いわゆる私製入門編の類に留まっている。尤も、これあればこそ、れんだいこの意欲が増したのであるから感謝を申し上げるのが先ではあるが。

 そこで、れんだいこは提言したい。上記の行程をみんなが手分けして詰める作業がいる。これを著作権フリーでサイトアップするのが良い。本来であれば、れんだいこがまず1綾(文)のひな型を示し、共同者の手を借りて他の綾(文)でもそのようにして貰いたい。当然、そうして生み出されたものは共同成果物であり、人民大衆的に無償無通知転載可で利用されるべきものである。

 原文をこのように確定させてから翻訳過程に入ることになる。訳を生みだす過程で、パソコン上に先行者の労作を転載し、原文と読み比べながら手直ししていくのが生産的である。れんだいこ訳ができれば、先行者の訳文をも併載し、比較対照できれようにしておけば有益だろうと思う。ところが、先行者の研究物には決まって著作権規制の文言が入っており、為に転載が面倒くさいことになっている。

 「ホツマ伝え」は手前の創文でもないのだから、その研究に徒に著作権規制を持ち込むのはいかがだろうかと思う。仮に魏志倭人伝を私製解読し、これに著作権を被せているのと同じで愚昧ではなかろうか。新解釈に著作権を被せるなどもってのほかである。もっと堂々と公開し、みんなで総力挙げての解読が望まれているのではなかろうか。

 先行者の解読文をみんなで一時共有し、なるほどと思う新訳が生まれればこれを共有し、という具合で解読を進めていくのが生産的ではなかろうか。下手な著作権論に被れるとこれができず為に学問の進歩が止まる。このことをきつく指摘しておきたい。そもそも我々の僅か数十年の生の営みに著作権規制を持ち込み、互いの利用を牽制するなどというのは精神の貧困の極みであろう。

 そういう手続きを得て、「ホツマ伝えのれんだいこ訳」を市井に提供したいのだが、今はまだその段階ではない。この道中を公開すれば、著作権強権派の批判を浴びる。れんだいこはかって酷い目にあわされ懲りており、連中と関わること自体が嫌なので控えざるを得ない。しかしそれは、れんだいこ一人の作業になることを意味しており、非常に生産性が悪くなる。早く徒な著作権規制のない日が訪れることを願う。

 付言しておけば、れんだいこは印税収入を否定しているのではない。それは著作者の糧であるから認められるべきである。問題は、ネット上の著作物はネットに晒した瞬間から、所定のルールとマナーさえ守れば利用されるのを当たり前と云う風に分別せねばならないと思うのに、リンク掛けにも事前通知承諾が必要とする者がいるぐらいだから推して知るべしだろう。

 れんだいこの著作「検証学生運動上下巻」は、資料的なものはネットに満載し、いつでも読めるようにしている。その為に売行きが落ちているのかどうかは分からないが、もし落ちているのなら値打ちがない故と思っている。刊行本では、ネット文を絞り込み、相対的に著者見解の比重を高め、且つ読み易くなるよう工夫した。ブックは手軽に持ち運びできるので、どこででも読める。アンダーラインも自在にできるメリットがある。そういう訳で、ネット本と書籍本は共存できると思う。今後はこう云う風に上手に使い分けられるべきではなかろうか。

 さて、「ホツマ伝え」が何故に重要なのか。それは、「ホツマ伝え」の原本は、古事記、日本書紀のいわゆる記紀前に著されている最古の日本史書と思われることにある。且つ記紀が大和王朝の正史的位置づけを狙いとして、いわば御用的に編纂されているのに比して、大和王朝に滅ぼされた側の、いわば縄文日本王朝時代の日本国家、日本精神、日本習俗を伝えていると思われることにある。

 その「ホツマ伝え」も大和王朝の権威に迎合して折衷させているくだりもあり、「ホツマ伝え」が下敷きにした文書こそ真正の古古代日本の歴史書であると思われる。しかし、これはもう存在しない。「ホツマ伝え」は、その古古代日本の歴史書と記紀文書との間に立つ歴史的文書と云う位置付けになるのではなかろうか。

 れんだいこは既に、新邪馬台国論の扉を開けている。それによると、邪馬台国の聖地は畿内大和の三輪山であり、大和王朝創建派の外航族の渡来により滅ぼされた。実際には出雲の国譲り同様に両者の激闘の決着がつかず、最終的に和睦する形で大和王朝が創建された。

 記紀神話が、外航渡来族の大和王朝創建の正義性を説き、その御代の神聖化を多く語るのに比して、「ホツマ伝え」は、外航渡来族によって滅ぼされた側の、かって先行的に存在していた出雲―三輪王朝の御代を偲び語っている。ここに「ホツマ伝え」の画期的価値が認められるのではなかろうか。「ホツマ伝え」は古史古伝の範疇に入れられているが、その中でも白眉の一級文書なのではなかろうか。

 「ホツマ伝え」は日本の原ふるさとを偲ぶいわばバイブルである。「ホツマ伝え」はこれに値する人類共有財産にするべき世界的名著であると確信する。内容については別サイトに譲るが、紀元前後時代の古文書が日本に遺されていることを誇りに思い、且つその内容の高度性を共認したいと思う。

 れんだいこの「ホツマ伝え」研究は、現在のTPP騒動を前に始められている。恐らくそれは、日本の農政が民営化により滅ぼされる危機感を前にして、護るべき日本の根拠の旅になっているのではないかと思っている。これを読み易くして、現代政治家にツメの垢を煎じるようにして読ましてやりたいが、ハンドラ―ズの仰せのままに蠢く輩には通じないだろう。してみれば、これに抗する側に提供したい。精神のエートスとして味わうべきだろう。

 参考までに、れんだいこサイトを記す。なかなか進まない、今後はぼちぼち書き直していくことにする。

 「ホツマツタヱ考」
 (rekishi/jyokodaico/hotumatutaeco/top.html

 2011.10.16日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№1005  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年10月21日

【ジョブズの2005スタンフォード大学卒業式講話】

「スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学2005年卒業式で行われた伝説のスピーチ」を和訳することにする。

 ジョブズ曰く、「君たちは、愛するものを見つけるが良い」

(これは、2005年の6月12日、スタンフォード大学卒業式に行われたステ―ブ・ジョブスの講演録を原稿化したものです)

 私は、本日、世界に於ける最高の大学の一つであるあなた方の卒業式に同席できたことを名誉と思います。私は、大学を卒業しておりません。本当のことを云えば、私が大学を中退した為に卒業できなかったのです。今日、私は、私の人生から得た三つの話を語りたいと思います。それらは、そんなに大層な話ではありません。単なる三つのお話です。

 最初の話はご縁についてです。

 私は、入学後6ヶ月でリード大学からドロップアウトしました。その後も、本当に辞めるまで18ケ月ほどもぐりの学生として大学に居残っていました。なぜ、私がドロップアウトしたのでせうか。その理由は私の生まれる前から始まります。

 私の生みの母は大学院生の時、若い未婚のままに身ごもりましたので、私を里子に出すと決めていました。彼女は、大学院を出た人に貰われることを強く希望していました。それで、出産と同時に私を弁護士夫婦に里子に出す段取りにしていました。ところが、私が生まれる直前になって女の子を求めたのです。

 そういう経緯で、養子縁組をリスト待ちしていた私の両親にお鉢が廻って来ました。真夜中の電話で、「私たちは、予定外の男の子の赤ちゃんを産んでいます。その子も貰っていただけますか」と尋ねられました。両親は「もちろんです」と云いました。

 その後で、私の生みの母は、育ての母が大学を出ておらず、父も高等学校さえ出ていないことを知りました。そこで、彼女は養子縁組の書類へのサインを拒みました。それから数か月後、私の育ての両親が私を大学へ進学させることを約束した時、署名しました。

 17年後、私は大学に入りました。しかし、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまいました。そのせいで、労働者階級の両親の収入のほどんどを大学の学費に使わせてしまいました。半年もすると、私は大学に居ることに何の価値も見出せなくなってしまいました。私には、人生で何がやりたいのか分かりませんでしたし、大学がそれを見つける手助けをしてくれるところとも思えませんでした。なのに自分は大学にいて、親の人生を擦り減らしてまで貯めた金を使い果たさせて脛かじりしている。そういう訳で退学を決めました。

 全てを無にしても大丈夫だと信じていました。その時は、かなり心細かったです。しかし、今振り返ると、私が為した最良の決断の一つでした。というのも、退学した時から、私に関心のない義務授業を受けなくてもよく、私が興味を覚える授業にのめり込むことができ始めたからです。

 ロマンチックなものは何もありませんでした。自分の部屋もなかったので、友達の部屋の床で寝ました。食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、毎日曜夜は7マイル歩いてハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに行きました。これが私の楽しみでした。こうした自分の好奇心と直感に従うだけの多くの体験が、後になって値段がつけられないものに変わったのです。一例を挙げて話をしてみましょう。

 リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフ(calligraphy、文字芸術)講座が用意されていました。キャンパスを見渡せば、ポスターから戸棚に貼るラベルまでが美しい手書きのカリグラフばかりだったのです。私は退学したので必須授業をとる必要がありませんでした。カリグラフの授業を受けて、それが何たるものであるのか学ぶことにしたのです。私はセリフやサンセリフの書体について習いました。その際に、異なる文章間のスペースに関する様々な手法、素晴らしい印刷術.を学びました。

 それは美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学では把握できないほど緻密なものでした。私はうっとりするような魅力に浸りました。このことが人生に役立つという期待すらありませんでした。しかし、それから10年経って、最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時、その知識が役に立ちました。マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しい書体を持つコンピュータが誕生したのです。

 もし私が、大学でのお決まりのコースから寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかったでせう。そして、ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎませんので、パーソナルパソコンはこの世にまだ生まれていないかもしれません。もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業にのめり込むことはなかったし、パソコンには恐らくあの素晴らしい書体機能がないに違いありません。もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。しかし10年後に振り返えると、とてもはっきりとした糸筋が見えて参りました。

 もう一度言います。未来に先回りして機縁を結ぶことはできません。過去を振り返って繋げることができるだけなのです。だから点と点の縁がいつか未来に何らかのかたちで繫がると信じなければならないのです。自分の気概(やる気)、運命、人生、カルマ、何でもいいから何かを信じなければなりません。この手法を決して疎かにしてはなりません。これに随えば、人生はその姿かたちを全く変えてしまうでせう。

 2つ目は、愛と失意についての話です。

 私は、我が人生に於いて自分が何をしたいのか早い段階で見つけることができたのは幸運でした。実家のガレージ(車庫)で、ウォズと私がアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。私たちは仕事に没頭し、アップルは10年間でガレージでのたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。

 私たちは初期の最高傑作であるマッキントッシュを発表しました。私が丁度30歳になった時、私は会社をクビになりました。自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こういうことなんです。アップルの成長にともなって、私は、私と一緒に会社を経営できる有能な人を幾人か雇いました。最初の1年やそこらはうまくいっていました。しかし、会社の将来ビジョンについて意見が分かれ、ことあるごとに次第に仲たがいに陥ったのです。取締役会を開いた時、彼に与し、私は30歳にして会社を去りました。公然と追放された感じでした。私が大人になってからの人生のすべてを注ぎこんで来たものが消え去ったわけで、打ちのめされました。

 数ヶ月は本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。自分が前世代の起業家の信用に傷をつけてしまい、私に手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会い、ひどい状態にしてしまったことをお詫びしました。まさに社会的落伍者となりシリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。

 しかし自分が序々にではありましたが切り開き始めていたものをまだ愛していました。アップルの退任劇があってもは私の気持ちは全く変わらなかったのです。私は会社では排斥されましたが、私はまだ仕事を愛していたのです。だからもう一度やり直すことに決めたのです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生に起こった最良の出来事だったのだということが分かって参りました。成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。あらゆるものに確信はもてなくなりましたが。おかげで私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。

 その後の5年間に、私はネクスト、他にもピクサーという会社を設立しましたし、後に妻となる素敵な女性と恋に落ちました。ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され、私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の心臓部の役割を果たしています。さらには、ロレーヌと私は素晴らしい家庭を一緒に築いています。

 ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失ってはなりません。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛していたからだと確信しております。あなたがたも自分が愛しているものを見つけなければなりません。それは仕事でも恋愛でも同じことです。

 誰しも仕事が人生の大きな割合を占めるようになります。本当に満足を得たいのであれば、進む道はただひとつ、それは自分が立派な仕事だと信じる事をやることです。偉大な仕事を為し得る唯一の方法は、その仕事を愛することです。もし見つからないなら探し続けなさい。坐り込んでしまってはいけません。心の問題と同じで、見つかったときに分かるものです。そして、愛する仕事というのは素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに次第次第に自分を高めてくれるものです。だから、それを見出すまで探し続けねばなりません。座り込んでしまってはなりません。

 3つ目は、死についての話です。

 私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そのうちにあなたに最も相応しい在るべき姿になれるでせう」。これには強烈な印象を受けました。それ以来、33年間過ぎました。私は毎朝鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることが私が本当にやりたいことだろうか?」。それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと、私は変革の時を知ります。

 自分がもうすぐ死ぬと云う状況を想像することは最も大切な方法です。私は、人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、そういうもののほとんどが、死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつか必ず死ぬと知っておくことが、失うものに脅えて先案じし落とし穴に嵌まることを避ける、私の知る限りの最善策です。みんな裸なのです。裸のままにあるべきです。思うままに生きてはいけない理由は何もありません。

 1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓に腫瘍がくっきりと映っていました。私はその時まですい臓が何かも知りませんでした。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月であることを覚悟しなさいと言いました。医師は、家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では死の準備をしなさいと云う意味です。それは、子供たちに伝えた10年分のことを数カ月で済ませておけという意味です。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけという意味です。それは、さよならを告げるという意味です。

 私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたので、妻の話によると、医師が顕微鏡で細胞を覗くと声を挙げたそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がもっとも死に近づいた瞬間です。この先何十年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死という言葉がよく使われているけれども単に純粋に知的な概念だった頃よりも、多少は確信も持って語ることができます。

 誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。誰も死を逃れられた人はいません。それはそうあるべきだからです。なぜなら死は生の唯一最高の発明品だからです。死は生のチェンジエージェントだからです。古いものは新しいものに道を開くのが明らかです。いまの時点で新しいものであっても、いつかは古くなり消え去るのです。あまりに芝居がかった表現ですが、それが真実なのです。

 君たちが持つ時間は限られている。他の人の人生に自分の時間を費やすことはありません。ドグマ(教条)に捉われてはいけません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が他の人の意見の雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従う勇気を持つことです。心や直感というのは、あなたがたが本当に望んでいるものが姿かたちになることを知っているのです。他のあらゆるものが二次的なものなのです。

 私が若い頃、「全地球カタログ」("The Whole Earth Catalogue )という目を見張る出版物があって、私と同世代の者にはバイブルのように扱われていました。それは、ここからそれほど遠くないメンローパークに住むステュアート・ブランドによって作品化されたもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。1960年代の終わり頃はパソコンもデスクトップもない時代ですから、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが35年遡って登場したかのような本で、理想主義的で素敵なツールと優れた気づきに溢れていました。

 スチュアートと彼のチームは 「全地球カタログ」 を数冊発行しました。ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。それは1970年代半ばで、私がちょうどあなたがたの年代だった頃です。最終号の裏表紙には、朝早い田舎道の写真が載っていました。それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことある光景でした。写真の下には "Stay hungry, Stay foolish." という言葉が書かれていました。 Stay hungry, Stay foolish. それが、発行者の最後の言葉でした。それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そしていま、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに、同じことを願います。

「餓えた者であれ、愚か者であれ」(Stay Hungry. Stay Foolish)。

 ご清聴ありがとうございました。

れんだいこのカンテラ時評№1006  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年11月26日

【1972.10.30日、衆議院における日本社会党・成田知巳の質問に対する田中首相答弁】

 成田君の質問に対してお答えを致します。

 まず第一は、日中国交正常化についてでございます。多年にわたり日中関係の改善、両国交流の促進に努力をしてこられた多くの方々に、衷心から敬意を表します。日中国交正常化の実現は、機が熟した結果、両国が合意に達したものと考えておるのでございます。

 第二は、これからの日本の外交はいかにあるべきか、日米安保条約の極東条項、日米共同声明の台湾条項は削除すべきではないかという趣旨の御発言でございますが、世界的に見ても、緊張緩和の傾向が見られますが、アジア全域を見るとき、不安定な要素が残されていることも否定できません。我が国は、平和と独立を守る為に必要な防衛力を整備しなければなりません。(拍手) 米国との安全保障体制は堅持することによって、我が国の安全確保に万全を期す必要があります。(拍手) 我が国の安全は、極東の平和と安全なくして維持し得ないものであって、政府としては、日米安全保障条約の極東条項は、我が国安全確保の為に必要と考えており、これを削除するつもりはありません。(拍手) なお、1969年の日米共同声明のいわゆる台湾条項は、当時の日米首脳の認識が述べられたものでありますが、台湾を廻る情勢は、その後質的な変化を遂げており、これが現実に意味を持つような事態は起らないと考えておるのであります。

 第三は、車両制限等の改正とB52の沖縄大量飛来等、ベトナム戦争についてのことでございますが、政府はベトナム戦争の平和的解決ができますように希望しておるのでございます。近時南北問題が円満な解決の方向に向かっているよう報道せられておることは喜ばしいことでございます。米軍車両の問題につき申し上げますが、8月上旬に米軍車両の通行問題が生じましてから、政府は法令の範囲内で円満に自体の解決が図れるよう、あらゆる努力をして参ったのでございます。しかしながら、通行許可の権限を持つ道路管理者が、道路の管理、保全とは関係のない理由をもって米軍関係の輸送許可を留保するなど、法令の適正な運用が阻害されるような状態が続いたのであります。我が国は、条約上米軍に対して国内における移動の権利を認めており、このような条約上の責任を果たす為に車両制限令を改正せざるを得なかったのであります。(拍手)

  また、B52の沖縄飛来につきましては、条約上我が国はこれを拒否できません。がしかし、国民感情に鑑み、政府として台風避難など真にやむを得ない場合以外は飛来させないよう求めており、米側もこれに応じているのであります。今回の飛来も、台風の接近により止むを得ない措置であり、天候の回復によりその全部がグアム島に戻ったことはご承知の通りであります。(拍手)

 第四問は、四次防は防衛白書に基づいてつくられたものである。政府は、いまなお中国、朝鮮などを強硬外交だと考えておるかどうか、こういうお話でございますが、四次防は、我が国の自衛の為に必要最小限度の防衛力を整備することを目的として決定したものでございまして、去る45年の防衛白書発表当時の情勢に基づいて立案したものではございません。また、ご指摘の中華人民共和国及び朝鮮民主主義人民共和国は、日中外交の正常化や米中の接近並びに朝鮮半島における南北間の対話の開始等に見られますように、事態を平和裏に解決しようとする努力を示しておるものと考えられるのでございます。

 政府は防衛力の限界をどこに置くのかという問題でございますが、四次防は、我が国が自衛の為に必要とする最小限度の防衛力を漸進的に整備するため策定したものであり、防衛力の限界を定めなければ計画の立案ができない性質のものとは考えておりません。しかしながら、我が国の防衛力の規模が、国際情勢、国力、国情に応じ、今後ともどの程度のものを適正とするかを見極める必要がありますので、おおよその整備目標を検討するよう防衛庁に指示をしておるのでございます。

 他方、このたび決定された主要項目の整備において示される5カ年間の防衛費の総額は、一応4兆6千3百億円と見込まれておりますが、これがGNPに占める比率は、経済成長率との対比において、ほぼ現状横ばい程度に推移するものと見込まれ、長期的に見て、今後の経済運営支障となることはないと考えておるのであります。

 四次防、日米安全保障条約の廃棄、日ソ平和条約の締結、日本と中ソ朝との友好不可侵条約の締結等々に対して言及がございました。我が国の防衛力は、自衛のため必要とする最小なものに限られており、かかる四次防において他国を攻撃するような防衛力が計画されていないことは、その内容をご覧いただければ明らかでございます。また、我が国が今後とも平和と安全を享受していく為には、日米安保体制を堅持することが不可欠であると考えておるのでございます。(拍手)

 日本の防衛費が大きいかどうかと云う問題を例を挙げて申し上げます。防衛と云うものは、よその国の防衛なのではないのであります。自分を含めた国民全体の生命と財産をどう守るかというのであります。(拍手) まず、その防衛体制が妥当であるのかどうかという問題を考えるには、世界の国と比較することも一つの案であります。諸外国との国防費について見ますと、米ソ等の超大国はさておき、西ドイツ、英国、フランスの国防費は、年間2兆円であります。四次防の規模5年間の合計は、西ドイツの1972年の国防費2兆3千億円の丁度半分に過ぎないのであります。GNPとの対比につきましても、これら諸国の国防費は、GNPの3ないし5%を占めております。中立国スウェーデンにおいても約4%なのであります。スイスは約2%であります。(拍手) 国民一人当たりの国防費につきましても、西ドイツ、英、仏にありましては年間4万円に近く、我が国の一人当たり約8千円は、その5分の1でございます。(拍手) 中立国スウェーデンは約5万7千円であって、我が国の7倍。スイスも約2万7千円で、我が国の3.5倍の防衛費を負担しておるのであります。(拍手)

 このように、各国はそれぞれ自国の防衛の為に努力を払っておることを知らなければなりません。(拍手) その意味から考えてみましても、我が国においても、この程度の負担をするのは止むを得ないことだと思うのでございます。(拍手) 非武装中立論を前提にして国防論や防衛論をする方々との間には意見の相違があることは止むをえませんが、しかし、国防や防衛と云う問題をそのような観念論によって律することはできないのであります。(拍手)

 なお、ご発言がございました日中ソ朝友好不可侵条約の御構想については、その内容を十分承知する前に意見を申し述べることは差し控えますが、それが直ちに日米安全保障条約の廃棄、四次防の中止あるいは自衛隊の削減に結び付くものとの考えをとる必要はないと思います。なお、政府が、日ソ平和条約の締結について各般の努力を重ねていることは、グロムイコ外相の来日、大平外務大臣の訪ソを見ても明らかなことでございますので、ご了承賜りたいと存じます。

 なお、ここで一言申し上げておきますが、周囲の情勢が変わってきたからといって、日米安全保障条約を廃棄しなければならないというような端的な議論には与しないのでございます。(拍手) それは、東西両ドイツの間に雪解けの状態があり、独ソ条約が締結せられる現状においても、NATО締約国の国々は、この条約を廃棄しようとはしておられないではありませんか。(拍手) 自らの見識において、自らの責任において、どうして自らを守るかと云うことについては、数字に立って、現実を直視して、後代の為にも誤りのないように努力をすべきであると思います。(拍手)

 これから経済運営について申し上げます。

 一人当たりの国民所得は、ほぼ西欧水準に達しました。しかし反面、公害、住宅、社会保障等の問題が生じて参りました。政府は従来の生産、輸出の経済運営を改め、成長の成果を活用し、国民福祉の充実をはかるような方向に政策の方針を転換して参ります。私の提唱した日本列島改造案も、こうした国民福祉充実の為の基礎条件を整備することを目的と致しておるのでございます。

 公害と生産の調整について申し上げます。住民の生活環境を破壊せず、自然を注意深く保全しながら、地域開発を進めなければなりません。志布湾等の大規模工業基地の開発に当たっては、我が国の国土利用の在り方、その地域の生活水準の向上と並んで、環境の保全が最も大きな問題であります。従って、その開発が環境に及ぼす影響を科学的なデータに基づいて十分チェックし、環境保全について十分な調整のうえ、しか地元住民の理解と協力のもとにその方向を決定すべきものであります。発生源からの汚染物質の排出等の規制については、これを一層強化して参りますが、一歩進めて総量規制など、適切かつ合理的な規制方式を検討して参りたいと存じます。

 汚染の原因者が公害防止費用を負担すべきであるという考え方につきましては、我が国の制度は既にそのような考え方によっておるところでございます。企業が汚染者負担の原則を貫き、公害防止に万全を尽くさなければならないことは当然でございます。その上で、政府、地方公共団体も公害問題の早急な解決の為に最善の施策を講じなければなりません。公害訴訟における因果関係の立証につきましても、実際上なかなか困難な問題がございます。最近の判例では、因果関係の認定について緩やかな方向が出ておりますが、因果関係の推定については、このような判例の方向を見守りつつ、その法制化については、引き続き検討して参りたいと存じます。

 公害に対する立ち入り検査権の問題でございますが、現行の公害規制法において、工場等に対する立ち入り調査権は都道府県知事が行うことになっておるのでございます。政府としては、都道府県知事などが立ち入り検査を適切に行うことにより、地域住民の期待にこたえるよう、十分指導して参りたいと存じます。

 第九は、工業用地と農用地の問題でございますが、農業は国民の食糧を確保するとともに、国土を保全し、国民の生活環境を維持していくのに重要な役割を果たしておることはご承知の通りでございます。従って、優良な農用地を十分確保すべきであり、また、工業用地の確保に当たっては、合理的な土地利用を計画的に行うことにより、十分農用地との調整を図って参るつもりでございます。

 老人医療無料化等についての御発言について申し上げます。

 老人医療無料化等につきましては、70歳以上の者を対象として48年1月から実施をするものでございますが、年齢を65歳まで引き下げることについては、今後の実施状況を見たうえで考えたいと思っておるのでございます。乳幼児等の医療無料化につきましては、現在、未熟児など、保健上特に必要なものを対象として公費負担を行っておりますが、これを乳幼児の疾病一般にまで拡大をすることにつきましては、今後慎重に検討して参ります。

 年金について申し上げます。

 先般公にされた関係審議会の意見を考慮して、年金額について大幅な引き上げを行うとともに、物価上昇等の経済変動に対応して年金額を調整し得る措置を講ずる等、年金制度の整備充実を図って参りたいと考えます。年金の財政方式を直ちに賦課方式に移行してはどうかという問題でございますが、当面は現行の修正積み立て方式を、実情に即した配慮を加えながら維持していくことが適当ではないかと考えられるのでございます。年金積み立て金の運用のうち、加入者の福祉増進に直接寄与する分野に充てられる還元融資につきましては、明年度からその融資枠を、積立金の4分の1から3分の1に拡大する方針でございます。

 物価の問題について申し上げます。

 物価の安定は、国民生活の向上と安定の為に基本的課題でございます。しかし、国土の1%の地域に3千2百万人の人口が集中しておるという事実を前提にする限り、物価問題の根本的な解決は困難なのであります。従って、日本列島改造政策を根幹に据えつつ、低生産部門の構造改善、流通機構の近代化、輸入の促進、競争条件の整備などの施策を進めて参ることにより、物価安定に寄与して参りたいと考えます。(拍手)

 地価安定政策に対して答弁申し上げます。

 一定規模以上の土地の取得について何らかの規制措置については、民間の取引件数、取引態様等を勘案して、最も適切かつ効率的に土地取引を規制する措置を検討して参りたいと考えます。税制上の措置によってのみ土地需給の不均衡を図ることは、自ずから限界がございますが、法人の所有する土地について何らかの税制上の措置を講ずべきかどうかについても検討を続けます。現行の地代家賃統制令を全ての土地について適用することは、必要な貸し地の供給を阻害し、住宅の供給を抑制する恐れがありますので、適切な手段とは考えられません。むしろ、公的住宅の大量建設とともに、低利融資、税制上の措置等により民間住宅の供給を促進することにより、需給関係の緩和を通じて地代、家賃の適正化を図っていくべきものと考えられるのでございます。

 人間を尊重する政治に流れを変えること、この御説に対して申し上げます。

 私の日本列島改造の狙いとするところは、福祉が成長を生み、成長が福祉を約束すると云う、成長活用の経済環境のもとで過密と過疎の同時解消、公害の追放、物価の安定などをダイナミックに進めて、国民が安心して暮らせる、住みよい、豊かな日本をつくることにございます。具体的な処方箋につきましては、国民各位の理解と支持を得ながら、決断し、実行して参ります。(拍手)

 公害法改正問題がございましたが、公害法問題に関しましては、公労法制定以来24年を経過を致しております。内外情勢も法制定当時から大きく変化を致しておりますので、公務員制度審議会に於いて、諮問に対する速やかな結論が出せることを期待しておるのが現状でございます。

 最後に、政治資金規正法につきまして申し上げます。

 政党政治の象徴、我が国の議会制民主主義の将来に関わる重大問題でありますが、幾たびか改正法案が国会に提案をされ、廃案になった経緯があることは、周知の通りでございます。これを今日の時点に於いて見ると、金のかかる選挙制度あるいは政党の在り方をそのままにして具体化するということにいろいろと無理があることを示しているように思いますが、工夫によっては、その方法も見出し得るものと考えられるのでございます。特に、現在、政党本位の、金のかからない選挙制度について選挙制度審議会で鋭意審議している時でもございますので、このような情勢を踏まえ、徹底した検討と論議を積み重ねて参りたいと考えるのでございます。以上。(拍手)

れんだいこのカンテラ時評№1007  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年11月26日

 【角栄答弁に対するれんだいこコメント】

 「1972.10.30日、衆議院における日本社会党・成田知巳の質問に対する田中首相答弁」に下手な解説はいるまいが一応コメントしておく。

 この答弁を通して、1970年代初頭の日本の国の形、国会質疑の質が確認できよう。今のそれと比べてみるが良い。角栄の質疑に対する真摯な応答、質問の内容を的確に捉えた答弁、その際の論理的弁証的な能力に敬服するが良い。駄弁や曖昧模糊なところが一切なく、見解の相違とするところ、宿題にするところ、取り組むところの別をはっきりさせている。取り組むとなると実効的な指針を打ち出しているのも特徴でもある。

 その際に、角栄の施策が経済的発展を根底に据えて諸事対策しており、その果実として国民福祉に前向きであることを政治の使命としていることが分かり興味深い。現代政治の経済失速施策、その余波としての国民福祉の切り下げ切り捨てぶりに政治力を発揮せんと汲々としている政治家の姿と鮮やかな対比を為している。

 70年代の日本が上り調子だったのに比して現下の日本は下り坂を転げ落ちている。その要因の解明も必要であろう。私見は、意図的故意の悪政の結果だと見立てている。これに伴い、70年代と今日では政治の在り方が根本的に違うところが分かる。そういう意味での現代政治の貧困ぶりを嘲笑すれば良い。

れんだいこのカンテラ時評№1008  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年11月30日

 【1972.10.30日、衆議院における民社党・春日一幸の質問に対する田中首相答弁】

 お答えを致します。日中正常化についてまずお答えを致します。

 日中関係の正常化が実現をしたことは、アジアのみならず、世界の平和の基礎を固めるものとして画期的なできごとでございます。その為、多年にわたり努力をしてこられた多くの方々に、重ねて衷心より敬意を表するものでございます。日中国交正常化の実現は、内外に於いてその機が熟した結果、両国が合意に達し得たものと考えております。私は、中国と密度の濃い対話を維持して、せっかく実現を見た正常化を、日中両国民の安寧の為に、また広くアジア全域の安定の為に活用するつもりでございます。

 日中共同声明は、国会の承認を求めるべきだという御議論でございますが、先般の日中共同声明は、政治的には極めて重要な意味を持つものでございますが、法律的合意を構成する文書ではなく、憲法にいう条約ではない訳でありまして、この共同声明につき、国会の承認を求める必要はないのでございます。もっとも、この日中共同声明につきましては、事柄の重要性に鑑み、その内容につきましては、国会に於いて十分ご審議をいただきたいと考えております。

 台湾に対する外交関係、椎名特使の提言、貿易関係、輸銀資金の使用の問題、政府借款等々についてでございます。まず、台湾と我が国の関係について椎名特使の発言は、自由民主党日中国交正常化協議会の審議内容とその決議に基づいて、同特使の見解を説明したものでございます。

 日中国交正常化の結果、台湾と我が国との外交関係は維持できなくなりましたが、政府と致しましては、台湾と我が国との間で民間レベルに於ける人の往来、貿易、経済関係はじめ各種の交流が、今後とも支障なく継続されて行くよう配慮したいと考えております。述べ払い輸出に対する輸銀融資につきましては、具体的案件に則し慎重に勘案をしつつ処理を致したいと考えます。各種の民間交流が続く限り、御質問の各種債権を含め、台湾に在留する邦人の生命、財産等が保護されるよう、できる限り配慮を尽くして参ります。

 それから、台湾条項の消滅、台湾を極東の範囲から除外せよ、駐留なき安保というような問題について、お答えを申し上げます。今回の日中国交正常化は、安保条約に触れることなく達成されたものでありますので、台湾が極東の範囲にはいることについては従前通りであります。しかし、米中間の対話が始まり、台湾を廻る情勢は質的な変化を遂げ、米中間の武力紛争は考えられない事態になっております。従って現状のままで問題はありません。日米共同声明のいわゆる台湾条項についても同様でございます。

 他方、駐留なき安保に向かって条約を改正してはどうかとの提案でございますが、駐留しておることが我が国の安全保障の為必要な抑止力を構成しておると判断をされますので、かかる効果を失わしめるような提案には、遺憾ながら賛成致しかねます。

 平和条約はいつ締結するのかという問題について、お答えを致します。日中平和友好条約は、所用な準備を経て交渉に入りたいと考えております。平和友好条約の具体的内容について予測する段階ではございませんが、その基本的な性格は、将来長きにわたる両国間の平和友好関係を律するような前向きのものとすべきであるというのが、日中双方の一致した見解でございます。アジア集団安全保障の体制の推進、インドシナ半島経済復興資金の創設に対して御発言がございましたが、アジア集団安全保障体制の建設に取り組むべしという着想、ソ連のブレジネフ提案があると承知を致しておるのでございますが、諸般の情勢から各国の反応もまちまちであると承知を致しております。即ち、まだ機が熟していないというのが現実だろうと思う訳でございます。インドシナ半島経済復興基金の創設ということにつきましては、ご意見として承っておきたいと存じます。

 れから、昨日の桜内議員に対する答弁につきまして、私の真意に対する御質問がございましたが、私も速記録を見てみまして、十分私の真意を伝えていないような点もございますので、ここに改めて考え方を申し述べます。

 世界に類例のない我が国憲法の平和主義を堅持して参りますことは、申すまでもないことでございます。その前提には変わりはないのでありますが、無防備中立の考え方と、最小限必要な自衛力を持つと云う私どもの考え方とは合わないのであります。(拍手) この際、明確に致しておきます。第四次防計画を白紙に戻せ等の問題を中心にして、防衛の防衛、基本的な立場、戦略守勢の防御ではなく専守防衛に徹せよ、シビリアンコントロール、国家安全保障会議への改組、長期防衛計画は国会で承認案件にしてはどうかというような問題に合わせ、国土開発、公害の除去等の任務を加えてはどうかと云う問題でございますが、その前提となっております安全保障条約の改廃の問題について申し上げますと、これは申し上げるまでもないことでございますが、独立国である以上、独立を保持し、その国民の生命財産を確保して参る為には防衛力を持たなければならないということは、論のないところでございます。

 理想的には、国連を中心にした集団安全保障体制が確立することが望ましいことでございます。しかし、現実の状態を見ますと、この機溝はは完備せられておりません。スエズが閉ざされても、これを開放する力もありませんし、ご承知のアラブとイスラエルが毎日報復爆撃をやっておっても、これを止めることのできないような状態に於いては、最小限自分で自分を守るだけのことはしなければならぬのであります。(拍手)

 そう云う意味で、最小限度の防衛力を保持するということは当然のことでございますが、しかし、もう一つの理想的な姿としては、自分だけで守るのか、複数以上の集団安全保障の道をとるかということでございますが、これは東側、西側を問わず、自分だけで守ろうという国はないのであります。みんな複数以上で集団安全保障体制をとっております。日本だけがそのれ以外になろうということは、それはできません。そう云う意味で、国民の生命と財産を守らなければならない、しかし、国民負担は最小限度で理想的な防衛体制でなければならないというと、どうしても日米安全保障条約が必要になることは、過去四半世紀近い歴史に明らかなところでございます。(拍手) そう云う意味で、いま日中の国交が正常化をしたとか、アジアの緊張が緩和の方向にあるからといって、日米安全保障条約そのものを廃止するがようなことは、到底考えられないことでございます。(拍手)

 それから、四次防を持ったことによって日本が軍事大国になるのではないかというような考えは全く持っておりませんし、そのような恐れは全くありません。きのう各国の比較を申し述べたことでも十分承知いただけると思うのでございます。それから、専守防衛ないし専守防御というのは、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、専ら我が国土及びその周辺に於いて防衛を行うということでございまして、これは我が国防衛の基本的な方針であり、この考え方を変えるということは全くありません。なお戦略守勢も、軍事的な用語としては、この専守防衛と同様のものであります。積極的な意味を持つかのように誤解されない専守防衛と同様の意味を持つものでございます。

 それで、シビリアンコントロールの考えということでございますが、これは国会に存在すると考えますので、安全保障を所管する常任委員会が設けられることが望ましいことだと考えておるのでございます。それから、国防会議を国家安全保障会議に改組する考えはないかと云うことでございますが、現在考えておりません。第四次防のような長期防衛力整備計画は国防会議に諮らなければならないことになっております。これは、国会の議決を要する事項とするよりも、行政府の責任に於いて策定することとした方が適当であるという考え方をもって居るのでございます。国会に於いては、国政調査の対象として判断を仰いでいくほうが適当だと考えるわけでございます。

 それから、自衛隊法に、自衛隊の主たる任務として災害派遣、土木工事の受託等の民生協力を行うこととされております。先般決定された「四次防の主要項目」に於いても、「部隊の施設作業能力を増強して災害派遣その他の民生協力の為の活動を積極的に実施する」ことが明記されておる訳でございます。

 車両制限令の問題で、独断専行的なことにならないかという、大変御同情のある御発言でございますが、そういう心配はございません。車両制限令という問題は、これは道路構造を前提として、道路管理者は全く事務的に許可をしなければならぬのであります。あの道路を長い鉄材を積んで走るトラックに対しては、警察に届け出れば、赤い布をつけて、一般の交通に支障のないようにしなさいよといって、自動的にこれは許可されるのであります。今度の車両の問題については、道路の構造以外の理由によって許可が与えられないという事態が起ったのであります。それは、私が申し上げるまでもなく、そのような事態を放置せば、条約による日本政府の任務さえも遂行できないということになるわけでございまして、その意味で、車両制限令の問題が解決をせられなければならないようになったことは、十分御承知のはずでございます。そういう意味で、この問題はこの問題としてご理解を賜りたいと存ずるわけでございます。

 しかし、我が国の議会制民主政治は、敗戦と云う高価な代償の上に育ち、四半世紀の実績の上に定着を致しております。政治は国民全体のものでございまして、70年代のどの課題をとっても、国民の参加と努力なくして解決できるものはないのでございます。その意味で、民主政治を大事に育てて後代の人々に引き継いでまいりたい、こう念じておるのが私の基本的な姿勢でございます。(拍手)

 経済運営の基本的な方向、また日本列島の改造のビジョン等についての言及がございましたが、明治初年から百年、百年間は、非常に低い国民所得、国民総生産の状態からどんどんと国民総生産が拡大する状況になって参りました。しかも、戦争が終幕をする事態に於いては、非常に困難な状態に立ち至った訳でございますが、しかし、その後四半世紀の間に今日の経済繁栄をもたらしました。そうして日本人がまず考えなければならぬのは、国民総生産を上げて国民所得を如何にして向上させるかということでございます。30年代にこの議場で、八千円の最低賃金を確保する為にどうしなければならぬのかということを真剣に議論したことを考えれば、まさに今昔の感に堪えないではありませんか。

 我々はその意味で、まず、先進工業国である四―ロパ諸国と比肩するような国民所得を確保することができました。しかし、その第一の目標である、ヨーロッパ諸国と同じような国民所得を確保することはできたにしても、それは都市集中という一つの姿に於いて基盤が確保されたのであります。しかし、その都市集中が前提である限り、公害の問題が起って参りました。地価の問題が起って参りました。水の不足が起って参りました。交通を確保する為にも、税金の大きな部分をさかなければならないような事態が起って参った訳でございます。そこで、ここで第二のスタートを要求されるような事態になった訳でございます。それは申すまでもなく、明治二百年展望に立って、我々は新しい視野と立場と角度から、日本の新しい政策を必要とすると云う事態になっておるのであります。(拍手)

 その意味で、生産第一主義から生活中心主義へ転換しなければなりません。公害を伴う重化学工業から知識集約的な産業へと転換をしていかなければならないのであります。そういう努力をしなければならない。また、その努力をすれば、今我々が求めておる問題は解決できるのでございます。それが日本れ島改造と云うテーマでございます。国民皆さんの前にこの問題を提案して、そして、まず第一番目の国民所得の向上はできましたから、社会資本の拡充を行い、生活環境を整備し、その土台の上に長期的な日本の社会保障計画を壌み重ねようと云うのが、政治の理想でなくて何でございましょう。(拍手) そう云う立場で、日本列島改造案を提案しておるのでございますから、新しい経済運営の基本は、成長活用型となり、社会保障を中心とした生活重点的なものに切り替えられていくことで、ご了解を賜りたいと存じます。

 また、ご質問の無公害社会の建設について申し上げます。無公害社会の建設は、日本列島改造の目的の一つでございます。公害規制の強化、公害防止技術の開発、工業の全国的配置、いわゆる工場法の制定等を行うとともに、産業構造の知識集約化を進めることによって、公害のない形で成長を確保してまいろうと考えておるのでございます。また、損害賠償保障制度の創設につきましては、公害被害者に救済の実効を期して参りたいと存じます。

 それから土地問題の解決についてでございますが、これは春日さんも申された通り、土地の供給量、絶対量を増やさなければならないのでございまして、土地需要の平準化を図ることと、全国的視野に立った土地利用計画をつくって参らねばなりません。知事及び市町村長を中心とした国土の利用基本法の如きものを早急に作らなければならないと考えております。通常国会には成案を得てご審議をいただきたいのでございますが、皆さんからも適切なる御意見があったら寄せられんことを期待します。(拍手) なお、この基本政策に加えて、投機的な土地の取引を抑制する為、取引の規制、税の活用等についても引き続き検討して参りたいと存じます。

 物価対策について申し上げます。物価の安定は、国民生活の向上と安定の為、基本的問題でございます。しかし、昨日も申し上げました通り、物価は議論の中からだけでは抑制できないのであります。物価と云うものはどういうことによって起るかと云うと、一つには、国民の半分も3分の2もが小さいところに過度に集中すると公害が起ると同じように、物価問題が不可避の問題として起るのであります。(発言する者あり) もう一つは、低生産部門の給与が、高い生産部門の工業と同じように一律的にアップされるところに、物価は押し上げられるのでございます。その意味で、列島改造に拠ることと、低生産部門の構造改善、流通機構の近代化、輸入の促進、競争条件の整備等、各般の施策を広範に行う事によって物価を解決して参ろうと考えております。

 社会保障等につきましては、先ほども申し上げた通り、長期経済計画を立てる時には、その中に長期社会福祉計画も併せて作らなければならないと考えております。急速に高齢化社会を迎えておりますので、老人対策は内政上重要な問題でございます。中でも年金制度につきましては、先般公にされた審議会の意見に沿って、年金額の大幅な引き上げを行ってまいりたいと考えます。年金の充実について長期計画を立てよということでございましたが、先ほども申し上げました通り、これからは社会保障に対しても長期計画、また年金計画を考えなければならないと思いますので、十分検討させていただきたく存じます。

 租税政策に対して御提案がございました。夫婦子供二人を給与所得者の場合ひ130万円まで免税にしたらどうかということでございます。130万円というと、一番高いのが、アメリカの132万4千円というのが、日本よりも高いのでございます。日本現在103万7千円までとなっております。英国においては79万9千円、西ドイツに於いては77万2千円、フランスは103万6千円でございますので、その限りにおいてはヨーロッパ三国を上回っておりますが、アメリカよりもまだ30万円も少ない訳でございますから、できるだけ所要の調整を加えて参らなければならない、こう考えます。(「それは数字のごまかしというんだ」と叫ぶ者あり) これは、数字は今年の数字でございますから、数字にごまかしはありません。(拍手)

 事業主報酬の問題は、法人企業、個人企業、サラリーマン税負担のバランスを充分考えながら、早急に具体的結論を得るよう検討して参ります。

 国際収支対策につきまして申し上げますと、昨年末、多国間通貨調整が実現し、さらに去る5月以降、緊急対策を実施して参りましたが、我が国の貿易収支は引き続き大幅な黒字基調を続けておるのでございます。政府が去る10月20日、対外経済政策の推進について当面とるべき施策を決定し、貿易、資本の自由化、関税の引き下げ、開発途上国への経済協力の拡充等の実施に踏み切り、また、公共投資の追加含む補正予算を今国会に提出をした次第でございます。国際収支につきましては、両3年の間に、経済収支の黒字幅をGNPの1%にし、この1%に当たる数字は、70年度の一番末には開発途上国に対する援助にしようということを世界に明らかに致しておる訳でございます。この両3年以内に経常収支の黒字幅をGNPの1%以内にとどめるということが基本的に必要でございまして、問題解決まであらゆる努力を続けて参りたいと考えております。

 最後に、解散問題について申し上げますが、私が内閣を組織しては以来百十日余でございます。しかし、解決を要する内外の課題は山積を致しておるのでございます。特に円対策は緊急でございます。国民の審判を受ける方向にこれらの諸懸案をぜひ解決しておきたい、こういうのが現在の私の心境でございます。(拍手)

れんだいこのカンテラ時評№1009  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年12月 6日

 【1972.10.30日、衆議院における公明党・竹入義勝の質問に対する田中首相答弁】

 竹入君にお答えいたします。

 まず第一番目に、日中正常化と国民世論の成果について申し上げます。ご指摘の通り、日中国交正常化は、国民世論の強力な支持のもとで政府が努力をしたから実現したものでございまして、先ほども申し述べましたが、多年にわたって日中関係の改善と交流の促進の為に努力をしてこられた方々に対して、重ねて敬意を表するものでございます。日中共同声明はなぜ国会の承認案件としないのかということでございますが、先般の日中共同声明は、政治的には極めて重要な意味をもつものでございますが、法律的合意を意味する文書ではなく、憲法に云う条約ではございません。この共同声明につき国会の承認を求めないということでございます。しかし、この日中共同声明につきましては、事柄の性質上、非常に重要な内容も含んでおりますので、国会に於いて十分ご審議を願いたいと考えております。

 アジアの平和構想を確立する為、日米安保を解消し、非軍事的な日米友好条約を結んではどうかという御発言でございますが、毎々申し上げております通り、日米安全保障条約は、日本の安全と独立を確保する為に必要なものとして、これを廃棄するとか変更するとかという考えは全く持っておりません。しかも、日中の国交回復につきましては、これは日米安全保障条約というものと関係なく日中の国交の正常化が行われたものでございまして、日中の国交正常化が行われたから、安全保障条約を別なものに変えなければ親善友好の関係が保てないというものでは全くない訳でございます。極東の範囲につきましても、台湾条項につきましても、先ほど申し上げた通りでございまして、これを変更する必要はない、こういうことを基本的に致しております。

 日中国交正常化の結果、台湾との問題についてのご質問がございましたが、日中正常化の結果、我が国が台湾との外交関係を維持し得なくなったのはご承知の通りでございますが、政府としましては、台湾と我が国との間の民間レベルでの交流を今後ともできる限り継続をして行くということを希望しておりまして、これが為に必要な措置を講じつつあります。それから、日中国交正常化の結果として、日華平和条約は終了したものと認められるので、同条約第3条に於いて予想されていた特別取り決めによる日台間の財産、請求権問題の処理は行えなくなったのでございます。

 それから、アジアの不安定要因はどこにあるのかということでございますが、これは安定をしておって、全てをなくするような状態にないということを申し上げておるのであって、これはよくお分かりになると思います。これは今平和な方向に向かっておりますが、ベトナムにも問題はございます。南北朝鮮も、話し合いの機運の中にはございますが、纏まったという状態でもございません。いろいろな問題があることは、今日中の国交の正常化ということが行われただけでございまして、まだまだ東南アジア諸国だとか、また、中国とアメリカとソ連の利益も完全に一致はしておりません。このようなことは十分ご理解いただけることだと思う分けでございまして、アジアの不安定要因はこれとこれでございますというように言えるものでないことは、ご理解いただけると思います。

 開発途上国に対する援助についてでございますが、これは御承知の通り、GNPの1%を主要工業国は援助することになっております。日本の実績から申し上げますと、もう既に0.96%ぐらいになっておりますので、申し合わせのGNPの1%にはなる訳でございます。しかし、問題は質の問題でございます。政府ベースの問題が問題になっておりますが、去る日のUNCTADの会議に於いて、愛知我が国代表は、70年代末を目標にして、この現に0.23%である政府ベースの援助を0.7%まで引き上げたいということを申し述べたわけでございます。実際、0.7%まで拡大できるのかどうかという南北問題に対しては非常に大きな貢献ができるわけでございます。実際、0.7%まで拡大できるのかどうかという現実問題が議論せられておることはご承知の通りでございまして、アメリカでもGNPの0.7%政府援助を行えるかどうかということでございますから、この問題が如何に大きいかと云うことはご理解いただけると思います。この0.7%ないし8%というのが、くしくも日本の防衛力に必要な金額と大体同じなのでございます。ですから、水田前大蔵大臣は、0.7%とやすく言うけれども、日本の自衛隊と同じような金額を開発途上国に提供しなければならないというのであるから、これは相当腹を決めてかからなければならないことでありますと、こう述べておるのは、その間の事情を申しておるわけでございます。

 そういう意味から申しますと、人の為にもやらなければなりません。日本は国際的の中で当然信頼される日本にならなければなりませんし、貿易中心の日本でありますから、当然開発途上国に援助もしなければなりませんが、同じように、人にも援助をしなければならぬが、自分の生命、財産を守る為にもこの程度の金は使わなければならぬ、こういうことにもなる訳でございます。(拍手) そこらをひとつ、日本の防衛費とこれからの国際的援助という問題とのバランスを考えると、―バランス問題じゃありませんが、やはり真剣に検討すべき民族的課題である、こう思います。(拍手)

 自主・等距離・中立外交のお話がございましたが、アジア諸国との中立、平和、連帯の為の構想、アジア太平洋平和会議と云うようなものの提唱についての御発言がございました。我が国は、政治信条、社会体制のいかんに拘わらず、全ての国との友好的関係を維持して参りますが、そのことが即等距離・中立の外交とはなり得ないのでございます。あくまでも自主外交でありますが、構造的に見ても、量的に見ても、我が国の平和外交は自由主義陣営の一員として、これと密接な関係の上に立って進めることが、より効率的であると考えておるのでございます。その意味で、アジア太平洋地域に於いて平和な国際環境づくりの為の提案が為されるならば、これは十分検討するにやぶさかでないということでご理解をいただきたい、こう思います。

 日ソ平和条約につきましては、先ほどもお答えを致しましたが、既に開始をされており、去る日、大平外務大臣がモスクワを訪問した時に第1回の怪談が行われ、第2回会談以後は来春を期して行われることになっておるのでございます。なお、御指摘ががございました四つの島々、歯舞、色丹、国後、択捉、この四島につきましては、これは日本人の悲願であります。でございますので、御指摘の通り、この四島の祖国復帰を前提として粘り強い交渉を続けて参りたいと存じます。ご声援のほどを切にお願いをいたします。(拍手)

 朝鮮問題についての御発言がございましたが、これは、現在の時点としましては、南北朝鮮の対談と云う事を特に歓迎を致しておりますということでご理解をいただきたい。それから、緊張緩和のもと、四次防というのは撤回しなければならないじゃないかということでございましたが、これは先ほど申し上げた通り0.7%。GNPに対する金額でございます。これと匹敵するものでございますし、この四次防というものは、三次防と比べてみると非常によくわかるのでございます。これは三次防の事実上の延長でございます。四次防の初年度である今年の防衛庁の費用が8千億でありますから、これを五ケ年間そのまま延ばすと5、8の4兆円でございます。それに6300億円というものをまずおおよその目途として付加しておるということでございまして、内容を仔細に見ていただけると、これはもうこの程度のものは最小限必要であるということが御理解いただけると思いますし、この程度のものを持っていることで、アジアの国々が脅威を感ずる、そんなことはありません。そんなことは絶対ありません。

 なお、なぜこれほどの軍備増強をするか、日本に対する脅威の実体とは何かとか、自衛力の限界を示せ、兵器国産化は産軍複合体の危険がある、兵器輸出禁止法をつくったらどうか、こういういろいろな御指摘をいただきましたが、我が国国防の基本方針は専守防衛を旨とするものであり、四次防は、アジアの緊張を高めるような軍拡や軍備増強の計画では全くないと云うことは先ほど申し上げた通りでございます。

 現在、我が国に対する差し迫った侵略の脅威は存在せず、我が国を廻る情勢は好ましい方向に進んでおります。しかし、限定的な武力紛争の生ずる可能性を否定することはできないということは、先ほど申し上げた通りでございます。四次防は、我が国が自衛のために必要とする最小限の防衛力を整備していく過程のものとして策定したものでございまして、防衛の限界を定めなければ計画の立案ができないという性質のものではない訳でございます。しかしながら、我が国の防衛力は、一次防以来の各防衛力整備計画によって逐次充実されており、今後どこまで伸びるかという問題に答える必要はあると思いますので、おおよその整備目標を検討するよう防衛庁に指示をしてある訳でございます。

 それから産軍複合の問題でございますが、我が国の工業生産に占める防衛生産の比率はわずかに0.4%でございます。そう云う意味から考えまして、まぁ飛行機等の別な部分は別でございます。防衛庁生産以外にない飛行機のシェア等は別にしまして、防衛生産と純工業生産と云うものとの比率を考えると、0.4%というものであって、世界各国等の例に徴してもこれが産業癒着というようなものでないということはもう申すまでもないのでございます。(拍手)

 それから、兵器輸出禁止法案というものの提出と云うことは、間々問題になっておる問題でございますが、兵器は輸出しないという三原則を十分守っておりますので、その後、法律案として必要があるかないか、これはまた状態を見てまいらなければならない問題だとして御理解をいただきたいと思います。

 政府は、沖縄国会の決議に基づき、基地の整理縮小に取り組むべし、御指摘の通りでございまして、過去長いことかかって、皆さんのご協力も得て、基地は段々整理縮小、合理化の段階になっておる訳でございます。この後も整理統合に努めてまいりたい、こう思います。真剣に整理縮小の為に関係各省で検討し、また米軍とも相談をして参りたい、こう思います。

 それから経済政策についてでございますが、まず、経済政策の根本的な問題を申し上げますと、今までは確かに御指摘の通り生産第一主義と云われてもやむを得なかったんです。それは、30年代の国民所得の状態や国民総生産の状態を見れば数字的に明らかでございます。初任給8千円などという問題が国会で大きく問題になったのでございます。まず生産を上げ、給与を上げなければならない。こういう大きな大前提がありましたので、国民所得増大の為には、やはり生産を前面に押しで出しざるを得なかったわけでございます。しかし、その結果、ようやく国民所得は西欧諸国と比肩するような状態になったことは御承知の通りでございます。そう云う意味で、生産については生産第一主義から生活第一主義に、重化学工業から知識集約的な工業に移らなければならない、こういうことを政府は大きく国民の皆様の前に出しております。ただ、そういう過程における社会福祉の問題は西欧に比べて非常に少ないじゃないか、その通りであります。

 社会福祉というのはどういうことかと云うと、まず国民所得を上げることが第一であります。その次には、生きていかなければならない、生活していかなければならないという前提に立つ社会資本の不足を補い、我々の生活環境を整備するということが第二なのであります。そうして第三は、必然的に社会福祉の拡大へと繫がって行くのであります。我々は、しかし、今第一の国民所得の平準化というものを為し遂げつつございますが。まだ自分の家の問題やいろいろの問題と合せて社会保障を向上せしめておるのであります。その意味で、社会的蓄積の多い西欧諸国に比べて、今社会保障費が低廉であるということは、今まで事実でございますが、今度は先ほどから御指摘にありますように、国際収支も黒字でございますし、ようやく我々もこれから本腰を入れて社会保障と取り組めるような前提ができたというのであります。成長を確保せずして、所得を確保せずして、その前提がなくて社会保障の拡大ができるはずがありません。(拍手)

 そういう意味で、これから社会保障の理想的な姿を描き、強力に進めなければなりません。(拍手) まず、御指摘がございました、西欧より低いが、西欧並みにする為に全力を傾けるかということでございますが、当然のことでございまして、ある時期には西欧を上回るように、地球上の最大の目標に向かって努力を進めなければなりません。(拍手) しかし、ここで申し上げるのは、社会保障の拡大は必ず生産の向上、国民所得や国民総生産のコンスタントな向上と云うものを前提にしていくから、初めて大きな理想的な社会保障体制ができるのだということを一つ十分ご理解いただきたい。

 それから社会保障に対して年次計画を作るか。これはつくらなければなりません。ただ、ここで、与野党を問わず申し上げておきたいのは、やはり西欧諸国の社会保障を見ましても、イギリスの社会保障でも、その国の状態を見まして、必ずしも日本がそのまま真似ができるものでないということは御理解いただけると思います。日本には日本に最も理想的な社会保障が確立されねばなりません。そういう意味で、私は昭和60年展望に立った全国の列島改造論を前面に押し出し、理想的な青写真をかいて、それを前提にして社会保障の年次計画ができあがるということを申し上げておるのでございますから、まじめにご検討賜りたいと思います。(拍手)。

 それから、老齢年金の拡充を来年重点的に行うということは先ほど申し上げましたが、竹入さんは、年金の引き上げは明年から大幅に引き上げるのではなく、昭和60年から実効をあげのだという風に御指摘ございましたが、これは明年からできるだけ年金は引き上げて行くということでありますので、この点は一つ誤解のないように御理解を賜りたい。

 それから、公害問題につきまして申し上げますと、公害は、これはもう公害を除去する為にいろいろな政策を行っておる訳でございます。私は、公害問題はこの二、三年間に大きな問題になってきた訳でありますが、先進工業国と比べて日本は、制度、いろいろな問題に取り組むに対しては非常に積極的であるということだけは言い得ると思います。ただ、先ほども申し上げましたように東京、大阪、名古屋と云うような拠点に過度に集中を致しておりますのと、四日市やいろいろな過密な新しい拠点に複合公害というものが起っておるのでございますので、このような轍を踏んではならない。今過密のものは地方に段々と疎開をしなければならないし、新しいものは新しい立地にによって建設をしなければならない。そして工場が増えることが公害の拡散だなどと考えておることは、もう問題にならない議論であります。(拍手) それは、工場をつくれば全部公害の拡散だという考えで、もうそれは論議以前の論議でございます。(拍手) それは公害基準、立ち入り検査というようなものを強くすることによって、公害は防除できるのです。また、公害は防除しなければならないのであります。だから、排出基準を厳しくすることによって、そして工場法をつくる等によって、環境は整備され、公害のない生産は拡大をするのであります。(拍手)

 また、無過失賠償責任制度につきましては、民法の過失責任の例外を為すものございまして、無過失責任を典型公害の全てに適用するかどうかにつきましては、今後引き続き検討して参りたいと存じます。それから、御指摘ございました自動車の排気ガス規制につきましては、規制の抜本的強化を図る方針であり、昭和50年度以降、世界で最も厳しいアメリカのマスキー法による規制と同程度の規制を行なうことと致しております。従って、自動車メーカーに対しては、その方針に適合する自動車を早急に実現させるよう、今後さらに一層指導、助成を強化して参りたいと存じます。

 土地問題について申し上げますが、最近の金融緩和を背景として法人による投機的な土地買い占めが進行しております。このような投機的土地取引を抑制するため、税制上の処置については現に検討致しております。それから、全国の土地利用に対する基本法を作れということでございますが、これはもう一日も早く作らねばならぬのでございます。これは都道府県知事及び市町村を中心にして全国土地利用計画ができるとすれば、土地の供給量はぐんと増える訳でありまして、そういう根本的、抜本的な制度が土地問題の最も基本にある政策でなければなりません。その意味で、全国的土地利用計画に対する基本法の制定に対しては、皆さんのご意見も十分斟酌致して早急に立案を図って参りたい、こう考えます。

 それから、土地投機を行った法人の利得を制限するようにというような問題、これは税制上の問題について可能な限り措置をすべく今検討を致しておるのでございます。それから、千㎡、即ち300坪以上の土地の売買を禁止するという一つの提案。これは提案としては理解できますが、ただ反面、土地の取引件数や面積から見て、これをやるとすると膨大な機溝と予算、人員を伴うという問題もありますので、かかる問題は慎重に検討して参らなければならない問題だと思います。

 それから、道路、公園、学校等の公共用地につきましては、本年の12月1日から公有地の拡大の推進に関する法律が適用され、先買い制度が施行される訳でございますので、効力を発すると思います。土地の保有税等に対しても、今鋭意検討致しております。

 それから、物価の問題に対して申し上げますと、卸売物価は確かにこの2、3ケ月、対前年比上昇しております。ただ、内容を仔細に検討しますと、先ほども申し述べましたように、鉄鋼、繊維、それから木材等でございます。鉄鋼は、カルテルの問題がございますので、このカルテルをどうするのか、これはもう、当然この問題は処置しなければならない問題である。また処置することによって、今の消費者物価にはね返っておる面は十分是正できるという考えに立っております。それから繊維及び木材は海外市況の影響でございますが、これは処置できるという立場に立っております。しかし、卸売物価が今まで世界に類例のない横ばいを続けておったにも拘わらず、一面ではございますが、このような状態になっておる現況に徴し、推移を十分注視しらから適切なる措置をとって参りたい、こう考えます。

 それから公共料金の抑制、これはもう厳に抑制をして参りたいというのが答弁でございますが、ただ問題は、公共料金というようなものは普通から云うと応益負担が原則でございます。応益負担が原則であるものを一般会計で賄う為に、市町村のバスや鉄道の赤字を全部一般会計で賄う為に、本当に市町村や国が為さなければならない業病とか難病とかいうものの患者を全部引き取るようなところに金が回せないというようないろんなものがある。だから、限られた予算の中で効率的に行うには自ずから取捨選択をしなければならないことは言うまでもありません。そういう意味で、公共料金の全面的ストップというのは政治姿勢としては当然貫かなければならないことでございますが、しかし、政府や地方公共団体が当面して国民に果たさなければならない責任と云うものの中で取捨勘案せられるものであるということは、ひとつ十分ご理解をいただきたい、こう思います。

 管理価格の規制に対して法制化を行ってはどうかと云う御指摘でございますが、本件に関しては、独禁法等の適用によって十分配慮して参りたいと存じます。最後に、調整インフレの回避の問題でございますが、調整インフレとは学問的なものでございまして、今調整インフレ政策をとるなどということは全くありませんので、御懸念のないようにいただきたいと思います。

 円対策は不十分ではないか。今度の国会の殆どの使命は国際収支対策でございます。この法律も、このご審議をいただいております予算も、ほとんどが円対策、国際収支対策といっても過言ではありません。しかし、去年の7月の7項目、8項目、今度の対策等、相当努力をして参った訳でございますが、本当にこれが万全であって、全ての国際収支対策になるのかということでございますが、全力を挙げて今の時点に於いて最善のものとしてご審議をお願いしている、こう申し述べる以外ありません。しかし、我々は、48年度予算編成に際しても、この国際収支対策というものが、お互いが望ましい日本、国際社会環境にあって最も信頼される日本とならなければならないと言っておりながら、こく国際収支対策が万全でなければ、全てが水泡に帰すという状態でございますので、困難な問題ではありますが、これは両3年の間にGNPの1%以内に経常収支の黒字幅を押さえられるまでに精力的に政策を進めて参らなければなりません。しかし、自由化や関税引き下げに対しても、大変面倒な問題があります。その意味では、与野党を問わず事実の上に立って御理解を賜りたいと思うのでございます。(拍手)

 それから、国際分業や産業調整という問題にお触れになりましたが、これは本当に重要な問題、日本の産業構造そのものを本当に根本的に考えないと、本当の国際収支対策にならないということは、もう御指摘の通りでございまして、政府も在野の英知を結集して、この問題に対しては勉強して参りたいと思います。

 最後に、政治資金規正法の問題でございますが、成田君にもお答えを申し上げました。政治資金規正法改正の問題については、政党政治の消長、我が国の議会制民主主義の将来に関わる重大問題でありますが、幾たびか改正法案が国会に提案され、廃案になった経緯があることは周知の通りでございます。先ほど申し上げましたが、重大な問題だからもう一ぺん同じことを申し上げておるのです。これを今日の時点に立ってみますと、金のかかる選挙制度、あるいは政党の在り方をそのままにして、これを具体化することにいろいろと無理があることを示しているように思われるのでございますが、お互いが工夫をすることによってはその方法も見出し得るものと考えられるのでございます。特に現在、政党本位の金のかからない選挙制度について、選挙制度審議会が鋭意審議致しておる時でありますので、このような情勢を踏まえ、徹底した検討と論議を積み重ねて参りたいと考えます。以上。(拍手)

れんだいこのカンテラ時評№1010  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年12月 8日

 【1972.10.30日、衆議院における自由民主党・桜内義雄の質問に対する田中首相答弁】

 桜内君にお答えいたします。

 まず第一は、日米経済関係の真の姿を理解する為、日米関係の改善に一層努力をする必要があるという御指摘でございますが、まさにその通りでございます。戦後四半世紀の状態を見るまでもなく、日本の安全は、日米安全保障条約という重要な協定によって確保されておるのでございますし、日本の戦後の経済復興は、ご指摘の通りのような経緯を経て今日の繁栄を迎えておるのでございます。特に貿易は、輸出入とも30%のシェアを占めるという重要な状態でございますので、日米間については、常に十分なる理解と意思の疎通を図っていかなければならないと思います。そう云う意味で、前回のハワイ会談の際、私は、日米両国の間に間断なき対話の必要性を強調して参った訳でございます。

 なお第二は、日米安保体制は日本だけの問題ではなく、自由諸国家にも深い関係があり、一部反安保の批判的行動があることは遺憾であると云うことでございますが、誠にその通りでございます。安全保障条約というものは、誰を守るのでもなく、お互いを含めた日本の安全保障の為に存在をするのでございます。でございますので、これが必要性と云うものは、常に国民皆さんの中で理解を求められなければならないことは当然でございますが、しかし、日本の安全は、ただ日本だけの状態で確保できない。極東の、アジアの、世界の平和の中に大きな関連があることを十分理解をしなければならない、こう思うのでございます。

 でありますので、先ほど私は成田君に答弁を申し上げたように、質問があったからその部分に対してだけお答えをするというのではなく、そんなに異論があるにも拘わらず、自由民主党も内閣も現安保体制を守っていかなければならぬというには、それなりの理由があるからであります。そういう理由を十分国民各層にご理解を賜るということでなければならない、こう思うのであります。(拍手)

 それから第三は、経済大国日本が軍事大国にならないかという問題でございますが、経済大国になりますと政治大国になるということは、これはもう当然でございます。日本が経済大国である。即ち、日本の輸出上の動向によって世界の情勢に影響を与えると云うことでありますから、好むと好まざるとに拘わらず政治的な影響を持つことは避けがたいのでございます。しかし、軍事大国にはならない。これは憲法が明定をしておるのでございす。国際紛争に対して日本は武力をもって解決できない、こういう大前提があるのでございまして、憲法を守ろうということを言う人は、特にこの事実を理解すべきでございます。(拍手) でありますから、日本の防衛力がどのような状態になろうとも、侵略的なものとか軍事的な大国と云うものには絶対に無縁のものである、日本を守るという全く防衛一筋のものであるということを理解すべきでございます。(拍手)

 日台関係が第四点でございますが、日中国交正常化の結果、我が国は台湾との間の外交関係を維持できなくなりましたが、我が国と台湾との間に民間レベルで人の往来、貿易、経済等の実務関係が存続していくことは、いわば自然の流れでございます。政府としては、これら各種の民間交流が今後とも従来通り継続されて行くよう配慮して参りたいと存じます。

 次は、日ソ平和条約交渉についてでございますが、日ソ平和条約交渉については、1月、グロムイコ外務大臣が来日した時に、今年の秋口から交渉を進めたいと云うことでございます。この申し出を踏まえて、過日大平外務大臣が訪ソ致した訳でございます。そうして日ソの間には第1回の交渉が持たれた訳でございます。第2回以後の交渉は来年の春以降ということになっておる訳でございます。でございますので、大平訪ソはこの日ソ平和条約交渉の第1回交渉と云うことになっておる訳でございます。

 なお、その状態における北方領土問題に関するソ連の原則的立場というものでございますが、これは報道されるような少しかたい状態ではございますが、しかし、この問題が平和条約交渉において話し合われることまで否定すると云う態度は示さない。新聞に報道される通り、次には領土問題は問題となり、議題となるのだということを理解していただきたいと思います。しかし、ソ連側の態度は依然としてかたいものがあるということを前提にしてでございますが、政府は、国民的な願望を背景にして、これが返還実現の為に粘り強く、忍耐強く交渉を続けて参るつもりでございます。

 日ソ経済提携、シベリア開発等に対する見解を述べよということでございますが、日ソの間には一年間に約10億ドルの交流がございます。これは年々大きくなりつつございます。なお、シベリア開発、チェメ二の石油開発等を中心にして、六つ、七つの明確なプロジェクトを今検討致しております。これらの問題につきましても、現在は、検討をしておるものもございますし、もうすでに三つばかり片付けたものもございます。内容が固まり次第、国益に沿うものであればその実施に協力して参る、日ソ経済関係は段々と大きくなる、こういう状態でございます。

 それから、日中国交正常化後の国際的な我が国の使命、国際的な地位等でございますが、これはご指摘にある通り、日中の国交の正常化というものは、国際的にも我が国の外交を世界的な広がりというようなものに結び付けたものだと考えるわけでございます。また、先ほども申し上げましたように、経済的に大きな立場を持つ日本でありますので、政治的にも国際的な地位は段々と向上すると共に、国際的に日本の立場や義務も大きくなってまいるということでございます。我々は、平和を主軸として経済的な面から国際協調、拡大均衡というものを押し進めて行く為に、新しいジャパンラウンド、ニューラウンドを提案しておるような状態でございます。

 それから、インドシナ復興に対してはどうするのかということでございますが、これはインドシナ問題が解決することが望ましいことは申し上げるまでもないということでございます。このインドシナ戦争が終われば、日本も民生の安定等に対して可能な限り十分な協力をして参りたい、こう考える訳でございます。これは具体的方策としては、国際的な協力、国際機関を通してというようないろいろな問題がございますが、関係各国との意見も十分調整をしながら、友好的な援助を実施たいと考えております。

 それから、国防についての問題は先ほど申し上げた通りでございます。これは、世界の国々の国防費の状態等先ほども申し上げましたが、やはり、私もこの際申し上げたいのでございますが、ただ、四次防が三次防の数字に於いて倍であるとか、そう云うような意味でもって御質問また非難をされると、それはしかし、三次防の最終段階に於ける46年度から47年度の予算を見ると、今度の四次防の第一年度の金額が8千億でございます。8千億の5年と云うと、今年の予算をそのまま延ばしても、5、8の4兆円になるんだ、そういう答弁になるのであって、私はそういう発言はというものはあまり納得する問題ではないと思うのであります。

 140も国があるのです。その中で、緊張をしておるところの国は別でございますが、全く緊張をしておらないような平和な環境の中にある国でも、一体どのくらい国防費や防衛費を計上しているのか。だから、日本の現行憲法のように全く世界に類例のないものをつくろうという考え方とか、しかも無防備中立がいいんだという前提に立っての考え方とは、我々の考えは合わないのです。どうしても合わないのです。(拍手、発下する者多し) ですから、本当に考えるならば、平和な国であると云うニュージーランドや、それから大洋州のオーストラリアや、スウェーデンやノルウェーや、そういう国々は一体どの程度の国防費を持っているのかと云うことと、まじめに比較をすべきなのであります。これは私が申し上げるのは、自民党と社会党の問題じゃないのです。日本人全体を守らなければならないのが国防であり、防衛であると云うことで、私は、感情とか、過去の行きがかりとか云うものは全然別にして、新しい立場に於いて日本の防衛は論じられるべきである、こう考えております。(拍手)

 それから、青少年の問題でございますが、日本の今日の青少年は、幸いにして戦禍を知らず、日本の目覚ましい復興を目の当たりにしてこられた世代であります。私は、これら青少年諸君が、平和国家として発展を遂げている我が国の防衛に大いなる気概を持ちあわせておると確信をしておるのでございます。

 次に、全国的な土地利用計画の問題と日本列島改造について御発言がございました。日本列島改造というのは、私が常に申し上げておりますように、これはただ一つの政策として述べておるのではないのでございます。明治初年から百年間、90%あった一次産業人口は、今年15.9%になりました。なぜ90%もあった一次産業比率が15%台になったかと云うと、一次産業から二次産業、三次産業へと人口が移動したのであります。その過程に於いて、農村や漁村や山村の人口は減って、都市に人口が集中して参ったのであります。人口が二次産業、三次産業に移動する、即ち、二次産業や三次産業比率が高くなるという過程に於いて、国民総生産と国民所得は増大して参りました。ところが、百年経った今日、都市集中のメリットとデメリットというものは殆ど同じくなった。これからはデメリットの方が大きくなるんじゃないかという風に考えられるようになりました。

 それは公害であります。それはうんと大きな投資をしても、なかなか交通問題は解決しないということであります。幾ら住宅を作っても、都市に集まる人よりも、住宅を作る数のバランスが取れないと云うことでございます。北海道に対する鉄道は、キロ当たり3億5千万円で済むものを、東京や大阪の地下鉄は、キロ当たり75億円かかってもできない。やがてキロ当たり100億になる。しかもその北海道の鉄道は、赤字だと云うのではなく、―初めから建設費の2分の1を補助してもなお大きな都市の地下鉄の運賃だけではペイしないという状態が起っておるのであります。(発言する者あり) だから、まず静かに考えていただかなければならぬのは、誰がやったか、現状をどうしたか、じゃありません。現状をどうしなければならぬのかというのが政治の責任であります。(拍手) そう云う意味で、都市集中の過程に於いては、月給が上がったり、国民所得や国民総生産が上がると云うメリットはあるのです。同時に、今度は公害を除去しなければならないと云うようなデメリットがあるのです。そう云う意味で列島の改造が必要だと述べておるのでございます。

 皆さん、土地の価格を引き下げるとすれば、根本的な問題は供給増やすよりないのであります。供給を増やすにはどうするか。列島改造以外に解決の道はない、こういうことでございます。(拍手) しかも、列島改造が行われることによって、既存の都市は理想的なものに改造せられるのであります。(拍手) その意味で、全国的な土地利用計画が必要であるということは申すまでもないことでございます。これは今列島懇談会でも検討致しております。日本人のあらゆる英知を傾けて、60年展望、65年展望、70年展望という長期的な視野に立って、土地の全国的利用計画を定めて参りたい、こう思います。(拍手) それから、土地利用の問題ばかりではなく、土地の利用規制の問題、また、現に行われておる投機的な問題に対する税制上の問題、抑制等十分に配慮して参ります。

 次に、物価問題でございますが、御指摘の通り、消費者物価は今年度は4%台に推移をする状態でございますが、卸売物価が遺憾ながら上昇過程にあります。ただ、その内容を見ますと、鉄鋼、繊維、木材等が値上がりをしておるのでございますが、鉄鋼に関しては不況カルテルの問題もございます。なお、繊維、木材については海外市況の問題がございます。これらの問題については十分な抑制が可能だと思いますけれども、この問題に対しては、一層注意深く見守り、適切な処置をとって参ります。ただ、消費者物価の問題については、いろいろ云われますけれども、私は、ここで率直に申し上げると、消費者物価の異常の高騰の直接の一番大きな原因は何か。これは、一つは都市に過度に集中をしておるからであります。過度集中というものが解決しない限り、物価の根本的対策にならないということが一つあります。

 第二の問題は労働賃金の問題であります。低生産性部門の産業も一律に、生産性の高い産業と同じように賃金が引き上げられるという問題が物価に大きな影響を持つことは、これは避けがたい事実でございます。(拍手) こういう問題も、流通機構の整備、自由化の促進、また構造改善等々十分な配慮によって対処して参りたいと思います。年金の改善問題に対しては、先ほど申し上げた通りでございます。また、社会保障の問題についても先ほど申し上げましたので、細かくは申し上げませんが、心身障害者の問題、また重度心身障害児や非常に重い病気を持っておる方々、難病、老人の病気等に対しては特に配慮して参りたい、こう思います。年金の問題、一つだけ申し上げると、最も重要なものは、老人年金に対しては、少なくとも積極的な姿勢を示さなければならない、こう考えております。

 それから、大型補正予算につきましては、インフレ予算との批判もございますが、これは、今回の景気回復は財政支出と個人消費を中心にしたものでございますので、在来のような状態でインフレ予算と考える必要はないと思います。また、インフレを招くとは考えておりません。しかし、物価動向につきましては、今後とも十分に配慮し、経済運営に全きを期して参りたいと存じます。

 それから、円の切り上げ問題でございますが、これは昨年の暮れに初めて多国間調整が行われ、円平価の調整が行われました。しかし、これだけの大きな問題でございましたが、必ずしも初期の目的を達成してはおらないということでございます。でございますので、今度のIMF総会に対して我が植木大蔵大臣も演説をした訳でございますが、シュバイツァー専務理事が、日本に対してだけ円平価の再切り上げを求めない、こう云われたのは、求めるようなことによって全てが解決できないと云うことを端的に指摘しておる訳でございます。

 しかし、円平価調整と云う大きな事態があったにも拘わらず、日本はその後依然として貿易収支は黒字を続けております。今度は、このような状態に於いて、よそからの圧力、よそから求められるというだけではなく、日本だけが貿易収支、経常収支の大幅な黒字を続けておると云う状態で、各国の理解や協力が得られるはずはないのであります。新しい国際社会の中に於ける日本として、日本自身の英知と努力によって、少なくとも三ケ年以内には経常収支をGNPの1%以内に押えなければならない。こう申し上げておるのでございまして、円の再切り上げ問題と云う問題は、もっと新しい角度から見なければならない問題だと思います。

 今円平価を切り上げられて、中小企業はこれに耐えられるはずはありませんし、中小企業だけではなく、それは利益もなし、影響するところだけ非常に大きいということであって、平価の再調整を避ける為にも、あらゆる政策を進めなければなりません。その意味で、今度の補正予算もお願いをし、国際収支対策も議会でお願いをしておる訳でございます。(拍手)

 総合農政の問題につきましては、これは総合農政、新しい国際的に競争できるようにと云いますが、それは理想であって、現実的には一歩ずつ総合農政を進め、適地適作等をやって参らなければなりませんが、ここで一言申し上げる問題は、日本の農村というものが純農政だけでやっていけるのかどうかという問題であります。これは、与野党を問わず考えていただきいのは、結局先ほども申し上げた通り、百年間に90%の一次産業人口が15%台に減ったのです。しかし、今なお減反政策を必要とするのでございます。その意味で必要なのは、申すまでもなく、これから15.9%という一次産業比率は10%、なお減るのでありましょう。

 この二次産業や三次産業に転出をしなければならない一次産業人口をそのまま都市に集めるとなると、これは物価問題とか土地問題というものが破局的になると考えなければなりません。そこで考えたのが、与野党一致で通した農村工業導入化なんであります。それだけではありません。新産業都市建設法であり、地方開発を必要とするのはそういうことなんであります。ですから、一次産業人口からはじき出されるであろう、二次産業、三次産業へ移動しなければならないと云う人たちに、農村工業導入法や工業再配置法によって職場を与えよう、そして農工一体と云う新しい時代をつくらなければ―そこが本当に日本の農政のポイントであります。農業自体を専業農家と兼業農家というものに分けながら、どのような理想的な姿をかくかということでなければならない。それは、例を引いて申し上げると、返還された沖縄に、二次産業と三次産業の比率を上げなければ、沖縄の県民の所得は増大しないという事実を見れば、何人も否定できない事実であります。(拍手)

 中小企業の問題は、今も申し上げましたように、円平価の問題に徴しても重大な問題であり、国際競争力に耐え得るような中小企業の育成に努力をして参ります。なお、新産業都市の建設、内閣機構の強化、行政機構の再編成、法制制度、慣例等の見直し、新しい政策を遂行し、責任政治を担う為に果たさなければならない幾多の問題に対して御指摘がございましたが、この問題に対しては、また予算委員会で詳しく申し上げることにします。以上。(拍手)

れんだいこのカンテラ時評№1011  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年12月 9日

【1972.10.31日、衆議院における日本社会党・堀昌雄の質問に対する田中首相答弁】

 堀さんにお答えいたします。

 第一点は、先ほど春日委員長にお答えを申し上げましたが、昨日の成田委員長に対する答弁の中で、憲法に関する問題に対して誤解を招くようなところがございましたが、先ほど述べました通り、世界に類例のない我が国憲法の平和主義を堅持して参りますことは申すまでもないことでございます。こういうことでございますので、御了承を賜りたいと存じます。

 消費者物価について申し上げますと、経済成長の過程で、給与所得者の所得が、消費者物価の上昇を上回る伸びを示し、国民生活の実質的な水準が茶実に向上してきたことは事実でございます。しかし、物価上昇の要因としては、生産性の高い企業の賃金上昇が、中小企業やサービス業など、御指摘の通り生産性の低い部民に波及するということも否定できない事実でございます。こういう状態の中から物価問題が起って参る訳でございます。御指摘の通り、消費者物価の上昇は預貯金を減価させ、あるいは利子、年金生活者等の生活を不安にするというデメリットがございまして、これは物価対策を強力に推進しなければならぬことは、申すまでもないことでございます。

 物価の上昇を抑えるということについては、去年、おととし、5%余の年率でございましたが、今年は4%台の、1%以下低い状態で押さえ得るのではないかということが考えられる訳でございます。しかし、低生産性部門に対する施策を強化致しましたり、流通機構の整備を行ったり、自由化を行ったり、いろいろなものがございますが、やはり前々申し上げております通り、過度に拠点に集中しておるという問題にメスを入れながら、いわゆる日本列島改造を踏まえて消費者問題に十分な施策を行って参りたい、こう考えます。

 第三は、管理価格をやめるべきであるということでございますが、生産性向上の成果が、自由且つ公正な競争を通じて消費者にも還元されることは望ましいことでございます。今後とも管理価格の実態把握に努めるとともに、競争条件の整備等、対策面においても十分配慮して参りたいと存じます。

 公害問題に対して申し上げます。公害対策は、国民の健康生活を守る為、内政上の重要な課題であることは御指摘の通りでございます。関西新空港の問題について御指摘がございましたが、地元及び公共団体の意見等も十分尊重して計画を進めなければならないことは、申すまでもないことでございます。慎重に対処して参ります。瀬戸内海の赤潮対策について申し上げますと、下水道の整備、工業排水の規制等、瀬戸内海に対する十分な調査を行って、赤潮と云うだけでなく、瀬戸内海の汚染に対しては根本的な施策が必要であると考える訳でございます。

 社会保障問題について申し上げます。日本のあ医療の問題はどうかということでございますが、これは、堀さんがお医者さんでございまして専門家でございます。日本のあるべき医療の理想図をかかなければならないことは、人命に関する問題でもございますので、本件に関しては、鋭意努力を続けて参りたいと存じます。第二点の医薬品の問題でございますが、医薬品の特質に鑑み、安全で有効な医薬品を供給し得るよう公的規制を加えており、薬価基準につきましても、市場価格の下落を反映して年々引き下げが行われているところでございます。しかし医薬分業の問題、根本的な問題もございますので、十分検討のうえ、結論を出したいと思います。

 公的年金の併給問題について、堀木訴訟の件について御指摘がございました。御承知の通り、一審で決定しないということで控訴は致しておりますが、問題は別と致しまして、障害福祉年金受給者に対する児童扶養手当の併給問題、これは児童扶養手当についての併給が可能になるよう措置すべきであろうという方向で検討致しております。老人対策につきましては、寝たきり老人に対する援護、就労の場の確保等、十分なる措置を必要とする訳でございますし、医療の無料化等も必要でございますが、堀さんの御指摘は、電話を一台ずつつけたらどうかということでございます。この問題に対しては、まだ十分検討致しておりませんが、せっかくの御指摘でございますので、検討してみたいと思います。

 円対策について、貿管令の発動だけでは実効を上げ難い、輸出税を徴収すべしという御指摘でございますが、これは、政府もこの問題に対して検討致しておったのでございます。ただ、先般の円対策につきましては、輸出課徴金につきましては、引き続いて検討しようと云う立場をとっております。それはなぜかと申し上げますと、西ドイツ等で輸出課徴金制度等を実行したのでございますが、そういう制度をただ実行すると、来年たつと、そのままその部分が平価の切り上げに繫がるというようなこともございましたので、学問的にももう少し検討を必要とするというのでございます。ただ、貿管令の発動というものと輸出課徴金というのは、裏腹の問題でもありますので、これらの問題は、政府、業界におきましても検討を継続しておるということで御理解をいただきたい、こう思います。角をためて牛を殺すということになってはならないのであります。(拍手) これは理論だけを追うことに汲々として、三ヶ月後、半年後に輸出課徴金、輪出税というものが、そのまま円平価の切り上げに繫がるということになってはならないのです。(拍手)

 税の問題に対しての御指摘がございました。法人税は優遇に過ぎるのではないかということでございます。45年度から1.75%の付加税率を徴しておりますので、御指摘の通りでございますが、現在、国税、地方税を合わせて実効税率は45%強になっておる訳でございます。法人税負担のあり方等は、税の全ての問題と合せて検討しなければならぬ問題でございます。直接税、所得税中心から、間接税にどの程度ウェートが変えられるのかというような、税の根本的問題と、時の財政事情等を勘案して検討すべき問題でございます。これはもう堀さん専門家として十分御承知の件でございますので、以上申し述べておきます。

 交際費税につきましては、逐年強化をして参りましたことは、御承知の通りでございますが、来年3月末に現行制度の適用期間が到来を致しますので、大蔵省を中心にして検討を進めております。配当控除につきましては、15%から12.5%に、そして来年から10%に引き下げられることになっておる訳でございますので、これ以上の問題は、税全般の中で勉強すべき問題だと思います。税は検討を必要とするのであります。

 それから政治資金規正法につきましては、せっかくの御指摘がございましたけれども、改正案は、国会に間々提出をされ、廃案になっておる経緯がございますことは御承知の通りでございます。選挙制度、それから政党の問題、政党の在り方、金のかからない選挙等々、今選挙制度審議会で御検討いただいておりますので、その結果を待ちたいと思います。選挙区の是正の問題は、長いこと問題になっておることでございますが、これは、選挙制度をどうするかという問題と定数という問題を切り離してはなかなかできないのでございます。一回、大都市の幾ばくかの選挙区に対して、定数を是正した経緯もございますが、現在選挙制度審議会に於いて審査中でございますし、また、衆参両院を通ずる根本的な選挙制度改善、定数問題、こういうことで検討が続けられておる訳でございますので、この結果を待っていただきたい、こう思います。

 それから、出稼ぎの実態、出稼ぎの投票参加というものに対しては、これは輸送の問題、有給休暇の問題、外国の事例等、さらに勉強する必要があると思いますが、不在者投票制度が積極的に活用が図られねばなりませんし、今の制度は少し面倒な気も致します。これは、お互いがこれらの問題に対しては十分承知しておる問題でございますので、出稼ぎ等が投票に参加できるように最善の道を開くべきだと考えておる訳でございます。以上。(拍手)

れんだいこのカンテラ時評№1012  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年12月10日

 【1972.10.31日、衆議院における日本共産党・不破哲三の質問に対する田中首相答弁】

 お答えを致します。

 極東条項、台湾条項を廃棄せよ、沖縄―台湾間の米軍海底ケーブルを撤去せよというような御質問でございますが、日中両国間の国交正常化は、海底ケーブルの問題も含め、安保条約に触れることなく達成されたものであり、台湾が極東の範囲に入ることにつきましては、従来とも変わりがないのでございます。我が国は、台湾を中国を代表する政府として認めることはできません。が同時に、米国その他の諸国が台湾と有している関係を否認する立場にはない訳でございます。私は、日中国交正常化を実現し、中国側との相互理解を深めるため訪中したのでありまして、私の訪中がそれ以外の目的を有しないことは明らかでございます。従って、貴党に対する問題などは話題にしておりません。

 ベトナム和平に協力し、米軍の侵略に加担するな、ベトナム民主共和国、朝鮮民主主義人民共和国との正常化等についての御発言でございますが、ベトナム和平については、目下関係者が真剣な努力を重ねており、近くこれが実現するものと期待を致しております。事態が沈静化すれば、ハノイには本年初め、外務省の担当課長が訪問をしておることでもあり、北ベトナムとの往来は一層頻繁になるものと考えております。なお、朝鮮民主主義人民共和国とも、スポーツ、文化、経済と、段々交流を積み重ねておることは御承知の通りでございます。

 安保条約を廃棄せよ、沖縄の毒ガスを点検せよ、四次防を国会に諮れという問題でございますが、安保条約の目的は、間々申し上げております通り、我が国の安全を確保することにありまして、政府としては、これを堅持して参るつもりでございます。同様の理由により、四次防を撤回する考えもございませんし、四次防は重大な国防の問題でありますので、国会に於いてはもとより、広く国民各界各層に於いて議論をして行きたい、こう考えるのであります。しかも、防衛問題に対する国会の審議機関としては、各党にもお願いを申しあげておりますが、安全保障に関する常任委員会の如きものを設けていただいて、十分国会でご審議いただくのが正しいと考えておりますし、政府もそうお願いをしておるのでございます。御指摘の沖縄の毒ガスは、昨年五月に全てが撤去をされておることが確認をせられておりますので、念の為御報告申し上げておきます。

 経済政策につきまして申し上げますが、日本列島改造論の狙いは、福祉が成長を生み、成長が福祉を約束するという成長活用の経済運営のもとで、過密と過疎の同時解消、公害の追放、環境の保全、物価の安定などを勇断をもって行い、国民が安心して暮らせる、住みよい、豊かな日本をつくることにあるのでございます。なお、日本列島改造論は、御指摘にありました通り、46年5月、当時幹事長であった私の名前で発表した「統一地方選挙と我々の反省」に強調している政策の方向を発展させたものであることを御承知いただきたい、こう思います。

 それから、列島改造は、60年国民総生産を304兆円にすることを目的として、とお考えになっておるようでございますが、46年の国民総生産を基準にし、60年まで年率10%の成長を続ければ304兆円になるし、8.5%の成長を続ければ248兆円になるという、一つの目途を示した数字であることを誤解のないようにしていただきたい、こう思います。即ち、日本の持つ潜在成長率を数字で積算をし、それによって農業から転化しなければならない人員を吸収することも可能であるし、なお、我々の15年間に於いて国民総生産を4倍にすることも可能である、そう云う数字を前提にして、理想的な将来図を描く基礎数字として提供したものであることを御理解賜りたい、こう思います。

 公害、物価、社会保障について申し上げますと、汚染の原因者が公害防止費用を負担すべきとの考え方につきましては、我が国の制度は、既にそのような考え方をしておるところでございますが、公害防止には万全を尽くさなければなりません。また、発生源からの汚染物質の排出等の規制については、これを一層強化致しますが、さらに総量規制等、適切且つ合理的な規制方式を検討して参ります。物価安定の為には、日本列島合改造を始め、各種の施策を講じて参ります。また、独占禁止法の厳正な運用によって、不当な価格形成は排除して参りたいと存じます。また、年金の財政方式につきましては、直ちに賦課方式に移行するのではなく、現行の修正積み立て方式を、実情に即した配慮を加えながら維持していくことが適当だと考えます。以上。(拍手)

れんだいこのカンテラ時評№1013  投稿者:れんだいこ  投稿日:2011年12月31日

 【2012.1.1たすけあい党新年声明】

 2012年、謹賀新年寿(ことほ)ぎ申し上げます。

 本年を如何なる年にすべきかメッセージさせていただきます。このところ恒例となりました「たすけあい党声明」ですが、「2011.1.1たすけあい党新年声明」を読み返してみて基本的に構図が全く変わっておりません。それだけ政治史上の進歩がなかったと云うことになります。

 新たな特徴として菅政権が粗脳の極みの失態を演じたまま終息し、代わりに同系の野田政権が生まれ、相変わらずのシオニスタン政治に邁進し、目下は消費税を始めとした各種公租公課の増税路線を驀進中で自絞殺している局面にあるということでせうか。この自絞殺も、自らの意思ではなく彼らシオニスタンを背後で操る奥の院指令による民主党潰しに過ぎません。つまり、「上からの反革命」が仕掛けられ、マスコミがこれを上手く誘導しているということです。見え透いたペテン政治であり、断固として粉砕せねばなりません。

 以下、「2011.1.1たすけあい党新年声明」文を基調にしながら、新たな事象を書き加えたものを「2012.1.1たすけあい党新年声明」として再度訴えたいと思います。

 民主党政権は鳩山、菅、野田と三代経緯していますが、2009政権交代に寄せられた期待を意図的故意に上から裏切り続けるペテン政権であることを晒し続けております。現代世界を牛耳る国金融資本の日本解体溶解指令を請負う政治でしかありません。自公政治となんら変わらないどころか、機関運営民主主義を破壊した自公政治以上の官邸政治により国家の重大政策をいとも容易く立案、調印し続けております。

 この異常政治と一刻も早く決別し、四番手政権として2009政権交代実践派政権、自律自存手法による日本改造政権誕生の年にしたいと思います。我々は2009政権交代の日の目を見るには見ましたが、まだその果実を味わっておりません。民主党三代政権はマニュフェストを裏切る「上からの反革命政権」でしかありませんでした。マニュフェスト改竄派の政権はもう食傷です。今度はマニュフェスト実践派の出番です。とにもかくにも掲げた公約は一度は履行し、不都合は履行後の検証により見直しして行くべきです。かく永続革命させて行くべきです。

 実現すれば日本の戦後政治史上久しぶりのハト派政権の登場になります。戦後日本を有能に舵取りし、世界の奇跡と云われた戦後復興、続く高度経済成長時代の政治を再興せねばなりません。この成功事例を再検証し現代版で焼き直すことこそが待ち望まれております。皆さん、力を合わせて頑張りませう。たすけあい党は未だ微力ですが、目下は理論の力により、ゆくゆくは数の力によっても日本政治史上に枢要な役割を果たそうと決意しております。今年もご声援宜しくお願い申し上げます。

 詐欺政権が相変わらず野党とマスコミを巻き込んで小沢どん攻撃を執拗に続けております。政治詐欺派による小沢どんバッシングをそろそろ終息させねばなりません。2011年は、検察正義の裏舞台を暴く画期的な年になりました。検察は、「政治とカネ」に纏わる容疑で小沢どんに集中攻撃を仕掛け、「天の声献金」まで捜査しましたが容疑を立証することができませんでした。逆に、証拠物のフロッピーディスク改竄容疑で逮捕されると云う前代未聞の不祥事で知られる前田元検事により、小沢どん訴追に於ける検察不正義の過剰捜査が内部告発されました。

 滑稽なことに、小沢どん秘書裁判判決で「赤旗スクープ」が認定され立件に繫がったと自画自賛していた日共がダンマリしたまま今日に至っております。平素政治倫理や道理を異常に説く日共の化けの皮が剥げ、国際金融資本に雇われた「左からの突撃隊、言論大砲」政党に過ぎない正体を顕わしました。そういう意味で、小沢どん攻撃に限界が訪れつつあり、小沢系政権かシオニスタン政権かを賭けた関ヶ原決戦と云う剥き出しの政治闘争へ向かいつつあります。これは喜ばしいことです。

 昨年2011.3.11日、三陸巨大震災が発生し、菅政権が無能極まる対応をしたまま今日に至っております。日本史上初の本格的な原発事故をも伴い、その後遺症副作用とも云える被害がこれからも続きます。日本が原発からの撤退に向かう契機であるのに、現地での対応がままならぬさ中に原発続投を宣言し、東電救済に巨額税金を投入し、それも二次三次が待ち受けております。原子炉廃炉も容易ではありません。瓦礫処理に知恵がなく徒に費用を掛けてたらい回ししております。被災民対策も地方自治体任せで後手後手に回っております。現地復興の槌音が伝えられますがなべて民間主導のものです。政治がそれを抑圧しているというのが実態です。

 これらにより政権交代効果はすっかり色褪せてしまいました。これは武運つたなく生まれた過ちではありません。現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義の指令に基づき、日本経済を意図的故意に活性化させないよう、日本を破産させるよう御用聞きしている故と看做す必要があります。これに応ずる者には見返りに地位保全と大臣ポストを主とする登用機会が与えられ、これに喜々としている政治屋の貧相矮小な生態が見えてまいります。今や人民大衆がこれを見抜き、失望から怒りに転化しつつあります。これは当然であり、もっと厳しく弾劾する必要があります。

 この政治事象を疑惑すべきです。漫然と批判するのではなく、小沢系を除き、その他なべての政党と政治家が国際金融資本帝国主義のシナリオを御用聞きしているのではないかと疑ってみる必要があります。自公、鳩山、菅、野田政権の醜態を偶然的事象と捉えるようでは歴史の真実が見えてまいりません。こういう輩をシオニスタンと命名しています。今や日本の政界はシオニスタンに籠絡されています。共産も社民もその他諸新党も同じ穴のムジナです。してみれば、国際金融資本帝国主義の支配力が与野党、右派左派問わず及んでいることが分かります。そろそろシオニスタンどもを一網打尽に追放する頃ではないでせうか。

 彼らを一網打尽することは難しくはありません。連中は政財官学報司軍の国家権力中枢八者機関を押さえておりますが、秘密結社特有の性としてごく少数に限られます。圧倒的多数は苦々しく事態を見守っており、然るべき政権が生まれれば掣肘することは容易です。案ずるより生むが易しと心得るべきです。

 野田政権は菅政権同様に、増税政策により民主党内を分裂させ、その分裂騒動により党への期待をすっかり褪せた状態に追い込み、その上での衆院解散を画策しつつあります。これは、国際金融資本帝国主義が、2009衆院選の結果としての300議席を越える民主党議席がよほど邪魔になっていると云うことです。菅―野田政権は、この思惑に基づくいわば民主党潰しの請負政権と化していることになります。

 歴史の流れは、民主党正統派による四番手政権の創出を不可避としています。次の政権交代は小沢派連合によって切り開かれるでせう。どうせそうなるのなら早いのに越したことはありません。シオニスタン政権が日延べするほど一日一日国益を失います。思い返すに、世界史的称賛に値する戦後日本の奇跡の復興と発展は、政治上は自民党のハト派政権の能力によってもたらされてきたものです。

 しかしながら、その政治能力はロッキード事件を境に掣肘され、1980年代初頭の中曽根政権誕生と共にタカ派政権が日本政治を牛耳り始め、それと同時に世界史的侮蔑に値する日本凋落が始まり、今日に至っていると考えるべきです。以来、30余年にもわたる悪政により、もはや日本にはかっての国富がありません。国家財政もとみに悪化させられており、待ったなしの局面に至っていると考えるべきです。日本政治史上1980年代初頭に終焉して以来長らく地下に押し込められてきているハト派政治を復権する以外、日本再生の方法はないと考えます。わが党はこのことを強く訴え、ハト派政治の再興に尽力いたします。

 以下、「2010.1.1たすけあい党新年声明」を書き直し復唱しておきます。

 日本は、太古の昔から今日に至るまで、世界史上稀なる「なんだかんだ云っても割合と良い社会、国」であった。他国との相対的な比較に於いてですが、まずかく認識する必要があるように考えております。この点で、左翼は早急に半身構えの悪い癖を直さねばなりません。日本は良い国と思うべきです。否定をすれば賢いと思うのは青年期特有のものです。全体として日本は世界的に稀な豊かな助け合い精神で世の中を創って来た「良い国」と認識し直すべきです。ここを間違う故に、闘争対象があらぬ方向へ行ってしまうことになります。これが、れんだいこの学生運動検証の果実です。

 更に云えば、戦後日本は、大東亜戦争の敗戦を通じて、歴史の僥倖か必然かは定かではありませんが結果的に、戦後憲法秩序に体現されたプレ社会主義的体制を獲得していたと窺うべきです。ソ連邦の解体後もマルクス主義の魅力が踏みとどまり得ているのは、「実はソ連邦、中国、東欧等々の社会主義は社会主義ではなかった。戦後日本が具現したものこそ社会主義であった」とする知見によってです。戦後日本はそれほど魅力的な社会だったと考えるべきです。

 その「割合と良い社会、国」が次第に、中曽根-小泉政権以来急速に破壊されつつある、故に闘わねばならないと考えております。この時代に、中曽根-小泉政権的構造改革路線と親和するような動きを見せた日本左翼運動内の党派、自称インテリ左派が居たとすれば論外として放逐、自己批判を迫らねばならないと考えております。

 我々が今闘う基点は、日本が悠久の歴史を通じて培ってきた共生共存の思想、仕組み、共同体の護持だと考えます。故に、この基盤を壊す者たち、制度、手法と対決せねばなりません。このことをしっかりと踏まえなければなりません。日本が悠久の歴史を通じて培ってきた共生共存の思想、仕組み、共同体の擁護と発展を目指すのが是の流れであり、これを壊す徒な自由化の流れを邪と分別すべきです。これを論証するのは別の機会に譲りますが、世界史上に於ける日本の位置づけをかく確認すべきです。この認識に至らない自称インテリばかりを輩出しておりますが、根本のところが分かっていない無知蒙昧な輩でしかありません。

 それもその筈で巷に溢れているのは邪道テキストばかりであり、それ故に下手に学問すると学んで余計にバカになります。そういうバカな自称インテリが大量生産され、その一部がマスコミの寵児となって日ごとに我々を説教し続けております。現代日本を牛耳っている政財官学報司警軍の八者機関の上層部は、こういう連中ばかりで占められております。そういう日本にされている訳です。我々はまず、この構図を打破せねばなりません。

 その為に各戦線に於いて有益な学問テキストを創出しなければなりません。その見分けをどうすべきか。これを簡単に申せば、我々の脳のシワを増すような学問を営為せよ、脳を骨粗鬆するような学問を唾棄せよ、云い伝えされてきているところの年齢に応じた季節感のある寿命の費やし方を工夫せよ、規制強化による生きた屍的生活化への謀りごとと闘え、著作権フェチ糞喰らえ云々と云うことになります。この観点から、各自が営為努力すれば宜しかろうと云うことになります。

 れんだいこは、階級闘争論、搾取理論を拝戴致しません。ああいうものの見方は思想の通過点として反面教師的に学ぶべきです。学ばないより学ぶ方が良いのですが、学んで咀嚼すべきです。マルクス主義の生硬な適用は害にはなっても役に立ちません。どうしても適用するのなら、国際金融資本の息のかかったやり口として認識し、その限りにおいて糾弾すべきです。歴史法則として資本主義が生み出されていると考える必要はないと思います。

 もとへ。もっとも、マルクス主義を学ばずして排撃するばかりの手合いに対しては値打ちを語り反駁したいとも考えております。しかしながら、階級闘争論、搾取理論はそのままでは使えない、もっと練らねばならないと考えております。世の中の生業を事業と考え、生産管理、職場管理の思想を打ち出し磨くべきです。労農商階級は歴史の主人公足る能力を身につけ、その大道へ歩を進めるべきです。

 我々は、「外治より内治優先、軍需費より公共事業優先、軍事産業ではなく平和環境産業の育成、中小零細企業まで活性化する経済成長政策による税収の自然増、国民の生活と諸権利擁護、消費税の利率アップどころか悪税の廃止、公務員の天下りに伴う高給制度、退職金の谷渡りの廃止、公務員給与の適正化、国際友好親善協調政策への取り組み」等々を掲げて、これと真っ向から敵対するシオニスタン政治と闘わねばなりません。

 思い描くべきは、戦後日本の国土復興から高度経済成長時代の在りし日の日本の姿です。軍事予算はGNPの1%枠に閉じ込められ、消費税などなく、雇用、年金、医療制度が確立していました。必要な公共事業が次々と着手され社会資本基盤が整備され続けました。あの頃の日本は、世界史上のお手本的な善政であったように思います。これを論証するのは別の機会に譲りますが、かの時代の日本をかく確認すべきです。その時代のコンピューター付きブルドーザーが角栄であったのは云われる通りです。れんだいこが角栄を信奉する所以です。

 その時代は、ロッキード事件勃発、続く1980年代初頭の中曽根政権の登場とともに壊されました。「あれから40年」、日本はかくも惨めな国に転じてしまいました。国債の累積債務は天文学的です。遂に国庫収入が新規国債発行額を下回ると云う異常事態に陥り常態化してしまいました。2010年、2011年は更に事態を悪化させました。一体、誰がこんな時代を呼び水したのか、憤りなしには認められません。

 とはいえもはやあれこれ云ってもキリがありません。後悔よりもこれからが大事です。2012年は2011年に引き続き、失われた日本の値打ちを認め、再興すべき新時代の年とすべきです。れんだいことたすけあい党は不惜身命、歴史に身を預けたいと思います。本年も熱い支持と御カンパよろしくお願い申し上げます。党員志願者の続々入党頼みます。

 2012.1.1日 たすけあい党首れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№1014  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 1月 4日

 【1973.1.29日、衆議院における日本社会党・石橋政嗣の質問に対する田中首相答弁】

 ここで、「第70回国会、田中首相演説に対する各党の質疑に対する答弁その1」に続く第71回国会に於ける角栄の答弁を確認しておくことにする。この答弁を通して、1970年代の日本の在り方と現在の日本との違いが分かろう。1970年代の日本はインフレに苦闘していた。政治家は、いわば上り調子の中で舵取りしていた。国会質疑から判明するのは、諸事前向き建設的な正々堂々たる日本の姿であろう。現在の日本は逆にデフレ下に苦吟している。それは良いとしても、国会質疑から判明するのは、諸事ホワイトハウスの御用聞きしかしない質の劣化した日本である。こんな日本に誰がしたと云う怒りを媒介にさせて読んでもらいたいと思う。2012年の巻頭に相応しいブログである信ずる。

 (以下、本文)

 まずまず第一に、内閣に対する御所論に対してお答えを致します。先の総選挙で、自由民主党は、284と云う絶対多数の議席を獲得し、引き続き政権を担当致しておるのでございます。しかし、私は、総選挙を通じまして、国民の政治に対する期待や不満を痛いほどに感じ取ったのでございます。これらの期待に応えて行くことが内閣に課せられた政治課題だと考え、懸命な努力を続けたいと考えるのでございます。(拍手)

  インフレに対する措置、予算その他の御質問にお答えを致します。国民福祉の向上、国際収支の不均衡の是正、物価の安定の三つの課題を同時に解決することは大変困難な問題でございますが、全力を挙げてこれが解決に取り組んでまいりたい決意でございます。

 まず、48年度予算案は、国民福祉の向上という国民の期待に正面から取り組み、財政に課せられた役割を果たすという立場で編成をしたのでございます。48年度経済見通しに於ける中央、地方を通ずる政府の財貨サービス購入は16.6%増となっておりまして、GNPの名目成長率16.4%とほぼ同程度のものとなっておりますので、この予算がインフレ予算と云われるようなものではないことは、これを見てもご理解賜れると思うのでございます。

 なお、国債について言及がございましたが、前年度当初予算の依存度は17%でございましたが、今年度の国債発行高を16.4%にとどめるなど、経済の動向に十分配慮を致して居る訳でございます。また、調整インフレの考えは全くないことを明らかに致しておきます。

 対外均衡の達成の為には、輸入の拡大、輸出の適正化、経済協力の拡充などが一層推進されなければならぬ訳でございます。経済活動全体が均衡ある姿で安定した成長を続けることが物価安定の基本であることは申すまでもないことでございます。この為には、財政金融政策の適切な組み合わせが必要でございます。特に、国内の過剰流動性を押さえるため、金融面の対策も取られつつある訳でございます。

 当面の物価対策としましては、輸入の積極的拡大を図って参りたい、こう考えます。先ほども御指摘ございましたが、48年度予算の説明書による広い意味での物価対策費は、1兆3500億円ということでございます。流通対策、生鮮食料品対策、交通料金対策、地価住宅対策など、特に重点的な対策につきましては、3300億円を計上致しておりまして、これが金額は、前年対比51.2%増という計上を致しておる訳でございます。これらの対策を総合的に推進することによりまして、消費者物価を押さえて参りたい。しかし、これは政府だけの力でできるものではないので、野党の皆さんも含めて格段のご協力を説にお願いを致します。(拍手)

 法人税の税負担を高めるというお話でございましたが、48年度の改正におきましては、産業関連の租税特別措置の改廃により、来年度400億円の増税措置を講じた訳でございます。また、固定資産税につきましても、その負担を高める措置が講じられておりまして、この面からも税負担は加重されることになっておる訳でございます。

 48年度の国債発行額、先ほど申し上げた通りでございます。国債発行額2兆3400億円のうち、資金運用部の引き受けが4700億円ございますので、市中消化予定額は1兆8700億円でございまして、47年度の補正後の予定額と同額であることをご承知いただきたいと思うのでございます。

 公共事業費は、総額2兆8千億円でございますが、この公共事業費が、消化ができないような大幅なものではないかと云う御説でございますが、対前年度補正後7.6%の伸びでございまして、関係省庁の消化能力を十分勘案をして編成したものでございます。

 公共料金について言及がございましたが、これは極力抑制せられなければならぬことは当然でございます。しかし、人件費等のコスト上昇の中で料金だけを固定化することは困難な面もございます。もちろん、国鉄、地下鉄のように公共性の高い、国民生活に密接な関係のある料金については、財政援助を大幅に拡大を致しまして、必要最小限の負担増にとどめることと致しておるのでございます。

 土地対策についてのご提案にお答えを致します。一定規模以上の土地の取得は市町村の許可事項にせよという御提案でございましたが、一定規模以上の土地につきまして、市町村を経由して都道府県知事に届け出をさせることに致し、都道府県知事が、投機的取引と認め、合理的な土地利用を阻害すると認めるものにつきましては、中止勧告をすることを立法化して参りたいと考えております。次に、地域開発は、地方公共団体が主体となることが原則であり、その推進に当たりましては、住民の意思が十分反映されるよう、一層の配慮を致して参ります。

 地方自治体の土地先買い権を強化せよとの御提案でございますが、国土の総合開発を進めるに当たり、特に一体として開発し、整備し、又は保全する必要のある地域は、特定地域の制度を設けて参ります。この特定地域につきましては、一定期間、特に土地の投機的取引を防止し、開発行為を凍結する必要があります為に、土地取引の届け出、勧告制と合せて、地方公共団体等による土地の先買い制度を創設して参りたいと考えます。また、公有地拡大推進法による先買い制度の対象区域の拡大についても、検討を続けておるのでございます。

 また、御提案によります問題につきましては、税制調査会でも議論をせられた訳でございますが、基準となるべき標準地価として何が適当であるかについて一般的な合意が確立しないままに、その実行を図ることは困難であると云う面がございます。税制のみによって土地に対する一種の公定価格制度を推進することは無理がございます。むしろ、利用規制等を含めた税制以外の法制の整備が先決であります。(拍手)土地の増価分に大幅な分離課税をという御提案でございますが、仮に一定基準の土地評価額を上回る部分の土地譲渡益に対して重課せよということでございますれば、何を基準とするかということで難しい問題が存在を致します。また、現に保有するあらゆる土地について強制的に評価、課税するということであるとすれば、最近において投機目的の為に取得した土地については税負担が相対的に低く、古くから保有し、本来の事業の用に供しておる土地ほど税負担が重くなるといった問題も生ずるのでございます。今申し上げた問題は、この国会に法案として提案をするのであります。これは非常に画期的なものであります。(拍手) その意味において、皆さんから建設的ご審議と早期成立の為のご協力をお願いいたします。(拍手)

 なお、列島改造を取りやめろと云うお話でございますが、一億余にのぼる国民のうち、国土の僅か1%の地域に32%、3300万人が過度に集中をしておるような現況を改めない限り、諸般の問題の解決は困難であります。(拍手) これは、自由民主党内閣でなくとも、社会主義的国家におきましても、都市に集中を抑制しておる現在を考えれば、お分かりになることであります。(拍手) この狭い日本を総合的に利用せずして、いろいろな問題が解決できるとは思えません。(拍手) しかも、公共用地の取得、都市周辺に於ける空港の建設等に対して、一坪運動も行われておるではありませんか。このような状態を考えるときに、列島改造を進めずして諸般の問題が解決しないことを明らかに致します。(拍手)

 福祉対策について申し上げます。ILОの102号条約につきましては、疾病、失業、老齢及び業務災害の各部門において、我が国の水準は、条約の条件を満たしており、現在でも一応批准可能と考えておるのであります。しかし、その批准につきましては、基準を満たしていない部門の今後の方向を定め、全体についても将来の見通しを立てた上で態度を決める事が妥当であると考えておるのであります。

 各種年金の充実についての御提案がございましたが、政府としても、48年度の予算編成の最重点項目として、年金改善を取り上げた訳でございます。具体的には、厚生年金及び国民年金について、いわゆる5万円年金の実現を目途とする年金額の大幅引き上げ、物価スライド制の導入を図るとともに、老齢福祉年金を夫婦月額1万円に引き上げるなど、大幅な改善措置を講ずることと致した訳でございます。賦課方式への切り替えの問題等もございますが、被保険者に比べ受給者数が少ない現段階においては、当年度に必要な給付費用をその年度の保険料で賄うとすれば、当面は比較的に軽い負担で給付改善を行う事も可能かと思います。しかし、今後は受給者数が急増を致して参りますので、給付改善を行わない場合でも、保険料負担は今後急激に高価なものとなるなど、将来に大きな禍根を残すことになる訳でございます。年金制度の健全な発展を図る為には、長期的視野に立った財政運営が肝要でございまして、政府としては、今回の改正に当たって、現行の財政運営の在り方の基本を変更することは適当でないという結論に達したわけでございます。

 公害対策について申し上げます。政府としては、中公審企画部会の中間報告の趣旨を真剣に受け止め、環境水準、排出基準の強化等を進めますとともに、環境破壊をもたらさないような産業構造への転換を図って参ります。また、開発に際しましては、事前に環境に及ぼす影響を十分調査し、環境に悪影響を及ぼさない範囲で開発を進めるなど、環境保全の為の施策を強力に推進をしなければなりません。苫小牧東部、むつ小川原等の大規模な工業開発プロジェクトについて、公害を未然に防止し、自然環境の保全を図る為、十分な事前調査を引き続き実施して参ります。開発に当たりましては、これらの調査の成果を踏まえ、且つ地域の住民の意向を質しつつ、各地域の環境制御が可能な範囲内で工業開発の規模を定めることとしたいと考えております。また、工場施設の配置に当たっては、工場環境の整備基準により規制することとし、公害に対する常時監視体制を整備して参ります。その意味で、これを取り辞めるということは考えておりません。公害防止費用の原因者負担の原則は、公害対策基本法におきまして、我が国においても既に確立しておることは御承知いただきたいと思います。

 自動車の排気ガスによる公害の防止等についての御指摘がございましたが、従来から段階的に規制を強化しておる訳でございます。更に、昭和50年には、米国のいわゆるマスキー法に匹敵する厳しい規制を実施する方針でございます。自動車メーカーは、これらの規制に適合する有害物質除去装置の開発に対して、現に全力を挙げて推進を致しておりますし、政府としても、公害防止技術の開発には懸命に取り組んでまいりたいと考えます。(拍手)

 所得減税についてのお話がございましたが、初年度3150億円、平年度3700億円に及ぶ減税を行うことに致しました。これは所得税の自然増収額1兆2596億円の27.2%でございまして、このような減税の結果、夫婦、子二人の標準世帯におきましては、課税最低限114万9060円ということになった訳であります。私は、これが最も良いものだとは考えておりません。しかし、西ドイツの77万円、英国の93万円、フランスの100万円を比べて、そこまできた努力はひとつ御理解を賜りたい。(拍手) 日本の夫婦、子二人の標準世帯114万9060円は、日本より所得のはるかに多いアメリカが132万4000円であることを、これもひとつ御理解を賜りたいと思うのでございます。(拍手) 但し、これをもって足れりとしておるものではないことを付言致しておきます。

 防衛費と攻撃性の強いT2改機などの問題について言及がございましたが、防衛費につきましては、世界の各国が必ず、自分を守る為に防衛費を組んでおります。私も、今日勉強して参りましたが、日本以外の国々で、歳出に占める防衛費で日本より小さい国は見当たりませんでした。(拍手) しかも、一番大きいのは40%を越している国もございますし、30%を越している国もございます。四次防を含めて、我が国の歳出に占める防衛費は、僅かに7.1%、8%未満である事実も十分ご理解をいただきたいと思いまして、私は、やはりこの程度の負担は、日本の独立と自由を守る為には必要なものである、こう考えておるのであります。(拍手)

 我が国の防衛力は、憲法に許容する範囲内に限られ、侵略的、攻撃的な装備は保有できません。これは、石橋さん御指摘の通りでございます。四次防もこの制約に従って作られたものでございます。48年度予算の中にも、その意味で、攻撃的な装備は一切含まれておりません。FST2改支援戦闘機につきましても御言及がございましたが、自衛の為に必要な装備でございまして、同機の行動半径は短く、攻撃的脅威を与えるようなものではないことは、御専門である石橋さん、十分ご理解をいただきたい、こう思います。

 どこまで日本の軍事力を増強するのか、平和時における自衛力の限界なるものについて御言及がございましたが、先ほども申し上げましたように、我が国の防衛力は、憲法の許容する範囲内で、国防の基本方針に則り、斬進的に整備を進めておるものでございますが、昨秋四次防を決定しました際、我が国の防衛力は今後どこまでも無制限に増加するのではないということを明らかにできれば、国民の防衛に関する理解を得る為にも幸いであると考え、平和時の防衛力として防衛庁に勉強、研究をするように指示したものでございます。これは非常に難しい問題でございますが、防衛庁では真剣に研究をしてくれておるのでございます。先般その考え方につきまして説明を聞いたのでございますが、中間報告の段階でございまして、最終的な説明を受けるには至っておらない訳でございます。現に勉強中と御理解賜りたいと思う訳でございます。

 北朝鮮、北越、東独と国交を樹立せよ、これらの国連加盟に努力せよという趣旨の発言がございました。いわゆる分裂国家にはそれぞれ特有の歴史的、政治的な背景と事情があり、当事者間の関係も異なるので、一律に論ずることはできません。政府は、人道、文化、スポーツ、貿易の分野で北鮮との関係がやり易くなることを期待しておる訳でございます。北ベトナムとも、これまであった接触は、全般の和平実現により拡大の余地ができて参りました。外交関係の設定を行う前に戦後復興等、北ベトナムとの交流増大のため、やることはたくさんある訳でございます。東独につきましては、東西両独間の基本的条約の批准も間近になっておりますので、遠からず東独との外交関係を設定できると考えております。ドイツ民主共和国の国連加盟等につきましては、東西両独間の合意に基づいて近く双方の加盟申請が行われ、今秋の国連総会において亀井が実現するものと予想されます。(発言する者あり) これは分裂国家に対して御説明をしておるのでございます。朝鮮、ベトナムにつきましては、当事国の意思を尊重する立場から、南北両鮮間の話し合い、北ベトナム和平後の進展と睨みあわせて考えて参りたいと考えるのでございます。

 日米安全保障条約と四次防の中止の問題について御発言がございましたが、先ほど申し上げましたように、我が国の防衛力は、憲法を守り、必要最小限でなければならないと云うことでございます。また、必要最小限の負担で独立と自由を守るためには、日米安全保障条約が不可欠なのでございます。そういう意味で、日米安全保障条約を維持しながら、最小限の負担で日本の独立、自由を守って参りたいと云う悲願を御理解賜りたい。(拍手)

 アジア平和保障会議の問題について御言及がありました。アジアの平和維持は、我が国をはじめアジア諸国共通の関心事でございます。ベトナムに実現しつつある和平を確固たるものにする為、アジア・太平洋諸国による国際会議の開催の可能性を現に考えておるのでございます。その方途はいろいろございます。目下鋭意検討中でございます。タイで起っているような事件が世界各地で起らないように努力をしなければならぬという御指摘でございますが、その通りでございます。その為には、これから日本の経済援助、技術援助、また内容の改善等に対しても格段の配慮をして参るつもりでございます。

 最後に、政治資金及び議員定数の不均衡の問題等についてのご言及がございましたので申し上げます。政治資金規正法改正の問題につきましては、政党政治の消長、我が国の議会制民主主義の将来に関わる重大な問題で在りますが、幾たびか改正法案が国会に提案されながら廃案になった経緯があることは周知の通りでございます。(発言する者あり) これを今日の時点に立ってみると、金のかかる選挙制度あるいは政党の在り方をそのままにしておいてこれを具体化することにいろいろと無理があることを示しておるように思うのでございますが、工夫によっては、その方法も見出し得るものと考えるのであります。今後は政党本位の金のかからない選挙制度の実現への動向を踏まえつつ、さらに政党法の在り方なども含めて、徹底した検討と論議を積み重ねて参りたいと考えます。

 衆参両院議員の選挙区別定数の合理化かは、もとより重要な問題であることは申すまでもありません。選挙区別の定数をどう改めるのかと云う問題は、両院議員の総定数、選挙区制、選挙制度をどうするかという問題と切り離して結論を出すべきものではなく、選挙制度全体の根本的改善の一環として検討すべき性格の問題であると考えておるのであります。先の第七次選挙制度審議会でも、選挙制度全般にわたって民本的改善を行う場合、その一環として各選挙区の定数をどのように定めるかと云う点から審議が行われるという報告を受けております。政府としましてはこのような考え方を元にして、世論の動向、各政党の御意見等も十分に聞きながら、慎重に検討して参ります。以上。(拍手)

れんだいこのカンテラ時評№1015  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 1月 5日

 【1973.1.29日、衆議院における自由民主党・倉石忠雄の質問に対する田中首相答弁】

 倉石君にお答えを致します。まず、経済協力の在り方を再検討し、政府開発援助を量、質の面で拡大をすべしということでございますが、我が国の経済協力は、1971年実績におきましては、量的におきまして米国に次ぐ第二位の地位を占めているのでございます。しかし、質的には、政府援助は約その24%にとどまっておりまして、DACの平均数字を下回っております。世界第二位の経済力を持つに至った我が国でありますので、政府開発援助の量的拡大、借款条件の改善、アンタイイングの推進等、重点を置いて参りたい、こう考える訳でございます。

 第二には、インドシナ地域における復興、和平の定着の為のアジア諸国による国際会議の開催等についての御発言でございましたが、先ほども申し上げました通り、インドシナ地域の復興と安定に貢献するには、単独で協力をする場合、国際協力を通ずる場合、いずれの方法も考えられますが、我が国と致しましては、両面を考究すべきだと考えておるのでございます。至難の事業であるだけに、多くの国々の共同参加が求められることが効率的ではないかと考えております。その為には、社会体制を異にする国々をも含めた関係各国との相談を重ねて参りたい、こう考えます。しかし、バンドン会議のような派手なものは必ずしも考えておらない訳であります。地道な外交努力を展開することが先決であり、その段取りはかねてから検討しておる次第でございます。

 第三は、日ソ関係についての御発言でございましたが、日ソ関係は、経済、貿易、文化の各分野において年とともに着実に進展を致しておりますことは御承知の通りでございます。政府としては、今後とも互恵平等の原則の上に立って、隣国ソ連との多面的な関係の発展を図る方針でございます。しかしながら、同時に、日ソ関係を真に安定的基礎の上に発展せしめる為には、懸案の北方領土問題を解決し、平和条約を締結することが不可欠でありますので、政府は、引き続きソ連との交渉に一層の努力を続けて参りたい、こう考えます。(拍手)

  貿易、経済問題で日米間にある感情のもつれをどうするかということでございますが、日米両国は経済関係の維持、強化が、両国の為ばかりでなく、世界経済の発展にとっても不可欠であることを十分認識を致しておるのでございます。私は、ハワイでニクソン大統領と話し合いを致しましたときに、日本としては、両三年以内に国際的な均衡を達成するよう努力をすることを申し述べ、理解を得て参っておる訳でございます。対米貿易収支の不均衡是正に対しては、政府も、国民の理解を得て、精力的に行っておる訳でございます。しかし、今年末までの予想を致しますと、去年よりもなお日本から米国への貿易、俗に云う対米出超が拡大を致しておるのでございまして、対米貿易是正の為に、なお一層の努力を続けて参らなければならない、こう考えておるのでございます。アメリカに対しても、日本に対する輸出の促進等に対して努力をしてもらうよう、要請も致しておる訳でございます。日米間の貿易不均衡と云うような問題は、どうしても国民各位の協力を得て、正常なものにしなければならない、それは焦眉の課題であると云わざるを得ないのであります。政府はこれが解決に全力を傾けるつもりでございますが、国民皆さんのご協力も切に願いたいのでございます。(拍手)

 国の安全保障に対する基本的見解について御発言がございました。自国民の生命と財産を守らなければならないことは国の義務であります。その為、国防の基本方針に基づいて、最小必要限の自衛力を漸進的に整備し、将来、国連が有効な平和維持機能を果たし得るに至るまで、どうしても日米安全保障体制を維持しなければならぬのであります。先ほどもお答えを申し上げましたが、最も合理的な負担において専守防衛の実を挙げておる日本としては、日本だけで平和と独立を守れないと云う状態でありますので、日米安全保障条約と合せて、日本の完璧な安全を保障しておる、これは不可分なものであるということを、十分ご理解いただきたいものでございます。(拍手) 言うなれば、日米安全保障条約と云うものがもし廃棄されて、日本だけで防衛を行うとしたならば、今のような四次防が大きいなどという考え方、そんなものでは日本が守れるものではないという事実を、十分ご理解をいただきたい、こう思うのでございます。(拍手) その意味で、国連が有効な平和維持機能を果たし得る日まで、日米安全保障条約を維持して参る、こう申し上げておるのでございます。

 しかし、これらの問題だけで解決できるのではなく、国際協調の為の積極的な外交、物心両面における国民生活の安定と向上、国民が心から愛することのできる国土建設等の内政諸施策を推進して、これらの努力の総合の上に、我が国の独立と安全が保障されると考えるのでございます。先ほども御発言がございましたが、我が国は、平和な島国に閉ざされて、恵まれた四半世紀を過ごして参りましたので、ややもすれば防衛問題に対する国民の関心が薄いかもしれませんが、その当否はさておき、国会の内外において論議が積み重ねられ、国民の合意が得られるように、政府は努力をして参りたいと考えるのであります。

 基地に対する住民感情の問題等に対しての御発言がございました。しかも、基地に対する住民感情の問題と、安保廃棄というような問題、これは別な問題ではないか、別の問題として取り扱うべきであるということでございました。また、地域開発に支障のないように、支障となるものについては返還を求めたり、周辺整備事業に万全を期すようにという御注意でございますが、全く同感でございます。現在、いわゆる安保反対と云う政治的な立場と、地域的な基地問題とが結び付けられているという側面があることは、全く御指摘の通りなのであります。我が国の安全を確保し、アジアの平和に資する為には、日米安全保障条約体制が必要であり、その為に必要とされる米軍施設、区域は、日本国民全体の安全と平和の為に存在をするのでございます。従って、施設、区域周辺住民の不便や負担は、国民全体でこれを分かち合うということでなければならぬのであります。(拍手) 政府としましては、地域の福祉と発展にとってできる限り支障にならないように努力を傾けますとともに、周辺対策に万全を期する所存でございます。先般の日米安保協議委員会において十か所の施設、区域の整理統合が合意されました。これからも積極的に、地域開発の必要のあるところの基地の周辺整備等、住民各位の期待に応えられるように整備をして参りたいと考えておるのでございます。

 住民登録の拒否の問題についてでございますが、自衛隊についての住民登録が事実上拒否されておることは、国民としての権利義務行使の基礎となるものだけに、まさに憲法で保障された基本的人権に関わる重要問題であって、甚だ遺憾なことであります。こんなことが行われてはなりません。(拍手) こういうことが現に行われておって、憲法の基本的人権などを論ずるということ自体がオカシイのであります。(拍手) 政府は、この問題を地方自治の基盤をも脅かす重大な問題であると考えており、地方公共団体の良識を信頼して今日までその是正方を指導してきたところでありますが、今後もこのような認識に立って、速やかな事態の解決の為に更に努力を重ねます。(拍手) しかし、これは小さな問題ではありません。与野党とか、考え方の違いではないのです。憲法の基本的人権を守るということの第一ページにある問題であります。(拍手) 目的の為に手段を選ばないというような問題に、かかることが使われることは甚だ遺憾であります。(拍手)

 賃金上昇が生産性上昇を上回り、物価に跳ね返ることにらならないかと云う御指摘でございますが、昭和43年度以降、賃金上昇率が生産性上昇率を上回る傾向が見られます。これは、物価問題の元となっておる先進工業国で、賃金が生産性で賄えない、賃金が生産性を上回るというような問題が続くと、どうしても、西欧先進国に現われておりますように、卸売物価に影響致します。それはすぐ消費者物価に繫がるのでございます。そういうことが起らないようにと、先ほども施政方針演説で政府の基本的な考え方を述べた訳でございます。(拍手) その意味において、長期的に見ますと、我が国においては、両者は均衡がとれて推移をして来たと認められておるのでございます。しかし、最近、物価や賃金の上昇が目立っておりますので、労使における価格及び賃金の決定が、国民経済全体の中で均衡のとれた形で行われることが望ましい、こう考えておるのでございます。

 国民福祉の指標を策定し、福祉社会のビジョンを国民に示さなければならないという意味の御発言でございました。全く御指摘の通りでございます。政府は、今年度を社会福祉の年として、社会福祉拡充を目指して予算編成を致したのでございますが、新しい長期経済計画の最重点項目の一つとして、国民福祉の充実も考え、またこの長期経済計画の中に、長期間にわたる社会保障の位置づけということを答申していただこうということを考えております。なお、この答申というものをいただきましたら、体系の整備等も含めて、計画的に社会保障の充実を図って参りたい、こう考えておるのでございます。

 教育の根本に対する所見如何という問題でございますが、「教育は、次代を担う青少年を育て、民族悠久の生命をはぐくむ為の最も重要な課題である」と演説で申し述べましたが、私は教育が一番大切な問題であるとしみじみと感じておるのであります。(拍手) お互い人の子の親であります。我々の生命には限りがあります。しかし、日本民族の生命は悠久なのであります。我々の子供や孫が国際人として尊敬され褒められるような人になって貰いたいと思わない親はないと思います。私は、そういう意味で、教育と云うものは、知識を得るところではなく、人格形成の場でなければならない、(拍手) こう真に考えておるのでございます。

 日本人として培わなければならない心は本当に教え込まれるような理想的教育環境を整備する為に、政府は思い切った施策を行うつもりでございますし、国民がこの教育充実の為に真に努力を傾けられ、政府の施策に協力されることを心から期待してやみません。(拍手) 特に先ほど倉石君の述べられた通り、教育の任務は民族的伝統の継承と民主社会の規範の体得の上に個人の可能性の豊かな開花を図ることによって平和な国家、社会の形成者を育成することができるのだと云う考え方も全くその通りでございます。(拍手) お互い、政府を鞭撻していただいて、世界に冠絶した、日本に本当に適合した教育環境を作ることに努力をして参りたいと思います。(拍手)

れんだいこのカンテラ時評№1016  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 1月17日(火)20時12分11秒

 国債の累積債務は深刻な問題であり、これから目をそらす諸々の論は矢を的から外してむやみやたらに射ているに過ぎない愚行でしかない。野田首相及びその一派によれば、故にとして消費増を始めとする各種公租公課の増税で切り抜けようとしている。しかしこれも、首を自ら締めて恍惚するサドイズムでしかないのも自明であろう。

 日本は今真剣に1000兆円を超えた国債の累積債務問題に対処すべきである。だがしかしその前に国債の累積債務史を正確に理解しておくことが前提となるべきだろう。なぜなら、問題を解くには、問題を理解しなければできない相談であるからである。然るに、国債の累積債務史に言及した良い手引書がない。そこで、れんだいこが、国債論を全体的に認識する為に「国債論」を、その中で国債の累積債務史に関して「戦後国債発行史その1」と題して若干の考察をしている。今後漸次見直し充実させたいと思っている。

 2012.1.16日、れんだいこツイッターに、「国債発行も角栄さんの時から開始」なるツイートが舞い込んだ。これを愚考する。ツイート者にその根拠を問うと「ウィキペディア1965年の政治 日本国債」がリンク紹介された。これによると、「5月末頃、田中角栄蔵相、山一證券経営危機、日銀特融を決断。7月末頃 国債発行を決定」と記載されているからして、田中蔵相時代に国債発行されたのではないかとのロジックになっている。「ウィキペディア1965年の政治 日本国債」がこういう理解になるよう記しているとすれば、その記述がオカシイ。意図的故意か単なる省略し過ぎかにつき判定難いが恐らく前者であろう。

 「ウィキペディア1965年の政治 日本国債」はなぜ国債発行史を正しく記述しないのだろうか。敢えて田中角栄に責任を被せようとする意図は何なのか。れんだいこは、この辺りに興味を覚える。「ウィキペディア1965年の政治 日本国債」が正しく記述するならば、「1965(昭和40).6.3日、山一證券事件処理後、第1次佐藤内閣第1次内閣改造が行われ、大蔵大臣が田中角栄から福田赳夫に代わって以降、佐藤首相―福田蔵相コンビで国債発行が遂行された」ことを明確にせねばならない。

 執筆者が知らなかったでは済まされない重要事項だし、知っていながら田中蔵相から福田蔵相への交代を記述飛ばしすることも許されない。国債問題は、この史実を正確に確認するところから始まり、ここを曖昧にするようではろくな考察なぞできやしまい。

 以下、「国債発行に於ける福田蔵相の責任」について愚考しておく。

 戦後財政法は国債発行の原則禁止を明記し、戦後の焼け跡からの歴代の政府がこれを遵守して直前の池田内閣、佐藤内閣時の田中蔵相時までは国債を発行しなかった。その後の佐藤内閣下の福田蔵相時代になって何ゆえに火中の栗を拾うようなことをしたのだろうか。留意すべきは、この時代にあっては国債発行に依存しなくとも世界史上稀なる高度経済成長を獲得していた筈であり、国債に依存しない経済成長は大いに可能であったと云うことである。福田蔵相は何故に国債発行の禁を侵したのか。この闇を考察せねばならない。

 福田は角栄からバトンタッチして蔵相になるや、大見得を切り、「お任せあれご安心を」と胸を叩きながら戦後初の国債発行、しかも赤字国債発行に踏み切った。その後の国債発行史を見れば、この時の胸たたきには何の根拠もなく、単なる人気取り政策から発したものであったことは、今日火を見るより明らかであろう。然るに、その責から逃げ回ったのが、その後の福田の政治履歴であった。

 今日の国債過重債務問題の原点をつくったのは佐藤内閣時の福田蔵相であったのに、このことを端的に指摘する論者がいない。それは、現代日本を牛耳る政権がシオニスタン系タカ派であることにより、これに提灯する御用系識者がこの不都合な史実に触れることを忌避しているせいであろう。そうとしか考えられない。あろうことか角栄に濡れ衣を着させようとさえしている。断じて許し難い。

 こうして、戦後財政法の捻じ曲げにより国債が発行されるに至ったが、ひとたび道筋が付けられると「始めちょろちょろ中ぱっぱ」式の歩みを開始していくことになった。その様は、戦後憲法前文と9条の規定に反して自衛隊が創設され、その後様々な弁明を経つつ今日恐竜の如く肥大化している様とそっくりである。この両者は実に見事に歩調を合わせている。原発開発史も良く似た歩みを見せている。そういう意味で、軍事防衛費史、原発開発費史、国債発行史、これに消費税史も加えた四つ子が連れ子のような気がしてならない。

 れんだいこは、戦後日本政治を、政府与党を形成した自民党内のタカ派とハト派の抗争且つ混交による和合史と見ている。もっとも、タカ派ハト派の識別は、れんだいこ的な基準によるものであり、マスコミの描く像とは違う。マスコミによれば三木がハト派のチャンピオンに奉られるが、れんだいこの仕分けでは三木はタカ派系の政治家である。竹下、宮沢なぞもハト派と見なさない。むしろ、真性ハト派ラインの陣営にありながらこれを裏切り背を向けた、敢えて云うなら「ねじれハト派」と見なす。ここで云うハト派とは池田隼人―田中角栄―大平正芳―鈴木善幸系譜を云う。れんだいこは、この系譜の政治を絶賛している。拠って一律的な政府自民党批判論は受け入れない。これを論ずればキリがないので割愛する。

 国債政策にしてもそうだが、タカ派が一貫してこれを押し進め、ハト派が何とか財政再建しようと汲々としてきた歴史を見てとることができる。これをスケッチすれば、次のように云えるだろうか。

 タカ派の福田蔵相は、佐藤内閣時代、国債発行の先鞭を切っただけではない。その常態化と大量発行の道筋化にも責任を負っている。次のハト派の総帥田中内閣は賢明にもこれを抑制する。しかし、建設国債は発行されている模様だ。その田中政権が金権批判で退陣するや後継した本籍タカ派の三木が福田政策に追随し、再び赤字国債の発行に手を染め、以降常態化する。そういう意味に於いて、福田同様に三木の責任も重いといわざるを得ない。

 三木退陣後登場した福田政権時、だらだらと建設国債と赤字国債が発行され続けていく。その福田に総裁選で勝利したハト派の大平とそれに続く鈴木が、促進されていく財政悪化に歯止めをかけようと工夫を凝らす。鈴木内閣時の土光臨調はその産物であった。この時、「1981(56)年度から毎年2兆円の国債減額を行い、1984(59)年度までに赤字公債の発行をゼロにする」、「1990(65)度までに赤字国債依存の脱却」計画を策定した。予算をゼロ(マイナス)・シーリングにし、公共事業を抑制し、昭和53年度以降58年度まで所得税減税を見送る等々して財政再建に取り組んでいる。

 しかし、裏事情は分からないが鈴木が突如政権を放棄し、代わって極右たる中曽根内閣が登場する。戦後日本のハト派政治は鈴木内閣をもって終焉する。中曽根政権は、大平ー鈴木内閣時の行革路線を流産させ、再度国債発行常態化と大量発行に道を戻し暴走し、いわゆるバブル経済へ向い始める。土光臨調の労苦は水泡に帰し、無惨にも使い捨てされたことになる。

 その後を次いだタカ派の宇野、ねじれハト派の海部、竹下、宮沢は中曽根路線を踏襲し、いわば国債の垂れ流しを促進する。反自民の総結集として細川内閣が生まれ羽田へと繋ぐ。この時期再度財政再建に取り組むが、はかばかしい成果を挙げられないまま瓦壊させられる。

 自社政権の村山内閣が登場し、平成2年から平成5年度まで発行しなかった赤字公債に再々度手を染める。以降、各年度において赤字国債の発行を常態化していくことになる。平成6年以降今日まで赤字公債が止めどなく増えていく。続く橋本内閣もこの恐竜を制御できなかった。1998.7.30日、橋本首相の後任として小渕政権が発足。蔵相に宮澤喜一が就任する。宮沢蔵相時代、効のある政策が何も為されていない。この無責任野郎はいつもこうだ。

 2000年、ねじれハト派の小渕が急死し、以降タカ派の森、極右小泉へと繋がる。この時点で財政再建をあきらめた感があり、むしろ暴走し始めている。その後の安倍、福田、麻生で自民党政権が終わり、2009年衆院選で民主党政権になり鳩山、菅、野田へと移行し今日に至っている。民主党政権時代になって、それ以前の自公政権よりも酷い野放図な財政政策が続いており、むしろブリがついて止まらない観がある。

 以上振り返れば、福田の音頭とり、中曽根の打ち上げ花火、小泉のマシンガンというシオニスタン系タカ派ラインの無責任政治、民主党三代政権の垂れ流しによって、道中ねじれハト派によって若干の修正に向かうシーソーゲームを経つつも結局は奈落の底へ向いつつあることが判明しよう。

 問題は次のことにある。以上はスケッチであり、為すべき必要なことは、この国債累積債務の膨張史が歴史的必然のものなりや否やと云う考察をせねばならないということである。れんだいこの解は、現代世界を牛耳る国際金融資本の日本コントロール政策によりもたらされたものであり、ブタの子戦略で太らされたものであると判じる。

 この解析に対しては陰謀史観と云う名が伏せられる。大いに結構ではなかろうか。陰謀が存在する時にその陰謀を見ようとしない粗脳派とは永遠に交わらない知の溝がある。陰謀が存在するとして対処の処方箋を見出さんとする別の知があり、席を同じくしたいと考えている。

 2012.1.17日 れんだいこ拝

「検証学生運動」評について  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 2月25日

 nelu(かわふくG)さんちわぁです。れんだいこの学生運動論につき書評が少ないところ、nelu(かわふくG)さんがそれなりにしてくださっていることに謝辞します。特に、引用されているところの「資本主義ははたして歴史法則なりや」と云うれんだいこの問いかけの部分を採り上げ、興味を抱いて下さることに関して、よくぞ採り上げくれたと感慨しております。この問いかけは本質的に重要で、このように問うた例を知りません。その例のないところの問いかけに反応して下さったところがうれしいです。この問いかけは、れんだいこの中で今も続いております。皆さまと共に熟考したいと考えております。

 れんだいこの学生運動論は、その他その他いろんなところで従来の観点と違う見方を披歴しております。このことが書評を少なくさせている原因ではなかろうかと考えております。こういう場合、どなたかが、れんだいこ立論の是非評を発表して下さることが議論の始発になるのではないかと思います。れんだいこは既にボールを投げているのですから、どなたかが受け止め賛意するなり批判するなりの論の提起が待たれている訳です。

 nelu(かわふくG)さんの書評は本格的なものとして値打ちがあります。願わくば、竹田誠氏がどうだとか話を脇へ振らないでほしいと思います。れんだいこ文に則して御意、批判、反論を繰り広げてくださった方が有り難いです。巷間、れんだいこのオリジナル的発想が無視され、研究用材料にしてストックしておいたものを採り上げコピペ野郎だとか著作権泥棒だとか何だとかの批判がされております。

 障らぬ神にタタリなしで無視しておりますが、この手合いに、れんだいこが如何につたない知識のままながらも真剣に思想的営為をしているのか、その結果が耳目を引くに足る所論を提起しているかを伝えてくだされば有り難いです。

 いくら提起しても糠釘が一番さみしいです。そう云う意味で、nelu(かわふくG)さんの書評は本格的なものとして初のものだというところに値打があります。宜しければ何の忌憚もなく続行してください。れんだいこの励みにもなります。遅くなりましたが感想を述べさせていただきました。

 2012.2.25日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№1017  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 3月 6日

 【法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その1】

 2012.3.4日、ネット検索で「法螺と戯言」を見つけた。サイト管理人を仮にF氏と命名しておく。F氏は、れんだいこの宮顕論、リンチ事件考を踏まえた上で更に自身の見聞を加えた価値ある宮顕論を展開している。れんだいこの所説を好意的に言及しているので謝意も込めて確認する。「法螺と戯言」の全文はサイトで確認していただくとして、れんだいこに関わりのある部分、宮顕論上の秀逸な観点に特化して引用し、れんだいこコメントを付けることにする。F氏文は読み易くする為にれんだいこ文法に則り若干アレンジするものとする。腹の足しになる議論をがけている本稿は合格するだろうか。

 F氏は、「2010年02月」のブログの「時事ネタ(ロッキード事件)」で次のように述べている。

 「かれこれ40年近く昔の事件になります。あの頃、純粋(言い換えれば無知)な私は、『札束で頬を叩いて意のままにする宰相』についての過度の気嫌いから時の総理大臣田中角栄氏のスキャンダル失脚を好ましく眺めていました。しかし、時の経過の中で、あの事件が角栄氏の政界放逐を目論んだ一大政治陰謀の一場面であったことを知るに至りました」。

 「2010年12月」の「ロッキード事件と中曽根康弘氏(3)」で、当時のF氏のスタンスを次のように述べている。

 「1960年代から70年代にかけて、私は軽薄な左翼学生でありました。そうした軽薄思考の学生には、田中角栄氏と正力ー渡辺恒雄―中曽根氏はどちらも反動右翼であり、抗う対象でありました。前回掲載した簡単な年表に見るように1974年に月刊誌文藝春秋上で立花隆氏が田中角栄氏の金脈に関する連載を開始した際は、『それいけ、それいけ』と喝采したものです。ところが、立花氏は、ロッキード事件が米国上院で議論されるまさにその時期に『日本共産党の研究』と題する連載を開始するのです。共産党信者であった私は、この立花氏の連載に驚くと同時に、この連載は文藝春秋誌のいわば左右バランス感覚のなせるものであったのだろうと自らを納得させたわけです。つまり右の田中を叩き、ついで左の共産党を叩くというわけです」。

 これによると、1970年代までのF氏は「共産党信者であった」ことが分かる。そのF氏が共産党に失望し、のみならず疑惑を抱くようになった経緯が以下に立論されている。これを確認する。

 F氏の「共産党失望から疑惑への経緯」に、朝日新聞2010年2月12日付け(奥山俊宏、村山治)記事「ロッキード事件 『中曽根氏がもみ消し要請』 米に公文書」(米ミシガン州のフォード大統領図書館所蔵 )が大きく関係しているようである。同記事は、ロッキード事件当時の中曽根幹事長の奇妙な言行を暴露している。この文書は1976年2月20日、ジェームズ・ホジソン駐日米大使(当時)から国務省に届いた公電の写しであり、米国立公文書館の分館であるフォード大統領図書館に保管されており、2008年8月に秘密指定が解除されたことから知られるようになった。この記事と共にF氏の「共産党失望から疑惑への経緯」への旅が始まる。

 文書によると、1976年2月4日、ロッキード事件が米議会で暴露され、与野党いずれも政府に真相解明を要求し始めた。2月18日、三木首相は「高官名を含むあらゆる資料の提供」を米政府に要請すると決めた。 その日の晩の中曽根の怪しい行動が記されている。中曽根が米国大使館の関係者に接触し、自民党幹事長としてのメッセージを米政府に伝えるよう依頼している。

 中曽根は、三木首相の事件の徹底解明方針とは逆に、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」、「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と発言している。 中曽根の怪しい行動は翌19日の朝にも確認できる。この日、一晩考慮した中曽根は「もみ消すことを希望する」と伝えている。文書には、中曽根氏の言葉としてローマ字で「MOMIKESU」と書かれている。文書中、依然として秘密扱いの部分が2カ所あり、大使館関係者の名前は不明にされている。

 上述の朝日記事を読み流した者は多いが、F氏は、ここから中曽根疑惑の眼を点灯させる。以来、ロッキード事件論、角栄論、中曽根論、宮顕論、日本共産党論、小沢キード事件論、現代政治論へと思考の旅を続けて行くことになる。

 中曽根疑惑につき、「時事ネタ(ロッキード事件(2)」で次のようの述べている。

「それにしても爆弾級の情報でした。当時、米国にロッキイード事件の調査に行った共産党代議士の正森成二氏が帰国後の談話で、『トライスタ売込みよりもっと巨大な金がP3C対潜哨戒機売込みで動いている』と語っていたことが思い出されます。その額たるや、トライスタ関連での金とは一桁違うといわれていました。この売り込みに日本側で直接に関わったのが中曽根元首相であり、児玉誉士夫であったわけです。だからこそ、中曽根氏は、自分への疑惑を追及されることを防ぐべく、田中角栄氏を人質に差し出し、自分はその罪を免れたわけです。政治とはそういうものとはいえ、その陰湿・悪質な行為は許しがたいものがあります。そして、この超大疑惑に東京地検特捜部はなんら手をつけなかったのです」。

「2010年09月」のブログの「時事ネタ(ロッキード事件)」で次のように述べている。

「私は、40数年前の若かりし頃、日本共産党を応援しておりました。この党の躍進後退にかっては、一喜一憂しておりました。この党の代議士に日本国を真に憂い、国民の僕として働くとの気概を、主観的にかぶせ思い込んでいたのです。そして、この党を支えてきた地方議会議員、医師、弁護士などにそうした人材の存在を確かに確認してきました。何人かの国会議員は温かい目を持ち、私の信頼に応える議会活動をされておられました。しかし、全体としては、この組織を束ねる指導部には、日本を米国からの隷従から解き放ち、『国民生活を安定させるための戦術・戦略を構築する』能力と、意欲がないことが判明しました。むしろ、日本を危機に追いやる勢力に『意図』的に加担することでもって生き残りを目論む姑息さを見てきました(詳しくは、いずれ、機会をみて書きます)」。

 何と正確にも、「この組織を束ねる指導部には、日本を米国からの隷従から解き放ち、『国民生活を安定させるための戦術・戦略を構築する』能力と、意欲がないことが判明しました。むしろ、日本を危機に追いやる勢力に『意図』的に加担することでもって生き残りを目論む姑息さを見てきました」と証言している。先に共産党信者であったF氏を確認したが、いつしか共産党に失望と疑念を向け始めたことが分かる。

「2012年12月」のブログの「中曽根氏の宮本顕治氏についての照会」で次のように述べている。

「この書類を発見した朝日記者の手によるとおもわれるのが『世界』の論説です。この記事にまことに興味深い表現があるのです。『翌六日、東京にいた国務省ウイリアムシャーマンと自民党幹事長中曽根が接触した。事前に表敬のために予定されていた接触だったが、話題はロッキードになった。駐日大使館から国務省にその日のうちに送られた公電に中曽根の発言の概要が報告されていた。それによれば、中曽根がまず触れたのが日本共産党の『スパイ査問事件』だったとされている」。

 このブログの何が大事かと云うと、F氏が、ロッキード事件勃発最中に中曽根が「宮顕のスパイ査問事件」に言及していることを重大視し、中曽根が何故に「宮顕のスパイ査問事件」に触れたのかにつき正当な疑問を発しているところにある。当該論文を読んだ者は多いのに多くの者は疑問をわかさず通り過ぎている。それに比べF氏は由々しき疑問を感じたと云う訳である。F氏の謎解きの旅の圧巻部分である。

 F氏は、中曽根がわざわざ持ち出した「宮顕のスパイ査問事件」に興味を覚え、同事件の再確認へと乗り出したようである。その結果、共産党の戦前の党中央委員査問致死事件の主犯として収監されていた宮顕の戦後の釈放過程に疑義を唱えている。釈放前は「わずか4ヶ月強とはいえ、宮本氏は網走刑務所に服役中でした」と正しく認識している。「わずか4ヶ月強とはいえ」は、俗説の宮顕神話「網走獄中長期収監説」を一蹴している。その上で次のように述べている。

「1945.10.4日付けでGHQの「民権指令」により10.10日期限で獄中政治犯の釈放を占領軍は指示し、事実、治安維持法絡みの被告は10.10日に一斉に釈放されました。この時の指示は純正政治犯のみを対象としており、宮顕や袴田のように刑事犯を併合している場合には適用されなかったのです。(レンダイコ氏ブログより、引用)。しかも宮本氏の釈放が一日早い10月9日であることも謎であるとレンダイコ氏は指摘しています」、「レンダイコ氏が指摘するように上記の経過には多くの胡散臭さが残っています。しかし、私が注目するのは、中曽根氏がロッキード事件の『もみけし』に先立って宮本事件に触れていることです」。
 「渡邉恒雄回顧録 ( 伊藤 隆, 御厨 貴, 飯尾 潤 (中央公論新社、2004年))によれば、CIAエージェントとして、いまや日本中に知れ渡っている正力松太郎氏に中曽根氏を引き合わせたのがナベツネであると氏自ら語っています。なにせナベツネは自ら正力氏の走り使いであったと上記本で自慢げに語っているのですから。正力氏、中曽根氏のどちらも警察官僚です。私は、宮本氏にかかわる秘事は当然のことながら中曽根氏に引き継がれているのであろうと想像していました。しかし、どうもそうではなかったようです。もしかすると、CIA 下っ端エージェントの正力氏には宮本氏にかかわる真相・秘事は明かされていなかったのではないか。そして、中曽根氏は自らの鋭い嗅覚で、『宮本復権』に占領米国軍司令部・米国政府がかかわっていたであろう事を察知し、冒頭の質問となったのだろうと思います。

 一方、ナベツネは正力氏との日常の接触から何がしかの感触を得ていたのではないか?それを思わせるに十分な記載が上記の本で触れられています。ナベツネは学生時代つまり東大駒場の共産党新人会で相当の回数宮本氏と遭遇していますが、二人の会話は、いつもスパイ談義なのです。それは、後日の邂逅でも再度、スパイ談義です。当時、ナベツネには不明朗な金の授受からスパイの嫌疑をかけられていました。ナベツネは自らのススパイ嫌疑にかこつけて、宮本氏の秘事を署ルんでいると暗に揺さぶりをかけていたのではないかと思われるのです。1970年代、この事件の顛末は皆さんも知るとおり、共産党の『田中角栄たたき』に結実したのです」。

 ここで、れんだいこが登場している。これにより、F氏が、れんだいこの日本共産党論、宮顕論、不破論を読んでいることが分かる。その上で、れんだいこの立論に共感していることが分かる。このことが「れんだいこ検索」にヒットし、れんだいこがF氏を知るきっかけになり、れんだいこがお返しの本ブログを書いていると云う次第である。情報はかくして世界を回り戻りつ又回ると云うことが分かり興味深い。

 F氏は、「時事ネタ(ロッキード事件(2))」で次のように述べている。

「前回の記事に、このブログを読んでくださっている方から質問やら、コメントやらをいただきました。まずはレンダイコとは何か?という質問です。レンダイコとは下記のホームペイジ上で鋭い政治評論をなされている方です。http://www.gameou.com/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron.htm れんだいこ氏の本名、生い立ちについて、私は何も知りません。しかし、氏の宮本顕治論は、広い資料および文献の渉猟が窺われ、それに基づく深くかつ論理的考察には大きな説得力があり、引用しました」。

 これによれば、無名のれんだいこの所説を引用する意図が訝られ質問されたようである。その返答として、「氏の宮本顕治論は、広い資料および文献の渉猟が窺われ、それに基づく深くかつ論理的考察には大きな説得力があり、引用しました」と答えていることになる。御立派である。れんだいこが有名無名に拘わらず、れんだいこ立論に値打ちがあり、値打ちがある以上紹介すると開き直っている公正さが素晴しい。今でこそれんだいこは「検証学生運動上下巻」の執筆者として知る人ぞ知るの半有名人になっているが、この当時はもっと無名である。無名の人物の所論を紹介するのは勇気のいることである。感謝申し上げたい。この後に更に素晴しいれんだいこ好評価の弁を開陳してくれているが、それはそのケ所で確認することにする。

 2012.3.6日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№1018  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 3月 7日

【法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その2】

 F氏の「共産党失望から疑惑への経緯」の旅は続く。「時事ネタ(ロッキード事件(2))」は次のように述べている。

 「もうひとつの疑問は『中曽根氏による米国・国務省日本担当官への照会事項に宮本顕治氏問題が含まれていたことが、何故共産党による田中角栄叩きにつながるのか明瞭でない』という疑問です。

 私は、ほとんどTVを見ませんが、例外が、水戸黄門、鬼の平蔵、そして国税調査官窓際太郎であり、これらについては、録画し、食事時にそれらを楽しんでいます。豪商とつるんだ支配者が悪行非道をつくし金欲・権勢欲を満たすのですが、ドラマの最後で、この悪行・非道が暴かれるいう筋書きです。この筋書きが現在日本列島にそのまま置き換えられています。小沢一郎氏が『豪商とつるんだ支配者』という筋立てです。そして、30数年前にこの悪役を引き受けさせられたのが田中角栄氏であったというわけです。

 しかし、田中角栄氏の事跡、主張を読み返してみるに、さらには、先の民主党代表戦での小沢一郎氏の主張を見聞するにおよび、政治家をステレオタイプで一括りに見ることが正しい認識とはならないこともあるらしいと思うに至った次第です。先日、読者のお一人が、私をして小室直樹氏の記憶を呼び覚まさせてくれました。氏は『政治家は賄賂を取ってもよいし、汚職をしてもよい。それで国民が豊かになればよい。政治家の道義と小市民的な道義はちがう。政治家に小市民的な道義を求めることは間違いだ。政治家は人を殺したってよい』と、TVで70年代末に公然と言い放ち、田中角栄氏の政治家としての卓抜さを見抜き、氏の無罪を主張しました。小室氏は知る人ぞ知る、時代をこえた政治学者(氏は何々学者の範疇を超えた稀有の知識人ですが)でしたが、先年、惜しむらくは他界されておられます。

 小室氏が指摘するように、『集めた金の提供者が誰であるか、それは何に使われたのか』この二点が明らかにされるのであれば、その額の多寡は大きな問題とはなりえません。私が上に書いた、水戸黄門に登場する悪家老は、権益を独占することを許した悪豪商越後屋の存在を、密会した料亭で『お主も悪じゃのう』と言いつつ隠し続けます。そして、悪家老が集めた金は、自らの栄達に費消されますから、当然それは秘匿されます。そこには、藩、および藩領民の安穏な生活はもとより、幕府の陰険な改易などの諸策に抗っての健全な藩経営の視点はありません。山本周五郎が描く伊達騒動の主人公である原田甲斐は、藩経営にしっかりとした理念を有する例外的な家老であり、それは例外中の例外であったわけです。

 そうした視点に照らして、角栄氏の主張をざっと振り返ると、1972年7月に首相になると直ちに9月に訪中し、日中国交正常化を実現、年が明けて9月にソ連を訪問し領土問題が日ソ共同の案件を確認するなど、日本国の国益に根ざしつつ戦後の不正常な社会主義諸国との関係をただすことに力を注いでいます。さらには、同年10月に突然発生したオイルショックから、日本のエネルギ問題の安定した解決のために、外交的にはイスラエル支持をアラブ諸国支持に転換し、米国石油メジャへの過度の依存状態からの脱却を図ります。こうした、諸策はいかなる国の支配からも独立した、日本国の主権国家を目指すものであったのです。ここには明確な日本国経営の視点を見て取ることができます。これに関して日本列島改造論は日本国を土建国家に変貌させるものだとの議論がありますが、これも誤解に満ちたものであることがわかります(いずれ、書きます。たとえば、月刊誌「新潮45」、2010年7月号」田中角栄特集号)」。

 F氏のこの観点は貴重である。かっての角栄バッシングと現在の小沢バッシングに通底している金権批判の流れに対してステレオタイプな批判であるとしている。その論拠として小室直樹氏の政治家論を説いている。小室理論を通して角栄の再評価に向かっている。

「ロッキード問題と、共産党および中曽根氏」で次のように述べている。まず「http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/486.html」の下記の下りを引用している。

「ロッキード事件の真実・おさらいロッキード事件について、ポイント的なものを挙げると。 1  証拠はすべて米国側にあり、米国側の証人を日本の裁判所に呼んで、偽証罪を適用することを前提にして証言させない限り、裁判そのものが成り立たない。
2  民間の航空会社が航空機の選定をする際に、政治家に職務権限は無い。
3  しかし、軍用機は別である。児玉誉士夫はCIAのエージェントで、ロッキード社のセールスマンだった。防衛庁が国産化を検討していた次期対潜哨戒機が、ロッキード社のP3Cに変更された。当時の防衛庁長官は中曽根康弘である。
4 最高裁は嘱託尋問調書には証拠能力がないとし、事実上の田中角栄無罪判決を下している。
5  内閣総理大臣は国家元首であり、国家元首が任期中に行った決定について裁判所が裁くことは出来ない。内閣総理大臣の決定は国家による決定、また国民による決定だからである。裁判官は国民の代表ではない。国会で追及するのが筋である。

 中曽根との関連では、防衛庁長官時代に、その職務権限に直結する、対潜哨戒機(P3C)導入に絡み、ロッキード社からの賄賂が行われたのではないかという説がある。しかし、民間機の導入にからみ、田中が賄賂を受け取ったという話にすり替わった。他国における、ロッキード事件も軍用機受注が舞台になったものである」。

 上述の観点に対して、F氏は末尾で次のように補足している。

「ロッキード事件の主役は二人おり、もう一人が中曽根康弘氏であったのです。そして、このP3Cの話がいつの間にか、トライスタ購入の話の背後で見えなくなってしまったのです。このP3Cにかかわる購入経費は旅客用航空機経費に比べて一桁から二桁大きいといわれます。それに中曽根氏が深くかかわっていたとの噂が当時から囁かれていたのです」。

 F氏のこの観点は貴重である。但し、「ロッキード事件の主役は二人おり、もう一人が中曽根康弘氏であった」と評するのはまだ甘い。正確には、「ロッキード事件の主役は二人であるが、中曽根犯罪が角栄にすり替えられたのがロッキード事件の本質であり、角栄冤罪、中曽根こそ真犯人」とする観点を披歴しても良かったのではなかろうか。

「ロッキード事件と中曽根康弘氏(3)」で次のように述べている。

「日本政府には、児玉誉士夫を通じて30億円が渡されたとされていますが、その児玉氏は不可解な死を遂げています。また、田中角栄氏に渡されたとする5億円については、その渡し方のあまりの不自然さから(詳論はしませんが)、現在では、その5億円の授受はなかったのではないかとする考えが一般的です。しかし、当時の私の記憶は、『石川衆議院議員が、まだ小沢一郎氏の秘書であったころ、全日空ホテルで水谷建設のある役員から袋に入った五千万円を受け取った』との、共産党機関紙赤旗、およびTBS報道と重なるものでした。両者とも現在にいたるまで、証拠を掲載ないしは報道していません。先日、朝ズバに出演した森ゆう子参議院議員のこれに関する指摘にたしてTBSは一切の回答をしていません。現実には、この水谷建設役員の供述は、獄舎につながれており、出獄したい一心の精神的状態に検察が付け込んで得た供述であることがわかっています。実際、この五千万円については、小沢氏関連の事務所を一年半かけての捜索にもかかわらず証拠が発見されていません。そのため、石川氏を起訴したにもかかわらず、訴因変更という、あってはならない事態に検察は追い込まれ、裁判そのものが成り立たなくなっているのです。この小沢ー石川事件の経緯を田中角栄氏への嫌疑と重ねるにつけ、同様の無理筋の逮捕・起訴がなされたであろうことが想像されます。それでは、何故、田中角栄氏にこうした無理筋のいわばでっち上げ犯罪がかぶせられ、それに日本共産党が加担したのでしょうか?」。

 F氏はここで、「角栄冤罪、中曽根こそ真犯人」の観点から、現在の小沢キード事件の構図をロッキード事件に当てはめて、そういう疑惑の構図における日本共産党の加担問題を採り上げている。これをどう解析するかで駄文ともなり白眉ともなる。「中曽根氏と共産党(3)」で次のように述べている。

「しかし、そんな単純な構図ではなかったようです。今にして思えば、この田中叩き、共産党叩きは、はるかに政治的に高い意図からなされていたらしい事が見えてくるように思っています。田中叩きが主であって、そのための補強策として共産党叩きがあったのです。それは一つの標的に向けた、つまり『田中追い落とし』のための一側面であったのです。

 その鍵は、一つは、田中角栄氏の米国の頭越しの日中国交正常化であったと思いますが、もっと重大であったのが、オイル危機をきっかけとした日本独自のエネルギ問題解決への模索であったろうと私は思っています。田中氏は、独自につまり米国の強い影響力下のオイル・メジャーから脱却し、日本国の自らの意思でエネルギを確保するためにアラブ諸国との連携を強めることを決断したのです。そのためには、従来の日本国政府の国是でもあったイスラエル擁護の政策の転換が不可欠でありました。1970年代、このようないわば大胆な政策転換が看過されるはずがありません。現時点で冷静に考えれば『アウシュビッツの600万ユダヤ人ガス殺戮』は到底ありえないことであったということが、ドイツ国においてすらほぼ暗黙に了承されていることですが、40年前はそうした事のへの疑問を提起することすらタブーでありました(2006年5月14日記事)。http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51301695.html  上記記事に書いたように、疑問を呈しただけで、雑誌が廃刊されるというようなとんでもない事件が、ドイツではなく日本国で起きているのです(1995年、「マルコポーロ」廃刊事件)。私は、軽々しい陰謀論に与するつもりはありませんが、田中角栄氏はまさにその禁忌に触れたのだと思っています」。

 ここは黙って拝聴することにする。続いて「1970年中盤の政治」で次のように述べている。

「1973年10月に第四次中東戦争が勃発し、直ちにそれは、日本国にはエネルギ枯渇として跳ね返ってくる重大問題でした。日本国の最高責任者としての田中角栄氏が米国の意向に従ってイスラエル支持一辺倒では、日本国の自立した経営は成り立たないと判断したであろう事はまっとうでありました。ここには『反ユダヤ、反イスラエル』なぞといった偏狭な思惑があったとは思えません。ひたすら、日本国民を守りたいとの一心であったろうと、現時点では、私はそのように思います。イスラエルに立ち向かうのではなく、一辺倒から、中立に軸足を変え国益を模索せんとの思いであったのだろうと思っています。

 しかし、当時の日本の宗主国米国は、そこに危険な臭いを嗅ぎ取ったと思われます。これをなんとか妨げねばならぬと米国は考えたはずです。米国にとって幸いであったのは、政府与党の幹事長に、CIA代理人である正力松太郎氏子飼の中曽根氏が就いていたことです。 ロキイード事件での日本側の対応に際して、中曽根幹事長が米国大使館での国務省・日本部長との面談で『宮本顕治氏のスパイ査問事件』をまず話題にした(1月20日記事)。根底には、米国側の田中角栄排除に呼応した中曽根氏側の陰湿・陰険な思惑があったと見るのが至当でしょう。

 当時、日本共産党は昇竜の勢いでした。当選した議員は後日『赤い貴族』として指弾される津久井湖畔別荘の住人はともかく、多くは、実績豊かな弁護士、地域医療で尊敬を集める医師、地方住民の声を代弁する地方議会議員といった有能多彩な人材でありました。こうした議員が国会の場で、米国を名指しで糾弾し、米国企業の日本国支配を暴くような事態を看過することはできません。そこで、出てきたのが、二正面作戦、つまり、田中を追い落とし、共産党をしてその追い落としに加担させるという高度な戦略(戦術?)であったのです。その加担せしめる取って置きのネタが『宮本スパイ殺人事件』であったのです」。

 F氏はここで、ロッキード事件における日本共産党の角栄糾弾加担問題の背景に「宮顕スパイ殺人事件問題」が関わっており、このアキレス腱を利用されることにより懐柔されたとする観点を打ち出している。

「2011年01月」の「中曽根当時自民党幹事長の米国国務省担当官への問い合わせ」で次のように述べている。ここでロッキード事件勃発時における中曽根の奇妙な動きと、それによる角栄糾弾に向けての「宮顕スパイ殺人事件問題」をネタにしての日本共産党の利用と云う陰謀に触れている。

「月刊誌『世界』(岩波書店、2011年1月号)に『秘密解除・ロッキード事件』なる論文が掲載されました。副題は『momikesu』、『kurusii』と付されています。寄稿者は朝日新聞記者で報道局に所属します。本論と関係しませんが、東京大学工学部卒業といいますからやや毛色の変わった記者なのかもしれません。上記の副題は中曽根幹事長自身の言葉として、米国政府ホワイトハウスの内部文書に記載されているものです。昨年2月に朝日新聞のスクープ記事として公表され世間が『大変驚き』かつ事情の一端を知るものには『さもありなん』と思わせました。

 1976年2月4日、米国議会公聴会で、ロッキード航空機社から日本国をふくむ4つの国の政府要人に巨額の金が渡ったとの疑惑が明るみに出ました。この2日後、中曽根幹事長は在日本国・米大使館を訪ね、米国国務省の日本部長と接触し、情報の取得を行ったわけです。上記の副題『もみけし』、『苦しい』は日本側政府高官の心情を吐露したものと受け止めらました。「こうした事件の詳細が明るみに出ると、日本政府は大変『くるしい』事態に追い込まれる。なんとか『もみけせないものか』という本音を米国政府要人に漏らしてしまい、あろう事か、その本音が米国政府内部文書に明記され残ってしまったというのです。

 このこと自体、驚くべきことですが、私の強い関心を惹きつけたのは、国務省日本部長との会談で中曽根当時幹事長が真っ先に触れたのは『日本共産党のスパイ査問事件』だったとされている」(同月刊誌116頁中段)です。この論文の筆者の奥山氏はこのことをそれほど奇異には受け取っていないようです。というのは、1976年1月27日(国務省部長との接触の一週間前)に春日一幸当時民社党委員長が国会で『宮本事件』を取り上げ、真相解明を政府に迫っていました。共産党に『ロッキード醜聞』という自民党攻撃のための強力な武器を与えてはならないという中曽根氏の『政局観』ではなかったかと、奥山氏は分析します。

 しかし、中曽根氏が米国大使館を訪ねた2月6日の時点では、日本政府高官に30億円が渡されているとの報道が大きく主要新聞でなされているのです。いまさら宮本事件という共産党の『「アキレス腱、弱み』に付け込んで、共産党を黙らせようとしたところで、その効果は知れています。『宮本事件』で脅迫された共産党が『だんまりをきめこむ』という構図はあまりにも『見え見え』です。むしろ、共産党をして、より戦闘的たらしむる方策が利得が大きい。と、中曽根幹事長は判断したと思われます。つまり、共産党をしてより徹底的にかつ先鋭的に『田中角栄元首相をたたかしむる』ことによる利得がはるかに大きいことを中曽根幹事長は瞬時に判断したと思われます。なぜなら、これによって、醜聞は航空機醜聞に焦点があたり、より疑惑の大きいP3Cから国民の関心を逸らすことができます。さらには、第四次中東戦争によるオイルショックを経験した日本国民の苦渋の体験を踏まえ、日本国が取るべきスタンスは、イスラエルから距離をとり、中東に接近するという大胆な政策転換を阻止できるからです。もちろん、これに加えて中曽根氏の氏自身の首相願望実現もあったに違いありません。

 米国大使館では上記のような多面的な検討があったと想像します。ましてや、中曽根氏は米国CIAのエージェントであった正力松太郎氏の側近です。そのあたりの呼吸の全ては、中曽根氏の腹のうちに収まっていたであろう事は想像に難くありません。何故なら、中曽根氏の意向は即、米国すなわちCIAの意向に忠実に沿ったものだからです。共産党をけしかけて、田中非難を激烈にやらせる最も有効な鞭が宮本問題であり、代償の飴が田中角栄氏スキャンダル情報(しかし、あの榎本五億円事件受け渡しですら現実にはありえないとされている)の提供であったと私は思っています。1945年10月に『治安維持法の該当犯罪者で且つ殺人犯』である宮本氏を政治犯としてのみ認識した『米国占領軍の判断』に、疑問を抱き、そのことについての真相を中曽根氏は米国政府の口から得たかったのであろうと私は想像しています。つまり米国占領軍は宮本氏の『殺人犯としての主罪』に目を瞑ったのです。

 1976年2月6日の会談で中曽根氏がそれについての米国政府からのお墨付き(真相)確証を得たのか、否かは定かでありません。しかし、これについての傍証がいくつかあります。まずは、一つ思い出すことがあります。私の亡母がフアンでもあった共産党正森成二氏が米国でのロッキード事件調査から帰国しての羽田での記者会見の第一声で『この醜聞には航空機よりはるかに規模の大きいP3C問題がある。国会では、これを追及したい(大意)』と語っています。しかし、共産党の国会での追及は田中金脈一点張りでありました。もう一つが、1974年の立花論文『日本共産党研究』です。すでに書きましたが、田中角栄氏を叩く右手で共産党を左手でたたいていることです。共産党についての論述は大方真実を衝いていました。当然共産党は、自己の保身のために対処を思いあぐねます。月刊誌『文化評論』に宮本氏の茶坊主であった小林氏(故人)による長大な論文『弱い犬ほど吠える』といった品性のかけらも無い反論が公開されましたがおよそ、説得力にかけるものでした。

 こうした環境の中で、何がしかの中曽根氏からの救済策が共産党に提供されたと想像するのは不自然ではありません。つまり共産党には、『中曽根氏をP3C醜聞で追及せず、角栄氏の航空機醜聞に矮小せざるを得ない、つまり付け込まれても仕方が無い弱点』があったのです。それぞ、まさに宮本殺人事件であったのです。終戦直後に、宮本氏が自らの意図せざる殺人について罪に服していたにもかかわらず、(誰ぞ[=米国占領軍]の手助けを得て)、出獄、および復権を要求せなんだら、後世に生きる私たちは宮本氏の理想に燃えた純粋な心意気を信じたでしょう。しかし、事の経緯は違っていました。殺人の責を全うせず、さらには、殺人を犯しながら復権を執拗に求めた宮本氏、そしてそれを政治的思惑のために、あえて見て見ぬ振りをした当時の日本国支配者米国占領軍の邪な思惑を推測するのです。私は、共産党の変節についてこれまでもいくつか書いてきました(たとえば「松本五郎氏」)。さらにこの際、いくつかこれからも加えておきたいと思います(歴史的検証のため)。こうしてみると、政局にからんだ夫々の政党の利得勘定はそれなりに深いものがあると思います」。

F氏のこの見解は、れんだいこの分析とハーモニーしている。と云うことは、「ロッキード事件の犯罪本質は寧ろ中曽根にあり、角栄は冤罪である。にも拘わらず、角栄糾弾のロッキード事件として喧伝され、これに日本共産党が加担した。これを陰謀したのも中曽根及び中曽根の背後勢力である」とする観点につき、れんだいことF氏が存在することになった。このことの意義が大きいと思う。

 実は、れんだいこの立論はもっと強烈である。即ち、中曽根により宮顕リンチ事件のアキレス腱が突かれ、ロッキード事件の主犯追撃を中曽根から角栄に捻じ曲げさせられたと看做すよりも、中曽根と宮顕は元々同じ穴のムジナであり一朝事あれば裏同盟し合える仲間であるという前提に立って、中曽根が宮顕のリンチ事件の古傷に言及したところ宮顕が一も二もなく中曽根陰謀に加担したと云うのが実相ではなかろうか。

 これをシナリオしたのが中曽根なのか米国側の奥の院だったのかは定かではない。米国側が宮顕のリンチ事件を持ちだして宮顕率いる共産党を徹底利用すると云う点で陰謀合意したことも十分考えられる。何より反角栄で米国側と中曽根と宮顕の三者の政治的利益が一致していたと推測したい。この互いの政治的思惑の解析も恐怖深いところであるが本稿の趣旨ではないので触れないことにする。

 2012.3.7日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№1019  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 3月 8日

【法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その3】

 F氏は、「時事ネタ(共産党の小沢いじめの根源的理由)」で次のように述べている。

「私は、前回のブログで『殺人の責を全うせず、さらには、殺人を犯しながら復権を執拗に求めた宮本氏、そしてそれを政治的思惑のために、あえて見て見ぬ振りをした当時の日本国支配者米国占領軍の邪な思惑を推測しています』と、書きました。この文にこめた私の考えは、『宮本氏には復権が叶う』との確信があったのではないかと想像するからです。何故なら、治安維持法に加え、過失致死罪、死体遺棄罪などが併合されて獄舎に繋がれていたにもかかわらず、その殺人に関する責任を問われずに、したがってその責任を全うせずして宮本氏は出獄を許されたわけです。釈放を認めたからには、当局側には最早『復権を認めない』との論理は成立しなくなります。しかし、治安維持法下という特殊な政治環境にあったから、『殺人(実際には過失致死とは言え)事件も無かったことにし、その責任を問わない』との論理が、後世検証されるかもしれないことを決定者であった米国占領軍は注意深く検討したはずです。事実、1976年1月の国会では、まさにこのことの不明朗さが指摘され、政府に調査をせまる国会での論議がありました。実際、『治安維持法下という特殊な政治環境』という理屈が通るのであれば、治安維持法下での特別高等警察による残虐極まりない拷問と虐殺についても法的にはなんらの処罰を課せられないばかりでなく、その残虐さを後日論難する論拠も失うことになります。共産党が指弾する特別高等警察の残虐はいわば二重基準の論理といわれても仕方ないことです。

 宮本氏の釈放を検討した際、米国政府と占領軍には、大日本帝国による政治犯の暴力的弾圧という犯罪を棒引きにするべく、いわば相殺を図ったとの見方はありえるのかもしれません。実際、戦後の政府ないしは米国が法的手続きにのっとって、特別高等警察による過酷な拷問・取調べを調査したとの話は聞きませんから、それなりに宮本氏の『殺人事件を記録から抹消』したことと釣り合いが取れているのかも知れません。

 ところで、松本清張氏による『日本の黒い霧』などが記すところによれば、戦争直後のさまざまな謀略と思しき怪事件の数々は、終戦直後数年間での米国占領軍による占領政策のあからさまな変更に起因しています。それらの多くは「左翼勢力」による事件として当時大いに喧伝されました。しかし、これらの事件は、戦争直後ではなく、それから数年後のことです。いずれ『左翼勢力を利用する時期が来る』との分析があったとしても、それが、まさに日本国のポッダム宣言受諾からわずか数ヶ月の短期間、つまり国際情勢の帰趨も定かでないこの時期での、宮本氏釈放の主たる理由であったとは思いがたいでしょう。

 とすれば、『宮本氏の即時釈放』は、占領軍のシナリオには、早くから(日本国のポッダム宣言受諾・全面降伏以前から)既に書き込まれていたと思われます。既に書いたように1945年10月、治安維持法で獄舎にあった志賀義雄、徳田球一氏らが釈放されます。彼らが直ちに疲弊した日本国民を結集して一大政治運動・闘争を巻き起こすであろう事は誰の目にも明らかでした。当然占領軍はそうした事態を深く認識・予測していました。さて、この一大政治闘争、生活と基本的人権を求める一般国民の大闘争は、大日本帝国の息の根を完全に止めるという視点からは占領軍にとって歓迎されると同時に、一方では、その大闘争が先鋭化することの危惧をも併せ抱いていたはずです。松本清張氏は、氏の著作の中で占領軍司令部内のGSとG2の対立を描いています。

 もし、宮本顕治氏が文字通り、徳田球一氏らと共に疲弊国民の闘争を力づける存在であったとするなら、占領軍は、上記危惧を理由として宮本氏の釈放を決定しなかっただろうと考えます。そうした決定をしないことによって、一部左翼が抗議をしたとしても、宮本氏には『釈放を獲得できない厳然たる事由』があるからです。『殺人事件との併合罪であるから、釈放できない』との一言です。しかるに、宮本氏は釈放されているのです。つまり、宮本氏は、疲弊国民の闘争を鼓舞し、ひいては占領軍による日本国支配を危うくする存在とみなされていなかったとの推論が可能となります。

 しかし、それだけの、いわば消極的な理由で、殺人事件の当事者である宮本氏を釈放したとは考えにくいことです。むしろ、占領軍側には釈放した宮本氏を『使う』意図があったのではなかろうかとの思惑があったと考えるのが自然です。殺人犯の刑期を全うせずしての釈放には占領軍内部で慎重な検討があったに違いありません。反対者も少なくなかったろうと思います。その反対を押し切り、かつ後世になされるかもしれない歴史検証への危惧も押し切って宮本氏を釈放する決断をしたことになります。とすれば、占領軍司令部内での釈放推進派には、反対派を黙らせることができる強い説得材料があったに違いがありません。宮本氏が占領軍軍支配に敵対しないとの確かな証(あかし)があったのだろうと思います」。

 F氏はここで、中曽根に政治利用される宮顕その人の解析に向かっている。宮顕の戦後の釈放と復権証明書の背景にある政治的陰謀を嗅ぎ分けしようとしている。結論として、戦後共産党運動を指導することが予見された府中グループの徳球―志賀派への対抗として宮顕を政治利用する為に府中グループより一日早い出獄が用意された可能性を窺っている。「宮本氏が占領軍軍支配に敵対しないとの確かな証(あかし)があったのだろうと思います」と述べており、宮顕の胡散臭さを指摘している。

「ロッキード事件を転機とした共産党のあからさまな変節」で次のように述べている。

「中曽根氏も当然上記のような疑問を抱き、なにがしかの想像をしたはずです。あるいは、親分であるCIAエージェントの正力氏から何がしかの事前情報を得ており、その確証を得ることが日本部長との話し合いの目的の一つであったかもしれません。かくして、中曽根氏は、1976年2月6日の米国大使館での会談で、宮本氏釈放決定に関する米国占領軍内部での検討経緯、および宮本氏の『出自』にたんぽされたものについて照会したのでしょう。当時の中曽根氏の主要な関心は、P3Cでの自らに降りかかってくるやも知れぬ醜聞攻撃を田中角栄氏の金脈醜聞にすり替えることであったはずです。そして、中曽根氏の政治的スタンスは『田中角栄氏の政治スタンスとは真反対』です。正力松太郎氏の側近としての立場からしても、それは、米国の意向に強く沿ったものであったはずです。

 以前にも書きましたが、この大型スキャンダルを田中金脈問題にすり替えるにあたって、当時昇竜の勢いにあった共産党の追求力を利用することを、中曽根氏は目論んだのです。実際に中曽根氏が米国大使館で宮本問題でどのような情報を得たのかは定かでありません。しかし、共産党にしてみれば、中曽根氏から『米国国務省日本部長と宮本事件のことで話したよ』と、耳打ちされるだけで、それの重大性は、震え上がっるような衝撃であったと思われます。とりわけ、当事者たる宮本氏にとっては。かくして、以後、共産党を率いる宮本氏は、田中角栄追及を先鋭化を党の主要方針とさせてゆきます。共産党の売りの一つとして、『金にきれい=清潔』であることが強調されるようになります」。

 F氏はここで、中曽根が宮顕のリンチ事件、戦後の釈放と復権証明書過程の胡散臭さを嗅ぎ取り、これを強請(ゆすり)の種として「当時昇竜の勢いにあった共産党の追求力を利用することを、中曽根氏は目論んだ」と推定している。宮顕は中曽根の強請(ゆすり)による角栄糾弾請負の取引に応じ、「かくして、以後、共産党を率いる宮本氏は、田中角栄追及を先鋭化を党の主要方針とさせてゆきます」と分析している。

「ロッキード事件と共産党」で次のように述べている。

「前回、不破氏が、『60年余の間に支配勢力が共産党の前進を3回に亘って妨げてきた』と語ったことを書きました。氏はそれを反攻と呼びます。50年代の反攻については説得力があります。松川事件、三鷹事件、菅生事件など不可解な事件が発生し、それらを共産党になすりつけるキャンペーンが張られたからです。しかし、残る二つにはそうした背景を見ることができません。1980年の反攻に先立って、月刊誌『文藝春秋』での立花隆氏による連載『日本共産党の研究』(1974年)あるいは、1976年の民社党委員長(当時)春日一幸氏による国会質問などで宮本事件が大きな話題になりました。これらは『共産党のイメージを著しく損なった』のであり、まさにこれぞ反動勢力による反攻であると不破氏は語ります。実際、創価学会などは『人殺しの共産党委員長』といったビラを夜陰に乗じて配布することがありましたが、当時の大手新聞、朝日、毎日、そして読売新聞ですら、『治安維持法を容認するような議論は謹まねばならない』との論陣をはり、立花氏、春日氏の主張に乗じて『暗黒の戦前を是認』する論調には批判的でありました。

 今にして思えば、当時の大手報道機関は『宮本問題をあえて大騒ぎしないこと』でもって、共産党に貸しをつくり、共産党を国際金融資本の意向に従わせる戦略をとったのではないかと思えます。何故なら、『暗黒の戦前の容認』と『宮本氏による殺人の贖罪』とはまったく次元の異なる話であったにもかかわらず、当時はその違いを峻別せず、むしろ意識的に混同させることで、いわば恩を共産党に売ったのではなかったか」。

 ここも黙って拝聴することにする。続いて次のように述べている。

「さて、共産党の側からあからさまに国際金融資本への屈服表明をしたのが2001年の夏の共産党創立79周年での講演でした。『共産党は、“唯我独尊”“党利党略”か?」と題する下記の投稿で、不破氏が行った講演の概要が紹介されています。

 (引用開始、http://www.asyura2.com/09/senkyo61/msg/455.html

 共産党に好意的な人々は、共産党が『純粋すぎる』ので、結果として傍から見ると唯我独尊、党利党略に映るのだと、この批判を『美化』する。『純粋すぎるのか否か』を判断するのに格好の資料が下記である。2001年7月のK党創立79年記念講演会で、不破委員長(当時)は、衝撃的な演説を行った。『ロックフェラと家族ぐるみの付き合いをするほどに緊密な関係にあった盛田昭夫氏を、資本家の鑑であると礼賛し、ホロコーストについて、“ユダヤ人、ジプシー、ポーランド人、ロシア人、チェコ人、スロバキア人を はじめとする何百万という人々が、人間の頭にかつて浮かんだことのないような最大の絶滅行動〔大虐殺〕の犠牲となった”と言及した上で、その責任を未だに言及し続けるドイツ政府を褒めちぎった』。

 世界の富の半数以上を占有しつつ、一層の金儲けのために世界を戦争に駆り立てる国際金融資本勢力への戦闘放棄を高らかに宣言した瞬間が、2001年7月なのである。当然の帰結として、歪んだシオニズムが言論の自由を奪っていること、さらには、常に戦争の火種を作っていることなどの厳然たる事実について一切言及せず、むしろ彼らのスピーカとなることを高言した瞬間でもあった。共産党の唯我独尊、党利党略は、大多数庶民の利益・要求に背を向けて、国際金融集団に唯々諾々付き従う実態を隠蔽するポーズなのである。とすれば、今回の小沢問題での足場は、政権交代阻止勢力の一翼たることを、ご主人様に認めて頂く事の上にある。そうしてこそ、迫り来る総選挙でも細々と生きながらえ、後退すれども幹部連の首はご褒美としてつながりつづける。(引用おわり)

 この講演をきっかけに、共産党はせっかくの社会党票の受け皿足りえず、一気にもとの右下がり傾向に落ち込んだのです。実は大変興味深いまさに具体的な、労働者を犠牲にして国際金融資本に仕えんとする事例があり、それが、下記のHPに詳述されています。http://kinpy.livedoor.biz/archives/51506769.html 上記は、石川島播磨重工を舞台とした共産党員の戦いを共産党中央が押さえ込んだという信じ難い話です。ここでは、読者に上記を読んでいただくことで持って、記事内容を紹介することは致しません。いずれにしても、富を独占し大多数の国民を貧困と生活苦に追い込んでいる支配勢力との戦いをやめてしまったことが、深刻な後退の理由であって、それは反攻とは言いません。一般庶民とはかけ離れた現状認識、それに基づく党の方針が庶民からは見放されたことが、低落の重要な一要因なのです。しかし、それにとどまらないもっと深刻な後退理由があるのですが、それは後刻書きます。

 ホロコーストに関してはすでに繰り返し書いてきました。600万ものユダヤ人をガス部屋で殺害したとの『お話』は、物理的に不可能であり、文字通り荒唐無稽であることを繰り返し書いてきました。これが国際金融資本の背後で世界支配を操るための道具であったことも書いてきました。しかし、不破氏はその筋書きにあえて抗弁せず、それを是認する歴史観をここで表明したのです。昨今、性懲りも無く、自らを『清潔な党』として売り込みつつ、小沢氏を『政治を金まみれにした張本人』として共産党は、大手マスコミ産業と口を揃えて、小沢氏を激しく非難しています。これで、支持の回復を図りたいとの主観的希望が見て取れますが、それは、実は支配勢力(国際金融資本)に対する忠誠の証をたてる示威でもあるのです」。

 ここも黙って拝聴することにする。「(時事ネタ)中曽根氏の照会(3)」で次のように述べている。

「終戦直後、殺人事件の犯人として獄舎につながれていた宮本顕治氏を、一介の政治犯として釈放する決断に際し、占領軍が担保したものは何であったか? 多分、米国政府公文書館に関連する資料が秘匿されているのだろうと思います。そして、中曽根氏が1976年2月6日に、敢えて米国担当官に尋ねたことからわかるように、米国CIA日本人エージェントである正力松太郎氏ですら、その資料には触れることができていなかったようです。1974年―76年当時の大方の論調は『宮本氏が共産党を守りたいとの一心で心ならずも小畑氏の殺害にいたってしまったのであり、そのこと自体は誠に不幸な事件であった』というものでした。現在の共産党もその論調に乗じて、宮本事件と聞くとヒステリックに反共攻撃というセリフで以って反応します。したがって、中曽根氏から傷害致死をチクチクと突かれようと真っ向から反撃できるはずでしたが、すでに書いたように共産党の反応そして対応はまったく異なっていました。中曽根氏は上記共産党の表向きの主張とは異なる『何か』を得ようとして、米国大使館日本部長に宮本事件を照会したのです。2009年7月ごろであったでしょうか、中曽根氏は不破氏と対談しています。紙上に掲載されなかった対話でこの事が話題になったか否かはさだかでありません。現時点では、この『何か(something secret)』を知ることができません。

 しかし、それを推察するに格好の考察がHPで閲覧できます。marxismco/nihon/miyakenco/rinchizikenco/rinchizikenco.htm このレンダイコ氏の考察は誠に衝撃的です。1945年10月に釈放される以前、つまり獄中にあった時期、宮本氏は既に官憲が左翼に送り込んだスパイであったというのですから、まずは眉唾と思う人も少なくないようです。しかし、上記HPはその考察に膨大な資料文献を渉猟・読破しており、読後には強い説得力で、その結論に納得させられます。実際、このように考えると、殺人罪との併合罪で獄舎に繋がれていた宮本氏が治安維持法犯としてのみ釈放され、半年後には、その殺人犯としての罪も復権証明の発布でもって消滅してしまうことの謎が、まずは氷解します。そして、であればこそ、1976年、事情を薄々感知していた中曽根氏が米国政府からあわよくば真相証拠を得て、宮本氏と氏が率いる共産党に揺さぶりをかけた事情も呑み込むことができます。実際、中曽根氏の思惑通り事は進んだのです。繰り返しますが、共産党はその際の出刃包丁にひるみ、P3C追及をやめ、以後は中曽根氏の仇敵である田中角栄氏とその思想的系譜に繋がる小沢一郎氏の追及にまい進するのです。そしてこのことが、中曽根氏とその背後にある国際金融資本への忠誠の証しともなっているのです。いずれ、書きますが共産党の検察糾弾忌避にもそのことがまざまざと見て取れるのです。

 それはさておき、このレンダイコ氏による考察が私に与えた衝撃は、1995年1月の雑誌『マルコポーロ』廃刊事件に匹敵するものでした。この廃刊雑誌の一記事では、第二次世界大戦の末期ナチスがしでかしたとされる「ユダヤ人600万の虐殺、とりわけアウシュビッツでの大量ガス虐殺」は物理的にありえないことを論証したものでした(西岡昌司氏)。宮本事件とマルコポーロ事件が私に教えてくれたことは、『巨大な虚偽は、真実としてまかり通る』、というかってヒトラーが言ったとされる歴史の真実でした。ここでは、この考察を裏付けると思われる一二の出来事を検討してみたいと思います。それらは、宮本氏の釈放から21世紀初頭までの氏の活動履歴からとりだした事柄です」。

 F氏はここで、れんだいこの宮顕論、日共論の観点に賛意を表し、「このレンダイコ氏による考察が私に与えた衝撃」は、西岡昌司氏の通説ホロコースト論批判に匹敵すると激賞している。当事者のれんだいことして、この評に感謝申し上げておく。

 2012.3.8日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評№1020  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 3月 9日

【法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その4】

 かくてF氏は宮顕疑惑を満開させるに至った。「宮本氏の疑惑(1)(原水爆禁止運動への分裂策動)」で次のように述べている。

「敬愛する『レンダイコ氏』(私は一面識もないのですが)、は膨大な資料分析の上に立って、『宮本顕治氏は日本国の反政府運動に権力の側から潜入した“工作者(スパイ)”であった』との結論を導きました。宮本氏自身にとっても、氏を指導大幹部として戴く日本共産党にとっても、それは、『査問による過失致死、死体遺棄』をはるかに凌駕する大スキャンダルです。共産党の瓦解に直結しかねない醜聞でもあります。当時はまだ、中央委員会議長(当時)野坂参三氏がソビエト時代のロシアでスターリンに日本共産党員を密告したとの事件はいまだ明らかになっていません。

 中曽根氏は、鋭い嗅覚によったのか、それとも親分であるCIAエージェントであり且つ元特別高等警察課長の正力松太郎氏からの示唆があったのかどうかは定かでありませんが、宮本氏に関する胡散臭い情報の確認を米国大使館日本部長との会談で持ちかけました(月刊「世界」一月号)。そして、共産党は、中曽根氏と米国日本部長との会談に震え上がります。当然の帰結として、中曽根氏と宮本氏との間に何がしかの取引があったと想像されます。その傍証の一つが、田中角栄氏に対する執拗な『政治と金』を理由とした攻撃です。そして、ご承知のように、大幅な党勢後退をかこつ現時点ですら、田中氏の政治的系譜につながる小沢一郎氏にデマを交えた執拗な攻撃を展開しています。

 さて、宮本氏が、獄中にあった時点で官憲の手先であったとすると、1945年10月の釈放、翌年の復権証明交付に合点がゆくことをすでに書きました。宮本氏の釈放は、即、宮本氏を引き続き反体制勢力への『工作人=スパイ』として活用する意図が占領軍にあったからです。実際、戦後の共産党の活動に、そのことを裏付けるような何がしかを見つけることができるのではないでしょうか」。

 F氏はここではっきりと「宮本顕治氏は日本国の反政府運動に権力の側から潜入した工作者(スパイ)であったとの結論を導きました」と語っている。続いて「宮本氏の釈放は、即、宮本氏を引き続き反体制勢力への『工作人=スパイ』として活用する意図が占領軍にあったからです」として、「戦後の共産党の活動に、そのことを裏付けるような何がしかを見つけることができるのではないでしょうか」と問い、宮顕及び宮顕率いる共産党の不審な活動履歴の検証に向かい始めている。

「そこで、まず、第一に取り上げるのは、原水爆禁止運動への分裂策動です」と述べ、以下、戦後日本の原水禁運動に果たした宮顕率いる日本共産党の分裂策動を縷々検証している。「2011年02月」の「「いかなる国」問題」の末尾で次のように述べている。

「日本共産党性善観を捨てきれていないかに見える浅井基文氏とは異なり、私は、原水爆禁止運動に分裂を持ち込むことが宮本顕治氏に米国が課したミッションであったと考えています。分裂策動をもっと説得的(欺瞞的に)に主張したかったあの時点で、『いかなる国』問題は、分裂を正当化したい宮本顕治氏に格好の援護射撃となったと、私は考えています。言葉を変えれば、1960年代、世界で唯一の被爆国日本で、思想の左右を問わない全国民一致した『原子爆弾核兵器廃絶』の主張は、核兵器開発をすすめる米国および当時のソ連邦にとって座視できない大きな障害であったのだと思います(その事情はすでに第五福竜丸に関連した記事で書きました)。その障害の壁の高さの半分を切り落とす役割を宮本顕治氏は担わされ、『見事に』それを果たしたのです。そして、浅井氏も次回紹介するブログで半ばそのことを認識しておられるように思えます」。

「部分的核実験禁止条約」で次のように述べている。

「私自身は、この条約は地上の人類の命と健康を守るという視点からは、大きな第一歩であったと考えています。1960年代初め、いわば核大国にとっては誰にも邪魔されず核兵器の殺戮能力、破壊能力を磨き上げるために、したい放題でありました。しかし、世界の圧倒的多数の持たざる庶民は、この生命を本源的に破壊する核兵器に強い嫌悪感を示し、廃絶を大きな声で求めていました。米英ソがこの時期にこうした条約を合意した背景には、あわよくば核兵器を三国で独占し、他の国にはそれを持たせないことで以って他国に対する軍事的優位を保とうとの思惑があったでしょう。しかし、すでに書いたように、この条約で、放射能物質が直接に人体に害をなすことを激減させ得ることも事実なのです。

 このとき、宮本顕治氏が率いる日本共産党は、この条約が部分的であるがゆえに、核廃絶の一歩足りえないとして、猛烈に反対したのです。共産党の反対論拠はまさにこの一点だったのです。この強烈な反対は、日本共産党内にまず大きな分裂をもたらします。生え抜きの、獄中十数年、厳しい拷問を繰り返し受けたため片耳が聞こえなくなっていたという志賀義雄氏と氏に同調する参議院議員がソ連派分派を党内に形成したとして激しい罵倒を浴びつつ除名されました。不破氏が語る共産党史は、この部分核停にかかわるいくつかのエピソードを例証しつつ、『日本共産党のソ連共産党からの干渉に対する勇気ある拒絶』として描き出します。そしてこれが、契機となり、共産党は『自主独立』を党是として訴えるようになります。不破氏が語るこの時期の党史では、部分核停についての注意深い分析はほとんど無く、ひたすらソ連共産党の干渉・介入への反発にほとんどの語が費やされていることがわかります。

 当時の日本共産党の主張に一貫して欠落するものは、『三大核大国が、自ら人体に害をなす実験を中止することを決意させたのは、世界の人々の強烈な反核要求におされた』、言い換えれば世界の人々、とりわけ被爆国日本での思想の左右を問わない全国民的な日本国民の戦いの成果でありそれへの評価であったと思います。何がしかの意図から、そうした全世界人民の要求を、日本共産党は軽視ないしは無視したのだと私は思っています。そうした軽視・無視を反映して、日本国の原水爆禁止運動にも多大な影響を与えています。部分核停を是とするか否とするかで運動内に意見の違いが生じてしまったのです。原水爆禁止運動を日ソ共産党の対立に置き換えてしまうことでもって、日本の原水爆禁止運動の分裂の萌芽が生じたのです。そして、翌年、事態を一層複雑にする新たな事件が起きました」。

「2011年03月」の「「いかなる国」問題(最終回)」末尾で次のように述べている。

「前回書いたことの繰り返しになりますが、世界で唯一の被爆国である日本、その日本で思想・信条の違いを超えた全国民の一致した核兵器廃絶の主張は、核兵器保有国には極めて鬱陶しいものであったはずです。だからこそ、それをなだめるべく第五福竜丸事件では大金を日本に供与するなど、日本の世論に神経質であったのです。と、同時にこの一致した日本国での主張・声を分断するべく核保有国からさまざまな働きかけが日本の原水爆禁止運動にあったのだろうと思います。従って、そうした働きかけに乗ぜられたのが日本共産党だけであったなぞと、言うつもりはありません。総評にも、宗教団体にもあったのでしょう。その働きかけに乗り、ことさら異を唱えるグループもあったのかもしれません。

 しかし、私が、長々と書いてきたことは、『共産党もこうした働きかけに乗せられ、結果として原水爆禁止運動分裂に加担した』という視点は誤っているということです。むしろ、分裂させる口実を探していたのです。その口実として、部分核停への評価にことさら異をたてたのです。その不自然さを取り繕うべく、ソ連邦共産党の介入をことさら強調しているのが、志位演説なのです。こうして、共産党は、原理原則を建前として、見事に米国戦争勢力の思惑に自らを適合させていったのです。まさに、1945年10月に、殺人犯である宮本顕治氏を保釈したことの見返りを戦争勢力核保有国は、ここに得たのです」。

 F氏は次に、「宮本顕治氏が米国と日本の支配勢力の走狗であったもう一つの証である(と、私が考えている)、「新日和見主義」事件の問題を次に考えてみたいと思います」と述べている。実際には割愛されて、「2011年06月」の「『共産党の余命3年』論」で次のように述べている。

「宮本顕治氏の日本共産党破壊活動の検証として1970年代に共産党青年部(民主青年同盟、通称『民青』)を襲った新日和見主義批判なるものを考察しようと考えていました。しかし、その後、日本の政治状況に関心が移り、なかなか考察を開始できずにいました。そんな折、一週ほど前に、以下に転載するような議論がネットをにぎわしました。いささか、旧聞に属しますが、この類はコピペをしておかないと、消えてしまうと思い全文を以下に転載します。これを書いた論者がどういう方なのか私は知りません。しかし、的を射た指摘に満ちており、私も大いにコメントをしたいのですが、腱鞘炎余後という事情のため、それは後日にします」。

 こう記した後、日本共産党の党員推移状況、赤旗の紙数推移状況、苦しい財政状況を解析した上で次のように確認している。

「日本共産党中央委員会は、政治資金報告書に記載義務のある財政数字以外はひた隠しにしているため、現在どれだけの資産が残っているのかは不明である。だが、余裕がなくなりつつあるのは確かだ。すでに地方機関では、赤字に耐えかねて専従職員の解雇まで行われている」。

 末尾を次のように述べて締め括っている。

「もちろん党内でも危機感は強い。2013年の参議院選と都議会選を乗り切れるか。年に2の大型選挙をやれる財政的体力など、もはやない。しかし、選挙は放棄できない。崩壊を先送りにするには、赤字を垂れ流す日刊のしんぶん赤旗の発行停止と政党助成金の受け取りしかない。しかし、歴史と伝統のある赤旗の発行停止はこれまで外部に隠してきた党の危機を世に知らしめることになる。政党助成金も、受け取る他党をさんざん批判してきたのだ。今さら受け取れば、やはり財政危機を世間に公表することになる上に、党員の誇りをも奪い取る。想像してほしい。これまで党員は政党助成金を「『思想及び良心の自由』を踏みにじる憲法違反の制度」であり『政党を堕落させる腐食源』とまで言ってきた。そんな党が政党助成金をもらってしまえば、党員は支持者に合わせる顔がない。そうなれば、いくら党に忠実だった党員でも指導部の責任を追及するであろう。

 日本共産党はこれまで党本部は常に正しいとして、いくら選挙で負け続けても指導部は責任を問われなかった。それが初めて、党指導部の責任を問われることになる可能性が極めて高い。この恐怖感が、党の対応を遅らせている。いや、対応がされないままにしていると言っても過言ではない。タイトルの『余命3年』は決して大げさな煽り言葉ではない。今、我々は日本共産党史の最終章をリアルタイムで目撃している」。

 「共産党余命3年論」は興味深い。但し、この問題の深刻さは次のことにある。仮に共産党が3年後に解党したとして、現下の宮顕―不破系党中央は痛苦煩悶するだろうか。ここが肝腎なところである。実際は逆で、表向きはともかく裏では、去る昔の六全協での宮顕の党中央登壇で始まった日本共産党変質化の成功裡の完結として祝意し合うのではなかろうか。なぜならそういう請負こそが彼らの仕事だったからである。夢にもそのような仕掛けを思わない純朴党員は哀れである。党員ばかりではない、この間、日共の変質をマルクス主義の教条文を引き合いに出しながら説いて回った諸家が無数と云えるほどいる。しかし、日共の変質、その後の緩慢なる解体をを請負として引き受けている党中央問題として捉えない批判の薄っぺらさを恥ずべきではなかろうか。彼らの尤もらしい批判なぞ日共産党中央には馬の耳に念仏に過ぎなかったのではなかろうか。こういう場合、日共の変質を説いて回った諸家こそ当人の自負とは別に無能と評されるべきではなかろうか。そういう批判は諸家の単なる自己悦楽に過ぎないとも評せるのではあるまいか。

 もう一つ。日本共産党の台所事情がそれほど苦しいとしたら、どうしても関心を払わねばならない次の疑問が出てくる。日共式選挙運動の特徴として全選挙区に立候補させる戦略戦術を採用して今日に至っているが、この間の供託金没収は一体幾らになっているのだろうか。天文学的な金額に及んでいる筈である。党財政が苦しいのに何故に供託金お供えが続くのか。この奇怪を問わねばなるまい。

 没収金は企業会計で云えば純利の吐き出しである。如何なる優良企業でも負担に耐えない純利の吐き出しを為し得る秘密は何なのか。その金はどこから工面されているのだろうか。果たして党員、支持者の個人献金だけで賄っているのであろうか。案外と政治とカネを廻って「キレイ潔癖清潔」を売りにして来た共産党が裏で怪しい資金ルートを持っていると云うことになりはしまいか。この不正を誤魔化す為に去る日に、党会計のチェックを従来の中央委員会預かりではなく幹部会預かりにしたと云う規約改正が必要だったのではなかろうか。この秘密が暴露された時、この党が終わるのではなかろうか。それでも続くとしたらお化けであろう。

 2012.3.9日 れんだいこ拝





(私論.私見)