カンテラ時評6(151〜180) |
(最新見直し2007.7.12日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
2007.3.24日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その151 | れんだいこ | メール | URL | 2006/03/24 21:24 |
【永田議員、転んでも起き上がれ。合唱に屈するな】 戦後憲法は、史上稀なる民主主義政治制度の精華を組み立てている。1・主権在民制、2・三権分立制、3・普通選挙制、4・国会二院制、5・議院内閣制、5・政教分離、6・文民統制制等々にその素晴らしさ見て取れる。もし、戦後政治の政権与党がこれらの諸制度を遵守し機能させていったならば、余にも珍しいプレ社会主義とも云うべき社会を現出せしめていたのではなかろうか。 実際には、政権与党たる政府自民党は、これらの諸制度を終始骨抜きにし憲法改正に向けて切歯扼腕する手合いだからして、素晴らしき戦後憲法秩序が十全に機能することはなかった。政府自民党と最も対極的な立場に立つ社共は、口先批判だけの万年野党政治に堕し、あろうことか政府自民党内のハト派対タカ派の抗争に対して「左」からタカ派を側面支援してきた史実を見せている。 そういう訳で、戦後民主主義秩序は左右から骨抜きにされてきた。これらの動向を支配するのはネオ・シオニズムであり、裏政府的には国際金融資本であり、表立っては米英ユ同盟であり、彼らが世界をままにしている。世界各地にシオニスタンが養成され培養されている。 日本はその中でも理想的に成功した国であることを、ブッシュが頻りに持ち上げており、世界に向けて「小ネズミを見よ、我らが政治はかくも成功したのだ」と説く始末である。日本はとんだところで注目されているようだ。その小ネズミは稀代のボンクラ首相であり脛に傷持つどころか脳に欠損のある凶状持ちだとしたらお笑いというべきか。 今日の懲罰委員会を偶然見た。民主党の永田議員よ、君が謝るべきは、綿貫の言うような議会に対してではない。たかが駒でしかない武部幹事長の策略的追い落としに加担し、その挙句肩透かしを食らったことに対するブザマさに対してである。小ネズミの売国奴政治批判に向っていたのなら、むしろ天晴れであり、拍手が鳴り止まない。れんだいこはそう考える。 君は嵌められた。そのことは君は十分分かっているはずだ。議員辞職の大合唱に屈することはない。しかし、今後ともチンケな矛先にしか向わないなら辞めれば良い。質疑後間髪入れずガセネタと断定した小ネズミの首を取るために闘え。余りに臭い話では無いか。できすぎたシナリオは出来すぎのところからボロをだすとしたもんだ。 君は小ネズミ追討資格を得た稀有な議員である。小ネズミのレイプ政治総体に対する果敢な批判活動に邁進せよ。一国の首相の資質を問え。あらゆる政治手法がレイプ的であることを問え。そのレイプ被害者の綿貫の余りにも道徳的な批判がこれまた臭い。無能丸出しというべきではないか。 永田議員よ、君は目下の政治貧困に対して充満する怒りを叩きつける好都合な位置に立った。不退転で闘え。社共公明の懲罰除名好きに惑わされるな。議員は選挙で洗礼されればよいのだ。良くも悪しくもこれが代議員制の意味であろう。角栄も不見識にやられた。永田議員よ、堂々と居直れ。選挙民が見捨てるかどうかであって、任期一杯は議員活動に邁進しますと。 (当初の書き出しから軌道がそれたが、永田議員にエールを贈る) 2006.3.24日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その152 | れんだいこ | メール | URL | 2006/03/30 13:00 |
【ゾルゲ事件の新視角】
2006.2.28日付「太田龍の時事評論第1589回」の「ロックフェラーの資金が太平洋問題調査会を通じて、真珠湾攻撃工作のために、ゾルゲ経由、日本の皇族に渡された」は、ゾルゲ事件の新視角を提供している。(http://sv1.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi)、(http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/1053) 成甲書房から平成18.3月下旬刊予定のジョン・コールマン著「タビィストック洗脳研究所」第一章には次のように記されている。れんだいこが意訳すれば、次のようになる。 概要「1925年、地下ユダヤ政府・ロックフェラーグループの諮問機関として『太平洋問題調査会』(IPR)が発足している。実質的にはその前に活動は開始されて居るであろう。タビィストックがIPRのすべての出版物を起草している。 1941年、地下ユダヤ政府の多額の資金が、IPRを通じて東京の関連機関に拠出された。その資金は、日本の真珠湾攻撃誘導工作のために、ロシアスパイの大立者=リヒャルド・ゾルゲを経由して日本の皇族に渡された」。 即ち、日本の真珠湾奇襲攻撃の背後には国際ユダヤの用意周到な誘導があったということになる。これにゾルゲ機関が関係していたと云う。ウソかマコトか、これを検証せねばならない。ゾルゲ事件は従来、ソ連スパイ説のみから論ぜられているが、新たに国際ユダヤのエージェント説が登場したことになる。こうなると、ゾルゲ派の背後関係を洗い直さなければならないことになる。 同時に、国際ユダヤの誘導に乗った「皇族」とは誰か。当時、皇族は、民族派とフリーメーソン派、反米英派と親米英派その他に複雑に分かれている。フリーメーソン派にして親米英派の皇族にして、急遽反米英派に転じ真珠湾攻撃を主張し始めた皇族が特定できれば該当者ということになろう。 それにしても、ユダヤ問題に注ぐ太田氏の眼力は鋭い。れんだいこには、「ゾルゲ事件よ、おまえもか」ということになる。こうなると、ユダヤ問題に緊張した視点を持たない歴史書、社会評論は、スパイスの入らない丼ものに似て味気なさ過ぎる。その味気ない丼ものを振り回して、料理はこう作るべきだと説教される。これに唯々諾々する者は詰まらない。ましてや、舌鼓して「ユダヤの云うことはその通り。反ユダヤ主義は撲滅されるべし」などと提灯して徘徊するお調子もんよ、手前達こそ正真正銘のシオニスタン・ファシストと呼ばれるに相応しい。 ネオ・シオニズム・ファシストが、己の所業をナチスに転嫁させ、ナチスを叩くという倒錯テキストを押し付けてきたのではなかろうか。歴史の真相はそう読めばはっきり見えてくる。現にパレスチナで、アフガン、イラクでやっている彼らの鬼畜の所業を見よ、国際法も何もあったものではない無慈悲さと悪徳の極致の蛮行を繰り返しているではないか。その手際を見れば、昨日今日始まったものではなかろう。 もとへ。れんだいこが思うに、実際に発生した歴史責任の応分のナチス批判は為されるべきだろう。しかし、ナチスの所業では無いものをナチスに罪を被せたり、ユダヤファシストの所業をナチスにすり替え批判するなどは馬鹿げていよう。この種の批判のオクターブを上げれば上げるほど評価点が高くなるとでも思っているサヨが多過ぎる。れんだいこは既に食傷している。会話を共に出来ない。 「ゾルゲ事件考」(daitoasenso/what_kyosantosoritu_zorugegiken_rendaicoco.htm) 2006.3.30日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その153 | れんだいこ | メール | URL | 2006/03/31 20:26 |
【民主党右派シオニスタン執行部の退陣を祝す】 2006.3.31日、民主党の前原執行部が総退陣した。永田議員も辞職させられた。前原執行部は、発足以来政府自民党のシオニスタン派と和合し、自公自体制を牽引し続け、憲法改正の動きを促進せしめ、小ネズミ政権の窮地を脱出させた等々という政治的意味で許し難いものであった。 鳩山ー岡田ー前原という民主党右派シオニスタンが民主党のガンであり、早急に本家自民党に戻すべき手合いであることを明瞭にさせたのが唯一の収穫であった。民主党内早急憲法改正派は、新党作るか自民党シオニスタン派にでも入れ。 現下の民主党には、細川政権以来のもう一つの政治の在り方を廻る政治闘争が伏流している。民主党新執行部は、政府自民党が売国奴系タカ派のシオニスタン派に占拠されている状況に鑑み、これと対決する民族自主独立系ハト派で構成されねばならない。その意味で、管ー小沢ー横路派が牽引せねばならない。これが自然な流れだろう。 この当たり前の流れが創出できない。れんだいこは、ここに現下の日本政治の貧困があると思う。今こそ戦後憲法の賢明さと良質さを見直し護持し、増税による更なる収奪路線よりも内需拡大による国庫自然増路線を志向せねばならない。米英ユ同盟の言い成り天文学的負担金お供え路線と決別し、自衛隊をイラクから撤退させ、二度と武装派兵させない政策へ転換させねばならない。 小ネズミレイプ政権5年の間に荒廃させられた日本政治を治癒させねばならない。願わくば、小ネズミレイプ政権の下で構造改悪された施策を総見直しし、戻せるものなら戻さねばならない。日本の国土と国民、将来の計に於いて有益な施策は何一つ無いのだから。 小ネズミレイプ政権の本質は、小ネズミ四代のルーツが軍需防衛族として立ち働いていることにある。かなり早期より売国奴シオニスタンとして政界に登場しており、米英ユ同盟に奉仕していることにある。一日延命させれば一日余計に国庫を空っぽにさせる為に働くであろう。 この狂態を持ち上げ、戦後の名宰相として太鼓持ちし続けるマスコミにも相当の責任をとらせねばならない。ペンの責任などどこ吹く風で気楽な稼業に勤しむ懲りないマスコミの面々よ、エエカゲンニセンカイ。思えば、戦前も、この連中が聖戦を煽りに煽ったのではないのか。我々は、腐敗するマスコミの政治論調に抗する新思潮を創りあげねばならない。 最後に。永田議員はもう辞職手続きしたのかも知れないが、本来はすべきではない。悪しき前例による議員辞職が流行しているが、辞職基準の無いままの強制辞職は戦後憲法が議員の身分を保障した諸措置と馴染まない。社共は、口先では憲法護れと云いながら、実は空洞化させている。ロッキード事件はひどいものであった。 こたびのメール事件程度で辞職させられるのなら、この間数十兆円もムダガネ費やしている小ネズミなぞは極刑にされねばならないだろうが。それに賛同した者も同罪だろう。法に照らして数々の違憲行為をしているであろうが。その小ネズミが安泰とはいかなる訳か。れんだいこには理解できない。 2006.3.31日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その154 | れんだいこ | メール | URL | 2006/04/04 23:49 |
【民主党の最強タッグ小沢ー管執行部の誕生を逸早く祝す】 2006.4.3日、民主党は、極右シオニスタン前川執行部が送金メール事件騒動を受け退陣を余儀なくされたことにより、後任代表を4.7日に選出することを正式に決めた。7日午後3時から両院議員総会を開き新代表を選出する。 小沢と管が代表党首を争うことになった。これまで自重に自重を重ねた小沢が「政権交代を実現するためには最後の機会かもしれない」と抱負を述べ、管は、「どっちが負けても、一緒にやっていくという共闘が組めると良い」と答え、両者どちらが選出されても協力し合うことを確認した。いよいよ小沢党首ー管幹事長と云う最強タッグが登場することになる見込みである。 れんだいこは、この動きを歓迎する。鳩山ー岡田ー前原の右派系執行部に食傷しているのがその第一の理由である。政権与党の味をしめている小沢ー羽田ラインの重量級が揃い踏みしないと小ネズミシオニスタン政権を打倒できないというのがその第二の理由である。シオニスタン政治から決別するには、管ー横路らの社民感覚が生かされねばならないというのがその第三の理由である。 民主党内若手の自民党内若手をも凌ぐシオニスタンぶりに辟易されており、これを抑えるには小沢党首ー管幹事長体制が最も相応しいというのがその第四の理由である。横路、渡部、羽田、岩国、河村等を然るべき地位に登用し、且つ挙党一致体制にせねばならない。かくて、民主党が面白くなる。漸く政治が動き出した。 小ネズミ政権は憲政の常道に従えば本来は、昨年夏に郵政民営化法案が参院で否決された時点で退陣すべきであった。それが、国際金融資本ユダヤの選挙指南により衆院解散ー総選挙へと誘導され、なりふり構わぬ刺客騒動とメディアの太鼓持ち戦略により記録的な圧勝を結果し、以来本質的にゾンビ状態にあるのに小ネズミ政権は我が世の春を謳歌するというケッタイナ政治下にある。マスコミは名宰相と囃したて今日を迎えている。ここへ来て誰がなっても面白くもない後継者詮索に向っている。 この間、前原民主党が裏から、社共がお定まりの遠吠えでお茶を濁すという無責任政治で、小ネズミ政権を支えてきた。出来レース政治のツケが自己撞着し、お蔭でますます内政外交共々行き詰まっている。この状況を誰も変えられないまま今日まで至っている。ここに、小沢ー管コンビのニュー民主党が登場することになった。期待感に溢れているのは間違いない。 小沢登場の背景には、小沢に対する風向きが変ってきたという事情があるように思われる。これまでウヨからサヨに至るまで反小沢のアレルギーが醸成され、それにより政治改革の芽が潰されてきた。しかし、世の中は少しづつでも動く。かって角栄の子飼いであったことが災いしていたのが、ここへ来て小沢好評価へと向かいつつある。それは、小ネズミシオニスタン政治が生み出した予期せぬ副作用であろう。小ネズミが余りにも露骨に米英ユ同盟の下足番的政治をするものだから、その対極に位置していた角栄政治の良さが逆に見え始めた。小沢にとって、かって角栄の子飼いであったことが禍いから転じて福となりつつある。 それでもなお、サヨ圏が小沢批判に興じるのなら、れんだいこが論戦を引き受けようと思う。幕末、戦前、戦後の政治の変遷史から初めて角栄政治に至るまで、その後の中曽根政治から小ネズミ政治の現在に至るまで、どこからでも検証して見たいと思っている。連中の説く金権批判というものの内実について耳を傾けようと思っている。どこまでが根拠有りどこからがデタラメなのか論じたいと思う。 いずれにせよ、れんだいこは、シオニスタンばかりによる売国奴系タカ派政治を見飽きた。連中の政治は本来の政治ではない。それは事態を悪くするための政治であり、意図的でなくては出来ない種の悪政である。 考えて耳よ。地方交付金を削減したその金額がそのまま米英ユ同盟にお供えされているではないか。消費税が利率上げされようとしているが、上乗せ分を根こそぎもっていかれるのは火を見るより明らかではないか。自衛隊がイラクへ初武装派兵されたが、今後はより前線に活用されようとしているのではないのか。西欧では賢明にも原子力発電から撤退しつつあるというのに、日本ではますます深のめりしつつあるのはなぜか。頻りに景気回復が云われているがウソではないのか。地方では商店街も含めて夜のネオンまでもがゴーストタウン化しつつあるではないか。これらは政策的に故意にもたらされているのではないのか。 そういう意味で、政治が為さねばならないことは山ほどある。しなくても良いことに取り組み、しなければならないことを放置するばかりの政治なら、議会も議員も不要であろう。彼等の給与諸経費、秘書団のそれ、公的私的選挙費用、その他議員活動経費の天文学的金額を思えば、既に社会のガンであろう。為になる政治をしない為に議会と議員があって莫大に税金を虫食っているという構図ほど嘆かわしい事は無い。 そういう意味で、小沢ー管コンビのニュー民主党に寄せられる期待は大きい。叶うならば、戦後日本の一時期をリードしたハト派系政治を再興して欲しい。あの政治は、ならん中で戦後憲法を遵守し、内治を優先し、公共事業に取り組み、かといって国債を発行せず、外交では国際協調、平和友好、通商拡大、戦争事態忌避政策に向っていたではないか。「革命の輸出ならぬ技術輸出」により世界各地に親日ムードを生み出しつつあった。誉れであっても、貶されることではあるまい。 今、小ネズミ政治はことごとく逆の政治をしており、あたかもレイプ式首絞めの恍惚にはいっているかのようである。その小ネズミは若い頃にレイプ事件は無論のこと首絞め絞殺事件の疑いがあるとするなら由々しきことである。早速に調査され証人喚問されるべきであろう。一体誰が名宰相と囃したてているのか、相応の責任をとってもらわねばなるまい。 小沢ー管新執行部は手始めに、達増拓也衆院議員に詫びを入れさせ田中真紀子を引き寄せねばならない。郵政民営化法案で除名された国民新党、日本新党、はぐれカラスの除名無所属組に手をさしのべ連携せねばならない。目指すは、シオニスタン政治からの決別であり、戦後の国是の再称揚であり、民族と国家に対する誤り無いリードである。 その為に、小ネズミ政権下で歪められた内政、外交の軌道修正をせねばならない。直ちに自衛隊をイラクから引き戻さねばならない。増税路線から決別し、景気回復による国庫自然増を図らねばならない。真の構造改革に着手し、不必要規制の緩和、軍事防衛費削減、原子力発電政策からの転換、省庁改革、冗費節約に向わねばならない。国際協調と平和友好による親善外交に向わねばならない。国債等による国家の累積過重債務対策を懸命に図りながらも、必要な公共事業を推進し、併せて雇用拡大、格差是正、的確な社会福祉政策に向わねばなならない。 願わくば、角栄政治の見直しまで向え。ロッキード事件の総括をして冤罪を晴らし、東京地検の政治主義を叩け。ホリエモンもこの手でやられている可能性が濃厚である。 2006.4.4日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その155 | れんだいこ | メール | URL | 2006/04/05 20:43 |
【できあい、いいなりの仕事、学問、政治からの決別考】 読解力の話ではないが、学問の姿勢に関する底の浅さを批判した好文を手にしたので書きつけておく。太田龍・氏が、ジョン・コールマン著「ワンワールド」の後書き解説で、次のような一文を紹介している。それによると、「日本人の脳」で有名な東京医科歯科大学名誉教授・角田忠信氏が、「脳の発生ー脳の中の小宇宙」(大修館、1960年初版)の中で次のように述べている。 「数年前に言語学の指導的立場にいる方に、言語学とはしょせんファッションであって、欧米の新しいことを消化して紹介するのが本道である、オリジナルなことを研究すると損をすると云われたことがあった。それが今でも日本の社会科学に限らず諸科学の姿勢であるのかもしれない」。 太田氏は、これを受け次のように述べている。 「この『(日本)言語学の指導的立場にいる方』なる人物の、まさに身も蓋もないあけっぴろげな本音。しかしここで、『欧米の新しいことを紹介する』という、その『新しいこと』とはそもそもいかなるものなのか。 近代西洋言語学は、アルファベット表音文字を、人類の文字進化の最高段階である、という。そしてその中でも、ヨーロッパ諸国がローマ帝国から継承した文化遺産としてのローマ字こそ、その頂点であると断言する。 明治初年以来、日本の西洋かぶれインテリは、一も二も無くこの独断(ドグマ)的仮説を、古今東西に普遍する金科玉条として鵜呑みにしてきた。それでどうなるか。必然的に、漢字は表意文字である。従って、原始未開野蛮人の文字である。日本は、これを断然、捨てなければならない。野蛮な漢字を投げ捨てて人類文明の精華たる表音文字、先進西洋文明国の全てが使用している超高級なローマ字を国字として採用すべきである。となるであろう」。 続いて、次のように歴史解説する。 「いわゆる岩倉使節団帰国直後、日本の国家民族の主体と独立を堅持せんとする愛国者西郷隆盛と、西洋に全面降伏投降せんとする売国奴国賊大久保利通、岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文らが正面衝突して遂に西郷が破れた。その後、大久保一味がでっち上げたニセ日本国は、ユダヤイルミナティーの手先として日本型文明を抹殺するために全力を傾注した。 かくして、前出角田博士が言及されたごとき、みじめきわまるチンピラ『学者』もどきの道化師(ピエロ)が、日本の学界、教育界、官界、マスコミジャーナリズム界に充満する仕儀となったのである。続々と西洋欧米が繰り出してくる『新しい流行(ファッション)』としての思潮学説風俗芸術芸能文化現象など。これはなんとなく、自然に生まれてくるのか。冗談ではない」。 そして、次のように云う。 「要するに、これらの『主義者(イスト)』、『主義(イズム)』は、ファッション(流行)として、奥の院のご主人さまたちによって設計され、製作され、市場に供給されるだけの存在だったのだ。 このからくり(手品のタネ明かし)は、あの有名な『シオン長老の議定書(プロトコール)』の中にある程度描かれている。しかし、この『シオン長老の議定書(プロトコール)』の真意を読み取るためには、かなり高度な次元の理論的思想的精神的能力を要求される。 本書、ジョン・コールマン博士の『ワンワールドー人類家畜化計画』(ニュー・ワールド・オーダー)は、この極秘にされた『からくり』を、白日の下にさらけ出して見せてくれる。先入観と偏見を極力抑制して、素直に、コールマン博士の叙述を読み進めていくと、そこに驚くべき構図が展開されている」。 上述の太田氏の指摘に納得しない向きの者に対して、太田氏は次のように述べている。 「ゴミのようなガラクタ情報を小中高大学と詰め込まれた日本の自称エリート人間(実はこの種のゴミをひたすら暗記暗誦するだけの単なる白痴ロボット人間)にはとうてい受け入れられない。なぜか。なぜなら、そんな情報は学校で教えられなかったから、という。国を滅亡に導くこのド阿呆ども」。 他にもいろいろ貴重な指摘をしているが、キリが無いのでやめる。以下、れんだいこが独白する。れんだいこは以前なら、何のことか理解できなかったが、今はかなり分かる。いずれにせよ、同一視点から書かれている書物を幾ら読んでも為にならないということになる。 時には太田氏の指摘に耳を傾けたり、自身の史観で歴史を究明していかない限り、作られた常識一般によって丸め込まれてしまう。仕事でも学問でも政治でもいいなりの態度を執ることは楽ではあるが、その見地の上ではしゃぐ者も出る始末であるが、あたら惜しい命を燃やすのには不適切ではなかろうか。 2006.4.5日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その156 | れんだいこ | メール | URL | 2006/04/15 13:59 |
【民主党小沢執行部をどう評するべきか】 1993(平成5).8.9日の第79代内閣としての細川政権樹立以来、政界変動の指南役的地位にある小沢が紆余曲折を経てこたび野党第一党の民主党の代表になり、政権取りを呼号している。これをどう評するかが「小沢評価問題」となるべきであろうが、今のところ傾聴に値する論にお目にかかっていない。単にひねくれた鞘当てに終始したり、穿ち過ぎていたりで役に立たない。以下、れんだいこ見解を述べる。 小ネズミは、小沢党首の挨拶回りの会談後の感想としていみじくも次のように評している。概要「(自民党の旧)田中派、竹下派の方と話している気になって、野党と言われてもピンと来ない。自民党の弱点を攻めてくる。選挙でも自民党の支持団体を取ろうと。手ごわい相手だ」。 この言辞から何を窺うべきだろうか。れんだいこは、この言辞の裏に、ハト派対タカ派という政治抗争こそ真の抗争として問題を見据えている小ネズミの観点の確かさを認める。実際、このように見立てない評論家が多過ぎて役に立たない。 小ネズミ政権5年から見えてきたことは次のことである。思えば去る日、「自民党をぶっ壊す」と宣言して登場した小ネズミ政権の眼目は、自民党のハト派とタカ派の寄り合い世帯状況をぶっ壊してタカ派一色に純化するというところに真意があったのではなかろうか。誰の教唆によってかの詮索は置くとして、小ネズミ政治の眼目は、戦後日本の政治史からハト派を駆逐し、タカ派の天下を実現することにあり、それを政治使命としていることは疑い無い。 小ネズミ政権5年の軌跡は、かっての角栄ー大平同盟の末裔グループの解体と角栄の日本列島改造案に対する徹底した反目政策に終始していることが判明する。この路線は元々は中曽根が敷いたものであるが、中曽根時代には角栄ー大平同盟の政治的影響力が強く思うようには事が運べなかった。 小ネズミ時代になると、角栄ー大平同盟の末裔グループの無能が露になり、というかハト派タカ派の識別能力をなくして談合政治に陥っており、タカ派の風下に立つことに甘んじて利権おこぼれに与ろうとしており、小ネズミはそういう事情に支えられて傍若無人急ピッチドラスチックにタカ派路線を敷設してきた。それはほとんど奇人変人政治である。このように見立てない政治評論が多過ぎて為にならない。 その小ネズミ政治に立ち塞がったのがさすがにと云うべきか、去る日角栄ー大平同盟の政治の薫陶を受けた今は老いたる懐旧派である。その輿望を受けて小沢が最後の切り札として登場してきたことを確認することが「小沢評価問題」の視点となるべきではなかろうか。かくて日本政治史は再びハト派とタカ派の抗争に向うことになる。振り子が戻ったのではなかろうか、と思われる。こう読み取るべきではなかろうか。 問題があるとすれば、小沢のハト派性は、角栄ー大平の政治同盟レベルに比しては貧相なことにある。となると、小沢が、角栄ー大平同盟レベルまでハト派性を更に磨き上げることが出来るのか、中性曖昧に後戻りするのかというところに興味が移ることになる。小沢は変わらなければならないと言い聞かせた。変ることが出来るだろうか、ここに興味がある。 小沢は党代表になって初の執行部人事で、事前予想の小沢代表ー管幹事長体制を先送りし、鳩山幹事長以下前原体制をそのまま引き継いだ。分裂含みの党内事情に配慮したものと思われるが、小沢采配ならではの遠謀深慮であったのだろうか。れんだいこには、自民党よりもなお酷い党内若手タカ派との協調は問題の先送りでしかなく、不毛ではないかと思っている。当面の挙党一致演出と見れば、これも一策かなとも思うが。 小沢が最初に打ち上げるべき政策は、自衛隊のイラクからの早急な撤退ではなかろうか。これを押し出しつつ選挙指南しない限り自民党との違いが見えず、コップの中の抗争にしか見えない。自衛隊の撤退は目下の緊急問題であり、とことん米英ユ同盟に奉仕せんとする小ネズミ政治のアキレス腱である。これを突かないのは政治の不正であろう。 小沢のA級戦犯論にも感心しない。A級戦犯はいわば歴史的トリックで罪を被せられているのであって、れんだいこは、靖国神社に祀られようが祀られまいがさほど拘る必要は無いと思っている。よって、いまさらの分祀論は無意味と考えている。 首相の靖国神社公式参拝問題は偏に、終戦記念日8.15日参拝の不適切さにあるように思われる。春秋の例祭への参拝についてとやかく云われているのではない。中韓が春秋の例祭への参拝にまでくちばしを入れてくるとなると内政干渉だろう。れんだいこは、8.15日の参拝を問題にしていると理解している。 よりによって8.15日に参拝するなら、事前に一言も二言もあってしかるべきだ、何の根回しも無く一方的に日本側英霊のみ慰霊に向うことは不愉快だ、との弁で批判されているものと理解している。それは至極当然だろう。 首相が8.15日に靖国神社公式参拝することは、中韓に云われるまでも無く、政治責任が重いと云うべきではなかろうか。その前に先の大東亜戦争総体の歴史的総括を必要としているのではないのか。これなしに日本側の論理だけでよりによって8.15日に英霊の御霊慰霊に向うというのは無謀というものではなかろうか。 「じゃかましい、ワシは行きたいから行くんじゃ。どこが悪いんじゃ」と居直るのは、子供の論法であろう。小ネズミはこれが普通に出来る異常な感性の持主である。本来なら、こういう手合いが首相になるなぞ有り得てならないのだが、今や世界を牛耳る米英ユの奥の院が擁立しているからして、何度の苦境をも救われている。 彼らは小ネズミ政治により湯水の如く利益を得ており、米英ユ同盟の傭兵国として周辺整備する政策に言いつけ通りに精力的に取り組む小ネズミ政治はおいし過ぎるのだろう。我々はそろそろこの催眠術から醒めるべきではなかろうか。 民主党小沢執行部に課せられたものは、こうした小ネズミの化けの皮を剥ぎ、馬脚を露にさせ、日本の国益に合う政治に戻すことであろう。れんだいこは、小ネズミ政治をシオニスタン政治と命名しているが、要するに世界最強権力体である米英ユ同盟に奉仕する売国奴政治という意味である。読売、産経を筆頭とするマスコミがこれを提灯しぬいている。 これに汚染されている日本の政治は今余りも貧相である。小ネズミ派を政権の座から追放し、日本の国家百年の計に誤り無きを図るべきであろう。それが今ある我々の歴史責任では無かろうか。 2006.4.15日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その157 | れんだいこ | メール | URL | 2006/04/17 20:15 |
【日共の泡沫候補立候補戦術考】 2006.4.11日、千葉7区衆院補選が公示され、自公候補の斎藤健・元埼玉副知事と民主党候補の太田和美・元県議が激戦している。これにいつものように日共の徳増記代子・党県委員が棹差している。他に、小林崇徳・行政書士と宮岡進一郎・元高校教諭が参入している。 もし民主党候補が勝てば、小ネズミ政権への打撃は大きく、来る政界変動を占う意味でもこの一戦は興味深い。この重要な選挙戦に日共はどんな役割を果たしているのだろうか。これを解析せねばならない。 れんだいこは、不破式選挙戦術の愚劣さを見て取る。日共はさる日の六全協での宮顕の党中央占拠以来、様々な理由をつけては大衆闘争から召還し次第に議会専一主義に転換した。人民的議会主義路線の下で地方選挙、国政選挙のあらゆる機会に候補を立てるという戦略を打ち出した。 その他の左派政党が議会進出に関心を見せない中、それなりに議員数を伸ばしてきた実績がある。れんだいこは、戦後の憲法秩序のプレ社会主義性を顧慮する時、議会闘争そのものは有意義だと考えている。故に、日共の地方議会に於ける立候補政策についてはとやかく云わない。むしろ、他の左派政党も含めて議員数を伸ばすべきだと思っている。 問題は、首長選、国政選挙小選挙区に於ける泡沫立候補戦術にある。現下の日本政党史は、長期安定政権と化した自民党ー公明党連合政権に対する第一野党の民主党の闘いを基軸としている。かっての社共共闘は崩壊し、このような構図の下での選挙戦となっている。 この状況下で、与党の自民党と公明党が協力し、第一野党の民主党が牙城に挑み、第二野党の共産党、第三野党の社民党が「我関せず」で泡沫候補を立て続け分裂していくことが下策であることは明らかである。 日共は露骨に「確かな野党」売り込みで、野党間の分裂を仕掛けている。その分自民党ー公明党連合政権に有利に作用させているにも拘わらず、何食わぬ顔で相変わらず常用し続けている。 れんだいこにはこの戦略を是と思う神経が分からない。子供が考えても分かりそうな話ではないか。日共の割り込みは、政治闘争上何の効用があるのだろうか。個別の闘争を積み上げてやがて大きなうねりを生み出す為の前哨戦的位置づけのものであるならまだしも、そうでないことは自明である。徒に、「自民党ー公明党連合政権対民主党の闘い」に茶々入れしているだけに過ぎない。しかしてそれは結果的に自公連合を利している。それは、左派政党の見識として犯罪的ではなかろうか。 れんだいこが思うのに、不破式選挙戦略戦術は意図的故意の反革命政策の可能性がある。それは、野坂ー宮顕ー不破の胡散臭さに関係している。故に、彼等の諸政策は宿アのようなものであり、故にこれを逐次批判しても居直られれば水掛け論となり、それ以上のものにはならない。 こうなると、問題は、それに従順する党員の見識に関わる。党員は少なくとも、左派的運動指導の限りに於いて党中央を信頼すべきであり、明らかに反革命政策の指導である限り従わない権利を確保すべきではないか。その意味で、現行規約は反動的な党中央盲従強制規約になっている。何としてでもこれを改めねばなるまい。 それはともかく、以下、日共の泡沫候補政策が「共産主義者の宣言」の指針に従う限りいかに反動的であることを弁論してみたい。 その前に一言しておけば、いわゆる共産主義運動にはネオ・シオニズムの手先的悪質な運動があり、これを仮にサヨ運動と命名して、れんだいこがこれから述べるところの真性左派運動と識別しておく。以下、分かり易くするためにサヨを悪質左派運動、真性のものを良質左派運動と称することにする。案外余りにもその違いが分かっていないように思われてならない。 2006.4.17日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その158 | れんだいこ | メール | URL | 2006/04/17 20:27 |
【「共産主義者の宣言」の指針する党運動の在り方考】 「共産主義者の宣言」は、前書きで次のように述べている。 「共産主義者は、政治的なその見解、その目的、見通しを全世界のまえに公表すべきである。そして、共産主義の妖怪談に党自身の宣言を対置すべき時である」。 これによると、良質左派運動は本来正々堂々としたものであるべきであろう。悪質左派運動のように姑息な猫なで運動でやるものではない、ましてや有名人著名人をダシにして誘引するような手法は邪道ということになろう。本来は、イデオロギッシュにして且つ理論的な運動を目指し、賛同者を地道に確実に増やしていくことが指針されていることになる。実際、主義者の運動というものは政治であれ宗教であれ思想であれかくあるべきではなかろうか。 「プロレタリアと共産主義者」の項目で、共産主義者運動の在り方に触れて次のように述べている。 「共産主義者は、どういう関係において全体としてプロレタリアの人々を支持するのか? 共産主義者は、他の労働者階級の諸党派に対立するような別個の党派を組織するものではない。共産主義者は、全体としてプロレタリアートの人々と分離したりその一部でしかないような諸利益を持たない。共産主義者は、どのようなものであれ特殊(セクト的)な諸原則を提起しない。セクト的な諸原則は、プロレタリア運動をその型にはめこもうとするものである」。 これによると、セクト主義を厳に戒めていることになる。良質左派運動は本来セクト主義に陥ってはならない。悪質左派運動は、色々理屈をつけては唯我独尊のセクト主義を振りかざし、排他的運動を推し進めていく。それは似て非なる運動であろう。 続いて、次のように述べている。 「共産主義者が他の労働者階級の諸政党から区別されるのは、ただつぎの点だけである。すなわち、異なる国々でのプロレタリアの国内闘争において、共産主義者は、全プロレタリアートの共通の、一切の民族主義に左右されない利益を全面に押し出しつらぬく。労働者階級のブルジョアジーに対する闘争の様々な成長段階において、共産主義者は常に且つどこにおいても運動全体の利益を代表し体現する」。 ここでも、「共産主義者は常に且つどこにおいても運動全体の利益を代表し体現する」と有り、セクト主義の戒め、「階級情勢の左傾化に尽力こそが使命」と指針させている。これが、良質左派運動の在り姿であり、悪質左派運動は逆に分裂を策動して恥じない。 続いて、次のように述べている。 「だから、共産主義者は、実践面では、あらゆる国の労働者階級の党のもっとも進んだ自覚的な部門であり、全ての他の者達の前衛として推進していく部門であり、理論面では、大多数のプロレタリアートよりも、プロレタリア運動の進むべき道筋や条件、究極の一般的成果をはっきりと理解している点で優れている者達である」。 これによると、自由自主自律的な運動であることが肝腎要であり、且つ能力の高い共産主義者が前衛的に運動を牽引していくよう要請していることになる。これが、良質左派運動の在り姿であるのに、悪質左派運動は逆に統制的にして党中央拝跪型の組織を作っていく。その結果、唯々諾々するピーマン党員が輩出するという仕掛けになっている。 続いて、次のように述べている。 「労働者は国家(祖国)を持たない。持ってもいないものを、取り上げることなどできない」。 これによると、共産主義者の運動は、祖国擁護運動を排しているように聞こえる。れんだいこが、これを仔細に検討すれば、他国他民族のそれと利害が対立するような排外主義的な祖国主義、民族主義を排せよ、と述べていることになる。そう受け取るべきであろう。これが、良質左派運動の在り姿であると思われる。悪質左派運動は逆に無国籍型国際主義に陥るか排外主義的な祖国主義、民族主義のいずれかに陥る。 続いて、次のように述べている。 「プロレタリアートは、なによりもまず、政治的支配権を獲得せねばならない。国家の支配階級にまで成り上がらねばならない。自らが国家として、更に云えば、言葉上ブルジョワ的な意味とは又違うそれ自身が国家的なものとして形成されねばならない」。 これによると、政治権力の奪取に向う運動を組織することが要請されている。良質左派運動は権力奪取を重視する。悪質左派運動は、万年野党主義に陥る。「確かな野党」なる路線は云うだに噴飯ものであろう。 続いて、次のように述べている。 「労働者階級による革命の第一歩は、プロレタリアートを支配階級の地位へ持ち上げること、民主主義を廻る闘争で勝利を収めることである。プロレタリアートは、政治的支配権を使って、ブルジョアジーから全ての資本を次第にねじ伏せるようにして奪い取り、支配階級として組織されたプロレタリアートの権力を使って全ての生産用具を国家の手の上に集中せしめるよう、意欲的に使うべきだ。そして、全生産能力を可能な限り急速に増大させるようにし向けねばならない」。 これによると、プロレタリアートを支配階級の地位へ持ち上げるよう運動を目指すべきであり、民主主義獲得、実質化闘争、労働者階級による生産管理闘争を重視していることがわかる。良質左派運動はこれら諸闘争を重視する。悪質左派運動は、口先だけの運動に終始し、大衆的運動の盛り上げに敵対する。 続いて、次のように述べている。 「諸階級と階級対立を持つ旧ブルジョア社会にかわって、各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となるような協同社会(アソシエーション)がきっと現れるであろう」。 これが共産主義者の目指すユートピアである。ユートピア思想が悪いということではない。ユートピア思想を掲げて、現実を近づけせしめることが必要という意味であろう。良質左派運動はこの理念の深化を目指す。悪質左派運動は、口先だけの飾りにして棚上げする。 続いて、封建的社会主義運動、小ブルジョア社会主義運動、ドイツ社会主義または「真正」社会主義運動、保守的社会主義またはブルジョア社会主義運動、批判的=空想的社会主義および共産主義運動の特質と限界に触れた後、それら「種々の抵抗党に対する共産主義者の立場」の項を設け、次のように述べている。 「共産主義者は、労働階級が直面している利害を擁護せんとして目下緊急の目的を達成するために闘う。しかし当面の運動の中にあっても、運動の未来を気にかけている」。 この文言を深く味わうべきだろう。良質左派運動は運動の未来を気にかけ、悪質左派運動は気にかけぬばかりか台無しにする。 続いて、共産主義者が、フランスでは社会民主主義者と同盟し、ポーランドでは農業革命派の運動を支持し、ドイツでは革命的ブルジョアジー派と共闘しというように様々な運動形態に触れながら、「批判の権利を担保させた上での共闘」を指針させている。これが、本来の左派運動であることが知られねばならない。 続いて、次のように述べている。 「手短に言うと、共産主義者はどこでも、現存する社会的、政治的秩序に対するあらゆる革命的運動を支持する。こういう運動のすべてで、共産主義者は所有問題を、その時それがどんな発展度合にあろうとも、それぞれの運動の主要問題として、前面に立てる。最後に、共産主義者はどこでも、あらゆる国の民主主義諸政党との同盟と合意に向けて骨折り労を為す」。 これを一言で言えば、左派運動は、独善を排し階級情勢の左傾化の為に尽力する運動を目指すべし、ということになろう。良質左派運動は共闘を好み、悪質左派運動は極力拒もうとする。仮に組んでも色々理屈をつけて共闘の発展を抑制する。 結びはこうである。 「共産主義者は、自分の見解や目的をかくすことを恥とする。共産主義者は、自分たちの目的が、現存する社会的諸条件を暴力的に転覆することによってのみ達成できることを、公然と宣言する。支配階級をして共産主義者革命のまえに戦慄せしめよ! プロレタリアは鉄鎖のほかに失うものも何も無い。プロレタリアには、勝ち取るべき世界がある。万国の労働者よ、団結せよ!」。 2006.4.17日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その160 | れんだいこ | メール | URL | 2006/04/17 20:44 |
【左派運動は、「自民党ー公明党連合政権対民主党の闘い」にいかなる態度を採るべきか考】 しからば、左派運動は、「自民党ー公明党連合政権対民主党の闘い」にいかなる態度を採るべきか。これを解析する。れんだいこは、「自民党ー公明党連合政権対民主党の闘い」に於いては、「よりまし」運動に徹するべきだと考えている。 その1として、概ね民主党に利するよう動く。その2として、概ねハト派に利するよう動く。その3として、両者がタカ派の場合、泡沫になろうとも左派連合候補を立てて闘う。この3基準で事を運ぶべきではなかろうか。こう思慮することを戦略戦術と云うのではなかろうか。今は余りにもそれがなさ過ぎる。 現下の日共の選挙政策は、概ね自公連合に利し、この間概ねハト派叩きに興じてタカ派を伸長させており、社共共同戦線は見る影もないほどに凋落させている。つまり、口先の批判とは別に内実は逆手逆手に動いていることが分かる。 これが偶然なら許せようが、意図的故意の仕業(しわざ)だとしたらどうすべきか。多くの者はそんな馬鹿なことは無いと否定したがるだろう。れんだいこ解析に拠れば、あらゆる兆候が偶然ではないことをシグナルしている。 何なら一つづつ検証しても良い。手短に判明させようとすれば、重要案件の際の日共党中央の幹部会議事録を過去に遡って公開させて見れば良かろう。一体、どいういう観点からどんな打ち合わせをしたのか、包み隠さず明らかにさせればよい。誰か、党中央に公開を迫ってみよ。どういう返答が為されるか、れんだいこには自明であるが。 こたび筆坂が興味深そうな暴露本を出版したようである。宮顕がどう不破がどうというより、自身が参席した幹部会の会議の様子をこそ明らかにさせるべきであろう。左派運動の指導部としては凡そ不具合な陰険謀議にうつつを抜かしていただろうと思われる。 (以下略) 「不破式人民的議会主義の憐れな末路」考 (miyamotoron/miyamotoron_hosoku17_jinmitekigikaironco.htm) 2006.4.17日 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評その160 | れんだいこ | メール | URL | 2006/04/20 17:42 |
【れんだいこの書評「筆坂秀世著『日本共産党』」】
れんだいこは、「左往来人生学院掲示板」での2006.4.17日付投稿「れんだいこのカンテラ時評第159」で次のように記した。 こたび筆坂が興味深そうな暴露本を出版したようである。宮顕がどう不破がどうというより、自身が参席した幹部会の会議の様子をこそ明らかにさせるべきであろう。左派運動の指導部としては凡そ不具合な陰険謀議にうつつを抜かしていただろうと思われる。 早速書店に行き、筆坂著「日本共産党」を購入して中身を確認した。れんだいこの予想通りの日共党中央の腐敗を内情暴露しており、いわば内部告発本となっている。(実際には筆坂は離党しているので、正しくは内部告発というより内情告発と云うべきだろう) 筆坂は、日共党中央からの迫害が予見される危険を顧みず、何故敢えて我が身に引き受けたか。ここに関心がもたれる。 れんだいこは、次のように推理する。その1の理由として、筆坂は、宮顕ー不破ラインの不倒翁執行部による党中央の腐敗が一般に予想されている以上に酷いものであり、自身の人生の過半を投じた党活動履歴の自負に賭けてこれを告発せざるを得なかった。その2の理由として、宮顕ー不破ラインの不倒翁執行部の腐敗は、もはや自浄能力を欠いているどころか養分を吸い尽くした後の立ち枯れ木状態にあり、むしろ筆坂の駄目押しを期待していると読んだ。その3の理由として、その2に関連して、党中央にはもはやかっての宮顕御用的特務機関の威力が無く、彼らも党中央の腐敗を持て余しており、故に迫害されない。迫害されるほどの力が無い。 筆坂は以上のいずれかの読みから「日本共産党」を出版したものと思われる。れんだいこに云わせれば、筆坂の告発は、党中央に居合わせた者からの宮顕ー不破ライン執行部の際限の無い腐敗暴露という点で希少価値がある。その威力は、袴田の「昨日の友へ」以来のものであろう。袴田が宮顕を、筆坂が不破を告発したことになる。願うらくは、筆坂は、知りえた情報をもっと公開し、歴史に遺さねばならない。それは、党中央潜入スパイ派の実態を暴露する意味で貴重なドキュメント証言となろう。 彼らは、能力の不足により党指導を歪めたのではない。党の換骨奪胎を狙う異分子故に能力を党指導を歪めるように使う。御身保全だけでは理解できない数々の反革命的悪行に手を染めている。筆坂が暴露すればするほど、れんだいこのこの指摘の正しさが確認されることになるだろう。故に、筆坂は口封じされる運命にある。永遠にか金銭でか、それは分からない。 筆坂の告発は、日共の現綱領、現路線を概ね肯定的に捉えた上で、派生的腐敗を告発するというスンタスに特徴がある。故に、不破ー志位執行部は、反撃し辛(づら)い。党内事情の酸いも甘いも、手の内を知り尽くした相手であるだけに、これまでと同じような批判を浴びせる訳にはいかない。そういう意味で、当面様子見の黙殺以外に手の施しようが無いと思われる。 れんだいこの診るところ、筆坂の政治能力は宮顕ー不破イデオロギーにかなり深く洗脳されており、その分詰まらない。如何にうまく使われ、使い捨てにされたのかの両面に於いて、使い捨てにされたことによる反発から事を為している様子は伝わるが、如何にうまく使われたのかの分析がまるで出来ていない。 筆坂が正気に戻るにはもう少し日数がかかるのかも知れない。付言すれば、かっての新日和見事件の被害者達の心情もそのようなものであった。彼らは決して日共の路線批判にまでは向わない。その分物足りない。 以上が、筆坂の内情告発に対するれんだいこの総合感想である。以下、個別に検討してみたい。 まず、宮顕観について見ておく。筆坂は次のように述べている。 「あの戦時中の過酷な弾圧下で、12年間も牢獄につながれながら非転向を貫いた宮本氏は、私たちにとっては次元が違いすぎて憧れることすら憚られるほどの大きな存在であった。私が日本共産党に入党して以降も、『仮に宮本さんのような弾圧を受けたら黙秘で頑張ることができるか』と自分に問いかけ、到底その自信がない自分に恐れおののいたものである。戦後、今の共産党の路線をつくりあげたのは、間違いなく宮本氏の卓越した政治的眼力とリーダーシップであった」。 「筆坂の宮顕観」は、拵えられた通説に過ぎない。れんだいこは、宮顕論でそのウソを告発し抜いている。にも拘わらず何の弁証も無くこれを無視し続け、通説の俗説に固執するのはいわば「サバの頭」を信仰しているに過ぎない。そう思いたい故に我はそう思う、という手合いに漬ける薬は無いので処置無しと云える。 れんだいこ史観によれば、宮顕が「12年間も牢獄につながれながら非転向を貫いた」という神話自体のウソさ加減に思い至らない頭脳では政治指導者としてそれだけで失格であろう。逆に、「即時虐殺された幹部が居る中で、何故宮顕だけが非転向を貫けたのか」を問うことこそが事態の核心に迫ることのできる道である。 実際には、数々の資料と証言を付き合わせれば、宮顕は監獄内で放し飼い状態にあり、特段の拷問も受けていないと理解すべきである。従って、「仮に宮本さんのような弾圧を受けたら黙秘で頑張ることができるか」などと問い、恐れおののく必要は無い。「黙秘で頑張ることができる」などという事は在り得ない。それが在り得たという事は、宮顕と当局が共同して拵えた神話であり、ここに疑惑を持たねばならない。 何なら、当時の特高の誰それに確認すればよかろう。「当時、黙秘で、取調べを頑張り通すことが出来ましたか」と。れんだいこの結論は「有り得ない」。故に、それを在り得たとするのは、陰謀により生み出されたフィクションでしかない。 故に、筆坂の「宮本氏の卓越した政治的眼力とリーダーシップ」を高く評価する見識もいただけない。実際は、日共を今日の如く役立たずにしてしまった路線を敷いた張本人であり、それも意図的故意に「闘う日共解体戦略」に基づき持ち込まれたものに過ぎない。もうこれぐらいにしとこ。 次に、筆坂が、数々の疑惑追及につき国会で追求したことを次のように自画自賛している。 「田中金脈事件、ロッキード事件、KDD汚職、KSD汚職、内閣官房機密費問題、ムネオ事件等々、日本共産党が抜きん出た調査力を発揮した汚職・腐敗事件は多い」。 筆坂が思いつくままに挙げた「日本共産党が抜きん出た調査力を発揮した汚職・腐敗事件」は曲者である。れんだいこの観るところ、日共の疑惑追及は背後で操作されたような訴追の仕方が多く、むしろそこをこそ詮索すべきであろうに、筆坂は今に至るまで無自覚なようである。 時に特ダネを飛ばすが、不自然に入手された特ダネが多い点を気にかけるべきだろう。特に、政府自民党内のタカ派とハト派の抗争に於いて、専らハト派の不祥事追求に精力的になる癖の原因を解明すべきだろう。中曽根ー小泉系譜のシオニスタン系タカ派の汚職・腐敗事件例えばFX選定事件、ダグラス・グラマン事件、リクルート事件等々に関して、誇るほどの訴追をしなかった原因をこそ探るべきだろう。 筆坂はその他、幹部会、党財政、政党助成金、民主集中制、党勢拡大運動、選挙総括、党内選挙、党内人事、党指導部、党員、拉致事件、自衛隊、皇室、民主連合政府等々に関わる諸問題での党中央の対応を批判している。それぞれの論点を列挙すればキリが無いので割愛するが、宮顕ー不破ー志位党中央の恐るべき空疎な指導ぶりを明らかにしている。 要するに、「至らない者が至ろうとして生起させた諸問題ではなく、党中央が党をわざと至らせない為に仕組んだ数々の不祥事問題」として受け止めない限り理解できない、ということである。ここを見抜かずにマジメそうに注進する者が後を絶たないが、党中央は分かった上で意図的故意にやっているという認識に立つ必要がある。たとしたら、注進者より役者が上ということになろう。このことが分からない下手な役者の正義ぶりが多過ぎる。 2006.4.20日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その161 | れんだいこ | メール | URL | 2006/04/22 00:30 |
【不破の筆坂反論をれんだいこが駁す】 筆坂の内情告発「日本共産党」を読んで、不破議長はよほど頭にきたらしい。至るところに配慮を欠いた反論をしていることが透けて見えてくる。れんだいこが筆坂になり代わって反論しておこう。 不破は、「筆坂秀世氏の本を読んで」(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-19/2006041925_01_0.html)で次のように反論している。早くも例の茶坊主が不破反論に沿ってヨイショし始めている。馬鹿馬鹿しいから取り上げない。今のところ、れんだいこのように筆坂の方がまだしもましという観点から立論する者はいないようである。この後は分からないが。 不破は、筆坂が「日本共産党への『弔辞』」と題する「特別手記」(2005.9.29日号週刊新潮)、「日本共産党」(新潮新書、2006.4.20日初版)により、「党に敵対する立場を明確にしました」と云う。それはそうだろう。問題は、不破が、筆坂の訴えに聞く耳をどれだけ持つことが出来るのかにある。 不破は、「ここまで落ちることができるのか」という見だしで次のように述べている。早速例のセクハラ事件に反論し、今更冤罪と云うのなら、「なぜ、そのとき、正々堂々と自分の態度を説明しなかったのか」と批判している。 不破よ、すり代えるな。筆坂は、著書の中で「不自然な経緯」の方に重点を置いて弁明している。お前が為すべきは、「不自然な経緯」に対する弁明である。特に、記者会見をしたかったと述べている。不破の指示で直前にキャンセルされたと述べている。これを釈明してみ。 「筆坂氏の語る「真相」とは……」という見だしで次のように述べている。冒頭、「私は、ある週刊誌にこの本の予告的な報道記事が出たとき、それを読んで目を疑った」と述べている。これは、事前のゲラ刷りのことであろう。不破はそういうものが手に入るようである。 筆坂の宮顕引退時の経緯に関する記述に触れて、事実と齟齬していることを縷々聞かせる。しかし、筆坂のそれは、末尾が「ように聞いている」とあり、伝聞ということを明示している。そんなものを「事実と齟齬している」と批判しても意味が無かろう。 筆坂の宮顕引退時の経緯に関する要点は、不破が宮顕に引導を渡したこと、それにより宮顕の法皇的地位を不破が継承したことを示唆していることにある。不破よ、批判するのなら、それが事実と違うのかどうかを弁明してみ。 お前はこたび、「宮本さんの退任の問題について、二人での話し合いを始めた」、「一致した結論にいたるまでには、時間がかかったが、九月に入って間もなく、話し合いがまとまった」、「私と志位書記局長(当時)の二人が宮本さんと会い、二人が議長退任の申し出を受けた」ことを明らかにした。十分すぎるほど、筆坂の指摘を裏付けているではないか。「この日程を見ていただければ、筆坂氏のいう『真相』など、入り込む余地がまったくないことがお分かりいただけるだろう」と反論したつもりのようだが、俗に云うヤブヘビになっているではないか。 「自分でつくった「ガセネタ」を自分で流す」という見だしで次のように述べている。「自分が『真相』として宣伝するものが、小泉首相の用語法にならえば『ガセネタ』であることを重々承知していたはずである」という反論もヤブヘビだ。今日の政治状況で、小ネズミが粗雑に使用した「ガセネタ」用語を使う神経が、お前の親小ネズミぶりを思わず吐露している。普通には、政敵の愛用語は安易に借用しないものだ。れんだいこはそう思う。 「不破議長時代の罪と罰とは……」という見だしで次のように述べている。筆坂の不破批判が、「拉致問題での外交交渉を論じた党首討論(二〇〇〇年十月)」と「民主連合政府のもとでの自衛隊の扱いについてのテレビ討論での発言(同年八月)」の「二つの点しかない」と捻じ曲げた上で次のように云う。 「私が日本共産党の議長をつとめたのは、第二十二回大会(同年十一月)から第二十四回大会(二〇〇六年一月)までの五年二カ月だが、その全期間を筆坂式で調べても、この二つの問題点しか見つからなかったのだろうか。しかも、二つの問題点なるものは、どちらも私が議長になる以前のことであって、それを「委員長時代」ではなく、「議長時代」の「罪」に数え入れるのは、「看板に偽りあり」ということになろう」。 これこそ、極め付きの詭弁、すり替え、歪曲であろう。筆坂の不破批判は総花的にあれこれ述べている。決して、拉致問題や自衛隊問題を廻る対応の拙さだけを批判しているのではない。実際に著書を読めば分かることだ。 次に、「委員長時代ではなく議長時代の罪に数え入れるのは看板に偽りあり」とはどういう意味か。お前が委員長であろうが議長であろうが一貫して党の最高指導者であったお前の指導を批判しているのだろうが。委員長と議長の区別をして難癖つけて何か事態が変るのか。お前はいつもこういう小手先の批判逃れをする。 「提起されている二つの問題点については、どちらも、ここに「罪」を求めるのは筆坂氏の独断にすぎない」という見だしで次のように述べている。筆坂の批判を「まったくの曲解」だとか、「私たちの政策のこうした発展のプロセスは、公開された形で明らかになっていることで、筆坂氏の“内幕”話などが入り込む余地は、なんら存在しない」と述べることで反論したつもりのようだが、何も云っていないに等しい。 筆坂はかって党の政策委員長の立場にあった。離党して初めて党の利益を逃れて公平な立場から当時の政策のあれこれを見直す機会を得た。見えてきたものを日本人民大衆に告げる責務を感じた。これが筆坂の偽らざる気持ちであろう。その気持ちに応えるお前の対応は、スピッツがキャンキャン吼えているような代物で、党の最高指導者の風格のそれではない。お前が慌てて感情的に反論したにせよ、そういうことが透けて見えてくるだけの話でしかない。 最後に伝えておく。この種の論争の場合、最低限必要なことは、当の筆坂の著書に当ることである。その上で、不破の反論を精査することである。当の著書を読まずに読んだ気にされ、不破の反論で事足れりとするのは、いつもながらの煙巻き論法に巻かれるだけのことであろう。 もう一つ最後に気にかかることを記しておく。筆坂は何気なく次の事実を明らかにしている。2004.11.17日、日共の不破夫妻が、東京元赤坂の迎賓館で、デンマークのマルグレーテ2世女王夫妻招待の夕食会に招かれ参列した。日本側の主賓は天皇皇后夫妻で、夕食会への参加は、日本の政党関係では不破夫妻だけだったとのこと。不破は、見知っている人として俳優の岡田真澄氏や外務省から宮内庁に移っていた役人がいたと伝えている。 これは何なんだ。政界関係者の中でなぜお前だけが選ばれてこういうところへ出向いたのだ。妙に引っかかるものがある。 2006.4.22日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その162 | れんだいこ | メール | URL | 2006/04/25 21:03 |
【衆院千葉7区補欠選挙考】 2006.4.23日、昨年の総選挙で初当選した自民党の松本和巳氏(41)が、陣営の選挙違反事件に絡んで辞職したのに伴う衆院千葉7区補欠選挙が投開票され、民主党の太田和美(26)が87.406票、自民党公明党共同の斎藤健(46)が86.091票、日共の徳増きよ子(53)が14.274票という結果となり、955票という鼻差で民主党候補が当選した。当日有権者数は38万6606人。投票率は49.63%(前回総選挙64.75%)だった。 これをどう評するべきだろうか。まず日共の総括を見てみたい。赤旗が「衆院千葉7区補選 徳増氏及ばず」(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-24/2006042402_03_0.html)で報じた。市田書記局長が談話を発表しているが、自称科学的社会主義者というものはこういう分析をするものかと驚かされる代物となっている。何と、こたびの票の前回との増減、得票数、得票率その他選挙の指標になる数値の一切に触れていない。こういう総括が許されるものだろうか。 「確かな野党」運動が有権者にどう指示されたのか、されなかったのか、その原因は奈辺にあるのか、自民対民主の戦いの構図をどう見るのか、説いて聞かせる責任があるだろうが。 こたび955票差の民主党候補の当選は薄氷の勝利と言える。逆に955票差で自民党候補が当選していたとしたら、日共はどういう見解を出すのだろうか。れんだいこは、「確かな野党」戦術の胡散臭さを指弾したい。 一体、日共党中央はいつまでこの戦術に拘るのか。与党は、自民党候補に公明党が推薦という形で連携している。野党は、民主党と共産党が争うように分裂選挙している。これでは野党が勝てる訳が無い。選挙で分裂するその戦術は余りにも自公与党派に有利に働いている。 この局面で「確かな野党」選挙に踏み切るには、民主党候補を推薦せずに対決が必要であることを説き明かす責務がある。それは当然民主党と国会共闘しないという一貫した姿勢を要求するものとなろう。実際にはどうだ。国会で野党共闘しているではないか。尤も、肝心の採決になると出席し、自公の強行採決にお墨付きを与えるのを常習としているが。党中央は、これにつき責任ある弁明をせねばならない。こたびの「市田書記局長談話」はあまりにもふざけ過ぎていよう。 次に、民主党はどう総括しているのだろうか。民主党のホームページで、「【党声明】衆議院千葉7区補欠選挙結果について」がサイトアップされている(http://www.dpj.or.jp/news/200604/20060423_02seimei.html)。その中で、「自民党との対立軸を明快に示し、参院選での与野党逆転、そして次期総選挙における政権交代めざして邁進します」と決意表明している。 小沢代表の「補選に勝利させていただけたこと、ご協力に感謝」もサイトアップされている(http://www.dpj.or.jp/news/200604/20060425_08ozawakaiken.html)。その中で、「民主党自身が政権を担いうる政党になり、それが国民に認めてもらえるかどうかが問題点だ」という認識を披瀝している。小泉政権に対しては、「改革という小泉首相の言葉に値するような結果は何も得られなかった。評価すべきものは何もないし、無為な時間が経過したと思う」として、首相の構造改革路線を痛烈に批判している。れんだいこには、しごく真っ当な総括をしているように思える。 次に、自民党、公明党のそれを確認しようとしたが、れんだいこの探し方が下手なのか見当たらない。昨日報じて翌日の今日は別の画面にかわったのかも知れない。しかし何となく両党の執行部は恣意的に都合の悪い情報は流さないのかも、という風に勘ぐりたくもなる所為である。仮に、敗北選挙については見解を出さないのならば、姑息この上ない随分ええ加減な党だという事になる。 ついでに社民党のホームページを覗くと、選対委員長・渕上貞雄氏の「衆議院千葉第7区補欠選挙の結果について(談話)」がサイトアップされている(http://www5.sdp.or.jp/central/timebeing06/danwa042301.html)。その中で、「独自に太田かずみ候補を支援した」、「社民党は、この国民の期待に応えるためいっそう頑張る決意である」と述べている。れんだいこには、しごく真っ当な総括をしているように思える。 今やしてみれば次のような政界構図になっているように思える。政権与党の自民党と公明党は、一蓮托生的に提携しあっている。野党は、民主党が自力で政権奪取を目指しており、社民党が協力関係にある。日共は「確かな野党」で独自の道を目指し、結果的に公明党が自民党に対して為すような協力を拒否し、野党間の足を引っ張ることで自公体制を裏支えしている。これら5政党に代わる党派は出現していない。 ここ数十年、政界はこの構図で経過している。地殻変動は無いかというと、こたび民主党の小沢執行部の出現により漸く政権交代に王手の芽がでてきたという動きが見える。これをどう評するかが問われている。それにしても、「永田メール事件」の籔を突き過ぎた小ネズミ政権は、一番の強敵を引き出したようである。少々政界が面白くなってきた気がする。 2006.4.25日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その162 | れんだいこ | メール | URL | 2006/04/26 15:39 |
【国会は、稀代の売国奴小ネズミを国政背任罪で調査問責せよ】 稀代のシオニスタン首相小ネズミは新たに又も、米英ユ同盟に巨額をお供えした。どうにかならんかいな。「在日米軍再編:日本側負担額は3兆円 見込みより大幅増」と報道されている。 米沖縄海兵隊のグアム移転費を始め、在日米軍再編に伴う日本側負担が計約260億ドル(約2兆9900億円)に上るとの見通しが明らかになった。米側報道によると「控えめな試算」としており、日本側負担の総額は3兆円を超える可能性がある。小ネズミ政権の息のあるうちに最後のご奉公させ、取れるだけ取っておけ、まだまだ絞れ、という訳か。 安倍晋三官房長官は26日午前の記者会見で、「どのような内容か承知していない。印象としては途方もない金額なのでコメントを差し控える」と述べたと云う。「途方もない金額」なら余計に由々しきこととしてコメントせねばなるまいがこのボケ。 笑うで済まされず怒るのも馬鹿馬鹿しく情けなくなるというのを通リ越して言葉が見つからない。読売産経は又しても「これぞ日米同盟の堅い絆の証」とでも提灯するのだろう。この連中にはペンの責任をとらせねばなるまい。いっそのこと80兆円の年次予算みんなお供えしてみたらどうだ。すっきりすっかりはたいてしまえ。 れんだいこは、読売産経が云うところの名宰相小ネズミの首相就任以来の米英ユ同盟へのお供え近の総額を知りたい。思いつくところで、通常の年次軍事予算がある。思いやり予算という名の米軍駐留手当て金がある。それに加えて9.11テロ事件被害義捐金、アフガン懲罰戦争支援金、イラク復興という名の対イラク戦争支援金、自衛隊武装派兵費、ミサイル防衛網資金、こたびの米軍基地再編支援金等々がある。他にも米国債の買い支えもあるだろう。 これらの総額は一体いくらになるのだろう。国家財政の危機を名目にして地方を切り捨て、被災地復興を後回しにしながら、米英ユ同盟には湯水の如く垂れ流す。小ネズミとは一体何者なのだろう。民間企業なら背任罪で問われよう。首相ならなぜ問われないのか。特に、表予算ではなく予備費から捻出している手法や国会決議では無く閣議決定で処理する手法は、首相の職務権限を越しており首相犯罪を構成するのではなかろうか。 こういうところが問われない。要するに首相はやりたい放題できるということのようだが、いつからそういう法理論が生まれたのだろう。この国の自称識者はダンマリを決め込んでいる。 ロッキード事件では角栄の犯罪をあれほど手厳しく追及したのに、世界裏政府の威光をかさにきたシオニスタン首相の仕業には及び腰というのが滑稽である。それにしても日本は変わった。この変り方を好評してエールを贈る者も居るが、エエカゲンニセンカイと怒鳴ってやりたい。れんだいこには、絞殺されて恍惚する変態痴情でしかない。こういう手合いが多過ぎる。上が狂っておれば下も狂うという事例だろう。 2006.4.26日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その164 | れんだいこ | メール | URL | 2006/04/27 18:38 |
【シオニスタン売国派国会議員の恐るべき痴性】 「シオニスタン売国派の恐るべき痴性」が報ぜられている。「株式日記と経済展望」(http://www5.plala.or.jp/kabusiki/)の「日本テレビ 『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中 』より」(http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu117.htm)が伝えている。興味深いのでこれをここでも採りあげる。 2006.4.15日の日本テレビの爆笑問題「太田光の私が総理大臣になったら」番組(http://www.ntv.co.jp/souri/index.html)で、「イラクはどこ?」と尋ねた。社民党の福島は正解だったが、自民党の山本一太、甘利明議員は二人とも思案投げ首の挙句シリア辺りのところに印をつけた。つまりイラクの正確な位置が分からなかったと云うのだ。 人には失念、間違い、無知が許されても良い場合も有る。甘利議員の場合、商工部会を主として居るので名前の通り大甘に見てしんぜよう。が、山本議員の場合にはどうか。彼は、しょっちゅうテレビにゲスト出演し、小ネズミ政策の露骨な弁護を饒舌し、討論マナーの悪さで知られているが、ここではそれは問わないことにする。 彼にはもう一つの顔が有る。彼はれっきとして自民党の外交部会長である。彼のプロフィールは次の通りである。「1958年、群馬県生まれ。1995年、参議院議員に当選。参議院自民党副幹事長、党遊説局長などを歴任後、1999年、外務政務次官、2003年、参議院外交防衛委員長に就任。現在、参議院外交防衛委員会およびイラク・事態特別委員会理事、党外交部会部会長などを務める」。 「株式日記と経済展望」氏は、次のようにコメントしている。 「 アイドルタレントやお笑い芸人が、イラクはどこ?と聞かれて分からなくても笑って済ませられますが、イラク問題を審議する国会議員がイラクの場所を知らなかったのは笑えない。ましてや山本一太議員は自民党の外交部会長であり、平成11年10月外務政務次官就任(2期)、現在外交防衛委員会理事、イラク・事態特別委員会理事、国家基本政策委員会委員でもある。いわば山本一太議員はイラク問題の自民党の最高責任者でもあるのですが、地図上でイラクの場所が分からなかった」。 他にも、小泉の前の首相を5代ほど書かせるテストで、自民党議員は2人とも間違えたと云う。つまり、政治家としてあるまじき不見識と頭脳の貧弱さを露呈したことになる。 信じられないことではあるが、こうしたことが起るのはなぜか。小ネズミ政権に群がり取り巻く連中が、小ネズミそのものを筆頭として米英ユ同盟の言いなり政治をしているからではなかろうか。彼らは自分の頭で考える必要が無い。最強権力体である米英ユ同盟の指示通りに立ち働けば良い。そうすれば、カネも身分も権力も保証されるという仕掛けに乗りサインアップした売国奴故に、不見識と低脳こそおあつらえ向きということではなかろうか。 こたびの「太田光の私が総理大臣になったら」番組は、番組製作した方もびっくりの、連中の痴性を垣間見せたのではなかろうか。れんだいこは思う。この連中には政治家二世、三世が多い。恐らく子供の頃から金銭感覚もデタラメで、こたびの米軍基地再編費用負担問題でも、3兆円という金額の持つ意味が分からないのではなかろうか。 3兆円を仮に公共事業に回せば、どれだけのことが出来るのか。それら一切を抑制して「思いやり予算」を組む痴愚ぶりの自覚症状が無いのでなかろうか。公共事業の概算予算をたちどころに計算し狂わなかった逸話を残している角栄の能力に比してあまりにもお粗末なことである。 れんだいこは、永田議員がメール事件で議員辞職を余儀なくされるなら、山本議員はそれ以上の罪で罰せられるべきだと考える。彼にはイラクの所在の間違いは許されない。こういうことが分からない連中に、憲法違反承知の自衛隊の武装派兵や、それに巨額な税金注ぎ込みを是認する資格が無い。今自衛隊の撤退問題が否応無く浮上しているが、彼は語る能力無しの烙印を押されたのに等しい。 山本議員が政権与党の自民党の外交部長を務め続けるのは、口あんぐりだけでは済まない。議員は国家の税金で養われている。国家の立場から発想せずシオニスタンとして歩むなら、お前はスポンサーの米英ユ同盟に養ってもらえ。こたびの不見識は議員生命に関わるべきと考える。少なくともお前はなぜ分からなかったのか国民に弁明せねばならない。 国会で採りあげる値打ちがある話である。日共は好かんから社民党よここを衝け。パネルで、政界にまぶれついているシオニスタンの頭脳チェックせよ。 2006.4.27日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その165 | れんだいこ | メール | URL | 2006/04/28 18:03 |
【日共の執拗な元党員攻撃が続いている。あきれはてるのはれんだいこだけか】 不破は、筆坂の告発によほど頭にきたらしい。赤旗で執拗に攻撃しており、この問題を採りあげた出版社やマスコミに圧力かけ始めている。しかし、やればやるほど馬鹿さ加減が浮き彫りになるだけであろうに、それさえ分からないらしい。 考えてみれば、筆坂に至るまで過去何人の元大物党員がこういう形で罵倒されたことだろう。何事もやり過ぎると食傷されるということも分からないみたいだ。 最新の赤旗は、このところ癖になっているマスコミ恫喝を恥ずかしげも無く記事にして嫌らしい形で正義ぶっている。それほどガセネタだと云うのなら、採りあげたことがけしからんというのではなしに、公開討論会を挑まんかい。できるだけたっぷり時間を取って、筆坂が告発した箇所の隅々までガセネタぶりを論えば良い。 日共よ、お前達の論法から引き出されるべきはそういう態度を採ることである。そこを急に捻じ曲げて、筆坂批判、新潮社批判、テレビ局批判に耽るというのは姑息である。特に、マスコミに権力的容喙をするとなると、日頃の民主主義云々に照らして、云っていることとやっていることが違うがな。 日共が避けている論点は次のところである。筆坂が、秘書と婦人と焼肉店へ行き、その後カラオケボックスで婦人とディェットし、腰の辺りに手を回した。あるいは撫でた。それは事実であるがそれがどうしたというのだ。それぐらいのことで何で党の政策委員長を辞めさせられ、議員辞職までさせられねばならないのか。それこそ公党暴力ではないのか。どうせ浦の事情があったのだろうが、一線を越えている。 れんだいこには、それが当たり前だという神経が分からない。世間はそのことを問題にしているのだろうが。お前達はそれぐらいのことでかくも制裁を科すほど本当に潔癖か。不破も含めて過去を顧みて述べてみ。 次のことも云っておく。お前達は、「日本共産党の名誉を傷つける行為」であろうが無かろうが、甘んじて報道の自由を守るべきではないのか。それとも、「公党の名誉を傷つけてはならない」という新法でも出来たのか。日本共産党の名誉をそれほど気にするのなら、他党の名誉も同じように守ってやれや。手前らだけは除外つうのは虫が良すぎよう。 お前達が、「報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない」との放送倫理基本綱領を引き合いに出すのなら、筆逆告発が事実かどうか、討論番組でやりおうたらどうか。「すみやかな謝罪・是正を求める」などは姑息で、バトルテーブルを用意せよと云うのが本筋だろうが。 お前達はいつも問題を逆に解決しようとする。選挙に負けた時の責任の取り方もそうだ。責任は誰でも取れる。この後に責任を取るのが真の責任のとり方だと上手に口を動かしては、負けばかりしている。こうして永遠に執行部が維持されるという仕掛けだ。 エエカゲンにしておかないと最後には閻魔さんに舌を引っこ抜かれるぞ。 2006.4.28日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その166 | れんだいこ | メール | URL | 2006/04/29 18:04 |
【角栄演説集サイトアップ。学ぶ者は学べ】 (れんだいこのショートメッセージ) 片岡憲男著「田中角栄邸書生日記」(日経BP企画、2002.4.30日初版)を古書店で見つけ読んでみた。付録に「田中角栄総理大臣 主要演説」が掲載されていたので、ここにサイトを設けこれを転載しておく。その後、「データベース『世界と日本』」(東京大学東洋文化研究所田中明彦研究室 )に採録されているのを見つけたので転載する。「田中角栄演説集」というのはあるにはあるようだが手元に無いので、抄録としてれんだいこ構成でサイトアップする。 れんだいこがここで角栄演説を採りあげる理由は、角栄の面白おかしい演説振りはまま知られているが、内容における真摯さに於いて顧みられることが無い点を惜しむからである。角栄の実際の演説に耳を貸してみよ。政治に如何にまじめに遇していたのか伝わるであろう。その真摯さは後にも先にもなかろう。 最近の政治の貧困は目に余るものがある。仮に良いことを云ったとしても薄っぺらで、うすら笑いに至ると寒いやら気色悪い。そこで、戦後政治の牽引役にして現下の小泉政治とは全く違う対照的な真の構造改革者であった角栄の見識を学ぶことで共に溜飲を下げたいと思う。 それにしても、れんだいこは不快な思いがこみ上げてくるのを禁じえない。かの時、角栄を根限り悪し様に批判することで正義ぶった日共宮顕ー不破よ。あれから30余年過ぎた。れんだいこは、今に続くお前達のエセ左翼ぶりに改めて憤然とする。 「エセ左翼による左からの痴態で左派運動の値打ちを落とし込め続ける」日共宮顕ー不破系党中央を引き摺り下ろさねば、左派運動の覚醒は無い。日本左派運動の貧困は実にここに宿している。政治におぼこい連中にはここが分からない。 思うに、小泉政権と不破系日共党中央の体質は何やら似ている。刺客送り込み、政敵の徹底的袋叩き、党中央拝跪型党運営、詭弁と開く直り、党内スパイ網等々。そういう意味で、小泉政権打倒と宮顕ー引き摺り降ろしは不即不離ではなかろうか。その小泉政権と一蓮托生した公明党神崎執行部の腐敗も酷い。いずれ天罰が下ろう。連中は、「歴史は消しゴムで消せない」ことを今に知るだろう。 もう一つある。それにしても、角栄元凶史観の刷り込み洗脳は今も続いている。2チャンネル辺りで中曽根御大ー角栄元凶説を無茶苦茶な論法で振りまいている連中が論を張っている。「我そう思いたい故に我はそう信ずる」という原理主義に被れているのだろう。 そういう連中は放っておいて、そこまで行かない連中はせめてここに設けた「田中角栄演説」の一言一句を噛み締めることで、マインドコントロールから自力救済して貰いたい。その労を惜しんで相変わらずのスタンスで居ると云うのなら勝手にせい、昔から自業自得と云う言葉がある。 2006.4.29日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その167 | れんだいこ | メール | URL | 2006/05/04 01:49 |
【西郷頼母史観考】 「西郷頼母史観」の何たるかは「西郷派大東流合気武術総本部」の「合気揚げの基礎知識についてシリーズ」(http://www.daitouryu.com/syoudoukan/frame/f-aikiage.htm)に詳しい。ここでは、この流派の歴史観を学ぶこととする。 もとより、れんだいこ史観と一致する箇所ばかりではない。食えないところも多いので、不一致のところを捨象し、れんだいこが理解できるところをサイトアップしておくことにする。れんだいこが理解できるところとは、妙に説得性の有るところという意味である。 「西郷派大東流合気武術総本部」は、ペリー黒船の来航より幕末維新への流れ、明治以降の流れに国際ユダヤの息づかいを認め、それに対抗する結社として大東流が創設されたとして、次のように延べている。 概要「元会津藩家老の西郷頼母は、西欧列強の正体(国際ユダヤ金融資本の上に西欧の肉と皮を纏った西欧支配層)を見抜いていた。西洋と言う、欧米の実態が、実はヨーロッパやアメリカの骨格の上にユダヤと言う肉を纏ったものであるということを知っていた。だからこれに対峙し、牽制(けんせい)するためには『大東流』というものが表面に打ち出されていなければならず、この流名由来は『九州のスメラギ』と言われた菊池一族の『大いなる東(ひむがし)』であった。 そして、欧米ユダヤ(国際ユダヤ金融資本)の『血のネットワーク』(欧米は同じ先祖から出て、血統のつづいている者、あるいは養親子を含める法定血族からなる血族結婚によってその血統を重んじる社会)に対峙(たいじ)して、西郷頼母の掲げたものは『大東流蜘蛛之巣伝』(だいとうりゅうくものすでん)という日本人の霊的神性を蘇らせる特異な『秘伝科学』だった」。 れんだいこは、ネオ・シオニズムの世界支配構想の存在と動向につき太田龍史観にほぼ同様の見立てを学んでいるが、元会津藩家老西郷頼母は、幕末の只中の時点でかような認識を得ていたことになる。そしてそれを「西郷派大東流合気武術総本部」がインターネットで伝えていることになる。 れんだいこの判ずるところ、事象の根本を射抜いており、古来より連綿と継承されてきた日本武術の眼力の確かさと頭脳を証しているように思われる。この眼力と頭脳は史上に誉れであり誇るべきものであろう。最近知るところとなったが、今からでも大いに学ぶべきであろう。 以下、れんだいこ風に整理しつつ弁証してみたいと思う。個々の史実に関するところは、れんだいこの「幕末通史」に取り込み、幕末維新観につき注目させたい記述のくだりを採りあげることにする。 daitoryuaikidoco/top.htm それにしても歴史は深い。明治維新を問う講座派と労農派の論争など象の表皮を撫でる遣り取りに過ぎなかったとさえ思えてくる。この所感いかがなものだろうか。 2006.5.3日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その168 | れんだいこ | メール | URL | 2006/05/04 13:00 |
【法治主義を遵守しない者に法をいじる資格は無い。これは当たり前のことである】 2006.5.3日付毎日新聞19面の「改憲問題座談会」を論評する。論者は、枡添要一・自民党新憲法起草委員会事務局次長、山崎正和・LCA教授、高橋和之・明治大法科大学院教授。司会は、倉重篤郎・毎日新聞政治部長。憲法記念日の最近の論調が分かり興味深い。 枡添はいきなり次のように述べている。 「憲法は9条が最大の問題です。今、自衛隊がイラクにもインド洋にも行っています。憲法9条をまともに読んで、こういうことができるのか。更に、米国の9.11事件とテロ特措法、イラク戦争だとイラク特措法と、場当たり的に法律を作っている。国会の政府答弁も非常に苦しく、『解釈改憲』は限界です」。 れんだいこが思うに、この発言は非常に問題である。枡添という御仁は、小ネズミ同様レイプ気質が濃厚と見る。枡添よ、改憲を策動している当人が、「今、自衛隊がイラクにもインド洋にも行っています。憲法9条をまともに読んで、こういうことができるのか」とのたまう神経が、れんだいこには理解不能である。 「自衛隊のイラクへの武装派兵が違憲である」と公然と述べているところが異常である。蛇足ながら、枡添は、自衛隊のイラクへの武装派兵が違憲である故にできないとしているのではない。この発言は、違憲承知で自衛隊のイラクへの武装派兵を強行したことをぬけぬけと公言していることに意味がある。お前の反法治主義、現実優先感覚が透けて見えてくる。 この発言は明らかに、憲法第99条の「行政当局者の憲法遵守義務規定」(天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ)に違反している。つまり、由々しき発言であることになる。我が社会では、こういう発言が許され訝られないほど法治主義感覚が欠如していることになる。 しかしまてよ。この感覚を逆用すれば、今後仮に改憲されたとして、又もその条文にも関係なく再び反法治主義、現実優先感覚で事態を進展させることができることになろう。つまり、これらの手合いにとっては、いつまでも法が法としての意味をなさないことになる。 枡添よ、法がそれほどお飾りで、遵守する必要の無いものならば、いっそのこと無法社会にすれば良かろう。政治は力だ、権力だ、強い者には巻かれるんだで万事押し切れば良かろうに。ならば、改憲も無意味ではないのか。お前が憲法改正に執心するのは自己撞着していよう。答えてみ。 後段の、「国会の政府答弁も非常に苦しく、『解釈改憲』は限界です」発言も問題である。これまで「解釈改憲」してきたことをぬけぬけと吐露している。正直といえば正直ではあるが、「解釈上合法である」として居直るのと「解釈改憲である」とするのとでは弁明スタンスに大いに違いが有る。 お前は今、憲法改正を目指す自民党新憲法起草委員会事務局次長とのことだが、本来はそういう役を引き受けるのは最低限法治主義者であることが前提であろう。違憲是認を平気で公言する反法治主義者が法の改正を手掛けるのは論理矛盾ではないのか。 山崎の発言もオカシイ。概要「改憲改定が厳格であることは民主主義の本旨に反する、憲法改正は国会で3分の2あれば可で、国民投票に掛けなくてようと思う」などとぬけぬけと発言している。 山崎よ、正気かよ。お前の論法をまともに受け取れば、改憲改定が容易であることが民主主義の本旨ということになるが、国権の最高法規がころころ変るのがそれほどに民主主義的であるということを論じてみよ。チャンチャラおかしいではないか。ついでに、お前の民主主義論つうものを聞かせてみ。 山崎は小泉政権について次のように述べている。「小泉内閣が特に米国にべったりだとは思いません。日米関係を基軸とした外交は自民党の暗黙の党是のようなもの。要するに国際情勢が変ったわけです。自衛隊が海外で平和構築をするのは、世界が要求し、世界人としての日本人が決めたことです。政治も経済もグローバル化し、一国平和主義に安住していられない流れの中で、小泉さんが選択した。国際情勢の変化の中で、国際人として日本の憲法も考えなきゃならない」。 れんだいこは山崎が何者なのか知らない。その昔、新聞の文化欄にちょろちょろしていたが、何を云っていたのかさっぱり思いだせん。その御仁のこの発言から分かることは、根っからの御用政治家にしてシオニスタンであるということである。その論理構成が全くのシオニスタンぶりを示している。一々解析しないがそう云える。 それにしても、「小泉内閣が特に米国にべったりだとは思いません」とは滑稽な話ではないか。そう云うのなら、お前の考える「米国べったり内閣基準」を云うてみ。稀代のべったり内閣をしてそうは思わないなどというのなら、どういう状態になったらべったりなのか明らかにして見よ。お前の感覚は体制べったり過ぎようぞ。それにしてもだ、こういう太鼓持ち評論家が世の中でいつでもはびこるんだな。実に格好例となっている。 それにしても、枡添も山崎も人前で薀蓄垂れるような頭脳しとらんがな。高橋の応答はまずまずとしても、司会は何やってんだ。「先生それはちと問題発言では」と、合いの手ばかり打たずに云うてみ。せっかくの憲法記念日なんだから、それぐらいのこと云わんと仕事したことになりゃせんやろ。 悪い仕事ばかりする人間と本との仕事せん人間が高給とって贅沢三昧している世の中は覆さねばならん。それが共謀罪に問われるのなら、歴史は共謀罪のかたまりやがな。何で今頃、反歴史法をひっさげてしつこく狙うのかな。逆に抵抗権、革命権、回天権の正義をぶったろか。一言添えておく。「シオニスタンがままにしておれども、今に転ぶで。転ばすで」。 2006.5.4日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その169 | れんだいこ | メール | URL | 2006/05/05 19:54 |
【日本は一刻も早く原子力行政から撤退せよ。これはネオ・シオニストの罠である】
グーグル検索で出てくる「フリー百科事典ウィキペディアのチェルノブイリ原子力発電所」、「チェルノブイリ原発事故」その他を参照する。 1986.4.26日、当時ソ連ウクライナ近郊のチェルノブイリ原子力発電所の4号炉(黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉、RBMK-1000型)が爆発し、原子力発電史上最悪の事故が発生した。 事故から4ヶ月後の1986.8月、ソ連政府は、IAEA(国際原子力機関)に事故報告を提出したが、おざなりな被害報告とその後の対応が記されているのみで、事故原因については「運転員による数々の規則違反の類まれなる組み合わせ」という何の教訓にもならない説明でお茶を濁している。被害実態は今も明らかにされていない。チェルノブイリ事故に関する情報は機密扱いとされ今日に至っている。 チェルノブイリ原子力発電所は、1971年に着工され、1978.5月に1号炉が営業運転を開始した。1986.4.26日1時23分(モスクワ時間)の4号炉が爆発。その後も1号炉〜3号炉の運転は続けられたが、2000年に稼動が停止されている。1886年年、当時建設中だった5号炉と6号炉は中止された。 爆発の状況は次のように伝えられている。当時、爆発した4号炉は休止中であった。原子炉が止まった際に備えた動作試験を行っていたところ、何らかの事態発生で原子炉は制御不能に陥った。その挙句、炉心が融解、爆発したとされる。 爆発により、原子炉内の放射性物質が大気中に大量に(推定10t前後)放出された。当初、ソビエト連邦はこの事故を公表しなかったが、翌4.27日、スウェーデンでこの事故が原因の放射性物質が検出され、4.28日、ソビエトも事故の公表に踏み切った。日本でも、5.3日に雨水中から放射性物質が確認された。爆発後も火災は続き、消火活動が続いた。アメリカの軍事衛星からも、核の火に赤く燃える原子炉中心部の様子が観察されたという。ソビエト政府によれば、5.6日までで大規模な放射能漏れは終わったとされる。 死者はソビエト政府の発表では運転員・消防士合わせて31名だが、事故の回収にあたった予備兵、軍人、トンネルの掘削を行った炭鉱労働者に多数の死者が確認され旧ソ連時代の内部資料で確認されている被害者だけで約1万3000人、その殆どが既に放射線障害で死亡しており、さらに周辺住民の多くが死亡したと考えられている。 最終的には4万人に達するとロシア科学アカデミーは発表したが、当時西側諸国の思惑もあり否定されて今に至り、最終的な被害者は公表されていない。また、事故によりチェルノブイリ周辺は高濃度の放射能汚染により居住が不可能になり、約16万人が移住を余儀なくされた。爆発事故による放射能汚染は、ウクライナだけでなく、隣のベラルーシ、ロシアにも及んだ。 以上は前置きである。事故原因とその教訓を引き出すのが本サイトの役目である。本当の事故原因は何だったのか。事故から20年後、直前に「直下型地震」が発生して爆発したとの指摘が為されつつある。 ロシア地球物理学研究所のストラホフ前所長によると、事故の約20秒前に小さな直下型の地震があり、 原子炉は耐震構造ではなかったために、原子炉で爆発が起きた、と云う。 れんだいこが思うのに、地震誘発事故であろうがテロ事故であろうが、人類は果して原発を超御する能力を有しているのか、という根源的な問いをしなければならないのではなかろうか。特に、我が日本は地震が多い。今後の政治情勢に於いてはテロの可能性も有る。 こうした事を考慮する時、日本の原発推進政策は根本より見直されなければならないのではなかろうか。自民党タカ派勢力による一貫した原発推進は、日本の国家及び民族の融解をもたらす自殺政策ではなかろうか。こういうところに注意を喚起したい。チェルノブイリ原発事故考は、このことを検討するために意義があると考える。この国の政府とマスコミは、北朝鮮のテポドンで大騒ぎする割には、原発問題には触れない。これは不正ではなかろうか。 ちなみに、チェルノブイリ原発一帯は現在でも立ち入り禁止となっており、原子炉は石棺で封鎖されている、と云う。しかし、その手法は恒久的な閉じ込め策ではない。石棺自体が老朽化するからである。もし石棺が崩壊した場合、放射性ダストの雲が放出されるおそれがある、と云う。恒久的な閉じ込め策について多くの計画が議論されたが、これまでのところいずれも進んでいない、とも云う。 事故時点で炉の中にあった燃料のおよそ95%が、今もシェルターの中に留まっている。その全放射能はおよそ18000万キュリーにのぼる。この放射性物質は、炉心の破片、塵、および溶岩のような「燃料含有物質(FCM)」から成る。FCMは破損した原子炉建屋を通って流れ、セラミック状に固まっている。推定によると、少なくとも4トンの放射性の塵がシェルター内に存在する。雨水や結露水などに年間4000立方m近い水がシェルター内に流れ込んでおり、原子炉建屋内や周辺の地下水へ放射性物質を拡散している。シェルター内の高い湿度により石棺のコンクリートや鋼材が腐食しつづけている、と云う。 れんだいこが何を云おうとしているのか。人類は未だ原発事故後の対応能力を有していないのではないか、と指摘したいことにある。化石燃料に変る効率的な燃料として原子力利用が進んでいるが、最終廃棄物の処理方法、事故後の対応に能力が追いついていない現在、比較総合すれば原子燃料は最も割高な燃料ということになりはすまいか。それをなぜ推進しようとするのか解せない。そういうことを指摘したい。 偶然ならまだしも、ある悪意を持ってこの政策が推進されていたならどうなるのか。ここを沈思黙考はたまた喧々諤々せねばならないのではなかろうか。地震国日本は最も早く原子力行政から撤退せねばならぬのに、世界中で一番執心しているとしたら痴愚というより滑稽というより余りにも怖いというより、これは民族が罠にはめられているのではないのか。 日本での原子力行政は、正力ー中曽根ラインが取り組み、小ネズミがこれに熱心なのは何やら臭う話ではないか。よりによって、こういうラインが靖国神社を詣でることを得手とする。愛国者ぶりをカムフラージュしたいのであろうが、愛国者は自然と愛国愛民族するもので、わざわざ売り出しするのは臭いと云うべきではなかろうか。 れんだいこは、靖国神社は最後にはレイプされ解体ピリオッドに誘導されるのではないかと予見する。ご丁寧なことに、ウヨサヨ合体でこれを後押しするような気がする。 ほんとはこれが云いたかった。原発行政も典型的に然りであるが、昨今の政治で片手のポケットでは財政再建、もう一方の手では米英ユ同盟に対するお供えお供えというやり方然り。万事デタラメが罷り通り過ぎていよう。何とかせんとと思うのだけれど。 2006.5.5日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その170 | れんだいこ | メール | URL | 2006/05/07 18:43 |
【日本在地型社会主義その3、知日派外国人から見た戦後日本の様子】
(れんだいこのショートメッセージ) れんだいこはその昔、次のような文章に出くわした。それによると、次のような内容だったと記憶する。 意訳概要「ソ連邦が解体し、マルクス主義的社会主義思想の理想は潰えたかに思われるがさにあらず。既成の社会主義国家は、本来の意味での社会主義のそれではなかった。本来の意味での社会主義が成功したのは見よ、第二次世界大戦の敗戦国日本の戦後秩序に於いてであった。その日本が、奇跡の戦後復興を遂げ、世界に輝く高度経済成長に向い、その間国際平和と協調に尽力していたことは天晴れであり、マルクス主義的社会主義思想の有効性の証左となっている。従って、ソ連邦が解体したことで、マルクス主義的社会主義思想が生命力を失ったと慨嘆するなかれ。当の日本はそのことに気づいていないのが滑稽ではあるが云々」。 れんだいこはその時は何気なく読み捨てにしていたのだが、最近になって妙に気にかかり始めた。ひょっとしてポール・ボネの「不思議の国ニッポン」に書かれていたのかと思い、インターネットのオークションで書物を取り寄せ読み進めているが、今のところ該当の記述が見当たらない。別人の指摘であったのかも知れない。(該当書はこれではないかとご指摘くだされば幸いである) それはそれとして、上述のような物言いに正当性がありやなしや。 れんだいこは、まさか戦後政治に於ける政府自民党のそれがマルクス主義的社会主義を地で行っていたというのはナンセンスと思ってきた。しかし、 1・マルクスーエンゲルスの「共産主義者の宣言」を読み直してみて、 2・官僚統制的国有化理論に基づかない市場性社会主義というものが有り得ると思い始 め、 3・戦後憲法秩序は、マルクスーエンゲルスの「共産主義者の宣言」で構想した社会に近 いプレ社会主義秩序になっていたのではないかと気づき、 4・戦後の政府自民党内のハト派とタカ派の抗争に思い至り、ハト派が専らプレ社会主義 秩序の護持役を務めていたのではないかと思い至り、 5・在地型土着性社会主義というようなものの在り方が有り得ると思い始め、 6・既成の通俗マルクス主義はネオ・シオニズムに篭絡された異種のものであると気づい た。 こういうことから、今から2、30年も前からこのことを指摘していた人物の観点を学び直したいと思うようになった。 この観点が成立するなら、戦後の日本左派運動の資本主義対社会主義という体制論による何でも反対主義、議会主義に向ったら向ったで権力奪取に向わない万年野党的立場からの批判、いずれにせよ政治に対する無責任、政府自民党内のハト派とタカ派の抗争に対する無関心無能、ハト派を排斥しタカ派と是々非々する戦略戦術、左派運動内部での唯我独尊排他主義の張り合い等々の酷さが問われねばならないことになる。 あぁ社共運動はそういう運動しかしてこなかったし、新左翼運動と雖も基本的構図はそれほど差が無く、ただ運動形態として急進主義的に体当たりしてきただけではないのかと気づく。唯一成功したのが、60年安保に於ける第一次ブント牽引による岸内閣打倒ではなかったか。あの闘いでタカ派が掣肘され、以降ハト派が政界上層部に躍り出てくることになった。 この流れが逆にされたのがロッキード事件であった。これにより、ハト派画掣肘され始め、タカ派が躍り出てくることになった。そういう意味で、60年安保闘争、ロッキード事件の持つ歴史的意義は高い。そのことは今更もうどうでも良い。問題は、戦後65年の日本左派運動の教訓をどう引き出すかにかかっているであろう。 そういう訳で、以下、戦後日本のプレ社会主義秩序探しの旅に出ることとする。今、稀代のシオニスタン首相小ネズミ政権の下で、戦後日本のプレ社会主義秩序が急ピッチに破戒されつつある。小ネズミ自身にはそういう能力は無いので、シナリオに添った道化役者ピエロとして適任という限りで利用されているであろう。その用意周到な様を見れば、明らかに小ネズミの背後に廻って糸を操る者がいるであろう。 結論として云える事はこうだ。思想、理論、イデオロギーの難しい話は置いておくとして、戦後日本政治の良心ハト派の灯を消すな。ハト派政治は、日本のみならず世界に向っても誇るべき有能なものである。今や純潔のハト派はいなくなった。ねじれハト派の残存勢力が居るに過ぎない。しかし、一度刻印されたDNAは僅かな原因で再び燃え上がる。思想、理論、イデオロギーで再武装すれば、ねじれも元に戻るであろう。 以上をれんだいこ提言として、以下、解体されつつあるが故に見えてくる戦後日本のプレ社会主義的秩序を確認しておきたい。 zaitishakaisyugico/undo3.htm 2006.5.7日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その171 | れんだいこ | メール | URL | 2006/05/11 20:12 |
【松野頼三逝去考】 2006.5.10日、「政界の策士、寝業師」として知られた松野頼三氏(以下、松野と云う)が心不全のため東京都内の病院で逝去した(享年89歳、民主党の松野頼久衆院議員は長男)。新聞各社がこれを報じたが、例によって肝心なヶ所への言及がなさ過ぎるので、れんだいこが補考する。 れんだいこが思うに、松野は、小泉同様に親の代からのネオ・シオニストのエージェントのように思われ、そういうこともあって松野と小泉の間柄は異様に親密であった。まずこのことを確認しておきたい。こういうところの考察が弱すぎる。 松野の履歴は次の通り。松野鶴平元参院議長の三男として熊本県に生まれた。慶応大卒業後、海軍少佐。戦後、吉田首相秘書官を経て、1947(昭和22)年の衆院選に公職追放中だった父の代わりに旧熊本1区で立候補し、田中角栄、鈴木善幸、中曽根康弘らと共に初当選。以降、保守合同をはさみ通産当選15回を重ねた。著書として、「川・小沢政権陰陽のバランスが崩れるとき」(日本テレビ、1994.3月初版)、「保守本流の思想と行動―松野頼三覚え書」(朝日出版社、1985.10月)。 政治家としての松野は、一貫してシオニスタン系タカ派として政治遍歴したことに特質が認められる。その限りで何度も窮地を脱し起き上がっている。内閣の総理府総務長官、第2次岸内閣で労相。池田内閣時代は遠ざけられ、第1次佐藤内閣で防衛庁長官、農相を歴任。この頃、田中角栄らとともに「佐藤派五奉行」として知られた。 1970年代始め、角栄ー大平のハト派同盟が力を増し始めるや、雌伏を余儀なくされる。1972(昭和47)年の自民党総裁選「角福戦争」の際は福田支持に廻り裏方工作する。これが失敗したのは周知の通りである。田中政権時代は終始党内反対派に位置し、金脈問題が勃発するや軍師的存在となって揺さぶった。 三木内閣誕生で党政調会長に就任する。三木をクリーンなどと称する向きがあるが、冗談ではなかろう。ネオ・シオニストの御用聞き政治の元祖的地位にあることを見て取るべきであろう。三木政権は、三木、中曽根、松野という曰くつきのシオニスタンがたむろしている。松野は、1976(昭和51)年のロッキード事件が勃発するや、事件徹底究明を呼号し「角栄潰し」に狂奔する。これに対する党内抵抗勢力が「三木おろし」に向うや、福田派を離脱してまで三木を擁護。同年9月、総務会長に回り最後まで三木政権を支えた。 天網恢恢疎にして漏らさず。1979(昭和54)年、ダグラス・グラマン事件が発覚。ロッキード事件徹底究明を呼号していた当の松野自身が、ロッキード事件前からにしてロッキード事件を上回るしかも公金に関わる航空機導入を巡って、総合商社日商岩井から約5億円の政治献金を受領したことが判明した。れんだいこ史観によれば実に、ロッキード事件とは、ダグラス・グラマン事件を角栄の犯罪にする為に仕立てた空前絶後のすり替え事件であったことになる。 衆参両院で証人喚問を受けると「政治家松野を育てる献金だった」と政治献金論で弁明した。松野の角栄金脈批判が極めて政治主義的なものであったことが暴露した瞬間となった。事件は時効となっていたものの辻褄合わず責任を取って議員辞職、自民党離党を余儀なくされた。松野辞職を、「時効にも拘わらず、道義的責任をとって辞めた天晴れ男児」なる虚像で称えるのは言語道断であろう。 同年の衆院選で落選した後、1980(昭和55)年に無所属で出馬、当選し政界復帰。1983年に自民党に復党。中曽根政権当時の1984年、総裁選を巡り、福田赳夫、鈴木善幸両元首相らと会合を重ね、二階堂進・元副総裁の擁立を画策したとも云われているが怪しい。二階堂擁立潰しに向ったとも考えられる。1990(平成2)年の衆院選で落選し、政界を引退した。 その後、「政界のご意見番」として発言を続けた。それは事実である。しかし、ならば問わねばならない。なぜ彼はその後もフィクサー然として暗躍し得たのかを。ここを問わない新聞各社の解説ほど詰まらないものはない。れんだいこには歴然である。彼のその後も、シオニスタン系タカ派政治家としての暗躍であり、中曽根、民主党の鳩山現幹事長、現小泉首相と格別関係が深いのも同じ穴のムジナ故に為せることである。小泉政権となってしばしば官邸に出没しており、政局の節目節目で会食していた。 そういうこともあって、小泉首相は10日夜、首相官邸で記者団に次のように述べた。 概要「びっくりしています。さまざまなことを思いだすが、よくご指導いただいた。三木内閣時代の派閥間の争い、人間の嫉妬(しっと)など人間関係から政争を実に詳しく教えてくれた。人間関係から政争、実に詳しく教えてくれた。私を子供、息子みたいに思っていたのかな。あれだけざっくばらんに人に言えないようなことを教えてくれる先生いなかったなあ。残念だ」。 我々は、この松野をどう評すべきであろうか。れんだいこは、寿命ある身にも拘わらず、最後の最後まで売国奴としてシオニスタン系タカ派政治家として奉公した松野の反革命、反人民的立ち回りのみ見て取る。人は一体歴史に何を刻むべきか。栄耀栄華を極めるのは本能だろうから、若い時から壮年期までは権力に向うのも良かろう。が、その生の枯れを認識し始めた時からは世のため人のために精出すべきではなかろうか。そういう意味で、れんだいこは、松野に容赦しない。一言愚昧過ぎると一瞥しておく。 児玉領収書疑惑、児玉関連「P3Cグラマン事件」疑惑 kakuei/rokiido_saibankeika.htm 2006.5.11日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その172 | れんだいこ | メール | URL | 2006/05/12 20:12 |
【れんだいこの共謀罪見解】 小ネズミ政権の下で共謀罪の法案化が執拗に策動されている。2003年、共謀罪法案が小泉政権下で初めて通常国会に提出された。が、不成立となった。2004年、国会に再提出された。この時も継続審議になった。2005.6月、三度目の提案となり、衆院法務委員会で審議入りしたが、8月の衆院解散に伴い不成立となった。 2005.10.4日、小泉政権は、「2005.9.11総選挙」の圧勝を受け、再々度「組織犯罪法改正案」を閣議決定し、特別国会に提出した。10.14日、「共謀罪」新設を柱とした組織犯罪処罰法などの改正案が衆院法務委員会で審議入りし、南野法相の提案理由説明と質疑が行われた。しかし、この時も拙速を危ぶむ声に押され不成立となった。 2006.4.21日、又しても上程され、衆院法務委員会で杉浦法相が趣旨説明を行い審議入りした。現在審議の最中である。 我々はこれにどう立ち向かうべきか。公明党、民主党、商業新聞のように「ある種の縛り」修正により法案成立に賛同していくべきであろうか。ここが岐路である。れんだいこは、断乎粉砕を主張する。以下、根拠を簡略に述べておく。 まず、共謀罪を考える前提として、法哲学的な形態論から説き明かさなければならないのではなかろうか。れんだいこが観るところ、刑法は大元で事前規制法と事後処罰法の二形態で大区分されているように思われる。法体系の識別には様々の方法があろうが、どうやら事前規制法と事後処罰法の区分こそ本筋のように思えてきた。 事前規制法を個別の法案で見れば、何らかの社会事情的必要と要請があって登場してきた事が分かる。これを推進する者達は、世の中に何か問題点を見つけると直ぐに条文化しようと思い立ち、規正法が無い事は野蛮の証とでも思い、法律を拵える。何やら全域全方面著作権化の動きと酷似している。 その論法は糖衣錠理論であるからしてこれに慣らされると危険である。ひとたび成文化されると一人歩きし始め、次第に事前規制法の放縦と過剰行使に行き着くであろう。歴史上、文明はこれに悩まされた挙句衰亡した史実に事欠かない。 このところめっきり事前規制法が増えつつある。古くは破防法、凶器準備集合罪、最近はシートベルト着用法、飲酒運転規正法等々であろうか。れんだいこは、事前規制法膨大化現象を異常であり由々しき事態と受け止めている。共謀罪はこの系譜にあって「心因的な共謀的事実要件」だけで取締りを可能にする最たる狂暴法案であることを認識することが共謀罪の本質理解に肝要であると思われる。 れんだいこに云わせれば、事前規制法は極力抑制すべきである。極力法網を被せることなく、人民大衆(市民)的自由自主自律的なルールとマナーで対応できるような空間を創造していくことこそが文明力とでも云えるものであり、その空間維持ないし拡大の教育及び啓蒙活動が肝要と考えている。社会には、法にしない空間ないし領域も必要である。ここを弁えないと、全てが事前規制法化され、社会生活が汲々し始めること間違いない。以上から、全ての事前規制法を疑惑せよ、これがさし当りのれんだいこメッセージである。 共謀罪問題には、単に個別的に共謀罪に対処するよりもっと深く、支配階級側の事前規制法化総体に対する人民大衆的対応が問われているのではなかろうか。要するに、社会をルネサンス化させるのかファッショ化させるのかの問題である。我々は、我が社会をどちらに導こうとするのか、ここが問われているのではあるまいか。以上は、共謀罪理解の前提となる弁えである。以下、共謀罪そのものの検討に入る。 共謀罪を個別的に見て、何故問題なのか。ここを思案せねばならない。そもそも、元々の近代刑法概念では、謀議段階の犯罪は罰されない。犯罪行為成立前では罰しようがないからである。謀議が実行に着手されて始めて因果関係的に謀議段階まで検証されるが、謀議段階そのもので罰せられることはない。 それが正当と云うべきであり、それで何らおかしくはない。この弁えを外し、果して謀議段階の犯罪を予防検束的に罰するところまで規制していくことが許されるのか。ここが問われている。我が社会はその後次第に予防規制検束可論へと移行しつつある。 れんだいこが思うに、共謀罪は、予防規制検束可論を一挙に加速推進せしめるものである。小ネズミは、自衛隊のイラクへの武装派兵の際に「神学論争無意味論」で専守防衛区域の垣根を一挙に取り払い強行したが、こたびも同じく「神学論争無意味論」で究極の予防規制検束法を成立せしめるのだろうか。 小ネズミ政権の押し付けようとしている共謀罪は明らかに、従来の刑法概念に対する「上からの革命的暴力」の行使である。れんだいこは、改悪故に粉砕せねばならない、と考えている。歴史を見れば、革命的暴力が好ましくないとは必ずしも云えない。革命的暴力がどう使われるのかが問題で、これを使って改悪することを許してはならない。この動きに対しては「下からの革命的暴力」を対置してでも阻止せねばならないと思っている。 共謀罪は、この人民大衆的抵抗運動に対して立ちはだかる。天下の悪法を阻止せねばならないと思い立つ者達が何らかの謀議を図ると、こたびの共謀罪によって罰せられることになる。こうなると、権力者達が革命的暴力を使うことは許され、抵抗者には許されないということになる。即ち、権力者には権力維持の為のオールマイティーな脱法治主義が認められ、全てが許され、人民大衆には悪法といえども従うよう法治主義の檻が用意され、一層縛られる。してみれば、統治者にはとても便利な狂暴法ではある。 かくして、共謀罪は、支配者側の強権支配を齎(もたら)す。果して、我々は、そのような法律を許してよいものだろうか。人類が獲得してきた近代的市民法は、法の適用に於ける平等性を重視しており、権力者たりとも例外ではない。ここに近代的市民法の高みがある。しかし、こたび導入されようとしている共謀罪は、明らかに法の適用に於ける平等性を逸脱している。ここに共謀罪の大きな問題が見出される。 ちなみに、そのような法律は、断じて日本の戦後憲法の認めるところではない。つまり、小ネズミ政権によって又もや憲法蹂躙が為されようとしていることになる。自衛隊のイラクへの武装派兵も然りであるが、小ネズミ政権の憲法蹂躙癖は異常である。その異常なところを名宰相として囃す者はこれまた同類の異常である。類は友を呼び、異常者が我が社会上層部に異常に跋扈している。この連中により共謀罪が強行採決されようとしている。 人民大衆は、60年安保闘争以来の底力を発揮して法案粉砕に立ち上がるべきではなかろうか。且つこの際、小ネズミ政権の5年間にわたる治世を総点検すべきではなかろうか。小ネズミ政権の憲法蹂躙癖に対して、小ネズミ私事に関わるレイプ履歴に対しても検証すべきではなかろうか。 れんだいこが畏敬する木村愛二氏の「小ネズミ首相資質に関するレイプ事件真相究明訴訟」はその意味で大いに値打ちがある、と云うべきだろう。マスコミの主流は今日に至るまで封殺しているが、そろそろ開封しても良いのではなかろうか。 余談ながら、取締法は一人歩きする。その法が猛威を振るえば振るほど恣意的に行使されることになる。最後には、権力者が人民大衆を縛るのみでなく、その法が権力者をも縛り始めるところまで進化する。そうなれば、共謀罪は当然為政者にも適用されるようになるべきであろう。故に、史上の為政者も又恐れ、如何な魅力的であろうとも法律を上程することを分別してきたのではなかろうか。 ならば、小泉政権は何ゆえ共謀罪に執拗に拘るのか。ここが問題である。一体、小ネズミは、日本人民大衆も国家としての日本も歓迎していないし必要でもない共謀法を敢えて何度も強行しようとしているのか。れんだいこには裏からの指図によっているとしか考えられない。これまでも米英ユ同盟の下士官として立ち働いてきた。こたびも彼らの命令に従い意欲を燃やしていると見立てるべきであろう。 れんだいこには、ネオ・シオニズムの国際的要請が透けて見える。共謀罪は、ネオ・シオニストの世界支配計画に添った諸国人民の抵抗権圧殺法ではないかと理解している。その要請を受け、小ネズミ政権が御用聞き政治していると考えている。小ネズミは御用聞きしている間御身が保全され、何度も窮地に陥っては脱することができる。「見えざるネオ・シオニストが小ネズミの襟首(えりくび)を掴まえている」。 してみれば、「一体、小ネズミはどこの国の首相か」と問うことの意義が見えてこよう。彼は日本国の利益を代表していないし、そもそもその自覚がない。そういう意味で異様な狂人首相である。我が日本はこの狂人を5年有余首相にさせ、戦後の傑物首相として持て囃し提灯評論を許してきた。日本よ、ここまで堕したか、と思わざるを得ない。 2006.5.13日再編集 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その173 | れんだいこ | メール | URL | 2006/05/15 16:54 |
【鈴木宗男著「闇権力執行人」考】 (れんだいこのショートメッセージ) 日共不破議長は、筆坂の著「日本共産党」での党中央の実態暴露に激怒し、小ネズミの常用した同じ文言を使ってガセネタ呼ばわりしたまま今日に至っている。れんだいこは不思議な能力があり、たまたまこの時期にツンドクしていた鈴木宗男著「闇権力執行人」を読んで驚かされた。 不破が筆坂をガセネタ呼ばわりするのなら、不破及び日共党中央はその前に、「鈴木宗男衆議員国策訴追事件」の際のガセネタ情報に基づく追い落とし加担について弁明せねばならない、ということが判明した。 不破及び日共党中央は、これに何らの弁明せぬままに筆坂の著「日本共産党」に対してガセネタ呼ばわりし続けていることになる。それは公党の責任者として許されることではない。彼らが自称するところの科学的社会主義の面子に於いて釈明せねばなるまい。この指摘の意味が分からない者に以下説明しておく。 「鈴木宗男衆議員国策訴追事件」の際に、日共の佐々木議員はいわゆる「ムネオハウス」を造語しムネオ追求で名を挙げたことは記憶に新しい。続いて志位委員長が外務省機密文書を入手しムネオを追い込んでいったことも記憶に残っていよう。 が、鈴木宗男著「闇権力の執行人」は、「佐々木議員のムネオハウス追求」も「志位委員長の外務省機密文書暴露」もガセネタによる不当な訴追であったことを明らかにしている。こうなると、日共党中央は、鈴木宗男の告発に対して責任ある弁明をするのが責務であり筋であろう。それを頬かむりしたまま筆坂告発に対してガセネタ呼ばわりしている不破及び日共党中央の嬌態を如何せんか。 今や、日共党中央が、あらゆる意味で左翼党派の資質を持ち合わせない手合いで占められていることを見て取ることが出来よう。れんだいこが早くより指摘しているように、日共党中央の胡散臭さの原点からの検証が望まれている。ここに思いが至らない日共党中央は70年代のそれから何の前進を見せていないことになる。この提言に耳を傾けよ。 日共のムネオハウス及び国策捜査加担事件考 nikkyonofuhaico_muneozikenco.htm 2006.5.15日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その174 | れんだいこ | メール | URL | 2006/05/17 20:28 |
【たすけあい党規約】 以下は、日本共産党規約の批判的研究を通しての「たすけあい党」の規約試案です。未だ僅かながらの「たすけあい党」の皆様、ご検討下さい。こたびは党首独断でやりましたが、いずれは規約通りに党大会で規約改正されるようにしたいと思います。 「たすけあい党」のところを、「新日本共産党」でも「日本共産党再建委員会」でも、「党中央奪還.奪権、左派再建委員会」でも任意に冠詞すればそのまま使えます。この規約で党運動やれば、その党は伸びること疑い無いことれんだいこが請け負います。不安定の中の安定こそ秘訣で、組織の活性化満展開が促されることを確信しております。 その気になればこの程度のものができる(善いのが出来たから、マジに結党しちゃおうかな)のに、我が不破党中央は、もってまわって無内容統制主義の規約づくりになぜ向かうのだろう。それは意図的としか考えられない。そこの解明が肝心だ。本規約を批判の武器にせよ! それにしても、日共は、宮顕ー不破ラインによって次第に党規約を改悪してきた。連中は姑息にもその都度の改悪過程を隠蔽しているので、批判しようにも資料が無い。よって、改悪実態を暴露し得ない。しかし、れんだいこには分かる。その真意は、党及び党員の活性化にあるのではなく、その閉塞化の為にガンジガラメに悪智恵を絞ってきた様が透けて見えている。他の左派党派がこのような規約を真似すれば同様の轍を踏むことになること請合う。 その意味で、「たすけあい党」規約は、本来の党及び党員の活性化に配慮して作成し得たことを誉れに思う。以下の規約は要所要所に様々な工夫を凝らしてあり、左翼運動内の初めての試みとなるヶ所も多い。但し、目下更に鋭意研究中であり完成されたものではない。但し、こうは云える。今後は少なくとも「たすけあい党」レベルの規約でない限り歴史的意義と価値を持たないであろうと。 最大のハイライトは、党内に反対派の存在とその活動を認めたことにある。私見によれば、そも左翼の規約はここで躓いている。しかし、考えてみるが良い。重要な問題になればなる程あるいは即刻の決断を要する時ほど見解は相違するのが当たり前である。そう認識する弁えが欲しい。且つ相違した見解が互いに補足しあっているという面もあるわけで、そういう意味で綱領たりとも異論は許容されねばならないと考える。この点で、そも一枚岩信仰は劇画の世界にのみ許容されるものであり、現実にあってはナンセンスにして有害無益と云える。 そも左翼は一体何人の人士を排斥してきたか。既に天文学的数字に上るであろう。却って、党中央の権限を認めた上で、異論が交差する中で切磋琢磨していくことこそが、しなやかにして丈夫な組織を作りえるのではなかろうか。小心なる者、能力に自信ない者、邪まな意図を持つ者だけが党中央拝跪型の党組織を強制する> 唯我独尊我のみ正しいなる排除の論理棒を振り回されることについても、人民大衆は少しもそのようなシステムを望んでもいないし、期待してもいない。左翼に染み付き君臨するかかる風潮により、左派運動は窒息させられ、南へ向かおうとして北に着いた式の自縛に陥っているのではなかろうか。 さて、その上でだ、非常時理論というものが考案されねばならない。但し、非常時規約は無限定無制限は許されず、一般規約とどう絡むのかが研究されねばならない。こうなると、今現に国会で行われている議論とも似通った面があり、それ故に議論の先取りとしてまず党内で理論検証しておき、その成果を足場にして政府自民党小ネズミ政権による一般規約たる憲法崩しの様を批判して行かねばならないのではなかろうか。 こう考えると、先の党規約改正で逸早く改悪に着手し呼び水した不破ー志位系日共が憲法改悪反対を唱えているのは茶番劇のように思えてくる。共謀罪反対も然りで、既にこの党の内部では先行的に取り入れている規定も多い。そういう党が共謀罪反対するとしても何やら胡散臭くて仕方が無い。 とはいえ、民主党も対案協調しているご時世だからして、そういう日共ではあっても反対の姿勢を見せているからにはまっ取り敢えずは共同戦線論で共闘を辞さない。けれどもすっきりしないこと夥(おびただ)しい。とにかく、「たすけあい党規約試案」を開陳しておく。 れんだいこ「たすけあい党」規約 tasukeaito/kiyakunokenkyu_rendaicokiyaku.htm 20063.5.2日再編集、2006.5.17日再編集 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その175 | れんだいこ | メール | URL | 2006/05/19 18:50 |
【れんだいこ時事評論投稿文集考】 れんだいこがパソコンの前に向って投稿に精出し始めたきっかけが「さざなみ通信」(http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/index.html)であった。1999.4.18日付の「いまおもうこと」が初投稿だった。そういう意味で、さざなみ通信に感謝する気持ちがいつもある。 あれからどれくらい投稿したのか、ホームページにいくら文章書きつけたのか掴めていないが、膨大なものになっている。それはともかく、今改めて「さざなみ通信」投稿文を格納しサイトアップしようと思ったのは、自分でこういうのは何だが論旨の秀逸さによる。 問題は、既に7年ばかりが経過しているのに「れんだいこの指摘」が全く顧慮されていないことにある。「れんだいこの指摘」以降、その指摘に堪えられないような論旨は無意味なのに、相も変わらず罷り通っている。れんだいこはそこで、「れんだいこの指摘」をひとまとめにしして、行の改変、誤字の訂正などをすることにより読み易くして再度世に問おうと思い立った。 こうまでしてもなお「れんだいこの指摘」が無視されるなら、それはれんだいこの責任ではなかろう。それならそれであきらめもつくし、別の手立てを講ずる契機にもなろう。そういう意味があって、ここに「れんだいこのさざなみ通信投稿文一覧綴りサイト」を設けた。反響賜りたしである。 さざなみネット投稿文 rendaizi_cornerner_zizihiyoron_sazanami.htm 「れんだいこ評論、左派運動ののど仏に挟まる諸課題について」の「れんだいこのショートメッセージ」の冒頭に記したが、れんだいこがその多くのページを割いている宮顕に関する言及を整理し直して見たいと思うようになった。ひょっとして宮顕の身に何らかの異変が起る虫の知らせかも知れぬ。 れんだいこが思うに、宮顕は確信犯的に彼なりの事業を成し遂げた。彼の左派壊滅事業はほぼまんまと成功した。この場合、れんだいこの趣旨に合わないものではあっても、宮顕は事業の成功者ではなかろうか。問題は、宮顕の左派壊滅事業を革命事業と思って追従したり提灯した連中の責任である。これは、小ネズミの売国奴政治を許した責任とも繋がる。特段の責任を云われても困るが、免責される為の条件というものもあるのではなかろうか。加害者、被害者論だけでは済まないと思う。 我々にできることは選挙の際の一票だけというのも情けない。それが現実ではあるが。今れんだいこに出来ることは、思惟の自由による言論活動である。それしか出来ないというのも情けないが。 しかし、その自由も共謀罪法案によって奪われようとしている。下手に呼びかけでもしたら首謀責任が問われる。一億総イエスマン制が敷かれようとしている。嫌な時代になったものだ。まさか敗戦のあの時、再びこういう時代が来るとは思っても見なかったであろうが、やって来た。如何せんか。 2006.5.19日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その176 | れんだいこ | メール | URL | 2006/05/20 16:50 |
【津田道夫氏著「思想課題としての日本共産党批判」考】 (れんだいこのショートメッセージ) ここでは、津田道夫氏著「思想課題としての日本共産党批判」(群出版、1978.3.20日初版)を叩き台として対話する。れんだいこは、津田氏が何者であるか知らないが、日共問題に関して真面目に思想営為していることは分かる。それ故に、対話し甲斐がある。随所に慧眼的判断を示しており、れんだいこがなるほどと思った箇所を引用して取り込んでおくことにする。 但し、慧眼的日共批判を示していながらも、宮顕問題の肝心要の箇所での批判となると、凡庸過ぎる観点を披瀝している。その観点は一人津田氏のみならず当世の良質的左派理論家にさえ共通しているもののように思われるのでこれを重大視し、ここでは津田氏を右代表人として祀りあげ、一網打尽的に叩いておこうと思う。 れんだいこの観点との差異を浮き彫りにさせ、問題点をはっきりさせ、諸賢の判断を仰ぎたいと思う。れんだいこに云わせれば、宮顕問題の肝心要の箇所での批判の観点を誤ると、ひいては慧眼的日共批判の値打ちをも下げることになる。そういうこともあって日共批判論者は多々輩出したけれどもさほどの役に立たなかったのではないかと思っている。 れんだいこのこの物言いが言い過ぎかどうか、とくとご読解あれ。 miyamotoron/tudamithioco.htm 2006.5.20日 れんだいこ拝 -------------------------------------------------------------------------------- 津田氏のここまでの批判は至極真っ当なものである。だが、これから述べる「リンチ共産党事件論議の意味」に於ける津田氏の観点はいただけない。以下、これを解析する。 リンチ共産党事件に於ける津田氏の見解は、ひとまずは次のように語る。 「私は、日本の共産主義者が、あの苛烈な天皇制のテロリズム支配のもとで、あらゆる敵の密偵に取り巻かれていたとき、こういう場合もありえたという歴史の事実を、今日隠す必要など、いささかもないと考える。そして、その先のところに、あの時は状況がそうさせたのだ、として、全てを必要悪として合理化してしまう傾向ー状況後認主義ーが、あらためて思想の問題として批判的に検討されなければならなくなるのである。それが、スターリニズム批判の一課題でもあった。歴史の事実を押し隠すところからは、歴史の真実などつかみとりようもない」。 かく「批判的に検討の必要」を述べてはいるが、津田氏のリンチ共産党事件見解は、次のようなものである。 「日本の共産主義運動にあっては、あの苛烈な警察的天皇制の内と外からする追及という特殊にデスペレートな状態のもとにあって、それが理想的な闘争形態とは云えぬにしても、内部に送り込まれた『敵の犬』を処刑せざるを得ない場合も有り得たことを認め、その意味を今日、全的に明らかにする必要を述べた」。 この観点は、平野謙や中野重治らのそれと似たり寄ったりで、そしてそれは究極的に宮顕弁護に通じるのだが、「僅か47名のうちの一人である党中央委員たる小畑達夫のリンチ被致死」に対しての考察を避けている。むしろ、宮顕のスパイ摘発闘争の状況的背景を多く語ることで「革命的英雄主義の一つの表われ」として是認している。よって、小畑の死が外傷性のものであろうと特異体質のものであろうと問題のポイントではないとまで述べている。そして、「結局、宮本顕治を殺人罪にも殺人未遂罪にもひっかけることができなかったという事実」なるものが虚構にも拘わらずこの云いを重視し、次のように述べている。 「スパイ査問事件についても、いいわけ風に暴力は振るわれなかったなどと陳弁これつとめる必要など一切無いと考える。それは、却って日本の共産主義運動像を誤らせる結果にも導きかねない。だが、今日、日共は、なぜこうも言い訳論的な陳弁につとめなければならないのか」。 「今次のスパイ査問事件論議に対する日共側の対応にも、ことのほかよく表われている。曰く、党の最高の処分は除名である。曰く、暴力は振るわれなかった。曰く、小畑の頭の傷は自傷行為の結果である。曰く、縄で縛り上げたのは、合意の上でやられた、などなど。だが、こういう理念論に基づく言い訳は、却って、議論を虚ろで白々しいものに導かざるを得ない」。 つまり、当時の止むを得ない状況下でのスパイ摘発の為の革命的暴力の行使であったという理論で堂々と居直れ、日共の対応は女々しく姑息であると述べていることになる。しかし、この見解は、この問題に対する津田氏の根本的無理解な様を表している。もっとも、それは何も津田氏のみでなく平野謙、中野重治、神山茂夫らその他識者も同様であるが。れんだいこが、これらの論法の何がどこがおかしいのかを明らかにしておく。 第一に、宮顕一派の党内査問リンチが、革命派によるスパイ派に対する革命的暴力の行使であったとする論そのものが虚構の上に成り立っていることである。このれんだいこ見解に立たない者には信じられ無い事であろうが、れんだいこの研究に拠ると真実は、スパイ派の宮顕グループによる革命派の残存最高幹部小畑への査問テロであった。こう看做さないとリンチ共産党事件の真相が見えてこない。 従って、リンチ共産党事件の考察は、革命派の残存最高幹部小畑がスパイという容疑を被せられ処刑され、今日なおその汚名下にあるという悲劇を踏まえ、小畑への冤罪を晴らすべく論が向わねばならない。このことは同時に、革命派の残存最高幹部小畑を葬った真性のスパイ派である宮顕一派の犯罪を明らかにする。 且つその宮顕一派が戦後なお暗躍し、戦後直後の党を指導した徳球ー伊藤律派を駆逐した後党中央に潜入し、その後の変態的独裁を続け、今日なおその系譜が党中央を牛耳り続けているという負の歴史が見えてこない。リンチ共産党事件直後に発生した多数派による疑惑追及の歴史敵意義が見えてこない。れんだいこに云わせれば、リンチ共産党事件の真相解明はこのセンテンスで為されない限り何も考察していないに等しい。 そういう風に構図しない津田氏であるから、次のような馬鹿げた見解を開陳することになる。「宮本顕治の党史論の批判」で次のように述べている。 「この間の国会論議や印刷物の上での反共ヒステリーと反共産主義キャンペーンの相互増幅の中から、思想的に見て新しい問題が提起されてきたかと云えば、それは絶無というに等しく、相変わらず俗情に憑かれた論点が蒸し返されているだけである。その論点は、大きく二つに分けられ、一つは、いわゆるスパイ査問事件そのものに関して、リンチか正当防衛か、殺人か事故死かといった問題を廻るものであり、第二は、宮本顕治・袴田里美の敗戦時に於ける出獄は、違法か適法かといった問題を廻るものである。まず後者について云えば、政治的には今日どのような意味でも、宮本・袴田の側に後ろ指をさされなければならぬ根拠は有り得ない」。 「最悪条件下でのその雄牛の如き粘りには、予審に於いて何事も語らなかった事実と共に、脱帽せざるを得ないものがある」。 津田氏よ、申し訳ないが、あなたは、リンチ共産党事件問題の深刻さが何も見えていない。言及することは省くが、完全黙秘、戦後の釈放過程の疑惑についても何も認識していない。その程度の知識で、宮顕ー不破系党中央の弁護に廻るのは愚か過ぎることである。あなたの宮顕ー不破系党中央批判の論考の値打ちをも下げることになる。 付言すれば、臼井吉見の中野重治との会談「人間・政治・文学」(雑誌「展望」1976.9月号)に於ける臼井の次のような発言を何も疑うことなく受け入れているようである。 「宮本氏のように、網走の牢獄で十何も頑張るというような特別な人もあるんだけれども云々」。 津田氏よ、宮顕は網走の牢獄で十何も頑張っていやしない。釈放前の半年ばかりしかも春から夏の過ごしやすい時期を過ごしたに過ぎない。それまでの十年余も、刑確定前の未決囚としてかなり優遇されて過ごしている様子が明らかにされている。宮顕をして「唯一非転向完黙人士聖像」で評するのは無知極まりない。常識的に見てさえ、当時の状況下では完黙なぞ有り得ない事を窺うべきであろうに。 御用派ならともかくも批判派のイデオローグである津田氏をしてさえも、宮顕問題の肝心要な箇所になるとかくも幼稚にさせる仕掛けは一体何なのだろうか。れんだいこはそれを訝る。 リンチ共産党事件については、れんだいこは、「宮顕論」(miyamotoron/miyamotoron.htm)の査問事件考の中で時系列的な解析を試みている。内容に批判があればいつでも引き受けようと思う。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その177 | れんだいこ | メール | URL | 2006/05/23 19:54 |
【れんだいこの共謀罪粉砕見解】 小ネズミ政権が執拗に共謀罪の導入を目論んでいる。郵政民営化法採決を廻る一連の騒動での成功に味を占めて、同様の恫喝手法での強行採決を目指そうとしている。恐らくご主人様のネオ・シオニストが雇われ首相を自在に操り、言い含めているのであろう。 それにしても、晩節を汚すという言葉はあるが、晩節に至っても引き続き鞭でしばかれ奉公させられるとは、エージェントになどなるものではない。身も心も捧げつくさせられることが分かり興味深い。 共謀罪、教育基本法改正、憲法改正その他以下目白押しの狂気法案の流れをそういう構図で読み取りたい。れんだいこは、小ネズミ政権政府の下での重要法案改正一切を無効と断じている。その理由を記し、諸賢の判断を仰ぎたい。 小ネズミ政権下での重要法案改正が何故無効なのか。それは、小ネズミ首相の政治責任能力が失効しているからである。それは何故かというと、この御仁は、第一に、首相資質に於いて重大な疑義があるということである。首相資質の重大疑義とは、現在木村愛二氏が裁判しているところであるが、小ネズミの履歴に関わる犯罪疑惑が氷解していないことにある。 主に、1・学生時のレイプもみ消し疑惑、2・神楽坂芸者殺し疑惑が挙げられるが、仮に冤罪だとしても、疑惑が表明された以上責任ある釈明がなければオカシイ。釈明無きままの一国の最高政治責任者である首相職を務め続けるのは如何なものであろうか。仮に真実の事件であったとすれば、ソラオソロシイことである。ひとたびは刑に服した後であれば免責されようが、知らぬ存ぜぬのままの首相職務めは法的にも許されまい。 小ネズミ首相の政治責任能力が失効している第二の理由は、一国の最高政治責任者が一国の最高法規である憲法を蹂躙し続けているからである。周知のように、憲法は、第99条で公職にある者に対して率先遵守規定を課している。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とある。これに服務しない首相による憲法改正を始めとする重要法案の改正なぞ原理的に許されるべきではなかろう。 憲法改正、教育基本法改正、共謀罪の導入なぞ由々しき重大政治案件につき、これに手を染めること自体が許されないのではない。手を染める者はその前に現行法規を遵守しておく義務があり、その資格を持って初めて着手できるというのが弁えとなるべきではないか。今や我が国には、法学者がごまんと居る。にも拘わらず、こうした原理的批判にお目にかかったことがない。憲法学者よ、憲法を遵守せず蹂躙し続ける者に憲法改正資格があるか弁じてみよ。 小ねずみ首相が如何に憲法を蹂躙し続けているのか、それを明示しておく。一つは、自衛隊のイラクへの武装派兵である。武装派兵は憲法上許されるべくもなく、よしんばそれを不問にしても、従来の国会質疑に於ける専守防衛区域からも甚だしく逸脱した越境派兵であることが明らかであろう。自衛隊のイラクへの武装派兵はこの両面から憲法違反である。 付言すれば、この財政危機時代に、それを口実に内政上の必要予算を削減しながら、米英ユ同盟に湯水の如く放漫財政し続けているのも憲法違反であろう。原理的に云えば、赤字国債の発行自体が憲法違反であるが、三木内閣以来の歴代の内閣が続けているので一人小ねずみばかりの責任は問えないが、憲法違反であることは間違いない。 小ねずみ首相の憲法違反は、昨年夏の郵政民営化法案参院否決、即衆院解散の愚挙に刻印されている。本来であれば、あの選挙は無効のはずである。民主党の岡田執行部以下日共、社民の野党が特段の疑義を表明せぬまま選挙戦に突入したので、なし崩し的に認められてしまったが、憲法違反には違いない。 小ねずみ首相が政治見識上狂人であることは明らかで、本来小ねずみ首相が執るべきは、郵政民営化法案参院否決後に於いては衆院への差し戻しであり、その衆院での解散決議を求める方法であった。彼は何故か、その方法を拒否した。できる方法を却下しわざわざ憲法違反を犯したが、政治見識上狂人と看做さないわけにはいかない。 れんだいこは、これらの理由によって、小ねずみ首相及びその政権政府を正当なものとは認めない。そういう政権政府による重要法案の変更なぞ認められるわけがない。千歩譲って仮に憲法改正、教育基本法改正、共謀罪の導入が必要だとしても、小ねずみ政権下では認められない。今後一切合財無効で、本来なら自衛隊のイラクへの武装派兵以降に為した小ねずみ政権下での諸政治「改革」を全て差し戻すべきである。 れんだいこは凡そ以上のように考えている。その狂人首相が、任期後僅かという段階で遮二無二法改正しようとしていることを狂気の上塗りと看做している。政界常識に反して退陣宣明するのは勝手であるが、退陣表明後は責任もてないことにはしゃぐものではなかろう。云うこと為すことが何から何まで異様である。 それにしても、その狂人首相を「戦後の名宰相」として囃してきた読売産経系マスコミの責任は逃れられまい。民衆法廷が準備されるなら、彼らをも引きずり出して弁明させねばなるまい。まさか知らぬ存ぜぬで口を拭い、誰がなるのか分からないがその次期首相に対して相変わらずの御用性で提灯評論し続けるとするなら、許されることではあるまい。厚顔無恥とはまさにこのことであり、極まれリと云うべきだろう。ペンの無責任者が政治の無責任をなじるなぞ漫画だろうが。 2006.5.23日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その178 | れんだいこ | メール | URL | 2006/05/29 10:18 |
【「キッシンジャーのジャップ呼ばわりしてまでの田中首相批判」考】
2006.5.26日、シンクタンク「国家安全保障公文書館」が国立公文書館から入手した文書により、1970年代の米外交政策を主導したキッシンジャー大統領補佐官(後に国務長官)が、日中国交正常化交渉を押し進める当時の田中首相に対し、日本人への極みの蔑称(べっしょう)であるジャップ呼ばわりしてまて「最悪の裏切り者と非難していた」ことが判明した。 キッシンジャー氏の反角栄的な対日観は解禁済みの公文書から既に明らかになっているが、ここまで露骨な表現で敵がい心を露にしていたことが判明したのは初である。こたびの機密漏洩はそういう史的価値がある。 共同通信が「キッシンジャー氏、田中元首相をジャップ 」の見だしで次のように報じている(2006.5.26日)。 ニクソン米大統領の中国訪問など70年代の米外交政策を主導したキッシンジャー大統領補佐官(後に国務長官)が72年夏、田中角栄首相が訪中して日中国交正常化を図る計画を知り「ジャップ(日本人への蔑称(べっしょう))」との表現を使って日本を「最悪の裏切り者」と非難していたことが、26日までに解禁された米公文書で分かった。 キッシンジャー氏の懐疑的な対日観は解禁済みの公文書から既に明らかになっているが、戦略性の高い外交案件をめぐり、同氏が日本に露骨な敵がい心を抱いていたことを明確に伝えている。日米繊維交渉などで険悪化した当時の両国関係を反映しており、70年代の日米関係史をひもとく重要資料といえる。 文書はシンクタンク「国家安全保障公文書館」が国立公文書館から入手。26日の公表前に共同通信に閲覧を認めた。 ハワイで日米首脳会談が行われた72年8月31日付の部内協議メモ(極秘)によると、キッシンジャー氏は部内協議の冒頭で「あらゆる裏切り者の中でも、ジャップが最悪だ」と発言した。 続けて、中国との国交正常化を伝えてきた日本の外交方針を「品のない拙速さ」と批判し、日中共同声明調印のために田中首相が中国の建国記念日に合わせ訪中する計画を非難。首相訪中に関する日本からの高官協議の申し入れを拒否したという。 またフォード大統領訪日を直前に控えた74年11月12日付の国務省会議録(秘密)によると、国務長官も兼務していた同氏は省内会議で田中首相について「日本の標準に照らしてみてもうそつきだ」と言明した。 今回判明した発言内容に関し、キッシンジャー氏は共同通信の取材に応じていない。 ーーーーーーーーー (私論.私見) 「キッシンジャーのジャップ呼ばわりしてまでの田中首相批判」について 我々は、「キッシンジャーのジャップ呼ばわりしてまでの田中首相批判」から何を窺うべきだろうか。「日米繊維交渉などで険悪化していた当時の日米関係を反映しており、70年代の日米関係史をひもとく重要資料といえる」などと評論されているが表層的過ぎよう。 キッシンジャー氏の対日侮蔑観一般として受け取るのは正しくないように思われる。的確に「田中政権の内政外交に対する苛立ちの表明」と受け取るべきではなかろうか。 思うに、国際金融資本ネオ・シオニズム派の頭脳として1970年代の外交を主導したキッシンジャーは、当時の政治局面に於ける角栄ー大平同盟の台頭に対し露骨な敵愾心を抱いていた。予期していた福田が蹴落とされ、田中政権が誕生するや、キッシンジャー仕掛けの「頭越しの米中外交」に割って入り、見事に日中国交回復を成し遂げ、日米同盟に加えて新たに日中同盟ベクトルを加えた。 田中政権のすること為すこと全てが、国際金融資本ネオ・シオニズム派の世界支配構想にとって敵対物以外の何物でもなかった。かくて、角栄ー大平同盟解体の用意周到なシナリオが練られ、文芸春秋社誌上に於ける立花隆論文を狼煙として対角栄殲滅戦に突入した。 田中政権は余力を残したまま退陣し、後継した三木政権の下でロッキード事件が勃発した。ロッキード事件で追い詰められるべきは児玉ー中曽根ーナベツネー松野ラインであったにも拘わらず捜査が捻じ曲げられ、検察は強引に小佐野ー角栄ラインを包囲していった。日頃飼いならされているエセマスコミ、エセ右翼からエセ左翼、エセ労組が総動員され、角栄の政治能力を殺ぎ、目的はただ一つ角栄ー大平同盟解体へと誘われた。 鉄の軍団と云われた田中派は結束して持ちこたえていたが、竹下ー金丸連合による創世会結成で致命的な打撃を受けた。これも、シナリオ通りの運びであったと思われる。以降、我が政界は次第にタカ派主導の流れへ歩み始め、今日ではキッシンジャー戦略の忠実な下僕小ネズミ政権へと辿り着いた。 この間日本は、もう一つのシナリオである天文学的国債累積債務化、内治政策としての公共事業抑制、外地政策としての自衛隊の米軍傭兵化による世界各地への派兵へと誘われている。キッシンジャーは狙い通りに事が運びさぞかし満足しているであろう。が、シナリオの出来過ぎによって新たな対日侮蔑観を抱くようになっているのではあるまいか。ジャップがここまでアホウとは思わなんだと。 「 ロッキード事件の見方その1ーキッシンジャーかく語りきー 」 kakuei/rokiido_zikennomikata.htm 2006.5.28日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その179 | れんだいこ | 2006/06/01 19:55 |
【れんだいこの第一次ブント賛辞】 れんだいこが、第一次ブントを絶賛するのは、彼らの言辞や理論によってではない。彼らの実践と感性に於いてである。追々述べるが、はじめにこの事を指摘しておく。彼らの言辞や理論も学ぶ価(あたい)のあるものではある。しかしそれは当時の情況に於いてのものであり、今日では空理空論が目立ち過ぎており殆ど使えない。 むしろこのことは左派運動党派としては重大な失格なのであるが、第一次ブントにはその失格を補って余りある感性の素晴らしさがあった。以下、そのことを検証する。 第一次ブントの感性が如何に素晴らしかったか。それはまず、中国の文革に先だつ十年前から日本左派運動の紅衛兵足りえたことにある。彼らは、毛沢東に云われるまでもなく自前の造反有理運動を創出していった。 第一次ブント創出時の状況として、日共が六全協でそれまでの徳球ー伊藤律系執行部からスパイ派の野坂ー宮顕系へという最悪の執行部に転換し、次第に本末転倒の統制主義運動に転化しつつあった。社会党は政権奪取による責任与党政治を目指すでもなく徒に万年野党に甘んじる口先批判政党に堕しつつあった。 第一次ブントは、これらの状況を眼前にして既成左派運動を批判し抜き、自前の党派を生み出す挙に打って出る。日共式統制主義批判から始発した故に当然のことながら「自由、自主、自律」型規約に基づくルネサンス風競り上げ運動を展開していった。何よりこのことが素晴らしかった。そして、この型の運動が成功し、急速に支持者を増やしていった。 第一次ブントの感性の素晴らしさにはもう一つの理由がある。それは、闘争の矛先を国家権力中枢機関の集中する霞ヶ関ー国会空間に向け、デモ動員を煽ったことである。国会に照準を定め数次にわたって震撼させた。最終的に当時の岸政権打倒を勝ち取った。これは、今日に於いても後先に無い日本左派運動史上未曾有の稀有事例となっている。十年後の70年安保闘争の単なる動員デモに比べて一目判然とする違いがここに認められる。 しかし、第一次ブントは、60年安保闘争後の局面に於いて、その成果を確認し損なった。「れんだいこの第一次ブント論」は、確認し損なった成果を今からやり直そうとすることにある。如何に成果を確認するべきであったのか。もったいぶるが、これを一言で述べることは難しいので、以下、順を追って論証する。 第一次ブントの運動的成果を歴史に於いて正しく確認するためには、戦後秩序論から説き起こさねばならない。戦後秩序論とは戦後憲法論に集約されるが、これをどう観るか。れんだいこは、戦後左派運動はここで早くも躓いた、と看做している。 戦後左派運動は、戦前の治安維持法体制から解放された勢いで、それまでの禁書であったマルクス主義の諸文献を紐解き、マルクスーエンゲルスーレーニンの急進主義的な資本主義体制打倒論を初学者的に生硬に受け止め、文言が指針する通りの運動へと傾斜していった。あるいは戦後の冷戦構造に於ける一方の雄となったソ連邦体制を指導するスターリニズムを信奉し、その指導に従うことが正しき左派運動と自己規定していった。 しかし、情報開示された今日になって思うのに、マルクスーエンゲルスーレーニン理論にもその革命論に於いてある種の幅があるということ、スターリニズムは本来のマルクス主義の内部からの裏切りであり、革命の成果を食い潰す変成物であり、模範とするには足らないどころか解体止揚せねばならないものであることが自明である。 ひとたびこの観点、史観を請ければ対蹠的に、戦後日本秩序は世界に稀なるプレ社会主義秩序になっていたことを見抜かねばならなかった。然るに、当時の戦後左派運動は、その戦後秩序をも旧体制権力と見立て、その解体を声高に叫べば叫ぶほど左派的であるかの如くな錯覚に陥った。 この教条主義が最初の間違いであった。その教条主義に基づく戦後秩序体制打倒運動がそもナンセンスなものであったが、戦後左派運動はその不毛な道を競り合いしていった。故に、闘えば闘うほど先細るしかない現実遊離となった。確かに、戦後日本は米英を主とする連合軍に進駐されており、GHQ権力が君臨しており、そのGHQ権力は米帝国主義のお先棒を担がされていた。左派にとって、米帝国主義との闘いが世界的第一級課題であったからして、米帝国主義の進駐する戦後日本体制は否定されるべきものと理論化されていったことには相当の理由があるにはあった。 しかし、戦後秩序をプレ社会主義秩序体制と看做せば事情が異なってくる。戦後秩序をそのようなものとして看做したかどうかはともかくも、これを戦前秩序との比較により弁証法的に捉えたのは人民大衆であった。彼らは、戦後秩序を感性に於いてプレ社会主義秩序の如くに感じ取り、逸早くその享受と謳歌に向った。それは大衆感覚の賢明さを証している。戦後左派運動は無能にも、この感性を取り入れることの無いままペシミズム的に理論ぶることに終始した。 その後、戦後日本は次第に戦後世界を規定した冷戦構造に巻き込まれていった。米帝国主義は、朝鮮動乱前後を契機に日本を反共の砦化していった。やがて、サンフランシスコ講和条約の日を迎えるが、同時に日米安保条約が締結され、講和独立後にも米軍基地が要所要所に居座ることになった。これにより、それまでの連合軍占領から米軍単独支配への転換が為され、米帝国主義による単独対日支配体制が完遂した。 しかしながら、れんだいこ史観によれば、米軍の占領継続は外在的なもので、内在的には戦後憲法秩序が機能しており、否戦後憲法秩序はますます受容されていきつつあった。以来、戦後秩序は、憲法秩序と日米安保秩序の二大原理により操舵されていくことになった。これが最大矛盾となり、戦後日本のその後の歩みを規定していくことになる。 この間、戦後日本の政治権力を握ったのは自由民主党であった。戦後日本左派運動は、2.1ゼネストを始め何度かの政権取り機会を得ていたがその都度GHQ権力に潰された。そういうこともあって、最終的に磐石の態勢を構築して責任政党となったのは保守系大連合により生まれた自民党であった。これに戦前来の天皇制官僚及び財界が列なり、強固な保守系資本主義体制系与党権力が創出された。この政府自民党が、戦後復興からその後の経済成長へ向けての切り盛りに成功していくことになる。 戦後左派運動は、この政府自民党の評価に於いても致命的な過ちを犯す。政府自民党は実際のところ、これを弁証法的に観れば、戦後日本の最大矛盾即ち憲法秩序派と日米安保秩序派を同居させ混交させた上に成立していた。自民党は、戦後憲法秩序派のハト派と日米安保派のタカ派との合従連衡によるやじろべえ式政治を本質としていた。それは見事なまでに日本的カオス式和合政治であった。 戦後左派運動は、政府自民党内の抗争軸を観ずに、これを保守反動権力として一色で規定し、対蹠的に手前達を革新ないしは革命派と映し出す漫画的構図を図式化させた。それは余りにも手前勝手な好都合理論以外の何物でもなかった。この悪作法は今日まで新旧左翼問わず続いているように見える。 しかしながら、れんだいこの研究によるマルクス主義手引き教本「共産主義者の宣言」には、そのような漫画的公式は強く戒められている。ということは、マルクス主義が「共産主義者の宣言」から始まったことを思えば、戦後左派運動は初手に続いて悪手を打ち続けていることになる。 さて、ここで第一次ブントに登場して貰う。第一次ブントが創設され、60年安保闘争に向った時期は折悪しくというべきか折りよくというべきか、政府自民党にあってタカ派系岸派が政権を担当していた。岸派の史的意義は、それまでのハト派系吉田派との熾烈な抗争を通じて戦後初めてタカ派が政権奪取したことにある。しかし、この事は、党内に吉田を後継した池田派と佐藤派という二大ハト派系派閥を抱えており、岸政権は彼らと暗闘裡で政権運営していたことになる。つまり、政治手法は強引であったにせよ、政権基盤はかなり弱いものであったことになる。 第一次ブントは、その闘いを、たまさか岸政権時代に花開かせることになった。それは誠に歴史の不思議な廻りあわせであった。そして、60年安保闘争を殊のほか成功裏に領導したことにより岸政権を打倒せしめた。かくて、戦後初のタカ派政権は、ブントの闘いの前に万事休して、政権をハト派系池田派へ禅譲させた。 これにより、政府自民党は再び吉田派の後継者に牛耳られることになり、以来ハト派の治世が長期安定化し、1960年より池田ー佐藤ー田中まで15年余続くことになる。角栄後はタカハトが紆余曲折するが、ハト派は最終的に大平ー鈴木まで続く。その間都合20年余をハト派が主導していくことになった。岸に続くタカ派の登場は1980年代の中曽根政権の誕生まで待たねばならず、その間雌伏させられることになった。 第一次ブントの闘いは、彼らが意図したか自覚していたかはともかくとして、政府与党自民党権力内のこうしたタカ派とハト派の暗闘に容喙し、タカ派を引き摺り下ろし、ハト派を後押しする政治的役割を果たしたことになる。れんだいこ史観によれば、第一次ブントの闘いの歴史的政治的意義はここにこそ認められる。これが云いたいがためにここまで順序を追って概術した。 興味深いことに、第一次ブントの当事者でこの事を自覚していた者は稀有なようである。第一次ブントの指導者・島ー生田ラインにもこの観点は無かったのではなかろうか。れんだいこには、観点のこの方面の喪失が60年安保闘争の意義を喪失せしめ、後の第一次ブントの解体と更なる混迷に繋がったように思われる。もっとも、戦後秩序プレ社会主義論抜きにはそのようには総括できず、それを欠いていたブントが運動成果を確認できなかったのも致し方なかったのかも知れない。 ちなみに、タカ派支配からハト派支配へと転換させたのが第一次ブントなら、その逆にハト派支配からタカ派支配へと転換させたのがロッキード事件ではなかったか。ロッキード事件はそういう歴史的政治的地位を占める。通りで、その煽りが真反対から為されているにも拘わらずジャーナリズムの喧騒の程度も匹敵している。 問題は次のことにある。第一次ブントは奇しくも、日本の戦後政治に於ける真の抗争軸であるハト派対タカ派抗争に対し、タカ派掣肘に大きな役割を果たした。第一次ブントは奇しくも、タカ派の能力者・岸を打倒することにより戦後憲法秩序を擁護する役割を果たした。つまり、戦後のプレ社会主義秩序を擁護し、その解体屋を葬った。当人たちが口先で語ることなく、否全く意識せぬまま体制打倒運動を呼号していたとしても、客観的役割はかくの通りのものであり、れんだいこはその感性や良しとしている。 なんとならば、戦後憲法秩序は何を隠そう、社会主義圏のエセ社会主義と比較して比べ物にならないプレ世界史上初の社会主義秩序であり、それは護持されるに価のあるものである。それを感性で護持した第一次ブント運動は世に云う天晴れなものではなかったか。れんだいこはかく評している。しかるに、第一次ブント運動評者は当事者まで含めて今日まで、この視点を欠いたまま極力思弁的に語り過ぎているように思われる。れんだいこは、この種のブント論は学ぶけれども受け入れない。というか難解過ぎて理解できない。 最後に。今は全く逆に、米帝国主義を裏で操る真の磁力体ネオ・シオニズム、その表出体・米英ユ同盟に客観的に有利に作用させる売国奴系ポチ運動がもてはやされている。時代はかく変遷してきたことになる。この観点は、小ネズミの余りにも露骨な反角栄政治を理解するところから生まれた。小ネズミは、明らかにネオ・シオニズム、その表出体・米英ユ同盟に教唆され、日本解体計画に手を染めている。 小ネズミの日本解体計画に援交しているのは今や跋扈しつつあるシオニスタンであり、同マスコミであり、同自称知識人であり、同サヨである。5年有余にわたる小ネズミ政権の史的意義は、このことをくっきりさせることにあったのではなかろうか。れんだいこは今そういう意味で、小ネズミ政権を反面教師的に照射している。かく構図が見えたなら、我々が為さねばならないことも見えてくる。まさに禍福あざなえる縄の如しと云うべきではなかろうか。 2006.6.1日 れんだいこ拝 |
Re:弁証宗問答その1 | れんだいこ | 2006/06/04 12:45 |
愚痴愚痴さんちわぁです。れんだいこは、「弁証宗」も立ち上げておりますが、信者どころか主のれんだいこも立ち寄りそびれており、寂れております。これを機会に境内の掃除と演出をしてみようと思います。「入信を考えるに至った」とのことのようで、まことに奇特で有り難いことでございます。「今にみてみぃ日本一の寺になってやるんや」という浪速風の声が耳の奥から聞こえてきました。 さて、お尋ねの宮顕スパイ論についてですが、次のように考えております。 > 疑問1:志賀義雄、徳田球一氏は非転向を貫いたといわれている。この方々は、宮顕の言と異なり頑張ったということであろうか? 当時、何らかの供述が無ければなぶり殺しにされたわけで、そういう意味では、徳球も志賀も予審調書に応じております。この間拷問も為されており、その後の獄中生活もよくぞ命があったものだと思われる強靭な生命力で持ち応えております。 それに比して、宮顕は氏名を名乗らず、何らの供述もせず非転向で頑張り通したと嘯き、その理由は「こいつには何を云ってもダメだ」と特高を諦めさせたというもので、信者はその遣り取りを称讃しております。 れんだいこは、宮顕風弁明を聞くと、ならば他の同志で虐殺された者はどうだったんだ、宮顕式に「こいつには何を云ってもダメだ」と諦めさせる大物力が無かったから即日拷問死になったとでも云うのか、という気持ちが湧きます。しかし、そういう疑問を持つ者はれんだいこ一人のようで、その昔さざなみ通信でこっぴどく罵声されました。その後、れんだいこは、持論を更に磨き上げましたが、罵声者からの反応はありません。要するに、手前が信じたいように信じているので、余計なことは聞きとうないということでせう。 > 疑問 2:もしそうだとすると、拷問によって殺さずにすんだのか?手心を加えられたと考えてよいのか? 拷問されつつ警察調書続いて予審調書に応じ、それなりの措置されたのでせう。この場合、転向とは、その際に主義を捨てたのか捨てなかったのかが基準になります。主義を捨てた者でも、当時の党活動のあり方に疑問を覚え批判することで甘心を買った者もおれば、当局側に寝返った者もおれば、内部情報を提供させられ忸怩とした思いで刑期を務めた者もおれば、偽装転向の者もおればという具合で百人百様でせう。徳球や志賀は上記のどの範疇にも入らない対応をしたということでせう。 いずれにせよ、宮顕のように、宮顕の言によればスパイを摘発し査問途上で致死させたにも拘わらず、「こいつには何を云ってもダメだ」と拷問を諦めさせ、警察調書、予審調書一切を拒否したまま公判を迎え、合同公判に臨んだものの肝腎のリンチ事件の下りになると重病に陥り、その間重要供述人の秋笹が変死し、その後単独公判を設定して貰い、とうとうと正義の弁明を為しえた事例は皆無です。 最近知れつつあるように「獄中12年」は網走生活のことではなく、網走は終戦直前の春から夏の半年のことであり、その間大半は都内各所の刑務所で過ごしております。その間、罪人扱いでなく未決囚待遇で差し入れ自由の豪奢な生活を送っていた。何と、獄中で党活動していた形跡があり、「杉本良吉・岡田嘉子の越境事件」を指示しております。その他、リンチ事件仲間や百合子の供述調書に目を通しております。公判陳述の際には、到底獄中では入らない資料で党情勢を弁論し、医学書にまで目を通し「急性ショック死」の観点から死体鑑定書の記述にケチ付けしております。 こういうことは妙なことなのに、誰も疑問を呈しない。仕方ないかられんだいこがオカシイデハナイカと告発しておりますが、なしのつぶてです。むしろ、「唯一非転向タフガイ神話」を崇め奉り、本人もそれを吹聴し、転向党員に有無を言わさぬ圧力を掛けてまいりました。その結果、信者はますます宮顕ブラボーと称え、満場一致世界を現出させるようになりました。 れんだいこは一言、ウソだいと見破りました。その後検証し続け、現在では確信域に辿り着いております。そのれんだいこ史観にはなじろむ手合いが多いのですが、無知の為せる技でせう。こういう無知なサヨが当人の意志とは別に悪作用し続けていると思っております。そういう必要があって無知が意図的に作られております。 > 信徒になるやも知れぬ老人の無知を笑わず、しかるべきお言葉を賜れば、以後信心に励むであろう。年金生活ゆえ、お布施ははずむむどころか、ビタ一文だせぬが。 これだけ善い話を聞かせて貰ったならば、なけなしのお布施をするのが道理ですぞ。そういうことが分からぬまま「ビタ一文だせぬ」と拘るのは、老人なる故許せるが、青年なら見込みが無いやっちゃと一瞥。当寺はサイト上のこととて構わぬが、近くの神社寺院では宜しく頼むぞ。 2006.6.4日 れんだいこ拝 |
Re:弁証宗問答その2 | れんだいこ | 2006/06/06 13:52 |
愚痴愚痴さんちわぁ。 > しかし、AはBとかぎったわけではない。BはCであるとは公に認識されてない。しかるにAはCでないと断定するにやぶさかでない。といった議論は全く分からない。 これについてですが、日共党中央式詭弁、歪曲、すり替えを真面目に理解しようとして反復誦声すれば頭がやられます。書いた本人がそもそも誤魔化すために詭弁しているものを、読み手がその仕掛けも分からず真面目に理解しようとすれば体に変調きたすのが自然です。その点で、現下の健康党員は要領がよいのでせう。逆は逆なりです。 > 「人の資格に関する法令の適用に付いては、将来に向てその刑の言い渡しを受けざりしものとみなすとの同令第一条に則り、資格を回復したることを証明す」の論理は何回読んでも理解できない。 これについては、「戦後の釈放時の疑惑考、「復権証明書」の疑惑考」(miyamotoron/miyamotoron_11.htm)で考察しましたが、そもそも他の被告より逸早い出獄、しかも刑事犯併合の者には適用されない純正政治犯のみ釈放という通達に反しての出獄、生命危篤の恐れありという理由付けでの違法出獄に原因が有ります。当局の早手回しが後に自縄自縛となった好例です。 「復権証明書」発行のミソは、得体の知れない「GHQ民政局法務部顧問ハワード・マイヤーズ氏の暗躍」にあります。ハワード・マイヤーズ氏とはそも何者ぞ。「困った時の神頼み」に似て窮地に現われる人が、その人に取っての真打ちで、その人の背後勢力を語ります。宮顕には、目下の小ネズミ首相同様にピンチの時にネオ・シオニスト系守り神が顔を出します。れんだいこは見逃しませんね、こういうところは。 > 第一次ブンドに関わる説教、私は何が嫌いと言って運動論だ、組織論だのといった左翼専門用語が飛び交うわけ分からぬ論理は大嫌いであるので、いかなご教祖様の命令があってもこれには関わらぬ。ベンベン 第一次ブンドが理解できないと戦後左派運動の正史が見えてこない。それはともかくも、「左翼専門用語が飛び交うわけ分からぬ論理」というのは本当で、連中は競うように理論を小難しくしていますね。ところが、実際の人としてのブントはとても分かり易いお人よし系の人だったりして。分かりやすく説く日共系の者が小難しい狭量人間だったりして。世の中は分からんものです。 > K党にはこうした地べたを這いずり回って周囲の人々の信頼を集めている人材がゴロゴロしている。こうした人々の善意、誠意は、何時の日か報われるのであろうか?私はこうした人に教祖様からの説教を軽々に伝道できない。ああ、悩ましい。ベンベン。 「日共下部党員の善意」は評価されて良いでせうね。れんだいこも理解しておりますが、宮顕ー不破指導による長期にわたる無茶苦茶な説教で左派的ものの見方ができなくなっております。彼らは一様にどういう訳か政治の話を仕掛けてきませんね。れんだいこがおちょくると、最近では反発する気力も無く考え込む仕草をします。少なくとも党中央に対してあきらめておりますね。そういう程度には変ってきつつあるというのが実感です。 それにしてもスパイ派の党中央支配が長すぎた。筆坂も真意はこの辺りを語りたいのでせうが、自分も巻き添えされているので語りにくいのでせう。この言に不審があればいつでも議論できます。なお、宮顕の悪行について一覧史を作っております。まだまだ不十分ですが、参考になると思います。 「宮顕のはるかなる変態長征総史」(miyamotoron/miyamotoron_hosoku_gaikatu.htm) ではまた。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その180 | れんだいこ | 2006/06/12 21:05 |
【「全学連46年ぶりデモ」について】
「全学連46年ぶりデモ」があるとのことである(「阿修羅政治版23」のクエスチョン氏の2006.6.10日付け投稿文「全学連46年ぶりデモ」、http://asyura2.com/0601/senkyo23/msg/155.html)。東京新聞がこれを報じているとのことである。 「電脳ブント」(http://www.bund.ne.jp/)を見ると「デモに行こう!9条改憲阻止!国民投票法案不要!樺美智子追善!」を掲載している。これによると、60年安保全学連闘士の面々が、「憲法9条改正反対」を旨として、1960.6.15日、日米安保条約改定に反対する学生、市民約10万人が国会を取り囲んだ大衆デモから46年ぶりに「6・15国会周辺デモ」を敢行すると云う。 デモは15日午後4時、東京・日比谷公園を出発。「1960.6.15デモ」で警官隊との衝突の際亡くなった女子学生樺美智子さんの遺影を掲げ、約1時間かけて霞ヶ関から国会周辺を行進する。樺さんが死亡した南通用門で献花を行う。当時の全学連の役員・主要メンバーだった桃山学院大名誉教授の小川登(70)・氏、著述業蔵田計成(71)氏ら33名が世話人・呼びかけ人となっており、「いったい何人が再結集するのか、それもまた楽しみです」とコメントしている。 れんだいこも行きたいが、今月は早々に京都へ出向いたことと先だつ金と時間が無いので行けそうもないのが残念である。行けば通じ合えるものがあると思う。れんだいこは1970年入学なので、60年ブント全学連の方々とは10年有余のタイムラグがある。もし60年安保時に学生であればブントで闘ったと思う。ブントは60年安保闘争後、その総括を廻って大混乱大分裂し、結果的に黒寛の指導する革共同へ雪崩打つかのように合流し、第一次ブントを解体させてしまった。 れんだいこが居ればその道は間違いと棹差したと思う。黒寛革共同と宮顕日共に濃厚に認められる「排除の論理」の邪道を説き、否定の否定弁証法の観点で第一次ブントの功績をそれなりに認める論理と道を指針せしめたと思う。もっとも後付けの言であるので実際にはどうかは分からない。概ね、関西ブントがそのように主張していたようで、この時点に於ける関西ブントの動きは評されるべきだろう。 今から思うに、第一次ブントがなぜ素晴らしかったのか。れんだいこは次のように思っている。第一に、組織論、運動論に於けるルネサンス気風による「自由、自主、自律」精神を称揚し、競り合い運動を目指したことが素晴らしい。「排除の論理」や他党派解体路線なぞ微塵もない。日本左派運動内に、第一次ブント解体と共にこの作風が失われた損失は大きい。 第二に、第一次ブントは、社共の穏和式反対運動によるお焼香デモに抗して、ジグザグデモで抗議の意思表明し、数次にわたって官邸ー国会突入デモを勝ち取り、時の内閣を打倒せしめたことにある。戦前戦後を通じて、左派運動の盛り上がりで内閣を倒壊せしめた事例はこの時を措いて他にはない。 第三に、第一次ブントが倒壊せしめた岸政権は政府自民党内タカ派の首領であり、結果的にその後の政府自民党はハト派系で運営されていくことになった。タカ派とハト派の対立は戦後日本政治史上の最大抗争であり、第一次ブントは期せずしてハト派政権を生み出す「ひょうたんから駒」の役割を果たすことになった。 以降、ハト派政権は池田ー(佐藤)ー田中まで続き、田中ー大平同盟で絶頂期を迎え、ロッキード事件で脳震盪を見回され、以降のハト対タカの仁義なき抗争を経て大平政権を誕生させたものの鈴木で幕を閉じる。この間、1960年代初頭から80年代初頭までの約20年間を政局運営し、世界に称讃される「奇跡の戦後復興及び高度経済成長」を謳歌した。第一次ブントの60年安保闘争は、これを呼び水したことになる。 そういう客観的役割を果たし功績を持つ第一次ブントの誤りはどこにあったのか。れんだいこは、その理論が、戦後憲法秩序体制をも打倒すべき権力体制として否定する理論に傾斜したことにあるのではないかと思っている。そういう規定であるからして、政府自民党内のタカ派とハト派の抗争にも無頓着なままに保守反動視し過ぎたことにあるのではないかと思っている。 れんだいこは、小ネズミ政権下の諸施策を検証することを通じて、彼及びその背後勢力が解体せしめようとしているものを凝視することによって、戦後憲法秩序体制とは実は世界に冠たるプレ社会主義体制ではなかったかと思い始めている。特殊日本的な面を持つ在地型プレ社会主義の側面を濃厚に持っていたのではないかと思い始めている。 小ネズミ政権は、背後勢力の操りもあってそれを壊そうとして登場した。小ネズミの「自民党をぶっ壊す宣言」とは、政府自民党内のハト派を最終的に一掃し、戦後憲法秩序の持つプレ社会主義を壊すことにより、現代世界を牛耳る米英ユ同盟の指針するネオ・シオニズム・グローバル体制へ我が日本を貢物としようとしており、その為の急速転換を図ろうとしているのではないかと思っている。 れんだいこはそのように気づき、ならばと、現代世界を牛耳る米英ユ同盟の指針するネオ・シオニズム・グローバル体制の史上初テキストである「シオンの議定書」まで渉猟するに至った。先日もとある人物と会話して、戦後日本=在地型プレ社会主義観点は良いとして、「シオンの議定書」を史実書として看做すのは論外とする批判を浴びた。しかし、そういう御仁に限って「シオンの議定書」に真面目に眼を通していないのは滑稽なことである。 しかしまぁそれは良い。それは特殊れんだいこ的到達点だとしても、日本が今ネオ・シオニストの要請する危険な「傭兵の道」へ引きずり込まれようとしていることを共認できさえすれば良い。明らかに戦後の質が変わり、自民ー民主ー公明内シオニスタン同盟による戦後秩序総体の全否定構造改革が為されようとしていることへの危機感が共認できさえすれば良い。 以上の認識から何を為すべきか。戦後憲法秩序体制の護るべき地平を確認し、左派共同戦線を創出せしめ、一挙に政権取りにまで向うべきだろう。そうならなければ次善の策、次々善の策で抗戦すべきであろう。そこに知恵を要するから政治が面白いのではなかろうか。この智恵が弱すぎるのだ。 この構えに立つ時、いつものオチながら、宮顕ー不破ー思位系党中央日共の逆対応をも見据え、策動の余地を与えない共同性が要るであろう。日共の化けの皮はとうに剥がれている。二枚舌三枚舌のマルチ舌を引っこ抜いてやれば良い。 何事も理想通りには行かないが、戦後憲法秩序体制を護るべき主体は何らかの形で党内を戦後憲法秩序原理に即応させて居なければ論理矛盾である。目下の日共にはからきし無い。そういう主体が護憲を云うのはおこがましい。 旧社会党ー現社民党の方が幾分マシではあるが、村山政権時代に憑依した保守反動との癒着構造をも告発せねばならない。「権力の蜜の味」を知ったことは構わない。政治にはそういう動機付けも要るだろう。だがしかし、それに被れるとなると始末に負えない。「口先批判裏取引専門」常態の万年野党根性は左派運動には馴染まない。社民党がそのように自己形成するのなら悪いことは言わない、今からでも自民党へ入り直せ。 それらを思えば、第一次ブントの面々が「47年ぶりの6.15デモ」に揃うことの素晴らしさよ。あぁ行きたくなったぜよ。まぁしかし来年もあるからな。毎年やり続ければよかったんだよな。 2006.6.12日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)