カンテラ時評3(061〜090)

 (最新見直し2007.7.12日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 れんだいこの丹精こめた珠玉の発言集「カンテラ時評」をここに保存しておくことにする。絶えず繰り返されるアラシの中で、意に介さず怯まず、れんだいこが発信したくなった事案に対するれんだいこ見解が披瀝されている。何度読み返しても、れんだいこ自身が面白い。字句の間違いの訂正、文意の修正もやっておこうと思う。

 2007.3.24日 れんだいこ拝


Re:れんだいこのカンテラ時評その61 れんだいこ 2005/06/26 10:34
 【小泉首相は直ちに自衛隊を撤兵させよ】

 靖国神社参拝論ですっかり平和愛好家をぶってみせた小泉首相は、舌の根も乾かぬうちに今度は自衛隊のイラク派兵及び居続け是認論をぶつお仕事に取り掛かっている。政治家稼業は誰にでも務まるものではないことが分かる。

 しかし、小泉首相がいくら強弁しても、自衛隊員の危険は日に日に高まりつつある。既にイラクのレジスタンス派は何度にもわたって自衛隊の撤退を要請している。聞き入れない場合には武装襲撃することを通告している。

 これを承知で「政治の不作為」で自衛隊を駐留させ続けたまま自衛隊員が殺傷された場合、どういうことになるのだろうか。小泉首相の政治責任を明らかにしておく必要が有るのではなかろうか。国家の責任は如何に。これにつき議論されているのだろうか。れんだいこに云わせれば、お前は重度過失により首相辞任後も裁判に付されねばならない。

 れんだいこが思うに、小泉サイコパス首相によって超法規的に強行された自衛隊武装派兵に対しては、個々の自衛隊員は何の不利益も受けることなく出兵拒否、出兵先からの帰還の権利が与えられねばならない。これを咎める手合いに対して、訴訟で闘うべし。今や刻は一刻を争っている。小泉サイコパス首相はどうせ何の責任も取りはしないのだからおめ無駄死にする勿れ。

 れんだいこが小泉首相に質してみる。少なくとも次の諸点を明らかにせよ。
 その一、小泉首相は、自衛隊のイラク武装派兵、米英ユ軍の下請け的参戦が現行憲法の諸規定に照らして合憲と論ずる根拠を明らかにせよ。憲法改正を云うのは勝手だが、現行憲法のままでこれを為した責任は重い。

 小泉首相は去る日、「神学論争ナンセンス」の一声で、それまで議論が積み重ねられてきた「専守防衛区域」の垣根を取っ払い、インド洋の向こうのアラビア海まで自衛隊派兵を強行した。この一事で、お前が余りにも遵法精神法を持ち合わせていないことが分かる。

 これが特段に問題にされずむしろ、そのアウトロー的なところを魅力とし歴代随一の名宰相と囃す手合いがなお多いが、一国の最高責任者としての首相がアウトローを実践したら一体、国の秩序はどうなるのだ。そういえば最近妙な犯罪が増えつつあるが、アウトロー政治との絡みが気にかかるところだ。

 その二、小泉首相は先日結構な靖国神社参拝論理を聞かせてくれた。概要「私の参拝の目的は、心ならずも、家族を残し、国のために、命を捧げられた方々全体に対して、衷心から追悼を行うことにある。今日の日本の平和と繁栄は多くの戦没者の尊い犠牲の上にある。私は、平和を守り、二度と悲惨な戦争を起こしてはならないとの不戦の誓いを込めて参拝している」。

 かく述べているが、「不戦の誓い」を何度も声明した小泉君よ、お前が押し進めたイラクへの自衛隊武装派兵とどう辻褄が合うのだ。れんだいこにはさっぱり分からないので聞かせてみてくれ。中国、韓国には「不戦の誓い」を説き、ブッシュには「参戦の誓い」で応ずるお前のマルチ舌の仕掛けを教えてくれ。

 その三、財政再建はいよいよ待ったなしの局面を迎えつつある。「30兆円枠の公約を守らなかったからといって、この程度の公約破りはたいしたことではない」と居直った小泉君よ、その割には郵政民営化公約にはえらい熱心過ぎる。郵政民営化公約は譲れない線で、財政再建公約は譲れるというお前の政治姿勢の仕掛けをもうちょっと聞かせてくれ。

 その四、木村愛二氏が「お前の慶応大学学生時のレイプ事件の真相を明らかにせよ」として裁判しているが、根も葉もない冤罪と云うならその旨はっきりさせたらどうか。(http://www.jca.apc.org/~altmedka/koizumi-rape.html)巷で囁かれ続けている噂を否定してみせたらどうだ。れんだいこがこれを重視するのは、お前の政治手法がことごとくレイプ的である故に、その相関関係を明らかにする為である。

 靖国神社参拝外交でも明らかになったが、お前は議論の餅つきがさっぱり出来ない。度が過ぎている。「罪を憎んで人を憎まず」と云うが、仮にレイプ犯が被害者にそれを云ったとしたら、あまりにもおこがましいと云うべきだろう。そったら論法を開陳して得々とするお前のサイコパス的感性が問題なのだ。

 他にも論えばいろいろあるが、以上質問しておく。それにしても、イラクへ派遣された自衛隊の緊急の撤兵を議論しない延長国会のお粗末さよ。与野党団子政治の行き着いた腐敗の極みを見せ付けられており、総員クビにせねばなるまい。れんだいこは、靖国解体再生論者であるが、国会の解体再生論をも追加しておく。

 2005.6.26日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その62 れんだいこ 2005/06/27 20:58
 【選挙に取り組んだら結果発表が裏返しの責任ではないのか】

 れんだいこのカンテラ時評もいつのまにか62になった。この調子で行くと100まで辿り着くのもわけないか。いろいろ有益な発言しているつもりだが反応が無いな。それはれんだいこの責任か。

 いつも思うのだが、「選挙に取り組んだら結果発表が裏返しの責任ではないのか」。これを為しているのが公明党である。各党は、公明党を訳の分からん政教分離批判する前にその見識を見習え。

 公明党は各選挙戦で健闘している。調子が良いから「地方選の結果」コーナーを設けて翌日タイムリーに発表しているのだろうか。その他の党は苦戦しているから不都合な記事は載せられないとして「地方選の結果」コーナーを設けていないのだろうか。

 れんだいこは思う。政党ともあろうものが著作権を主張して勝手な引用転載許さないなどと主張するのにうつつを抜かす暇があったらその前に、当然為すべきことを責任もってやれ。

 れんだいこは、こういうことからして公明党は伸びるべくして伸びているのだと思う。今日も、創価学会の顔見知りがやってきて、「あなたそういえば東京へ居たことあるでせう。どなたか知り合いを紹介してくれませんか」と云って来た。流石だなあといたく感心した。

 こういうことやらずに、やれ逆風が吹いただとか、選挙民に我が党の政策ビラが行き届いていない、大衆は政治意識が低いだとか勝手な理屈を並べ立て言い訳上手になっても仕方なかろうに。

 実にくだらない。政党の選挙民に対する責務を果たし、勝っても負けても選挙結果を報じ、科学的社会主義とやらいう見地から分析せよ。それがルールとマナーではないのか。とかく姑息卑怯でれんだいこの性に合わん。

 それにしてもスカッとしない。社共運動がダメということははっきりしてるんだから、代わりの党派がその気になっていれば応援せんとあかん。政策協定すれば良い。足を引っ張るようなことばかりするのなら、お前のとこも候補出せば良い。それもせずに砂掛けに興じるような手合いは、口先でいくら左翼ぶろうとも好かん。

 きょうはこれぐらいにしとこ。

 2005.6.27日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その63 れんだいこ 2005/06/29 17:22
 【小泉政権打倒を改めて訴える】

 れんだいこは、このどうしようもない政治の貧困に怒りを発している。しかし世の識者の気分はバブル酔いの中にあるように思われる。マルクス主義的にみれば、比較的に恵まれた存在の仕方が意識に反映しているのだろう。

 何せ、この不況の最中にあって、自称知識人の世界は不況知らずで、特にマスコミ系はかっての銀行員の給与を凌いで年収一千万円は当たり前、二千万を超える者がゴロゴロしているという。多くの大衆はボーナス無しの三百万辺りでうろうろしているというのに。

 そういう訳で、連中は完全に意識が堕っているからして、おざなりの報道のお茶濁しで世渡りすることになる。それも無理ないというべきか。国会での酔客騒動も有り得る話で、もうどうにでもしてくれ。

 いっそのこと宴会でもしてやりなはれ。コンパニオン呼んで膝でも触りながら、酒の勢い借りて質疑させた方が今よりはましなのではなかろうか。ならば、何も改まって難しう云う必要も無い。お銚子の三本でも盆に乗せて運んでやった方がよほど気が利いているというべきだろう。社民党もそういう風に垢抜けた闘いしてくれや。

 病状というのは無痛の方が怖いとも聞く。その無痛時代に入っているのだろう。れんだいこの執念による小泉政権打倒は、呼びかけてより一ヶ月が過ぎた。後二ヶ月だ。れんだいこは確信している。この政権が仰向けに倒れる日を。しかし、無痛時代だからして、倒されるのではなく倒れる日が来るということになる。

 8.15日が近づきつつある。事を混ぜないと興奮しない小泉君はそろそろ何かやらかしてくれるだろう。

 2005.6.29日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その64 れんだいこ 2005/07/02 11:32
 【小泉政権打倒を改めて訴えるその2】

 郵政民営化法案を廻って与党自民党内が真っ二つに割れ始めている。ここまで、レイプ犯履歴スーフリ首相のレイプ政治に付き合ってきた連中も、郵貯財源のハゲタカファンドへの売り渡しにはもはや我慢できないという構図であろう。

 興味深いことは、小泉政権当初の抵抗勢力批判の神通力がすっかり効かなくなってきたことであろう。構造改革に反対する保守反動勢力呼ばわりされることにより鳴りを潜めるしかできなかった抵抗勢力は、レイプに抵抗しないことこそ不義であるとの確信を強め、俄然攻勢に出始めてる。

 こうなると、小泉の郵政審議会委員の強行的差し替え、党議拘束論、公認しない論がこれまたレイプ手法であることが見えてくるから不思議である。流れが完全に代わったことが分かる。

 思えば、小泉官邸に巣くう魑魅魍魎たちは後世標本にされて確認されるだろう。これを追従し続けたマスコミのキャスター達もその隣に張り付けておけ。ドン・ナベツネ以下数珠つなぎしておけ。

 ポスト小泉政権は、抵抗勢力内から生まれ、小泉政治とは全く逆に万事協議政治となるであろう。これが歴史の流れで振り子が戻るとしたもんだ。で、誰がなるべきか。こうなったら亀井、加藤、河野、旧橋本派の誰それという連合体で呉越同舟せねばなるまい。この中核に旗本を巻きつけ、小泉政権シンパまで取り込まねばならない。この権力闘争を遣りぬく意思があるか。

 新政権は、自衛隊撤兵から始めねばならない。国家財政危機に対しては綱紀粛正、政府機構の簡素化のまずもっての手本から着手せねばなるまい。小泉時代の腐敗をも暴かねば成るまい。

 小泉は訴追されねばならない。こやつは戦後政治史上トンデモ御仁であり、その裏表を明るみに出すことことが今後の政治改革上避けて通れない。小泉よ、首を洗って待っておけ。

 2005.7.2日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その65 れんだいこ 2005/07/06 16:29
 【2005東京都議選総括】

 「郵政民営化法案衆議院強行採決事変」も小泉のレイプ政治手法を如何なく発揮しリアクションを生んだが、これに言及する前に2005東京都議選を総括しておく。概要は、「れんだいこの為になる選挙分析・都議選」(senkyo_togisen.htm)に記したので、特に問題としたいところをコメントしてみたい。

 民主党は善戦し大幅に議席を伸ばしたが、第一党自民党の壁は突き崩せず、むしろ第二党に甘んずる伸び悩みをも示したと受け取るべきだろう。岡田代表の下では二大政党制がますます定着しそうである。公明党の第3党路線も確定し、自民党を補完する隠然から公然勢力へ転換しつつあると看做すべきだろう。

 問題は共産党である。 この間19→14→13→26→15→13議席と推移している。志位委員長は次のように弁明している。

 「現有十五議席を確保できなかったものの、二人区の文京区と日野市のたたかいで勝利をかちとり、十三議席を獲得したことは、重要な成果だと考えます。また、得票率で10%台を回復したと思われることは、今後の前進への一つの足がかりとなる結果となったと思います」。

 こういう総括で済ませて良いものだろうか。科学的社会主義によればこういう詭弁総括になるのか。とんだ科学的社会主義屋ではある。特に、「得票率で10%台を回復したと思われる」とは何ぞ。誰も問題にしていないようだが、れんだいこは許さない。

 得意の日頃より事情を知らせずの常態にしておいて、それを前提にして騙しのテクニックで煙巻きしていることになる。党内向けならまだしも、これは選挙民に向けての声明でも有る故にその罪は大きい。

 朝日新聞も「東京都議選主要政党の得票率」で次のように記している。「二大政党への流れを批判し、現有15議席の確保を目指したが、13議席に終わった共産。得票率は15.6%で、前回と同じだった」。れんだいこの見立てに間違いは無かろう。

 つまり、志位は明らかにウソをついている。一体、公党の最高責任者が、選挙結果に対してウソの弁明をしても良いのだろうか。仮にだ、社民党が議席ゼロに終わったにも拘わらず目出度く当選させていただき喜びに耐えないなどと声明したらどうなる。即刻辞任だろう。志位はこの程度のウソをついたことになる。これが問題にならないのなら、もう好きにセイヤ。れんだいこは貝になる。

 社民党の連続議席ゼロも情けない。戦後以来の議席推移を知りたいが資料が手元に無い。最近は11→29→14→1→0→0と推移している。唯一の立候補で党が総力戦で臨んだ結果が、他の候補が押しなべて2万票を超えている中での1万165票最下位となつている。村山ー土井時代の口先三寸政治への不信感が払拭されていないことを物語っているように思われる。

 もう一つ、中核派の長谷川氏が挑んだ杉並区の開票結果にも言及せねばならない。こちらも党の総力戦で挑んだが、当選ラインに遠く及ばない7千977票に終わっている。2001年のけしば候補の都議選の9千450票。杉並区議選で、けしば、新城、北島三名の集票は9千483票であることを考えれば、むしろ後退させている。

 ならば、それをどう総括し、選挙民に声明すべきか。実際には、三行広告で終わっている。党派広報は、「『つくる会』教科書採択絶対阻止を掲げ 長谷川英憲氏を先頭に健闘 7977票(定数6―立候補者13人中10位)」。「都政を確信する会」のコメントは、「長谷川に7977票(10位) 健闘およばず 熱い支援ありがとうございました 挑戦をつづけよう この道を進もう 『つくる会』教科書の採択阻止」。

 れんだいこは思う。日本左派運動は揃いも揃ってどっかオツムの配線がオカシイ。なぜ素直に、良ければ感激し悪ければ悔しがることが出来ないのか。口先三寸世渡りばかりが見えてくる。それでは小泉とかわらんではないか。

 それはそうと小泉はまた海外へ行っては大盤振る舞いしてくるそうな。振舞えば歓迎されようが、こちとらの財政が天文学的なワヤクチャの最中にあるというのに財布の紐を緩めっぱなしというのは如何なものか。これが問題にならないのなら、もう好きにセイヤ。れんだいこは貝になりとうない。


 2005.7.6日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その66 れんだいこ 2005/07/09 19:50
 【小泉政権打倒を改めて訴えるその3】

 「内外事象の分析による近未来予測サイト」と銘打った「海舌Kaisetsu 小泉氏の支持者が、最も、解散を恐れている」(http://blog.kaisetsu.org/?eid=60333)が次のように論評している。(文中「」は外した)

 概要「郵政民営化に、断固反対した代議士は、当然、解散に屈しない意思表示を示したのであり、地盤も安定している者が多く、衆議院の解散には、相対的に、強腰である。さらに、地方では、既に、郵政民営化に賛成した議員に対する批判が吹き荒れており、今、衆議院の解散をすれば、郵政民営化賛成議員にとって、非常に不利である。

 さらに、苦渋の決断で、賛成した議員とは、自民党からの選挙資金と公明党の選挙応援のために、選挙民の声を無視した輩であり、結局、選挙に弱い連中だ。

 つまり、声高に、小泉氏は解散を叫ぶが、解散されて、本当に困るのは、小泉氏と竹中氏を支持した郵政民営化賛成派の代議士だ。また、現状で、総選挙になれば、公明党も、他党の選挙協力を十分する余裕は無いだろう。

 小泉支持の若手は、現在、非常な危機的状況に陥っている。小泉氏の自民党を壊すという、コミカルなキャッチ・フレーズを、もはや、信じている国民は少ないのでは? とても、小泉信子氏が、解散を許すとは、考えられない」。

(引用以上)

 これは、衆院解散、選挙になったらという仮題での興味深い分析であるように思われる。れんだいこも次のように分析する。

 小泉政権に遂に王手が掛かった。先の郵政民営化法案のギリギリでの衆院通過の傷は深い。自民党は大きく二つに割れ、次第に反小泉派が優勢になっていく。もはや小泉という玉はいくら逃げても詰まされる。

 その小泉は、こたびの主要国首脳会議G8(グレンイーグルズ・サミット)で、巨額のODA予算を差し出すことで、ブッシュに政権延命の手助けを乞うたが、ブッシュ自体がヨロヨロで、且つは小泉の余りにもな馬鹿さ加減とこれから起り得る小泉スキャンダル暴露の動きを既にキャッチしているのか愛想尽かされた模様である。

 G8共同声明会見の場でも、小泉は二列目の端役に追いやられており、既に見限られていることが判明する。小泉は国内でも国際でもまさに袋の小ネズミと化した。

 ところで、ODA拠出金に言及しておく。れんだいこが思うに、首相専権による巨額のODA出金は財政法違反ではなかろうか。小泉首相は、とかく憲法もこうした基本法もあって無きが如くな傍若無人ぶりを発揮するのが常であるが、それはいわゆるレイプ手法で有り許されるものではない。

 今後は、首相独断で裁量できる拠出金の額を事前に規制しておく必要が有る。何せ、戦後財政法では国債発行には国会の議決を要するとしていることからして、その議決なしに出来るのはその金額以下でなければロジックが合わない。それを国債に劣らぬ大枚出金するのであるからして法の抜け道を行使している恐れが強い。

 公金については規制されるべし、民間取引は規制緩和を目指すべし。ましてや、政権延命のために海外向け公金出金が行われるなどは到底許されることではなかろう。マスコミも含めて識者は指摘しないが、漬ける薬が無い。御身保身癖による腰巾着、タイコ持ちを習い性とするゆえに目が曇っているのであろう。

 こたびの小泉大盤振る舞いにつき、もう少し詳しく触れておく。小泉首相は、「ODAを今後5年間で100億ドル増額」するとのことである。実際に表明したのかしなかったのかは分からないが、途方も無いことであろう。

 衆知のように、日本政府はいまや世界一の前例の無いほどに台所が火の車である。にも拘わらず、米英ユ戦略に従い、2004年のODA実績額でも約89億ドルを拠出してきた。これを国内の景気対策に回せばと思うのはれんだいこだけだろうか。

 何と、この水準を5年間維持したうえ、年平均20億ドル、つまり2006年からの5年間で100億ドル(約1兆2000億円)分を上乗せする方針だという。小泉政府は今、国内大増税を企んでいるが、何のことは無い、そっくりそのまま米英ユ同盟への貢ぎ金になるという次第である。

 れんだいこの眼には、小泉はんは既に云うこと為す事が狂いっぱなしのように見える。政権初期の頃のコマーシャルはすべて剥げ落ち、威勢の良い啖呵はレイプ犯が常用する感性的言語でしかなかったことが判明しつつある。郵政民営化の進め方、締め付けの要領そのものがオールレイプ手法である。

 こたびの郵政民営化法案の採決で、37名の義士が造反した。消極造反の14名を加えて51名の義士誕生である。これを裏切り者呼ばわりしてまだ倒錯小泉政権の蜜の味に群がろうとする者も多い。

 選挙民は今後の動きを注視して見守り、しっかり銘記しておかねばなるまい。公明党は小泉政権と心中しそうだ。いよいよ、総反攻のターニングポイントにさしかかった。

 れんだいこは、政権与党内のこの活力をじっくりと見させてもらうつもりだ。

 2005.7.9日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その67 れんだいこ 2005/07/12 13:14
 【小泉政権打倒を改めて訴えるその3、小泉首相最新の酩酊迷言白書】

 御用政論紙で名高い読売情報であるからして間違いは無かろうが、「郵政法案通過、首相『国民の支持』」(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050705it12.htm)は、2005.7.5日付けの小泉首相発言を掲載している。小泉はんは、首相官邸で記者団に対し、郵政民営化関連法案の衆院通過について次のように述べている。

 「都道府県議会、市町村議会で(郵政民営化)反対決議が多く、国会でも、公明党は賛成したが、ほかの政党は反対だ。そういう中で整然と採決が行われ、参院に送られた。これは国民の支持なくしてはできない」。

 (引用以上)

 何とも気分が悪くなるのはれんだいこだけだろうか。全くロジックが合っていない。「都道府県議会、市町村議会で(郵政民営化)反対決議が多い」なら、それだけ世論の反対が強いことを反映してと受け取るべきところ、「整然と採決が行われ、参院に送られた」ことを間のダシにして、「これは国民の支持なくしてはできない」と結ぶ。こんな論法が許されるのか。誰も問題にしていないが、度の過ぎた詭弁だろう。

 つまり、強行採決を仕掛けた挙句に議場が揉めに揉めねば「反対」にはならないらしい。小泉式レイプ政治観に拠ればそういうことらしい。こういう感覚を持つ小泉をいつまで首相として遇せねばならないのだろうか。

 この御仁とはいくら議論しても無駄だろう。相手の議論の趣旨を踏まえないのだから噛み合うことがない。人は誰しも多少はそういう癖があろうが、小泉はんの場合には度が過ぎている。これはサイコパスの典型的特徴である。小泉のサイコパス性については、「小泉首相売国奴性サイコパス論の検証」(hansenco/koizumisaycopasco.htm)参照の事。

 他の情報をも織り交ぜれば、小泉はんは、「1票差でも勝ちは勝ちだ。勝てばいいんだ」とも公言しているらしい。「1票差でも」通さねばならない郵政民営化を急ぐ意義はどこにあるのだろう。

 人は、小泉の靖国神社強行公式参拝でもって愛国気取りするさまをそのままに受け取っているようである。れんだいこは違う。真性の小泉は米英ユ同盟のタイコもちであり、彼はそうすることによってしか延命できない。靖国神社強行公式参拝は、彼の売国性を隠すイチジクの葉でしかない。そういえば中曽根もそうだった。

 その後、入れ智恵され、7.11日の参院本会議では、「衆院での修正などを真摯(しんし)に受け止め、法案への理解を賜るよう誠実に対応する」と答弁している。しかし、レイプ犯小泉の性格が変わる分けではるまい。本音は、「勝てば官軍」であり、郵政民営化を通せば、米英ユ同盟が一生飼い殺ししてくれる。飼い殺しなら御身安泰が保証される。俺にはこの道しかないという構図でのご奉公と読むべきだろう。つまり、彼にあっては、「私」が「公」の上にいつもある。その極端さにおいて珍しいタイプであろう。

 小泉にあっては、「(参院での否決による)解散・総選挙」も奇異ではないらしい。この首相専権カードを玉虫色に臭わせることにより、反対派を切り崩し、総じて選挙に弱い連中を脅している。

 こうなると問題は、党内反対派に選挙を受けて起つ気概が有るかどうかという事になろう。れんだいこが意見しておく。「郵政民営化法案に反対した○○でございます」の連呼が票を生む。だから、心配しなさんな。

 参院での法案審議は7.13日から入る。衆院と比べて与野党の議席差が少ない参院は、自民党から18人が反対に回ると法案が否決される。現在30人台とみられる反対派がどこまで切り崩されるのか、否人数を更に増すのかに焦点が移ってきた。

 角栄派を裏切り的に飛び出て以来悪行の限りを尽くしている竹下派の最後の重鎮・青木幹雄参院議員会長、右顧左眄で定見を持たない片山虎之助参院幹事長、名うての政界渡り鳥・衆院郵政民営化特別委員会の二階俊博委員長、下半身仲間の誉を持つ山崎拓自民党筆頭理事が、狸の皮算用しつつ裏方工作に入っている。

 小泉はんは、「反対派には、成立したら、優しくしないといけない」とも述べたという。何となく、犯した相手に事後優しくすべし、金をたんまり渡せば訴訟も抑えられるというレイプ犯マニュアルを聞かされているようで気持ちが悪い。

 2005.7.12日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その68 れんだいこ 2005/07/14 14:36
 【小泉政権打倒を改めて訴えるその4、小泉首相の衆院解散論は滅茶苦茶】

 恐らく確実にレイプマンの履歴を持つ稀代の首相小泉の性癖は治らず、やること為す事が相変わらずレイプである。今こそこのことに気づき、彼を辞職させ訴追すべきである。彼の4年余の官邸政治に捜査のメスが入れられねばならない。れんだいこはそう思う。

 その小泉と角栄を比較し、角栄には侮蔑の限りを、小泉には何がしかの愛嬌を見て取ろうとする手合いが多いようである。れんだいこは、全く狂っていると考える。己が曲がっているからして立ち木の曲がりが正常に見え、真っ直ぐ立っている木が曲がっているとして飽くことなく説教している者の愚に似ていよう。

 こたびの小泉首相の「郵政民営化法案が参院で否決されるなら衆院解散」なる脅しも、れっきとした国会及び議員に対するレイプである。さすがにこたびは造反派が立ちはだかった。

 識者は指摘しないが、なぜこうも小泉政治に対して物分りが良過ぎるのだろう、れんだいこには解せない。くだらぬ著作権法でしかめつらして議論する手合いが、こういうところでは好々爺になっている様がオゾマシイ。否、どっかで辻褄が合っているのだろう。

 2005.5.13日、郵政民営化法案が参院本会議で審議入りした。この日の答弁で首相は、「法案が参院で否決された場合に衆院を解散する手法には憲法上問題がある」との指摘について次のように述べた。

 「戦後、内閣不信任案が可決され憲法69条に従い解散が選択されたケースは4回あった。それ以外は(天皇の国事行為として首相独自の判断で行う)憲法7条を根拠にしている」。
(「郵政法案「誠実に対応」 首相、否決時の解散否定せず」、http://www.asahi.com/politics/update/0713/002.html)。

 小泉首相のこの答弁は、「憲法上問題がある」として尋ねられている事に正面から答えず、例の不快極まるはぐらかしで詭弁している。朝日記事は、「解散権は、首相の専権事項であるとの基本的な考えを明示した」とのみコメントしているが、この論評には問題があろう。

 これでは事態の不正常さが浮かび上がらない。憲法学者の見解や如何に。れんだいこには、揃いも揃ってなぜ黙するのか解せない。誰も指摘していないようなので、代わりにれんだいこがやる。れんだいこ見解に拠ればこうなる。

 小泉首相の「憲法7条を根拠にする首相の解散権論」には法的に大いに問題がある。同条は、天皇の国事行為を定めたものであり、「首相の衆院解散権」を記しているものではない。それを「首相の衆院解散権」を記しているかの如くに吹聴するのは、天皇制の政治利用であり、断じて許し難い。

 先に、靖国神社公式参拝論議では神道の政治利用をしていたが、この御仁は己の欲望のためには何ら意に介さない。彼の精神構造を分析せねばなるまい。レイプレイプの挙句がとんだところにまで波及しつつある。暴走が止まらないというべきか。

 そもそも、憲法第7条は「天皇の国事行為」を定めたものであり、「天皇は、内閣の助言と承認により」、3項で「衆議院を解散すること」、4項で「国会議員の総選挙の施行を公示すること」を明記している。

 これを見れば、戦後憲法では、「内閣の采配」によって天皇の国事行為が為されることになっており、それだけ内閣の責任が重いということを示唆していると受け取るべきで、「首相の衆院解散権」の根拠に使うのは馬鹿げている。

 小泉首相の云うところの「首相の衆院解散権」が記されているのは、憲法第69条である。そこには、衆院解散は、概要「衆議院で、内閣不信任決議案可決又は逆に信任決議案否決が為された場合には、内閣は、10日以内に衆議院を解散するか内閣総辞職のいずれかを選ばなければならない」としている。

 「首相の衆院解散権」が明記されているのはこの1条きりである。政治責任の重みを真摯に受け止め、内省的に内閣総辞職するか攻勢的に衆院解散に打って出るか、これを判断するのが首相専権である。その際、内閣総辞職を歯牙にもかけなくて良いという風にはなっていない。

 今回の例で参考になるのはこちらの方である。憲法第59条2項「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる」。

 これを逆に読めば、「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案」で、衆議院に戻しても可決見込みのない場合にはどうなるのか。通常的理解では、いったんは廃案になるということである。憲法第59条は、そうとしか書いていない。

 こたび、小泉首相は、「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案」が廃案になるのなら、衆院解散を行うと恫喝している。しかし、この手法は越権であり、まさに憲法のレイプでしかない。

 「衆議院で可決し、参議院で否決された場合、首相は衆院解散を行うことができる」とはどこにも書かれていない。つまり、明文規定は無い。にも拘わらず、それを強行しようとするのは政治のレイプ的私物化でしかあるまい。

 つまり、、小泉首相は、「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決が為された場合の衆院解散」という「憲法上疑義有る行為」というか前代未聞の愚挙をチラツカセ、政治的乗り切りを図ろうとしていることになる。憲法学者やマスコミは、「小泉の、解散権は首相の専権事項論」をオウム返しに報道することなく、その問題性を伝えるのが本来のお仕事だろうに。

 国政のトップを与る者がかくも彼らの業法を無視しても良いのだろうか。憲法には、理念規定もあれば曖昧規定も有る。しかし、国会や内閣に関する定めは具体的であり、解釈の分かれる余地はない。

 それらの規定は、国会議員にとっては業法とでも云える重要な規定であり、これを犯してよいということは断じてない。国の最高機関が自らの業法を蹂躙するような事態を許せば、この国が無法社会に陥るのは時間の問題であろう。

 憲法第99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と明記している。これで良い、そうあるべきだろう。しからば、イラク派兵の自衛隊も即刻呼び戻すべきだ。小泉時代に為したことはすべからく総点検されるべきだ。

 れんだいこには、小泉首相の云うこと為すこと全てがレイプ手法であり、そのサイコパスぶりが目に余るように見える。彼は基本的に法律を一切遵守しない。「朕が法律なり」論を平気で開陳できる珍しいタイプというか、根底的にサイコパスである。

 そのサイコパスぶりにエールを贈り続ける自称インテリ・マスコミ族が後を絶たないが、それは世界一の超債務率国家でありながら、平然と今もそれも又涼しとして美食し続けている者達の精神とハーモニーしているように思われる。この連中が、角栄を晒し者にしつつ政治の正義を語っている様は見るも聞くも毒である。

 最後に。「衆院院での法案修正について中身は全く変わっていない」、「法案が否決されることは考えていない。解散する必要はないと思っている」なる答弁も、その乱調さを物語っていよう。

 小泉政権になって以来、警察の恣意的利用が目に余る。官邸から指令が来れば出世の機会とばかりお縄を持ってはしゃぎ廻っている。自省すべきかどうかの基準は無く、ひたすら政治の下僕になろうとして先を競い合っているように見える。

 これらの諸事象に対し、我々はまだ我慢せねばならないのだろうか。

 2005.7.14日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その69 れんだいこ 2005/07/16 20:40
 【小泉政権打倒を改めて訴えるその5、小泉には総辞職の道しか残されていない】

 小泉政権は最後の悪あがきに突入した。この玉は既に手勢が僅かで裸だ。外交的にも、中国、韓国、北朝鮮に相手されず、それでもブッシュ、ブレアの支持が命としてきていたものの、ここへきてどうやら見限られた様子である。

 小泉は苦し紛れに解散風をちらつかせているが、それはレイプ論法による脅しでしかなく、もし実際にやるとなったら自爆解散となろう。目下の状況から推して「自民党をぶっつぶす」ことになる。小泉が唯一純正に守った公約となるが、まさにブラックユーモアである。多くの秘書を抱え、それなりに生活を賭けている議員団がそういう政治のの私物化の極みを許すだろうか。

 興味深いことに、造反派は選挙に強い議員が多く、解散を恐れているのは小泉追従派というのが現実であり、解散コースへ近づけば近づくほど支持派からのリアクションが強くなる。つまり、小泉には総辞職しか残されていない。

 それをなお解散に持っていくとしたら、まさに小泉はサイコパスであろう。その恨みは大きく、結局小泉は打って出られない。つまり、小泉は袋のコネズミにされており、これからますます四面楚歌局面に突入するであろう。

 こうなると、関心はポスト小泉へと移る。次期政権は、造反派から選ばれるのが理屈であろう。れんだいこは既に次期首相予想クイズに入っている。思えばその昔、鈴木善幸を当てた事が有る。なつかしい数十年前を思い出した。

 誰がなるにせよ功労的にみて亀井幹事長、綿貫副総裁を核として人選されよう。これから先は分からない。平沼が良い決起をしたが、あの右翼性は不治の病であろう。仮に首相になったとして、実際の舵取りでハト派色を織り交ぜる柔軟性が有るかどうか、興味はこの辺りにありそうだ。野田の声もある。そったらリリーフを彼女が務める事が出来たらこれは面白い。が面白すぎるか。5%ぐらいの確率か。

 はたまたウルトラシーがでるかどうか。ここを考えるのが面白い。

 民主党が割り込めば面白いが、そしていっそのことタカ派とハト派の二大再統合し直せば良いが、今は時間が無さすぎる。小沢が羽田が管が野中がなぁ、いい動きを見せればよいが。

 れんだいこは、小泉政権倒壊を見据え、久しぶりのアンケートに入りたい。本掲示板ロムの皆様、選択肢アイデアを求む。それとおっちゃん読んでくれてるかなぁご準備頼む。

 それはそうと、「衆院通過、参院否決」で衆院解散となった事例が有るのかどうか、戦後歴代の解散史を纏めて見ようと思う。これを丹念に追う時間が無いので、どなたか本掲示板ロムの皆様、参考サイトのご教示頼む。

 先の68で指摘したが、れんだいこは、首相の解散権につき巷の理解に異議を唱えている。小泉的解散権論は憲法読解歪曲即ち憲法レイプであるとして、マスコミがそれを問題にせず徒に追従しているのを不快に思っている。公正な批判を錦にしている連中が批判できない。つまり、連中はかなり脳粗鬆していると見立てている。しかし、人は、権威がある者が云わないと耳を貸さないのだろう。そこが少々口惜しいがいずれこの指摘になるほどと肯く者もでてこよう。

 2005.7.16日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その70 れんだいこ 2005/07/18 14:42
 【社会言論系雑誌社社長松岡氏への強権逮捕に断乎抗議する】

 小泉政権の官邸政治の内実が情実政治の横行であることが知られるようになっているが、この奇病があちこちに転移しつつあるように思われる。

 れんだいこの診るところ、司法の独立はロッキード事件以来危殆に瀕しており、その後遺症は日を追うごとに深くなりつつある。今や公然と、法治主義の諸原則が踏みにじられつつある。「法の番人」が上から法破りを押し進めるというケッタイナ世の中になりつつある。

 れんだいこは、小泉政権になって以来のここ5年間で、この腐敗現象が急速に攪拌されつつあることを踏まえ、その危険を指摘したい。上が悪い手本を示せば、下が必ず真似するようになる。今や、襟を正す基準が壊れているのでいかんともし難い。

 小泉のような稀代のレイプ履歴首相をのさばらせ続けることが如何に社会に取り返しのつかない損失を与えるのか、このことにつき真剣に考えてみるべきではなかろうか。

 人は、そういう腐敗のよってくるところを顧慮せずに、徒な取締り強化論に向おうとしているように見える。「ロンドン・テロ」を口実に一層の治安維持規制法を編み出したがっているが逆であろう。

 その前にサモアの自衛隊の一刻も早い撤退を為すべきであろう。自衛隊が、法案の建前はともかくも、米英ユ同盟の下働きに精勤している以上、レジスタンス派がこれをいつまでも見過ごすことはない。戦争局面では、前線も憎ければ後方も憎いというのは当たり前のことではなかろうか。そういう意味で、賢明な原因対処をせねばなるまい。

 残念ながら、我が政界は、郵政民営化法案にかかりっきりでてんやわんやである。焦眉の課題である財政健全化も自衛隊撤退も後回しにされている。そういう意味で、この国の政治は死んだサバの目状態になっている。まさしく相互に利権集団でしかなく、国として民族としてどうあるべきかの観点を喪失しているように見える。

 それはそうと、前置きが長すぎた。ここで述べたかったのは、好漢・鹿砦社(ろくさいしゃ、本社・兵庫県西宮市)社長・松岡利康氏に加えられた不当逮捕問題である。

 とかく物議を醸した岡留安則氏編集長の「噂の真相」が休刊になり、木村氏が「噂の深層」を、鹿砦社の松岡氏が「紙の爆弾」を創刊してその作風を引き継いでいる。木村氏は小泉首相の履歴問題を提訴する等で奮戦していることで知られている。

 他方、松岡氏の「紙の爆弾」はむしろ社会的な方面に関心を示し、パチスロ業界の腐敗、プロ野球の元球団職員の不審死等の記事を掲載してきた模様である。その松岡氏が引っ張られることになった。誰が指揮したのか、背景はまだはっきりしない。

 2005.7.2日、松岡社長は、「紙の爆弾」の記事内容を廻ってそれまで二度にわたって呼び出されていたが、神戸地検特別刑事部の手により名誉毀損容疑で逮捕された。記事を掲載しただけの出版社の責任者が、記事内容を廻って逮捕されるのは異例であろう。しかし、こういうことが現に起こっている。

 一体、編集出版人が、掲載した記事の責任を咎められて逮捕されるとなると身がもつまい。明らかに言論、出版、表現の自由に対する蹂躙であろう。この種のことは爾来、「責任ある言論の自由法理」により包摂されてきたところであろう。仮に言論に行き過ぎがあった場合、告発により法廷で審査され、場合によっては多額の損害賠償金を背負う。そういうことからして言論、編集出版人には自ずと自制が働いている。

 それが市場原理であろう。この原理を無視して司法権力がいきなり介入してくる時代になりつつある。それは、「法の番人側からの法破り」であり明らかな権力乱用ではなかろうか。断じて許し難い。そういう意味で、こたびの事件を指揮した責任者こそ訴追されねばなるまい。こういうところを曖昧にするとかってのオイコラ時代へ逆戻りしよう。

 嫌な時代になった。それというのもこれというのもレイプ履歴を持つ小泉首相のような手合いを国の機関のトップに据えているからこういうことになる、というのがれんだいこ見解である。小泉が首相になって以来、ビラ配りだけで、警官との押し問答だけでいきなり逮捕されるようになっている。いわゆる政治犯に対する縄掛けがアウトロー的に進みつつあるように見える。

 「鹿砦社社長逮捕事件」は、2005.7.19日(火)の午後1時から神戸地裁223号法廷で初公判が開かれ、「拘留理由開示請求」が為される。

 神戸地裁の場所は、神戸市中央区橘通2-2-1、電話番号等Tel:078-341-7521 Fax: 078-351-6691、経路・最寄駅など: JR神戸線神戸駅 北徒歩7分、 神戸高速鉄道 高速神戸駅 北徒歩5分、 市営地下鉄 大倉山駅 南徒歩5分、とある。

 松岡氏は、70年安保を闘った関西ブントであり、当然この種の不当逮捕と闘う決意を示している。次のように決意表明している。

 概要「これは不当逮捕です。憲法で保障された表現の自由への挑戦です。言論弾圧です。鹿砦社としては、断固戦います。今回、神戸地検特別刑事部による逮捕は、大きな力が背後に働いているような気がしてならない。前代未聞の名誉毀損罪を口実とした逮捕は、今後、大きな論議を惹き起こすことは必至だけでなく、これを突破口にして〈表現の自由〉〈言論・出版の自由〉が骨抜きにされないか、心配だ。身を捨ててこそ浮かばれる瀬もあるという言葉がある。身を捨てて浮かぶ瀬を待つしかない。浮かぶ瀬は必ずあると確信している」。
 
 松岡逮捕へのご意見、メッセージは、rokusai_sha@yahoo.co.jp、FAX 0798-43-1373 兵庫県西宮市甲子園七番町6番1号、サイト先は、鹿砦社HPhttp://www.rokusaisha.com/ 。

 最後にれんだいこからエールを送らせていただく。

 松岡さん、司法の特高化と闘うという逆攻勢で対峙してください。松岡さんのような事例での逮捕を許せば、れんだいこもやられる。覚悟は出来ておりますが、この事件はそういう時代の呼び水になる気がします。我々は、法の番人ともあろう者の法破りは断じて許してはならない。やられたらやり返さねば相手が癖になります。この倒錯現象と闘い、逆にお縄に掛けてやる、という覚悟でやって下さい。フレーフレーブント、フレーフレー松岡。

 2005.7.18日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その71 れんだいこ 2005/07/20 18:55
 【カラスはいつから白いことになったのか】

 小泉首相の「首相専権による衆院解散論」は本当だろうか。「売り言葉に買い言葉」で衆院解散受けて立つ論が横行するばかりで、法的な面を問題にしていないように思える。社民党の福島は弁護士だろうに何のコメントもない。

 れんだいこは、「カンテラ時評その68」、同「69」で疑問を述べたが、もう少し意見してみることにする。

 その前に経緯を確認しておく。2005.7.5日、郵政民営化関連法案の衆院本会議採決で、政権与党の自民党から51名が造反し、僅か5票差で可決という事態が発生した。参院での法案審議は7.11日から始まったが、衆院同様に造反組の決起が予想され大いに否決含みである。

 この局面で、小泉首相は、参院で法案が否決される事態になれば直ちに衆院を解散するとの「首相の解散権」を振りかざし、総選挙に自信の無い与党議員を恫喝し始めている。恫喝の仔細は割愛するが、これまた前例の無いレイプ手法である。

 小泉首相の「衆院解散は首相の専権事項論」をどう遇するのかが問われている。マスコミは「首相の解散権」を鵜呑みにしたまま、例によって興味本位の報道で後押ししている。野党各党も浮かれている。

 れんだいこが何もしゃしゃり出る必要はないのだけれども、誰も言わないから指摘せねばならない。小泉首相の云うが如きな「首相の絶対的専任権限による衆院解散」は、法的には有り得てはならないのではなかろうか。これを論証してみたい。

 気になって調べてみると、不思議なことにと云うべきか当たり前というべきか、憲法には「首相の解散権規定」はない。且つ戦後から今日まで21回の総選挙が行われてきたが、「衆院可決法案の参院否決による衆院解散事例」はない。つまり、こたびの小泉首相の恫喝は前例破りであることが判明する。そう、「首相の絶対的解散権」とは例のペテン論理ではないのか。

 「カンテラ時評その68、69」で指摘したように、首相には、69条による、内閣不信任案決議を受けての総辞職か衆院解散かの選択権はある。しかし、こたびはこれに該当しない。該当するのは、第59条2項の「衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる」である。但し、首相は、廃案にするのか衆院に戻すかの選択権があるということであり、解散権をうたってはいない。

 よって、参院否決を原因として衆院解散を為しえるとするのはオーバーランだろう。つまり、参院へ法案が送られた時点で早くも、首相が「参院で否決されたら衆院解散」なる恫喝を為すのは「勇み足」であり、あまりにもな国会及び議員レイプであろう。

 そういう訳で、小泉的首相専権による衆院解散論は、7条に依拠せざるを得ない。しかし、7条はどうみても「天皇の国事行為」を定めたものであり、首相の解散権を記したものではない。故に、7条でもって首相には衆院解散権が有るなどと主張することは、昔なら不敬罪に値しよう。

 れんだいこの見立てに拠れば、小泉は、靖国神社にせよ敬神ぶって参拝するが、彼が本当に英霊の声に耳を傾けているのかという疑わしい。己の都合で靖国も天皇もレイプしまくっている。平気でこれが出来るところに小泉のブラックユーモアがある。

 れんだいこは、気になって「戦後の衆院解散史」を整理してみた(toshi/syuinkaisanshi.htm)。

 それによると、衆院選挙は、1946(昭和21)年の第22回総選挙から2003(平成15)年の第43回総選挙まで21回行われている。そのうち内閣不信任案決議に基づく解散は4回である。その他の解散は、恐らく国会開会前ないし冒頭での7条解散なのではなかろうか。それもいわば与野党合意による解散である。抜き打ち、騙まし討ちの場合でも、第59条2項的争点を持たない状態での解散なのではなかろうか。

 つまり、国会が開会され審議に入ったら、衆院解散は69条によるしか方法が無い。第59条2項の場合には、衆院に差し戻し、そこで69条で解散ということになるのではなかろうか。

 というのも、衆院解散というのは本来、首相及び政権党が受けて立つものであって、首相の方から仕掛けるのは邪道ということなのだろう。仮に、首相に専権的解散権というのを認めたら結果が気に入るまで際限無く行われるようになり、おって独裁に近づく、それを怖れるべしとする議会制民主主義の弁えに拠っているのではなかろうか。

 つまり、第59条2項的争点のある場合の「首相の衆院解散権」などというものはない。ということは、第59条2項的争点のある場合、首相はあらかじめ衆院解散論を振りかざすことが出来ないということを意味する。それは当たり前で、政論が分かれる場合、審議を尽くさせる義務が有るからであろう。首相お気に入り結論しか出せない審議なぞあってたまるかよ。

 結論として云えることは、「首相による審議前からの参院否決なら衆院解散論振りかざし」なるものは正体が怪しいというこである。ならば、識者はそう主張すべきところ、そういう声が上がらない。仕方ないので、れんだいこが指摘している。ところが、ここへきてマスコミ各社も気になりだしたのだろう、学者の見解を持ち出して御用化を試みている。

 7.19日の読売新聞は、「郵政法案 参院否決で衆院解散できる? 過去に例無く賛否両論」記事を掲載している。その内容は、社としての見解ではなく任意な学説を持ち出してお茶を濁している。2002年の衆院憲法調査会小委員会での高橋和之東大教授見解「内閣の解散権行使について、内閣が必要と判断した時に行使できるとの理解が実務的且つ通説」なる見解を紹介している。

 この頃、残念ながら文面が分からないが、民主党の島聡衆院議員の質問趣意書が提出されたようである。これを受け、7.19日、政府は閣議で、「新たに民意を問うことの要否を考慮して、内閣がその政治的責任に於いて決すべきものと考えている」との答弁書を決め、首相及び内閣の専権事項論を確認した。

 これを受け、尾身幸次総務局副会長が、小泉首相に対し「参院否決で衆院解散の意思」を確認したところ、小泉首相は、「不信任と看做して解散させる」と述べ、改めて解散の意思の堅いことを披瀝した。「不信任と看做す」というオーバーラン解釈が閣議で確認されたということになる。

 7.20日の毎日新聞は、「参院否決での衆院解散 首相の権限どこまで 学会でも解釈分かれる」記事を掲載している。その内容は、こちらも社としての見解ではなく、任意な学説を持ち出してお茶を濁している。

 読売が東大なら毎日は京大という訳か、京都大学大学院法学研究科の土井真一教授見解「1、衆院で3分の2を確保するための解散。2、参院で重要法案を否決され、国民の意思を問うための解散については憲法上認められる」なる見解を紹介している。別論として、東洋大法学部の加藤秀治郎教授見解「解散権乱発の恐れ有り」を紹介している。

 以下、れんだいこが、追い伏せせ批判する。小泉の衆院解散首相専権論はレイプ犯特有の強引な恫喝論であり、ナイフが議会解散に代わっただけのことである。マスコミは、この問題を取り上げながら結局はおべんちゃらしている。なぜ、そういう記事しか書けないのか。東大だの京大だの法学者を持ち出せば、それが正しいというわけでは有るまい。

 れんだいこに云わせれば、上述のような論法は、カラスを白いと云う為の詭弁法学に過ぎない。それをまことしやかに磨いているだけのことであろう。確かビスマルクの名言「学者は調法なもので御用理論の生み出し名人である。理屈は後から貨車でやってくる」を地で行く論法ではないか。要するに、首相は何をやっても許されるを手を変え品を変え述べているに過ぎない。

 れんだいこが問題をもう一度整理しておく。今問われていることは、「衆院でギリギリで法案可決、参院審議開始」の時点で、首相及び内閣が、「参院で否決なら衆院解散」なる恫喝をすることができるのかどうかである。それは議会制民主主義の原理原則に対するあまりにも露骨な凌辱ではないのかということである。高橋教授よ、土井教授よ、これにつきステキな見解聞かせてくれや。

 次に、参院で否決された場合、法案を衆院に戻す訳でもなく、不信任決議案に依るのでもなく、首相権限でいきなり衆院解散できるのかどうかという問題である。これについては憲法で規定が無い。つまり出来ないと解するのを相当とする。

 但し、無いだけに諸論が生まれるのは良かろう。しかし、へんちくりんな見解でもってこれが通説というのはいただけない。正式には、これがおべんちゃら学説であるというべきだろう。

 さて長くなってきたので結論する。れんだいこが小泉政権の余命を推定するとこうなる。小泉玉は既に5手詰めに入っている。お前には総辞職の道しか残されていない。あがけばあがくほど見苦しいだけで、いよいよ愛想つかされるだろう。世間ではこれを往生際という。
 
 2005.7.20日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その72 れんだいこ 2005/07/22 21:03
 【公明党神崎ー冬芝体制の晩鐘に思う】

 2005.7.22日付け毎日新聞(古賀攻記者)は、「郵政法案:神崎武法・公明党代表に聞く」(http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20050723k0000m010006000c.html)に於ける神崎委員長見解を論評する。

 神埼委員長は、「私どもは解散には反対です。参院で否決されたからといって衆院を解散するのは筋違いではないかと」の見解を披瀝している。しかし続けて、「解散権は総理専属のものです。いくら私どもが反対しても、小泉(純一郎)総理の性格、郵政民営化法案にかける思いを考えますと、否決されたら100%解散に打って出るだろうと。その場合には受け入れざるを得ない」とも述べている。

 これによれば、神崎氏は、小泉首相の「参院否決、衆院解散論」を戦術的なものと捉え、論そのものを肯定していることになる。しかしそれはオカシイ。確か神崎はヤメ検だと聞いているが、おかしな法律感覚ではある。

 れんだいこは既に指摘しているが、民主党の島聡・衆院議員のそれも的確なので紹介する。島氏は、次のように述べている。

 概要「小泉流『参院否決、衆院解散』論でいけば、参院の方が衆院に優越していることになりはしないか。参院次第で衆院が解散できるのなら、衆院は参院の下部議院ということになろう。仮に衆院解散したとしても、参院はそのままなのだから、また否決されて、将棋でいう千日手になる。これでは何のために解散するか分からないではないか」。

 島氏は、レイプ犯履歴首相の国会レイプ手法を痛烈に捉えている。この御仁にあっては万事「朕が法律」であって、憲法にどう書かれていようが一向に意に介さない。それが堂々と罷り通るから不思議だ。れんだいこは、島氏のこたびの立論の功績は、次期民主党委員長の座に値すると考える。それを思えば、岡田委員長の「衆院解散受けて立つ論」は浮ついている。

 れんだいこは、自衛隊のイラクへの武装派兵も歴然たる憲法違反と考えているが、多少国際がらみのところがある。こたびは純然たる国内問題であり、どの職業にも必ず有る業法に関わる問題である。しかもそれが憲法違反ときている。こうなると見過ごすわけにはいかない。郵政民営化論の前にこれを問題にせねばなるまい。島氏はその期待に応えてくれた。

 それに比べて、神崎氏の弁はお粗末な限りである。「だから法案の成立に全力を挙げているし、ぎりぎりで成立するんじゃないかと見ているわけです」は頓珍漢間抜けな受け答えでしかなかろう。

 「公明党はパートナーとして郵政改革に協力する立場です」と云っているが、パートナーだから何でもかでもイエスマンすれば良いという理屈にはなるまい。公明党に期待されていたのは「生活与党」の立場で補佐する役割であった。しかし、実際にやったことは、「小泉の腰巾着」専門でしかなく、数々の暴挙を水先案内してきた。お陰で、今更「憲法を守り平和を目指す公明党」とは口が裂けても云えなくなってしまった。

 「自民党にいろんな意見があってもいいと思いますよ。しかし、最終的にお決めになった場合は守るのが当然じゃないかと」と云うが、これはどういう意味で云っているのだろう。

 小泉は、参院で決めたことが気に入らなかったら衆院解散するぞと脅している。辻褄が合わないではないか。参院で否決されたら、衆院に戻されるか継続審議か廃案かするのが憲法の道筋である。衆院解散というのはどこからも出て気やしないだろうが。

 「にもかかわらず実際は相当亀裂が入ってしまっている。法案そのものに反対というより、4年間続いてきた小泉さんの政治手法に対する感情的な反発が強いように思いますね。今まで抑えられてきたものが爆発しちゃった面がある」。

 (れんだいこボソボソ) これはこれでいい。

 「私たちは政治を安定させるために連立に加わったわけですけど、肝心の自民党が分裂状態になったんでは、政治の安定が実現できなくなっちゃう。これまでの経過は経過として、自民党の執行部には党内融和に全力で取り組んでいただきたいし、自民党の議員一人ひとりも大局観に立った行動をしていただきたい。そうじゃないと自民党自身が終わっちゃう」。

 (れんだいこボソボソ) これはこれでいいようなものの、既に泣き言か恨み節していることになろう。

 「自民党との選挙協力については、解散になった段階で判断します。今はことさら刺激するようなことは避けた方が賢明だろうと思います。小泉さんも成立すれば(造反問題は)もう水に流して、日本人的な方向で考えられるんではないですか」。

 (れんだいこボソボソ) 小泉は「日本人的な方向で考えられる」人ではないことが誰の眼にも明らかになっているのではないのか。「参院否決なら衆院解散、造反派には徹底的なみせしめ」恫喝している真っ最中だろうが。

 「仮に解散になっても小泉さんは『絶対勝てる。永田町の空気と国民の皆さんの空気は違う』と思ってるでしょうね。ただ、選挙は厳しい。自民党が野党に転落する危険性もあると見てます。いったん政権を失ったら、二度と自民党に(政権は)戻ってこないでしょう」。

 (れんだいこボソボソ) そう実にその通り。公明党も又心中するだろう。余りにも無定見に追随してきた責めをこれから受けることになろう。

 思えば、70年代の公明党は右か左かはっきりせず、その良さを踏まえた中道政党の道を歩んでいた。しかし、紆余曲折を経て与党入りしたまでは良いとしても、神崎ー冬芝体制は、小泉政権と一蓮托生し過ぎて今日までやってきた。この史実は消えまい。れんだいこは、それで良かったと思っている。このヌエ党の正体が誰の眼にも明らかにされた訳だから。神崎ー冬芝体制は早晩責任を問われることになろう。

 ということは、引き続き社民は当てにならず、日共は左派運動の火消しこそ使命としている手合いで有るからして、これらの流れとは別の共同戦線型の新左派運動こそが待ち望まれていることになる。これに乗り出してくる党派こそ歓呼で迎えねばなるまい。

 まずはその際の共同戦線規約を生み出しておかねばならぬな。思えば、戦前戦後ここに叡智を使わず、排除と分裂と罵詈能力ばかり磨いてきたわな。トップにおかしなのが座っているからこうなった面もある訳で、それなら放り出して、本来の協働性を発揮していくべきだろう。いろんな兆候からしてそういう旬になったかな。

 2005.7.22日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その73 れんだいこ 2005/07/26 11:29
 【小泉政権の政界媚薬考】

 郵政民営化法案がいよいよ大詰めを迎えつつある。論戦は低調であるが致し方ない面もある。郵政民営化とは、国家最後の大型隠し財源がハゲタカファンドの好餌にされようとしているという問題に尽きるが、これをまともに取り上げて議論するにはさすがにリスクが大き過ぎるのであろう。よって、奴隷の言葉で、特定郵便局の再編整理如何の議論で語らざるをえない。そう善意に解釈しないと腹立たしい。

 郵政民営化問題は今や、小泉政治の内実及び手法を廻る賛否へと集約されつつある。それは結構なことだ。遅かりしではあるが、この絶好機会に相互に旗幟鮮明にして闘わねばならない。どちらの船に乗るのかどちらも怖い。それが政治の醍醐味だろう。

 小泉は去る日の総裁選で、自民党をぶっ潰すを旗印にして勝利したが、その真意は、自民党ハト派(既にねじれハト派でしかないが)をぶっ潰すであったことがますます判明しつつある。それだけならまだしも、嬉々として日本をぶっ潰すまで暴走する御仁であるとしたら、これ以上我慢できようか。先ほどの造反派は、この危機感から立ち上がった義士である。よほど止むに止まれないものがあると知るべきだろう。

 れんだいこは、遠の昔に小泉政権を見切り愛想を尽かしているので、未だに小泉政権擁護で蠢く連中の魂胆に興味が移っている。連中は何ゆえ、これほどあからさまな売国政治をしている小泉政権に群がり続けるのか、これを問うている。

 2005.7.24日付「太田龍の時事寸評1380、小泉の異常性。その正体は何か。そしてその次、米国(イルミナティ)が準備中の新しい日本処分のアジェンダ(計画)は何か」(http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi)で、貴重な指摘が為されているので検証する。

 太田氏は、小泉政治の異常性を踏まえて、それは何に由来するか、それは何を意味するのか、究極のところ小泉とは何者なのかを問い、次のように答えている。小笠原孝次氏の「世界維新への進発」(昭和五十年)の観点概要「自民党政権は日本を占領し続けて居る米国資本主義の傀儡である」説を肯定し次のように述べている。

 概要「小泉は、歴代政治史上初の純粋なる米国の手先、代理人、要するに百%米国陣営内の人間であって、日本人性はゼロというところに特徴が有る。ここに、小泉の『新しさ』、その『異質性』が存在する。歴代首相の米国傀儡性割合は様々であったが、少なくとも日本人的なものがいくらかは残って居た。小泉に至って、遂に、米国(イルミナティ)は、百%イルミナティ化した理想的な日本政府首相を得た。ここに、小泉の異様さが由来する。ちなみに、敗戦後歴代日本政府首相のうち、米国の傀儡の度合が最小、日本人性の度合が最大であった人物は、石橋湛山、田中角栄の二人である」。

 太田氏は更に、米国(イルミナティ)の今後の対日アジェンダ(行動日程)が、「日本政府の事実上の廃止」つまり、日本を「国際機関」を通じて直接占領下に置き、イルミナティの直接任命する占領軍司令官と高等弁務官、植民地総督による日本支配システムの構築に向っていることを指摘している。

 してみれば、小泉政治とは、「イルミナティの対日アジェンダ」の水先案内人であり、中央突破主義でこれを画策しようとして居る凶暴士ということになる。その周りに媚薬士がたむろしているのだろう。れんだいこは、こたびの太田氏の時事評論には随所に見識が躍如としていると思う。

 そういう小泉政権であるが、これを支えんとして、自民党参院の青木と片山虎が権力の蜜に味をしめてか、醜悪な立ち回りをしている。れんだいこは、連中のような没イデオロギー性が嫌でたまらない。勝てば官軍論一本槍で「わが世の春」を謳歌して行く連中がいつの世でも流行るが、いずれ滅する命、後僅かの余力を反革命に費やす生ほど愚かなものはなかろうに。

 嫌のついでに、2005.5.25日付の毎日新聞の「闘論」での亀井派桜井新と森派山本一太の主張にコメントしてみる。

 桜井は、小泉の「参院否決、衆院解散論」が、二院議会制民主主義に対する根幹部分へのレイプであることを指摘し、「こんな違憲行為は絶対に禁止させないといけない」と述べている。これは正論であろう。

 こういう正論で党中央に楯突いて行けるのが自民党の良さだろうと思う。思えば、政治の流れを変えるのに野党がこれを成功させた例は稀有である。こたびも然りである。これは政治責任に対する感覚の差ではなかろうか。権力をとろうとせず万年野党の鶴亀連中は穀潰しのままその一生を終える。これもまた愚かなように思える。

 驚くことに、未だに野党から「参院否決、衆院解散論」の違憲性の指摘が生まれていない。日頃、憲法護れと云う者が憲法読んでいない、ろくな理解をしていないということになる。「衆院解散受けて立つ、千載一遇のチャンス論」ばかりが横行しているが、くだらない。

 他方、山本は、骨の髄からのおべんちゃらを身上としているようで、郵政民営化法案は小泉政権の重要な公約なので、これを押し進めることこそが政治責任とのたまっている。しかし、山本よ、小泉公約のうち一番強く押し出され、世間が支持したのはむしろ「国債枠30兆円」ではなかったか。その公約破りに対し小泉は何と述べたか。「この程度の公約が破られたからといってもたいした問題ではない」ではなかったか。

 ならば、お前が責任もって説明すべきは、「国債枠30兆円公約破りは是、郵政民営化法案公約破りは非」の理由付けではないのか。これに触れぬままの中央突破主義礼賛論は詭弁が過ぎようぞ。

 山本は、小泉の「参院否決、衆院解散論」も支持し、「首相は、衆院で3分の2以上の票決で法案を成立させるための解散権を持つ」なる珍論を述べ、御用学者が編み出した詭弁法学を請け売りしている。

 山本よ、これまでの国会史は一応は憲法の解散規定に従ってきた。こたび小泉はそれを踏まえず、参院審議入り前から「参院否決、衆院解散論」で恫喝している。お前はこれを決して異様でないことを説明せねばならない。

 この御仁は、小泉流の恫喝が好きらしい。末尾で、「造反派にはもう平穏な日常は戻ってこない」と述べている。彼には、彼をしてそう云わしめる後ろ盾があるのだろう。その後ろ盾が頼りになるものか、張り子の虎なのか、今後の政治闘争がそれを明らかにしていこうが、氏の弁舌はいつの世にも居る事大主義、機会主義者でしかないことを物語っている。

 2005.7.26日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その74 れんだいこ 2005/07/28 19:03
 【小泉内閣総辞職点灯、首相の衆院解散権考】

 国内政争が盛んになると反米帝闘争に目を向けさせ、反米帝闘争に目が行き始めると国内政争の任意の課題を取り上げる、そういう変調運動派が居る。宮顕系日共史はその山である。今、郵政民営化法案の去就が注目されている。この議論から目をそらさせる訳にはいかない。以上、前置き。

 小泉ご一統の「衆院解散恫喝行脚」は次第に歩行困難になりつつある。首相専権論を弄ぶ小泉の暴君政治ぶりが誰の眼にも浮き彫りになりつつある。郵政民営化法案に手前がそれほどまで執着するのなら、内閣総辞職を賭けて背水の陣で挑むのが筋ではないのか。御身安泰式衆院解散論は国政の私物化以外の何物でもなかろう。

 こったら刃物振りは伝統作法に則り押し込めねばなるまい。むしろ、参院良識派の皆がこぞって反対に廻って圧倒的大差で否決し、政権を野垂れ死にさせてやれば良い。当然衆院解散がなくなるのでみんな安心という訳である。その方がよほど国益に叶っていよう。

 れんだいこは、小泉というトンデモ御仁のお陰で、「首相権限」を論考するはめになった。結論から述べれば、憲法及び内閣法には妙なことにと云うべきか首相専権に関する規定は無い。案外このことが知られていない。そのようなものがあるとするならば、天皇の国事行為のように首相の専権行為が列挙されていなければならない。その規定が無いということはどういう意味か、推して知るべしであろう。

 我が憲法では、「首相権限」は、単独で振り回すことが出来ない仕組みになっている。他の諸々の規定の制限を受けており、つまりは該当各条の中に於いて認められているに過ぎない。それは、議会制民主主義の然らしめるところで、独裁政権出現を抑止する為の賢明なる謀計となっているのであろう。

 首相は、内閣つまり政権の長として位置している。その限りで、各省大臣の職務権限を束ねる指揮権限を持つ。但し、その指揮権限がどの程度の権力かについては過大に見るのか過少に見るのかで諸説に分かれている。

 首相の職務権限を廻っては、ロッキード事件で争われた。当時、全日空は旅客機を大量購入しようとしていた。これに対する田中首相の関与が疑われ、指揮権の経緯が問われた。真相は未だ藪の中であるが、当時のマスコミは、「首相権限万能論」を唱え、田中首相の関与が「あった」として批判を強めた。首相権限が考察されるのは、専らこの職務権限の方である。

 こたび問われようとしているのは解散権限である。れんだいこは、首相の解散権限につき包丁理論で理解している。解散権限は過大にも過少にも使うことが出来るが、その使われ方が問題であり常に合理的に使われねばならない。それは丁度、包丁が刃物になったり道具になったりするのと同様である。その使い方を一々規定するのは馬鹿げている。そういう訳で、権力者の運用能力に任されている。故に、間違っても刃物に使う者をその地位に就けてはいけない。

 こたびの小泉理論は、その稀有な例として立ち現われている点で深刻なのであるが、当人も廻りもあっけらかんである。小泉はんは今頻りに首相専権事項だと吹聴し、マスコミも請け売りし、学者も追従しているが実に馬鹿げている。

 一体、条文をどう読めば、首相専権的衆院解散権などが生まれるのだろう。首相の「伝家の宝刀」は認められているが、無制限自在になせるものではない。首相には国政上の最高責任が伴っており、故に「政治空白」を好んで作り出す術は禁じられていると解すべきだろう。

 首相の「伝家の宝刀」は任意に行使できるものではなく、正確には解散選択権とでも云うべき形で担保されている裏方的権限と解すべきであろう。どうしても止むを得ない場合に行使されるもので、その際には次の条件をクリヤーする必要が有る。

 1・何らかの政治的決着を経た後に於いて与野党合意、内閣合意の為された場合。
 2・解散が世論ムードに支持され、内閣合意の為された場合。
 3・内閣不信任案が提出されたり長期の審議拒否が続く等止むに止まれぬ場合。
 4・ある法案を廻って「衆院可決、参院否決」的係争事態の無い場合。

 れんだいこの見る限り、この4条件のどれかに該当する場合に初めて、首相は衆院解散に打って出ることが出来る。学問的には前二者を「7条解散」、3を「69条解散」と云う。これ以外には無い。4に関係させての「参院否決即衆院解散なる59条2項解散」というものはない。

 いずれにしても、衆院解散は、内閣総辞職を天秤に掛けた上での厳粛且つ高度な政治判断に基づくもので無ければならない。この取り決めは三権分立制及び議会制民主主義の観点から要請されていると思われる。このタガ嵌め抜きの「首相の天衣無縫的解散専権」なるものは存在しない。

 かく確認すべきではなかろうか。実際に、そういう事情からであろう「参院否決、衆院直ちに解散」なる事例は無い。我々は、こういう愚挙を許してはならない。これが常態化すれば議会は首相のイエスマン機関に成り下がり、ひいては無用となろう。

 こたび、参院で否決されたなら、ひとたびは衆院に戻されて、その過程で内閣不信任案もしくは信任案が提起されねばならない。この時、首相は、内閣総辞職か衆院解散のどちらかを選ぶことが出来るという権限が有る。目下、小泉の押し進めようとしているのは、「内閣総辞職判断を跳ね除けた衆院解散一本槍手法」である。それは違憲であり、憲法は首相にそのような特権は与えていない。

 ところが、世に識者はあまた居る筈なのにオツムが足りないのか御用性の為せる技か「首相権限万能論」にシフトしている。小泉の「参院否決なら衆院解散論」に何の疑義も呈さず、オウム報道を繰り返している。

 何と憲法護持派の社共も特段に問題していない。社共系憲法学者が居るだろうに特段の声が挙がっていないように思われるが、何してるんだろう。民主党は党利党略的に「欣喜雀躍して解散受けて立つ論」で対応している。公明党は「嫌々ながらその節は解散受けて立つ論」をつぶやいている。

 オカシイデハナイカと思っていたら、さすがに政権与党の見識は違う。こたびの自民党造反派は正確に「違憲性」を指摘している。つまり、憲法を良く知っているのはむしろ政権与党自民党ハト派(ねじれであろうとも)の方であり、他の連中は役に立たない。そういえば、自衛隊のイラク派兵違憲訴訟においても意気軒昂に登場したのは自民党ハト派の方である。この現象をどう理解すべきか。ここでは言及しないが、俗論では解析困難であろう。

 小泉はんの能力、資質は、木村愛二氏のレイプ訴訟で明らかにされようが、元々オツムがかなり粗雑で、少しでも込み入ったところになると思考がついていけない御仁ではなかろうか。慶応大学「入学二浪、留年三浪、不正卒業」経歴から窺うに、冗談ではなくそういう気がする。

 小泉は去る日、自衛隊の海外派兵の際の従来の仕切り線であった専守防衛区域を廻る遣り取りで、「神学論争不要」と一喝した。思うに、その真意は、彼は混み入った遣り取りになると分からない、故に説明できない、ひたすらブッシュの言いつけを守るのが護身術という作法を確立しているのではなかろうか。

 「神学論争不要」を別の言葉で云えば、「じゃかましい」になる。それはまさにレイプ論法である。マスコミはそれを問題にせずむしろスカッとした気分を伝えてヨイショしていた。これは恐らく御用性というよりも、オツムの程度がお似合いのなのだろう。この連中は、戦前も神州不滅を喧伝し大本営発表を繰り返した。

 結論。小泉の選択肢は内閣総辞職しかない。中央突破を強行せんとすればするほどますます首が絞まることになろう。それは汝には相応しい自滅の構図である。ここ暫くその様を見させてもらおう。

 2005.7.28日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その75 れんだいこ 2005/07/29 20:43
 【小泉首相は日本政治史上初の愉快犯首相ではないのか】

 れんだいこは、小泉首相をあれこれ検証しているうちに気づいた。最近関東の方で自動車パンクの愉快犯騒動が発生したが、小泉はんもまさしく愉快犯首相なのではなかろうか、史上初の。そう考えれば凡てが説明つく。

 れんだいこ始め諸賢が(というのは気恥ずかしいが、まさしくその通りなので仕方ない)頻りに指摘しているが、小泉首相の「参院否決直ちに衆院解散恫喝論」は憲法違反である。このことが次第に認知され始めている。

 2005.7.29日現在、朝日新聞と産経新聞がインターネットで報じている記事を参照すれば、次のような動きが為されていることが判明する。

 綿貫民輔・前衆院議長、渡部恒三前衆院副議長が、連れ立ってかどうかまでは分からないが、首相官邸で細田官房長官と会い、綿貫氏は、「参院での否決で衆院解散などということは過去にあったためしがないし、三権分立の立場からもとんでもないことだ」と申し入れている。渡部氏は、「国会審議中に政府側が解散について言うのは好ましくない」と、発言を慎むよう申し入れた。

 綿貫、渡部両氏はこの後、河野洋平、中野寛成衆院正副議長と国会内で会談し、衆院の権威を守る観点から何らかの対応を取るよう要請した。綿貫氏は河野氏に対し、「理由のない、八つ当たりとも言うべき解散で、万が一にもこのような解散が行われればわが国の憲政史上に重大な汚点を残す」と指摘。河野氏は「全くその通りだ。立法府で審議をしている最中にそういう発言はおかしい」と応じた。

 細田氏から内容を伝え聞いた首相は、官邸で記者団に「意見として承っておきます。(法案については)参院で成立するよう全力を尽くしていますから」と語った、とある。いつもの筋違い返答であるが、そもそも愉快犯と考えればこういう返答もご愛嬌なのだ。

 一体、日本政治はここ5年有余、小泉騒動に明け暮れたが、要するに小泉はんは愉快犯だったのではなかろうか。れんだいこはそれなりに分析してきたが、パンク愉快犯の弁舌を聞いて、言っていることとやっていることが小泉のそれと瓜二つであることに気づいた。そういう意味で、パンク愉快犯はパロディー名人なのかも知れない。

 ほとんどビョーキなのであるが、それにしてもこのサイコパスを大勢の者が阿諛追従してきたことよ。飯島は秘書という職務柄仕方ないにしても、猪瀬よ、田原よ、マスコミ各社の首級よ、政権亡者の魑魅魍魎達よ、遂にお前らが恥をかく時節が到来した。さぁどんな変わり身芸を見せてくれるかな。

 今こう書き付けながら、アンデルセンの「裸の王様」にもそっくりなストーリーであることに気づいた。あれもパロディーだからな。あの時も、王様は宮廷内に止めておけば良いものの、褒めそやす大勢の輩に囃し立てられ、遂に街頭まで繰り出す羽目になった。

 裸の街頭パレードの最中でも、行く先々で「実に素晴らしい、お見事、うっとりするわ、こんな素晴らしい衣装は今まで見たことが無い」などというお追従の波で埋まった。王様はますます満面喜悦有頂天であった。

 媚薬は、王様の着付けが見えない者は馬鹿間抜けという仕掛けにあった。人々は、己がそう見られたくないために口々に競うように提灯し続けた。しかし、媚薬効果が剥がれるとどうなったか。少年の一声でざわめきが始まり、王様はほうほうのていでお城に逃げ帰った。

 物語はこれ以降に就いては詳しく書いていないのでその後の王様の動向が分からない。子供向けの童話本ではケシカランことに本ごとに違う幾つもの筋書きに書き換えられている。れんだいこも実際のストーリーを知らない。

 それはともかく、「参院否決なら直ちに衆院解散」なる小泉恫喝が憲法違反と判明しても、小泉政権は何の咎めもなしに任期を全うし得るのか。我が政界はそれほどやさしくもてなすのだろうか。

 ならば、この愉快犯政治がまだまだ続くことになる。これが芝居なら、見たい者は見ればよいで済ませられるのだが、あいにくそうはいかない。このチャンネルは一つしかないので、見るのか切るのか劇を終りにさせるのかの相対立するどちらかを選択する以外に無い。

 れんだいこの結論は云うまでも無い。小泉構造改革は凡て詐術である。何一つ我々のためになったものはない。ブッシュはんに天文学的な貢(みつぎ)をし続けているので、アメリカ筋から覚えが目出度くなるのは当たり前だろう。もっとも最近は、そのブッシュ軍曹まで愛想を尽かし、小泉伍長を見捨てつつあるやに見受けられる。

 更にお供えします、郵政民営化は必ずやり遂げますから私を見捨てないでと哀訴してはいるが、悪い夢を見させられた公明党の冬芝までもが右顧左眄し始めている。そういう訳で、リンダ調で云えば、もうどうにも止まらない。

 それはそれとして、パンク愉快犯の口舌を正確に知りたくなったので、どなたか、こういう風な言い回しでしたと教えてくれないか。最近、こういう手合いが多い気がする。変な犯罪が増えつつあり、それらを分析するためにも必要と思っているんだ。この意図は愉快犯ではないのだ。

 れんだいこは、小泉はんを今までレイプ犯首相とばかり考えてきたが、むしろ愉快犯首相なのではあるまいか。よって以降は、この観点に切り替える。次に何をやってくれるかな。

 2005.7.29日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その76 れんだいこ 2005/07/30 21:41
 【日共のまたぞろ反動的役割考】

 2005.7.25日、日共の市田忠義・書記局長は、毎日新聞のインタビュー「共産党:次期衆院選での新方針波紋 小選挙区の候補擁立見送り、与党に警戒感漂う」(http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20050727ddm005010022000c.html)で次のように語っている。れんだいこは、この党中央に対する期待は微塵も無いので極力無視し始めているのであるが、看過できない内容になっているので取り上げる。

 日共は、次期衆院選で、従来式の全選挙区立候補を取りやめ、候補の絞り込みに入るとのことである。留意すべきは、この方針が、自民対民主の政権抗争に民主支援戦略として打ち出された訳ではないということである。公明党は自民支援戦略からの選挙協力を公言し、実際に強力な支援部隊となっている。ならば、日共が民主につくのかというとそういうものではない。

 日共は、これまで公明党を不倶戴天の敵として競ってきた。公明党は次第に力をつけ今や政府与党にまで入り込むようになった。同党の選挙政策は露骨なまでの政権入り持続に向けての党利党略で貫かれている。これに対して、日共の選挙政策は、明らかに自民党を有利にせしめているのにその戦略を改めることが無かった。その為、回天運動を推し進める側から不評を買ってきた。

 こたびの日共の方針転換は、この要請に応えて生み出されたものではない。れんだいこは、宮顕ー不破系日共党中央の変調さを機会あるごとに指摘してきたが、れんだいこの指摘に耳を貸す者が少ない。れんだいこ観点に従えば、こたびの政策転換もかなりイカガワシイ。その理由を述べて見る。

 日共党中央の政策転換は、第一に、日共内の人材不足と財政難からもたらされたものである。第二に、選挙のたびに後退しつつありこの傾向が今後も続くことを踏まえて、党中央が指導責任を回避する為打ち出されたいつもの卑怯姑息な遣り口でしかない。

 第三に、目下小泉政権が、参院が郵政民営化法案を否決するなら直ちに衆院を解散すると恫喝している折柄、そのタイミングに合わせての日共党中央の政策転換表明が強調して出されて、それは小泉恫喝を裏から支援する役割を果たしている。

 もし総選挙になり、日共票が民主党へ流れたと仮定すると、仮に前回選挙の結果をもとに東京に25ある小選挙区でのシミュレーションでは、民主23議席、自民はわずか2議席となる(実際は自民12、民主12、公明1)。

 この脅威が、郵政民営化法案を廻って態度を留保している与党議員を揺さぶる可能性が強い。れんだいこは、そういう狙いを持って発表された日共党中央の政策転換声明であると見る。もつとも、もう流れは変えられないだろうが。

 市田忠義・書記局長は、「民主が得するとか自民党はどうかということは考えていない。関係も関心もない。自民党政権でも民主党政権でも何の変わりもない。民主党と選挙協力は100%あり得ないし、連立を組む可能性もない」と述べている。

 れんだいこは、これは本音であると見る。してみれば、こたびの日共党中央の政策転換は内部事情からもたらされたものであり、戦略的なものではないということになる。しかし、それはそれで問題である。

 日共の民主党の位置づけは意図的に曖昧にしているが、一朝有事の際には、過去の細川政権の例を見よ、それを極右政権とみなしてあらんかぎりの罵倒で迫り、自民党と組んでも政権打倒する理論を生み出していた経緯がある。

 これを踏まえれば、日共の反民主党戦略は真性のものであると推定できる。誰が裏で糸を引いているのか、それが問題だ。その割には院内共闘するので、日共のこの本音がなかなか見えてこない。

 れんだいこは、市田の概要「自民対民主抗争には何の関心も無い」観点は頗(すこぶ)る問題があると考える。むしろ、公明党が旗幟鮮明に自民党支援に廻っている態度こそ、自民党支援の良し悪しは別として政党としての責務を果たしていると考える。なぜなら、政局の主要な対立抗争に付き、どの政党も必ず自党に有利になるよう図るのが党的責任であると考えるから。

 積極的に後押しするか消極的なものに止まるかべきかは局面に拠ろうが相手に拠ろうが、自党の展望に有利な局面を生み出すために近づいたり離れたりしながら、権力政争に関心を払うべきであろう。

 その意味で、市田の「何の関心も無い」は大いに問題で、むしろ現権力派の自民党に利する態度表明でしかない。実は、日共の問題性はここにある。そう考えるのがれんだいこ史観である。他の者はここが分からないし分かろうとしない。口先ではなく歴史を検証すればそういう姿が見えてくる。

 市田は、従来式の全小選挙区立候補制につき、「比例(代表の得票)のためには当落を度外視して、党を躍進させるため全部(の選挙区で)候補を立てた方がいいという発想があった。しかし、そういうことでは逆に有権者からひんしゅくを買う場合がある」と述べている。

 これはある意味で本音を吐露しているが、例の詐術論法でもある。日共の従来の遣り方が「有権者からひんしゅくを買っている」のは事実である。しかし、その理由は、自民に利する作用しか果たしていない全小選挙区立候補制へのひんしゅくであり、全小選挙区立候補制そのものから来ているのではなかろう。当選させる意志も無いのに政局転換の足を引っ張るその戦略が嫌悪されているのだろうに。

 日共の細川政権論からすれば、その流れを汲む民主党と選挙協力して自民党を倒す戦略は生まれない。むしろ、民主党より自民党の方にシンパシーを寄せている気配がある。彼らは口先では自民、民主両党を批判して唯我独尊するので、本音を云わないが、やっていることの結果を見れば明らかに現政府与党の自公体制を裏支えしている。

 現下政局の混迷は実にここにある。自民党を核として公明党が表から支え日共が裏から支えているので、社民も村山政権以来取り込まれているので、つまりよってたかって現体制を保全しているので、自民党の長期安定政権が作り出されている。これを打倒するのに民主党が単騎で挑んでいる格好になっている。それでも次第に民主党政権渇望の勢いが生まれ始めている。

 れんだいこは、民主党が右派、左派、中間派、タカ派、ハト派、日和見派、シオニズム篭絡派、民族派の混成部隊で、骨格が定まっていない政党であることは見据えている。しかし、日本政治の質を高めるためには、民主党政権を誕生させ、それを左から支えていく方が当面の戦略としては有効と心得ている。そういう意味で、民主党の伸長ぶりを追跡している。

 左派運動は本来こういう観点を保持すべきである。それが嫌なら、単独でも共同戦線でも自前のうねりを創り出せば良い。それもせずに、自民対民主の政権抗争に背を向けて左派気取りしている人士を信用しない。「共産主義者の宣言」にはちゃんとそういう関心を払うべきだとコメントされている。今日日の左派サヨは、「共産主義者の宣言」を読まずに己の甲羅に合わせただけの持論で気取るから何の役にも立たない。

 この連中が、インテリの場合は、マルクス主義を難しくさせて我々を遠ざけさせ、非インテリの場合は、マルクス主義とシオニズム国際主義の違いも分からぬまま吹聴して廻るので次第に生気を失わせてしまっている。今や、冤罪摘発に向うより縄掛けの方を得手とする変調運動に染まっている。これも理由が有るのだがここでは問わない。

 この混迷から抜け出せ、自縛を解きほぐせ、それが我々の課題であろう。

 2005.7.30日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その77 れんだいこ 2005/08/10 13:15
 【解散で浮かれる場合ではない】

 郵政民営化法案は、小泉政権の恫喝と懐柔策にも関わらず参院で否決された。この間の執行部の根回しは却って反発を招き、予想を上回る造反派の出現となった。こたびは30名の義士が「良識の参院」を証した。

 これに対し、小泉首相はどう対応したか。自身をガリレオに例え、「それでも国民は支持している」と呟き、衆院解散という暴挙に打って出た。実際には閣僚4名が反対し、島村農相は最後まで説得に耳を貸さず辞表を提出した。

 これに対し、小泉首相はどう対応したか。島村農相を罷免し、首相自身が農相を兼務して解散詔書に花押した。憲法7条に基づいて衆院を解散し、8月30日公示、9月11日投票の日程で総選挙に踏み切ることを閣議決定した。同夜の衆院本会議で解散詔書が読み上げられた。

 れんだいこはこれまで度々指摘しているが、この御仁は狂っている。自身をガリレオに例えて愉快犯しているが、ガリレオには迷惑な話だろう。ガリレオはその見解を権力により掣肘されたのであり、権力派がガリレオの呟きを真似るなどという事は有り得ない。それをいとも容易く引き合いに出し放言できるのは愉快犯ならではのことである。

 れんだいこは既に度々指摘しているが、稀代のサイコパス首相の国政私物化を如何にすべきか。「衆院可決、参院否決、衆院解散」なる違憲愚行を許してはならない。8.30日の公示日までまだ間が有る。造反派の比例区選出議員は根無し草になり憤懣遣り方ない。ならば地位保全訴訟に打って出ればよい。こたびの違憲解散はかなりな後遺症を生むことが必死で、日本国政史上混乱を生むばかりとなろう。

 どうしても解散したいなら、衆院での内閣不信任案決議を求めなければならない。こたび、民主党が提出したにも関わらず、その採決をせぬまま解散詔書が読み上げられ、これが受け入れられている。これは決定的なミスである。せっかく用意されたにも拘わらず敢えて無視した小泉政治の手法の責が問われるべきである。

 国会議員諸士の見識も疑われる。なぜ動議を出さなかったのか。マスコミも何の疑問も為さず早々と選挙情報にうつつを抜かし始めている。あまりにも馬鹿げている。もう一度国会を開きやり直すべきである。今更それが出来ないというのなら、小泉政権は不見識を詫びて内閣総辞職すべきである。

 袋の小ネズミ派はもはやぶりが止まらず崖っぷちへ突っ走っている。漫画の世界なら構わないが、れんだいこの眼には国費の無駄遣いとお騒がせでしかない。小ネズミは「改めて国民の信を問う」と云うが、議会政治の比例代表制の意味が分かっていない。議員は国民の代表として選ばれており、その議員の採決が気に入らないからといって衆院解散するなどはナンセンス矛盾の極みである。

 どうしても通したいのなら、法案を次期国会に再度提出すればよいだけのことである。その段取りを踏まず敢えて衆院解散を為す背景には、「国際公約」なるものが存在するからであろう。どうやら小ネズミは郵政財源350兆円の外資預託を請け負っており、れんだいこは、暴挙を積み重ねても公約実現せねばならない立場に有ると見る。

 取り巻き連中には数百億円単位の成功報酬が約束されているのではないかと見る。小ネズミはいつでもすねのキズを暴かれる立場に有り、言いつけ通りにしないと鉄槌が下される立場に有ると見る。

 今我々が為すべきは小泉政権の暴挙を許さず、これ以上の国政の混乱を許さないとして退陣に追い込むべきである。森は、派閥の長として身を挺すべきである。とかく噂されている小泉の履歴疑惑を詮議すべきである。マスコミは封殺しているが、不作為犯罪であろう。見よ、小ネズミの造反派に対するいたぶりを。まさにレイプそのものではないか。あまりにもエゲツナイ。聞け、その論法はまさにサディストの鞭そのものではないか。

 それにしても、護憲政党を自負してきた社共のお粗末さよ。小ネズミの衆院解散の違憲性を直ちに問うのが護憲政党の所以だろうに見過ごしている。興味深いことに、8.9日付読売新聞14版に、東京10区に出馬予定の山本敏江の見解として「党の決定に反対する党員が居る自民党には政権を任せられない。この選挙で国民に信を問いたい」なる記事が出ている。何と、この御仁は、「党中央集中制」を自賛し、この間の自民党の造反議員の行動を批判している。これは小ネズミの論法そのものである。

 結論。こたびの違憲解散は許してはならない。前代未聞であるがこたびの解散を失効させ、小泉政権総辞職を引き出さねばならない。目出度し目出度しでみんな丸く収まるし、余計な税金使わなくて済む。造反派の比例区選出議員は、地位保全訴訟に打って出るべし。今からでも遅くない、国会議員が束になって解散無効訴訟を打て。前代未聞には前代未聞で立ちふさがれ。

 2005.8.10日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その78 れんだいこ 2005/08/11 12:55
 【現代政治のイロハ知識】

 太田龍・氏の時事寸評2005.8.10日付「『国賊売国奴小泉』は、イルミナティサタニスト世界権力の日本民族抹殺作戦の兵隊、としてあることを見抜け」(http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi)が貴重な指摘をしている。しかし、氏はどういう訳か著作権をうるさく主張するので、れんだいこ風に意訳紹介する。  

 概要「郵政民営化は、米国(イルミナティサタニスト世界権力)の対日要求事項である。米国(イルミナティ世界権力)は、300兆円の郵便貯金、簡易保険という日本国民の金融資金を強奪しようとしている。これを遮二無二推進しようとする小泉首相は国賊である。小泉の日本改革は、米国(イルミナティサタニスト世界権力)が多年に亘って要求し続けて居る日本略奪、破壊、解体、壊滅、民族皆殺し作戦を二つ返事で実施すること以外の何者でもない。国賊小泉は、完全に米国(イルミナティ)の陣営にあって、日本そのものをたたき潰すその軍隊の一員である。日本のマスコミは、この明々白々たる事実を日本国民に対して完全に、隠蔽し続けて居る。このように事態を認識しなければならない」。

 れんだいこは、太田龍・氏の上述観点に同意する。誠に現代史は、イルミナティ世界権力の策謀を読み取らなければ解けない。今や世界の何処の国でも、この最強権力にひれ伏し、逸早く身を投じることによりネイティブ権力を得、各国で代官として振舞う輩を見て取ることが出来る。

 小泉の異常性は、自身のそういう在り様を嬉嬉として遣りぬくことに有る。忸怩たるものがなく、マスコミはそこを褒めそやし続けている。よほどいい相性しているとしか思えない。この不義を如何せんか、この問題は日本人民大衆の筆頭政治課題として突きつけられている。れんだいこはそう理解している。

 この間の衆参両院に輩出した与党内造反派は、日本の最後の良心足りえる。権力を求めるにせよ、少なくとも国土民族の利益に反しないという公理の中での権力運動という弁えに従っており、小泉ご一統派の売国政治とは相容れない。分かり易く云えば、立身出世のためなら国を売ってでも意に介さない勢力と、それは無いだろうと分別する側との闘いである。

 マスコミは、小泉首相の愉快犯的言説がよほどお気に召しているらしい。その底流に流れているレイプ政治手法にも拍手している。小泉首相側が仕掛ける造反派に対する公認踏み絵、刺客騒動を面白おかしく伝え、桃太郎の鬼退治の如くに報道し続けている。この見識貧困を如何にせんか。

 れんだいこが思うに、我々は、政治評論家を含め、誰がどのような言説しているかをきっちりノートしておく必要が有る。そういう意味で、新聞は社説はむろんのこと記事執筆者名を極力明らかにさせねばならない。匿名を良いことに提灯記事を書き過ぎていよう。そのレベルは、世界からお笑いものである。

 れんだいこは、郵政民営化法案の参院での否決を予見した。次に予見したのは、衆院解散阻止、小泉内閣総辞職であったが、これは今のところ外れている。しかし、れんだいこに責があるのではない、政治の貧困故にそうなっているだけで、今月末までの小泉政権打倒は引き続き有効である。何としてでも引き摺り下ろさねばならない。それが、日本人民大衆運動の能力にかかっている責務である。

 しかしながら、政権打倒の人民大衆闘争が余りにも組織されていないことに気づかされる。社共は逸早く選挙戦に突入し、街頭宣伝に努め始めている。特に日共戦略を見よ、参院での法案採決前は全選挙区立候補を見送るという気球を挙げることにより造反派の動きを牽制せんとした。

 しかし見事に裏切られるや、今度は造反派選挙区での意図的集中的立候補に向いつつある。こうしていつでも裏から自公政権を補完している。我々は、連中の口先での対立手法に誤魔化されず、云っていることとやっていることとの違いを見て取り、連中の正体を見破ることが肝心である。

 願うらくは、真の左派運動党派が公然登場せんことを。この党派は、政局流動化を押し進めることに力を貸さねばならない。今現在の実践的には、造反派にエールを贈り、自民対民主対決では候補に問題なければ民主を支援し、社民が勝てそうなところでは社民を支援し、独自候補を立てたところでは政策を争い、日共下部党員の良識派を獲得し反党中央の動きを促進させねばならない。

 どこの世界に50有余年に亘る同一系執行部が許される世界があろうか。ましてや選挙のたびにジリ貧しつつあるのに責任を取らない執行部を許容するなどとは。これは明らかに日本左派運動の不作現象である。このウソ偽りから解放せねばならない。

 そういう意味で、真の左派運動党派が公然登場せんことを。地方選で蓄えた経験を国政選挙に生かさねばならない。地方選といえども堂々と国政課題で闘わねばならない。日本左派運動が陥っている蒙を啓かしめねばならない。

 れんだいこは余生いくばくかをこの闘いに費やすことを決意している。命は少しも惜しくない。客観情勢が味方することを念じている。有為の同志を糾合し、世の草莽と絆を結ばねばならないと思っている。云うばかりでは空しく快刀乱麻の闘いに挑みたいと思っている。そうしないと日本は変わらないから。

 考えても見よう。古来より豊葦原の瑞穂の国と云われるこの国ほど住みやすいところは無い。政治が一統一派の為にではなく人民大衆の為に奉仕するなら、日本は容易に世界の憧れの国足りえるであろう。その日本が何ゆえ窮乏せしめられねばならないのか。世界最多の自殺国として記録を更新し続けねばならないのか。政治がせんでも良いこと方面ばかりに熱中しているからではないのか。

 幸いなことに、戦後憲法は戦後の時代の質をよく読みとっており、内治優先、国債発行禁止、中小零細企業育成、諸外国との協和、友好親善を指針させている。戦後の政府与党保守本流派は曲がりなりにもこの基本線で政策を推進してきた故に50年代の奇跡の復興と60、70年代の経済成長をもたらした。今や環境保全の時代であるから新しい成長の在り方を問うというのが80年代の政策となるべきだった。

 それを大国的国際責任論で台無しにしていったのがその後のタカ派政治である。これがロッキード事件の政治的役割であった。これにより内治型の角栄ー大平の善政時代が壊された。その意味で、これを推進した三木ー中曽根の罪は思い。

 小泉政権に至ってその罪は加速度的に倍加している。自民党をぶっ潰すならまだしも日本をぶっ潰す政策に興じ続けている。それを褒めそやすマスコミが居る。この倒錯を如何にせんか、それが今問われている。

 2005.8.11日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その79 れんだいこ 2005/08/13 15:33
 【造反派エライやっちゃ連の講を結ぼう】

 2005.8.13日、郵政民営化反対派のリーダーで元衆院議長の綿貫民輔氏(78)は、地元の富山県高岡市で後援会の役員会に出席し次のように述べた。

 「自民党と戦うつもりはない。自民党はハイジャックされている。早く(ハイジャック 犯を)追い出し日本を背負う自民党にしたい」。
 「(衆院解散に踏み切った小泉純一郎首相)政治の手法が間違っている。衆議院、参議 院を家来だと思っている悪い織田信長で、延暦寺を焼き打ちしたかのよう。改革、改革 と近代的なことを言いながら刺客を送る脅迫まがいの選挙だ」
 「無所属での出馬かもしれないが、どうやって戦うかはお任せください」。

 れんだいこは、綿貫氏の上述見解を支持する。但し、次のように補足訂正したい。小泉首相を「ハイジャック犯」と見据え、その追い出しを責務とすると述べているがまま正しい。より正確には、「お騒がせ愉快犯」にして、現代世界最強権力の「虎の威を借る狐」であろう。且つ稀代の「首絞め癖サイコパス首相」であろう。

 今、小ネズミのやっている悪行を見よ。新橋芸者小はんを絞殺した同じ手口で造反派議員の首絞めに手を染めている。絞まれば絞まるほど恍惚氏つつ更に締め上げる異常性格を満展開している。恐らく、公示日前頃にはその狂態の異常さがより際立ち、それと共に日本人民大衆の多くが「そこまでやるか」とあきれ返り始めるだろう。

 綿貫氏の「悪い織田信長論」は不正確だ。小ネズミは自らを織田信長やガリレオに例えて愉快犯しているが何の織田信長であろうか。信長の楽市楽座制は日本の近代的統一に資した合理主義的政策であり、米英ユ同盟への身売りを策したものではない。むしろ、宣教師との問答を見よ。信長は、異教の教えに和して同ぜず、むしろ独自の世界観で思想問答し得た稀有な逸材である。小ネズミが自らを織田信長になぞらえるなどとは臍でお茶を沸かす類の不快な話でしかない。ガリレオの例も同じく不快な愉快犯言説であろう。

 「刺客を送る脅迫まがいの選挙論」もまだパンチが足りない。今こそ木村愛二氏の「小泉首相の資質人格訴訟」を取り上げ、氏が疑惑している小泉履歴を検証せねばならない。この問題に関するマスコミの封殺は不作為犯に値しよう。

 それによれば、小ネズミはレイプ魔であり家庭内暴力常習犯であり首絞め性交癖殺人犯である。その手口が遺憾なく発揮されているのが小泉政治であり、次第にエスカレート暴走しつつある。今我々は、この相関関係を問わなければなるまい。

 「どうやって戦うかはお任せください」とあるが、丁度折も折今、徳島では阿波踊りの最中である。「踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損ソン」との唄声囃しで掛け合いしている頃だろう。

 れんだいこは、造反派を「エライやっちゃ」と見立て、これにエールする全国勝手連を組織したい。造反派の義挙に立ち向かう一切の与野党勢力の不義を撃ちたい。このフィルターを通せば、政治の真相が見えてこよう。

 民主岡田の対応も変調だ。日共志位の対応は論外だ。社民の土井が何のカンバセ有りてかまたぞろしゃしゃり出ようとしている。れんだいこはこれら一切の反動を認めない。造反派を支援し、造反派こそ明日の日本を築く有能士と認め、彼らと丁々発止の問答で政治を遂行していく日本を創りたいと思う。この観点に立てない自称左派弁論士は、汝の不明を恥じねばならない。

 いずれにせよ、我々は、ネオシオニズムご一統により被せられようとしている罠から抜け出さねばならない。手始めに小ネズミご一統を放逐し、彼らお気に入りの本国へ強制送還せねばならない。仕掛けられているシナリオ壊しこそ喫急課題と思う。日本人民大衆は、「エライやっちゃエライやっちゃ」の掛け声で、小ネズミ愉快犯を打ち倒す愉快な術を心得ていると信ずる。

 2005.8.13日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その80 れんだいこ 2005/08/15 01:13
 【小泉帝政という今年夏のオカルト現象考】

 今や小泉首相は帝政化への構造改革に遮二無二突っ走っている。しかしなぁ、この21世紀初頭に左様なアナクロニズムを敷こうとする感性は愉快犯の行為でしかない。これを支持する自称インテリ連中が居るとはあぁ氷嚢が氷嚢が。

 小ネズミ迎合で造反派討伐を面白おかしく報じている第四権力マスコミの愚昧さがおぞましい。病膏肓、骨の髄までの御用精神を見せており、これではジャーナル精神は育つべくもないか。テレビキャスターも評論家もアホ丸出しのおべんちゃらしてらぁ。

 正体見たりというところか。れんだいこは暇が無いのでノートしていないが、どなたか誰がどういう発言しているのかチェックしてくれないか。後日、歴史法廷で人民裁判してやらないと気がすまないから。

 市井レベルでは「されて嫌なことはしないこと」、政争レベルでは「いくら権力を握っても、やって良い事といけないことを弁えること」が公理である。皆、一応はこの基準を踏まえてきた。小ネズミ愉快犯は、そのどちらも蹂躙することに無常の喜びを感ずるのだろう、後先考えずにしたい放題のアドレナリン分泌してらぁ。

 しかし、それはレイプ癖サイコパス故の特有の仕業ではないのか。明らかなこのことに目をつぶり、公認貰って刺客気取りしている汝よ、誰それよ、僅か9.11日までのはしゃぎに過ぎぬのに鳴いてみようとは、愚かというも哀れなり。

 2005.8.14日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その81 れんだいこ 2005/08/15 18:45
 【ロッキード事件と造反派潰しの相似性について】

 今れんだいこは、「ロッキード事件と造反派潰しの相似性」にアンテナが作動し始めている。ロッキード事件の喧騒を通じて日本史上稀有な逸材・田中角栄が葬られた。彼の頭脳を生かしていたら、その後の日本は随分違っていたものになっていた筈であるが、今日かくある惨状である。

 遂に露骨なまでに売国奴まみれの政界図を産み出すに至った。彼ら国際金融資本エージェントが、日本人をして日本人と闘わせしめる戦略に従い、言いなりにならない勢力退治に乗り出しつつある。これが自民党をぶっ潰すの真の意味であったことになる。

 してみれば、こたび出現した造反派は、戦後日本政治史上最後の民族派政治家群のように見える。その造反派がよってたかってぼこぼこにされようとしている。結果どうなるかは別にして、刺客構造がロッキード事件の時のそれと瓜二つである。

 あの時も、米英ユ同盟が裏で糸を操った。時の首相は三木で、これが典型的なお調子乗りで、ワシントンの意向通りにその権勢を借りて角栄潰しに越権采配を振るった。マスコミは、クリーン三木と持ち上げ、角栄潰しを政治改革の関門としてそれに立ち向かう三木を後押しした。かくて列島中が魔女狩りに酔いしれた。

 如何にも安上がり薄っぺらな正義であったが、連中のオツムには理解し易かったのだろう。その系譜がその後どんどん登用されていったものだから、今日又同じ轍(わだち)を踏もうとしているのもうなづける。

 今、小泉は、このマスコミの威力をとことん利用している。得体の知れない世論調査をこれでもかとばかりに何度も発表させ、世論誘導している気配がある。何しろ女と老人がターゲットと云うのだから、繰り返し擦り込みすればよいと思っているのだろう。

 こたびの衆院解散の違憲性を問う項目はなく、解散に踏み切った小泉専権を支持するかどうかにすりかえて、支持率上昇をプロパガンダし続けている。マスコミよ、その調査が如何に杜撰なものか確かめたいから、仕掛けを明らかにせよ。テレビ視聴率調査でも問題になったところなので、評価に耐えるものかどうか公開せよ。

 それにしても、アドレナリン分泌男はし過ぎて枯れるということはないのだろうか。れんだいこは、そっちの方に興味が移っている。このお騒がせ愉快犯は、やることの破天荒さで受けている。しかし、レイプ首絞め式専売のワンパターンでしかない。やられる側はたまらない。造反派の怨念は今後尋常でなくくすぶり続けると見る。刺客は徹底的に干されることになるだろう。

 選挙日9・11というのも愉快犯ならではの思いつきである。まことに小ネズミはやること為すこと尋常でない。

 その小ネズミ戦略を支持する政界勢力が確定しつつある。1・自民党内法案賛成派、2・公明党は云わずもがなとして、3・造反派と提携しないと宣言する民主岡田派、4・造反派選挙区にオール立候補させ潰しに向かう日共志位派、5・造反派支援に向かわないその他諸党派。つまり、造反派包囲戦略が敷かれている。

 日本人民大衆は、これらの包囲網を打ち破らねばならないという歴史的責務を担っている。面従腹背・造反有理芸の見せ所を迎えている。愉快犯のロレツを遂に回らせなくさせるというユーモアを生み出そう。2005夏のオカルトに立ち向かえ。

 2005.8.15日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その82 れんだいこ 2005/08/16 15:27
 【終戦記念日の首相談話の二枚舌について】

 2005.8.15日、60回目の終戦記念日にあたるこの日、小泉首相は、次のような首相談話を発表した。これにコメント付ける。

 (小泉首相談話)

 私は、終戦60年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。先の大戦では、300万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。

 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。

 戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。

 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります。

 我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の7割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。

 また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。

 国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後60年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。

 戦後60年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。

 (以上)

 前段はハト派の観点丸出しである。タカ派の小泉が臆面もなく「かつての植民地支配と侵略」史観を平気で開陳するところに典型的な二枚舌を見て取ることが出来る。

 この観点に拠れば、イラクへの自衛隊派兵はできない。ほかにいくらでも遣りようがあろうから。その戦後国是をどういう論法で破ったかというと、末尾辺りの「国際社会の責任ある一員としての役割論」に拠る。

 中曽根以来の話法であるが、これを繰り出すごとに大枚をお供えしてきたのが80年以降の日本政治史である。お陰で日本はすっかり弱ってしまった。もう残りといえば、国家的には郵貯財源のみである。その最後の国富がもぎ取られようとしている。

 身包み剥がれ用済みとなった時、我が日本はいかように扱われることになるか。足蹴りにされて臍を噛み締めることになるが、そうなって見ないと何ともいえないという手合いが居るから政権はなんでもできる。

 末尾の小泉ロジックの「平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くす」が曲者で、「志を同じくする」ブッシュの自由闘争史観の忠犬として何でも云うことを聞きますという裏意味になっている。ブッシュは、「平和を生み出すための先制攻撃好戦論」を主張する狂信者であるが、小泉の狂気がそれにハーモニーしている。

 この便利な論法を使えば何でもできる。相手の主張を認め、そうなんだ、だからこうするんだと真反対の結論に導く。それに云うこと聞かない手合いに対しては徹底的な見せしめ攻撃する。これを学術的に社会性サイコパスと云う。この病気に罹ると治癒し難しで、我々が為すべき事は、この種の手合いに権力を握らせないに尽きる。

 小ネズミの場合、このサイコパス性が愉快犯的にオブラートしているところに特徴が認められる。これまでの数々のサプライズとは、愉快犯的仕業(しわざ)と思えば理解が容易になる。愉快犯は相手が一時でも驚いてくれればしてやったりで、その後の責任取りの頃になると熱が冷めている。だから凡て遣りっぱなしになる。

 観客には面白いが、当事者にされるとたまったもんではない。暴力有りレイプ有り首絞め有りで失神するまで遣りぬかれる。間違って致死すると、俺は防衛長官の息子だとか、俺の背後にはブッシュが控えているぞとかで虎狐になり、秘書官を使って隠蔽させる。マスコミがこういう御仁を囃している。

 俺はやりたいことに命を掛けているんだ、命なぞ惜しくないと云えば受けるらしい。しかし、レジスタンス派だって命懸けだろうに。つまり、それ自体は何の意味もないのに拍手されている。特に女と子供と老人がコロリとやられているらしい。

 願うらくは、こういう劇場の幕引きを。

 2005.8.16日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その83 れんだいこ 2005/08/19 19:25
 【政界闇試合に突入気配】

 小ネズミの暴走は止まらない。衆院違憲解散を手始めに造反派非公認指令、対立候補としてくノ一落下傘候補の送り込み、地方県連が造反派を支持するやその意向を無視して中央候補の押し付け、造反派の立候補取り下げ工作等々に直接関与し、レイプ愉快犯し続けている。

 この御仁の癖からするとまもなく息切れし失速し始めるだろう。飽きっぽさについて、純ちゃんは子供の頃からそうだったと云われ始めるだろう。そう思わないと信じられないわ。

 これに対して、政界には思わぬ産物が産み落とされつつある。国民新党、新党大地の二党が誕生し、今後勢いを増しそうである。これをリバウンドと云う。

 以上の状況から何をどう推測すべきだろうか。決定的なことは、小泉のメディア戦略が却って選挙への異常関心を生み出したことである。これを瓢箪からこまと云う。れんだいこは、この現象は小泉派の誤算と考えている。いわゆる従来の棄権層が大挙して投票に向うことになるだろう。そういう訳で、とにかくまたとない面白い選挙になってきた。

 果たして、連中の票は、1・小泉擁護に向うか、2・造反派支援に向うか、3・政権交代を期して民主党に向うかのいずれかだろう。4・公明、共産、社民各党はどうなるか。

 れんだいこが感ずるに、異変を起こす可能性が強い。小泉の愉快犯に対して愉快に迎え撃つ可能性が強い。そういう意味もあって選挙予想が面白い。

 2005.8.19日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その84 れんだいこ 2005/08/19 19:36
 【2005.9.11総選挙予想ネット・ゴング】

 久しぶりにネット・ゴングをやることにする。れんだいこにはスキルが無いのでつくってくれや(おっちゃんお願い)。

 2005.9.11総選挙  ホームへ 

 こたびの衆院解散について
○、首相権限逸脱で違憲と思う。
○、首相権限範囲で合法と思う。

 造反派の議席予想
○、大健闘 ○、まずまず ○、苦戦 ○、落選相次ぐ

 小泉政権の帰趨
○、自公が過半数を制し小泉政権信任される 
○、自公が過半数を割り込み小泉政権退陣する

 民主党の議席予想
○、大幅増  ○、増 ○、微増 ○、微減 ○、減 ○、大幅減

 公明党の議席予想
○、大幅増  ○、増 ○、微増 ○、微減 ○、減 ○、大幅減

 共産党の議席予想
○、大幅増  ○、増 ○、微増 ○、微減 ○、減 ○、大幅減

 社民党の議席予想
○、大幅増  ○、増 ○、微増 ○、微減 ○、減 ○、大幅減

 国民新党の議席予想
○、旋風巻き起こす  ○、振るわず

 新党大地の議席予想
○、旋風巻き起こす  ○、振るわず

 郵政民営化法案についてあなたの意見は
○、賛成  ○、反対 ○、分からない

 郵政民営化法案を急ぐことについてのあなたの意見は
○、急ぐべし ○、急がなくて良い ○、分からない

 政界大変動あるかないか
○、ある ○、ない ○、分からない

 ご協力ありがとうございました。
 投票を行わずに投票状況のみご覧になるには  ○

 こんな調子のどうだろう。

 2005.8.19日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その85 れんだいこ 2005/08/20 16:41
 【高山がままにしている。いつまでも続くと思うなよ】

 光太郎さんちわぁ。こちらにふります。どうぞ今後とも当掲示板を賑(にぎ)わせてください。

 お尋ねの郵政民営化の件ですが、光太郎さんの目線が特定郵便局問題に特化していることが不満です。この件については、官営事業としてはこれまでよくやっている、今ことさら慌ててとやかく云うべきほどの問題ではないとの認識を持っております。

 今焦眉の争点は、巨大な郵貯マネーがハゲタカファンドに流用されてしまいそうという危惧に対して、どう思うのかにあります。このことについては既に多くの方が指摘しております。

 れんだいこは、戦後タカ派系ネオシオニストの売国政治として糾弾しております。この視点は、田中角栄研究からもたらされており、根拠有る観点と思っております。この問題にこれ以上目を閉ざすのは不正と考えております。

 中曽根ー小泉系譜の政治に対しては徹底的に闘わねばならない、その他の無能政治に対しても不満は有りますが、巨悪といえばこの二人が双璧と考えております。ここのところで、世の識者とれんだいこの観点には相違が有ります。

 特に日共系は角栄政治糾弾に興じましたが、馬鹿げており愚挙であったことを知るべきです。それらは現下日共党中央の胡散臭さの為せるわざであり、この系譜が次第に勢力を失いつつも今も悪事を続けており、こういう按配だから世の中が良くならないと考えております。

 こたびの選挙戦でも、各地の選挙区で分裂選挙を仕掛け、回天運動の足を引っ張ろうとしております。表から公明が自民を支え、裏から日共が支えております。口先のもっともらしい批判は、その悪事のほうに流し込まれておりますので、さっぱり役に立ちません。云うこととやることが違う、これが胡散臭い連中に共通の特徴であると見立てております。

 「公務員天国問題」は、概念的には利権問題であり、当然掣肘されるべしと考えております。但し、中曽根ー小泉式の民営化で解決できるとは思いません。むしろ、民営化路線とは、国際金融資本の要請に従った日本の国富の売り渡し政策でせう。

 利権問題は官であれ民であれどこにでも発生する問題で、機構上の工夫と公的意識の高い者の登用にって解決する以外にないのではなかろうか。マスコミや不破の云う如く道理論でも解決できません。人類は未だそれほど高邁な人格を社会的に獲得していない、と考えております。

 今現在で云えば、金の流れを極力ガラス張りにさせるしか手がありません。この方向に智恵を見出すべきです。隠れてやる悪事を許さない、金は天下の回り物で、人であろうが企業であろうが業界であろうが国からであろうが受け取ればよろしい。但し、何事も、適正範囲というものが有り、それを証する為にガラス張り報告にさせるのがよろしい。

 こたびの造反派も、結局カネが無いから操を屈しております。カネが無いのは首が無いのと同じとは名言で、法律に従う限りの金儲けは必要なことと考えております。きれい潔癖清潔運動は、聞こえが良くても罠ウソだと考えております。合法的金儲けに対してまで浴びせられる強権手法による断罪や道理論での説教は危険で、逆にこそこそやることを助長したり、党中央の奴隷議員にされたり、国際金融資本の甘言に掴まり易いと思っており、反対です。

 タカ派系自民党政治は「公務員天国」を助長しこそすれ、掣肘することは出来ないとみなしております。なぜなら、今時のタカ派系政治そのものが国際金融資本利権に群がっているからです。小泉のコマーシャルは政権取りと固めのマヌーバーでしかない。

> おや様(中山みき)は自分(私)を捨てなさいと言っておられる。

 この認識は不正確でせう。おや様から「自分(私)を捨てなさい」とは聞いたことが有りません。

> 人(まあ他人ですね)を助けることは、即ち自分も助かる(喜び)道だと。

 これの正確な理解は、「見返り助け」ではなく、人を助ける行為の中に自分助けがあるという哲理に基づいていることを知ることにあると思います。道理で、ボランティア系の人が生き生きしているのも頷ける訳です。

> れんだいこさん!、貴方はどう考えますか?

 みきの言説の眼目は次のことに有るように思います。
 人は本質的に社会的な生き物で、我が身本位の得手勝手なことをし続けると理に反しているので我が身を亡ぼすことになる。病のほとんどはそういう心得違いで始まっている。助け合いの心で生きなさい。汝の体の中も宇宙もそうなっているのですよ。それを知らず、世の中は利害闘争で明け暮れている。どうぞたすけ合いネットワーク社会へ立て直し、そういう意味での世直しに向いなさい。

 この教えは実は、人類創造、創世記に基づいている。そこで、おつとめによってこの「元一日」に立ち返りなさい。そこから汲み出される生命力により、人は陽気に日々を送ることが出来、人助けのパワーも生まれる。しかし、究極よりよい社会作りに向うべきものでないと根本的な解決になりませんよ。この理合いに気付いた行いが成人への道であり、これに至らないのは未だ子供というほかない。今はまだ子供の時代である。

 という教えのように思います。みきは、これをひらがなで語っている。ひらがなよりもしかめつらしい漢字とかあちら文字の方が高邁に思うけれども、見掛けの難しさによるこけおどしで、実はみきのひらがな思想の方が深い。

 この観点から見れば、小泉のやろうとしている方向もやり方も「理に合わない」。みきなら、「高山がままにしている。いつまでも続くと思うなよ」と諭されるだろうと思います。

 2005.8.20日 れんだいこ拝

Re:ブッシュ演説の背後に有るシオンの議定書的青写真について れんだいこ 2005/08/22 17:19
 光太郎さん皆さんちわぁ。

> USAブッシュ大統領演説内容(骨子)
>
> 米軍がイラクやアフガニスタンなどで戦っているのは、残忍な敵から米国民を守るためだということを兵士たちは分かっている。国外でそのような邪悪な者たちに立ち向かわなければ、いつか米国内で戦わなければならなくなる。この戦いに米国民の安全が掛かっていることを兵士たちは知っている」と強く呼びかけた。

> れんだいこさんの意見をお聞きしたいと思います。

 という訳で、れんだいこがコメントします。
 ブッシュ論法はまことに幼稚な駄々っ子理論で、気に入らない者は殺せ、敵地の本国まで出向いて根源を断て、という衛生論的な好戦的聖戦論を振りかざしております。冷戦時代にはそういう暴挙が出来なかったことを思えば、これが冷戦崩壊効果なんでせう。

 テロリストを退治するという名目でこれをやっておりますが、これもれっきとした政治テロでせう。テロリストのテロが弱い方が仕掛ける弱者テロとすれば、ブッシュ派のテロは権力テロというべきだと思います。その権力テロには口を閉ざし、弱者テロの方を悪し様に云う評論家がテレビに出て参りますが、つまらない。

 この程度の指摘なら、多くの方が納得していただけると思います。れんだいこの認識はその先に進んでおります。実は、ブッシュ派のテロはネオシオニズムの世界平定計画に添った意図的計画的なものなのではなかろうか。

 彼らの政治宣言が史上に現われたのは「命懸けで入手されたシオンの議定書」によってです。多くの方は偽書扱いしておりますが、そういう論者に共通なのは意図的にその内容に対する検討をしないことです。それは間接的にシオンの議定書の隠ぺい工作に加担しているとみなせます。

 れんだいこは、れんだいこなりのシオンの議定書研究をサイトアップしております。ご関心の方はお確かめ下さい。現代政治の諸事象を解析するには、シオンの議定書以降の重要マニフェストを知らずしてはピンボケになると思っております。

 ブッシュご一統ネオコン派の暴挙は、意図的計画的なものであり、9.11同時多発テロに誘引された偶発的なものではないでせう。アフガンーイラク戦争に狩り出された軍事兵器を見ても用意周到さをみてとることができます。こう見立てる史観が必要なのではないかと思っております。

 そういう戦争過程にある今、今後の日本の舵取りが問われております。湾岸戦争でカネを出し、イラク戦争でカネも兵隊も出し、次はカネが無ければ兵隊を出せということになるでせう。小ネズミはこの仕事を引き受けようとしており、ネオコン派に身も心も委ねた悪質代官です。間違っても改革派首相などとみなさないことです。

 しかるに、未だ改革派首相と提灯してエールを贈る連中がおります。れんだいこは、ネオシオニズム派のプロパガンダに乗せられた政治小児病者とみなしております。この連中は、口先では利権政治を排するようなことを云いながら手前達がもっとも大きな利権の側に位置していることを棚上げして論じております。共に語るに値せずです。

 しかしいくらこういうことを云っても、論だけでは弱い。現実政治を動かす勢力を創らねばならない、現下日本左派運動に度量が有るなら喧々諤々を巻き起こし、志操を共にする者を結集し、この種の問題に立ち向かえる党派運動を作り出さねばならないと考えております。

 れんだいこを引き立てる者も居りますが、まだ圧倒的に無視され封殺されております。そろそろこの状況に立ち向かおうと思います。互いにもういくらも命が無い身になっているのにそったら狭い根性でどうするのだ、左派運動の本義に悖ると抗議していくつもりです。

 2005.8.21日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その86 れんだいこ 2005/08/22 17:39
 【売り出し中の中堅マスコミ人知性の頽廃を憂う】

 2005.8.22日付毎日新聞発信箱の山田孝男記者の「小泉首相と『星の時間』」(http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/hassinbako/)は、「売り出し中の中堅マスコミ人知性の頽廃」を晒しているのでこれに苦言コメントしておく。

 山田記者は、ワーテルローの戦いに触れて、仏軍総崩れの原因を「グルーシーの判断ミスによるためらい」に求め、「徹底的にやるべきだった」と暗喩し、間接的に目下進められている小泉政権の暴挙にエールしている。よほど時代がかった言葉が好きなのだろう、「総選挙という大会戦の陣頭に立ち、『刺客』を放って非情の追撃に固執する小泉首相」などと賛辞的に述べ、小泉を大仰に持ち上げている。

 先の衆院の違憲違法解散に対しても次のように弁護している。「参院の法案否決を理由とする衆院解散は、憲法のタテマエ上は筋違いだが、政党ごとに衆参両院議員が一体化し、参院が『第2衆院』化している実態に照らせば、暴挙とも言えない」。

 この論法も食うに食えない噴飯ものである。「憲法のタテマエ上は筋違い」なる表現は悪質なレトリックである。「憲法上は筋違い」と端的に述べるところを「タテマエ」という文言を挿入することにより筋違い性を曖昧にしている。挙句は、「実態に照らせば、暴挙とも言えない」と弁護している。

 こういう論法は小泉も多用している。要するに何にでも応用でき、結論を思うように操ることが出来る。学有る者には禁じ手話法であるが、今時のマスコミ人士はこういうものを好むらしい。本来ならこう記すべきである。「衆院解散は違憲違法であるが、特段の異議が為されず、事態がここまで進んだ以上総選挙決着も致し方ないというべきか」。

 小ネズミの違憲違法解散を免罪する論は御用性丸出しの悪知恵だろう。この手合いは何もこの御仁だけに限らないので特段厳しく指弾しようとは思わないが、お粗末なことではある。れんだいこが指弾し続けている宮顕ー不破ラインの論法もこの種のオン・パレードであるが、してみれば胡散臭い連中の好む話法という事になる。

 末尾でも問題の有る書き方をしている。「首相が『星の時間』をつかんだ真の改革者として再浮上するのか、政治闘争狂いの秩序破壊者として歴史の波間に消えるのか」と設定しているが、問題である。

 小泉を「『星の時間』をつかんだ真の改革者」として設定すること自体が馬鹿げている。普通には、「小泉政権が信任され長期政権化するのか波間に消えるのか」の問題であり、それ以上に脚色する必要が無いところである。

 普通には「長期政権化」と書くべきところを「『星の時間』をつかんだ真の改革者」などと歯の浮くようなお世辞で持ち上げている。「政治闘争狂いの秩序破壊者」とも記しているので、本人は公平に書いているつもりであろうが、全体のトーンが記者の御用提灯性の良く分かる書きぶりである。岩見隆夫の片手で角栄を持ち上げ、他方でくさす流儀をそのまま真似している同門生というべきか。

 2005.8.21日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その87 れんだいこ 2005/08/25 20:57
 【戦後違法釈放直後の宮顕の動静考(「風知草」雑感)】

 「戦後違法釈放直後の宮顕の動静」につき、百合子が「風知草」その他の中で記録している。ほぼ正確なものとして足跡を追ってみることにする。結果的に、「風知草論」になってしまったが致しかたない。

なお、この観点はつとに「将門ウェブ」(http://shomon.net/index2.htm)の「日共粉砕」(http://shomon.net/seikei/nikkyo.htm)の「宮顕と宮本百合子のことで」(http://shomon.net/seikei/nikkyo2.htm#920926)に記されており、ようやく「風知草」を読む機会を得て書き上げることになりました。遅くなりましたが、改めて周さんに御礼申し上げます。

 宮顕は、他の被告より一日早い1945.10.9日、網走刑務所を出所した。宮顕37才、百合子46才の時であった。百合子は知らなかったようであるが「違法釈放」であった。「右により心身の衰弱増進し、刑の執行により生命を保つこと能わざるものと認む」故に、釈放の喫急なることが要請されている診断書に基づき釈放されていたことを知る由もない。

 念のため記すと、宮顕が網走刑務所に服役したのは、1945.6月から10月までの割合と過ごしやすい4ヶ月の間である。それまでは、あちこちを経て巣鴨刑務所に永らく居た。未決囚であった為、他の思想犯達に比べて雲泥の好待遇で過ごしている。「網走刑務所獄中12年非転向神話」が流布されているがデタラメなウソである。

 百合子は「9ヒデタ ソチラヘカエル ケンジ」という電報を受け取った。釈放後東京の宮本百合子宅に戻ったのは10.19日。この十日間の宮顕の消息も闇に包まれている。

 同時期にあちこちの刑務所から開放された徳球、志賀ら指導者の面々は例外なく幾度にもわたって「GHQ」の調査を受けているが、宮顕にはその痕跡さえ明かされていない。これも不思議なことである。宮顕については「潔癖非転向神話」ができるようにできるように作為されていると思うのは穿ち過ぎだろうか。

 こうして宮顕は百合子の元へ帰ってきた。以降の消息につき、百合子は「風知草」の中で宮顕を重吉、百合子をひろ子に扮して明らかにしている。それによると、最初に百合子の宮顕への気遣いから健康診断させている。

 結果は、ひろ子「いかが?」、重吉「案外だった」、ひろ子「そんなによくなっていたの?」、吉岡医師「いい塩梅に病巣がどれも小さかったんですね」、「大体みんなかたまっていますよ。この分なら、無理さえしなければ大丈夫といえますね」なる遣り取りを記している。

 百合子は、宮顕の健康状態を心配して健康診断させたところ「予想外に健康との診断を得た」ことを朴訥に記している。百合子が宮顕に健康診断を受けさせたのは、その良妻賢母ぶりが為した技である。しかし、この記述は思いがけぬ種をまいていることを知る由もない。宮顕が危篤状態という虚言で違法出所した不正を奇しくも暴いている。百合子は、そういう事情を知らぬまま記している。

 宮顕は、獄中時代、百合子の大変な世話を受けている。そのつぶさな様は「12年の手紙」で明らかにされているが、異例の差し入れが為されており、他の被告の獄中時代の様子と比較すれば奇異なほどである。宮顕が釈放され、それほど世話になった百合子との二人の生活が始まる。が、不幸なことに当初より隙間風を漂わせている。百合子は淡々と記している。

 ある日、二人は牛ぎゅうづめの電車の中でら次のような遣り取りをしている。重吉「ひろ子に、何だか後家のがんばりみたいなところが出来ているんじゃないか」。 ひろ子「あなたに対して、私にそういうところがあるとお感じになるの?」。 重吉「僕に対してというわけじゃないさー一般にね」。

 これが百合子の12年にわたる心労に報いた宮顕の言葉であった。百合子は、その時の気持ちを次のように記している。「後家のがんばり、という言葉に含められているものは、バカと云われるより、だらしなしと云われるよりひろ子にとって苦痛であった。人生のずれたところへ力こぶを入れて、わきめもふらない女の哀れな憎憎しさ。それがこの自分にあるのだろうか。帰って半月もたたない重吉からこんな電車の中で、それを云われなければならないのだろうか。こらえても、涙があふれた」。

 次のような遣り取りが続いている。重吉「どうした? しょげたのかい? しょげることはないさ」。ひろ子「あんなに貞女と烈婦には決してなるまいと思って暮らして来たのに」。ひろ子自問「それにしても、どうして、よりによって重吉は、この混雑の中でこんな話をしはじめたのだろう」。ひろ子「でも、どうして急におっしゃるの?」。重吉「どうしてってことはないが、考えたからさーどうせほかにすることがないんだからこんなとき話しといた方がいいだろう?」。ひろ子「大抵の人は、こんなところでは話し出さないと思うわ?」。

 この会話は更に続いている。ひろ子「さっき電車の中でしかけた話ね、覚えていらっしゃる?」。重吉「後家のがんばり、かい?」。ひろ子「わたしには、ね。どうしてああ急におっしゃったのか、きっかけが見つからないのよ。さっきから考えているけれど。でも、きっとそういうところが出来ているんでしょうね」。

 思うに、この遣り取りで問題なのは、宮顕の左派的感性の欠損である。思わぬところで宮顕の胡散臭さが露呈しているように見える。宮顕の百合子に対する「後家のがんばり」は、婦女子に対するブルジョア的嗜好性から発せられており、プロレタリア文芸評論家の根幹に関わる度し難い非プロレタリア性を示していないだろうか。百合子は、抑えた書き方では有るが、宮顕の胡散臭さを告発しているように思える。

 百合子はもう一つ、宮顕の人格的欠損をも告発している。少なくとも、共産主義者としての虚構ぶりを暴いている。重吉が洋服の着付けに不器用で、カフス・ボタンの袖口を突き出して手伝わせることに対して、ひろ子は次のようにやんわり嗜める。「自分で、カフス・ボタンもつけられないなんて、わるい御亭主の見本なのよ」。

 宮顕は、ひろ子のたしなめが気に障り気難しく対応する。その日の帰宅後、いつになくぶっきらぼうに振舞う宮顕に百合子が問う。ひろ子「ね、どうなすったの」。重吉「どうもしない」。ひろ子「いいえ。こんなのあたりまえじゃないわ。いつものようじゃないわ。ね、どうして?」。重吉「どうもしない。きょうから、何でもみんな自分ですることにきめたんだ。すっかり考え直したんだ。何の気なく、してくれるとおりして貰っていたんだが、俺も甘えていたんだ。ーわるい亭主の見本だと思われているとは思わなかった」。ひろ子「御免なさい。わたしふざけて云ったのに」。重吉「しかし、ひろ子はしんではおそらくそう感じているところがあったんだ。世間には良人のことは何でもよろこんでする細君もあるんだろうが。自分のことは自分でするのはあたり前なんだから、もうすっかり自分でする。監獄じゃそうしてやって来たんだ」。ひろ子「変よ、監獄じゃ、なんて! それは変よ!」。

 この遣り取りは更に続き、結末は、「二度ともう憎らしいことは云わないから、あなたも約束して。さっきのようなことは云いっこなし」となった。しかし、元々宮顕の我がまま亭主ぶりに端を発しているのであるからして、この決着のさせ方は百合子の一方的屈服以外の何物でもなかろう。

 ひろ子は、それを得心させるために、次のように言い聞かせる。「ひろ子は、頬をもたせている重吉の左の膝の上の方を考え沈みながら撫でた。そこに、着物の上からもかすかにわかる肉の凹みがあった。太腿のところに、木刀か竹刀かで、内出血して、筋肉の組織がこわされるまでなぐり叩いて重吉を拷問した丁度その幅に肉が凹んでいて、今も決してなおらずのこっているのであった」。

 しかし、この百合子の得心のさせ方は問題のすり替えであろう。本来何の関係があろうか。更に問題がある。果たして、宮顕の太腿の凹みが特高の拷問によるだろうか。定かでないものに対して、百合子は勝手に「獄中12年非転向聖像」に懸想して得心させている。百合子の純情極まれりということになろう。

 ところで、この頃、戦後党運動の始発となった国分寺の自立会には、すでに全国から党員が参集し始めており、再刊赤旗の一号を背負って全国に飛び立っていた。そのあわただしい頃に宮顕は何をしていたのだろう。「風知草」には、宮顕が毎日出かけていたことが記されているが、どこに出かけていたのか、誰と会っていたのかの記述がない。不自然なことである。

 「風知草」には、宮顕が書き物をしていた様子も記している。百合子は、その清書をさされていた。そうこうしているうち、百合子は小説を書きたくなった。その時の遣り取りが次のように記されている。ひろ子「小説をかかして。ね、小説がかけるように働かして。お願いだから」。重吉「鎮まれ。しずまれ。それを云っているのは、俺の方だよ。かんちがえをしないでくれ」。

 これによると、百合子は、創作に向うにも宮顕の制約を受けており、その意向抜きにはできなかったことが判明する。しかし、百合子の心は疼いていた。次のように記されている。「その時分、そろそろ新しい文学の団体も出来かかりはじめていた。十数年前にも一緒に仕事をしていたような評論家、詩人、作家などが、また集まって、口かせのはずされた日本の心の声をあげようとしているのであった」。

 そうこうしているうちのある日、百合子は、国分寺の自立会に向った。この時、宮顕が連れ立っていない。その事情までは記されていないが、百合子の自立会詣でが遅くなった理由として、宮顕が制約していた気配がある。しかしいつまでもそういう訳には行かず、百合子は晴れて目出度く自立会に向うことになった。その時のウキウキした気分が記されている。

 この時、百合子は婦人部の集まりに列席し、その場に現われた徳球の様子をつぶさに記している。徳球は、カーキ色の国民服を着て、はげ上がった、精悍な風貌であった。身振り手振りにも触れた後、「引き締まって、ぼやついたところのない音声と、南方風なきれの大きいまなじり、話に連れて閃く白眼。その顔のすべての曲線がつよく、緊張していた。ひろい引例や、自在な風刺で、雄弁であり、折々非常に無邪気に破顔すると大きい口元はまきあがり、鼻柱もキューと弓なりに張っている」と記している。

 「この指導者が、縦横無尽という風に、ときに悪態さえ交えながら、しかも、婦人たちの本能的なつつしみには自然のいたわりをもっていて、荒っぽく、しかも淡白な話し振りをももっていることに注意をひかれた。この人の悪口は、火の中からだしたばかりの鉄ごてのようだ。あつくて、ジリッとし、やけどをさせ、また消毒力も持っている。その味は、雨の滴(しずく)もころがり落ちてしみこめない漆塗りの風貌全体と一致していた」とも記している。

 れんだいこは、なぜこの記述を取り上げるのか。それは、百合子が、奇しくも宮顕とは趣の違う戦後直後の党運動指導者像を好意的に描写しているからである。身びいき的には旦那である宮顕をこそ褒め称えたいであろうが、そういう私的感情を超えて徳球の指導者然とした特徴を素直に記している。ここに百合子の魅力がある。

 その後、再び宮顕との遣り取りが記されている。興味深いことに途端に無味乾燥且つちまちまとした遣り取りとなっている。百合子は意識的かどうか分からないが淡々と記している。

 宮顕が国分寺の自立会を訪れたのは10.21日と云われいる。「風知草」にはその時の様子は記されていない。宮顕の戦後党運動の関わりは、新しい代々木の党本部から始まっており、その事務所へ弁当を届けるところから書き起こされている。赤旗編集局の一室で、「重吉とひろ子は弁当箱をあけ、いわしのやいたのを三人でわけて板テーブルの上で食事をはじめた」様子が記されている。三人とは、重吉とひろ子と袴田であったことが記されている。

 フィナーレは、12月始めの第4回目の党大会の記述である。百合子は、その時のニュース映画について記している。戦前の治安維持法下で倒れた山本宣治、小林多喜二のシーンに触れた後、戦後党運動の始発となった府中刑務所の共産党員釈放について記述している。

 「その門の中からスクラムを組み、解放された同志達を先頭にした大部隊が進行して来た。真中に徳田、並んで志賀、その他ひろ子の顔も見分けられない幾人かの人たちが、笑い、挨拶の手を高くふりながらこちらに向って進行して来た」、「そのわっしょ、わっしょという力のこもった声と、ザッザッ、ザッザッという地響きとは、ひろ子を泣かせて、涙を抑えかねた」と感動シーンについて記している。

 百合子の筆先はこれで止まらない。ここに百合子の素晴らしさがある。百合子は、そのシーンの中に宮顕を浮かび上がらせ、次のように記している。「重吉は一人で歩いている。『君達は話すことが出来る』と、今は工場の横庭でかたまって話している人々の間を、重吉は歩いて来る。『君達は話すことが出来る』円く集まって話している女のひとたちのよこを、重吉は歩いて来る」。

 この記述は何を物語っているのだろうか。れんだいこは、百合子の文学的感性で捉えた重吉こと宮顕の異邦人性に対する鋭い指摘をしている、と見る。実に、百合子は、意図せざるにせよ、「風知草」で宮顕その人の左翼指導者としての異質性を描いている。れんだいこは、この意味で、百合子の批評眼の確かさを知る。旦那である故に随分控えめに半端に記しているにせよ、そのように捉えた眼が素晴らしい。

 2005.8.25日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その88 れんだいこ 2005/08/26 19:59
 【「風知草」雑感)】

 かもめさんちわぁ。れんだいこの「風知草雑感」に対する感想有難うございます。かもめさん的感覚は痛いほど分かります。しかし、れんだいこは、優しい言葉を手向けようとは思いません。れんだいこの思いを突きつけるように伝えたいと思います。

 れんだいこは、日共の腐敗に対してその根源まで突き詰めて闘う姿勢を貫かないと納得できません。あれこれの愚痴に陥り植物人間化されるのは、胡散臭き宮顕ー不破系日共のしつらえた罠であると考えており、そういう仕掛けに陥るのを一日でも長く拒否したいと考えております。

 思えば、我々は、とんでもない指導者に日本左派運動を指導されてきた。必ず衰退する道へ誘われ、それを党運動だと思い込まされ、実りのない方向に消耗させられてきた。それに対して怒らねばならないと考えております。

 我々はこの世のほぼ凡てを分からないままに生を終えねばならないようです。しかれども、関わったことに対しては責務というものがあると考えております。次世代に譲るものは少しでもましなものにしておきたいと思っております。

 そういう義憤に於いてれんだいこの作業が進んでおります。結構無視してくれておりますが、それが日本左派運動の生態を如実に語っていると思っております。本当は、知ったかぶりせずに、お互い一歩一歩蒙を啓いていけたらと思います。

 れんだいこは今や、田中角栄的政治を絶賛するところまで来ております。ホロコースト神話に基づく反戦平和運動に疑念を持っております。南京大虐殺事件に対するその他類似問題に対する見解も日本左派運動のそれとは違うところに辿り着いております。

 れんだいこは、その辺りにつき議論できる空間が欲しいと思っております。少しも精査されていない拵えられた神話にすがったまま、俺は左派だと云う口舌で他を罵倒する独善者が大勢居りますが、許し難い不正を感じております。

 小泉が今進めている党中央絶対拝跪制も、くのノ候補も落下傘忍者候補も、踏み絵も、規約の前文抹消つまりいずれ憲法改正も、一方的な調査問責制も、既にみんな宮顕ー不破系日共が先取りしていることです。そういう意味では、小泉は長らく赤旗読みすぎて洗脳されているのかも知れん。というか誰かがこの方向に仕掛けているんだわな。

 何のカンバセ有りて日共は小泉政権批判できようか。イラクからの自衛隊即自撤兵を第一に掲げることもなく、税金脅しの猫なで声で票をかすめとろうとしております。またぞろ「21世紀の遅くない時期の民主連合政府樹立」などと何の当てもない責任も取らないことを掛け声しております。

 そうこの党には執行部責任論というのがない。多少でも勝ったら自画自賛し、負けたら今度勝つのが執行部責任などという調法な論法で万年執行部を敷いております。この間、日共の選挙戦術は自民党を手助けしております。表から公明党が裏から日共が。

 他の幹部党員が商業出版に手記を載せたら党規違反を云う癖に不破は例外で何でもできるらしい。ならばそういう風に道を開くのかというと、そうでもない。これほど惨めな状態にしたのに政界小姑ぶっていい気になっている。

 こういうことに対して怒らないとオカシイと考えております。そうはいっても、政界も次第に揺れてきております。こたびの造反派は高く評価されるべきです。近々何らかの政変が始まると思っております。ようやく面白くなりつつ有ります。

 同じ時代の呼吸仲間は、激動に処して行かねばなりません。「左往来人生学院」は何がしかのうねりを生み出したいと思っております。日々のオアシスだと思ってご遠慮なくお寄り上がりこんでください。

 2005.8.26日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その89 れんだいこ 2005/08/28 21:36
 【8月末までの小泉政権打倒呼びかけ不発責任について】

 2005.4.26日、れんだいこは、たすけあい党党首としても、この日5年目に入った小ネズミ政権の「遅くとも本年8月うちの打倒」を誓約した。これを呪詛してでもやりぬくことを決意した。その期限が遂に来たが、小ネズミは元気に遊説している。明日にでも倒れなければ、れんだいこの不明を恥じねばならぬ。安易な呼びかけは信用問題になることを深く肝に銘じて慎もうと思う。

 しかし、れんだいこの予言が当たらないのが解せないので追跡してみる。れんだいこの呼びかけには一定の根拠はあった。呼びかけの時点で、小ネズミ政権の痴呆的売国政治の実態が次々と明るみになり不満が充満し始める気配を見せていた。その後の郵政民営化法案ゴリ押し国会は政権存亡の危機を現出させた。

 衆院採決時の造反派発生による際どい可決、その後参院での闇雲な強権発動、にも関わらず参院での予想を上回る大量造反票発生の一連のドラマは、小ネズミ政権に対する不信任であった。小ネズミ首相の政治姿勢と感覚が真っ当なら、内閣総辞職を余儀なくされていた筈である。

 しかし、小ネズミは国政私物化を気にせず、この危機をいとも容易く切り抜けた。その要因を探ってみたい。最大要因は、野党及び造反派が小ネズミの治外法権的暴挙を見過ごしたことであろう。その他大勢は、小ネズミ政権の衆院解散策動に対して、憲政の常道に悖るとして許すべきではなかったのに許してしまった。その理由は、「衆院可決、参院否決、衆院解散」に踏み切る首相専権論に対して抗弁理論を持ち得なかったことにある。

 特に社共は、日頃護憲を云うのだからして、身を挺してでも目の前で進行中の憲法規定の蹂躙を許すべきではなかった。それを許したということは、政治的識見の大いなる貧困という以外に無い。この頭のワルサ、万年野党ボケによる戦さ下手が野党に共通の致命傷となっているように思われる。

 しかし、「首相専権論」による衆院解散を許した真因は、最大野党民主党の対応の変調さにあったのではなかろうか。この時、民主党は、内閣不信任案を出してお膳立てしている。岡田執行部は、何故、衆院解散を企む小ネズミへの助け舟になるような内閣不信任案を出してのか、れんだいこには未だ解せない。にも拘わらず、小ネズミは結果的には内閣不信任案には目もくれず一瀉千里に解散手続きに入っている。あまり問題にされていないが、岡田の奇妙な動き、小ネズミの二重の憲法蹂躙が刻印されている。

 この倒閣絶好機会を失ったことにより、一挙に総選挙騒動に突入した。商業新聞マスコミは、各社連動して早々に小ネズミ政権への支持率の上昇を報じ、「首相専権による衆院解散の違憲性」を問う機会を奪った。続いて刺客騒動選挙報道に明け暮れ始めた。

 現代マスメディアの影響力は強く、今や政局を左右している。小ネズミ政権は、現代マスメディアを支配する勢力により延命されているように思われる。そういう意味で、日本人民大衆運動は一刻も早く自前のメディアを創り出さねばならない。

 それらの理由によって、れんだいこの予想は外れ、時流に従って選挙騒動に注視していかざるを得なくなった。しかし、問題が先送りされただけの感がある。延命策として打ち出した衆院解散が、小ネズミ政権の命取りになるばかりか、キズを更に深めて磐石体制とも思えた政権与党としての自民党の基盤を致命的にもぎ取る可能性が強い。自民党をぶっ潰すは小ネズミの公約第一号であり結構なことでは有るが、滑稽なことでも有る。

 造反派が結成した国民党と日本党、ムネオの大地党の三党がブームを生み出し予想外に健闘する可能性が強い。この二党ないし三党が共同すればなお面白いが、残念なことにそういう策士はいないようである。真紀子の動きも注目される。この流れでの政界再編成が注目される。

 民主党は安定的に票も議席も伸ばすだろう。その分、自民党は大いに苦戦し取りこぼすだろう。特に小ネズミ取り巻き派の売国奴勢力、落下傘くの一部隊、忍者は軒並みに残骸を晒すであろう。しかし、野党の分裂選挙により助け起こされ、且つ長年選挙地盤を耕している功労によって一定の議席は守るであろう。他方、公明、共産、社民は軒並み苦戦と見る。

 特に公明の斜陽化が注目される。同党はこれまで中道政党としてキャスチングボートを握ってきたが、今やタカ派系自民政権と癒着し、イラクへの自衛隊派兵の際にも水先案内人を勤めてきた。宗教政党の階級的役割を露にさせ、中道政党論が間に合わせの衣装であったことを示した。仮に公明党が後退すると、成長の限界と見て取ることが出来よう。

 それにしても解せないのは、民主党岡田執行部の動きである。れんだいこは、早くも岡田執行部の変調さを指摘しておきたい。彼らは改憲勢力であり、同党の若手の多くは自民党タカ派のそれをも上回る改憲理論を引っさげている。自民党タカ派との連合が為されたなら、憲法改正も一気に可能となる。

 そういう意味で、民主党の躍進を手放しでは喜べない。ならば、そうさせない為の策略が要るということになる。今は、岡田、管、鳩山、小沢、羽田、横路の寄り合いで舵取りしているからよいが、護憲派勢力を強める必要がある。いっそのこと改憲派は自民党へ、護憲派は逆に自民党から民主党へ取引して、党名もくっくり違うものになれば良い。

 以上、倒閣期限延長宣言の弁とする。

 ところで、れんだいこは、こたびの選挙に就いて次の戦略戦術を提起しようと思う。
 その1、造反派の選挙区では造反派を支援する。
 その2、造反派のいない選挙区では、自民対民主の接戦区では民主を支持する。特に民     主党内護憲派を支援する。
 その3、自民絶対優位区では、「政権与党を目指す護憲派」を基準に候補を物色する。
 その4、該当者がいない場合には田中角栄、れんだいこ等々任意な名前を書き込む。
 その5、比例区では、民主、国民、日本、大地のいずれかが○。自民、公明、共産は      ×。社民は△。

 この戦法を口コミさせて欲しい。残念ながら、既成党派の腐敗に取って代わる護憲系新党派の登場がない。待てど暮らせどあまりないようだと「たすけあい党」が出張らざるを得ない。れんだいこの趣味ではないのだが、時勢が要求するなら仕方ない。いずれにせよ、次期国政選挙までには人民大衆の輿望を担う党派の登場を促進させたい。

 2005.8.28日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その90 れんだいこ 2005/08/31 00:04
 【2005.9.11衆院選我が党の指針とマニフェスト】

 ほんの余興で始めたたすけあい党がれんだいこの中で次第にマジになりつつある。こたびこういう風に訴えてみました。(tasukeaito/senkyogiseisaku_2005.htm)

 はじめに
 2005.9.11日の第44回衆院選への我が党の立候補は出来なかった。元々お遊びから始まっているので苦痛は無いが、ひょっとして次回の機会に出馬することもあるので予行演習的に発表しておく。

 日本左派運動のマニフェストとしては至極当然な政策を掲げているつもりであるが、比較すれば社共のそれが如何に選挙民甘言政策に堕しているかがわかるであろう。社共の甘言政策は選挙民愚弄の上に成り立っているという意味で二重に許し難い。

 2005.8.30日 たすけあい共生党党首れんだいこ拝

--------------------------------------------------------------------------------
 【たすけあい党の「2005衆院選マニフェスト」5つの指針】

 我が党は特に次の諸点を訴え、日本の政治に責任を持ちます。
 1、 自衛隊はサモアから即自撤退せよ。
    むしろ平和的復興支援に乗り出せ。
 2、 9.11総選挙を無効とみなして差し戻せ。
    総選挙突入なら、反自公闘争に全力投入せよ。
 3、 郵政も然り中曽根以来の民営化路線に反対する。
    そのウソ罠を暴け。
 4、 憲法改正化の流れを阻止し、論憲護憲せよ。
    憲法をむしろ未来先取り憲法と評せよ。
 5、 増税の企みを粉砕し、内治主義的景気対策せよ。
    極悪財政状況を見据え、総合的全面的日本再建運動に着手せよ。
 付1、上記5点で共同できない政党を拒否し、新潮流を創出せよ。
 付2、既成政党に左から関与し、歩一歩新潮流に向わせよ。

 我が党は、2005衆院選に当たり以上の「5つつの指針」を提起する。各論については、「共生党」(tasukeaito/tasukeaito.htm)でご精読下さい。「5つつの指針」に賛意の方は絶大なるご支持と投票をお願いいたします。

--------------------------------------------------------------------------------
 【2005.9.11衆院選たすけあい党の檄】

 戦後、日本では有り難いごとに男女平等普通選挙制が敷かれた。しかし、幾度と無く選挙が行われてきた割には、政治が少しも良くならなかった。国費を無駄使いしたばかりのようにさえ思える。2005年現在ますます議会活力が失われ、「衆院可決、参院否決、衆院解散」なる違憲違法解散が罷り通るようになった。今や、小泉政権は模擬帝政化しつつある観がある。

 驚くことに、小泉政権の暴挙に対して、国会内の既成党派は体制翼賛会化しており、口先の批判は別としても、何ら実効ある阻止闘争を組織し得ない。国会権能も大衆闘争もが遂に失われていることが判明する。

 与野党は表見的には対立しているように見えるが、むしろ馴れ合いであり、談合政治に陥っている。公明党が与党入りし自民を助ける。民主党は政権交代を唱えるものの単独政権論を唱えることにより自ら水を差している。共産党は野党内の分裂選挙を仕掛け続けており、裏から自公体制を補完している。社民党は面影も無く衰退し、それを痛痒する能力を持っていない。

 昨日8.29日の党首討論会のブザマさを見よ。何と小ネズミの独壇場と化し、挙句の果ては小ネズミが広げた両の手に右から公明党と国民党が、左から民主党と共産党と社民党が手のひらを乗せ、手拍子寸前の醜態を演じていた。

 我が党は、政治に於けるそういう和気藹々さを認めない。ましてや稀代の売国サイコパス首相の下においてをや。我が党は、こういう醜態は政治の大切さに対する冒涜であるとみなす。一刻も早く我が党の議員団を国会に送り出す責務が有ると改めて決意した。

 我が党は、内治主義を目指し、人民大衆の生活権益を擁護する。護憲の立場にとどまるのではなく、戦後憲法を英明憲法と認め、それの実質化を追求する。戦後自民党ハト派の舵取りを評価し、その政治を現代的に継承する。国際的には諸外国との平和共存及び協調を創出する。忽ちは、イラクへ派兵された自衛隊の直ちの撤退を求める。

 我が党は、国会審議の質を高めるため、繰り出される反動法案を潰すため、新日本青写真を生み出すために、大量の候補者を立て、議員団を大挙して国会に送り込む。我が党の議員は責任与党政治を求め、その為に政権奪取に向う。

 他党との共同は須らくこの見地から行われる。2005年衆院選に誕生した国民党、新党日本、大地党、既成の民主、共産、社民、新社会党に対し、可能な限りの共同戦線を求める。仮に、共産党の敵対が予想されるが、日本左派運動の本領を証する為に論戦し、人民大衆の判断を求める。

 以上を、2005衆院選に寄せる我が党の決意と指針とする。とはいえ、残念ながら2005衆院選に候補を立てることが間に合わなかった。それは偏に我が党の始発に於けるユーモア性に負っている。しかし、時代の情況が次第にユーモアを許さなくなりつつある。あまりにも腐敗した政治をこれ以上座視するには忍び難いものがある。我が党は次第に本気化しつつある。

 しかし、今回は間に合わなかった。故に、こたびは次善策を呼びかける。我が党は、次の戦略戦術を提起する。
 その1、造反派の選挙区では極力造反派を支援する。
 その2、造反派のいない自民対民主の接戦区では民主を支持する。
     特に民主党内護憲派に対しては口コミ支援する。
 その3、自民絶対優位が予想される選挙区では、護憲派を基準に候補を物色する。
 その4、該当者がいない場合には田中角栄、れんだいこ等々任意な名前を書き込む。
 その5、比例区では、民主、国民、日本、大地のいずれかが○。
     自民、公明、共産は×。社民は△。

 目下、世界各国は、現代世界を牛耳る地下政府としての国際金融資本、表権力としての米英ユ連合に恣(ほしいまま)に蹂躙されている。我が日本も例外でなく、1970年代半ばからのロッキード事件騒動を通じて脳震盪を引き起こし、80年代の中曽根政権誕生により急速度に売国化が進み、今日の小泉首相にまで辿り着いている。この過程は、ネオシオニズム配下国家作りであった。

 「自民党をぶっ潰す」で登場した小泉政権の真意は、その為に障害となる戦後ハト派の最後的一掃に有る。ハト派対タカ派の雑居構造の日本政治をタカ派一辺倒に純化させ、国を企業を人材をを売り渡す売国奴政権である。戦後三番目の長期政権となった小泉政権をのさばらせることは、日本人大衆の日本左派運動の屈辱でしかない。

 我が党は、日本政治の能力を証する為に命を歴史に刻む。我が党は、幕末志士が成し遂げた回天運動を高く評価し、150年ぶりに再来させることを誓い、内治主義と国際平和の為に尽力する。人民大衆権力創出による諸国民協和社会を実現する為に、軍需勢力と全力で闘う。我々は、闘う過程で各地の同志を発掘し、諸賢を引き寄せ絆を結ぶ。

 2005.8.30日 たすけあい党党首れんだいこ声明




(私論.私見)