カンテラ時評12(231〜360) |
(最新見直し2007.7.12日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
2007.3.24日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評331 | れんだいこ | 2007/10/13 21:10 | ||
【地下政局考】 2007・10・12日付けアサヒコムが、「小泉元首相が再始動 政界再編の憶測も」の見出しの記事を掲載している。れんだいこの見るところ、これは単なる事実の伝達に過ぎないが貴重情報である。 それによると小泉元首相が政界再編成を視野に入れて活動し始めたとある。6年半ぶりに出身派閥の町村派の会合に出席したかと思えば、12日夜には武部勤・党改革実行本部長のグループ「新しい風」(32人)と二階派「新しい波」(16人)の合同懇親会にも姿を見せた。この時、小泉は「人生には上り坂、下り坂。政治は『まさか』がよくある。来年には選挙があるだろう。次の選挙に向け、何らかの形で協力していきたい」と強調した。来月には東南アジアへの外遊も予定している云々。 れんだいこは、小泉のこういう挙動に対して、七年有余にわたって狂人小泉を操り政治をままにしてきた現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義たるネオ・シオニストが、やらせては見たものの下僕としては半端な安倍では物足りず、福田にも期待できずと見切りをつけ、やっぱ小泉君でなくてはと小泉派の再登壇を後押ししている証左と見立てる。小泉が季節はずれの政権への色気を見せ始めた背景にこういう事情があるのではないかと判ずる。こたびのアサヒコム情報はそのことを知らせたことに価値がある。 今や政局は、福田自民対小沢民主の対決ばかりではなくなった。福田派及びその連合対小泉派及びその連合、小沢民主対小泉派及びその連合をも視野に入れねばならなくなった。麻生がやる気まんまんを演じているが割り込む余地があるだろうか。民主右派が昇り竜の小沢民主を飛び出て小泉派と組むなる説が伝えられているが、連中はそういうリスクをおかすだろうか。 政治は不確定要素を含みつつ最終的には当事者たちの能力に相応しい然るべきところに落ち着く。とすれば近い将来、強ネオ・シオニスト政権再来か(小泉)、中ネオ・シオニスト政権誕生か(町村)、弱ネオ・シオニスト政権続行か(福田、麻生)、弱反ネオ・シオニスト政権到来か(小沢)という選択肢が待ち受けていることになる。強反ネオ・シオニスト政権の可能性が無いのが寂しい限りである。 興味深いことは次のことである。安倍政権を潰したのは参院選ではあったが、最終的に引導渡したのはブッシュであった。そのブッシュに繋がっているのは今も小泉である。二人は養子縁組でもしているのかと思われるほど感性が合っており、どちらも嘆きの壁詣で仲間である。その小泉派が、安倍政権のズボンの裾を踏み続けたように福田政権のそれをも踏んでいる。こういうことは表に出にくいだろうが暗闘していることは確かと思われる。 大臣の次から次への不祥事の情報はどこからもたらされているのだろうか。何かいかがわしくはないか。マスコミがそれを採り上げる正義は否定はしないが、なぜ小泉政権時代には表ざたにならずに済んだのか。ポスト小泉になるとなぜこうも続くのだうか。ひょっとして俺たちは情報操作で乗せられているのではなかろうかと問う記者はいないようだ。情報は事実なので、それ以上の詮索は無用と鬼の首をとったようにはしゃぎ回る者しか居ないようだ。オツムが安上がりにできているのだろう。 というようなことで地下政局が面白い。こういう場合、運動会のように赤勝て白勝てという訳にはいかない。反ブッシュ派勝て強ブッシュ派負けろと声援したい。れんだいこはなぜこういうことに拘るか。ここが政治の大元だからである。 2007.10.13日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評332 | れんだいこ | 2007/10/15 21:28 | ||
【事件裁定のくすぶり考】 「松岡農相変死事件」、「朝青龍事件」、「時太山変死事件」、「亀田大毅事件」とこのところ相次ぐ釈然としない事件の問題点を採り上げてコメントしておく。これらの事件で何が問われているのだろうか。 まず「松岡農相変死事件」に言及する。「時太山変死事件」でクローズアップされつつあるが、検視で事件性があったにも関わらず警察が事故扱いし、遺体を犯行側の時津風部屋に送り、火葬で処理されようとしていたことに問題があるのではなかろうか。実際には、時太山の両親が頑強に遺体を引き取り、司法解剖に付し外傷性ショック死と認定されることにより事件化した。 ここまで云えばお分かりだろう。松岡農相の時はどう処理されたのか。司法解剖されること無く火葬荼毘に付された。その後の検死発表も無く今日に至っている。現役大臣だと云うのに、国会会期中の議員宿舎内事件だと云うのに虫けらの死の如く扱われて今日に至っている。大臣の命の安さがこれほど浮き彫りになった例はない。 これを問題にしない民主党よ、社共よ、君らの金権腐敗追及の底の浅さが見えてくるではないか。肝心なことを追求せずして何の正義か。そう云えば、与野党マスコミこぞって事件後早速に自殺追認して今日に至っているが、何の根拠があって自殺判定しているんだ君達は。ぜひ聞かせてくれ。政治家が政治を真面目にしていない証左ではなかろうか。「松岡農相変死事件」にはそういう燻りがある。 「朝青龍事件」は今や、その後の「時太山変死事件」、「亀田大毅事件」事件により忘れられた観が有る。あれほど大騒ぎして朝青龍厳罰すべし論が説かれていたが、果たして正しかったのだろうか。横綱の品格を口にしながら横綱の二場所出場停止及び相当期間謹慎という横綱の地位と名誉を蹂躙する措置をしたが、正しい対応だったのだろうか。厳重注意と減給処分ぐらいが相当だったのではなかろうか。 れんだいこは朝青龍が好きという訳ではない。しかし、彼の横綱相撲は歴代の横綱に比して遜色ない否上回るものであり、抜群の切れ味は相撲の醍醐味を見せ相撲ファンを堪能させている。重要なことは、朝青龍が本業の本場所で立派に責任を果たし続けてきたということである。一人横綱の長期間、大相撲を牽引してきた。モンゴル帰りは優勝記念で里帰りとして大目に見ても良かったのではなかろうか。 相撲協会をなめているのは確かだが、少なくとも肝心のお仕事の土俵では立派に責任を果たしているという認定が大事だと思う。それを前代未聞の「横綱出場停止処分」に付したというのに、それさえも処分がぬるいなどと煽りに煽った相撲関係者及びマスコミの正義感覚が分からない。「朝青龍事件」にはそういう燻りがある。 「時太山変死事件」は、時津風親方の酒癖の悪さが引き起こしたリンチ致死事件であり、事件後隠蔽に努めウソにウソを重ねたという意味で二重に許し難い。例の「宮顕のリンチ致死事件」の対応を髣髴とさせる。宮顕は逝ったが、遂に真相解明されぬままとなった。日共のアキレス腱であり消すに消せぬ汚点として続いていくことになった。 もとへ。れんだいこ的には、「時太山変死事件」は本業での失態であるので「朝青龍事件」より重責と認定されるべきではなかろうか。要するに親方の資格のない人物が親方になったことにより引き起こされた事件である。二度と起こらないよう再発防止の観点からの善後策が講じられるべきだろう。付言すれば、時津風親方が、「朝青龍事件」に対して厳罰すべし論の急先鋒だったとしたらどういうことになるのだろう。そういう人物の煽りで、朝青龍は出場停止をくらったことになるとしたら。 「亀田大毅事件」は興味深い事件である。れんだいこ的に見ると、朝青龍の場合と違って、土俵に値するリング内で起こした不祥事である。リングで相撲したければK1とかプライドの格闘技へ転出すればよかろうが、ボクシングでそれをやってしまった。これは相応の処分を免れ難いと認定されるべきではなかろうか。れんだいこは、セコンドも含めて試合謹慎二年が相当としたい。本業の重責失態であり軽いもので済ませてはならない。但し、リング剥奪まではせぬが良かろう。何事も行き過ぎは慎むべきだ。 こうして見れば、あることが透けて見えてくる。つまり、人は本業の真面目さによって判断され、本業外ではなるべくお手柔らかに遇されるべきだということが。ところが、実際には逆になっている。政治家で云えば、やっていること、政策、識見での評価がさほど為されず、事務所経費の申告不正、下半身問題、贈収賄で政治生命が潰される傾向にある。 後者を取り上げるのが悪いと云うのではない。それはそれ、肝心なことは本業のお仕事ぶりではなかろうか。そこが問われないとウソだ。そういう意味では、角栄は十分な業績を残している。れんだいこは、角栄論の業績の項で確認している。恐らく前人未到のものであり、彼が手掛けた全てが現在に於いても人民大衆の生活福祉に資している。その彼が、本業外の金権問題で槍玉に挙げられ政治生命を断たれた。背中とわき腹を突かれた格好である。日共が特にはしゃいだ様が不快でならぬ。 現在、正面から立ち向かわず裏から仕掛けられる批判が多過ぎる。これは論者の気質や性格によっているのだろうが、主流の評論や批判がこの手の手合いにより御されている。耳たこになるほど聞かされても燻る原因がこの辺りにあるのではなかろうか。もとっと正面から議論したり挑む政治談議が聞けないものだろうか。 何度も云うが、例えば今国会ではテロ特措法による海上自衛隊派兵の継続か否かが真剣に議論されるべきではないのか。次に、小泉が、「神学論争じゃかましい論」で自衛隊を一気にペルシャ湾まで歩を進めた違憲性が問われるべきではないのか。その愚行に血税をいくら費消し、成果はどうだっのか等々検証すべきではないのか。事と次第によっては政治責任取らせて牢屋に放り込むべきではないのか。 こういうところに議論が向かわず、どうでも良いようなことを大げさに採り上げ、正義振る論者が多過ぎるのではないのか。政治がしっかりしてないと労働意欲に関係する。この燻りはいつまで延長されるのだろうか。 2007.10.15日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評333 | れんだいこ | 2007/10/16 11:50 | ||
【公明党内のくすぶり考】 2007・10・16日付け毎日新聞(西田進一郎記者)が、「自公:連立8年 公明、地方組織に不満 参院選敗北、『閣外協力』求める声も」なる見出しの記事を掲載している。 (ttp://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2007/10/16/20071016ddm005010002000c.html) それによると、7月の参院選敗北を受け、公明党の地方組織に「自公連立のあり方」への不満が強まっている。10・14日に党本部で開かれた東日本地方議員懇談会で「公明党らしさをもっと出してほしい」、「自民党の補完勢力にしかなっていないのではないか」、「参院選後に安倍晋三前首相が続投を決め、これをすぐに支持したことは、庶民の気持ちが分かってないのではないか」等々の苦言が呈され、「これからも一緒にやるのか」、「閣外協力も考えられないか」等々連立離脱を求める意見まで出たと云う。 これも事実の伝達に過ぎないが貴重情報だろう。この背景には、このままでは埋没しかねないとの危機感がある。思うに公明党の危機感は実際に相当深刻なのではなかろうか。以下これを論証する。 れんだいこの青春時代の70年代初頭の頃の公明党は内には生活権益を、外には反戦平和を主張し、日共と互角の競り合いをし始めていた。昇り竜だった。れんだいこは或る時創価学会の釈伏の場に招かれ入会を迫られた経験がある。強く誘われ、その時のれんだこの胸に反戦平和のヒューマニズム理念と池田大作の宗教活動を通じての平和外交ぶりが魅力的に映り、もう少しで入会するところまで心が動いたことを覚えている。 その後公明党は日共の衰退を尻目に順調に党勢を伸ばし続け、新進党の野党連合時代を経由して政治責任を果たすには与党でないといけないと悟り、以降自民党と組む戦略に切り替え遂に政権に辿り着いた。これは戦後政治史上の快挙であったであろう。但し、この時点では富山ー橋本政権と云う曲がりなりにもハト派系政権と連合しており、中道主義と生活政党を標榜する公明党の戦略が一段と輝きを増す流れにあった。 歴史は摩訶不思議である。政権与党に食い込んだ公明党がその後も順調に党勢を伸ばし続ける間に自民党内が変わった。急逝した小渕の後釜に森が座り、続いて狂人小泉を首相とする典型的ユダヤナイズタカ派の売国奴政権が生まれ7年有余の長期政権となった。公明党はこの政権を支え続けた。テロ特措法に集約される一連の悪法と自衛隊の海外武装派兵のお先棒を担ぎ水先案内までした。ブッシュ派に湯水のごとく血税を垂れ流ししてきた。れんだいこが70年代に記憶する公明党の反戦平和理念の輝きがこうして消えた。 公明党の遮二無二な政権与党化戦略は総帥池田大作の指導無しには有り得ない。狂人小泉首相を支え、ブッシュ派にご奉仕するのも大作の意向にしにはできない。とすれば、今日の公明党とかっての公明党のどちらが本質なのか。言い換えれば、池田大作の本質はどちらにあるのか。物事は後者になればなるほど熟するとすれば、前者は単にマヌーバーだったのか。こう問いかけられる公明党になってしまった。これを指導した大作の単なる権力亡者の本質が露呈した。何が宗教家であるものかは。 こう見定められた汚点は重大深刻であろう。普通権威が地に堕ちたと云う。人民大衆は、公明党が何者であったのかはっきり確認することになった。一度下された裁定は容易には覆らない。こたびの公明党の危機感はここから生まれている。本質を見破られた訳だからどうにもならない。人民大衆の見限りが始まったということである。そこまで評さなくても、少なくとも天井を打ったことは確かであろう。先の参院選はこのことを証した。 公明党に可能性があるとすれば、毎日新聞が伝えるような党中央批判が党内で担保されていることであろう。今後締め付けが始まるかも知れないが、多様な意見が飛び交うことのできる党であったことを逆に示したところに意義がある。党内の喧々諤々による政策転換の可能性が担保されているというところに救いがある。これさえあれば案ずることはない。これが政治弁証法である。 我々が案ぜねばなら無いことは次のことである。党中央の政策失政、否悪指導に対する異論が封殺され続け、「党中央の云うことはその通り」として唯々諾々しかできない政党があるとしたら、こっちの方がより深刻である。妙なことに、野党の方がこれができないという変な情況にある。万年野党のゆえんだろう。 蛇足ながら、70年代までの自民党はすばらしい政党だったということになる。三角大福中その他の派閥を抱え、議員ごとに派閥ごとに政策議論を飛び交わし、政権を分かち合うという手法で党派運動を進めていた希有な党であった。ボンクラマスコミは派閥批判を繰り返し頻りとクリーン政治を唱和し続けていたが、人が三人寄れば派閥ができるのが法理であり、政党ならなおさらと云うべきだろう。問題は、より良い政治に向けての調整能力にこそあるというべきだろう。派閥に汗を掻かない小泉がヘリコプターで首相になってしたことは危険極まりなかったではないか。今から思っても刺客騒動は無茶苦茶だった。マスコミは喝采したが、こう反省すべきではないのか。 2007・10・16日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評333 | れんだいこ | 2007/10/16 12:03 | ||
自公連合の時期が気になり確認したところ事実関係が間違っていたので以下書き換える。 > 【公明党内のくすぶり考】 > > 2007・10・16日付け毎日新聞(西田進一郎記者)が、「自公:連立8年 公明、地方組織に不満 参院選敗北、『閣外協力』求める声も」なる見出しの記事を掲載している。 > (ttp://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2007/10/16/20071016ddm005010002000c.html) > > それによると、7月の参院選敗北を受け、公明党の地方組織に「自公連立のあり方」への不満が強まっている。10・14日に党本部で開かれた東日本地方議員懇談会で「公明党らしさをもっと出してほしい」、「自民党の補完勢力にしかなっていないのではないか」、「参院選後に安倍晋三前首相が続投を決め、これをすぐに支持したことは、庶民の気持ちが分かってないのではないか」等々の苦言が呈され、「これからも一緒にやるのか」、「閣外協力も考えられないか」等々連立離脱を求める意見まで出たと云う。 > > これも事実の伝達に過ぎないが貴重情報だろう。この背景には、このままでは埋没しかねないとの危機感がある。思うに公明党の危機感は実際に相当深刻なのではなかろうか。以下これを論証する。 > > れんだいこの青春時代の70年代初頭の頃の公明党は内には生活権益を、外には反戦平和を主張し、日共と互角の競り合いをし始めていた。昇り竜だった。れんだいこは或る時創価学会の釈伏の場に招かれ入会を迫られた経験がある。強く誘われ、その時のれんだこの胸に反戦平和のヒューマニズム理念と池田大作の宗教活動を通じての平和外交ぶりが魅力的に映り、もう少しで入会するところまで心が動いたことを覚えている。 > > その後公明党は日共の衰退を尻目に順調に党勢を伸ばし続け、新進党の野党連合時代を経由して政治責任を果たすには与党でないといけないと悟り、以降自民党と組む戦略に切り替え遂に政権に辿り着いた。これは戦後政治史上の快挙であったであろう。但し、この時点では小渕政権と云う曲がりなりにもハト派系政権と連合しており、中道主義と生活政党を標榜する公明党の戦略が一段と輝きを増す流れにあった。 > > 歴史は摩訶不思議である。政権与党に食い込んだ公明党がその後も順調に党勢を伸ばし続ける間に自民党内が変わった。急逝した小渕の後釜に森が座り、続いて狂人小泉を首相とする典型的ユダヤナイズタカ派の売国奴政権が生まれ7年有余の長期政権となった。公明党はこの間政権を支え続けた。テロ特措法に集約される一連の悪法と自衛隊の海外武装派兵のお先棒を担ぎ水先案内までした。ブッシュ派に湯水のごとく血税を垂れ流ししてきた。れんだいこが70年代に記憶する公明党の反戦平和理念の輝きがこうして消えた。 > > 公明党の遮二無二な政権与党化戦略は総帥池田大作の指導無しには有り得ない。狂人小泉首相を支え、ブッシュ派にご奉仕するのも大作の意向にしにはできない。とすれば、今日の公明党とかっての公明党のどちらが本質なのか。言い換えれば、池田大作の本質はどちらにあるのか。物事は後者になればなるほど熟するとすれば、前者は単にマヌーバーだったのか。こう問いかけられる公明党になってしまった。これを指導した大作の単なる権力亡者の本質が露呈した。何が宗教家であるものかは。 > > こう見定められた汚点は重大深刻であろう。普通権威が地に堕ちたと云う。人民大衆は、公明党が何者であったのかはっきり確認することになった。一度下された裁定は容易には覆らない。こたびの公明党の危機感はここから生まれている。本質を見破られた訳だからどうにもならない。人民大衆の見限りが始まったということである。そこまで評さなくても、少なくとも天井を打ったことは確かであろう。先の参院選はこのことを証した。 > > 公明党に可能性があるとすれば、毎日新聞が伝えるような党中央批判が党内で担保されていることであろう。今後締め付けが始まるかも知れないが、多様な意見が飛び交うことのできる党であったことを逆に示したところに意義がある。党内の喧々諤々による政策転換の可能性が担保されているというところに救いがある。これさえあれば案ずることはない。これが政治弁証法である。 > > 我々が案ぜねばなら無いことは次のことである。党中央の政策失政、否悪指導に対する異論が封殺され続け、「党中央の云うことはその通り」として唯々諾々しかできない政党があるとしたら、こっちの方がより深刻である。妙なことに、野党の方がこれができないという変な情況にある。万年野党のゆえんだろう。 > > 蛇足ながら、70年代までの自民党はすばらしい政党だったということになる。三角大福中その他の派閥を抱え、議員ごとに派閥ごとに政策議論を飛び交わし、政権を分かち合うという手法で党派運動を進めていた希有な党であった。ボンクラマスコミは派閥批判を繰り返し頻りとクリーン政治を唱和し続けていたが、人が三人寄れば派閥ができるのが法理であり、政党ならなおさらと云うべきだろう。問題は、より良い政治に向けての調整能力にこそあるというべきだろう。派閥に汗を掻かない小泉がヘリコプターで首相になってしたことは危険極まりなかったではないか。今から思っても刺客騒動は無茶苦茶だった。マスコミは喝采したが、こう反省すべきではないのか。 > > 2007・10・16日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評334 | れんだいこ | 2007/10/18 21:23 | ||
【青木昌彦氏の第一次ブント裏事情公開考】 日経が「私の履歴書」で、2007.10月より60年安保闘争を牽引した第一次ブントのイデオローグとして鳴らした青木昌彦のそれを連載している。非常に面白い。れんだいこは、戦後学生運動論を書き上げており(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/)、中でも第一ブントについては戯曲まで手をつけている(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/daiithijibundco/gikyoku/gikyoku.htm)。惚れ込みようが分かろうというものである。 青木氏の「私の履歴書」で披露された新事実、裏事情等々を機を見て取り込もうと思う。例の著作権がうるさいが、青木氏はまさか無断引用、転載相成らぬとは言わないだろう。れんだいこには何となく分かる。 それはそうと、れんだいこが思うのに、第一次ブントの連中は真に能力が高かったのではなかろうか。もっともあの時の時代の制約に縛られているにはいるがという条件づきでではあるが。何事も理論と実践と組織の三角関係がうまく機能しないと首尾よく進まないし成果は出ない。かの時、うら若い二十代の学生集団がこれをやった。もちろん様々な欠点を抱えつつではあるが、情況を切り開いたのは史実だろう。 その60年安保闘争で誰が利益を得たか。これは興味の湧く考察である。れんだいこは、政府与党を構成した自民党内に於ける地殻変動に注目したい。今日ではネオ・シオニストのエージェントでもあった史実が暴露されている保守派のエース岸が退陣を余儀なくされ、代わって戦後ハト派の牽引者たる池田が政権をもぎとった。これを支えたのが角栄−大平の鉄血同盟だった。この鉄血同盟を核として日本の戦後は60年代から70問題半ばまでを内外に疾駆したのではなかろうか。 日本はこの時、世界史上類例のない国富を蓄積したのではなかろうか。その国富が、1980年代初頭の中曽根政権の登場と共に国際貢献と云う名の下に散逸し始める。ネオ・シオニストの好餌となり打ちでの小槌と成る。国富は小泉政権に辿りつくまでにほとんど蝕まれてしまったが、小泉政権は最後の虎の子財産に手をつけ、これを献上するという芸当で高い評価を受けた。中曽根にしろ小泉にせよ名宰相と評される裏部隊事情がここにある。日本のマスコミは昔から外国で評価が高ければオウム返し阿諛追従する癖がある。かくして内からも外からも名宰相コールが鳴り響き、人民大衆の6割がたが騙される。 その点、戦後政治の名舵取り人であり国富の功労者だった角栄は逆にみじめな評価を受け、汚名を着せられる。世の中はこういうもんである。鵜呑みにすれば真相に迫れないどころか、逆裁定のどつぼにはまってしまう。当人が気づかないから良いようなものだけれども議論の底が浅くなるのは致し方ない。連中は恐らく一生そのままやり過ごしていくのだろう。 れんだいこは、そういう生き方が出来ない。オカシイと思ったことは得心行くまで確認しないと気がすまない。一定の見解が出来たら次の課題に立ち向かう。折を見て又昔のテーマに立ち戻る。その繰り返しである。こういう場合、良い刺激が最上の活力源になる。こたびは青木昌彦氏が第一次ブント論を書き直せと命じている。俺の名前をもっと出せと催促している。了解です青木様。為に成りました。御礼をば申し上げておきます。 2007.10.17日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評335 | れんだいこ | 2007/10/29 22:13 | ||
【インターネット空間活用考】 知人が貸与してくれた「闇の超世界権力スカル&ボーンス」(クリス・ミレがん、アントニー・サットン他共著、北田浩一訳、徳間書店、2004.9.30日初版)を読み始めた。17Pに次のように記している。 「驚異的な成長を遂げながら、政治的・文化的な位置づけさえまだはっきりしないインターネット。今なお変革の原動力となり、行く末も定かでないこのメディアは、検閲に縛られることなく全国レベルで議論を行うことを可能にし、さまざまな問題への理解を深める一助となっている。 インターネットによって強大な大衆の声に力が与えれた結果、不当な手段により水面下で私たちの共和国や経済に大きな打撃を与えている欺瞞に対抗することも今や可能となった。しかし、多くの人々が今後も見せかけの理想を信じ続けるようであれば、私たちの子孫はテクノロジーという名の檻に国民を閉じ込めるファシスト国家の奴隷に成り下がるかもしれない。大衆が有力者たちのプロパガンダを信じて水面下の腐敗を見逃し、秘密結社がこの社会に作り出した一見甘美な仮想現実(その実体はファシズム)の中で飼い殺しになっているという現状が続く可能性もある。 その一方で、インターネットなどの潮流が、我々が受け継いできた市民権と自由を取り戻すことを可能にするかもしれない。未来がどちらに転ぶかは、いまだ未知数である」。 たちまちは本の中身とは関係のないインターネット通信能力の批評であるが気に入った。確かにインターネットは時空を超えて感化力を競い合っている。政府や御用学者の愚説しか目に入らない聞こえてこない現実にあって、インターネット世界は真実探求の貴重な情報源になっている。 インターネットのこの能力をどう引き出すのか、それさえも規制の網が被せられて窒息させられるのかが問われている。現代ウヨサヨ族の強権著作権論は後者の側からの営為だろう。自称知識人が野蛮人に法を説く傲慢さで導入を図っているが、れんだいこに云わせれば手前達の方がよほど野蛮人だろうに。著作権槍でインターネットやぶを突くスタイルを連想するが恥を知れ。説教だけはごめん蒙りたい。 それはともかくインターネットのお陰で、れんだいこの知識欲がますます嵩じている。残念なことは、真に必要な知識がまだまだ手に入らないことである。というか情報過多なのに為になる知識は案外と僅かでしかない。こうなると、みんなが手分けして公開していく以外になかろう。れんだいこもその一人として発信し続けていこうと思う。要するにこのことが云いたかったんだ。 或る対象を考察する場合、できるだけ多面的に議論されるべきだろう。その状況の中で、各自が能力と気質に応じてお気に入りを選べばよい。その反復しかない。一つの理屈しか知らぬままこれが絶対正義だと思い込むことは百害あって一利もない。そういう正義が強要されているけれども。願うらくは、議論が正面から論ぜられることを。戦後左派運動は各派が斜交い構えの正義論に耽ってきたように思われるので、そろそろ大人のレベルに乗せねばなるまい。そういうことも言い添えておく。 さて、まずこのことを確認して、「闇の超世界権力スカル&ボーンス」を読み進めていこうと思う。 2007.10.29日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評336 | れんだいこ | 2007/10/31 02:02 | ||
【柳原白蓮考】 (最新見直し2007.10.31日) (れんだいこのショートメッセージ) れんだいこは、大方の評価と反して大正天皇を高く評価する。既存の歴史学の常識は、稀代のスパイ宮顕を日本左派運動の英邁な指導者として渇仰する如く逆転評価が甚だしい。大正天皇然り、この場合は逆に精神薄弱視して貶めている。こういう観点からの歴史書は読めば読むほど真に受けた方が馬鹿になり、通りで自称知識人にしてこの種の手合いが多いのもむべなるかなということになる。 大正天皇は恐らく明治天皇、昭和天皇と違って真に英明であった。しかし当時のネオ・シオニズムの国際的指令に基づき日清日露第一次世界大戦へと戦争政策に狂奔化し始めた時代趨勢が大正天皇の内治政策を優先せんとする英明さを許さなかった。大正天皇は遂に押し込められ、後の昭和天皇の皇太子摂政時代へと続く。大正天皇は虚飾の痴呆人扱いされ今日に至っている。そういう大正天皇論ばかりが横行しており、サヨの天皇制論の格好教材となってからかわれ続けて今日に至っている。 れんだいこは、そういう愚かな史観に出会うと黙っていられない。そこで「大正天皇論」をサイト化し世に問うている(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/tennoseiron/rekidaitennokakuron/taisyotennoco/taisyotennoco.htm)。 それはともかく、ここで柳原白蓮を特別に考察する意味は、明治天皇側室二位局にして大正天皇の母・柳原愛子が、歌人として知られる柳原白蓮(本名Y子、あきこ、1885−1967年)の伯母(父の妹)に当たることを重視せんが為である。このことは存外重要で、大正天皇の歌人ぶりも知る人ぞ知るところで、柳原白蓮を知ればなお血筋のDNAとして注目されるべきではなかろうか。そういう意味と意義が有り、ここで白蓮の履歴を確認することにする。 我々は、歌人としてのDNAと性格一途純粋型のDNAを同時に認めることになろう。この特質は大正天皇論の際に踏まえねばならない点ではなかろうか。 2007.10.30日 れんだいこ拝 -------------------------------------------------------------------------------- 【柳原白蓮の履歴概要】 1885(明治18)年、白蓮は、伯爵・貴族院議員の柳原前光(さきみつ)の次女として生まれる。本名はY子(あきこ)。生母は、零落した武家の娘で柳橋の売れっ子芸妓であった奥津りょう(通名おりょう)。おりょうの父は、日本人として初めてアメリカに渡った政府使節団の団長・新見(しんみ)豊前守正興(まさおき)。正興が日本へ帰ったときは幕末の動乱の最中で、幕臣には形勢利あらず一家は零落するよりほかなかった。その煽りで娘おりょうは芸妓に身をやつしていたものと思われる。 大正天皇の生母である柳原愛子(なるこ)は、白蓮の父・柳原前光の妹であり、してみれば、柳原愛子と白蓮は姪の関係であり、柳原愛子の子・大正天皇と白蓮は従兄妹にあたることになる。 後の白蓮ことY子(あきこ)は生後7日目に本邸に引き取られ、前光の正妻・初子の次女として入籍され、当時の華族の慣習としていったんは里子に出されるのを経て柳原家に再び戻り、姫君として愛育されることになった。1888年(明治21年)、生母おりょう病死。1892年(明治25)年、麻布南山小学校に入学。1898(明治31)年、華族女学校(のちの女子学習院)に入学。 Y子は最初の結婚まで自分が妾の子とは知らなかったという。また前光には、おりょう以外に年来の妾・梅がおり、子宝に恵まれなかった梅はおりょうを妹のように、そしておりょう死後はY子をわが子のように大変可愛がっていたと云われる。 1900(明治33)年、Y子14歳の時、華族女学校を中退し、当時の慣習にならい家族の決めた北小路子爵家の息子資武(すけたけ)と結婚し、15歳で男児を出産した。5年後離婚し実家に戻る。 1908(明治41)年、東洋英和女学校入学し、寮生活をおくる。この時期、佐佐木信綱に師事し、句集「心の花」に短歌を発表し始める。1910(明治43)年、同校卒業。 1911(明治44)年、Y子27歳の時、25歳年上の九州一の炭鉱王・伊藤伝右衛門と再婚する。それは、名門の家柄を必要とした伊藤家と新生活を願うあきことの思惑が一致した打算結婚であった。伊藤伝右衛門は飯塚市幸袋に敷地1500坪、建坪250坪の自宅があったが、さらに別府に屋根を銅で葺いた「赤銅(あかがね)御殿」を建て、Y子を迎え入れた。Y子は「筑紫の女王」と呼ばれる身となった。 再婚後のY子は、複雑な家族構成に悩まされた。伊藤家には妾の子、父の妾の子、妹の子、母方の従兄妹などが同居していた。また数十人もの女中や下男や使用人たちもいた。伝右衛門は何人もの妾がいた上に、京都妻のサトの妹のユウにまで手を付けた。ユウは女中見習いとして幸袋の屋敷に住み込むようになり、Y子は次第にユウを伝右衛門をあてがう形となった。後年、Y子は、夫を挟んで夫の妾と3人で布団を並べていたこともあると告白している。 Y子は、懊悩、苦悩をひたすら歌に託し句集「心の花」に作品を発表し続けた。次第に歌人として注目されるようになった。1915(大正4)年、処女歌集「蹈絵」を自費出版。この時、信仰していた日蓮にちなんで号を「白蓮」とした(以降、白蓮と記す)。「われは此処に 神はいづくにましますや 星のまたたき 寂しき夜なり おとなしく身をまかせつる幾年は 親を恨みし反逆者ぞ」の句がある。白蓮の句は浪漫的な作風で「生の軌跡を華麗かつ驕慢に」(正津勉)詠って、多くの読者を惹きつけた。白蓮は歌人として名が知られるようになり、大正三美人(九条武子と江木欣々、あるいは日向きむ子)の一人として、あるいは九条武子とともに閨秀歌人として知られるようになった。 別府の赤銅御殿は白蓮を中心とするサロンとなった。そのなかで白蓮は仮想的な恋愛を楽しんだ。その一人に医学博士で歌人の久保猪之吉がいた。妻の久保より江も俳人として名を知られていた。1918(大正7)年、大阪朝日は「筑紫の女王・Y子」を連載した。「金襴鍛子の帯締めながら、花嫁御寮は何故泣くのだろう」という歌や、菊池寛の「真珠夫人」という小説は、この時期の白蓮がモデルといわれている。 1919(大正8)年、詩集「几帳のかげ」、歌集「幻の華」を刊行。「わだつみの沖に 火燃ゆる火の国に 我あり 誰ぞや思はれ人は 我歌のよきもあしきものたまはぬ 歌知らぬ君に何を語らむ」(第二歌集「幻の華」より)の句がある。 1918(大正7)年、白蓮30歳の時、戯曲「指鬘外道」(しまんげどう)を雑誌「解放」に発表。これが評判になった。劇団が上演を希望し、その許可を求める書状が届いた。差出人は「解放」記者宮崎龍介。もっと詳しい話を聞きたいと白蓮は記者を別府の別荘に招く。 1920(大正9).1.31日、社会革命の理想に燃える帝大新人会のメンバーにして東京帝大法学部に通う傍ら雑誌「解放」の編集をする宮崎龍介が訪れた。「解放」の後ろ盾となっていたのは、東京大学の吉野作造、早稲田大学の大山郁夫らの「黎明会」で、「解放」はその機関誌だった。宮崎龍介は孫文の辛亥革命を支援するなど憂国の士として知られる宮崎とう天の息子で、白蓮より7歳年下であった。龍介は情熱を込めて社会変革の夢を語った。 白蓮は忽ち「ねたましきかな」と詠い、「恋もつ人」になった。二人の間に文通が始まった。書簡は2年間で700通以上を数えた。白蓮は春秋2回の上京の機会に龍介と逢瀬を重ねた。姦通罪があった時代であり、入獄も覚悟の命がけの恋となった。二人の中が知れ、龍介は「ブルジョア夫人との交際はまかりならん」として「新人会」を除名になった。白蓮から日に数通もの手紙が届く。「南無帰依仏 マカセマツリシヒトスジノココロトシレバ スクハセタマヘ」。二人の愛は燃え上がる。やがて白蓮は龍介の子を宿した。 1921(大正10).10.20日、白蓮は伊藤と上京した際に東京駅から突然姿をくらました。二日後の大正10.22日、朝日新聞」が「筑紫の女王、柳原白蓮女史失踪!」との見出しで、「同棲十年の良人を捨てて、情人の許へ走る」、「青春の力に/恋の芽生え」と報じた。同日の朝日新聞夕刊に、「私は金力をもって女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます。私は私の個性の自由と尊貴を護り且培ふ為めに貴方の許を離れます」と記した公開絶縁状が掲載された。伊藤は毎日新聞に反論「Y子に与ふ」を載せ、世論はこの問題に沸いた。世に 「白蓮事件」として知られる。 事件はジャーナリズムの好餌となる。柳原家は大正天皇の御生母、柳原二位局の実家であり、国家主義の黒龍会(頭山満の玄洋社の系譜を引く団体)の内田良平らは、国体をゆるがす大事件として白蓮や柳原家を攻撃した。この一件により兄義光は貴族院議員を辞職することとなった。 二人は引き離され、白蓮は再び実家の柳原家に帰り、そこで男児を出産する。その後白蓮は断髪し尼寺に幽閉の身となる。 1923(大正12)年、白蓮の離婚が、華族からの除籍と総ての財産没収で決着した。この頃関東大震災が起こり、柳原家の関係で白蓮母子を預かっていた中野家が被災した。それまでも柳原家が娘に何の援助もしないのに対し、宮崎家が定期的に白蓮のために仕送りをしていた。被災を聞きつけた竜介はY子らを迎えにいった。中野家は感服し、柳原家の承諾なしに龍介に白蓮親子を引き取らせたと云う。紆余曲折の果て結婚が成立し、親子三人の生活が現実のものとなった。白蓮は平民として生まれ変わる。 しかし、不遇なことに竜介は結核を発症した。夫は床にあり、数多くの同志、食客が出入りする。白蓮は筆一本で必死に家計を支えた。龍介は後に「私が動けなかった三年間は、本当にY子の手一つで生活したようなもので」と回想している。 白蓮・宮崎のかような“窮状”を人づてに伝え聞き同情した因縁の白蓮の前夫・伊藤が経済的援助を申し出た。しかし、別離の事情が事情であった経緯を踏まえ二人は断ったと云う。 1925(大正14)年、長女、宮崎蕗苳(ふきこ)が誕生。龍介の結核は回復して、その後弁護士として活躍した。1931(昭和6)年、夫妻は中国を旅行している。 1945(昭和20).8.11日、学徒出陣中の長男の香織が鹿屋空軍基地で戦死した。白蓮は悲しみのあまり1年で髪の毛が真っ白になったと云う。夫妻はその後平和運動に従事した。白蓮は平和団体「国際悲母の会」を結成し、その後世界連邦婦人部の中心となり活躍する。 1961(昭和36)年、白蓮は、緑内障で両眼失明する。龍介の介護のもとに歌を詠む日を送る。やがて波乱の人生も終幕となる。「月影はわが手の上と教へられ さびしきことのすずろ極まる」。 1967(昭和42)年、白蓮逝去(享年81歳)。辞世の句は、「そこひなき闇にかがやく星のごと われの命をわがうちに見つ」。Y子の死後竜介は次のように述べている。 「私のところに来てどれだけ私が幸せにしてやれたか、それほど自信があるわけではありませんが、少なくとも私は伊藤や柳原の人々よりは、Y子の個性を理解し援助してやることができたと思っております。波乱に富んだ風雪の前半生をくぐり抜け、最後は私のところに心安らかな場所を見つけたのだと思います」。 4年後の1971(昭和46)、龍介逝去(享年78歳)。二人が最後まで暮した家は西武池袋線旧上屋敷(あがりやしき)駅近くにあり、いまも子孫が暮していると云う。 2007.10.31 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評337 | れんだいこ | 2007/11/02 20:57 | ||
【大正天皇の事跡−民生委員制度の生みの親考】 (れんだいこのショートメッセージ) 大正天皇は、今日の民生委員児童委員制度の生みの親となっている。案外知られていない事績であろう。思えば、大正天皇は皇室を近代的に改革し、それを新たな伝統として良き事のみを歴史に伝えている気がする。昭和天皇−平成天皇が辛うじて維持している事跡の良き事はなべて大正天皇が先鞭していることに気づかされる。昭和天皇の不快な部分は逆に、ネオ・シオニズムの捕囚として立ち働いた部分に集中している。このことに気づくべきだろう。 この辺りを右翼はどういう風に評しているのだろうか。真に天皇制を尊崇するのなら、大正天皇こそがされるに値すると思われるが妙なことにもっともないがしろにされている。れんだいこには、右翼の天皇制讃美の心因が分からない。なして大正天皇を軽んじるのだろう。明治天皇の祝祭日、昭和天皇の祝祭日はあるが、大正天皇のそれはないのは常識だが、なぜなのだろう。 それはともかく、大正天皇はその他にも数々の近代的改革を生み出している。例えば子育て。乳母制は踏まえたが産みっぱなしにせず、子供達と親しく交わり子煩悩で家庭を大事にした。毎週水・土曜日に親子で夕食を共にし晩餐が終わると団欒をたのしんだ。母宮のピアノ伴奏で唱歌や軍歌を歌った様子が伝えられている。これも大正天皇ならではの事跡であろう。 皇太子時代の旺盛な巡啓による諸国廻りもそうだ。特に産地の特産や殖産興業奨励のご下問で気さくな質疑を為しているのが異色である。歌人としてお世辞ではなく大いに優れていたことも挙げられるべきだろう。他にもいろいろあろうが、これぐらいにとどめることにする。 以下、「90年前、民生委員制度の源「済世顧問制度」を創設 大正を駆けた若き官選知事笠井信一物語B」(ttp://srkanemaru.at.webry.info/200707/article_13.html)その他を参照し確認する。 2007.11.1日 れんだいこ拝 -------------------------------------------------------------------------------- 【大正天皇の事跡としての民生委員制度の先取り指針考】 1916(大正5).5.18日、大正天皇37歳の時、東京で地方官会議が開かれ、全国の道府県の長官や知事が集まった。宮中で午餐会が開かれ天皇が臨席。この時、皇太子時代の行啓時に顔見知りとなっていた笠井信一氏(東北巡啓時の岩手県知事、この時岡山県知事)に気軽に声をかけ、次のような言葉を下賜した。 概要「岡山県の教育は如何に。貧民は如何に暮らせるや。汝の管内の産業の消長はどうであるや云々」。 大正天皇より御言葉を下賜された笠井知事は感激し、早速岡山県内の貧困者の実情を調査した。郡部では課税戸数、賦課等級の最下級すなわち1年平均6銭を負担する者、岡山市内では家賃月1円30銭以下の借家に居住する者を対象に調査した。その結果、20,090戸、人口103,700人で県内10%の者が極貧であることが判明した。 笠井知事は、当時の県民の1割が悲惨な生活状態にあることが知り、大正3年に着任して以来2年間知事にあった者として「一片の訓令や漠然とした勧奨で恵の露に県民全体が潤うていた」と思ったのは大いに自惚れであり、自分はボンクラ知事であったと大いに恥じ、窮民対策に向かった。 共同救護社を経営していた藤井静一氏を招致し意見を聞き、欧米の防貧制度も研究し対応策を考究した。その結果、ドイツのエルバーフェルト市でおこなわれていた「救貧委員制度」に注目するところとなった。 1916(大正5).11.20日、笠井知事は、県議会に救世顧問制度の趣旨説明と予算を諮った。目的を、「お互いに住み良き世の中を実現すること」であり、「善化網を通じ、利他利己共栄共進主義によって実生活を改善せしめる」としていた。この制度の進歩性は、1・中央の指令を受けて活動する機関ではなく、独立した一個の人格を有する機関としたこと。2・専用施設を持たない隣保事業と位置づけ、行政機関と対等の関係を見出せるという自律的主体性のある制度機関としたことにあった。予算案では1000円に過ぎなかったが、制度の内容、仕事を廻って意見、質疑が繰り返された。 1917(大正6).5.12日、笠井知事は、「救世顧問設置規定」を公布し済世顧問制度を創設した。これが日本初の制度導入となり、岡山県がその栄誉に与った。第1条(目的)「県下市町村の防貧事業を遂行し個人並びに社会を向上せしむること」、第2条(任務)「精神上の感化、物質上の斡旋等により現在及び将来における貧困の原因を消滅せしむる」、第3条(顧問の任免)「市にありては15名、町村にありては1名とする。郡市長が詮考の上、推薦し知事が嘱託する」、第5条(顧問の資格)「資格は人格正しきもの、身体健全なるもの、常識にとめる者、慈善同情心に富める者、忠実勤勉その職務につくすべき者」等々と規定していた。これにより初代顧問79名が選出された。そのうち医師が10名13%を占めていた。 この制度がつくられた翌年、林市蔵大阪府知事が貧しい人々の生活状況の調査や救済に当たる方面委員制度を発足させた。昭和11年、この方面委員制度が全国的制度に発展し、戦後は民生委員・児童委員制度として存続し今日に受け継がれている。大正天皇が時代に残した優れた事跡となっている。 れんだいこがなぜ大正天皇に注目するのか。学んで一層馬鹿になる仕掛けから抜け出したい為である。どうやら大正天皇論はエアポケットに入っており、戦前教育も戦後教育も語らない。語らないから知らない。しかし、知らないということはひょっとして知らされていないということではなかろうか。秘すれば覗きたくなる。れんだいこは、ここに何やら重要な秘密があると知り始めた。学んで為になる学問が有りそうで、堂々正門から入りたい。 2007.11.2日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評338 | れんだいこ | 2007/11/04 20:36 | ||
【小沢民主党党首の突如辞任事件考】 れんだいこは、このところの政局が論評するに値しないので、もっと原理的なところを研究しているところであるが、小沢の突如の党首投げ出し事件が発生したからには、やはり一言しておかなくてはならない。テレビ実況を見ていないので生の声を聞いていないが、この時期の小沢の退陣はやはり異様としか言いようがない。先の安倍の所信表明演説後の突如の辞任といい、異例な事が異例でなく多発し過ぎている。この裏に何が有るのか、それを見極めねばならない。 気になる動きがある。先の福田−小沢会談の仕掛け人として、中曽根−ナベツネの極悪コンビが徘徊している。ロッキード事件に於ける田中角栄パッシングに注目し続けているれんだいこには、名うてのネオ・シオニストであるこの二人が動くと何事かが起こることを察知している。してみれば、小沢の党首辞任の裏には、強度の脅迫があったのかも知れない。仮に、福田−小沢会談の中身が筒抜けており、会談内容を廻って脅されたのかも知れない。あるいは、個人資産を廻る決定的アキレス腱が突かれ、取引されたのかも知れない。あまり憶測で書くのは気が引けるが、辞任の裏には重大な何かが介在している事は間違いなかろう。ありえないことが起こったのだから。 結論として、やはり我々は、60年安保闘争以来の悲願である既成左翼社共に代わる真の人民主義的左派党派の創出と満展開を目指すべきではなかろうか。問題をここに立てないと、全てが饒舌に流される。小沢退陣事件の後に起こる政界波乱は、ネオシオニズムの更なる政界ハイジャック化しか考えられない。これに抗すべき主体がないと我々はまた退屈倦怠な日々に引きこもりすることになろう。 具体的に何をどうすべきか。れんだいこは6.15共同集会の動きしか知らないので、これに期待する以外にない。主張の隔たりは引き続き議論するとして、当面の一致点で人民大衆的意思を突きつけ、強まるネオシオニズム請負政策の阻止に向けて尽力せねばならない。 この運動を通じて、必要な規制は見極め強め、圧倒的に必要でない諸規制からの緩和を勝ち取らねばなるまい。我々の生活圏に開放的気分を横溢させねばならない。中小零細地場の産業を振興し、地方が地方なりに生活できる基盤をつくらねばならない。我々は、とどまるところを知らない増税による重税から解放されねばならない。贅沢ではないほんのささいな息抜きの場をもっと創らねばならない。 こうした流れを生み出す左派新党を立ち上げ、現代政治の左バネにせねばならない。ある時は民主を応援し、ある時は社民を応援し、日共には宮顕総括を迫り、これを我々が納得いくように自己批判したらある時には支援し、この間自前の候補を極力多く政界に送り込まねばならない。 この当たり前のことができぬまま、60年安保以来47年をやり過ごしている。実に愚かなことである。当時の闘士は70才前後となり、我々は60歳前後になりつつある。今日日の若手の頭脳たるや、不良少年少女さえ反体制的かと思いきや恐ろしく体制奴隷でしかないという恐ろしい時代に入っている。この現実を如何せんか。 小沢辞任事件は、政界を面白くする動きが高まりつつある頂点で冷や水を浴びせた格好だ。その結果民主党内がどうなるのか不明であるが、右バネかぞろぞろと動き出す予感がする。我々に残された手立ては、これに抗する左バネを戦線強化する以外にない。合従連衡大いに結構、問題は竿をどちらに向けてさすべきかだろう。ここが肝心だ。 以上、この局面で、れんだいこが一言申し上げておく。いざ出でよたすけあい党ふふふ。私は30万の党員が欲しいんだ。 2007.11.4日 れんだいこ拝 |
こげぱん | 2007/11/05 23:25 | ||
れんだいこさん、ごぶさたしております。その後いかがお過ごしでしょうか。 > この時期の小沢の退陣はやはり異様としか言いようがない。先の安倍の所信表明演説後の突如の辞任といい、異例な事が異例でなく多発し過ぎている。この裏に何が有るのか、それを見極めねばならない。 > あまり憶測で書くのは気が引けるが、辞任の裏には重大な何かが介在している事は間違いなかろう。ありえないことが起こったのだから。 小沢辞任で、小渕が「冷めたピザ」といわれていた頃の菅直人辞任劇を思わず思い出しました。裏など取れませんが当時聞いた噂では、菅は人気絶頂期に出席したダボス会議にて、日銀の国債直接引き受けを要求されて断ったため、ほどなく愛人で失脚したということでしたが、政権交代を目前にしての、国際金融資本筋の要求を断った直後の交代劇という共通点に何か引っかかるものを感じます。 いずれにせよ、こちらが「愛人囲った奴が悪い」「従軍慰安婦認めない奴が悪い」「大連立仕組む奴が悪い」的な表面的反応に終始している間は、いつまでも手を変え品を変え騙され続けるような気がします。 > > 今日の若手の頭脳たるや、不良少年少女さえ反体制的かと思いきや恐ろしく体制奴隷でしかないという恐ろしい時代に入っている。この現実を如何せんか。 今日の「若手」が体制奴隷的なのはご指摘の通りですが、その原因の一つとしてセンター試験・内申書のような科挙的受験狂育による知的去勢が徹底的に行われてきたことが疑われます。「学べば学ぶほどバカになる」「肝心なことは教えない」大学・院の文系教育も悲惨ではありますが、それ以前に知的去勢されてしまっていては話になりません。余談ですが、センター試験・内申書即時廃止を主張する政党が出現すれば、共産だろうが維新政党新風だろうが、一票を投じても良いと思うようになりました。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評338【小沢民主党党首の突如辞任事件考】 | れんだいこ | 2007/11/06 11:07 | ||
こげぱんさんちわぁ。 > れんだいこさん、ごぶさたしております。その後いかがお過ごしでしょうか。 何とか生き延びております。体の状態はほぼ元通りに戻りつつあります。問題は、世間と同じく処世のやり繰りです。何とか頑張ろうと思います。 > 小沢辞任で、小渕が「冷めたピザ」といわれていた頃の菅直人辞任劇を思わず思い出しました。裏など取れませんが当時聞いた噂では、菅は人気絶頂期に出席したダボス会議にて、日銀の国債直接引き受けを要求されて断ったため、ほどなく愛人で失脚したということでしたが、政権交代を目前にしての、国際金融資本筋の要求を断った直後の交代劇という共通点に何か引っかかるものを感じます。 管の愛人騒動の裏にダボス会議の動きがあったとは貴重な指摘です。れんだいこはもう一つ、橋本首相の退陣の裏にダボス会議の動きがあったのを思い出しました。次のように記述しております。 1998.2月、スイスの・ダボスで、世界の政治家や経済人が年に1度集まって、その後1年間の計画を決定する「世界経済フォーラム」が開かれた。これを通称ダボス会議と云う。会議の議題は、「アジアの経済危機に対する議論」に集中し、日本の対応が批判された。「橋本政権は間違った政策をとり続けている。橋本首相に任せておけない」として辞任の筋書きが決められた、と伝えられている。「彼らは一国の首相すら簡単に変えてしまう力を持っている」。「グローバリストのなかでも支配的立場にあるロスチャイルド家も、『日本の政権はすでに傀儡操り人形にした』と判断している」。 「阿修羅版 すべては仕組まれていた!!、BIS(国際決済銀行)はなぜ東京で総会を開いたのか」は次のように記している。 7.13日、自民党の大惨敗から一夜明けた日、BIS=国際決済銀行の月例総会と日米経済人会議が東京で開かれた。BISの月例会が開かれるのは、基本的に、ダボスと同じスイスにあるバーゼルという都市。例外は、毎年9月、アメリカのFRB=連邦準備銀行で開かれるときだけだ。それが、60年以上に及ぶBISの歴史上初めて、スイスとアメリカ以外の場所で開催された。それが、参議院選挙翌日の東京だった。 BISの会議は、完全に秘密で行なわれる。BIS職員も、マスコミ関係者も一切出席できない。参加できるのは、BIS重役と招かれた客のみ。しかもその内容は一切発表されない。BISの13人の重役の中には、先進国とスイス、アメリカの中央銀行総裁がいる。日本は1994年から加わっている。ダボス会議に出席した、アラン・グリーンスパンFRB議長も重役の一人だ。 取締役会議長BIS総裁:アルフォンス・ヴェルプライツェ(ブリュッセル)、副議長:キングスダウン卿(イギリス)、重役:アラン・グリーンスパン(ワシントン)、ウィリアム・J・マクドノー(ニューヨーク)、ハンス・メイヤー(スイス)、ハンス・ティートメイヤー(ドイツ)、ヘルムート・シュレージンガー(ドイツ)、ヴィンセンツォ・デサリオ(イタリア)、アントニオ・ファツィオ(イタリア)、エルヴェ・アヌーン(フランス)、ジャン=クロード・トリシェ(フランス)、エドワード・A・J・ジョージ(イギリス)、フィリップ・ウィルメ(ベルギー)、ノート・H・E・M・ウェルリンク(オランダ)、ウルバン・ベックストレム(スウェーデン)、ゴードン・G・テッセン(カナダ)、速水優(日銀総裁) 今回の秘密会議には、世界経済に君臨する巨大財閥、ロスチャイルド財閥の重要人物が参加していた! ある証券アナリストは次のように述べている。 「赤い盾マークのロスチャイルド家の指輪をしているフランス人で、同グループのアジアにおける総代理人的な立場の人物が極秘に来日したんです」(週刊現代8月1日号) ロスチャイルド財閥は、グローバリストの中心であるといってもいい。むしろ、BISそのものがロスチャイルドの手足として働いているという実態もある。このロスチャイルド財閥のアジア担当者が、直接、日本にまでやってきた。彼らは本気なのだ。本気で日本経済を叩きつぶそうとしている。そのさまたげとなってきた橋本首相を叩きつぶすために、彼らは重要な秘密会議をわざわざ東京で開いたのである。もし橋本首相が辞任しなければ、彼らは圧力をかけて、むりやりにでも辞めさせるつもりだった。橋本首相はグローバリストにとって、そこまで邪魔者だったのだ。 (転載以上) こうして、7.13日、橋本首相が、参院選敗北の責任で退陣表明した。この経緯を思い出しました。 > 今日の「若手」が体制奴隷的なのはご指摘の通りですが、その原因の一つとしてセンター試験・内申書のような科挙的受験狂育による知的去勢が徹底的に行われてきたことが疑われます。「学べば学ぶほどバカになる」「肝心なことは教えない」大学・院の文系教育も悲惨ではありますが、それ以前に知的去勢されてしまっていては話になりません。余談ですが、センター試験・内申書即時廃止を主張する政党が出現すれば、共産だろうが維新政党新風だろうが、一票を投じても良いと思うようになりました。 センター試験についてはよくは分かりませんが、内申書重視はいけないと思います。生徒側が教師権力に媚びへつらうようになるのではないかと思います。れんだいこの経験によると、一発勝負の入試には悲喜こもごものそれなりの良さがあったと思います。もう昔の事になりましたが、たいていの場合には「正面から試験を受け通る」のが良いのではないでせうか。特殊技能は別枠で認められれば良いでせう。あの時代から比べて随分内申書が重視されていることになりますが、貧乏人の一発勝負側には良くない流れでせうね。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評339 | れんだいこ | 2007/11/07 12:37 | ||
【中曽根−ナベツネ老人の政治的徘徊考】 「小沢民主党党首突如辞任申し出騒動事件」の舞台裏が次第に明らかになりつつある。それによると、中曽根−ナベツネ老人の政治的根回しにより「福田−小沢会談」が設営され、そもそも有り得ない大連合シナリオが崩れるや、メディアを使って一方的に小沢を叩き、あわよくば失脚させるという権謀術数が弄されていたことが判明する。 小沢は、どういう経緯か不明であるが釣り針のついた餌を食らい、寸前のところで危機管理能力を働かせ、党内の合意を取り付けるという口実で餌から離れ、党役員会に身柄を預けるという芸当を演じ結果的に窮地を脱した。恐るべきは、メディアという言論大砲を使った中曽根−ナベツネ派の政治的狡知である。これを確認する事が、こたびの事件の教訓となるべきだろう。 その小沢は本日、党内の禊を済ました後記者会見を開くという。恐らく十字砲火を受ける事になるだろう。わざと意地悪い質問でいたぶられるだろう。小沢がどう対応するか見ものである。万一の身辺警護もしておかねばならない。何しろネオ・シオニストの手口たるや何をするか分からない。 れんだいこは、現代メディアの本質について、「シオン長老の議定書」の該当箇所で確認している(「言論機関、マスコミに関する記述一覧」、ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/neozionismco/zionnogiteisyoco/theemabetuco/theemabetuco10.htm)。「愛宕北山氏のユダヤ問題考」は「第1章7節、世界の新聞統制(国際ユダヤ祕密力の世界新聞統制)」 で言及している(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/neoshionizumuco/1_shibuntosei.htm)。 興味深いことは、議定書の記述通りに、小沢パッシングに於いて、中曽根−ナベツネ派と評論家のその多くが呼吸を合わせていることである。ずぶずぶの御用評論家は無論のこと日共系のそれも小沢叩きに於いてはハーモニーしている。かの時の角栄叩き、細川政権誕生の時もそうだった。この現象をどう解くべきか。今やさほど難しい事ではない。選挙の際の自民に対する表からの公明支持、裏からの共産援護の構図とまるで同じではないか。いろいろ理屈はつけているが。 要するに、賢明なる我々は事態を見抜き、小沢問題に戻れば民主党は仕掛けられた権謀術数派に惑わされず足蹴りにし、小沢体制の下でますます結束し疾駆していくべきだろう。逆の動きは中曽根−ナベツネ派の思惑に通じている。政治は最高度の頭脳戦でもある。ゆめ負けまじ。 2007.11.7日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評340 | れんだいこ | 2007/11/07 22:13 | ||
【五十嵐仁の小沢=自民党秘密工作員説考】 「五十嵐仁の転成仁語」(ttp://blog.so-net.ne.jp/igajin/)の「11月5日(月) 民意を無視した「政局ゲーム」に熱中していて良いのか」の内容が、れんだいこの観点と余りにも対比的なのでコメントしておく。五十嵐なるものが私見を披瀝すること自体はれんだいこ同様良い事であろうが、公開すれば当然議論が生まれる。支持される場合も有れば批判される事もある。それは覚悟せねばなるまい。 五十嵐氏は、こたびの小沢騒動に対し、小沢の「壊し屋」的性格を論い、小沢の政治履歴を専ら批判的に検証し、その結果次のように述べている。「小沢さんは、実は、14年前に自民党によって野党陣営に送り込まれた「秘密工作員」だったのではないでしょうか」。 れんだいこは、この推測にこちんと来たので、ここで採り上げることにした。まさか、小沢をそこまで評しておいて、自分が評されるのは嫌だとは云うまい。五十嵐氏は続いて、「小沢さんの辞任は当然でしょう」と述べている。民主党役員会が慰留し、小沢が「時間が欲しい」と答えたのに対し、「何を今更。とっとと辞める方が民主党のためだろうにと、私は思います」とも述べている。 民主党役員会の対応にも不満なようで述のように述べている。「民主党も民主党です。辞任会見で民主党の現状について「様々な面で力量が不足しており、政権担当能力に対する疑問が提起され続け、次期総選挙での勝利は厳しい情勢だ」などと言われたのに、辞任撤回に向けて慰留するなんて、どうにかしています」。 この後、福田批判に向かい帳尻を合わせたつもりになっている。しかし、れんだいこは見逃さない。この局面での小沢辞任当然論は、それが左からのものであれ、小沢辞任を仕掛けた中曽根ーナベツネ派の思惑と通底している。本来の左派であれば、れんだいこがチェックしたところたいていの者がさすがに、中曽根ーナベツネ派の仕掛け批判に向かっており、小沢の再登板をエールしている。これが普通の感性だろう。 五十嵐なる者はそこが違う。民主党にエールを送っているかのポーズをしているが、発言内容は無責任極まりない。小沢の政治履歴批判のスタンスは日共のそれとほぼ同じでぬるぬる気色悪い。推測するに、「五十嵐さんは、実は、14年前に共産党によって民主党陣営に送り込まれた「秘密工作員」だったのではないでしょうか」と云いたくなる。 五十嵐なる者が筋金入りのアンチ角栄であることが判明している。あらゆる事象と指標が、角栄政治の再評価を促しており、ロッキード事件の胡散臭さを公然化させつつあるこのご時世で何と、徳本栄一郎の「ロッキード事件無罪論を一蹴する機密資料! 『角栄の犯罪』25年目の新事実」の論旨を追従しエールしている。れんだいこは、「徳本栄一郎ー五十嵐仁−立花隆の御用漫談考」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/rokiido_goyomandanco.htm)で確認している。 五十嵐の角栄批判がどこから生まれているのかは分からない。云える事は、角栄がキッシンジャー派によって葬られたという史実が有り、角栄の日本列島改造論の指針が今になって的確無比な提言であった事が判明しつつあるこの時点で、角栄批判のスタンスを維持し続けるのは相当変態イデオロギッシュな御仁だろうということである。 推測するに、「五十嵐さんは、実は、かなり昔からネオ・シオニズムによって洗脳され、左派陣営に送り込まれた「秘密工作員」だったのではないでしょうか」と云うことになる。こう云われるのは嫌だろうが、「小沢さんは、実は、14年前に自民党によって野党陣営に送り込まれた「秘密工作員」だったのではないでしょうか」と自分だけ言いたい放題は世間が許すまい。 五十嵐氏よご存知かどうか、スパイ問題に興味があるなら宮顕スパイ説の方が衝撃的であるぞよ。何なら、この問題に関する見解を聞かせてくれないか。れんだいこは、もう昔からサイトアップしている。グーグル検索で出てくるから検証してみたらどうだ。言い返してくれるのは大いに結構で、どういう見解が出てくるのか楽しみではある。 2007.11.7日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評341 | れんだいこ | 2007/11/08 12:13 | ||
小沢騒動が台風一過して、中曽根−ナベツネ派の悪巧みが透けて見えてきた。小沢と民主党は危うく致命傷を負うところだった。れんだいこは、70年代から始まり80年代に権力を掌握し、その後も隠然とした勢力を持ち今日までネオ・シオニズム・エージェントとして立ち振る舞う中曽根−ナベツネ派の悪事を人民大衆的に確認する機会だと思う。この極悪トリオの政治履歴を再検証せよ。 それにしても指導者は大事だと思う。日本は、角栄−大平が絶頂期の頃と中曽根−ナベツネ派が後釜に座って以来と考え方から行い方まで全く様変わりしてしまった。70年代までの角栄−大平政治の再興と出藍こそ我々の政治的運動の眼目とすべきではなかろうか。 サヨが当てにならないのは、この間一貫して反政府言辞を弄び、結果的にむしろ中曽根−ナベツネ派の台頭に手を貸した面があることである。ロッキード贈収賄ではっきりしているのは児玉−中曽根−ナベツネラインへの20数億円であるにも拘らずこれが不問にされ、冤罪の角栄への5億円授受のみが喧騒されていった。現代マスコミの要職者は、この時このシナリオに乗った者たちばかりである。角栄−大平派に与した者たちは窓際へ追いやられ登用から外されていった。これが今日のマスコミの腐敗と痴態の温床である。 この貧困を如何せんか、ここが問われねばならない。このことに気づかねば解けない。 2007.11.8日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評342 | れんだいこ | 2007/11/09 13:32 | ||
【小沢騒動の教訓を見据えてかく訴える−たすけあい党党首声明】 小沢騒動はひとまず決着したが、残ったしこりの始末をせねばなるまい。しこりとは、この騒動の仕掛け人ナベツネが読売新聞ないしその系列電波を使って意図的故意の扇動ないしは虚報を流し続けたという犯罪について、容認できるのかという問題である。これが今澱となって淀んでいる。 れんだいこは、マスコミが自己主張することには反対ではない。公正中立的報道と云うのは、事件のたびに何が公正中立かと云う核心を明らかにしなければできず、それが難しい訳だから、いっそのこと各社が自由に見解を発表すれば良かろう。公正中立的報道はNHKに任せればよく、民間マスコミ各社はもっと独自見解を打ち出し競合すれば面白かろう。 だから、読売新聞が国売新聞的に憲法改正を紙面に発表しようが、テロ特措法支持をプロパガンダし続けようが、ブッシュの臣下としてよろずイエスマン記事を書き続けようが、許されると思う。いっそのこと政党並みに堂々と世論誘導すれば良かろう。 問題は、言論大砲的効果を狙って大本営発表、虚報、捏造報道することまで許されるのかということにある。これは、新聞社の政治見解発表自由是非論とは別の問題であろう。ナベツネ的政治主義は相当のお咎めを受けるべきれっきとした犯罪なのではなかろうか。従来この識別が為されず曖昧にしてきていることが、こたびのナベツネ的立ち回りを生んでいるのではなかろうか。 政治は三権分立で規制され、政治家は資金出納でチェックされている。一人マスコミだけが無規制で何でも有りの自由ということが許されて良い訳ではなかろう。マスコミの第四権力化だけでも問題なのに今や第一権力化していてることになりやしないか。それは大いなる社会的不公正だろう。元来は、マスコミ自体が、政界、官界、財界、学界の自律的在り様水準に合わせて自らも弁えるところ、こたびのようなナベツネ的立ち回りを許すような寒い状況にある。その癖著作権には関心が強く、ナベツネの指揮する読売新聞は記事という記事に「無断転載禁止」を張り巡らしている。れんだいこには不快極まり現象であり故に購読しない。 マスコミは、小沢騒動一過で残ったこのやり過ぎ問題質しに取り組むべきではなかろうか。こたびのナベツネの立ち回り、読売新聞の一方的小沢パッシングは不祥事である。コメンテーターとしてしきりにテレビに登場してナベツネ提灯し続ける毎日新聞出身の三宅久之の言動も然り、不見識極まる。か奴は何者なのか。恐らく森田実の代わりに登場しているのであろうが、劣性資質丸出しの御仁である。我々の大衆的言論機関銃で成敗せねばなるまい。 もとへ。政界は小沢騒動で政治への信頼を毀損した。小沢だけが傷ついたのではなく福田も一国の首相がピエロでしかないブザマさを晒した。恍惚老人ぶりが印象づけられ、本人が気づいていないだけで福田の打撃も大きい。その意味で、中曽根−ナベツネ−森の政治工作過程を国会質疑でまな板に載せ検証せねばならない。場合によっては国政秩序及び国会権能侮辱罪、名誉毀損罪で(そういうものがあるとしてだが)牢屋に放り込まねばならない。 しかしまぁ近いところで松岡農相変死事件不問の前例もある。一国の大臣が国会会期中の議員宿舎で、午後から質疑あるという寸前の白昼にパジャマ姿で首吊り模様変死したというのに、そこへか搬送された病院先でかかの悪名高い飯島・小泉元首相秘書官が駆けつけ采配しているというのに事件の真相は闇に葬られ、与野党とも合意で自殺処理して今日まで経過している。れんだいこは、大臣の値打ちがこれほど侮辱された例を知らない。 本来こういう事件を徹底解明するのが政治だろうに、一円まで出納明細是非論にうつつを抜かし口角泡を飛ばしている。そういうことこそ審議会に任せ、政治家は松岡農相変死事件、安倍首相のシドニーでのブッシュ会談直後からのあらぬこと口走り事件、突如辞任事件、こたびのナベツネ出しゃばり事件等の背景を検証すべきではなかろうか。この肝心なところがいつもすり抜けられている。 これができぬという事は、出来ぬように規制されているということである。れんだいこは、世界的ネオ・シオニズム帝国主義即ち国際金融資本その奥の院としてのロスチャイルド王朝即ちシオン長老の議定書派即ち現代パリサイ派即ち世界裏政府が司令塔であり資金源でありつまりは犯人だろうと推定している。この勢力と対決し駆逐するのが本来の政界浄化であり、一円まで出納明細で先鞭争いするのは枝葉末節であろう。軍事費用突出化、公共事業失速化、郵貯資金ハゲタカファンド運用化、年金資金の使途不明等々その他書けばきりがないので割愛するが、彼らの意のままに牛耳られているのではないのか。ここに長引く不況の原因があるのではないのか。この問題の根本的切開に向かわない旧社共式対応はピンボケしている。 結論として、我々は今現に進行中の、「憲法改正による自衛隊の武装派兵、前線投入戦闘化」を主眼として、増税による格差社会の到来、高額給金で兵士を募りアジアとイスラムを闘わせようとする社会へ誘う動き総体を糾弾し闘わねばならぬ。現下の自公+民主+社共の馴れ合い翼賛型議員貴族体制はこの動きに対して全く非力であり、我々が政治の新潮流を創りださねばならない所以がここにある。皆さんそう思わないか。 2007.11.9日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評343 | れんだいこ | 2007/11/10 16:03 | ||
【原発施設の解体費考】 2007.11.10日付け産経新聞が、論説委員・長辻象平氏の「原子力は現代のナマズか」を載せている他方で、恐らく偶然だろうがロンドン詰め木村正人記者の「世界初の商業原発 解体進まず」記事を添えている。れんだいこにはこっちの方が為になる。これを確認しておく。 9月末から始まった英国イングランド北西部セラフィールドにあるコールダーホール原発(6万キロワット)の解体作業が、当初予算より大幅に費用が嵩み中断している。同原発は、1956年に世界初の商業炉として稼動した黒鉛減速炭酸ガス冷却炉で、天然ウランをそのまま燃料にしている。日本発の東海村の原子炉もこの型である。北朝鮮寧辺の実験炉(5千キロワット)も同原発をモデルにしている。 コールダーホール原発は老朽化のため2003.3月に操業を停止。約2年の準備を経て今年9月末より解体作業が始まった。冷却炉4基か爆破され、現在は熱交換器を取り外す作業にかかっている。ところが、英国内の他の原発も含めた解体費用が、向こう3年間で当初計画を5億7100万ポンド(1594億円)上回り、85億ポンド(2兆200億円)に達する見通しとなり、予算不足の為に作業中断を余儀なくされている。 記事はもう少し続くが、有益情報は以上のくだりである。これを知れば、我が国の原子力行政はこの辺りどのように考えているのか知りたくなる。長辻論説委員は、「原子力は現代のナマズか」で杞憂論を説いているので、ぜひご回答いただきたい。「地球温暖化問題への対応や石油価格の高騰という現実を直視すれば、原子力の活用は避けて通れない選択であろう」と述べているが、本当に避けて通れないのかどうかご教示いただきたい。 「英国内の他の原発も含めた解体費用」とあるが、英国の原発行政はどうなっているのか、この辺りも知りたいところである。西欧で脱原発の動きが進んでいるとの知らせもあるが、その背景事情を知りたい。こういうところこそ有益情報であるが案外流布されていない。 ところで、我が日本はますます原発にのめり込みつつある。各電力会社が競って全国過疎山地を物色しており、その安全性神話論法によれば各都道府県市町村丁目ごとに発電所を設けたいのではないかと思う。更に現在では輸出まで手掛けつつある。遠いような近い先の日、天文学的な国家賠償訴訟に晒されねば良いがと思うのは、れんだいこの杞憂だろうか。 長辻論説委員よ、仮に今は良くても処分まで考えると原発は却って高くつくのではないのか。いやそうではないと論証できるのなら説教してくれないか。どうか安心させてくれ。れんだいこは、国債同様心配で堪らぬ。 2007.11.10日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評344 | れんだいこ | 2007/11/11 19:55 | ||
【原発最終核廃棄物の処分考】 2007.11.11日付け日経新聞は、サイエンス欄で「高レベル放射性廃棄物の処理方法」と題して原発最終核廃棄物の処分問題を記事にしている。れんだいこが意訳しつつ問題整理しておく。 原子力発電は現在、消費電気の約3割を生んでいる。ところが、原発の最終核廃棄物の処理方法が未解決なままに原発が推進されており、今後政治化することが必死である。原発の最終核廃棄物は普通のゴミ処理ではない。強い放射能を含む危険な廃棄物である。目下は地中深くに埋める方法しか案出されていないが、その危険性が危惧されている。 日本原子力開発機構の地層処分研究開発部門が、岐阜県瑞浪市で、深さ千メートルに及ぶ大規模な地質調査を行っている。北海道幌延町でも同様の研究施設が建設中である。二ヶ所造るのは、代表的な二種類の地質に対応するためで、瑞浪は主にマグマ系花崗岩、幌延は主に泥岩を研究対象としている。縦穴、横穴を掘り、地下水分析や地震の揺れの影響をも調査することになっている。 こうした研究が必要なのは次のことにある。高レベル放射性廃棄物の地中埋め方式の安全性と危険性のデータが無いままの原発発電所推進政策は危険極まりなく、処分場の選定、設計、廃棄物を閉じ込める材料開発、放射能レベルの引下げ技術開発が急がれている。特に地下水汚染が心配されており、いったん汚染されると高レベル放射性廃棄物がウラン燃料と同じレベルに戻るまでに数千年、人間が触れても大丈夫になるには数万年以上かかるとされている。 ちなみに高レベル放射性廃棄物とは、原子力発電所の使用済み燃料から再び燃料に使えるプルトニウムやウランを取り出した後に残る放射能レベルの高い廃棄物のことを云う。同廃棄物は、数千年から数万年にわたって強い放射能を出し続けるマイナーアクチニドと呼ばれる金属を多く含む。液状なので、ガラスと混ぜて固め、ガラス固化体にして保存処分する。 現在地下埋立て方式が採用されているが、かって宇宙や海底、南極などでの処分が検討されたことがある。しかし国際条約や技術的課題を廻り合意が得られず、現在の地中深くの岩盤に埋める地層処分方式が唯一残された方法として採用されている。 さて、こういう難問を抱える原発が戦後日本では大手を振って行政に推進されてきた経緯がある。それは、原発が軍事と並ぶ大型予算を伴うものであり、政商の利権対象にされてきたからである。いずれも国際金融資本が司令塔であり、各国のエージェントに旗振りさせてきた。 日本での旗振りは、今世上を騒がせているナベツネの親分にして読売及びマスコミのドンとして長らく君臨してきた正力松太郎であり、その手下としての中曽根であった。正力は戦後、岸、児玉と共にA級戦犯として巣鴨に収容され、エージェント契約サインをしたことにより出所してきた経緯がある。 この連中は、その末裔のナベツネまで、今日においてもろくなことはしていない。我々はこのことを知っておく必要がある。ところがマスコミは、こういう奴に限って誉めそやすという牢とした習性がある。深く嘆息せざるを得ない秋の夜長。 2007.11.11日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評345 | れんだいこ | 2007/11/15 20:20 | ||
【開放解放型の著作権管理団体を立ち上げよう】 (れんだいこメッセージ) れんだいこは、既成の著作権管理団体に代わる開放開放型の「表現の自由(著作権を含む)保障協会」の立ち上げを希求することになった。以下、その趣旨事由を書き上げておく。 れんだいこがネット界に登場し、サイトと掲示板を運営するうちに妙に執拗な著作権攻撃を受け続けることになった。相応の理由があった場合もあるが、過半は嫌がらせの度を越したれんだいこ誹謗であった。れんだいこの発言を封じ込め、サイトと掲示板の閉鎖を目論むものであった。これらが、著作権を盾に行使されていることに着目する必要がある。 そういう訳で、れんだいこは防衛上、お陰さまで著作権法に精通する必要に至り、それなりの観点を生み出す事になった。これは望外の果実であった。連中の執拗な攻撃が無ければ、れんだいこが著作権論の研究に向かうことは無かったであろう。今、れんだいこは、「前門の虎、後門の狼」の例えに比するなら、現代著作権法が「前門の虎」に転じており社会悪を作用していると認識している。現代著作権法は、歴史が必要とし生み出した本来の趣旨から離れて、情報交差の制限に向かって強権歩きし始めていることに気づかされている。そして、その流れが意図的に推し進められているということを知りつつある。以下、このことを論証してみる。 著作権強権論者が如何に正義ぶろうとも、悪意のうちにこれを推し進めている勢力の代理人でありエージェントであることがはっきりしている。故に、この連中は、陰謀集団の習い性で岩陰から矢を放つのを好む。堂々と議論を挑むことができない。れんだいこを、典型的な怪文書手法でしか攻撃できない。「人生学院掲示板1」に最後に登場する栄誉に預かった「コピペ」君は、その素体を正直そのまんまに晒した。 お陰で、「コピペ」君は、その行状を通して、著作権の情報弾圧的本質を誰の眼にも分かるように伝えるという歴史的役割を担った。彼の今後の立ち居振る舞いに関心がもたれる所以である。この指摘に接した「コピペ」君がどのように変化するのか、しないのかに注目してみよう。これを仮に「コピペ君果実事件」と命名しておく。 そういう事情によって、れんだいこは、現代著作権法の強権化の動きに特別の臭いを嗅ぐことになった。それが史上のパリサイ派的動きであることに気づいた。ならば、これに抗する為にイエス派的対応をしてみたいと思う。かの昔、同じ神の義を口にしながら、パリサイ派のそれと、イエス派のそれは真っ向から対立した。著作権法も同じで、同じ言葉や文句を口にしながら、まったく対応の異なる著作権論が並立している。 本来の著作権法とは、つまりイエス派著作権論とは、和風が好みなら中山みき著作権とはと言い換えても良い、1・表現の自由、2・著作の自由、3・情報交差の自由、4・情報の市場原理尊重、5・権力統制の排除からなる。これらこそが著作権論の法理となるべきである。しかしながら、パリサイ派の唱導する現代著作権論はすべてに於いて逆で、1・表現の自由の規制、2・著作の自由の規制、3・情報交差の自由の規制、4・市場原理の規制、5・権力統制の強化を推し進めようとしている。 言葉は同じ著作権であり、その法であるが、両者が護ろうとしている内実が悉く背反していることに気づかされよう。両者は、著作者の権利を護るという名目は同じであるが、イエス派は更に著作権の人民大衆的享受に向かう。共生的社会空間の創出に向かう。近代曙光期間のルネサンスはこの流れにあった。故に支持される。他方、パリサイ派は、経済主義的な拝金蓄財教のしからしむるところ著作権を利用して全てをゼニ化しようとし、政治主義的には情報の取捨選択を行い、不都合情報を抑圧し、ご都合情報をプロパガンダする。そういう著作権論を吹聴し、そういう著作権管理協会を跋扈させつつある。 現代社会はパリサイ派に牛耳られている為、イエス派的人民大衆的享受に向かう著作権派は公職追放され、逮捕され、巨額の制裁金を課せられている。この傾向は今後ますます激しくなりそうである。さて、一体、どちらの著作権論が正しいのか、議論すべきではなかろうか。れんだいこには自明である。 そこで、パリサイ派の現代著作権論に対抗するために、「表現の自由(著作権を含む)保障協会」を立ち上げ、現行の著作権管理団体による著作権強権化の監視に向かい、権利濫用を掣肘したいと思う。音楽著作権で云えば、ジャスラック一社が単独管轄しているのはオカシイのではないのか。独占禁止法に違反するのではないのかと問い、もう一つの音楽著作権管理団体を生み出したい。ここでジャスラックを採り上げるのは目に余るからである。 誰か趣意賛同の方よ、れんだいこ提言の趣旨に基づく社団ないしは協会の届出をしてくれないか。その際れんだいこを理事に入れてくれ。れんだいこはそろそろ現業からの転身を願っているから半マジである。この新協会は成長性が著しいぞよ。誰か智恵を貸してくれ。最近世の中がどんどん気難しくされており、互いが互いをそうし合っている気がしてならない。行き難い時代になったもんだ。何とかせんとなぁ。思いつくまま。 2007.3.3日、2007.11.15日再編集 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評346 | れんだいこ | 2007/11/24 18:02 | ||
【再度訴える。護憲左派新党出でよ。何とかせねば】 このところの政局がまことに面白くない。カンテラ時評も間が空いた。思うに、1・護憲で、2・第一党になり、3・連合政権で政府を形成し、4・与党として責任政治を遂行する政党が居ない事によってではなかろうか。この間の民主党のブレと金権政治批判、政治家訴追の仕方を見て、期待する政党ではないということを再確認させられている。 社共の万年野党式批判政党ぶりに食傷しているので、仕方ないから政権取り構想を打ち上げ押せ押せムードに有る民主党、国民新党を支持するが、スカッとしない。政界が今後どのように分裂したり統合したりするのか分からないが、議員貴族の支配権の争奪戦でしかないような気がするのはれんだいこだけだろうか。 今年の年末は、我々の生活レベルで経営レベルで例年に増して異状に厳しい。悲鳴に近いところまできている。というのに、政治が余りにも鈍感な気がする。政治家も官僚も、有効な景気刺激策を講ぜぬまま、否景気に冷や水を浴びせる政策ばかりに興じているところを見ると、為すべきことが分からない連中が政治と行政を仕切っているのではないかという気がする。それだけレベルが落ちたという事であろう。当然、政治を批判する側のメディアのそれも落ちているのでお似合いなのだろう。 自戒も込めてであるが、為すべき筝を為さずして徒に月日が経過している気がする。日米同盟の重要性を唱え、国内景気への関心よりも対米奉公ぶりを競い、テロ特措法どころか目白押しの御用聞き政治をしているサマを見ると馬鹿馬鹿しさを通り越す。 国会議員の9割を覆う自民−公明−民主の政論を聞いていると逆に、彼ら流の小手先の改革ではどうにもならないことが判明する。政治のベースが国際金融資本に牛耳られてしまっており、防衛を優先させる割には日本沈没政策へ向かっている事が判る。根本的に発想を変え、新しい政治の枠組みを創り、内治優先政治と国際協調の新パラダイムを生み出さないと、我々の活力はもとより日本及び大和民族派が萎んでしまう気がする。 そういう訳で、今こそ新党が望まれていることはない。1・戦後憲法をプレ社会主義的祖法と位置づけ尊び(ここが分かっていない自称左派が多過ぎる)、2・遮二無二政権取りに向かう政党よ、出でよ。3・当然党内はルネサンス的気風で異論異端が許容され、4・執行部取りに各派が向かい、新党中央が誕生すれば認め団結する。5・新党中央は反目派を追放せず、発展のエネルギーとして許容する云々の政党が出ないものだろうか。 いわゆる自称左派は、全共闘的発想で共同戦線に向かわねばならないのではなかろうか。れんだいこは、そういう運動の創出を乞い願っている。そうこうするうちにいつのまにか60歳近くの年齢になってしまった。くたばるにはまだ早いだろうし、躍り出るには遅い。だから、誰かがこの指止まれで笛を吹いてくれないか。後は各自が創意工夫で関われば良いと思う。うまくいけば大きなうねりになるはずだ。 我々にはネットしか武器が無い。この武器で一挙に国会へ進撃したい。50名を越す大量議員を送り込み、あれよあれよと云うまに政権にリーチしてみたい。土着式の市場経済型の社会主義政策を打ち出し政策実現させてみたい。そういう夢があれば頑張って働ける。夢がなければ詰まらなさ過ぎる。何とかせねばと思う。 2007.11.24日 れんだいこ拝 |
ちわ〜、初めまして | うみおくれクラブ・ゆみ | 2007/11/25 21:17 | ||
時々ロム読みさせていただいています。拙ブログ「うみおくれクラブ」では、ミヤケンのリンチ殺人事件の紹介にあたって、貴HPのミヤケン記事を引用させていただきました。(当方が何者かはお手数ながら拙ブログをご覧になればご理解いただけます)事後連絡が大変遅くなり心苦しい限りです。ここでキチンと貴文献を利用させていただいたことのお礼申し上げます。 れんだいこ様の最近投稿を拝見いたしますと、貴方らしくなく悲観的・夢想的になっておられますので、ちょっと一言声をお掛けしたくなりました。そのお気持はわからなくもないのですが。民主党という船、ブレておりますが、船長小沢の大ブレをよくぞ他の船員、つまり役員が上手く舵を切り、なんとか持ちこたえたと私は褒め称えます。小沢は鳩山・菅そして岡田はじめとする民主議員らに監視され好き勝手できなくなり、牙をぬかれた猛獣のようです。社共批判をなさっている貴方が新党の出現を夢見ているのは、非現実的ではないでしょうか。貴方が夢描く新党が共産党みたいだと感じるのは私の理解が足りないのでしょうか。私は貴方と違い、少々明るい展望を抱いています。(私の拙いブログを読めばわかります) 私の夫は56歳、貴方とあまり差がない年頃ですが、初めての子どもがまだ5歳になったばかりで、老けていられません。私もまだまだ若々しくありたい。息子のために、社会に希望を持ちたい。れんだいこ様も、人生これから、60代からが人生の華ですわよ。TVドラマ「点と線」が始まった時間です。名脇役たちにはさまれて主役演じるビートたけしの大根役者ぶりを見るのはとても目障りなんですが、この小説のトリックを忘れてしまったので、謎解きに興味があり最後まで見るつもりです。それではまた。 |
Re:ちわ〜、初めまして。はい通信有難う。 | れんだいこ | 2007/11/26 12:19 | ||
うみおくれクラブ・ゆみさんちわぁ。お便り有難う。こうして知り合えるのもネット冥利です。 > 時々ロム読みさせていただいています。拙ブログ「うみおくれクラブ」では、ミヤケンのリンチ殺人事件の紹介にあたって、貴HPのミヤケン記事を引用させていただきました。(当方が何者かはお手数ながら拙ブログをご覧になればご理解いただけます)事後連絡が大変遅くなり心苦しい限りです。ここでキチンと貴文献を利用させていただいたことのお礼申し上げます。 れんだいこ文の引用転載は、こちらの方が願っております。該当文に行き当たりませんでしたが、どんどんお願いいたします。 > れんだいこ様の最近投稿を拝見いたしますと、貴方らしくなく悲観的・夢想的になっておられますので、ちょっと一言声をお掛けしたくなりました。そのお気持はわからなくもないのですが。 れんだいこは多少焦れております。その辺りを窺ううみおくれクラブ・ゆみさんは凄いですね。 > 民主党という船、ブレておりますが、船長小沢の大ブレをよくぞ他の船員、つまり役員が上手く舵を切り、なんとか持ちこたえたと私は褒め称えます。小沢は鳩山・菅そして岡田はじめとする民主議員らに監視され好き勝手できなくなり、牙をぬかれた猛獣のようです。 この間の民主党のドタバタ劇の収束は見事だったですね。ここは同感です。小沢に対しては引き続き高く評価しております。ただ物足りなくなっております。もう少し左派的に舵きりさせたいのですが、支援グループが居ないと限界みたいですね。党内では難しいみたいです。そういう意味で、左派新党立ち上げを云々しております。 > 社共批判をなさっている貴方が新党の出現を夢見ているのは、非現実的ではないでしょうか。貴方が夢描く新党が共産党みたいだと感じるのは私の理解が足りないのでしょうか。 「共産党みたいだと感じる」のはどこに関してか分かりませんが、自民党も党内でハト派とタカ派がイニシアチブ合戦してきたように、日共も徳球系と宮顕系が死闘してきました。自民党は売国奴系タカ派が勝利し、日共も同様の宮顕系がのし上がりました。「共産党みたいだと感じる」時、そのどちらにどう感じるという風に立論しないと噛み合わなくなります。れんだいこの左派新党は何から何まで宮顕的でないものを目指そうとしております。ここを理解してくだされば話しが通じてきます。 > 私は貴方と違い、少々明るい展望を抱いています。(私の拙いブログを読めばわかります) > 私の夫は56歳、貴方とあまり差がない年頃ですが、初めての子どもがまだ5歳になったばかりで、老けていられません。私もまだまだ若々しくありたい。息子のために、社会に希望を持ちたい。 > れんだいこ様も、人生これから、60代からが人生の華ですわよ。 励まし有難うございます。見習いたいと思います。今後ともよろしくね。 |
新政策の提言について | 松本哲 | 2007/11/26 18:50 | ||
お久しぶりです。新しい考え方、経済政策を見つけました。反ロスチャイルド同盟=AntiRothschild=Alliance ttp://www.anti-rothschild.net/link/link.html より知らされた政策です。感想お待ちしています。 松本哲です。やっと来月、年金が入ってくる予定ですが、年金だけでは住宅ローンなどでとても生活が苦しいので、福祉施設の運転手で週4日の勤務と火曜土曜日に21時から8時までのフロントの仕事をやっていますがまだ2ヶ月の経験で悪戦苦闘の毎日です。11月30日にはトヨタ過労死裁判名古屋地裁判決の支援傍聴に出かける予定です。ttp://www.yuuai.sakura.ne.jp/home3/toyota.html 以下のメール無断で私のブログに掲載しましたが、不都合でしたら取り消しますからよろしくお願いします。ttp://blogs.yahoo.co.jp/y2001317/26973231.html 天才経済学者 丹羽春喜「カネがなければ刷りなさい」 ttp://homepage2.nifty.com/niwaharuki/siyokun1998-5.htm 日本人が知らない恐るべき真実ttp://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/ オルタナティブ通信ttp://alternativereport1.seesaa.net/ 上記のサイトも最近特に参考にしています。 |
ちわ〜、早速のお返事ありがとうございます | うみおくれクラブ・ゆみ | 2007/11/27 00:40 | ||
>そういう訳で、今こそ新党が望まれていることはない。1・戦後憲法をプレ社会主義的祖法と位置づけ尊び(ここが分かっていない自称左派が多過ぎる)、2・遮二無二政権取りに向かう政党よ、出でよ。3・当然党内はルネサンス的気風で異論異端が許容され、4・執行部取りに各派が向かい、新党中央が誕生すれば認め団結する。5・新党中央は反目派を追放せず、発展のエネルギーとして許容する云々の政党が出ないものだろうか。 よく読めばまったく共産党的ではありませんね。失礼致しました。1については、私はよくわかっていない自称左派なので、共産党と同じではないかと思った次第。2については共産党は独善的に他党批判・否定を行い、いずれ我が世の春が来ると信じて疑わない集団であり、自分たちの現実を置いて、遮二無二政権奪取を一応目標にしていますので、これまた共産党的かと思った次第。3・4・5は共産党にあてはまりませんね。(笑) さてあらためて簡単に自己紹介いたします。私は25年間共産党員でした。離党して2年になります。離党の理由は党支部長と揉めたこと。反共いえ嫌共になったのは民医連代々木病院の精神科赤ヤブ医者による医療過誤、それを共産党ばりの防衛対応によって隠蔽しようとした赤職員の暴力的言動、この問題をめぐる共産党東京都委員会・●●地区委員会の黙殺態度に、怒り心頭に発したからです。てめぇ〜ら、「患者のための医療」とか、「何でも相談してください」「万人は一人のために一人は万人のために」などと言っておきながら、自分たちの非を咎められると、背を向けて無視、それでもこっちが尚も追求すると、ヤクザまがいの言葉を投げつける党員たちに、普段言っていることとやっていることがちがうじゃねぇ〜か!というわけです。(言葉、汚くてごめんなさい)お上品な女性がここまで激怒するほど、共産党は汚い奴等だということがわかったのです。こんな個人的な事情と感情を、崇高なれんだいこ掲示板に書いてはいけないですね。失礼いたしました。それではまた。 |
Re:新政策の提言について | れんだいこ | 2007/11/27 09:51 | ||
松本哲さんちわぁ。活動的でよろしいですねぇ。過度のストレスを除けば、人の為世の為に何事かしている時は病魔がしのばず、自分のことだけ考えていると病気になりますねぇ。そういう風に辻褄が合っている気がします。 反ロスチャイルド同盟=AntiRothschild=Allianceサイトは良いですね。れんだいこもおいおい学ぼうと思います。腰を落ち着けないと読めないのでもう少し先になるかな。ご紹介サイトどこかに書き付けておきます。有難うね。 |
Re:ちわ〜、早速のお返事ありがとうございます。どんどん頼むよ。 | れんだいこ | 2007/11/27 10:24 | ||
うみおくれクラブ・ゆみさんちわぁ。れんだいこの学生時代、仲間が次々入党していきました。不思議にれんだいこには声が掛かりませんでした。立ち居振る舞いと臭いが違っていたんだな恐らく。入党していたらどうなっていたんかいなぁとか思います。 思うに、共産党員の中には良い人もいるしそうでない人もいる。但し、50年にわたって宮顕−不破的説法ばかり聞かされているので、似ても似つかぬ共産党員が育成されている。賢い人はどこかで気づき、それなりに調整して関わっているように思います。あの支離滅裂論理をまともに受け入れると体に変調をきたすと思います。にれんだいこは連中の質の良い部分と話しすることがあり、そういう時には落ち着きますねぇ。そういうこともあります。取りとめの無い話しでした。と云うようなことで又。 |
ちわ〜、どんどん書きます。 | うみおくれクラブ・ゆみ | 2007/11/27 11:35 | ||
いいのかな、理論的なれんだいこさんの掲示板に、程度の低いことを書いて。大都市の共産党と地方の共産党の組織ではだいぶちがいますね。都会はすごく組織的。地方は友愛的ですよ。私は田舎で20年近く党活動し地方で何度も党支部の転籍を繰返しましたが、どこも人間的信頼感がありましたね。東京の共産党は非情で冷酷ですよ。私が党支部長と揉めたのは、私が車椅子の障害者で、「貴女がいると支部会議の場所を確保するのが難しいからどこかに転籍してほしい」と言われたからなんですよ。それまでは地元民医連診療所の部屋を借りて夜に支部会議を開いていたが、目敏い創価学会の連中にそのことを言いふらされ、診療所を使いにくくなった。次に党員個人宅で支部会議を開くようになったが、それも都合悪くなった。で支部会議を開く場所に窮してしまい、長い間支部会議が開催されなかった。その間私は妊娠出産で支部活動をまったくしていなかった。育児に余裕ができた頃、活動に復帰したいから車椅子で会議に参加できる場所を確保してくれと支部長に要請した。でも場所が確保できなかった。私は、車椅子の私が安全に参加できるのは診療所しかないから、学会に何と言われようともこっそり診療所で会議を開いて欲しい、それが無理なら何かの団体名で区民センターの部屋を借りろ、それも無理なら地区委員会の部屋を借りて開けばいいとも提案したんですよ。歩けない老人党員は他の党員の車で運べばいいじゃないかと助言もした。それでも支部長は動かない。どうしても場所がなくて支部が開けないなら地区委員会に相談すればいいんです。地区委員会に相談もしない。ずるずると党支部は開かれないまま。地区委員会もその事態を把握して援助しようとしない。地区委の党支部長会議で一体何を話しているんだと思いましたよ。活動しない党支部の状況・問題を把握して支部長を指導したり、一緒に解決策を考えないのかと。もう私という党員が障害者だからということが問題ではないんです。会議を開く場所がない、という物理的な問題なんです。私から問題を追求された支部長はつい「あんたさえいなければまだ場所の確保は楽だ」と逃げたのだと思いますよ。つまらない話書いていいのかな・・・ |
Re:ちわ〜、どんどん書きます。 | れんだいこ | 2007/11/27 12:05 | ||
うみおくれクラブ・ゆみさんちわぁ。興味深い話しですね。地元民医連診療所の部屋を借りての支部会議が創価学会の指摘で開けなくなり云々ということですが、日共の形式主義を逆さ取りされていますね。他の会場を物色中で、それまではここを使いますと居直ればよいのですが、日頃創価学会と公明党の関係をついていますから逆攻撃され返答に窮したのでしょう。 問題を理論的に解決せずに、「あんたさえいなければまだ場所の確保は楽だ」と逃げるようではお話になりませんね。これは不破式形式主義論法の陥穽ですね。彼を随一の理論家として評する向きが有りますが、非常に癖の悪い理論家だという事も踏まえないと片手落ちになります。れんだいこ的にはデタラメ御仁です。 話が飛びますが、不破論法によればいずれ、赤旗記事の引用、転載について、我が党の見解を無断で広めるのは著作権違反だとして抗議するようになりますね。全般に都合の良い記事には黙り、都合の悪い記事に牙をむくところがあります。要するに度量がないのですね。客観的に評する智恵を持たないと自縄自縛に陥りますねきっと。 > つまらない話書いていいのかな・・・ よろしいのではないですか。 |
続きです。 | うみおくれクラブ・ゆみ | 2007/11/27 12:24 | ||
支部長と揉めたのはちょうどあの稀代の悪法障害者自立支援法成立の前後だったんです。私はその頃毎日のように反対運動のために国会に出かけていた。運動の盛り上がりの様子を他の党員にも伝えたかった。その運動の最中に「お前転籍しろ」と言われて非常に頭に来た。本来なら、時の重要な社会運動に関わっている党員を支部で精神的にも、そしてカンパもして、応援しなければならないはずだ。赤旗では連日のように「支援法案」阻止について報道しているのに、支部長、あんたはこの問題を認識してないのかと、私は怒りに感じたんです。私は支部長の問題発言だと、地区委員会に訴えた。地区委員会から私の自宅に事情聴取に来た。私は支部長に自己批判文を書くように、地区委員会に求めた。党中央は筆坂に自己批判文を書かせていますからね。 筆坂問題では、私はあの程度のセクハラなら筆坂を議員辞職させることはなかった、筆坂自身に記者会見を開かせるべきだったとも思っています。上部組織と下部組織の違いはあっては、私は批判文を書かせて支部長に落とし前をつけさせたかった。己の意識の甘さと支部長としての怠慢を自覚せよと。ところが支部長が書いたのは短い謝罪文にすぎなかった。私はこれは自己批判文として認められない。引き続き支部長にきちんとした批判文を書くように指導することを地区委に求めた。しかし地区委は、支部長の意思にこれ以上指導できないと言うのみ。地区委は私と支部長の間に入って本気で仲裁をする気はない、支部会議の場所確保という問題の本質的解決にも乗り出す気はない、と私は見た。障害者の党員に支部会議の場所すら提供しない共産党の活動って何だ、と私は思った。「政党助成金を受け取らないきれいな政党です」と宣伝しつつ、内では金がなくて支部の会議室さえ借りられない、いっそのこと、政党助成金を受け取って障害者・高齢者党員のために活動できる良い部屋を借りろよ!と私は思いましたね。人間として信頼できない人・機関とは党活動はできない、と私は離党届を出しました。自分で書いていてつまらないんですけど、共産党に関係ない方々にはもっとつまらない話でしょうねぇ〜。くだらない内輪話ですわね。 |
Re:続きです。 | れんだいこ | 2007/11/27 18:27 | ||
うみおくれクラブ・ゆみさんちわぁ。お話しなるほどです。一般的に云いますと、宮顕−不破系党中央は、闘う振りをしながら闘わせない理論を編み出し、闘う人を裏から掣肘す名人です。れんだいこの学生運動論はそれをつぶさに検証しております。あまり注目されておりませんが。 問題は、個別の現象を確認するだけでなく、その根源の要因にまでさかのぼり突き詰める事ではないかと考えます。これは普通の関心なのですが、なぜだかアプローチされておりません。そういう意味で、れんだいこの宮顕論、不破論は貴重な価値があると考えます。あまり注目されておりませんが。 思うに、人は、自分が納得しやすいように論を構えているだけなのではないでせうか。これはれんだいこもそうですが。しかし、互いの論を検証せねば危険だと思います。これをやる人は少ないですね。というようなことでまた。 |
つまらない個別の現象の話、失礼しました。 | うみおくれクラブ・ゆみ | 2007/11/27 20:12 | ||
ミヤケン・フワテツ党中央は、闘うふりをしながら闘わせない・・・わかるような気がします。一般論として共産党は党員の自発的な行動はさせたくないのです。党員・労働者が党を離れ独自に考え行動することを恐れているのです。それは中国共産党だろうと日本共産党だろうと同じです。党の隊列を乱してはいけないのです。個性的な活動・自我意識というものを共産党は嫌うのです。 個別の現象を根源の要因にまで追求すること、互いの論を検証することを、月1回2時間ほどの党活動でするのは無理ですね。(笑) |
Re:つまらない個別の現象の話、失礼しました。 | れんだいこ | 2007/11/27 20:48 | ||
うみおくれクラブ・ゆみさんちわぁ。 > ミヤケン・フワテツ党中央は、闘うふりをしながら闘わせない・・・わかるような気がします。一般論として共産党は党員の自発的な行動はさせたくないのです。党員・労働者が党を離れ独自に考え行動することを恐れているのです。 ここが合意できれば、もう半ば同志ですふふふ。 > それは中国共産党だろうと日本共産党だろうと同じです。党の隊列を乱してはいけないのです。個性的な活動・自我意識というものを共産党は嫌うのです。 これですが、れんだいこは、中共も、文革を通して毛沢東系からケ小平系にイニシアチブが移行したように思っております。その心はみんなネオ・シオニズム系なんだわ。だから、今の中共に期待するものは何も無いですね。ところが、世の評価は、徳球系より宮顕系、毛系よりケ系を好評価しております。市井本の殆どがこの観点からのものです。だから話がかみ合わないんだれんだいことは。 > 個別の現象を根源の要因にまで追求すること、互いの論を検証することを、月1回2時間ほどの党活動でするのは無理ですね。(笑) しかし本当はそうやって議論を練らないと認識は向上しないんだ。歌だって何度も歌ってようやく少しは人様が聞けるようになるように。ところが今はカラオケ歌えばその前に著作権料取られるんだ。それが当たり前で知的所有権というんだそうだ。どこか狂ってるよな。 れんだいこが作詞家なら、れんだいこが創った歌を歌唱してくれれば有り難くってたまらない、お客様は神様だと思うつうのに。それはそうと、れんだいこは作詞家になろうと思います。ポスト阿久悠になろうと思うんだなんちゃって。誰か曲つけてくれる人居ないかな。これは全国の皆様にお願いしております。 |
おしりかじり虫〜 | うみおくれクラブ・ゆみ | 2007/11/28 09:14 | ||
お尻とお尻でお知り合い、かばとかばで庇い合う〜 都会のお尻をかじってみたら苦かった〜 お尻かじったら〜、お尻かじれば〜 かじってナンボ 今年、NHK「みんなのうた」で流行った歌です。大晦日の紅白でも歌われるでしょう。 日共と中共で庇い合う〜東京の共産党のお尻は苦かった〜 徳球もミヤケンも毛もケもお尻は苦い、臭い、汚いの3拍子 世界支配をもくろむネオ・シオニズム 立ち向かうはれんだいこ 武器はもちろんジャガーより臭いおなら(*ジャガーとは、やはりNHK「おでんくん」に出てくるおでんキャラ・じゃがいものこと) 息子が壁を這う蜘蛛を見て「クモはなんで生きているの?」と聞きました。返事に困った母は「じゃあ君はなんで生きているの?」と聞き返しました。息子は「ぼくは地球と街を守るために生きているんだ」と即座に答えました。すごいです。母は感動しました。未来がここにあります。未来を育てています。 |
Re:おしりかじり虫〜 | れんだいこ | 2007/11/28 15:05 | ||
うみおくれクラブ・ゆみさんちわぁ。女性の心は亀の皮膚の理でつくり、男性のそれはシャチの理でつくったと聞かせていただいております。ゆみさんの子育て心が亀の理を踏まえている事をほほえましく思うというか感心しております。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評347 | れんだいこ | 2007/11/29 00:15 | ||
【虚偽表示に纏わるマスコミ−役所当局の営業停止、免許取り消し処分について】 このところ、食品衛生法に纏わる虚偽表示に関連してのマスコミ報道と、これを受けての行政当局の強権処分が相次いでいる。これに疑問を沸かすのはれんだいこだけだろうか。 マスコミの報道はそれはそれで良かろう。但し、マスコミが、報道の分際を弁えず、官に対して処分が手ぬるいとばかりに営業停止や免許取り消しを迫り、倒産ないし自主廃業まで追いやるとしたら行き過ぎやり過ぎではなかろうか。れんだいこにはそういう疑問がある。正義棒は控えめぐらいで丁度良いのに、手加減知らぬほどに振り回されたら、当たった者が気の毒だ。 れんだいこが云いたいのは、物事には、いけないことでも程度問題が有り、重責には重罪が相応しく、中責には中罰、軽責には軽罰が適用されるべきだ。ところが今は物差しが狂っており、軽責が大々的に採り上げられ重罰に附され、重責が不言及されたり免責されている。マスコミの正義棒は、この類いのものでしかない。 政治家が、特に野党系がこれに悪乗りしており、マスコミが煽ったものにいとも容易く飛びつき、同じく正義減らず口を叩いている。れんだいこは、こういう構図は見飽きてるのに、よほど暇なのだろうか本来の職務に向かわないための煙幕なのだろうか、目くじらぐらいで済ませばよいのに生殺与奪に向かおうとしてはしゃぎ回る。 手前達はこぞって年収1千万以上2千万円普通更に青天井まで稼ぎながら、格差社会を取り上げ問題だ問題だといっぱしの正義弁を開陳している。空々しくて馬鹿馬鹿しい。 具体的に話そう。ミートホープにせよ赤福にせよ吉兆にせよ、その他今やなんでもござれだが、それにより中毒とか病気とか死亡だとかの被害が発生したというのなら、それは大変だ。結果責任論から云えば、起こした犯罪に相応の処罰が下されるべきだ。 今問題にされているのは事前責任論だ。予防責任とも云うべき法理論に基づき事前検束されていることになる。最近の法律は皆これだ。この理屈を適用するのなら、原子力発電なぞが一番相応しい。あれほど危険で無責任で起こってからでは済まない大被害が予想される故に、取り締まられねばならない。既にあちこちで虚偽報告されているだから、即営業停止、免許取り消しすれば良いのに、マスコミの正義棒は向かわない。それどころか未だに提灯し続けている。これっておかしくないかみなの衆。 お役人のこのところの正義棒もオカシイ。重箱の隅をつついて何か問題箇所を見つけては営業停止を乱発している。我々が昔からお上に弱い体質しているから従っているものの、楯突いたらどうなるか。お前の会社煮るなり潰すなり俺の胸先三寸よ、と平気で公言する役人が目立ってきている。詫びが足りず哀訴しないのがけしからんと二度三度の呼び出し攻めに遭わされている。これっておかしくないかみなの衆。 マスコミはそういうことには関心が無いらしく、今日も明日も次の不当表示もんを見つけては報道しはしゃいでいる。マスコミよ、一番の不当表示を捜すのなら、防衛利権と原子力利権と医療利権とジャスラック利権に向かえばよいのに。山ほどあるぞ。ところがどっこい、そういうところには行きたがらぬ習性があるらしい。 これに類して政界も上滑りしている。額賀問題がぬかるみに入りつつある。民主党よ、攻めるなら本丸へ行け。額賀を攻めるなら歴代の防衛相を洗いざらいにして、誰がいつどんなことをしたのかはっきりさせるのが公平と云うものだろうに。後ろで糸引く者のシナリオに沿って正義口叩いても、我々は白けるばかりだ。中曽根、小泉、石破に迫らない不正追求なぞお笑いだろうに。 今やる事は、小泉時代に一体幾ら日本の資本と隠し財産が国際金融資本に吸い上げられたのか、その時の約束で今後幾らお供えさせられようとしているのか、これを明らかかにすることだろう。これにメス入れずに正義弁聞かされるのはごめん蒙りたい。 それにしても景気は一段と深刻さを増しつつある。大本営は相変わらず戦後最長未曾有の好景気を唱え続けている。これって不当公報ではないのか。これが問題にされず、注意勧告指導ぐらいですむ話しに大目クジラしているさまがうっといしい。 何もかもが基準喪失時代に入っている気がする今日この頃だ。こういうふうなの改革改良で済む問題だろうか。何もかも一掃してまえ、これがれんだいこの結論になる。 2007.11.28日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評347 | こげぱん | 2007/11/29 01:31 | ||
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このところ、食品衛生法に纏わる虚偽表示に関連してのマスコミ報道と、これを受けての行政当局の強権処分が相次いでいる。これに疑問を沸かすのはれんだいこだけだろうか。 > どうも最近虚偽表示に限らず、大食いだのグルメだの旅行番組だの、いろいろな面でマスゴミが食で大騒ぎしているのが目に付きますが、 先日放映された番組「ファンドマネーが食を操る〜穀物高騰の裏で〜」を見たら、食の騒ぎは案外全部連動しているのではないか、と思うようになりました。 ttp://www.nhk.or.jp/special/onair/071119.html 日本人の“食”を支えてきたアメリカ穀倉地帯が、大きく変わっている。石油の代替燃料として注目されるバイオ・エタノールの工場が続々と建設され、周辺のトウモロコシを買い集めているのだ。中国、インドなどの消費拡大にエタノール需要が加わり、さらに穀物相場にファンドマネーが流入。トウモロコシの価格はわずか2年ほど余りで2倍に上昇した。 この秋、穀物の相場は、以前の常識では考えられない動きをした。空前の大豊作が発表されたその日に、トウモロコシの価格があがり始めたのだ。「なりゆき買い」と呼ばれるファンドの買い注文が集中したという。アメリカでは、遺伝子組み換えで収量が多くエタノールの製造に適した新しい種の開発が進んでいる。サブプライム・ショックのあとには、大豆価格も急上昇している。 少しずつ日本の消費者にも影響が広がっている、穀物の世界の変貌ぶりをつぶさに追う。 > マスコミはそういうことには関心が無いらしく、今日も明日も次の不当表示もんを見つけては報道しはしゃいでいる。マスコミよ、一番の不当表示を捜すのなら、防衛利権と原子力利権と医療利権とジャスラック利権に向かえばよいのに。山ほどあるぞ。ところがどっこい、そういうところには行きたがらぬ習性があるらしい。 ここは間違いなく異論がある所でしょうが、もう一つ公共事業利権というのもありますね。30年前なら別ですが、日米構造協議Structual Impediments Initiativeで10年間430兆円(出典 藤原肇「小泉純一郎と日本の病理」)の支出を強要されてからの公共事業は、大きな流れでは日本弱体化のための支出ではないか、と個人的には考えています。 先日の松本さんの投稿を読んでふと思い出して、丹羽教授と同様の主張(但し財政出動=公共事業には否定的だったはず)をしている リチャード・ヴェルナー氏の「円の支配者」をちびちび読み直してますが、景気変動は信用創造に全面的に依存するというこの本の主張が正しければ、景気対策は抜本的転換が必要になるのでは、と考えています。 > これに類して政界も上滑りしている。額賀問題がぬかるみに入りつつある。民主党よ、攻めるなら本丸へ行け。額賀を攻めるなら歴代の防衛相を洗いざらいにして、誰がいつどんなことをしたのかはっきりさせるのが公平と云うものだろうに。後ろで糸引く者のシナリオに沿って正義口叩いても、我々は白けるばかりだ。中曽根、小泉、石破に迫らない不正追求なぞお笑いだろうに。 > 防衛利権騒ぎなんて、御用聞きが旧橋本派から森派(+民主党親米保守)に変わった、というだけの事件なんですが、そこまで騒ぐようなことかというのは大いに疑問です。個人的には防衛利権より、日本を軍事小国に留めようとするアメリカ保守本流の意向により、自衛隊が二流兵器をどれだけ高値でババ掴まされたかの方が大いに問題視されるべきと考えてます。防衛利権なんぞ、この流れの中の脇役にすぎません。 > > それにしても景気は一段と深刻さを増しつつある。大本営は相変わらず戦後最長未曾有の好景気を唱え続けている。これって不当公報ではないのか。これが問題にされず、注意勧告指導ぐらいですむ話しに大目クジラしているさまがうっといしい。 > 賞味期限切れの食品を平気に食べているビンボー人にしてみりゃ、賞味期限改竄より、大本営発表のほうがはるかに悪質なんですけどねぇ〜 (笑) |
Re:れんだいこのカンテラ時評347 | れんだいこ | 2007/11/29 10:03 | ||
こげぱんさんちわぁ。何かとお世話になります。「ファンドマネーが食を操る〜穀物高騰の裏で〜」を見ておりませんが、国際金融資本系の食指があらゆるジャンルに伸びており、元締めになっているのは事実のようですね。連中は発想が違うから何をやっても悪質なんだ。れんだいこはそう思っております。 > ここは間違いなく異論がある所でしょうが、もう一つ公共事業利権というのもありますね。30年前なら別ですが、日米構造協議Structual Impediments Initiativeで10年間430兆円(出典 藤原肇「小泉純一郎と日本の病理」)の支出を強要されてからの公共事業は、大きな流れでは日本弱体化のための支出ではないか、と個人的には考えています。 日本の公共事業は、角栄ー大平レベルではきわめて健全なものだったと思います。彼らが手がけたり後押ししたものはすべて有益でその後の日本の礎になっております。この鉄の同盟が掣肘され、中曽根ー竹下的なるものがせり出してくるに応じて奇形化され利権のための公共事業に変質したと思っております。 日米構造協議によりもたらされる公共事業の主眼は外資の導入であり、日本の業者の下請け化ではないでせうか。いつの頃かゼネコンが集中攻撃されましたが、その裏には外資導入を廻る軋轢が合ったように思います。思えば、マスコミの摘発の裏にはイカガワシイ動機が潜んでいるように思います。 > 防衛利権騒ぎなんて、御用聞きが旧橋本派から森派(+民主党親米保守)に変わった、というだけの事件なんですが、そこまで騒ぐようなことかというのは大いに疑問です。個人的には防衛利権より、日本を軍事小国に留めようとするアメリカ保守本流の意向により、自衛隊が二流兵器をどれだけ高値でババ掴まされたかの方が大いに問題視されるべきと考えてます。防衛利権なんぞ、この流れの中の脇役にすぎません。 防衛利権は歴代戦後タカ派系のお手の物で、国内の公共事業は歴代ハト派系が主要部を押さえておりという具合で棲み分けしてきているように思います。ハト派のそれは利権を発生させるが有益なものを手がけるのに比して、タカ派系のそれは何の役にも立たない税金の無駄遣いに帰着しております。タカ派系の悪質さがここにあると思っております。 > 賞味期限切れの食品を平気に食べているビンボー人にしてみりゃ、賞味期限改竄より、大本営発表のほうがはるかに悪質なんですけどねぇ〜 (笑) 最近大元の秩序が壊れており、大甘になったり大辛になったりバランスが悪いですね。大本営発表についてですが、どこまで続くのか見ものですね。学者がこれだけ居て、誰も抗議しないのは後世のお笑いでせうねきっと。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評348 | れんだいこ | 2007/11/29 17:57 | ||
【天理教教祖中山みきの研究新版のお知らせ】 れんだいこは、久しぶりに「天理教教祖中山みきの研究」を書き換えた。まだまだ不十分であるが、既成本のどれよりも勝れた中山みき論に成り得ていると自負している。興味の有る方は読まれ、ぜひご意見くだされば有りがたい。糠釘が一番辛い。(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/) れんだいこがなぜ中山みきに拘るのか。それは、極めて深い現代ネオ・シオニズム的文明批判になっているからである。そういうことに気づいたからである。ネオ・シオニズムは今や世界をままにしており、その挙句に社会の奇形と戦争と原子力、地球環境破壊をもたらしており、その傾向をますます強めつつある。 ネオ・シオニズムはこの危機を打開する能力を持たない。なぜなら、あの強欲が生み出した独特の資本主義秩序の自己否定に繋がるからである。彼らは自己の支配権を維持しながらの改良改革を望んでいるが、既に事態はそういうものでは何ら改良改革さえももたらさないほど深刻化しつつある。 れんだいこはほぼ30年前の或る時、中山みきの御教えと邂逅した。それまで天理教とは何の接点もなかったのに不思議なほど胸にすっきり治まったのでよほど相性が良いのだろう。そう云えば、村上重良氏の「ほんみち不敬事件」を読んでいたので、それが効いていたのかも知れない。 天理教聖地のおじばに都合6ヶ月留まり、離れるに当たってれんだいこなりのみき教祖伝を書き上げる心定めをした。みきが神がかった41歳の時までを期したが、それはかなわなかった。ほぼ完成したのはれんだいこ50歳頃である。道中何度足踏みしたことか。今57歳だから7年ぶりに書き換えた事になる。 今なぜれんだいこが中山みきに拘るのか。それは、中山みきの御教えが、現代の世界閉塞をこじあける叡智を秘めていると思うからである。そう思うようになった。れんだいこは坐りづとも立ち手踊りも忘れたが、改めて覚え直そうと思っている。あの踊りの中に思惟の原理原則が凝縮されていると気づかされたからである。 まだある。れんだいこが拘り続けてきたマルクス主義の再生が、マルクスを起点にする限り不可能と云うマルクス主義のネオ・シオニズム性に気づかされたからである。俗流マルクス主義が親ネオ・シオニズムなのは決して偶然ではない。そういことからむしろ、中山みき思想を核として世界の様々な思想を練り合せたほうが、却ってれんだいこの希求するものに近づくということを知ったからである。 まだある。ネオ・シオニズムを原理的に批判するのにキリスト教に傾斜して為そうにも、キリスト教自体がネオ・シオニズムの思惟様式を取り入れており、ほぼ絶望的に難しい事を知らされたからである。むしろ、開祖イエスの御教えに着目し、イエス教義とみき教義を練り合わせたほうが、却ってれんだいこの希求するものに近づくということを知ったからである。 世界思想にはほかにも多々優れたものがあるだろうが、奥深い根本まで立ち入って思惟を深めているとなるとそうはなかろう。むしろ、みき教義を核としながら、世界の優れものを寄せたほうが手っ取り早いのではなかろうか、そう思っている。 最後に云いたいことはこうである。最近は学んで為にならず却って馬鹿になるネオ・シオニズム系学問が横行隆盛しつつあり、次第に我々の日常生活をがんじがらめに規制しつつある。政財官学報の五者機関の頭目がこぞって被れているから、下が皆ならう。これに対抗するには、ネオ・シオニズム系学問の個々を批判してもきりが無く、ネオ・シオニズム系学問総体に対峙する別系学問を打ち立てる以外に無い。その別系学問は、みき教義を学び深く思案するところから生まれる。そう気づいた次第である。 みき教義にちんぷんかんぷんな者には何を言っているのかそれこそちんぷんかんぷんだろうが、各自銘々がみきの門を叩くのが良かろうと思う。れんだいこは、毎日の生活の癒しにもなることであるからして、日々立ち返り更に充実させて行こうと思う。 2007.11.29日 れんだいこ拝 |
Re:【天理教教祖中山みきの研究新版のお知らせ】 | 如往 | 2007/11/30 10:38 | ||
れんだいこさん、こんにちは。 遅ればせながら、病の快癒を御祝い申し上げます。 私はれんだいこさんと年格好は殆ど違いのない世代に属していますが、自身や伴侶が脳梗塞や心臓麻痺等に襲われたどうしたらよいのだろうかと、世情にも鑑みながらそんなことを考えるようになった今日この頃です。 ところで、『ほんみち不敬罪』(村上重良1974年)は卒論のためかおそらくその後の文献研究で目にしてはいたものの、天皇史観と根本的に対立しているのはどの部分なのかがはっきりしないまま、否、自身では解明ができぬまま今日に至っています。その間にも天理教学の重鎮の一人でもある宗教心理学者松本滋氏の著作(『父性的宗教 母性的宗教』等)を読むなどして推察したところでは、どうやら皇祖=アマテラスとした場合の正統性の問題にも絡む対立ではなかったかと記憶しているのですが、この問題の顛末や戦後の天理教会がどう総括しているのかについては今も尚判然としてはいません。れんだいこさんによる今後の『天理教教祖中山みき研究』に期待したいと考えております。 また、会いましょう。 |
Re:【天理教教祖中山みきの研究新版のお知らせ】 | れんだいこ | 2007/11/30 19:07 | ||
如往さんちわぁ。久しぶりです。我々の世代も養生のいる年頃になりました。何とか全快していますが、なりわい上のストレスが多くゆっくりできません。今年は越年が厳しいほど特に強い。ほかの方はどうなんだろうね。 私の「天理教教祖中山みき研究」へのエール有難うございます。今日も暇を見つけては書き直しており、これ後も取りかかります。結構面白いんです。全体の構成とストーリーを確定してから読み易く表現し直そうと思っております。れんだいこの世に送る初版本にしたいと少し色気を出しております。 中山みき思想を理解するには、れんだいこがしたように、或る時期に修養科へ行き三ヶ月ほどひたらないと無理かもしれませんね。もっとも、本部教材の稿本天理教教祖伝をそのままに受け取るとみきの実像に迫れなくなりますが。れんだいこは、かの教祖伝でみきに興味を覚えたので、それぐらいの価値はあるかも知れません。 今れんだいこは、中山みき思想を21世紀に通用する指針として注目し始めております。その他のあらゆる思想が色あせつつある中で、みきのそれは逆に生彩を放ちつつあるとみなしております。それをどう言葉にするのか、そこが問われております。れんだいこの畢生の仕事となりそうです。しかしなんだな、天理教の教会長さん辺りが取り組んでも良い仕事なんだけどね。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評349 | れんだいこ | 2007/12/01 14:23 | ||
【11.30日付毎日新聞社説を称賛する】 2007.11.30日付け毎日新聞社説「前次官の功罪 小泉元首相の感想が聞きたい」(ttp://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20071130ddm005070023000c.html) は誰の手になるものか分からないが、久しぶりの出来の良い社説のように思うので採り上げる。 社説の歯切れが良い。守屋武昌前防衛事務次官の責任のみならず「次官在任期間が異例の4年余に及んだことの責任」を問う。「歴代長官、大臣にも問題があったのではないか」と云う。次のように述べている。 「守屋容疑者が次官として君臨した期間は、03年8月から今年8月末までの4年1カ月である。次官は2年が相場と言われる中央省庁にあっては突出して長い。これに先立ち、02年1月には官房長から防衛局長に昇格している。この期間の特徴は、日本の防衛政策の重大な転換点をいくつも含んでいることだ。 まず01年12月、旧テロ対策特別措置法に基づくインド洋での給油活動が始まった。03年6月には長年の懸案だった有事関連3法が成立し、イラク復興特措法の成立(同7月)、ミサイル防衛システム導入の閣議決定(同12月)と続いた。さらに守屋次官時代の大仕事には、在日米軍再編の日米合意(06年5月)がある。 一見して明らかなのは、これらの政策転換が小泉政権時代に集中し、守屋容疑者はその実現に奔走することで実力次官としての地歩を固めていったことだ。特に小泉純一郎元首相の懐刀であった飯島勲元首相秘書官を後ろ盾にし、再編協議では外務省をしのぐ影響力を発揮したと言われる。 ならば、小泉元首相は事件を受けて結果責任をどう考えるのか。なぜ彼を重用し続けたのか。検証作業の一環としてぜひ感想を聞かせてほしいものだ」。 「ところが、同会議は守屋容疑者の続投方針をあっさりと追認してきた。小泉官邸はそれを後押ししたのか。飯島元秘書官は閣僚候補に対するいわゆる「身体検査」で勇名をはせたのに、前次官については何も情報がなかったのか。これも元首相に聞いてみたい」。(引用、転載以上) 民主が守屋問題から額賀問題に向かってずっこけているのに比して、この社説士のように守屋問題から小泉問題へ関心が向かうのが本来の感心の向かい方だろう。社説士のこの問いは自然に導き出されるものだが、最近の言論はこのように明確に語ることをしない。そういう意味で、本来はそれほど評されるほどではないのだが相対的に新鮮である。マスコミの言論がこの程度の事が云えない変な時代に入っている事を情けなく思う。それを突き破ったこの社説は額縁に飾られるに値しよう。 社民がダメ、共産がダメな中では民主に期待する以外に無いのだが、それにしても民主のお粗末さが際立ちつつある。鳩山が妙な立ち回りしている気がしないでも無い。それはともかくれんだいこは、野党の自民党内ハト派に対する追撃が厳しく、タカ派に対するそれが大甘な習性を疑惑している。こたびもそのような動きをしている点で、出来レースの臭いを嗅いでいる。深い嘆息しかない。 2007.12.1日 れんだいこ拝 |
Re:【天理教教祖中山みきの研究新版のお知らせ】 | こげぱん | 2007/12/01 23:01 | ||
ここ数ヶ月特に強まった物価高や、こちらのことなどちっとも考えない与党の増税議論などは腹立たしい限りですが、現在の物価高の主要要因となっている一次産品バブル−アメリカ経済最後の延命装置−が破裂した後のことを考えると空恐ろしいです。NYSE崩壊と一次産品バブル崩壊で生じるであろう巨大な需給ギャップを解消するために、連中は戦争を選択するか(わざわざ書くまでもありませんが、戦争は需要面ではI+Gを刺激して需要を喚起する一方、同時に過剰供給力を破壊する、需給ギャップ解消には極めて「魅力的」な手段です)、あるいはこのような新制度を導入することがあるかもしれない、と漠然と考えています。 −−−−−−−−−−−−−−− ttp://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/226.html Re: “戦後世界”は終焉を迎えている 投稿者 あっしら 日時 2002 年 3 月 06 日 16:57:46: 国際金融システムは、これから10年のうちに“大変革”されるでしょう。戦後世界は、今まさに終焉を迎えようとしています。新しく創設される国際金融システムには、日本どころか米国に出資してもらう必要もないものでしょう。 このまま進めば、世界統一政府はともかくとして、10年のうちには、世界統一通貨が生まれると考えています。 世界の中央銀行ですから、日銀と商業銀行の関係と同じように、日銀が世界中央銀行から借り入れを行い、それを商業銀行に貸し出すことで世界統一通貨が日本国内で流通していくはずです。 日銀が世界中央銀行から世界統一通貨を借り入れるときの担保は、おそらく一定割合の金(ゴールド)になるでしょう。(例えば借り入れ額の25%だとか) ご存じのように、日本の公的保有金は100トンほどで、中国の1/10・米国の1/80、ドイツの1/30程度です。 こうなったとき、どうなるんでしょうね、日本経済は。日本政府は、たぶん、“国家保証”の借り入れでしのぐことになるでしょう。現在「世界最大の対外債権国」である日本が、「世界最大の対外債務国」になる可能性があるということです。(民間保有の金を召し上げるという政策も採られると考えています) 現在の「デフレ不況」がままごとのように思われる状況が生まれるのです。 そんなバカなと思われるなら、厖大な「連邦政府債務」・「対外債務」・「貿易赤字」を続けている米国の通貨ドルが国際取引の基軸通貨としていつまで通用するのかということを考えてみればわかると思います。ドルが国際基軸通貨であり続けるほうが、そんなバカなと言えることです。(9・11空爆テロ以降の妄動や「合衆国建国理念破壊」などは、このような“ドル崩壊”の役割も担っていると考えています) 戦後世界が終焉を迎え、新しい国際システムがこれから生まれるというようなことを考えているので、不況を深化させる「小泉改革」に猛反対しているのです。「世界新秩序」の成立には抗せないかもと思っているので、それならば、できるだけ打撃が少ない道筋で“参加”したほうがいいと考えています。多くの人が“戦後世界的世界観”から脱却した視点で世界を見ていくなかで、様々な議論が行われることを期待しています。今後ともよろしくお願いします。 −−−−−−−−−−−−−− ttp://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/237.html 米国の「デフォルト宣言」→新世界通貨体制 投稿者 あっしら 日時 2002 年 3 月 08 日 01:00:38: 『“戦後世界”は終焉を迎えている』 ( ttp://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/226.html ) の末尾に書いた「世界中央銀行」創設に至る過程をまとめたものです。あくまでも“妄想”ですので、そのへんのご理解をいただきたいと思っています。 ==================================================================================== 新しく創設される国際金融システムは、アメリカ合衆国連邦政府が「デフォルト宣言」した後の世界に生まれると考えている。 日本やドイツが貿易黒字国として順調に発展し「対外債務」を返済し終わった1971年に米国ニクソン政権が「ドルの兌換停止」を行ったように、合衆国連邦政府は、過剰債務状態のまま日本やその他の国々から米ドルが還流しなくなった時点で、「デフォルト宣言」すると考えている。 米国政府は、ドル高政策(日本は実感しにくいが90年代は日本円だけが対ドルで高くなったと言えるくらい)と高金利政策で外国からの米国債投資を誘導してきた。このような誘導により、米国債の外国(人)投資家の保有率は、87年の10%強から、35%強にまでなった。 現在の米国債発行残高は、5兆ドルを超えている。そのうち1兆5千億ドルは、社会保障費やメディケアの公的基金が保有し続けている。 外国投資家の米国債保有額は、93年の約6千億ドルから今や2兆ドルを超えるまでになっている。これは、米国の投資家が、その分を売却して株式や他の債券に投資したことを示唆している。米国政府は、その一方で、401Kなどの導入に見られるように、米国国民には米国株式市場や債券市場への投資を促進してきた。 日本は、3,500億ドル以上の米国債を保有していると言われている。(民間が1500億ドル) しかし、日銀は為替安定を名目に米国債の保有額を公表しておらず、日銀と政府で、3千5百億ドルとか1兆ドル以上保有しているという説も出ている。民間は、生保と年金が主たる保有者である。 [ドルが米国債に還流しなくなる理由] ● 日本はおそらく3年後には貿易赤字国に転落する これは、米国国債の1/3を支えている日本からの対米投資が減少することを意味する。それどころか、今後は、経済不況と相俟って、保有米国債を売却する動きが増加すると考えている。 ● 日本に代わる貿易黒字国「中国」はリスクをそれほど選択しない 日本の貿易黒字の減少はほぼ中国の貿易黒字の増加に結びついていくと思っているが、中国は、日本ほどには危険な米国債を購入しないだろう。 ● ユーロ通貨体制成立により欧州のみならず世界からの米国債投資が減る ユーロ通貨体制が順調に推移していけば、これまでの対米:対欧の債券投資比率が、確実に、対米減少:対欧増加で動いていく。ユーロ建て債券の発行高が米国債券並みの規模になれば、市場流通性も高くなり、投資家は利用しやすくなる。 ● アラブのオイルマネーも還流しなくなる ご存じのように、ブッシュ政権は、9・11空爆テロ以後、“テロ資金規制”と称してオイルマネーの動きを遮断している。また、表面的にはあまり出ていないが、アラブ諸国を含むイスラム諸国は、強い反米感情を抱いているので、対米債券投資よりは対欧債券投資に動く。 ● 米国の低金利政策 昨年、FRBが行った断続的な利下げで、米国の金利は、日本を除く他の国々との差異はほとんどなくなった。これは、諸外国からの米国債投資を抑制することになる。 日本も、2%ほどの金利差になれば、為替リスクなどを考えて、これまでのような米国債購入が続かないだろう。 このように、米国の財政赤字を埋めるための諸外国からのドル還流は、減ることは考えられても、増えることは考えられない。 「アフガニスタン戦争」で泥沼にはまれば、ますます、米国債離れが生じることになる。 [米国の財政赤字は継続] 米国の財政は、1998年・1999年・2000年と黒字で推移した(日本が中心になって対米投資を行って景気を支えたからである)が、ブッシュ政権誕生後は赤字に転落し、戦争拡大を目論む政権は、軍事費を中心に“放漫財政”を続ける気でいる。 ● 2002年度の連邦政府財政赤字は800億ドル 2003年度の赤字は、ホワイトハウス予測で800億ドル、連邦議会予算局予想で1,210億ドルとみられている。 ● ブッシュ政権は財政赤字を社会保障費とメディケアの積立金取り崩す 日本のメディアは報道していないようだが、ブッシュ政権は、財政赤字を補填するために、社会保障費とメディケア向けに米国債のかたち積み立てている1兆5千億ドルを取り崩すことを決定した。 一応10年計画で取り崩すとのことだが、これは、800億ドルとか1,210億ドルの公表されている財政赤字とは別の扱いである。 このようなことから、ブッシュ政権は、「デフォルト」を腹づもりにして、財政拡大を行っているとしか思えないのである。 米ドルは国際基軸通貨であり、印刷すればいくらでも供給できるという話がされることもあるが、それは間違いである。 米ドルを発行しているのは、連邦政府ではなく、連邦準備銀行という“民間”の中央銀行である。 米ドルは、連邦準備銀行が商業銀行に“貸し出す”ことで流通を始めるのである。 連邦準備銀行自体が背負っているわけでもない対外債務を返済するために、米ドルを印刷してやることなぞないのである。 “民間”の連邦準備銀行が米ドルを印刷するときは、自分たちが儲けられる条件のときだけである。 連邦政府が「対外債務」を返済するために米ドルを印刷してやるとしても、それによってドル建て商品の世界的なハイパーインフレが生じる可能性があるから、その予測インフレ率を上回る金利でしか貸し出さないことになる。 予測インフレ率が20%だとすれば、公定歩合が22,3%になるということである。 このことは、連邦政府が、「対外債務」を返済するために、25%程度の表面利率で新規に国債を発行しなければならないことを意味する。 25%の利率を魅力と考える人もいるかもしれないが、アルゼンチンのように紙切れになってしまうことを考えたら、通常の判断力を持つ人であれば控えるだろう。 そうなれば、結局、連邦政府は「対外債務」を返済できない。 結局、米国連邦政府は、「デフォルト宣言」するしかないのである。 ブッシュ政権が、軍備増強に励んでいるのは、この「デフォルト宣言」で生じる可能性がある不測の事態に備えるためだと考えている。 イスラム過激派に「NMD」はまったく不用のものである。 米国連邦政府が「デフォルト宣言」することが、日本経済にどれほどの打撃を与えることになるかは、米国債残高に占める保有率の高さを見ればイヤになるほどわかることである。 そうは言っても、日本政府が、デフォルトごときで米国に戦争を仕掛けるとしたらバカである。結局は、デフォルトを甘んじて受け入れるしかないのである。 それは、中国も含めたあらゆる国々がそう判断することになるだろう。 そして、このような事態に陥った米国の通貨である米ドルが、それ以降の国際取引で安心して使われることはないだろう。 そして、「対外債務」に苦しむ国々も、米国に倣ってデフォルトを宣言することになると考えている。 しかし、現在の世界を見てもわかるように、国際取引なしでは成り立たない経済構造に世界はなっている。 IMFや世界銀行は、米ドル基軸通貨体制の産物である。それ故、米ドルが信認を失ったとき、それに代わる機能は果たせないのである。 そのとき沸き上がってくる声は、“ユーロ”の世界版を求める声であろうと推測する。 ユーロも米ドルも英国ポンドも、もちろん日本円も、国際的取引の支払い手段という役割から消えていくことになると考える。(どの通貨も、その価値を対外的に担保することができないからである。担保したくないとも言える) そして、米国のデフォルトを受けた後の世界規模での通貨変更であれば、ユーロ流通開始のときのように、固定為替レートで既存通貨と交換していくという手順は採れない。 (為替取引自体が大混乱になっている) そこで出てくるのが疑似金本位制のアイデアで、各国通貨当局が保有している金を“新世界中央銀行”に供出した量に応じて新世界通貨を“貸し出す”という手法が採られると推測している。 公的保有金が不足している国家は、政府が債務を保証するかたちで貸し付けが行われることになると考えている。 当初、国内通貨については新世界通貨の使用が強制されない可能性もあるが、“不便”という声に押されて、各国が、国内通貨も新世界通貨に切り換えていき、ある段階で強制的に切り替えさせられるのではないかと考えている。 |
Re:【天理教教祖中山みきの研究新版のお知らせ】 | れんだいこ | 2007/12/02 10:47 | ||
こげぱんさんちわぁ。あっしらさんの有益文の紹介有難う。れんだいこは金融政策がらみのことは知識が疎いので勉強になります。あちこちに憂国の士が居られる事が心強いです。これもネット冥利ですね。現代世界を牛耳るパラノイアたちとどう闘うかが大事で、その為には理論をしっかりしないといけませんね。現代はここが混迷しており闘おうにも闘えないすくんだ状況にあると思っております。この事態を打開したいと思います。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評350 | れんだいこ | 2007/12/02 11:43 | ||
【れんだいこのNHK定時ニュース復活要請】 れんだいこはテレビを見ない。見る時間が無いというのかほかにする事が多過ぎるというべきか。朝の出勤前のニュースを聞くのが唯一の接点で、昼は車中で夜はほんの気まぐれの時々しか見ない。民放はK1系統やスポーツ番組の時しか見ない。3時の水戸黄門を時々見る。そういうことを云いたいのではない。以下主張する。 最近NHKの定時ニュースが無くなっている気がしている。定かに確かめたわけではないが、朝5時、6時、7時、8時、9時には必ず5分か10分のニュースがあったように記憶する。それが最近、めっきり少なくなっており気分が悪い。これはなぜなのだろうか、偶然だろうか、裏があるのではなかろうか。 民放のニュースは興味本位に採り上げ過ぎており、あるいは露骨な御用評論が多過ぎ等々の理由で好かない。朝青龍事件でも、横綱たるものを巡業失敬したぐらいで二場所連続出場停止処分に附すなどの方がやり過ぎと思うのに、つい先日の旗手会見で結果的には朝青龍にとって良い薬になったようではあるが、あの時点では相撲協会理事会決定の変調こそニュースすべきなのに、全マスコミがよってたかって処分礼賛論を報道していた。れんだいこには不快であった。 松岡農相変死事件にしても変死と報道すべきところ、各社こぞって自殺報道に明け暮れていた。何の根拠で自殺認定したのか、れんだいこには分からない。その後の現場検証なぞぜひ報道されるべきなのにダンマリしたまま今日に至っている。与野党問わずこれを追認して今日まで至っているのも不自然だ。 そういうこともあり、れんだいこは、せめてNHKだけは見識示してくれよという願いがある。その願いの三分ぐらいしかかなえられないけれども、NHK調の語りは落ち着きが有り、れんだいこの感性にはしっくり治まるので聞き易い。しかし、そのNHKニュースが減っている気がしてならない。 ここまでは感想である。以下、れんだいこの独眼流で解析する。れんだいこは、NHKニュースの減りが、どうも2005.1月の海老沢NHK会長失脚事件以降の現象のような気がしてならない。確か海老沢会長時代に、松平アナの「歴史その時」や中島みゆきのナレーションで知られる「プロジェクトX」が始まっており、れんだいこは満足していた。 その海老沢会長失脚後のNHKはどうも生彩を欠いている気がしてならない。「国際金融資本の息を嗅ぐ売国タカ派系政治屋とナベツネ派を走狗としてのNHK乗っ取り策動」により海老沢会長失脚事件が仕掛けられ、その結果が今日の面白くないNHKへと変質させられている、と見るべきではなかろうか。 NHK受信料不払い運動も、この手合いに乗せられている気がしてならない。確かに料金が高いのも事実であり、次第次第の生活苦が悪乗りして広く浸透しつつあるように思う。衛星放送分が余計で、普通の料金で見られるようにして欲しいと思う。 安倍と中川がNHK番組にいちゃもんつけた事件も、どうも納得できない。安倍と中川は使い走りだったにせよ、政治家の見識として為すべきは、NHK番組の内容にいちいち文句をつけて面白くない番組にすることではなく、不満なら彼らの見解に適う番組をもう一本作らせれば良いだけのことではないか。視聴者は、同じ事件で見解の違う二つの番組を見る事ができ、二度味わえるチョコの味がして却って良いのではないのか。 安倍と中川がそう動いたのなら分かる。今からでも良い、やり過ぎだったと詫びるべきである。その後安倍は官房長官になり首相になりシドニーでブッシュによほど恫喝されたのだろう、以来目が泳ぎ始め、ブザマな退陣を余儀なくされ今日に至っている。安倍は過ぎ越しこの方の政治履歴を反省すべきだろう。れんだいこ的には、小泉よりはよほどマシだったので、今後のためにもそう助言しておきたい。 話しが飛んだのでもとへ。NHKに対して定時ニュース復活要請の声を挙げたい。一体誰が編成しているのだろうか。その権力中枢へ物申してみたい。NHKがしっかりしないと日本人民大衆の頭脳が愚民化へ導かれる一方だ。これは由々しき事であり取り返しが付かなくなる恐れがある。早急の対応を求む。何なられんだいこを審議員に入れてくれ。為になり面白い番組をどんどん提言するぞ。 2007.12.2日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評351 | れんだいこ | 2007/12/12 21:34 | ||
【「ほんみち」と共産主義者の協働考】 れんだいこは今、「天理教教祖中山みきの研究」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/)の書き換えに入っており、その余勢で分派分立の「ほんみち」の研究にも分け入った。村上氏の「ほんみち不敬事件」、梅原正紀氏の「ほんみち」、「天啓者の宗教ほんみち」を精読している。この過程で、「ほんみちと共産主義者の協働」に気がついたので、これを世に発表しておく。 資料は上掲三書から取り寄せている。世の多くの強権著作権者は著作権違反だと云うのだろうが、れんだいこが気に入った文を紹介するのに何の憚りがあろう。時代は病んでおり、その病人が、本来真っ当な営為を権利違反だと指弾する変な正義がはびこっている。 ジャスラックなぞその典型であるが、無許可で営業的に歌を歌う場所を提供するのならゼニを払えとヤクザ風のショバ代権利を振り回しており、マスコミご一統も似たり寄ったりの権利を主張しているので、併せて何をするにも窮屈な世の中に誘ってくれている。サヨがこれを後押ししており、変な正義が流行りだしている。誰も咎めないようなので、れんだいこが一言しておく。そったら馬鹿な理屈があって堪るか。 もとへ。ほんみちと共産主義者の協働」の三例を掲げておく。ほかにも多々あるだろうが、入手次第に書き付けていくことにする。 「ほんみちと共産主義者の協働考その1」、ほんみち幹部と服部之聡の逸話 梅原正紀氏は、「天啓者の宗教ほんみち」の184−186Pで次のように記している。 昭和3年の「ほんみち」への第一次弾圧事件で、東京・警視庁に勾留された「ほんみち」信徒とマルクス史学の立場にたつ歴史家の服部之聡が同じ監房で暮らしたことがあり、戦後になって服部がその追想記を書いている。 発表されたのは「中央公論」の昭和27年八月号である。服部は、「ほんみち」信徒と監房で知り合ったことを、ごく限られた人々にしか話していなかった。彼の文章によれば、「思想とは無関係に信頼できるいわばうちわの人々」だけにしか語っていなかった。唯物論者が信仰者と意気投合した体験を話すと誤解を招くもとになりかねないと判断したからであろう。服部の眼に「ほんみち」信徒の姿はどのように映ったのだろうか。その文章を引用してみよう。 服部之聡氏は次のように述べているとのことである。(いずれ原文に書き換えたいと思う。どなたか入手してくれないだろうか) 意訳概要「私は、昭和3年5月だったろうか、9月だったような気もする。警視庁の監房に二十日あまりいたことがある。初めての経験で諸事印象深く残っているが天理教不敬事件の最高被疑者の一人と同房で暮らした。この天理教不敬事件は、どうなったのか後の始末は私も知らぬくらいで、記憶の良い人でも覚えている人は少ないだろう。なにしろ珍妙な不敬であった。 私は獄中で、『泥海古記』の講義を受け、天理教の手振り(悪しきを払うて助けたまえ天理王の命(みこと)と歌いながらの手振り)を彼から教わった。監房の食事の後、弁当箸を太鼓のむちの代わりに用いて、まもなく私はその手振りを、彼と同様に上手に舞えるようになった。歌も全部覚えた。退屈すると口将棋も指したが、お互いにまるでヘボだつた。その監房は私にとって、たえて悪魔の座ではなかった。 私の懐旧の念は、彼のおだやかな人柄と共に『泥海古記』に感銘したことにある。被疑者の話によれば、人類は動物から発達して猿を経て人間となったものであり、その見解に於いて私は近代科学と、及びそれを信奉するマルクス学徒たる同房の隣人と完全に意見を同じくした。更に、天皇は『唐人』であり、日本の統治者となっているが、ほんものが出現したからには簒奪者の治世は終わり、『唐人の寝言』に終止符を打たなければならないと云う。傾聴に値する弁である」。 この服部の追想記を読んだ宗教学者の山伏哲雄・東北大学教授は、「思想の科学、昭和46.1月号所収」の中で次のように述べている。 「思想弾圧にもめげずに非妥協的に教理を説く新興信徒の剛直と心意気に対して、彼がまさに踊躍せんばかりに親愛感を吐露している状況が伺える」。 梅原正紀氏は次のようにコメントしている。 「マルクス主義者と宗教者との差異をこえて民衆にとって加害者であり、また加害装置である天皇と天皇制に戦いを挑む者の熱い共感が成立した歴史のひとこまが、服部の追想記に証言されているといえよう」。 (引用以上) れんだいこは、「天皇制に対する」マルクス主義者とほんみちの協働よりも、マルクス主義者の服部氏が、中山みきの「元始まりの理話し」に滅法興味を覚え、共に手踊りしたことに微笑む。れんだいこの体験がひとりれんだいこだけのものではなく、その昔に服部氏も同じような興味を抱いたことをうれしく思う。 「ほんみちと共産主義者の協働考その2」、ほんみち幹部・中山英雄と梯明秀、布施杜生、国領伍一郎の逸話。 ほんみち幹部・中山英雄は、「ほんみち第一次、第二次不敬事件」で下獄し、この時幾人かのコミュニストと出会っている。昭和13.11月末から翌年の6月まで京都の下鴨署に留置され、人民戦線派の梯明秀と同房している。梯は、「ほんみち」信徒の家族が面会に来て、互いが励ましあう姿に接し、獄吏から「インテリの負けやな」と云われたことを後に好意的に述懐している。 社会主義派弁護士として知られる布施辰治の三男の杜生とも同房し、布施は、中山の留置事由を知るにつけ「ほう、宗教の方もとうとうやりましたか」と賞賛され、肝胆相照らす親交を温めたと云う。中山は、拷問を受け痛々しい布施に偽装転向を勧めたが布施は断り、昭和19年に未決のまま獄死している。 中山は、大阪刑務所で、京都の労働運動を指導し、後に党の中央委員として活躍した国領伍一郎と同房している。国領は網走刑務所から奈良刑務所を経て大阪刑務所に移送されており、既に健康を破壊され、重い胃潰瘍と肝臓炎を患っていた。そういう身でありながら、看守が年老いた囚人を苛めていたりすると怒鳴りつけ、庇う姿勢を貫いていた。中山は、国領の生き様に感動を覚えたと伝えている。その国領も昭和18.3月、獄死している。 「ほんみちと共産主義者の協働考その3」、府中刑務所逸話。 1945(昭和20).10.10日、、「GHQ」の10.4日の指令「政治犯を10月10日までに釈放せよ」に基き、東京の府中刑務所から徳田球一.志賀義雄ほか金天海、黒木重徳、西沢隆二、松本一三、山辺健太郎、今村英雄、須藤末 雄、広瀬梅次、石川篤、三田村四郎、金天海ら共産党員、他に、朝鮮独立運動家.李康勲、天理ほんみちの団野徳一、桑原幸作、三理三腹元の山本栄三郎の16名が釈放された。 山辺健太郎の回想記「社会主義運動半生記」は次のように記している。 「予防拘禁所で、偉いと思ったのは、まず天理教の人です。死刑を求刑されたのだと思うけど、どこ吹く風で悠々としていました。それから、在日朝鮮人運動の中心だった金天海です云々」。 こうした史実は、マルクス主義者の方からは記さない気風が有るようで、思わぬ収穫であった。れんだいこに云わせれば、マルクス主義者の理論も一種の宗教的教義のようなもので、科学的何とかを冠すれば社会主義−共産主義になり、冠せねば宗教になるというご都合なものではなかろう。むしろ、何を云っているかより何を為しているのかを実践的に検証した方がよいのではなかろうか。 れんだいこは在地型土着的な世界へ拓く日本主義共生思想を創造せんと営為しているので、この立場から見れば、戦前の天皇制批判運動に於いて理論的にも実践的にも勝っていたのは「ほんみち」の方ではなかったかと思っている。反権力的歴史学の多くは、マルクス主義の側からばかり記述しているが、いわゆる片手落ちで、幾ら読んでも資料以上の価値を有しない。 時々筆者の観点が書き付けられているが貧弱なものであり、鵜呑みにすればするほど馬鹿に成る。れんだいこはそういう風に気づいているので、読めば読むほど為になる文献を探すなり創らねば気が治まらない。道は遠いが始めねばなお遠いから、何がしか営為し続けていこうと思う。 2007.12.12日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評352 | れんだいこ | 2007/12/14 18:39 | ||
【「ほんみち」その2、功績その3、獄中下での非転向】 「ほんみち」その2を書きつける。れんだいこは、「ほんみち」の獄中下での非転向に注目したいと思う。戦前の日共運動の陰鬱な転向ないし非転向に比して、からりと晴れた転向、非転向ぶりが評価されるように思う。本来、左派の転向ないし非転向も、こう対応すべきではなかったかと思っている。 れんだいこは、「ほんみち」の非転向の背景として、天皇制批判、時局批判が、当時の左派理論のそれよりも、当局の護持理論よりも理論的に勝っていた、という事由があるのではないかとみなしている。近代天皇制は、万世一系の皇統譜と記紀神話の数々で粉飾した皇国史観で正当性を強調し強制していたが、中山みき−「ほんみち」は、世の在り姿としての天皇制に根本的疑義を発し一蹴した。「天皇には天徳無し」、「唐人」批判も舌鋒鋭く、軍靴の足音高い道へ進みつつある時勢を憂慮する点でも憂国の士であった。 こういう観点に立つ「ほんみち」派は、取締まり当局、思想検事との論争に於いて堂々と所信表明しひるむところがなかった。且つその弁は鋭かった。例えばの話し、こういう逸話が遺されている。 「ほんみち」開祖の大西愛治郎は、昭和5.2.5日の第一次不敬事件の結審で原判決の懲役4年有罪が破棄され、無罪となった。その理由は、「昭和3年の打ち出し」事件が、大西の精神鑑定の結果、「宗教的誇大妄想、宗教的憑依妄想を主徴とする特殊の精神病者が心神喪失中に行った犯行」であると認定されたことによる。 それは、大西を裁こうとすれば、まずはその弁である天啓者論を覆さねばならず、これを為そうとすれば、その論法がそのまま現人神として位置づけられている天皇制批判に横滑りする恐れがあったからであると思われる。次に、その弁である時局認識「近き将来に於いて、大戦起こり、日本は窮地極に達し、いかなる方法手段も通ずるを得ざるべし。その時に当たってこの道なく、この道無き時は遂に国は破滅すべし」を批判断罪する論拠が無かったからであると思われる。 次に、天皇制の万世一系批判として指摘していた「皇統連綿と云うたとて、誰しも同じ事。続いてあればこそこの世に生を享けて居る」を批判断罪する弁が無かったからであると思われる。 第二次不敬事件の二審で、岡林裁判長は思い余ったか、大西に次のように迫った「裁判するより自決したらどうか」。これに対して大西は、「私の考えならやめるが、月日様のご命令だから、止める訳にはいかない」。これに答えた岡林の弁は、「月日を検挙したり、取り調べる訳にはいかない」。 予審判事・立石金五郎は、「ほんみち」幹部の小浦芳雄とのやり取りで次のように述べている。 「君達の主張と行為には君達なりの必然性があることは理解できた。だが立場が違うので認めるわけにはいかない。国家には国家の論理がある。それならば『ほんみち』の論理と国家の論理とではどちらが正しいかと議論しても、双方が各々の論理をそれで良しとしているのだから、議論のうえでは決着は付けがたい。決着をつける決め手となるのは、現在行われている戦争の勝敗である。自分達は日本の必勝を核心しているが、君達は敗北するという。いずれ歴史が判決を下すことになろう」(梅原正紀「天啓者の宗教ほんみち」209P) れんだいこは、「ほんみち」のこのような理論展開での批判が殊のほか秀逸ではなかったか、と思っている。今日的なレベルでの、近代天皇制護持派が、当時も世界を席巻していたネオ・シオニズム派の手先であり、その政体は傀儡でしかないという本質的な観点に立っての批判にまでは至らなかったにせよ、近代制天皇の唐人性即ち異邦人性を見抜いており、これに徹底的な批判を加えていたのは、霊能的見地からのものにせよ鋭いというべきだろう。 そういう訳で、「ほんみち」教団内には、偽装転向を別とすれば転向した者が居ない。故に教内で転向問題が発生しなかった。昭和14.10月の「特高特報」は、解散命令後の「ほんみち」信徒の実情について次のように記している。 「信者の邪信妄執(もうしゅう)は極めて頑強にして、警察当局の懇諭説得により、一応転信転宗を誓約せる者といえども、真に国体の本義に徹して皇国臣民たるの自覚に出でたる者は殆ど皆無にして、その多くは単に当局の峻厳なる追及取締りを免れんとして表面転宗を表明せるに留まり、内心密かに盲信を続け、いわゆる甘露台世界の到来を妄想しつつある者も少なからざるやの模様なり」。 この史実は、日本左派運動に随伴した転向問題と比較して興味深いことではなかろうか。日本左派運動の場合、転向の結果、今度は逆にいとも安易に天皇制側に鞍替えし、翼賛運動にのめり込んだり、お先棒を担ぎ出した数々の人士を輩出している。そのようには転向しなかった者も、転向自体に忸怩とした負い目を背負った者が多い。中共の場合、どちらかというと「ほんみち」的対応しており、日本式転向問題を発生させていないように思われる。それに比して、日本左派運動内には妙なしこりとして転向問題が遺されているように思われる。 それはともかく歴史は廻る。最新の学問が近代天皇制とネオ・シオニズムの関係を明るみにしつつある。こうなると、近代天皇制の虚構性を理論的に獲得し、実践的にも身命賭して撃った天理教教祖みき−ほんみち系譜の闘いを貴重として再検証せねばならないことになるのではなかろうか。れんだいこはそう思う。 この問題の考察はまだまだこれからである。いずれにせよ、れんだいこは、「ほんみち」の軌跡は貴重であり、不滅の輝きを放っているとみなしている。社会主義−共産主義も、「ほんみち」も、科学的云々で識別されるべきではなく、どちらも主義者と捉え、主義者の生き様として評されるべきであり、どちらが真っ当だったのか、問われるべきではなかろうか。このように座標を据えたい。 2007.12.14日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評353 | れんだいこ | 2007/12/15 12:58 | ||
【「ほんみち」その3、功績その2、近代天皇制批判】 「ほんみち」が評価される視座としてもう一つ、当時の天皇制との闘いがある。れんだいこは、「ほんみち」のこの方面での理論に注目している。近代天皇制との理論的実践的闘いは、天理教教祖中山みき以来の伝統的なものであるが、当時の天理教本部はこの方面に於いてほぼ完全に批判能力を喪失していた。他の多くの教団教派と同様に、維新政府の喧伝する皇国史観圏内に教義を合わせることにより生息を目指しつつあった。これに対し、「ほんみち」が、近代天皇制の根本原理批判に向かい、つまり維新政府の皇国史観と立ち向かい、数次の弾圧を経てもなお当局と対峙したのは圧巻であった。れんだいこは、そう考える。 こうなると、「ほんみち」の近代天皇制批判はいかなるものであったのかを検証せねばなるまい。それは、教祖の比類なき人類創世譚「元始まりの話」(「泥海古記」)に基づき、近代天皇制の在り様がそもそも人類創造の原義「一列平等」に照らしてそもそも不正であるとして批判を開始し、明治新政府の目指そうとしている富国強兵型強権政治が誤りであることを警鐘乱打した。この意味に於いて、「ほんみち」は、中山みき教祖の呼号した「人類創造の親神の思いにかなう世直し、世の立替え」の忠実な実践者であった。 教祖みき−「ほんみち」の天皇制批判の秀逸さはもう一つ、明治維新以来の特殊な近代天皇制の異邦人を告発した事にある。れんだいこに云わせれば、この指摘が今輝き始めている。最新の学問的研究によれば、明治維新以来の天皇制はそれまでの天皇制とは明らかに別物であり、流行りの言葉で云えば、ネオ・シオニズムに拝跪し傀儡と化した変態的天皇制であった。 近代天皇制の皇国史観に基く天皇制絶対主義いわゆる王制復古型国家神道は、明治天皇、大正天皇、敗戦後の戦後憲法で象徴化されるまでの昭和天皇の三代に於いて制度化されていたものであるが、押し込められた大正天皇を除き、明治天皇然り昭和天皇はなお然りで明らかにネオ・シオニズムに懐柔されており、仕立てられたそのシナリオ下で現人神として君臨しつつ猛威を振るった形跡がある。最新の学問的研究はこのことを明らかにしつつある。 戦前あまたの批判勢力が存在したにも拘らず「ほんみち」以外には、近代天皇制を1・天皇制はそもそも人類創造に当たって一列平等とした親神の思いにかなわないとする原義批判、2・今の天皇には天徳無しとする天徳批判、3・世界を唐人が牛耳っており、天皇も唐人であるとする批判の三点で捉え、この体制に毅然と立ち向かった者はいない。 「ほんみち」は、これをどのように世に問うたのか。社会主義−共産主義運動は、治安維持法の法網から逃れようとして内輪的な意思統一に汲々としていた折柄、「ほんみち」は果然、昭和3.3.23日、「ほんみち」の方から奈良県庁への「昭和3年の打ち出し」を皮切りに、全国的な規模で官庁、府県庁、警察署、知名人、有力者等々に公然と「研究資料」を配布し、宣伝員が臆することなく内容を説いて廻った。 その背後には、大西には大西の長男・愛信の身上があり、愛信の要請という宗教的事情が有ったにせよ、こうして「ほんみち」側から捨て身の行動に決起している。取締り当局は、衝撃を受け、報道管制を敷きながら内偵を進め、4月初旬、一斉検挙に向かった。約500名に及ぶ信徒が検挙され、そのうち約180名が不敬罪で起訴された。世にこれを「ほんみち第一次不敬事件」と云う。 昭和13.8.12日、「ほんみち」は、こたびは大西の妻トヲの身上を奇禍として「憂国の士に告ぐ」と題した書信を大阪朝日、大阪毎日新聞社へ届け「昭和13年の打ち出し」に向かった。これを契機に、二人一組の説明班を編成し検事局、警察署、憲兵隊に出向き所信を表明した。全国の信徒が約900万部を個別配布して廻った。11.21日、第一次一斉検挙で約1千名の信徒が検挙され、約400名が収監された。昭和14.5月、第二次一斉検挙206名が逮捕され、全部で273名が起訴された。世にこれを「ほんみち第二次不敬事件」と云う。 宗教的と云えば余りにも宗教的なこの経緯は、右派系左派系歴史書の殆どが記さない史実である。れんだいこは、客観的に見て、近代天皇制に真っ向勝負した稀有な快挙として触れざるを得ない。左派系のインテリジェンスからは理解できない愚挙であったにせよ、黙することは不遜過ぎるのではなかろうか。思えば、こういう式の歴史書、歴史観で、我々の眼はくらまされ続けているのではなかろうか。れんだいこが、れんだいこ史観を打ち出さざるを得ない所以がここにある。 れんだいこ史観で云えば、世上云うところの明治維新の概念は正しくない。本来は、幕末維新と捉えるべきで、この幕末維新は「上からの幕末維新」と「下からの幕末維新」の二通りから進められたとみなすべきではなかろうか。「上からの幕末維新」は、西郷派の失脚と共にネオ・シオニズム派が天下を取り「明治維新」となって西欧化と云う名のネオ・シオニズム化させられていった。 「下からの幕末維新」は、自由民権運動に代表される政治運動と教派神道と呼ばれる宗教運動に分岐して、結局鎮圧された。自由民権運動はその後マルクス主義派、無政府主義派、労使協調派等々に分岐する。他方、「ほんみち」は、大本教と共に最後の「下からの幕末維新」の嫡出子運動だったのではなかろうか。そういう気がする。 2007.12.15日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評354 | れんだいこ | 2007/12/16 17:54 | ||
【「ほんみち」その4、功績その1、天理教本部の応法主義批判】 さて、宗派としての「ほんみち」をどう位置づけるべきだろうか。天理教教祖中山みきの原教義との関係で、天理教本部と「ほんみち」とでは、どちらがより忠実なのだろうか。まずここを明らかにせねばならない。 左派的には、「ほんみち」の方だろうと位置づけるのが普通だろう。なぜなら、現象的に見る限り、天理教教祖中山みきの「80歳を越してなお度重なる拘引御苦労のひながた」を踏んだのは「ほんみち」であるのに比して、天理教本部は応法化に勤しみ、教祖中山みき教義の核心である「元始まりの話」(「泥海古記」)を隠匿し、その他教義全般を改竄し、教義的に相容れぬ皇国史観に与し時局に迎合していった。 天理教本部のこういう動きに対して、「ほんみち」派は「元始まりの理話し」を毅然と掲げ、結果的に戦前の左派運動が遠く及ばない真っ向勝負の反天皇制運動を繰り広げ大弾圧を喫した。この史実に鑑みると、「ほんみち」こそが天理教原理派であることは疑いないように思われる。れんだいこは、村上重良氏の「ほんみち不敬事件」でその史実を知らされ、以来「ほんみち」を畏敬している。 ところが、事はそう簡単ではない。以下、その次第を見ていくことにする。 「ほんみち」の開祖・大西愛治郎の教理は、天理教教義の核心として天啓教であることを重視しているところに特徴がある。大西は、この観点から、教祖中山みきを後継した本席・飯振伊蔵の「お指図」を極限まで問い詰め、独自の解釈を生み出した。 大西は、本席没後以降に於いて天理教本部が天啓者を喪失していることを重視し、大正.8.15日の「甘露台人の理の御踏み定め」の体験により大西自身に神がかった事を伝え、「天理教祖の理の跡目相続人」として、「三軒三棟の理」により中宮に迎え入れるよう願い出るところから「ほんみち」活動を始発させている。 その背景にあったのは、天理教本部が、教祖中山みきの御教えに背いて、天理教団を中山家を頂点とするいわば封建的な「お家」秩序の下に再編成しようとする動きであり、それに呼応した応法化であった。この流れにより教義改竄が上から進められ、教祖の御教えとは馴染まない皇国史観を迎え入れ、折衷混交式に教義展開し始めていた。この頃、合法化で力を得た天理教団の教勢が倍化しつつあり、それに応じて教団内に腐敗と堕落がはびこりつつあった。 大西は、この情況に対して敢然と、「天理教は中山家のものではない」、「応法化は教祖の御教えに反する」、「御教えに帰れ」、「『泥海古記』が教義の核心であり、隠蔽は許されない」とする諸点から天理教の正統を争い、本部派に逆「匂い掛け」運動を開始した。これを仮に「ほんみちの天理教本部の応法主義批判」とすると、大西が指導した「ほんみち」運動はその限りに於いて正当性を有していた。かく評価されるべきではなかろうか。 但し、この面に於いては、天理教本部の言い分も聞かなければならないだろう。れんだいこは、当時の応法化があながち責められるべきとは思わない。布教の合法化は何としてでも勝ち取らねばならない流れに有り、天理教本部がこれに取り組んだことは当然であった。応法化の眼目は、教勢の法的保護と信者の安定的囲い込みを図るものであり、私利私欲で為したものではない。一口に応法化といってもその過程には並々ならぬ苦心惨憺があり、苦吟しつつこの道を切り開いていったのであり、このこと自体には咎は無かろう。 この問題は、その巧拙は別として、一般に教義とは別な組織論に関係しており、主として合法と財務問題であり、致し方なかった面があると考える。恒常的な組織形成がもたらす宿命的な別智恵であり、天理教本部のみが責めを負わされる必要はないと思っている。 但し、天理教の場合特殊にここがややこしい。なぜなら、教祖中山みき教義の白眉として人類創造譚があり、これによれぱ親神が人間と世界を創造したのであり、親神の創造時の思いを聞き分け実践するのが信仰目標であるのに、作られた側の人間つまり子供側が作った法律になぜ縛られる必要があるのか、という問題が提起されている。ましてや、教祖みきは頑なに親神一途の信仰を説き続けていたという経緯がある。 思えば天理教は、親神一途のこの御教えを廻り、信仰生成期から親神一途の教祖派と世間並みの世渡りを目指す長男秀司を始めとする応法派が対立していた。教祖亡き後、高弟の一人であった飯降が本席を継いだが、本席は、教祖みきの御教えが崩されない範囲での応法を止むなしとしていた。しかし底流で、本席派と秀司の跡目を継いだ真柱派が応法の手法を廻って根深い対立を繰り広げた。 本席はナライトを後継指名して没したが、ナライトの出る幕は限られ、以降、真柱派の絶対権力が確立した。真柱派の応法主義は次第に限度の無いものへ深入りし、やがて教義改竄と腐敗落腐の道へのめりこんでいった。 こういう経緯を考えると、天理教教祖の神言が、他の宗教に比して徹底的に原理的であり、非妥協的なものであったが故に、教団内が絶対矛盾に陥ったことが分かる。常識的には、そういう教義から始まる天理教である以上、なし崩しの応法化は自己否定の道であり、咎められるべきだろう。これが弁えとなるところ、天皇制絶対主義に屈服し、次第に協力の度を深めていったという否定事象が認められる。 そういう意味で、本席没後、「ほんみち」が本席派に位置しながら真柱派=本部派批判を開始したのは正当だったと考える。教内に「長いものに巻かれよ」式の恭順がはびこり始めた時、これに抗議するのは必要なことであったと考える。こういうことは何も天理教内だけのことではなかろう。 2007..12.15日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評355 | れんだいこ | 2007/12/16 19:53 | ||
【「ほんみち」その5、ほんみち教義考】 いよいよ大詰めに来た。上述で、「ほんみち不敬事件」が時代的正当性を有しており、天理教原理派として存在価値を有していたことを確認した。村上重良氏の「ほんみち不敬事件」を通読して、そのように受け止めたれんだいこの理解に間違いがあるとは思わない。但し、れんだいこは今自前の天理教教祖中山みき研究を経て、当時とは少し違う見解に立っている。「ほんみち」派の教義が天理教本部のそれよりも教祖の原教義に近いとは必ずしも言えないとみなしている。 「ほんみち」を開教した大西愛治郎の教義理解自体が、致し方なかったとはいえ、既に神仏混交的に俗化せしめられた当時の応法教理に染まっており、それは真実の中山みき教義とは随分隔たっていると考えている。「御教えに帰れ」と叫んで始めた「ほんみち」教義が、教祖の御教えにいかほど立ち返り、忠実なものであったかどうかは別問題であると考える。つまり、問題意識としての正当性と果実の正当性は叉別の物差しで精査されねばならないと考えている。 大西の「お道は天啓者宗教である、天啓者に導かれてこその信仰である」とする観点は、宗教的情動としては違和感無く受けいれらるものであるかも知れないが、れんだいこはやはり疑問を抱いている。果たして、教祖の原教義に照らした時、大西流理解が正確だろうかと疑問を持っている。否この意味では、教祖自身が相応の責任を負っていると云うべきかも知れない。 「ほんみち」自身、この生い立ちの秘密が、教団内からの相次ぐ天啓者騒動に巻き込まれることになり、「ほんぶしん」派から「大西家宗教批判」を受けたりで、相当苦いめに遭うことになった。今日どのように教義化しているのか分からないが、天啓者宗教論は両刃の剣であろう。 結論として、「ほんみち」的理解はあくまで天理教教義の大西愛治郎的理解に基くものであり、教祖中山みきの教えに忠実かと云うと別物であると思っている。「ほんみち」教義の特異は、天啓者後継問答ばかりでにあるのではない。因縁諭し論に於いても、天理教が応法過程で身に付けた、俗化せしめられた神仏混交的因縁論に傾斜しており、開祖みきの御教えとは隔たっているとみなしている。 教祖中山みきの因縁論は、元始まりの諭し話に基いており、これを説けば誰しも明るく素直に勇み、積み重ねた埃りを払うて陽気づとめに向かえる、いわば明るい因縁論であるところに核心がある。世上の因縁論は、前世の祟りだとか積み重ねた業に因るとする諦念論で、聞く者を暗くさせる類いの脅し教義で説かれている。この違いを明白にさせるところに、教祖中山みきの因縁論の意義があるところ、そのように説かれているのだろうか。説かれていないとすれば、教祖中山みきが否定した坊主説教に堕していることになろう。 「ほんみち」の「越すに越せん関論」は「ほんみち」らしいさすがのものではあるが、手放しでは同意し難い。「世界の大掃除が始まる越すに越せん関の日」を念頭に置きながら諸事対策しているのは良いとして、待ち受ける「世界の大掃除」をどのようなものとして認識しているのか、その内実を問いたい。 れんだいこは、俗流のハルマゲドン思想に堕してはもったいないと考える。「世界の大掃除」の起因するものを自然気象に限定しては視野が狭かろう。政治経済文化総体の唐人的なものとの不断の闘争と、その闘争の決戦的なものとしての「世界の大掃除」と構想し、日々たんのうすべきではなかろうか。 実のところ「ほんみち」については関係書物数典を通してしか知らないのだが、踏み込んだ書き方をしてしまった。以上で、「れんだいこのほんみち論」とする。何やら日共と新左翼の関係に似ている面がおかしく面白かった。 2007.12.16日 れんだいこ拝 |
Re:【「ほんみち」その5、ほんみち教義考】 | 如往 | 2007/12/19 18:17 | ||
れんだいこさん、こんにちは。 一聯の「ほんみち」シリーズは過日(11月30日)の私の問いにたいする回答の意味も兼ねているのかも知れないと勝手に想い込んでは恐縮しているような次第です。 戦前の二つの「ほんみち」事件を概括してみるならば、天理教本部(本席派&真柱派)は世俗主義(応法主義)の背後に隠れることによって、結果的に「ほんみち」を国体(天皇制)への人身御供にしてしまったという側面があったと謂えるのかも知れません。また、天理教に内在していた継承と正統性の問題は天皇制という時局絡みの外力によって噴出したものの、結局は分派闘争が惹起されただけに終わったという観方も成り立つと思います。 本来、天理教と天皇制とは優位性や本源性において双方ともに妥協することはあり得ぬような鋭い対立関係にあるものの、それが当時(第二次大戦の戦間期)には抜き差しならぬところまでに表面化することはなかったと解釈すべきであり、「ほんみち」と時の天皇制との対立は政治的なものに止まり、天理教原理と皇国原理(史観)とが根本的(宗教的)に対立するような様相を呈するまでには至らなかったと見るべきではないのでしょうか。 天理教原理と皇国原理(史観)は、宗教原理論的には進化論と創造論の対立にも擬えることができるような相克関係にあると想っているのですが、システム(制度)論的には前者のそれが顕在化して来ないことが両者の間に対立を生じさせない一因になっていると推察しています。すなわち、原理(天啓)の流露こそが重要な意味を持つ宗教の一般的な特性から見ても、システム上の対立はあまり視界にはないはずですから、政治論的な総括にまで想い至らないのは当然の帰結と謂えると考えます。 以上はれんだいこさんの論考を拝借させていただきながらの簡素な雑感ですが、天理教に関する認識が少なからず深まったと自覚すると共に、れんだいこさんには感謝するばかりであります。しかしながら、私の見解は断じて皮相性や誤認を免れるものではありませんので、今後ともご教示をいただけますならば、幸甚に存じます。(尚、併せて、村上重良著『天皇制国家と宗教』・『現代宗教と民主主義』、池田士郎著『中山みきの足跡と群像』等を参考にしました。) また、会いましょう。 |
Re:Re:【「ほんみち」その5、ほんみち教義考】 | れんだいこ | 2007/12/20 19:21 | ||
如往さんちわぁ。本年も最後の追い込みに入っており、気が休めません。それにしても一年が早すぎます。れんだいこなぞ、1年を365日で過ごすのではなく、12回のやり繰りで追われております。気づけば、30代が終わり40代が終わり50代が終わろうとしております。公務員になればよかったかもとか弱気になる事もありますが、弱気は性に合わないので、捨てる神あれば拾う神ありを期待してご守護賜るよう極力にっこりで励んでおります。 それはともかく、やっと「ほんみち論」に着手することができました。十分なものでは有りませんが、「ほんみち」側からのご意見賜りたいところです。如往さんに一定の評価を賜ったことをうれしく思います。れんだいこが次に向かうのは「お筆先」の解読です。いつのことになるか分かりませんが、「お筆先」に表われた中山みきの思想と理論について解析してみたいと思います。ご期待ください。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評356 | れんだいこ | 2007/12/21 19:37 | ||
【引用、転載をルールとマナー問題にしなければならない理由】 れんだいこは、「引用、転載をルールとマナー問題にしないといけない理由」について重要性が分かり始めた。なぜなら、現代強権著作権派の立論がどうやらここを始発にしているからである。「引用、転載、要通知、要承諾論」が「引用、転載に伴う利用対価権論」を生み、「著作権の営業的利用は使用料支払い当然論」へと発展して、全分野全域課金制へと至りつつあるあるように思われる。従って、現代強権著作権派を叩く為には、彼らが論拠としている「引用、転載、要通知、要承諾論」を崩さないといけないと云う事になる。 現代強権著作権派のパシリが日本音楽著作権協会(ジャスラック)であり、「著作権の営業的利用は使用料課金当然」として、カラオケスナック店への強権徴収で「泣く子も黙るジャスラック」ぶりを発揮しているのは周知のところである。彼らは今、音楽の奏でるところを隈なく捜し求め、歩合給社員を派遣し、顧問弁護士との連係プレーで訴訟沙汰にするぞと恫喝しては「過去に遡る法外請求」で懐を肥やしている。これを、音楽文化の保護と育成発展と云う美名でやるので、やられた側は堪ったものではない。 「引用、転載をルールとマナー問題にしないといけない理由」は、その1として、「要通知、要承諾論」が情報閉塞の手段として使われているからである。これについては、「ヒトラー古記事問題で見えてくる著作権の本質」で考察した。(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/tyosakukenco/hittrerkijimondaico.htm) その2として、利用対価権を発生させ、際限のない取立て屋を生むからである。文化文芸の伝統を壊しながら、育成発展のためにやっているなどと云う倒錯を生むからである。 では、我々は、「引用、転載、要通知、要承諾論」にどのように立ち向かうべきか。れんだいこは、その1として、原理的にそもそもナンセンス論を構築している。「歪曲のない引用元、出典元明記の引用、転載」は本来なら誰しも歓迎であり、慶事とすべきことと考えるからである。よしんば批判的に引用、転載されるにせよ甘受すべきである。互いの芸の肥やしの為なのだから。れんだいこそう考える。 しかし、この見解に賛同を得るのは、或る人にはできても或る人には難しい。そこで、もう一つの論を提供する。れんだいこは、法には法で対抗し、著作権法及びその下位法の原理原則に立ち帰ろうと思う。ジャスラックを想定して物申すが、れんだいこは、著作権法及び音楽著作権法の著作権保護の本来の趣旨に注目する。 それによると、法の本来の趣旨は、版元とかその下部の問屋とかの営業的利用に関わる著作権対価権の容認であり、そこをスルーしてなお且つ末端の利用レベルまでの課金は要請していないとみなしている。「引用、転載は原則的にできる」のであり、「要通知、要承諾論」を記していない。それを「要通知、要承諾論」にしていると勝手に解釈し、全分野全域に課金制を勝手に生み、飯の種にする輩が増えつつある。 ジャスラックの現行のようなカラオケスナック店への強権徴収は、本来の法が要請していないところの違法取り立てだと見る。取り立てられる側が容易に妥協し支払うから悪癖になり、ジャスラックが調子づいていると見る。もっとも、ジャスラック式の消費税感覚での取り立てを可能にする法改正を許容したところから、こういう変則が発生していると見る。とならば、今からでも遅くない、更なる法改正で、そのような取り立てはできないとカンヌキを入れるべきであろう。 それというのも、著作権法及び音楽著作権法の根本理解に於ける「著作権の営業的利用に伴う使用料課金当然論の野放図な適用」に問題があると見る。著作権者にとって、エンドユーザーが歌唱するのは歓迎すべきことであり、俺が作った歌を俺に黙って歌うのはケシカランと手を出すのはよほど気難しい変人でしかない。つい先日は、別件ではあったが川口はんが醜態を晒した。 ジャスラックが、カラオケスナックでの歌唱に目くじらするのは逆であり、本来は歌唱の輪を広げていることに対して表彰すべきである。そういう意味で、生演奏経営者に法外な課金を被せ疲労困憊死させたり、逮捕させて悦に入るなどは許し難い。この団体は根本が狂っている。れんだいこはそう思う。本来は、こう構えるべきだろう。 ところがイケナイ。自称知識人がこぞって、「それはねぇ君、知的所有権と云ってね、あれは要るもんだよ」と、したり顔して説教する。その癖、この方面の学問しているのかと云うと全く不勉強でしかない。れんだいこのこの立論を深く沈思黙考し、せめて強権著作権論はやはりオカシイのではないかと、訝る地平まで立ち戻ってくれないと困る。 結論。純理論上は利用対価権利なるものが有り得るが、実務的には弁えるべきだろう。各界がこれをやると互いに首を絞めあうことになり、学問、文芸、芸術の発展を阻害することになる。著作権は抑制的に認め合うことが真の文明ナイズであり、野放図に万展開せしめるのは却って野蛮である。このことを知らねばならないのではなかろうか。 各界の者が飯を食う方法は他の手段に於いて見出さねばならない。我々の伝統はこれまでにそういう文化と制度を創ってきたし、今後も互い助け合いでこの道を磨くべきだ。洋物ユダヤナイズ思想に被れる必要は一切無い。あれは底が浅い。れんだいこはそう思う。 2007.2.20日、2007.12.21日再編集 れんだいこ拝 |
御体を大切に | rururu1970 | 2007/12/22 09:36 | ||
初めまして。 テレビで、真珠湾攻撃の知られざる真実を見てネット検索し、こちらへ参りました。今日が、はじまりなので全てを拝読しておらず、左往来という意味もわからないままの投稿をお許しください。 このところ、地球温暖化、環境問題、中国共産党の中の極悪人ら、朝鮮人の中の極悪人ら、軍需産業でほくそ笑むユダヤ系とそれらの加担者と日本人の中の愚人らに頭を悩ませております。だからといって、解決する頭脳も知恵も行動力も無い私なので何もできませんし、肝心な事をマスメディアや警察によって隠蔽もしくは操作され国民は子羊状態のようです。 れんだいこ様の高度な才能が体調に左右されては、今後の拝読の楽しみが…と思い、野山の薬草のすすめをしたいと思います。サプリメントや市販の漢方薬も私のような貧乏人では良いものを買えず効いてるのか、成分をごまかされてるのかわからないので、薬草を自分で育て、服用しようと考えネットで調べました。 病気・症状から説明・薬草・漢方薬一覧表 上記キーワードで検索しホームセンターやネット園芸店等で種や苗を購入。まだ始めて間もないですが、結構効き目があるとおもいます。必要そうなのを揃え狭い庭が薬草だらけになってしまい大変ですが葉をお茶に入れたり実も食べれて美味しく楽しいです。 最近、やっと歯科の通院を終えました。『歯と歯茎が以前より丈夫になりましたね。』と言われて喜んでます。夜、食べるタイプのカルシウムサプリメントを服用、歯磨きして寝るを続けておりました。歯と歯の間が糸ようじや歯間ブラシでは時間がかかって大変だったので最近ではジェットウォーターの口腔洗浄器をぬるま湯で使用しております。長い間高価なものと思って諦めてましたが、年々改良され安価になり、医療費と虫歯予防と通院&歯磨きの時間を考えると安い買い物だと思いました。 昨日、大きな銅鍋をウスターソースで磨くと銅イオン効果で、予期せず血行が良くなり鍋もピカピカになりました。腹の足しになる議論の為に少しでもお役に立てれば幸いです。 |
Re:御体を大切に。有難うね。 | れんだいこ | 2007/12/22 17:46 | ||
rururu1970さんちわぁ。遠方より朋来たる、楽しからずや。今後ともよろしくね。れんだいこの身上の心配有難うございます。体にメスが入るという経験を初めてしました。今年は何やかや大変だったです。何とか年を越し、来年こそは良い機運に乗ってはばたきたいです。 薬草・漢方薬のご親切なご紹介有難うございます。れんだいこは、西洋医学一辺倒ではなく、東洋医学にも関心があります。「ジェットウォーターの口腔洗浄器」については知りません。30代に無茶な生活を続けたせいで随分画歯が悪くなりました。そういう意味で、少し興味があります。 たまたまですが、コロコロという歯ぐきブラシが気に入り、朝の30秒ほどですがやっています。「ジェットウォーターの口腔洗浄器」は寝る前によさそうですね。すぐには買えそうに有りませんが、貴重情報有難う日ございます。 > > 腹の足しになる議論の為に少しでもお役に立てれば幸いです。 ほんと、情報は余りかえっているのに、いざタメになるものは表に出ておりません。手作りで紡がねばなりません。議論も、いろんな角度から練り合わせするようなものを期待しております。どうぞ、この掲示板をそのように活用し、ここに詣でないと一日が落ち着かないような多くのファンづくりにご協力下さい。 れんだいこは、相手がいようが居まいが自分本位に独舌しておりますが、朋が多い方が断然ノリが良いですね。あなたのそこは違うとか、ごもっともとかの語り合いを欲しております。互いに朝に紅顔有りて、夕べに死すとも分からない身ですので、今生今宵の出会いを大事にしませう。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評357 | れんだいこ | 2007/12/24 20:58 | ||
【木下尚江考】 れんだいこは、木下尚江に対して殆ど何も知らない。ただ、天理教の評価を廻る知識人の位相に於いて、 木下尚江が、教祖中山みきを次のように評していることに感心している。 「中山みき子は妖婦に非ず、彼は詐欺師に非ず、彼は愛の人なりき、切愛の人なりき、極愛の人なりき、彼女は我が身に神の宿る事を信じたりき、しこうしてこの確信は実に彼女の愛の生むところなり」。 これに対して、明治14年7.17日の「大坂新聞」紙面での宮武外骨氏の論評はこうである。 「近頃、奇怪なる一老婆こそ現われたり。処は大和の国丹波市辺に齢90有余の老婆あり。自ら転輪王帝(みかど)と号し、昼間は何処へ潜伏なすものか。更に影だに見せざるも、毎夜12時過ぐる頃、忽然と現われ出で、頭にはほう蓬々(ほうほう)たる霜髪(しらが)を振り乱し、身にはこうこうたる白衣を纏い、諸所を徘徊しながら、『万代(よろづよ)の世界一列見晴らせば、棟の分かれた物がないぞや((れんだいこ注-胸の分かりた者がないぞやの誤読解)』と妙音を発して、口吟し、且つ我が宗門の徒に帰するものは、一百五十年の長命を授くべしとあられも無き妄言を吐くにぞ、近郷の愚民等は、これぞ天より降り玉ひし神女ならねば、山より出で玉ひし仙人なるべしと、神仏は棚に上げ、一心不乱にこの老婆を信仰する者、現に該地方には三百余名もあり云々」(宮武外骨「明治資料」) 外骨より二十年後の中江兆民の論評はこうである。 「卜せい(ぼくせい)、観相、風角、巫祝(ふしゅく)及び諸種仏神護符の類、その人事に害し並びに人の神智を傷むること極めて大なり。これら、徐(おもむろ)に法を設け、多少の猶予期を与えて之を禁絶すべし。その他天理教、金光教会等淫祀の属、皆この一例に依り之を禁絶すべし」(中江兆民「一年有半」明治34年) かの幸徳秋水にしてこうである。 「ああこの迷信、彼らがいわゆる愛国心と云う虚誇的虚栄的迷信の固きは、実に腐敗せる神水を飲むの天理教徒に過ぐる者ある也。しこうして、その害毒もまた之に過ぐる有り」(幸徳秋水「二十世紀の怪物帝国主義」明治34年) してみれば、木下尚江は稀有な天理教教祖中山みきの礼賛者であったことになる。他の者の評論が、教祖については知らずままに、教徒の布教生態を悪し様に云うことで早合点しているのに比して目線が一歩高いように思う。その木下が、次のような名文を遺している(自伝「懺悔」)。面白いのでサイトアップしておく。これも著作権違反なのだろうか。云いたいものには云わしておけ。 「明治23年の冬、待ち続けられたる国会が始めて開かれようとする時、即ち民主主義の舞台の開幕が一日千秋の思いで待ち構えられて居た時『教育勅語』が公布された。 学者の倫理学と云うものが手の裏返すように一変した。政府は法律的に国民道徳なるものを強行する方針を立てた。見よ、法律の外に制裁力無き無道徳時代には、道徳も亦法律的権力を借らねばその威信を保つことがならぬのである。故に厳密な意味では道徳では無いのだ。 かく神国的感情の大風が吹き荒む時、思想界の枯野に一本の喬木が残っていた。即ちキリスト教であった。(中略)(彼ら神国者流は曰くキリスト教は日本の国体と相容れざるものなり、曰くキリスト教は愛国心を亡滅するものなり、と攻撃した)(中略) 予は足を爪立て首を延ばして、神道仏教一切の連合軍を一喝の下に打ち破る或る一勇士が、キリスト教会から出現するその武者ぶりを待ち望んで居た。予の切なる希望は忽ち失望を以って報いられた。多くの学者論士は出でて応戦を試みたが、その言う所は予の信仰とは殆ど正反対に、何れもキリスト教は日本の国体を傷つけるものでも無く、愛国心を破るものでも無いと百方苦心して弁解するのであった。(中略) 間もなく日清戦争が開かれた。予は戦争と云う事はキリスト教の反対するものだと云う事を些かも疑わなかった。然るに戦争の始まるとともに、東京に在る知名のキリスト教徒は全国を遊説して、『正義の戦争』を鼓吹し始めた」。 「いわゆる知識人の天理教称賛の位相考」 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/thishikiginnotenrikyohishosanco.htm) 2007.12.24日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評358 | れんだいこ | 2007/12/28 20:53 | ||
【廣池千九郎考】 れんだいこは、木下尚江に続いて廣池千九郎に興味を覚えたので記しておく(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/omithisonogoden/senkuroco.htm) 興味深いことは次のことである。後にモラロジーの創始者として知られる千九郎は、いわば在野系の博学者であったが、数々の論考が認められて1903(明治35)年、早稲田大学講師。1906(明治39)年、伊勢の神宮皇學館教授を歴任。「神道史」、「宗教史」、「東洋法制史」などの講義を担当する。いわば功なり名を遂げたその身で、1909(明治42)年、学術調査のため天理教本部を訪れ、翌年入信している。 天理教教育顧問・天理中学校校長を務めるかたわら、天理教本部から三教会同に関する講演の依頼を受けて、以後全国各地で講演活動を展開する。1912(大正元)年、東京大学より法学博士の学位を授与される。これにより学者としての地位を不動なものにする。その後、廣池の研究は法制史の枠を超え、究極のテーマである国体つまり日本のアイデンティティの研究へと傾倒してゆく。 千九郎は天理教の初代真柱の知遇を得、いわばスポークスマンのような活躍をしていたが、真柱没後、本部との折り合いが悪くなり天理教と決別している。その後、1915(大正3)年、「東洋法制史本論」、「伊勢神宮と我国体」を発刊。1916(大正4)年、「日本憲法淵源諭」等を出版する。これらの研究が基礎となり、後年「道徳科学の論文」の発表へとつながっていくことになる。 千九郎は、労資の思想善導に取り組み、労資協調の祖と云われる。経営指導で「三方よしの経営」を唱える。これが後にモラロジー研究所設立構想へと至ることになる。 その後の評価は別として、れんだいこは、千九郎氏の履歴に興味を持つ。彼ほどに日本学を造詣せしめた者が何ゆえに天理教に入信したのだろうか。その時の動機は、初代真柱との親交のみではなく、天理教教義の奥深さに傾倒したゆえにであったのではなかろうか。ズバリで云えば、教祖中山みきが開陳した「元始まりの理話し」(「泥海こふき」とも呼ばれる)に被れたのではなかろうか。 れんだいこは今、この「元始まりの理話し」にぞっこん惚れ直そうとしている。現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義がイデオロギーとしているユダヤ−キリスト教聖書の天地創造譚、戦前の皇国史観に基く記紀神話譚に抗すべきもう一つの神話がここにあり、その完成度、思想の良質性は群を抜いているのではなかろうか。そう思い始めたからである。 今日、何も分かっていない手合いが宗教の意義と価値を貶め、くだらない政治しかしていないのに政治優位論を掲げ、科学的という冠詞を付けただけで科学的になったと勝手に了解する程度の貧困な頭脳で、独特の教義を掲げているのに、それを思想と呼ぶ。この手合いに対して、中山みき思想とその重層的弁証法的理論構造を学ぶよう説いてみたい。 千九郎の「三方よしの経営理論」の中身がわからないが、恐らく、階級闘争史観のアンチテーゼとして打ち出したものではないかと思われる。れんだいこは、千九郎の恐らく穏和主義的な「三方よしの経営理論」ではなく、中山みき的な「谷底せりあげ救済、高山後回し的世直し、世の立て替え」理論に基く急進主義的な「三方よしの経営理論」を唱えてみたい衝動がある。 そういうなんやかやで、先駆者千九郎の意義と価値をも見直したい。思えば、幕末維新以来の日本のインテリゲンチュアは、学べば学ぶほどネオ・シオニズム学で染められ、却って馬鹿になるだけの官学界からは出てこず、いわば異端の在野の中からのみ生まれてくるのは不思議でもなんでもないのかも知れない。そういう気づきを与えてくれる点でも千九郎の意義は高い。 2007.12.28日 れんだいこ拝 |
天地開闢論として、「泥海古記」は「記紀」を超えるものであるか。 | 如往 | 2007/12/30 21:45 | ||
れんだいこさん、こんにちは。 西暦2007年も押し迫りましたが、如何お過ごしでしょうか。当方は何もこれと謂った感慨もなく、日々を暮らしております。 さて、標題はまた、『「泥海古記」説は天地開闢論として「記紀」説よりも根源的であるか。』と、言い換えることが可能だと考えています。この問いにたいし、れんだいこさんが“イエス”と答えるべく再発進しようとされていることに水を差そうとするものでありませんが、以前より私は「記紀」は単なる日本神話であり、内容の信憑性(史実性)を云々するまでもないものと見做していますので、敢えてフィクションにフィクション(?)を対置させその真偽や根源性を探究することにあまり意義を感じられないのです。つまり、信仰する人達の間では争点に十分なり得るでしょうが、傍目には不可解な論争のように映ってしまうのは如何ともし難いものがあります。 しかしながら、派生的なテーマになるのかも知れませんが、明治期から昭和期にかけての天理教の論者・教導者達が如何にして「記紀」を援用し、それを「泥海古記」へと結実させていった経過と、中でも皇国原理(史観)との対立点や闘争の真相については大いに関心を持っています。 やはりれんだいこさんの解説を拝借させていただくならば、「泥海古記」は物語としてはミクロ的な世界観ではあるけれど、教祖中山みきの出自によっても培われた、物産む農地が全ての命の根源であるとする基本的認識は、「記紀」が説くようなマクロ的な世界観よりも実感的で説得力があると感じます。 ところで、私は学部時代の専攻(実存主義哲学)を離れて社会心理学(宗教心理学)の道を志しましたが、間もなく諸事情により頓挫してからかなりの月日が経過しています。しかし、当時も、宗教の教義ではなく、宗教の発生・成立過程や人々が宗教を求め支持する理由の探究が自身の関心の中心部分をなしていたことは確かですし、それには今も変わるところがありません。 それに関連して、大分後に手にした鈴木秀夫著『森林の思考・砂漠の思考』(1977)は科学者(地理学)が宗教の成立過程を地理的な関係性を基軸に論述したものですが、人間の宗教心理を考察していく上で不可欠な視座を与えてくれたと感じています。森林の思考が多神教の宗教を、砂漠の思考が一神教の宗教を生んだとするのが論考の趣旨と纏めることも可能ではなかと思います。細かいことを云えば“砂漠の思考”というよりは“荒野の思考”とした方が今ではしっくり来るような気がしています。 >その後の評価は別として、れんだいこは、千九郎氏の履歴に興味を持つ。彼ほどに日本学を造詣せしめた者が何ゆえに天理教に入信したのだろうか。その時の動機は、初代真柱との親交のみではなく、天理教教義の奥深さに傾倒したゆえにであったのではなかろうか。ズバリで云えば、教祖中山みきが開陳した「元始まりの理話し」(「泥海こふき」とも呼ばれる)に被れたのではなかろうか。 何年か前に縁あって“モラロジー”について調べたときの結論めいたものですが、廣池千九郎が結局行き着いたところは、「国体(天皇制)」の護持であり、それを実現し支えるための倫理体系の確立と国民の教化にあったのではないでしょうか。それがある時点まで天理教の教義と対立関係になかったのは、教育者千九郎が教導のための体系を構築する途上にあったことや少なくとも天理教本部が「国体」を受け入れていたことに起因していたのではないかと想います。 人間や人類の未来を展望するとき、天理教の教義がそのための中核的なコンセプトになり得るかどうかは、私には判りません。けれども、唯単に教義を信じるのではなく、しかも捏造の甘い罠に嵌ることなく、その根源性を問い続けることは宗教に親和性を覚える人なればこその重要な知的営為ではないかと考えます。 また、会いましょう。 |
Re:天地開闢論として、「泥海古記」は「記紀」を超えるものであるか。 | れんだいこ | 2007/12/31 15:55 | ||
如往さんちわぁ。早いもうですね、もう大晦日です。れんだいこは、心配していた越年を何とかクリヤーし、良い気分で今丁度「中山みき研究」を手直しし上書き保存したところです。(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/)
今なぜだか猛烈にみき教祖に再度の憧れを抱き、対話思案しております。恐らく政界のちまちまとした動きに飽き足らず、どうやら根源的なところでレールを敷き替えて発想して行った方が良いのではないかと気づかされてのことだと思います。これまでの研究が第1次とすればこのたびのそれが第二次となり、いつか叉第三次に向かうだろうと思います。みき思想の魅力に取り付かれた以上もう止まることはないと思います。 >さて、標題はまた、『「泥海古記」説は天地開闢論として「記紀」説よりも根源的であるか。』と、言い換えることが可能だと考えています。この問いにたいし、れんだいこさんが“イエス”と答えるべく再発進しようとされていることに水を差そうとするものでありませんが、以前より私は「記紀」は単なる日本神話であり、内容の信憑性(史実性)を云々するまでもないものと見做していますので、敢えてフィクションにフィクション(?)を対置させその真偽や根源性を探究することにあまり意義を感じられないのです。つまり、信仰する人達の間では争点に十分なり得るでしょうが、傍目には不可解な論争のように映ってしまうのは如何ともし難いものがあります。 「記紀」神話は少し学んだだけで、それ以上深めておりませんが、古代史上の最大政変、政権交代の秘密を隠喩で表現しているような気がしております。特に、出雲王朝との国譲り、天孫降臨、大和王朝創出の過程が圧巻ですが、裏読み無しには解けず、さわりだけで満足しております。フィクションのようでフィクションでなく、但しフィクションとして理解した方が無難と云う風に捉えております。ただ多くの皇国史観系学者の読み方は時局迎合過ぎて満足できません。ならばとその奥へ入ると、パズルのような仕掛けになっており、一服を余儀なくされます。そのように受け止めております。 補足すれば、興味深いことに、みき思想は、古代出雲王朝系譜の思想に列なっているように思います。れんだいこの遺伝子も叉ここに列なっている気がしております。私の先祖がどういう風に生命をつなげてきたのか分かりませんが、これは確かです。 > しかしながら、派生的なテーマになるのかも知れませんが、明治期から昭和期にかけての天理教の論者・教導者達が如何にして「記紀」を援用し、それを「泥海古記」へと結実させていった経過と、中でも皇国原理(史観)との対立点や闘争の真相については大いに関心を持っています。 同感です。 > やはりれんだいこさんの解説を拝借させていただくならば、「泥海古記」は物語としてはミクロ的な世界観ではあるけれど、教祖中山みきの出自によっても培われた、物産む農地が全ての命の根源であるとする基本的認識は、「記紀」が説くようなマクロ的な世界観よりも実感的で説得力があると感じます。 れんだいこは、みきの説話がどこから生まれてきたのかに興味があります。全くオリジナルなものだとすると、まさに神がかりゆえか天才の為せる技です。大変すばらしい、恐れ入るばかりというのが実感です。今特に力点を置いているところは、記紀神話よりもユダヤ教の天地開闢譚との違いです。みきの説話の意味と意義、価値がここにあると考えております。ユダヤ教の天地開闢譚は、性格の悪い神様との絶対的な契約になっており、個別を記すことは略しますがあんな信仰では我々の救いにはなりません。まさにサタニズム教本だと考えております。モーゼ律法で辛うじてバランスを取っているから良いようなものの。それに比べて、みきの甘露台思想の方が得心できます。そんな気持ちもあって評価し直そうとしております。 > ところで、私は学部時代の専攻(実存主義哲学)を離れて社会心理学(宗教心理学)の道を志しましたが、間もなく諸事情により頓挫してからかなりの月日が経過しています。しかし、当時も、宗教の教義ではなく、宗教の発生・成立過程や人々が宗教を求め支持する理由の探究が自身の関心の中心部分をなしていたことは確かですし、それには今も変わるところがありません。 > それに関連して、大分後に手にした鈴木秀夫著『森林の思考・砂漠の思考』(1977)は科学者(地理学)が宗教の成立過程を地理的な関係性を基軸に論述したものですが、人間の宗教心理を考察していく上で不可欠な視座を与えてくれたと感じています。森林の思考が多神教の宗教を、砂漠の思考が一神教の宗教を生んだとするのが論考の趣旨と纏めることも可能ではなかと思います。細かいことを云えば“砂漠の思考”というよりは“荒野の思考”とした方が今ではしっくり来るような気がしています。 確か、太田龍・氏の何かで読ませていただいたように思いますが、『森林の思考・砂漠の思考』という発想は、ユダヤ主義の根本を見抜いている気がしております。「助け合いか倒しあいか」の根本でのレールの敷き分かれを感じます。れんだいこは、マルクス主義的な階級闘争論より、人の生き方の二大原理の抗争論の方がしっくり治まります。この観点からの「たすけあい主義宣言」をマニュフェストしたい気概があります。 > >その後の評価は別として、れんだいこは、千九郎氏の履歴に興味を持つ。彼ほどに日本学を造詣せしめた者が何ゆえに天理教に入信したのだろうか。その時の動機は、初代真柱との親交のみではなく、天理教教義の奥深さに傾倒したゆえにであったのではなかろうか。ズバリで云えば、教祖中山みきが開陳した「元始まりの理話し」(「泥海こふき」とも呼ばれる)に被れたのではなかろうか。 > > 何年か前に縁あって“モラロジー”について調べたときの結論めいたものですが、廣池千九郎が結局行き着いたところは、「国体(天皇制)」の護持であり、それを実現し支えるための倫理体系の確立と国民の教化にあったのではないでしょうか。それがある時点まで天理教の教義と対立関係になかったのは、教育者千九郎が教導のための体系を構築する途上にあったことや少なくとも天理教本部が「国体」を受け入れていたことに起因していたのではないかと想います。 れんだいこは、千九郎氏自身の著作を読んでいないのでコメントしにくいのですが、履歴から見ると、そのごの千九郎氏は社会的に無難なところに身を落ち着け社会改良家として処世していったのではないかと推定しております。立派な方ではあるが、教祖みきに比べると物足りない。そんな気がしております。 > 人間や人類の未来を展望するとき、天理教の教義がそのための中核的なコンセプトになり得るかどうかは、私には判りません。けれども、唯単に教義を信じるのではなく、しかも捏造の甘い罠に嵌ることなく、その根源性を問い続けることは宗教に親和性を覚える人なればこその重要な知的営為ではないかと考えます。 れんだいこは、みき思想と陽明学とイエス思想とマルクス主義とアナーキズムと日本伝来の古神道をアンサンブルした21世紀型の全人類、環境適合型の新思想を模索しております。恐らく何がしか手ごたえを得、解き明かされることのない道のりになると思います。こうなると寿命との相談です。 > また、会いましょう。 ですねぇ。新年には何やら抱負を述べたいと思います。念頭に置きながら、これから碁会所へ行って来ます。これがなかなかうまくならないので困っています。さあ最後になりましたが、良い年を迎えませう。 2007.12.31日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評351 | れんだいこ | 2008/01/02 03:06 | ||
【れんだいこ及び勝手ながら助けあい党の謹賀新年】 2008(平成20)年が明けました。皆さんおめでとうございます。れんだいこは早速元旦詣でをして参りました。雪道のならぬ中を片道6時間かけて行って参り無事帰還できました。今年も運が強そうです。ありがたいことです。 昨年は、参院選で、民主党−国民新党−社民党−大地同盟による躍進で、自公政権与党が過半数割れに落ち込むという前代未聞の政界激震が走り、政治が面白くなりました。と思いきや、自民−民主−公明同盟が画策され、あわや煮詰まるという椿事が発生し、政界の裏事情が透けて見えてまいりました。多くの方が失望しただろうと思います。せめて救いは、旧社会党、社民連系が断固阻止の論陣を張ったことでせうか。小沢の退陣を角栄門下生達がなだめ、元の鞘に納めたことでせうか。 テロ特措法を廻っても混迷しております。どう理屈をこねようが、法治主義に遵ずる以上自衛隊の武装派兵はできない、してはならないと弁論し、狂人小泉時代の諸政策の総点検見直しに入るべきところ、自公法案以上の危険性を持つ民主党対案が出されており、民主党への期待感がますます損なわれようとしております。一事万事が世の習いですから、民主党の政策能力のお粗末さを窺うべきでせう。 本来なら左派政党が警鐘乱打し、「世直し、世の立て替え」へ向けての大衆的弾劾デモで国会包囲し、国会突入時辞さずの60年安保闘争時のブント的運動を再現すべきです。それぐらいしないと政治は変わりません。道理道徳的な口先反対アリバイや国連手紙戦術で何か変わったでしょうか。マスコミ人士の資性劣悪も次第に嵩じており、戦前も然りでしたが一貫して当局迎合的な論調が変わりません。これを一々論(あげつら)ってもきりがありませんので、そうであるなら我々のアルジャジーラ放送を創り出すべきです。もうそろそろ限界です。誰か音頭を取るべきです。 例によって、日共を批判いたします。宮顕−不破系党中央による反左翼性独善主義は、人民大衆の階級的生活利益に即して身を挺してきた戦前戦後の一時期に見られた共産党員としての反骨気概を全く粗相させ、共産党と云う党名を剽窃して汚し続けております。重箱の隅を突くような小正義運動で人民大衆の期待をごまかし続けております。かって社会党は、自社二分時代を作り出していましたが、裏切りに次ぐ裏切りで総スカンを食い、この間党自体が雲散霧消するはめに追い込まれております。人民大衆の期待を裏切るとどうなるかの標本だろうと思います。 この政治貧困を覆す本当の人民大衆党への期待が今ほど待ち望まれている時は有りません。ところが、この事業に失敗し続け、あるいは低迷しているところにもう一つの政治貧困が見て取れます。ここに政治が面白くなくよそ事でしかない原因があります。かく問題を認識できれば、半ば解決したも同然ですが、相変わらずの「俺が俺のところが正しい」式のセクト的宗派的習性のまま徒に時日を経ており、互いがロートル化しあっております。ここにも政治貧困が見て取れます。 れんだいこは、恥ずかしながられんだいこが党首の助け合い党は(党内意思一致はまだしておりませんが)、次のような見立てで戦後政治史を俯瞰し、現下の政治貧困打開の処方箋を投じたいと思います。党内党外で議論よろしくお願い申し上げます。 その1。1945.8.15日の敗戦直後から新憲法公布、その息吹きが強かった時代をどう位置づけるべきか。私は、世にも珍しいプレ社会主義が実現し、精神の自由が横溢した時代とみなします。貧しいながらも我が父母達は戦後復興に一億一心し働きました。良きにせよ悪しきにせよそれなりの能力者が成り上がった新支配者登竜時代でもあります。これを仮に日本政治史上稀有な戦後ルネサンス時代であったと規定したいと思います。この時代に資本主義体制云々を口走り反体制運動に向かった者達を、単なる思い込み頭でっかちとみなします。 その2、1950年前後から1980年代初頭までの戦後憲法秩序と日米安保体制秩序の相克時代をどう位置づけるべきか。私は、片肺飛行的ながらも世にも珍しい善政が基本であった時代とみなします。これを牽引したのが、吉田茂及びその門下であり、1970年代に角栄−大平同盟へと結実し磐石体制が築かれます。この時期に戦後復興を終え、世界史上の奇蹟と云われる高度経済成長時代が創出されます。これを仮に日本政治史上稀有な戦後ハト派主流時代と規定したいと思います。 今にして思えば、角栄−大平政治は誉れとすべきです。あの頃は本音と建前がその通りになっていた。その分真っ当だったと思います。今は錯綜しており嫌な時代です。かの時代に相変わらず資本主義体制云々を口走り反体制運動に向かった者達を、視野狭窄相変わらずの単なる思い込み頭でっかちとみなします。 その3、1980年代から2000年代初頭までの戦後憲法秩序が次第に否定され日米安保体制偏重化時代をどう位置づけるべきか。私は、世にも愚かしい悪政へ転換させた時代とみなします。これを牽引したのが、戦後タカ派と云われる国際金融資本帝国主義を後ろ盾にした売国奴系右翼であり、中曽根−ナベツネを頭目とするネオ・シオニスト派です。この連中が今も黒幕として良からぬことばかり仕掛けております。彼らは、ロッキード事件をてぐすね引いて待ちうけ、角栄−大平同盟が掣肘された隙に国際責任論、応分負担当然論を唱えながら台頭して参ります。 この時代に戦後日本が蓄えた国富が食い散らかされ、国債刷りまくり政策により財政破綻させられます。これを仮に日本政治史上悪質な戦後タカ派主流時代と規定したいと思います。この時代に資本主義体制云々する者が少なくなり、左派運動総体が穏和主義化していきます。私は、この時代こそ闘うべきであったのに穏和主義化していった連中を軽蔑します。反体制運動呼号者達にとって理論見直しの好機であったのに、それをしなかったことに対して単なる呪文家とみなします。 その4.2002年から現在に至る戦後憲法秩序が骨抜きにされ日米安保体制一辺倒時代をどう位置づけるべきか。私は、世にも愚劣な悪政が基本となった時代とみなす。これを牽引したのが、ネオ・戦後タカ派と云われる国際金融資本帝国主義の御用聞き売国奴系ウヨサヨであり、小泉−飯島秘書官−竹中を頭目とするネオ・シオニスト派です。 彼らは、戦後体制刷新、日米一体論、応分負担信義論を唱えながら政界をレイプ睥睨しつつ暴力的に事を進めて参りました。この時代に戦後日本が営々と築いた栄誉が露と消え、国富の最終争奪が画策され、現在埋蔵金探しに向かっております。この間財政破綻が一層進行させられており、軍事防衛費だけは相変わらず目白押しで予算計上されつつあります。これを仮に日本政治史上極悪の戦後タカ派絶頂主時代と規定したいと思います。 一応このように見立て致しますと、政治の潮目に差し掛かっていることが分かります。恐らく近未来に反転して、日本は在地主義的な主権国家取り戻しに向かっていくことになるでせう。既に地霊がそのように動いており、やがて人民大衆の総意になるでせう。米英ユ同盟の配下にいつまでも置かれ続けることに対する嫌悪感が嵩じて、連中の絵に描いたもちのシナリオを崩すでせう。なぜなら、これが理と気の流れだからです。これには勝てません。 以上の素描から、戦後左派運動が、大きく詭計化されていることに気づきます。本来であれば、その1期では政権取りに向かうべきであり、その2期では戦後ハト派と連携すべきであり、その3期では戦後タカ派と闘うべきであり、その4期では小泉政治を不倶戴天の敵と見定めて闘うべきのところ、1期では政権取りに失敗し、その2期では戦後ハト派と激しく闘い、その3期では戦後タカ派と口先でのみ闘い、その4期では小泉政治の好き放題を許しつつ窒息させられております。こんな馬鹿な愚かな闘い方があるでせうか。逆です。 一体何をしてきたのだろうか、させられてきたのだろうか我々は。という自己批判と総括無しには恥じ入るるばかりとすべきです。ところがここに、無反省どころか私たちはこれまで全て正しかったと、現下の局面に於いてもいけしゃあしゃあーと正義弁明し続ける手合いが居るとしたら、話が通じるだろうか。 それはともかくとして、我々は間違いやすい、だから間違えたときに軌道修正出来やすいように、常に異論と異端と分派を容認して諸事作法する組織論と運動論を理論と実践の中に組み込むべきです。その上で政治運動を作り出すべきではないでせうか。かってべ平連が、あるいは全共闘がこうした発想を踏まえていたように思います。が、市民運動に限定してしまった、党派運動を敬遠したところに妙な癖があったのではないでせうか。市民運動だろうが大衆運動だろうが党派運動だろうが、統一戦線論ではなく常に共同戦線論で相対し、たがいが認め合うべきであり、そうやって昨日より今日、今日より明日へと歩一歩繋ぐ運動を創出すれば良かったのではなかろうか。 仮にここに、俺ないしは俺の党派が絶対正しい、他党派は解体する、それが正義だなどと云う者が出てきたらどうすべきか。私なら、徹底的に理論闘争し、どこが絶対正しいのかしかと聞かせていただき、よこしまな意図を見抜き、満座の中で恥をかかせたいと思います。この面での闘争のお粗末なままの党派間暴力などというものは有り得てはならないのではなかろうか。ところが史実はあぁとかいろいろ思います。 話が拡散してきたのでこれぐらいにして、以上を以ってれんだいこの謹賀新年声明と致します。要するに、値打ちのある、世代に次がれる価のある、生き様として自身が自負できる何がしかの政治運動の創出へ向けて再出発すべきであり、邁進したいと思います。 2008.1.2日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評352 | れんだいこ | 2008/01/02 16:03 | ||
【年初に当たっての著作権私考】 年初に当たって、どうしても突き崩さねば成らない著作権問題に関する私論を述べておく。著作権導入はたかだかこの百年来の事と思われるが、これによって人民大衆の文化享受と享楽が大きく制限されている傾向を危ぶまねばならないと思う。著作権なぞ無い時代の方が大らかで伸び伸びとした良い時代であった事を思い返さねばならないと思う。 その後の人類史に於いて、歴史的必然性でもって著作権概念が登場し、それにも幾分か言い分があるとするなら、それをどの程度まで認めるのか、逆に言えばどこから先は認めないのかの仕切りをはっきりせねばならないと思う。実にこの点に於いて、無思想のまま著作権問題が野放しの放縦さを見せつつあるのが昨今の現象であり、次第に我々の首を絞めつつあるからして、故に断固として排斥せねばならぬと思っている。ならば、どこをどう整合させるべきか、これに回答しておかねばならぬ。漸く気づいた事を以下記し、世に訴えたいと思う。 著作権法は本来、今日びの強権著作権論者の恣意的解釈とは別に或る抑制を効かしていた。こう弁えるべきである。但し、それが充分に法理論化されておらず、その為今日の如くな全域全方位の強権著作権論の跋扈を許す原因になっている。そこで、今からでも遅くない、本来はこのように仕切りすべきだったと提言してみたいと思う。 著作権法はそもそも、著作権者の知的財産権を保護する為に制定されたものであるが、その適用範囲を、著作権者の権利を利用して商行為を為す版元及びその版本の卸し行為を為す者に対しての規制であり、これに対する相応の対価請求権を定めたものでは無かったか。「要通知、要承諾制」は、この限りに於いて、著作権者の権利を保全する為の条項ではなかったか。 この範囲ではなるほど認められても良いのでは無かろうかと思われる。あるいは叉、改竄されない権利、引用元、出典元を明記する規制も叉然りで、認められるべきルールとマナーでは無かろうかと思われる。実際の著作権法はその他、「版元及びその版本」の多岐な種類について言及しており、それはそれで良いのではなかろうかと思われる。 問題は、「商行為を為す版元及びその版本の卸し行為を為す者」を川上とすれば、その川下のエンドユーザーレベルでの利用ないしは費消についてまで著作権法が振り回されるべきであろうかということを吟味することにある。著作権法制定者はかの時、これは質が違う問題であると分別し、「川上規制、川下開放」の原理原則を打ち立てるべきではなかったか。この分立を明記しなかった事により「川上川下オール規制」の道筋が次第に敷かれていくことになったのではなかろうか。 為に、著作権者の権利擁護とその業がそれぞれ担っている文化及び伝統の生育発展を歌い文句に始発しながら、両者が衝突し始めることになった。にも拘らず、この問題を解かぬままに著作権者の権利擁護のみが特化優先させられ、片肺飛行的著作権論が横行するようになっているのではなかろうか。しかしてこれは不都合なことではなかろうか。やはり、著作権者の権利を擁護しながら文化及び伝統の生育発展を期す同時的に遂行する道を模索すべきではなかろうか。 具体的にどうすれば良いかを考えるのに、難しい事ではない。根本にして始発規制の「要通知、要承諾制」を川上段階に於いてのみ適用し、川下では不適用とすれば良いだけのことである。なぜなら、川下で著作権物が利用される事は、著作権者にとって望むべき事であり、ハウマッチと手を出すべき事では無いからである。ならば、川上と川中と川下をどう識別するかと云う事になるが、個別事例的に分別して行けば良かろう。そう難しい事ではない。それだけのことである。 それと並行して、著作人格権的なものに対してはルールとマナー問題と分別し、正しい在り方を鼓吹しモデル化して行けば良かろう。これもそう難しい事ではない。しかるに、なぜこの弁えが為されず、むやみやたらな著作権強権適用が横行しつつあるのか。ここに、理論とは別の政治問題がある。そういう風に仕向けている良からぬグループの画策とこれに呼応する下司根性による識見不足があるだけのことである。 問題をかく認識すれば既に半ば解けたも同然である。著作権商法の行き過ぎを掣肘し、野放図な著作権規制論者を一喝し、我々の著作権原則を確立し、その波動を押し広げればよい。知的所有権の享受と享楽の無機性世界を創出すれば良い。本音と建前が分裂し無い世界を牽引し、本音と建前の倒錯世界を撃って行けば良い。こう構えず、下手にかの悪質劣性な強権著作権法を学び過ぎると頭脳が破壊されよう。学んで却って馬鹿になるということである。そういう変な自称インテリが増え過ぎつつあるように思われる。 れんだいこはこの風潮に竿を差す。著作権見直し元年の年にしたい。これを本年の抱負とする。 2008.1.2日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評353 | れんだいこ | 2008/01/11 13:01 | ||
【戦後学生運動論再考】 れんだいこは急遽熱中し、次のように模様替えしました。 「戦後学生運動」考 ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/ れんだいこの概略戦後学生運動史論 ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/gairyaku/gairyaku.htm 2008.1.11日 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評354 | れんだいこ | 2008/01/14 19:31 | ||
【日本左派運動再生へ向けてのれんだいこ提言1、日本左派運動は、国際金融資本帝国主義の詭計に陥ることなく、民族主義的土着型運動を復興し新創造し満展開せよ】 只今より暫くの間、「日本左派運動再生へ向けてのれんだいこ提言」をシリーズでしていくことにする。「提言1、近現代史に於ける日本の民族的独立に誉れを持て」から始めることにする。この見解は、れんだいこがインターネットに登場して以降に獲得したものである。主として太田龍・氏の見解から学んでおり、なるほどと思うので提言しておく事にする。 太田氏の観点から得たのは国際金融資本の裏政府的国際支配論である。れんだいこは、これを真実とみなし、国際金融資本帝国主義と命名する。いわゆるレーニン的帝国主義論は、各国ごとの帝国主義を論(あげつらい)い、不均等発展に於ける新旧帝国主義の覇権争いとして分析しているが、れんだいこはそのように受け取らない。真実は、各国帝国主義の背後に常に国際金融資本が潜んでおり、各国政府及び支配階級を制御し、略奪植民地主義を仕掛け、内乱的革命により各国王朝を打倒懐柔し、戦争資金を用立て戦争に次ぐ戦争を引き起こし、そのたびに支配権を拡大し今日に及んでいるとみなす。 れんだいこは、彼らのイデオロギーをネオ・シオニズム、その系譜をユダヤ教パリサイ派、その表出権力を米英ユ同盟とみなしている。この辺りになると、太田龍・氏の見解とどこまで一致するのか分からない。そういう意味で、れんだいこ式咀嚼の産物であることをお断りしておく。以下、論証する。 近現代史の特徴は、西欧世界に於ける国際金融資本帝国主義即ちロスチャイルド派金融資本の台頭と共に、彼らに世界が操られ、呑み込まれて行ったところにある。こう窺うべきではなかろうか。資本主義、帝国主義云々論は、この実態をそれとして見ずむしろ隠蔽する煙幕的役割を果たしているのではなかろうか。 日本はその趨勢の中で、黒船の到来とともに半分召し取られ半分自律的に独立した稀有な国家であり民族であった。歴史を見よ、辛うじてながらではあるが、近代化しつつも独立性を維持した国が日本の他にあるだろうか。幕末維新の偉業はこの面から評されねばならない。最近、幕末維新の偉業を落とし込める理論が流行りつつあるが変調であろう。 幕末維新は、上からの武士革命と下からの民衆革命の双方が牽引した回天運動であった。最終的に内乱を回避したが、国際金融資本帝国主義の策動を見抜いた叡智であった。こうみなすべきであろう。回天の結果樹立された明治新政府は、水戸学派的国粋主義糸と土着左派系と国際金融資本帝国主義系三派の寄り合い世帯三派から構成された。故に、明治維新以降の流れは底流で、売国奴糸と独立系が抗争していたという裏史実が有るように思われる。 戦前の日本左派運動は、このことに余りにも無自覚なままにやり過ごしてきた。それを思えば、下手なイデオロギーを持たない百姓一揆の方が、あるいは無政府主義の方がまだしも眼目を得ていたようにさえ思われる。自由民権運動が押し込められ、代わりにマルクス主義が登場する事になったが、いずれも単に西欧に憧憬する欧化主義的なものであり、日本左派運動史上に本当に役立ったかどうか分からない。 戦前の日本左派運動は、そういう訳でコミンテルン式国際主義運動に随伴してきた。これは戦後も然りであり、折々の国際主義運動に随伴してきた。いわゆる「洋もの被れ」の系譜である。ここに、人民大衆的支持を今ひとつ取り損ねている原因があるように思われる。日本が固有の歴史的発展の中で培ってきた人民大衆的闘争史は卑下されるべきではなく、もっと誇りと誉れを持つべきである。「洋もの」を正しく吸収し、肉付けしていくべきべきである。 そういう意味で、我々は一刻も早く在地主義土着型の左派運動を獲得せねばならないのではなかろうか。西欧事象の猿真似をすれば先進的などと気取る必要は一切無い。それらは咀嚼すべき対象であって拝跪するものではない。このスタンスの確立が肝心なのではなかろうか。 日本左派運動史上、在地主義土着型の左派運動の必要に逸早く気がついたのは、戦前の転向派であった。但し彼らは概ね、時の支配権力であった絶対主義的天皇制の礼賛に転じただけの機会主義者であった。あるいは、国際金融資本帝国主義の秘密エージェントとして身売りした。 そういう意味で、日本左派運動の正統系譜としては、戦後直後の左派運動を指導して来た徳球−伊藤律系の日共運動を嚆矢とする。但し、徳球−伊藤律系運動の展開時はGHQ統治下にあり、この絶対的な壁を押し切る力は無かった。やがて「50年分裂」を迎え、所感派としての自律的立場を確保したが、朝鮮動乱下の混乱で非合法化されるに及び北京へ逃亡した結果、結局はスターリン式国際主義の権威に服し、中共式革命方式を指令することを余儀なくされた。 この武装闘争が失敗して以来、徳球−伊藤律系運動の灯が消え、以来この系譜は消滅したまま今日に至っている。これを撲滅したのは宮顕であった。彼は、「50年分裂」時、より声高に国際主義を標榜し、徳球−伊藤律系の自主独立型運動に敵対した。宮顕は、徳球−伊藤律系運動破産の間隙を縫って党中央へ返り咲き、19555年の六全協で党中央を簒奪し、その後今日までこの系譜が日共党中央を一手独占し続けている。 宮顕系日共運動は、ソ共と対立し、その後の中ソ対立に対して中共に与し、その後中共とも対立すると云う経緯で余曲折を経て「自主独立」に転ずる。その経緯を見れば、「宮顕式自主独立」は日共の私物化の為に生み出されたご都合主義のものであり、在地主義土着型の左派運動を創出するものではなかった。国際共産主義運動に辛うじて維持されていた共同討議と云う正の面があるとすれば、その正の繋がりさえをもをひたすら破壊に狂奔する悪辣なものでしかなかった。ここに、宮顕式自主独立路線のイカガワシサがある。 しかしながら思うに、日本左派運動の推進母体的地位を持つ日共をして、その動機はどうであれ、「自主独立」に転じせしめたのは功績ではある。問題は、正しく「自主独立」し、在地主義土着型の左派運動を担うと同時に、それを軸足にしながら国際主義的連帯をも生み出すべきではなかろうか。ここに現代的左派運動の責務が課されていると窺うべきではなかろうか。 日本左派運動は長らくの間この見地から離れて、戦前の日本帝国主義の非を論(あげつら)い、日帝打倒こそ日本左派運動の責務とする立場でもって左派性を競ってきた。しかし、事はそう単純では無いのでは無かろうか。戦後日本国家権力が、国際金融資本帝国主義から自律して独自の権益を張り巡らした帝国主義的史実は無い。戦前も然りであったが、国際金融資本帝国主義によって育成され、その枠内で活動しており、今や使い捨てにされようとしている脆弱なものでしかない。 我々は、幕末維新から明治維新を通して日本が東アジアに於ける最初の近代化を為し遂げたことを正と認め、その背景に日本民族のしなやかな叡智があることを見て取らねばならない。これを称賛せねばならない。同時に、その成果が、国際金融資本帝国主義への身売り派によって捻じ曲げられ、東アジアに於ける帝国主義国家として成育せしめられ定向進化せしめられていった挙句召し捕られたことを見て取らねばならない。最新の研究はこのことを明らかにしつつある。 この観点を共有するならば、 日本左派運動が矜持とする立場は、第一に反国際金融資本帝国主義運動であり、今日的にはイスラム運動と連帯することになる。第二に幕末維新期以来の正の面としての人民大衆解放運動を見据え継承すべきであろう。我々は権力一般を忌避するのではなく、権力をして抑圧機構から転じて正しく善良せしめる官民共同の共生装置へと転換せしめるべきであろう。可能な限りこれに向かうべきであり、各戦線でこれを為すべきである。 この運動は、空疎な国際主義に基くものであってはならない。国際主義−ワンワールド運動は、国際金融資本帝国主義の奏でる詭計イデオロギーであり、騙されてはならない。各国各民族は固有の文化と歴史を継承しつつ、ネオ・シオニズム的選良主義、排他主義、独善主義に汚染されることなく、正しく諸民族協和の国際主義の水路を生み出さねばならない。これを為す為に「精神の自律、政治の自律」を勝ち取らねば成らない。「精神の自律、政治の自律」無きのっぺな国際主義は究極ネオ・シオニズムに繋がる悪しきそれであることを知らねばならない。 以上より、「日本左派運動は、国際金融資本帝国主義の詭計に陥ることなく、民族主義的土着型運動を復興し新創造し満展開せよ」を指針させる。これを第一指針、第一提言としておく。 昨今の日本政治を見よ。国会に巣食う与野党ともどもの馴れ合い談笑政治の貧困を見よ。議員貴族達による田舎芝居ばかりではないか。一見善政と見える要求あるいは施策でも、手前の懐が痛まない限りの無責任なものでしかない。このご時勢で更にとめどなく軍事防衛予算を注ぎ込み、自衛隊の武装派兵を積み重ね次第に常在化させつつある。 他方、これほど内地が荒廃しつつあるのに口先だけでしか顧みようとし無い。真に有益な公共事業が見送られ、明日の活力からみてどうでも良いような利権事業に勤しんでいる。国家も家計も財政が悪化しつつあり、政治がこれに有効な対応を為し得ない。その癖引き続き国際金融資本の御用聞きに精励している。全く馬鹿馬鹿しい限りでは無いか。 この連中にはこの程度の事しかできないのであり、我々が権力を握り政治を為すべきである。その為に何を為すべきかのグランドデザイン作りに向かうべきである。左派能力の脳髄を絞り英明な政策指針を打ち出すべきである。道中で例え国際金融資本の走狗にテロられようとも、次から次へと人士が輩出しよう。歴史というものはそういうものである。人は齢五十を過ぎればそのように立ち向かうべきである。そう思う。以上を「提言1」としておく。 2008.1.14日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評355 | れんだいこ | 2008/01/15 19:10 | ||
【提言2、戦後憲法秩序をプレ社会主義のそれと確認し、今からでも遅くない護持成育せしめよ】 日本左派運動に対する「提言1」で、民族主義的土着型運動を指針させたが、「提言2」は、戦後憲法及びその法秩序の評価の理論的見直しにより、護持成育発展を指針する。これも議論を呼ぶところであろう。 我々は長らくの間、マルクス主義の俗流的教条により、戦後憲法秩序をブルジョア体制と評し、これを転覆せしめての社会主義−共産主義への革命的転換を標榜してきた。通念化した理論であるが、これを疑う必要があるように思われる。結論を先に述べれば、「戦後憲法秩序=ブルジョア体制論」は、理論の貧困によりもたらされた誤認識ではなかろうか。 れんだいこは、「共産主義者の宣言」(一般に「共産党宣言」と訳されている)の英文テキストに基く翻訳により、市井の訳本の拙さと意図的故意としか考えられない誤訳悪訳を指摘している。(「共産主義者の宣言考」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/marxism_genriron_gensyo_sengen.htm)) れんだいこには、この種の研究が一向に為されていない事が不思議である。ましてや「共産主義者の宣言」と云えば基本中の基本テキストだろうに。 れんだいこ訳から判明する事は、歴史の偶然なのか意図的に導入されたものなのかは分からないが、マルクス−エンゲルスが同書で指針させた「革命の青写真」即ちプレ社会主義的政策指針の大部が、戦後日本社会にそのまま適用されているという驚きの事実である。戦後憲法が採択公布された時、日本左派運動に理論的知者がいれば当然、これをプレ社会主義憲法と認め、遮二無二その護持成育発展を目指したはずである。が、史実はそのように受け止めなかった。安逸なブルジョア体制批判運動に耽っただけだった。 こういう次第だからして、戦後日本左派運動はオカシゲな運動にのめり込み、さほど役立たないヘンチクリンなものに耽る事になった。穏和系の社共は、戦後憲法秩序をブルジョア体制と認識したまま、まずは民主主義革命を遂行するのが優先だとして議会主義的な反政府運動を専らとし合わせて護憲運動に向かう事になった。護憲という面では辻褄は合っているが、その真意には、社会主義−共産主義運動を当面の目標にせずむしろ後回しにして後景に追いやるという意図が込められた運動でしかなかった。つまり、社共運動は本質的に当局に投降迎合した体制的なものであり、無責任なアリバイづくりだけの口先批判運動に堕し易いものでしかなく、護憲運動も叉防御的なものであった。 問題は、これを否定出藍しようとした新左翼系運動がどのようなものであったかにある。彼らは、戦後憲法秩序を教条主義的にブルジョア体制と認識することにより、戦後憲法秩序を偽装とみなし、その権力的本質を引き出すという戦略戦術で否定破壊運動するところまで定向進化していくことになった。それを支えるエートスが社会主義−共産主義的理念であり、この善運動の正義のためには何事も許されるとしてきた。暴力主義的体質はここに胚胎しているように思われる。 この種の運動が急進化せざるを得ないのは自明であるが、権力と対峙して行使される場合にはある種認められようが、戦後憲法秩序のプレ社会主義性に対する暴力的破壊に向かうとなると考えものであろう。この種の運動が革命的であったかどうか疑わしい。むしろ単に観念的善運動でしかなく、実際に為した事は反動的であったかも知れない。 思えば、新左翼が共感を得たのは、60年安保闘争時の第1次ブント運動のタカ派岸政権の反動的施策に対する果敢な闘争に対してであり、70年安保闘争前の全共闘運動のハトタカ混淆的佐藤政権の対米盲従ベトナム政策に対する果敢な闘争に対してであった。人民大衆は、プレ社会主義的戦後秩序の破壊者に対する抵抗を願望しており、新左翼がこれに闘う姿勢を見せた時に共感したのであり、彼らの理論に共鳴したものではなかろう。なぜなら思弁的でかなり難解で辟易するだけのものでしかないから。 れんだいこがは今はっきりと分かる。新旧左翼両者が戦後憲法秩序をブルジョア体制と評してきたことそのことがそもそも誤りなのではなかろうか。戦後憲法秩序は世界史上稀なるプレ社会主義性のものとして認識し称揚していくべきではなかったか。これまでの運動は、現実の要請に対して正面から向かいあっていないのではなかろうか。 皮肉な事に、戦後憲法秩序をプレ社会主義と認識したかどうかは別として真に護持成育せしめてきたのは、戦後与党を形成してきた自民党の主流派を一時期形成したいわゆる保守系ハト派であった。これに人民大衆が広範に列なった。池田−田中−大平政権下の施政が特に顕著であったが、彼らが戦後憲法秩序に即応した政治を舵取りしたところに世界史上稀なる経済復興と高度経済成長が獲得されたのではなかろうか。今から思えば善政時代であったのではなかろうか。 但し、その政治も左右両翼から挟撃されて、1976年のロッキード事件勃発とともに始まったト派からタカ派への戦後保守主流派の政権交代により終焉する。タカ派の政権奪取とともに日本は失速し始める。その要因は、タカ派が戦後憲法秩序に具現されたプレ社会主義秩序及び機構及び精神を破壊解体せしめるところからもたらされてきているのではなかろうか。 タカ派のらしさは、ハト派が優先してきた内治主義的な公共事業を抑圧し、外治的な軍事防衛事業への散財に認められる。興味深いことに、宮顕−不破系日共の公共事業抑制論は、社会福祉費増大を要求しているものの、タカ派的公共事業抑制その代わりの軍事防衛国際責務論と通底していることである。この両者は、ネオ・シオニズム論を介在させると裏で共同していることがいろんなところから透けて見えて来る。 タカ派は、「提言1」で指摘した国際金融資本の御用聞き政治を専らとしており、対外的には米英ユ同盟の腰巾着外交を繰り広げ、自衛隊の海外武装派兵で「米英ユ貢献」に勤しみ、国内的には善政の産物である年金制、医療制、均等社会、内治主義的公共事業制を破壊し、つまり国際金融資本帝国主義の願う通りの売国奴政策に精勤している。これが現代日本政治の本質であり、お粗末さの原因である。民主党の政権交代論が、これに抵抗するものならともかく、この政策延長上での政権争いに興ずるだけなら何の意味もなかろう。 れんだいこは、このように見立てする。とならば、自ずと結論は次のようになろう。日本左派運動の採るべき道は、タカ派の売国奴政策と太刀打ちし、憲法改正策動を許さず、戦後のプレ社会主義を護持生育せしめ、この地平からの後退を全戦線で阻止せよ。むしろ逆攻勢的革命的護憲運動に向かうのが筋と云うものだろう。 思えばこの点に於いて、日本左派運動の新左翼系が掲げた理論は一切虚妄なものではなかったか。これに比して、社共運動が一定の支持を受けてきたのは、戦後憲法秩序の護持ゆえではなかったか。今新左翼は、このことを悟るべきだろう。ここから導き出される結論は次のようになろう。社共的弱弱しい護持運動ではなく、プレ社会主義論に立脚した戦闘的護憲運動を展開せよ。 以上より、「日本左派運動は、戦後憲法秩序をプレ社会主義のそれと認識し、護持成育せしめよ」。これを第二指針とする。これにより、「戦後憲法秩序をプレ社会主義のそれと認識し、護持成育せしめ、第一指針の民族主義的土着型運動と結びつけよ」が指針される。これを「第二提言」としておく。 2008.1.15日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評356 | れんだいこ | 2008/01/17 11:01 | ||
【提言3、国有化経済理論を否定し、戦後日本に結実した市場性社会主義経済論に転換せよ】 日本左派運動に対する「提言1」で、民族主義的土着型運動を指針させ、「提言2」で、戦後憲法及びその法秩序の評価の理論的見直しにより、護持成育発展を指針させたが、「提言3」として、「国有化経済理論を否定し、市場性社会主義経済論に転換せよ」を指針させる。これも議論を呼ぶところであろう。 日本左派運動は明治維新過程の自由民権運動の失速以降マルクス主義を導入し、今日まで長らく理論的主柱としてきた。マルクス主義の功罪の総合的研究はさて置き、ここでは次のことを指摘しておく。俗流派が拝戴し教条としてきた国有化理論をマルクス主義のミスリードと認め、これを否定すべきではなかろうか。マルクス主義的経済体理論は本来、国有化論を本質としておらずく、正しくは社会化理論であったと理解すべきではなかろうか。 これを夙に早くより指摘していたのは広西元信氏であった。広西氏は、1966.12.1日初版で「資本論の誤訳」(こぶし書房、2002.3.30日再初版)を世に問うている。同書で、所有と占有概念の違いを識別し次のように指摘している。概容「マルクスは、占有概念で社会主義社会を透視していた。マルクスの言説の中に国有化概念は無く、むしろ資本主義的株式会社を労働者の生産管理的方向(アソシエーション)へ発展させる必要を遠望していたこと。その限りで、ロシアのスターリニズム的国有化政策指導は何らマルクス主義的でないどころか、反対物である」。。(もう少し詳しくくは「市場性社会主義論について」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/jinsei/marxismco/marxism_shijyokanriron.htm)で言及している) この広西見解は長らく無視されてきた。しかし、ソ連邦が崩壊し、「市場主義的社会主義論」が生み出されつつある折柄にあってはその先見の明を高く評価されねばならない、とれんだいこは考える。レーニンが晩年に気づき指針したネップ理論は大いに検証されねばならないと考える。れんだいこは、広西氏のアソシエーション理論は「市場主義的社会主義論」の一形態とみなすが、最近はしゃいでいる日共不破の「レーニンと市場経済」で見せた市場主義的社会主義もどき論となるとどうだろうか。単なる現下資本主義の修正主義でしかない。 不破理論の特質はいつでも、問題の在り処を探る才には長けているものの、その考究と称して幅広い知識を提供するところは良い。しかし結局は、マルクス、エンゲルス、レーニンらの言説を捻じ曲げつつ有害無益な右派的理論に到達させてしまうのがいつもの遣り方である。従って、不破理論に対しては、知識を得るところと見解を押し付けられるところとの境目をはっきりさせ、知識を検討し不破見解は却下させねばならない。不破見解を鵜呑みにするとあらぬところへ誘導される。彼はこの手のマジシャンである。 国有化論的全産業、業種の生産及び流通結社の国有化は俗流マルクス主義政策であり、正しくは官民棲み分け及び重要産業に於ける基幹的官営企業による官的采配とそれを取り巻く民営企業との正しい連携こそ、本来の社会主義的経済体理論であったと窺うべきではなかろうか。 興味深いことに、戦後憲法秩序に於ける重要産業及び分野に於ける親方日の丸企業とその衛星的民間企業、その他産業及び分野に於ける民営化こそが、本来の社会主義的経済対理論であり、戦後経済秩序はこれを地で執り行っていた素晴らしい制度であった事になる。そういう意味で、最近の親方日の丸企業の徒な民営化は逆行であると云わねばならぬ。中曽根−小泉的民営化路線は、この観点からも批判されねばならないところだろう。 以上より、「日本左派運動は、切り開く社会像として社会主義的国有化理論を否定し、戦後日本に結実した市場性社会主義経済論に転換せよ。これを第三指針とする。これを第一指針の民族主義的土着型運動、第二指針の戦後憲法秩序をプレ社会主義のそれと認識し護持成育せしめる運動と結びつけよ」を指針する。これを「第三提言」としておく。 2008.1.17日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評357 | れんだいこ | 2008/01/18 11:27 | ||
【提言4、統一戦線論を否定し、共同戦線論に転換せよ】 日本左派運動に対する「提言1」で、民族主義的土着型運動を指針させ、「提言2」で、戦後憲法及びその法秩序の評価の理論的見直しにより、護持成育発展を指針させ、「提言3」で、「国有化経済理論を否定し、市場性社会主義経済論への転換を指針させたが、「提言4」として、「日本左派運動用語から統一戦線論を棄却し、共同戦線論に転換させよ」を指針させる。これも議論を呼ぶところであろう。 日本左派運動が受容したマルクス主義の悪しき俗流化として国有化理論のほかに統一戦線論が有る。れんだいこは、統一戦線論の吟味以前に「統一」という文言に拘る。世上で「統一」という言葉が用いられる際は、大抵ろくでもない発想に基いていると思えば良かろう。 この文言は左派運動には本来無縁の用語であるのにいつのまにか導入され、我々が無自覚なまま通用させてきた経緯がある。れんだいこが以下立論するが、それでもなお「統一」表現に拘り続けるとしたら俗に云う「漬ける薬が無い」か意識的故意悪意で用い続けているかのどちらかになるだろう。 統一戦線論の由来は、生硬な急進主義的マルクス主義運動が社会民主主義運動排撃論を生み出し、その反省の上に立って代わりに登場してきたものであるが、これにより直接の党派運動の展開を控える代わりに非党派的つまり無所属を装う人民戦線的運動が生み出された。統一戦線論とは、この運動指針論のことを云うように思う。 しかし、れんだいこには臭い話でしかない。統一戦線論は、革命の前衛としての党派運動を隠しているだけで、大衆運動的に見せかけてその実、その手綱は常に党に有るべしという妙な理論でしかない。衣の下に鎧が見えており人民大衆を馬鹿にしている。互いの党派がこれをやるとどうなるか。姑息なだけのことでしかないのではないのか。それと、歴史的ユダヤ教パリサイ派の得意としてきた陰謀的秘密結社の得意とするカムフラージュ理論と良く似ていると思うのは、れんだいこだけだろうか。 れんだいこは、この種の運動をマジに掲げる党派の感性が信じられない。本来ならいっそのこと堂々と共同戦線論として打ち出すべきところであろう。それなら納得する。各党派も党派的利益は差し置いて、運動の利益を主眼にするべきであり、その運動を通じて切磋琢磨し揉まれるべきではないのか。それで不満な面は、党派の直接の運動で補完すれば良かろう。党派独自の運動を世に大胆に提起できないとしたら、そもそもイカガワシイ話ではないか。問題は、どちらもやれば良いだけのことではないのか。 直接的な党派運動が非合法の場合も何ら事情を変えない。どちらもやれば良い。それだけのことである。直接的な党派運動が合法の場合にはなおさら直接的な党派運動を目指すべきだし、他党派及び大衆団体と組むなら共同戦線でやれば良い。それだけのことであろうが。それを敢えて統一戦線でやろうとし、党派的基準を持ち込むところが胡散臭い。れんだいこはそう思う。 統一戦線論の素性は哲学的にも思想的にも組織論的にも運動論的にも怪しい。統一と共同の間には元々千里ほどの間がある。共同戦線論を生み出すべきところを敢えて統一戦線論を押し立ててきたというのが真相であり、何ゆえにかような方法が持ち込まれたのか訝らねばならないと思う。統一戦線論はどこかに司令塔的センター基地を控えさせており、タガハメされている。それはあたかも薄っぺらな国際主義論が国際金融資本帝国主義の奏でる詭計理論である事と通底しているように思える。各派が対等でない裏の仕掛け人が居るということである。我々はかような統一戦線論と早急に決別せねばならぬのではなかろうか。 次のように見立てることもできる。現代史を紐解く精神的エッセンスはルネサンスの精神であり、これを保持するかどうかで文明度が推し量られる。ルネサンスの洗礼を受けた者が近代以降の歴史の正統な継承者であり、これを弁えぬ者は、個人であれ組織であれ党派であれ旧人であろう。つまり、近代ルネサンスの洗礼リトマス試験で正反応し無いのは封建的君主的秩序派であり、反応するのが開明的議会的秩序派とみなす事ができる。 これに照らせば、社民排撃論にとって代わった統一戦線論の素性も相変わらずの封建的君主的秩序の範疇のものであり、我々が受け入れる訳には行かない種のものである。本来必要なことは、組織の内も外も運動のそれも政権取る前も後も共同戦線で邁進すべきである。何事もぼちぼちやれば良いのだ。端からこれでやっておれば今頃の政治情勢は今よりは随分先へ進んでいるだろう。 共同戦線論は当然、参加団体のサミットを要請する。その場で喧々諤々すれば良かろう。粘り強く何度もやれば良かろう。ここに能力が問われている。そして共同行動すれば良い。足らずは相互に自前の党派運動で補足すれば良かろう。日本左派運動は、世界のそれもそうかも知れないが、こういう能力を持っていない。この能力を獲得できないうちは革命なぞできっこないだろうし、下手な革命なぞ起こして貰いたくもない。こういうことも云っておきたかった。 以上より、「日本左派運動は統一戦線論を否定し、よろづ共同戦線論に転換せよ。これを第四指針とする。これを第一指針の民族主義的土着型運動、第二指針の戦後憲法秩序をプレ社会主義のそれと認識し護持成育せしめる運動、第三指針の国有化経済理論を否定し、市場性社会主義経済論への転換理論の創造と結びつけよ」を指針する。これを「第四提言」としておく。 2008.1.18日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評358 | れんだいこ | 2008/01/18 12:52 | ||
【提言5、党中央権限集中制論を否定し、機関運営主義権限分権制論に転換せよ】 日本左派運動に対する「提言1」で、民族主義的土着型運動を指針させ、「提言2」で、戦後憲法及びその法秩序の評価の理論的見直しにより護持成育発展を指針させ、「提言3」で、国有化経済理論を否定し、市場性社会主義経済論への転換を指針させ、「提言4」で、日本左派運動用語から統一戦線論を棄却し、共同戦線論に転換させよを指針させたが、提言5で、党中央権限集中制論を否定し、機関運営主義権限分権制論に転換せよを指針させる。これも議論を呼ぶところであろう。 先に外へ向けての統一戦線論の胡散臭さを指摘したが、内へ向けての党中央権限集中制論が呼応していると思われるので、これも批判せねばならない。党中央権限集中制下での団結とか統一の過度な強調は、党中央拝跪主義を生むだけのことではなかろうか。実際にはそうは云わず民主集中制なる素敵な用語を生み出しているが、規約を改正していけば容易に党中央集中制論へと辿り着く事になる。実際に党中央拝跪主義でしかない民主集中制論が振り回されており、日本左派運動が大きく毀損されてきたことは承知の通りであろう。 彼らは何ゆえにかような組織論に固執するのであろうか。目前に決戦的な闘争が控えているのならある種の有事対応として考えられ無い事も無いが、日共的なずぶずふの体制内化議会主義運動に何の必要があろうか。為にする強権支配以外の何ものでもなかろう。 党中央見解及び指導に対する異論、異端は常に担保されるべきであり、堂々と開陳されるべきではなかろうか。れんだいこは、最低限綱領さえ一致するなら分派(派閥)さえ容認されるべきと考えている。組織と云うものは元々そういうものだと考える。各派閥が前提されてこそ民主集中制論が真に生きるのであり、戦後自民党のハト派が主流時代に模範的な党運営をして見せた史実がある。つまり、できない訳ではない。能力の問題であろう。 左派運動内に機能する民主集中制論はそういうものではなくて、党員が一枚岩的に党中央に列なるべしという恐ろしい整列理論として鼓吹されている。これにより、異論、異端、分派一切が極端に制約され、封殺され、禁止され、撲滅されてきた。イカガワシイ話ではなかろうか。それを思えば、組織論、運動論の両面からこの悪しき理論を追放せねばならないであろう。 更に云えば、党中央に対する盲目的服務こそ左派運動にそもそもあってはならない原義矛盾ではなかろうか。我々が社会運動に目覚めた際、自由自主自律的な自覚に基いて眉目を開いたのではなかったのか。ならばそれをどこまでも貫徹するのが筋だろう。それをどこで間違えたか、どう云い含められ納得したのか分からないが、いつのまにやら反対物を信仰し始めているのは滑稽であろう。 理論には異論、異端がつきものであり、組織には分派の発生は当たり前の事であり、その上での結社であろう。結社と云うものはそういう類いのものではないのか。自由自主自律的な結社にして組織も運動もしなやかになるのであり、真の団結になるのであり、能力者を呼び込み、互いの練磨で組織も運動も質が向上し、大きなうねりを作り出す。いわば「自由自主自律規律」は虎の子の元手である。これを捨てたら、ありきたりの権力的凡庸なものにしかならないのではなかろうか。反体制運動が権力的凡庸なものに被れる事は原理矛盾ではなかろうか。 そのような組織、運動への拝跪を要請したり受諾するのは、学んで馬鹿に成る典型であろう。異論、異端、分派を取り込めないような組織なり運動なら止めてしまえ。もっとも世の中複雑だから、組織潰しで送られてくる連中も居る。こういう場合には別基準が要るだろう。そういう意味で、「紅い心」の仲間同志ならと云う条件にしておこう。但し、これを誰が判定するのかを問わねばならず、下手をすると振り出しに戻ってしまう。何事も大事なところが難しいとしたもんだ。ここに智恵と能力と分別が要る。 内部がそのように形成された党派にして初めて外部に輝き始め、次第に外へと運動が迸(ほとばし)り始め、しこうしてそれは共同戦線論となり、多くの勢力を糾合せしめ、一大政治運動に発展するのではなかろうか。そういう意味では内の論理も外の論理も相似形であり、内輪の在り姿が外にも表出すると分別するべきではなかろうか。 「党中央の云うことはその通り」的組織、運動ほど詰まらなく、左派運動を壊すものはあるまい。組織ないし運動に於いて異論、異端、分派は芸の肥やしであり、むしろ尊重せねばならないというのが、そもそもの近代精神の始まりなのではなかろうか。これはあらゆるところに通用するし通用させねばならない法理ではなかろうか。「内で強権支配、外で民主主義擁護」を云う手合いほど信用できないものはなかろう。これが通用しているから嫌らしい。 実際、日本左派運動史に於いて、戦後直後の党運動を指導した徳球−伊藤律系運動はこれを踏まえていた。かの時代、党大会に対案が堂々と提起されていた事を思えば。徳球がオヤジと愛唱され畏敬されたのは、宮顕の云うが如く家父長制の然らしめたものではなく、組織論的懐(ふところ)の深さに対して敬愛された表現であったと窺うべきだろう。(「日本共産党戦後党史の研究」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/jinsei/toshi/nihonkiyosanto_nokenkiyu_toshi.htm)の該当箇所で確認すれば良い) それにしても宮顕−不破運動は、無茶苦茶な党組織に改竄してしまったことよ。 以上を踏まえ、次のように見立てねばならない。統一と共同、強権と民主は大きく食い違って対立しており、別の表現で云えばロゴスとカオスの差でもある。ロゴス派は、この世を万事に於いて神=真理的な整理序列化に向かう癖がある。ロゴスを専らとする最強勢力は、かのユダヤ教パリサイ派であり、かの昔イエスが果敢に批判し続け処刑された。 ロゴス論理は現在的には国際金融資本が依拠する哲学でありイデオロギーである。この連中は去る日「シオン長老の議定書」で意思統一し、陰謀とテロルを得手としながら以来着々と世界を席捲しており、巨万の財貨を積み上げ戦争とシオニズム革命に勤しんでいる。その手法が今や地球環境を破壊するところまで定向進化しつつあるというのに為すすべを持てない。我々は一刻も早くこの汚染から脱出し、対抗力を生み出し、彼らの時代を終わりにせねばならない。 世界の諸民族は、彼らを除けば概ねカオス派である。カオス派は絶対的定言を持たず、森羅万象から筋道を読み取り、それなりの倫理道徳を生み出し折り合いをつけながら暮らし、互いにそこそこの付き合いをしていくという弁えを持っている。それは自然との関わり方も然りである。この暮らし方でどこがオカシかろう。ユダヤ教パリサイ派を除けば殆どの部族民族が共生し得る。昔からそうしてきた。交易も然りである。無数のシルクロードを生み出してきたではないか。それで良いのでは無いのか。 我々が尊ぶべきはカオス派的秩序であり、ロゴス派的絶対真理の如意棒ではない。さような棒を振り回して「我は正しい。選ばれた民である。君は我になびけ。さすれば名誉と地位と権力を与えよう。下につく者にはそこそこの生活を与えよう。我に刃向かう者は徹底して殲滅してみせよう」などと云いながら、これを行う者は理論的狂人である。その狂人が現代世界を支配、テロリスト退治を声高にし無慈悲な人民大衆虐殺に興じている。その論に同調する者がまま居るのが現実だがオゾマシイ。今や世界史は、この狂人派を押さえ込む知性を獲得し、彼らを如何に制約し矯正し共生するのかが望まれている。これが時代のテーマであろう。 考えてみれば、党中央は、指針打ち出し権、人材登用権、財務及び予算権を握っている。それで充分満足すべきだろう。その上何を欲張る事があろう。異論、異端、分派が発生するのは当然と弁え、後は指導能力で牽引すればよい。その能力の無い者あるいは邪な者が権力棒を持ち出すのでは無いのか。そして万年同一系執行部をん十年にわたって作り上げている。どれもこれもオカシイ。 以上より、「党中央権限集中制論を否定し、機関運営主義権限分権制論に転換せよ。これを第五指針とする。これを第一指針の民族主義的土着型運動、第二指針の戦後憲法秩序をプレ社会主義のそれと認識し護持成育せしめる運動、第三指針の国有化経済理論を否定し、市場性社会主義経済論への転換理論を創造せよ、第四指針の統一戦線論を否定し、よろづ共同戦線論に転換せよと結びつけよ」を指針する。これを「第五提言」としておく。 2008.1.18日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評353【戦後学生運動論再考】 | こげぱん | 2008/01/20 00:30 | ||
> 【戦後学生運動論再考】 > れんだいこさん、処女出版の運び、お慶び申し上げます。 さて私はウヨ崩れのせいなのか、はたまた生まれたときにはすでに学生運動などなかったせいなのか、学生運動には否定的でしたが、それでも曲がりなりにせよ学生が連帯して「まじめに祖国の先行きを考え、心配している。」などという光景は(そんな光景見たこともない私には)かえって新鮮で、ある意味羨ましい気もします。 さて以前こちらにも少し書いた記憶がありますが、学生運動衰退後の日本で、同世代の連帯が発生せず、政治的運動が低調になった原因の一つとして、センター試験や内申書に見られるような異常な受験狂育により、同世代の人間を敵として戦う必要が生じたことが考えられます(センター試験は一見公正に見えますが、センター試験で高得点を取るためには、中学入学時からの無味乾燥的暗記の蓄積が必要なため、一発決着型の試験とはならず、結局6年間の長きに渡り学生を矮小な鋳型にはめ込むことになります)。為政者がここまで意図したかどうかは知る由もありませんが、学生運動を解体して、学生を愚民化する目的で受験狂育を導入したのであれば、受験狂育はまさしく学生に対する大量破壊兵器として機能したとも考えられます。 以下は拙稿で恐縮ですが、参考として転載します。 −−−−−−−− Re: 受験狂育は最高の愚民化政策 ttp://www.asyura2.com/0601/social3/msg/711.html 投稿者 こげぱん 日時 2006 年 11 月 19 日 18:09:35: okIfuH5uFf.Lk 私が在籍していた糞男子校の裏校訓は、「落ちこぼれるのもいじめられるのも本人が悪い」「川に落ちた犬は叩け」であり、すばらしいことに狂死が自ら率先して実践していた。(落ちこぼれをいじめることで狂死は落ちこぼれることへの恐怖心を植え付け、偏差値秀才どもはストレスを発散し、スッキリとして受験戦争を乗り切れる、という具合である。)表の校訓などとうに忘れてしまったが、さる財閥系銀行の社訓「信用ヲ重ジ、確実ヲ旨トシ」「浮利ニ趨リ、軽進スベカラズ」のような類の(実態とかけ離れた・覆い隠す)ようなものだったと記憶している。 小室直樹博士は早くから指摘していることだが、受験狂育の本当に恐ろしい所は(周りが全て敵となることで)同世代の連帯を破壊することと、(高尚なことを考えていたら受験に悪影響を及ぼすせいなのか)自分の栄達や快楽に関係ないことには全く無関心になることである。日本で為政者がやりたい放題デタラメを繰り返しているにもかかわらず大規模デモ一つ起きない原因の一つは、受験狂育にあるのではないかとも疑える。さらに疑えば、自民党文教族のセンセイが下記のような学校を経営していることを考えれば、受験狂育は為政者から見れば、3S並みの最高の愚民化政策かもしれない。 <単位履修問題が「解決」したばかりというのに…>自民党文教族議員が理事長をしている学校の噂 ttp://www.asyura2.com/0601/social3/msg/606.html |
Re:れんだいこのカンテラ時評359 | れんだいこ | 2008/01/20 10:37 | ||
【提言6、「暴力革命論の暴力、プロレタリア独裁の独裁概念を見直し、哲学的政治概念として理解せよ】 日本左派運動に対する「提言1」で、民族主義的土着型運動を指針させ、「提言2」で、戦後憲法及びその法秩序の評価の理論的見直しにより護持成育発展を指針させ、「提言3」で、国有化経済理論を否定し、市場性社会主義経済論への転換を指針させ、「提言4」で、日本左派運動用語から統一戦線論を棄却し、共同戦線論に転換させよを指針させ、提言5で、党中央権限集中制論を否定し、機関運営主義権限分権制論に転換せよを指針させたが、提言6で、「暴力革命論の暴力、プロレタリア独裁の独裁概念を見直し、哲学的政治概念として理解せよ」を指針させる。これも議論を呼ぶところであろう。 日本左派運動は、世界のそれも同じであろうが長らくの間、暴力革命論の暴力、プロレタリア独裁の独裁概念を小児病的に弄んできた負の歴史を積み重ねているように思われる。ロシアのポルシェヴィキ派の運動はその典型で、まさに好んで軍事的暴力で政権を奪取し、次第に一党独裁化させ、政敵を捕まえては反革命の烙印を押す事により安逸に葬ってきた。結果的に求めたものの反対物に帰着させてしまった。 ロシア・ポルシェヴィキの場合、大綱が正義運動であると見なされた故に大目に見られてきたが、今日その実態が明らかになるにつれオゾマシサが露見しつつある。この悪癖が世界の左派運動に伝播したか、政権取らぬ前から暴力的独裁的運動を稽古し、そういうスタイルを革命気取りする風潮を生んだ。これ負の歴史と見据え、そろそろ客観化し俎上に乗せねばならぬのではなかろうか。 どうしてこのような事が起こったのだろうか、れんだいこは考えた。思うに、かの暴力的独裁運動は歴史的にユダヤ教パリサイ派の伝統芸であり、近代ではネオ・シオニズムを自己形成しているが、その影響が濃厚に認められる。これが本筋であろう。が、これを受容した側のお粗末な理論レベルにも問題があるのではなかろうか。彼らは、暴力革命論の「暴力」、プロレタリア独裁の「独裁」を、哲学的政治的革命的次元の概念用語であることを弁えず、彼らの能力に相応しく字句通りに理解して盲目的に従順してきたのではなかろうか。この間違いに起因しているのではなかろうか。 暴力革命論の暴力とは本来、対象とするものの変革を、所定の手続きを踏むと長期間要するものを強行強力的に一気呵成に遂行する手段及び方法のことを云うのではなかろうか。この「強行強力」には暴力革命もあれば暴力反革命的もあろう。そういう意味で、それ自体が自慢になるものではなく常に暴力の質が吟味されねばならないということになる。この時間スパンとスピードが本来の暴力革命論で云われる暴力という意味ではなかろうか。肉体的武器的暴力が必至なのは抵抗勢力の肉体的武器的暴力との絡みに於いてであり、担保しながらもその行使は時々の対抗関係に拠ろう。是非の問題ではなく歴史弁証法に預託されているのではなかろうか。 プロレタリア独裁の独裁とは本来、ブルジョア独裁に対置される用語であり、ブルジョア独裁の支配システムに代わるよりましな社会的合理性のある独裁で無ければならない。ブルジョア独裁下の民主主義が形式的なものであるとすればより実質化かせしめるものでなければならない。ブルジョア独裁下の議会主義が単なるおしゃべりの機関であるなら実質的に審議し執行できる機関でなければならない。つまり、独裁とは云うもののブルジョア独裁よりはかなり高度合理的な支配システムでなければならないということになる。 こういう風に展望すべきところ、何と「独裁」という表現に異常に拘り、かっての王朝制、君主制、貴族制もたじろぎ羨む独裁恐怖政治を敷き、革命的暴力を自讃しつつ行使してきた経緯がある。恐ろしい歴史的後退であるが、これが訝られずに言葉に酔いしれたまま支持されてきた。馬鹿に漬ける薬は無いと云うべきだろう。 ことほどさように、日本のみならず世界の左派運動は扁平な頭脳のままにこれに取り組んできて、その結果自滅し衰微している。当然と云うべきではなかろうか。弁証法的に見ても、革命とは従来質のものをアオフへーベン即ちそこから出藍させるものであり、従来質以下のものを持ち出して強制し歴史的後退するものではなかろう。それさえ分からぬ手合いの運動なぞに巻き込まれるのは真っ平御免とすべきではなかろうか。 もっとも、日本及び世界の左派運動をそのような質のものに成り下げさせ、上手に利用してきたネオ・シオニズムの上部機関の画策があるというのが真相のようである。となると、問題は、それに気づかぬまま抱き込まれ続けている連中の頭脳のお粗末さにも責任の一片があると云うべきだろう。 その点、田中角栄−大平同盟は偉かった。れんだいこが思うに、日本政治史上に燦然と輝いている善政であった。田中角栄−大平同盟は理論的イデオロギー的に難しい事は云わず、人民大衆及び国家民族百年の計に合致するものを施策し続けてきた。そのお陰で今日我々が今なお何とか踏ん張っておられる原資が国民の手の中に残されている。あの手この手で次第に簒奪されつつあるが、そういう富が人民大衆側に残されているということ自体が貴重と云うべきだろう。その田中角栄−大平同盟を解体殲滅した側の者が現下政治をリードしているが、ろくなものではないのもむべなるかな。 以上より、「暴力革命論の暴力、プロレタリア独裁の独裁概念を見直し、哲学的政治概念として理解せよ。これを第六指針とする。これを第一指針の民族主義的土着型運動、第二指針の戦後憲法秩序をプレ社会主義のそれと認識し護持成育せしめよ。第三指針の切り開く社会像として社会主義的国有化理論を否定し、市場性社会主義経済論に転換せよ。第四指針の統一戦線論を否定し、共同戦線論に転換せよ、第五指針の党中央権限集中制論を否定し、機関運営主義権限分権制論に転換せよと結びつけよ」を指針させる。これを「第六提言」としておく。 2008.1.20日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評353【戦後学生運動論再考】 | れんだいこ | 2008/01/20 11:06 | ||
こげぱんさんちわぁ。 > れんだいこさん、処女出版の運び、お慶び申し上げます。 はい有難うございます。記念すべき処女作は学生運動論になります。中山みき論を想定しておりましたが、れんだいこ自身の思想遍歴から見て学生運動が最初でしたので、学生運動論から始めるのも筋かなと思っております。 今現在試論を提供しております。これに対する皆様のご意見を賜りまして、れんだいこの更なるやり取りをへて、その中から生まれてきたものを最終草稿にしようと思っております。そういう意味で、字句間違い、句読点間違いから始めて内容ミス、解釈疑問、新見解等々が寄せられることを期待しております。皆様よろしくお願い申し上げます。 今のところぬか釘ですが、れんだいこの寿命が有るうちに、応答が出来るうちにやり取りしておきませう。れんだいこ没後、批判を聞かされるのもお褒めをいただくのもうれしくありません。世の中そういう傾向がありますが、れんだいこは生きているうちに語りたいと思っております。 > センター試験や内申書に見られるような異常な受験狂育により、同世代の人間を敵として戦う必要が生じたことが考えられます(センター試験は一見公正に見えますが、センター試験で高得点を取るためには、中学入学時からの無味乾燥的暗記の蓄積が必要なため、一発決着型の試験とはならず、結局6年間の長きに渡り学生を矮小な鋳型にはめ込むことになります)。為政者がここまで意図したかどうかは知る由もありませんが、学生運動を解体して、学生を愚民化する目的で受験狂育を導入したのであれば、受験狂育はまさしく学生に対する大量破壊兵器として機能したとも考えられます。 センター試験について感覚が分からないのですが、内申書重視と合わせて見れば、教師管理政策の次に来たのが学生管理施策でせうね。何事も行き着くところまで定向進化しますから、この先どうなるのでせう。最近、推薦入学が流行っているようです。これもイヤですね。れんだいこなぞ、高校時代に受験教育に反発したため受験派教師から疎んぜられ、それに反発して一浪し、急遽国立から私大へ転換し、予備校行くでもなく一発勝負で合格しました。今思えば内申書のさほど重視されない一発型の有り難い制度でした。その経験からすると、真っ当に逆らうものが根性に拠っては救われる制度があって欲しいですね。 ちなみに、今の体型からするとウソか誠か、れんだいこは当時の東京教育大学の武道科に推薦入学が利きましたが、裏口入学のような気がして断りました。最近何の特技も無いのに成績優秀だけの推薦入学が一般化しているようです。こうなると一斉の入学試験が空洞化しているように思います。金持ち優遇の教育政策版でせうねきっと。怒らにゃいかんのに怒りが出ないですね。 2008.1.20日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評360 | れんだいこ | 2008/01/21 17:35 | ||
【提言7、左派運動内の暴力主義を否定し、党内党外の競り合い運動に転換せよ】 日本左派運動に対する提言1で、民族主義的土着型運動を指針させ、提言2で、戦後憲法及びその法秩序の評価の理論的見直しにより護持成育発展を指針させ、提言3で、国有化経済理論を否定し、市場性社会主義経済論への転換を指針させ、提言4で、日本左派運動用語から統一戦線論を棄却し、共同戦線論に転換させよを指針させ、提言5で、党中央権限集中制論を否定し、機関運営主義権限分権制論に転換せよを指針させ、提言6で、暴力革命論の暴力、プロレタリア独裁の独裁概念を見直し、哲学的政治概念として理解せよを指針させた。次に提言7として、「左派運動内の暴力主義を否定し、党内党外の競り合い運動に転換せよ」を指針させる。これも議論を呼ぶところであろう。 提言6で、暴力革命論の「暴力」の従来の皮相理解の誤りを指摘した。日本左派運動には、世界のそれも大同小異であろうが、肉体的武器的暴力が対権力闘争に向けられることよりも、安易に党内反対派ないしは党派間に適用してきた負の歴史がある。その種の暴力は恣意的粗野なものでありヤクザの出入り暴力と何ら代わらない。あるいは党派的セクト的利害による「革命的」暴力であり、日本左派運動盛り上げに水を差す結果しかもたらさなかった。この種の暴力は、暴力革命論が本来意味する「暴力」とは別物なのに、両者が認識上厳密に区分されていないところから発生しているように思われる。 我々はそろそろ、徒な暴力が左派運動圏内に大手を振って罷り通ってきた事態を総括せねばならないのではなかろうか。左派運動が健全であれば、異論、異端、分派は当然のこととして、常に目指すべきは党内党外の競り合い運動であり、党内党外の対立を解決する手段として暴力を行使するものであってはならないとすべきだろう。見渡すところ、徒な暴力が行使されるところに宿っているのは運動規律の弛緩腐敗であり、もう一つは邪な動機からもたらされるものであったように思われる。かく認識して正々堂々たる競り合い運動に向かうべきであろう。 競り合い運動の模範的史実として、60年安保闘争の第1次ブントの闘いがある。第1次ブントが挑んだのは国家権力に対してであり、政治に対してであった。第1次ブントの暴力性が、他の諸党派に向けられた事は寡聞にして聞かない。学生大会の指導権狙いで多少の画策をした程度である。今から思えば許される範囲であったであろう。第1次ブント運動は競り合いで自ら範を示し、時の岸政権を打撃し瓦解させた。ゼンガクレンの名は世界に轟いた。そういう意味で素晴らしい闘いであった。 学生運動史の検証から云える対他党派暴力の行使は、60年安保闘争後の第1次ブントの内部分解により全学連中央を掌握した革共同全国委−マル学同系運動からであり、更に云えばその革共同全国委の革マル派と中核派の分裂以降専ら革マル派が得意としてきたのではないのか。かの他党派解体、諸雑派一掃運動こそもっとも馬鹿げた罪悪なチンケ暴力ではなかろうか。震源地は殆ど常に革マル派にあり、これにより急進主義系運動は重大な損傷を負い続けたのではないのか。してみれば、革マル派の邪な狙いが詮索されねばならないと思う。 全学連史を紐解くと、官学の東大、私学の早大が司令塔であり活動家の貯水池だったことが分かる。その早大で1969年、社青同解放派が革マル派の卑劣な策動により追い出されて以来、革マル派が学内憲兵隊と化して他派を寄せ付けず、革マル派と民青同の二元支配となり、早大は学生運動の輝かしい歴史を逼塞させた。 このことはもっと重視されて良いことではなかろうか。民青同と革マル派は表向き反発しているが、日本左派運動の鎮圧部隊として地下で通底しているのではなかろうか。思えば、全共闘運動に敵対したのもこの二派であった。第1次ブントの60年安保闘争に敵対したのもこの二派であった。その民青同は戦前党中央委員リンチテロ致死事件の頭目宮顕に指導され、革マル派は「組織名簿売り事件」の頭目黒寛に指導されている。妙な組み合わせではなかろうか。 こういうことを明らかにする為にも歴史検証が必要な訳であり、学生運動史論が必要な訳であり、これを疎かにすること自体が悪の暴力をのさばらせるのではないのか。この際、立花隆的な一見中立そうな見解は何の役にも立たない。むしろ邪悪な者の助っ人的役割を果たしていることになる。れんだいこはそう考えている。そういう意味で歴史を学ぶ事が必要な訳であり、各党派は結党以来の履歴を良くも悪しきの面も克明に記録し晒しておく責務がある。これは党派としての公党責任であると考える。 ところが、これがからっきしできていない。悪は隠したがる癖があるので仕方ないとしても、自派をそうは思わないなら、かの時代の正義として堂々と開陳すべきだろう。物事には定向進化の流れがあり、時代のムードも有り、行き着くところまで行かないと評価が難しい。今日的に見て具合が悪いことがあったとしても、かの時代の正義を隠す事は無かろう。 もとへ。1970年安保闘争後の革マル派の海老原君リンチテロ致死事件以来、革マル派の中核派に対する復讐テロが公然と始まり、中核派がこれに反発し、革マル派のテロは社青同解放派にも向かい、この三派間で激しい党派戦争が繰り広げられる事になった。他にもいろんな事件が起こったが割愛するとして、連合赤軍による同志テロ事件が発覚し左派圏を震撼させた。日本赤軍がパレスチナ連帯に向い、自爆テロへと突き進む。事の是非は単純には論ぜられないが、新左翼系左派運動が何やら特殊運動化したのは事実だろう。 あれから30有余年、そろそろ過去の運動を対自化させ、継承すべき面と排斥すべき面を分別すべきではなかろうか。この間、日本政治はネオ・シオニズム系の御用聞き政治家が一挙に台頭しており、売国政治ばかりに腐心している。戦後ハト派政治時代に築かれた国富的財産が強奪され、見るからにお粗末な惨状を呈して今日に至っている。いつの間にか公然と自衛隊の武装派兵が進んでおり、米英ユ同盟の裏部隊から前線部隊へ引き込まれようとしている。 かっての社共運動も面影が無い。社会党は解党し、共産党はますます貧相さを呈しつつある。この局面で日本左派運動の再生が為されないとしたら、もは永遠に失われてしまう事になるだろう。れんだいこには、有り得べからざる同時代的恥と受け止めている。 ならば処方箋も出さねばならないだろう。れんだいこは、日本左派運動が徒な運動圏内暴力で潰れた以上、まずは一刻も早くそれを取り除き、ここから再出発せねばならないと考える。しこうして正々堂々とした競り合いルネサンス運動に向うべし。これを当面さしあたりの漢方薬としたい。 以上より、「左派運動内の暴力主義を否定し、党内党外の競り合い運動に転換せよ。これを第7指針とする。これを第1指針の民族主義的土着型運動、第2指針の戦後憲法秩序をプレ社会主義のそれと認識し護持成育せしめる運動、第3指針の切り開く社会像として社会主義的国有化理論を否定し、市場性社会主義経済論に転換せよ。第4指針の統一戦線論を否定し、共同戦線論に転換せよ、第5指針の党中央権限集中制論を否定し、機関運営主義権限分権制論に転換せよ。第6指針の暴力革命論の暴力、プロレタリア独裁の独裁概念を見直し、哲学的政治概念として理解せよと結びつけよ」を指針させる。これを「第7提言」としておく。 2008.1.21日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)