カンテラ時評20(571〜600)

 (最新見直し2007.7.12日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 2007.3.24日 れんだいこ拝


Re::れんだいこのカンテラ時評571 れんだいこ 2009/05/16 23:29
 【鳩山民主党時代を迎えて、たすけあい党の展望】

 2009.5.16日、民主党は、小沢一郎前代表の辞任に伴う党代表選を東京都内のホテルで行い、党所属国会議員(221人、欠席1人)による投票の結果、前幹事長の鳩山由紀夫氏(62)が124票、副代表の岡田克也氏(55)95票となり、鳩山氏が29票差で新代表に選出された。鳩山氏の代表就任は旧民主党時代も含め3度目。任期は小沢氏の任期が切れる10年9月までとなる。

 鳩山氏は記者会見で、小沢、岡田両氏の処遇について「できるだけしっかりしたポストに就いてもらい、執行部の一員として入っていただきたい」と述べた。人事は、国会や衆院選への対応を理由に小規模にとどめ、週明けの18日までに決める考えを示した。

 以上は史実確認である。以下、この間の経緯について覚えたれんだいこの不快をコメントしておく。れんだいこはさほどテレビを見ない。時に見た時のマスコミの論調に妙な癖があることに気づいている。それは、各党及びマスコミの論調が、かってのほどには露骨には云えなくなっているが、小沢批判を角栄批判のセンテンスで執拗に繰り返していることである。やれ金権だの古い自民党の象徴だのと頻りに説教している。共産党の物言いが典型的である。各党も大同小異で、それを自民党がやるとさまにならないのに、あたかも他党のことだったかのように真似て物言いしている。

 れんだいこには非常に不快である。云うように角栄批判をして角栄的なるものを一掃した結果の日本はどうなったんだ。代わりに中曽根的なるもの、小泉的なるものをのさばらせたが、その結果日本はどうなったんだ。人民大衆は今やはっきりと実感しつつある。かっての角栄的なるものの時代が恋しいと。中曽根的なるもの、小泉的なるものをこれ以上進めると日本はどうなるのだと不安を増幅しつつある。手前達こそが既に古い話法と体質を恥ずかしげもなく晒しているのではないのか。と云っても聞く気のない者には通じまい。

 このご時勢で、共産党が相変わらずの角栄批判を踏襲した小沢批判をするものだから、共産党の人気はさっぱり振るわず、ますます用済みにされつつある。今や、角栄的なるものの真実はどうだったのだと再検証せねばならない時代である。れんだいこ的には、金権も含めて角栄政治には近現代的合理性が備わっており、称揚されることはあっても批判される覚えはないと確信している。

 この観点の共認に向かうことが今や切に望まれている。既成党派は過去の言説の手前、軌道修正できない。彼らには自己批判と云う作法がない。如何に言いつくろい責任逃れするかの詭弁マルチ舌しかない。そうである以上、角栄的なるものの再評価に向かう党派の登場こそが時代の要請であり理に適っている。れんだいこの見るところ、国民新党が一番近い位置にいるように見える。よって、この党は伸び続けることになるだろう。目下頼もしい一番政党である。小沢を代表の地位から降ろした民主党の活力は恐らくこれから落ちる。政権交代一直線に進む限りに於いて伸び、妥協を繰り返すに応じて幻滅されることになるだろう。

 これから鳩山のヌエ政治を見せ付けられることになる。そうさせない為に左バネからの圧力をかけ続ける必要がある。しかし恐らく次第に右旋回の本性を表わして行くことになるだろう。この推理を踏まえて、何を為すべきかが問われていると思う。社共は全く当てにならない。既に脳死状態であり、他党の批判はできても、自党の自浄ができない。期待するだけ野暮であり既に犯罪的と云うべきだろう。新新左翼の登場こそが望まれていると確信する。これを、鳩山民主党の餞(はなむけ)にしておく。

 2009.5.16日 たすけあい党党首れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評571 れんだいこ 2009/05/17 12:58
 【日共の説明責任運動に対し、逆に説明を求める】

小沢に執拗に説明責任を求める日共に対して、れんだいこが説明責任を求める。以下の事項につき説明せよ。

 1、ロッキード事件の際に、元首相田中角栄が容疑者段階であるにも拘らず刑事被告人として告発し続け、政界訴追運動を狂気の如く繰り広げていったことに関して、今でも正しかったと弁明するのか。角栄本人は死ぬまでロッキード社からの5億円献金を否認し続け公判闘争に挑んだが、未だに真相が明らかでないこの事件に対し、5億円授受間違いなしと判断した根拠を明らかにせよ。れんだいこは、この方にこそ政治責任があると考えるが如何に。

 2、日共は、1960年後半から70年代初頭に於いて「70年代の遅くない時期に民主連合政府の樹立」を訴え、この時機を過ぎるや「21世紀の早い時期に民主連合政府の樹立」を打ち出し、21世紀初頭の今日有耶無耶にしているが、指針変更につきとして公党としての政治責任はないのか説明せよ。変わりに「ホンモノ野党論」を主張し始めているが、余りに便宜が過ぎやしないか説明せよ。

 3、日共は、1969年暮れから70年初頭に於いて創価学会−公明党の出版妨害事件を採り上げたが、党内に於ける党員の出版妨害については許されるとする根拠と正義を説明せよ。れんだいこの知る限り、大きな事件として「1959年の『現代の理論』廃刊事件」、「1984年の『原水協で何がおこったか、吉田嘉清が語る』出版妨害事件」の二例が認められる。これを説明せよ。

 4、日共は、党最高幹部の一人として長年君臨してきた野坂を、1992(平成4)年になってスターリニズム時代の同志売り責任を問い除名処分としたが、在野の研究により動かぬ証拠を突きつけられ止む無く応じたものであった。野坂は1955年の六全協以降、党内反対派の粛清に活躍してきたが、こちらの履歴には問題がないのか整合的に説明せよ。こういう場合、野坂の構造改革派批判、志賀派批判、親中派批判活動の履歴まで検証されるのが普通だと思うが、これをしないで済まし得る論理を説明せよ。

 5、これがトリになるが、野坂以上の実権で長年党中央に君臨してきた宮顕の戦前のリンチ事件につき、多くの詐術が認められるが、宮顕弁明を唯一の真実とする根拠を説明せよ。死亡したのは5名しか居ない党最高幹部の宮顕より古株の小畑中央委員であたが、スパイ容疑のまま今日まで至っている。小畑がスパイでなかったとしたら冤罪の汚名を着せられたまま今日に至っていることになる。小畑がスパイであったこと、小畑の死因が持病による急性心臓麻痺であったとすることにつき、根拠を説明せよ。

 仮に宮顕がリンチ事件につき犯罪を糊塗したまま党中央に君臨し続けていたとしたら、更にそういう人物が参議院議員として国会活動していたとしたら只では済まされない。これにつき日共には充分過ぎる政治責任があると思うが説明せよ。

 日共に質したいことは他にもやまほどあるが、これぐらいにする。れんだいこがなぜ、これらを問うのか。日共が余りにも己に優しく他には針小棒大化せしめてまで政治責任と説明を追及する姿勢が容認できないからである。警察検察になり代わって摘発運動する不正なる正義が容認できないからである。党外には民主主義擁護者然としてふるまい、党内には治安維持法まがいの監視体制を敷いている詭弁が許せないからである。こういう手合いが戦前来のそれなりの社会的正義活動履歴を持つ共産党を後継し続けることにより、共産党の名誉と信用を毀損し続けている事が許せないからである。

 誰が、これを日共党中央に届け、見解を引き出してみてくれ。

 2009.5.17日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評572 れんだいこ 2009/05/17 20:24
 【鳩山民主党を評する観点考】

 鳩山民主党の幕開けに対しての若干の見解の差を確認しておく。植草一秀氏の2009.5.16日付け「知られざる真実」は、「民主党の見識を示す鳩山由紀夫新代表選出」と題して次のように述べている。

 「鳩山氏が民主党の次期代表に選出されたことは、民主党国会議員の高い見識を示している」、「民主党は、卑劣な政治謀略により、政党活動が破壊される重大な危機に直面したが、見識ある民主党議員の力により、最大の危機を切り抜けることに成功した」、「民主党が鳩山氏を次期代表に選出したことで、『悪徳ペンタゴン』の企(たくら)みは、とりあえず挫折した。しかし、既得権益構造を死守しようとする『悪徳ペンタゴン』は、今後も『御用メディア』を総動員して、鳩山新体制を激しく攻撃し続けると予想される」、「新生鳩山民主党が『悪徳ペンタゴン』の卑劣で激しい攻撃に耐え抜いて、政権交代を実現し、日本の新しい歴史を切り開く礎(いしずえ)が強固に打ち立てられたことを心から祝福したい」。

 れんだいこが思うに、上草氏の立論は、岡田民主党よりも「よりまし」とする観点からの鳩山民主党の誕生祝福論であるように思われる。れんだいこは少し違う。民主党内に於ける鳩山、岡田、前原は同系の右派勢力であり、鳩山が岡田、前原の露骨な右派路線に比してやや中道寄りという差でしかない。れんだいこは、岡田民主党よりも「よりまし」には同意するけれども、鳩山民主党に対する期待値は低い。むしろ、政治がゲーム化することを憂いている。

 天木直人氏は、5.17日付のブログで「鳩山山由紀夫首相の誕生と自公政権の終焉」と題して次のように述べている。

 「私は鳩山由紀夫を見直した。というより鳩山由紀夫は今度の騒動を通じて大きく生まれ変わったのだ。小沢事件という試練が鳩山を鍛えたのだ。その試練を見事に乗り切った鳩山由紀夫が、もはや追随を許さない日本を代表する政治家になったのだ。岡田代表はもとより小沢代表を凌いだのだ。願わくば、このまま鳩山代表には、慎重かつ大胆な対応を続けてもらいたい。確実に政権を奪取してもらいたい」、「鳩山首相の誕生、自公政権の終焉、と私が断じる理由がそこにある。もはや私が政権交代を叫ぶ必要はなくなった。鳩山民主党政権ができた暁には、今度は、私は鳩山民主党政権の政策を厳しく監視していくことになる」。

 こちらも手放しの礼賛をしており、果たして甘過ぎるのではないかと憂う。なるほど鳩山民主党は政権取りに向かうだろう、それは間違いない。問題は、その質にある。自公との妥協に次ぐ妥協により、自公政権との政策の中身が殆ど変わらないような形での政権取りには何の意味もないどころか却って危険なのではあるまいか。少なくとも、小沢政治的質に認められる反タカ派、反ネオシオニズム的防波堤を保持すべきなのだが、鳩山−岡田ー−前原グループの台頭により、小沢ラインが突き崩される恐れが強いのではなかろうか。

 マスコミは頻りに小沢タカ派説、角栄金丸式金権説を唱え、小沢の下での政権取阻止の論陣を張り続けてきた。鳩山民主党になるや、小沢の影響力を殺ぐことに狙いを定めて論調を合わせている。一体誰がこれを仕切って演出しているかということになるが、現代世界を牛耳る国際金融資本ネオシオニズム勢力以外にはあるまい。検察が宝刀を抜いて、小沢秘書逮捕、長期拘留し続けているのも、その筋の指示以外には考えられない。なぜなら、検察が捜査するべきは、あの時点に於いてはかんぽ施設の不正払い下げの方だったのだから。そちらに向かわず無理矢理に小沢秘書逮捕に向かった事自体が臭過ぎよう。

 こういう観点は、ロッキード事件をつぶさに検証しているれんだいこならでは獲得し得るものかも知れない。日本政治は底流で今も、ネオシオニズムにすりよる者には権力の褒美を、靡かない者には容赦のない弾圧を見舞い続けている。小沢失脚も、軍事予算の削減とも取れる指針を打ち出して以降、発動された気配がある。鳩山民主党が、これに立ち向かうような政治能力が有るようには思えない。むしろ、建前はそう口上しても実際にやることは巧妙な御用聞きの可能性が強い。

 この辺りをしっかりウォッチしないと有益な政治評論にはなるまい。自公礼賛、ネオシオニズム御用聞き売言の評論家ばかりの中で、上草、天木氏は自前の分析力でコメントを発信し続けている貴重な言論士であることは認める。しかし、鳩山民主党万歳論で染まるような論評はいただけない。どちらの言が正確か、それはこの後の動きで追って判明しよう。

 今我々が向かうべきは、民主党の政権取りを支援する事、民主党の自公との馴れ合い即ちネオシオニズムの御用聞き政治に向かわせない事、それを牽制する新たな政治勢力を組織する事、社共の空気抜き駄弁を許さず政治責任政党を立ち上げる事ではあるまいか。事態は却って一刻も猶予ならないと見立てるべきであると思う。

 2009.5.17日 れんだいこは拝

Re::れんだいこのカンテラ時評573 れんだいこ 2009/05/19 21:04
 【稀代の異能思想家・太田龍逝去追悼】

 ネット情報によると、稀代の異能思想家・太田龍(おおた・りゅう、本名・栗原登一)氏が2009.5.19日午前5時30分、腹膜炎のため東京都豊島区の病院で死去した(享年78歳)。れんだいこは、一瞬眼を疑った。エッエエェッと奇声を発した。まだまだ健在と思っていたが、急逝してしまった。

 2年ほど前の過日、れんだいこは、太田龍・氏とはどういう人物かとの衝動が止まらず、講演会に出向いた。二次会で挨拶し、それなりに会話を堪能させて貰った。一度きりとなってしまった。惜しいことをした。もっとお会いしていろいろ聞き出しておけば良かった。いつものことながら後で悔やむ。

 太田氏の印象は、れんだいこの期待を裏切らなかった。氏の経歴からすれば窺えるところの闘士という風情ではなく物静かで、ならば大学教授風であったかというと大学教授が阿呆に見えて来るような透徹した知性を漂わせていた。なるほどさもありなんと思った。歴史上の軍師ならこういう雰囲気かもしれないとも思った。推定するに、稀代の異能思想家だったのではあるまいか。

 履歴を素描しておく。概論は「太田龍・氏のネオ・シオニズム研究」に記す。(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/neoshionizumuco/ootaryuco.htm)最新版は (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/ootaryunokenkyuco/ootaryunokenkyuco.htm)

 1930(昭和5)年、樺太豊原町で誕生する。父方は千葉県印旛郡物井村(現在の四街道市)に代々続いた漢方医の家系。1945.10月、青年共産同盟(のちの民主青年同盟)に加盟。1947年、日本共産党に入党。1953年、離党。第四インターナショナル日本支部のための活動を始める。

 1957年、内田兄弟、黒田寛一らと共にトロツキズム系の日本革命的共産主義者同盟を結成。第四インターナショナル日本支部委員長を務める。1958年、いわゆる「革共同第一次分裂」で離党。その後「トロツキスト同志会」(トロ同)を結成。後に「国際主義共産党」(ICP)に発展解消する。追って離党する。

 1963年、ICPグループにに再び「指導者」として迎え入れられる。1964年、西京司、酒井与七らの革共同関西派と合同し第四インターを結成する。1967年、離党、第四インターBL(ボルシェビキ・レーニン)派、その大衆組織である武装蜂起準備委員会-プロレタリア軍団を結成する。

 この頃より次第にマルクス主義そのものとの決別を開始する。1970年頃、脱党。同党から死刑宣告される。竹中労、平岡正明らと3バカゲバリスタと呼ばれる仲になり「世界革命浪人」と自称する。1972年、アイヌ革命論者となり、アイヌ解放闘争へと向かう。1986年、第14回参議院選挙で、日本みどりの連合公認で比例区から出馬するが落選。1990年、第39回総選挙には地球維新党を率いて東京1区から立候補するも落選。1993年、第40回総選挙で雑民党(代表・東郷健)公認で本名の栗原登一の名で東京5区から立候補するも落選。以降は選挙に出なくなる。

 その後、歴史学の立場からのユダヤ主義批判論者になり、その第一人者として理論活動に向かう。自然食運動、家畜制度全廃を主張し始める。その後、週刊日本新聞編輯主幹として時事評論、外国文献の紹介出版、執筆活動をこなす。その他多数のエコロジー系の学会を主宰する。この間、精力的に講演を企画し弁士として活躍する。

 こういう履歴を持つ太田龍のどこが異能なのか。れんだいこが読み解くと、日本マルクス主義運動から始発してトロツキズムに転じ、やがてトロツキズムとも決別し、アイヌ解放運動から更に転じて最後にネオシオニズム批判へ至るという稀代の思想遍歴性にある。マルクス主義用語で云えば、自己否定に否定を更に重ね続けた希有な人物性にある。

 太田龍が辿り着いた歴史観の高みを今後誰が継承するのだろうか。太田龍を措いては不可能なほどに孤高の思想と眼力を備えていた。それを思うと暗然とせざるを得ない。似たようなことを説く者が居るが、ぶれており太田龍ほどには締まらない。それは恐らく透徹した歴史観との差であろう。

 あぁ惜しい。今更ながら悔やむ。しかしながら78歳とならば致し方あるまい。よってもう悔やまない。我々が太田龍・氏によって敷かれた道を違うことなく耕して行く以外あるまい。微力ながら、れんだいこも後追いしようと思う。龍氏よ冥福せよ、合唱。

 2009.5.19日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評574 れんだいこ 2009/05/26 20:57
 【政治処方医学界創設のお知らせ】

 2009.5.19日、稀代の異能思想家・太田龍・氏が逝去した。れんだいこは丁度この頃より長患いがあり今も微熱が続いているが、寝床での寒気の中で政治処方医学界の着想を閃かせた。太田龍氏の逝去とは一見何の脈絡もなかったが、元気が回復するに応じて、ふさわしい弔い方だと思った。太田龍氏のめぐるめく思想遍歴は、「代々続いた漢方医の家系」という頭脳が為せる技であったと思えるからである。

 医業は、病体を検診し、病巣を探り、適した処方を生むことでもって一仕事とする。問われ責められるかは別にして常に結果責任を負っている。太田龍氏の思想遍歴は、この結果責任を常に引き受けるところから始まる苦闘の履歴であり、積み木崩しのような否定の否定の長旅であった。最後に確立したのは、ネオシオニズムの世界席捲という病魔に対する思想闘争史観であった。この地平に辿り着くことにより遂に階級闘争史観を相対化し得た。あちこちで幾つかの脱線もしているが、これが氏の史観を貫ぬく紅い縦の線である。

 れんだいこはこの観点を引継ぎ、これをベースにしながら、その長所をより広く発展応用せしめようと思う。その為に、日頃より政治における結果責任を問い、処方箋まで導き出す鍛錬の場を創ろうと思う。そういう学界の必要を感じた。これを、たすけあい党の外郭団体とする。党員諸友に諮っていないが承諾願う。学会誌も発行したいが、これは誰かからの手のさしのべを期待する。

 既成の政治学は翻訳学、文献学、解釈学、御用学、批判学の域内に止まっている。学問に問われているのは本来、処方学であり、それゆえの実用学でなければ不十分というべきではなかろうか。即ち学問のエートスは実務に通用する処方の呈示にこそある。しかして実務は現状追認から始まるものでもない。

 時に机上の処方箋が間違うこともあるゆえ、あるいは甲論、乙論、丙論の議論百出により判断に迷うこともあるのが常であるゆえ、選択した施策の効用につき不断普段に結果検証し、より適合的な処方箋へと改め続けて行かなければならない。学問をかく位置づけ、かく参画させるのが本来のものであり、今日び流行の御用学、批判学なぞは食わせ物でしかない。それは腐敗であり、この腐敗には権威とか名誉とか蔵金が似合う。それは、広き道であるが、よそ道というべきではなかろうか。

 というようなことから、政治処方医学界を着想した。かく述べたような精神と手法により学会が運用されることにより、これまでの政治学が格段とレベルアップすることは間違いない。問題は、我々の側に、こういう脳筋が備わっているかどうかであろう。時の政府の施策を一律に賛辞し抜いたり、万年批判し抜いて正義顔得意然とする者には近寄り難い学界となろうが、学問が学問となる水準に立つ為には、当局との緊張、批判における責任という八方対峙の地平に立たないと態を為さないだろうと思う。

 今のところ思いついただけなので、これ以上のメッセージを持っていない。しかし、構えとしては、これで十分だろうと思う。具体的な方策はこれから考える。とはいえ、言を自ら違えることになろうから次のことを約束しておく。れんだいこの今後の時事評論は極力処方箋レベルのものへと持ち上げる。医業における検診段階、探査段階にあっては診断を正しくし、それはやがて一級的な見立てに絞込み、処方箋呈示へと繋げるものとする。処方箋に間違いがあった場合の責任は明朗に自己批判する。その繰り返しとなる。言論に自由がある限りかく闘う。任に堪えられなくなった場合には下野する。

 或る期間、これを実践しておれば次第に御意の士が列を為すとしたものだろう。そうならなかったとしても、れんだいこのせいではなかろう。れんだいこはかく自負する。という訳で、新たに政治処方医学界が出航する。

 2009.5.26日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評575 れんだいこ 2009/05/27 20:13
 【れんだいこ書評「攘夷と皇国−幕末維新のネジレと明治国家の闇」】

 2009.5.10日、備仲(びんなか)臣道氏と礫川(こいしかわ)全次氏の対談「攘夷と皇国−幕末維新のネジレと明治国家の闇」(批評社)が発刊された。れんだいこは新聞広告で知り、内容に対する興味以前に幕末維新という表記に注目した。幕末維新という概念がいつごろより使われだしたのか知らない。かなり珍しい使い方であり、れんだいこも既に「幕末維新(回天運動)の研究」名のサイトを設けている。幕末維新をどういう意味で使っているのだろうと興味を覚え、取り寄せ読了した。

 内容は、備仲(びんなか)氏と礫川(こいしかわ)氏の掛け合い対談形式で、幕末維新から明治維新の過程の様々な事件を通史として読み込んだものとなっており、明治維新が幕末維新の流れをネジレさせているという観点の披瀝を競っているところに特徴がある。これを論証する為に様々な資料を小出ししている。れんだいこには、この貴重情報が有難かった。著者に謝す。これを使って、当サイトも改良式に書き換えて行きたいと思う。

 圧巻は、司馬遼太郎史観を撫で斬りにしているところだろう。司馬史観は、戦前的な皇国史観、戦後的なマルクス主義史観、ネオシオニズム史観とも一味違う独自性で在野的にファンが多いところのものであるが、その総合するところの耽美的な司馬式明治維新論に対して、司馬をも汚染させている通俗性を暴き出し切り捨てている。司馬史観に欠けているところの「幕末維新のネジレと明治国家の闇」を切開せんと企図している。

 れんだいこは、この限りにおいて御意としたい。何より、歴史学に幕末維新という概念を堂々と持ち込んでいるところを好評したい。但し、全体的には未だ著者双方の独眼流的な史論には同意できる部分とできない部分が混在しており、賛辞するには遠い。なぜなら、太田龍史観的なネオシオニズム侵略論を全く持っていないからである。避けては通れないとすべきところの孝明天皇暗殺説、明治天皇すり替え説に対する見解が呈示されていないからである。その点が立論を色あせたものにしていると感じた。全く不言及なので、避けているのか、愚説として退けているのか、今後展開するのか、その辺りも分からない。

 それはともかく、幕末維新という流れを措定し、これを明治維新と判然と識別させ、明治維新が幕末維新の流れをネジレさせているという見方には全く同感である。問題は、どうネジレさせているかというより実質的な見立てにこそあるが、一度通読した限りでは呑み込めない。あるいはひょっとして、幕末維新の流れをネジレさせた明治維新という観点の打ち出しこそが十分な値打ちとしているのかも知れない。紙数の関係があったのかも知れない。

 既に述べたが、れんだいこは、これを御意とする。坂本竜馬論、江藤新平論、西郷隆盛論、その他いろんな人士が俎上に乗せられているが、どう切ったのか、読み進めているうちは良かったものの、読了してみてさてどう見立てているのかはっきりしない。これは対談形式の為せる双方が相手側に下駄を預ける技によるのだろうか。

 そう云えば、朝鮮史から見た近代日本史という観点からの独眼流的なものがしばしば語られていた。これも本書の値打ちのひとつであろう。日本史側からは征韓論を廻る様々な喧騒で口角泡を飛ばす箇所が重要視されるが、朝鮮史から見れば甲論乙論丙論その他もなべて朝鮮侵略の悪巧みの変化バージョンに過ぎないとする見立ては確かに新鮮ではある。幕末の相楽総三らの赤報隊使い捨て論も同様である。

 しかしいかんせん、総評としては、浮き上がってくる論旨が今ひとつ見えてこない。これは、様々な事件、事象、人物に言及し過ぎたせいだろうか。両著者の博識ぶりは、れんだいこが残りの人生を投じたとしても追いつけないほどの深い広いものである。その点においては敬服を惜しまない。各種貴重資料の開示も含めて、歴史好きが読みたくなる書であることは間違いない。書評に足りる書であることは請合う。

 が、多くの情報知識が必ずしも優れた見立てを呼び込まないこともままある。切れないものはそのままに、切れるものはスパッと切って見せねばならない時もある。この兼ね合いが難しいのではあるが。大田龍史観に分け入り、調合した次の果実を見てみたい。そうすれば、もっと切れるようになるのではなかろうか。そういう気がする。これを、れんだいこの所望として書評の結びとする。

 思うところを申し上げたが、サイトの自由性と思い寛恕を願う。

 2009.5.27日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評576 れんだいこ 2009/05/29 23:45
 【日本のテレビ番組の海外配信商法考】

 2009.5.29日、警視庁は、インターネットを通じて日本のテレビ番組を海外に住む日本人向けに配信し営利行為していた「ジェーネットワークサービスインターナショナル」の経営者・守谷和真と従業員・中川春香に対し、著作権法違反(複製権・公衆送信権の侵害)の疑いで5.11日に逮捕していたことが判明した。

 同社は、国内のコンピューターサーバーに番組を保存して海外配信、会員数は東南アジアや欧米など約50カ国に滞在する約5千人という。毎月約2千万円、これまで総額約2億7千万円の売り上げがあったという。守谷容疑者は容疑を認め、「昆虫採集が趣味で海外に行く機会が多く、この商売はもうかると考えた。最初から悪いことだと思っていた」と供述していると云う。

 多くの者は、逮捕された二人が容疑を認めていることからして疑問を湧かさないだろう。れんだいこは違う。当人が容疑を認めても、オカシイ事件は数々ある。例の星島事件はその後どうなっているのだろうか、その後報道がさっぱり為されていないので余計に気にかかる。衆人環視、警察官室内立ち入り数次に及ぶ環境下で、1DK室内で昼夜遺体切断流失に励み、完全神隠しを行ったという有り得ない事件が何ら疑問なく受け入れられて今日まで至っている。本人がヤリマシタといったからとて、ソウデスカで済ます訳には行かないのに、メディアはヤッタ論一色の報道で明け暮れていた。れんだいこは未だに解せない。

 もとへ。本件の場合、「ジェーネットワークサービスインターナショナル」は「日本のテレビ番組の海外配信商法」に励んでいた訳であるが、警察は「無断配信」を咎めている。しかし、「無許可」を「無断」と言い換えようが疑問は残る。誰に対して無許可無断なのかはっきりさせねばなるまい。通常、無許可とか無断なる用語は、例えば保健所とか警察とかの国や自治体に行政管轄権があるところに対して手続きを踏まずに営業した場合に使われるのではなかろうか。相手が民間の場合にも使うべきだろうか。この場合は、無契約、無通知とかの用語がより適切ではなかろうか。

 警察は、誰が訴えたのかもはっきりしない問題を事件化させ、あたかも国や自治体の管轄所に対する無許可と勘違いさせるような無断なる用語で、違法性を際立たせようとしている。ケシカランと思う。警察は、いつから民事に介入するようになったのであろうか。今日びの著作権が、警察をしてそういう方向に働かせようとしていることが分かり興味深い。

 本事案の場合、、「ジェーネットワークサービスインターナショナル」は営利を目的としていたが、無料配信していたとしたらどうなるか。警察は、それでも逮捕に及ぶのだろうか。結論は、然りである。今日びの著作権によると、無料配信、無料利用化サポートの方が魂胆がより悪質とするケッタイナ法理論を構築している。信じられまいが、彼らはそういう風に主張している。

 これは、ジャスラックの法理論を念頭においている。これにより、市民は本来なら無料歌唱できるところ有料化させられている。面積割で店舗経営者に対する課金制なので、大店舗から歌唱の灯が消えつつある。音曲文化がいびつ化させられつつある。作詞家作曲家が本来なら、手前の歌が街角で歌われているのを喜ぶところ、ケシカラン俺の著作権を侵害しやがって。歌うならゼニ出せ論法に染められている。

 れんだいこは思う。今や著作権法は一から組み立てなおさなければならない。少なくとも著作権の最高法規である著作権法に依拠し、これに拠らない利権的な著作権を流行らせないほうが良い。それは、文明の利器の可能性を閉ざすという面と、社会生活をことさらに窮屈にものにしてしまうという面との二面から省りみられねばならない。

 このように問う者の声が大きくならないとどうしようもない。このように問う良書が出回らないとどうにもならない。市井本のあれこれを読むと、却って馬鹿になることに気づかないとどうしようもない。ウヨサヨの強権著作権化万歳正義論に対しエエ加減二センカイと怒鳴り返す知性がないとどうにもならない。

 2009.5.29日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評577 れんだいこ 2009/06/03 19:49
 【「西川続投問題」を廻る麻生政権剣が峰考】

 2009.6.3日現在、「西川続投問題」が政局浮上しつつある。6.1日の鳩山総務相と与謝野財務相の会談を皮切りに調整が続けられているが、鳩山邦夫総務相は、6.2日の閣議後の記者会見で、政府が日本郵政の西川善文社長続投の方向で最終調整に入ったことについて、「(続投に)首を横に振ったとでも書いておいてください」と引き続き難色を示した。「西川続投問題」が麻生政権の正念場になりつつあるので、これを確認しておく。

 「西川続投問題」は、郵政民営化をゴリ押しした政治責任問題に及ぶことが必至で、これを恐れる小泉―竹中ラインの抵抗が続いている。鳩山総務相は郵政民営化そのものには反対していないとしているが、この間漏洩された「かんぽの宿」のような資産の不当廉価売却、民営化推進のファミリー企業による買い受けにつき容認し難いとの立場を鮮明にしている。このまま調査が進むと、「ここ数年の日本郵政の民営化の内情が洗い直されることは間違いない」。

 既に、西川社長は、特別背任未遂容疑で野党議員たちから地検特捜部に刑事告発されており、無役になったら捜査される確率が高まる。西川留任に異常に拘る小泉、竹中、武部、これに関与した財界人メンバーたちはそこを恐れている。先の小沢秘書逮捕事件は、検察のオーバーランぶりを知らしめた。今度は逆に、検察捜査が期待されているが、こうなると検察は動かない。そうなると、「正義」の検察のらしさが大衆的に確認されることになるだろう。

 れんだいこがこの政争を注目するもうひとつの理由は、鳩山総務相が、小泉、竹中、武部派の背後の国際金融資本に対してどこまで抵抗し得るのかという点にある。当の本人がどこまで認識しているのかという興味もある。鳩山総務相の踏ん張りは政治の原点における氏の矜持からもたらされており、損得抜きの絶対戦争に化している。世の中これほど怖いものはない。れんだいこが窺うところ、最後の奉公を賭けたバクチ的大技のような気がする。

 麻生政権はジレンマに陥っている。鳩山総務相を切り捨てれば内閣は倒壊する。さりながら、現代世界を牛耳る国際金融資本の意向を挺して我が物顔に利権活動に狂奔する小泉、竹中、武部派と刺し違える度量もない。これを掣肘し得る能力があるのか。これとどう闘うのか。どう手打ちするのか皆目予断を許さない。そういう意味で、麻生政権は遂に剣が峰に立たされているともいえよう。

 政治は或る意味で読みの世界でもある。ブッシュからオバマへと移行した米国政治の権力構造が、この問題にどう関わるのか。ブッシュ時代なら絶対有利の小泉、竹中、武部派も、オバマ時代になると必ずしも形勢良しとはならない。そういう流れを見極める意味でも「西川続投問題」は興味深い。日本政治の威信が掛かっていることは疑いない。

 2009.6.3日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評578 れんだいこ 2009/06/05 19:26
 【「西川続投問題」を廻る日共のダンマリ考】

 このところの政局課題として国民的注視を浴びている「西川続投問題」に、日共の奇妙なダンマリが続いている。気になって日共のホームページを確認したところやはり、相変わらず西松建設問題を採り上げている割には「西川続投問題」記事が一本もない。これは何を意味するのだろうか。

 れんだいこは早くより、日共特有の政治家訴追運動が、政府自民党内のどちらかといえばハト派系に厳しく、タカ派系にはお茶を濁す作風があることを告発している。ロッキード事件はその典型であり、角栄訴追運動は角栄−大平同盟に楔を打ち、その結果1980年代初頭のタカ派系中曽根政権誕生の水路を裏から造った。以来、自民党はタカは系が主流派となり今日に至っている。

 この史観に基づけば、「西川続投問題」に見せる日共のダンマリはいともたやすく解ける。「西川続投問題」の裏にあるのは小泉政権の悪行である。西松建設問題どころではない政治腐敗が横たわっている。日共は、これを知るゆえに却って手柔らかな静観を決め込んでいるとみなすべきだろう。逆にハト派系政治家の失点については手厳しく、針小棒大な告発運動に執念を見せつけ正義面している。

 しかし今や、日共の妙なるこの癖が国民的に知れ渡り、党員以外は誰も相手にしない。否党員さえもが疑惑し始めている。それでもかくなる変調共産党運動を展開し得る日共党中央とは何者ぞ。これが詮索されねばならない。しすし、かく問う者は少ない。

 れんだいこはもはや、こういう党中央の引き摺り下ろしをあきらめている。かくなるうえは野坂−宮顕−不破−志位と続くこの指導部をもう少しやらせて正体を根限り明らかにさせれば良かろう。その方が良いのかも知れないと思い始めている。問題は、日本左派運動の軌道を正しく据え直した日本左派運動の復権と再生だろう。どの党派がこれに着手するのか。見どころはそういうところにあると考えている。

 2009.6.5日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評579 れんだいこ 2009/06/09 21:55
 【「西川続投問題」を廻る日共のダンマリ考その2】

 
 6・8日、日共は、日本郵政の西川善文社長の進退問題について、市田忠義書記局長による「西川社長 辞任が当然」見解を発表した。しかし、そのコメントたるや小沢問題で紙面を費やしていたのに比して僅か数行にとどまるものでしかないというお粗末さを晒している。「西川続投問題」の深刻さは逆であろうに。

 ここに、日共の底知れぬ容ネオシオニズム性を嗅ぐのはれんだいこだけだろうか。「西川続投問題」に見せる日共の対応によって、日本政治および政局は表の自公、裏からの日共の補完によってネオシオニズム・シナリオを遂行させつつある。このことを確認すべきではなかろうか。

 こういうことは平素では分らない見えてこない。緊迫した局面においてこそ正体があぶりだされる。そういう意味で、「西川続投問題」で西川続投、鳩山辞任を後押しする勢力をノートしておかねばならない。かんぽ施設を1円、千円、1万円で落札するという余りにも人民大衆をなめきった政策を強行した者に対して、これを許容するメディア評論の異常性もノートしておかねばならない。

 それはそうと、朝日新聞が例の神戸事件以来滅法紙面を親ネオシオニズム化させていることもノートしておかねばなるまい。あの事件は何やら臭いものがある。せんだっては週刊新潮が土下座させられたが、土下座させられる方も方だが、事件の解明に何ら役立たない方向で土下座させた朝日の側も問題であろう。

 れんだいこが何でこういうことを書くかというと、ジャーナリズムが全くもって役割を果たしていないからである。文明の利器たるテレビもすっかり白痴化、腑抜け化に使われている。新聞も各社揃ってネオシオニズムに覚えめでたい論調ばかり繰り返している。この国の知性は死んでいる。正論が正論として通らない世の中に向けて進軍させられている。そう考えたら寂しいものがある。

 2009.6.9日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評580 れんだいこ 2009/06/12 16:41
 【「西川続投問題」を廻る麻生政権剣が峰考その2】

 2009.6.12日、鳩山総務相が辞任した。「西川続投問題」で、鳩山総務相は首相官邸で麻生首相と約40分間会談した。首相は西川社長の続投させる方針を伝え、総務相は西川社長の続投を認めない考えを示し、会談は決裂した。鳩山総務相は改めて首相と会談し辞表を提出した。これにより、郵政社長人事をめぐる混乱は鳩山総務相の辞任というかたちで決着した。麻生内閣での閣僚辞任は、中山成彬・前国土交通相、中川昭一・前財務・金融相に続き3人目となった。

 去年の自民党総裁選で麻生陣営で選対本部長を務め、総務相として政権を支えてきた鳩山氏の更迭は、麻生政権が間もなく瓦解することを推定させる。このことが分かっていて、鳩山総務相を支えきれなかった政治の闇を知るべきであろう。

 鳩山総務相は辞任に際して、「世の中は正しいことが通らない時があるとの思いだ。今の政治は正しいことを言っても認められないことがある。正しいことが通用しないなら、潔く去ることがいい。今回の麻生首相の判断は誤っているが、今後は正しい判断で政治をやっていただくことを信じている。誰が正しかったのかは歴史が証明する。歴史と言っても遠い将来における歴史ではない。1年以内ではないか」と述べたとのことである。麻生首相からは「本当に残念だがやむを得ない。悲しく残念」との言葉があったという。

 この経過について、れんだいこはかく思う。鳩山総務相は、良くぞここまで頑張った。麻生首相はよくぞここまで頑張らせた。日本政治におけるネオシオニズムの容喙ぶりからすれば、この辺りが抵抗の限界であった。しかし、鳩山が失ったものは何もない。これに比して、鳩山パッシングに動いたネオシオニズム派は当分後始末に追われることになる。小泉、竹中、武部、中川、菅らとこれを隠然と支持する有象無象が正体と狙いを既に十分晒した。この寸劇を鳩山以外に誰が為し得ただろうか。「西川続投問題に伴う鳩山総務相辞任劇」は、鳩山の政治史上の功績となるだろう。

 マスコミの喧噪は、この本質をそらしたところで、面白おかしく電波しよう。コメンテーターがネオシオニズム芸者ぶりを晒すだろう。もうどうでも良いことだ。勝手にすれば良かろう。かくて、鳩山劇は終わった。結構面白かった。これがれんだいこの感想である。

 誰が麻生の後釜に座るのかの興味も生まれるが、よほどの離れ業でない限り見向きもされないだろう。どうせピエロがでてくるだけのことだ。この調子でいくと、自民党の迷走は極まり党的分解まで進むのではなかろうか。これに対して民主党は日の出の勢いとなるべきなのだが、恐らくこちらもモタモタし始めるのではなかろうか。現代日本政治はそういう風に仕組まれていると窺うことも必要だろう。

 2009.6.12日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評581 れんだいこ 2009/06/13 20:30
 【「西川続投問題」を廻る日共のダンマリ考その3】

 日共は、「西川続投問題」が鳩山総務相更迭で決着したとなるや、党声明でもない無記名の記者記事的な報道二本でお茶を濁している。これを確認しておく。

 1本目は、「鳩山総務相が辞任 郵政社長人事 麻生政権3人目」の見出しで、鳩山総務相の辞任を客観評論的に伝えているのみである。最後の下りで、こくた恵二国対委員長の「問題の根本に民営化路線」なるコメントを載せている。国会内で記者団に問われ、「このことは、『かんぽの宿』売却問題や、西川氏が頭取を務めた三井住友銀行と日本郵政との癒着など、国民の財産を切り売りした西川氏の責任を棚上げしてでも民営化路線を進めるという麻生政権の表明だ」、「問題の根本にある郵政民営化路線推進という点では、麻生太郎首相も鳩山総務相も変わりはない。日本共産党は、国民へのサービス切り捨てなどを中心とした郵政民営化の根本的転換を今後も求めていく」と述べたとある。
 
 2本目は、「郵政民営化利権 西川社長の責任大 国民財産たたき売り 出身銀行が受注独占」の見出しで、西川履歴に触れた後、「そのもとで、進められたのは、当然、財界とアメリカの要求にそったものでした」としている。かんぽの宿譲渡について、オリックスの宮内義彦会長が率いるオリックス不動産、財務アドバイザーのメリルリンチ日本証券、三井住友銀行が大株主のキョウデングループ企業、大手不動産会社のリクルートコスモス(現コスモスイニシア)、長谷工コーポレーションなどが介在している胡散臭さに触れている。「国民の共有財産をたたき売りする西川氏の責任が問われています」とコメントしている。そのあとはどうでもよい記事でお茶を濁している。

 日共のこの姿勢は如何なものだろうか。郵政民営化路線に疑義あるなら、これに「訊問の筋あり」と抵抗していた鳩山総務相を支援すべきところ、この間ダンマリを決め込んでいたのではないのか。それにしては、小沢問題では、連日執拗に記事を飛ばしていたではないか。透けて見えてくることは、口先では反対と言いながら、ネオシオニズムの意向を挺して小沢徹底追及、郵政民営化ではアリバイ的反対という臭い動きであろう。こういう連中に共産党の党中央が牛耳られて幾久しい。何とかしようがしまいがどうでも良いけど、こういうことを確認しておこう。

 もう一つ言いたいことがある。日共の胡散臭さは明白として、その他の左派党派はどういう姿勢を見せていたのだろうか。ひょっとして同じようなダンマリしているのではなかろうか。何とならば、自民党内の政争などどうでも良いと相も変らぬ保守反動一辺倒視するしか能のないステロタイプな観点に呪縛され続けているのではなかろうか。もしそうなら、日本左派運動総体が評論力さえ喪失していることになる。

 してみれば、たすけあい党の党首れんだいこの発信力が際立つ。今日本に何が起こり、どこへ連れて行かれようとしているのか、その危機感と分析力において時代の頭脳足り得ている。その差は、現代世界を牛耳る真の権力体に対する考察の差にある。この観点をも持たない日本左派運動の能無しぶりは目に余る。今や、この観点を持つ無党派評論に拠らざれば政治評論為し得ない。先に逝去した太田龍・氏の貢献大と云うべきだろう。

 2009.6.13日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評582 れんだいこ 2009/06/15 20:23
 【「西川続投問題」を廻る日共のダンマリ考その3】

 6.14日、日共は、赤旗主張で「鳩山総務相辞任 郵政民営化の路線を転換せよ」の見出しで「郵政西川問題」を論じている。以下、これにコメントしておく。

 「これに対して郵政民営化を進めた小泉・竹中派や財界が反発し、麻生太郎首相が西川社長留任の方針を固め、事実上更迭しました」と鳩山総務相の辞任を伝えている。「かんぽの宿」問題での「まともな入札もやらずに売却しようとした」不正、「売却先が規制緩和の旗振り役で郵政民営化を進めた宮内義彦が会長を務めるオリックス・グループ」という不正、「三井住友が大株主の不動産関連会社に『かんぽの宿』などを建設費の30分の1以下で売り払う」不正、「郵便貯金のカード事業に於ける三井住友カードの占有率躍進」の不正、「日本郵政グループが西川社長を筆頭に、専務執行役と常務執行役、ゆうちょ銀行の副社長、常務執行役などに三井住友出身者が要衝を押さえ、内部監査や法令順守の統括責任者も三井住友の出身」という不正を伝え、「民営化によって営利企業に食い物にされている」としている。

 西川氏の社長就任を強く推したのは当時の竹中平蔵総務相であり、その竹中が「郵政西川問題」で「政治が口を出すべきではない」と西川社長を全面擁護していることを踏まえて、郵政を銀行業界の食い物にさせた責任者である竹中は国民に謝罪すべきであり、「口を出す」資格はないないとしている。結びは、「民営化の帰結は巨大な『郵政民営化利権』であり、大銀行奉仕であったことは明白です。郵政株の売却をやめ、郵政民営化路線を根本から転換するよう求めます」。

 この口上を聞くと、日共見解に何ら問題はないように思える。だが、れんだいこは見逃さない。郵政民営化問題にかような認識をしているのであれば、鳩山総務相の孤軍奮闘の闘いの最中、なぜダンマリを押し通したのか。鳩山辞任後にかように正義の弁明をするのは、政党として不作為の責任があるのではなかろうか。誰か、こう考える人は他にいないか。

 れんだいこは、これも日共話術の典型の一つと考える。最たる典型は、60年安保闘争時の岸首相訪米に対する次のような言辞である。「(岸首相の渡米出発に際しては)全民主勢力によって選出された代表団を秩序整然と羽田空港に送り、岸の出発まぎわまで人民の抗議の意志を彼らにたたきつけること」(アカハタ.60.1.13)。

 これは奇妙不思議な文章である。一体闘おうとしているのか闘うまいとしているのか、聞き分けできるだろうか。れんだいこに云わせれば、闘わない意図を闘う言葉でまぶしているのでややこしい。そういう訳で、この言辞に騙される愚か者が後を絶たない。日共を評する場合、闘おうとしているのか、闘わせまいとしているのかの詮索が必須である。このことを確認したかった。誰か共認していただけるだろうか。

 2009.6.15日 れんだいこ拝

Re:自公共連立政権を倒せ れんだいこ 2009/06/16 12:53
 こうもりさんちわぁ。賛意ありがとう。共産党は政権交代反対をはっきりさせてきたようですね。細川政権時にも、こういう態度を採りました。その細川政権が羽田政権を経て崩壊し、自社連立政権となり、以降社会党が自滅し、紆余曲折を経て今日の自公政権へと辿り着いているのは周知の通りです。そろそろこれに果たした共産党の客観的役割を確認すべきでせう。地方選挙、国政選挙での立候補方式の果たしている役割も然りです。共産党を除く野党が共闘して採決拒否している議場に乗り込んで反対投票することで、与党の単独強行採決の謗りを免責している役割も客観化せるべきです。

 多喜二の「かにこうせん」が売れて共産党に入党する者が居るということがどこまで事実かどうか分かりませんが、何も知らないで入党したら、口先で闘う格好をしながら実際には闘わない方向で足を引っ張るややこしい役割に習熟するには大変でせうね。人民大衆はこのカラクリを見抜き始め、各地の選挙戦でも共産党の自公裏協力もろとも粉砕しつつあります。日共が次にどういう動きに出るのか興味があります。ここにきての「共産党の政権交代反対論」は前触れでせうね。

 2009.6.16日 れんだいこ拝

「裏・悪徳ペンタゴン」? こげぱん 2009/06/16 23:07
 これは私事で、かつずいぶん古い話なので今となっては細目はかなり怪しいですが、かつて非自民連立政権成立前夜に通訳手伝いとして駆り出されたあるシンポジウムの席で、さる高名な労働界大物氏をみかけたことがあります。

労働界大物氏など滅多にお目にかかれることはないので、どれほど高潔かつ頭脳明晰なお方だろうと期待してシンポジウムを見ておりましたが、肝心の話の内容は全く記憶に残らなかった一方、その後のレセプションで随分とパーティー慣れした様子で内外著名人や最貧国の外交官と談笑していたご様子は、今でも記憶に残っています。

その労働組合の一翼を担う郵政グループが郵政民営化をどう考えているかふと気になったので、「日本郵政グループ労働組合」サイトで「基本目標」を一読してみましたが、民営化はもとより分社化も賛成しているかのような記述があり、少し面食らいました。

郵政の公益性や郵便・保険・貯金のシナジー効果を勘案すれば、民営化や効率化までは良しとしても、事業解体につながりかねない性急な分社化や株式上場には反対するべきではないかと傍目には思えますが、「日本郵政グループ労働組合」の「基本目標」を一読した限りではその点があいまいで、何やられんだいこさん処女作にあった岸訪米時の赤旗社説をリアルタイムで読んでいるような錯覚さえ覚え、仮に民主党連立政権が誕生したとしても民営化見直し論に隠微な影響を与えそうな感も拭えず、一抹の不安を感じます。

共産党や労働組合がこの調子なら、植草一秀氏の表現を拝借すれば、共産党・労働組合・巨大宗教団体・娯楽産業・狂育界はさしずめ「裏・悪徳ペンタゴン」と呼べるかも知れず、国民新党あたりにしっかり支えてもらわないと民主党連立政権の先行きも危ういような気もします。

Re:「裏・悪徳ペンタゴン」? こげぱん 2009/06/16 23:18

> 共産党や労働組合がこの調子なら、植草一秀氏の表現を拝借すれば、共産党・労働組合・巨大宗教団体・娯楽産業・狂育界はさしずめ「裏・悪徳ペンタゴン」と呼べるかも知れず、国民新党あたりにしっかり支えてもらわないと民主党連立政権の先行きも危ういような気もします。
>
共産党・労働組合・巨大宗教団体・娯楽産業・強権著作権を「裏・悪徳ペンタゴン」と読んでもいいかもしれません。

Re:「裏・悪徳ペンタゴン」? れんだいこ 2009/06/20 20:15
 こげぱんさんちわぁ。こけぱんさんが到達した「裏・悪徳ペンタゴン論」は今後ますます普及させる価値がある観点だと思います。我々は、過去の運動を批判的に検証して、正しい道筋を生みださねばなりません。現在ここが混迷していることにより左派運動全体が痩せ細っていると思います。その結果、政治がどうなったか。今ある通りのくだらないものになっております。この情況をこじ開けねばならないと思っております。歩む道は違えど共に進まん、相まみえん。

 2009.6.20日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評583 れんだいこ 2009/06/22 20:35
 【狂人小泉派の悪事をどこまで放置するのか、それが問われている】

 狂人小泉元首相を名宰相として囃したてたマスコミの引き続きのエールが目に余るので一言しておく。その昔、首相の座を降りた角栄はその後の政界に於ける「角影的政治影響」を執拗に攻め立てられた。れんだいこに云わせれば、角栄的判断かいつもほぼ正しく、指南を求められたからに他ならない。これを思えば、ほぼいつも中曽根、小泉のそれはずっこけている。それは一つに能力の問題であろうし、もう一つはネオシオニズムの御用聞きに精勤しているからに他ならない。マスコミは、この売国奴を名宰相と持ち上げる。同じ穴のムジナ故の論調であろう。

 とここまで書いていたら、お座敷からお呼びがかかったのでこれにて失礼する。

 2009.6.22日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評584 れんだいこ 2009/06/26 22:04
 【太田龍追悼の偲ぶ会参列記】

 2009.6.23日、太田龍追悼の偲ぶ会が行われた。これに参加したれんだいこの記憶が定かなうちに感想を記しておく。6.15デー集会への参加を見合わせ、この偲ぶ会に参列することにした。

 会は、JR総武線「市ヶ谷」のアルカディア市ヶ谷(旧・私学会館)で、夕刻6時半より男女半々約二百名の参加で執り行われた。太田龍と生前に交流があった多士済々が集ったもので、数十名単位で若い方も居られたように思うが、れんだいこのように後半期の繋がりだけで参加した者は少なかったのかも知れない。

 日本左派運動系譜の元同志、運動仲間の参加は極めて少なかったような気がする。もう十年ほど前になるか、ブントの創設者・島氏の葬式と比べて際立つ差のように思われる。あの時はいろんな党派から駆けつけていた。日本左派運動において未だに太田龍のネオシオニズム批判論が異形なものであり、受け入れられていないことが分かる。それを踏まえれば、太田龍晩年のネオシオニズム批判論の一点に於いて集った左右、宗教者、老若混淆の集いであったということになる。

 司会者により会式が進行し始めた。太田龍仲間の者には挨拶の要なしほどの知友であったのであろうが、サムイを着た洒脱な人の好さそうな方だったが、自己紹介の挨拶がなかったのがずっと気になった。成甲書房の貢献大なることを評価していた。代表者がどういう人なのか確かめたかったのだが分らなかった。あるいはスピーチの一人に居たのかも知れない。

 1分間の黙祷の後、奥さんが生前の最後の様子を語った。それによると本年初めより手のむくみが始まりペンを持つのが支障となった、病院に罹ったが長期入院安静治療を宣告されることを恐れ診療中の隙を見て抜け出した、その後ショウガ湿布療法によりやや回復に向かったものの介護の世話が大変だった、最後には肺にも水が溜まり呼吸困難に陥った云々ということだった。

 次にビデオ映像が流された。文京区の喫茶ペガサスでの執筆の様子、ありし日のインタビュー時の受け答え、デービッド・アイクのネオシオニスト爬虫類説に対する太田氏の真意の弁舌、夫婦の住まい等が映し出された。清貧過ぎるとも云える生活ぶりが伝えられた。機械の調子が悪く音声が途切れていたことと、後ろの席の方で私語が喧しく聞き取れなかった。静粛さにはほど遠かった。この後、献杯に移った。一段落した後、よほど近しかった者から順に挨拶が始まった。約十人ほどがスピーチした。その内容を個々に記すのは大変なので、特に印象深かった下りを記しておく。

 神道研究家の山蔭氏は、ネオシオニズム批判論での見解の一致と若干の相違、ごく最近のヤダヤ教ラビ一行による信州上諏訪大社の伝統行事に対する並々ならぬ関心ぶりを紹介していた。れんだいこは山蔭氏の著書を愛読しており、山蔭氏と太田龍の交友関係を初めて知り得心させられるところとなった。大山倍達氏の娘さんが、太田龍の肉食禁止運動に関するエピソードを語った。これも妙な繋がりで得心させられるところとなった。順不同かも知れないが、同時通訳家の某氏が、太田龍の「睨んで解する太田龍的英語能力」の凄さを語った。某ジャーナリストが何やら語り、最後に般若心経を唱えた。神道家が祝詞をアレンジして太田龍を称えた。日本赤軍活動家の某氏がアイヌ解放闘争時のエピソードを語った。台湾の将経国氏の誘拐作戦の突如中止の裏話を披露していた。太田龍に評価された若き某著作者、「天皇とロナりザ」の執筆者・鬼塚氏、元CIAと称する某氏らが次々とそれぞれの太田龍論を語った。

 他にも発言した人がいたかも知れない。瞬く間に予定時間が過ぎてしまった。最後に、どうしても一言したいと強引に登場した人が強烈な批判を放った。どうやらデービッド・アイクのネオシオニスト爬虫類説に対する太田氏の賛意が気に入らないらしい。奥さんに対して何人目の彼女だとか、子供がいるのかどうなのかとか詰問していた。どこにでも居るお騒がせ馬鹿と考えるべきか。

 定刻時間の9時を過ぎ閉会となった。二次会の発表もなかったので、ロビーの喫煙ルームで暫く様子を見た後お暇した。れんだいこより若いがなかなか知的に鋭そうな人と隣り合わせになり、声を掛けようとしたが切り出せずに立ち去ることにした。エレベーターの中で若い中年の女性から声をかけられた。聞くと、太田龍の身内ということだった。「栗原家は酒とタバコがダメな医者の血筋」ということを手短に教えてもらった。もっと聞きたくなり、少しお茶でもしませんかと誘ったら、家に帰らなければならないのでと断られた。女性としての用心もあるのだろう、残念だったが仕方ない。その後一人で、近くの居酒屋で偲ぶ会の延長を続け余韻を反芻した。

 纏めてみれば以上のような偲ぶ会だった。何がどうと云われると締まりがない会だったが、来てよかったと思った。敢えて言えば、企画事務局の打ち合わせ不足、根回しの無さが物足りなかったかも知れない。しかし、太田龍の破天荒な人生を意義づける為に敢えて成り行き任せにしたのかも知れない。公安筋に対する警戒という意味でもベターだったのかも知れない。れんだいこのスピーチの出番はなかったが、雰囲気からしてそれで良いのだが、それしても二次会辺りでは語ってみたかった気がしないでもない。何とならば太田龍のネオシオニズム論の高みをもう少し共認したかった気がするから。そういう意味で心残りな惜しい気がする。

 偲ぶ会を追想しながら今思うに、太田龍こそ「明日のジョー」ではなかったか。田宮高麿の逸話で語られることが多いが、太田龍こそ燃え尽きてリングのコーナーに腰かけたまま白い灰になり幻影だけ残して去った。そんな気がする。まだまだやることは多く構想も豊かだったのであろうが、人生はそんなものかも知れない。この法灯を誰が継ぐのか、それが問われているように思う。

 翌日、雨降りの中、靖国通り方面の神田に繰り出した。三省堂に行き、田舎の書店では目にしなかった荒岱介氏の「新左翼とは何だったのか」他四、五冊買った。東京駅八重洲北口の囲碁センターに行き2局打って新幹線に乗った。車内で「新左翼とは何だったのか」を読了した。日本左派運動ハウツーものの良書であったが、太田龍史観が皆無なことに改めて気付かされた。龍の到達した高みをどう展開するのか、れんだいこの使命は大きいと思った。

2009.6.26日 れんだいこ拝

Re:大田龍氏の死 れんだいこ 2009/06/30 11:10
 こうもりさんちわぁ。太田龍氏の偲ぶ会へのご参加ご苦労様です。太田龍評価は毀誉褒貶の感がありますが、れんだいこはとても貴重なネオシオニズム研究の現代的第一人者と評しております。フルフォード氏の言説も貴重ですが、それぞれ味が違うと考えております。「黄色人へのフルフォード氏の蔑視に根ざした思い上がりを見、同氏に嫌悪感を持っています」とありますが、れんだいこはそこまでは感じておりません。フルフォード氏の今後の活動に注目したいです。

> 太田氏の言説には、「爬虫類人説」、「日本古代史論」共々、大いに問題があったというべきでしょう。

 これについてですが、「爬虫類人説」にはどうかなと思っておりますが、「日本古代史論」については先鞭的な意味合いで評価しております。飛騨王朝説に傾いていたところが是認できませんが、古代史疑の観点そのものが貴重だったと評価しております。この辺り、もっと本当は話したかったんだけれども叶わないことになりました。

> 太田氏の言説には、資料をじっくりと読みこんだ調査・研究の跡を窺わせる深みが無いのです。氏の言説の特徴は「思いつき、勘、受け売り」という、いわば女性的感性であり、それはフルフォード氏の言説と通底すると私は見ています。

 太田氏の言説に資料をじっくりと読みこんだ調査・研究の跡を窺わせる深みが無いのかどうかは分かりませんが、仮にそうだとしても、偲ぶ会のスピーチであったように睨んで本質を掴む名人芸の持ち主だたのではないでせうか。天は二物を与えずですから致し方ないとも思います。れんだいこが評価するのは、太田氏の論説の自己否定に次ぐ自己否定の軌跡です。トロツキズムの純粋的称揚から始まりやがて否定し、アイヌ解放論から日本古代史の秘密に迫り、やがてネオシオニズム論に到達し、その第一人者として晩節を全うしたのは稀有な遍歴だと思います。普通の人は過去のいきさつの肩書の枠に縛られるところ、敢えて何も恐れずひきずらず無欲で学問的営為に突進し続けたとみなしております。これについては議論したいところです。

 2009.6.30日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評585 れんだいこ 2009/07/04 22:12
 【2009都議選早々予想】

 2009.7.3日、2009東京都議選(42選挙区、定数127)の立候補届け出が告示され、同日5時に締め切られた。前回より1人多い221名が立候補し、過去最少の220人だった前回より1人多いだけの競争率1・74倍の少数激戦となった。12日に投票、即日開票される。
 
 党派別の立候補者は、自民58(前回より+1)、民主58(+7)(推薦も合わせると都議会過半数に届く64)、公明23(前回と同じ)、共産40(−3)、東京・生活者ネットワーク5(−5)、社民2(+2)、諸派13、無所属は22(−8)。女性候補は52と23・5%を占め過去最多となった。都選挙管理委員会によると、2日現在の選挙人名簿登録者数は1066万4249人で過去最多。

 次期衆院選の前哨戦として、現有71議席の自公が過半数の64議席を維持できるか、現有35議席の民主党がどこまで躍進することができるか、少なくとも第1党となることができるか。公明党は現有23議席死守で5回連続の全員当選を狙う。共産党は現有13議席を維持できるかどうか。社民党は2001年選挙で議席を失って以来、8年ぶりの議席復活をかけて2名擁立が奏功するか。東京・生活者ネットワークは無所属1人を含む6名の女性候補を擁立したが「市民の議席」を守れるか等々が焦点となっている。 

 れんだいこが早々と予想しておく。資料、調査に基づいたものではなく、選挙区定員数をベースに各党の勢いを斟酌したものである。これによると、民主を最大値とした場合の予想は、自民40、公明20、民主54、共産6、社会1、ネットワーク1、無所属5となる。これは出来過ぎと思われるので訂正すると、自民48→43、公明22→20、民主34→45、共産13→10、ネットワーク4→2、社民0→1、無所属3→6のそれぞれ前後と思われる。

 いずれにせよ自公は10議席以上減り、民主が10議席以上増やす公算が大である。共産党は更に減り下げ止まりの10、社民が議席を回復して1か2。ネットワークは議席を維持すれば上出来で2、無所属の予想は難しいが6としておく。これによると、野党が過半数の64議席をやや上回る可能性が強い。

 2人区の場合には自、民が分け合う。3人区の場合には自、民、公が分け合う。4人区の場合には自、民、公が分け合い、残りの1議席を民と共が争う。概ね民が取るとする。5人区の場合には自、民、公、共が分け合い、残りの1議席を自と民が争う。概ね民が取るとする。6人区の場合には自2、民2、公、共が分け合う。あるいは社民、ネットワーク、無所属が1議席取る可能性がある。8人区の場合には自2、民2、公2、共が分け合う。残り1議席を民、社民、ネットワーク、無所属が争う。という方程式が成り立つようである。

 判明することは、各党の議席の底は案外堅く、何回選挙をしても大きくは変わり映えしないとも云える。2009年都議選の場合、民主フォローの風がどこまで吹くかに興味がある。仮に苦戦するとした場合には議席の変動がないことになる。れんだいこは、最低35、最大54、間を取って45と予想する。食われるのは共産党で10議席辺りまで落ち込む可能性が強い。自公の食い合いもあり、この辺りが面白い。

 それにしても新左翼系の立候補がないのが情けない。共同戦線可能諸党派がその気になれば、5人区以上のところで議席を取れる可能性があるのに挑まない。未だに病膏肓中と云えよう。5議席ぐらいとっておればいろんな動きができように。次回都議選では、こういうことがないようにしよう。

 予想が外れると穴があったら入りたくなるな。当たっていると胸を張りたくなるな。ほんのお遊びでやってみました。

 2009.7.4日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評586 れんだいこ 2009/07/07 19:59
 【たすけあい党よりのうれしいお知らせ】

 たすけあい党よりお知らせ致します。本日は世情では七夕祭りです。願い事が叶うと云います。この日に合わせて女性党員一号が生まれました。ハンドルネームは仮に高尾山姐御とさせていただきます。早速、政調会長の役についていただこうと思います。政調会長とは他の党派との調整をほ行う役職です。高尾山姐御さんお願い致します。

 これで我が党は5名になりました。時宜さえ適えば5名が10名、10名が20名の倍々的発展が期待できるでせう。我が党の規約を読んでいただければ分かるように、党員も党機関も全て自由自主自律で結集しております。結党テーマで一致さえすれば、党内異論、異端、分派も可能な多重構造組織にしております。皆さんも安心して入党ください。

 昨今の貧相な政治を見るにつけ、我が党が一定の政治的影響力を持つことが急務です。政治情勢の左支えとしての位置を占めたいと思っております。まもなく都議選、衆院選が行われます。恐らく民主党の躍進となりますが、民主党内はハト派とタカ派の混淆政党です。我が党は民主党のハト派路線を裏支えする為に汗をかこうと思います。国民新党も魅力があります。社民党、日本共産党がアリバイ的反対闘争にしけこみ、新左翼が相変わらず議会闘争を軽視している以上、いたしかたない選択肢です。

 我が党は日本人民大衆の生活利益の擁護と国際情勢に於ける誤りのない道しるべを求めて奮戦致します。世界は今、頼るに値するシナリオのない、というか新たなシナリオを求めて胎動しております。我が党は国家百年の計に資する立ち働きで世代に繋ぎたいと考えております。表舞台に出るも良し、忍者のように裏で働くのも良し、銘々が似合いの活動でブリッジしたいと考えております。

 いずれ党大会ができると良いですね。十名規模では盛り上がらないので、数百人を擁する党になれば本当に実現したいです。幸福の科学が何やら新党を立ち上げたようです。我が党は、競り合い運動で地盤を固めたいと思います。憲法改正を唱えているようですので、憲法擁護の論陣で対抗したいと思います。目下、これは非常に大事な政争になりつつあります。共に頑張ろう。

 もとへ。高尾山姐御さん入党おめでとうございます。我が党員はそれぞれ千人力です。一人力、百人力、万人力の同志を集めて共に夢を見ませう。苦しきことのみ多かりき我が世をば、生きがいのある世に変えるべく楽しく参りませう。

 2009.7.7日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評587 れんだいこ 2009/07/14 18:12
 【2009東京都議選総括 投票一揆始まる】

 2009東京都議選を総括しておく。詳細分析概要は、「れんだいこの為になる選挙分析・都議選」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/senkyo_togisen.htm)に記す。

 都議選は知事選と2年ごとに行われ都政の「中間審判」の意味合いが強い。2009都議選では、石原都政三大事業に対する審判が下された。一つは、都が1000億円を出資して設立した新銀行東京の経営問題。約1千億円の累積赤字を抱え、都が400億円を追加出資する等、経営再建を目指しているが失政の批判もある。一つは、中央区の築地市場移転問題。2014.12月のオープンを目指しているが、建設予定地で高濃度の土壌汚染が見つかっている。都は総事業費4316億円を見込んでいるが、そもそも移転の必要性があるのかという根本問題が議論され尽くしていない。一つは、2016年五輪の東京招致問題。招致活動に伴う乱費、収容規模10万人を想定しているメーンスタジアム建設の過大投資が指摘されている。

 都議選は、一地方選でありながら首都にして最大有権者を抱える大型選挙という特性から「次期国政の前哨戦」、「国政選挙の先行指標」的役割を担っている。例えば、1989年都議選は当時の土井たか子委員長の社会党がマドンナブームで大幅に議席を増やし3倍増となり、続く参院選で与野党議席が逆転した。1993年都議選は細川護熙氏の日本新党ブームに沸き、1カ月後の衆院選で自民党が惨敗、非自民の連立政権が誕生した。政界再編渦中の1997年には共産党が過去最高の26議席を獲得した。2001年は小泉人気の絶頂期で自民党が55名の候補者中53名を当選させて勝利を収めた等々の経緯がある。

 2009都議選は、石原都政に対する審判と次期衆院選の前哨戦という二重の意味を持った。野党第一党の民主党が鳩山新代表の下で政権交代を前面に掲げて押しまくった。これに対する与党の自公の防戦如何が焦点となっていた。結果はどうなったか。

 2009都議選の最終投票率は54・75%となり、前回投票率43.99%を10・76ポイント上回った。男性**.**%(前回42.81%、*.**ポイント増)、女性**.**%%(同前回45.14%、*.**ポイント増)。

 民主が54議席(前回35議席)で19議席増。前回に続いて大幅に議席を伸ばし、事前予想をも上回る歴史的勝利を収め第1党に躍進した。42選挙区のうち38選挙区で公認候補がトップ当選を果たした。1人区の7選挙区のうち島部を除く6選挙区で民主ないし推薦無所属を立て完全勝利、3人を擁立した世田谷区や練馬区では全員が当選するなど圧勝した。名古屋、埼玉、千葉の各市長選、静岡知事選に続く首都決戦でも勝利し、政権交代に大きく弾みをつけた。

 自民が38議席(同48議席)で10議席減。大敗北を喫し第2党に転落した。議長選を巡る汚職事件を受け「出直し選挙」となった1965年に並ぶ過去最低の議席数で、1969年に奪還してから40年間守った第1党を明け渡すことになった。1人区では6人が落選する惨敗を喫した。複数人区でも荒川区や北多摩2区で議席を失った。ベテラン議員が次々と破れ、トップ当選は島部のみという惨憺たる結果となった。麻生首相が告示前に全候補者の事務所を回り、選挙期間中は党幹部や閣僚が選挙区入りしてテコ入れしたが実らなかった。自民の賞味期限切れ傾向を再認する結果となった。

 公明が23議席(同22議席)で1議席増。支持母体の創価学会を中心に徹底的な組織戦を展開し、5回連続となる全員当選を達成した。練馬と葛飾でトップとなった。逆風下での選挙となったが、凄まじい踏ん張りを発揮したことになる。共産党の幅広擁立主義と対極的な限定立候補、全員当選方式選挙戦略で臨んでおり、科学的という名に値するとすれば公明こそが相応しいように思われる。こたびはお見事と評価されるべきであろう。

 共産が8議席(同13議席)で5議席減。又もや後退させ惨敗した。「都議会野党は共産党だけ」と訴え激しい民主党批判を展開したが、政権交代を掲げる民主の波に抗せずむしろ独善主義が食傷されていることを明らかにした。

 東京・生活者ネットワークが2議席(同4議席)で2議席減。辛うじて2議席を維持した。無所属が2議席(同3議席)で1議席減。ネットワークと無所属の後退は、市民党が政党間の争いに埋没する最近の傾向を改めて印象付ける結果となった。社民党は8年ぶりの議席回復を目指したが前回に続いて連続空席となった。

 都議会の旧与野党比率は、127議席のうち与党61、非与党66となり、自公の与党は過半数(64議席以上)を維持できなかった。石原都政の前途に暗雲が垂れ危険信号が点灯したことになる。

 ところで、我が日本共産党の言い草を確認しておこう。志位委員長は、19→14→13→26→15と推移し13議席となった2005年の都議選総括で次のように弁じた。「現有十五議席を確保できなかったものの、二人区の文京区と日野市のたたかいで勝利をかちとり、十三議席を獲得したことは、重要な成果だと考えます。また、得票率で10%台を回復したと思われることは、今後の前進への一つの足がかりとなる結果となったと思います」。

 こたびは、13議席から更に8議席へと減らしたが次のように弁じている。「『自民か、民主か』を押し付ける『政権選択』論が大規模に持ち込まれたことは、わが党にとって逆風となって作用しました。これに対して、わが党は、ほんとうの政党対決の構図がどこにあるかを都政、国政で押し出し、私たちの声が届いたところではわが党への共感と支持を広げました。しかし、私たちの訴えを全都民的な規模で届けるにはいたりませんでした。こうしたもとで、江東区で議席を奪還したものの、全体として議席を減らしたことは、残念です。同時に、開票はまだ途中ですが、得票では2007年の参院選の比例票を上回り、4年前の都議選の得票をほぼ維持できたと思われます。難しい条件のもとで獲得した得票は、今後にとっての重要な足がかりとなるものと考えます」。

 相変わらずの減らず口で、1・方針は正しい、2・逆風下であった、3・内容的には負けていない、4・引き続き党中央の下に団結せよなる論法で事なかれしているが、こういうのを詭弁というのではなかろうか。かって1970年代には伯仲していた公明党の持続的健闘に比しての共産党の凋落の真因を見出し適宜な処方箋を生みだすのを総括と為すべきところ、万年免責体制下で又もやおざなりの煙巻き論法を駆使していることになる。これが科学的社会主義屋による総括であるところがお笑いである。

 次に、社民党に言及しておく。こたびも議席回復ができなかった。福島体制も久しいというのにこういう結果ではそろそろ責任が問われるべきではなかろうか。党是としての理論と足腰を鍛える為の指導力を発揮すべきところ、芸能人ばりのテレビ出演で糊塗しているのではなかろうか。麻生政権を批判する口があったら、手前の無能をも顧みるべきだろう。それにしても、かって自民と対抗する自社体制を構築し、その後のじり貧傾向下を消費税反対で挽回し、その社会党が消費税値上げの旗を振って人民大衆の期待を裏切って以来、この党は見向きもされなくなった。その後、何らの対応策が取れていないのは、共産党と合わせて日本左派運動の無能ぶりを示して余りあると云えよう。

 次に、杉並選挙区での福士敬子(無、現、市民団体代表)の健闘が光る。他方、こたびは新左翼系の登場がなかったことを訝りたい。過去、中核派が参戦していたが、こたびは立候補していない。召還すべき理由が分からない。今こそ新左翼共同が出馬すべきではなかろうか。それも5名以上の当選を勝ち取る必要があろう。なぜできないのか解せない。

 最後に付言しておけば、こたび国民新党が、民主党の歴史的勝利を裏差さえしていることが評価されねばなるまい。与党は公明が自民を裏差さえしているのに比して、野党は共産の独善主義により長らく分裂事態を余儀なくされてきた。ようやく与党の公明の役割に対応する野党の国民新党という裏支え政党が出現したことが頼もしい。こういう勝利の方程式を確認せねばなるまい。

 もう一つ。都議選明けの7.14日、改正臓器移植法A案が参院で可決され法案成立した。選挙で浮かれている隙に通過する法案は歴史的に胡散臭い。改正臓器移植法A案は日本人民大衆の臓器売買を促す足がかりをつくってしまったが、民主党政権下での見直しとなるだろうか。

 いずれにせよ選挙が面白くなった。日本人民大衆の投票一揆が始まっており、この傾向は止まらない。日本テレビ系メディアが頻りに小泉派の悪策動を提灯しているが、手前たちが天下の時には除名、刺客まで放ち、下野したならば執拗に反党中央の働きをする得手勝手さをヨイショすればするほど見透かされることになるだろう。

 2009.7.14日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評588 れんだいこ 2009/07/15 23:21
 【2009.7月、自民党内ゴタゴタ考】

 2009.7月、自民党内で、小泉派による麻生首相引きずり降ろし策動が止まらない。これをどう見るべきか、たすけあい党を代表して党首が言及しておく。

 日本左派運動から見て、自民党内のゴタゴタなどどうでも良いとみなすのは旧式思考である。俗流マルクス主義の観点からすれば、「体制転覆、革命一途」が本命であるからして、政権党内のコップの中の嵐なぞ関係ないと云うことになる。しかしながら、この論者は、この間の日本左派運動が「体制転覆、革命一途」をますます遠景に退け、呪文化させ、今日では呪文さえ聞けなくなるほど弱り目の祟り目にあるという現実を説明せねばならない。この現実に対する真っ当な理論的切開、責任ある態度を示さないままの「自民党内のゴタゴタ傍観論」は児戯に等しく、否全くの無能をさらけ出しているに過ぎない。かく了解する必要があろう。

 れんだいこは、「自民党内のゴタゴタの動向」を重視する。なぜなら、戦後日本政治は、現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの御用聞き政治に堕しており、自民党内のハト派隊タカ派の権力闘争がこれに大いに関係しているとみなしているからである。言うまでもないが、タカ派が御用聞き一直線派であり、それに比すればハト派はのらりくらり派と云うことができようか。

 そのハト派の精華は70年代初頭に現れた角栄−大平連合による政治に認めることができる。今から思えばまことに善政で、日中国交回復を成し遂げ、イスラムともソ連とも友好の道を開きつつあった。この時期、日本経済はすこぶる快調で世界がうらやむ高度経済成長を持続させていた。国債を発行せず、消費税などというイカガワシイ収奪税体系を拒否していた。大平が導入を企てたことがあるけれども、タカ派系三木、福田時代に垂れ流した国債償還の為の財政健全化資金にする為であり、この観点抜きの今日的放漫財政からくる資金不足を調達せんとするものではなかった。

 他方、タカ派の精華は80年代初頭に現れた中曽根政治、2000年代初頭に現れた小泉政治に認めることができる。今から思えばまことに悪政で、この時期、日本は国富を次から次へとネオシオニズムに譲り渡して行った。世界各国との国際協調路線は放擲され、ネオシオニズム命の一直硬直化に向かった。この時期、日本経済はバブル経済に誘われ、その後の長期不況を今日まで引きずっている。国債を発行し抜き、累積債務率世界一位と云う馬鹿げた指標を自慢している。軍事、ネオシオニズムの命ずるままの対外支援費用を支出し続け、財政が足らぬとなると国民収奪に容易に転嫁し、消費税の更なる値上げを画策している。憲法改正による堂々とたる自衛隊の恒常的海外派兵を画策している。最終的に日本を破産させ、米国の州にするか中国の省にするか、それさえもネオシオニズムの命ずるままの道を敷こうとしている。

 もとへ。「自民党内のゴタゴタ」は究極、この両極の政治路線に絡んでいる。故に重視注視せざるを得ない。麻生政権擁護派はほんのり僅かながらハト派の臭いを残している。小泉派は生粋のネオシオニスト御用聞き派である。日本人民大衆が小泉派を嫌悪すべき理由はここにある。日本人民大衆は、この間の政治トレーニングで、このことを感知しつつある。マスコミがいくら小泉派を提灯しようとも、面従腹背しつつ投票一揆で応える術を習得しつつある。中曽根、小泉を名宰相と囃そうとも角栄を恋しがりつつある。

 この辺りで結論とするが、「自民党内のゴタゴタの動向」は、自民党がハト派時代に戻れる能力を持っているかどうかの見極めにこそ意義がある。ないとも云えずあるとも云えない。小泉派が自民から出るのか、逆になるのかの関心もある。いずれにせよ、政権交代論でひたひたと迫り続け、遂にがぶり寄り王手の寸前まで辿り着いている民主党が待ち受けている。民主党内もタカ派ハト派の寄り合い世帯故に、手放しで評価することはできないが、国民的空気は圧倒的に一度政権取らしてやらしてみよう、ダメなら戻せば良いという合意を形成している。

 この局面での自民党内の最後の断末魔とも云うべき怒号の飛び交い合いとしての「自民党内のゴタゴタ」であり、これを見ない手はないであろう。貧すれば窮すは狂すにもなり易い。何が飛びだすか分らない面白みがあると云うべきだろう。

 2009.7.15日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評589 れんだいこ 2009/07/17 21:04
 【小沢の国替え考】

 2009.7.16日、国民新党の亀井静香代表代行が、日本BS放送の番組に出演し、民主党の小沢一郎代表代行について、衆院選での国替えの可能性が高いとの見方を示した、とある。転出先は、太田昭宏公明党代表の東京12区、小泉純一郎元首相の次男が出馬する神奈川11区が取りざたされていると云う。れんだいこが、これを批判しておく。

 結論から申せば、小沢は乗せられてはいけない。地盤の岩手4区から立つべきである。小泉時代の刺客騒動以来、政敵駆逐のために縁もゆかりもない選挙区へ刺客を送り込む手法が訝られなくなったが、邪道である。れんだいこは、小沢の国替えにつき、それが鳩山党首の意向であろうが何であろうが、もっと奥深いところからの邪悪な意思を感じる。

 代議士は地元から出るべきである。衆議院制は、そういう性質のものである。当面の選挙事情から政敵潰しのために刺客として乗り込むなぞ、狂人政治である。ゆめ小泉流を真似てはいけない。

 思えば、角栄の陳情政治は衆議院制の理屈に適っていた。共産党を筆頭としてマスコミを巻き込んで、イカガワシサを喧噪させたが、その対極として地元に何らの貢献もし得ない徳島の三木をクリーンとして称賛したが、狂っていよう。

 代議士は地元に貢献すべきである。市会議員は市会議員なりの、県会議員には県会議員なりの、国会議員には国会議員なりの貢献の仕方がある。いずれにしても大義名分が大事であり、単に私腹を肥やすようなものであってはならない。陳情政治がほどよく出来て初めて選挙区に捉われない幅広い視野からの政治ができるのであり、陳情政治対応ができないものに国政を任せるのはむしろ危険過ぎる。地元を能く治めた角栄は世界にも通用した。なぜなら一事万事であるからである。

 これが真っ当な識見となるべきであるところ、陳情政治をあたかもイカガワシイとして拒否し、国政だけに専念した代議士が居るとすれば、その彼を見よ。国のカジ取りを危め、外資の御用聞きに忠勤し権力を得て得意がるのが通例である。マスコミは、こういう輩を名宰相として囃したてるが、元々の器がバカな者は結局バカなことしか言えない見本だろう。民衆メディアが創建されるなら一喝できるのだが、残念なことである。

 もとへ。小沢よ、決して踊らされるな。こたび麻生が、小泉派の執拗な策動にも構わず解散一直線を目指してぶれなかったが、小沢も見習え。愚直こそ信頼であり、時流が変わっても風雪に耐え得る。岩手4区を岩手全県へ、東北へ、全日本へ、世界へと政治能力を発展させることこそ本筋であり、甘言おだてに乗ってはならぬ。断固として拒否せよ。以上忠言しておく。

 2009.7.17日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評590 れんだいこ 2009/07/18 23:33
 【「日共の2009.7.16声明」考】

 2009.7.16日、日本共産党中央委員会幹部会が「解散・総選挙にのぞむ日本共産党の基本的立場」を発表した。「自公政権を退場に追い込む決定的な“審判”をくだし、新しい日本の進路の“選択”にふみだす選挙に」と付題している。これをどう看るべきだろうか、れんだいこ見解を披瀝しておく。

 まず、先の都議選に対して、議席数を13から8へ大幅に減らしたにも拘わらず、「日本共産党は55万票から71万票に前進しました。わが党が議席を後退させたことは残念ですが、政党間の基礎的力関係をしめす得票で、自公が後退し、日本共産党が前進したことは重要です」などと総括するような党中央に信を置くことができるだろうか。してみれば、こたびのように明らかに大敗した選挙でも善戦前進総括できるのが科学的社会主義的分析ということになる。科学的社会主義なるものがええ加減な云い得云い勝ちな素性得体の知れないものなのか、そのほどが分かろう。

 この間、いつでもどこでも「自分たちだけが正しく、本物野党」なる珍論で自公体制を裏から補完する役回りを担ってきたが、「こうした政権がこれ以上続くことは、国民にとって百害あって一利なしです。主権者・国民の手で自公政権を終焉させることが、日本の政治を前向きに変化させる大きな契機となることは、明瞭です」と云うのは得手勝手が過ぎよう。れんだいこが言い返してあげる。

 「こうした党中央がこれ以上続くことは、国民にとって百害あって一利なしです。主権者・党員の手で日本政党史上最長不倒の宮顕−不破系党中央を終焉させることが、日本の政治を前向きに変化させる大きな契機となることは、明瞭です」。

 共産党中央は、れんだいこが20歳代の頃既に、ということは40年以上前から壊れたテープレコーダーのように「新しい日本への展望を示す日本共産党が伸びることこそ、『国民が、自公政治に代わる新しい政治の中身を探求する新しい時代、新しい政治のプロセス』を、前に進める一番の力となると確信するものです」と言っていた。タコ耳とはこういうことを云うのではなかろうか。少なくとも、40年以上にわたって同じようなことを言い続け、選挙で負けても勝ったと居直り、執行部が責任を取ったためしがない。そういう意味での唯一の政党であることは間違いない。党中央が、次に勝利するのが真の責任の取り方である、ブルジョワ政党とはそこが違うと居直り、党員がソウダその通りと相槌を打つ他党が羨む一枚岩式独特の論法を持っている。

 さて、そういう日本共産党の新路線が提起されたようである。「第一に、国民の切実な要求を実現する立場で、政策要求を積極的に提起し、課題ごとに一致点で協力し、政治を前に動かす『推進者』の仕事を果たします」、「一歩でも二歩でも政治を前に動かすために、一致点での政党間協力を追求し、国民運動と共同して力をつくします」、「『防波堤』となって力をつくします」云々と述べている。

 これにつき、時事通信が、「民主政権に政策提言=衆院選後は建設野党−共産」記事で次のように評している。「共産党はこれまで、自民、民主両党の間に埋没することを懸念し、『自民と民主は同じ方向を向いている』などと批判してきた。しかし、志位氏は『自公が与党でまず責任を問われる。(自民、民主両党を)同列にするのは適切ではない』と述べ、今後は民主党への批判は弱める姿勢を示した」。

 これによると、志位の不破離れが始まったかに見える。それはそれで良い。しかしながら、先の都議選を「前進評価」するようなイカガワシイ度し難いデタラメ総括する態度とセットで打ち出された新路線に信を置けるだろうか。人民大衆からの支持を得る為には、これまでの政権交代のうねりに対する「我が党こそが唯一の野党」なる珍論で立ちはだかり、結果的に自公体制を裏から支えてきたことに対する自己批判から始めるべきではないのか。これも通用せぬ時代になったからといって、やおら新路線を打ち出しても眉唾されるとしたものだろう。

 しかし、「2009.7.16声明」は日本共産党中央委員会幹部会声明として打ち出されている。ここに歴史的意味がある。それを思えば、もう少し吟味せねばなるまい。「唯一の野党論」からの転換としての「建設的野党論」の真意はどの辺りにあるのだろうか、これを読み取らねばならない。こたびの「建設的野党論」は、民主政権に連合するための「建設的野党論」なのか、民主政権を細川政権時と同様に叩き潰すための「建設的野党論」なのか。その正体が見えない。ここは注視すべきところだろう。

 経験則的には、不破指導を受けると後者になる。これを拒否すると前者になる。日共党内が内部政変力によって不破路線を放擲し、民主政権の左バネとして機能して行くような再生能力を持っているだろうか。その可能性があるのだろうか。「2009.7.16声明」の吟味はそういう意味で重要になる。この間、自民、民主、公明では政変を経由している。これらの政変は決してよそ事ではなく他山の石とすべきものである。しかし、日共党員は余りにも深く長期間にわたって民主集中制という名の党中央拝跪制に洗脳され過ぎており、らしき共産党へ戻す力はなかろう。既に理論そのものが無茶苦茶にされている。そう見立てるべきではなかろうか。

 日共の「建設的野党論」の試金石は、来る衆院選での自公対民主連合の激戦区に於ける立候補取り下げも含めた民主連合寄りシフトに転換できるかどうかにある。今では大衆的に明らかにされているが、この間の全選挙区立候補制戦略戦術は裏からの自公体制補完に過ぎなかった。野党割れを策し政権交代を永遠の彼岸に追いやる悪質なものでしかなかった。この路線と決別できるのだろうか。

 恐らくできまい。となると考えられるシナリオは、口先ではとやかく云いつつも、真の狙いは、民主連合政権誕生となるや自公と又もや裏提携して新政権潰しに回る事態である。この事態の方が、「立候補取り下げも含めた民主連合寄りシフトに転換」よりも有り得る。我々は、この手をもう食うまい。

 れんだいこが思うに、日共が政権交代潰しに躍起になればなるほど日共のらしさが露呈し、社会党同様の運命を辿ることになろう。その方が良いのかも知れない。この党はいったん潰れた方が良い。自民党内に於ける小泉派の排除が自民党再生のキーであると同様に、共産党が宮顕−不破ラインから決別しない限りろくな党になりはしない。そういう意味で日共は路線転換をヌエ的にせず、従来路線をとことん突き詰めるのが良かろ。以上を、れんだいこの「日共の2009.7.16声明考」とする。

 2009.7.18日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評590 れんだいこ 2009/07/23 15:08
 【第45回衆院選の解散ネーミング考】

 2009.7.21日午後1時、衆院本会議が開催され、河村建夫官房長官から「紫の袱紗(ふくさ)」に包まれた解散詔書が議長席に届けられると、河野洋平議長が「日本国憲法7条により衆院を解散する」と厳かに読み上げた。恒例の「万歳三唱」。これにより第45回総選挙が始まった。

 さて、この解散はどう命名されるべきだろうか。未だ定まっていないように見受けられるので、れんだいこが名付け親になろうと思う。これを民主党から見れば「政権交代解散」と名付けたいところであろう。この観点を自公から見ると「政権交代阻止解散」となる。麻生首相から見ると「ぶれない解散」と胸を張りたいところであろう。その真意は「コンチクショーヤケクソ解散」かも知れない。しかし、これらは一方の側から見たネーミングであり、与野党ともどもに広く受けいけられるには無理なものがある。

 ネーミングは公平適切なものでなくてはならない。次に、名前一つで当時の政局、解散の意味が分かるものでなければならない。この基準に照らすと、引き延ばし引き延ばした挙句の「とどのつまり解散」、別名「(任期満了前の)ぎりぎり解散」と見るのが穏当なように思われる。しかし、これでは政局が見えない。そこで次のように名付けたいと思う。解散期限のぎりぎりと政局のギリギリを生かしながら、「ぎりぎり正念場解散」。どうだ、れんだいこのコピーライト能力が分かったかふふふ。

 2009.7.23日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評591 れんだいこ 2009/07/23 15:34
 【最後までお騒がせの小泉元首相考】

 衆院解散予告の2009.7.21日、先の衆院選の仕掛人にして小泉チルドレンの保護者たるべき小泉元首相は、神奈川県鎌倉市の円覚寺で「夏期講座」の講師として講演し、衆院本会議に姿を現わさなかった。小泉は、議員生活のケジメをかような形で締めくくった。何たる無責任破廉恥漢なりや。こういう御仁を名宰相として囃したてながら5年有余にわたって権力を掌握させたことを今こそ切腹してお詫び申さねばならないところであろう。

 この経緯を確認すると次のような話になる。小泉元首相は、午前11時前から数百人の聴衆を前に「思うようにいかないのが人生だからorそれでも」との題で講演した。ノーネクタイで白いワイシャツの腕をまくって登場し、「今日は議員として最後の記念すべき講演」と切り出した。途中、鎌倉幕府を舞台にした将軍暗殺などの歴史をひもときながら、「今の権力闘争は甘っちょろい」などと述べ、「午後は首を切られに国会に行きます」と冗談めかして約1時間の講演を締めくくった。その後、車で議員として最後の衆院本会議に向かったが、「首都高速道路の渋滞のため」(小泉氏の事務所)間に合わなかったと云う。「議員は辞めても、政治活動は続ける」と伝えられており、2年前に顧問に就任した政策研究機関「国際公共政策研究センター」を拠点に、今後も政策提言や講演活動を続けていくという。

 これを「最後まで話題に事欠かない人だった」と評するのは遠慮が過ぎよう。もっとズバリ、異常なる非常識さを批判すべきではなかろうか。先の総選挙では、郵政反対組を除名し、刺客を送り込み、大量の小泉チルドレンを生みだした。小泉が真っ当なら彼らに対して責任があるのであり、切腹だけでは済まないのが渡世の仁義であろうが、彼にはこの種の志操が全く欠如している。それどころか鈍感力を自慢する。れんだいこが、狂人と断定する所以である。小泉チルドレンは本来怒るべきところ、今なお慕い申しているところが何とも帳尻があっていると云うべきか。

 来る選挙は、こうした小泉政治の最後的一掃であり、これが本筋である。その結果は8.30日に出るが、「自民党をぶっ壊す」までは認めても「日本をぶっ壊す」までの信認は与えていなかったことを如実に示すことになるだろう。投票一揆の日は近い。それにしても、かような小泉を名宰相呼ばわり提灯し続けたマスコミ論者の責任はどうなっているのだろうか。れんだいこには電波芸者の質が嘆かわしい。田原よ、お前だけではないが、頭隠しても尻が出ておりどうにもなるまい。

 2009.7.23日 れんだいこ拝

衆議院選挙の焦点 安倍重根 2009/07/24 15:24
 フロッピー麻生のブレによる引き伸ばし作戦が破綻して、雪隠詰め状態で遂に衆議院の解散で総選挙が決まった。そうなると日本の将来にとって決定的なものが必要になるが、それは安倍と麻生を落選させるという提案である。その提案を以下に引用する。
提案
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Re:無能だった安倍元首相や麻生前首相を落選させる 絶好の妙案
投稿者 いにしえの 日時 2009 年 7 月 22 日 14:55:29: .mgHwtSne6rXM

(回答先: タイムリーの出版になるかどうか、『さらば暴政』の書評第一号 投稿者 怪傑ゼロ 日時 2009 年 7 月 22 日 11:32:56)

 『神州の泉」の管理人が書いた書評とても参考になりました。早く本が読みたくてうずうずしています。本を読んでいないのにこんなことを言えば変ですが、目次を見た感じでは安倍元首相や麻生前首相が如何に無能であり、国民のことを考えない暴虐政治をやったかについて、徹底的に論証しているのではないかと予想できます。一日も早く書店に並んで欲しいと思うだけでなく、もしこの本を安倍さんや麻生さんの選挙区の民主党の対立候補が、何百冊も買って選挙民に読んで貰うように工作したら、首相をやった二人の世襲代議士が落選するかもしれないと思うと、興奮して眠れなくなるような感じがするのですが、そういうことが日本で実現したら、この国も捨てたものではないと思いますがいかがですか。

Re::れんだいこのカンテラ時評592 れんだいこ 2009/07/24 21:28
 【不破と中曽根の対談考】

 2009.7.19日付けサンデー毎日に「中曽根VS不破対談」が掲載されている。日数の鮮度が少々褪せたが、これに注目する者が少ない割には見逃してはならない記事と思うので、れんだいこがコメントしておく。

 司会は毎日新聞専門編集委員・松田喬和で、「大勲位」こと中曽根元首相(91歳)と「戦後日本共産党の理論的支柱」こと不破前議長(79歳)の「政界引退後初の」対談となっている。冒頭、不破が、今から40年前、毎日新聞の紙上討論会で、安全保障を廻って中曽根と論戦したことが明かされる。当時の日共議長・宮顕を首相に見立てて、不破を含め4名が大臣になり、自民党から船田中、中曽根が参加して野党の立場から質疑するというユニークなものであったらしい。

 ここで、貴重なことは論の中身ではなく、不破が国会議員前の段階で、宮顕に連れられて中曽根と顔合わせしていることにある。宮顕と中曽根は、読売のナベツネを介在させればかなり誼(よしみ)を通じている間柄であることが判明しており、これを思えば不破のお披露目の感がある。

 不破は次に、1969.12月の総選挙で初当選し、翌年の沖縄国会で総括質問した際に、愛知外相とのやり取りでらちがあかなかったところ、質問後の廊下で、中曽根がやって来て不破質問を激賞した経緯があるという秘話を明かしている。これも、質問の内容はどうでも良い。不破と中曽根の親密さを確認すれば良い。

 次に、司会者が、不破の新著「マルクスは生きている」(平凡社)に触れ、中曽根が「私も送っていただきました」と述べている。その本の中身の議論はどうでも良い。不破と中曽根が著書を贈る贈られる関係にあることを確認すれば良い。

 対談はその後、不破と中曽根のマルクス談義に入り、不破が例によって曲解マルクス詐術論を開陳している。中曽根が、これをヨイショし、不破が共産党のイメージを修正したことを評価している。ソフト路線が確立され、「強敵が現れたなと思いましたね」とオベンチャラしている。不破もお返しで「青年将校と呼ばれた時代から名うての方」と持ち上げている。対談はその後、核談義に入り、「政権交代談義」へと移り、「ウマ年談義」に入り締めくくりとなっている。ここで肝要なことは、不破と中曽根がただならぬ親密さにあることを確認することであろう。

 以上、無難且つ和やかな対談であり、取り立ててどういうこともないようにも思われるが、れんだいこの受取りようは違う。この対談は、不破と中曽根が実は裏でかくも仲良しクラブであったことを当人同士が明らかにしている点に意義がある。かたや自民党内タカ派のエースたる中曽根と、こなた共産党内のエースたる不破が有無通じていたことを窺わせる貴重な対談となっていることに意味がある。

 ここまで云えば分かる物もあろう。戦後政治史を検証して行くと、1960年代から70年代に謳歌していた政府自民党内のハト派全盛政治は、1976年のロッキード事件を境に急速に掣肘され始め、代わって台頭してきたのが三木、福田、中曽根というタカ派政治であった。この流れを右から促進せしめたのが中曽根派であり、左から促進せしめたのが宮顕−不破派であったという推定が成り立つが、これを問わず語りに語ったのがこの対談であるということになる。

 司会者の松田氏は恐らくそこまでは考えていまい。ひたひたと迫りつつある政権交代の流れに対して、中曽根と不破が阻止派として重要なキーマンであることを感じ取り、対談をセットしたのではなかろうかと思われる。この嗅覚はジャーナリスティックなものとして問題はない。あるとすれば、両者の対談がかくも和やかに進展したことにある。その裏に何があるのか、受け取りようは各人各様であって良かろう。れんだいこは、両名のもうろくによる警戒心の緩みを感じ取る。こうやって真実は次第に現れることを見てとる。

 もとへ。自民党内タカ派と日共がかくも裏で繋がっていたと仮定して歴史を読み解けば、案外面白い様々な事件事象に出くわすことになるのではなかろうか。ロッキード事件での宮顕、上耕、不破の異常なはしゃぎぶりを、その眼でも直すのも良かろう。こたびの総選挙も然りである。日共はこれまで全選挙区立候補制を敷き、野党間の分裂を策してきた。何度、共産党票が民主に流れていたら勝てるチャンスがあったことか。今回は幸福の科学が代役しているが、その影響力は小さい。

 今や、そういう日共の分裂策が功を奏さない形で政権交代が始まっている。与党の自公体制に対して野党の民主、社民、国民新党、日本新党、大地党が足並み揃えて共同ブロックを形成して王手詰めを掛けている。この流れは不可逆的で小沢采配の光るところである。漸くここまで辿り着いたことになる。その小沢を説明責任論で引きずり下ろした鳩山−岡田ラインが説明責任で足元を掬(すく)われないすことを祈る。政権交代ブームに幻滅与えるような上からの変調を仕掛けないよう祈る。既に政策変更が始まっており、今後何が起こるか不気味ではある。

 そういうあれこれを思えば、2009.7.19日付けサンデー毎日の「中曽根VS不破対談」はなかなか味わい深い秘話開陳であったことになる。政権交代後に何事かを企てているのかも知れない。これらことを確認したかったので以上コメントしておく。

 2009.7.24日 れんだいこ拝

Re:衆議院選挙の焦点 れんだいこ 2009/07/24 21:32
 安倍重根さんへ。こたびの選挙の眼目は小泉派の一掃であり、この重要性を思えば安倍、麻生などはどうでも良いのです。これを逆に仕掛ける向きの動きには警戒します。これが、れんだいこの答えです。何でも聞いて下さい。カシオミニで応えます。

 2009.7.24日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評592(訂正版) れんだいこ 2009/07/24 21:41
 【不破と中曽根の対談考】

 2009.7.19日付けサンデー毎日に「中曽根VS不破対談」が掲載されている。日数の鮮度が少々褪せたが、これに注目する者が少ない割には見逃してはならない記事と思うので、れんだいこがコメントしておく。

 司会は毎日新聞専門編集委員・松田喬和で、「大勲位」こと中曽根元首相(91歳)と「戦後日本共産党の理論的支柱」こと不破前議長(79歳)の「政界引退後初の」対談となっている。冒頭、不破が、今から40年前、毎日新聞の紙上討論会で、安全保障を廻って中曽根と論戦したことが明かされる。当時の日共議長・宮顕を首相に見立てて、不破を含め4名が大臣になり、自民党から船田中、中曽根が参加して野党の立場から質疑するというユニークなものであったらしい。

 ここで、貴重なことは論の中身ではなく、不破が国会議員前の段階で、宮顕に連れられて中曽根と顔合わせしていることにある。宮顕と中曽根は、読売のナベツネを介在させればかなり誼(よしみ)を通じている間柄であることが判明しており、これを思えば不破のお披露目の感がある。

 不破は次に、1969.12月の総選挙で初当選し、翌年の沖縄国会で総括質問した際に、愛知外相とのやり取りでらちがあかなかったところ、質問後の廊下で、中曽根がやって来て不破質問を激賞した経緯があるという秘話を明かしている。これも、質問の内容はどうでも良い。不破と中曽根の親密さを確認すれば良い。

 次に、司会者が、不破の新著「マルクスは生きている」(平凡社)に触れ、中曽根が「私も送っていただきました」と述べている。その本の中身の議論はどうでも良い。不破と中曽根が著書を贈る贈られる関係にあることを確認すれば良い。

 対談はその後、不破と中曽根のマルクス談義に入り、不破が例によって曲解マルクス詐術論を開陳している。中曽根が、これをヨイショし、不破が共産党のイメージを修正したことを評価している。ソフト路線が確立され、「強敵が現れたなと思いましたね」とオベンチャラしている。不破もお返しで「青年将校と呼ばれた時代から名うての方」と持ち上げている。対談はその後、核談義に入り、政権交代談義へと移り、ウマ年談義で締めくくりとなっている。ここで肝要なことは、不破と中曽根がただならぬ親密さにあることを確認することであろう。

 以上、無難且つ和やかな対談であり、取り立ててどういうこともないようにも思われるが、れんだいこの受取りようは違う。この対談は、不破と中曽根が実は裏でかくも仲良しクラブであったことを当人同士が明らかにしている点に意義がある。かたや自民党内タカ派のエースたる中曽根と、こなた共産党内のエースたる不破が有無通じていたことを窺わせる貴重な対談となっていることに意味がある。

 ここまで云えば分かる者もあろう。戦後政治史を検証して行くと、1960年代から70年代に謳歌していた政府自民党内のハト派全盛政治は、1976年のロッキード事件を境に急速に掣肘され始め、代わって台頭してきたのが三木、福田、中曽根というタカ派政治であった。この流れを右から促進せしめたのが中曽根派であり、左から促進せしめたのが宮顕−不破派であったという推定が成り立つが、これを問わず語りに語ったのがこの対談であるということになる。

 司会者の松田氏は恐らくそこまでは考えていまい。ひたひたと迫りつつある政権交代の流れに対して、中曽根と不破が阻止派として重要なキーマンであることを感じ取り、対談をセットしたのではなかろうかと思われる。この嗅覚はジャーナリスティックなものとして問題はない。あるとすれば、両者の対談がかくも和やかに進展したことにある。その裏に何があるのか、受け取りようは各人各様であって良かろう。れんだいこは、両名のもうろくによる警戒心の緩みを感じ取る。こうやって真実は次第に現れることを見てとる。

 もとへ。自民党内タカ派と日共がかくも裏で繋がっていたと仮定して歴史を読み解けば、案外面白い様々な事件事象に出くわすことになるのではなかろうか。ロッキード事件での宮顕、上耕、不破の異常なはしゃぎぶりを、その眼で見直すのも良かろう。こたびの総選挙も然りである。日共はこれまで全選挙区立候補制を敷き、野党間の分裂を策してきた。何度、共産党票が民主に流れていたら勝てるチャンスがあったことか。今回は幸福の科学が代役しているが、その影響力は小さい。


 今や、そういう日共の分裂策が功を奏さない形で政権交代が始まっている。与党の自公体制に対して野党の民主、社民、国民新党、日本新党、大地党が足並み揃えて共同ブロックを形成して王手詰めを掛けている。この流れは不可逆的で小沢采配の光るところである。漸くここまで辿り着いたことになる。その小沢を説明責任論で引きずり下ろした鳩山−岡田ラインが説明責任で足元を掬(すく)われないことを祈る。政権交代ブームに幻滅与えるような上からの変調を仕掛けないよう祈る。既に政策変更が始まっており、今後何が起こるか不気味ではある。

 そういうあれこれを思えば、2009.7.19日付けサンデー毎日の「中曽根VS不破対談」はなかなか味わい深い秘話開陳であったことになる。政権交代後に何事かを企てているのかも知れない。これらことを確認したかったので以上コメントしておく。

 2009.7.24日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評593 れんだいこ 2009/07/25 22:24
 【第45回総選挙の議席予想ネット・ゴング】

 来る衆院選の議席予想「百万人のネット・ゴング」を以下の要領で行いたいと思います。どなたかセットをお願い致しますヘルプミー。れんだいこはパソコンオンチでして残念ながら作れないのです。作られた方はご連絡ください。れんだいこも投票します。以下は参考で良いです。とにかく参加させてください。新聞社が注目するようデータが取れればよいですね。今なら間に合うと思うよ。

 ------

 第45回2009.8.30総選挙の予想ネット・ゴング

 あなたは選挙に行かれますか。投票率は上がると思いますか(2003年は59.86%、2005年は67.52%)。

 はい○、いいえ○、大幅増○、微増○、微減○、減○、大幅減○

 政権交代なると思いますか。

 なる○、ならない○、関心なし○

 反麻生派、小泉チルドレンの議席予想をしてください。

 大幅増○、増○、現状維持○、減○、大幅減○    

 あなたはどの政党に投票しますか。

 与党連合派・自民党○、公明党○
 野党連合派・民主党○、社民党○、国民新党○、日本新党○、新党大地○
 孤高単独派・共産党○、無所属○、幸福実現○

 自民党(現有296議席)の議席予想 大幅増○、増○、減○、大幅減○ 
 民主党(同113議席)の議席予想  大幅増○、増○、減○、大幅減○
 公明党(同31議席)の議席予想   微増○、微減○
 共産党(同9議席)の議席予想    微増○、微減○
 社民党(同7議席)の議席予想    微増○、微減○
 国民新党(同4議席)の議席予想   微増○、微減○

 ご協力ありがとうございました。 

 ------

 だいたいこんなのでどうだろう。小泉ジュニアだとかその他の興味深い選挙区入れても良いけど、煩雑になるのでシンプルにしました。選挙は現代のお祭りです。投票行って速報で2倍楽しまなくっちゃ。

 2009.7.25日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評594 れんだいこ 2009/07/28 21:30
 【45回衆院選序盤情勢考】

 「8月18日公示、30日投開票」の来る45回衆院選挙は、自民党の記録的壊滅と云う歴史的事件になりそうな様相を見せている。これを序盤(解散決定時)、中盤(公示日)、終盤(投票直前)、総評(選挙後)に分けて分析してみたいと思う。歴史的事件にはそれなりの応対が適切であろうということと、今後どんなハプニングが待ち受けているか分らないのでその都度の流れを確認しておきたいと思うからである。

 7月28日現在つまり序盤情勢は、民主党が都議選以来の勢いを持続しており、与党にとってただならぬ気配を見せている。このまま投票に向かえば、2005年の小泉采配による自民党の記録的圧勝の丁度裏返しになりそうな気配である。既に各メディアでも予想されているが、民主党が単独で過半数に達することは間違いない。社会党増、国民新党微増をも巻き起こしながら民主連合派が圧勝する瞬間が刻一刻と近づきつつある。これを逆に云えば、自民党は、死の行進による集団自殺に向かっていることになる。墓場選挙となり葬式が相次ぐことが予想される。公明党もこたびははっきりと退潮するであろう。都議選の如く現有議席を維持するのは困難であり、手痛い敗北を喫するであろう。独善孤高派の共産党は、これ以上下がりようのない議席となっているので踏みとどまると思われるが、更に減らす可能性がないわけではない。こういう按配(あんばい)になっている。

 その要因をどこに求めるべきだろうか。この本筋が解明されるべきであろうが、マスコミ各社はこれを論評することなく、徒に議席予想、世襲問題を取り上げてお茶を濁している。既にそれぐらいの能しかないということだろう。そういうのらりくらり当たり障りのなさは、れんだいこの性に合わないので論評しておく。

 民主党圧勝の要因は、云うまでもなく人民大衆の生活危機、将来不安に根ざしている。小泉流悪政により年金、医療、社会保険、雇用が破壊され、他方でハゲタカファンドの我が物顔のふるまい、カンポ施設の1円、千円、1万円払下げに象徴されるような既成政治の腐敗、財源がないと云いつつ他方で軍事防衛費には金に糸目をつけない乱費、国際責任論による海外への資金流失、その裏腹で国内の中小零細企業のバタバタと音を立てての倒産、世界に例を見ない年間3万人以上に及ぶ自殺、猟奇事件の多発等々に対する政治への不信が渦巻いている。

 日本人民大衆は新しい政治の質、進路設計を求めている。そういう不満のはけ口が野党に期待感を持たせている。一度やらせてみよう、ダメなら戻せば良いという国民的合意が形成されており、この空気はもはや如何ともし難い。こうなってはマスコミ総動員による阻止キャンペーンも難しい。つまり、体制側にとって打つ手がないジレンマ事態に陥っていることになる。

 民主党圧勝の要因は、単にそういう機運故ではない。さほど指摘されていないが、こたびの選挙が初めて与党連合対野党連合の決戦構図となっていることにある。これは、小選挙区制という選挙区1名当選方式では当たり前の戦略戦術となってしかるべきなのだが、これまでの選挙において、この当たり前のことができていなかった。与党は自公で選挙割連合しているというのに、野党は分裂したままの闘いを飽くことなく繰り返し、まんまとしてやられるという芸の無さを見せ続けてきた。これまで幾度、野党が連合しておれば勝てた闘いを死屍累々とさせてきたことか。煮え湯を飲まされてきたことか。

 こたびはこの点が違う。民主党が初めて目的意識的な対抗戦略を打ち出し、これを現実のものとしている。ここに民主党圧勝の技術的要因がある。民主は、自民と公明が助け合う関係でバックアップしていることを分析し、それに対抗させて水戸黄門ばりに社民と国民新党を助さん格さんにして闘いを挑んでいる。大地、日本新党をも取り込んでいる。取り込めないのは共産党だけで、かくて野党連合を成立せしめている。誰がこれに采配を振るったのか、これは云うまい。ここまで至るには相当の苦難があったものと思われるが、見事に人民大衆が待ち望んできた勝利の方程式を敷き終えている。2009衆院選はかくて、与党連合対野党連合の決戦方式の下で刻一刻と「8.30投票戦」を向かえつつある。

 共産党は、長年にわたって全選挙区立候補方式による野党間分裂を仕掛けてきたが、もはや引っ掻く程度のことしかできない。偶然かどうか分らないがこたびは候補を絞ることになった。これも野党連合を有利にしている。しかしながら、この期に及んでも、共産党の選挙戦術は奇妙である。候補を擁立した選挙区と取り下げた選挙区の立候補基準が曖昧で、科学的社会主義を自認し饒舌している割にはとんだ科学性ぶりを示している。「少数絞り込み」になっている分だけ手強くなっているのが普通であるが、単にじり貧の結果としての絞り込みでしかないようにも思える。留意すべきは、相変わらず自公対民主連合の競り合い区に投入している感があることであろう。「民主政権=自民党よりも危険な政権論」によっていると思われるが、この棒は振り回せばするほど嫌悪される循環に入っている。しかし今や、如何なる独善主義的策動を凝らそうとも影響力はない。これを逆に云えば、野党連合が、共産党式分裂策動にも拘わらず大きく前進してきたことになる。

 こたび宗教法人幸福の科学が幸福実現党という名でかっての共産党式全選挙区立候補方式で参入している。が、その影響は無視して良かろう。同党の参戦は、創価学会−公明党に続いて同党がただ単にかなりの資金を要す選挙戦を担う能力があることを見せたことに意義があるのかも知れない。この裏にどういう思惑があるのか分らない。奇妙な感だけする突如の参戦となっている。

 さて、こういう情勢下の序盤戦となっている。小選挙区300のうち、ほぼ210選挙区以上で実質上の自民対民主の直接対決となっている。与党内で公明が自民を支えているようにその他野党が民主を支えることができれば、自民の65議席は堅いとして残りの145議席は民主のものとなる。民主の戦略は、そのお返しとして社民党、国民新党、無所属が立つそれぞれ数選挙区で候補を取り下げて協力している。これらの選挙区で選挙協定がうまく機能すれば野党連合の威力は倍加し、政権交代を加速することになる。これによると概略、自民70議席前後、公明3、民主200議席前後、社5、国民新5、日本0、共産0、無所属9見当が予想される。

 比例区票を2005年衆院選基準(自民77、公明23、民主59、社民6、国民2、大地1、共産9)に換算しても、与党が過半数の241議席を獲得するのは不能で、与党170議席前後、野党310議席前後ということになる。実際には、比例区でも民主が伸び、自公が減ると思われるので、「与党160、野党320」による議席差160、あるいはそれ以上という線が考えられる。中盤、終盤にずっこけない限り、これがほぼ堅い話になる。

 付言しておけば、こたびの選挙で「小泉チルドレン83名」は跡形もなく消えてしまうであろう。東京10区の小池百合子が僅かに残るかどうかという形勢である。中川、武部らの小泉派はこぞって墜落する。そればかりではない。かって及び現在の有力閣僚、大物議員まで枕を並べて討ち死にする可能性がある。まさか現職首相まで及ぶとは考えにくいが、いたるところで思わぬトン死が相次ぐであろう。自民党は全体に旧田中派、大平派系譜の底力が見られ、その他のタカ派系派閥は格段に議席を減らす可能性が強い。小泉派壊滅の裏返しで郵政造反組の復活当選が見られそうでもある。概ね無所属から出馬しているので、一騎当千の兵(つわもの)揃いの10名規模当選が考えられる。

 こうしてみると、2009衆院選は大変な選挙になりそうである。近代史上、幕末維新の際に江戸幕府から明治新政府に政権交代した例以来の珍事が起こりそうである。しかも、「普通選挙による初めての革命」的な変化を伴う政権交代ということにもなる。日本史上に本当にこういうことが起こるということが間もなく教えられようとしている。その昔、鍬と鎌を手に筵(むしろ)旗を押し立てての百姓一揆が投票用紙に持ちかえて押し寄せそうな気配である。これを投票一揆と呼ばずして何と云おうか。

 当然、新政権の質が問われることになるが、今から難しく問うことはなかろう。議会を通じた政権交代を可能にならしめた国としての記録を歴史に刻む価値の方が高かろう。新政権が左右両翼からなる混合世帯である以上、これを興させてから対応策を考えれば良かろう。そういう意味で、「民主政権=自民党よりも危険な政権論」を持ち出す者には眉唾するが良かろう。新政権をを左から支えるなり、左から抵抗するなり「左バネの闘い」はそれからで結構ではなかろうか。まずは政権交代を呼び込むべきであろう。

 民主党は興味深いことに、かっての自民党の如く保守から革新まで、右から左まで、タカ派からハト派まで巻き込んだ寄り合い世帯となっている。これは悪いことではなく、素晴らしいことだと受け取るべきであろう。徒に衛生的硬直的な組織論を弄ばずに、日本政治がこのところ久しく忘れている衆議を寄せて叡智を生みだす談じ合い政治を生みだす可能性に賭けるべきであろう。こたびの衆院選は、その第一歩を記す闘いと位置付ければ良い。以上を、序盤戦情勢分析とする。

 2009.7.28日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評435 大西時子 2009/07/29 13:33
 ごめん下さい。阿波の古代史を読み齧り聞き齧り研究始めた者でございます。竹内文書関連の本を読んでおりまして「役行者の弟子韓国連広足」の箇所を見つけこの「韓国」とは何を意味するのかという疑問を持ちましてネットで検索しましたところ貴殿のご研究訪問となりました。天孫ニニギノ命が高千穂峰に降り立ったとき「ここは韓国にむかひ 笠沙の岬を真来通りて 朝日ただ刺す国 夕日の照る国なり」とあります。この韓国(からくに)との関係を調べております。お忙しいところ恐縮でございます。お分かりでしたら情報いただけますれば幸せです。 

Re:れんだいこのカンテラ時評435 れんだいこ 2009/07/29 14:55
 大西時子さんちわぁ。「阿波の古代史」は確かに興味深いですね。竹内文書を始めとするいわゆる古史古伝、役行者も然りです。「韓国連広足」については、元弟子で、彼の讒言により役行者が配流されることになったぐらいしか分かりません。

> 天孫ニニギノ命が高千穂峰に降り立ったとき「ここは韓国にむかひ 笠沙の岬を真来通りて 朝日ただ刺す国 夕日の照る国なり」とあります。

 これについてですが、この記述は何によっていますか。読んだことがあるような気もしますが、出典が分かりません。取り込みたいと思います。れんだいこの知識はたいしたことありません。共に学びたいと思います。それはともかく古代史の秘密を解くことは、邪馬台国論も含めて面白いですね。その時の政変の歴史的DNAが今も続いていると思うとわくわくします。れんだいこの余生を費やしたいのですが貧乏暇なしでなかなか難しいです。

 2009.7.29日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評594 れんだいこ 2009/08/02 10:17
 【45回衆院選、たすけあい党のマニュフェスト】

 2009.8.2日現在、2009衆院選に向けての各党のマニュフェストが出揃いました。我が党は、そのどれもに到底容認できないので、我が党のマニュフェストを発表し、各党のそれが如何にデタラメな甘言公約でしかないかを明らかにしようと思います。既に党首の頭脳においては青写真ができておりますが、党員、党友、その他の皆様からのご意見、要望をお受けいたします。

 参考までに2005衆院選マニュフェストは次の通りです。
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/jissen/tasukeaito/senkyomanufest/2005syuinsen.html)

 2009.8.2日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評595 れんだいこ 2009/08/02 12:51
 【「たすけあい党の2009衆院選マニフェスト5つの指針」】

 2009衆院選に対するたすけあい党のマニュフェストを発表いたします。残念ながら、我が党は候補者を擁立できるところまで辿り着いておりませんが、あすなろ精神で参りたいと思います。コンペイトウが液状化の中から一気に突起化するように、我が党が日本政界に躍り出る日が来ないとは限りません。党員、党友頑張ろう。

 我が党は特に次の諸点を訴え、日本の政治に責任を持ちます。大枠次のように日本を改組いたします。一言標語は「正念場日本−未来を切り開け」。

 1 政界再建虎の巻
  日本政界からを買弁系タカ派の小泉−竹中派ご一統を一掃せよ。政界再編はここからしか始まらない。2009衆院選は、この闘いの正念場である。民主連合派の政権交代を後押しせよ。これを左バネから支えよ。

 2 官僚機構再建虎の巻
  官僚の資質劣化は憂慮する事態である。有能の士を登用し、買弁派を一掃せよ。天下り機構を簡素化させ、利権構造を解体させよ。冗費を一掃せよ。高給天下り、退職金の谷渡りを阻止せよ。カンポ施設の不当払下げ関係者を処罰せよ。

 3 軍事予算縮小虎の巻

 軍事防衛予算に大ナタを振るい、少なくとも国民総生産の1%枠に戻せ。思いやり予算などというフザケタ予算を即刻廃止せよ。専守防衛区域を復活させ、自衛隊の野放図な海外派兵を阻止せよ。現組織を次第に憲法枠内に治めさせるよう自衛隊を国土防衛隊化に向けて改組せよ。

 4 経済再建虎の巻

 内治主義的景気対策を振興し公共事業を再生させよ。経済成長政策に転じ、極悪財政状況を税収の自然増化で打開させよ。消費税を廃止させよ。国債の累積債務の重圧を処方せよ。税制に典型的な複雑多岐な方式を根本から改め簡素化させよ。官と民共同による親方日の丸秩序を再建し市場を活性化させよ。

 5 法曹界再建虎の巻

 戦後憲法をむしろ未来先取り憲法と評し論憲護憲せよ。憲法改正化の流れを阻止せよ。法治主義の原則に立ち、「上からの法破り」を処罰せよ。著作権万能商法を掣肘せよ。

 我が党は、2009衆院選に当たり以上の「5つつの指針」を提起する。各論については、「たすけあい党」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/tasukeaito/tasukeaito.htm)で詳論する。
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【2009.8.30衆院選に向けてのたすけあい党の檄】

 2009年衆院選は、小泉マジックにより自公の圧勝で終わった。あれから4年が経過し、苦汁をなめさせられた民主党は小沢采配の下で復権し、政権交代の足音高く2009総選挙態勢を組み了えている。その小沢は政治資金法規制の罠に嵌められ代表辞任を余儀なくされた。後継した鳩山−岡田執行部は今のところ政権交代任務遂行に真一文字に精励している。

 2009年衆院選で何が問われようとしているのか、再確認しておきたい。一つは、自民党内の小泉派と反小泉派の内ゲバである。その傷は深く、自民党内は、2009年衆院選で大量生産された小泉派の存在によって党的機能を大きく支障され、空中分解寸前の危機に陥っている。この党には在りし日の戦後主流派を形成していたハト派が既に駆逐されており、濃度の違いでしかないタカ派間で政争に明け暮れている。狂人小泉派対バカ殿麻生派という構図での権力闘争を演じている。これを子細に見ると、小泉系狂人政治の方がより危険ということになるが、麻生系バカ殿政治も又時代対応能力を失っており政権を任すに足りない。纏めて一掃されるに如かずであろう。

 もう一つは、民主連合派による政権交代のうねりである。民主党は苦節二十余年、漸く政権奪取の絶好機会を手に入れた。民主党、社民党、国民新党、日本新党、新党大地がガッチリとスクラムを組み会戦に臨もうとしている。共産党も真の野党論から建設的野党論に転じ是々非々対応し始めた。これらの要因により、まさかの明治維新以来の政権交代が実現しそうである。日本人民大衆が自公政治を嘆息嫌悪し、ここはいったん民主にやらせ、無能さが明らかになれば又戻せば良いとする国民的合意の下で圧倒的な投票一揆の構えを見せている。

 我が党は、これらの動きを歓迎する。思えば、れんだいこが青年時代の1970年代初頭、共産党が「70年代の遅くない時期の民主連合政権の樹立」をスローガンにしていた。政治的におぼこかったれんだいこは、これにコロッとやられ、本来全共闘運動に憧れていたのにこのスローガンに列なった。共産党のその後のスローガンは「20世紀の遅くない時期の民主連合政権の樹立」に転じ、これも叶わぬとなると「21世紀の早い時期」となり、これも叶わぬとなると「我こそが真の野党論」となり、これも叶わぬとなると「建設的野党論」となった。遠い廻り道であったが、共産党はようやく本来の軌道に戻ったことになる。一切の自己批判的総括のないところがお笑いであるが、大衆の声を聞くと云う大衆路線にシフトし得たことは僥倖であろう。

 民主連合派による新政権の政策について今から語ることは、「取らぬ狸の皮算用」になりかねないので控えることにする。少なくとも「たすけあい党の2009衆院選マニフェスト5つの指針」が尺度となる。現実の民主連合派はかっての自民党の如く寄り合い世帯なので、諸政策が混淆している。我々は、これを左バネ的立場から或る時には支援し、或る時には批判すれば良かろう。細川政権時の対応のように徒に打倒を叫んで左翼ヅラする愚を戒めねばなるまい。

 政治の要諦は責任政治にある。思えば、日本左派運動はこの点で、余りにも長期間穀潰ししてき過ぎた。批判は如何に鋭く為そうとも所詮批判であり、絶えざる処方箋政策を対置し、あわよくば政権を奪取し、主張してきたところの政策を具現化せねばならない。その出来栄えの功罪を見定め不断に点検手直しする。これを責任政治という。日本左派運動にこの観点と作法があったなら、その後の日本は今日の如く国際金融資本に隷従させられ、御用聞きの挙句雑巾の如くに使い捨てされることはなかったであろう。我々は一刻も早く民族と国家に責任を持ち国際政治をうまく御す能力を身につけねばならない。

 自公的政治は余りにも深く国際金融資本シナリオに染められ過ぎている。今彼らは自衛隊の恒常的海外出動を急ごうとしている。日本人をアジアとアラブで闘わそうと策動している。民主連合派政治がこの罠から抜け出し、本来の愛国愛民の責任政治に軌道を戻すことを願う。野党連合がが一にもに自公的政治よりも酷い国際金融資本拝跪政治に向かうなら、この時こそ日本左派運動の出番が待ち受けていることになるだろう。

 2009.8.2日 たすけあい党党首れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評596 れんだいこ 2009/08/16 11:20
 【第45回2009衆院選の画期的意義考】

 8.18日、第45回2009衆院選が公示される。こたびの選挙が如何に画期的か、これを確認しておく。要するに、日本政治史上初の議会選挙を通じての政権交代と云う「日本版平和革命」が本当に実現しようとしているところにある。このことが如何に画期的なことであるか、歴史眼を通せば見えてくる。逆に云えば歴史眼がなければ分からない。字義通りの意味での革命とはかなり面貌が異なるが、形式的でも良い「選挙を通じた平和革命」と云う有り得べからざる政治ドラマに着目すれば良い。

まず、このことを讃辞すべきであろうが、左派圏界隈で新政権の内実を危惧して政権交代を阻止せんとする者が居るとすれば、単なる気難し屋でしかないか学んで却って馬鹿になる根っからのよほどの馬鹿であろう。口先万年体制批判で悦に入り左派ぶり続けていても、この連中はむしろ反動の側に列なっている。政治に於ける責任能力を欠いた、それを考えることのできない本質的に体制事大主義的なお調子者に過ぎない。

 そういう者は知るが良い。「選挙を通じた平和革命」の内実が二大政党制論に支えられた米欧的議会主義によりもたらされていようとも、戦前戦後を通じての遠い彼岸の夢物語でしかなかった「選挙を通じた平和革命」であることには変わりがなく、日本左派運動は本来この道を執拗に手繰り寄せるべきであったところ、自らこれが難しいとして労を採ろうとしなかったし、そもそも能力がなかったことを。そういう按配であったから、社共的右派は議会内野党運動に向かい、新左翼系は体制の虚構をプロパガンダし一挙的体制転覆式暴力革命を目指して反体制運動に精励し、共に潰えた歴史が刻まれているのではなかろうか。

 日本左派運動の右派も左派も、「選挙を通じた平和革命」なぞできないと仮定しての指針の下に、それぞれの指針にのめり込んで行った。今日から思えば、「できない」とする理論の方こそが虚構で、粘り強く取り組めば「できる」とすることこそが必要な観点だったのではなかろうか。日本左派運動が、これまで何故に、これを目指さなかったのか。そういう問いを迫るのが、こたびの第45回2009衆院選の画期的意義となっているのではなかろうか。

 歴史的に見れば、日本左派運動が目指さなかった訳ではない。戦後直後の日本共産党を指導した徳球−伊藤律系党中央は、ロシア10月革命に続く二番手争いを中国と競い、1947年の2.1ゼネストであわば実現せんとしていた事歴がある。かの時は結果的に占領軍GHQ権力に阻まれたとは云え、その功績は燦然としている。次に、19749年の9月革命史がある。この時、徳球−伊藤律系党中央の日本共産党は、社会党をも巻き込む社共合同運動により戦後革命の最後の決戦に向かった。しかし、この闘いも、この肝腎な時に内からの分裂策動と外からの強権弾圧に挟撃され失敗する。これにより戦後革命の夢が流産する。

 以来、日本左派運動が政権奪取に王手を掛けた例はない。日本左派運動は政権奪取を視野から失い、左右に分裂を深めて行く。れんだいこに云わせれば、日本左派運動の軌道外れがここから始まっている。誰が誘導したのか問われないまま今日に至っている。右派は次第に体制内の万年批判野党として、いわゆる体制修繕運動に向かい始める。左派は右派批判をバネとして暴力革命論に傾斜し、60年安保闘争、68−70年全共闘運動、71−73年暴動闘争に向かった末に逆に封殺される。その後の日本左派運動は政治的激動を生みだし得ないまま、口先批判を専らとする運動に矮小化してきた。この流れが2009年現在まで続いていると看做して差支えない。日本左派運動は、これに対する俯瞰的な総括を為し得ないままズルズルと後退し続け今日の政治状況へと至っている。かく判ずる必要があるように思われる。

 ここまで述べればお分かりいただけるように、45回2009衆院選の「民主連合による選挙を通じた平和革命による政権奪取」は、日本左派運動とは別系の流れにより生み出されつつある政治ドラマである。それは、日本左派運動が遂に叶えられなかった積み残した夢の実現でもある。それは、民主連合派の能力が日本左派運動の能力に優っていることを示している。こう捉える史観が欲しい。

 興趣は次に、この運動の主体は誰かの解明に移る。れんだいこは、非常に多岐な潮流を見てとる。一つは、鳩山−岡田−前原系の民主党内ネオシオニズム派とでも云うべき戦後タカ派の系流である。この流れが、自公政権的保守政治からの転換を夢見ているように思われる。共に改憲派であり、自公政治と目先を変えただけの新たな御用聞き政治に向かう可能性が強い。しかしながら安逸な批判は避けねばなるまい。ミソはリベラル性にある。これにより、ワシントン直通の自公政権的売国御用聞きベッタリ政治手法は採用し得ないと見立てたい。これが救いと云えば救いではなかろうか。

 次に、小沢−羽田−渡部系の角栄チルドレン派の系流である。この流れが、戦後保守本流を形成した1960−70年代的政府自民党ハト派政治の復権を夢見ているように思われる。ミソは与党的政治責任能力にあり、自公政権的強権政治手法とは違う和的政治による政権運営に汗を流すと見立てる。これを補翼するのが、国民新党、日本新党、新党大地、郵政造反組の保守系反ネオシオニズム派である。この系譜は、自民党内に於けるタカ派によるハト派駆逐政争によりもたらされたものであり、互いに踏み止まって共同しつつあると考えることができる。

 次に、管系の市民運動派の系流である。旧社民連的流れを汲む市民運動派が遂に政治権力の頂点に加わろうとしている点で興味深い。べ平連も及ばなかった長征ではなかろうか。他にも社会党系、民社党系を抱えている。これを補翼するのが、社民、共産である。共産党は建設的野党論を生みだしたことで漸く、宮顕−不破以来の治安維持法的制動から脱しつつあるように思われる。社共的民主連合政権構想が頓挫した結果の次善策として連動しようとしていると考えることができる。他にも、様々な潮流が混淆している。

 してみれば、民主連合とはいわば、左を右化させ、右を左化させたところで成り立っている、良い意味で様々なイデオロギーを混淆させた共同戦線運動足り得ているのではなかろうか。この運動体による政権奪取は、日本政治史上初の人民革命と呼ばれるに相応しいのではなかろうか。人民革命の名に値しないのであれば、次に予定すれば良いのではなかろうか。この人民革命を抑止する理由は見当たらないとするべきではなかろうか。

 今や日本人民大衆が意識してかせずか不明ながら8.30日に投票一揆を起こしそうな気配である。自公政治に対する苛立ちが「ここはいったん民主にやらせ、ダメなら戻せば良い。民主の能力を見てみよう」とする世論を自然発生させており、もはや如何ともい難い。この国民的合意は、日本人民大衆の政治感覚の素晴らしさを示していると了解すべきではなかろうか。

 かくして、後二週間で新政権が生まれようとしている。心得るべきは、細川政権の轍を踏まない政治能力を証することであろう。呉越同舟は弱いが三本の矢は強い。かの時は、社会党のふらつきにより暗礁に乗り上げた。しかし、貴重な政治的経験になったと思えば良い。議論百出、喧々諤々。決定事項は異論異端の党内反対派を許容しつつ押し進め、適宜見直せば良い。要は、この国の在り方を廻るグランドデザインを生みだし、国家百年の計を誤らない針路の舵取りと個別政策上の賢明なる処方箋作りに掛かっている。民主連合の能力が問われている。

 れんだいこは心配していない。中曽根以来足音を高め、小泉時代に満展開したネオシオニズム政策との決別にシフトすれば良い。幸い我々にはバイブルがある。その後の日本は捨てたが、むしろ世界で教本化された「田中角栄式国家改造論」を手元に戻し、バージョンアップすれば良い。このシナリオある限り操舵を誤らない。このシナリオに背を向ける限り何をしているのか分らない元の木阿弥に戻るであろう。そう考えている。日本政治は思えば、無駄な時間を費やし過ぎてきた。そろそろ知るべきであろう。

 さぁ政権交代へ向けて投票一揆に向かおう。

 2009.8.16日 れんだいこ拝

Re:毎度すみませんネタです。 れんだいこ 2009/08/19 21:19
 えこねさんちわぁ。幸福の科学は、こたびの騒動で評価を落としましたね。小川知子さんはどうしているんだろう。れんだいこの弁証宗へ誘おうか、彼女はその方が幸せではないかナとか考えます。こたび下手に登場しなくて良かったです。

 思い起こせば去る昔、オウム真理教が選挙に出たことがありました。あの時のマニュフェストを探しているんだけど見つかりません。れんだいこの記憶によれば、右翼の日教組撲滅まがいのスローガンが並んでおりました。自称最高の覚醒者にしてこの程度かとあきれたことがあります。こたびの幸福の科学の防衛論、憲法改正論にも同様な臭いがします。どうしてこうも、教祖の政治論がお粗末なんだろう。本当に覚者なんかいなぁ、本人と周りの者が勝手に懸想しているだけと違うんではないかなぁ。それに比すれば目立たないけど弁証宗教祖れんだいこの秀逸なことよふふふ、とか感じております。

 2009.8.19日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評597 れんだいこ 2009/08/21 22:29
 【第45回衆院選、中盤情勢考】

 2009衆院選は8.18日公示され、小選挙区(定数300)に1139名、11の比例ブロック(定数180名)に868名(比例単独候補は235名)の計1374名が出馬している。小選挙区には自民289、民主271、公明8、共産152、社民31、国民9、みんな15、改革1、日本2、諸派293名が立候補している。

 序盤情勢は、民主党が都議選以来の勢いを持続しており、与党にとってただならぬ気配を見せている。選挙区では自民70議席前後、公明3、民主200議席前後、社民5、国民新5、日本0、共産0、無所属9見当が予想されていた。これに比例区票を加えると、与党170議席前後、野党310議席前後となり、与党が過半数の241議席を獲得するのは不能とのご託宣だった。

 公示後の8.21日現在の中盤戦に於いては、この動きが更に加速されつつある。民主は、優勢区をそのまま優勢に維持しつつ、競り合い区で抜け出し、劣勢区を競り合い区へと引き上げつつある。これまで自民の金城湯池となってきた常勝選挙区94が軒並み苦戦を強いられている。派閥幹部や大物議員まで揃って接戦を余儀なくされており、現職閣僚で議席獲得が確実気配なのは河村官房長官、小淵少子化担当相ら数人に止まる予想となっている。

 自民党にとっては特に小泉チルドレン問題が災いしている。比例区はさておき小選挙区に於ける小泉チルドレンはどいつもこいつも資質劣勢で使い物にならない。こたびの選挙では野党連合の食いごろにされている。強そうなのは郵政返り咲き組で健闘している。派閥では、津島派、古賀派が善戦している。しかし共に民主旋風により苦戦を強いられている。かくて自民の安泰的優勢区は指で数えられるほどしかない状況に至っている。公明も然りで選挙区での当選が覚束ない。公明党の場合、伝統的に比例重複を避けているので深刻な事態を迎えつつある。初めて一敗血にまみえるかもしれない。自公はひょっとして脳震盪を見舞われるかも知れない。

 してみれば、2005衆院選の小泉旋風の反作用的な、民主連合への追い風が吹きまくっていることになる。このままつつがなく投票日を迎えれば、まさに「投票一揆」が演ぜられるドラマが待ち受けている。実に痛快なことではなかろうか。巷の声は圧倒的に政権交代に傾いており、「ここは一つ民主にやらせ、ダメなら戻せば良い」とする国民的合意が形成されている。この合意は、政権党の悪政の長年の積み重ねから逆噴射的に自然次第に形成されてきたものであるからして、自公側にはこれに抗する妙薬がないというジレンマに陥っている。

 マスコミは、ふって湧いたものか意図的に引き起こされたものか分らないがノリピー問題、押雄問題、インフルエンザ問題を執拗に報道し、人民大衆の選挙熱を冷まそうと躍起になっている。しかし、日本人民大衆は、そうは馬鹿ではない。これまでの経験から、目くらましの術を見破りつつある。そういう訳で、マスコミを使っての陰陽動作戦もうまくいかない。つまりお手上げ状態になっている。

 かくて、日本政治史上初の「選挙を通じた政権交代と云う平和革命」が訪れようとしている。一体、誰が、この日を予見できただろうか。これを危ぶむ者がいるとするなら、れんだいこが反駁しておこう。君達の愚昧な頭脳による憂慮にも増して日本人民大衆の政治的センスの方が実は優れていることを示しており、何ら心配するに及ばない。それよりも強い者に巻かれろ式の言論提灯ばかりしてきた君達の失職がこれから始まる、覚悟しておけ。

 この事態の功労者は一体誰だろうか。れんだいこは、小沢采配もさることながら、蔭の功労者は国民新党ではないかとみている。これから述べるが、国民新党は、この功績により相応の評価を得るに値する。小選挙区の国民新党は全員受かるべきであり、比例区でも選ばれるが良かろう。玄人筋ならそう選択する。敢えて記しておく。

 もとへ。かの時、小泉郵政改革により自民党から弾きだされた郵政造反組の一部は俄か作りで国民新党を結成し選挙戦に臨んだ。何とか議席を持ちこたえた者もおれば苦汁をなめさせられた者もいる。選挙後すぐに気づいた。与党側が自公で共闘しているのに野党側が分裂していて勝てる訳がない、ここは一つ自民に対する公明の役割を我が党が引受けませう、民主を勝たせませうと割り切った。それについてはまず最低保証として次の選挙区をください、後の選挙区は推薦に廻りますと、どちらが持ちかけたかは分らぬが、そういう盟約を結んだ。この戦略に社民も乗った。かくて、民主を黄門様とする助さん、格さんによる野党連合が形成された。これに新党大地も日本新党も加わった。ここに勝利の方程式が生まれたように思う。

 これは何も難しい戦術ではない。当選者1名という小選挙区の仕組みを考えれば当然に生まれる判断である。これまでこの当たり前の協定ができなかった。してみれば、小泉の刺客騒動は、日本政治史上稀なるものであったが、思わぬ副産物を生んだことになる。その野党頭脳の貧困の程度に応じて与党はおごり高ぶった。小泉政治が、このおごり高ぶりの中で5年有余の長期政治となり、政権与党頭脳のお粗末さを嫌というほど見せつけた。何のことはない、現代世界を牛耳る国際金融資本の御用聞きに忠勤することにより御身を安泰にし、我が世の春を謳歌したに過ぎない。それにしても資質劣悪な者ばかりをよくぞ寄せたものではある。

 その化けの皮が剥げ、日本はいたるところで深刻な危機に見舞われている。小泉の自民党総裁選過程での絶叫「自民党をブっ潰す」は皮肉なことに結果的に本当のものとなり、「国民には痛みに耐えてもらう」も然りで、彼は自民党のみならず日本そのものを壊しレイプした。れんだいこが、狂人政治とみなす所以である。麻生は、小泉的狂人政治とは無縁であるが、今度はバカ殿政治に向かっている。景気立て直しも「上から目線」のものでしかなく、大判振る舞いによる財政悪化の咎めが待ち受けている。どこのコックをひねれば景気が良くなるか、税の自然増となるかの政治眼力はからきしない。漢字が読めない。国民が食傷する所以である。

 もはや自公政治ではどうにもならないのであり、民主連合政治がいかほどのものかは分らないものの、やらせてみるよりほかにないというのが人民大衆の政治眼力である。これはこれで素晴らしい。なぜなら、その通りであるからである。かくて、投票一揆が始まる。刻一刻とその日が迫りつつある。口元が緩む話ではないか。

 こういう歴史的遭遇に於いて、選挙に行かないようではつまらない。選挙速報で一喜一憂しても、やはり投票した身でないとつまらない。これはれんだいこの経験則である。確か、れんだいこの投票始まりは、去る昔のアントニオ猪木の「国会を卍がため」又は「国会を延髄切り」から始まった。あれから皆勤の癖がついてしまったが、世の中何が幸いするか分らないということになる。こたびは空前の投票率になりそうである。現代の若者はどう反応するだろうか。歴史的な政治の流れを受け止めてもらいたいと思う。以上を、れんだいこの2009衆院選中盤予想とする。

 2009.8.21日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評598 れんだいこ 2009/08/28 23:08
 【第45回衆院選、終盤情勢考】

 第45回2009衆院選は、いよいよ大詰めを迎えた。新聞各紙の予想が既に出されており、ともに自民党の半減以下の歴史的大惨敗、民主党が300を超える議席を獲得して圧勝するとの見通しを報じている。7.13日の麻生首相の解散宣言以降、このところの民主ブームが更に加速し、与党政権側には為すすべがないという状況下にある。

 際立つ特徴として、2005郵政解散で大量当選した小泉チルドレンが壊滅的に一掃されることが予想されている。そればかりか、自民の首相経験者、派閥の長、その他大物議員、現役閣僚、党三役を含む上から下までの劣勢が伝えられている。公明党代表の当選も危ぶまれている。かくて政権交代が本当の話となりつつあり、現実性を帯びている。今やその刻待ち通しとする空気がみなぎっている。

 れんだいこが思うに、この政変は、去る日の自民党総裁選時の小泉候補の雄叫びであった「自民党をブっ潰す」から始まった。小泉元首相のこの公約は絵空事であったのではなく、本当の話であったということになる。どうやって潰すのかシナリオが分らなかったが、今日の事態を迎えて、なるほどこうやって潰すのかと感心させられている。奇人変人狂人と云われる小泉の心中はいかほどのものなのだろうかと推測したくなるが、各地に応援に出向いては演説で能天気な酔狂発言を繰り返し続けている。処置なしというべきだが、招く方も招く方と云うべきだろう。

 自民党内は結党以来、右から左まで、ハトからタカまで親米派から親ソ、親中、親台派まで、改憲派から護憲派までの寄り合い世帯を、派閥中心の合従連衡で政局運営してきた。政権派閥は、反目の派閥であろうが、将来の逸材を見出しては登用し経験を積ませる度量があった。それは、ある意味で日本政治の粋であったとも云えよう。

 小泉が、この仕組みをズタズタに切り裂いた。2004−5年の過程で、党内に郵政民営化一本槍の賛成か反対かを迫り、反対派を駆逐し、刺客を送り込んで徹底殲滅に乗り出した。それは、反目の派閥のみでなく自らの派閥まで対象とする残酷な党内レイプであった。反対派のある者は落選し、ある者は生き残り、そのうちのある者は国民新党を結成し、ある者は復党し、ある者は民主党に流れ、自民党内の再結束を決定的に困難にさせた。自民党内には、この怨讐が未だ続いており傷は予想以上に大きい。もはや党分裂不可避の局面に至っていると云えよう。ここまで亀裂を深めさせたのが小泉政治であり、「自民党をブっ潰す」を本当の公約にさせたことになる。自民党内ですら、この仕掛けを予想し得た者はいまい。それはまさに奇策であった。史書は恐らく、小泉政権をそういう意味で格別に評することになるだろう。

 これに時代が噛み合った。米国政界でブッシュ派ネオコンが退場を余儀なくされ、オバマ新大統領によるチェンジとイエス・ウィ・キャン時代が始まった。日本政治が、これに連動する。細川政変過程で、後に雲散霧消する幾多の政党が生まれた中で、民主党が次第に勢力を伸ばして行った。これに自由党が加わり厚みを増し、以来押せ押せムードに入った。これに郵政民営化騒動で生まれた国民新党が連動するようになった。更に社民が連なり、日本新党、大地党も共同戦線化した。かくて、日本政界は、自公与党と民主連合と共産党の三派に整序されるという分かり易い構図ができあがった。加えて、共産党が、都議選の敗北以来、我こそ真の野党論から建設的野党論に転換し、民主連合寄りにシフト替えすることになった。この野党津波が、自公ブロックに襲いかかり、政権交代必至局面を生みだしている。

 これにより間もなく、日本政界にこのところ久しくのさばっていた国際金融資本の走狗シオニスタン派が一掃されることになるだろう。これはまことに欣慶の至りである。日本政治は与党であれ野党であれ、民族派であれ国際派であれ、改憲派であれ護憲派であれ、国権派であれ民権派であれ、まずは日本の国家と民族と歴史を愛する者の手によって担われねばならない。この当たり前のことが永らく失われてきている。こたびの第45回2009衆院選は、当たり前の政治に戻す元年となるだろう。

 してみれば、民主連合の完膚なきまでの圧勝は、日本政治史上類例のない椿事と云うことになる。議会政治史の精華であり、総じて日本人民大衆の見識の高さを示すことになる。痛みに耐える我慢強い特徴を持つ日本人民大衆が怒った時、阿吽の呼吸でいかほどのことを為し得るのか、下手な暴力革命論者は尻尾を巻いて逃げださざるをえまい。それを間もなく見せられることになる。野党連合勝利のこの日は、100年に一度の珍事に相応しいお祭り騒ぎをするに値する。実にすばらしい。民主連合政権が権力をどのように扱い、政策を盛るのか、それを知らされるのはこれからである。一興とすべきだろう。

 それはさておき、第45回2009衆院選の最終局面のれんだいこ予想をしておく。自民は、解散前の303議席から110議席前後に凋落する。これを上回る場合には、劣勢を終盤で跳ね返したことになる。公明は、31議席から23議席前後に落ち込む。常勝の全員当選の夢が潰えるのは間違いない。自公合計で150議席に至らないことになる。解散前の334議席の半数以下ということになる。これは、麻生が悪いのではない。能力の無さよりも、小泉政治の尻拭いをさせられる身の気の毒を思う。

 民主は、解散前の112議席から290議席前後へと大躍進する。少なくとも倍増以上が間違いない。小選挙区での圧勝は、既に民主議員の能力の方が政権与党側のそれより上回っていることを示している。雌伏20年有余、悲願の美酒に酔うべしであろう。社民は、7議席から15議席前後に向かう。数字的には倍増するが、かっての黄金時代から考えると喜ぶほどのことではあるまい。国民は、5議席から10議席前後に倍増する。大健闘したと評されるべきだろう。こたびの民主連合の立役者であり、この党は政治の醍醐味を教えてくれる貴重な政党である。大地は1から2が予想される。北海道限定の政党であるが、国民新党同様に民主連合圧勝の立役者であり評されるに値する。日本新党は1から1、改革は1から0、みんなは2から2と予想できる。無所属は、平沼グルーフを含め6議席ほどを維持することになるだろう。

 共産は、9から7へと更にへこむ可能性がある。大方の予想は9から10としているが、そうはいくまい。仮にへこんだとしても、建設的野党論を捨てる必要はない。反省すべきは、我こそ真の野党論で長らく野党陣営を分裂させてきたことであり、漸く正規の軌道に乗ったと思えば良い。今後は、建設的野党論による是々非々活動の中味によって評価される日が来るであろう。それにしても、70年代の民主連合政権構想が変な形で生まれることになったもんだ。

 さて、こう予想して前祝いの祝杯を挙げに行くことにする。この予想がどれほど当たるか当たらないか、もう一度検討し直すことにする。歴史は面白いな、生きてて良かったな、もう少し長生きしてみたいなと思う次第である。さあて、あさって日曜日の夜にはテレビ漬けとなろう。高速道の無料化、ガソリン価格の低下の話は本当だろうな。少し気になるが、民主連合のお手並みを拝見しよう。

 2009.8.28日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評598 れんだいこ 2009/08/30 12:11
 ただ今、れんだいこ投票に行って参りました。いつもの情景より人が段違いに多く熱気を帯びておりました。まさに津波の如く投票一揆が押し寄せていました。若い人も多かったです。朝からずっとこの調子だと係員が述べていました。これが2009衆院選の特徴です。

 思うに、何回選挙やっても変わり映えせず、政治に期待することをあきらめていた人たちが、このブームを信じて決起したのではないでせうか。政治がこれほど身近になったのは初めてのことだと思います。今後はますますこの傾向が強まるのではないでせうか。漸く面白い時代になったですね。日本人民大衆は総じて賢く素晴らしい。日本は良い国です。心からそう思いました。

 2009.8.30日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評599 れんだいこ 2009/09/02 11:48
 【第45回2009.8.30衆院選考その1、永田城炎上】

 2009.8.30日に実施された第45回衆院選の結果は、小選挙区300、比例区180の全480議席のうち、「民主308、自民119、公明21、共産9、社民7、みんな5、国民新党3、大地1、新党日本1、改革0、無所属6」となった。

 総評として、「民主連合軍勢が津波の如く押し寄せ、自公政権の立てこもる永田城を炎上瓦解させた」との言葉が相応しい。まさに投票一揆により自公を壊滅させた感がある。ここに、日本政治史上初の、「『選挙による政権交代』と云う日本式平和革命による政権奪取史」が刻まれた。やる時にはやる、しかも極力穏和に下手な暴力より凄いことをやる日本人民大衆のこの資質は誇って良いように思われる。

 かくまで完膚無きまでに自公勢力を壊滅させたことにより政権交代が確定した。これは、非自民の8党派による細川政権が発足した93年の衆院選以来の快挙である。野党が第1党となって政権交代を果たすのは、社会党を中心とした47年の片山内閣以来で62年ぶり。過半数を確保しての政権奪取は戦後初めてとなる。歴史眼的には、55年続いた自民政権が遂に崩壊し、幕引き期に続いた自公政権は10年で終止符が打たれ、政界は不可逆的な盤石の民主党時代に入ったとみなせる。現代世界を牛耳る国際金融資本によるクーデターないしはロッキード事件のような大がかりな陰謀事件が引き起こされない限り、この新体制は続くと観て良かろう。以下、分析によって見えてきたことを記しておく。

 新聞各社の事前予想が当たった。2005総選挙の時もそうだったが、各新聞社の予想は非常に正確ということが裏付けられた。れんだいこの予想は、2005総選挙の時の大外れに比してこたびはほぼ的中した。社民、国民新党の議席増予想が外れたが、その分まで民主が食ったことによる。これがブーム威力なのかも知れない。

 こたびの選挙の意義は、小選挙区制史上初めて、野党が小選挙区制の意味を理解して陣立てし、与党連合対野党連合の構図で激突したことにある。その結果、民主候補を立てた選挙区はほぼ圧勝し、社民、国民党で臨んだ選挙区ではそうはならなかった。つまり、社民、国民党は候補を立てなかった選挙区では民主を推薦し、実際に投票行動が結び付いたのに比して、民主が候補を取り下げ社民、国民党を推薦した選挙区では、民主票がさほど流れなかったことを意味する。この辺りが今後の教訓となるべきであろう。

 共産党が、全選挙区立候補戦略から転じて選挙区を絞り込んだことで、候補を立てなかったところでの民主候補勝ちも際立った。もっと早くからそうしておれば、もっと早く分かったであろう。共産党の全選挙区立候補戦略が如何なる役割を果たしてきたのか、大衆的に明らかにしたことも意義深い。

 れんだいこは、かって、2005総選挙の教訓として次のように指摘している。「最大野党民主党の単独政権構想は有り得ない。社共、造反派を相手せずでは結局こたびのようになる。造反派が二党発生したけれども、互いが連携しないようでは結局こたびのようになる。これは普通に算数で分かる話であった。実際には相乗効果というものがあろうから、与党は一本化でより強化され、野党は乱立でより弱くなるという仕掛けになっている。誰かが高等数学で分析すれば、こういう闘い方では政権移動が有り得ない話だと云うことが証明されよう。通りで、政権与党が気前良く党首討論会に臨み、少数政党にも発言の機会を等しく与えるという鷹揚さを見せる筈である。そういう裏の意図が分かった。政権与党に取って、野党各党が互いに分裂的に票を分け合うことほど望ましいことはない訳だ。小選挙区制が必ずしも悪いとは思わない。小選挙区制になっても、従来の中選挙区制時の頭で対応しようとしている野党各党の対応が悪いと思っている。いつもの定番では有るが、日共批判をしておきたい。同党・不破−志位ライン指導による『国会共闘はすれども政権共闘、その為の選挙共闘はしない』という戦略戦術ほど政権与党を有利にさせる手法はない。『本物の野党』なるコマーシャルで選挙区に分け入り野党間をかき混ぜているが、悪質と断定すべきではなかろうか。自公のように『小選挙区共闘、比例区分かち合い』まで行かなくても、『小選挙区共闘、比例区競合』という戦術がありそうなところ、それに向わない同党指導部の意図はナヘンにありや」。

 この指摘が生かされたかの如く野党連合を誕生させたのが、こたびの勝利の戦略的要因であったと思われる。選挙は、お祭りであると同時に現代的な合戦でもある。戦となると軍師が要る。この理が分からず、日本左派運動同様、軍師なき合戦に明け暮れていた野党が漸く軍師的眼力を持ち、闘いに臨んだことが、こたびの当り前の結果を生んだと理解すべきであろう。そういう意味で、野党連合の形成、続く共産党の「我こそが真の野党論」から「建設的野党論」への転換は、遅すぎたとはいえ祝すべきであろう。

 2005総選挙に比して、こたびの2009総選挙は何もかもが野党側の政権交代論を有利にさせた。これも勝利のキーワードであろう。自民党は、2005総選挙に於ける郵政造反派駆逐騒動のしこりが未だ深刻に続いており、そのダメージを修復できないばかりか、ますます傷口を深め広げつつある。この暗闘は今後更に強まることが予想される。れんだいこが見る限り、この問題は、小泉シオニスタン派が自民を飛び出して新党を結成しない限り解決しない。彼らが居残り続ける間じゅう悩みを深め党内亀裂を露にすることになるだろう。しかしながら、小泉シオニスタン派には自民を飛び出る勇気も能力もない。つまり、寄生する習性しかないので死ぬまで居座り続けることになるだろう。かくて自民は永遠のジレンマに陥り、恐らく解決能力を持たないままジリ貧化しやがて博物館入りして行くことになるだろう。ネオシオニズムを懐深く招き入れたところでは、いつでもどこでもそうなる。これが古来より歴史の教えるところである。

 民主党は逆に、2005総選挙敗北を奇禍として立て直しに向かった。岡田代表辞任、続く前原代表の偽メール事件による辞任の後、最後の切り札として新進党→自由党経由の小沢が代表に就任し、政策を磨く他方で軍師的采配で「勝てる選挙」を目指して勝利の方程式構築に向かった。時は幸いし、2005郵政解散騒動を通じて郵政造反組の中から国民新党が生まれ、選挙後、共に天下取り戦略を練った。こういう観点は、口舌のみでしたり顔するいわゆる万年野党ボケの頭脳からは生まれない。かって自民党内で主流派として政権を運営していたことから来る責任政治能力を持つ頭脳からしか生まれない。これを持つ二者が連衡することで真の意味での政権取りが始動することになった。郵政民営化騒動は、こういう思わぬ副産物をもたらしたことになる。この二派のルーツを辿れば角栄チルドレンに至るところが奥ゆかしい。これを解き明かす政治評論家は、今のところれんだいこしか居ない。れんだいこ評は認められてはいないけれども稀少価値を持つとつくづく自分で思うふふふ。

 民主党と国民新党は社民を引きよせ、福島執行部がこれに加わったことで三角トライアングルが形成された。こたびの選挙を見ても社民の足腰は相変わらず強くはない。福島党首に功績があるとすれば、細川政変で野に下らせた自民党を結果的に助け起こし政権党に帰り咲かせた村山、土井の旧社会党末期執行部に比べて、野党の共同戦線強化による政権奪取の道を採択したことであろう。野党連合内左バネに位置付けて党を再始動させた意義は大きい。

 これに日本新党、大地党が加わったことで野党連合は厚みを増した。ここに四本柱が立った。何事も、四本柱が立つとどっしりする。この予行演習は参院選、都議選で試された。いずれも野党連合の勝利の方程式の確かさを確認させた。この流れを見て、共産党が都議選後急きょ、「我こそ真の野党論」から「建設的野党論」に転換し、野党連合の政権取り陣営に加担した。この時既に供託金没収の重みと党内批判により、従来式の全選挙区立候補を取りやめ選挙区絞り込み方式に転換する方針を打ち出していたが、党中央が敢えて「政権交代優先、空白選挙区に於ける自由投票」を指針させたことにより野党連合に票が流れ込む構図ができあがった。これが追い風となった。

 この間、自公政権の失政は続き、人民大衆の間に次第しだいに怨嗟の声が強まって行った。バブル経済崩壊以降、何ら有効な対策を講ぜず不況を長期化させ、否むしろ国富の流失、民族系企業の外資売りを加速させて来た。国内問題では財源不足を持ち出す癖に、対外問題となると請われるままにいとも簡単に野放図にお供えし続け、軍事防衛絡みの支出には金に糸目をつけず、思いやり予算を計上し続けて来た。国内景気が良い時にはまだしも余裕とみなされたが、かくも悪化した現在では怒りを呼ぶばかりであるのに、相変わらず垂れ流し続けた。国内問題では費用対効果を云い公共事業を制限するのに、国外問題では問題にせず国際金融資本の要請するままにジャブジャブ金を使うシオニスタン売国政治ぶりが浮き彫りになった。景気対策と称するものは小手先、目先に終始し、せいぜい給付金発想で歓心を買うぐらいのことしかせず、長期戦略的な増収の道を開拓しない。国債発行抑制は掛け声ばかりで、実際には途方もなく刷りまくって来た。それでいて景気はいっこうに良くならない現実のイライラが高まって行った。

 財源不足を名目に租税公課各種を引き上げ、こたびの総選挙では、麻生政権は堂々と消費税値上げを公言して選挙に臨む痴呆ぶりを見せていた。ハト派時代の自民党政権が確立していた医療、年金、雇用、教育システムが壊され、社会的貧富と所得格差が広がり、それを構造改革の成果と称して居直り続けて来た。年金等の国庫金をハゲタカファンドに運営を任し、スッテンテンにさせられて来た。税金で立て直した長銀を格安で売り渡して来た。いつしか社会に夢がなくなり、猟奇的犯罪が次から次へと引き起こされ、他方で自殺者、失業者、債務者が量産されて来た。生活保護世帯が増え続け、新たな社会問題になりつつある。個々の分野での目先の利益を追う結果が、回り回って総合損益上由々しき損失を生みだしつつある。

 こういう馬鹿げた政治にうつつをぬかし、山積する諸問題を解決する能力を持たない自公政権の貧能ぶりに対するイライラ感とあきらめ感が募った。小泉政権以降、安倍、福田、麻生と1年も持たずに政権がたらい廻しされて来た。最後の麻生政権時代、カンポ施設の1円売り、残ったカンポ施設を破格安でハゲタカファンドが操るオリックスに一括譲渡する事態が明らかになり、異例なことに鳩山郵政相がストップをかけた。小泉−竹中ラインの露骨な売国シオニスタン政治ぶりに人民大衆の怒りは頂点に達した。ところが、麻生政権は、閣僚仲間である鳩山郵政相を支援するのではなく、逆に首を切るというお粗末な対応を示した。合わせて漢字を日本語的に読めない麻生首相の能力が問題になり、人民大衆の自公政権に対する失望とあきらめムードが蔓延した。この問題についてはこれから関係者に対する証人喚問で徹底調査し、小泉−竹中の政治責任を厳しく問わねばなるまい。民営化の背後に潜む悪巧みを明らかにして関係者を成敗せねばなるまい。

 もとへ。この問題を切開せぬまま、検察があろうことか、民主党の小沢代表の政治資金収支報告書記載問題にメスを入れ始め、いきなり秘書逮捕という強権発動による国策捜査が始まった。臭い話でしかなかろうに、自公の大物議員が揃って大げさに取り上げ批判を強めて行った結果、小沢代表は辞任を余儀なくされた。こうして鳩山代表が登場したが、この時既に野党連合の政権取りシフトが完了していた。自公政権にとって皮肉なことに小沢降ろしが遅過ぎた。民主党はむしろ禊を済まし、鳩山代表、岡田幹事長体制の下でまなじりを決して衆院選を待ち受ける体制に入った。自民内の分裂模様に比して、民主はむしろ政権交代の一点に向けて阿吽の呼吸による各派共闘を成立させ、老壮青が一手一つになって今や遅しと待ちうける体制を構築した。総選挙のゴングが鳴るや、大物議員が手分けして全国津々浦々にテコ入れに向かった。他方、自民党は、選挙参謀の古賀が突如辞任するお粗末ぶりであった。

 国際情勢の変化も、これに幸いした。米国ではブッシュ政権が命脈尽き、民主党のオバマがチェンジ、イエス・ウィ・キャンで新時代を切り拓いて行った。この風が日本政治に伝わる。これらの要因が合わさって、野党連合の政権交代が現実性を強め、こたびの総選挙で自公立てこもる永田城攻めに立ち向かった。人民大衆は、籠城する自公と攻めのぼる野党連合を比較して、野党側に正義を見出した。自公はネガティブキャンペーンを開始したがお粗末極まるもので、逆効果でしかなかった。そういう能力しか持たない哀れさが却って政権交代の流れを強めた。総選挙史上最長の40日ロングランを経て、ついにその日が来た。人民革命第一章の幕が開いた。

 2009.9.2日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評600 れんだいこ 2009/09/02 12:17
 【第45回2009.8.30衆院選考その2、各党寸評】

 2009衆院選の各党の議席の割り振りは次のようになった。これを各党別にみておく。

 自民党は、212→300→119議席(小選挙区64、比例55)となり歴史的な大敗北を喫した。2005総選挙で300議席を獲得し大勝利したが、こたびはその逆に地滑り的に凋落しスッテンテンになった。目標としていた過半数の241議席を大きく割り込み、野党に転落することになった。自民党の野党化は、細川政権誕生時の1993年以来のことになる。2005総選挙では青森、群馬、栃木、石川、島根、愛媛など13県で小選挙区を独占したが、こたびは逆に岩手、秋田、福島、埼玉、新潟、山梨、長野、静岡、愛知、滋賀、長崎、大分、沖縄の13県の小選挙区で全敗し「空白県」となった。小選挙区で全議席を獲得したのは、福井、鳥取、島根、高知の4県のみにとどまった。麻生首相、党三役は即刻の辞任表明を余儀なくされた。

 特記すべきことがある。こたびの選挙で、小泉系シオニスタンが脳震盪を見舞われるほど壊滅的打撃を受けた。僅かに手勢十数名が残ったが、もはや政治的影響力はない。それにしても小泉チルドレンが揃いも揃ってお粗末さ、不甲斐無さを示した。比例代表当選圏の座が保障されないという理由で降りた者、無所属に転じた者、ろくに選挙戦を戦わなかった者も続出した。そういう訳で、1対1の小選挙区ではレースにならず殆どが餌食にされた。総帥小泉の出向いたところ全員討ち死にという滑稽無残な結末となった。当人は既に引退し、無責任極まる余興生活に入っているというのに、小泉チルドレンは今なお慕うという漫画的構図を見せている。

 ひょっとして、麻生政権の役割は、小泉派退治にあったのかも知れない。この観点から見れば頷けることが多々ある。そうとすれば麻生は重要な役割を果たしたことになる。吉田茂のDNAの為せる技かもしれない。付言しておけば、小泉教の信者たる武部、小池、中川がいずれも比例当選で復活しており、今後の動きが注目される。自民党は当分ゴタゴタし続け悩まされることになろう。小泉の息子の進一郎はオヤジの世話にならず、比例保険を掛けずの気骨を示し、ただ一人新人当選した。小泉チルドレンは時の甘言に乗り、手痛いしっぺ返しを受ける破目になった。やったら倍してやり返されるのが世の習いであることを肝に銘じるべきだろう。

 公明党は、31→31→21議席(小選挙区0、比例21)。太田代表、北側幹事長、冬柴前幹事長ら小選挙区候補全員が討ち死にすると云う前代未聞の事態に陥った。同党の場合、お題目の力を信じてと思われるが、小選挙区候補は比例当選の保険をかけていない。これにより全員落選となった。遂に「全員当選常勝神話」が潰えた。公明党の今後は、自民と蜜月を深め過ぎた故に却って舵取りが難しい。総括する力があるだろうか。

 民主党は逆に、177→115→308議席(小選挙区221、比例87)となり歴史的な大勝利を収めた。近畿では候補者が足りなくなり2議席が他党に回ったほどオセロ倒し的に自公候補をなぎ倒した。2005総選挙で議席を減らした分以上に大幅に取り戻す格好になった。岩手、福島、山梨、新潟、長野、滋賀、長崎の8県で議席を独占した。推薦区や無所属を含めると、秋田、埼玉、静岡、大分、沖縄でも非自民で全議席を占めたことになる。新たに「小鳩チルドレン」が生まれた。鳩山代表は続投し、間もなく首相として政権を担うことになろう。呉越同舟にならず三本の矢で結束できるかどうかが注目される。

 社民党は、前回と同じ7議席(選挙区3、比例4)。将来の党首候補と評されている保坂展人は、東京8区で石原候補と対決したが競り負けし、比例区でも議席を獲得できず落選した。福島執行部は恐らく信任され、新政権入りの道が開かれようが、足腰を鍛える課題は「永遠の課題」となり続けるのだろうか。

 国民新党は、4→3議席(小選挙区3、比例0)。小選挙区を譲り比例代表北陸信越ブロックに転じた綿貫民輔代表と亀井久興幹事長が落選した。亀井静香氏(広島6区)、松下 ただひろ(鹿児島3区)、下地幹郎(沖縄1区)が当選した。野党連合の下働きに尽力し、精も根も使い果たした格好となった。比例区で取れなかったのは、郵政問題1本槍が過ぎたのかも知れない。8.31日、東京で開かれた党の幹事会で、綿貫代表が国民新党最高顧問、亀井静香代表代行が代表に就任することを決めた。新政権入りと要職が担保されるべきであろう。

 新党日本は、0→1議席(小選挙区1、比例0)。党代表の田中康夫(兵庫8区)が小選挙区当選し瞠目させた。公示前の駆け込みで立候補したにも拘わらず公明の冬柴前幹事長を破った。この功績により、新政権与党派の道が開かれたと思われる。

 新党大地は、1→1議席(小選挙区0、比例1)。鈴木宗男(新党大地)が比例北海道ブロックで当選した。八代英太の当選までには至らなかった。新党日本同様に新政権与党派の道が開かれたと思われる。

 みんなの党は、4→5議席(小選挙区2、比例3)。「政権交代プラス政界再編」を訴え、代表の渡辺、江田憲司の2名は小選挙区で、山内康一は比例単独で、浅尾慶一郎、柿沢未途は比例復活当選で、計5名が当選し善戦した。選挙直前に結成された党にも拘わらず非常に健闘したことになる。相変わらずの旧自公政権と新政権の両睨みによる遊泳が始まるものとみられる。

 改革クラブは、1→0議席。唯一の現役候補であった西村真悟(大阪17区)が落選し、自公連合の別動隊の正体を露にしつつ露と消えた。 

 共産党は、前回と同じ9議席(選挙区0、比例9)を維持した。志位執行部は安堵し、建設的野党論の下に是々非々路線をまさぐることになる。

 無所属は、6→6議席。このうち、平沼グループは、候補者17人のうち平沼元経産相、小泉龍司(埼玉11区)、城内実(静岡7区)の3名が当選した。3名当選は快挙であるが、公職選挙法が定める政党要件(国会議員5人以上)を満たさず、新党結成が厳しい状況となった。

 宗教法人「幸福の科学」を母体とする幸福実現党は、小選挙区と比例代表計337名と云う候補者数では最大の候補を擁立したが、小選挙区、比例区とも議席0となった。特段の声明も出されず仕舞いになっている。 
 かように分析できるが、我々はどう受け止めるべきだろうか。れんだいこは、日本政治史の新たな時代が始まったと素直に受け取る。遂に、1980年代初頭の中曽根政権以来のシオニスタン政治からの転換を闘い取った。新政権が、内憂外患の中、有能に漕ぎ続けることを願う。真剣に学ぶべきは、1980年代初頭まで続いた政府自民党内のハト派政治の手法であろう。吉田茂、池田隼人、田中角栄の内外政治のキモである「内治優先の経済成長政策、国際協調の軍事防衛費軽減、自衛隊の海外派兵禁止」政治復権こそ日本の進路とすべきではなかろうか。その為にまずはシオニスタンを一掃し、如何に愛国的に見せかけようとも二度と売国勢力をのさばらせてはいけない。話はここからであろう。日本国憲法が息を吹き返し、光り輝くことになるのを願う。

 2009.9.2日 れんだいこ拝




(私論.私見)