カンテラ時評7(181〜210) |
(最新見直し2007.7.12日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
2007.3.24日 れんだいこ拝 |
Re:宮顕問題考 | れんだいこ | メール | URL | 2006/06/20 16:52 |
愚痴愚痴さんちわぁ。 > 宮顕説話について話を戻せば、教祖様のあげつらう諸点、および私の観察はいわば全て「状況証拠」であり、物証がない。ベンベン。 宮顕の胡散臭さは、れんだいこが「宮顕のはるかなる変態長征総史」(miyamotoron/miyamotoron_hosoku_gaikatu.htm)で記している通りです。この事件をも物証がないと看做したら、話がかみ合わなくなります。宮顕擁護派はそう云いたいのでせうが、我々は、査問アジト、凶器、解剖所見、関係者の陳述調書は皆これ物証とせねばなりません。 宮顕ー不破系党中央は、それらが明らかになっても煙巻き論法で詭弁し抜き弁護しますが、弁護すればするほど辻褄が合わなくなります。結局触れたくないゆえに隠すということになります。しかし、これはやはりきちんと総括しないといけない。 この事件の真の問題は、宮顕が云うようなスパイ摘発闘争過程でのスパイ致死ではなく、逆に、最後の労働者畑中央委員小畑がスパイ派の宮顕ー袴田グループによりテロにれたことにあります。そういう意味に於いて、小畑の死は無念の死で有り続けているわけです。真相を明らかにしなければならないのは、この両方の意味から必要です。 れんだいこが何度も発信しているのに、おかしなことに日共批判を始発としている新左翼系も含めこれを採りあげませんね。れんだいこが何か奇説を放って注目浴びようとしている程度に理解しようとしているのでせう。れんだいこは、そういう受け取られ方を無視します。むしろ、そういう捉え方する手前達が如何に真実から遠く離れたところで論じているのか一事万事の好例とみなしております。 結局、れんだいこが頼るべき政党が無いから止むを得ず自前で政党も教派も立ち上げているわけです。党員、宗員が少ないのは残念ですが仕方有りません。恐らく、れんだいこ死すとでもなると、いやぁあいつの見解は値打ちもの、俺は前から評価してたんだという調子者がでてくるでせうね。歴史を見ればそういう事例が多い。 > 物証を勇気あるジャーナリストが公にしたとしよう。私が日本変革の運動で最も頼りにするK党の実直誠実な「地べた這いずり回り人」を、日本変革運動から離反せしめてしまうのではなかろうか?余りのショックで彼等は絶望するに違いないからである。これは、日本の未来にとって、(私の老老介護にとって)重大な損失である。なんとか、ショックを和らげるべく、しかるべきソフトランディング的決着はないものか?べんべん。 あなたの云うような「実直誠実な地べた這いずり回り人」を信じません。宮顕ー不破系指導に長年浸ることが出来るのは、不真面目さ無しにはできないからです。実直誠実な人は党を出るか、党内反対派として居残るか、体に変調をきたすかどちらかで、今現に「地べた這いずり回り人」に実直誠実な人は居ないと思っております。むしろ、しがらみ優先ないしは無気力ないしは条件反射タイプでせう単に。 れんだいこの真実の指摘を聞いてもなお「ソフトランディング的決着はないものか」と問うのは、話が通じないタイプですね。逆になるべきで、党員は正当に怒り、党中央に真相究明を迫るべしです。この立場に立つことができるかどうかが左派リトマス紙であり、この立場に立てられない者に未来を任すことはできません。 立花については若干の考察をしておりますが、胡散臭い御仁ですね。こういう手合いが持て囃される嫌な時代です。 |
れんだいこのカンテラ時評181 | れんだいこ | メール | URL | 2006/06/20 17:53 |
【この頃の「世相いろは歌」】
山本七平氏の「派閥」を読んでいたら、次のような「世相いろは歌」に出くわした。面白いのでここに転載しておく。東京日々新聞に掲載されたとのことである。時代はいつの頃のことであろうか。 い 今も昔も神国なるに ろ ロシアアメリカヨーロッパ は 馬鹿な夷風に目はくらみ に 日本の乱れは顧みず ほ 歩(法、帆?)を異国に立かえて へ 下手の将戯(将棋)手前見ず と 取られそうだと金銀を ち 智恵あり顔に無分別 り 利欲我が儘し放題 ぬ 盗みは官員、咎(とが)は民 る 流浪の士族夥(おびただ)し を 多くの租税罰金を わ 私勝ちの政事故(ゆえ) か 替わる布告は朝夕に よ 世の行く末はいかならん た 高き卑しき分かちなく れ 礼も作法も無くなりて そ そんな我国益は彼れ つ つまり夷国の計略に ね 佞奸(ねいかん)者は打ち合うて な 何はともあれ角もあれ ら らい名潰したその時に む 昔に復るというたのも う ウソと今こそ知られけり ゐ 命を捨て国のため の 逃さず討てよ佞奸を お 大久保三条契り合い く 暮らすこの世は面白や や 止められようかや花の夢 ま 迷う心の末いかに け 唐人らに国を売り ぶ 武具も刀も捨てよとは こ 古今聞かざる布告なり え 蝦夷地も最早追い取られ て 天下の治乱は只今よ あ 明日はかからん暗殺に さ さらば逢わんと思えども き 清き心は神人は勤王家 ゆ 憂士はあまた隠れ居て め 命を奉ずる者も無く み みすみす二人が居るゆえに じ 職の人は勤王家 ゑ 英名敢えて好まねど ひ 非道を責めるは天の道 も 最早この上忍ばれず せ せめて尽くすは武士(もののふ)の ず すまんの民を救わんと 京を限りの死に出の旅 明治維新過程の明治7年頃の士族の反乱、その最後の大舞台となった西南の役に向う過程での、討幕派幕末志士の「裏切られた革命」に対する悲憤慷慨の歌である。れんだいこが思うに、士族の反乱の不平を武士の地位失職に対するものとして受け取るのは一知半解なのではなかろうか。 実際には、命を賭した幕末維新革命が捻じ曲げられ、ネオ・シオニズムに取り込まれた薩長藩閥専制と化したことに対する抗議として、続々と士族の反乱が起ったのではなかろうか。それはいわば第二の維新であったがいずれも破れた。「不平士族の反乱」はかく受け取るべきではなかろうか。歴史家はそう伝えるべきであるのに、真相を意図的に隠蔽しているのではなかろうか。 それにしても、このいろは歌が今にも通じているように聞こえるところが面白い。「官の腐敗、政治の私物化、夷国の計略、佞奸(ねいかん)者、唐人らに国を売り」云々とある。これに立腹し、「非道を責めるは天の道、最早この上忍ばれず、せめて尽くすは武士(もののふ)の、すまんの民を救わんと、京を限りの死に出の旅」と決意表明している。 その志操や深いと味わうべきではなかろうか。 明治維新の史的過程考(mikiron/nakayamamikikenkyu_40_2_history.htm) 2006.6.20日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評182 | れんだいこ | メール | URL | 2006/06/22 19:31 |
【航空自衛隊の参戦深化に怒り狂え】 2006.6.20日、小泉政権は、イラクへ武装派兵していた陸上自衛隊の撤退を決定した。額賀福志郎防衛庁長官は現在活動中の第10次イラク復興支援群などに撤退命令を出した。この7月に現地の治安権限が英国、オーストラリア軍からイラク新政府に移管されることに合わせて撤退を決断したと云う。派遣部隊は3カ月交代のローテーションで全国から派遣され、十次にわたり総数5千5百名を数えたことになる。 商業新聞は相も変わらず、「自衛隊の最高指揮官である首相が自分の任期内に撤退を決めたのは、最高指揮官としてけじめをつけたかったのだろう」などと傍観評論している。否、「一人の犠牲も出なかったのは奇跡に近い。全員無事に帰ってきてもらいたい」などと安逸評論している。 おいメディアよ。派兵時に賛成、撤兵時にも賛成とはええ加減な根性しとるなったく。お前達にはペンの責任つうものがないのか。ただの一社でも良い、これは内閣総辞職が不可避ではないのかと問わないのだ。ペン責問われるから書けないつう訳か。 れんだいこが思うに、小ねずみの場合、内閣総辞職どころの騒ぎでは済まない。憲法率先遵守規定違反罪で刑事告発されるべきだ。国費無駄使いの責任も取らすべきだ。私費をはたいて弁償せよ。今のところ、各界からの小ねずみ失政を問う姿勢が微塵もないが、それは寛容というより単に政治痴呆を証左している。 小泉政権はさる日、「1・自衛隊の、2専守防衛区域外の、3・戦地、4・武装派兵」という暴挙を憲法違反承知で強行採決し、国民の血税を莫大に投入した挙句何の成果も無いまま撤退を余儀なくされることになった。これの政治責任取らなくて良いとしたら、今後は全てが許されようぞ。 こういうことなら、国会なぞいらんがな。議院と議員の維持経費浮かせて、公共事業に回せ。過重累積国家債務の償却に回せ。その方がよほど理屈に合っているわな。 小ネズミは陸上自衛隊は撤退させるが、航空自衛隊はその後も残し、否国連や米国など多国籍軍の輸送支援に乗り出し、輸送先をバグダッド空港と北部アルビル空港に拡大することを表明している。こったらことが何ゆえ勝手に許されるのか。天皇をも超える首相権限万能論がいつから形成されたのだろうか。 ところが、日共と社民は聞き分けが良いようで、政府説明を聞くと云う。小沢が会談を蹴ったようだが、当り前だろう。本来、国会で堂々と質疑すべき国政重大事案件であるからして、姑息な会談根回しなどもってのほかと拒否し、この件に関する限りの特別国会開催まで要求するのが見識だろう。政府は国民に弁明せねばなるまい。この問題に関する限り、小沢民主党がかっての左派の立場に位置し、日共と社民が馬脚を露わした感がある。 それにしても、小ネズミは、「専守防衛区域」を聞かれ、意訳概要「じゃかましい。神学論争などに興味ないわい」と一蹴し、自衛隊派兵圏域の枠を取り外した。司法は沈黙したが、「高度な政治判断事項故に司法判断なじまない論」を超えて、この場合には「憲法上許されない」とする見識が欲しかった。望むべくもない事は百も承知だが。 しかし、こういう上から法治主義の原則を崩すという暴挙を許すと、下々の社会も崩れるのが法理だろう。何や最近はけったいな犯罪が多過ぎる。マジ、小ねずみになってから目立つな。社会犯罪学者は、小ねずみ効果として検証してみればよいのに、こういうことになると尻込みするな。 小泉政権は、その越権により費やした国費の無駄振りを明らかにせねばならない。政府が発表しないのならメディアが追跡せねばなるまい。ところがどうだ、両者は阿吽の呼吸でこの機密を隠蔽したがっているように思われる。 もしこの蓋を開ければ、5年余の小泉政権の構造改革の舞台裏が暴かれよう。米英ユ同盟に吸い取られた天文学的巨費の垂れ流し政治の実態が明るみに出よう。民営化路線の虚飾が剥げよう。このご時世でマジメ顔して地方切捨て中小零細企業いじめの財政改革に明け暮れている者のとんま顔が浮き彫りになるだろう。 思えば、2003.7月、小ネズミは、当時の菅民主党代表の国会質問「非戦闘地域はどこか」に対し、「(どこが非戦闘地域か)そんなこと今私に聞かれたってわかるわけがない」と答え、翌年11月、当時の岡田民主党代表には「自衛隊が行っているところが非戦闘地域である」と答えている。凡そ不真面目であるが、こんな発言が許されてきた。 そして、自衛隊の撤退が決まった。但し、陸自は帰るが航自は更に深入りすると云う。この新事態に際して街頭デモに移すでもなく、日共と社民は、政府説明を聞くと云う。れんだいこ史観によると、日共は宮顕ー不破以来当局と裏で通じているヌエだからして云うに価せず、故に云わない。福島よ君には云う。聞くまでもない事を何で聞こうとするのだ。国会でガンガンヤランカイ。空気抜き御用政党として金魚のフン運動するのは見飽きたんだつうのに。 2006.6.22日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評183 | れんだいこ | メール | URL | 2006/06/23 21:57 |
【記者記事載せるのは良いが、しゃんとせぇ】 2006.6.23日付け毎日新聞の「記者の目」に、論説室委員とおぼしき高畑昭男記者の「間違っていなかった人道支援限定」なる記事が掲載されている。れんだいこがこれを罵倒する。 「間違っていなかった人道支援限定」タイトルからして胸糞が悪くなる。それはそれとして、この御仁はのっけから、英国の諺の「困った時の友人こそ、真の友人」を持ち出し、小ネズミのブッシュ支援政策を礼賛している。 そうやって陸上自衛隊イラク派兵を是認するが、さすがに気が引けるのか、「多くのイラク人たちもまたそうだったのではないだろうか」と何の根拠も無い事を付け足して安堵しようとしている。続いて、「敢えて人道復興支援に限定して陸自を危険な任務に派遣した日本政府の決断は決して間違っていなかったと私は思う」とも述べている。 れんだいこは、この下りだけで、高畑記者の阿諛追従性格を見て取ることが出来る。一応はジャーナリストのはしくれだろうに、居酒屋談義以下のレベルの感想しか記していない。これで高給とっていたら許さんぞ。 毎日新聞にしてこうだから、他社のそれはもっと酷いだろう。今や日本のジャーナリズムの見識不足は極まっているとしかいいようがない。高畑的御仁の性格は直らないだろう。こういう手合いは、今後いくら情報を得ても、いざ本番の判断となると誤るタチだろう。その自信の無さ故にいつも政府の太鼓もちを常態とさせ、御身保身に走らせるのだろう。 高畑よ、「困った時の友人こそ、真の友人」と云うが、その友人が何をしてどんな助けを求めているかを尋ねることが肝腎だろう。このことは日常生活レベルでも分かることだ。その上での対応が問われている訳で、闇雲な助けは真の友人のすることではなかろう。 体制側に立ってみても、9.11テロ以来のブッシュ政権の国連決議要せずの暴走先制攻撃戦争に対しては一家言あるべきだ。その政策を助けるのが真の友人となる保証はない。おまえの論に拠っても、「苦口で言いにくい事を云うのが真の友人」とも云えるだろうに。 要するに高畑は、世界最強とされている米英ユに随っておれば御身安泰というドグマに捉われているだけの事でしかない。しかしなぁ米英ユ同盟が病んでいる可能性も見て取るのが歴史眼というもので、複眼思考とも云う。 そういう観点を微塵も持ちあわさない高畑は、珍妙な見解を縷縷披瀝した後で、「自衛隊派遣が国益に大きなプラスになった」、「派遣の意義をこのように前向きに位置づけることがその苦労にも報いることになる」とまで述べている。 云うのは勝手だが、この御仁が根っからの体制べったり派であることが分かる。今為すべきは、自衛隊派遣が国益にプラスにならなかったことの自省であり、「派遣の意義を否定的に位置づけることで今後の教訓にする」ことである。お前は全て逆さまに解説している。 何の意味があって逆さま解説するのか分からないが、恐らく当人も分かっていないのだろう。こういうおざなり記事書いておれば社内も政府も満足するだろうという読みで追従しているだけなのだろう。こういう記者ばかりになると社も発展せんわな。 「日本の行動に対しても『対米従属』 『ポチ』といった心ない批判を浴びせられがちだった」とまで云う。おい高畑よ、小ネズミが対米従属ポチ政策とっているのは自明だろうが。「心ない批判」ではなくまさに「的確な批判」だろうが。普通に見ればよいだけの事を、何で持って回って反対に解説しようとするのか。お前の奴隷性ジャーナルはもう聞きたくない。 「ポスト小泉候補たちには同盟と国際協調のバランス感覚を今からじっくりと磨いてもらいたい」で締め括っている。ここでも無茶苦茶な書き方をしている。おい高畑よ、ポスト小泉候補たちにまで対米従属ポチ政策を強制しようとするお前はどこまでアホなのか。誰が見ても軌道修正するチャンスだろうが。 「同盟と国際協調のバランス感覚」などと書く神経も分からない。「憲法的枠組みと日米同盟とのバランス感覚」が問われているのであり、普通はそう書くべきところであろう。「同盟と国際協調のバランス感覚」は、この場合ほぼ一緒であるからして何の意味もなさない。おい毎日よ、こったら胸糞の悪くなる記事載せるなら購読止めるぞ。 2006.6.23日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評184 | れんだいこ | メール | URL | 2006/07/01 21:10 |
【橋本龍太郎逝去に寄せて】
2006.7.1日、元首相橋本龍太郎(以下、「橋龍」と記す)が多臓器不全などのため東京都内の病院で死去した(享年69歳)。これをどう評すべきか。 「橋龍」は、1937年、東京生まれ。慶応大法学部政治学科を卒業し、呉羽紡績(現東洋紡)に入社した。厚相などを務めた父龍伍氏の死去に伴い、1963年、衆院旧岡山2区から出馬し26歳で初当選。現行制度に移行した96年からは岡山4区選出で、当選は連続14回。 次第に頭角を現し、1978年の第1次大平内閣で厚相として初入閣。その後、竹下登元首相(故人)が結成した創政会に参加し、竹下派では梶山静六元官房長官(同)や小沢一郎氏(現民主党代表)、小渕恵三(故元首相)らとともに「7奉行」と称された。第3次中曽根内閣で運輸相に就き、国鉄の分割民営化を主導した。1989年の宇野内閣で自民党幹事長、に就任したが、同年7月の参院選で惨敗、わずか2カ月の在任に終わった。海部内閣では3期連続、蔵相を務めた。 自民党が野党に下野した93年に党政調会長に就任。94年には村山内閣の通産相に就いた。1995.9月の自民党総裁選で小泉純一郎氏(現首相)を破り第17代総裁に選出。1996.1月、自民、社会、さきがけ3党連立の村山富市首相に禅譲される形で第82代首相に就任し、2年半にわたって首相を務めた。宮沢内閣以来、自民党から約2年半ぶりに首相の座に就いた。 在任中は行政改革や財政改革など「6大改革」を掲げ、中央省庁を現行の1府12省庁に再編する案をまとめた。財政再建のため消費税率を3%から5%に引き上げたほか、財政構造改革法を成立させた。(れんだいこボソボソ)ろくなことをしていない。もうこの頃はだれがやってもそうなるけども。 1996年、クリントン米政権との間で米軍普天間飛行場の返還で合意。ただ返還作業は進まず、代替施設はキャンプ・シュワブ沿岸部に建設するよう合意内容が見直されるなどの経過をたどっている。 北方領土問題の解決にも精力的に取り組み、1997年のロシアのエリツィン大統領との会談で、2000年までの平和条約締結に全力を尽くすとした「クラスノヤルスク合意」を結んだ。1998年、ロシアが北方四島の日本帰属を認めれば、施政権の返還は当面求めないとする「川奈提案」を示した。 1996.10月、小選挙区比例代表並立制による初めての総選挙で小沢一郎党首が率いる新進党を破った。1997年、ロッキード事件で有罪が確定した佐藤孝行氏を総務庁長官に起用したことを機に求心力が低下。消費税増税、特別減税の廃止による景気低迷と、山一証券の破綻(はたん)などで金融危機が深まる中、1998.7月、参院選で自民党が大敗、首相を辞任した。 2000.7月、当時の自民党最大派閥「平成研究会」(橋本派)会長に就任。同年12月の第2次森改造内閣では、行革、沖縄・北方担当相として入閣した。2001.4月、総裁選に立候補したが、小泉首相に敗れた。 2000.4月、日本歯科医師連盟からの1億円ヤミ献金事件が摘発され、2004.7月、責任をとる形で自民党橋本派会長を辞任。同年11月には衆院政治倫理審査会で、1億円受領について「事実なんだろうと思う」などと弁明した。(れんだいこボソボソ)この事件の真相は未だに不明。嵌められた可能性が強い。 2005.9月の衆院選に出馬せず政界を引退していた。同選挙で比例代表中国ブロックから初当選した橋本岳氏は二男。橋本大二郎・高知県知事は実弟。その後は、環境などの分野で活動を続けていた。2006.6.4日夜、腹痛を訴え入院。腸管虚血との診断を受け、大腸の大部分を切除するなどの手術を受けていた。 ヘアクリームでオールバックに固めた髪形がトレードマーク。趣味の写真はセミプロ。剣道は教士六段。登山は1988年の日本・中国・ネパールの3国友好登山隊で、日本隊名誉総隊長を務めた。「厚生族のドン」とも呼ばれた。 以上は、一般的な情報記事である。本当は次のことが肝腎である。「橋龍」は、初当選以来、当時の戦後保守主流派佐藤派に属し、同時にめきめきと頭角を現しつつあった田中角栄の子飼いグループに位置して遊泳していった。ポスト佐藤の福田対田中戦争で田中が勝利することにより、登用されていくことになった。つまり、日の当たる坂道を歩一歩登っていくことになった。 しかし、この頃形成されつつあった田中ー大平同盟に対し、現代世界を牛耳る「シオンの議定書派」即ちネオ・シオニストの米英ユ同盟奥の院は徹底殲滅に向った。それは、田中ー大平同盟による政治支配が強まるにつれ、日本の自主化が進み、ネオ・シオニストの米英ユ同盟奥の院の手綱から離れ、コントロールが利かなくなるからであった。 そのことを恐れたネオ・シオニストは、ジャップに目にものをみせてやると、用意周到に且つ総力を挙げてロッキード事件を勃発させた。この時の雇われ右翼と日共の立ち回りこそ噴飯ものである。マスコミは、今に繋がるネオ・シオニストの御用プロパガンダを喧騒していった。 事件の捜査は、本星の児玉ー中曽根ー松野ラインには向わず、既定方針通りに次第に角栄包囲網が狭められ、角栄は遂に逮捕された。この時、「橋龍」が後の首相を当確させる素敵なセリフを吐いた。多くの同志が日和見を決め込む中で、「橋龍」一人が、「それでも俺はオヤジが好きなんだ」との胸中を公言させた。形勢利有らずの中での勇気ある告白であった。この時、「橋龍」は男を挙げた。 「橋龍」は、角栄釈放時にも何憚ることなく迎えに出向いている。ここでも、見る者が見れば男を挙げた。あの頃の「橋龍」は格好良かった。その後、紆余曲折視ながらも出世階段を登りつめ首相になる。その後の「橋龍」が、「男になった」かの時の矜持(きょうじ)を持ち合わせていれば「更に男になった」筈である。 「橋龍」は、その頃から「俺は元々佐藤派で田中派ではない」と御身保全に向かい始めた。この瞬間から男を下げ始めた。以降の「橋龍」の解説は無意味であるので割愛する。 ところで、果敢に角栄を護った男がもう一人いる。ロッキード公判を欠かさず通い詰めた男が居る。小沢である。小沢が操を曲げず今日まで奮闘していることは見上げたものである。「橋龍」の常在主流派癖に比して、党を割り、イバラの道へ向った。火中の栗を拾い、大ヤケドしながら今日まで辿り着いていることは大いに評価されるべきである。 ネオ・シオニストが日本を呑み込み、使い捨てにせんと策謀を廻らしている渦中の形勢利あらず只中で、見識を示していることは男の中の男である。小ネズミ的嬌態政治から決別するのは、角栄政治の薫陶を正面から受け止めているこの男を通して以外に無い。 「橋龍」と小沢。政治に翻弄され、歩んだ道はそれぞれのものとなったが、戦後保守主流派を形成したハト派政治の何たるかを知っているだけに、今の政治にはがゆさを覚えている点では共通しているであろう。「橋龍」の死は、袂を分かった者であるとはいえ、小沢にとって損失であろう。しかし、今は懐旧する暇は要らない。屍を踏み越えて政権奪取に向かえ。日本人民大衆の大包囲網で勝負に向う以外に無かろう。思いつくまま。 「橋本龍太郎論」(seito_giminto_history_hashiryuron.htm) 2006.7.1日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評185 | れんだいこ | メール | URL | 2006/07/05 19:53 |
【「鹿砦(ろくさい)社裁判第一審判決考」)】
2006.7.4日、出版物やホームページで阪神タイガース元職員やパチスロ聖像会社役員らを中傷したとして、名誉毀損罪に問われた出版社「鹿砦社」社長・松岡利康被告に対し、神戸地裁刑事2部で第一審判決(佐野哲生裁判長、101号大法廷)が下され、検察求刑「1年6ヶ月」に対し、「懲役1年2ヶ月、執行猶予4年」が言い渡された。 裁判長は、「無責任で身勝手な動機から、過激な表現で長期間にわたり被害者の名誉を傷つけた。表現の自由に名を借りた言葉の暴力と云わざるを得ない」と判決理由を述べた。 松岡被告及び支援団体は、「不当判決」だとして控訴を検討中であるが、どう対応すべきだろうか。判決文は読み上げられただけで、関係者の下に届くのは数日後となる。従って、現時点では、記憶に頼らざるを得ない。傍聴した一人としてのれんだいこの私見を述べておく。 思うに、「執行猶予付き判決」は、最悪予想されていた執行猶予無しの実刑判決より軽かったのではなかろうか。それだけ狡猾と云えなくもないが、このことの意味を踏まえる必要があるのではなかろうか。 判決文は、「鹿砦(ろくさい)社裁判」の事件経緯について詳細に論じ、その限りでの松岡被告の責任を問うものになった。特に、名誉毀損罪に当る過程を解析し、松岡被告の悪意無き流れ、あるいは許容されるべき事情を縷縷検証しており、この点は評価されるべきではなかろうか。よって、この量刑は相当ではなかろうか、ということになる。 但し、問題は次のことにある。松岡被告及び弁護団及び支援者が問うたのはむしろ、表現・出版・批判の自由権を廻る憲法論争であった。且つ、逃亡ないしは証拠隠滅の恐れの無い松岡被告を不当逮捕し、接見禁止にした上6ヶ月にも及ぶ長期拘留に対して、これを弾圧として、権力犯罪として告発していた。 こたびの判決は、この問題に何ら判断を示さなかった。佐野裁判長は、専ら技術論に終始し逃げた形跡がある。量刑から長期拘留6か月分を差引くというのが、僅かに見せた温情であった。 裁判長のこの態度は、司法が法律判断を避けようとしている点で、現代法廷及び司法の病理を物語っていよう。今後とも、裁判所が、検察及び警察の行き過ぎた行為に付き何ら咎められないことになると、それは三権分立法秩序の根底を崩すことになりかねない、現代版治安維持法化を誘う司法の危険な液状化とでも云うべきではなかろうか。れんだいこは、かく見立てる。 以上より、次のような方策が立てられるべきだということになる。こたびの判決を不当判決として控訴し、高裁で争い、最高裁まで持っていくことが、賢明であろうか。れんだいこはやや疑義を覚える。むしろ、「執行猶予付き」を評価し、本件を落着させるべきではなかろうか。その代わりに、出版社の社長が、出版物の責任を問われ、逮捕されたこと、更に、接見禁止で長期拘留されたことに対して国家賠償責任を問う訴訟を起すべきではなかろうか。 「鹿砦(ろくさい)社裁判」をちまちました名誉毀損罪で争うのではなく、権力の不当弾圧としてその責任を問う形での逆攻勢法廷闘争に立ち向かうべきではなかろうか。そのことにより、同種の係争事件を糾合せしめ、更には権力の不当弾圧被害事件をも糾合せしめ、大々的に運動を組織していくことができるのではなかろうか。 このところ、政府自民党が売国奴系タカ派政権に純化するに応じてこの種の事件が数多く生み出されつつある。小泉政権は、手前は「人生いろいろ、あれこれいろいろ」、「本人が決めること」で逃げ切り、政敵に対しては「自己責任、説明責任がある」などと恣意的な対応を恣にしている。小泉政権下での法秩序爬行現象は目に余る。 我々は、小泉政権下で進行しつつあるこの種の権力犯罪に真っ向から立ち向かうべきで、松岡裁判をその砦として押し立てて行くべきではなかろうか。インターネット言論界で、思うところを述べているれんだいこにとって他人事でないのは無論である。そういうこともあって注目しているが、松岡氏はかく闘うべきだと考える。以上、感想を記しておく。 【「鹿砦(ろくさい)社裁判」(「鹿砦社社長・松岡利康不当逮捕裁判闘争」)考】(mascomiron_rokusaisyasaibanco.htm) 2006.7.4日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評186 | れんだいこ | メール | URL | 2006/07/12 16:30 |
【「れんだいこ訳・空想より科学へ」創出万歳】
れんだいこの知るところのマルクス主義本は、その普及本で挙げるなら、「共産主義者の宣言」と「空想より科学へ」が双璧である。これには、このニ書を読まなければお話にならないという裏意味がある。れんだいこは若かりし頃、例に漏れずこのニ書を熟読吟味した。しかし、全体の趣旨は分かったものの、個別の箇所では意味を読み取ることができなかった。れんだいこは、自身の能力不足を責めると同時に普及本でさえ難解な社会主義論の奥深さに辟易させられた。そういう覚えがある。 れんだいこはその頃数年間、日共系左派運動に関わったが、いろんな理由で縁を切った。その後数十年意図して非政治的に世を過ごしてきた。しかし、若い頃に培った脳はいずれ回帰する。1999年頃より再び政治に関心を示し始め、2000.2.11日、左往来人生学院をインターネット上に立ち上げた。狙いは、れんだいこが若い頃からもやもやしていたことに決着をつけることにあった。 あの頃、れんだいこは、運動上の種々の疑問を覚えていたが、20歳前半という若さと能力不足を理由にして、疑問を封殺内向させた。しかし、その後数十年生き50歳を数えるようになると、れんだいこの疑問はますますむくむくと起き上がり確信を帯びていた。もはや若さ故というのは理由にならなかった。れんだいこの疑問はただひたすら能力不足故かどうかということになった。 左往来人生学院は、日共指導の検証から開始した。ここを解析しないと喉の支えが下りないからであった。判明したことは次のようなことであった。戦前戦後を通じての日共運動は、時代的制約と能力的限界を持ちながらも「紅運動」であったことは間違いない。しかし、それを展開したのは、戦後直後の党中央を指導した徳球ー伊藤律系の時代までであり、「50年分裂」後に党中央を占拠した野坂ー宮顕系は、戦前もこのコンビが日共運動を解体させた実績を見せており、左派運動史上最悪コンビの再登場を許したことになる。 野坂ー宮顕系は、党中央権力を掌握した六全協以来、戦後もここから変調運動を指導することになり、党運動を捻じ曲げ、実質的に解体の道へリードさせることになった。この後を継ぐのが不破であり、志位へとつなぎ今日に至っている。どこから見ても左派運動とは似ても似つかぬ日共運動という、恐らく日本特有のケッタイな運動を今も続けている。 野坂ー宮顕ー不破ー志位系譜は、政敵に対して罵詈雑言するが、党内造反派に対して反共分子と規定して批判するが、野坂ー宮顕ー不破ー志位系譜こそ真性の反共主義者であり、スパイ系列の者である。そうとしか考えられない。そのスパイ派が、党内外の戦闘的分子に対し、いろんな口実を設けては潰しにかかってきた歴史がある。人は誰もそうであるように潰される側にも弱点がある。そこを執拗に機関紙・誌で突かれ汚名を着せられるのが常套手段である。 それはともかく、日共党中央をそのように看做すようになったからには、この連中の管轄するもの一切が疑惑されねばならなくなった。そういう関心から、「共産主義者の宣言」の自力翻訳に着手し、こたび「空想より科学へ」に向った。この普及本が普及本として活用されるよう願ってのことである。本来の普及本が普及されず、ろくでもない解説本を押し付けられているのが現実である。れんだいこは、この現実をオカシイと考え、普及本を普及本として普及させるべく翻訳に向った。 この時点では既に分かっていた。れんだいこは、「共産主義者の宣言」の訳出の時の経験で、文意の正確な伝達ができないよう嫌らしい配慮が為されていたり、肝腎なとこで「故意としか考えられない悪意ある誤訳」に書きえられていることを知っている。要するに、普及本にならないように、仮に普及しても役に立たないように悪智恵が凝らされていることを知っている。 「空想より科学へ」の訳出過程はそのことを確認する旅でもあった。予想通り、「共産主義者の宣言」と同様の悪戯が為されている。ここに、「白運動」指導部の為せる技を見て取ることが出来る。この調子でいくと、他の原典も然りであろうことが推測される。追々気の向くままに着手してみたい。こう指摘しても、何の感慨も湧かさない諸氏がいたらとして、これを偶然で済ますべきであろうか。 以上を踏まえると、こういうことになろう。「紅運動」は、普及本「共産主義者の宣言」、「空想より科学へ」を適訳で普及させようとする。「白運動」は、普及しないように努力し、読んでも悪訳で役に立たないように工夫する。この差は大きい。この明瞭な違いがあるにも拘わらず、このことが指摘されないまま今日まで至っている。仮によしんば、既成訳を通してさえ我が輩は眼光紙背に読み取る能力を持っているからそれほど問題ではないと嘯くにしても、イケナイことは改めるに如かずであろう。 こたびれんだいこが又も体張って挑んだ。まだまだ不十分であることは分かっている。細部までの推敲ができていないので、順次見直してより適正訳に向かいたいと思う。以上のれんだいこの物言いに不審を覚えるなら、「共産主義者の宣言」、「空想より科学へ」の既成訳とれんだいこ訳の対照で、審判を仰ごうと思っている。目下は時間と意欲の関係で出来ておらず、どなたかがやってくれるのを望んでいる。もっとも、れんだいこ訳はネット上の文字であるから、いつでも書き換えられており、最新日付のものがれんだいこ訳ということになる。 それにしても、「共産主義者の宣言」、「空想より科学へ」ぐらいは訳本は致し方ないにしても直接読みこなさなければならないだろう。解説本ばかり読まされ、事項や人名注釈で却って難しくされている。本文にも、原文には無い注が挿入され、書き手と読み手の文意の相互伝達リズムが生じないよう工夫されている。そこまで尤もらしくする前に、もう少しましな正訳するのに努力するのが当り前だろうに。 そういう訳で、れんだいこはとにかく、宮顕ー不破系列のする事為す事が気に食わない。この連中を廃棄すること、「紅運動」指導部の下で戦列を強化することが最初の革命ではないかと思っている。これができぬまま中央政治のあれこれにケチ付け批判運動することは趣味運動ではないかと思っている。そういう趣味運動の下で日本がどんどん溶解していることが我慢できない。 この国の坊ちゃん嬢ちゃん政治は既に悲劇も喜劇も通り越して単にお笑いのそれでしかない域に達している。マスコミの御用報道も然りで、一刻も早く日本版アルジャジーラ放送局を開設せねばならない。テポドン騒動で明け暮れ、イスラエルのガザ再々侵攻に何のコメントも無い報道に怒らねばならない。情報が偏って取捨選択され過ぎている。この現実を如何せん。 2006.7.12日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評188 | れんだいこ | メール | URL | 2006/07/21 21:47 |
【A級戦犯分祀論と新国立追悼施設設置の動きについて】 2,006.7.20日付けの日経新聞スクープによる「富田宮内庁長官の1988年メモに基づく昭和天皇のA級戦犯靖国神社合祀不快発言」(以下、単に「富田宮内庁長官メモ」と云う)を廻って、A級戦犯分祀化の論調が高まりつつある。れんだいこがこれにコメントする。 この問題は次の三点から論ぜられるべきである。一つは、不快発言に見られる昭和天皇のA級戦犯観論。二つ目は、A級戦犯分祀の是非論。これに関連して新国立追悼施設設置の是非論。三つは、小泉首相の「天皇思惑に拘わらず参拝自由論」に絡む不敬問題。これを総合的に論ずることが要求されている。昨今の論調は、これに真っ当に答えているであろうか。例によって無内容な論議に終始していないか。 第一の「不快発言に見られる昭和天皇のA級戦犯観論」について。これについて、太田龍・氏の「2,006.7.20日付けbP747時事寸評」の「昭和天皇が、A級戦犯靖国神社合祀に不快感、との富田メモが公表された。そのことの意味」が参考になる。太田氏は次のように述べている。 意訳概要「昭和天皇は元々親英米派であり、松岡洋右、白鳥敏夫両外交官による日独伊三国同盟推進には本心では反対であったと思われる。しかし、天皇としての拒否権を発動することは出来なかった。日独伊三国同盟推進側に付いた靖国神社と昭和天皇には根本路線上の対立がある。それは、大東亜戦争に対する評価、東京裁判に対する評価についての対立となる。つまり、米英帝国主義に対する日本の戦争を正義の戦争として今の日本人が評価すべきか否か、と言う問題になる。この問題は更に、日本が、現在そして将来も米英帝国主義と戦い続けるべきか否か、と言う風に発展する。ちなみに、米英帝国主義の実体は、イルミナティサタニスト世界権力に他ならない。富田宮内庁長官メモ問題には、イルミナティサタニスト世界権力とどう向き合うのかという根本問題が宿されている」。 今、このように立論し得る者が他に居るのだろうか、れんだいこは知らない。これによると、昭和天皇は、極東軍事裁判所が示した観点をそのまま乗りかかり、A級戦犯を東京裁判史観で位置づけ、断罪していることになる。本来なら、昭和天皇自身の戦争責任論が問われるところ、自らA級戦犯に責任を被せることで安堵していることになる。 それはともかく、太田氏の指摘の如く、昭和天皇は元々親英米派であり、開戦に反対であったと看做される節がある。故に、利用するに如かずとして、免責された史実過程も理解することができることになる。その代わりに、A級戦犯に戦争責任を全て被せる論法となる。現在、ウヨサヨマスコミ朝野挙げてこの論法に与している。 太田氏は、かく解析した上で、昭和天皇の親英米派性ひいてはイルミナティサタニスト世界権力親疎性を批判しようとしている。ここに太田龍史観の真骨頂がある。それは、世上の天皇制護持論者の何も知らない軽薄さを衝いている。同時に、既成左派の反天皇及び天皇制論の無能ぶりをも一蹴していることになる。れんだいこは、イルミナティサタニスト世界権力問題を見据えて離さない太田氏の史観は鋭いと思っている。 れんだいこが更に補足すれば、明治以来の天皇は歴史的伝統的天皇と同一線上で論ずることができない。少なくとも、1・幕末王朝交代論を媒介させつつ、2・明治天皇治世論、3・大正天皇治世論、3・大正天皇押し込め政変、4・昭和天皇治世論を、それぞれ関わりを持たせつつ個別にも論じなければ真っ当なものにならないと思っている。その上で、親英米派性を濃厚にした昭和天皇の特質を論ぜねば、昭和天皇論は全うしないと思っている。このように立論する者が居ないが、かく論ずるべきだと思っている。 この観点に照らすと、昭和天皇の親英米派性ひいてはイルミナティサタニスト世界権力親疎性を論ずる太田龍史観は本質を衝いたかなり精度の高いものであることが分かる。但し、昭和天皇の特質はそれだけではなく、「大正天皇押し込め政変」に深く関わって時代に弄ばれた面と自身もその流れに興じた面の考察が更に必要であると思っている。かく肉付けせねばならないと考えている。但し、昭和天皇の親イルミナティサタニスト世界権力性を踏まえない限り解けないのは事実であろう。 第二の「A級戦犯分祀の是非論。これに関連して新国立追悼施設設置の是非論」について。世論は今、「富田宮内庁長官メモ」の加勢を得てA級戦犯分祀論に傾斜しつつある。与野党問わず一色になりつつある。「2006.7.20日付け毎日新聞・大久保和夫、竹中拓実記者記事」は、一橋大大学院社会学研究科の吉田裕教授の次のような見解を載せている。 「徳川義寛侍従長の回想で示唆されていたことが確実に裏付けられ、松岡洋右元外相への厳しい評価も確認された。今後は分祀論にはずみがつく。小泉首相も、少なくとも(終戦の日の)8月15日に参拝をしない理由になるのではないか。首相の参拝には多少の影響はあると思う」。 これは一般評論したものに過ぎないが、さて、分祀論は正解だろうか。靖国神社側は当然の事ながらそれを批判している。宗教学的見地からすれば、いったん祀った御霊を別のところにも祀る分霊はできても、御霊の資格を剥奪するような分祀はできない。「御霊降ろし」という方法が無い訳ではないが恣意的にはできない。この理屈が分からない宗教学文盲の自称知識人が多過ぎる。 仮に、靖国神社が世論に押されて分祀しようとしても、その前に自己批判を免れず、場合によれば自己否定に繋がりかねない危険を犯さねばならなくなる。そういう意味からすれば、靖国神社は絶対に分祀できない。そう知るべきであろう。結果的に、靖国神社もレイプ覇王愉快犯首相小泉にしてやられることになる。 A級戦犯の遺族も又困惑している。A級戦犯として処刑され、靖国神社に合祀されている東条英機元首相の二男輝雄氏・元三菱自動車工業社長(91)は次のように述べている。 「そんな話、いまだかつてどこからも聞いたことがない」、「信ぴょう性が分からない以上、言いようがない。個々の動きでいちいち大騒ぎしても仕方ないよ」。 同じく合祀されている板垣征四郎元陸軍大将の二男の正・日本遺族会顧問・元参院議員(82)は次のように述べている。 「三木(武夫)総理(当時)が昭和50(75)年に現職首相として初めて参拝し、その秋の国会で論議になったため、陛下はその後参拝できなくなったのだと私は思うし、さまざまな史料からも明らかだ。A級戦犯合祀は、陛下の参拝が止まった後のことだ」、「(富田元長官が)何を残され、言われたかは関知しない」。 A級戦犯の遺族の立場もはっきりしている。大東亜戦争の政治責任を問われ、絞首刑の露と消えて後も政治責任を問われ続けるほどの政治責任はないとして、むしろ政治的トリックの犠牲者である、と主張していることになる。れんだいこもそう思う。 この観点からすれば、新国立追悼施設設置は気休めばかりの国費の無駄以外の何物でもない。そういう小手先によっては何の解決にもならないのに、この気運が高まりつつある。勝手にすれば良かろう。お前達にはお似合いの解決策だ。れんだいこが思うに、この問題は、自由自主自立的な反戦平和、国際協調思想に武装された来る人民権力による靖国神社の革命的再生を通じてしか解決しえない、そう悟るべきであろう。 最後に、小泉首相の「天皇思惑に拘わらず参拝自由論」に絡む不敬問題について。小泉首相は、先の訪米、サミット時の嬌態外交で名を売ったばかりであるが、「富田宮内庁長官メモ」に対しても又もや酩酊ぶりを晒している。このバカは一事万事に於いて問題の本質を理解することができない。こういう首相を5年有余のさばらせた日本政治史は後世のお笑いになるだろう。 彼は何と言ったか。概要「『富田宮内庁長官メモ』の影響はありません。陛下におかれてもさまざまな思いがおありだったのだろう。(A級戦犯合祀後、昭和天皇が靖国神社参拝を見合わせたことについても)私がどうこう云う問題ではない。あの人が、あの方が言われたからいいとか悪いとかという問題ではない。私が靖国へ行く行かないは私の心の自由であり適切に判断する。(国立追悼施設は)結論が見えにくい。(「A級戦犯」分祀は)議論は結構だ。一宗教法人に政府が言わない方がいい」。正確には分からないが、凡そ以上のように云っている。 末尾の「(「A級戦犯」分祀は)議論は結構だ。一宗教法人に政府が言わない方がいい」だけが正解で、後は無茶苦茶な論法だ。天皇陛下の言に左右されないのはそれこそ戦後憲法の政教分離精神であるが、それは聞く耳をもつなという意味ではない。政治的に作用されないという意味で理解すべきだろう。 ましてや、春秋の例祭ではなく、8.15日に公式参拝となると、大東亜戦争の総括無しには微妙な問題が多過ぎて見識として見合わせるべきところ、当然中韓両国の意見にも耳を傾けることも必要であるところ、平然と無視し続けてきている。首相職に有る者の態度とはとても思えない。どうしても行くなら、最低限自身が大東亜戦争の総括を開陳せねばなるまい。それもしないままに勝手論で煙に巻いているが幼稚園児に劣る愚行でしかない。 同様に、戦後でもやせてもかれても象徴天皇、戦前なら現人神的大元帥的地位にあった同じ人物である天皇陛下の言ならば忖度すべきであろう。彼は、一国の首相職でありながら、平然と関係ないという。これほど不敬なことはあるまいが、それが罷り通るから不思議だ。読売産経あたりがどう述べているのか知らないが、日頃の愛国御用評論のリトマス試験紙になろう。れんだいこが思うのに、小泉の不敬発言は滑稽な話だろうか、怖い話ではないだろうか。 察するに、彼の靖国神社参拝が売国奴性を隠すイチジクの葉でしかないと同様に、こたび露呈した不敬さこそ彼の真骨頂ではあるまいか。彼は、ブッシュとイスラエルを詣でてきたばかりだ。何の必然性があって行ったのか。彼が、身も心もそこに預けていることを示したとしか考えられない。恐らく長年の夢を果たしたのだろう。これほどあけすけに己の政治の本質をさらけだし得る狂人性こそ彼の強みといえば云える。 れんだいこは、小泉劇場は遠の昔に見飽きたが、未だに名宰相として囃し立てる取り巻きマスコミがいる限り、政権は安泰なのだろう。訳の分からない世論調査でトリックされた高支持率で幻惑されつつ、このタイタニック号は座礁するまで宴会し続けるのだろう。この船から逃げ出せないれんだいこは辛い。 「靖国神社の再創建に向けてのれんだいこ提言(れんだいこの靖国神社論)」 (daitoasenso/sengodemocracy_yasukuni._saisoken.htm) 2006.7.21日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評189 | れんだいこ | メール | URL | 2006/07/23 19:55 |
【秘密結社員としての悲願達成を首相職で行なった小泉一座の嬌態お笑い外交について】 小泉がここのところ矢継ぎ早に嬌態外交を演じた。「G8サンクトペテルブルク・サミット」に先だつ数週間前に奇妙な動きを見せている。一つは、プレスリー邸での嬌態であり、二つ目は、エルサレムの宗教行為であり、三つ目はサミットでの嬌態である。関連させての論評が為されていないように思われるので、れんだいこがコメントしておく。 2006.6月下旬、小泉は訪米しブッシュを表敬した。日本のジャーナリズムは肝腎なことを伝えない又は賞味期限後の後出しでしか伝えないが、この時もそうで、守屋武昌・防衛事務次官同行という異例の事態を報じていない。小泉は何故、日米首脳会談への防衛事務次官同行を必要としたのか。前例が有るのか無いのか。 小泉政権になって、自衛隊の米英ユ同盟配下軍としての活用、その為の尋常でない予算支出を招いているが、その褒賞として防衛次官を同行したと評するのは余りにも陳腐であろう。自衛隊の活用を廻る更なる共同謀議が為されたものと推定されよう。これが小泉の奇妙な動きその1である。 第2に、6.30日、小泉はブッシュ大統領夫妻と共に、テネシー州メンフィスにあるロック歌手エルビス・プレスリー邸(グレースランド)を訪問した。れんだいこ推理に拠ると、プレスリー邸訪問は、この後のイスラエル訪問時の「嘆きの壁参り」の煙幕として活用された節が有る。つまり、プレスリーファンの「聖地」訪問をユダヤ教の聖地「嘆きの壁」訪問の前座としてたもので、「嘆きの壁」訪問のリアクション対策であったと考えられる。つまり、用意周到に練られたシナリオであった可能性が強い。 それはともかく、小泉は、大統領専用機エアフォースワンでメンフィス入りした。大統領専用機エアフォースワンに同乗するのは異例の好待遇であるという。小泉はブッシュに何故にかくも好待遇されるのか。ポチ的忠勤ぶりのみで説明し得ることであろうか。れんだいこは、この二人が特殊な宗教的政治的結社仲間なのではなかろうかと推理している。そう思わせる節が多々有る。 それはともかく、小泉のプレスリー邸での嬌態を確認しておかねばならない。プレスリーの元妻プリシラと娘リサ・マリー・プレスリーが出迎えたの対し、記者達とカメラの前で、リサ・マリーさんの肩に手を回しながら“強く抱き締めたい”とプレスリーの歌の一節を語り掛けた。愛嬌と云えば云えぬことは無いが、不謹慎には違いない。その後、貸し切りとなった邸内で約1時間半、プレスリーのステージ衣装や愛車、音楽賞受賞曲の金のレコードなどをじっくりと見て回った。 米国人記者団のリクエストに応え「ラブミーテンダー」などの歌を即興で披露し、エルビスの大きな金縁サングラスを掴むと即座にそれを装着し、プレスリーを真似てサングラス姿でギターを弾く格好をし、“Love Me Tender,”“Can't Help Falling in Love With You,”“Fools Rush In,”“I Want You, I Need You, I Love You,”と歌い、あげくの果てに“Glory, Glory, Hallelujah”と歌った。「ここに来るのが夢だった。夢かなった」との言葉を残した。「Glory, Glory, Hallelujah」と「ここに来るのが夢だった。夢かなった」との言葉が意味深である。 れんだいこは、これを奇妙な動きその2と見る。小泉のプレスリー邸での嬌態は、この後のイスラエル訪問時の「嘆きの壁参り」の衝撃を消す効果を持たせるために意図的に為されたものであり、何をしでかすか分からない、何をやっても不思議ではない小泉を演出したのではないのか。 7.12日、小泉は、ロシアのサンクトペテルブルク・サミットに先立ちイスラエルへ立ち寄った。この後、パレスチナ、ヨルダンにも立ち寄っている。しかし、特段の外交的成果があった訳ではないことからすれば、オルメルト・イスラエル首相、アッバース・パレスチナ大統領、アブドラ・ヨルダン国王陛下との会談は刺身のツマのようなもので、本命はズバリ「嘆きの壁」訪問にあったのではなかろうか。小泉の「嘆きの壁」訪問は、小泉がプレスリー邸で述べた「ここに来るのが夢だった。夢かなった」との言葉と共鳴している。そう、「嘆きの壁」訪問こそ小泉の悲願であり、これを達成したのではなかろうか。 日本のジャーナリズムは今に至るまで、深い意味を持つ小泉の「嘆きの壁訪問」を報道していない。ホロコースト記念館を訪問したことは伝えたが、「嘆きの壁訪問」は伝えていない。れんだいこは、外電で知らされた次第である。「阿修羅」がこれを明らかにしたが、全く日本のマスコミは役に立たない。 ところで、小泉のホロコースト記念館でのいでたちが異様であった。毎日新聞がその時の小泉を写真で報じている。それによると、小泉は頭上にユダヤ教徒が頭に載せる小さなお皿のような帽子であるキッパを乗せ、「永遠の炎」のそばでたたずんでいる。これは、見る者が見れば分かる歴史的ユダヤの秘密結社の行事である。もう一つの写真が外電で伝えられている。前後は分からないが、小泉は、ユダヤ帽をかぶって「嘆きの壁」にたたずみ、ユダヤ教徒がする仕草で祈念している。れんだいこは、これを奇妙な動きその3と見る。 これを、「一国の宰相にあるまじき夢遊病的な行為」と断ずるのは誰でも出来ることである。問題は、小泉が敢えてこの愚行を挙行した裏意味は何か、それを探ることに有る。「嘆きの壁」は、イスラエルの建国の原点にもなっている復讐の誓いを為す聖地である。小泉が、その「嘆きの壁」で演じた宗教行為の政治的意味は重い。このグループの一員であることを意味している。 小泉はこたびのイスラエル訪問で、「永遠の炎前たたずみ」、「嘆きの壁詣で」という二種の宗教行為を演じた。1・日本の首相職の者が、2・ユダヤ教徒としてのいでたちで、3・ユダヤ教の入信ないしは信仰決意儀式を敢行した。これは、靖国神社参拝問題を吹っ飛ばすもっと大きな衝撃的政治的事件ではなかろうか。こう感知することのできない日本世論は政治的に死んでいる。 小泉のこたびの行為は、憲法上の政教分離に明らかに抵触している。日本の祖宗である神道仏教のうちの特定宗派の儀式に参加したのでも責められるのに、ユダヤ教儀式なら何故許されるのか。ここが論ぜられなければならない。これまで小泉は、首相万能権能論を説くエピゴーネンの支援により一事万事を超法規的に御してきた。その成れの果てとして遂にここまで辿り着いたことになる。我々の手温い対応が遂にここまで調子づかせたことになる。 しかし、お蔭でというべきか、小泉が、尋常でない秘密結社の一員であることを誰憚ることなく自ら明らかにしたことになる。何故、あからさまにしたのかは分からない。敢えて推理すれば、こたびの小泉の行為は日本ホロコースト化宣言であり、小泉はこれをイスラエルに誓約してきたとみなせるだろう。小泉一派の証文がどれだけ有効なのかは別問題であるが、かような首相を5年有余据え置いた我々の責任も問われるだろう。 こうなると、小泉とはそも何者ぞ、小泉を支援する政治経済文化グループとはそも何者ぞということを検討せねばならないだろう。彼らはただの経済利殖人ではない。明らかに現代ネオ・シオニズムのエージェント工作員であり、日本人の姿かたちはしていても身も心もユダヤに預けている手合いであり、それにより立身出世が約束され我が世の春を謳歌しているグループである。北朝鮮問題には論客が現れ、かまびすしく議論するが、こういう本筋の問題には誰も近寄らないのは滑稽なことである。 小泉の最後の奇行は、ロシア・サンクトペテルブルクでの第32回主要国首脳会議(サミット)に於けるそれである。サミットは、7.16日よりピョートル宮殿で開催されたが、7.15日の非公式夕食会でロシア民謡が流れると急に舞台に上がり、踊り始めたと云う。日本のメディアはその様子を伝えないので詳細が分からないが、ブッシュも一緒に踊ったようである。 つまり、この二人は、北朝鮮テポドン問題、イスラエルのガザ侵攻という政治情勢に見舞われている最中にノー天気ぶりを晒したことになる。ブッシュはその後たしなめられたらしく、小泉に注意する役目を引き受けさせられた。 「小泉首相はいつも場を支配する。小泉首相、ちょっとお静かに」と述べると、その場が爆笑に包まれたと云う。 この逸話は、日本の首相の株が上がったと評すべきだろうか。れんだいこは、世界に恥ずかしい日本国首相の低脳レベルが世界の舞台に輸出され、顰蹙を買うと共に許容されたと受け取る。こういう嬌態が罷り通る時代なのだろう。奇妙な動きその4と見る。 2006.7.23日 れんだいこ拝 |
Re:以下の投稿につきご意見乞う。れんだいこが返答します。 | れんだいこ | メール | URL | 2006/07/25 20:41 |
れんだいこ世代の一人さんちわぁ。れんだいこが思うのに、大東亜戦争に於ける昭和天皇の戦争責任を問うのは一般的に正しい。A級戦犯も天皇の意向を無視しては出来なかったはずであり、究極のところでは、開戦も終戦も天皇の采配によったと思われます。にも拘わらず、A級戦犯のみに責任を押し付けた歴史的経緯には疑問の余地が大いにあります。 しかし、本当に究明せねばならないのは、その責任を天皇制批判一般として論ずるべきなのか、個別的に昭和天皇及びその時代の特質問題として捉えるべきなのかだと思います。案外ここが混同されているように思います。 天皇制問題もありきたりすぎて、しゃんとした分析が為されていないのではないでせうか。戦前の共産党幹部の大量転向の背後に、天皇制問題があり、これを廻って思想検事と喧々諤々のやりとりが為され、概ね党員が負けたという経緯が有るのに、その遣り取りも学習されておりません。だから、そのレベル以下のところで、ありきたりの批判が横行し過ぎております。だから、薄っぺらです。 れんだいこ的には、戦後の象徴天皇制こそ歴史的伝統的なものであり、明治維新以降の明治→大正→昭和の三代に於ける特に昭和天皇時代の好戦的在り方こそ異質なものであったと考えております。更に、それも昭和天皇自身による主体的指導によるものではなく、昭和天皇を突き動かした背後勢力の分析こそ肝要と考えております。 背後勢力とは、軍・政・官・財・学・報界に巣食った好戦勢力を指しております。彼らは、時代の帝国主義戦争のバスに乗り遅れるなとばかりにはしゃいだ好戦派でした。しかし、財政をいびつにしながら何故軍部支配に向ったのか、大陸侵略に向ったのか、誰がそれを指針させたのかは未だに闇です。 かすかに透けて見えてくるのは、日露もシベリア出兵も第一次世界大戦にも背後に国際金融資本ユダヤの後押しがあったという史実です。豚の子養豚政策が採られ、次第に軍部が突出していった。 しかし、時の軍部は次第に国際関係のリアルな認識に向かい、軍部内ユダヤ派と反ユダヤ派の対立を深めていきます。大東亜戦争というのは、ひょっとして、反ユダヤ派による大東亜戦争であったのであり、まさに聖戦イデオロギーに染まって、鬼畜米英その背後の国際金融資本ユダヤとの闘いに向った可能性があります。 戦後になって、大東亜戦争が持っていたこの面での意義が隠蔽されてしまっております。れんだいこは、それが良い悪いの評価ではなく、国際関係に突入すれば否応無くそういう闘いにまで向わざるを得なかったと思っております。そして負けた。負けたが、良い勝負をした。これが植民地諸国に与えた歴史的影響には凄いものがあると考えるべきです。こういう面も隠されています。 その点に於いて、昭和天皇はと云えば、親ユダヤ的なものをみてとることができます。そういう意味では、天皇制の良し悪しは別にして伝統的な天皇制の中で、昭和天皇のほうが異質であったともみなせます。それやこれやで昭和天皇論、大東亜戦争論は難しいのです。 >靖国神社・伊勢神宮参拝は宗教的行為なんです。だから、内閣総理大臣が公式に参拝したら、国家機関が宗教的行為を行なったことになるので、憲法20条・89条に反する政教分離原則違反の行為で、憲法違反なんです。天皇も中国・韓国の意向も関係ない。現行の憲法を守らない政府がどうしてよりよい憲法が作れますか。新しく作った憲法をどうして守るといえるのですか。 この見解は陳腐です。靖国神社・伊勢神宮参拝という宗教的行為は、政治権力の特定利益行使であったり政治利用で無い限りは、有る程度は許容されるのです。靖国神社参拝で云えば、春秋の例祭詣でなら中韓も元々はいちゃもんつけてこなかったのです。8.15日にわざわざ行くというから、ならばあの戦争の責任はどうなるんだ、日本の御霊を拝するなら中韓の御霊はどうしてくれるんだ、ということになる訳です。理屈は通っております。 小泉はんはどうやら、ブッシュに言い渡されていることがあって、それはアジアが一つに纏まらないで揉め事を起こすように活動してくれ、政治的にも経済的にもECのようなブロック圏を作らないでくれ、それがお前の仕事だと言明されており、イエスサーと返答してそのように活動しているとみなすべきです。 だから、小泉はんの靖国神社参拝は非常に政治的なのです。彼は、参拝は心の問題だなどと居直っておりますが、心の問題でも制限を受けるのは当り前のところ、わざわざ揉め事を起こすようにはしゃぎまわり、それで評価点いただいているというケッタイナ御仁であると考えます。先ほどのイスラエル訪問時の「嘆きの壁詣で」は見逃せない史実で、ネオ・シオニストに彼が身も心も捧げている勝共連合系のオカルトマンであることを物語っている。 そういう人物に5年有余我が日本が振り回され、こたびは子飼いの安倍にバトンタッチされようとしており、この勢力が当分我が世の春を謳歌することが示唆されております。これで良いのか日本という風に問題を設定すべきでせう。れんだいこはかく考えます。 2,006.7.25日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評190 | れんだいこ | メール | URL | 2006/07/26 20:17 |
【保阪正康氏の最新の角栄論考】
明日の7.27日は、田中角栄が、ロッキード事件関連での5億円贈収賄を本旨としながらそれが立件できぬままチンケな外為法違反容疑で逮捕された歴史日である。1976(昭和51).7・27日のことであったから丁度30年になる。 先日読売新聞がロッキード事件の参考記事を書いていたが、かっての田中角栄有罪連日キャンペーンをどうにかして今なお得心したい魂胆が見え見えのものでしかなかった。ナベツネ牛耳るメディアはこういう悪あがきしか出来ない。 お蔭で、角栄と対極に位置する中曽根やら小泉やらが我が世の春を謳歌して、丸投げ日本づくりへ一瀉千里に向う時代になった。国家累積債務率は天文学的世界一位を記録更新中であり、更に米英ユ同盟へのお供え路線が進行中である。田中角栄有罪連日キャンペーンを張った連中には、胸のすくような良き時代なのだろう。 こうした折の7.26日、共同通信社系の地元新聞にノンフィクション作家・保阪正康氏の「ロッキード事件『田中逮捕』30年 上」寄稿文が掲載された。その文意は、一からのロッキード事件見直し、角栄再評価の視点を見せているので、これと対話してみる。 保坂氏は、ロッキード事件及び田中角栄逮捕について次のように述べている。 「いわゆるロッキード事件として歴史年表に刻まれている元首相の逮捕は『戦後最大の疑獄事件』ともいわれている。三十年を経てあらためて振り返ってみると、この事件を機に日本の政治が大きく変わったことが分かってくる」。 (れんだいこ見解) 保坂氏が、かく認識し始めたことは大いに評価できる。れんだいこ史観によれば、ロッキード事件勃発及び角栄逮捕は、戦後の転換点になった。戦後ルネサンスの崩壊の狼煙となった。国際金融資本ユダヤの勝利の凱歌があがり、以降続々易々と日本攻略に向うことになった。これに歯止めをかける政治家は角栄を措いて他は出ず、角栄ー大平同盟は、御大角栄が掣肘されてからはじり貧に向うことになった。 このことは、戦後支配階級内部の最大政争であったハト派とタカ派の抗争と協調というやじろべえ的日本的政治の在り方が、ロッキード事件によって崩され、同事件によってそれまでのハト派優位からタカ派優位への転換点となったことを意味する。そういう意味で、ロッキード事件は史的に重要な意味を持っている。保坂氏が、かく認識した上で述べているのかどうかは分からないが、格別の問題意識を持ち始めたことは評価される。(ちなみに、ここでいうハト派とは、商業新聞的見方ではなく、よって三木は入らない。彼は、穏和主義的タカ派である) 保坂氏は、田中角栄を次のように評し始めている。 「逮捕から三十年、私はこの政治家を昭和史の中に正確に位置づけるべきだと思う。これまで刊行された元首相を描いた評伝でもその試みは行われているが、ロッキード事件にだけとらわれないで彼を分析することが必要になってくる。私の見るところ、昭和前期を代表する政治家は軍人だった東条英機、昭和中期の占領期は外交官出身の吉田茂、そして昭和後期は田中角栄ではないかと思う。彼は戦後社会の経済優先、物量優先を代弁した政治家であり、庶民の欲望肥大と充足のメカニズムを政策の骨子とした初めての政治家でもある。 同時に、田中元首相は日中国交回復を現実化した先駆的な政治家である。近代日本は対中国政策を誤ったが故に自己解体していくが、それを立て直したのは彼だと云う評価は、昭和史の中でもっと重きをなしてもいい。あらためて当時の日中交渉の内実を検証してみる時ではないか。 保守政治家としての元首相は、復古的な右派や硬直化した官僚的発想とは一線を画している。むしろ唯物的な発想や言動を主軸にした現実主義者、無意識の社会主義者という言い方をしてもいいのではないか。農村共同体を少年期に脱して東京で財を成し、そして政治の世界に入ると、一転して自らの農村共同体を大切にする。そのような軌跡の中に『利』を中心とする都市空間と『情』の農村共同体が合体しての政治的構想が生まれている。それが日本列島改造論ではなかったかと私には思えるのだ」。 (れんだいこ見解) 保坂氏の上述の謂いは、氏の精一杯の角栄見直し擁護論なのだろう。れんだいこ史観からすれば、保坂氏の文章には依然としてロッキード5億円収賄を検察側視点に立って事実と受け入れている節が窺え、冤罪とする視点を持ち合わせていない点で不満である。但し、角栄の唯物弁証法的思想と実践、社会主義的政策に注目していることが評価される。れんだいこがそう云っても無視されるが、保坂氏が云えば注目されることになるだろう。 但し、保坂氏は相変わらず高み発言している。角栄を「無意識の社会主義者」と云い為している。敢えて「無意識の」という無用の修飾をつけるところが嫌らしい。お前は何様なのだ、角栄が「無意識」であったかどうかどうやって確かめているのだ。そういう風に敢えて評価を落としこめているところが気に食わない。 れんだいこ史観によれば、角栄ほど「共産主義者の宣言」を読修精通して、日本的在地主義的社会主義の道へ踏み込もうとしていた政治家は居ない。角栄の社会主義者振りが粗野であったかどうか、そう簡単に決め付けられることではない。そうはいうものの、保坂氏が、現時点で比較的に見て角栄再評価の第一線に立とうとしており、角栄社会主義者論まで視野に入れようとしていることは評価してもよいと思う。 保坂氏は、田中角栄の見直しを求めて次のように述べている。 「昭和史の中に彼の位置を定めた時、この政治指導者が日本人の情や感性を見事に捉えて具現化したとの評価も生まれてくるだろう。元首相がつくりあげた権力の二重構造や以後の政界汚職は、単に田中政治の負の遺産というだけでなく、戦後社会の弱点が浮き彫りになったということだ。 その責任のすべてを田中元首相に押し付けるのは不自然との感がしてくる。それが三十年を経ての実感でもある」。 (れんだいこ見解) 保坂氏が、ロッキード事件喧騒の渦中でどのような態度をとっていたのか分からないが、立花式の「諸悪の元凶角栄論」に与していたのなら、自己批判抜きには上述のように語ってはいけない。当時より、検察司法の行き過ぎを咎め、事件の背後になにやら不気味な政治的陰謀を嗅ぎ取っていたのならもっと堂々と云うべきだ。「責任のすべてを田中元首相に押し付けるのは不自然との感がしてくる。それが三十年を経ての実感でもある」は、良い感性の持主であることが分かる。 しかし、それにしても、体制側政府与党政権を牛耳っていた角栄が表見的にはそう見せず、実は本物の社会主義者で、その角栄をことのほか糾弾した反体制側日共が表見的には左派で、実はニセモノの社会主義者だとは。子供には分からない政治の奥深さではある。 こう見立てないウヨサヨの小児的政治見解が未だに支配しており、角栄といえば吐き気を覚え、条件反射的に悪口三昧するマインドコントロール被れ屋の精神が自由になるのはいつの日のことだろうか。これが落ちになる。 2006.7.26日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評191 | れんだいこ | メール | URL | 2006/07/27 19:45 |
【毎日新聞のロッキード事件30周年記念記事の低レベルを指弾する】
ロッキード事件で田中角栄前首相が逮捕されて以来30周年のこの日、毎日新聞は、過去の報道を批判的に捉え返すことなく、「5億円は参院26候補に 調書で元秘書官」なる見だしで、5億円贈収賄説を補強する記事を掲載した(http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2246494/detail?rd)。松下英志記者が書いたものらしい。れんだいこがこれを検証する。 それによると、次のような内容となる。 概要「受託収賄罪に問われた田中角栄元首相の当時の秘書官・榎本敏夫氏が、東京地検特捜部の調べの際に、ロ社側から受領した5億円について『74年の参院選候補者26人に2000万円ずつ渡した』などと供述していたことが分かった。調書は、76年7月27日の逮捕から8月9日の起訴までに作成されており、榎本元秘書官は公判で一貫して5億円受領を否認したが、捜査段階では逮捕翌日に認め、公判で11通の調書が証拠採用された。今回判明した供述調書はこれとは別で、実際は計16通あった。公判では証拠として申請されなかった」。 「元秘書官は、田中邸に運んだ後の5億円の処理は知らないが、参院選で私がお届けしただけでかなりの金額になる。5億円もこれらの中にミックスされ消えてしまったのではないかと供述。参院選候補者への配布一覧表を作成して、私の記憶が不確かな部分はあえて記載しませんでしたと念押しした。一覧表は(1)氏名(2)授受時期(3)金額(4)授受場所(5)備考――の順に記され、当時の全国区10人、地方区16人の候補者名が書かれていた。授受の時期は73年11月〜74年3月で、金額はほぼ一律2000万円。授受場所は田中元首相の事務所があった砂防会館が多く、議員会館や個人事務所もあった」。 「採用された調書で榎本元秘書官は、元首相の参院選勝利にかける意気込みは悲壮で、5億円は元首相が当時の党総務局長と相談して参院選に使われたと思うと供述していたが、具体的な使途は不明だった」。 (引用以上) 毎日新聞社は、「田中元首相らの逮捕から27日で30年を迎える節目に新事実が判明した」と鳴り物入りで報じている。しかし、毎日よ、今日の時点でもなお、田中角栄5億円贈収賄を立件せんとする執念は見上げたものだが、お前達は逆から見るということができないのか。 れんだいこが分析すれば、こたびの新事実は、1・角栄側が参院選に金がばら撒いた。2・そのルート先が判明したに過ぎない。榎本は過酷な取調べの中で、参院選の際の資金ルートを明らかにしたが、その金の一部が全部にせよロッキード事件による5億円贈収賄金であったことにはならない。結局、検察もそれが出来なかった。それはそうだ。れんだいこ史観によれば、「ロッキード事件に於ける5億円贈収賄金は幻」の可能性が大で、角栄は米日反動勢力により冤罪で落とし込められたと見立てている。 毎日よ、お前達は何故無理矢理結び付けようとするのだ。次のようにも述べている。 「田中角栄元首相が受領した5億円の配布先として、榎本敏夫元秘書官が一覧表まで作成していた事実は、元秘書官が捜査段階で受領を自白し、公判で採用された供述調書の任意性を補強する“証拠”でもある。検察側がこれらを証拠申請しなかったのは、公判の混乱を避ける法廷戦術のためで、供述調書自体の信用性は高いと言える」。 「5億円はいったん田中邸の金庫に入る。これを参院選資金と証拠上断定するのは困難で、密室で受け取った候補者に受領を認めさせるのも極めて難しい。仮に公判に提出すれば、配布先が全面否定することは容易に予想され『5億円授受の有無』という本来の争点とは別に、新たな火種を公判に持ち込むことになる。一覧表が長らく秘された理由と言えるだろう」。 (引用以上) 何と、ジャーナリズムが御用化していることよ。お前達はなぜ、そうまでして検察の正義を演出しようとするのか。れんだいこが子供の頃は、紙面には冤罪告発記事が踊っていた。それを思えば隔世の感がある。まことに、ロッキード事件を境に、マスコミが検察にエールを贈り始め、時の政権の御用化記事が目立つようになった。 普通に考えれば、検察が該当榎本調書を証拠申請しなかったのは、参院選配布資金がロッキード社からの5億円贈収賄金を充当したものであったとは立件できなかったからではないのか。なぜそれを、「検察側がこれらを証拠申請しなかったのは、公判の混乱を避ける法廷戦術のためで、供述調書自体の信用性は高いと言える」とまで脚色してヨイショしようとするのだ。 新聞マスコミ界が、ロッキード事件で真に検討すべきは、榎本がらみで云えば、角栄と同日逮捕された榎本が5億円収賄を認めるよう執拗に迫られ、何と「田中5億円受領を認める」と一面トップに書かれたサンケイ新聞を見せられたという史実こそ重視せねばならない。 榎本は、くだんの記事を見せられ、「オヤジが認めているのに私が認めないのも変だという気分にさせられ、その後の取調べで検事の誘導に従って段ポール箱の授受を認めた」、「先生が、党の為に、ありもしない事実をやむを得ずひっかぶられたのかと思い、悩んだ末に、私も先生に口裏を合わせた」、「オヤジがしゃべったから、仕方が無くしゃべった」と、この時の事情を法廷で陳述している。 サンケイ新聞一社の虚報記事であったのか他社も同様記事を虚報していたのかどうか不明であるが、明らかに新聞社大手が度の過ぎた捜査協力していることが判明している。前代未聞の不祥事であろう。 新聞社は、少なくともサンケイ新聞はこれにつき検察に抗議したのか。史実は、抗議するどころか協力しまくりであったのではないのか。毎日よ、お前のとこが同様協力したのかどうかは分からないが、サンケイ新聞社のジャーナリズム見識に対して批判的見解を打ち出すことは必要だろう。そういう抗議ないしはマスコミ界でこの問題を採りあげ検討を一度でもしたことが有るのか。 もとへ。榎本は当初より否認し続けていたが、検察の卑劣なトリックにより追い込まれ、金銭授受を認めさせられたことが判明している。毎日が、こたびの新事実を手柄的に報ずるのなら、榎本に対する取調べが、云われているほど酷いものではなく、榎本調書の一切が任意自主的な供述であったことを立証せねばなるまい。臭いものに蓋をしたまま、あろうことかロッキード事件30周年を飾るスクープ扱いして報ずるなど、ジャーナリズムの見識を大いに欠くノータリンぶりであろう。 今日のマスコミ界を牛耳る者達はこぞって、ロッキード事件報道で角栄追い落としに協力した者たちで占められている。検察も同様である。それを知るれんだいこは、実際のところは現下のマスコミに公正真実の報道などねだりはしないが、それにしても30周年でなおこういう居直り記事しか掲載しえない姿勢にはあきれるばかりである。 その点、同じマスコミ人でも、増山榮太郎氏のように角栄を郷愁し始めた方も居られ、これこそ真っ当というべきであろう。増山氏は、このままでは寝覚めが悪いと「角栄伝説ー番記者が見た光と影」を著している(http://www33.ocn.ne.jp/~massan/shohyou05.12.31.htm)。これがせめての良心というものであろう。松下記者よ、爪の垢でも煎じてみぃや。 2006.7.27日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評192 | れんだいこ | メール | URL | 2006/07/28 22:14 |
【平沼赳夫の政見はまだまだ焼きが入っていないにつき批判しておく】 2006.7.28日付け毎日新聞は、特集「『靖国』私の考え3」で、元経済産業相の平沼赳夫氏のインタビューを掲載している。これと対話してみる。 A級戦犯として靖国神社に合祀されている平沼騏一郎は平沼氏の養父である。平沼氏の戦前の政治履歴は、左派運動から見れば食えるものではないが、これはがまんして、平沼氏の靖国神社及びA級戦犯合祀問題に対する見解に耳を傾けてみよう。彼は云う。 「まず、根っこに有る東京裁判(極東国際軍事裁判)の検証をすべきだ。戦勝国が敗戦国を一方的に強者の論理で裁くのは認められないし、東京大空襲や原爆など自分たちの人道上の問題は棚に上げ、事後法で裁いた。法律の大原則を無視した強権的な裁判と言える」。 「分祀というのは、(中国などから)加えられた圧力を外すための政治的な姑息な配慮に過ぎない。そもそも神道に分祀というのはなく、不可能だ。靖国神社も認めないでしょう。日本の精神的支柱として神道があり、靖国神社はその延長線上にある」。 (引用以上) れんだいこは、ここまでの見解に対しては特段に違和感を覚えない。気になる点は、戦前の靖国神社と戦後の靖国神社は寺社の性格を変えている点について不言及なところであるが、それは云うまい。問題は、次からの発言に有る。彼は次のように述べている。 「(こたびの「相天皇メモ」について)表に出たことでいろいろな影響が有るでしょうね。ただ、昭和天皇は、公的には政治的な発言を一切されない原則を守られた。心を許した人に日常会話で言われたことを書き留めたことは不見識だと思うし、公表すべきではなかった」。 平沼氏よ、果して本当にそうか。昭和天皇の政治的発言は、戦前は公的に戦後は私的にかなり頻繁に為されている。それを隠すことは無い。問題は、天皇の政治的発言は戦後は拘束力を持たなかったことにある。それで良いではないか。「昭和天皇は、公的には政治的な発言を一切されない原則を守られた」などと、訳の分からない煙巻き論法を使うな。 従って、「心を許した人に日常会話で言われたことを書き留めたことは不見識だと思うし、公表すべきではなかった」などと云うのはナンセンス極まりない。公文書ないしそれに同等のものが、一定期間過ぎたら公開されるのは、政治の在り方として良いことであり、「公表すべきではなかった」などと逆に云うのは、時代に後れた権力者意識丸出しであろう。 更に、小ネズミはんの8.15日参拝について次のように述べている。 「小泉さんはこれまで毎年参拝を続けている。私は小泉政治を評価しないが、そこは評価できる。首相が国に殉じて下さった方々に哀悼の誠を捧げるのは当然だ。ぜひ、首相を辞める直前の8月15日に参拝して欲しいし、行くか行かないかは五分五分の確立だと思う」。 れんだいこは、ここの観点が、平沼氏と全く違う。小ネズミはんの靖国参拝は、靖国の英霊に哀悼を捧げるためのものではなく、極めて政治主義的にあるいは中韓との揉め事を意図的に起こすためのものでしかないことは、既に判明していることである。 それと、妙なことだが、8.15日参拝首相は、三木が始まりで続いて中曽根続いて小泉というように稀代の米英ユ同盟のエージェントであることで共通している。己の売国奴性をイチジクの葉で隠す煙幕的な意味での靖国参拝でしかない。動機不純である。 そう見立てる必要があるのではないのか。 「靖国の英霊に哀悼を捧げる」為だけなら、靖国神社の春秋の例祭に詣でればよい。歴代の首相はそのように参拝してきた。中韓は、これには批判的言辞を控えてきた歴史が有る。よりによって、8.15日参拝となると、侵略側と被侵略側、戦勝国と敗戦国という立場を踏まえつつ更にそこから抜け出したところでも、先の大東亜戦争の史的総括のすり合わせをせねばならない。それが政治家としての見識と云うべきではないか。 小ネズミはんは、ただの一度でもそういう外交交渉をしたことがあるのか。自分の言葉で信念と思いを伝えたことが有るのか。膝詰め交渉を避け続けているのではないのか。公然と内政干渉的要望が為されているというのなら、それに公然と対応するのが筋ではないのか。 ちなみに、小ネズミはんの大東亜戦争観を聞いてみたまえ。さほど流布されていないが、且つ滅多に語られないが、一度聞いたれんだいこの覚えでは、「あの戦争は間違っていた。なぜなら、勝てもしない戦争へ向ったからだ云々」。 れんだいこ風に意訳すると、「世界を牛耳っているのは、米英ユ同盟であり、この最強権力の側に位置し続けるのが日本と私の御身安泰の道である。私はかく考え、小泉政権5年に於いて、歴史の歯車をそのように回してきた。忠誠心を見せろと云うならみせます。先だっては、イスラエルをわざわざ詣でて、『嘆きの壁』でユダヤ帽被ってユダヤ教徒の如くに祈念してきました。何でもやります、云い付けくださ云々」ということになる。 平沼よ、小ネズミはんの場合、靖国詣では特段の信念ではなかろう。「『嘆きの壁」詣での方がより真意なのではないのか。つまり、稀代のユダヤ被れ首相である。そう読み取らないと、この問題に対する正しい対応が出来ないのではないのか。お前は、小ネズミはんに非情な仕打ちを受けながら、その異常性がまだ分からんのか。漬ける薬が無いとはこのことだ。 2006.7.28日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評193 | れんだいこ | メール | URL | 2006/07/29 13:49 |
【ロッキード事件に於ける真犯人児玉ー中曽根ラインが消され、角栄に狙いが絞られていった経緯について】 2006.7.28日付け毎日新聞は、社会欄29面に、「ロッキード事件に於ける真犯人児玉ー中曽根ラインが消され、角栄に狙いが絞られていった経緯について」の貴重な記事を掲載した。本来なら1面トップを飾るべきであるが、政治的抑制を利かせているのだろう。まっ掲載されないよりは良いか。 次のような内容である。 「『戦後最大の疑獄』と呼ばれるロッキード事件で、76年2月の発覚当初から、ロ社が対潜哨戒機P3Cの導入を働き掛けた疑惑が『事件の核心』とも指摘されたが、東京地検特捜部が事件化を断念した経緯が、複数の捜査関係者の証言で判明した。 特捜部は当初、防衛庁幹部らから事情聴取するなど、P3Cを廻る疑惑も捜査したが、同年4月に米国から届いた『政府高官名』を示す資料にP3C関連がほとんど無く、証拠上の理由でトライスター機売り込みにシフトしたという。田中角栄元首相逮捕から30年を経て、事件の謎の一つが説き明かされた」。 「対潜哨戒機を巡っては72年2月、海上自衛隊の次期対潜哨戒機を国産化すると政府が閣議決定しながら、同10月の国防会議議員懇談会(議長・田中角栄首相)で白紙撤回。74年12月に輸入の方向が強まり、ロ社のP3C輸入につながった。丸紅は72年11月、ロ社とP3Cの売却手数料授受契約を結び、73年7月には児玉誉士夫・元ロ社代理人とロ社との間で、『50機の確定契約があった場合、ロ社は児玉に25億円を支払う』との誓約が結ばれた」。 「当時の捜査関係者によると、76年2月の米議会での事件発覚直後、実際にP3C関連を専門に調べる検事が特捜部内におり、防衛庁関係者らを参考人聴取するなど、捜査を進めたという」。 「同年4月、米証券取引委員会(SEC)から提出された全2860ページに及ぶ資料が日本の検察当局に届けられ、この中には『TanaKa』をはじめ政府高官名が記された人脈図などが含まれていたが、P3Cの対日工作を示す資料は見当たらなかったという」。 「また、児玉代理人の脱税を巡る捜査でも、P3Cに関するロ社側からの資金提供を裏付ける証拠はなく、かなり早い段階で、トライスター機導入を巡る捜査に重点を置いていたという。1機当りの金額は当時、トライスター数十億円に対しP3Cは100億円前後と言われ、採用された場合の導入機数もP3Cの方が多く見積もられ、ロ社にとってP3Cの方が『うまみ』は格段に大きかった」。 「このため、田中元首相への資金提供があれば、P3Cの受注工作資金との見方が当初あった。一方で、日米安保条約という国策も絡むP3C疑惑の立件見送りは『米国謀略説を裏付ける』などさまざまな憶測を呼んだうえ、『事件の本質に迫れなかった』などとロ事件の評価につながる議論の下地にもなっていた」。 (私論.私見) このスクープの意義は大きい。しかし、これを理解しない者も多いだろう。特に日本左派運動は、角栄評価の点でからきし落第点をとっているので、又もや無能振りを晒すだろう。そうダンマリを決め込むことになる。 思えば、角栄が公判闘争で真に窮地に陥ったとき、角栄は新左翼系弁護士に期待し、幾人かを弁護団に引き入れた。しかし、特段の活躍を聞いていないので役に立たなかったのだろう。 このことは、日共系が角栄糾弾の先鋒を務めているとき、新左翼がこれを逆糾弾すべく立ち向かえなかったことを意味する。そういう意味で、新左翼が日共ロジックを真に克服しえていないことを証している。これは新左翼系の致命的アキレス腱である。行動的には急進主義を採るが、思想的には案外日共ロジックに汚染され過ぎている。宮顕ー不破ラインによるエセ左派理論の悪影響を払拭しきれていない。 それはともかく、こたびの毎日特報によると、ロッキード事件捜査は、「SEC(米連邦証券取引委員会)報告書」によりターゲットが決められ、そのシナリオに基づいて、司法当局が政治的に立ち回ったことになる。 これにより、ロッキード事件は、自衛隊の対潜哨戒機P3C購入に伴う贈収賄事件が本筋のところ、全日空の民間機トライスターの購入に纏わる贈収賄事件へと無理矢理誘導されたことが判明する。 こたびの記事の値打ちは、「事件発覚直後、実際にP3C関連を専門に調べる検事が特捜部内におり、防衛庁関係者らを参考人聴取するなど、捜査を進めた」ことを明らかにしたことに有る。れんだいこも知らなかった新事実である。これによると、東京地検特捜部は当初は、児玉ー中曽根ーナベツネー松野らが絡むP3C事件の方に関心を示していた。ところが、「SEC報告書」によりその方面の捜査を打ち切り、示唆されていた「TanaKa」即ち田中角栄逮捕へ向けて一瀉千里に走り出した、ということになる。これが「司法の独立」の実態実相である。 こうなると、ロッキード事件の裏仕掛けが暴露されたことになる。堀田検事の美談は無論、時の検察、裁判所のお偉方の売国奴性が見えてくる。思えば、この時点から「アメリカつまりそのアメリカを支配するユダヤいいなり」になり、いいなりになった者達がどんどん出世し、日本を喰い者にし始めたたということになる。その挙句の果てに、地位利用インサイダー取引常用者が日銀総裁トップに座るという福井事件のようなぶざまなことが起こることになる。一国の現役首相がユダヤ教聖地の「嘆きの壁」でユダヤ帽被って神妙に祈念することになる。 それを咎められないテイタラクを晒すようになる。自衛隊が撤退したと思いきや、海上自衛隊が戦闘区域で活動し始め、時の首相が「自衛隊の居るところが常に安全地域という理屈で文句有るか」との居直りが許容される。しかし、それにしても小泉はんは狂っている。その狂い振りを狂っていると云えないほうも狂っているからだろう。 れんだいこは、これだけ自称インテリの多い時代にこういう痴態が罷り通るのが信じられない。勉強すればするほど狂うのか、勉強した振りして本当は勉強していないかのどっちかだろう。国際法の研究家は、イスラエルの万事免責をどうやって理屈つけるのだろう。聞いて見たいもんだ。連中の学問がぞっとするような貧困思想に支えられていることが判明するだろう。 2006.7.29日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評194 | れんだいこ | メール | URL | 2006/07/29 19:53 |
【日英首脳会談時のヒース首相のトライスター機売り込み考】
1972.9月、東京で、日英首脳会談が開かれた際に、ヒース英国首相が、田中首相に対し、概要「世界一騒音が小さい英国ロールス・ロイス社製のジェットエンジンを搭載した航空機を購入することで、日本は、英国と米国という二人の友人に手助けできる」と強調し、米国ロッキード社の新型機トライスターの購入を働き掛けた(同機は、英国ロールス・ロイス社製ジェットエンジンを搭載していた)。田中首相が、「(機種に就いては)検討中」とだけ答えた。 2006.7.20日付け読売新聞が、「ロッキード事件、英国首相、購入働きかけ 機密文書 72年の首脳会談で」の見出しで、上述の機密文書を特報し、次のようにコメントしている。 「ロッキード社による激しい売り込み工作は、事件の捜査・公判で分かっているが、英国の介入が判明したのは初めてで、元首相逮捕から30年を経て公開された機密文書により、新たな歴史的事実に光が当てられた」。 「会談の約40日後の10月30日、全日空はトライスター採用を決定。英機密文書は、『ヒース首相による介入が、日本側の選択に多大な影響を及ぼしたのは明らか』としている」。 「ヒース首相がトライスター購入を働き掛けた背景には、日英間の貿易不均衡があった。当時、日本は、工業製品などの対英輸出が急増、英国の対日貿易収支は、70年は1340万ポンドの黒字だったが、71年には4440万ポンドの赤字に転落。これに加え、英国を代表するメーカー、ロールス・ロイス社は71年2月に経営が破綻、国有化されるなど英国経済の停滞が問題となっていた。全日空のトライスター導入により、ロールス・ロイス社の建て直しを図る期待が英政府に強かったと見られる」。 (私論.私見) 読売の特報記事について 毎日新聞のロッキード事件30周年特集「米証券取引委員会(SEC)報告書考」記事に対して、読売新聞社は、「英国首相ヒースがトライスター機購入働きかけ 機密文書」を報じたことになる。 読売は、この特報を、田中首相が関与してトライスター機売込みを図ったとする観点の補強に使っている。読売の懲りない性格が透けて見えてくる。どうしても、角栄を極悪非道政治家にし続けておきたいらしい魂胆のみが見えてくる。代わりに、小泉首相は史上随一の有能首相ともてはやし続けたいらしい。本質的に馬鹿な者は、いくら情報を持っても馬鹿の上塗りするだけであることが分かって興味深い。 読売特報の真偽には若干不明な点が有るので特報そのもののコメントは控えるが、この特報が、角栄が5億円贈収賄を受けた周辺事情を窺わせるだけで、5億円贈収賄したかどうかには何の役にも立たないことは明らかだ。「会談の約40日後の10月30日、全日空はトライスター採用を決定」と書く事で、何か因果関係を認めようとしているが、当時の状況ではいずれこの辺りに結論が出るので、因果関係有とは必ずしも云えない。この辺りが分からないボンクラ記者が第4権力を行使してふんぞり返っているのは嘆かわしい。 近頃、特報を特報にさせないコメント振りが目に付く。かなり記者ないし新聞社の眼力が落ちていると云わざるを得ない。国際金融資本のイエスマン記事ばかり書き続けることが習い性になって、自分の頭で考える必要が無くなり、分析読解能力がガタ落ちしているのだろう。 新聞記者の論評の極め付きの低脳さは、角栄関連で云えば、角栄が毛沢東から「楚辞」を渡されたときのコメントにも表われている。どこの社か不明であるが、次のように論評した。 概要「(角栄が読み上げた漢詩を念頭に置いて)漢字を連ねただけでは詩にならない。少し漢詩の作り方を勉強しなさい、という毛主席の皮肉を込めた返礼である」。 人は皆、己の背丈に合わせて人を測る典型だろう。毛沢東が「楚辞」を贈った際のコメントは為されていないようなので推測するしかないが、 中国史の有名な政治家・屈原の有能さと最後の悲運を角栄に見て取り、毛沢東流の「警戒しなさいよ」という警句が込められていたのではなかったか。れんだいこはそう読み取る。 史実は、毛沢東が予見した通りになった。この辺の事情を当らずとも遠からずでコメントするのならまだしも、漢詩の勉強用に「楚辞」を贈ったなどと解釈されたら、世も末だろう。 れんだいこが何を云いたいのか。こたびの毎日にせよ読売にせよ、特報を報じているが、正確に読み取っているのかと訝らざるを得ないコメントが横行しているのを憂いている訳である。何でこんな風に低脳化しつつあるのだろう。我欲にくらめば見えるものが見えなくなるという昔の説教通りのことなのだろうか。外交官もこの調子だとすると、日本の国運は風前の灯ということになる。上が上ならという事にならねば良いが、おとろしや。 2006.7.30日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評195 | れんだいこ | メール | URL | 2006/07/31 20:52 |
【成田教授の小泉政治高評価論を嘲笑する】
2006.7.31日付け日経新聞「経済教室」の成田憲彦・駿河台学教授の「政策決定過程変えた経済諮問会議 次期政権も活用の道探れ」が、れんだいこには按配の良い格好の叩き台としての小泉政権論教本となっているので、これにコメントしておく。 全体を素読してみて、マキャべりの「政治家(君主)には、ヴィルトゥー(技量や力量)とフォルトゥーナ(運)が必要だ」の言辞のみが、れんだいこの知の欲求に応えた。後は愚の骨頂見解を聞かされる羽目になった。現代知識人のレベルの位相が分かり暗澹とさせられた。成田教授は、小泉政権をどう評しているのか。見出しである程度知れるが、小泉政権の継承を呼びかけている。 現代政治が少しはましなものであったなら小泉政権など有り得なかったし、有り得てならず早急に退陣に追い込むべきであったが、成田教授の如くなエピゴーネンがうろつくので今日まで5年有余の政権在任期間を記録させることになった。現代政治学が少しはましなものであったならかく認識すべきであろうが、残念なことである。 成田教授はどういう脳の加減をしているのか、小泉首相の構造改革論や自民党変革論や諮問会議活用論がえらくお気に入りらしい。この場合、成田教授が言葉のみを評価して惚れているのか、小泉政権の内実まで含めて酔わされているのか分からない。いずれにせよ、成田教授の自民党論そのものが陳腐過ぎるので、そういう見立てになるのだろう。 成田教授は次のように述べている。 「従来自民党を支えた政治原理は二つある。一つは戦後世界の米ソの冷戦構造が国内政治に反映した保守対革新の対立図式に於いて、保守の側に立つ政党であるということ云々」。 成田教授よ、実証的に見て、日共式の「保守対革新論」のウソを衝くのが政治学だろうに、何を証拠にそういう安易な見解に乗っかかっているのだ。れんだいこの見立てによれば、社共の方が保守で自民党内ハト派系の方が革新的というかプレ社会主義的な政治と政策を採ってきたように見えるが違うかな。 成田教授は次のように述べている。 「高度経済成長の恩恵は全国に行き渡り、これによって総中流化が実現した。自民党は戦後日本で豊かさと格差の縮小の同時達成という奇跡に近いことを成し遂げたのである。それが、自民党の歴史的功績である」。 成田教授よ、お前のこの言辞は素直である。但し、「自民党の歴史的功績である」とするのではなく、「ハト派対タカ派の抗争と連立から成り立つ自民党に於けるハト派の歴史的功績である」と云いかえればなお良い。こう見立てずに、何故自民党を一色で見ようとするのか。左派がこういう安直な見立てをするが、そういう履歴でもあるのかお前は。事実は、ハト派対タカ派の競合政治こそ自民党のダイナミズムで、与党責任政治に与ってきた、そこに日本の幸せがあったのではないのか。 成田教授は次のように述べている。 「こういう状況下、80年代の世界各国の政策のモデルになったのは、英米の政策であった。英米では石油ショックによって戦後の経済成長が失われると共に、財政赤字の増大に直面してレーガノミックスやサッチャリズムなどの政策が実施された。日本でも中曽根改革が行われたが、英米に比べて微温的なものにとどまり、課題はその後の歴代政権に引き継がれたものの、十分には成し遂げられてこなかった」。 成田教授よ、お前の見立てはここでウソをついている。76年のロッキード事件を境に、80年代初頭の中曽根政権の登場によって、戦後政府自民党のハト派が掣肘され、タカ派が横行していくにつれ、日本は変調の道を歩み始めた。中曽根がその先鞭水路をつけた。 軍事費の国民総生産1%の枠を外し、土光臨調の行財政改革の苦労を水泡に帰せしめた。英米の財政赤字の増大路線を真似して、その後の財政赤字の道筋をつけた。「日本でも中曽根改革が行われたが、英米に比べて微温的なものにとどまり」などと述べるのは、ウソこくなと云われねばならない。 こういう風に見立てるから、次のように延べることになる。 「完璧とはいえないものの、歴代政権に比べ、これを大幅に実現したのが小泉政権である。なぜ小泉政権で可能だったかと言えば、一つは首相のパーソナリティー、今ひとつは首相が自民党の一匹おおかみで、その分配の政治に染まってこなかったからである。加えて小泉首相には、改革を可能にする二つのツールが用意されていた云々」。 成田教授よ、小泉政権5年有余は一体何をしたのか。戦後ハト派政治が築き上げた世界に誇るプレ社会主義政治の遺産を破戒することに興じただけではないのか。議会政治手法も党内積み上げ議論方式も年金も医療も奨学金も公共事業も防衛の歯止めも悉く解体せしめた。 代わりに、靖国神社への揉め事起こすように起こすような参拝、自衛隊の武装派兵、緊縮財政の割には米英ユ同盟いいなりの大盤振る舞い、イスラエル一辺倒外交、民営化と云う名のハゲタカファンドへのビジネスチャンスの大提供等々をもたらした。 その要因として、「パーソナリティー、一匹おおかみ」を挙げるが、今となっては美談ではなく、逆に「変人パーソナリティーは駄目、一匹おおかみは駄目」と歴史的総括すべきではないのか。我々は今、小泉政治に、現代世界を牛耳る国際金融資本のエージェントとして送り込まれた政治の典型を認めるべきではないのか。れんだいこは、成田教授が褒め上げている当のものを批判している。見解が全く違うということだ。 成田教授は、小泉首相を次のように激賞している。 「マキャべりは、政治家(君主に)は、ヴィルトゥー(技量や力量)とフォルトゥーナ(運)が必要だと説いたが、近年の政治家では小泉首相が最もこの基準を満たしている」。 成田教授よ、マキャべり大先生が居たら、小泉なんてそういう人材では違うわいと憤然として云うと思うぞ。お前の見解はここでも陳腐過ぎる。ちなみに、小泉の運のよさは、何でも云うことを聞く都合の良い首相であることに味をしめた背後のネオ・シオニズム勢力がマスコミ総動員で無茶苦茶報道しながら意図的に作り上げたものであろうが。マキャべりの云う運とは違う。お前は学者には致命的な「字面、掛け声に弱すぎる」。 こういう按配だから、成田教授が継承を呼びかける経済財政諮問会議の評価も、れんだいことは真反対になる。成田教授は次のように云う。 「諮問会議は、首相の諮問に応じ、経済、財政、予算編成の基本方針や経済財政政策の重要事項を審議し、答申・意見などを提出する機関で、首相を議長に、現在5閣僚、日銀総裁、そして4人の民間議員から構成されている。その特徴は、経済財政の重要事項、即ち国政のほとんどの事項が網羅可能な首相主宰の合議機関であること、相当数の民間議員を含むことなど多々あるが、最大の意義は同じく橋本行革の成果の重要政策の基本方針に関する首相の閣議への発議権とあいまって、国政運営に関する首相のリーダーシップを担保することにある云々」。これを甲論とする。 「筆者は、議院内閣制のもとでの諮問会議は、制度論的にはある意味『異端』の政策機関だと思っている。経済財政政策の重要事項は、本来閣議で審議されるべきである。それを閣僚の一部の実と、国民から選ばれているわけではない民間議員が構成する諮問会議で審議するのは、正統性の点で問題が残るといえる云々」。これを乙論とする。 成田教授よ、甲論は「官邸政治という政治の私物化」を説いたものであり、乙論はそれを批判したものである。お前は、上述の甲論乙論のどちらが望ましいと考えているのか。成田教授よ、「官邸政治という政治の私物化」は歴史の歯車の逆行ではないのか。なぜそれを賛美するのか。「諮問会議が日本の政策とその決定過程を変えた」のは事実だが、それを「功績は小さくない」と考えるか「国際金融資本におあえつらえの愚作」と考えるのかが問われている。 成田教授よ、「その意味では諮問会議、特に民間議員の使い方は、新首相の政策志向を占う試金石にもなる」と結ぶが、日本をもっと国際金融資本の云うことを聞く方向に向かって努力せよ、ということか。売国亡国傀儡政治方向を煽るお前は何ものぞ。何の教授か知らんが気楽な稼業し過ぎてやいないか。それとも元々脳が足りんのか。 2006.7.31日 れんだいこ拝 |
悪質な嫌がらせ投稿に対するれんだいこのジハードを宣布する、心しておけ。 | れんだいこ | メール | URL | 2006/08/03 20:42 |
当サイト掲示板愛好者の皆様、最近異筋投稿が多くご迷惑をお掛けいたします。主宰者として深くお詫び申し上げます。何らかの対処が必要と考え、サイト「掲示板に対する悪質な嫌がらせ証拠目録」(iyagaraseco.htm)を設け、告知することに致しました。引き続く場合には別途措置を講じようと思います。 2006.3月頃より、れんだいこの主宰する「左往来人生学院」と「居酒屋れんだいこ」に対する悪質な嫌がらせが発生しているので、これを証拠目録しておく。連中の政治的狙いを詮索する必要があるが、当方はその為の時間を供出することにもったいなさを感じるので、とりあえず羅列しておく。 れんだいこはこれまで、当掲示板に対する何の因果関係も無い投稿をも許容してきた。それは、極力削除を好まないからである。但し、悪質な場合は話が別である。「政治的嫌がらせ」を自己目的として頻発するとならば別である。相応の咎めを受けさせるべく対応しなければならない。こたび「悪質な嫌がらせ」と判定するのは、1・当掲示板に対する何の因果関係も無い投稿を、2・同じ文言で、3・連続投稿し、4・管理主体不明URLを書き付け、5・それを組織的に行っている、と断ずるからである。 同時に、この連中が書き付けている内容に共通しているのが、アダルト系であることにも注目している。「政治的嫌がらせ」にアダルト系が利用されているということは、アダルト系の社会的役割を物語っている。アダルト系自体に就いてはいろんな考え方が有って良いと思われるが、アダルト系を政治目的で利用している連中が居るということを、ここで確認することが大事である。 管理主体不明URLについては、誰がこれを経営しているのか、その背後勢力は誰なのか判明させねばならない。今となっては、一連の書き込みに組織性を否認するのは至難の業であろう。世の中にはリバウンドと云うのがある。れんだいこないしは「左往来人生学院」と「居酒屋れんだいこ」掲示板の遣り取りを支持する特捜班が生まれ、その調査で追々明らかされることになるだろう。いずれにせよ、以下の目録内に組織性が認められたなら、当該組織はそれなりの覚悟をしておかねばなるまい。 2006.8.3日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評196 | れんだいこ | メール | URL | 2006/08/03 20:49 |
(れんだいこのショートメッセージ)
れんだいこは、こたびの中東紛争を第6次中東戦争突入と見る。世間ではまだそのようには見立てていないようである。この闘いが長期化し、いずれ第6次中東戦争と位置づけざるを得なくなるであろう。はっきりしていることは、イスラエルが次第に大義名分を欠き始めており、表見的にはイスラエルの方が景気が良く見える驕りによってかそれを意に介さなくなりつつあり、「歴史学上のユダヤの民の悲劇神話」の「虚構の崩壊」へと自ら導きつつあることである。その損失は、彼らが考えている以上に大きい。 彼らは今や、勝てば官軍式のご都合主義論を振りかざし、先制攻撃の道へ露骨に分け入りつつある。イスラエルは制空権を保ちつつ一見ワンサイドゲーム的な勝利を収めつつあるかに見えるが、イスラムの民はそれほど馬鹿ではない。「ユダヤ禍」を歴史的に認識し、いずれ手厳しい反撃を用意するだろう。 もはや、イスラエルは、数々の度の過ぎる蛮行の積み重ねゆえに、中東諸国を制圧する大イスラエル帝国を作り上げることによって自存するか、再びパレスチナの地から石持て追い出されるか、二つに一つの道しかなくなりつつある。しかし、評論的に見ても、選択肢をこのように狭めるのは決して賢明ではなかろう。イスラエルは、その滅びの道を自覚的に歩み始めている。れんだいこにはもはや、古代イスラエルの辿った離散の道の二の舞しか想定できない。この民が彼らが自惚れるほど真に有能かどうか、既に結論が見えているように思われる。 そう見立てると、この時代に於ける現代史上の我々の責務は、イスラエルの悪あがきの愚行を早めに終息させることであろう。世界諸国民がその為の叡智を結集するべきであろう。れんだいこには分かる。どっちみち崩壊するのはイスラエルの方であり、悪あがきが深まれば深まるほどイスラエルの好戦勢力に対する戦後制裁が厳しくなるであろう。そのことを理詰めで教えねばならない。 いずれ国際軍事法廷が設置され、彼らが考案したニュルンベルク裁判と東京裁判で問われた平和の罪と人道の罪に於いて、戦争責任者が弾劾されることになるだろう。否、イスラムの憎しみは余り、国家としてのイスラエルの解体まで押し進めるであろう。その後に諸民族共和の政体が生み出されることになるだろう。イスラエルの民には二度と好戦勢力を生み出さないよう厳しい制裁が科されることになるだろう。 れんだいこは、イスラエルの好戦勢力に対して嫌悪を覚える。その思想的母体であるネオ・シオニズム的ユダヤ原理主義との徹底対決をせねばならぬと思う。こうなると、史上の最強対決者イエスを歴史から呼び戻さねばなるまい。れんだいこは再度「イエス・キリスト論」の推敲に向うことにする。イエスが如何にネオ・シオニズム的ユダヤ原理主義を論難したか、闘ったか、学び直して見たいと思う。 「れんだいこのイスラエル先制第6次中東戦争批判」(neoshionizumuco/tyutosensoco/rendaiconohihan.htm) 2006.8.3日 れんだいこ拝 |
Re:靖国問題の一考察 | れんだいこ | メール | URL | 2006/08/06 12:19 |
坂東太郎さんちわぁ。靖国参拝の件ですが、れんだいこは、歴史的に遣り取りされている私人公人論争を好みません。政府要人が参拝するならいつでもどこでも当然にその資格に関わる政治責任が伴うと考えております。そういう意味で、小泉さんの云うような「これは心の問題だ」はナンセンス極まりありません。この間、私人公人論争に明け暮れてまいりましたので、そういう論法が許される余地が生まれているのでせう。 れんだいこ的には、首相が参拝すれば私服であろうがなかろうが、拝礼しようがしまいが、公用車使おうが使うまいが、首相の参拝として責任が問われるべきです。それは誰しも同じで、仮にれんだいこが夜のスナックで私的に飲もうと、何か事があれば会社の肩書を含めて責任がついて廻るのと同じことです。そういう肩書き込みで飲んでいるのであり、純然たる私人なぞありゃしない。 以上を受けて、政府要人が靖国参拝するのなら、春秋例祭に参拝するのが筋であると考えております。そこまでは国内的にも国際的にも認められており、三木首相前までは歴代の首相はそのようにしてまいりました。小泉はんのようにわざわざ8.15大東亜戦争終戦記念日参拝を画策するのは、三木、中曽根以来の愚挙で、よりによって皆これネオシオニスト・エージェント首相であるということが共通しております。なんでこうなるのか、ここを考えねばなりません。 国策に殉じた英霊を慰霊したのなら、それまでの国家がしてきたように8.15日は、政府主催の戦没者慰霊式を挙行し、大々的且つ厳粛にやれが良い。それで何も不都合ありません。それをやらずに、三木、中曽根、小泉は何ゆえに8.15日靖国参拝を目論むのか。そこに胡散臭さを感じ取るべきです。 如何にも愛国ぶるこの連中こそユダヤエージェントではないのか。靖国参拝は、そのエージェントぶりを隠すイチジクの葉として政治的に利用されているのではないのか。それは靖国神社にとっても本来は有りがた迷惑であり、そう気づくべきです。特に小泉の8.15参拝は異常で、今後の論議によっては靖国解体に繋がる可能性が強い。結果、靖国も又小泉はんお得意のレイプに巻き込まれたことになるでせう。 中国、韓国、北朝鮮三国の首相の8.15日靖国参拝批判は、微妙なものがあります。彼らからすればそれは正義で道理が叶っていると考えます。国内世論に耳を傾ければ抗議せざるを得ないのでせう。但し、70年代までの彼らは、それまでは日本の首相による春秋例祭時の靖国参拝を問題にしたことはない。最近になって、首相の靖国参拝自体に干渉し始めているとしたら、それも問題です。 我々は、日本、中国、韓国、北朝鮮が相互に揉めるように、纏まらないようにミスリードされているのではないかと詮索するべきです。それは誰にとってメリットがあるのか。日中韓北台が紛争し続ける限り、軍事兵器が売れるし、国防予算がつぎ込まれることにより内治政策が後回しになるし、結果的に社会発展が遅れます。そういう風にミスリードしている国際的意志が働いているとみなすべきです。 > 個人的には、近い将来にアジア版のユーロ圏のような、体制が構築されると良いと考えます いわゆるアジア共栄圏がつくられるべきところ、何ゆえアメリカ無しには為し得ないのか。北朝鮮問題を廻る六ケ国協議もうそ臭い。地政学的にはアメリカは要らないのに、何ゆえアメリカのシナリオで進めざるを得ないのか。この場合、アメリカの後ろ盾は現代世界を牛耳る国際金融資本帝国であり、何ゆえ国際金融資本帝国無しには為し得ないのか、と云い代えて考えねばなりません。この連中によって、アジアは纏まらないように揉めるように操作されていると考えるべきはないでせうか。 彼らは今中近東紛争で忙しく、アジアが相互にいがみ合う姿が好ましいのでせう。その意向を受けて小泉はんが忠勤しているのでせう。中共政権もかっての毛沢東-周恩来同盟期のそれではなく、親ユ政権です。彼らは日本に変わるアジアの盟主の地位を画策しており、日本ごときになめられてたまるかというところでせう。この政治パワーゲームに日本の頭脳が追いついているのか。この間日本は、国際金融資本のいいなりで、そのことによって頭脳が衰弱しているのではないかと考えます。明治維新以来最悪の貧脳時代に入っているのではないでせうか。 結論として、小泉はんが靖国神社参拝するのは、同神社に対して思い入れが強いのではなく、アジアで揉め事を起こし続ける政策に則り強行されていると考えるべきだということになります。それが証拠に、小泉はんは首相前も首相後も靖国には見向きもしなくなるでせう。彼の信仰は「嘆きの壁」の方こそ真意であり、ユダヤ教狂信徒としての立ち居振る舞いこそが生き甲斐のようです。安倍も良く似た勝共連合被れです。 それにしても、日本の現役首相の「ユダヤ教聖地・嘆きの壁」公式参拝、靖国神社へのコソドロ式参拝とは大きく様子の違うユダヤ帽被っての神妙そうな参拝こそ、即失脚させられるべき一大事件なのに、与野党マスコミともども問題にしていない。これって何なんだ。もう政治が死んでいる。 そういえば、この間テポドン騒動に明け暮れたが、同時にパレスチナで第6次中東戦争が勃発している。こちらの方の報道は抑制され続けており、故に日本人は盲目状態にされている。北朝鮮問題ではあれほど精緻な分析をするのに、パレスチナでは幼稚園児のそれにも及ばない。おかしいことです。れんだいこの見るところ、パレスチナ紛争は現代史の一級課題で、これに対する豊富な情報と分析を持たねば今後国策を大いに誤ることになると考えております。 2006.8.6日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評197 | れんだいこ | メール | URL | 2006/08/06 21:17 |
【国家の戦没者祀りと党派の党員祀りの相関考】 今日は、広島原爆投下の日である。れんだいこの「第二次世界大戦の研究(大東亜戦争を問う)」(daitoasenso/daitoasensootou.htm)の「45年終戦への動き」(toshi/nihonkiyosanto_nokenkiyu_toshi_3.htm)の該当箇所は次のように記している。 8.6日午前8時15分、広島に原爆投下される。原爆を搭載したB29「エノラ・ゲイ号」は、グアム島の戦略爆撃司令部から「午前8時から9時にかけて、目標とする都市の上空で原爆を投下せよ」との命令を受け、マリアナ諸島テニアン島から飛び立った。広島に侵入し、「リトル・ボーイ」が投下された。 続いて、8.9日午前11時1分、長崎に原子爆弾が投下された。原子爆弾の威力は凄まじく民族抹殺の危機を募らせた。こうして大日本帝国は「進むも地獄、引くも地獄」の体制危機に陥った。 あれから61年、世情は様変わりした。鬼畜米英と闘った我が日本は、敗戦後「不戦不戦、諸国協調」の誓いで再出発することで世界に許容された。その日本が今や、かっての鬼畜米英の配下軍として自衛隊を献上し、これこそ我が日本の生きる道と囃し立てる首相を5年有余据え、中韓北朝鮮には凛々しいが米英ユ同盟には芸子パフォーマンスで取り入るしか能のない嬌態政治を続けている。 その小泉首相が、「これは心の問題だ。我が日本国憲法は信教の自由と心の自由を保障している」と、日頃の憲法改正論はどこへやら、この時ばかりは憲法を盾にとって8.15靖国参拝強行を狙い、取り巻きが囃したてている。この首相は、つい先だってはユダヤ帽被って「嘆きの壁」の前で祈念してきたつわものだ。その心が「嘆きの壁」にあるのか、靖国にあるのか。れんだいこには明瞭だが、世間はそういう問いはしないようだ。 それはともかく、左派運動側よりするかっての対戦に於ける戦没者及びその遺族に対する位置づけが幼稚染みており、がまんならないので一言しておく。想起すれば、左派運動は戦後一貫して、大東亜戦争を「ファシズム対自由民主主義」陣営間の闘いであったなどとネオ・シオニズム教本通りに嘯き、戦没者及びその遺族に対して、無益な殺傷に加担した逆非国民とばかりに悪口三昧するのを得手としてきた。その究極がA級戦犯であり、末代にわたって祟られるのが望ましいという訳か。そういう理論が罷り通っている。 れんだいこが思うのに、全ての間違いは、かの戦争を、ネオ・シオニズム教本通りに「ファシズム対自由民主主義」陣営間の闘いであったなどと見立てるのが間違いなのではなかろうか。確かに日本帝国主義の侵略戦争であった。これは、左派運動がその観点を失わない限りかく見立てねばならない観点である。しかし、事はそう単純ではない。目下、パレスチナでレジスタンスしているように、鬼畜米英に対する聖戦の面もあったのではなかろうか。 我らが祖父は、望むと望まざると拘わらず赤紙で召集され、その多くが戦地で散った。それは丸ごと国策であったのであり、よって国策の犠牲者として位置づけられるべきだろう。戦闘上、抑圧加害者として振舞ってきたのも史実である。この方面の言及はここでは避けるが、国策の犠牲者ならば、国家が弔うのは当り前であろう。遺族に対する生活保障も国家の義務であろう。戦後日本の政権与党を形成した政府自民党は概ねこれをよく為してきた。しかし、それは、戦後立国のテーゼである「不戦平和の誓い」から為されるべきであろう。 おかしなことに、専守防衛区域を越した地域に戦後初の自衛隊武装派兵を成し遂げ、莫大な国費を無駄にしてきた小泉首相が、英霊と何を語るのか定かでないが、8.15日に靖国参拝すると言い張ってきかない。れんだいこが意見しておく。お前には資格がない、お前はユダヤ帽被ってどこぞで芸子活動しておれば、その方が似合いだ。俺が英霊なら、お前には来て貰いたくないワイ。 おかしなことに、日本左派運動は、戦没者及びその遺族を日陰者にしてきた。それは、先の大戦の理論的総括が幼稚染みていることに起因しているように思われる。それはともかくもだ、分かりやすく云おう。国家にせよ、党派にせよ、国家の為に党派の為に殉じた者を手厚く祀るのは、国家にせよ党派にせよそれが礼儀というものだろう。手前がそれをしていなくて、党員を手足の如く使っては使い捨てしているからといって、それを自慢したり、その作法を押し付けたりすることが良いのではない。恥ずかしいと思うべきなのだ。 戦後日本政府が、戦没者及びその遺族をそれなりにもてなしてきたのは良いことなのであり、それを再度戦争に利用しようとしてするのではない限り、それが出来ていない党派は批判する前に恥じるべきである。思えば、戦後左派運動は、戦前も然りだが膨大な犠牲を生んできている。今日の党中央は、その犠牲に対して深く頭を垂れたことが一度でもあるのか。何度も云うが、それをしないのが自慢ではない。 れんだいこ結論は次のようになる。政府要職の者は、靖国行くなら春秋例祭に小泉が「嘆きの壁」で見せたように礼装で行け。そして、小泉が「嘆きの壁」で見せたように神妙に祈念せよ。党派は、自前の党員祀り殿を設け、党創立記念日には犠牲者を追悼せよ。元一日に思いを凝らせ。物事はこれが出来てからの話しだ。このケジメが出来ぬ者がしたり顔で人に説教するな。 こういうことを云ってみたかったんだ。恐らくお盆が近いんだ。 2006.8.6日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評198 | れんだいこ | メール | URL | 2006/08/07 20:13 |
【マルクス主義社会分析論その7、宗教批判の構図】 2006.8.7日、れんだいこは、サイト「マルクス主義再考」(marxismco/marxism.htm)の中に「社会分析論その7、宗教批判の構図」サイト(marxismco/marxism_genriron_syukyohihan.htm)を設けた。その理由は、靖国神社論考の中で次のことに気づいたからである。 左派運動下の者はとかく、死者の埋葬及び礼拝について、それさえもマルクス主義の宗教批判一般の中に包摂して、死者を宗教的に取り扱わないのが左派とでも云える見識をひけらかしている。そうかといって、ならば、マルクス主義は死者をどう待遇すのかと問えば、別に何の定見も持っていないというのに。こういうのを見せかけだけの無責任批判というのではなかろうか。 マルクス主義は、なるほど宗教批判を論の起点にしている。しかし、東洋且つ日本の我々が、マルクスが批判した西欧宗教即ちユダヤ-イエス・キリストーイスラム教という聖書ないしはコーランにある一神概念から来るところの宗教問題を踏まえずに、西欧でも東洋でも日本でもまんべんなく適用する宗教批判として受け止めるとしたなら、それはマルクスの提起した宗教理論ではない。そのように主張する者が自前で編み出した宗教批判に過ぎない。 大抵の場合稚拙であるのだが、そういう持論をマルクス主義の名を被せて世間に吹聴したら、さぞかしマルクスは地下で迷惑を蒙るのではなかろうか。マルクスを困らしめる自称マルクス主義的宗教批判が横行しており、れんだいこは眼のやり場と耳の置き場に困っている。 れんだいこは何が云いたいのか。直接的には、マルクス主義といえども死者の弔いと追悼は重視さるべきものであり、死者の弔いと追悼を無視しても差し支えない、否無視するのがマルクス主義などと云う見解を却下させたいところに主眼がある。 > 「靖国史観を知って言っているのか、慰霊とは何なんだ霊なぞ存在しないしそれを慰めることなぞ不可能だ」 なぞと、物分りの頑是無い者がしたり顔してれんだい論を批判する者が居るが、この立論は彼一人のものではなかろう。この種の「慰霊とは何なんだ霊なぞ存在しないしそれを慰めることなぞ不可能だ」論を如何せんか。 日本に於いては、死者は神道では土に帰り霊になる。仏教では浄土か地獄か三途の川を越して分かるのだが成仏霊となる。あるいは星になると云う者も居り、森に宿ると云う者も居る。西欧、イスラム、アフリカ、インド、中国、朝鮮ではどうしているのか知らないが、よく似た捉え方をしているのではなかろうか。 れんだいこに云わせれば、死者が霊になろうが星になろうが森に宿ろうが、それはどうでも良い。どうでも良くないのは、死者はそれなりに待遇されねば成らぬということだ。前者を否定したからといって後者まで否定するのは混同甚だしいというべきだろう。そういう混同マンが多過ぎる。思うに、本来は、マルクス主義的葬儀ー追悼法というのがあるべきだ。マルクス主義者は争議はすれども葬儀をしようとしない。それは、宗祇に反すると云うべきだ。 靖国論から始発したので靖国論に還る。戦没者を祀り英霊とする靖国方式は死者追悼の一方法であり、これを良いとか悪いとかは本来は云うべきではない。その政治利用を許さないのなら、死してなお政治権力に利用せしめるような歴史的靖国方式を批判することが肝腎で、ならばこちら側の追悼方式を対置すべきではないのか。 この作法は一事万事に当てはまる。右翼版教科書採択を批判するのなら、左翼版教科書を対置すべきだ。それを為そうとしないまま採決現場に乗り込んで得意がる。憲法改正派が改正運動するのなら、憲法護持派も又護持運動すれば良い。憲法記念日だってあるではないか。この日を盛大にイデオロギッシュにやればよい。ところがそれをしない。 ネオ・シオニストが戦争政策推し進めるのなら、反戦平和派は、特に日本では原爆反対不戦運動を盛んにすれば良い。ネオ・シオニストが原子力発電所を推進し啓蒙活動するのなら、反戦平和環境派は、危険警鐘乱打、逆啓蒙運動すれば良い。誰だ、反対派のポーズしながらいつも決まって逆の分裂運動ばかりするのは。口先だけの反対で責任果たし顔するのは。そういうのは何もやっていないに等しい、否むしろ害悪だ。 大東亜戦争を否定するのなら、二度と起こさないためにどうすればよかったか、史実を明らかにして喧々諤々すればよい。議論しないのが良策だなどとの詭弁で、ホロコーストも南京虐殺もシオンの議定書も陰謀論も先入観で一蹴してしまい、何か尋ねると、あれ読めこれ読めで逃げ廻り、たいした文でもないのに著作権で囲おうとするのは卑怯ではないか。手前たちこそ秘教にでも被れているのではないのか。 2006.8.7日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評199 | れんだいこ | メール | URL | 2006/08/11 18:46 |
(れんだいこのショートメッセージ) 【今こそイエスの論理論法に耳を傾けよう】 第二次世界大戦後、韓国、米国に新興「キリスト教福音主義」なるものが相次いで誕生した。これを凝視せねばならない。無知な自称知識人が、時にこれを原理主義とみなして評する向きがあるが、何でキリスト教原理主義であるものかは。開祖イエスを知らないにも程があろう。 近時の新興「キリスト教福音主義」なるものは、はっきりしていることは、原理的に矛盾であるキリスト教の名を被せてのユダヤ教との融合化であり、それはとりもなおさずキリスト教の解体の道でしかない。それを許しているのは、よほどキリスト教側が腐敗しているからであろう。 キリスト教の開祖イエスは去る日、ユダヤ教の選民主義的枠組みを食い破って、世界市民及び諸民族に通じる愛の信仰を掲げ、ユダヤ教パリサイ派に濃厚な徹底報復主義に対峙した。その他諸々ユダヤ教の否定の上に新宗を成立させた。近時のキリスト教側からのユダヤ教との親和は、イエス新宗の歴史的意義を否定するものであり、それでもキリスト教原理主義呼ばわりし続けるのは為にする邪悪な意図に基づいているとしか云いようがない。 あるいはそういうことも分からず、キリスト教を信仰している単なる馬鹿かも知れない。歴史がまるで分かっていない。そういう認識では全てが却って混乱させられる。れんだいこは、憤然とナンセンスと指弾したい。 れんだいこは、このことを論証する為に2004.11.15日、「イエス論」をサイト化した。読む者には何らかの認識改めを提供できたと自負している。2006.8.11日、二度目の読み直しをして相当部分書き直した。読み手の欲求に耐え得るものを草稿化できたと思っている。 現在、パレスチナで第6次中東戦争が行われている最中であり、イスラエルの得手勝手な独善と報復主義が時空2千年を超えて相も変わらず続いていることに憤然としつつ、イエスならどう難詰するだろうかと思いつつ再弁証した。 まことに今や、イエスの登場が望まれていると思った。彼の当時の警句は今も素晴らしい。ズバリ当っている。パリサイ派の論理論法の将来に於ける危険を指摘しているが、歴史はその通りになった。ネオコン及びネオ・シオニズムは、当時のパリサイ派の典型的な末裔である。改めてイエスの凄さが分かった思いがする。 それにしても、日本のジャーナリズムは、中東問題に及び腰であり過ぎる。思えば、1970年代まではNHKなら少なくとも世界の動きを伝えていた。今めっきり報道番組が少なくなった気がする。民間テレビは言わずもがなの愚民化番組のオンパレードで、現代パリサイ派の世界支配戦略に迎合している。 その及び腰の中で、イスラエルの先制攻撃を支持し、日本の一蓮托生を唱える論調のみ聞こえてくる。馬鹿馬鹿しいことこの上ない。下手に学べば阿呆になる典型だろう。日本のメディアにただの一社でもよいからアルジャジーラ型が生まれることを切に願う。 「最近のキリスト教福音主義、原理主義のヌエ論理考」(religion_christ_fukuinhaco.htm) 2004.11.15日、2006.8.11日再編集 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評200 | れんだいこ | メール | URL | 2006/08/15 17:11 |
【「旧約聖書の天地創造説」と「みきの泥海古記」との創造の同一性と差異】
2006.8.15日は、小泉はんは靖国に、れんだいこは、この掲示板を嫌がらせし続ける原理どもに対抗すべく、最も根本問題たる旧約聖書の天地創造説」の検証の一日とした。以下、「旧約聖書の天地創造説」を単に聖書と記し、「みきの泥海古記」を以下単にみき教義と記す。 どちらも、文字で説かれた創世記であり、物語の完成度が高い点で双璧となっている。但し、聖書の天地創造説は世に遍(あまね)く知られているが、「みきの泥海古記」は天理教徒及びその関連の一部の人にしか知られていない。そういう違いがある。但し、この説話を比較すると、「みきの泥海古記」の方がより手の込んだ内容となっていることに気づかされる。 どちらも、神が人間を創ったとする点では一致している。神はいわば全てのものの創造主であり、今なお支配している全能主であり、如何なるものにも拘束されない叡智であることが大前提とされている。いわば主にして全知全能神であることを伝えている。 但し、次のような違いがある。聖書では、神と人間の関係は一方通交的であり、あくまで創造主と被造物の主従関係である。両者は、神の命令する掟を通して関係づけられている。契約は律法として立ち現われており、神と人とはいわば契約関係となっている。これを犯せば厳罰が待ち受けている。小滝透・氏は、著書「いのち永遠に」の中で、次のように評している。 「彼らの文脈における信仰とは、内面的には『神の脅しに竦(すく)み上る精神』を指し、外面的にはその結果引き起こる『律法遵守』を意味している」。 もし、この世にみき教義がなければ、我々は唯一の聖書教義に耳を傾けるしか術がない。幸いにも、日本には幕末時点でみき教義に基づくもう一つの創世神話が生まれた。有り難いことに、みき教義では、神が被創造物である人間に罰を下すことはない。むしろ、慈愛深き血縁的な親子情愛関係として終始語られており、汲めども尽きない慈愛に貫かれている。 聖書的神による絶対厳罰というものは記されておらず、何度でも神の思いに叶うよう努めることばかりが語られている。ちなみに、この点では、仏教と比べても瑞々しい。仏教教義でも、この世の根本を娑婆苦と捉えており、全体に虚無的世界観で説き分けられている。煩悩、因縁、業に取り付かれているとして、そこからの解脱を目指す。それに比して、みき教義の場合には無罰的埃思想であり、非聖書的非仏教的明るさが認められる。 特徴的なことは、聖書の人間創造譚は、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」の一行で済まされているのに比して、みき教義のそれは詳しい。というより、他に同種の考察が無いとすれば、史上独壇場となっている。この点はもっと注目されて良い。世間は一般に西欧被れを特徴としているので、日本が生み出し世界に打ち出しし得るみき教義の凄さを知らなさ過ぎる。 みき教義の泥海古記は、人間創造に当り、「一つ人間というものを拵えて、人間が楽しむサマを見て私も楽しみたい」との思いであったことを伝えている。その点で、聖書創世記の如く、「神は、地上に人の悪が増し、人が常に悪事ばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し心を痛めた。遂に、獣も家畜も地を這うものも、空の鳥も、私は、これらを創ったことを後悔する。これらをこの地上から消し去ろう、と決意した」などと、神が後になって後悔するようなことは無い。 みき教義の泥海古記では、実際の人間作りも非常に手が込んでおり、ハつの道具衆を引き寄せ、それらの神々作用によって人間創造されたことが説き明かされている。しかも、神の一度の行為によってではなく三度の御技によって完成されたことが記されている。みき教義の場合、それは、神の深い慈愛を感じさせる説き方になっている。この差は大きいというべきではなかろうか。つまり、罰する神と慈愛の神との説き分け違いとなっている。 男女を説き明かす場面も然りで、聖書は、「人が独りでいるのは良くない。彼に相応しい助ける者を造ろう」とあるように、女性が後になって男性のあばらの骨から作られたことを伝えているが、みき教義では当初より男女が対で創造されている点も注目されて良い。付言すれば、みき教義では、性差を認め、その差に立って助け合うことが要請されている。聖書にはこの辺りの記述が無い。あるとすれば、男尊女卑的文言ばかりである。 更に、聖書は、神の「生めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」の御言葉を伝えているが、みき教義には、人間ー自然間に支配服従思想は伝えられていない。むしろ、人間同士も然り、天地自然との共生を説き分けている。この差も大きいというべきではなかろうか。 既に指摘されているところであるが、西欧思想の中に濃厚な支配観念、それに基づく現実政治に於ける絶対支配は実に、聖書に淵源しているとも窺うことができるのではなかろうか。神の御業を知らされても、みき教義にはそのようなものはない。この差は大きいというべきではなかろうか。 その他「貸し物・借り物思想」、「埃思想」、「談じ合い思想」等々諸々が、聖書的又は仏教的教義より秀でていると思わざるを得ない。この点まだまだ未熟であるが汲み取り続けて生きたいと思う。聖書にあるのは代わりに、カインとアベルの兄弟譚であり、ノあの洪水譚であり、バベルの塔譚である。そこにあるのは、正義とは何の関係も無い主の怒りとそれに基づく呪いや報復である。こんなものを幼児の頃より詰め込んでなんになるのだろうか、れんだいこにはさっぱり分からない。 西欧の徹底殲滅型報復思想とそれに基づく現実政治とその阿諛追従は、聖書の創造記よりめぐり廻っている。こんなものに捉われるより、代わりのものを創造し、世界に提起する必要があるのではなかろうか。れんだいこは、みき教義はその際の有力な理論であると思っている。 「セム系一神教聖書の天地創造譚と泥海古記譚との比較」(mikiron/omitinoriron_motonori_tentisozokanhikaku.htm) 2006.8.15日 れんだいこ拝 |
Re:Re3:れんだいこのカンテラ時評201 | れんだいこ | メール | URL | 2006/08/17 20:05 |
坂東太郎さんちわぁ。 > 私が子供の頃は、共産党の鼻息が荒く、学校関係者は日教組が支配的で神が人間を創ったというような、考え方は、排除され、生家が宗教施設の子供が教員から、白い眼で見られ、迫害を受けていたのを記憶しています。 「神が人間を創ったというような、考え方」はそれほど批判されることでせうか。れんだいこが思うに、神というのは表象概念ですから、真に問われるべきはその表象が規定する内実ではないでせうか。言い回しだけで拒否反応するのは児戯的と考えております。俗流自称マルクス主義者の悪弊ですねきっと。 ユダヤーキリスト教に於ける神は人格神のような宇宙神のような両面を持っており、いずれにせよ出所所在不明の絶対的超越創造主的一神教ですが、日本神道の特に古神道系の場合は、いわば宇宙や自然に充満する八百万(やおよろづ)の神々多神教です。故に、この考え方を発展せしめれば、中山みきの如く「理が神」という概念も成り立つわけです。 みき曰く概要「神というては特別に有るものではない。有るといえば有る、無いといえば無い。しかれども成ってくる理のうちに神が見えてくるのや、理が神や」という次第です。こうなると、「成ってくる理」とは、自然法則から社会法則までを含めた概念と後一歩のところまで近づいております。 このような神概念の場合、みきが「神が人間を創ったというような考え方」を示したとしても、そういう表現だけで批判されることではないと思います。むしろ、言葉短く分かり易く表現したもので、あくまでその神概念で彼女が何を表現しているのか思案するのが大事と考えております。 従って、マルキストが、「神が人間を創ったというような考え方」を聞くと条件反射的に迷信低劣とみなし、排斥対応するのがむしろ滑稽になります。れんだいこの理解するマルクス主義の宗教批判は、俗に云われているような宗教アヘン論一色のものではありません。ユダヤーキリスト教史及び西欧史を踏まえての政教分離思想に基づくもので、神事は神職に任せ政治は政治職の者に任せるべきだとの観点からあれこれ述べていると考えております。いわゆる宗教全面的否定論とはちょっと違うと考えております。 ここら辺りが混乱しており、特に我が国の場合、西欧宗教とは違う神概念であるにも拘わらず、十把一絡げにマルクス主義=宗教否定論の立場から論難することを第一にし過ぎております。その癖、何のすり合わせも無いままに統一戦線論でご都合主義的野合をしております。 ちなみに、れんだいこは、マルクス主義に於ける統一戦線論を臭いと思っております。我々が目指すべきは共同戦線論であり、統一戦線論は似て非なる理論と考えております。統一戦線論なぞ一体、誰が編み出しのか。言葉の違いだけではないものがあると考えております。 もとえ。れんだいこは、そういう認識から、宗教界宗教問題にも等しく関心を持っております。彼らの理論内容の内実を見ようとするからです。時に、左派党派よりも勝れた組織論運動論目的論を打ち出すことが有ります。同時に社会学的分析の拙さによる限界もあります。とはいえ同志的結合のさせ方で学ぶに値することが多い。むしろはるかに進んでおりますね。 れんだいこ的には、マルクス主義の社会分析概念と宗教の生き方作法をミックス・アンサンブルして、人は寿命の中で何を為すべきか、どう処世すべきなのか、世代にどう伝えていくのか、歴史の歩みをどう見るのかの新機軸を生み出したいと考えております。なかなか難しゅうございますが。 「神が人間を創ったというような考え方」それ自体を安易に批判して得心している思考停止族が多い風潮下ですので、敢えて立論してみました。世には科学教というのがあり、自称でも科学的とさえ冠詞すればそれだけで、宗教者より一歩高みにたっている気がする手合いに漬ける薬を開発中です。科学とは汲めども尽きぬ発展過程のもので、その道中でしかないのに、我は科学的と云ってみてもほぼ何の役にも立たない。あくまで云っていることとやっているこが精査されるべきです。これを不問にして平気の平左で胡坐をかいている科学教徒の拙さばかりが見えてくるのを如何せん。 2006.8.17日 れんだいこ拝 |
Re:Re3:れんだいこのカンテラ時評202 | れんだいこ | メール | URL | 2006/08/20 13:04 |
【東条(條)英機履歴(1884ー1948)】 A級戦犯の筆頭に挙げられる東条ですらその履歴が案外と知られていない。れんだいこは、時代に登竜し、翻弄され、ホロコースト(聖壇での生贄という意味)された一代記と見立てる。 宮顕ー不破系日共式の何らマルクス主義的ではない単にネオ・シオニズム教学の請け売りにしか過ぎないA級戦犯論では歴史から何も学べない、否むしろ有害であることを憂慮し、れんだいこが素描しておく。「人物に関するデーターベース」の「東条英機」、小林よしのり氏の「いわゆるA級戦犯」その他を参照した。他の文献から貴重情報を得次第に順次書き換えることにする。 総評。軍人にして政治家になり、大東亜戦争開戦時の首相という歴史的地位を占めている。 履歴。1884年、東京生まれ。父・東条英教は、旧盛岡・南部藩士の陸軍軍人。陸軍の知嚢と謳われたが、南部藩は戊辰戦争で賊軍であった為、長州閥の威勢の前にさほど昇進することなく不遇であった。日露戦争の際に抗命を理由に馘首同然で中将を最後に陸軍を退かされた。息子の英機も長ずるに及び城北尋常中学から陸軍幼年学校に進み、陸軍士官学校を経て中尉に任官した。こうして、父と同じ陸軍軍人になった。 任官後、陸軍大学校へ。卒業後、陸軍省副官を拝命し、順調に進級した。大正8年、山下奉文とともにドイツ駐在。ドイツ駐在の折、永田鉄山、岡村寧次、小畑敏四郎らと保養地バーデン・バーデンに会して密約を結んだ。この時、1・日本における総力戦体制の構築、2・荒木貞夫、真崎甚三郎を擁立して長州閥を排撃するの二つを意思統一させた。東条はこうして長州閥退治に情熱を燃やすことになる。 東条はその後永田鉄山との親交を深め、永田もまた東条を信頼し、ドイツから帰国して陸大の教官となっていた東条を自分の後釜(陸軍省整備局動員課長)に据えた。東条は、永田の庇護下で国家総動員体制を深く研究した。昭和4.8月、第一師団連隊長を拝命。 この時の逸話が次のように伝えられている。東条は、私語している兵士の名前、年齢、出身地、成績をすべて前もって諳(そら)んじていて、直に名前で「誰々、私語するな」であった。他にも、連隊内の栄養状況に関心を寄せ、兵士が食事を残してごみ箱に捨てているのを確認するや、炊事班長を呼びつけて「消化がよくておいしいものをつくってやれ」と命じた。いずれも下級兵士を思いやる逸話となっている。 連隊長を務めた後、参謀本部総務部編成動員課長となった。この頃、軍部内での統制派と皇道派の対立が発生し相剋が深まっていく。統制派に位置していた東条は、荒木貞夫らの皇道派から煙たがられ、少将とはなったものの省部の要職から追われ閑職の日々が続いた。一時は永田が林銑十郎陸相を擁することに成功して閑職から復帰するが、まもなく統制派のリーダー永田少将が斬殺された結果(相沢事件)、またもや冷や飯の日々が続く。昭和10年、関東軍憲兵司令官として満州に飛ばされた。 その翌日、皇道派による二・二六事件が勃発し鎮圧された。事件後就任した寺内寿一陸相が徹底的な皇道派粛清の粛軍人事を断行したことにより、東条ら冷や飯を食わされていた統制派が返り咲くこととなった。同12年、関東軍参謀長に就任。満州の実力者の一人として登竜していったが、世界最終戦ビジョンを持つ石原莞爾とは反目した。 支那事変が勃発するや積極攻勢論を展開し、東条兵団は破竹の快進撃を続けてた。これが功績と認められ、同13.5月から12月まで近衛内閣の陸軍次官に指名され帰国する。こうして、内地に凱旋することとなった。 板垣征四郎陸相のもとで次官を務めた後、同13年から14年まで陸軍航空総監(本部長)に転出。続いて、同15.7月から16.10月まで第二次近衛内閣の陸軍大臣を務め、政局中枢に位置することになった。当時中将、57歳であった。この時、1・石原莞爾を予備役に追放。2・今村均・中将の策定した先陣訓の採用。3・日米交渉で、中国からの撤退に反対等々の履歴を残している。この間、陸軍部内の掌握に成功した。 この頃、日中戦争(支那事変)の処置が懸案になりつつあった。日本軍は、蒋介石の国民党政権の首都南京を陥れたが、蒋は屈服せず国共合作により抵抗を強めつつあった。軍部は、英米の蒋介石支援策に対抗せんとして、松岡洋右外相による日独伊にソ連を加えた枢軸体制構築策を支援した。東条は松岡の外交交渉に与しつつ、援蒋ルートを破壊する為南部仏印に進駐させた。これによって英米と日本の関係は決定的に悪化し、ハル米国国務長官は「日米交渉の基礎は失われた」と発言、石油の対日禁輸を断行するに到った。 陸軍は、「対米戦争必至」を覚悟し、数次の御前会議の経過を経て開戦を決定した。東条は、近衛や豊田貞次郎外相が「戦争に自信がない」と述べるや、「御前会議を経ていながらその言いざまはあまりに無責任である」と痛論した。また、近衛・東条会談では、議論を尽したのち、東条が、「人生の一度や二度、清水の舞台から飛び降りることが必要だ」と言うと、公卿出身の近衛は、「万邦無比の国体を持つ国家がそう易々とすることではない」と反駁、東条はつくづくと近衛をみやって、「これは性格の相違ですなぁ」と述べたとの逸話が残されている。 第三次近衛内閣退陣後、東久邇宮稔彦親王と木戸幸一・内大臣らの強い推挙により、後継首相の大命降下を受け、同年10月から19.7月まで内閣総理大臣に就任した。東条は、首相、陸相、内相兼務で組閣し、軍政権と警察権、そしてマスコミに対する統制権を一手に握った。その上で、昭和天皇の意向を挺して戦争回避策に基づく外交交渉を粘り強く重ねた。主戦派の東条が戦争回避すべく日米交渉に当ることになった経緯に対し、陸軍若手将校らから生命を狙われる羽目になった。最終的に用意した甲案・乙案どちらも却下する「ハル・ノート」を突きつけられるに及び、開戦に向った。 同16.12.8日、日本軍は真珠湾攻撃でもって大東亜戦争を開始した。この時の首相が東条であり、戦後の極東裁判でA級戦犯とされることになる。戦況ははじめ日本にきわめて有利であったが、のびきった戦線がひとたびミッドウェイで米軍によって撃破されるや、米軍は東南アジア諸島嶼を島づたいに日本の補給線に迫り、空爆によってこれを寸断するようになった。 戦局の悪化に伴い、東条政権は「憲兵政治」を強めていった。東条は、翼賛選挙の際にも選挙干渉を強め、憲兵らは彼の歓心を買うためにいささかでも不穏と目される分子を拘引して厳しく取り調べた。この頃の逸話として、東条がときおり下町の様子を自ら調べ、干してある洗濯物を手にとって、「まだ木綿だ、大丈夫」と呟いたの記録が残されている。東条には、統制好みと大衆生活への関心が表裏をなしていることが判明する。東条は、戦局の悪化に応じて、軍政と軍令の効率化をはかるために自ら陸相と参謀総長を兼ねたが、これは憲法違反の疑いすらある暴挙であった。細川護貞近衛女婿)は、「東條が望むものは、道鏡の地位か」と憤慨している。 昭和18年、元旦の朝日新聞紙上での中野正剛のコラム「戦時宰相論」に激怒し、中野が倒閣工作を謀ったとして警視庁に逮捕させた。5日後に釈放された中野はその夜、割腹自決した。 同年11月、東条首相を議長にして東京にアジア各国代表を集め大東亜会議を主宰し、アジア解放の大東亜宣言を採択した。大東亜宣言の要旨は次の通り。「大東亜各国は、相提携して大東亜戦争を完遂し、大東亜を米英の桎梏より解放して、その自存自衛を全うし、左の綱領に基づき、大東亜を建設し、以て世界平和の確立に寄与せんことを期す。以下云々」。これが東条政権の花道となった。 その後、東条式憲兵政治は国民の怨嗟の的となった。生活必需品の統制で悲鳴を上げる国民は、憲兵や特高を見ると口をつぐむようになる。東条の悪口を言えばしょっ引かれるためである。1944.7月、サイパン陥落などの戦局悪化と共に東条降ろしの動きが強まった。近衛文麿、岡田啓介らによる東条内閣倒閣クーデタが策され、天皇への伝声管であった木戸幸一内府が反東条に廻ったことによって一気に加速した。こうして、東条は重臣集団の宮廷クーデタによって政権を逐われ、辞任を余儀なくされた。 東条は、終始一貫大東亜戦争の聖戦イデオロギーに忠実であった。小磯・米内連立内閣時に天皇が重臣を一人ずつ召して意見を徴したとき、威勢のいい主戦論を相変わらず吐いたし、同内閣総辞職時の重臣会議では、「鈴木貫太郎内閣では陸軍がそっぽを向くの恐れあり」と言い放って岡田啓介からたしなめられている。 戦後、A級戦犯として逮捕された。裁判は、天皇を免責するために東条など陸軍中枢部にほぼすべての責任を負わせる方向で訴訟指揮されていた。東条はそのような立場に置かれて、東京裁判の法廷を「もう一つの戦い」と考えてキーナン検事を相手に、一切の証人をも要求せず、膨大な陳述書を書き上げて「戦い抜いた」。このことは、注目されて良いと思われる。 昭和22.12月末、法廷で聖戦論理を詳細に弁明した。供述書は次の言葉で締め括られていた。 「戦争が国際法上より見て、正しき戦争であったか否かの問題と、敗戦の責任如何との問題は、明白に分別できる二つの異なった問題であります。第一の問題は、外国との問題であり、且つ法律的性質の問題であります。私は最後まで、この戦争は、自衛戦であり、現時承認せられたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張します。第二の問題、即ち敗戦の責任に就いては、当時の総理大臣たりし私の責任であります。この意味に於ける責任は、私はこれを受諾するのみならず、真心より進んでこれを負荷せんことを希望するものであります」。 供述書朗読終了の翌日の12.31日、尋問で、木戸幸一被告の弁護証言の際に、「では、天皇の平和に対する希望に反した行動を木戸内大臣がとったことがありますか」の質問に対して、次のように述べた。 概要「勿論ありません。日本国の臣民が陛下のご意思に反してかれこれするということは有り得ぬことであります。況や日本の高官においてをや」。 結果的に、天皇の戦争責任を認めたこの発言が法廷を揺るがした。天皇免責指令を受けていたキーナン検事との調整の結果、昭和23.1.6日、次のように証言を修正した。 キーナン・「少し前にあなたは、日本臣民たる者は何人たりとも天皇の命令に従わぬ者はないと言われましたが、正しいですか」。 東条・「それは私の国民感情を申し上げたのです。責任問題とは別です。天皇のご責任とは別の問題」。 キーナン・「しかし、あなたは実際に米英蘭に対して戦争をしたではありませんか」。 東条・「私の内閣に於いて戦争を決意しました」。 キーナン・「その戦争を行わなければならない、行えというのは裕仁天皇の意思でありましたか」。 東条・「私の進言。統帥部、その他責任者の進言によって、しぶしぶご同意になったというのが事実でせう。平和ご愛好の精神は、最後の一瞬に至るまで、陛下はご希望をもっておられました。昭和16年12月8日のご詔勅の中に、明確にそのご意思の文句が付け加えられております。しかも、それは、陛下のご希望によって、政府の責任に於いて入れた言葉です。それは、開戦の詔勅の『あに朕が意思ならむや』という文句である。まことに止むを得ざるものあり、朕の意思にあらずという意味のお言葉であります」。 これを受けて、マッカーサーは、天皇免訴を最終決定した。東条は、当初天皇の責任にも触れ、その累が及ぶとなるや以上の陳述により守り抜いたことになる。 最終弁論を終え、判決を待つ間、元側近の佐藤賢了に次のように語っている。 「戦争の責任は僕一人で背負いたかったが、多くの人々に迷惑を掛けて相済まぬ。君もどんな判決を受けるか知らないけれども、敵に罰せられると思えば腹も立つだろうが、陛下と国民から罰をいただくと思って、甘んじてもらいたい。敗戦により、国家と国民とが蒙った打撃と犠牲を思えば、僕が絞首刑に上がるがごときはむしろ勿体無い。八つ裂きにされてもなお足りない。君が生き残っても、僕に就いては弁解して貰いたくない。僕はただに絞首の辱めを受けるだけでなく、永遠に歴史の上に罵(ののし)りの鞭を受けなければならないからである」。 -------------------------------------------------------------------------------- 【東条の遺書】 東条はこの裁判の結果、絞首刑を宣告された。東条の処刑前の様子が次のように伝えられている。東京帝国大学教授で浄土真宗本願寺派の宗林寺住職であった花山信勝氏が証言している。花山氏は、1946.2月から教戒師として巣鴨プリズンで法話を続け、A級戦犯7名とBC級戦犯27名の刑執行に立ち会った。1948.12.22日午後9時から1時間、花山氏は巣鴨プリズンの独房で東条に面会した。東条は用紙20枚に及ぶ長文の遺書を託そうとしたが、連合国軍総司令部GHQに没収されるのを恐れた花山氏はその場で読み上げてもらい、必死でメモをとった。面会直後の23日午前零時過ぎ、東条は処刑された。遺書の原文は、花山氏の予想通りにGHQに差し押さえられた(今も行方不明)。 花山氏は、遺書が没収されることを危ぶみ、東条に読み上げさせ、メモを取っていた。それによると、遺書の一部は次のようなものであった。 「最後に軍事的問題について一言する。我が国従来の統帥権は間違っていた。あれでは陸海軍一本の行動はとれない」。 「開戦の時のことを思い出すと、実に断腸の思いがある。今回の死刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。しかし、国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈服した。自分としては、国内的な責任を負うて満足して刑場に行く。ただ、同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。この裁判は、結局は、政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。 天皇陛下の御地位及び陛下の御存在は動かすべからざるものである。天皇存在の形式に就いては、敢えて云わぬ。存在そのものが必要なのである。それにつき、かれこれ言葉を差し挟む者があるが、これらは空気や地面の有り難さを知らぬと同様のものである。 東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族も又他の民族と同様の権利を持つべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら、幸せである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持を持って進むべきである」。 ここで云う「統帥権問題」とは、その大権を天皇が保持し、統帥部と呼ばれる陸軍参謀本部と海軍軍令部がこの大権を付与され、「統帥権の独立」を楯に軍の独立的権限が暴走し、主導的に戦争方針を決定し戦局を拡大していった経緯に対しての自己批判であると思われる。 他に東京裁判への批判なども有り、メモは全部で80枚近くに上る、と云う。「弁解をせず、沈黙を是とせよ」、「この公判が自分の罪の軽重大小に関係有りなどと夢思うな」の家訓を残した。 辞世の句は、次の通り。 「さらばなり 有為の奥山けふ越えて 弥陀のみもとに行くぞうれしき」。 「明日よりは 誰に憚るところなく 弥陀のみもとでのびのびと寝む」。 「我行くも 又この土地に かへり来ん 国に報ゆることの足らねば」。 「さらばなり 苔の下にて 我れ待たん 大和島根に 花薫る時」。 1948(昭和23).12.23日午前0時、7名の絞首刑が執行された。第一組として土肥原、松井、東條、武藤の4名、第二組として板垣、廣田、木村が処刑された。第一組の4名は、松井大将の音頭で「天皇陛下万歳」、「大日本帝国万歳」を三唱した。その後、アメリカ人教戒師、将校たちと握手を交わした後、刑場へ向かい、刑場の入り口で花山が4名と最後の握手をした。午前0時10分30秒、東条の死亡が確認された(享年62歳)。 「遺書と処刑の様子」(daitoasenso/tainitisenryaku_kyokutosaiban_syokei.htm) 2006.8.20日 れんだいこ拝 |
Re:Re3:れんだいこのカンテラ時評203 | れんだいこ | メール | URL | 2006/08/21 20:39 |
【戦犯で死亡せしめられた者と無罪放免された者とで、死亡せしめられた者の方がより戦犯的という根拠を聞かせてたもれ】
大東亜戦争のA級戦犯の筆頭として東条英機の概要履歴を追跡したところ、折りよく2006.8.21日、「1950年前後、旧軍復活の動き」がスクープされた。米国立公文書館で保管されている機密指定を解除された米国公文書の中から判明したとの事である。 最近は著作権が煩いからして、こういう記事を検証しようとするには、先ず米国の著作権法を調べ、米国立公文書館の了承を取り付け、これを報じた日本の新聞社にも了承を取り付け、最近は創作発明者の権利も生じつつあるからして記事を書いた記者にも念を入れて了解を取るのが筋道だと、自称著作権士から苦情されそうだ。それをしないと盗用呼ばわりされるか、レンタル人士と呼ばれるようだ。 最近の学校の先生は、父兄からのイチャモン付けで精神内科に掛かる者が多いらしい。れんだいこは、ええいままよ、云いたい者には言わせておけ。七面倒くさいことはあの世に任せ、この世はズバリ直球で完投しようと思う。物事は寿命との相談だ。それはそうと夏の甲子園野球大会の2006年決勝戦は見応えが有り面白かった。日本の将来は頼もしいなと感じさせられた。どうか、このままで、著作権付き投球法とかバッティング法なぞが流行らずに、今後も良い試合を見せてくれますように。 もとへ。「1950年前後、旧軍復活の動き記事」で興味を覚えたことは、河辺虎四郎や宇垣一成らがA級戦犯とならずに、あるいはA級戦犯でもリストから外れた者や絞首刑にならずに済んだ者や無罪放免された者やといろいろ有る中で、誰がどういう基準で絞首刑A級戦犯を選定し実施したかということである。これを歴史の偶然と看做すのは、よほどピンボケだろう。裏に何があったのか事情を推測せねばなるまい。 この作業抜きに、A級戦犯といえば、特に絞首刑死せしめられたA級戦犯になればなるほど悪し様に罵倒するのが反戦平和の人士と勝手に思い込み、口角泡を飛ばす手合いが今もサヨ圏に多い、というかとぐろを巻いている。妙なことに、この手合いがよほど著作権好きなようで、我が政党の機関紙誌の内容を無断で引用転載広報相成らぬと、妙なところに監視の目を光らせ、正義気分に浸っている。この連中には漬ける薬が無いので処置せずに放置しておくことにする。 再びもとへ。絞首刑宣告された土肥原賢二、広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、東條英機らは、当局との取引に応ぜず最後まで操を屈せなかった有る意味で誉れの武人達ではないのか。終身禁固刑者は、平沼騏一郎、小磯国昭、白鳥敏夫、荒木貞夫、南次郎、畑俊六、橋本欣五郎、佐藤賢了、大島浩、鈴木貞一、嶋田繁太郎、岡敬純、木戸幸一、賀屋興宣、星野直樹。量刑禁固刑者は、東郷茂徳、重光葵も然りで、しかとした理由は分からぬが、公判途中で死亡した松岡洋右と永野修身。判決後、米軍病院で死去した小磯国昭、梅津美治郎、白鳥敏夫、東郷茂徳らこそむしろ誉れの国士達ということではないのか。この連中の死因を含め再調査せねばなるまい。 れんだいこが思うに、蓮っ葉なA級戦犯論を弄ぶべきではない。大東亜戦争も然り。顧みるべきは、幕末維新から富国強兵への流れ、日清、日露、第一次、シベリア出兵、支那事変、大東亜戦争への流れを促進せしめた要因についてであり、戦後は何を反省したのか、何を国際的に公約したのか、今どう変質せしめられ、なぜ再度自衛隊が海外出兵せしめられようとしているのかではなかろうか。これこそ本質論議とすべきではないのか。 公債乱費も然りである。誰が戦後の国是である国債発行の禁止の扉を開けたのか。それは福田である。誰が乱発行したのか。それは三木と中曽根である。皆稀代の売国奴系タカ派ではないか。後はこの基調の中で天文学的過重債務の道へ突っ走っていった流ればかりである。小渕、森、小泉のここ三代でますます悪化させている。 その事後対策としては、重税で切り抜けようとの粗雑案ばかりで、最大の冗費である軍事予算、公務員給与、同退職金、同天下り金に手をつけようとする声はか細い。日共はご丁寧なことに公共事業費の削減を付け加えて、国家機能停止の道を後押ししている。 再再度もとへ。テレビの政治討論会なぞ聞いても、安易放逸の道へ流れ過ぎているのではなかろうか。靖国神社問題で、靖国神社解体が全てを解決するような論調を次第に形成しつつあるが、それもシナリオ通りの道ではないのか。 小泉はんの批判するのなら、つい先だってのイスラエルでのユダヤ帽被っての嘆きの壁参拝を採りあげればよい。靖国では英霊の声を聞く為と述べているが、嘆きの壁では何の声を聞いたのか聞いてみればよい。こういうところを議論せずに空回りばかりさせてうつつを抜かしている。見て居れない聞いて居れない。 締めはこうだ。こういう本質議論がなおざりにされている状況下で、そのことにはピント来ず、著作権になると途端に反応する者に告ぐ。今からでも遅くない、著作権のない時代と著作権まみれの時代を考えて、どっちの世の中のほうがいいのか見解を聞かせてたもれ。もし後者なら、それが如何に素晴らしい世の中か説教してくれ。 「戦犯容疑者逮捕と東京裁判準備の流れ」(daitoasenso/tainitisenryaku_kyokutosaiban_senpantaiho.htm) 2006.8.21日 れんだいこ拝 |
Re:Re3:れんだいこのカンテラ時評204 | れんだいこ | メール | URL | 2006/08/24 19:58 |
【コロンブス没後500年に寄せて】
近代史を彩る西欧列強による植民地化政策の嚆矢となったポルトガル、スペイン両国の新大陸発見の競り合いの様子と植民地政策の実態を検証しておく必要が有る。 15世紀後半、ポルトガルは東回り航路、スペインは西回り航路開拓に乗り出すが、1492年のコロンブス艦隊のアメリカ発見以来、ポルトガル、スペインを始祖とする西欧列強の世界の領土分割植民地化が一挙に加速した。 非西欧諸国はそろそろこの西欧史を熟知し、これを推進せしめた勢力を対自化せねばならぬのではなかろうか。これを文明的総括と云うのではなかろうか。個別の研究は為されているだろうが、これを一括する研究は進んでいるのだろうか。そういう疑問を覚えたので、ここにサイト化する。 ここでは特にコロンブスを採りあげる。2006年は、コロンブス没後500年に当る。そういう意味で、「西欧植民政策史の元一日としてのコロンブスの悪業」を素描しておくことにする。 れんだいこが思うに、コロンブスの原住民政策は度の過ぎた先住民なぶり殺しを招いた。何しろお蔭でその当時居た先住民は史上から跡形も無く消えてしまった。それは、本国スペインから見ても越権の許しがたい蛮行であったようで、コロンブスは強制送還されている。ところで、コロンブスをしてそのように措置せしめたものは何であったのか、これを考察せずんば学問したことにはなるまい。 はっきり云おう。どこの国でも良い。異民族の民と民とが遭遇した時、継続的な交易を目指しての相互交流が始まるのが通例であろう。史上その例なら枚挙の暇なく挙げることができる。コロンブスの如く、原住民の人の良さにつけこみ、彼らの財宝の一切合財を簒奪し、挙句は奴隷化せしめ、当然の如く抵抗が起れば殲滅するまで叩きのめすとい遣り方は、世界広しといえど例の「狂信ユダヤDNA」以外には考えられないのではなかろうか。 この「狂信ユダヤDNA」がその後の世界を席巻し、今もパレスチナで蛮行を満展開しているのではないのか。「コロンブス問題」はこう問う史的価値を有している。一体全体、イスラエル建国前後から今日までどれだけ理不尽にアラブ人の血が流されたことか。あの独特の話法を嫌悪せよ。彼らの理不尽な暴虐に抵抗すれば、暴虐した方では無くされた方がテロリストと指弾され、された方が必死の抗戦に至れば更に制裁の対象とされる。悲劇は一方が他方に完全に跪くか殲滅されるまで続くことになる。パレスチナ、西欧では何度も繰り返されてきた歴史である。聖書には歴然とその遣り取りがしるされている。パレスチナ、西欧以外にはこうした事例は無い。パレスチナ、西欧史をかく客観化せねばなるまい。 大航海時代を経ての「西欧列強による植民地化政策」の主体は西欧列強諸国であったが、その何処の国にも共通して、この政策を勧言し、植民地政策を実施監督したのは改宗ユダヤ人達グループではなかったか。実はこの連中こそが「西欧列強による植民地化政策」の黒幕ではないのか。れんだいこの眼には、西欧列強の国家中枢に食い込み、世界の領土分割植民地化を誘導せしめた「宮廷ユダヤ人とユダヤ政商連合」の影が映る。 彼らは恐らく、「未開の民の富を収奪するのは選良の民の特権」、「自分たち以外は犬畜生並みのゴイムであって、選民たる自分たちに隷属するのが当り前の人種に過ぎない」とする悪魔論理に則り、ゴイム文明をいとも容易く組み敷いていったのではなかろうか。丁度この頃に「シオンの議定書」が策定されたが、彼らの当時の総路線を定めたものではなかったか。多くのエセ識者が否定する「シオンの議定書」こそ研究されるに値するのではなかろうか。 「シオンの議定書」和訳本を刊行した太田龍・氏はさる日、「ユダヤ世界帝国の日本侵攻戦略」の中で次のように述べている。 「ユダヤ民族の世界征服の意図は、旧約聖書やタルムードその他の彼らの公式文書の中に、あまりにもはっきりと記述されているので、否定することは無理な話だ」。 あらゆる歴史的史実は、太田龍・氏の指摘の正しさを証しているように見える。 1492年、コロンブス艦隊がアメリカを発見した丁度この頃、スペインのキリスト教会と国家は、自国領内のユダヤ教徒に、キリスト教に改宗するか、さもなくばスペインから退去せよと命じている。通説歴史書は、「悲劇の民ユダヤ人論」からのみ説かれているが、そうではないのではなかろうか。退去令を発布されるには相応の理由があったのではなかろうか。その背景事情がもっと解明されねばならない。 さて、スペイン国王の「ユダヤ人追放令」に遭遇して、彼らの一部は改宗し、残りはオランダその他の国々に転居した。丁度こうした折、コロンブス艦隊により新大陸が発見され、ユダヤ人の一部は新天地に移住し始めた。 この頃、改宗ユダヤ人はカトリック教会の中に浸透していった。イエズス会は設立当初からユダヤ色が濃厚であった。こうして、改宗ユダヤ人達が先兵となり、キリスト教の仮面をつけて主の御名を売り込みながら、現地支配層を篭絡しつつ、「狂信ユダヤDNA」以外には考えられない残虐非道な手法で富の簒奪政策を強行していったのではないのか。 ポルトガル、スペインは、中南米から大量の金銀を収奪した。カリブ海諸島とアステカ(メキシコ)、インカ(南米)に侵入した。北米ではインディアンを篭絡し、その社会を破壊させた。連中はこの頃アフリカを征服しており、黒人奴隷貿易を開始し始め、北米と中南米に送り出していった。カリブ海諸島に砂糖工場を作り莫大な利益を上げた。この過程を指導したのが概ねユダヤ政商であった。こうしたユダヤ商法により収奪した利益が巨富をもたらし、その後の世界征服計画の準備資金となった。 豊富に資金を蓄えた彼らは権謀術数を廻らし、オランダを乗っ取り、ユダヤ地下世界政府を構えた。アムステルダムに公然とユダヤ教のシナゴーグ(寺院)を建てた。これを為しえる実力を蓄えたことになる。かくしてオランダがユダヤの最初の根拠地となった。エルサレムを失ってから1400年にして初めて、ユダヤは世界征服の確固たる足場をオランダに見出した。 200年後の1690年代、ロンドンに移す。アジア征服の拠点は東インド会社で、インドからアヘンその他を輸出した。続いて中国に目を向けた。唐代にユダヤ人は広く根を張ったが、やがて弾圧され、元朝で重用されたものの、明代に徹底的に圧迫された。清朝になると、中国のユダヤ人社会は跡形も無く消滅していた。狂信ユダヤは、イギリスを使って中国侵略に再々度着手した。清朝がアヘン輸入を禁止するや、、1840年、イギリスは清国にアヘン戦争を仕掛け、清国は屈辱的な敗北を喫した。香港が割譲され、上海に治外法権租界が作られた。 18世紀末、アメリカ独立とフランス革命を経て、英米仏蘭の4カ国が狂信ユダヤの牙城と化した。フランスのブルボン王朝が転覆された。アメリカの場合、南北戦争から第一次世界大戦の過程で、狂信ユダヤの支配権が確立された。 この間、西欧列強は、植民地政策により得た富に味を占め、帝国主義化を競い始めた。しかし、帝国主義諸国は他方で巧妙に戦争政策に巻き込まれ、その戦費調達で国家財政を悪化させられた。国家が疲弊するに応じて支配力を強めたのがかの連中であった。結果的に、英国が覇権を握り、最終的に米国へと変遷していった。この間これを推進せしめたのは例の連中ではないのか。そして今もなお大イスラエル計画を夢見て散々悪事を廻らしているのではないのか。 残念ながらマルクス資本論にも、レーニン帝国主義論にもこの視点は無い。れんだいこは、無いから関心を持たぬのが良いとは思わない。むしろ、関心持たぬままで全てを解析したかの如くに得心して古色蒼然とした帝国主義論を振り回すのは、よほどオツムが粗雑なのではなかろうかと思っている。 2006.8.24日 れんだいこ拝 |
Re:Re3:れんだいこのカンテラ時評205 | れんだいこ | メール | URL | 2006/08/27 20:44 |
【岡崎久彦イデオロギー考】
「岡崎久彦イデオロギー」とも云うべき論調がマスコミで意識的に喧伝されつつある。れんだいこは、黙過すべきでないと判断したのでコメントしておく。 通説は「親米保守派の代表的論客の一人」と評しいるようであるが、それは違う。か奴は、単に親米保守派というのではなく、シオニスタン系御用派と看做さない限り正体をつかみそこなう。その種の高級外交官として現在に至っているとみなさないといけない。 恐らく、奥参事官を死に至らしめてミソをつけた「黒色高官グループ野上義二、岡本行夫人脈」の上に位置する黒幕の一人であろう。どうりで、稀代のシオニスタン愉快犯首相小ネズミのブレーンとして官邸に出入り自在になる訳だ。松野頼三もそうだったな。 岡崎は常々、「アングロサクソンとの協調こそが日本の国益につながる」と主張し続けているが、よく聞いてみると、「アングロサクソンとの協調」というより「国際金融資本ユダヤ・シオニズムとの協調」というのが一貫した論調である。要するに、この連中が歴史の真のチャンピオンであるから、これに上手に取り入り、生き延びる道を考えたほうが賢明という売国奴丸出しイデオロギーをふりまき続けている老醜に過ぎない。ほんまにエエカゲンニセイよ。 小ネズミの国会質疑答弁、あの戦争は間違いだった、無謀だった、英米とは勝てるわけでもないのだから闘うべきではなかった云々とハーモニーしている訳だ。その小ネズミの8.15靖国神社参拝ほど奇妙なものは無かった。英霊を鎮魂するための私の心の問題だなどと強弁しているが、その小ネズミは英霊が闘った敵である鬼畜米英に取り込まれている。自衛隊を云われるままに鬼畜米英の配下軍として戦地に赴かせようと策動し続けている。お前は英霊と何を話しているのか、と聞いてみたい。 英霊は、二度と戦争の道へ分け入ることなく、戦後は反戦平和の新日本国づくりを頼む。その為なら我が身は国に捧げて惜しくない。上流階級の子弟は危険な戦地に赴かぬ仕組みはご免だ。そういう奴に限って戦後又ぞろ軍国利権の道へ向おうとしているが、こらえんぞ。というようなことを云うのではないかと思うがどうだろう。その英霊に参ると云いながら、やっていることが無茶ではないか。 もとへ。岡崎は、「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者ということであるようである。どうやら西尾幹二とバッティングしたらしい。2005年の検定教科書の執筆に参加し、旧版の記述のうち、反米的な箇所をすべて削除し書き換えたとテレビで発言しているとのことである。西尾幹二は、自分の担当した箇所を断りなく書き換えられたことについて、担当した岡崎やそれを認めた藤岡らに不信感を募らせ、会の離脱に至ったとのことである。 即ち、戦前系国粋右翼と戦後系売国右翼とが、戦後民主主主義秩序倒潰の為に野合したところ、戦後系売国右翼の方が勢いが強いらしく、戦前系国粋右翼を駆逐しつつあるということになる。岡崎は、シオニスタン教学に基づく親イスラエルプロパガンダ用歴史教科書作りに精出ししているこになる。 れんだいこの見るところ、日本政治闘争の根底は、戦後左翼が解体させられるや、戦前型皇国史観派と戦後型ネオ・シオニズム史観派が格闘状態に入り、戦後型ネオ・シオニズム史観派のローラー作戦が着々と無慈悲に押し進められつつある、ということになる。 溶解させられた戦後左翼のうち、旧社共派は不満のはけ口としてアリバイ的に存在を許されており、戦後型ネオ・シオニズム史観派の裏からの御用聞きとして役目を果たしているに過ぎない。宮顕ー不破運動のいかがわしさはここにあるとみなすべきだ。れんだいこの研究によればそういう結論になる。 この不毛虚妄を打開する戦闘的左翼の登場が期待されて久しいが、ネオ・シオニズム裏政府の歴史的流れを読み取る力が無いため全く空振りさせられて今日まで経緯している。つまり役に立たない。しかし、期待される勢力が出てくるとしたら、戦闘的左翼の水路からでしかなかろう。社共派は既に思想も理論も行動も買弁派に取り込まれすぎている 。 「外務官僚シオニスト派考」(gendaishi_beikokunaitero_gaimukanryoco.htm) 2006.8.27日 れんだいこ拝 |
Re:Re3:れんだいこのカンテラ時評206 | れんだいこ | メール | URL | 2006/08/31 20:32 |
【語彙の適切和訳考】
気になっていた事を書きつけておく。旅行やマスコミを通じて世界諸国民とのコミュニケーションが否応無く増し、その分言語交通が大事な時代に入っているが、過去の不適切な和訳をそのままにしておいて良いものか、と思うようになった。誤訳であろうと、既に歴史的地位を獲得しているので、こだわる必要は無いと思えばそれまでだが、やはり気になることは気になる。 その第一は、「哲学」という翻訳後についてである。これは、英語の「フィロソフィー」(philosophy)の和訳であるが、原義は、「愛」を意味する「フィロ」(philo)と「知」を意味する「sophy」の結合語であると聞く。直訳すれば「愛知学」ということになる。 或る時誰かが(学が無くて申し訳ない、どこかで読んだ気がするが忘れた)、それを「哲学」と表現した。それが通用して今日まで至っている。ところが、漢字にも表意文字としての意味があるからして、「哲学」の意味を詮索せねばならない。その結果、漢字としての意味と洋文字としての意味が一致していれば合格である。よって、「哲学」の「哲」と「学」の意味を問わねばならない。 れんだいこは、「哲」の意味を知らない。漠然と分かるのは、「哲」の上の造りが「折」で、下の造りが「口」であることである。これをれんだいこが解せば、「口を折る」ということになる。例えば、減らず口を叩くとか、相手を言い負かすとかの意味合いが浮かんでくる。「学」はそのまま受け取るとして、よって「哲学」とは、「相手の意見を打ち負かす為の学問ないしはへらず口学問」と云うようなニュアンスがでてくる。これでは学ぶ事を嫌う者が出てきても致し方ない。 英語の「愛知」的意味のフィロソフィー(philosophy)と漢字の「相手の意見を打ち負かす為の学問」との間にはかなり隔てがあると云う事になる。そこで、れんだいこは適訳を考えた。ズバリ「学問」と訳すべきではなかろうか。既に「学問」は幅広く使われているが、それは間違いで単に何々学と表現すれば良いのにわざわざ学問としているのではなかろうか。「学問」というのは元々西欧語の「フィロソフィー」と釣り合っているのではなかろうか。 どこまで正しいのか分からないが、以降、れんだいこ式和訳表記では「フィロソフィー」を「学問」と訳すことにする。ちなみに「stydy」は勉強するでよく、「knowledge」は知識でよく、「institute」は研究するで良いだろう。「フィロソフィー」は「学問」の意である。即ち学び問うのだ。その精神を愛知と云うのであり、真意は「特に学び問う学問」というところにあるのではなかろうか。御意の士よ、得心したら続け。 れんだいこが云いたかったのはそのことではない。「フィロソフィー論」は前置きである。本当に論じたかったのは、ドイツ語の「アオフヘーベン」(Aufheben)についてである。従来これを「止揚」と訳している。マルクス主義学の泰斗、福本和夫氏は異議を唱え「揚棄」と訳している。 れんだいこは、どちらも今ひとつだと思っている。ドイツ語の「アオフヘーベン」(Aufheben)の「アオフ」(Auf)とは英語の何に当るのだろうか。ひょっとして「オフ」(of)ではなかろうか。「ヘーベン」(heben)とは「ハブ」(have)の名詞形ないしは動詞なのだろうか。いずれにせよ、直訳すれば「持ち上げて脱する、又は脱して持ち上げる」とかの意味を持っているのではなかろうか。 その原意に対して「止揚」や「揚棄」訳は適切だろうか。れんだいこは、「止揚」の「止」が決定的に意味が違うと思っている。「揚棄」の方がまだしも適訳と思うが、「棄」が幾分筋違いではなかろうかと思っている。マルクス主義用語で多用される「アオフヘーベン」であるが、れんだいこが察するのに、「否定の否定弁証法」を通じて「或る段階のものが革命的質変換により次の高次な段階に向うというらせんてき発展の経緯に於ける質的転換」を指摘した用語ではなかろうか。 そうすると、平板な「持ち上げて脱する、脱して持ち上げる」では意味をなさない。そこで、「止揚」とか「揚棄」という簡潔二文字訳が生まれているのであるが、既に述べたように不適切訳かないしはそれに近い誤訳であろう。何しろ、マルクス主義にとっては、「アオフヘーベン論」は重要な意味を持っているので、この辺りを不適切訳や誤訳で済ますのは良くない。誰も指摘していないようであるが、あるいは誰かが指摘しているのかも知れないが、「止揚」ないしは「揚棄」が罷り通っているのはいただけない。 ならば、どう訳すべきか。れんだいこはふと閃いた。それを記そうと思うが、勿体無いので今は明らかにしない。本掲示板を見ている関心のある者の意見を求めたい。その上で、れんだいこ訳を開陳したいと思う。出来の良いのを造案したので忘れないうちに書き付けてみた。 2006.8.31日 れんだいこ拝 |
Re:Re3:れんだいこのカンテラ時評207 | れんだいこ | メール | URL | 2006/09/03 12:26 |
【ハワイ植民地化考】 「NHKシリーズ番組その時歴史が動いた」の2006.8.30日付け第260回「幻のハワイ日本連合 〜カラカウア王・祖国防衛に賭けた生涯〜」がハワイ王国のカラカウア王を採りあげて、NHKなりに「ハワイ諸島侵略史」を報じていた。れんだいこには初耳の話であった。これに興味を覚えたので本サイトで検証することにする。 1874年、デビット・カラカウアが王位に就いた。カラカウア王は弟のウィリアム・ピット・レレイオホクを跡継ぎに指名した(但し、レレイオホクはリューマチ熱のためカラカウアより先に世を去る)。 カラカウア王(King Kalakaua)は、即位当初より米帝国主義と在ハワイ米国人による政経両面に亙る圧力に悩まされた。1874.11月、カラカウア王は、自らワシントンに出向きグラント大統領と会談した。1875.3月、アメリカとの間に通商互恵条約を締結した。これにより、ハワイの産品である砂糖や米が無関税の輸入自由化商品となった。ハワイ産の砂糖が大量にアメリカに出荷され、外貨利益は莫大なものになった。が、アメリカ依存を強める結果ともなった。 カラカウア王は、主権を護ろうとして民族意識を覚醒させ始めた。カメハメハ2世の時代に禁止されていたフラ・ダンスやハワイアン音楽・サーフィンなどを復活・振興させ、民族の誇りを取り戻すことに努めた。1874年、 カラカウア王は、地方行脚の際に国民に次のように語りかけている。 「どんなに国が荒れ果てても決してあきらめないで。ハワイは新たな生命を吹き込まれ、きっと再び育ち始めるのだから」。 カラカウア王は白人と共生するハワイを目指したが、甘かった。「西洋夷人」は「共生」なぞ眼中に無く、1・王制廃止、2・共和国体制化、3・アメリカとの合併を画策していた。カラカウア王は、次第に「西洋夷人政治」のリアリズムを感じ取り、形勢利有らずの状況下で必死に状況打開策を講じようとした。 遂に、小国ハワイの延命策として「ハワイ・アジア連合構想」なる秘策を発案するに至った。ハワイの置かれている状況はハワイ単独では解決し得ない、これを全アジアの問題とし、と同じ状況にあるアジア諸国の連合によって以外切り抜けられない、というのが結論となった。即ち、「アジア諸国連合による欧米列強対抗計画」に辿りついた。 カラカウアはその実現に向け、自ら交渉の旅に出る。カラカウア王の留守のあいだは妹のリリウオカラニを摂政として統治にあたらせた。1881年、カラカウア王は、移民問題について学びまた外交関係を改善するためとの名目でハワイを発ち、サンフランシスコを経て日本、中国、シャム、ビルマ、インド、エジプト、イタリア、ベルギー、ドイツ、オーストリア、フランス、スペイン、ポルトガル、イギリスを歴訪し、アメリカを経由してハワイに戻った。カラカウアはこの時、日本の明治天皇、清国の西太后、イタリアのローマ教皇、イギリスのヴィクトリア女王と会見している。 カラカウア王は、世界一周旅行と見せかけながら、その真意は「ハワイ・アジア連合構想説得行脚」にあった。王は、構想の要として日本に白羽の矢を立てていた。王は、日本移民の共生能力を高く評価し、我が物顔でのさばる白人移民に比べて勤勉実直な日本移民に好意を抱いていた。カラカウアは、幕末維新以降近代化を成功裏に押し進め、欧米列強と伍する発展を見せつつある日本に憧憬していた。聞くところによると、明治政府も欧米諸国との不平等条約の打開に向けて苦しんでおり、両国は胸襟開いて話し合えば必ず通ずるものがあると信じていた。 当時の日本の国内世論として「アジアとの連帯を訴える声」があった。明治時代の自由党左派の雑誌「近時評論」の1881(明治14). 4月の記事は次のように書いている。西欧列強の植民地化に抗するアジア連盟の時機が熟していたことが分かる。 「今はアジア全州を合従(がっしょう) して欧米の権力から日本を防御 (原文は“防遏[ぼうあつ]”) すべき時である」。 -------------------------------------------------------------------------------- 【「明治天皇とカラカウア・ハワイ国王の極秘会談顛末」】 1881(明治14)年、カラカウア王一行が来日した。予定の行事をこなしながらの或る日、王は、付き纏う米国随行員の目をくらまして赤坂離宮を訪ね、明治天皇(当時29歳)との極秘会談の挙に及んだ。カラカウア王のこの行為は、外国の国家元首の最初の明治天皇訪問となった。王は、その場で、次のように訴えた。 意訳概要「我が国は、主権を持つ独立国家である。その我が国に対し、アメリカが太平洋上の拠点にしようという野心を抱いている。今や列強諸国は利己主義に走り、相手国の立場を尊重する気持ちが微塵も無い。アジア諸国は列強の支配を受けながら、互いに孤立を深め無策である。この状況を抜け出すには、各国が一致団結して欧米列強諸国に対峙することが急務です。日本の進歩には実に驚くべきものである。アジア連合を起こすとすればその盟主には日本以外に無く、天皇陛下こそが相応しい。日本は今、列強諸国に治外法権を認めさせようとして苦労していると聞きます。連合実現により容易にできるはずです。どうか協力してアジア諸国連合を結び、その盟主となっていただきたい。そうなれば私は陛下を支え、大いに力をお貸ししましょう。私は、その証として、姪であり皇位継承資格を持つカイウラニ(Kaiulani)王女を差し出します。日本とハワイの絆の為、是非もらってもらいたい。私は貴国の良い返事を待ち続けます」(「明治天皇紀のカラカウア王の言葉」参照)。 ハワイそしてアジア諸国との連合を訴えかけるカラカウア王の提案は、考えようによれば後の「大東亜共栄圏構想の先駆的なプラン」でもあった。こうして、日本は決断を迫られた。日本政府はいかに対応したか。 人身御供されんとしたカイウラニ王女(Princess Kaiulani)とは、1875年、アーチボルド・クレゴーンというスコットランド人の設計家を父、カラカウアの妹ミリアム・リケリケを母として生まれていた。生まれてすぐカラカウア家に養女に出され、そこでプリンセスとして養育されていた。カラカウア王が縁談を申し出た時、彼女はまだ5歳であった。 ところで、「明治天皇とカラカウア・ハワイ国王の極秘会談」は、カラカウア王お目付け役として随行した「西欧夷人」側近には寝耳に水であった。同じく監視役を務めていた当時のハワイ国務長官アームストロングの手記「AROUND THE WORLD WITH A KING」は次のように記している。 「間違えば国際問題に発展しかねない」。 「我々はこの裏切り行為にてこずらされた」。 さて、顛末はどうなったか。「明治天皇とカラカウア・ハワイ国王の極秘会談」は直ちに外務卿・井上馨に伝えられた。井上馨こそ誰あろう、伊藤博文を後継し明治政府内の売国奴派ネオ・シオニズムのエージェントとしての政府内頭目であった。よって、その御仁に極秘会見情報が伝わった時点で全ては水泡に帰す運命になった。カラカウア王は、既に日本の統治機構中枢がネオ・シオニストのエージェント達によって支配されていることに気づかなかったのだろうか。仮にそうだとしても、迂闊と責めるのは酷であろうが。否、事前情報によりその事に気づいていても、国王間直訴による事態可能性に一縷の望みを繋ごうとしていたのかも知れない。その辺りの真相は分からない。 1882(明治15).3.22日、ハワイ国王・カラカウアによる日本との連合計画提案に対し、明治政府の回答がカラカウア王に届いた。「政府にはそこまでの余力はない」と認められていた。カイウラニ王女と日本の皇族の結婚に関しても最終的にはウヤムヤとなり幻に終わった。井上馨は、「カイウラニ王女の話はうまく運ぶだろう」という見解を示し、伏見宮邦家親王第17王子の山階宮定麿親王(当時15歳、後に海軍兵学校卒業後、英国プレスト海軍兵学校留学、小松宮依仁親王となる))との「将来の御成婚」が画策された。が、アメリカとの関係の悪化を懸念する意向を踏まえ幻に終わる。かくて、「カラカウア王の秘策」は全て潰えた。 カイウラニ王女のその後はどうなったか。1889年、カラカウア王の指示でイギリスに留学する。留学中にカラカウアは死去し、叔母のリリウオカラニから王位継承権第1位に指名された。美貌の彼女はヨーロッパ社交界の教養を身につけ、英仏社交界の華になった。政変が続くハワイの事情から帰国が延び続けていた。 -------------------------------------------------------------------------------- 【ハワイ侵略史3】 「カラカウア王の秘策」がかくも早く漏洩し失敗に帰したことで、王の立場は更に不利となった。ハワイ王国の運命は、王が危惧した通りに進んでいくことになる。 「ハワイ諸島侵略史考」(seito_palesutina_yudayaginmondai_syokumintiseisakjuco_hawaico.htm) 2006.9.3日 れんだいこ拝 |
Re:Re3:れんだいこのカンテラ時評208 | れんだいこ | メール | URL | 2006/09/05 15:34 |
【ウヨ、サヨ考】 いわゆる「サヨ」なる用語が生まれ定着し始めている。れんだいこはこれには十分な根拠があるとみなす。これを命名した者は、単に左翼に対する蔑称として使ったのかも知れない。しかし、れんだいこが読み取れば別の意味合いを帯びてくる。 「サヨ」なる表現は云い得て妙で、左翼の仮面をつけているが本質的に左翼でない者達の意識及び行動の総体に対して嗅覚で「何かが違う」ことを感じ取った者が、識別の意味から敢えて「サヨ」と命名しているように思われる。ロジックにおいてではなく感性的な表現でそれを為しているのではないかと観る。かく理解して「サヨ」なる政治用語の価値を認め、れんだいこが、これに理論的な意味づけをしてみようと思う。 サヨ論は重要である。れんだいこは、「サヨ」を次のように規定する。 「サヨとは、マルクス主義の理論及び実践を、マルクスーエンゲルスの協働時代のそれよりなおネオ・シオニズム運動の下部に流し込み、マルクス主義を騙ってネオ・シオニズム運動を推進する隠れシオニスタン運動である」。 上記のように規定するとならば、「ネオ・シオニズム運動とは何か」、「シオニスタンとは何か」を明らかにせねばなるまい。れんだいこは、「ネオ・シオニズム運動とは何か」は「ネオ・シオニズム考」で、「シオニスタンとは何か」は「イエズス会宣教史考」で説き明かしている。 ついでに、「ウヨ」を規定しておきたい。 「ウヨとは、国家主義、愛国主義、民族主義の理論及び実践を、伝統的歴史的支配階級時代のそれに代えてネオ・シオニズム運動内のそれに流し込み、ネオ・シオニズム運動に利するよう国家主義、愛国主義、民族主義を騙って推進する隠れシオニスタン運動である」。 「れんだいこ規定サヨ、ウヨ論」に拠れば今や、左派も右派もそれぞれ内部分裂しており、特にネオ・シオニズム運動に大きく影響されている。れんだいこは、かく規定するほど、ネオ・シオニズム運動を近現代史上に於ける歴史の真の推進力と看做して研究対象にしている。 残念ながら、否必然というべきか、こういう見立てをすると決まってウヨサヨからの轟々たる批判が寄せられる。ウヨサヨが裏で通じていることが分かり却って興味深い。嫌がらせとイジメが迫ってくる。時には命まで取りに来る。出版社の場合には一斉広告打ち切りで脅される。マルコポーロのように廃刊を余儀なくされる。だからといって、怯むわけにもいくまいが。 「左翼とは何か、ハト派とは何か、サヨとは何か考」(sahasaisei_saharon.htm) れんだいこがこの時期なぜこれを問うのか。このところの政治状況に対して、左派も右派も有効な対応が出来ていないためである。ある意味で脳死している。それというのも、政治学上の座標軸が狂っておるのにそのまま使っているからではなかろうか。この問題意識を持たない限り、何を云おうともなべて駄弁に終わる。 稀代のシオニスタンお騒がせ愉快犯小泉首相を5年有余も政権に座らせ任期満了まで許してしまう痴態が生まれるわけだ。治安維持法でがんじがらめにされた戦前ならともかく、左派合法時代にこれほど不細工な話はない。 なるほどネオ・シオニスト本家から見て、小ネズミはんは日本植民地化計画の歴史の針を50年進めた功績はある。その分、彼らから見れば歴史に残る首相ではある。しかし、我々が同じ見立てすることはない。中曽根以来のシオニスタン首相として満腔の怒りをもって弾劾せねばならない。その差が分からず、海の向こうで名首相論がでているので多分そうなんだろうと同じ音色で論調するのは、単に明治以来の西欧被れに過ぎない。こういう手合いが多過ぎる。 テレビコメンテーターは皆それだ。朝の茶の間でどのチャンネルでもこれをやられるからどうしようもない。せめてNHKぐらいはと思うが、エビジョンイル追放以来なにやら御用化が進んでいる気がする。エビジョンイル事件とはそういう事件だったのだろう。今になって分かる。結論として、せめて和魂洋才でいかなくちゃ。 2006.9.5日 れんだいこ拝 |
Re:Re3:れんだいこのカンテラ時評209 | れんだいこ | メール | URL | 2006/09/06 21:09 |
【補足、「毛沢東『人間の正しい思想はどこからくるのか』考」】
補足として「毛沢東「人間の正しい思想はどこからくるのか」(1963.5月)」を検討する。次のように前書きされている。 これは,「当面の農村工作におけるいくつかの問題についての中国共産党中央の決定」(草案)の一部である。この決定の草案は、毛沢東同志の主宰のもとに起草され、この部分は毛沢東同志が執筆した。 毛沢東は、次のように述べている。(れんだいこ訳) 人間の正しい思想はどこからくるのか。天からふってくるのか。そうではない。もともと自分の頭のなかにあるのか。そうではない。人間の正しい思想は、ただ社会的実践のなかから、そこからのみ生まれてくる。三つの社会的実践、即ち生産闘争、階級闘争、科学実験の中からのみ生まれてくるのである。人間の社会的存在が彼の思想を決定している。ひとたび、先進的階級を代表する正しい思想が大衆に把握されると、社会を改造し、世界を改造する物質力に変わる。 人間は社会的実践のなかでさまざまな闘争をすすめて、豊富な経験をもつようになるが、それには成功したものもあれば、失敗したものもある。客観的外界の無数の現象は、人間の目、耳、鼻、舌という五感覚器官通じて頭脳に反映している。初めは、知識は感性知覚的である。このような感性知覚の材料がたくさん蓄積されると、飛躍がおこり、思想を生む。これが認識過程である。これは全認識過程の第一の段階であり、客観的事象から主観的意識へ導かれ、存在から思想へと至る段階である。このときの意識又は思想(理論、政策、計画、方法を含む)が客観的外界の諸法則を正しく反映しているかどうかは、この段階ではまだ証明されてはおらず、正しいかどうかはまだ確定することができない。 次に、認識過程の第二の段階となる。即ち意識が事象へとさし戻り、思想が存在へとさし戻る段階である。つまり、第一段階で得た認識を社会的実践のなかにもちこみ、それらの理論、政策、計画、方法などが予想どおりの成功をおさめることができるかどうかを見るのである。一般的にいえば、成功したものが正しく、失敗したものはまちがっている。このことは、人類の自然界に対する闘争では特にそうである。 社会における闘争では、先進的階級を代表する勢力が、ときには一部の失敗をなめることもあるが、これは思想が正しくないからではなく、闘争渦中の力関係の面で、先進的勢力の力がその時点では反動勢力の方に及ばない故に一時失敗するのである。だが、そのあと遅かれ早かれ必ず勝利する定めにある。 人間の認識は実践で試されて次の飛躍を遂げる。こんどの飛躍は前の飛躍に比べて一層大きな意義をもっている。なぜなら、客観的外界を反映する過程でえられた思想、理論、政策、計画、方法の認識の最初の飛躍段階のものが果して正しかったのか、間違っていたのかを証明することができるのは、今度の飛躍だけであるから。他には真理を証明する方法はない。プロレタリア階級が世界を知る目的は、世界を改造するためであって、これ以外に目的はない。 正しい認識は、しばしば事象から意識へ、意識から事象へ、即ち実践から認識、次に実践へと差し戻される何回もの反復によってはじめて到達されることができるのである。これがマルクス主義の認識論であり、弁証法的唯物論的認識論である。我々の同志のなかには、この認識論をまだ理解していない者が大勢いる。こうした人は、その思想、意見、政策、方法、計画、結論、饒舌、長たらしい文章の原因を尋ねられた時、何となく変だと思っても答えることができない。そういう人たちは、事象が意識に変わり、意識が事象に変わるという、日常生活のなかに常に見られる飛躍の現象も理解していないのではなかろうか。 従って、我々の同志たちを、弁証法的唯物論的認識論で教育せねばならない。そうすることで、思想をただし、調査研究をうまくやり、経験から学び、困難を克服し、誤りを少なくし、仕事をりっぱにやり、奮闘努力しえるようになる。よって、中国に社会主義の偉大な強国を建設せしめ、世界中で抑圧と搾取をうけている広範な人民をたすけ、偉大な国際主義者的責務をはたすことができるようになる。 (以上) 「れんだいこ試論・哲学的認識論としての唯物弁証法」(marxismco/marxism_genriron_philosophy.htm) れんだいこ和訳集の中に取り入れました。既成訳にそれほど問題があるのではないのですが、れんだいこ訳の方が分かり易いという気がします。 宮顕ー不破式日共理論により毛沢東の史的意義が落とし込められ、その評価が定着しておりますが、れんだいこは無茶だと考えております。曲がりなりにも、毛沢東は建国革命を成功させた指導者であり、そういう経験を持たない者が悪し様に云うのは不見識と考えております。 建国革命期までの毛沢東は、異端粛清等々に於いての否定面はありますが、全体的にはやはり名指導者だったと考えております。但し、建国後の諸施策はほとんど失敗し通しだった。その理由については別サイトで考察をせねばならないと思う。 毛沢東は、この「人間の正しい思想はどこからくるのか」小論で、いわば「マルクス主義の真理論とはどういうものか」について言及しており、れんだいこは、それなりに値打ちがあると考えます。こういう風に説き明かせない自称マルクス主義者が、毛沢東の価値を落としこめることに汲々として、それが自分のマルクス主義者の証とでもしている倒錯を如何せんか。 それにしても時代が変わった、変わり過ぎた。そういう思いが深しの今日この頃ではある。 2006.9.6日 れんだいこ拝 |
Re:Re3:れんだいこのカンテラ時評210 | れんだいこ | メール | URL | 2006/09/07 20:37 |
【「鬼塚英昭氏のネオ・シオニズム研究」考】 太田龍・氏は、今日も凄いことを書き付けている。「太田龍・氏の2006.9.7日付け時事寸評、広島に原爆を投下した米空軍爆撃機に付けられた愛称『エノラ・ゲイ』は、イディッシュ語で、『天皇を屠れ』の意味である、との『モルデカイ・モーゼ/久保田政男』説(http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi)で、「エノラ・ゲイ」が「天皇を屠れ」という意味であったということ。それを明らかにした著者の久保田政男氏が、戦前来よりユダヤ・フリーメーソン研究者の一人であった久保田栄吉(1887年生まれ)の子息であり、政男氏もまたユダヤ・フリーメーソン研究に手を染めたので、「暗殺された、と言う話を聞いた記憶がある」と述べている。 れんだいこは、後者の指摘の方に興味を覚える。まことに、「ユダヤ・ネオ・シオニストの陰謀史」研究に関わる者は不慮死が多過ぎる。しかるべき社会的地位からの追放は朝飯前である。それでも後続が止まらないのは、歴史の真実に迫ろうとする精神がいわば本能的なものであるからであろう。あるところまで究めると、そこから先へ向おうとする意欲が強まるのは知能の性(さが)であり、これを止めるのは生ける屍に過ぎず、不利益があろうとも出来ないのだろう。れんだいこはそう解する。 そういう意味では、世の自称識者の多くが「ネオ・シオニズムおあつらえのテキスト」に沿って、その範疇で口をパクパクさせているのが羨ましい。耳タコのホロコースト論が典型であるが、そっくりそのままお返ししたいようなロジックで、ナチスの残虐非道ぶりをなじって正義顔する者が多い。所詮オツムがその程度なのだということも弁えず真実そうに語って、自ら護民官を買って出る者が多い。インターネット界隈にも輩出し過ぎている。 そういう技ができる幸せ者とできない者がいるということになるが、れんだいこは元来の天邪鬼精神によってか体制的見解に与し得ない。常識的主流見解がプロパガンダされると眉唾する習性がある。ロッキード事件がそうだった。左右両翼の大合唱を前にすると、待てよ変ではないかとするアンテナが作動してしまう。その後のれんだいこ研究で、このアンテナの正しさが立証されたと思っている。こういう性分が不幸せかどうかは分からない。死と隣り合わせにいるのかどうか、それは半分覚悟している。バカな奴と云われても、生ける屍よりは良いわさ、そう考えている。 2006.9.7日現在、れんだいこは、鬼塚英昭氏の「20世紀のファウスト」(2005.12.1日初版)を読み進めている。これまで何度も太田龍・氏が推奨していたのを遣り過ごしていたが、急に読みたくなったので求めた。かなりの分量であり、決して速読派ではないれんだいこは一気には読めない。今半ばあたり読み進めている。その昔、広瀬隆・氏の「赤い楯」の続篇「鬼塚版」のような気がしている。 広瀬氏の「赤い楯」に衝撃を受けた折には、こうしたインターネットサイトを開設していなかったので、頭の中を素通りしてしまった。改めて読み直そうと思っている。それに比べて、鬼塚氏の「20世紀のファウスト」は、一旦読み終え、それから抜書きしておこうと思う。自前のインターネットサイトがあるということは有り難いことである。但し、どこをどう取り込めばよいのだろう。それも又かなりの分量になり、骨の折れることである。逆に云えば、随所が値打ちものとなっているということである。 思うに、既成の「ネオ・シオニズム・テキスト」で歴史を習って染まり過ぎている連中は、鬼塚本にどういう反応を示すのだろうか。脳震盪を起すのならともかくも、却って書そのものを退けるのかも知れない。根底から歴史の見直しを迫られるからである。連中の軟弱頭脳はそれに耐えきれまいから話は合っている。 鬼塚氏の執筆意欲は意気軒昂のようである。となると、この論を誰が受け継ぐのかという事になる。れんだいこもその一人に繋がりたいが、かなりの博学でなければ覚束ず、その点不安がある。しかしまぁ何事も一歩一歩でも進まないことには近づけない。ため息ばかりでは何も生み出さない。そう思って独習していくことに決めた。以上が第一感想である。 2006.9.7日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)