カンテラ時評36(1051〜1080)

 (最新見直し2010.07.21日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 2007.3.24日 れんだいこ拝


れんだいこのカンテラ時評bP051  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 6月30日(土)19時10分7秒

  【「君が代」の歌意考その2、「藤田勝久氏の『君が代挽歌』」考

 以下、藤田勝久氏の「君が代は挽歌である」をれんだいこなりに咀嚼させていただく。(http://chikyuza.net/modules/news3/article.php?storyid=1074

 この論考のエキスは、前半の君が代の歴史的発祥過程の叙述にある。これは探していた情報であり、早速これを採りいれさせて貰った。中半以降の挽歌説も貴重な指摘である。但し、その意味するところに於いて解釈の違いがあり、れんだいこ流に咀嚼させて貰った。この論考は、れんだいこが欲していた情報と説の点で有益であったので、藤田勝久氏に謝意申し上げておく。

 「君が代の歌詞の意味は、『千代に八千代に』という永遠の願いを、死後の『常世』に託したものであり、それは『死者の霊』に対する鎮魂の歌にほかならない。紀貫之が万葉集の挽歌の一句を断章取義してしまった、つまみ食いしてしまった、ようするに間違ったのである。彼は、この歌を『賀歌』ではなく、『挽歌ないしは哀傷歌』のうちに含めるべきであったのだ」と述べている下りはどうだろうか。

 れんだいこによれば、君が代歌が当初「妹が代歌」であったにせよ、これは個人の追悼歌ではないように思われる。君であれ妹であれ、その治めている国と民を代表して敬礼されており、その政権の御代が「千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔むすまで」続く事が祈念されていると読む。してみれば、「挽歌ないしは哀傷歌」ではあるが、対象は個人の長命及び死後の来世における永生を祈っているものではなく、政体の御代の永続性に捧げられていると窺う。してみれば、弔辞歌ではなくまさしく賀歌として受け取るべきではなかろうか。

 「巌」の表象するものに対して、「これは死んだ親あるいは祖先の化身とみなされる。巌は、万葉集では墓地あるいは墓所を指し、その巌に苔生す苔は、再生、転生の象徴であり、死後の再生、転生を経てしかるのち初めて、千代に八千代にという永生が得られるのである」と述べている下りはどうだろうか。

 これにつき、「君が代」の歌意考その1の「古田武彦氏の君が代論考」では、「『いわ』は『岩』であり、『みわ(三輪)の祭りの場』を示す言葉と同類で、岩石を崇敬の対象としてとらえた古代用語であるという可能性が高い」の指摘が光るように思われる。「岩」は「巌」又は「磐」とも記され、その暗喩するところのものは「三輪の祭りの場」の可能性が高い。古田氏は九州説の立場からして糸島郡の「井原」を示すと比定しているが、「いわ」を「三輪の祭りの場」と指摘したことの価値が高い。

 従って、「君が代の歌詞は祝い歌、言祝ぎ歌ではなく、死者を悼む挽歌であり、柩を挽く者が歌う哀傷の歌であったのだ」する説には頷けない。正確には、「君が代の歌詞は政権の御代が末永く続く事を祈念しての祝い歌、言祝ぎ歌であり、その御代が転生して変成しているのを踏まえて、かっての御代を悼む挽歌であり、哀傷の歌であったのだ」と記すべきであろう。

 これらより、矢吹氏が云うところの「いかなる民族も慶弔は峻別してきた。そのような醇風美俗をもつ日本において、為政者の無知蒙昧により、祝賀の日に葬送の歌を歌うことを強制するのは、はなはだ奇怪な光景ではないか」の言は軽断過ぎるのではなかろうかと思う。

 溝口氏の云うところの「『さざれ石の巌となりて』という一句は、老子→説苑→大智度論→白楽天→仮名序とつらなる古代中国の『土を積む思想』と、法華経→真名序→仮名序とつらなる仏教の『微塵を積む』思想とが融合して作られた。まさに、いろはカルタの『塵も積もれば 山となる』の淵源は、老子と釈迦に発するのである」も軽断過ぎる。日本の古古代史を紐解くのに、一々中国、インド、西欧からの由来を訪ねる必要はない。日本は日本の歴史であって、特に古古代史ともなれば特にそうであって、まさしく日本の歴史から紐解かねばならないと思う。

 以上。よって、溝口、矢吹らの言は政治的引き廻しの臭いが強過ぎる。石原慎太郎の1999・3・13日の毎日新聞朝刊での言「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だって、あれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌やぁいいんだよ」は、右翼的愛国主義者・石原の正体見たり枯れ尾花、化けの皮が剥がれた瞬間の言辞であると窺うべきだろう。

 2012.6.30日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評bP052  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 6月30日(土)20時47分55秒

   れんだいこの保田與重郎論その3

 1910(明治43)年生まれの保田與重郎が青年期壮年期の働き盛りの時代は、満州事変から始まる大東亜戦争前と戦中に当たっていた。この時期、保田は、文芸評論家として日本浪曼派を率いて近代日本文学史に一時代を画した。文明思想家でもあり卓絶した古典思想により一貫して我が国の歩むべき道を語り続けた。その言説が戦前戦中の青年層に大きな影響を与えた。この影響は今日我々が推量するよりはるかに大きく、和辻哲郎の「古寺巡礼」は日本浪曼派世界の一コマに過ぎなかったほどであると解すべきであろう。保田の生涯履歴は次のサイトで確認する。

 「保田與重郎の履歴考」
 (kodaishi/nihonseishinco/yasudayojyuroco/rirekico.html

 保田が大東亜戦争の聖戦性を如何ほどに鼓吹したのかどうか分からないが、戦後の1948(昭和23)年、39歳の時、大東亜戦争を正当化したとされ「G項該当者」として公職追放に遭っている。戦後直後に趨勢化した左派的文壇から「最も悪質な右翼文士」として葬られ、不遇の時期を郷里の桜井で過ごし隠遁(いんとん)生活を続ける身となった。こうして戦後のジャーナリズムと知識人から指弾、黙殺を受ける一方、保田を慕う青年らが桜井に多数集まるようになった。

 保田の真骨頂は、「戦前からの思想の一貫性を守り通した」ことにある。要するに思想がブレなかったと云うことになる。それはそうだろう、三輪精神の上に花開いている保田思想は戦前の皇国史観とは一線を引いたものであったし、戦後のいわゆるアメリカン民主主義思想とも違うものであったろうから、ブレる必要もなかったと思われる。むしろ常に異端で在り続けたと云うのが真実であろう。

 付言しておけば、戦前には保田思想を寵児とする幅があったのに対し、戦後は却って窮屈なものにした。ここに戦前と戦後の違いが見て取れよう。戦後の方が却って窮屈になっている面があると云うことである。何事も戦後民主主義万歳論で評する訳には行かない好例であるように思われる。かくして保田は二度と寵児には成り得なかったが、その旺盛な文筆意欲は休むことなく続いた。そして時代を撃ち続けた。例えば次のように述べている。

 「正常な國語、正確な文法、民族の歴史、民族の修身を復活することは、民族當然の義務であり、自主獨立の第一歩である。憲法改正や再軍備は第二義の問題である。これらが第二義の問題であるといふことを、國民は自覺せねばならない」。

 この言は、言語こそ民族の生命であるとする観点に立てば容易に首肯できよう。或る意味で、保田は透徹した国体主義者であるやもしれない。この場合の国体とは皇国史観的なものではない。既に述べたようにもっと古くから日本を成り立たせている天皇制以前からの国体を指している。

 1958(昭和33)年、49歳の時、12月、王朝ゆかりの景勝地である京都の鳴瀧に山荘を構え「身余堂(しんよどう)」と命名する。そこを終の棲み家として、文人伝統の志操と風儀を守り続けた。この間、桜井市桜井の神武天皇の聖蹟・鳥見山に座す等彌神社に「大孝」の碑を、桜井公園(桜井市谷)に「土舞台」の顕彰碑を、桜井市穴師のカタヤケシでは元横綱・双葉山(時津風理事長)、柏戸、大鵬の両横綱らを招いて天覧相撲発祥の伝統を顕彰する行事を行い、桜井市黒崎の白山神社の境内には万葉集発耀の碑を建てるなど、「わが郷里桜井」を内外に示している。

 注目すべきは戦後に於ける保田の再登場の歴史的意味であろう。閉じ込められてきた保田の出番が何故に廻って来たのか。一見偶然のように思えるが、れんだいこの眼には、角栄の登竜と軌を一にしているように思われる。そう窺うのは、れんだいこだけだろうか。これを確認する。

 1960(昭和35)年、保田51歳の時、「述志新論」を著し、これが復権の兆しになる。同書で、「我々は人間である以前に日本人である」と書き、「日本人である以前に人間である」とする戦後民主主義の無国籍型国際主義の通念に棹さしている。1963(昭和38)年、新潮に「現代畸人傳」の連載を始め戦後の文壇ジャーナリズムに再登場した。続いて、佐藤春夫監修、自ら編集した「規範国語読本」(新学社)を刊行している(以下、「刊行する」を略す)。

 1964(昭和39)年、「現代畸人傅」(新潮社)。1965年、「大和長谷寺」。大津の義仲寺再建に尽力し落慶式を主宰する。1965年、「自主獨立の眞精神」、「安易な依存心を排す」を発表する。1966年、「自主獨立の教養」を発表する。1968年、「日本の美術史」(新潮社)。「保田与重郎著作集第2巻」(南北社)。1969年12月、「日本浪曼派の時代」(至文堂)。中河与一との共著「日本の心 心の対話」(日本ソノサービスセンター)。1970年、「日本の美とこころ」(読売選書)。1971年、歌集「木丹木母集」(新潮社)等。「保田与重郎選集 全6巻」(講談社)。1972年、「日本の文學史」(新潮社)。1973年、「万葉路山ノ辺の道」(新人物往来社)。1975年、「方聞記」(新潮社)、「カラー万葉の歌 写真:大道治一」(淡交社)、「万葉集名歌選釈」(新学社教友館)。1976年、落柿舎第13世庵主となり「落柿舎守当番」と称する。1978年、「冰魂記」(白川書院)。1979年、「天降言(人と思想)」(文藝春秋)。1981(昭和56)年10月4日、肺癌のため死去する(享年72歳)。

 「保田與重郎の履歴考」
 (kodaishi/nihonseishinco/yasudayojyuroco/rirekico.html

 角栄の政治履歴は次の通りである。1957(昭和32)年.岸内閣の第一次岸内閣改造に39歳で郵政大臣に就任する(以下、「就任する」を略す)。1959年、自民党副幹事長。1961年、第二次池田勇人内閣で自民党政調会長。1962年、第二次池田内閣改造で大蔵大臣。1965年、佐藤内閣第一次改造で蔵相辞任、自民党幹事長(一期目)。1966年12月、一連の政界黒い霧事件で川島副総裁と共に幹事長を引責辞任。1968年、第二次佐藤内閣改造で自民党幹事長(三期目)。1970年、第三次佐藤内閣で自民党幹事長(四期目)。1971年、第三次佐藤内閣の第一次内閣改造で通産大臣。1972年7月、第64代内閣総理大臣。1974年11月、退陣表明。1976年2月、ロッキード事件勃発。1977年1月、 ロッキード事件丸紅ルート初公判。以降、公判に縛られる。1985年2月、創世会が波紋を広げる中、自宅で脳梗塞で倒れる。1993(平成5)年12月、ロッキード最高裁判決の日を見ることなくこの世を去った(享年75歳)。

 「田中角栄の履歴」
 (kakuei/rireki/rireki.htm

 これを見れば、「戦後に於ける保田の再登場」は角栄の政界での実力者化の道と歩調を合わしているように見える。なぜこれを認めるのかと云うと、角栄も又保田と同じく「日本の心」派だったのではなかろうかと思われるからである。類は友を呼ぶ。政界における角栄の登竜は、文界に於ける「日本の心」派の出番を容易くしたのではなかろうか。

 思えば、池田隼人、田中角栄、大平正芳、鈴木善幸らに代表される戦後保守系ハト派とは、この「日本の心」派だったのではなかろうか。してみれば、60年安保闘争で岸政権が打倒されて以降から1980年初頭に中曽根政権が誕生するまでの約20年間は、大まかにいえば「日本の心」派が日本政治を御していた稀な時代であったことになる。通りで何事も大らかに且つ筋を通しながら日本が奇跡的な発展し続けた訳である。

 これは逆も言える。角栄がロッキード事件でカニ挟みに遭わされて以降、「日本の心」派は再び冬の季節に入ったのではなかろうかと。以降、戦後保守系タカ派と云う名の国際金融資本帝国主義の走狗どもが日本政治を牛耳ることになり今日まで至っている。通りで何事もせせこましく且つ言葉に信がおけない無理筋政治が常態となり日本を食い物にし続けている訳である。

 もとへ。保田がこれほどの能力者であった割には戦後に於いて戦前ほど評価されず活躍の舞台を与えられなかったのには、こういう政治事情によると拝するしかない。政治と文芸が通底していると云う例証である。

 さて、保田與重郎思想に関するれんだいこの知識は今のところ以上述べただけのものでしかない。この書きつけ時点で保田の直筆本を一冊も読んでいない。その段階でのスケッチ論である。今後、保田與重郎の原文に触れ、思想対話してみたいと思う。

 既に研究者の評として次のように述べられている。

 「保田の作品は、大和桜井の風土の中で身につけた豊かな日本古典の教養と迅速な連想による日本美論である」。

 実にそうであろうし、付け加えるとしたら、近代天皇制とそのイデオロギーである皇国史観が打ち出した日本論、日本精神論に対して、それとは違う「もう一つの日本論、日本精神論」を鼓吹していたのではないのか。教祖みきの言を借りれば、「元の神、実の神」の教えに基づく近代天皇制教義とは別の日本論、日本精神論を唱えていたのではなかろうか。

 そういうことからであろう、倫理学者の勝部真長氏は保田を的確にも次のように評している。

 「歴史の地下水を汲み上げる人。地下水にまで届くパイプを、誰もが持ちあはせてゐるわけではない。保田與重郎といふ天才にして始めて、歴史の地下水を掘り当て、汲み上げ、こんこんと汲めども尽きぬ、清冽な真水を、次から次へと汲みだして、われわれの前に差し出されたのである」。

 もう一つ挙げておく。「鈴木邦男の保田與重郎30回忌〈R火忌〉に参加しました」は次のように評している。

 「右翼・民族派の青年はもちろん、左翼の青年にも保田の愛読者は多い。左右という政治的違いをこえて日本人の精神、死生観に訴えかけるものが保田の美学にはあった」。

 両説とも、実に然りの炯眼であろう。

 2012.6.30日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評bP053  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 7月 1日(日)21時56分13秒

   れんだいこの保田與重郎論その4

 れんだいこの4番目の最後になる保田論は、保田氏の政治論に対する批評となる。次のように評されている。

 「明治維新以降の神道の国教化に疑問を呈し、上古の神道とは違うのではと、評していた。キリスト教のような布教する宗教ではなく、あくまで自然に根ざした人間の本源的な宗教であり、信仰の強制=皇民化に反対していた。大東亜共栄圏の侵略の方便に神道が使われることに、祭政一致の観点から嫌悪を示していた」。

 既に見たように三輪思想の薫陶宜しい保田氏からしてみれば、「明治維新以降の神道の国教化に疑問を呈し、上古の神道とは違うのではと評していた」ことも、「キリスト教のような布教する宗教ではなく、あくまで自然に根ざした人間の本源的な宗教であり、信仰の強制=皇民化に反対していた」ことも、「大東亜共栄圏の侵略の方便に神道が使われることに、祭政一致の観点から嫌悪を示していた」も容易に頷けよう。

 ところで、吉本隆明は、思想形成期に影響を受けた思想家の一人として保田與重郎の名前を挙げているとのことである。してみれば、.吉本隆明は、保田與重郎を通して三輪思想の香りを味わっていたことになる。吉本隆明も興味深い人物であるが、ここでは割愛する。

 偉大な思想家としてもっと評されるべき保田に対して探せば多くの好意的評があるだろうが、政治論に関する限りれんだいこの評は辛くなる。どう云うことかと云うと、マルクス主義を主とする左翼の批判の視点が的確を射ていないと思うからである。これは、保田がマルクス主義に被れていた19歳前後の時の1928(昭和 3)年のご時世に関係しているように思われる。この当時、日本マルクス主義は絶対の正義派であり唯一の真紅の革命派であった。弾圧に次ぐ弾圧にも拘わらず党旗が護り繋がれていった。恐らく、保田は、それを眩(まぶ)しく思っていた筈である。だが他方で、マルクス主義の絶対的教条である天皇制打倒スローガンに対し、三輪思想の薫陶を得ている者として違和感を持ち続け、それ故に是々非々的に関わった筈である。この頃の保田に対して次のように記されている。

 「大阪市阿倍野区にあった旧制大阪高等学校文科乙類に入学。大阪高校時代にはマルクス主義にも触れたが、その思想を受け入れることはなかった。しかし、蔵原惟人や中条百合子の作品に対しても、しかるべき評価をしているように、全く無関心であったわけではない。また、高校時代の同級に竹内好がおり、後に保田が中国を訪れたときに、竹内が案内をしたことがある」。

 こういう彷徨を見せている保田は、1932(昭和7)年、満州事変勃発6か月後の頃、東大在学中に同人誌「コギト」を創刊し、その中心的な存在として活躍する。1935(昭和10)年、26歳の時、東大美学科美術史学科卒業。卒業後、「日本浪漫派」を創刊、その中心となる。1936(昭和11)年、27歳の時、処女作「日本の橋」を刊行する。この時代、既に日本マルクス主義運動は壊滅させられ、文芸戦線も同様に封殺させられていた。この時期を、プロレタリア文学運動に代替するかの如くに文芸旗を掲げ台頭してきたのが保田らの日本浪漫派であった。次のように評されている。

 「保田與重郎、亀井勝一郎、中谷孝雄、中島栄次郎、緒方隆士、保田與重郎、緑川貢、太宰治、壇一雄、山岸外史、芳賀壇、後に佐藤春夫、萩原朔太郎、伊東静雄などが参加。終刊近くには50名以上の一大文学運動となる。閃くやうな文體を驅使した評論を發表し、一躍『文壇の寵兒』となった。『日本浪漫派』を創刊し、マルクス主義的プロレタリア文学運動解体後の日本文学を確立する為に、ドイツ浪漫派の影響のもとに日本古典文学の復興をめざした。伝統主義、反進歩主義、反近代主義の立場から多くの評論を展開した」。

 ここで確認したい事はこのことではない。こういう経過によって、保田の頭脳には、マルクス主義が早期に壊滅させられたことにより却って勃興期の尖鋭的且つ硬直的なマルクス主義のイメージが残り続けていたのではなかろうかと窺うことにある。つまり、文芸評論家として世に出た保田には、いわば古典的なマルクス主義イメージが脳裏に焼きついたまま経緯したのではなかろうかと思われる。このことを確認したい訳である。

 この推理の重要性は、戦後の保田の身の処し方に関係することにある。戦後の保田はいわば座敷牢に閉じ込められた。それは専ら表からはGHQのネオシオニズム的策動によって裏からは日本マルクス主義運動系のイデオロギーによってであった。本来、保田は何ら臆することなく両面に対して闘いを開始すべきだったところ、自ら蟄居で様子見している。正面の敵であるネオシオニズム的策動には抗し難い。それは分かる。だが、裏からの敵、日本マルクス主義運動に対しては堂々と渡り合うことができた筈のところ特段の抵抗が認められない。このことの要因に、既に述べた「古典的なマルクス主義イメージ」が邪魔したのではないかと考えられる。

 戦後日本の日本マルクス主義運動の本家筋に当たる日本共産党が初期の徳球―伊藤律系党中央指揮下のそれであった場合にはまだしも、1955年の六全協後の宮顕―野坂系党中央指揮下の偽物共産党運動が開始されて以降は何の遠慮があっただろうか。推理するのに、保田はこの共産党の変質に対して何の関心も持ちあわさなかった。このことが戦後に於ける日本マルクス主義運動の捻じれに対して正確な理解を妨げ続けることになった。それが保田の日本左派運動批判の舌鋒を的外れにしているのではなかろうか、と窺う。これには、時代的制約もあろう故に保田の責任を問う訳には行かない。そういう意味で、無理からぬと云う割引の気持ちは持っている。しかしながら、「マルクス主義及びその運動の古典的理解」のままに戦後のマルクス主義運動を是認的に理解しつつ批判的な評論をし続けたところに保田の限界があったように思われる。

 つまり、マルクス主義、日本共産党論にせよ、史上に現われたものには裏があると云う面での認識がからきしできていないように思われる。古典的通俗的なマルクス主義理解の上に立って、その錦の御旗を掲げる日本共産党論なる観念を安易に前提して、これを批判している風があり、ここがもの足りない要因になっているように思われる。これは元々が文芸批評家故に仕方ないことかも知れない。尤も、これがを解け、かく指摘できるのは、世界広しといえども今のところは、れんだいこぐらいのものかも知れない。

 こういう事情によって思われるが、保田の戦後的復権に於いて評される栄誉は専ら文芸分野に限られることになる。これにより「日本の心」を探る営為は戦前のものより更に精緻になったかも知れない。しかしながら、保田の時評、政治論評は精彩を欠いたものになっているのでなかろうかと窺う。今のところ殆ど読んでいないので遠慮勝ちに評するが当らずとも遠からずであろう。

 なぜなら、保田が我が意を得たりの政治論評をしていたのであれば、れんだいこの眼に止まらなかった訳がないからである。こたび機縁を得て保田を少し知る事ができたが、まことにあり余る慧眼の持主である。この慧眼をもってすれば、我々は、吉本隆明のそれ、大田龍のそれに伍する保田與重郎のそれを聞けた筈のところ聞きそびれたのではなかろうか。これが悔やまれる訳である。本稿をもってとりあえずの保田與重郎論の完結とする。

 2012.7.1日 れんだいこ拝


れんだいこのカンテラ時評bP054  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 7月 2日(月)23時12分12秒

   れんだいこの吉本隆明論

 2012.3.15日、戦後の日本左派運動史上に思想的に大きな影響を与え続け、「戦後思想の巨人」と云われた評論家にして詩人の吉本隆明(よしもと・たかあき、音読みして「りゅうめい」と読まれることも多い)氏が肺炎のため東京都文京区の日本医科大付属病院で死去した(享年87歳)。長女は漫画家ハルノ宵子、次女は作家よしもとばなな。

 吉本隆明の逝去に際して幾つかの追悼文が出ている。れんだいこも、太田龍に為したと同様の手法で氏の履歴を確認してはみたがサイトアップせぬままに来た。その理由に、恥ずかしながら、れんだいこは吉本氏の著作を一冊も読んでいない。片言隻句を知っているぐらいで妙に縁がなかった。そういうレベルの者が批評を公にするのは如何なものかと思いやり過ごして来た。

 ところが、直近で同じく一冊も読んでいない保田與重郎論を書きサイトアップした。ならばついでと本ブログを世に送る。保田與重郎論4で確認したが、吉本氏は、思想形成期に影響を受けた思想家の一人として保田與重郎の名前を挙げているとのことである。これによれば、.吉本隆明が保田與重郎の影響を受けていることになる。この誼からでもある。

 吉本氏の詩人能力、文芸批評能力に関しては語る資格がないので轄愛する。れんだいこが吉本隆明を高く評価する所以は、1955年の六全協の宮廷革命で、それまでの徳球―伊藤律系党中央から宮顕―野坂系党中央へ大転換した後の日本共産党に対し、公然と反旗を翻した理論的指導者としての第一人者であったことによってである。吉本氏が、転向論を書き上げ、当時神話化されていた宮顕の非転向聖像を引き剥がしたことも高く評価する。既に共産党批判者は外部からも内部からも五万と居たであろうが、かの1950年末時点で、かようなスタンスを思想的理論力によって確立し得た者は吉本氏を措いてはいないのではなかろうか。これが、れんだいこが吉本隆明を高く評価する所以である。

 付け加えるとすれば、日本共産党中央が徳球系から宮顕系に転換し、宮顕指導の反動性を嗅ぎ取った全学連中央がそれまでの共産党支配から離れ自律化せんとした動きを強め、60年安保闘争の前夜にブントを結成した時、吉本氏が当時の全学連活動家を鼓舞し、終始その思想的指導者として好意的随伴者であったことにつき高く評価している。繰り返しになるが、既に共産党批判者は外部から内部からも五万と居たであろうが、かの1950年末時点で、宮顕系党中央の胡散臭さを見抜き、その挙動不審に鋭い批判を浴びせ続けた論者は吉本氏を措いては知らない。

 これが、れんだいこの吉本隆明論の前半である。後半は厳しくなる。即ち、吉本の転向論につき、れんだいこの転向論研究に照らすと、宮顕批判と云う結果は同じだが論法が真逆なものとなっており、どこかで決着付けねばならないと考えている。どう違うのかと云うと、時代的制約もあっであろうが、吉本氏は、宮顕の非転向を信じた上で非転向の内実の価値を問い、非転向必ずしも自慢にならずと批判の舌鋒を鋭くしている。

 これに対し、れんだいこは、宮顕の非転向を虚と断じている。宮顕唯一非転向聖像は当局との阿吽の呼吸の上で造られた神話であり、非転向どころか端から当局のスパイであったとしている。当局は、宮顕人脈が確保できたことで、それまでのスパイMを用済みにし、その地位を宮顕が継ぎ総元締めすることになったと見立てている。こういう観点の違いにより吉本式転向論に馴染めない訳である。非転向の内実の価値の問い方も異なるが、ここでは割愛する。

 吉本氏の全学連ブント派支援についての評を厳しくしようとは思わない。繰り返すことになるが、かの1950年末時点で、宮顕系共産党を共産党の変質と判じ、共産党と云う名をもって語ることさえおこがましいとして意味で日共と蔑称し、同様の観点に立つうら若き全学連ブント派活動家と同衾したのは勇気ある知的営為であったと思っている。但し、難点を云えば、その若きブントを鍛え正しく指導すると云う観点はなさ過ぎたのではなかろうか。吉本にそれを求めるのはお門違いであるかも知れないが、そういうもの足りなさを感じるのを許してもらいたい。

 吉本の著作を読み損ねた理由の一つに、氏の斜交い構えの論法が関係している。それとやけに難解な文章であるように思えたのも理由の一つであろう。確か「国家は幻想である」とかの言を為しており、れんだいこの70年初頭の学生運動期に、或る部室で、これを大真面目に請け売りする論者と口角泡を飛ばしながら論争した経緯があり、その時の嫌な思い出も関係していたようにも思われる。そういうこともあって、どうにも読む気がしなかったと云うのが実際である。そういう拙い関係のまま今日を迎えている。

 気づいたことは、吉本氏が、60年安保闘争時にはあれほど一級の知識人的活動をしたのに70年安保闘争では登場せず、1970年代後半のロッキード事件につき政論を発表していないことである。1980年代初頭の中曽根政権、2000年代初頭の小泉政権に対する論評がない。これらは左派系且つ新左翼系政治思想家としては不可解なことである。

 比較で云えば、左からいわば右へ大きく転向した太田龍が切り開いた国際金融資本権力対批判、彼らの信奉するネオシオニズム批判、その歴史的解析、そこから逆照射して獲得せんとした日本古来の縄文思想の質の高みの称揚、これらが皆無である。そういう意味でどうもしっくりこない。現代思想上の営為に於いて肝心かなめのこれらのテーマに対して無言及の大思想家なんて有り得るだろうか。晩年の原発の擁護、オウム真理教に対する安逸な賛辞となると論外と云うべきだろう。

 以上から総括すれば、れんだいこが高く評価する吉本隆明は1950年代から60年代までの履歴に対してである。その後の吉本に眩しさを感じることはない。これが結論となる。思い切って述べさせていただいたが若輩者の試論としてご容赦願いたい。

 2012.3.20日、2012.7.2日再編集 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評bP055  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 7月 5日(木)21時04分17秒

   党議拘束考

 ここで党議拘束考をしてみる。主として国会議員への党議拘束を対象とする。「ウィキペディア党議拘束」、「造反有理・・・党議拘束に意味はない!」その他を参照する。2012.7.5日現在、ネット検索で「政党の造反処分史」をたぐっても、それらしい情報が出てこない。そこで急きょ拵えサイトアップしておくことにする。

 党議拘束とは、政党が決議によって党所属の議員活動を拘束することを云う。主に議会で採決される案件又は法案に対し投票行動を賛否拘束する。政党の結束性を示すものであるが合憲論、違憲論があり決着がついていない。党議拘束に反する造反行動に対する処分は規約に則るが、各党により差がある。

 党議拘束の程度は国によって異なる。日本では党議拘束性が次第に強まりつつあるが、フランスでは造反議員に対して比較的寛容である。イギリスでは原則として予算案の議決に党議拘束がかけられているが他の法案では比較的寛容である。アメリカでは法案に対してほとんど党議拘束がかけられていない。議員は政党の拘束よりも地元の利害に基づいて判断し議会での投票行動をおこなう倣いがある。

 党議拘束に対する日本の各政党の党議拘束ぶりにも濃淡がある。これを確認すると、最も強いのが共産党であり足並みが乱れることは滅多にない。過去に、1964年5.15日の「部分核停条約」採決の際に、5議員のうち4議員が反対票、志賀議員が党の決定に背いて賛成票(白票)を投じた。これを「志賀問題」と云う。志賀は直ちに査問され、5.21日、除名されたと云う事例がある。以来、例がない。むしろ党大会での満場一致、一枚岩体制を誇る。しかし、その裏には延々と続けられた党内反対派に対する粛清史が介在している。

 次に公明党の結束が強い。但し、国会での造反例を知らない。党内的な対立では、1970年代の執行部を形成した竹入委員長、矢野書記長派が徹底的に粛清されている。自民党以外のその他政党については割愛する。

 興味深いのは自民党である。過去たびたびお家騒動を起こしている。1970年以降の政治史で確認する。

 1972年、田中政権時代の日中国交回復に伴う台湾との国交断行措置に対し党内の台湾派が大反対し党内抗争を激化させた例がある。但し、この時は造反組に対する処分はされていない。

 1979.10.9日、大平政権に対し、自民党反主流派が総選挙敗北責任を追及し「40日抗争」を始めている。11.6日、衆議院本会議で首班指名選挙が行われたが、首相候補として同じ自民党から主流派の大平正芳と反主流派の福田赳夫の2人が現れるという前代未聞の事態となっている。

 1980.5.16日、社会党が、大平政権に対し内閣不信任決議案を提出したところ、5.19日、自民党反主流派の福田、三木両派の69名が公然と造反欠席したことにより賛成243票、反対187票の56票差で可決された。内閣不信任案可決は1953年以来27年ぶりの出来事であった。総選挙となり、これを「ハプニング解散」と云う。この時も、造反組に対する処分はされていない。後に造反組に対して厳しい制裁を課すことになる福田派の小泉純一郎議員は、この時、立派な党議拘束違反の造反議員であった。

 この時、大平首相は新聞記者に対し次のように述べている。

 「政党は夫婦みたいなもので、こんなことがあってもどうということはない。俺も鳩山内閣不信任案に欠席をしたことがある。政党は分離と独立を繰り返していくものだ。昨年の首班指名の時は別の名前を書かれたが、今回は欠席だから状況はよくなっている。諸君は事実上の分裂選挙と言うが、総裁以下号令一下、挙党一致で闘ったことなど一度もないんだよな」。

 大平政権は、不信任案に反対した田中・大平両主流派、旧中間派の議員、反主流派のうち本会議に出席して不信任案に反対した中曽根派議員らを第1次公認とし、欠席した反主流派の議員を第2次公認という形で対応している。

 1993.6.17日、社会、公明、民社の3党が宮澤内閣不信任案を提出したところ、6.18日の採決の際、自民党竹下派から羽田.小沢派の43名と他派閥議員5名が賛成、16名が欠席し、宮沢内閣不信任案が可決され、大平内閣以来13年ぶりとなる衆院解散となった。「政治改革解散」と云われる。

 1994年、羽田内閣の総辞職後の内閣総理大臣指名選挙について、河野洋平総裁や森喜朗幹事長が社会党の村山富市委員長を推したため自民党内に造反組が生まれた。しかし、旧大分県第1区で村山と直接のライバル関係にあった衛藤が賛意を表明したことから議論の流れが大きく変わり村山首班指名で決着した。この結果、自社さ連立政権が成立し自民党は11ヵ月ぶりの政権復帰を果たした。

 2000.11月の森内閣不信任決議の際には、加藤紘一、山崎拓らが造反したが最終的に矛を収めた。

 2005年の小泉政権下の郵政民営化法案を廻る造反騒動は凄まじい。7.10日の衆議院採決で自民党から37名の反対、14名の棄権が出た。8月8日の参議院本会議採決でも自民党から22名の反対、8名人の棄権が出たため否決された。小泉首相は、造反議員を除名して解散、その上、除名議員の選挙区に刺客を立てて落選を狙うという執拗な報復選挙をやったことで知られている。

 つい先日の2012.4.12日の郵政民営化法改正案の採決の際には、中川秀直元幹事長、小泉進次郎衆院議員、菅義偉元総務相らが造反した。大島副総裁が中川氏ら4人を厳重注意すると、谷垣総裁は即座に「この問題はこれで打ち止め。政権を追い詰める大事な局面なので結束すべきだ」と終結宣言している。

 2012.6.26日、野田政権下の民主党は、党内の強い反対論を押し切って「消費税増税法案」を衆院提出し、「自公民との三党合意」を取りつけた上で党議拘束」をかけて本採決に臨んだが、党内から57人の反対投票、15人の欠席・棄権者を出した。

 この流れをどう見るべきか。造反史を漫然と眺めてみても得るものは少ない。確認すべきは、いわゆるタカ派、その実国際金融資本に飼いならされている御用聞き派が政権を握った時、造反派に対して厳しい制裁処分に出る傾向が強いと云うことである。ハト派系の田中、大平政権下では伝家の宝刀を抜いていない事が分かる。タカ派系が戦後保守主流派に転じた1980年初頭の中曽根政権以降、日本政界に造反派処分が常態化し始めた事を見て取るべきではなかろうか。一事万事で、この頃から日本政治の質が変わったと云う事を窺うべきではなかろうか。

 2012.7.5日 れんだいこ拝

れんだいこのカンテラ時評bP056  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 7月21日(土)21時11分38秒

  【「永田議員の偽メール質議事件」解析1、事件解析観点をかく問う】

 過日、阿修羅情報によってだったか「永田議員の偽メール質議事件」(以下、単に「事件」と記す)の民主党の報告書があることを知った。そのサイトは、「2006.3.31日づけ民主党第367 回常任幹事会(報告事項)」(以下、単に「報告書」と記す)である。

 事件とは、民主党が政権を取る2009年の3年前の2006.2.16日に発生している永田寿康・衆議院議員(以下、単に「永田」と記す。氏名につき以下同様とする)による失態的な国会質疑事件である。これにより、民主党内の有能な若手代表格であった永田は議員辞職を余儀なくされ完全失脚した。失意のままの2009.1.3日、北九州市の11階建てマンションからの飛び降りた形跡で変死している。自殺か事故死か他殺かさえはっきりしないまま処理されている。既に記憶の片隅でしかないこの事件であるが、妙な事が気になり始めたので記しておく。

 それは、現下の野田政権は無論のこと民主党三代政権の重要閣僚に関係するのであるが、何と事件に深く関係している者がよりによって大挙して登用されていることが判明する。多くの者はこれを偶然と看做すかもしれないが、れんだいこのアンテナに引っかかる。れんだいこの読みが正しければ、永田は、事件を企画演出した者たちによる政治的儀式殺人ならぬ儀式廃人で葬られたことになる。

 現代政治家の多くが国際金融資本グループの秘密結社員である可能性があり、そういう秘密結社は時に結束を強める為に儀式殺人をすることで知られている。永田は、その生贄にされたのではなかろうかとの疑いが捨てきれない。と云う事は逆に、永田を生贄にした連中がこぞって野田政権にへばりついているおぞましい姿が見えてくることになる。ウソかマコトか、2012年真夏の怪談として聞き流してくれれば良い。

 本事件の経緯及びその検証は報告書に譲る。本稿の狙いは、同書を踏まえつつ同書が触れなかったキモの部分を炙り出し、事件の裏真実を抉(えぐ)り出すことにある。事件の奥底の深い謀略を嗅ぎつけ、その構図を暴くことにある。民主党三代政権の閣僚登用の裏に潜む陰謀を捕捉することにある。れんだいこの読みが正しければ、このようなイカガワシイ政権と一刻も早く決別し、日本再生の大道へ歩を進めねばならないと思う。

 本論考末尾に記すべきであるが、ここで結論を先出しにしておく。事件の経緯から何を窺うべきだろうか。個々の疑問については文中に記す。総確認すべきは、本事件の登場する人物を見よ。単なる顧問格の面々、報告書委員に過ぎない河村、山田、末松、平岡の4名を除けば第一幕に「野田、前原、藤村、仙谷、枝野」、第二幕に「細野、鳩山、平野、松野、玄葉」、第三幕に「松本、蓮舫、手塚、加藤、大塚、福山、笠、江田」が登場している。

 何と、仮に「永田嵌められた説」に立てば、事件の裏で暗躍していたこれらの汚れ役が笠・氏一人を除いて揃いも揃って民主党政権で引き立てられ要職に就いていることになる。余りの符合に気持ちが悪いほどである。勿論、主役は野田、前原である。民主党のもう一つのスター失脚事件である石井議員刺殺事件に暗躍していた菅グループと合わせれば、民主党三代政権とは、永田及び石井抹殺グループのオンパレードと云うことになる。

 つまり、2009政権交代によりもたらされた民主党の鳩山、菅、野田政権とは、「永田議員失脚事件と石井議員刺殺事件に暗躍した黒い人脈者どもによる宴の政権」であることが判明する。してみれば、事件に登場した人物群は、「ノ―パンしゃぶしゃぶ事件」で露呈した売国系の官僚群と同じく売国系の民主党政治家群と言えるのではなかろうか。本事件考察の重要性はここにあり、連中が垣間見えていることにある。

 それにしても、マスコミの正義のペンは、こういうところの解明には向かわない。とにかくワシントンの仰せのままに小沢どんを目の敵にしてバッシングし続けており、ついこの間までは小沢金権論を云っていたかと思うと、夫婦不仲論に転じ、それも功を奏せず新党を立ち上げた今となっては小沢金欠論も交えて三面から舌鋒を鋭くしている。よくも口が曲がらぬ事と感心するが、大方の受け取りようはマスコミの云う事はその通りとしているように見える。かくしてマスコミはマインドコントロール機関として猛威を振っている。早くかような言論機関と決別して自由自主自律の独立系ネット言論機関を立ち上げねばと思う。

 事件の当事者となる永田の履歴は「ウィキペディア永田寿康」その他で確認する。永田はこの時点で既に「国会の爆弾男」と呼ばれた楢崎弥之助(社会党出自の社会民主連合書記長、同党副代表)以来の「平成の爆弾男」と呼ばれるニックネームを得て国会での鋭い追及で名を馳せていた。そういうこともあってと思われるが、小泉政権の幹事長である武部勤の子息(次男)への不正献金疑惑ネタが持ち込まれる。これを仮に「ライブドアの最高経営者・堀江貴文の自民党幹事長・武部勤の子息次男への不正献金疑惑」と命名する(以下、「ホリエモン裏献金事件」と記す)。

れんだいこのカンテラ時評bP057  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 7月22日(日)11時26分1秒

  【「永田議員の偽メール質議事件」解析2、国会質疑までの経緯】

 事件の発端は、2005.10.18日、永田が「党所属議員の秘書の紹介」により議員会館の事務所で雑誌「Dumont」(デュモン)を発行する株式会社デュモン・マーケティング代表取締役CEO・西澤孝・氏の取材を受けたことに発する。西澤の側からのアプローチであったと云う。

 ここでの問題は、事件を媒介した「党所属議員の秘書」が誰であるのか明らかにされて居ないことである。事件の胡散臭さを嗅ぎ取る側からすれば、最初の火つけ人であるこの秘書こそキーマンであるが、報告書は単に「党所属議員の秘書の紹介」と記して済ませている。永田と西澤を結びつけたのは、この秘書の単独発意なのか、秘書と西澤の二人のみによるセッティングであったのか、この二人がそもそも或る黒幕の教唆により接近したものなのかどうかの解明を要するが、報告書は追及していない。後の展開から見るのに、永田―西澤会談はそもそも永田にワナを仕掛ける為に接近されたものであり、永田が嵌められた形跡が強い。

 初会談以降、永田と西澤の交流が始まる。報告書がこの経緯について記しているので、ここでは略す。この過程で、「ホリエモン裏献金事件」が耳打ちされ、国会での追及を教唆されている。2006.1.26日、永田と原口一博・衆議院議員及び秘書が西澤と議員会館で同疑惑に関する情報交換を行っている。この時、原口が登場しているが若干の考察を要する。真相は恐らく、永田が最も信頼の於ける議員仲間として原口の同席を誘い、原口に一緒に聞いてもらうことで情報の信頼性を確認しようとしていたものと思われる。

 以降も同疑惑関連で永田と西澤の会食が続くことになるが略す。留意すべきは、この時点では、永田が「物証に乏しい」と述べていることである。これによると、永田は、事件追及に必ずしも積極的であったとは認めがたいことになる。してみれば、その後の永田の暴走は何によるのかが解明されねばなるまい。もう一つ、ここでの問題は、事件の追及に永田と原口に白羽の矢が立てられていると云うことである。奇しくもこの二人は民主党の中で国際金融資本の魔手の伸びていない稀有の若手有能政治家であり、共に将来が期待されるホープであった。故に狙われたのではなかろうかと思われる。但し、ここで二人の明暗が分かれる。即ち、その後の経緯から見て原口は乗り気にならず、逆に永田は食いつくことになる。

 2.1日、永田は、議員会館で西澤の訪問を受け、「ホリエモン裏献金事件」の証拠物である「メール」の提供及び口座情報について説明を受けている。西澤は次のように述べている。「情報提供者情報によると、メールは間違いなくライブドアの社内メールであり、しかもライブドアの最高経営者の堀江本人が受信者に対して直接送信したものであり、その内容は同氏の裏口座から武部次男の個人口座に資金供与する旨を告げている。実際に8.29日に3000万円、10.14日に1000万円、10.31日に1000万円が送金されている」。不思議なことに、報告書は周辺情報を事細かに記すばかりで、「ホリエモン裏献金事件」が有ったのか無かったのかの肝腎な検証をしていない。

 2.9日、永田は国会内で野田佳彦・国対委員長に事件の概要を伝え、国会追及の判断を仰いでいる。野田は、永田に対し調査を極秘裏に更に進め信憑性を補強するよう指示している。後日、永田は、野田から予算委員会の公聴会期日決定直前に取り上げるよう指示を受けている。報告書は永田から持ちかけたように記しているが、野田のけしかけぶりが判明する。推測するのに、野田は、永田が「ホリエモン裏献金事件」ネタで動いている事を既に知っており、その上で更にのめりこむよう指示している気配が認められる。

 2.11日、永田は、当時の前原誠司・党代表に対し事件を聴会期日決定の直前に取り上げる旨を伝えている。前原は、「がんばってね」と後押ししている。これも然りであるが、前原は野田同様に永田が「ホリエモン裏献金事件」ネタで動いている事を既に知っており、その上で更にのめりこむよう指示している気配が認められる。

 2.13日、永田は、野田に対し情報の信憑性に確信があると再報告している。これに対し、野田は16日の予算委員会一般質疑の準備に入ること、「情報提供者」との詰めを行うこと、同僚議員や専門家と事前に相談して発言振りに注意するよう指示している。この頃、詰めの作業を当時の藤村修・国対委員長代理と打ち合わせしている。藤村は、野田政権で官房長官に抜擢されることになるが、この頃から野田の懐刀であったことが分かる。

 2.13―15日にかけて、野田の指示にもとづき、弁護士資格を持つ仙谷由人議員及び枝野幸男議員に個別に相談しアドバイスを受けている。報告書は、仙谷、枝野を単にアドバイスの役割で登場させているが、永田の事件の追及を止めさせる側のアドバイスではなく逆に煽り、その後の法律問題処理は任せておけと後押しした可能性もあろう。なお、この時点では仙谷、枝野は大物ではなく単に弁護士系の議員の一人でしかない。それにしても、その後の仙谷、枝野の頭角ぶりは尋常ではない。

 ここでの問題は、永田が仮に永田個人の意欲で発意したものとしても、この時点で既に党中央の了解を取り付けており、それのみならず党中央の方がけしかけている様を見て取れることである。これを今日風の党の規約論、組織論でいえば、党中央の指示を受けた議員が党中央の意向を無視することはできまい。かくして永田がスケープコートの道に入れられたことが分かる。

 こうなると次のように問わねばならない。「ホリエモン裏献金事件の国会追及」は果たして永田の単独犯的主導により進められたのか否や。上記の流れによれば、「ホリエモン裏献金事件」を永田に食いつかせ国会追及させるべくワナが仕掛けられていたとも読める。真相は藪の中であるが事件顛末を見ればそう推測することが大いに可能であろう。留意すべきは、この第一幕で「野田、前原、藤村、仙谷、枝野」が登場していることであろう。この第一幕連中こそ事件の主役であり踊り子であろう。

 2 .14日、永田は、西澤と最終調整を行っている。この時、「国会質問は予定外であり情報提供者が難色を示し始めている」と告げられている。この時、永田は、西澤から新たに「黒塗りしたメール」を渡され、2.8日に提供されたメールの原本を西澤に返却している。永田は、西澤が梯子を外し始めた事を意に介していない。このことにどういう事情があったのかは定かではない。この日、原口は永田から新しい証拠を入手したとの連絡を受けている。

 2.15日、永田と野田が質疑のやり方について打ち合わせしている。翌日の爆弾質疑直前の打ち合わせであるが、どういうやり取りが為されていたのか分からない。推測するのに、野田が水田をけしかけ、党が全力で支援すると太鼓判を押していたのではなかろうか。永田は、これにより勇気りんりんで明日の質疑に思いを凝らしていたのではなかろうか。

 2.16日、永田が予算委員会一般質疑で「ホリエモン裏献金事件」問題を取り上げ、その証拠としてメールに言及し、ライブドアの堀江、宮内、平松、武部、武部の次男の参考人招致と国政調査権の発動を要求した。終了後、国会内で堂々たる記者会見をしている。

 この時、党中央側の野田が「衝撃的な質疑で大変重大な問題。今日は第一弾」、前原代表が「なかなか確度の高い情報だという認識」と発言して後押ししている。他方、武部は「全く身に覚えがない」、小泉首相が「ガセネタを委員会で取り上げるのはおかしい」、東京地検は「全く把握していない」とコメントしている。ここで留意すべきは、この時点で、小泉首相が「ガセネタ」と断じていることである。これは言葉のアヤではなく、既にこの時点で事件のガセネタ性を承知していた可能性も考えられる。この闇を嗅ぐべきではなかろうか。

 2.17日、永田は、「ホリエモン裏献金事件」についての2回目の質疑を行った。但し既に精彩を欠いていた。但し、この時点までは、野田は「総理のガセネタ発言は看過できない。ガセの根拠を明らかにせよ」、前原は「入金記録を明らかにすれば信憑性への疑問は氷解する」と強気に発言しており、永田を後押ししている。他方、武部は「指摘の事実は見つからない。民主党は許されない」。堀江は「指摘の事実はない」とコメントしている。野田は、前原に対し、「メール問題の追及は、党首討論が仕上げだ」と述べている。

 ここまでの経緯で確認すべきは、前原―野田コンビによる永田に対する十分なるけしかけぶりであろう。その梯子が外され、その後の永田がどういう風にあしらわれるのか、前原―野田が如何に上手く免責されるのかが後半の見どころとなる。
 


れんだいこのカンテラ時評bP058  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 7月22日(日)13時02分14秒

  【「永田議員の偽メール質議事件」の解析3、その後の経緯】

 永田の2回目の質疑後、「メールの真贋論争」が始まった。民主党は対策チームを設け情報収集と対応協議を始めた。この日、細野豪志・役員室長が、前原から「国対委員長と連携して関係者を集めて情報収集せよ」との指示を受けている。細野は、野田に関係者の招集を要請するとともに、党顧問弁護士に連絡をとるよう担当事務局(総合調整局)に指示している。これによれば、細野は、この頃より前原、野田の直系の下役であることが分かる。

 同日午後8時頃、野田は顧問弁護士と共に永田の宿舎を訪れ、永田と一緒にいた「情報仲介者」と面会し、メール配布の了解を求めている。「情報仲介者」とは西澤のことか、ネタ元の情報提供者なのか、二人とも一緒に居たと云うことなのだろうか知りたいが分からない。

 午後9時頃、対策チームが再集合したところへ、永田より野田からメール公表の了解が得られたとの電話が入った。午後9時半頃、永田が対策チームに合流し、「情報仲介者」が西澤であることを明きらかにした。野田は、「情報仲介者」の了解を得て記者会見を開き、メールのコピーを配布した。

 その前後、細野は、前原及び鳩山由紀夫・幹事長に経過を報告している。報告を受けた鳩山は、細野に対し、平野博文・総合調整局長を対策チームメンバーに加えるよう指示した。これによれば、平野は、この頃より鳩山の直系の下役であることが分かる。鳩山政権で官房長官に起用されているのも頷けよう。

 これを受けて細野は、野田に、平野への連絡を依頼するとともに、松野頼久・予算理事兼筆頭副幹事長に玄葉光一郎・幹事長代理への連絡を依頼している。

 ここでの問題は次の事にある。ここで、第一幕の「野田、前原、藤村、仙谷、枝野」に続いて第二幕として「細野、鳩山、平野、松野、玄葉」が登場している。第二幕の登場人物の特徴は、鳩山―平野を除き、第一幕の子分であることが分かる。それにしても、この時点で玄葉光一郎が登場している。細野、玄葉は党内でかなり若手の筈であるが、その後着実に登用の階段を上っている。本事件処理の汚れ役を引き受けた事が、その原点となっているように思われる。

 2 .18 日夜、対策チームメンバーが対応を協議し、西澤についての調査、メールの鑑定、口座情報の調査を継続、メール以外の周辺疑惑の調査を開始した。

 2 .19日、西澤から、永田に対し、「情報提供者が情報の電磁的データを売ってもいいと言っている」との連絡があった。同夜、対策チームメンバーが都内ホテルに集まり対応を協議している。永田は、この日より2.23日に世田谷の病院に入院するまでの間、このホテルに滞在し続けることになる。

 2.20日、党幹部による対応策の協議が行われ、22日に予定されている党首討論に向けた準備が始まった。同夜、幹部協議が行われ、党首討論までに新たな疑惑の情報を入手する方針が確認され対策チームに伝達された。この夜の報道番組で、平沢議員がメールを入手したとして公表した。

 2.21日午前、野田は、役員会、常任幹事会に前日までの経過を報告した。午後の記者会見で、前原は、党首討論に言及して「楽しみにしていただきたい」と再発言している。深夜、細野は、党首討論に向けた新たな疑惑の調査を断念し、その旨を前原の留守番電話に伝言している。

 2.22日昼前後、前原、鳩山、松本剛明・政調会長、野田、玄葉、細野の6名の幹部が党首討論について打ち合わせした。いよいよ党首討論となり、前原は、「国政調査権の行使に応じれば口座情報を明かす」と迫る方針に基づき事件を取り上げた。その際、「確証を得ている」と発言し、終了後「言葉が間違っていた」と訂正している。

 ここでの問題は、前原の「異様に強気な発言」にある。既に確認しているように事態は劣勢、真相が混迷している。にも拘わらず永田追及を更に後押しして踏み出し発言していることになる。これは単なるメンツでは説明できない尋常でない党首の暴走ではなかろうか。この「前原暴走」は当時もその後も何ら咎められていないことが不思議である。

 午後7時頃、前原、松本、野田、玄葉、細野が都内ホテルに集まった。その場で、野田は、「永田の進退伺いを預かっている」と報告している。前原は、「本人のためにも、党のためにも、永田議員は自発的に辞職すべきである」と提案し、他の出席者もこれに同調している。前原は、「私が永田議員に辞職を促す」と述べたが、野田が「永田議員のことは自分に任せてほしい」と述べ一任されている。

 ここも不思議なところである。前原は頻りに「永田切り」を吠えているが、既に党首討論で取り上げ事件を追及した以上、責任は前原の方が重いと看做すのが常識であろう。もはや「最低でも前原、永田の同時責任」となるべきところ当の前原が免責の上「永田切り」を吠えている不自然さが認められる。この前原のオールマイティーぶりは何に起因するのだろうか。

 午後 7 時過ぎ、野田と藤村が永田が滞在するホテルの部屋を訪れた。その場で、野田は、永田に対し辞職を促している。これに対し、永田は「その判断に従いたい」と述べている。野田はその後、前原、鳩山に留守電している。その後、玄葉、細野に、「永田議員は辞職の意思を固めた」と報告している。野田は、藤村、蓮舫議員らと共に翌日の永田の記者会見に向けた準備を行っている。

 2.23日午前5時半頃、永田は、野田から電話を受けた際、「辞職しません」と伝え辞意を撤回している。その後、永田は、同じホテルに宿泊していた野田の部屋を訪れている。野田は、「永田議員が辞職しないのであれば、自分が責任をとる」と述べ説得に努めたところ、永田は説得に応じ改めて議員辞職する意思を固めたと云う。但し、「永田議員は、心身の疲労が極限に達し、進退についての心境も大きく揺れ動いている」と感じ、藤村と手塚仁雄・前議員に永田の付き添いを要請しホテルを離れている。

 午前8時、野田は、藤村と手塚の到着後、鳩山に緊急役員会の開催を要請した。午前9時45分、緊急の役員懇談会が開かれ、野田は、永田の進退が自分に預けられたと報告し一連の経過を説明している。会議では本人の判断を尊重すべきとの意見も多く出されたが、異論もあり、「本人の意思が確認できれば辞任を認める」ことが確認され、その対応が鳩山に一任された。

 昼頃、鳩山は、野田から「永田議員が議員を辞めたくないと言っている」との連絡を受け、夕方、野田と共に永田が滞在するホテルを訪れている。永田は、鳩山に、「ご迷惑をおかけして申し訳ない」、「隔離された環境で情報が乏しく、入ってくる情報は進退にかかわることばかりで、精神的に大きく混乱しており、正常な判断を下すことは不可能だと思う」、「党内や国会そして世論がどのように反応するか全く予想できず、もしかしたら大変な迷惑をおかけすることになるかもしれないが可能であれば辞職は避けたい」、「進むも地獄。退くも地獄。だけど茨の道でも前へ進みたい」と述べている。

 ここは特に留意すべきところである。永田は揺れ動きながらも頑強に辞意を撤回し続けた事が明らかにされている。これを、永田の私因的な議員への拘りと看做すべきだろうか。れんだいこは、「事件の国会質疑」は党により要請されたものであり、自身の尻尾切りで済む話ではない、ホリエモン裏献金事件」はガセネタではない、引き続き徹底調査すべきであるとする正論で抗弁し続けていたと読む。

 推測になるが、「事件の国会質疑」は永田が質問するようお膳立てされ、党が総力で支援するとの約束の上で事に臨んだと思われる。こうして永田は2回に亘る質議へ誘導され取戻しのきかない破目に陥らせられたのではなかろうか。してみれば、これを誘導した者こそ陰の主役ではなかろうか。その主役の一人が野田である事は間違いない。2回目の質議の時点で既に流れが変わっており、永田は嵌められた事を悟り、嵌めた者に対するやり場のない怒りを表明し続けていたのではなかろうか。これこそ事件の裏真相なのではなかろうか。

 午後7時30分、鳩山は、再び開催された役員懇談会において、「永田議員に辞職の意思がなく、精神的にも肉体的にも限界に達して不安定な状況にあるため、一旦入院させて退院後に進退を判断する」と報告している。一部出席者は永田の入院に反対したが、「永田議員が憔悴しているためやむを得ない」として鳩山報告は了承された。

 夜、役員懇談会後に幹部が協議し、メールの信憑性がないことを認めることを確認した。深夜、鳩山は、記者団に「永田議員の入院について」と「メールの信憑性を100%立証することはできなかった」とするコメントを発表した。深夜、永田は世田谷区の病院に入院している。

 2.26日夜、鳩山、玄葉、平野が事態収拾に向けた打ち合わせを行っている。

 2.27日昼、幹部協議で、28日に永田が退院して記者会見を行い、役員等の処分を行う方針が確認された。「メールは本物ではない」との調査結果を発表し、関係者の処分を決定している。午後 1 時頃、野田は、前原に国対委員長の辞任を申し出た。前原は「預からせてほしい」とだけ答えた。ここもオカシなところである。前原が党首討論で事件を質議した以上、既に前原の党首責任こそ本星であろうにスル―され、永田と野田責任の方にのみ向かっている。前原をスル―させる力が働いていると読むしかない。

 深夜、野田は、鳩山の留守番電話に国対委員長の辞意を伝言した。午後 1 時頃、玄葉は、細野に永田の記者会見および代表記者会見の準備を指示した。細野は、松本、加藤公一・広報戦略本部事務総長、大塚耕平・同代理、福山哲郎・役員室長代理、笠浩史・制作局長に協力を要請している。午後、鳩山は、羽田孜・最高顧問、渡部恒三・最高顧問、小沢一郎・元党首、菅直人・元代表、岡田克也・前代表(電話)を訪ね意見を聴いている。

 2.28日、午前7時、前原と鳩山の打ち合わせが始まった。午前7時半頃、玄葉、平野、細野が加わり幹部協議および役員懇談会が開かれた。午前8時頃、松本、野田が加わった。その場で、鳩山と野田が辞意を表明し、前原は鳩山を慰留した。

 午前 8 時半、江田五月・参議院議員会長が加わり、役員懇談会が開かれた。前原の慰留に対し、鳩山は、「しばらくの間、事態収拾の責任を全うする」という思いに至り辞意を撤回した。鳩山の辞任するしないの重要事がころころ変わる癖がこの時も確認できる。会議において、「永田の党員資格停止処分、野田の国対委員長の辞任、鳩山幹事長に対する常任幹事会名による厳重注意」などの方針が確認された。

 既に何度も指摘しているが、本来なら「前原代表辞任」も併せたものになるべきだろう。前原が責任を逃れる事ができるとしたら、党首討論段階での撤退によってであろう。それまでも永田をけしかけ、党首討論でも永田質議をエールした以上、前原責任は逃れるべくもなかろうに。

 午前、永田が退院し、記者会見に向けて打ち合わせを行い、午後2時45分、永田が記者会見を行った。その場には、鳩山と野田が同席した。午後、役員会、常任幹事会、両院議員総会において、「メールは本物ではない」との調査結果が報告され処分等が決定された。続いて、鳩山と前原が記者会見を行い、自民党、武部幹事長及び次男に対する謝罪を表明した。

 午後5時、両院議員総会において、永田が謝罪するとともに、メールは本物ではないとの調査結果、「永田議員の党員資格停止処分、野田国対委員長の辞任、鳩山幹事長に対する常任幹事会名による厳重注意」などが承認された。両院議員総会終了後、代表と幹事長が相次いで記者会見し、国民への謝罪、自民党、武部幹事長及び次男に対する謝罪を表明した。前原代表が、ここでも自身の責任をする―させたまま能天気な会見をしている事が分かる。

 3.1日、民主党は「メール問題検証チーム」を設置した。 メンバーは、座長・玄葉、委員として平野、藤村、松野、佐藤雄平・副幹事長、細野、蓮舫。全員が何らかの形で事件に関わっている者であった。このことが問題になったのであろう、無関係の河村たかし議員、山田正彦議員、末松義規議員、平岡秀夫議員の4 名が追加選任されている。その後、仙谷、加藤が追加選任されている。3.31日、「民主党のメール事件顛末書」が発表された。

 最後にこの経緯で書ききれなかった妙な事を確認しておく。一つは、株式会社デュモン・マーケティング代表取締役CEO・西澤孝・氏のその後であるが分からない。「ホリエモン裏献金事件」の収賄側とされている武部勤の子息(次男)であるが全く表に出てこない。「ホリエモン裏献金事件」ネタの元々の提供者も出てこない。いずれもオカシなことであろう。

 もう一つ、永田は揺れ動きながらも頑強に辞意を撤回し続けたが、その時の永田の弁が公開されていない。「民主党のメール事件顛末書」は、この弁を巧妙に隠す為にさも緻密そうに作成されているとも窺う事ができる。とすれば、この手の報告書なり会議なり機関が幾ら造られても何の意味もないと云う事になろう。以上。

 永田は死して今なお告発していると云うべきではなかろうか。
 

れんだいこのカンテラ時評bP059  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 8月 6日(月)19時44分47秒

   【2012ロンドンオリンピックのルール考】

 2012年ロンドンオリンピックで露呈した各種競技のルール上の不首尾に対する提言をしておく。何事も不満はより良い形で解消されねばならぬからである。

 オリンピック競技は個人戦と団体戦に分かれる。勝敗は数値によるもの、得点によるもの、勝負によるものに分かれる。数値は、1・タイム、2・飛距離、3・重量、4・ポイントによるものに分かれるようである。最近では審判判定に加えて写真、ビデオ判定で補足するようになりつつある。選抜方式には、トーナメント選抜、枠組みリーグ戦、敗者復活戦による銅メダル戦方式の三通りがある。以下、思いつくままに記しておく。

 1、柔道のポイント制切り替えについて

 柔道は、そのルールが随分改良(ないしは改悪)されてきた。白衣青衣別、敗者復活戦の採用は改良ヒットである。元々は一本勝負だったと思われるが、決着が着かぬこともあろうから現行の「一本勝ち、技あり、有効、指導」判定を導入したのは時の流れであろう。しかし、改良不十分であるので、以下の如くのポイント制に切り替えるよう進言したい。

 最初の試合(これを「本戦」と云う)を10分(又は7分又は5分)とする。ポイント制を導入し、得点の多い方から順に「一本勝ち10点、技あり6点、有効3点、効果1点」の4基準ポイント制で裁定し、10点を先取した時点で勝ちとする。改良点として「効果」を復活させた。「有効未満」の技が認められるべきだからである。

 次に、現行の「指導」は「本戦」には採用せず、延長戦に入って適用するようにしたい。なぜなら、格闘技特に柔道は攻撃技と防御技の両方から成りたっているからである。相手の技を待ち受けての切り返し技、合わせ技も重要な柔道術だと思うからである。現行の「指導」は攻撃を過度に強制することによって却って柔道の待ち技の醍醐味を損なっている面があり、面白みを半減させていると思うからである。

 次に、一本勝ちがないままに試合が終了し、総合得点が4点未満の場合、又は同得点の場合には「優勢印象」で判定する。4点を越える同得点の場合、ポイントの高い技を優先判断して勝ちとする。これでも決着がつかなかった場合にのみ延長戦に入る。延長戦は5分(又は3分)とする。ここで「指導」が入ることとし、対戦相手に2点が入ることにする。最初に3ポイント以上を挙げた方を勝ちとする。「指導」2回が入れば4点となるので即負けとなる。これでどうだろうか。本来の柔道らしさが担保されており、現行ルールより随分良いと思う。

 2、枠組みリーグ戦、敗者復活戦について

 バドミントン女子ダブルスの中国対韓国戦で、中国チームが、勝ち上がった場合の同国対戦を避ける為に、わざと負けようとしたという。結果的に両チームが失格とされ以降の試合に出場できなくなった。理由が何であれ、わざと負けると云うプレーはあり得てならないが、むしろ制度の欠陥と思う。故に以下の如くに工夫してみたい。「枠組みリーグ戦、敗者復活戦」のある他の競技全てに応用できそうである。

 今後は枠組みリーグ戦を廃止し、全試合をトーナメント方式にする。これを本戦と云う。この時、トーナメント番号が与えられる。本戦の最終勝者が金メダルを獲得する。これを逆に云えば、本戦で負けた者は金メダルを取れない。本戦で負けた者は敗者復活戦に回る。敗者復活戦は第1(銀戦)と第2(銅戦)の二段方式にする。本戦敗者は銀戦に向かう。銀戦敗者は銅戦に向かう。本戦2回戦の敗者は銀戦2回戦にエントリーされ、本戦3回戦の敗者は銀戦3回戦にエントリーされると云うように枠を設ける。銀戦の敗者は同様の方法で銅戦に向かう。それぞれのコースの最終勝者が金、銀、銅メダルを獲得する。3回負けると銅メダル機会から外れることになる。

 これでどうだろうか。これによると試合場を金銀銅のコート三面用意すれば運営が楽であろう。工夫すればコート一面でも良かろう。銀戦、銅戦の組み合わせが大変だろうが、トーナメント番号を活用して番号の若い方から順に組込みすれば解決できると思う。競技によっては適宜スイス方式の導入も良かろうと思う。

 3、審判判定について

 柔道で、日本選手が審判判定0―3で敗者となったが、ブーイングによるビデオ判定の結果、逆に3−0で勝者になると云う事例が発生した。最初の判定が誤りであり正しい結論に訂正したので問題なしと云うことで決着したが、審判の権威が否定されたことは疑いない。今後に大きな問題を残したように思われる。

 これを解決するには、日本の大相撲方式が良いと思われる。大相撲では、審判に相当する者が行司であり、行司判定を審査する「もの云い」権限を持つ審判員複数が土俵下に控える。審判員は極力に於いて行司軍配を尊重し、看過できない疑義がある場合に協議を申し出る。協議の結果、「軍配通り、差し違い、取り直し」判定をし、より正確にさせている。この時、ビデオ判定をも加味するばなお良かろう。

 この方式は優れた方法であるように思われる。日本の大相撲方式はかくも先進的な判定方式を逸早く採用していることになる。これに比すれば、審判の能力に余るような判定を要する競技に於いては、今後は各国代表の競技熟達者による控え審判員制を敷くことが肝要と思う。以上、三提案申し上げておく。

れんだいこのカンテラ時評bP060  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 8月10日(金)12時53分17秒

   検察内部告発の「ヤメ検市川証言」考

 日刊ゲンダイの2012.4.17日付け記事「元検事が衝撃告白 私はこうして冤罪をつくりました」をコメントしておく。「検事失格」(毎日新聞社)の著者、元検事の市川寛弁護士インタビュー記事のようである。市川弁護士は、2001年の「佐賀市農協背任事件」で、被疑者を取り調べ中に「殺す」などと発言したことを自ら法廷で証言した履歴を持つ。その市川弁護士がロッキード事件以来の検察捜査の変調ぶりを次のように内部告発している。これを仮に「ヤメ検市川証言」と命名する。

 「検察問題の背景には、過去の二つの成功体験があると思います。ロッキード事件とリクルート事件で、大物政治家を逮捕し、『巨悪と戦う』という特捜神話が生まれるきっかけになりましたしかし、この大金星を挙げたが故、特捜部は国会議員や一流企業といった社会的地位のある人を摘発する為に存在するのだ―と自己目的化してしまった。特捜部長などの幹部になると、『任期2年の間に打ち上げ花火を上げなければ』とプレッシャーを感じ、無理をし始めるのだと思います」。

 この発言で重要なのは、検察問題の背景としてロッキード事件を挙げていることにある。市川氏はロッキード事件とリクルート事件を並立させているが、リクルート事件はロッキード事件の延長上のものであるから、本来はロッキード事件を元祖として位置づけるべきだろうが、そこまでは踏み込んでいない。しかしまぁ良しとしよう。

 以来、特捜部が国会議員や一流企業といった社会的地位のある人を摘発することを常態化させたことを指摘しているが、ここももの足りない。本来は、特捜部が狙い撃ちした国会議員や経済人が日本の在地土着系の有能士に限ってであったことを指摘すべきであろう。しかしまぁ良しとしよう。

 「ヤメ検市川証言」は、検察の違法な取り調べの手口について次のように証言している。

 「検察は調書を取る教育はしますが、取り調べの教育はしません。ロッキード事件で誰誰の供述を取った、という検事がその後、検事正や検事長、総長になり、当時の捜査手法や取り調べのノウハウが全国に受け継がれていったのですが、伝わるのは、取り調べ中に『机の下から(被疑者を)蹴った』、『千枚通しを突きつけて罵倒した』という内容。当時はうまくいったのかも知れませんが、今はそんな取り調べは絶対にできません。世の中が変わっているのに、幹部は気づいていないのです。相談しても『割れ(自白させろ)』、『立てろ(起訴しろ)』です。つまらないことで、すぐに『バカやロー』と怒るから、部下は次第に何も報告しなくなります。証拠改ざん事件で逮捕、起訴された前田元検事も、正直に報告できる雰囲気が特捜部になかったのではないかと思います」。

 ここがキモの部分である。ロッキード事件以来、特捜の捜査が杜撰且つ暴力的になり、これに迎合した者が出世階段を昇りつめた様子が内部証言されている。典型的には松尾邦弘当りがズバリであろう。その松尾の履歴については「時の法務省、検察庁の捜査布陣考」で確認しているので参照されたし。(kakuei/rokkidozikenco/sosataiseico/fuzinco.htm

 「ヤメ検市川証言」は、小沢裁判について次のように評している。

 「検察が二度も不起訴にし、それも起訴猶予ではなく、嫌疑不十分なのだから証拠が足りない。その少ない証拠は裁判で却下されてもっと少なくなった。判決の理想は公訴棄却ですが、無罪は間違いないとみています。もし有罪なら今後の刑事裁判は成り立ちません」。

 ここもキモの部分である。要するに、小沢裁判で小沢を有罪にするようなことでは法曹的なロジックが成り立たず、悪影響が測り知れないことを危惧していることになる。れんだいこ的には、これはロッキード事件以来の定向進化によるものであり、法のロジックがますます崩れつつある。こうして今や法曹界は愁嘆場に辿り着いていると云うことになる。「ヤメ検市川証言」は、法が法として機能せず、上からの政治的命令をロジック抜きで通し始める野蛮社会に更に突入することを予言していることになる。

 当然、この病んだ法曹界を案じる声も少なくない。しかしそれは、ロッキード事件以来の変調として、元一日から見直さないと解決できないのではなかろうか。小手先の小細工で何ができよう。法が上から破られていると云う実態に鋭くメスを入れよ。こうなると、法曹界も政界も原発界も理屈は一緒と云う事になる。破産した2009政権交代を見据え、政権交代の永続革命を説く所以である。
 

れんだいこのカンテラ時評bP061  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 8月20日(月)20時49分1秒

   れんだいこの朴正煕論

 何を思ったか、急に朴正煕を確認してみたくなった。恐らく、2012年夏に発生した現韓国大統領イ・ミョンバクの突如の日本挑発的行為、言辞に対して、却って閃くものがあったのだろう、それが朴正煕へと向かわせたものと思われる。

 左派圏の朴正煕論は、左派運動徹底弾圧の悪しき権力者でしかない。仮に善政があったとしても、かの暴力的弾圧の数々の所業に照らせば何をかいわんやの心境である。それはそれで良い。れんだいこもそのように思ってきた。しかしながら今やこう問わねばならない。

 韓国にとって何の善政もしておらず、軽はずみの行為、言辞で日韓関係の対立を煽っているイ・ミョンバクが何故に御身安泰で、恐らく今後も安泰として、朴正煕は逆に妻を殺され自身も暗殺されたのか。これは偶然か。朴大統領暗殺は単なる権力闘争の末の内部対立による粛清劇だったのか。そう考えるならそれはそれで構わない。れんだいこは違う見解を持っている故、席を分かちたい、そういうことである。

 れんだいこの朴正煕論サイトは、田中角栄サイトのロッキード事件の中に格納した。なぜなら、朴正煕の暗殺が田中角栄のロッキード事件による失脚とダブって見えるからである。恐らく、背後勢力が一緒なのではないかと推理している。しかしながら、これを論証することはかなり難しい。なぜなら、歴史の真実解明に役立つ情報は巧妙に検閲され秘せられているからである。これを掘り出すには別の霊能的知恵がいる。これを働かせれば追々と資料が集まって来る。それまで少々時間がかるだろうが。しかし、これは、意志あるところ必ずできる。これまでもそうやって田中角栄論、宮顕論、不破論、中山みき論、イエス論、その他その他数え切れない論考をものしてきており、それ故にできる。

 さしあたって確認しておきたいことはこういうことである。2012年ロンドオリンピックのメダル数に於いて、中国は金38、銀27、銅23の88個で金順位2位、総合でも2位。韓国は金13、銀8、銅7の28個で金順位5位、総合で9位。日本は金7、銀14、銅17の38個で金順位11位、総合で6位。中国は既に別格として、韓国の金順位5位、総合で9位は極めて優秀な成績である。して、韓国は何時からこういう世界大国の仲間入りするようになったのだろうか。現大統領がイ・ミョンバクだからイ・ミョンバクの有能政治の賜物と云うのは子供並み以下の見解であろうからして別の根拠を探らねばならない。

 ここに朴正煕が出て来る。

 朴正煕が1961年の「5・16軍事クーデター」で政権を取り、1979年の「10.26朴正煕暗殺事件」で死亡するまでの4期17年の朴政権治世下で今日の韓国の礎が作られたのではなかろうか。それまでの韓国は、朴正煕が政権を掌握した1961年時点での国民1人あたりの所得は一月あたり80ドルで世界最貧国圏に位置していた。しかし、朴正煕が暗殺された1979年には1620ドル、30年弱で国民所得を約20倍にまで跳ね上げるという「漢江の奇跡」を成し遂げていた。韓国と北朝鮮の国力は朴正煕時代に逆転した。ドングリの背比べの「韓国、台湾、シンガポール、フィリピン、インドネシア」の中から韓国が雄飛したことが分かる。これを可能にさせる基盤を朴政権が準備したなら、総合的に見れば善政と評すべきではなかろうか。

 この間の施策で特筆すべきは日韓国交回復であろう。1965.6.22日、日韓両国は、それぞれの国内に於ける激しい反対闘争の中、日韓基本条約を結び国交を回復した。日本は、当時の外貨準備高が18億ドルにも拘わらず韓国に対し無償3億米ドル、有償2億米ドルの資金提供と民間融資3億米ドルの経済協力支援を行った。これが「漢江の奇跡」と云われる驚異的な韓国の経済成長に繋がる。

 この日韓国交回復交渉過程を今日の政治水準との比較で評する時、まさに当事国だけで外交的解決をしていることに気づく。例えば北朝鮮との国交回復交渉を思えば良い。米国、中国の後ろ盾なしには為し得ない六者会談の席に引きずり込まれている。してみれば、この時、日韓両国政府の主体的な能力に於いて交渉に漕ぎつけ局面打開していることがもっと高く評価されるべきだろう。それにしても、当時の左翼の反対闘争は何だったのか。韓国の反対理由と日本の反対理由の歯車が合っていたのだろうか。単なる反対の為の反対の域を出ないものだったのではなかろうか。

 1970年代、日本は韓国より激しい勢いで正成長していた。その政治は田中角栄―大平正芳の戦後保守系ハト派と呼ばれる当時の自民党主流派(戦後保守本流と云われる)が牽引していた。その勢いは、日本が近い将来に米国に肩を並べ追い越すほどの「ツモローイズbP」を見せていた。要するに昇り竜の日本だった。

 れんだいこが推理するのに、朴正煕は、戦後日本の奇跡的な復興と高度経済成長、その政治の推進主体にしてドンの田中角栄の異能を崇敬していたのではなかろうか。そういう意味で日本の成功を徹底研究し、その秘密を解析した。その上で学ぶべきものにして短期的なものは速戦的に、長期的なものは練成的にとする策を講じたのではなかろうか。そういう意味で、当時の日韓関係は肝胆相照らす政治関係にあったと見立てたい。

 しかし、歴史は暗転する。日本の名宰相・田中角栄は、1976.2.4日、米国上院外交委員会の多国籍企業小委員会(「通称チャーチ委員会」)が開かれ、いわゆるロッキード事件が勃発したのを境に運命が急落させられる。7.27日、ロッキード事件に伴う容疑で逮捕される。以降、田中角栄は公判の身となり、政治の表舞台で采配する機会が失われた。他方、朴正煕の身辺もきな臭い。既に1974.8.15日、日本植民地統治から解放されたことを記念する光復節の祝賀行儀に参加していたところ、在日韓国人・文世光に銃撃を受け、朴正煕自身は無事だったものの夫人の陸英修が頭部を撃たれて死亡した(文世光事件、陸英修大統領夫人暗殺)。事件から5年後の1979.10.26日、 側近の韓国中央情報部(KCIA、現在の国家情報院)の金載圭部長に射殺された(亨年61歳)。こうして、「田中角栄と朴正煕の時代」は強制終了させられた。

 その後の日本と韓国は明暗が分かれる。日本は高度経済成長を終息させられ、低成長時代へと転換させられ、次第に喘ぎ始める。韓国は、衰退する日本を尻目に順調に正成長して行くことになった。韓国では日本が捨てた角栄式日本列島改造案を下敷きに韓国版列島改造案を敷設して行った。その果てに今日の隆盛があると見立てる歴史観が欲しい。こうしてみれば、その元一日を作った朴正煕時代が評価されねばならないのは自明ではなかろうか。

 但し、韓国の明日が安泰と云う訳ではない。近現代史は世界各地で紛争するように裏コントロールされている。今後は、かくして隆盛化に成功した韓国が極東アジアで紛争盟主として利用されることが十分に考えられる。国際競争的にみて日本は既に始末された。日本の代わりに登板してきた韓国が始末される日が近付きつつあると読む。この役を担う者こそ、その刺客として送り込まれてきたのがイ・ミョンバク政権ではないのか。歴史はかように生のドラマを実演しつつある故に興味深い。

 このように絵解きすれば逆の真が見えてくる。日本が、いったん捨てさせられた角栄式日本列島改造論を引き戻し現代型バージョンに焼き直すこと、韓国が奢り高ぶることなく朴正煕式韓国改造論に邁進し続けること、これこそが時代の課題であり発展の方程式である。これを逆に行おうとする者、アジアの平和ではなく紛争を作りだす者、その流れこそ日韓人民大衆の共同の敵にして現代国際金融資本の走狗なのではあるまいか。この解析スタンスは当然、中国にも台湾にも香港にも当てはまる図式である。
 

お知らせ ツイッターの調子が悪い。書き込み不能です  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 9月15日(土)21時47分5秒

   お知らせ ツイッターの調子が悪い。書き込み不能です。

 れんだいこのツイッターの調子が悪い。「このスクリプトの実行を中止しますか?」と出てしまう。これを消すのも大変で相当の時間がかかるという按配です。当方のパソコンの調子が悪いのならお笑いだな。れんだいこの呟きが気に入らなくて制限されているのなら光栄だな。今はどちらか分からない。とりあえずのお知らせです。

 今日、書きたかったのは、自民党代表選がマスコミに贔屓(ひいき)されているのは事実として、それを報じたNHKを批判するのは違うと思う。むしろ民主党代表選が同じように扱われない不正を咎めるべきだろう。ところが、どうも民主党の方から売り込みを控えている気配が濃厚である。それは立会演説会の少なさで分かる。正確な数は知らないが、自民党が仮に19回として民主党は3回だとか。

 これは一体何を物語るのだろう。鳩山、菅、野田の政治お遊び派は、2009衆院選までは政権交代を訴え、現実に圧倒的議席差で政権取ると早く放り出すよう、上から反革命していると云う無茶苦茶な政治をしている。2009衆院選時のマニュフェストの誰もが異存ない高速道路の全日無料化は結局反故にされてしまった。自公時代の土日祝日無料化さえ中止させられている。ガソリン税の公約違反徴収で財源は確保されたと云うのに、それでも施行しない。民主政権派はマニュフェストは概ね守って居ると居直るがウソつくなこの野郎。消費税増税については論ずるにも値しないので触れない。

 もとへ。民主党政権が上からの反革命で政権のみならず民主党そのものを潰そうとしている意図は何か。小沢派が抜けた今、何も魅力はないのだが、それにしても議員一族郎党が路頭に迷うこと必至のこの愚策は何によってもたらされているのか。これを考えねばなるまい。尋常ではないと云うことである。

 ツイッターがダメになればブログがある。回復するまで暫くの間、ブログで呟くことにする。

 2012.9.15日 れんだいこ拝

 

れんだいこのカンテラ時評bP062  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 9月21日(金)08時53分47秒

   「十五夜お月さんの論理」についてその1

 面白いことに気づいたので書きつけてみようと思う。「十五夜お月さんの餅つき話」を子供の頃に聞かされ、満月のお月さんを見ながら何とかして餅つきの図に読み取ろうとした記憶がある。見ようによればウサギが餅つきしているようにも見えた。少し違うなとも思いながらも。

 そのことの詮議をするのが本稿のテーマではない。1969.7.21日、米国製有人宇宙船アポロが初めて月面着陸に成功した。恐らく、地球上の隅々でテレビのあるところ人は釘付けになったと思われる。れんだいこもその一人であった。今日、「アポロの人類初の月面着陸映像はウソだった」論議も生まれているようだが、そのことの詮議をするのが本稿のテーマではない。

 れんだいこが思案して見ようと思うことは、あのアポロの快挙によって、それより後の人々に「十五夜お月さんの餅つき話」の伝承が萎えてしまったことを廻ってである。その功罪を問いたいというのが本稿の狙いである。こんなことを考える人は珍しいのかも知れないが、れんだいこは至ってマジに愚考している。この問いの奥は深いと考えている。

 今日、「十五夜お月さんの餅つき話」を真剣に語る者が居たとしたら、我々はお笑いで遇するだろう。しかし、当人がそれでも真剣に語り続けたとしたらどうなるのだろう。それも、「アポロの人類初の月面着陸映像はウソだった」という観点からでなく、それを史実として快挙と思い且つそれでも「十五夜お月さんの餅つき話」を語り続ける人が居たとしたら、我々はどう遇するべきか。要するに、今日の時点で、「十五夜お月さんの餅つき話」を語ることが罪なのか益なのか、という問になる。これについて、皆さんはどう思われるだろうか。れんだいこはこれを愚考しようとしている。そして、廻らした思案は次のようなものになった。

 「十五夜お月さんの餅つき話」は、今なお生命力を有している。というか、引き続き語り続けなければならない。それは何故か。一つは、想像力を掻き立てる為である。この想像力がなくば人生が面白くないと気づく故にである。この想像力は、よしんば科学の知見と齟齬しても、独立して成り立つべき脳内占有権を持ってしかるべしと思う故にである。むしろ、科学が脳内から想像力の座を狭めるのなら、それは科学の行き過ぎと思う故にである。というか、科学自体には罪はないのかも知れないので、科学的知見を受け止める我々の弁えについて、どこか至らないところがあるのではないかと思う故にである。

 むしろ、最近の科学万能社会は、これをどの範囲で受け入れるのか明らかにするよう、我々に迫っているのではないのか。このことを顧慮せず、我々が科学万能社会に追随することはむしろ危険なのではないのか。考えてもみよう。科学は常に発展途上である。現在から過去を見れば、過去の時代とは何と科学的知識の不足していた時代であったことよと思うであろう。今現在も後世からすれば過去であり、その後世という未来から見れば、今現在は何と科学的知識の不足していた時代であったことよと思うであろう。科学とはそういうものであろう。時代とはそういうものであろう。

 だから、科学万能社会論は何一つ物事を解決しない。その時代の知見というものがひけらかされているに過ぎない。そう認識すべきではなかろうか。もっとも、この知見が過去の誤謬を訂正するとすれば、その際の有益さは論をまたない。但し、それを常に限定的に語るべきで、科学という名を被せれば、それで万事解決済みという如意棒にはならないという弁えを持つべきだ、ということが云いたい訳である。

 科学という名を被せて優越に浸るなどは云い得云い勝ちの子供騙しの論であるに過ぎない。単に言葉に酔っているだけの、言葉に弱い系の人種間に通用する独善議論作法でしかあるまい。具体的に誰のことを指して云っているのか、本稿の品を落とすので差し控えておくことにする。

 さて、科学主義論のことはこれぐらいにして、「十五夜お月さんの餅つき話」に戻そう。「十五夜お月さんの餅つき話」には、極め付きの善さがある。このことが知られねばならない。どういう意味かというと、幼児、子供向けの童話ないしおとぎ話と比較してみれば分かるが、中にはかなりキワモノのものも多い。正直の善さを説くのに懲らしめが代償されていたり、希望を持つよう説くのに、それが安易に時の権力者に見初められるだけの話であったり、親孝行説くのに金銀財宝を暴力的に取ってくるだけの話であったりする構図のものが多い。

 それを思えば、「十五夜お月さんの餅つき話」には害がない。むしろ、月面を眺めて、ウサギが石臼と杵と相和して突き合う姿の想像を掻き立てるうちには、何ともいえない妙味さえあるというべきだ。れんだいこは、人生に於いてこの妙味の部分をもっと大事にしたいと考えている。月面に実際にウサギがいなくても構わない。居たとしたらという仮定で思いを練り、それに害がなければ十分に検討されるに値する話だとする姿勢を持ちたい。以上が、れんだいこ式「十五夜お月さんの餅つき話」の前段になる。さて、これからが値打ちものになる。乞うご期待。

れんだいこのカンテラ時評bP063  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 9月21日(金)08時55分40秒

   「十五夜お月さんの論理」についてその2

 「十五夜お月さんの餅つき話には害がない」という良さがあることを既に指摘した。ところで、「十五夜お月さんの餅つき話」は確か短文であるが、これがもう幾分か肉付けされたり、ストーリー化されてそこそこの長文になった場合はどうなるのだろう。しかもそれが結構面白い話になっていたとしたら。ついでに、面白いだけでなく為になる話が満載されていたらどうだろう。懲らしめでもなく、権力者への迎合でもなく、安逸な立身出世物語でもなく、我々の人生とか世の中の仕組みとか今後の歴史の流れとかについて啓発的な物語になっていたとしたらどうなるか。

 科学的社会主義屋は、これを荒唐無稽として罵詈雑言するのだろうか。アポロの話を持ち出して否定に躍起になるのだろうか。仮にそうなるとしたら、その姿勢を批判したいというのが、れんだいこが「十五夜お月さんの餅つき話考」を書きつけてみたいと思うようになった動機である。もし、マルクス主義者にして、科学的社会主義屋の如きアポロ話を持ち出す者が居たなら、その人はマルクス主義の何たるかを根本的に理解し損なっていると思う。

 なぜか。それは、有り得べきマルクス主義の根幹には世界の社会主義的改造へ向けての「十五夜お月さんの餅つき話」的童話性があるからである。そういう感性まで含めて理論化しているのがマルクス主義であり、童話性を排除した科学的社会主義屋の如きな教説は何らマルクス主義のものではない。干乾びた現実を客観的に筆で晒したからといって、それだけでは所詮二束三文的な値打ちにしかならない。しかし、この理屈が分からない分かろうとしないマルクス主義屋が多い。

 考えても見よう。マルクス主義的未来社会論は、「十五夜お月さんの餅つき話」にある童話性と相似していないだろうか。典型的には、「各人の自由な発展が万人の自由な発展のための条件となるような、一つの協働体としての社会主義社会」、「各人はその能力に応じて、各人はその必要に応じて受け取る共産主義社会」なる概念であるが、これは人類が深く願望するユートピアそのものではなかろうか。

 マルクス主義に宿るこのメルヘン気分を理解せず、マルクス主義的ユートピア教説のあれこれを批判して得意がっている者が多い。そういう御仁は、己の能力の甲羅に合わせて潜り込んでいる亀が己の甲羅を自賛しているに過ぎない。肝心なことは、その御仁の甲羅の特性である。まだしもそれが開放系のものになっておれば良いのだが、排他的独善的なものになっていたら始末が悪い。

 れんだいこは、このような甲羅主義者も科学的社会主義屋も好まない。なぜなら、現実から何を期待しようとするのか、変革するのかについて夢がないからである。人は一般に、金銭欲、異性欲、見栄、名誉、権力を求める。この五欲はそのどれ一つとっても生涯を通じて叶えるのに困難なものであるが、だからといってこの五欲に没頭すれば良いのかというと、やはり味気なさが残る。

 能うるならばむしろ、この五欲はちょぼちょぼで良いのだ。但し、このちょぼちょぼさえ困難な社会情勢に於いては第一に闘う精神、気概を養うべきだ。その際には、自己奮闘と社会変革とを不即不離に捉えて合一せねばならない。陽明学という学問があるが、その精髄はそのようなことを述べている点で卓見である。我々は、その過程で同類を寄せ集め、苦しみを分かち合いつつ助け合うべきだ。

 しかし、それは第一歩であり、そこから先「十五夜お月さんの餅つき話」に向かわねばならない。五欲は自己目的すべきものではなく、願うならば人はかくあるべし論を持たねばならない。その話が荒唐無稽ならば何度も書き直して然るべきものに書き換えればよい。いずれにせよ、「十五夜お月さんの餅つき話」が不要ということにはならない。人はこれを大義とも云う。この大義がなければ味気ないのが人間の性(さが)でもあることが知られねばならない。大義とは、「錦の御旗」と云われるものである。「錦の御旗」の内実は局面局面でころころ変わるものであるが、この伝播性はかなり強く、それだけに疎かにすべきものではない。否、もっと磨くべき種のものである。

 考えてみれば、今の世の中は賢ぶるものが多すぎて「十五夜お月さんの餅つき話」が萎え過ぎている。しかし、それはおかしなことなのだ。歴史は、誰かのシナリオの「十五夜お月さんの餅つき話」が育まれ、時にそのシナリオ同士が相争いつつ、相互に味付けが為されつつ変遷してきていると思えるから。もし、今現在の「十五夜お月さんの餅つき話」が不満だとすれば、我々用の「十五夜お月さんの餅つき話」を対置して行けば良い。そうする必要があるのではなかろうか。それがいつか現実になる。これに経済的な裏づけとそれに基づく相互の人間関係の在り方を踏まえればより有効なものになるだろう。

 そもそも「十五夜お月さんの餅つき話」に耳を傾ける精神がなければ、この営為そのものが生まれてこない。故に、「十五夜お月さんの餅つき話」を銘々が創造せねばならない、読み合わせしてどんどん書き込んで書き直していかなければならない、これが「十五夜お月さんの餅つき話」にまつわるれんだいこの見解である。

 ところが、驚いたことに、この営為が不要という科学的社会主義屋の指導者がいる。青写真を作ると手足が縛られるだと。何というあきれ果てるべき御仁だろう。故に、この御仁の云うこと為すこと全体が干乾びている。膨大な文章を得意がって書きつける癖があるが、読んでも何がいいたいのかさえ分からない。あちこちが玉虫色でさっぱり要領が得ない。この手合いの口車に乗せられると、我々は次第に痴呆症患者の症状を呈することになろう。結局、思想性のない、何も思わず単に唯々諾々するだけのペット人間にされてしまう。この虚構を突破せよ。これがれんだいこが「十五夜お月さんの餅つき話」を語らざるを得ないゆえんである。
 

れんだいこのカンテラ時評bP064  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 9月21日(金)08時58分18秒

   「十五夜お月さんの論理」についてその3

 れんだいこは、何故「十五夜お月さんの餅つき話」に拘るのか。実は、とても素敵な「「十五夜お月さんの餅つき話」調の諭し話を知っているからである。マルクス主義ユートピア論よりも気に入っている。ズバリ云おう。それは天理教開祖の中山みきが説いて聞かせた人類創世記譚「元の理」(「泥海古記(口記)」とも云われる。以下、「元の理」と記す)である。それを一言で要約すれば、人類史を俯瞰した上での人の生きる道の指針教説である。れんだいこは、何の因縁か27歳頃この話を聞き魅せられた。以来、今もって虜(とりこ)になっている。

 れんだいこの見るところ、「元の理」は、天理教のみならず日本のみならず人類全体に及ぶ貴重な財産である。その説話の創世記物語は旧約聖書数行の記述よりも長い。完成度も高い。そして、人類誕生の元一日の謂われ(因縁)を知り、創造主神の御心に叶う生き方をすべきだと示唆している。その圧巻は、人の生きる目的を諭して、親神が「泥海だけの世は味気ない。一つ人間と云うものを拵えて、その人間が陽気に明るく勇んで助け合って生きる様を見て共に楽しみたい」との思いで創造した以上、創造された側の人間の生きる目的は、この親神の思いに適うことである。しかしてそれが陽気暮らし、陽気勤めの生活であるとしている。これを延々と説き分ける「元の理」教説の例え話が無茶苦茶に面白い。

 「元の理」の科学的根拠は分からない。検証しようもない。但し、荒唐無稽かというとそうでもない。親神による人類創造でありながら、進化論にも齟齬しない知見が披歴されている。その逐条が現在の科学的知見において裏付けられるような内容になっており、今後に於いてもますます違背しないのではないかと思われるほどの卓見的示唆で散りばめられている。

 教祖中山みきが、この口述を何に依拠して宣べたのかは分からない。教義的には、神が入り込み啓示した思惑を、みきが筆写ないしは口述したのであるから神の言であり、これに間違いのあろう筈がないという訳になるのだが、れんだいこはそこまでは同調しない。しかしながら、「元の理」の秀逸さを誰にも引けをとらないほど畏怖している。

 れんだいこは、何故「元の理」に拘るのか。それは、西欧的思弁的知性とは別系の東洋的日本的知性の知恵を感ずるからである。人の生きる目的を尋ねて延々と思索の道に分け入るのは自由ではあるが、日本的知性は割合と早くに見限って、むしろ授かった生命の燃焼の仕方の方に価値を見いだしていた観がある。何事も寿命との相談として、寿命の折節でのパフォーマンスを重視しているように思う。結構な知恵であり分別ではなかろうか。

 「元の理」の効能はそれに止まらない。21世紀の人類が陥っている悲劇に対して、みきの諭した「元の理」こそ救済になっているのではないかと思うからである。それは、この世にもしサタニズム論理とそれを信奉する勢力が邪悪な意思で地球及び人類改造を企図しているとするなら、「元の理」」こそそれを覆す論理と知力と運動のつまりは理論的且つ実践的な生命力を持っているのではなかろうかと思うからである。これが、初期の天理教教団が弾圧された真の理由ではなかろうかと思っている。

 そのような内容を持つ「元の理」について詳しく知りたければ「教義原型『元の理』」で考察しているので、興味のある方は読まれてみるが良い。今日のものは無論、将来の科学でも跡付けられない、しかし何れの日にか凄いと判明させられる超科学的教説であるように思っている。江戸幕末に突如登場した一介の主婦中山みきは、知る人ぞ知る知らぬ人は知らない天理教教祖であるが、彼女の叡智が世界的に賛辞される日が必ずやって来るだろう。

 さて、ここで「十五夜お月さんの論理考」に戻る。れんだいこは、「元の理」話しが真実であろうがなかろうが、全く害のない有益至極な理念話しであり、然しながらその思想は深いと思っている。科学的社会主義屋の精神からは何の意味もない「元の理」譚ではあるが、「十五夜お月さんのおとぎ話し」を大人版にしたものと拝することができ、その効能は絶大と評価絶賛している。とりわけて、地球文明的危機を迎えている21世紀に於いては、その混迷を打破する有り難い指針書足りえているのではないかと思っている。パレスチナの悲惨と中近東の騒乱悲劇を思うたびに、双方が「元の理」の精神で親和する以外に解決しないのではなかろうかと案じている。その他その他然りである。

 ここまで述べれば、「十五夜お月さんの論理考」はほぼ完結である。後は、気ままに肉付けしていくことにする。

れんだいこのカンテラ時評bP065  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 9月21日(金)09時00分52秒

   「十五夜お月さんの論理」についてその4

 ネット検索で、「『宇沢弘文と語る』を聴講して」に出くわした。れんだいこが意訳すると、次のような話を伝えている。

 2010年現在、いつノーベル賞を取ってもオカシクナイとされている万年候補の宇沢博文・政治経済学者が旧制中学の4年生の頃、いろいろの事情があって新潟の禅寺(曹洞宗)に身を寄せることになった。禅寺の住職は、宇沢に「嘘をつきなさい。人びとを幸せにする嘘を沢山つきなさい」と教えたと云う。住職は、晩飯になると宇沢少年を呼んで一緒に食事をしようと誘った。未成年なのを承知で酒も用意されていた。宇沢少年相手にいろいろの話をしてくれ、そのなかの話の一つが「嘘をつきなさい」だった。

 宇沢教授は、「今から考えるとわたしの経済学の考え方の根源になっているような気がする」と述べている。この教話の力点は前段の「嘘をつきなさい」にあるのではない。後段の「人びとを幸せにする」というところにある。「嘘」と云う言葉も教説上の方便で、学問も含めた全ての知が「嘘」の範疇に入ると云う認識を元にしている。「学問といい、科学的知見といい、宗教の教義といい、それらはどこまでいってもひとつの仮説にすぎない。つまりは『嘘』の一種なのだから、どうせ『嘘』をつくなら『人びとを幸せにする嘘』をつきなさい」という禅宗特有の寓意である。

 宇沢青年をして数学から経済学に向かわしめ、経済学をして、人を計数的物量として扱う近代経済学に対して、生身の人間の生活的与件を絶対的基礎とする「社会的共通資本」なる概念を生ましめ、やがて公共経済学を発想せしめることになるが、その背後に去る日の住職の「嘘をつきなさい。人びとを幸せにする嘘を沢山つきなさい」の教話があったと云う。

 これを知り、れんだいこ流に解釈すれば、宇沢弘文政治経済学教授は、「十五夜お月さんの餅つき話」を解する立派な知識人だと云うことになる。

 もう一つ。「十五夜お月さんの餅つき話」執筆動機の背後に天理教教祖の口述人類創世記譚「元の理」があったことを種明かししたが、ついでに天理教教祖に纏わる「存命の理」についても記しておく。「存命の理」とは、天理教教祖中山みき逝去後も生身の身体としては死亡したが生命は生前同様に存命しており、今も人類救済の為に働き続けているとする教説である。こういう教祖存命説は何も天理教でのみ云われるのではなく、他の宗派でも同様の説を持つところもあるように思われる。

 さて、この「存命の理」をどう寓すべきか。既にここまで「れんだいこの十五夜お月さんの餅つき話」をお読みいただけた者には得心できよう。「存命の理」を科学的知見で批判するのはいとも簡単である。その種の口角泡を飛ばし士に尋ねるが、或る宗派が教祖を死後も「存命の理」として待遇し、教祖を敬慕したとして何か害があるだろうか。天理教では、「存命の理」のままに教祖の着替えを日々行い、拝殿の奥に鎮座されているとして日々諸事の伺いを立てるなり報告を申し上げている。口角泡を飛ばし士がこれを茶番と云うのは勝手である。しかし、れんだいこは、素晴しい没後対応であるとして逆に評価している。

 教祖中山みきは生前、人間の寿命は115歳までの定命(じょうみょう)を与えられていると教説していた。これを説いていた頃は80歳代後半の頃である。教祖は、「115歳定命説」を我が身で体現しつつあった。そのみきは80歳の頃より十数次にわたって検挙され、その取り調べも次第に暴力的になった。「最後の御苦労」が1886(明治19)年2月、89歳の身で厳寒の獄舎に入れられた。

 一説によると、この時の老婆虐待は凄まじく、にも拘わらず教祖は差し止めさせられていた教義を説くのにひるまなかった。15日間後に釈放されたが、もはや立つこと叶わぬ息絶え絶えの身になっていた。その後は床に臥す日々となり、「最後の御苦労」の一年後に逝去している。亨年90歳。教内では、「115歳定命説」に違う教祖の逝去に対する動揺が走った。

 この時、霊能を分与されていた後の本席・飯降伊蔵が指図したのが、「さあさあわからん。わからん、なにもわからん。115才、90才、これもわからん。25年不足であろう。どうであろう。これもわからん。どうしてもこうしてもすっきり分からん。故に25年を縮め、助けを急ぎ、扉を開いて世界をろくぢに踏み均(な)らしに出た。神でのうてこの自由自在は出けようまい。止めるに止められまい。神は一寸(ちょっと)も違うた事は云わん。よう聞き分けてくれ。これから先というは、何を聞いても、どのよの事を見ても、皆な楽しみばかり。楽しみや。よう聞き分け。追々刻限話しをする」、「さあさあこれまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで。日々の道を見て思案してくれねばならん。(中略) 姿は見えんだけやで、同んなじ事やで、姿がないばかりやで」なる啓示であった。

 かく「存命の理」が打ち出され、教内の動揺は治まった。これが「存命の理」の歴史的事情である。これに照らす時、飯降伊蔵の啓示はむしろ何とも鮮やかと云うべきではなかろうか。

 「十五夜お月さんの餅つき話」から始まりマルクス主義のユートピア思想、天理教の「元の理」、「存命の理」へと辿り着いたが、この思索の旅が面白かったのは一人れんだいこだけだろうか。本稿はこれでひとまず完結とする。

れんだいこのカンテラ時評bP066  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 9月27日(木)22時01分49秒

   党代表選考

 2012年9月、民主党と自民党の代表選が立て続けにあった。これを機会に党の代表選システムを研究してみたい。従来、左派圏内の政党、党派に於いては、党の代表選に於いて、恥ずかしくて人に語れないほどお粗末な上からの押し付けシステムが構築されており、これに異議を唱える者がなく今日に至っている。もうそろそろそういうスタイルから脱客すべきではなかろうか。

 それは一つに、ブルジョア政党、プロレタリア政党と云う便利な識別により、プロレタリア政党に於いてはブルジョア政党に於けるような代表選システムは不要とする先入観が党中央と党員間に共有されており、これが災いしているように思われる。これにより、党の代表が密室で決められ、党大会はこれを満場一致で議決するセレモニーに過ぎないと云う形骸化したシステムを良しとしている。

 しかし、今日では既に左派政党、党派の権威も色あせている。ひと頃のような目前に革命を夢見ているような者は誰も居ない。目指すべき革命スタイルを廻って民主主義革命か社会主義革命かで口角泡を飛ばす者はいない。だとすれば、党の代表を選ぶのに何の為に上から押し付けられ、党大会はそれを追認するだけのセレモニーで良しとするのか意味が分からなくなっている。

 むしろ、左派圏内の政党、党派の党代表選が実に子供ぽい稚拙なものでしかないことが透けて見えてきている。左派圏内の政党、党派は一般に党外に向けては民主主義を護れと云う。その割には、手前の党の代表選が最も反民主主義と云うおぞましい仕組みの中で経緯している。この事態をいつまで放置しておけようか。頼むから、手前の党内を民主主化してから外へ向けて民主主義の護民官然としてくれ。逆はいけまい。誰も相手にすまい。

 そういう訳で、今終えたばかりの民主党と自民党の代表選を踏まえて、我々の党代表選はこうあるべきではないのかとする試案を提供してみたい。民主党と自民党の代表選も未だ試行錯誤の変容過程にある。しかしそれは批判されるべきことではなく、大人の政党としての知恵を発揮しつつあるとみなすべきではなかろうか。これから述べる方式を叩き台にしたら、なお良いものに仕上がるだろう。

 民主党と自民党の代表選の詳細分析は別に検討するとして、ここで議論すべきことは、議員票と党員票の効率的相関を見出すことである。左派圏内の政党、党派に於いては国会議員は存在しないか、存在しても単なる国会議員でしかないので、そういう場合には中央委員ないしは支部代表でもって置き換えることができる。さて、従来は議員票のみで党代表を選出してきた。これはこれで構わないのだが、近年では党員の投票を顧慮する傾向が強められている。これをどう判断すべきか。れんだいこは是としたい。そこで、議員票と党員票の効率的相関式の検討に入ることにする。

 私論によれば、日本国憲法の衆議院と参議院の権能の差に注目したい。憲法改正が次第に声高になりつあるが、れんだいこに云わせれば、誰が授けたのか未だはっきりしないが、日本国憲法の知恵は深く奥ゆかしい。徒に憲法改正を云うよりも、憲法の知恵をもっともっと引き出すことこそ為すべきと考える。昨今の憲法改正病者にこのことを指摘しておきたい。

 日本国憲法では一院制ではなく二院制にしている。れんだいこは、これを是としたい。その理由は、二院制の方が修正が効くからである。日本国憲法は、その上で、二院制ながらも衆議員の方に最終的権能を持たせている。これを是としたい。二院制の具体的な相関関係はここでは確認しない。非常にうまく調整されていることが分かれば良い。

 れんだいこは、党代表選に於ける議員票と党員票の効率的相関式の策定に当って、日本国憲法の二院制方式を考慮したい。どういうことかと云うと、議員票と党員票の効率的相関式に於いて、議員票を衆議員、党員票を参議院になぞらえて考えて見たいと云うことである。それぞれに代表を選び、両者が一致すれば無条件に代表が定まり、両者が不一致の場合には衆議員に差し戻される如くに両院議員大会に戻され、協議され、決着を得ない場合には再代表選で決着させると云う方式が魅力的である。二院制方式の応用と考える。

 何事も絶対にこうだと云う制度、規定はない。長所もあれば短所もある。それぞれの良いところを引き出して接木すればうまく行くかと云うとそうでもない。背後にある思想設計が違うからである。そういう訳で、今ある方式を前提にして、ぼちぼちでんな方式で、より合理性のある方式を見いだして改良して行くのが良い。大人の知恵とはこういうものではないかと思う。

 さて、両院議員大会に戻された際、議員票の上位二者、党員票の上位二者を確認する。議員票の上位二者、党員票の上位二者が異なることは滅多にないと思われるが理論的には有り得る。この場合はどうすり合わせすべきだろうか。ここに知恵が要る。

 思うに、党員票の集計に於いてドント方式は意味がないと考える。むしろ、党員票の集計を都道府県単位で集計し、候補者数に応じて最高得票者を候補者数点(候補者5名の場合は5点)、次点者を候補者数−1点と云う風に計算し最下位者を1点として得点を算出する。これを総合計すれば、各立候補者の全国レベルでの党員票得点が自ずと定まる。これで何ら問題ないと考える。

 党員票得点は、再代表選の際の指標として活かされるべきだと考える。或る候補者の党員票得点が全体の過半数を超えた場合、且つ議員票の上位二者に該当しなかった場合にはどう待遇すべきか。私案は、再代表選の三番手候補としてエントリーされるべきだと考える。いずれにせよ、党員票得点が全体の過半数を超えた候補は議員票の1割ないしは2割が基礎票として加算されるべきだと考える。以上の手続きを経て最終的に再代表選の上位二者ないしは党員票代表を含めた三者の決戦投票によって代表が決まる。

 当然、この間の投開票に不正があってはならない。厳重に管理され、公開で集計されるべきだと考える。投開票紙は最低限次期代表選まで保管されるべきだと考える。これができないような政党は近代政党として失格であり、不正責任者は処罰処分されるべきと考える。

 この方式が最も公正で面白いのではなかろうか。これを、今回の民主党と自民党代表選の場合に当てはめるとどうなるのか興味がある。誰かやって教えてくれれば良い。要するに、党代表選は盛大に且つ厳格に且つ合理的に行うべきだと云うのが本稿の趣旨である。今後、新党が生まれる場合も含めて参考にされるが良い。弱小政党ではさほど意味がないが一定数の党員、議員を抱えた政党の場合には大きな意味があると考える。この機会に考えて見た。

jinsei/

 

れんだいこのカンテラ時評bP067  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 9月29日(土)18時43分0秒

   ノ―ネク考

 ここで、国会議員のノ―ネクタイスーツ姿について愚考しておく。このスタイルが日本政治史上に登場したのは2005年、第1次小泉内閣第2次改造内閣時である。時の小泉首相と小池百合子・環境大臣が音頭をとり大々的な「クール・ビズ」(COOL BIZ)キャンペーンを開始したところから急速に定着するところとなった。

 そもそもは「夏場の軽装による冷房の節約」を趣意としたものであった。「クール・ビズ」とは、「涼しい」や「格好いい」という意味のクール(cool)と、仕事や職業の意味を表すビジネス(business)の短縮形ビズ(BIZ)を併せたものであり、肌着メーカーのグンゼが提案した造語であると云う。当初の夏場での「ノーネクタイ・ノージャケット」が年中通じての「ノーネクタイ」(以下単に「ノーネク」と記す)になり2012年現在に至っている。国会でのノーネク姿に反発、批判した政治家も居るには居るが、次第に一般化しつつある。

 れんだいこは、これを不快に思っている。それは、ノーネクそのものに対する咎めではない。当然、仕事のオフの時には構わない。問題は、仕事中のノーネクが許されるのかどうかである。人が仕事をする際の服装の在り方に於いて、ノーネクは締まりのない如何にもラフな田吾作印象を与える。要するに似合わない。仮に女性議員が「クール・ビズ」と称して胸を露出させて登場したとして見よ。私の勝手論も成り立とうが場所柄が違おう、要するに似合わない。これを論証するのは手間なので省くが論証できると思う。

 れんだいこは、ノーネクが、仕事だか遊びだか分からない締まりのない如何にもラフな仕事に通じているのではないかと危惧して批判している。思えば、これが小泉政権下で始まったことは偶然ではなく、小泉政権下の仕事がなべて国際金融資本の仰せのままの締まりのない、如何にもラフな売国政治ではなかったのかと疑っている。小泉式「クール・ビズ」と云う名のノーネクは、小泉政治の売国政治性を見事に象徴しているのではないかと思っている。あれは小泉らしい不良スタイルであり真似するようなものではない。

 小泉政権下のノーネクは民主党政権になっても継承されて今日に至っている。れんだいこの目には、あたかも小泉政治の継承宣言しているかのような気持にさせられる。2009衆院選で政権交代したものの、実は小泉政治が続いておりノーネクがそれを示しており、ノーネク派はノーネクによって小泉政治の継承を意思表明しているのではないかとさえ思えている。そう云う風に考えると辻褄が合うから不思議である。こう考えると、自公にも民主にも維新にもノーネク姿が多いが、それだけ深く汚染されていると云うことであろう。

 これを踏まえて、ノーネ派に質問してみたい。先ほどの民主党代表選の時には気づかなかったが、自民党代表選に於いては候補者は全員がネクタイ着用で臨んでいた。この候補者は、代表選に於けるネクタイ着用と国会質疑でのノーネクはどういう按配で分別しているのか答えて見よ。仮に皇居での認証式に臨む際、ノーネクで通すのか答えて見よ。もし、ノーネク派が、代表選なり認証式の際にはネクタイを着用し、国会質疑ではノーネクを良しとすると云うのなら、その根拠を弁明して見よ。ついでに聞くが、「クール・ビズ」で「ノーネクタイ・ノージャケット」にするのなら、上ばかりでなく下も「クール・ビズ」にし、いっそのことサンダルや草履や下駄履きにした方が良いと思うが何故そうしないのか。今のところそういう御仁は登場していない。それはなぜなのか述べて見よ。

 れんだいこが何故に拘るのか。それは、繰り返すことになるが、ノーネク派がノーネクに象徴されるような締まりのない如何にもラフな仕事をしていることと関連していると見なしているからである。締まりのない如何にもラフな政治姿勢と見識で原発続投、三陸巨大震災被災地弄び、消費税増税、TPP、憲法改正、自衛隊の武装海外派兵、オスプレイ配備、領土紛争等々やられるのは御免蒙りたいからである。

 たかがネクタイぐらいのことで何を大袈裟に云うのかと云う反論も予想されるが、これに返答しておく。物事には、当然服装にも、或る形、型と云うものがある。正式洋装にはネクタイが似合うとすれば着用すべきだろう。ネクタイが嫌ならネクタイを着用せずに済む別の服装スタイルのもので登場すれば良い。紋付でも羽織袴でも作務衣でも労働者服でも良かろう。服装はどんな形でも良いのだが、締まりのないラフな格好だけは止めて欲しいと思う。

 ところで、国会議員に於いて国会での実務はれっきとした仕事であり、締まりのない如何にもラフな姿勢で為すべきようなものではない。オフタイムならいざしらず、国会の中でのノーネクなぞ許されて良いことだろうか。れんだいこは、このことだけで国会議員を罷免されるに値するとさえ考えている。気づけば、ノーネ派がこぞって原発続投派であることも興味深い。締まりのないラフな格好に象徴される安逸な考えで原発続投宣言されたら堪ったもんではない。こういうものは伝染して欲しくない。思いつくまま。

jinsei/

 

れんだいこのカンテラ時評bP068  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年10月 3日(水)23時53分30秒

   田中角栄の妻及び愛人との絆考

 一般に、人を評するには、当人が言っていることよりも為していることに注目すべきだろう。しかもそれを凡そ10年ごとのスパンで長期に亘って追跡すれば自ずとその人の人となりが浮き彫りになって来る。人の言説は平素の饒舌で測るものではない。ここ一番のいざ鎌倉の肝腎の時の言動で捉えるべきである。現代人は、昔の人が持ち合わせていたこういう秤(はかり)を忘れて、平素の無責任な饒舌で善人悪人、敵味方、能力を測ると云う貧困な知性を披歴している。

 れんだいこも含めて或る人を測るには、昔の人の秤で天秤にかけた方が賢明であるように思われる。その上で、貫目を測る為の表ワザ、裏ワザを使うべきである。表ワザとは、対象とする人の本業としての仕事ぶり、その際の能力を観察することである。裏ワザとは、対象とする人の血筋(血統)、妻子関係、愛人関係を観察することである。付録ワザとして気質、人格、学歴、趣味、読書、性癖の傾向等を観察することである。

 以上を前置きとして、ここで、田中角栄の妻及び愛人との絆について考察してみる。興味深い田中角栄の人となりが判明するからである。思いつくままに記すので、正確には今後書き直したり付け加えたりすることにする。只今はスケッチとして書き遺しておく。

 角栄は、1942(昭和17) 年3月3日、24歳の時、家主の娘・坂本はな(八十子、以下「ハナ」と記す)と結婚している。ハナは当時31歳で、角栄より8歳年上であった。且つ離婚歴があり9歳になる女の子を連れ子として云わば出戻りしていた。角栄は、ハナのつつましやかな挙動と、内に秘められた芯の強さに惚れ結婚することになる。このハナが糟糠の妻となる。

 興味深いことは、結婚時、次のような「三つの誓い」をさせられたと伝えられていることである。それは、「一つ、出て行けと云わぬこと。二つ、足蹴にしないこと。三つ、将来、角栄が二重橋を渡るときは彼女を同伴すること。その三つを守ってくださるなら、それ以外のことについては、どんなつらいことにも、耐えてついていきます」。この約束が角栄夫婦の契りとなった。

 何気なく見落としてしまうが、「三つの誓い」の中に、「将来、私が二重橋を渡るときは彼女を同伴すること」とあるのをどう理解すべきだろうか。当時、角栄は、飯田橋2丁目にあった建築業者坂本氏の家の一部を借り受け田中建築事務所を開設して半年足らずの頃である。いくら新進気鋭の建築家として頭角を現しつつあったとしても、その角栄が将来「二重橋を渡る」などと発想すること自体、ハナ以外には誰も予想し得なかったであろう。

 これを逆に云えば、ハナは、8歳年下の角栄に何を認めていたのだろうか。どこにそのような片鱗があったのだろうか。女性の直感が恐ろしいにしても、24歳の建築家の駆け出しを「将来、二重橋を渡る人」と見染めたハナの予知能力は異能過ぎよう。この予知能力が当るのだから歴史は面白過ぎる。

 角栄夫婦の間には、この年の11月、長男・正法が誕生している。1944(昭和19) 年、角栄26歳の時、長女真紀子が誕生している。こうして1男1女を授かったが、長男・正法は1947(昭和22)年、5歳で死亡している。この時、角栄は次のように述懐している。

 「その時に俺はしみじみと考えたんだ。妹の時にしろ、長男の時にしろ、後に残った自分が、いつも十分なことをしてやれなかったという悔いを感じた。生きているうちに家族にも、友人にもできるだけのことをしてやりたいという気持ちが一層強くなった。人の為になるように生きたいと思った」(戸川猪佐武「君は田中角栄になれるか」)。

 後に、幹事長時代の年少当選組の小沢一郎を見て正法を彷彿とさせ、以降、手塩にかけて育てたのは有名な話である。他にも当選組はあまたいたが、角栄は小沢一郎に何を見染めたのだろうか。こういうところも興味深い。

 もとへ。角栄は、生涯この「三つの誓い」を守る。但し、気づくこがある。普通の夫婦がする如くの「浮気はしない」なる誓いがないことである。これもハナの凄いところであろう。ハナは、男の浮気については別の物差しを持っていたようである。事実、「三つの誓い」の中に浮気禁止項目がないこともあってか、角栄はこの方面でも約束を守る。それはあたかも男の甲斐性としていた感がある。ちなみに、ハナの連れ子の子育てについても角栄は十分な配慮を見せ隔てなく育て上げている。これについての詳細は略すが、この親ワザもできそうでできないのが世の常であることを考える時、立派と評すべきだろう。

 角栄はその後、ひょんな機縁から政界入りする。建築家としての業績は順風満帆であり、以降暫くの間、二足のわらじを履くことになる。但し、次第に政界で頭角を現し始め、政治家稼業に一本化することになる。党の要職履歴は次の通りである。

 1957年、39歳の時、岸内閣で郵政大臣に就任、戦後最年少大臣となる。1958年、40歳、自民党党紀委員、党新潟県連会長に就任。1959年、41歳、自民党副幹事長に就任。1961年、43歳、池田内閣で自民党政調会長に就任、初の党三役入りする。1962年、44歳、大蔵大臣就任。この時大平が外務大臣となり田中−大平コンビが誕生している。1963年、45歳、大蔵大臣留任。1964年、46歳、佐藤内閣で大蔵大臣留任。1965年、47歳、自民党幹事長(1期目)に就任。1966年、48歳、幹事長留任(2期目)。但し一連の政界黒い霧事件で川島副総裁と共に幹事長を引責辞任する。1967年、49歳、自民党都市政策調査会長に就任。1968年、50歳、自民党米価調査会会長に就任。日本列島改造論の原型である「都市政策大綱」を発表。自民党幹事長に再度就任(3期目)。1970年、52歳、自民党幹事長に留任(4期目)。自民党代表選で佐藤首相が4選され自民党幹事長に留任(五期目)。1971年、53歳、参院選敗北の責任を取り幹事長辞任。通産大臣に就任。1972年、54歳、田中派旗揚げ(衆院40名、参院41名)。「日本列島改造論」を発表。第64代内閣総理大臣に就任。1974年、56歳、2年余886日間の政権の座から降りる。

 この間、角栄は、二人の愛人を囲っている。一人は元神楽坂芸者の辻和子、もう一人は越山会の女王と評された佐藤昭子である。辻和子は、「熱情ー田中角栄をとりこにした芸者」(講談社、2004年)、佐藤昭子は「私の田中角栄日記」(新潮社、1994年)、「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」(経済界、2005年)を著している。それぞれに何人の子がいるかと云う下世話な話しはさておき、注目すべきは、この二人の女性が、著書の題名からも窺えるように終生、田中角栄を支持し抜いて生を全うしたことである。

 この角栄を取り巻いたハナ、辻和子、佐藤昭子の3人は、角栄の権勢絶頂期に奢り昂ぶる訳でもなく、角栄の失意期に手のひらを返す訳でもなく、終生、角栄との絆を大事にした。ロッキード事件以降の角栄バッシングの喧騒下、ハナは妻であるからともかく、辻和子、佐藤昭子には相当の圧力が掛かり悪意の利益誘導があったと推定できる。

 しかし見よ。この貴婦人は貴婦人たる誇りをも秘めてやんわりと峻拒し、返す刀で角栄との絆を大事に添い遂げた。こういう場合、この貴婦人が偉いのか、そもそもそういう女性を見染めていた角栄が偉いのか。恐らく双方が偉くて成り立つドラマであろう。くどくど述べないが世の社会事象とは一味違う絆を見る思いがするのは、れんだいこだけだろうか。

 2012.10.3日 れんだいこ拝

jinsei/

 

れんだいこのカンテラ時評bP069  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年10月12日(金)22時50分43秒

  【「文系頭脳の原発批判論」その6、国際ユダヤの悪徳商法そのものとしての原発利権を弾劾せよ

 れんだいこは既に脱原発に向けての論考「文系頭脳の原発批判論」をbPから5まで発信している。

 れんだいこの「文系頭脳の原発批判論」
jissen/hansenheiwaco/genshiryokuhatudenco/jicojikenco
  /2011sanriku/bunkeizunonogenpatuhihanron.html)

 本論考で世の迷蒙を撃ったつもりでいるが、原発利権族の蠢動が止まらない。批判の舌鋒がなお足りなかったと反省しbUを添えることにする。我々はなぜ脱原発に向かわなければならぬのか。その科学的地球環境的文明的批判は既にかなり為されているので、本稿で未だ為されていないと思われる反ユダヤ主義観点を付け加えることにする。

 2012年10月現在、日本政界の保守系政党と財界は、福島原発事故の後処理がままならぬ最中に於いて原発続投を掛け声している。民主党政権は「2030年脱原発」を掲げているが、脱原発に力点を置いているのか、2030年までの引き延ばしを画策しているのか態度が曖昧である。れんだいこには、引き延ばしの方に重点があるように見える。我々はそろそろ日本の政財界を覆う原発続投が何に起因するのかを問わねばならないのではなかろうか。

 既に原発続投派のロジックは至るところで破綻している。原発なしに電力の安定供給が覚束ないと云うのであれば、何故にドイツでは2022年までに原発ゼロを目指すことが可能なのかを問わねばならない。ニュージーランドはかなり早くより脱原発国家になっており今日では脱火力さえ目指す先進エコエネ国家になり得ているが、なぜ可能なのかを問わねばならない。既に原発登場時に比してエコエネ技術の発展が目覚ましく、官民共同総力で取り組めば脱原発は案外と容易なのではなかろうか。然るに何故に執拗に原発続投が画策されているのか、これを問わねばならない。

 出て来る解は、国際金融資本の圧力である。それしか考えられない。では国際融資本とは何者か。これを簡略に説明すれば要するに、近現代史を操る裏世界政府だと思えば良い。そのようなものが存在するのか、実体があるのか。こう問うこと自体が封印されている。世に云う陰謀論批判がこれを援護射撃している。しかしながら、この禁断の扉を開けて見えてくるのは然りの解である。但し、この解は論者によって色々に語られる。ここに大田龍が登場する。大田龍は丹念な歴史考証によって裏世界政府の正体を明かした。それによると、近代史に於いて西欧諸国家を金融コントロールすることで財を為したロスチャイルド系国際金融資本を頂点とする財閥及びその閨閥が裏世界政府の実体であると。本当にそのようなものが存在するのか。れんだいこは然りと答える。

 日本は永らくの間、極東の小さな島国として、ロスチャイルド系国際金融資本を廻る西欧史的抗争に巻き込まれることなく経緯して来た。西欧史的な抗争の扉が最終的に開かれたのは1853年の黒船来航と翌年の日米和親条約によってであり、その後も国際金融資本特有のスティルス的間接支配により捉えにくい為に連中の策動を認め難いのであろうが、西欧史の戦争と革命の動乱史、世界分割植民地史を紐解けば一目瞭然である。極東の小さな島国の日本の常識で測っていては真相が見えないだけのことである。かく自覚せよ。

 もとへ。原発は国際金融資本の生み出した発電装置であり、元々は原子爆弾に由来する。第二次世界大戦後、原発の爆発エネルギーの電力化として生み出されたものが原発である。その際頻りに平和的利用が云われたが原義は平和にあるのではない。軍事用の原子爆弾を非軍事的に利用すると云う利用すると云う意味での平和的利用に過ぎない。そういう意味で、便宜的用語として平和が冠せられたものに過ぎない。原発導入時、原発が果たして平和的なものであるのか、正しい冠詞であるかどうかの詮議が必要なところ、その論議は封殺された。アインシュタインを始め多くの原発学者が原爆の平和的利用はあり得ない、そもそも稼働中の危険、有害物質排出、最終核廃棄物の不具合を指摘し未完の科学でしかないとして強く反対したのは衆知の通りである。これらの危惧を封印して無理やりに生み出されたのが原発である。原発誕生経緯のこの不正を再確認せねばなるまい。

 原発はあろうことかその後、地球環境汚染が云われ始めるや安全クリーンエネルギーとして喧伝され始めた。この時も、原発が本当に安全クリーンエネルギーなのかどうかの詮議は為されなかった。表面的な石炭、石油の化石燃料に比しての排出ガス量の比較でのみ、これを排出しない原発の優位性を誇ったものに過ぎない。学問が本来の学問であれば、化石燃料的ガスを排出しない原発固有の長所と環境を放射能汚染し続け且つ最終核廃棄物の処理ができて居ない短所とを比較検討し、石炭、石油その他燃料との総合比較をせねばならぬところ、有利な一指標でのみ測り、安全クリーンエネルギーとして喧伝したに過ぎない。

 れんだいこが注目するのは原発推進勢力のこの詭弁(きべん、sophism)である。この論法、論理はどこかで聞き覚えがある。敏(さと)い読み手は気づくであろうが、西欧圏世界でその昔にイエスが論争したパリサイ派の論法、論理そのものである。かの時、イエスは、パリサイ派の神義学の不正と虚偽を論難し抜いた。「神の名を騙りながら神を欺く不敬の輩」としてパリサイ派教義を論駁し抜いた。本稿はこれを確認するものではないので割愛するが、イエスがパリサイ派の信仰を人類の厄病神信仰、悪魔主義信仰であるとして批判したことを結論的に共有したい。

 但し、イエスの論難をもってしてもパリサイ派を排撃できなかった。否排撃されたのはイエスの方であった。但し、イエスの論難は捻じ曲げられた形でキリスト教へと転化させられ、西欧諸国家はキリスト教国家として秩序形成して行くことになった。西欧史ではこの時代を中世と云う。その間、パリサイ派は雌伏を余儀なくされた。但し、したたかに歴史に生き延びた。そのパリサイ派が台頭し西欧圏で猛威を振い始めるのが近代である。この流れが現代へと続いており今日へと至っている。これを逐一論じると紙数を増すばかりなので割愛するが、要するにパリサイ派の厄病神信仰、悪魔主義信仰はロスチャイルド系国際金融資本の教義となり、ロスチャイルド系国際金融資本は、この教義を元に今も世界を造形しつつ裏世界政府となって各国を支配していると云う認識を持ちたい。国際金融資本が頭脳であり、パリサイ派の教義がイデオロギーである。

 かく踏まえた次に確認せねばならないことは、原発とロスチャイルド系国際金融資本の関連性である。れんだいこは、原発はパリサイ派の厄病神信仰、悪魔主義信仰がもたらした悪魔科学の産物であると認識している。かような禁断科学に手を染めること自体がパリサイ派教義の為せる業であり、世界広しと雖もパリサイ派以外には見当たらない。パリサイ派教義の賜物としては他にも軍事科学がある。まさに軍事科学と原発科学とはパリサイ派の厄病神信仰、悪魔主義信仰がもたらした双頭の鷲である。かく認識したい。

 パリサイ派、現代国際金融資本が何故に原発と軍事科学に飛びつくのか。これを興味ある論考課題である。本稿は、これを論証するものではないので結論だけ記すとすれば、要するに典型的なユダヤ商法であり、その旨味(うまみ)が手を染めさせていると云わざるを得ない。ユダヤ商法とは手っ取り早く巨額に儲け、後は野とななれ山となれで、食い散らした後は別天地で稼げば良いとする乱攫式金貨思想を得手としている。原発と軍事科学がこの商法と相性が良い。故に原発と軍事科学ほどパリサイ派、現代国際金融資本のらしさを具現するものはない。

 例えばこういうことである。イージス艦1艦、原発1基の建造コストが共に約1兆円で単体として巨額である。これに一取引当たり数千億円の利権が絡んでおり、故にこれに群がることになる。それによる被害者達が発生するとして彼らは寸毫も顧慮しない。彼らの眼(まな)差しは虐待的で、ユダヤ民族以外は犬猫畜生類に等しいゴイムに他ならないとする選良主義、その裏返しとしての家畜主義に基づいている。要するに「神の特別の恩寵に預かる民」以外には悼みを感じないように育てられている。その根源にあるものは、一宿一飯の温情に対して義理を感じるのではなく逆に恩を仇で返す悪知恵であろう。これを幼児より仕込むと云う特殊な教育を良しとして誇っている。

 れんだいこが原発に思うのは、そのような悪魔主義性である。このようなものは幾ら目先に便宜であっても利用してはいけない。このようなものが地球のあちこちに敷設されるのはまことに人類の危機であり、麻薬的薬物中毒の千倍万倍の申し合わせで警鐘乱打せねばならない代物である。2010.3.11福島原発事故は、そういうユダヤ商法に対する根本的疑義を差し挟む契機にせねばならない。これを文明史的に見れば、パリサイ派の厄病神信仰、悪魔主義信仰のもたらした双頭の鷲の片方である原発政策からの一刻も早い撤退を促すべく警告する事案となって突きつけられているということである。福島原発事故は脱原発への好機であり、日本及び世界の神々の人類への警告と拝することができる。

 こう理解するのが普通ではあるまいか。これを逆に云うと、今なお原発続投、原発再開に固執する者は根深いパリサイ派信者と云うことができる。現代国際金融資本に飼いならされ、立身出世と引き換えに御用聞きが契約義務化させられている雇われに過ぎない。こういう連中との対話は徒労であるが一応はせねばなるまい。彼らが強権で原発を押し付けてくるならば力づくで放逐する以外にはない。世界からパリサイ派が放逐されれば世界は如何に平和的になれることだろうか。原発は、原発のみに止まらぬこういう文明史的設問を投げかけていると云わねばなるまい。

jinsei/


れんだいこのカンテラ時評bP070  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年11月11日(日)12時30分17秒

  【2012.11.11たすけあい党声明「我々はどこに向かうべきか」】

 今年も既に11月になり2012年も残すところ1ケ月半、月日の早いことに驚かされる。11.11日、無性にたすけあい党声明を出したくなったので発表する。

 2011.3.11日の三陸巨大震災、それに伴う福島原発事故の発生。この衝撃が衝撃とならぬままだらだらと経緯しているように見える。福島原発事故に対応できない深刻さが続いている筈なのに被災民及び関連の者を除いて関心が薄くさせられている。復興の槌音も聞こえてこない。福島原発事故を奇貨として脱兎のごとく原発政策から逃げ出し新エネルギー政策へ転換する絶好機会とすべきところ、敢えて意図的故意にぐずぐずしている。しかも原発対策費としての国民負担がエンドレスに厖大化し続けている。

 これは一体何なんだろう。政治がまともでないのは明らかである。加えるとすれば、タイタニックの最後の宴に興じさせられている側にも責任があろう。我々は今断固としてタイタニックから逃げだすべきときである。ここら辺りで、「我々はどこに向かうべきか」を真剣に考えてみる必要がありそうである。

 ここに来て野田政権の衆院解散策動が本格化しつつある。これは何によるのか。奥の院の強権指令発動によるものとしか考えられない。奥の院がかねがね2009衆院選の結果としての300議席を越える民主党議席を邪魔にしているのは事実であるが、それは昔の理由である。この衝動は、小沢派が党内に居残り影響力を行使していた時期に対応する解散策動であった。今、小沢派は民主党を脱党し国民生活第一党を結成している。この時点での解散策動の狙いは自ずと軸足が移動していると考えるべきだろう。

 自公の解散要求なぞ真の理由ではない。そういう理由でなら既に何度かあり得た筈である。自公の解散要求は2009衆院選以来の衝動であって今に始まったものではない。故に、野田政権の目下の衆院解散策動の理由にはならない。しかして残る理由は、国民生活第一党の順調な党的発展を阻止する為のものとしか考えられない。こう考えることによって辻褄が合う。

 かくて奥の院の強権指令による衆院解散が目論まれているのであるが、民主党内には解散反対抵抗勢力が存在する。彼らは、解散によって自らの議席だけでなく党そのものが解体することを予見している。故に、現下の民主党勢力温存こそ大事の観点から解散反対に動く。しかしながら奥の院の衆院解散号令には勝てない。故に年内解散があり得ると云うことになる。解散理由はただ一点、小沢派の国民生活第一党の芽を潰すことにある。しかしながら、こんな理由で解散することが許されるべきことだろうか。

 この仮説に疑問を持つ者を以下の文で説き伏せることにする。一体、奥の院は小沢派の国民生活第一党を何故に執拗に排撃するのか。この問いに対する回答こそ現下政治の抗争軸を解明するキーがある。これを説明すれば、それは国民生活第一党が戦後日本の自由自主自律的歩みを体現する最後の橋頭保的政党になっているからである。この党の進捗によってコントロールができにくい日本になることを警戒して双葉のうちに芽を摘むべし、これが奥の院の衆院解散指令理由となっていると読むべしであろう。このことを逆に云えば、自公政権、民主党三代政権ほど御用聞き政治はなかった、ないと云うことでもある。その反作用として国民生活第一党が生み出されたのであるが、こういう場合に彼らが常用するのはいつでも外科的手術である。そういう知恵しか持たないのが奥の院の伝統的手法である。

 思えば、奥の院の小沢どんバッシングは2009衆院選前から始まっている。来る衆院選の結果、自公政権から民主党政権へ移行することが必至と見定め、何としてでも当時の小沢代表を引き摺り下ろし、懐柔し易い鳩山を代表の座に座らせた。これが小沢秘書収賄事件から始まる小沢バッシングの政治的背景である。

 このシナリオに乗り小沢秘書収賄の現場証拠を捏造してまではしゃいだのが日本共産党であった。それは田中角栄を葬ったロッキード事件の際のはしゃぎぶりと全く同じである。日本共産党がこのように使われていることを改めて確認し弾劾せねばなるまい。この党がいつからどのように変質したのか。これを論考することは興味深いが未だ趣味者界隈の域に止まっている。いずれ不破の目の黒いうちにやらねばなるまい。明日の11.12日、4年有余に及ぶ不毛な小沢どん訴追裁判の最終判決が下される。「司法の正義」を凝視確認せねばなるまい。

 もとへ。日本政治にも他国同様にこのように奥の院支配が貫徹しているのであるが、彼らは、この日本をどのように料理しようとしているのだろうか。ここでは短期的なものは問わない。長期的に日本をどう料理しようとしているのだろうかと問うことにする。一つの仮説は、日本人を僻地に追い込み、都市部を奥の院派が住むと云う棲み分けの日本にしようとしているのだろうか。例えて言えば、現下の日本人が縄文原住民と見なされ、日本史上かって行なわれたアイヌ人排撃のように次第に僻地へと追い払い、その後に奥の院派外国人が居座る。インディアンが追い払われたアメリカ建国史がこれである。この間を調整する人種として弥生人が生まれ、お膳立てする。こういう日本に誘われようとしている可能性がある。この説によれば、日本を支配する政財官学報司警軍の八者機関上層部は売国弥生人として自己形成しようとしていることになる。

 もう一つの仮説は日本人ジェノサイドである。目下の原発政策の動きを見れば、既に日本各地に50基以上敷設されており、予見される水資源汚染、土壌汚染が進行すれば日本の今後は到底、人が住めなくなることが明らかである。さしもの世界に誇る山紫水明の豊葦原の瑞穂の国も生物が住めない荒野にされる恐れが強い。原発をこのように捉える見方はまだ少ないが、原発では後から気付くのは遅すぎる。その異常な悪魔科学性に気付くべきである。仮に導入時に予見できなかったことは免責されるにせよ、今日の時点でなお気付かないのは国民レベルならいざ知らず政治家レベルでは有責である。それを何たることか現時点でも原発続投の旗を振り続けるなら、これは死刑をもってしても償えない。かく認識するべきである。

 原発の危険性はまだある。原発基地を軍事的に攻撃されたらどうなるか、これについて原発推進派は誰もまともに答えられない。更にある。まさかとは思うが、奥の院側から見て日本がコントロールできない国になった場合、用意周到に仕掛けられた起爆装置が開弁される仕掛けがあるのではなかろうか。

 奥の院が対日処方箋を棲み分けで行くのかジェノサイドで行くのか最終判断はしていないと思われるが、どちらにしても至極迷惑なシナリオであろう。こういうシナリオが杞憂に過ぎないのであれば、それに越したことはない。安堵できる訳であるから本望であるが疑念が消えない。問題は、自公民派が頼りとしている国際金融資本はこれぐらいのシナリオを平気で描く人種であると云うことである。そういう危険な人種の懐に日本を人身御供させようとしているのが自公民派の政治であり、これほど危険愚昧なものはない。れんだいこが自公民派政治を断固として拒否する理由であるが誰か共認せんか。

 れんだいこのこの危惧を一笑に付す者に次のことを問いかけて見たい。将来の日本がどのように扱われるのかは別として今現に進行中の日本をどう考えるべきか。凡そ政治がまともならあり得ない方向にばかり誘導されているのではないのか。次にのべるようなことは決して偶然ではなかろう。

 まず経済の失速が異常である。日本はバブル経済の破綻以降、ずるずると長期不況に誘われており一度として景気回復していない。バブル経済は1986(昭和61).12月から1991(平成3).2月までの51ケ月間に及ぶ狂乱経済であった。これも怪しげなものであったが、ここでは問わない。問いたいことは、その1991年以降、一度として好景気の循環に入っていない不自然さである。それは好不況が循環する経済法則に反している。これは意図的故意の政策によってもたらされているのではないのか。政治力によって経済失速させるような措置のみ施策されている現実があるのではなかろうか、これをどう考えるのか。

 三陸巨大震災後の復興の遅れが象徴しており、それは意図的故意のものではないのか。なるほど予算は注ぎ込まれているが将来の経済成長に役立たない方向と方法に傾注している感がある。民主党政権下で予算の仕分けが為されたが、同様な観点から為されたと思った方が良かろう。その予算もハゲタカとビラ二アとネズミが食っているのは衆知の通りである。がれき処理が未だに進まず、仮に進んだとしてもわざわざ途方もない金額になるように細工した上で冗費している。除染費用も然りで見せかけの気休めに大金を費やし、それもキリがない。海の者を山に連れて行く復興計画然り、海が見えなくなる高さまで防波堤を築く高さ競争計画等々、全てが悪い冗談としか思えない施策のみ講じられている。しかして現地復興に役立つグランドデザインは生み出されず小手先対応に終始している。これは意図的故意のものなのではなかろうか。

 「政治力によって経済失速させるような措置のみ施策されている現実」は、民主党の2009マニュフェストの主要政策の一つであった高速道路無料化法案の消失でも裏付けられる。この政策は景気回復の起爆剤として期待されていたものであった。ところが民主党三代政権は、この政策に限っては断固としてやらせない方向にリードして今日まで経緯している。誰かこれを他の理由で説明できるだろうか。無料化では財源がなくなると云う理由で反対した者に対してはガソリン税の据え置きで論拠を失わせたにも拘わらず断固として実施しない。「近距離2千円、遠距離1万円」と云う次善策で実施する方法もあるところ、結局何もしないままに反故にされて今日に至っている。当時、前原国交相が任についていたが、させない任務を帯びて立ち働いたとしか考えられまい。できない筈がない高速道路無料化を断固としてやらせない政治力の背景にあるものを窺うべきではなかろうか。

 思えば、この間の銀行、証券、損保、生保の統合化の動きも怪しい。結局は外資の軍門に降っただけで日本経済に資するところはない。そうした経済の失速ばかりではない。その他その他の失政が押し寄せており、しかもそれが意図的故意の政策のように思えてならない。医療、年金、教育の荒廃も酷いがここでは指摘するに止める。伝統的な日本食に馴染まない過剰な肉食化、薬や酒や化学飲料、遺伝子組換食品の規制緩和も怪しい。セックス(Sex)、スクリーン(Screen)、スポーツ(Sport)の3S政策然り。これらは庶民の楽しみであり、個々については批判されるべきではなかろうが、対極的に失わせられたのが伝統的な風習であり、政治経済文化への興味であることを思えば由々しき事態ではなかろうか。こうして健康が蝕まれ精神が蝕まれている。所得格差が広がり日本の伝統的な互譲、助け合い精神が毀損させられている。従来の日本社会にはなかったような凶悪変質型の犯罪が増えつつある。人が獣化しつつある。あぁこういうことを書き始めたらキリがない。

 それらが皆な意図的故意に生み出されたものではなかろうかと疑う必要がある。日本人がどんどんスポイルさせられ、原発放射能汚染も含めて日本人と国土が長期的に生体実験されている気がしてならない。要するに、今進行中の政治が意図的故意の悪政なのではなかろうか、このことに気づくべきではなかろうか。日本がン千年に亘って育んできた諸能力に対する意図的故意の暴力的解体壊滅策動が持ち込まれているのではなかろうかと疑いたい訳である。

 我々は、そういう政治をさせる為に選良を雇っているのだろうか。国会議員一人当たり総合で3億円にもなる税金を注ぎ込んでいると云う。これを手にする議員貴族が力及ばずとも日本の為に尽力するのならともかく、良からぬ企みで日本をコントロールし続ける奥の院の雇われとして奉公しているとしたら許されようか。れんだいこには、資性劣悪なる者が引き上げられ権力を握り野蛮な宴をしているようにしか見えない。恐らく1970年代以降、80年代初頭に中曽根政権の登場で始まった。ナベツネ派の権勢絶頂の始発である。こういう政治との決別、これが望まれていると確信して止まない。

 2012年末衆院解散があろうとなかろうと、奥の院の指令通りにうごめいて忠勤する現下の政治に対する怒りなくしては何の意味もない。かくまでモルモット化されつつある日本に対して断固とした拒否の回答を与えずしては日本の歴史に申し訳ない。日本の政財官学報司警軍の八者機関上層部に巣食う国賊を一網打尽にして本国へ送還せねばならない。その為に何をすべきか、これが今問われている政治テーマである。どの課題に対しても抜本的改革が要求されている。既得権益網の一掃なしには何も進まない。今こそ日本の地霊が武者振いして立つ時、これをメッセージしておく。

 2012.11.11日 たすけあい党首れんだいこ拝

jinsei/


れんだいこのカンテラ時評bP071  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年11月12日(月)22時27分31秒

   2012.11.12日小沢公判東京高裁無罪判決考

 2012.11.12日、小沢公判の控訴審判決が東京高裁102号法廷であり、小川正持(しょうじ)裁判長は一審東京地裁の無罪判決を支持し控訴を棄却した。事件の展開史を読み直す時間がないので印象の強いところ、共認しておきたいところをを述べることにする。

 れんだいこが窺うのに、判決は全体に小沢秘書の立件、小沢どんの立件そのものに容疑不足を指摘している模様である。よって、「無罪判決を出した一審判決は不合理とは言えない」と結論づけた。検察審査会の起訴議決に基づく強制起訴事件は6件あるが訴審判決は初めて。国会議員への判決で一、二審ともに無罪とされたのも初事例となった。小沢どんは大久保秘書逮捕事件から3年と254日の1350日の間、政治活動を制約され現在に至っている。指定弁護士側が2週間以内に上告しなければ無罪が確定する。元秘書3人の控訴審が今月14日から始まる。

 この裁判の反動性は元々からの無理筋の立件にある。奥の院指令を受けた東京地検特捜部が、小沢どんの政治能力を殺ぐ為、政治的殺人をする為に小沢どんの秘書寮建設を廻る資金調達に疑惑の目を向けた。小沢氏ほどの政治的大物なら当然あるだろうとの見込みからゼネコン利権の捜査に入った。贈賄側として準大手ゼネコンの西松建設の捜査に向かった。ところが、出てきたのは自民党有力議員10数名。これは立件されず小沢どんのみをターゲットにして公設第1秘書の大久保秘書逮捕から突破口を開こうとした。

 ところが、秘書を無理矢理に脅しすかしして立件したものの小沢どん起訴までには持ち込めなかった。他にも収支報告書の記載問題等の重箱の隅をつつくような嫌がらせ容疑で立件したものの論拠が次から次へと破綻し、挙句の果ては取り調べた検事の方が被告になると云うお粗末を通り越して滑稽な展開を見せた。これにより東京地検特捜部は無論のこと検察全体の信頼と信用が地に堕ちた。裁判所の無罪判決が辛うじて司法の公正さを担保した形である。

 この一部始終に於いてマスコミの演じた責任は特段に重い。そのお粗末さは、1970年代のロッキード事件での田中角栄追討時のマスコミの喧騒にも疑惑が及ぶだろう。立花隆と日共が車の両輪となって田中角栄を追い詰めたが、かの事件の胡散臭さへの検証まで及ぶことになろう。

 TBSは、「石川議員が水谷建設から裏金5000万円を受けとった現場にたまたま居合わせた男性の証言」という捏造ビデオを放映した。これに対し、女傑森ゆうこ参院議員が抗議し根拠を問うと、何の弁明もできずすごすごと蔵入りさせてしまうお粗末。その後、くだんの男性は石川議員と面識がないことが判明している。「大久保秘書が起訴事実を認めた」とする起訴翌日の誤報然り。NHK を始めマスコミが一斉に誤報道した。NHK は国会の総務委員会で追及されるも未だに訂正も謝罪もしていないとのこと。ロッキード事件の際に榎本秘書を落そうとして「角栄自供」なる虚報を一面トップ紙面で提供した産経新聞の犯罪には及ぶまいが真似ていることが分かる。マスコミは政治家に対して襟を正せと云う癖があるが、襟を正さねばならないのは小沢どんなのかマスコミなのか、マスコミは歴史に向かって返答せねばならない。

 日本共産党がこれまた酷い。「小沢氏の地元、岩手県の胆沢ダムの工事の受注をめぐって、中堅ゼネコン・水谷建設(三重県)が小沢事務所に5000万円ずつ、計1億円の裏献金を渡した」なる赤旗スクープを飛ばし、これが決め手となり東京地裁が2011.9.26日、小沢氏の元秘書3人に禁固2―3年の有罪判決を出している。この時、日共は、「赤旗スクープによる裏献金の事実が有罪の決め手になりました」と自画自賛している。この勢いを借りて市田書記局長が小沢どんの国会証人喚問を要求している。

 赤旗スクープの真偽判定が未だ為されていないが、これが仮に虚報だったとすると謝罪では済むまい。赤旗スクープの執筆記者、それを大々的に喧伝した党中央の責任問題が必至であろう。ところが何食わぬ顔で今も正義ヅラして生き延びている。人を責める時には猛然と威勢が良いが、手前が弁明せねばならぬ時には知らん顔できるとは常識外の顰蹙者だろう。人に道理道徳倫理を説くのだけは今後絶対に止めて貰おうと思う。

 しかし、責任を問われるのはマスコミ、日共だけではあるまい。これまで゛の各党及び議員の発言も重大であろう。誰がどういう発言をしていたのか確認すれば面白かろうがノートしていないのでお見せする訳にはいかない。特にで云えば前原辺りの発言が面白かろう。小沢どん排撃の特務隊長としていろいろ弁じていたが、厚顔無恥の極みで今日の国会でも何食わぬ顔で事務所費の弁明を元気にしていた。空いた口が塞がらない朝日の論説士の口はどうなるのだろうか。思うだに漫画である。

 小沢どんを「強制起訴による裁判の判決確定まで党員資格停止」とする処分決定に立ち働いたのが岡田であるが、岡田の弁も聞いて見たいところである。これが同じ党の仲間にする仕打ちであり、党の代表まで務め2009政権交代の大立役者に対する小沢どんに対する報いであろうとは。普通は冷酷無情の人でなしと云う。政治の大先輩に対するかくなる礼儀を尽す岡田如きに要職を務めさせることこそ任命責任が問われるべきであろう。

 自民党の石破幹事長の弁も確認しておく。「有罪と断定できないという意味での無罪だったと思う。国会で説明責任を果たすべきだという考えは今も変わらない」云々。手前の不祥事発覚の時に、この弁を返してやろうと思うが、この手の者は捕まらないから無理かもしれない。いずれにせよこういう見識の者に政治権力を預けて良い訳がない。その愚は火を見るより明らかだろう。

 最後に確認しておく。こたびの無罪判決の原動力は、一つは小沢どんを筆頭とする議員団、秘書団の結束力と能力の賜物である。次々と検察、検察審査会の立件不能性を暴いていった。その努力と有能性は尊敬に値する。もう一つはネット世論の影響力である。ネット世論の支援と能力があってこそ、司法も奥の院に「これ以上は無理です」と進言し了承を得たのであろう。これは、政治的事件でのネット世論の初勝利かも知れない。

 世に悪貨が良貨を駆逐すると云う言がある。れんだいこはそうは思わない。良貨は悪貨を駆逐しないまでも常に戻るべき平衡に治まり基準足り得る。この言を銘しておきたい。

 2012.11.12日 れんだいこ拝

jinsei/

 

れんだいこのカンテラ時評bP072  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年11月17日(土)19時40分31秒

  「野田れ死に解散」の裏事情奇怪考
 2012.11.14日、野田首相は、自民党総裁・安倍元首相との党首討論の際、突如として11.16日の衆院解散を宣明した。この結果、「12月16日解散、12月4日公示、12月16日投開票」が決まった。討論の直後でも、輿石幹事長は「16日解散なんてできるのか? 法案が上がるのか」と周囲に語っていた。ところが一気呵成に進む。11.16日、衆議院本会議で横路衆議院議長が解散詔書を読み上げ、憲法7条に基づいて解散された。

衆院解散については、8.8日の谷垣・前自民党総裁との密談に於いて「近いうちに信を問う」の縛りはあったものの、その谷垣が自民党代表選の立候補すらできず引きずりおろされ、「政界約束」を廻って攻める自公対逃げる民主の綱引きが延々と続く中で翌年の衆参同時選挙さえ囁かれ始めていた。この雰囲気の中で野田が「12月16日解散」に踏み切った。この裏に何があったのか、あるのかを解析せずんば政治評論には成り得まい。

 思えば、2009政権交代で与党となった民主党は、初代の鳩山政権から一貫して次から次へとマニュフェストを反故にした。二代目の菅政権の頃からマニュフェストになかった消費税増税に取り組み始め、三代目の野田政権となると政治生命を懸けるとまで公言し自公民連合で法案を可決させた。その過程で政権交代の大立役者小沢どんに対するバッシングを与野党で継続し、消費税増税時に法案反対を理由として追放し、政権交代で打倒した筈の自公との連立を組むと云う反動政治に邁進している。

 各種世論調査での支持率が20%を切る状況下で、「赤字国債発行法案の今週中の成立と衆議院の一票の格差是正、定数削減を来年の通常国会までに実現させることを確約すれば、あさって16日に衆議院を解散しても良い」と述べ、野田首相の独断解散宣言となった。それまでの輿石幹事長の説得、友党の国民新党の下地幹事長の意向を無視しての衆院解散強行となった。ちなみに首相が衆議院の解散時期を国会審議の場で予告することにつき政治史上類例がない。

 この間、並走して第三極づくりが始まっていた。その第三極も本来なら小沢派が結党した国民生活第一党が当るところ徹底的に無視され、まだ国政議席を持たない大阪維新の会、東京石原新党が持て囃され、あたかも第三極であるかのようにマスコミに喧伝されつつ俄か仕立てで形成されたものである。野田の解散宣明の前日、石原新党が太陽の党として結成されている。これを見れば全てが奥の院のお膳立てで事が進められていることが判明する。

 それはともかく選挙のゴングが鳴った。ガラガラポンで、どの政党が出てくるのか予断が許されない。真の第三極である国民生活第一党のオリーブの木連合、その果てにある小沢政権誕生の道筋が作れるのか、この辺りの成り行きが興味深い。以上より、解散名を「野田の野田れ死に前、逆噴射解散」(略して「野田れ死に解散」)、選挙名を「ガラガラポンでどの政党が出てくるのか選挙」(略して「ガラポン選挙」)と命名する。選挙は現代のお祭りで、いつもそれなりに面白い。

 「野田れ死に解散」の経緯が判明してきたので確認しておく。野田首相の16日衆院解散を事前に知っていたのは岡田副総理、藤村官房長官の二名とされている。他に黒子が数名いるものと思われる。少なくとも表明前日の13日には伝えられていた。輿石幹事長には14日の党首討論直前まで伏せられていた。この経緯を確認する。

 首相が年内解散を決意したのは、11.5、6両日にラオスで開かれたアジア欧州会議(ASEM)首脳会議の直前だった。藤村官房長官が、自民党幹部に「首相がラオスで踏み込んだことを言う」と電話で伝えている。首相は5日夜の同行記者団との懇談懇でこう述べた。「特定の時期を明示した約束はないが、『近いうち』(に信を問う)と言ったことは事実だ。その責任は重く感じている」。8日夜、首相公邸での各府省政務官との会食を終えた首相は岡田を残し1時間半、話し込んでいる。「自分は、嘘が一番嫌だ。約束はきちんと果たす」。首相は岡田にこう伝えていた。

 この間急きょ環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)問題が浮上し、民主党内に反対論が高まりつつあった。11日夜、首相は公邸に輿石幹事長を招き年内解散の意向を伝えた。輿石は首を縦に振らなかった。13日、民主党常任幹事会で年内解散への反対論が相次ぎ、輿石が「常任幹事会の総意」を首相に伝えている。その夜、首相が岡田に「16日に解散する」と述べている。輿石には党首討論直前になって「16日解散」を伝えている。これが判明する経緯の概要である。

 気になることがあるので記しておく。11.10日、野田は福岡市に視察に行き、その際に福岡市内の商店街を訪れ帽子を被っている。翌11日、東京都新宿区の地域子育て支援施設「子ども総合センター」に出向き、童話「おおきなかぶ」の読み聞かせ、続いて子供たちとじゃんけん遊びに興じている。帽子はユダヤ帽を、チョキはVサインを暗示しているとも受け取れる。要するに国際秘密結社が常用するサインを発信しているように思われる。れんだいこ推理によると、野田は、11..10−11日にかけて、この二つの仕草で仰せの通り衆院解散を敢行しますとサインしていたことになる。こう読み説かないと、何のいきさつと必要があってわざわざ野田が操り出し帽子を被り、Vサインをしたのか説明できない。

 思い返すのに、衆院解散の狼煙は10.25日の石原東京都知事の辞任劇だったのではなろうか。この日、石原は都庁で緊急記者会見を開き、都知事を辞職すると表明した。新党を結成し、新党代表として次期衆院選で比例区から立候補する意向も示した。80歳の高齢にも拘わらず怪気炎を挙げたが、石原の独断決意ではなく、これを仕立てた背後勢力が居ると見なすべきだろう。すぐさま「立ちあがれ日本」が合流し、大阪維新の会との同盟化に向かった。それはあたかも11.14解散に合わせて前日の13日にきっちり「太陽の党」を立ちあげたかのようである。

 解散機密情報は輿石幹事長をはじめとする民主党内には一切伝わらず、14日の党首討論の際の安倍自民党総裁の驚きぶりからすれば安倍自民党総裁をはじめとする自民党内にも伝わらず、石原新党と自民党の別系ルート側には伝わっていたことになる。この闇をどう理解すべきだろうか。これを、れんだいこの妄想的勘ぐりと云う者は云えば良い、追って真相が露呈しよう。

 なお、背後勢力が何故に衆院解散を急いだのかについては、ブログ【2012.11.11たすけあい党声明「我々はどこに向かうべきか」】で論じている。結論的に言えることは、こうして民主党壊滅の完全犯罪が完遂されたことである。その打ったては鳩山で始まり菅に引き継がれ野田で締めくくられた。とんだ政治災難お遊び劇であった。

jinsei/



れんだいこのカンテラ時評bP073  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年11月19日(月)20時35分25秒

   2012衆院選に向けてのたすけあい党の檄

 2012衆院選をどう捉えるべきか。現段階で云えることは次のことではなかろうか。既に言及したように、こたびの衆院解散は日本政界を牛耳る奥の院に仕組まれたシナリオ通りの解散であることがはっきりしている。が、今はその詮索に費やす余裕はない。かような民主党政権のデタラメ政治を許す訳には行かず、遅かれ早かれ受けて立たねばならなかった衆院選として捉え、攻勢的に立ち向かう以外にない。

 2012衆院選は、民主党三代政権をどう総括するのかから始まるべきだろう。一番はっきりしている教訓は、「マニュフェストの信」が完全に失われたことである。マニュフェストが選挙用のコマーシャルに過ぎないと云うことがはっきりした。これによりマニュフェストの吟味、比較を真剣にする時代は終わった。マニュフェストに興じるのは意味がないと云うことになった。

 このことを突き詰めれば、「マニュフェストの信」問題と云うよりも、それを運用する人の問題だったのではなかろうか。結局は、マニュフェスト派が党中央を握らない限り画餅に帰す。これを逆から云うと、反マニュフェスト派が党中央を握ると、マニュフェストは政権を取る為のテクニカルなダマシの道具に過ぎず、マニュフェストを反故にする他方でマニュフェスト外のことに精出すと云う詐欺政治が罷り通ることになる。

 民主党政権は鳩山で始まり菅、野田と移行した。後になるほどマニュフェスト破りが酷くなった。これにより誰に政権を預けるのかこそ肝腎なのだと云うことがはっきりしたのではなかろうか。党中央問題、与党の場合にはさらに政権問題となるが、誰が代表に選ばれ、代表が誰を要職に登用するのか、これを逆に云えば本来なら坐るべきの誰が干されるのかを見極める方がより重要と云うことになろう。

 全ては権力を担う人の問題に収斂される、このことを教えられたのではなかろうか。してみれば、2012衆院選は、民主党三代政権史の教訓から次はどの党の誰に政権を預けるのが好ましいのかが問われており、それを間接的に選ぶところに意味があると云えそうである。これが民主党政権史から学ぶべき教訓だったのではなかろうか。

 ならば、とう選ぶべきか、これを愚考してみたい。2012衆院選にくつわを並べているのは15党、乱立模様である。これを構図的に分析すれば自公、民主、国民生活第一、日本維新、みんなの党、社共の6軸が考えられる。これを勢力的に詰めると自公民、国民生活第一、維新の3軸に絞られる。これを政治の質で更に詰めると自公民派と国民生活第一との路線対立構図が浮き上がる。国際金融資本のアジェンダ請負政治を公言する自公民路線と相対的自律化を目指す小沢路線の対決と云うことになる。紛れもなく戦後政治の本質的抗争史の土俵上の闘いであることが確認できる。

 自公民派と小沢派は見事なほどに原発、増税、TPPの政策課題を廻って対立している。推進するのが自公民派、拒否するのが小沢派である。どちらも愛国愛民族を標榜しているので、どちらの愛国愛民族が本物なのかが問われていることにもなる。当然のことながら両者は目指す国の形が異なる。国際金融資本と一蓮托生的に同盟関係を深めるのか、相対的自律を目指すのか、いずれが国家百年の計なのかか問われており、そこからあらゆる政策の違いが発生しているように思われる。時に官僚支配批判、地方主権等で一見一致している面があるように思われるが、精査するとその論の内実が違う。つまりことごとく対立していることになる。こう確認すべきだろう。

 以上は評論である。以下、れんだいこの指針を申し上げる。ネット上で「こりごり自民党、がっかり民主党」との評論が為されている。実に然りだと思う。これにより関心が第3極に向かっている。一言しておけば第3極は国民生活第一党であるところマスコミが完全に無視し、代わりに日本維新の会をおだてあげ第3極扱いで喧伝している。その結果、真の第3極は国民生活第一党であるのか日本維新の会なのかが問われている。

 もとより選挙結果の予想は自民圧勝、民主壊滅の卦が出ている。これは何も自民の捲土重来能力によるものではない。自民の能力は引き続き落ちており、それは先の代表選で谷垣代表が引きずりおろされた経緯でも分かる。あるいは候補者の4名全員が原発再稼働を呼号していたことでも分かる。然るに自民党が勝利するのは、民主党の党中央が「上からの反革命」によって意図的故意に民主党を解体せしめる故にである。史上、これほど公然と政権与党が解体された完全犯罪を知らない。とにかく妙な史実が刻まれた。こいうことが起り得る、現に起ったことをも教訓化すべきだろう。

 問題は、自民党の第1極化は争えない事実として、第2極の座をどの党が射止めるのかが問われていることになる。どの党がキャスチングボートを握るのかと云う興味もある。れんだいこの指針は明確である。断固として国民生活第一を選んで伸張させるべきであり、事の次第によっては小沢政権まで視野に入れねばならない。これが選択すべき針路である。日本の再生は国民生活第一を主導する小沢どんの政治能力に期待するところからしか始まらない。これはもはや論ずるまでもない自明な話しである。

 その政権はオリーブの木運動により担われ、ここに初めて人民大衆念願の民主連合政権が誕生することになる。この針路に近づけば近づくほど日本の未来が明るくなり、逆になればなるほど日本は戦前同様の泥沼のぬかるみに誘われる。この愚行を悲劇として喜劇として再び繰り返すのか阻止するのかが問われている。

 その為に為すべきこと為してはならないことを確認する必要がある。為すべきは早急なオリーブの木連合の立ち上げである。オリーブの木連合潰しとして登場している石原―橋下連合による日本維新批判で事足りてはいけない。一事万事であるが批判ばかりでは事が成就しない。批判の次には対抗運動を盛り上げねばならない。更に云えば対抗運動を盛り上げるばかりでなく成功裏に導き成就させねばならない。これが本来の政治責任シリーズと云うものである。

 ところが、いざ対抗運動の立ちあげ盛り上げになると内部分裂を誘う独善党が出て来る。為してはならない問題であるが、これにどう対応すべきか、こういう問いが突きつけられている。日本左派運動は、この経験に於いて成果を生み出さないまま今日の惨状を迎えている。原因は軍師がいないことによると思われる。2012衆院選では、この愚昧さを繰り返してはなるまい。

 実践的処方箋として、一刻も早く国民生活第一党を中核とするオリーブの木連合を形成しなければならない。野田民主党にコケにされた輿石民主党がオリーブの木連合に加われば面白いことになるが道が険しそうである。そういう意味で助さんが大地の党であり格さんが亀井新党である。これに「みどりの風」、新党日本が列なる。願うらくは社民党も席を同じくすべきである。政策的には減税日本も考えられるが好んで維新の会に向かいコケにされたのは見てきたところである。みんなの党もやや近いが、この党も好んで維新の会に向かっている。似ている政策があるだけでは同盟軍にはなれない、要するに操っている背後勢力の問題になる。

 共産党にも参加を願いたいが、この党の党中央はこたびの民主党の党中央の元祖的「上からの反革命」派である。それ故に期待すること自体が野暮と悟るべきであろう。共産党は、2009衆院選では、それまでの「我こそが真の野党論」から「建設的野党論」に転じ、これが民主党大勝利の遠因となった。その非を咎めた奥の院指令により、こたびは全選挙区擁立を目指している。この党が誰に操られているかが窺えよう。してみれば、共産党に対する正しい対応は、有権者、党員に対し共産党党中央の正体を正しく伝え、従来の共産党票を正面から取りに行くべきであろう。この方が実践的に有効であろう。

 何より重視すべき同盟軍はネット世論だろう。昔は草の根選挙市民グループと云われたものが現在ではネット世論に転じている感がある。この世論が相当の力を持っていることは先の小沢裁判無罪判決経緯でも証明された。今後の真の潜在政治力として注目されるべきだろう。このグループがオリーブの木連合の援軍となれば俗に云う鬼に金棒である。

 以上、選挙戦前の、候補も出そろわない前の2012衆院選の展望とする。ご納得、御意いただけたであろうか。

jinsei/


れんだいこのカンテラ時評bP074  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年11月21日(水)22時22分25秒

   野田系進駐軍の「公認踏み絵制」を嗤う

 各党が12.16日投開票2012衆院選に向けて猛烈ダッシュしている時、政権与党の民主党の逆走が止まらない。長野3区で、羽田元首相の引退に伴う地盤引き継ぎとして、長男にして現参院議員、国土交通相の羽田雄一郎に譲ろうとしたところ世襲禁止規定に触れるとして認めず、結局不出馬となった。後任はこれから決めると云う。世襲禁止規定を現議員にまで及ぼすとは異常と云うべき厳格化であろう。羽田元首相が小沢どんと並ぶ角栄の直弟子であることを考えると根の深い嫌がらせと云うことになる

 北海道9区では、民主党生みの親にして2009政権交替による民主党初代首相の鳩山氏が公認を貰えず引退を余儀なくされた。過去に自ら首相辞任と同時に政界引退すると公言していたこともあり却ってすっきりした面はあるが、生みの親にして元首相たる者を公認しないとは釈然としない政界引退劇ではなかろうか。こういう調子であれば今後何が起こるか分からない。野田系党中央が正気でないのは確かであろう。こちらも後任はこれから決めると云う。

 この一連のゴタゴタに何を感じるべきだろうか。れんだいこは、2009政権交代以降、小沢政権を誕生させない任務を帯びて党中央を占拠した進駐軍の「上からの反革命」が引き続き継続していると見なす。野田系党中央進駐軍は、奥の院指令に忠実に2012衆院選に於ける民主党の徹底的敗北を上から企図しており、その為に必要な権謀術数に明け暮れていると見なす。普通ではあり得ないのだが現に起っているとみなす。誰か他の理由を見いだすことができるだろうか。れんだいこ推理に基づけば全てが解け、基づかなければ解けないとしたら、この推理に従うべきではなかろうか。

 以上を前置きにして気になることを発信しておく。野田系党中央進駐軍は今、TPP(環太平洋経済連携協定)その他の諸法案を廻り、党中央方針に賛同しない人は公認しないと明言し踏み絵を迫っている。だがしかし、この「公認踏み絵」こそ一票の格差問題よりもはるかに重大な憲法違反ではなかろうか。

 「一票の格差問題」は、一票の格差を有権者数のみを指標とする憲法違反論で取りざたされているが、れんだいこの見るところ、一票の格差を有権者数のみを指標とすることの方こそが憲法違反であると考える。一票の格差は、有権者数と選挙区の面積と都道府県の産業力その他の指標から算出されねばならず、有権者数のみを指標とすれば国会議員が都市部に集中する弊害が生まれ、これこそ正真正銘の憲法違反と考える。日本司法の最高の頭脳とも言うべき最高裁が有権者数のみを指標とする一票の格差論を是認したのは日本司法の頭脳の貧弱さによると考える。

 もとへ。野田系党中央進駐軍の「公認踏み絵制」が何故に憲法違反なのか。元々は最近の事例としては小泉政権時の郵政民営化法案時の公認手法に由来するが、反対派を除名し、刺客まで送って反対派潰しに興じたのは記憶に新しいが、本来はあり得てならない。それはなぜか。要するに政党論の問題になるが、政党は個々の政策によって結集したものではなく、時代の総合的なグランドデザインの下に賛同した者によって成り立つからである。時代の総合的なグランドデザインのことを綱領と云う。この綱領こそが党の憲法であり、個々の政策までタガ嵌めするものではない。場合によっては、綱領でさえ緩めに解釈され、時代に応じて綱領の改編まで視野に入れる者をも吸収するのが政党である。つまり党内反対勢力を常時抱えながら同志的結合をするのが政党の要件である。

 このことを踏まえると、幾ら党中央が企図する重要法案とはいえ、それを公認条件にまで高めるのはヤリ過ぎな党中央権力の横暴、乱用と云うべきだろう。こういう弁えを持つ政党論、党中央論が理論的に獲得されていないことが、こたびのような野田系党中央のような子供じみた権力乱用を生んでいると考えられる。

 日本の政党史の中で、このような事例はさほど多くない。れんだいこの知る限り、日本共産党の1964年時の「部分核停条約」を廻る志賀義雄の造反が挙げられる。かの時、共産党中央は条約反対の立場に立った。党の方針に基づき4議員が反対票を投じたが、志賀が党の決定に背いて賛成し、査問を経て党所属国会議員としての権利を停止する処分に付された。療養を兼ねて中国へ渡航していた最高指導者の宮顕が急きょ帰国し、第8中総が開催され、志賀.鈴木らの反党行為が激しく攻撃され、党規約破壊.裏切り者.陰謀と罵られた挙句に除名された。共産党史では志賀問題と云われるものである。

 この事例を確認したのは次の理由からである。1964年時では、共産党内での志賀問題はいわゆる左翼の革命政党内の出来事であり、一般政党の常識では測れないと云う理由で特殊日本共産党的な党内事情として評論されたからであったと思われる。問題は、自民党の小泉政権以降、現下の民主党の野田政権に至るまでが次第にこの日本共産党的政党論、党内事情論に染まりはじめており、蔓延し始めているのではなかろうかと云うことにある。

 日本共産党は勢力的には弱小政党で取るに足りない。しかしながら、日本共産党の政治の型が及ぼしている影響力は案外と大きい、そう見なすべきではなかろうか。特に、他党の党内権力闘争に於いて、日本共産党が「左」から肩入れして重大な影響を与えている事例が多いように思われる。ロッキード事件然り、鈴木宗男逮捕事件、最近の小沢バッシングまで数えれば相当数になる。興味深いことは、ワシントンに飼いならされていない日本在地土着系の実力政治家の失墜に手を貸し大奮闘する癖がある。

 野田系党中央進駐軍が、この日本共産党的規約論、組織論に倣っているのか、直近の小泉式政治に倣っているのか、日本共産党も小泉政治も更に何か他のテキストを真似しているのかまでは分からないが、はっきりしていることは、こういう偏狭な規約論、組織論に日本政治がどんどん染まりつつあると云うことである。日本政治には、この狂気の子供じみた規約論、組織論の満展開を更に許すのか、決然と掣肘し決別するのか、こういうことが問われているのではなかろうか。これを修正するのはそれほど難しいものではない。単に大人の政治論に戻れが良いだけのことである。伝統的に培ってきた日本の知性と理性は、その程度には形成されているのではあるまいか。

jinsei/

 

れんだいこのカンテラ時評bP075  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年11月22日(木)22時04分44秒

  角栄とは何者だったのか、「角栄票はどこに流れたのか追跡調査」考

 田中角栄とは何者だったのか、どう評するべきかにつき、その左派資質と傾向について注目し言及しているのは、今のところれんだいこの独壇場の感がある。本稿は、これを補足するものである。

 付言しておけば、れんだいこは、角栄を左派的に見るのを通り越して、縄文人的叡智の霊能者の一人と見なしている。系譜的には出雲王朝の大国主の命の現代版と位置づけている。早坂秘書はスサノウの命になぞらえていたが半端である。日本古々代史の知識不足のせいで、早坂秘書の真意は大国主の命の系譜であることが云いたかったのではないかと思っている。早坂秘書が、スサノウの命になぞらえる形で縄文人的叡智の霊能者の一人として角栄を見なしていた観点が慧眼であったと思っている。

 もとへ。小林吉弥氏が著作「角栄一代」の冒頭で、「『革新政治家』だった角栄」として衝撃的な記事を掲載している。角栄の政界引退後の新潟3区の約18万の角栄票の流れを追っている。その追跡により主として社会党に流れたことを明らかにしている。

 角栄は、1985(昭和60)年、竹下らの創政会発足直後、脳梗塞で倒れ入院。言語障害や行動障害が残り、以降政治活動が不可能になった。1989(平成元)年、娘婿の直紀が次期総選挙への田中角栄の不出馬を発表した。迎えた1990(平成2).2.18日の総選挙で、事前の予想に反して社会党の新人・目黒吉之助氏が9万4107票でトップ当選した。自民党前職の渡辺秀央が7万2263票で2位、同じく自民党前職の星野行雄が6万9832票で3位、同じく自民党前職の桜井新6万6860票で4位、同じく自民党前職の村山達雄が6万4468票が5位、社会党前職の坂上富男は次点に泣いた。この結果は、角栄票が自民党よりもより多く社会党シンパシーの者達に支えられていたことを証左していると分析している。

 この分析を更に補強してみたい。史実的に見て、角栄は元々旧日農(日本農民組合)系に支えられて誕生した国会議員であり、この線が根強く保持されていた。「角栄票はどこに流れたのか追跡調査」はそのことを判明させたことになる。日農とは左派系の農民運動団体であり、戦後1947年に賀川豊彦や杉山元治郎らの指導者によって結成され、全国各地で起きていた小作争議を指導することで勢力を伸ばしていた。新潟は江戸時代から農民一揆が少なからず起きていた土地柄であったから日農運動が浸透し易い素地があり、新潟三区では戦後初の選挙から社会党系の候補が常時2名ないし3名当選していた。

 戦後の普通選挙制を見て代議士を目指すことになった角栄は、最初は進歩党から立候補し落選、次に民主党から立候補し当選したが、その政治理念は「民主政治と経済復興による国家の廃墟からの再建」であり、農地改革後の日農運動の利害ともほぼ一致していた。こういう土壌の一致によってか、戦前からの農民運動の闘士で、何度も警察に逮捕されていた経歴を持っており、当時の地元の日農運動を指導していた社会党の三宅正一代議士に目をかけられ、選挙戦のイロハから教えを受けている。以降、角栄と三宅は互いに心を許し且つ畏敬し合う関係になった。三宅が落選して以降は終生に亘って、三宅の知らぬまま生活の面倒を見ると云う美談を遺している。

 角栄の代議士生活が順調に歩を進めるに連れて、やがて日農指導者が各地に越山会を結成し核となっていった。農民運動の闘士たちは、「飯も食えない、子供を大学にも出せないという悲しい状態を解決するのが政治の先決だ」という角栄の発想に共鳴し、越山会のリーダーとなりエンジン役になっていった。日農のリーダー等は、「政治家としての筋は今ひとつ分からぬが仕事はできる」、「オイ、あの田中ってのは若いがなかなか見どころがあるぞ」、「田中は面倒を見てくれる」と角栄を評価し、以降の政治行動を一蓮托生にさせていった経過がある。

 その好例が江尻勇・氏の例である。江尻氏は、ニ田村役場に勤めていたが、戦後間もなく戦争事務を執っていたという理由で役場を辞めさせられた。日農系の社会党代議士となっていた三宅正一の応援に回ったが、1951(昭和26)年頃、角栄と話しをする機会があり、「あんたは社会党をどう考えているのか」と詰問したところ、角栄は顔を真っ赤にして、「バカな。社会主義では、これから先は通らない。先の読めるのは保守党だ」。角栄の放つオ―ラに負けたのか、これを機に江尻は社会党から離れ、以降40年に及ぶ歳月を角栄一辺倒に捧げ、地元刈羽町の越山会会長として殉じ、町長になる。平成元年10月の田中引退に合せて、30余年にわたった町長職を辞している。

 平石金次郎もその好例である。平石氏は岩塚製菓の創立者であるが、元々熱心な社会主義者であった。戦後の混乱期を社会党の応援に奔走するが、社会党議員は理念は語るが具体策を持とうとせず、そうしたスローガン一辺倒主義の空理空論に失望し、「理屈をこねるより今日喰う飯が先だ」として越山会に入った。後に越路町(現越路市)の町長を務め、目白陳情に足しげく通うことになる。

 こういう検証をもっと丹念にしたいが資料が手元にないので、これ以上は分からない。恐らくもっとたくさん出て来ると思っている。衆知のように角栄は自民党の実力者として自己形成し、早くより頭角を現し、要職を経て遂に首相の座を射止める。その間の権力闘争に於いて角栄式の資金調達と分配を余儀なくされたところを評して、政権末期の頃から金権帝王、諸悪の元凶として評され始め、やがてロッキード事件でトラ挟みに遭う。ロッキード社よりの5億円贈収賄容疑を徹底否認し公判闘争に向かうが、その政治活動を大きく殺がれ、最終的に政治能力を封殺されることになったのは衆知の通りである。それは、れんだいこが評せば、国家的に見てあたら惜しい千年に一人の傑物の政治的絞殺劇であった。

 本稿を急きょ書きたくなったのは、小沢どんの政治能力と履歴がこれにダブルからである。もとより、小沢どんを角栄と比して角栄ほどには左派的ではないにせよ、大国主の命的超能力の持主とは思えないにせよ、共通して同じような日本原人的叡智の霊能者の風情が見て取れる。東北日高見の国の血筋を引いているのも頼もしい。れんだいこが、小沢氏を、西郷隆盛を除いては被せない小沢どんと評する所以の有能者にして且つ実直さがある。何より現代政治家の中で角栄の薫陶を受けた第一人者であることが頼もしい。それ故の迫害を蒙る訳であるが、一市井人ならいざ知らず政治家なら本望と云うべきだろう。この辺りのことが分からず国を売ってまで立身出世に汲々とする政治家ばかりの今日の方がオカシイと思うだけのことである。

 本稿の締めはこうなる。角栄は無論のこと小沢どんをも諸悪の元凶として評することで左派ぶるエセ左派が今も多い。賢明な者は既に耳目を洗って角栄を再評価し、その流れで小沢どんをも高く評価しているが、未だに頑迷な左派もんが多い。手前らが日本政治史上何の有益な貢献ができなかった癖に、壊れたテープレコーダーのように角栄と小沢どんを悪しざまに云うことで左派ぶっている手合いが未だに多い。れんだいこは、こういう手合いに漬ける薬を調合中である。未だ開発できていないが、そのうち世論の流れも変わるだろうと信じている。

 もとへ。その小沢どんが身命を賭して最後の大勝負に向かっている。この時、安上がりにして下手なイデオロギーを振りまわして立ち向かうようなことはなさらないで、願わくばオリーブの木に止まってくれるよう祈る。敵は多勢ながらオールニセモノばかりである。ワシントンへのお供えを競争している感がある。これに比すれば小沢どんを代表とする国民生活第一党は少数ながら真の愛国愛民派である。手を貸すとすれば小沢オリーブ以外にはありえまい。

jinsei/


れんだいこのカンテラ時評bP076  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年11月25日(日)20時52分58秒

   来る衆院選の公明正大な投開票考

 「田中龍作ジャーナル」の2009.9.3日付けブログ「期日前投票の闇 権力は当選を操作できる」が重要な指摘をしている。それによると、戦後来なかった後進国特有の選挙不正が最近流行っている感があるとの事。その手口は、当日投票分では考えにくいので期日前投票分が怪しいとの事。

 期日前投票の投票箱は選管に保管され普通は役所の建物の中に置かれる。当然、投票箱には鍵がかけられるているが、問題はその鍵の保管である。鍵の保管がルーズであれば差し替えられる可能性があると云う。こうなると、鍵の保管を選管にのみ任せていて大丈夫なのかと云う問題が発生する。少なくとも常時監視人を置き、且つ選挙期間中、修正の効かないビデオ撮影をしておく必要があるのではなかろうか。当然、選管がこれをチェックし報告せねばならない。

 今までの日本ならこういう心配は必要なかった。政権与党がそのような選挙不正を潔しとしなかったからである。しかし今の日本は違う。何が起こるか何をされるか分からない。例えば、小泉政権時代の神奈川選挙区であったと記憶するが、投票者数より投票数の方が多かったという事例が報告されていた。勝敗には関係なかったが起ってはならないことが見逃されている。

 国政選挙とは違うが、菅と小沢の一騎打ちとなった民主党代表選で、党員票の集計が外資系の民間会社に請負され、その党員票が後で再チェックされるどころか廃棄処分されている。この問題もスル―されたままである。従来ならあり得ないアンフェアなことが最近起りつつある。こういうことを知っておく必要があろう。来る2012衆院選の12.4日公示前に、この辺りの事を打ち合わせておくべきではなかろうか。

 結論的に云えば、選管をチェックする体制を敷かねばならない、特に期日前投票箱の保菅について万全を期さねばならないと云うことである。不正が為された場合の当事者の処分、選管の責任を明確にしておかねばならないと云うことである。この問いなくして選挙に突入するのは怖いと思うのは、れんだいこだけだろうか。

jinsei/


れんだいこのカンテラ時評bP077  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年11月29日(木)11時36分50秒

   2012.11.29日付け読売社説にもの申す

 2012.11.29日付け読売社説「日本未来の党 「卒原発」には国政を託せない」を発表している。最初に読売社説を掲げ、これを下敷に本来のジャーナルを速攻で書きつけて見る。マスコミが真っ当ならこういう社説が欲しいところであろう。

 日本未来の党 「卒原発」には国政を託せない(11月29日付・読売社説)
 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20121128-OYT1T01459.htm

 国力を衰退させる「脱原発」を政治目標に掲げる政党に、日本の未来を託せるだろうか。日本未来の党が、正式に発足した。代表に就任した嘉田由紀子滋賀県知事は「卒原発プログラム」を作成し、徐々に原発を減らして10年後をめどに原発ゼロにする意向を示した。「脱増税」「脱官僚」「品格ある外交」など抽象的な言葉ばかりを掲げている。経済や社会保障、安全保障といった重要なテーマでさえまだ政策がない政党だ。

 嘉田氏が「この指止まれ」と呼びかけたように見えるが、実態は国民の生活が第一の小沢一郎代表や、民主党を離党して新党を結成した山田正彦元農相らが根回しをして、合流を決めたものだ。空疎なスローガンと、生き残りのために右往左往する前衆院議員たちの姿には、政治家の劣化を痛感せざるを得ない。嘉田氏が掲げる「卒原発」は脱原発と大差はない。それだけでは願望に過ぎず、無責任である。電力の安定供給や代替エネルギー確保、経済・雇用対策、原子力の人材育成などについて現実的な計画を明確に示すべきだ。

 結党に際して発表した「びわこ宣言」には「原発事故の潜在的リスクが最も高いのは老朽化した多数の原発が集中立地する若狭湾に近い滋賀県」とある。電力供給の恩恵を受けておきながら、原発立地自治体への配慮が不十分だ。

 滋賀県の利害のために国政に進出するとの発想も改める必要がある。嘉田氏は知事と党首との兼務が可能かどうか悩んだという。政党運営の経験がないだけに、両立には困難が伴うに違いない。小沢氏が名称にもこだわった政党をあっさり捨てても、驚くには当たるまい。党首として前面に出たくなかったのだろう。その分、未来の党の公約原案には小沢氏の従来の主張が反映されている。日本維新の会と連携できず、民主党離党組の党だけでは選挙戦で埋没する。クリーンイメージの嘉田氏を「表の顔」に担ぎ出して巻き返そうと考えたようだ。相変わらずの小沢流である。

 「決められない政治」で既存政党に対する国民の不信感が高まる中、急ごしらえの新党の離合集散が目立っている。だが、新党は、国政を担う能力に疑問符が付き、政策も大衆迎合色が濃厚だ。有権者はそのことを十分理解した上で、新党の真価を見極めることが重要である。

 以下、れんだいこ社説

 日本の未来が、国家百年の大計に鑑みての「脱原発」を政治目標に掲げ立党された。名前に相応しく日本の未来を託せるだろうか注目したい。代表に就任したのは嘉田由紀子滋賀県知事。「卒原発プログラム」を作成し、徐々に原発を減らして10年後をめどに原発ゼロにする意向を示した。他にも「脱増税」、「脱官僚」、「品格ある外交」などの指針が掲げられている。経済や社会保障、安全保障といった重要なテーマでの政策にも然るべき政策が打ち出されることを期待したい。

 嘉田氏は「この指止まれ」と呼びかけた。ここまでの経緯には国民の生活が第一の小沢一郎代表、民主党を離党して新党を結成した山田正彦元農相らの根回しがあった。早速に合流を決めている。小選挙区制を見据えて見事に対応した能力を評価したい。嘉田氏が掲げる「卒原発」は脱原発と大差はない。「卒原発」は脱原発の具体的プログラムを作るところに意味がある。電力の安定供給や代替エネルギー確保、経済・雇用対策、原子力の人材育成などについての具体的な計画を明確に示すことが望まれている。

 結党に際して発表した「びわこ宣言」には「原発事故の潜在的リスクが最も高いのは老朽化した多数の原発が集中立地する若狭湾に近い滋賀県」とある。近畿の水がめと云われるびわこの危機を考えれば、原発型電力供給からの一刻も早い転換が望まれている。原発立地自治体は徒に従来の行政に流されるのではなく早急に呼応すべきである。

 「びわこ宣言」を引っ提げて国政に進出した発想が素晴しい。嘉田氏は知事と党首との兼務が可能かどうか悩んだという。政党運営の経験がないだけに両立には困難が伴うだろうが活路を切り拓いてほしい。小沢氏は名称にもこだわった政党をあっさり捨てた。党首として前面に出ることもせず一平卒に戻った。まさに身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれである。未来の党の公約原案には小沢氏が率いた国民生活第一党の主張が反映されている。日本維新の会とは政策が違い過ぎ連携の余地がないことがはっきりした。国民生活第一党に結集した議員の全員当選に責任を持つ指導者として、クリーンイメージの嘉田氏を「表の顔」に担ぎ出して打って出た小沢流の采配が見事である。

 「日本の為にならない売国政治」を競い合う既存政党に対する国民の不信感が高まっている。こうした折、日本の自律的発展と展望を持つ政策の近い党の糾合は国民世論の要望に応えるものである。国政を担う能力を高め国民生活第一とする政策をどこまで実現できるのかが課題である。有権者の賢明な判断が期待されている。第三極は維新と未来に分岐した。新党の真価を見極めることが重要である。

jinsei/



れんだいこのカンテラ時評bP078  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月 5日(水)12時01分16秒

   第46回衆院選の構図考

 2012.12.4日、現行憲法下で23回目となる第46回衆院選が公示された。16日投開票までの12日間、全国300の小選挙区と比例代表11ブロック(180議席)の計480議席を争う。現行制度で過去最多となる12党が候補者を擁立し1504名が立候補している。これを、本選挙戦で問われているものは何か及び政党構図、選挙情勢、選挙検証に分けて分析してみたいと思う。本稿はその1、本選挙戦で問われているものは何か及び政党構図を探ることにする。

 早速だが、公示日翌朝の今朝のテレビニュースについて触れておく。NHK、朝ズバは第46回衆院選をそれなりに報道していた。ところがモーニング、特ダネは逝去した中村勘三郎とトンネル事故報道その他に終始し何と衆院選は全く無報道であった。許されることであろうか。容易に新規参加できない免許制として存在するテレビ局は半ば公共的存在であろう。このことを考える時、民放と雖も無報道は容認できない。制作スタッフ、現場責任者は始末書を要しあるいは更迭されるべきだろう。

 モーニング、特ダネが何故に第46回衆院選を報道しなかったのか。これまで大阪維新の会、東京太陽の会につき第3極の動きとして提灯報道に明け暮れ、逆に現実に第3極である生活第一党、その発展的結党である日本未来の党については批判的報道もしくは関心が高まることを恐れるかのようにスル―させて来た。この経緯を思えば、モーニング、特ダネが報道しなかった良からぬ思惑が透けて見えてくる。それを思うと余計に本総選挙の意義と意味についた語らない訳には行かない。

 本総選挙の主な政策的争点は1・原発再稼働、2・消費税増税、3・TPPである。これに関連して景気対策、公共事業振興、財政再建、社会保障、憲法改正等々諸政策が絡んでいる。各政党の政策は絵に描いたように連動している。全体的に極右翼的に対応するのが日本維新の会であり、それに準じて右翼的に対応するのが自民党、公明党、民主党、みんなの党、国民新党、改革党、その他である。これを簡略にいえば自公民連合と見なすことができる。対するに左翼的に対応するのが日本未来の党、大地党、社民党、共産党、日本新党である。

 ここで問題は、共産党が政策的には最も近いはずの未来の党の実力者・小沢どんに対して最も戦闘的な訴追派として立ち現われており、ここ4年間執拗に展開されている小沢バッシング派の先鋒的役割を果たしていることにある。大地の党の代表である鈴木宗男バッシングの仕掛け人でもあったことは衆知の通りである。社民党がこれに追随していることも衆知の通りである。。これにより、反小沢反鈴木包囲網では、自公民、維新の会、みんなの党、改革、共産、社民が連合していることになる。政策的に自公民連合と対立する部分がかく分裂させられており、これが為に極めて分かりにくい政界構図となっている。

 もとへ。本総選挙の眼目は、2009衆院選で政権与党になった民主党三代政権の信認を問うことにある。次に、衆院解散時に15党前後が乱立し公示日現在で12党に収斂している乱立の帰趨にも注目が集まる。維新の会とみんなの党の撹乱変数があるので現時点で選挙結果を予想するのはいつになく難しいが敢えて挑んでみる。但し票読みは投票直前情勢に譲り遠景から俯瞰することにする。

 民主党は、政権交代後の鳩山、菅、野田の三代政権で示した民主党政治の審判を受ける。三代政権で最も奇妙なことは、政権交代の立役者でありマニュフェスト推進派であり党内を二分する勢力を持つ小沢派を政権に寄せつけなかったことである。むしろ排除し続け、与野党連携して小沢バッシングに勤(いそ)しみ、最終的に離党せしめた。そういう片肺政権たる反小沢政治を敷いてきたところに特徴が認められる。民主党政治は、党内のマニュフェスト遂行派である小沢派を掣肘することにより、政権交代前に国民に約束したマニュフェストを次から次へと反故にしてきた。それどころかマニュフェストでは行政改革後とされていた消費税増税が菅政権時代に指針され、野田政権に至っては政治生命を懸けるとして自公民連合で法案を可決させた。これにより2009政権交代の意味と意義が海の藻屑とされてしまった。そればかりか、三代首相の言葉の軽さ、要職閣僚の資質と能力のお粗末さが次から次へと露呈しており完全に食傷されている。

 これにより「自公こりごり、民主がっかり」なるまことに的確な評が生まれている。2009総選挙では自公がお灸を据えられたが、2012総選挙では民主に大げんこつがお見舞いされることが必至である。この流れはもはや如何ともし難い。これにより、本総選挙の最大構図は、民主党壊滅により消えた議席がどこへ向かうのかに移っている。民主三代政権初代の鳩山は引退を余儀なくされ、菅は落選の危機に喘(あえ)いでいる。共に辞任前の往生際の悪さが評判を落としており同情する者はいない。現首相の野田は千葉4区での当選がおぼつかず重複立候補で当選を図ろうとしている。現役の首相が比例担保するのは2000年の森首相以来であり、前例がない訳ではないがブザマなことには変わりない。

 民主党三代首相に共通する惨(みじ)めさに象徴されるように民主党は崖淵から奈落の底へ落されようとしている。それも尋常の敗北ではなく党そのものが壊滅する自体まで予想される。通常これは党中央の責任であるが、奇妙なことに野田政権派は一向に痛痒に感じていない節が見受けられる。むしろ自公民政権を企図しており、その為の道筋として歓迎している風がある。紛れもない上からの反革命であるが党内は不思議なほどに穏やかである。そういう訳で得心しながらこぞって死の船出に出向いている。滅多と見られない集団自殺劇となるであろう。

 こうした民主の歴史的大敗北が自公を政権復活させることになる。問題は、自民が何議席まで回復するのか、公明党がじり貧傾向を止めることができるのかにある。これを読むに、自民の政権奪還は民主の自滅によりもたらされる棚から牡丹餅式の僥倖であり、自民の党的能力が再評価された訳ではないと云うことである。自民は、2009衆院選で大敗北を期した当時の公約をそのまま提げて臨んでおり、常識的にはあり得ないがあり得ている。それどころか更なる親国際金融資本、対米御用聞き路線を露骨化させている。2009衆院選大敗北を何ら教訓化していないことが分かる。

 公明は既に長らく自民と一蓮托生運動して来ており改めて功罪の審判を受けることになる。ひと頃の全員当選はおぼつかずひき続き退潮することになるだろう。これにより、この党が賢明であるなら、このところの保守化路線の総括を迫られることになろう。

 民主の喪失議席の過半が自民に流れるとしても残りは第3極に向かうことが予見される。そういう意味で第3極に注目が集まっている。現在の第3極は、生活第一、減税日本、亀井新党、みどりの風を合同せしめたオリーブの木運動派の日本未来の党である。順調に推移すれば2極になる可能性が高い。してみれば、こたびの総選挙は第1極として自公民、第2極として日本未来の党と云う新たな政界構図を生み出しそうである。これを日本未来の党から云えば、こたびの選挙は第2極を賭けた闘いであり、生き残ることで次回の政権取り戻しを視野に入れる為の党の橋頭保化の闘いであると云うことになる。そういう意味で負けられない選挙になっている。

 衆院解散以来、マスコミによる鳴り物入りで登場した第3極騒動の主役の日本維新の会はどうだろうか。大阪維新と東京太陽が合同して日本維新の会が生まれたが、公示日前に既に自公民連合より更に右翼的な親国際金融資本体質を露呈して食傷されている。口では愛国を云うが国際金融資本御用聞きの先取りを打ち出しており、単に子供じみた政権狙いだけの野合であることが露呈している。選挙戦でこのことが更にはっきりし取らぬ狸の皮算用に終わるものと思われる。

 もう一つの政党としてみんなの党が存在する。この党は当初は大阪維新の会との連合を策して失敗し、その後、未来との合同も考えられたが拒否し、結果的に単党的に小選挙区制の壁に挑むことになった。善戦するのか埋没するのか帰趨が注目される。

 共産党、社会党は相変わらずの独りよがりの正義運動に耽っている。もはや政権展望そのものを放棄しており、無用な正義弁で政治責任事足れりとしているように思える。云うからには政策を実現する責任があるとする観点が微塵もなく、政策の元祖的地位を云うことで他党との差別化を図っている。加えて、自公民体制の裏からの補完に過ぎないガス抜き的本質が認知されつつあり更に退潮を余儀なくされるであろう。その他の諸党として国民新党、新党日本、改革等があるが、衆議院からは姿を消す可能性が強い。北海道に特化して候補者を擁している大地は未来と提携しており着実に議席を伸ばすであろう。

 各党議席は、こういう按配(あんばい)が予想される。その要因をどこに求めるべきだろうか。この本筋が解明されるべきであろうが、マスコミ各社はこれを論評することなく、徒に議席予想、面白選挙区を取り上げてお茶を濁すこのところの傾向がこたびも続くであろう。既にそれぐらいの能しかないということである。以下、れんだいこが素評しておく。

 こたびの選挙戦の貧相さは二大政党の争点のなさに起因している。与党の構図で云えば、民主党の政策が自公のそれと同化してしまっており、政権交代を求めた2009衆院選と比較してみて面白みに欠け単にイス取りゲーム化している。それも民主の方から旧政権派の自公と連合して自公民政権作りに向かおうとしており、そう云う意味で何とも奇妙な構図となっている。これに反発する動きとして第3極が生み出されているが、勝ち上がるのは日本未来の党であろう。歴史の女神は弱き正しき側に微笑む習性を持つからである。マスコミはこの間、その日本未来の党を殊更スル―させ、未だ政党としての態を為していない日本維新の会を持ちあげ第3極であるかのように囃してきた。今もその傾向が続いているが、本来なら選挙後に然るべき報道責任が問われることになるであろう。甚だ簡単ではあるが以上を本選挙戦で問われているものは何か及び政党構図考とする。

 補足として、こたびの選挙戦で見えてきたもう一つの興味深い点に言及しておく。小選挙区比例代表並立制の経験則によりもたらされたものであろうが、比例保険による惜敗率による復活当選狙いが全盛化している。これがこたびの選挙の特徴である。但し各党に微妙な違いが認められるので確認しておく。

 全体に現役議員全員が比例保険を掛けている。一見合理的であるように思われるが現役優先、新人不利の新陳代謝を抑制する対応でしかなかろう。その昔は党の代表ないしは閣僚的要職の者、実力者は選挙区候補としてのみ登場し、当選に自信を示していたが様変わりしている。政権与党の民主党は、首相、閣僚始めとして全員が比例保険に加盟している。首相の比例担保は例がない訳ではないが珍しい。これに対して自民総裁の安倍、幹事長の石破、小泉青年局長ら5名が重複立候補を辞退している。自民党の比例単独候補は49人に上るのに対し民主党はわずか3人であり、民主党が現役優先に大きく傾斜していることが分かる。他にも未来の一兵卒の小沢どん、みんなの党代表の渡辺が選挙区のみ候補として落選の危険を引き受けている。

 栃木3区から立候補する渡辺みんなの党代表は次のように自負している。「重複立候補はしない。生きるか死ぬかの選挙だ。落ちれば当然、政治家を辞めるし、落選して党首もやってられない」。こういう美学に選挙民が応えるであろう。

 公明党は選挙区議員と比例区議員を分け、選挙区議員全員が背水の陣を敷いている。公明が重複を認めないのは03年以降、4回連続となる。敢えてそういう厳しさを引き受け伝統化させていることが分かる。これに対して何とも甘い対応をしているのが維新の会代表の石原と共産党の志位である。維新の会は他にも中田前横浜市長、東国原前宮崎県知事を比例ブロック単独1位にしている。これらの者は比例区専任で選挙区に出馬しない。端から御身安泰を図っている姑息さが分かる。党の要職者が選挙区からはいあがり、当選するかどうかの危険を賭けて率先垂範する美風はない。妙なところで悪知恵が一致しているが、選挙通から見ると咬ませ犬の裏の習性が透けて見えてくる。

jinsei/

 


れんだいこのカンテラ時評bP079  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月 6日(木)19時53分7秒

   日本未来の党の比例名簿提出混乱考

 12.4日、日本未来の党の選管に対する衆院比例選の候補者名簿提出が遅れ、出鼻を挫(くじ)かれると云う大失態を演じている。これは偶然か意図的故意のものなのか、残された選挙戦に微妙な影響を与えると思われるのでスッキリさせておく。選挙区名簿と比例名簿の差異が分からないが、事件は比例名簿を廻って勃発している。

 日本未来の党は、公示日前日の3日までに119人の候補者を選定していた。立候補届出には、候補者名簿と候補者本人の同意書や供託証明書などが必要で、事前に選管のチェックを受けるのが慣(なら)わしである。通常、届け出は事前審査を選管側と何度も繰り返し、当日は即受理できるようにあらかじめ書類を整える。公示日を迎えた4日の受付開始の8時半、各党は、東京・霞が関の総務省の地下2階の受付会場へ出向き名簿を提出している。比例名簿はブロックごとに提出される。ほとんどの政党が午前中に手続きを終える。立候補届出受付が締め切られるのは4日午後5時。

 ところが、日本未来の党がこの当たり前の手続きができず大混乱する。そもそも嘉田代表サイドには経験がなく、為に生活第一党グループが名簿を作成していた。それによれば 前職と参院からのくら替え組を上位で優遇し、比例単独候補の順位にも細心の配慮をした上で1〜3位の順位を付けて記載していた。この順位を廻って議論があったものと思われるが、北海道、北陸信越両ブロックは3日の時点で事前審査を終えていた。残る9ブロックでは調整が続いていて事前審査まで進まなかった模様である。総務省は、「主要政党が事前審査を終えずに公示日を迎えるのは異例」としている。

 当日の経緯は次の通りである。4日朝、北陸信越ブロックが比例名簿を持って受付会場を訪れた。審査の最中、飯田代行が中央選管に電話をかけ、「名簿を変更したい。小沢氏サイドが名簿を持って行っても嘉田代表は了承していないので受理しないでください」と伝えた。

 この背景には山口1区から出馬する飯田代行の事情が絡んでいた。原名簿では、中国ブロック内の亀井氏ら前職2名が1位で、飯田氏は3位に記載されていた。これに対し嘉田代表が反発し、重複候補は新人も含め横並びの惜敗率名簿にして平等に扱うべきだとして変更を迫った。代表派が、小沢裁定による名簿に異義を唱え、公示日当日に急きょ書き換えを迫った形である。普通、これを横槍と云い暴挙と云う。

 生活第一派は混乱を避ける為、比例名簿の書き換えに向かった。この為に提出が大幅に遅れ、あわや受付時間に間に合わない事態まで陥ることになった。この間当然、審査は中断される。北陸信越ブロックが名簿を作成し直し再提出したのが午後2時頃。その後順次提出されたが、8ブロックが修正、東北、北関東、九州の3ブロックは原名簿のまま提出した。

 一つ目のブロック名簿が受理されたのは午後3時40分頃。締め切りの午後5時を迎え未提出のブロックもあった。「受け付け会場を閉鎖します」というアナウンスが流れる中、最後の書類を持った党関係者が会場に滑り込んだ。この滑り込みが有効かどうかの協議が為される中、森ゆうこ副代表が5時45分頃駆け付け、「ちょっとお話をさせていただきたい」と調整に乗り出す。川島智太郎幹事が駆け付け審査手続きに加わる。

 書類の審査が続けられる中、東北、中国、四国ブロックの名簿が見つからないトラブルが発生した。届け出が受理できるかどうかの協議が続く中、名簿が見つかった。締め切り後に持ち込まれたとの疑惑に対し、総務省幹部が「受付テーブルの束から出てきた」と説明し一件落着させている。書類の記載漏れなどの審査を終え全てが受理されたのは締切5時間30分後の午後10時半。マスメディアの一覧に掲示されたのは午後11時を回ってからとなった。

 総務省によると、4日午前8時半から始まった衆院比例選の立候補届け出受け付けで、日本未来の党が全ブロックで、自民党は四国ブロック、日本維新の会は東北ブロックで届け出が遅れたと云う。自民党は名簿の差し替えを検討しており、維新の会は立候補予定者が出馬を取りやめたため調整に手間取った。

 この混乱に対し、嘉田代表は、「混乱をもたらしたことは、私の党首と しての調整不足。おわび申し上げたい。できるだけ多くの方の声を受け止めようと事前審査も不十分のままで動き出さざるをえなかっ た。私の責任だ」と陳謝した。飯田代表代行は、5日、山口氏の街頭演説で、「小沢さんのかいらいではなく私と嘉田さんでしっかりリーダーシップを取ってやろうとした証しだ」と述べている。代表サイドは、「8ブロックでひっくり返したのだから、第一ラウンドは小沢氏を押えこんだ」と述べている。生活第一サイドからは早くも、「飯田氏は自分のことしか考えていない」などと不快感を示している。

 この事件をどう評するべきだろうか。マスコミは「国民生活第一派と嘉田派の主導権争い」と評している。仮に主導権争いだとして、党の活力を生むようなものであれば歓迎だが、こたびの介入は単に迷惑至極な子供の横槍ではなかろうか。不満があるなら事前に調整すれば良いものを公示日当日に選管に電話を入れて受付差止めするなどは非常識とみなすべきではなかろうか。書き換えが間に合わず受付時刻を過ぎた場合、代表と代表代行はどう責任をとるつもりだったのだろうか。辛うじて受けつけられたが、思えば冷や汗もののドタバタ劇だったことになる。

 これについて、日本未来の党は、選挙後に厳しく総括し、代表権限を厳しく定めるべきだろう。これができなければ、維新の会の石原、橋下と何ら変わらないチャンバラ政治遊びの類に堕することになろう。先が思いやられる。

 嘉田―飯田体制にはもう一つの重大責任がある。ホームページ上、選挙区の議員名簿はブロック別に表示されているが単独比例候補の名簿が未記載である。前代未聞の不祥事である。公選法によるインターネット規制が厳しいが、これができない訳がない。仮に難しい問題があるとすれば選管に頭下げてでも了承を取り付け単独比例候補をサイトアップせねばなるまい。その他数え上げれば既に数々の問題がある。れんだいこが指針する待遇の仕方は功績第一で祀り上げ、実権を小沢派と亀井派のタッグで握ることであろう。例によってマスコミが批判するだろうが、エエイかまやしない、知愚愚頓の類の評論として真一文字に政策第一に向かうべきだろう。

jinsei/

 

れんだいこのカンテラ時評bP080  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月 8日(土)20時15分30秒

   第46回衆院選の選挙情勢考

 「第46回衆院選の構図考」を受けて、本稿では選挙情勢を解析する。選挙運動も後一週間になった。げんこつを振り下ろす先は民主。ここまでは決まっている。その先を間違ってはいけないのに早くも「「自民、驚愕の293議席獲得」なる」卦が出ている。こうなると元の黙阿弥に戻ったことになる。振り下ろしたげんこつを開いてエールの手を振らねばならない。その先はマスコミの云うが如くの維新なのか。みんななのか。未来ではないのか。これを論ずる。

 2012衆院選は、小選挙区300の殆どの区で主要6党が争っている。主要6党とは、議席数順に民主、自民、未来、公明、維新、みんなを云う。立候補者数では共産党も入るが当選見込みのない出ただけ候補なので加えない。2012衆院選は2009衆院選の政権取り対決に比して大きく様変わりしており、政権取った民主側からの政権返しとなっている。野田と云うのはそういう役割で首相の座に送りこまれた奥の院エージェントと思えば良い。民主党の相当数が飼われていると見て良い。通りでよく国内では財源がないと云う舌の根の乾かないうちに国際絡みにお供えする訳だ。

 予想として自民280、民主55、未来50、維新30、みんな15、公明24のそれぞれ前後と推定される。これは序盤情勢であり終盤には幾分変動があろう。

 自民は、2009衆院選の大敗北に対して捲土重来した。棚から牡丹餅式のヤラセ勝利にせよ結果が見事である。元職も新人も相当数が恩恵に浴している。他方、大敗北を期した民主には立ち直す意志も能力もない。恐らくこのまま消失していくことになるだろう。野田派はお役目ご苦労さんでなでなでしてもらうのか用済みにされるのかは分からない。

 踏ん張った未来は次期総選挙の足がかりを作り、次期の飛躍を期すであろう。維新は反小沢、未来潰しの役目を終え自民に先祖返りするだろう。みんなはかっての民社党のような役目を果たしていくことになるだろう。共産、社民は現党中央体制が続く限り歴史博物館入りして行くことになるだろう。大地は地域政党として生き残り、新党日本、新党改革はなくなるだろう。政局の溜まり場として無所属数名と云う構図になろう。

 政党連合を検証するのに、小選挙区制の特徴を科学的に分析し、自民と公明がうまく提携している。その他の政党は中選挙区時代と何ら変わらない相変わらずの子供の対応に終始しており、選挙協力どころか激しく鎬(しのぎ)を削っている。強い方が結束し、弱い方が分裂して勝てる試しはないのに、そうなっているからには、そう為すような奥の院の糸の操りがあるからだろう。かくて自公の勝利が約束されている。

 小選挙区制の意味をリアリズム的に認識し逸早くオリーブの木連合を呼び掛けていたのが小沢どんであったが、オリーブの木連合の産みの親であるイタリア共産党と最も近い政党である日本共産党が鼻であしらい、そのオリーブの木連合に対抗的に生み出された日本維新の会がマスコミに持て囃されると云う按配で、これでは勝てない。今後は自公民連合になるであろうから余計に勝てない。そういうことがはっきりしたのが2012総選挙であり意義であろう。

 この構図はもはや覆せないと云う意味で勝負の帰趨ははっきりした。ならばせめて一太刀と云うのが人情だろう。そこで、こたび投票要領を記す。誰に入れて良いか分からないと云う泣き言を云う人の為に提供する。
 1、必ず投票に行く。投票に行かずに開票速報見ても面白くない。やはり一票の投票一揆してから開票速報見るべし。
 2、期日前投票は票の入れ替え等の不正が考えられるので、極力投票日の投票にする。
 3、選挙区が自民党、共産党の場合。どちらの党に入れるも良し、あるいは任意の尊敬する政治家を記すのも良し。
 4、選挙区が自民党、民主党、共産党の場合。民主党候補者が小沢どんに近い履歴を持つ場合、彼に投票する。他は前項同様とする。
 5、選挙区が自民党、民主党、第3極、共産党の場合。未来の党の候補者が居る場合には一も二もなく投票する。

 いない場合には、生活第一党から見て近い候補に投票する。あるいは反自公民体制側の当選見込みある者に投票する。維新対みらいの場合、みらいに投票する。
 6、極力死に票にならないよう状況判断する。
 7、比例区は、無条件に未来の党に投票する。

 有権者が上記のれんだいこ式投票要領を守ってくれれば、マスコミの事前予想を覆す痛快な投票一揆ができる。これが、世界的に稀な従順なる資質を持つ日本国民の平和革命の道である。残念ながらこたびは政権取りではない。

 これが、福島原発被災民が現に泣いている傍で原発再稼働を唱えて恥じないこの国の為政者を懲らしめる方法である。原発なければ電力が供給できない論に対しては、原発事故直後に脱原発を決めていれば今頃はエコエネによる供給体制ないしは見込みが立っている筈、手をこまねいていて何を云うか、眠い眠い帰れこの外道め、この原発賊めがと云い返してやれば良い。他の書き方もあったが、こういう論になった。日本列島津々浦々に、この声が届くよう念じる。

 2012.12.08日 れんだいこ拝

jinsei/

 





(私論.私見)