カンテラ時評25(721~750) |
(最新見直し2007.7.12日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
2007.3.24日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評721 | れんだいこ | 2010/05/02 18:58 |
【「売文、売弁御用評論家」考(副題 汚いぞ三宅久之) 2010.4.19-20日、自民党の小渕政権で、1998.7月~99.10月まで内閣官房長官を務めた野中広務氏(84歳)が、TBSのニュース番組「官房機密費の真実」で官房機密費の流用実態を明らかにした。これを仮に「官房機密費使途に関する野中元官房長官証言」(略して「野中証言」)と命名する。機密費とは、「国の事務または事業を円滑に遂行するために使用することが認められた国の機密経費」で、官房長官が取扱責任者となって政治的判断で運用することになっている。 野中氏は、「野中証言」をした意味について次のように述べている。「政権交代が起きた今、悪癖を直してもらいたいと思い告白した」、「私ももう年。いつあの世に行くか分からんから。やっぱり国民の税金だから改めて議論して欲しいと思った」。建前は、こういう弁になる。 「野中証言」の意義は、「歴代政権が使途や支出先を明らかにしていない内閣官房報償費(機密費)の実態の一端を、元官房長官経験者が語ったこと、官房機密費が本来の目的である情報収拾以外の様々な目的で流用されており公私混同が甚だしい実態を明らかにした」ことにある。野中氏は、4.23日、沖縄の那覇市内で開かれたフォーラムの基調講演の中でも、この問題に触れている。その後の報道各社の取材に対しても同様の発言をしている。 「野中証言」は次のように述べている(れんだいこ文責)。概要「総理の部屋に毎月1000万円、衆院国対委員長と参院幹事長に月500万円ずつ持って行った。これは野党工作などに機密費が使われていたことを示唆している。政界を引退した歴代首相には盆暮れに毎年200万円、顧問料といった感じで渡していた。外遊する議員に50万~100万円渡した。野党議員に多かったが、『北朝鮮に行くからあいさつに行きたい』というのもあった。こちらから持って行った人も居れば、持って行って断った人もいる。機密費には『引き継ぎ帳』があって、歴代官房長官の間で引き継がれていた。『引き継ぎ帳』には、毎月の固定費が5000万円にのぼり、多い月には7000万円以上になっていたことが記されていた」云々。 「野中証言」にはもうひとつ注目発言がある(れんだいこ文責)。概要「政治評論をしておられる方々に盆暮れに『付け届け』としてカネをお届けした。政治家から評論家になった人が、『家を新築したから3千万円、祝いをくれ』と小渕(恵三)総理に電話してきたこともあった。前の官房長官から引き継いだノートに、政治評論家も含め、ここにはこれだけ持って行けと書いてあった。持って行って断られたのは田原総一朗さん一人。言論活動で立派な評論をしている人たちのところに盆暮れ500万円ずつ届けることのむなしさ。秘書に持って行かせるが『ああ、ご苦労』と言って受け取られる。テレビで立派なことをおっしゃりながら盆と暮れに官邸からのあいさつを受けている評論家には亡くなった方もいる」云々。 かく「税金ドルボー、公金横領ともいえる官房機密費の運用実態」の一端が明らかにされた。こうなると、野中官房長官以降の機密費の使われ方をも詮索せねばなるまい。森、小泉、安倍、福田、麻生政権時代、この種の使われ方が抑制されていたのか、もっと酷かったのか、ここを明らかにさせねばなるまい。こうなると急きょ「官房機密費問題」が浮上せねばならない。「2009.9月、麻生政権の前官房長官が政権交代直後に2億5000万円もの官房機密費を引き出した」ことも含め大いに騒ぐべきである。 ところが、実際のマスコミの動向はどうか。単発取材に限定し封殺に向かっている風がある。早くも「TBSがこの動画を著作権侵害とかで、YouTubeから削除させたようですよ。TBS製作の他のドラマやニュースなどは一杯残っているのに、なぜ、この動画だけかなりあわてて抹殺したのだろう?」と伝えられている。例によって、「著作権侵害理論」で削除させたようである。著作権がこういう風に使われていることを凝視せよ。これがマスコミの動向である。「小沢民主党幹事長の政治とカネ問題」には首ったけで報道し続けて来ているにも拘わらずである。これは何を意味するのだろうか。「何者かの意思」が介在していると看做すべきではなかろうか。こう問わねばなるまいところ問わせない自称インテリが多過ぎよう。 以下、政治評論家の公金横領に限定させて言及する。 機密費の受け取りを拒否した評論家として、わざわざ田原総一朗の名が挙げられている。その理由は不明である。田原は安堵していようが、貰わなくても良いだけの待遇を得ておれば貰ったも同然だろうが。みのもんたも然り。何故ちやほやされているのか胸に手を当てて見るが良い。これに対して、貰ったと云われる政治評論家リストは次の通りである。三宅久之、石見隆夫、岸井成格、橋本五郎、後藤謙次、星浩、河上和雄、宮崎某(宮崎哲弥?)、後藤謙次、テリー伊藤、北野タケシ。この連中は、一昔前なら切腹ものだろう。こうなると、最近ヤケに小沢批判のボルテージを上げ始めている評論家諸氏にも、機密費かどうかはともかくこの種のカネが渡っている可能性を詮索せねばなるまい。 怒るべきは次のことである。よりによって、こういう御仁が口を揃えて「政治とカネ問題」で小沢を叱責している。ここが共通している。こうなると、茶番劇、厚顔無恥を通り越した「カネの為に平気で売文売弁する走狗売国奴」と云うべきではなかろうか。こういう手合いが今後もヌケヌケとテレビに登場するとなると「政治見識」が問われるべきであろう。それこそ政治的道義的責任があろうに。かくてブーメランが自分の下に戻ってる破目になる。 中でも、三宅久之ほどケタくその悪い御仁はおるまい。2010年現在、ビートたけしが司会する討論番組「テレビタックル」に毎回登場して、もっともらしい顔と大きな声で「民主党批判」や「小沢たたき」を繰り返しているらしい。れんだいこはニュース系以外のテレビを見ないから分からない。 れんだいこは、小泉政権時代、田原ともども「小泉名宰相論」を唱え続けていたことでマークしている。コメンテーターとして頻繁にテレビに登場し、のべつくまなく「小泉政治」を持ちあげ、自衛隊のイラク派兵、道路公団民営化、郵政民営化を後押ししていた。その三宅久之が機密費を貰って御用発言していたとなると、これはお縄頂戴となるべきではなかろうか。東京地検よ、こういう時にこそ乗り出せば良かろうに。「天の声捜査」に精出すよりよほどまともではなかろうか。 「ウィキペディア三宅久之」を窺うと次の話が出てくる。「早稲田大学第一文学部卒業後、1953年、毎日新聞社入社」とある。れんだいこは、とんだ先輩を持ったことになる。「1971年から1972年にかけてのいわゆる沖縄密約事件をスクープし、後に逮捕され、毎日新聞を去った西山太吉の直属の上司(政治部デスク)だった。2008年、『サンデープロジェクト』のインタビューで、『その後、なぜ政府を追求しなかったのか」という問いに『そんなことをしたらスポンサーがみんな降りてしまうから不可能だった』と語った」。 これによると、三宅久之は、「西山太吉の直属の上司の政治部デスク」として西山氏を庇う立場にありながら見殺しにしたんだと。これを突っ込んだ田原を煙たがっているそうな。「歯に衣着せぬ辛口評論で茶の間の人気を集め、テレビでも活躍する様になった」とも記されている。これはオカシイ。機密費貰いながら御用提灯言論するのを「歯に衣着せぬ辛口評論」だとは云うまい。「ネオシオニズムの意を汲む露骨なお調子乗り言論で覚えめでたく、出ずっぱりしている」と記すもんだろうが。 「読売新聞社会長の渡邉恒雄とは新聞記者時代からの友人」、「渡邉恒雄の代弁者として各種メディアに登場することがある」、「中曽根康弘元総理をはじめ、政界関係者と深いパイプを数多く持つことで知られている」ともある。もう分かった分かった、これぐらいで良かろう。お前には用はない。 2010.5.2日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評722 | れんだいこ | 2010/05/05 13:04 |
【2010子供の日のれんだいこメッセージ) 2010.5月連休、久々の休暇を利用して詣でるところは詣で、その旅疲れを癒しながら、れんだいこの脳内を整理してみた。連休明けの政治は次のように推移して行くのではなかろうか。 喫急の課題は、「米軍沖縄普天間飛行場の返還・移設問題」であろう。鳩山首相は何度も「5月末までの決着」を宣明している。下手をすると政権の命取りとなる公約であるが、どう解決しようとしているのだろうか。鳩山首相は、オバマ大統領に対し、この間の反戦平和運動の動き、沖縄内への移設の不可、国内のその他案の不可を伝え、米国側に自主的撤退の道を促すことができるだろうか。その際、どういう貢物が要求されることになるのだろうか。 もし鳩山首相が、沖縄普天間飛行場の期限付き返還以外の代替地案を模索し、名護市陸上案、同海域埋め立て案、同海域杭打ち案、徳の島案を協定決行させたしたら、鳩山政権はこの時点で政治生命を終わる。それは公約破りと云うだけでなく、もっと深刻な「一事万事としての政治遊び」性を我々が嗅ぎ取り、そういう鳩山政治に対する食傷として断を下すからである。忍耐の緒が切れたと云うことになろう。サイの目がどう出るのかが第一の政治局面となるであろう。 第二として、この動きの陰に隠れた感のある連休前の検察審議会の起訴決定による「小沢民主党幹事長に対する執拗な政治訴追運動問題」が待ち受けている。これに対するカウンターパンチとして野中元官房長官による「歴代機密費の御用評論家への賄賂問題」が暴露された。今後は両者ワンセットで議論されるようになろう。槍玉に挙げられた評論家諸氏が何食わぬ顔でどう口を回すのか見ものとなっている。 第三として、7月の参院選への動きが待ち受けている。昨年の衆院で圧倒的議席数を占めた民主党が参院でも単独過半数を制することができるのかどうか。民主党政権を扶翼する国民新党、社民党の健闘如何、他方、自民、公明の巻き返しなるか、その他第三極諸党の伸長如何が見ものとなっている。それにしても平沼が下手を打った。郵政民営化造反で男を上げたのだから、筋を通してそろそろ引退しておけば良かったのに。ナベツネに政権未練の色気のあるところを上手におだてられたのだろう。 凡そ、これらの動きが、5月連休明けの政治となる筈である。我々は注意深く見守り、それら逐一に政治責任を負わねばなるまい。今やインターネットがあり、即時に意見交換できるのが有り難い。根拠の怪しいマスコミ世論よりネット世論の方が時代をリードする社会にせねばなるまい。 ところで、これらの政治闘争の振り子の揺れを解くカギはいずれも、現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義問題にこそある。目下の日本政治事象の根源は全てこの勢力の日本籠絡解体工作、差し金により発生している事象であると捉える必要がある。こう捉えないと真相が見えてこないということである。これが「見えてきた敵」であり、この敵の陰謀とどう対峙し対処するのかという実践的な究明、処方箋のない議論は全てが駄弁の藻屑になってしまうであろう。 ところが、自称インテリ達はこぞって、こういう見方を否定する。曰く陰謀論として一蹴する。れんだいこは、彼らが如何にインテリぶろうと、政治的陰謀が存在するときに存在しないとする観点で枕を高くする者の知性を疑う。少なくとも陰謀論の精査を宜しくして述べるべきだと思っている。今は亡き太田龍の到達したネオシオニズム論こそ我らがものにせねばならないと考えている。 その太田龍史観を受け継いだと自負しているれんだいこ史観によれば、直近の政治史で云えばロッキード事件以来、日本の政治歯車が狂わされており今や目に余る。既に「失われた十年どころか三十年有余」に及んでいる。この間、日本の国際的地位の地盤沈下は凄まじく、もはや「在りし日のツモローイズ№1の日本」は漫画でしかない。これは仕掛けられ作られているいるものであり、決して文明的爛熟による後退現象ではない。 目下の鳩山政権の諸施策をこの眼で見れば、自公政権の如き表からの売国奴政策とは違うが裏からのそれであり、軌道を替えるものではない。小沢-亀井-原口-福島、赤松ラインの動きを除いて他はシオニスタン政治に勤しんでいる。岡田、長妻らの場合には今のところ是々非々としておこう。かく認識せずの処方箋は何一つ有効に機能することはないであろう。 中国、韓国は、この間の日本解体籠絡作戦の間隙を縫って、相対的に国家的発展気に入っている。特に中国は、在りし日の日本の高度経済成長期の諸施策即ち「池田-角栄式政治」を研究し、これを実践することにより、一時的かどうかは別として高度経済成長に入っている。韓国も然り。独り、当の日本が、かの時代の善政政治を自己否定し、国際金融資本帝国主義の指令のままに籠絡され、次第に衰弱させられつつある。 この道を良しとして吹聴するのがシオニスタンであり、政財官学法司の六者機関上層部はこの連中によって占められている。彼らが官民格差、民民格差を是とし、何食わぬ顔で上層民としての待遇と利権にありついている。それは、「上は下を、下は上を思い思いやる」歴史的日本社会の伝統から遮断されており、つまりネオシオニズムに被れ過ぎている卑しい集団であることを物語っている。これを思えば、その対極に位置した角栄政治の検証による今風の再興、復権こそ瀕死の日本救出の道筋となるであろう。 枝野-レンボウ流事業仕訳のイカサマ性は、国家予算の過半を貪っている軍事、原子力、公務員高給与、天下り冗費に手を付けず、重箱の隅を突き続けているところにある。そういうところで正義ぶるのは、これも「政治遊び」でしかない。日本経済活性化に向かう生産的事業の振興、社会基盤整備事業即ち公共事業の振興、今時では真のエコ事業の振興、国内外市場の拡大、働き甲斐のある暮らしてよかった日本造りこそ目指さねばならない。導きの星は田中角栄の日本列島改造論である。ここで指針された明日の日本構想、政治哲学を読まずして批判する政治家ばかりが養成されているところに日本の不幸がある。れんだいこは、角栄の日本列島改造論を自費出版したいと思う。版権者よ分けてくれ。 現代日本政治が実際にやっているのは角栄式日本列島改造論の逆行政治ばかりであり、目先の利益を追い求め、その利益の過半がハゲタカファンドに吸い取られている。この構図下で、優良企業が外資売りされ、あるいは乗っ取られつつある。国家財政を食いつぶす感のある補助金事業が垂れ流しされ、社会福祉の名の下に利権を生みだして久しい。政党交付金も含め上から下までが税金還付に忙しい。他方でこの間、国債累積債務を天文学的に計上しつつあり、国家予算の半額が利払いを含めた新規発行国債に依存させられつつある。各種公共料金の値上げが続いており、消費税の再値上げが必至の局面を迎えつつある。意図的故意の不況政策により中小零細企業が引き続き倒産を余儀なくさせられつつある。 ロッキード事件以降の日本はそういう負の連鎖構造に陥らせられている。今や確実に国家的破産への道をひた走りさせられている。この腐敗を覆す力が日本人民大衆にありやなしや、それが問われている。2009年政権交代は、その能力を証するものであった。ところが、民主党連合による鳩山政権は、その後の動きを見る限り果断な政治の断行とはほど遠い。日本の活力再生化のシナリオを作りださないまま徒に政治を弄んでいる気配がある。これに伴い、日本人民大衆間には鳩山政権に対するもやもやが生まれており、各種指標における支持率低下へと繋がっている。こたび機密費賄賂を暴露された御用マスコミと学者、評論家は、これをも小沢のせいにして小沢政治訴追運動に精出ししている。一元的に管理された電波を使って、これが吹聴されている。日本政治は、こういう腐敗下にある。 以上が、2010.5月連休明けの政治局面である。まずはかく認識を正しくせねば、有効な処方箋を生みだせまい。今日は子供の日であるから、子供を社会で大事に育ててきた日本の伝統に鑑み、明日の日本を心配してみた。どうか次の世代がより良い日本へ向けて軌道修正し、自力更生で世界の諸民族と共に平和に生きる道へ歩みださんことを願う。これを2010子供の日のれんだいこメッセージとする。 2010.5.5日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評723 | れんだいこ | 2010/05/06 21:12 |
【「官房機密費問題-野中証言考その2」】
先の「売文売弁御用評論家考(副題 汚いぞ三宅久之)」が好評だったので、第二段として「官房機密費問題-野中証言その2」を書き付けておくことにする。内容があまりに由々しきことなので、少し力を抜いて確認してみる。 野中証言によって、小沢民主党幹事長の金権問題を格別に追及していた御仁が揃いも揃って官房機密費を貰っていた売文売弁士どもであったと云うことが判明し、小沢に弁明責任、政治責任を追及していたブーメランが手前に帰って来た。さて、この御仁たちは今後、どういう風に弁明し、或いは弁明せぬまま引き続き小沢に弁明せよと迫り続けることができるのだろうか。 連中は、視聴者の顔が見えないことを良いことに、今後もしゃべくり続けるのだろうか。手前は見えなくても、一億国民に見られていることを知るべきだろうに、そのことさえ意に介せずの厚顔無恥ぶりをいつまで晒し続けられるのだろうか。ここが非常に面白い見どころになってきた。既にテリー伊藤は痛痒を覚えず出張っているとのことである。 副島隆彦氏の「2010年5月5日付け今日のぼやき」は次のようにコメントしている。「私としては、同業者というほどでもないが、以下に列挙されている、この馬鹿な男たちがこれで、テレビ・コメンテーター出演というあぶく銭( 一回、5万円ぐらいだ。私も過去に出ていたから知っている)の収入を無くすのだ。私は、同業者として、彼らの末路を、哀れに思わない訳にはゆかない。彼らは遂に墓穴を掘った。もはや彼らはテレビで偉そうなことは、今後一切言えなくなった。本当にそうだろう。・・・・それでも言うだろうか。そうなったら恐れ入る。日本は、こういうダニたちが言論人、評論家を名乗る国なのである」。 実に然りであろう。 フォーカスの2000.5.31日号が、「極秘メモ流出!内閣官房機密費をもらった政治評論家の名前」を掲載している。これによると次のように報ぜられている。竹村健一200万、藤原弘達200万、細川隆一郎200万、田原総一朗100万、俵孝太郎100万、早坂茂三100万、三宅久之100万とある。これを仮に「フォーカス証言」と命名する。これによると、三宅久之は既にこの頃から売文売弁していることになる。 こたびの「野中証言」に基づき、以下、収賄側の政治評論家を推定する。云わずもがなであるが、推定であるから断定ではない。但し、単なる憶測では意味がない。或るスケールを当て、有り得そうな御仁を炙り出して見ることにする。要するに、ネオシオニズム論を媒介させれば良い。そのエージェント性の強いものほど貰っている可能性が高いと云うことになる。 なぜなら、この連中の性根、人品、骨柄らがそもそも下等なからである。ネオシオニズム・エージェント化したのもそうだし、官房機密費に手を出すのもそうである。辻褄は合っている。普通は、ましてや言論人の場合には、イカガワシイ金には手を出さない。こういうものに容易に手を出す者に限って、人様にキレイ潔癖清潔であれと説教する御仁が多い。 思えば、相撲界での朝青竜の角界追放劇を想起せよ。本業であれほど素晴らしい相撲を見せていた朝青竜を、本業外のささいなことでケチをつけ、口をきわめて罵詈雑言し、角界追放当然論を述べていたコメンテーターが居たとする。その御仁が官房機密費を貰っていたとすればどうなるか。本業で不正を働いていたことになるのだが、「穴があったら潜みたい」では済まないだろう。水戸黄門様がお出まししたら、きっと所払いを命ぜられるであろう。そういう意味で、やくや、チンクシャ女が貰っていないことを祈る。 ここでは話を大きくし、官房機密費に限定せず、イカガワシイ金を貰って売文売弁しているかどうか基準で精査することにする。果たして何人がスル―することができるだろうか。 田原総一朗は、野中証言では「機密費の受け取りを拒否した評論家」として、わざわざ名が挙げられている。が、「フォーカス証言」では受取人として出てきている。これを思えば、野中官房長官時代には受け取らなかったか、何らかの事由で受け取らなかったとされていると読むべきだろう。深い理由は分からない。 「政治家から評論家になった人が、『家を新築したから3千万円、祝いをくれ』と小渕(恵三)総理に電話してきたこともあった」に該当する者は誰か。野中が官房長官時代の1998-99年時点で政治評論家になっていた「元与党系の大物議員」とは、ハマコーが臭いことになる。但し、「家を新築した」経緯があるのかどうか分からない。小渕との親しさではありそうな話ではある。他にも居ないかが気になる。 「北朝鮮に行くために機密費をせびっていた議員」とは、1999年に北朝鮮へ訪朝議員団の団長としていった村山富一元首相が臭いことになる。その他エトセトラが考えられる。 「テレビで立派なことをおっしゃりながら盆と暮れに官邸からのあいさつを受けている評論家には亡くなった方もいる」にある「亡くなった方」とは誰か。飯島清が臭いことになる。飯島清をネット検索すると情報が出てこない。と云うことは意図的に抑えられていることになる。よって死因も分からない。中曽根-石原を提灯し続けたネオシオニスト系の典型的な御用評論家であったが、こういう羽目に遭うということだろう。 御用タレントとしては、テリー伊藤が臭い。みのもんた、北野(ビート)たけしの名が挙げられているが、貰う必要もないほど稼いでいるので本当に貰ったかどうか分からないとすべきだろう。貰っていたとすれば、大まかな意味での日頃の御用系発言の謝礼としてであろうが、それにしても貰う性根がケチ臭い。大田光(爆笑問題も挙げられているが、真相は分からないとすべきだろう。まだ若いのに貰っていたとすれば筋が悪いことになる。その点、お笑いタレントに徹している「タモリ」や「さんま」は噂にも上らず、逆にエライと云うことになる。 御用キャスターとして、読売-日本テレビ系の辛坊次郎、読売新聞特別編集委員の橋本五郎が臭い。どちらも有りそうである。共同通信社上がりの後藤謙次はどうだろう。元「三宝会の世話人」と云うことでもある。貰っていたとすれば、かなり筋が悪いことになる。元NHK記者にしてフジテレビ系「FNNスーパーニュース」のコメンテーターを務める木村太郎は分からない。貰っていたとすれば不見識極まりないことになる。ところで、一時代を画した久米宏、筑紫哲也はどうなのだろう。貰う必要もないほど稼いでいるので貰ったとは信じられない。古館伊知朗も然り。鳥越はどうか。貰っていないことを祈る。TV朝日の三反園、小宮悦子はどうか。貰っていないと思うが、まさか。 新聞社出自のコメンテーターとして、毎日系の三宅久之が筆頭で臭い。こいつには良心と云うものが感ぜられない。岩見隆夫はどうかな。当然の如く貰っていた気がしない訳でもない。岸井成格はどうかな。分からないとしておこう。元読売新聞記者の大谷昭宏はどうかな。臭うとしておこう。時事通信社の田崎史郎も臭い。裏のありそうな抜け目なさの表情をしているから。朝日新聞編集委員の星浩は分からない。貰っていたとすれば裏表のある御仁だということになる。他にもいるだろうが、れんだいこはあまりテレビを見ないから分からない。一体、該当せずは誰だろうか。この線から探した方が早い気がする。 フリージャーナリスト系コメンテーターとして、河上和雄(元・東京地検)が臭い。こいつはロッキード事件以来のかなり玄人筋のネオシオニズム・エージェントである。臭うとしておこう。法知識に長けており合法的な貰い方をしているかもしれない。宮崎哲弥はどうか。人品骨柄から見て有りそうである。他にも、桜井よし子、北村弁護士、屋山太郎、福岡正行、上杉隆、池上彰、青山繁晴の面々が考えられる。該当する者も居れば該当しない者も居よう。 森田実はどうなんだろう。「森田実の言わねばならぬ」は、この問題に今のところ言及していない。目下、異常な小沢パッシングしているところが臭い。確実に該当せずは副島隆彦と思われる、エライ。そう云えば、立花隆はどうなる。官房機密費問題は分からないが、イカガワシイ金貰いの、それこそ元祖元凶だろうに。こういうのが、よりによって人の金権問題を論う癖がある。これが世の中と云うものだろう。 文藝評論家・山崎行太郎氏の「毒蛇山荘日記」(2010-05-05)の「小泉政権時代の官房機密費、御用文化人買収工作を暴き出せ。“サンプロ”レギュラーメンバーは全部クロだろう」によれば、「小泉・竹中構造改革の旗振り役を勤めた田原総一朗司会のサンプロ・レギュラーメンバーは、全部、クロだろう」とある。れんだいこは見ないので分からないが、誰々なのか知りたいところである。 纏めとして、れんだいこは思う。官房機密費を貰ったかどうか、そのことにより売文売弁したかどうかで精査して、両方に該当する者は永久追放されるべきだろう。これを禊と云う。日本の伝統的お祓い方法である。昔と違って命まで取ろうと云うのではない、甘んじて去れ。かくして人材登用が為され、前任者の轍を踏まないジャーナリストが誕生する。そうやって遣り繰りするもんだろうが、どうなるのだろうか。 マスコミが、この問題を取り上げたらエライ。自主規律ありと認めよう。採り上げなかったら、どういうことになるのか。明日から、その姿が見えるふふふ。 2010.5.6日 れんだいこ |
Re::れんだいこのカンテラ時評724 | れんだいこ | 2010/05/07 21:23 |
【鳩山首相先祖墓スプレー事件考】
2010.5.6日、何者かにより、東京都台東区の谷中霊園にある鳩山首相の祖父、故鳩山一郎元首相夫妻の墓石に黄色い塗料が吹きつけられていることが発見された。塗料はペンキとみられ、スプレーのようなもので墓石の前面が塗りつぶされていた。これを仮に「鳩山首相先祖墓スプレー事件」と命名する。これをどう読むべきか。れんだいこのアンテナは作動する。 所轄の警視庁下谷署は、昨年9月の鳩山首相就任以降、重要パトロール地域として巡回を開始しており、5日午後11時40分頃までは異常がないことが確認されている。6日午前0時すぎ、同3時すぎにも署員が墓の前を通ったが異常には気付かなかった、と云う。事件の知らせを受けた首相は午前10時40分頃、墓を訪れ、警官が取り囲む中、両手を合わせた。「私を批判することは大いに結構だが、批判は私自身が受けたい。先祖の墓にそのようなことをやることだけはやめていただきたい」と強く批判した。 さて、この事件をどう窺うべきか。これは単なる変質事件ではない。極めて政治的な、首相恫喝事件と読むべきである。黄色いスプレーは、先月25日の沖縄県民大会での「政府へイエローカードを突き付けよう」意思による黄色いTシャツ、リボン、ハンカチ闘争に対する対抗的意味を持つ。それより何より、祖父の鳩山一郎の墓石蹂躙そのこと自体に意味がある。れんだいこは、鳩山首相が普天間基地移転を廻って優柔不断、ハトヤマ美人を見せていることに苛立つネオシオニストが、祖父・鳩山一郎元首相を廻るスキャンダル暴露をチラつかせて、鳩山首相を恫喝していることを表象していると読む。 ということは、鳩山首相を締め上げるネタはマミー献金ぐらいしかなく、それは失敗したことを意味している。そこで、鳩山一郎元首相スキャンダルを持ち出し、これを表沙汰にするぞと脅すことで、何が何でも自公政権時の既定路線に従うよう取引していると見立てたい。ということは、ここに大きな、どうしてもそうさせたいとする闇利権が存在しているということになる。中曽根―小泉グループは、こういうことを平気でする連中である。その例証には事欠かない。ここでは挙げないが、多くの有能士が変死させられている。信じられないのなら小泉首相秘書官の飯島を証人喚問すれば良い。れんだいこが特別参加でいろいろ訊ねて見よう。 「鳩山首相先祖墓スプレー事件」から判明することは、要するに鳩山首相が脅されていると云うことだ。 こう読むと、この事件が公然たる首相凌辱事件であることが判明しよう。こうなると、一体、一国の首相をこうも軽々と扱う連中とは何者かを詮索せねばなるまい。警察は動くのか、恐らく動くまい動けまい。マスコミは追うのか追うまい。かくて好き放題を為し得る絶対権力足る闇勢力の存在のみが炙り出されてくる。これをCIA説で唱えるのは既に古い。今はズバリ、ネオシオニスト・モサド機関説で睨まねばならない。 日本国内に呼応するこういう連中が居ると云うこと、こういうことを仕掛ける組織が存在すると云うこと、これを確認せねばなるまい。これを謀略論で一蹴するならするが良い。見ようとしない者には見えないだけのことである。それだけのオツムでしかないということ、それほど汚染されていることを自己暴露しているに過ぎないと云うだけのことである。 こうなると我々は、鳩山首相に対し、ネオシオニストの恫喝に負けるな、歴史に責任を負う男になれとエールせねばなるまい。下手くそな「抑止力の必要が今頃分かりました」なる珍句を云わぬが良い。真面目な顔して云われると吹き出すではないか。今からでも遅くない、やはりここは「熟慮に熟慮を重ねた結果、米軍に普天間基地からのお引き取りを願うことに決めました。これが日本国民の総意です」と云うが良い。 それが為に鳩山一郎スキャンダルが流されようとも、それはそれで受け止める力が我々にはある。ひとたび屈服させられると二の矢の御用聞き、三の矢が待ち受けている。終生飼われ続け味気ない人生を送ることになる。鳩山首相よ、ここは歴史の正義に生きよ。幕末維新の志士はそうやって生命を未来に託したのではないのか。武運を祈る。維新革命はまだ続いている。 2010.5.7日 れんだいこ拝 |
【イソップの「ろばを売りに行く親子の話」考】に対して | ルミちゃん | 2010/05/10 01:34 |
引用開始 ------------------------------------------- せっかくだから、この機会に「ろばを売りに行く親子の話」を読み直してみよう。れんだいこが意訳すれば次のような話になる。 「或る時、粉ひきの父親と息子が、ロバを売りに市場へ出かけた。二人でロバを引いて歩いていると、それを見た人が云うのに、『おばかさんだねぇ。せっかくろばを連れているのなら乗って行けば良いのに。歩いているなんてもったいない』。なるほどと思った父親は息子をロバに乗せた。しばらく行くと別の人がこれを見て云うのに、『おいおい。子供の方が乗って親を歩かせるなんてバカなことがあるか。親父も親父だ。子供を甘やかしてどうする』。それもそうだと思い、今度は父親がロバにまたがることにした。しばらく行くと、また別の者が云うのに、『おいおい。どうなっているんだ。親が楽をして子供を歩かせるとは。酷い親だ」。親子はほとほと困った。考えた末に二人でロバに乗ることにした。すると、別の者が見て云うのに、『おいおい。ロバに二人も乗るなんて、ロバが可哀そうではないか』。親子はまたまた困った。最後の名案として、ロバの両足を棒にくくりつけて吊るし、二人で担いで歩くことにした。これで誰にもとやかく云われないで済むと安堵したが、もうすぐ市場に到着するという頃、窮屈な姿勢を嫌がったロバが暴れだした。不運にもそこは橋の上であった。暴れたロバは川に落ちて流されてしまった。結局親子はロバを売り損ない、一文の利益も得られないままとぼとぼと帰って行った」。 この寓話を解説するまでもなかろう。主体性なく人の意見ばかり聞いて右顧左眄するようでは詰まらない。結果として元も子もなくする、時としてひどい目に遭うと云う戒めと解する。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 引用終わり 他人の意見に、耳を傾け、良く考えなければいけない. 誰も、ロバを引いて行くことが(ロバを歩かせて行くことが)、いけないことだとは言っていないのに、親子はロバを担いで行くことにしました.つまり、この親子は、誰の意見にも従わない方法を考えてしまったのです.皆の意見に対して、それぞれに正しいと考え、そして従いながら、最後は誰の意見にも従わずに、親子は自分たちの主体性によって行動した結果なのです. 1.皆の意見に一理があった=自分たちが最初にロバを引いて歩いていた、ここにも一理があるはず.この場合は、こう考えるのが正しいと思います. 2.皆の意見を聞いていたら、結果的にどうにもならなくなってしまったから、皆、間違ってるんだ.国境紛争で、もめていました.意見がまとまらなかったので、戦争を始めました.こう言う考え方に繋がるのではないでしょうか.互いに相手に正しいところがあると考えれば、戦争にはならないと思います. |
Re:【イソップの「ろばを売りに行く親子の話」考】に対して | れんだいこ | 2010/05/10 11:20 |
ルミちゃんちわぁ。れんだいこの【イソップの「ろばを売りに行く親子の話」考】に対する批評有り難うございます。まずは、これを謝辞しておきます。ぶっきらぼうな批評の仕方ではありますが、一応お付き合いしておきます。 これを、「主体性なく人の意見ばかり聞いて右顧左眄するようでは詰まらない。結果として元も子もなくする、時としてひどい目に遭うと云う戒め」と解するのか、「他人の意見に、耳を傾け、良く考えなければいけない」と解するのかは、差し当りは自由です。皆さん、それぞれそれなりの受け取りようがあって良いと思います。 但し、れんだいこ的には、ルミちゃん的受け取りは驚きです。「他人の意見に、耳を傾け、良く考えなければいけない」戒めには、もっと別の格好の話があるように思います。「イソップのろばを売りに行く親子の話」をして、そのように受け取るとなると、これは寓話の破壊です。寓話を難しく語り始めると成り立たなくなると思います。もし、ルミちゃん的解釈が通説になるとすると、れんだいこは昔の型人間になってしまったのかも、それはそれで結構と思います。今や互いに言葉が通じなくなったのかと寂しい思いがしております。宜しければ多くの方の批評を請います。 2010.5.10日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評725 | れんだいこ | 2010/05/12 18:09 |
【執拗な小沢政治訴追運動を再解析する】
2010.5.12日、東京地検特捜部が、先の検察審査会が「起訴相当」としたことを受け、小沢民主党幹事長に3度目となる任意の事情聴取を要請する方針を固め、元秘書の衆院議員・石川被告らにも再聴取を要請する方針と報ぜられている。これに、れんだいこがコメントしておく。 東京地検特捜部の事情聴取は、これをお仕事と思えば勝手と云えば勝手と云えるかも知れない。れんだいこは、これに反対する気持ちはない。問題は、検察審査会要員の胡散臭さ、その審議過程の胡散臭さ、起訴相当の胡散臭さと云う三点セットを受けての東京地検特捜部の事情聴取の胡散臭さ、これを後押しする勢力の胡散臭さにある。今後どう展開するのか今時点では分からないが、何がどうでも小沢起訴へ向けての執念が見られることになるだろう。 「政治とカネ問題」は、自民党政権時代、自公政権時代には首相、幹事長を裁くと云う事件としては浮上しなかった。正確には分からないが特段の記憶はない。叩けば埃がもうもうと立ちあがると云うのに。ところが、民主党連合政権時代になるや、政務の首相、党務の幹事長のトップ双方に東京地検特捜部のメスが入り続けている。これはとても胡散臭いことではなかろうか。東京地検特捜部よ、胡散臭くないことを説明して見よ。君たちの好きな言葉で云えば、説明責任がある。 その俄か仕立ての「政治とカネ問題」につき、鳩山首相は、収支報告書不記載なのに起訴が見送られた。小沢幹事長は、収支報告書記載なのに咎められ起訴し続けられようとしている。その他大勢の政治家の不記載が露見しても見逃されている。これはとても胡散臭いことではなかろうか。東京地検特捜部よ、胡散臭くないことを説明して見よ。君たちの好きな言葉で云えば、どういう理屈で記載した方が問題視され、記載しなかった方が免責されるのか法の正義を聞かせてくれ。 れんだいこが思うに、法の正義なぞある訳がない。あるのは法を曲げて「上からの法破り」してまでのひたすらな小沢政治訴追の意思ばかりである。色々理屈を述べようが、透けて見えてくるのはこれである。となると、小沢はなぜ執拗に政治訴追されようとしているのか、関心はこちらに向かう。小沢訴追派の誰か、なるほどと云う論を弁じてみよ。れんだいこが判じて見せよう。 その前に、れんだいこの方から解析しておく。小沢政治訴追運動の裏にはネオシオニズムの糸がある。意図と糸でゴロまで合うからおかしい。では、ネオシオニズムが何故にマスコミは云うに及ばず右から左まで勢力総動員して小沢政治訴追運動を画策するのか。これを一言で云うなら要するに、日本政界を御しにくくなるからである。ということは逆に、今や政界は小沢勢力を除けば御し易い御用聞きばかりのシオニスタンであるということにもなる。民主党内の前原、仙谷を筆頭とする反小沢派はその呼応勢力であるということになる。 では、シオニスタン派と小沢派ではどこが対立しているのか。これを政策の違いで分かり易くしてみる。一つは、憲法9条改正による自衛隊の武装海外派兵を押し進めるのかブレーキをかけるのかの違いである。シオニスタン派は全面推進、小沢派は条件付き推進である。この違いが大きい。一つは、軍事、原子力その他のネオシオニズム好物の利権推進かブレーキをかけるのかの違いである。シオニスタン派は推進派であり、小沢派は公共事業利権派である。この違いが大きい。国家予算の使い方、諸施策に於ける外治派か内治派かの違いもある。シオニスタン派は外治派であり、小沢派は内治派である。国営事業の民営化推進、ハゲファンド導入派かブレーキ派かの違いもある。シオニスタン派は推進派であり、小沢派はブレーキ派である。消費税増税派かブレーキ派かの違いもある。シオニスタン派は増税派であり、小沢派はブレーキ派である。こう書きだしたら次々と波及してキリがない。要するに、売国派と自立自存派の政治抗争として小沢政治訴追運動を捉えなければならない。国造りの在り方が根本的に違うのだ。かく共認できれば良い。 となると、小沢政治訴追にしゃかりきの日共とはどういう政党なのか、ここにも言及しておかねばなるない。れんだいこが指摘しておく。下部党員レベルでは分からないであろうが、この党中央は久しくネオシオニズムの左からの廻し者であり、意図的故意に御用聞きしている。その例証には事欠かない。これを左派用語でやるから、理論の弱い者は騙されてしまう。それだけのことである。これは既に史実的にも明らかなことなので、一刻も早くネオシオニズム配下式左派ではなく自立自存派の左派の待望が久しいと云うことになる。日本人民大衆の不幸は、自立自存派の左派が台頭せず、よってその理論が知られず、よって本物の左派運動が存在しないことにある。 こういう状況であるから故に、まずは日本版アルジャジーラ放送から始めようと、れんだいこは既に何度も発信している。そろそろ実になるほどと思う人が出てきて、ウェブテレビで立ちあげてほしい。れんだいこがしたくても技術が分からないからできない。誰か頼む。ますます溶解されつつある日本にはそんなに余裕はないのだ。これさえできれば、官房機密費貰いの御用コメンテーターの売弁なぞ聞かされなくて済むではないか。「言論とカネ問題」で失格の者が、「政治とカネ問題」で正義ぶり、今や希少の在地土着派系有能政治家を政治訴追する倒錯を見なくて済むではないか。朝から晩までやってくれ。これが、れんだいこの生きがいになる。 2010.5.12日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評726 | れんだいこ | 2010/05/13 22:27 |
【鳩山政権への不審不信考】
2010.5月中旬現在、鳩山政権の迷走が続いているが、どうにも解せないことを記しておく。れんだいこの鳩山首相評は次第に不機嫌になりつつある。その要因は、鳩山首相が本当に真剣に日本政治の現在と未来を賭けて格闘しているのか、小泉式狂人レイプ政治とは違うが本質的には「政治の遊び人」化としては共通しているのではないかとの疑念が去らないことにある。「米軍沖縄普天間飛行場の返還・移設問題」での迷走など、その最たる例であろう。 民主党は先の総選挙前に数々の美味しい公約を打ち上げたが、今日までのやる気の無さを思えば公約詐欺の思いを禁じ得ない。中には履行しなくても良い公約もあるが、是非ともせねばならない公約もある。直ぐにはできない公約もあるが、すぐにできる公約もある。このうちで、履行して良くて直ぐにでもできる公約があるとすれば、それをしない鳩山政権とは一体何者なんだろう、そういう疑惑がある。 れんだいこから見て、履行して良くて直ぐにでもできる公約の筆頭は、有料高速道路料金の大幅低額見直しである。民主党は、選挙前には無料化を約束していた。れんだいこは、無料化でなくても「現行料金の3分の1化、通行量の5倍化」を良しとしていた。前原国交相は就任後直ちに着手すべきところ、今日までネグレクトし続けている。民主党は既にガソリン税の廃止公約を反故にしており、それは有料高速道路料金無料化促進の為の外堀を埋めた措置であったと考えられるのに、未だにネグレクトし続けている。これって意図的故意にそうしていると思わずには理解できない。 「有料高速道路料金の大幅低額見直し」は、低迷する日本経済活性化の切り札となる政策である。この観点から無料化論は大いに成り立つ。時は今絶妙のタイミングである。しかるに、鳩山首相-前原国交相ラインは敢えてサボタージュしているように見える。先に「全日一律距離規制なし2千円化、特例3千円化」新政策を打ち出したが、これさえ先伸びされる雲行きとなっている。れんだいこが危惧した通りになりつつある。 れんだいこがこれを支持したところ、一部で不評があった。これを訂正しておく。れんだいこの意は、「全日一律距離規制なし2千円限度化、特例3千円限度化」であり、つまり限度を「2千円ないしは3千円」とするという意味であり、当然ながら現行料金より上回ることは許されない。現行料金が「2千円以下の場合」には、ワンコイン、ツ―コインで対応し現行料金より安くせよとしている。 これで誰も不満はない筈である。誰が考えても、無料化が無理でも、これなら納得できるはずである。問題は、鳩山政権がなぜ早急に実施しないのかにある。れんだいこはここで、鳩山政権の意図的故意の景気浮揚政策サボタージュを見て取る。なぜなら、有料高速道路料金新政策をこれ以上遅くする理由が見当たらないからである。 そうなると次には、鳩山政権が何故に景気浮揚政策に踏み出さないかの疑惑解明に入る。れんだいこは、偶然ではないと見る。鳩山政権がやっていることは、自公政権とは違う別の方法での日本の溶解化であり、これを指図する者は例の国際金融資本帝国主義ネオシオニズムと見立てる。こう理解しないと解けないことが多過ぎるし、こう理解すると全てが容易に解ける。 事業仕訳での、特段没にせねばならない訳ではない仕事舘、アニメ舘、その他先行的科学技術研究分野の事業に対する廃止政策の意図が見えてくる。その癖、エコの名を借りて原子力発電推進にはゴーサインを出している。軍事防衛費にはメスが入らず、軍事基地移転には相も変わらず多額の出費を辞さない風を見せている。憲法改正、自衛隊の恒常的武装派兵、消費税増税、バラマキ給付金の垂れ流し等々、これらは皆地下で一本の道筋に繋がっている日本解体溶解化政策ではなかろうか。 鳩山政権が曲がりなりにも評価されてきたのは、この流れに棹差す亀井、原口、福島らが居たからである。小沢はこちらに繋がっている。だがしかし、鳩山首相は次第に前原、岡田、仙谷、枝野等のシオニスタンに加勢しつつあるように思われる。鳩山と小沢がほぼ同時に「政治とカネ問題」で訴追され、鳩山免責、小沢追起訴となった。これは何を物語るのだろうか。両者を揺さぶり、両者の決裂を誘い、鳩山免責の代わりに小沢訴追の流れを造り出すよう地下司令部が鳩山を揺さぶったと考えるべきではなかろうか。そして今、鳩山はその船に乗ろうとしている。 この間、新党が次から次へと生まれているが、これ皆、地下司令部の意向と差し金によるものではなかろうか。自公が既に完全に食傷され、このまま行くと参院選での民主党圧勝との予想から何としてでもそれを阻止せんとする悪巧みによるとしか考えられない。そういう意味では、新党の面々は間抜けなピエロでしかない。そういう目で見れば格好のピエロばかりである。皆弱みを握られていると考えれば良かろう。 さて、そういうことを踏まえて、鳩山政権内在地土着系がどう奮戦するのか、我々がどう後押しするのかが問われている。敵は東京地検の司法大砲、マスコミの言論大砲を使って喧騒しまくるだろう。そういう意味では、先の野中元官房長官の「官邸機密費のマスコミ対策費暴露」は利いた。これで、身に覚えのあるテレビの常連コメンテーターが鳴りを潜めさせられている。滑稽である。もし出てくれば、「政治とカネ」を云うのも結構だが「言論とカネ」で汚れている者に云う資格があるのかとマイクを突き付ければ良い。どうコメントするだろうか、コメンテーターに云わせてみたい。 こう云う風に、我々もあらゆる戦線から対抗せねばなるまい。ネット言論も然りだ。マスコミ論調との鮮やかな違いを際立たせ人民大衆の信を問わなければならぬ。日本人民大衆は縄文の頃より勝れた言語を使い思想を練って来た底力を見せつけようぞ。シオニスタンの如く名誉と地位とカネに溺れて魂まで売る輩とは一味違うところを見せつけようぞ、とまぁこれぐらいにしとこ。 2010.5.13日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評727 | れんだいこ | 2010/05/14 21:25 |
【シオニスタンよ、エエカゲンニセンカイ】
2010.5月中旬、この辺りで日本政治が陥っている閉塞について確認しておく。政界は相も変わらず「政治とカネ」で揺れており、鳩山首相は逸早く免罪切符を手にした。しかし、それ故にと云うべきか倍する勢いで小沢叩きが進行中である。これをどう評するべきかが問われている。れんだいこは次のように読み解く。 元々、政治はキレイゴトで済むようなものではない。政治目的の為にはなり振り変わらぬ鉄の意思で突き進むのが本性である。政治とはそういうものである。事業、商売でも仕事を取る為に多少その要素があるが、政治は政治目的、その体現としての政策を廻る闘争を日常としている。敵と味方と中間地帯を見据え、常に駆け引きしている。本来、「政治に於けるカネ」はその手段であり、何を守り何を抑えるかを廻って表から使うカネと裏から使うカネがある。こう弁えるべきではなかろうか。 この法則は与野党問わない。与党は与党なりに野党は野党なりにカネを必要とする。この際、キレイ潔癖衛生言辞は気休めの飾りでしかない。云う者には勝手に云わせておけば良いだけのことである。恐れるべきは金欠の方であり、カネがないのは首がないのと同じことになる。昔から軍資金失くして首尾よく進展した事業、商売、政治、回天、革命はない。昔の人は本音主義であるから、これを自明当たり前のこととして来た。その分常に政治運動の中身を問うて来た。れんだいこは、それで良いと思っている。 「政治に於けるカネ」の必要は大凡(おおよそ)ながら分かっていただけたとして、この問題の重要性は、どこから、誰から、どう云う風に工面するかである。国内で調達するのか、外国勢力からの秘密資金をも可とするのかも問わねばならない。これをどこまで公開すべきなのか等々議論し出せばキリがない。日本政治は、これをどう解決し、解決しようとしてきたのだろうか。れんだいこは大筋では良かったと思っている。但し、ほどほどの方がまだ良いとも思っている。 労組献金側の社会党-社民党が企業献金禁止論を云うのはナンセンスと思っている。企業、業界、団体、組合皆アリアリで良いと思っている。何事も存在するものには合理性があるからである。個人献金オンリー論ほど実態にそぐわないものはないと思っている。みんなが建前ばかりの話をし始め、首を絞め合おうとしているように思える。ナンセンスの極みと云うべきだろう。現に、れんだいこが政界に打って出ようとしても先立つものにカネがいるではないか。手弁当で応援してくれる人に更にカンパ出せなど云えるわけないではないか。 民主党政権時代になって、「政治とカネ問題」がより激しくされており、それも次第に本筋から離れて、いわば「政治資金フェチ」的究明運動に陥りつつあるように思える。「政治に於けるカネ問題」が特化させられ、他の重要関心事が脇に追いやられ、「政治に於けるカネ問題」のみに関心が向かいつつあるように思われる。小沢問題で云えば、秘書寮の建設問題如きで徹底究明の正義の声が飛び交い、役職辞任どころか議員辞職まで要求されており、その運動が正義だと毎日毎晩聞かされ続けている。 仮にこれを全議員に公平にやるのならまだしも、小沢を魔女にして魔女狩り的様相を帯びつつある。かの当時の魔女狩りも胡散臭いところがあるが、ここでは問わない。奇妙なことに、小沢のように政治資金収支報告書に記載した者が槍玉に挙げられ、資金調達につき「天の声」責任までが追求されようとしている。それでいて、贈収賄の常習犯の中曽根、小泉、竹中などは何をやっても免責されている。それも、ロッキード事件で田中角栄を徹底追求した者ほど中曽根、小泉、竹中ラインの不正には大甘で、角栄、小沢ラインの追及の時には目の色変えてはしゃぎ廻る癖が認められる。ヤメ検の河上和雄、検察ファンの立花隆などその典型であろう。 この風潮は偶然だろうか。れんだいこは、そうは思わない。誰かに仕掛けられ、乗せられていると思っている。仕掛け人は云わずと知れた現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義ネオシオニズムである。この連中は、ユダヤ教タルムード派とでも云うべき一握りの選民選良による世界秩序再構築即ち世界支配を画策している。その戯画性は、「シオン長老の議定書」を読めば判ぜられよう。下手に偽書呼ばわりせず、否偽書呼ばわりはどうでも良いのだけれども、とにかく読んで中身を確認することだ。今は亡き太田龍が「シオン長老の議定書 」(四王天 延孝、成甲書房 、2004年)を出版敢行している。意志さえあれば読めるようになっている。 角栄、小沢パッシング派には「洋行組」が多い。河上和雄は、「ハーバード大学ロースクールグラデュエイトコースを卒業」と出て来る。立花隆は学生の頃から何度もイスラエル詣でしている。検察幹部、警察幹部、自衛隊幹部になる為には「洋行帰り」でないと登用されない仕掛けがあるように思われる。これが単なる「洋行帰り」なら良い。特殊な結社員となってエージェント契約して帰るから質が悪い売国奴と云うことになる。つまり、売国奴契約した者でないと出世できないシステムになっている。 もとへ。政局は、れんだいこが予想した通りの「鳩山-小沢ライン切り離し」、「政治とカネ」究明の裏でのシオニスタン政治の深化、7月参議院選に向けての用意周到な民主党叩きが進行している。ここへ来て、民主党内シオニスタン派が、自ら民主党ダメ―ジを与える為にであろう、そういう指令が出たのだろう、消費税増税を打ち出してきている。続いて憲法改正、自衛隊の常時武装派兵をも画策しつつある。こうなると自公の政策と何ら変わらない。この派に列なる議員を全てシオニスタン派と思えば良い。我々は、誰と誰がはしゃぐのか、関心を持ってチェックしよう。こうして、給付金垂れ流し政策の裏で着々と日本崩壊シナリオが整備されつつある。 これを止める力は何か、ここを考えねばならない。れんだいこが思うに、戦前も、こうやって日本帝国主義の朝鮮、台湾、中国侵略が誘導され、挙句の果てに広島、長崎の原爆によって民族絶滅寸前まで大立ち回りさせられたのではなかろうか。これは、歴史法則でも何でもなくて、国際金融資本帝国主義ネオシオニズムによって、そういう風に人為人工的に嵌められたのではなかろうか。その国際金融資本帝国主義ネオシオニズムが再度、今度こそは二度と立ち上がれないようにあらゆる仕掛けを施しつつ日本バッシングを仕掛けているのではなかろうか。 してみれば、これを止める力は何か。エエカゲンニセンカイと立ちあがるしかないのではなかろうか。各自事情があろうから、穏和にやるのも良し、急進的にやるのも良し、とにかく共同戦線で、つまり内部撹乱させられることなく団結しつつ、敵のシナリオを一つずつペンチで剥がして行くべきではなかろうか。我々にはそういう能力がある。れんだいこはそう思っている。 2010.5.14日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評728 | れんだいこ | 2010/05/15 20:27 |
【民主党内シオニスタンの消費税増税公約化の動き考】
民主党内に消費税増税公約化の動きが出ている。これにコメントしておく。 鳩山政権発足より9ケ月目の現在、そろそろ鳩山政権の本質を語る時であろう。れんだいこは、小泉政権に対しレイプ政治と規定してきた。鳩山政権をこれに比して命名すればピエロ政治と云うべきか。小泉首相に対しては狂人と規定してきた。それに比して鳩山をどのように規定しようか。坊ちゃんであるのは間違いない。八方美人の新造語としてのハトヤマ美人であることも間違いない。世間では宇宙人と云う。これについてはもう少し考えて見ることにする。誰か、れんだいこがなるほどと思う言葉を教えてくれれば有り難い。 鳩山政権の支持率の低下は、マスコミ言論大砲による小沢叩き扇動のみにあるのではない。鳩山政権が選挙前の数々の公約を反故にし続ける失望が主因と思われる。沖縄普天間基地返還・移転問題の「5月末決着」の漂流が鳩山政権の「不決断と不実行政治」を象徴しており、頼むに値しないと云う不信任が急速に広がりつつあると思っている。 れんだいこは、鳩山政権を支持する立場から、妥当な公約にして直ぐにでもできる高速道路無料化から先鞭をつけるべきと進言してきた。然るに、未だに先送りさせられている。前原国交相がこれを阻止してきたことが明らかになっており、その前原は今、景気浮揚策として位置づけられているこの公約を景気浮揚策にならない形にする為に腐心すると云うシオニスタンぶりを露骨に見せている。よって、高速道路無料化公約のネグレクトは偶然ではない、意図的故意にサボタージュしているものであることが判明する。 それほどまでに景気が良くならないように誘導されている。思えば日本は、バブル経済崩壊後、真の景気回復は一度足りとしてない。ズルズルと不況の中に追いやられ今日へ至っている。これは偶然ではない。政治が意図的故意に不況を創り出していると思った方が良い。本来であれば、景気は不況と好況間を循環するものである。それを、好況の芽が出てくれば潰し、不況にするよう意図的故意に政策運営してきたと思った方が良い。こう考えないと諸事象の説明がつかず、こう考えると全て納得できる。 問題は、何故にそういう政治を誘導するのかにある。常識的には考えられない。しかし、考えられないことが今起こっている。こう受け止めた方が良い。誰か、これを、国際金融資本帝国主義ネオシオニズム論を媒介せずに解けるだろうか。これを媒介すれば解けるのならば、この論の精査に向かうべきだろう。この解の正否を議論すべきだと思う。 ここへ来て最近民主党内に急速に浮上しつつある消費税増税問題は格好の例題である。誰か、参院選直前のこの時期に民主党内から消費税増税公約化の動きがなぜ出ているのか、ネオシオニズム論を媒介せずに解いて見よ。民主党はこれまで、自公政権の消費税増税の動きに対して「その前にせねばならないことがある。まずは国家機構の冗費節減をすべきである。それから考えれば良い」としてきた。この姿勢を転換させて消費税増税を公約にして参院選に臨むと云うのだ。これは一体何なんだ。 ネオシオニズム論を媒介すれば直ぐに解ける。小沢采配による民主党再生が奏功し昨年遂に政権を取った。以来、執拗に小沢叩きを策してきたが土俵を割らせられない。このまま参院選に臨むと民主党圧勝の公算が高い。そこで急きょ新党を続々誕生させてみたが、これも期待薄である。自民党は党内亀裂が深く、且つ人材が払拭している。その政策たるや露骨なシオニスタン政治であり、国民の支持を得るのはほど遠い。長年の飼育が効き過ぎて既に党的能力を喪失し過ぎている。 こうなると残された手は、民主党内のシオニスタンを立ちあがらせ民主党内の分裂を誘い、且つ民主党に対する失望を買うような公約を掲げさせ、支持者の民主党離れを促進させる以外にない。そこで出てきたのが「消費税増税公約」のシナリオである。ネオシオニズム論を媒介すれば、こう云う風に解ける。 こういう悪知恵を働かせるネオシオニズムに汚染されている国は日本だけではない。否世界中の各国の政治が浸食されている。だがしかし、ネオシオニズムの影響が強まれば反作用として抵抗勢力を生み、筋書き通りには進んでいない。これは当り前のことで、それぞれの国にはそれなりの有能士が居り、ネオシオニズムが幾ら世界的ネットワークを張り巡らしているはいえ少数派を宿命とする秘密クラブ制にならざるを得ない欠陥を衝く。ネオシオニズムが思い描く世界支配構図が、国際金融資本を支配核とする世界住民の奴隷化であることを見抜く故に、彼らが思い描くようには易々とは問屋が卸さない。奴隷化される側は堪(たま)ったもんではないからである。抵抗勢力が生まれるのは当り前で、道理があると云うべきだろう。 問題は、左派運動が、こう云う風に現代世界を捉えず、各国の支配階級打倒運動にのみ精励し続けていることにある。日本で云えば、自民時代には自民の歴代政権に対し、自公時代には自公の歴代政権に対し、民主党連合政権にはその政権に対し、相も変わらず百年一日の反対運動のみに耽っていることにある。よしんば反対運動が抵抗運動になろうとも街頭武装反乱デモになろうとも、れんだいこはうんざりだ。 日本左派運動が己の運動を正義と信ずるのなら政権取りに向かうべきであり、これを視野に入れない単なる反発運動なぞむしろ有害ではなかろうか。れんだいこはそう思って若い頃、日共系の民主連合政権樹立運動を支持し参画して来た。しかし、当初の「70年代の遅くない時期」が過ぎてもカエルのツラの皮にションペンで、「20世紀の遅くない時期」が「今世紀中に」に代わり、その時期が過ぎても何の自己批判もない。こういう指導部が人様に倫理道理を説くのを得手としている。次に「21世紀の早い時期」、「遅くない時期」を掛け声するのかと思いきや「我こそが唯一の本物野党論」だと云いだす始末である。こうなると丸めこまれる方にも責任があろう。れんだいこは、もう騙されないぞと誓っている。 そういう訳で日共運動には全く期待していないのだが、れんだいこの政権取りの夢は相変わらず続いている。鳩山政権はその一里塚であったが、政権後9カ月の低迷と饒舌を見て失望しきりである。こうなると、「よりマシ政権」の二里塚に向かうしかない。鳩山政権の優良部分を左派バネとして支えたいと思う。その政治を見て見たい。その次に来るのが三さ里塚であろう。この頃には新左翼系のうちから有能党派が出ていることだろう。旧社共系運動の本質は左派運動圧殺を使命としていることが分かっており期待する気もない。唯一考えられるとしたら新左翼系しかない。この線もダメなら、本当のところ新々左翼の「れんだいこ党」しかないと思っている。尤も、その頃には、れんだいこの寿命は尽きている筈である。とかく世の中はそうしたもんだ。よって、この声だけは歴史に遺しておきたい。 2010.5.15日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評729 | れんだいこ | 2010/05/17 18:54 |
【「官房機密費問題-野中証言考その3】
れんだいこはテレビを見ないので聞き書きになるが、「たかじんのそこまで言って委員会」が、「売文売弁御用評論家の官房機密費着服事件」を採り上げたらしい。これが面白いので確認しておく。 切り込んだのが売り出し中の上杉隆で、「噂の三宅久之」に「あんたは官房機密費を貰いましたか」と単刀直入に質問した。これに答えて三宅が、藤波孝生官房長官時代の話を持ち出して「付け届け」を貰っていたことを認めた。 これは、二つの意味で興味が湧く。一つは、藤波官房長官時代と云えば中曽根政権下になる。つまり、中曽根政権時代に言論買収されていたことを物語る。もう一つは、そんなに古い時代を持ち出さなくても小泉政権時代にはどうだったのか白状させなければならない。野中証言は小渕政権時代のことである。以降、森、小泉と下る。この小泉時代に貰っていたのか貰ったことがないのか、三宅の小沢訴追の弁に従えば「説明責任がある」。あるいはごく最近では「政治倫理委員会」ならぬ「言論倫理委員会」なるものがあったとして証言させなければならぬ。これも手ぬるいと云うのならば、偽証罪に問える国会証人喚問せねばならぬ。当然公開で。 三宅よ、これに答えて見よ。俺は堪(こら)えてつかぁさい、小沢はそうされるべきだなどと今も本気で云うなら、閻魔さまが出てきて二枚舌を抜いてくださるだろう。そう云えば、中曽根と小泉に歯の浮く「名宰相論」をぶっていたなぁ。「中曽根名宰相論、小泉名宰相論の正体見たり、機密費花」と云っておこう。 ともかくも、三宅久之は認めた。但し、ヌケヌケと次のように言い訳している。「あのね、記者とかね我々評論家のように自由業として混同してもらったら困るんですよ。記者はビタ一文だって貰ってはいけませんよ。会社から給料もらってるんだから。 評論家っていうのは、色んな不特定な事で稼いでいるわけですよ。 講演もしますよ。講演して謝礼貰って悪いですか」。 三宅の詭弁術が面白いので採り上げておく。聞かれているのは官房機密費授受問題である。その答えが、「講演代貰って悪いですか」だと。これについては「阿修羅コメント」で、「盆暮れに500万円ずつ毎年もらって『講演料と思った』はないだろう(笑)」と速攻の評が為されている。こう云う風なのを典型的な「すり替え居直り」と云うのだろう。れんだいこの詭弁論理学に抜けていたので付け加えておこう。詭弁論理学については次のサイトに記してある。 「【性悪論法】論理学」 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/jissenronrigaku/jissenronrigaku_syowaruronpo.htm) ところで、他の面々はどう述べたか。辛抱が「田原さん貰いました?」と訊ねている。田原は、「野中さん貰ってないって言ってくれてるじゃん」と答えている。辛抱は、「少なくても私の知る限り一人もいません。私も貰ってない」とも述べている。こういうのを「掛け合い漫談遣り取り」と云う。辛抱は返す刀で上杉に対し、「貰ってる人が多い?わかった名前言ってもらおう。言ったらいいじゃん、はっきりと名前、誰と誰が貰ってるって」と、強気に授受人の氏名公開を迫っている。 この遣り取りは二つの意味で興味深い。一つは、ここまで云う辛抱は貰っていないのだろうなぁと云う推測が成り立つ。但し、ここまで云う辛抱が貰っていたことが判明したらタダでは済まない。辛抱よ、手前は小沢訴追に対して「天の声」までの詮索を煽り続けている。その同じ論法で「天の声詮索」してみた場合、天地神明に誓って貰っていないと云えるのか君は。もう一つは、辛抱の氏名公開請求の裏には、「具体的な氏名は絶対に公開されない」と云う確信のようなものがあり、その強みで上杉に氏名公開を迫っている風がある。歴史はいずれ辛抱堪らず白状するようになろう。 「阿修羅コメント」の特選を採り上げておく。「三宅は本当にしどろもどろだった。辛抱は貰ってるかどうかはわからないが、仮に貰って無くてもあれは調子に乗りすぎ。一体何故あれ程むきになる必要があったのか」。「政治評論家に500万どころか、機密費で2ちゃん工作もしていた模様」。「辛坊はナベツネの腰巾着ですから官房機密費もらわなくても現政権をボロクソに叩けばごほうびたっぷりもらっているでしょう」、「三宅、辛坊、金は自分たちが政治と金問題で鳩山総理や小沢幹事長に偉そうに求めていた説明責任を身をもって示して欲しい!この番組での発言では到底説明責任は果たされていません!」。 さて、「たかじんのそこまで言って委員会」の感想を述べておく。「売文売弁御用評論家の官房機密費着服事件」を他のテレビ番組が採り上げていない中で話題にしたのは値打ちもんである。切り込み役を引き受けた上杉隆はあっ晴である。もっと鋭い切り込みができようが、誰も切り込まない中での引き受けはご苦労である。それにしても又かよ小沢叩きには滅法強い週刊現代がダンマリしている多分。 上杉と云えば、小泉時代には名宰相論を唱えていたと記憶する。どこでどう改心したのか最近のジャーナルぶりは他の小心ものに較べてイキが良い。今も飯島と繋がっているなどと云うことはマサカあるまい。最大に褒めれば、かっての小泉式構造改革路線を真に受け続けている貴重人士で、歪曲許さずで初志貫徹しているのかもしれない。願うらくは裏取引せずカネに転ばず、東京湾に沈められれば本望と飯島と渡り合って欲しい。そうやって生き延びれば筋金入りと云うことになろう。 2010.5.17日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評730 | れんだいこ | 2010/05/18 22:51 |
【「官房機密費問題-野中証言考その4】
2010.5.28号「週刊ポスト」が、官房機密費受領問題を正面から取り上げている。「マスメディアは既に『けもの道』にどっぷり浸かっていた!」、「『世論誘導工作に巨費投入』の全容を白日のもとに曝し出せ」、「なぜ大新聞・テレビは野中広務氏が暴露した『官房機密費』を追及できないのか」の見出しが並ぶ。 こうなると、ライバル誌「週刊現代」と比べて見ねばなるまい。あらまっやっぱり影も形もない。「週刊現代」は講談社、「週刊ポスト」は小学館発行。恐らく今後は講談社は斜陽化、小学館は奮闘努力の甲斐あって未だ脈ありと云うことか。僅かなシグナルで、こういうことが分かる。 それにしても、「週刊現代」はこれで立て続けに「松岡農相変死事件」、「三井環現役検事の検察裏金告発事件」、「官房機密費受領問題」をスル―したことになる。いずれもジャーナル的に重要な意味を持つ事件ばかりなのだが。毎号叩くのは小沢幹事長ばかりという政治主義的偏向を繰り返している。「週刊ポスト」と比べて編集長次第でかくも論調が異なることになるという好例となっている。そろそろ「週刊現代」見るのもやめようか。ところで編集長は誰なんだ、誰か教えてほしい。公共関心事だから構わないんだ。 ところで、「週刊ポスト」記事は次のように述べている。野中氏から拒否したと"名指しされた田原総一朗の弁として、「受け取るのが永田町の常識で、拒否するのは非常識」とある。オィオィ田原よ、ジャーナリストが臆面もなくこう云ってはお仕舞いよ。そういう常識観の御仁が小沢民主党幹事長の「政治とカネ」疑惑を追及していることになるが、唖然とするしかない。 れんだいこ史観によれば、田原とは、ロッキード事件で角栄包囲網の敷かれる中、果敢に「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」論文を発表し、角栄政治訴追派の虚構の正義を衝いた。これにより注目された言論士であった。その後の田原は、カネと出世で籠絡されたとしか考えられないがネオシオニズムの虜(とりこ)になり、約束通り出世街道を登壇し今日の地歩を固めている。ズブズブの検察ファンの立花とは毛色が少し違うが、共に身売り派には違いない。こういう御仁に限って、正義ぶるところがある。老いた今、ナベツネ同様に老醜を晒すだけの誰も見向きもしないピエロになる。一時の栄華に良心を売った者の行く末は必ずこうなる。これが歴史の法理である。 中村慶一郎は、「政治評論家に官房機密費を配っていたのは事実です・・・自民党政権時代の悪習であり、恥部ですよ。・・・」と認め、本人は受け取りを否定している、とある。中村がこう認めているということは、貰っている者をかなり知っていると云うことだろう。中村証言の意義は、野中証言を追認したところにある。 ところで、れんだいこは「自民党政権時代の悪習」だとは思わない。政治のツネだと思う。問題は、買収された者が買収言論に走ることにある。族議員が金主命令により族利権に走るのと同様である。れんだいこは、言論利権に手を染めている者が族利権を批判している構図が我慢ならない。中村慶一郎は本来、官房機密費の生態を知っているなら、それによる言論買収の実態を告発すべきだろう。「自民党政権時代の悪習」などと言い逃れしてはならない。言論界のメンツにかかわる重大事として内部告発するのが筋だろう。まっ期待するだけ野暮というものだろうが。 「週刊ポスト」は次のように指摘している。「欧米などは機密費が日本の20倍から30倍と多額だが、アメリカなどでは『2ドル・ルール』『5ゴル・ルール』があり政治家からコーヒー代などを越える金品の提供を受けてはならない、という自主的ルールがあるという。日本では、特に政治部記者に対しては日常的に官房機密費が配られていた歴史があり、官房長などとのオフレコ会食で秘書が現金付き手土産を記者に渡す。記者の転勤や出産、家の新築などの機会に官邸から現金入り(5・10万円)の祝いの品が届けられる、ということだ。その記者が社の幹部になり、退職後は政治評論家を名乗りだす。そこでもまた機密費に与り、審議会などのメンバーでまた機密費を受け取る。こうしたことが何十年と続けられてきた、と思うだけでゾッとする」。 こうなると、日本の言論界は、否世界でも恐らく実態は同じなんだと思うが、要するに大人に成人していないんだな。まだ子供段階であり、これを悪質にすると「ケモノ道」になる。「ケモノ道」と云うとヤクザが代名詞だが、紳士ぶって上品そうに弁舌し先生先生と持て囃されている連中が実は「ケモノ道」界隈に棲んでいる御仁であるという舞台裏が見えたということだな。 こ奴らは、紳士ぶるだけヤクザより質が悪いと云えるかも知れない。何しろ足りると云うことを知らないらしい。稼いでいるうえになお欲しがるらしい。ブリがつくのかなカネというものは。何に使うんだろうね。れんだいこもあやかりたいが教養が邪魔する。 もとへ。要するに、「官房機密費受領問題」は、「政治とカネ問題」で小沢を突いていた連中に、同じ論理と論法でブーメランが戻って来たと云うことにある。連中がどう弁じるのか居直るのか、小沢のそれより百倍面白い。これを書けば売れるだろうに、新聞各紙が一様に沈黙している。恐らくこのままどの社も記事にしないのだろう。それでいて、紙面委員会などがあってさも真っ当そうに検討していると云うからお笑いである。 只の一社でも良い、どの社が「言論とカネ問題」特集を組むか組まないか、当てっこしたくなる。腕組みして考えたら、共産党の赤旗が浮かんだ。しかし今、野党同盟で自民党と口裏合わせて民主党批判のボルテージ挙げている時でもあり組むだろうか。それより例え組んでも、お定まりの角栄が元祖元凶、小沢が悪いと云う風にすり替えるんだなきっと。得心する方にも問題ありだよね。だから他のところで探すとえーとえーと。 2010.5.18日 れんだいこ拝 |
猶太の世界戦争 | クロ | 2010/05/19 15:14 |
こんにちは。はじめまして。検索中にこちらの「猶太の世界戦争」を発見しました。貴重な図書の紹介ありがとうございました。第3章、ユダヤ鏡の第一巻生存の途、文中にあります「立ちて放尿すべからず。○に注ぐことなからんためなり。」の「オ」字は変換不能な文字ですか。とても気になっています。原書で確認できるのでしたら、お知らせいただければありがたいです。よろしくお願いいたします。 |
Re:猶太の世界戦争 | れんだいこ | 2010/05/19 17:27 |
クロさんちわぁ。お尋ねの引用元は「猶太と世界戰爭 Ⅲ
猶太鏡」だと思います。貴重資料と思い転載しております。原書での確認はできておりません。あしからずです。 (ttp://www.anti-rothschild.net/material/04o.html) れんだいこサイトは以下の箇所です。なお、「人生学院」は容量オーバーの為、旧版と新版に分かれております。新版にはリンク先が開かない場合があり、旧版と併用せねばならない状態です。開くところは、かなり書き変えておりますので、新版の方が最新情報です。れんだいこサイトの特徴は、らっきょうの皮をめくるようにして次々とリンクを開けて行き、最後に実に到着するようにしております。整理上、この方が楽だからです。今後ともよろしくね。なお、突如消される場合が考えられますので、各自で関心のところを転写しておいてください。お願いします。 人生学院旧版 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/) 人生学院新版 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/jinsei/) ユダヤ主義考 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/) ネオシオニズム批判 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/hanyudayasyugico.htm) 日本のユダヤ主義問題研究史 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/nihonnokenkyushi.htm) 愛宕北山氏のユダヤ問題論考 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/atagoshikanco/atagoshikanco.htm) ユダヤ鏡 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/atagoshikanco/atagoshikanco8.htm) 2010.5.19日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評731 | れんだいこ | 2010/05/19 19:20 |
【「官房機密費問題-野中証言考その5、今や「週刊現代問題」を語らねばならない】
れんだいこは、昨日のブログ「官房機密費問題-野中証言考その4」で週刊現代の異常記事性を告発した。編集長が誰か知りたいと願ったところ、「韃靼人」氏が早速に「鈴木章一」を教えてくれた。今や「週刊現代異常記事性問題」が採り上げられるべきだと思う。これを仮に「週刊現代問題」と命名する。これについてコメントしておく。 「週刊現代問題」の意味は、昨年、政界における政権交代が為されたにも拘わらずマスコミジャーナル界が依然として旧政権御用下にあり、早晩「マスコミジャーナル界の政権交代」を行わなければならないことを示唆しているところにある。既にはっきりとジャーナル界が政治的に遅れており醜態を露わにしている。その遅れた水準から政権交代政権を攻撃し続けているという変態性にある。こうなると望まれているのは、新しい革袋時代のジャーナルということになろう。「週刊現代問題」は、このことを示唆している。 今日たまたま昼休みに本屋へ立ち寄った。時間がなかったので雑誌コーナーを見やり、急いで何か一冊買おうとしたのだが、何と揃いも揃って保守系と云うか実はネオシオニズム系のものばかりであった。ならば、れんだいこが欲する左派系のもので、これはというものがあるかと云えば「情況」ぐらいなもので、後はあっても読もうとは思わないばかりである。今日の本屋は中堅クラスだったので、そのどれも置いてなかった。これが本屋の現実である。 れんだいこが思うのに、政界の政権交代に応じたジャーナル界の政権交代が起こらなければウソだ。これが起こらないのは偶然ではなく起こらないようにコントロールされているからだと読む。自由市場のようで実は市場制限され過ぎているのではなかろうか。つまり監視管理社会に入っているということだ。このことに気づかなければなるまい。今はネットで足りると云っても、寝床まで持ち込むのは難しい。やはり手軽なのはブックではなかろうか。その良質ブックが余りにも乏しい。 これはブックのみではない。「官房機密費問題-野中証言」が教えるのは、テレビ等に出演するコメンテーターの相当数が「言論とカネ」問題で汚れている者が多過ぎると云うことであり、このことはコメンテーターの世代交代を要請していると云うことでもある。連中により憲法改正論、自衛隊海外派兵論、国際責任論、軍備増強論、アジア不安定論、北朝鮮脅威論、消費税増税論、公共事業不要論、著作権強化論、鳩山政権批判論、小沢幹事長政治訴追論を朝から晩まで聞かされているのだが、れんだいこ的にはもううんざりだ。既に食傷気味からアレルギーへと定向進化しており、もうじき見まい聞くまい運動に向かうことになろう。 「週刊現代問題」は、編集長・鈴木章一が余りにも露骨にネオシオニズム奴隷編集ぶりを見せつけることにより、却って覚醒効果を生む結果となった。飛びつけば面白く売れるのに「松岡農相変死事件」、「三井環現役検事の検察裏金告発事件」、「官房機密費受領問題」をスル―することにより、言い逃れの効かない形で事態を鮮明にした。最新情報では、小沢幹事長政治訴追事件で、平野貞夫氏が「森英介元法相の大久保・小沢秘書逮捕逆指揮権発動」を告発している。これは国会喚問必至の重大事件である。しかし、週刊現代が採り上げることはなかろう。むしろ、不都合なことは無視して相変わらず小沢ネタに狂い咲きし続けるだろう。 これをいつまで許すのか、不買運動されて壊滅的打撃を受けるまで止めないのだろうか、講談社にはこれが問われている。しかし、前門にネオシオニズム虎が居り、云う事を聞かなければ広告料が止められる。後門に人民大衆オオカミが居り、虎の云う事を聞き過ぎれば不売運動で苦しめられる。さてどうするかが問われている。講談社に近未来の出来事を痛苦に受け止める力があるのだろうか。 れんだいこがこう云っても、御身保身の出世主義亡者にはカエルのツラにションペン説教でしかなかろう。そもそも愛仕事心、愛社心のない者には何を云っても届かない。職場を愛することができない者には愛国心も愛民族心も育たないのは当然と云えば当然で売国奴エージェントが一番良く似合う。ということはやはり人材を替える以外にないということになろう。各戦線で新たなる人材登用せよ、これが政治医学者れんだいこの処方箋である。 2010.5.19日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評732 | れんだいこ | 2010/05/21 20:52 |
【口蹄疫騒動考】
2010.5月中旬、騒動中の口蹄疫(こうていえき)問題について一言しておきたい。門外漢なので発言責任を引き受けられないが疑問をぶつけておきたい。 要旨は、先に大騒ぎした狂牛病と比べて口蹄疫がもっと大変な病気なのか、そうでもないのか、別種ではあるがどちらも大変な病気なのかどうかが知りたい。これにより、政界、マスコミの論調が口を揃えて果断な口蹄疫対策を主張し、行政当局が押し進めていることに対して、この対策が本当に正しいのかどうか知りたい。ワクチン摂取-殺処分-埋め立て手法が本当に正しいのか、次第にその範囲を広域化させているが本当に正しいのか疑問を呈することにある。 門外漢の悲しさで、口蹄疫が牛の病気の中で占める重みが分からない。この点で、専門家の解説が欲しい。「ウイルス性法定伝染病」とあるが、他方で人間には感染しない、食肉しても問題ないとも聞かされている。大慌てで処分対策すべきなのか、自然治癒力を高める等の方法で経過を見守るべきなのかの判断がつかない。れんだいこのカンとしては、行政的強権力で「ワクチン摂取-殺処分-埋め立て」を急ぐのは例によってヤリスギなのではないかと思っている。いやそうではないのだ、一刻も早く一気呵成に処分するのが正しいのかも知れない。そのあたりが分からないのがもどかしい。いずれにせよ、鳩山政権の対応の遅さをナジルばかりではなく、その他方で発生原因、感染ルート、病後対策の解明を進める必要はあろう。 れんだいこが思うのに、畜産農家は緊急に業界の総会を開くべきだ。渦中の畜産農家は徒に公権力の指示に従うのではなく、見解を述べるべきだ。専門家としては、厚生省や農林省のお役人よりも当の畜産農家の方が能力が高いと云う事は有り得ることである。今その声が聞こえない。「ワクチン摂取-殺処分-埋め立て」の様子ばかりが報ぜられているが、俗に云う片手落ちだろう。それにしてもなぜ、畜産農家は緊急総会を開いて叡智を寄せないのだろうと疑問を提起しておきたい。それどころではない、一刻も早く処分せねばならない事態なのだというのなら分かるが。 仮に狭い畜舎内で飼うのを止めて、放牧したら案外と自然治癒すると云う可能性はないのだろうか。それは伝染性を高め大変な事態になるのだろうか。その判断がつかない。こうして堂々巡りになるのだが、「ワクチン摂取-殺処分-埋め立て」を安易に良しとしているように思えてならない。畜産農家は補償問題ばかりに関心を向かわせるのではなく、口蹄疫、狂牛病、その他未病の根本対策を自主的に打ち出すべきではなかろうか。仮に、それほど必要でもないのに大騒ぎして、取り返しのつかない愚挙を演じているという可能性はないのだろうか。 なぜこういうことを云うのかと云うと、政治が声を揃えて同じことを云いだしたら誘導されている可能性が強く危険と思うからである。イギリスで口蹄疫が発生した場合に大量殺処分したことは報道されているので分かった。ならばアメリカではどうなのか、オーストラリアではどうなのか、韓国ではどうなのか、口蹄疫が発生していないのかどうか等々を知りたい。まさか、そういう国では大騒ぎしない、一過性の病気として対応していると云うのではあるまいな。日本のキレイ潔癖清潔病が生んでいる過度の事前予防として笑っていると云うのではあるまいな。 誰か、れんだいこの疑問に対して、それは違うよ、宮崎だけでは生ぬるい、一刻も早く日本の国産牛を全殺処分すべきだ、赤松農林相は何もたもたしているんだ、口蹄疫ほど恐ろしい病気はないのだとの正論を聞かせてくれないだろうか。最近、この問題がくすぶっており、寝つきが悪いんだ。知識がないと云う事は辛いもんだ。 2010.5.21日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評733 | れんだいこ | 2010/05/22 20:06 |
【「官房機密費問題-野中証言考その6、三宝会考その1】 日本言論界の鳩山政権叩き、特に小沢パッシングには裏がある。「日本ジャーナル界の非公然CIAモサド機関」とも云うべきネオシオニズム系報道結社「三宝会」なるものが存在するということらしい。この情報を整理して見る。 このことを最初に明らかにしたのは既に10年以上前の「週刊ポスト1997.10.31日号」で、「三宝会が竹下直系の情報機関として設立され、事務次官経験者や現職の内閣情報調査室長も加わっている」ことを報じている。このスクープを受け田中慶秋議員が「1997.10.30日の衆議院予算委員会」で質問し、「マスコミを利用した政治支配」として政府を追及している。しかし、大メディアは一切報道しなかった。 (ttp://ameblo.jp/asuma-ken/entry-10537451926.html) 平野貞夫氏も「1997.11.19日の参議員本会議」で質問し、「三宝会は、この情報化時代に、大手の新聞社や通信社五社、全国ネットのテレビ四社、大手の出版社五社から、合わせて三十人の第一線の有名ジャーナリストをネットワークし、個人会員に新旧の内閣情報調査室長と五つの利権官庁の事務次官OBを参加させ、三十五の法人会員で構成しています。元首相を最高顧問に、事務局をイトマン事件で絵画取引を行った画廊に置いています。世話人の中には、情報操作のプロと言われている人物もいます。趣旨書には、相互に円滑な人間関係を築き上げ、職域を超えて足らざるところを補完して飛躍しようという意味のことが書かれています」と述べ、橋本首相の見識を問うている。橋本首相は、「三宝会についてお尋ねがございました。どのような見解をと言われましても、私自身メンバーでありませんし、どういう会合なのかわかりませんだけに困ってしまいますが、私は、私的な立場で各界におられる方々が広い視野での判断、また公正、客観的な考え方を得ることを目的とし、自由な意見交換をされる勉強会だと、そのように認識いたしております」と答弁している。 (ttp://ameblo.jp/asuma-ken/entry-10537464750.html) 平野貞夫氏は、衆議院事務局に長らく勤務し「日本政界の生き字引」的貴重人士である。その後参議院議員になり現在は政治評論家として活躍している。「小沢の知恵袋」とも称される親小沢派の希少な政治評論家である。その平野氏が「平成政治20年史」(幻冬舎、2008.11月)を著し、「三宝会」について再度言及したことにより広く知られる存在となった。 (ttp://www.amazon.co.jp/%E5%B9%B3%E6%88%90%E6%94%BF%E6%B2%BB20%E5%B9%B4%E5%8F%B2- %E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B9%B3%E9%87%8E-%E8%B2%9E%E5%A4%AB/ dp/4344981049) 金融アナリスト系政治評論家として知られる植草一秀氏も2010.2.19日付けブログ「対小沢一郎氏激烈メディア攻撃黒幕『三宝会』」以下シリーズで言及している。 (ttp://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-30df-1.html) これらを元手に「三宝会」についてもう少し確認しておく。 「三宝会」の狙いは次のような政界流動にあったと思われる。1976年のロッキード事件で、戦後の政府自民党を領導していた田中角栄-大平正芳同盟のハト派ラインが掣肘された。鉄の軍団と云われた田中派は竹下-金丸グループの離脱により瓦解した。以降の政局は、このねじれハト派の竹下-金丸グループを利用した福田-中曽根同盟のタカ派優位で推移することになった。その節目が1980年代初頭の中曽根政権の樹立であり、以降タカ派が政府自民党を領導することになる。これを仮に「政府自民党内の宮廷革命」と命名する。この宮廷革命以降、日本政治は露骨なネオシオニズム御用聞きに向かい始める。いわば売国奴的な劣性資質の政治家に日本政治が舵取りされ始めたことになる。 東京地検特捜部は、ロッキード事件の際には超法規的な法運用までして冤罪の可能性が強いにも拘わらず「総理の犯罪」を仕立て、世界に通用した名政治家たる田中角栄を政治訴追し抜いた。その後、ロッキード事件の真の主犯たる中曽根が我が世の春を迎え始める。東京地検特捜部はうってかわって、中曽根が関わっていたダグラス・グラマン事件、原子力利権事件、その他その他の腐敗事件に対しては隠蔽に向かった。その不正の仕組みが遂に暴かれたのが1988年のリクルート事件発覚であった。 以降の政局流動で、田中角栄チルドレンの小沢-羽田グループが先祖返りし裏切り派の竹下派から離脱、のみならず自民党から離党して政権交代を仕掛けることになった。それは、「政府自民党内の宮廷革命」以降、露骨にネオシオニズム御用聞き化し始めた日本政治に対する抗議運動でもあった。1993年、日共を除く反自民勢力が結集し細川連立政権を樹立した。 但し、与党の社会党が政権を支えず、政権交代政権は羽田政権を経て崩壊する。1994年、自民党が、細川連立政権の与党の一角を占めていた社会党とさきがけを取り込み、社会党党首の村山を首相に押し立てて政権奪還に成功する。村山首相は政権発足後まもなく社会党の戦後来の反戦平和政策を転換し自民党政策に合わせる。自民党は、村山政権を泳がせた後、用済みとさせ橋本政権を樹立する。以降、自民党が再度、不動の与党的地位を確立する。但し、一敗地にまみれた小沢派は捲土重来を期して政権交代を企図し政局流動する。 この頃の1996年、「竹下元首相の発意」により「三宝会」が結社される。「三宝会」は、小沢一郎を最重要警戒人物に認定し、角栄チルドレンが結集する小沢派を封じ込める狙いで結成された。「竹下元首相の発意」とあるのは例によって黒幕を隠すトリックであり、ナベツネが常に裏で糸を引いていることを踏まえれば、「中曽根-ナベツネライン」を核とするネオシオニズムエージェント網が奥の院であり、その差し金で「竹下元首相の発意」として結社されたと読むべきであろう。かくして、ネオシオニズム系言論大砲機関としての非公然組織「三宝会」が結成された。こう理解する必要があろう。 平野貞夫氏は、著書「わが友・小沢一郎」(幻冬舎)の中で、三宝会の目的を次のように記している。 「(三宝会の)設立の目的は『情報を早く正確にキャッチして、(中略)、行動の指針とするため、(中略)立場を異にする各分野の仲間たちと円滑な人間関係を築き上げていく』というものだった。メンバーは最高顧問に竹下、政界からは竹下の息がかかった政治家、財界からは関本忠弘NEC会長ら6人、世話人10人の中で5人が大手マスコミ幹部、個人会員の中には現・前の内閣情報調査室長が参加した。要するに新聞、テレビ、雑誌などで活躍しているジャーナリストを中心に、政治改革や行政改革に反対する政・官・財の関係者が、定期的に情報交換する談合組織だ」。 要するに、戦後日本政界の真の抗争軸であるネオシオニズム派と在地土着派の政治闘争に於いて、ネオシオニズム派の非公然型ジャーナル統制機関として結社された「定期的に情報交換する談合組織」として踏まえる必要があろう。「非公然」と記すのは、秘密結社よりは公然にして、公然と云うには秘密的であると云う性格による。 2010.5.22日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評734 | れんだいこ | 2010/05/22 20:57 |
【「官房機密費問題-野中証言考その6、三宝会考その2】 「三宝会」の構成メンバ-は、かの高名な戦前共産党の理論的指導者・福本和夫の息子にして「永田町のフィクサー」として知られる福本邦雄がまとめた「三宝会・会員名簿」によって知られるところとなった。(ttp://www.rondan.co.jp/html/news/0007/000726.html) (ttp://d.hatena.ne.jp/boogierock/20100420/1271757077) 福本は、2000.6.25日の総選挙で落選した直後の6.30日、橋本内閣時の建設大臣在任中の工事の業者選定をめぐる汚職事件で3000万円の賄賂を受け取ったとして受託収賄の疑いで逮捕された中尾栄一に続いて共犯者として逮捕されている(処分保留、起訴猶予で釈放されることになる)。「三宝会・会員名簿」の公開は「2000.7.26日」のようで、この事件後に漏洩されたことになる。こうなると「三宝会・会員名簿」公開の裏には何やらきな臭い臭いが立ちこめていることになる。 それによると、最高顧問は竹下登。事務局は、東京都千代田区丸の内3-1-1、国際ビルの福本邦雄が経営する(株)フジインターナショナルアートに置かれた。会費として、法人会員は月額3万円を半年単位で年2回納入、個人会員は会合の都度1万円を限度として会費を納めている。 代表として(読み易くするため㈱等を外す)、中曽根式国鉄民営化の旗振り役としての功績で昇進した三バカトリオの東日本旅客鉄道社長の松田昌士、東海旅客鉄道社長の葛西敬之、西日本旅客鉄道社長の南谷昌二郎。日本航空社長の近藤晃、日本電気社長の関本忠弘、日産自動車社長の塙義一、千代田生命保険社長の米山令士が名を連ねている。 世話人に、フジインターナショナルアート社長・福本邦雄、読売新聞世論調査部長・高橋利行、共同通信の編集委員、現在TBSの7時台のニュース番組「THE NEWS」のキャスター・後藤謙次、日本経済新聞政治部次長・芹川洋一、朝日新聞の電子電波メディア局局長付・佐田正樹、選択出版・湯浅正巳、早稲田大学講師・内藤武宣、啓愛社エヌエムビー社長・松岡敦、日本航空常務・平野聰、エル・ビーエス社長・竹中誉が名前を連ねている。 法人会員企業名の総数は不明。但し、1999.10月現在の名簿では上記の代表、世話人の他に次のような法人が参加している(役職は入会当時、同一会社の同一役職に二名あるのは新旧の入れ替わりと思われる)。いずれも民営化推進、軍事、原子力、建設、医薬利権絡みのハゲタカファンドの御用聞きの功による出世組と考えれば良かろう。 東日本旅客鉄道常務・花崎淑夫、日本電信電話副社長・井上秀一、日本電信電話副社長・和田紀夫、東京電力総務部長・山本勝、中部電力広報部長・田村典久、中部電力常務・中野淳司、関西電力東京支社長・高本久夫、関西電力東京支社長・小橋和雄、中部ガス会長・神野信郎、日本航空常務・平野聰、全日本空輸企画室部長・浜田健一郎、都築電気社長・都築省吾、川崎電気社長・川崎暢、日本電気顧問・大森義夫、日産不動産社長・木島孝蔵。伊藤忠商事顧問・内藤正久、大成建設広報部長・中津海光夫、大成建設副社長・葉山莞児、大林組副社長・荒川利輝、鹿島建設社長・梅田貞夫、清水建設専務・三宅文男、竹中工務店社長・竹中統一、日建設計常務・橋本忠篤、パシフィックコンサルタンツインターナショナル会長・荒木民生、堀硝子社長・堀俊一、関西都市技研取締役・谷嘉寿男 、都市技研代表取締役・木原康、京都自治経済協議会事務局長・安川良子、啓愛社製作所副社長・竹内留四郎、天野製薬会長・天野源博、中外製薬総務部長・高木穆、徳洲会理事長・徳田虎雄、サントリー常務・立木正夫、ジャパンライフ会長・山口隆祥、ジャパンライフ専務・三ツ橋一男、セコム会長・飯田亮、全国朝日放送社長・伊藤邦男、 ホリプロ会長・堀威夫、マルハンコーポレイション社長・韓昌祐、千代田生命保険取締役・清水宥玄、千代田生命保険総務部長・杉田隆、帝京大学理事長・冲永荘一、帝京大学総長秘書・馬場良雄。 個人会員には、各界のメジャー企業が名を連ねている。マスコミ系として氏名不詳ながら新聞社で朝日新聞5名、毎日新聞3名、読売新聞3名、日経新聞3名、共同通信3名。テレビ局で日本テレビ2名、テレビ朝日2名。TBS1名、フジテレビ1名、出版社で文芸春秋3名、講談社2名、プレジデント1名、選択1名、朝日出版社1名等が明らかとなっている。ここに登録されているメンバーは氷山の一角であり実数はもっと多いと推定できる。 この連中がネオシオニスト特有のエージェント活動していることになる。ネオシオニズム系言論機関は、この三宝会を盾として政敵・小沢一郎を目の敵とし、小沢派をメディアの力で抹殺する為の非公然活動を続けて行くことになる。これにより「悪の小沢イメージ」が作られ、「剛腕」、「傲慢」、「コワモテ」、「わがまま」、「生意気」など政治家としてマイナスのイメージが意識的に流布され行くことになる。 その後の政局流動を経て小泉政権が誕生する。この時、「三宝会」はどう喧伝したか。今日の鳩山政権時代の鳩山党首、小沢幹事長パッシングと余りにも対照的な待望論、名宰相論を囃し立てていくことになる。明らかに構造改革の名を借りた売国政治以外の何物でもない小泉政治を提灯し、これに異を唱える政治家、評論家を次から次へと言論で葬って行った。田中真紀子、鈴木宗男を相討ちにさせ、郵政選挙では造反組を悪者に描き出し刺客にエールし続けた。 小泉政権政治の売国奴性に強く異を唱えた金融アナリスト経済学者の植草一秀氏は二度にわたって国策捜査で逮捕された。以降、植草氏は自身を罠に陥れた敵勢力を「悪徳ペンタゴン」と称して見据え、「米国の意志が強く働いている利権複合体」との不退転の闘争に向かい現在に至っている。植草事件は、検察特捜部が三宝会勢力と強く結びついていることを証左している。付言すれば、2006年の暮れ、リクルート事件をスクープした鈴木 啓一氏(朝日新聞記者、後に論説委員)は東京湾で水死体で発見されている。反三宝会系の有能なジャーナリストがこう云う風に変死させられて行く。 2006.4月、小沢一郎が民主党代表に就任した。「三宝会」は小沢に対する執拗な攻撃、失脚工作を重ね、マスコミメディアの言論大砲と東京地検特捜部の司法大砲を二輪車として政治利用する。2009年の衆院選前、小沢代表が降ろされ鳩山が後釜に据る。衆院選に大勝利した民主党が鳩山政権を誕生させる。小沢は幹事長に就任する。言論大砲と司法大砲が執拗に鳩山党首、小沢幹事長を追撃する。獅子身中の虫たる仙谷、前原、枝野、岡田などの閣僚、渡部恒三氏を始めとする反小沢勢力の民主党内のネオシオニズム勢力が呼応する。これが現段階の政界絵巻である。 してみれば、「三宝会」の小沢叩きの極反動性が見えて来よう。この反動は必ずや「三宝会」自身に跳ね返ってこよう。ここに列記された諸氏の行状が如何に揃いも揃って低劣が調査され、どちらがお縄頂戴の身になるのか歴史が明らかにしよう。首を洗って心して待て。 2010.5.22日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評735 | れんだいこ | 2010/05/23 20:53 |
【たすけあい党緊急声明「今や鳩山政権打倒、民主党連合政権支持、後継政権樹立闘争に転回せよ」】
2010.5.23日、鳩山政権は終わった。たすけあい党は、鳩山首相直々の「米軍普天間飛行場移設問題」対応を見て、鳩山政権の命運は尽きたと断ずる。以下、たすけあい党緊急声明「今や鳩山政権打倒、民主党連合政権支持、後継政権樹立闘争に転回せよ」を発表する。 この日、鳩山首相は首相公約の「5月末期限」に則り5.4日に続いて沖縄を再訪問した。沖縄県宜野湾市の「米軍普天間飛行場移設問題」の最終決着を図る為、沖縄県庁で仲井真弘多知事と約20分間会談し懸案の「政府原案」を示した。これまで「国外移転、最低でも県外」と公言し、「徳之島案」その他に迷走した挙句、憶測では最終段階で「それなりの」結論が出るだろうとの期待を持たせていた。そもそもの原案の「グアム移転」ないしは「期限明示の米軍普天間飛行場返還」が取りざたされていた。それが蓋をあけて見れば何と、自公政権時の「名護市海域埋立案」に回帰したと云うのだ。こったらバカなことが許されようか。鳩山首相は、これをいけしゃぁしゃぁと弁じている。 会談で、鳩山首相は自ら「初見解」を示し次のように述べている。「日米で協議を重ねた結果、代替地そのものは(同県名護市)辺野古付近に(建設を)お願いせざるを得ないとの結論に至った」、「米軍の訓練をできるだけ県外に移すことで負担軽減の実を上げたい」。これに対し、仲井真知事は「極めて大変遺憾だという点と、極めて厳しいことをお伝えするしかない」と述べ、県内移設は受け入れられないとの考えを示した。普天間飛行場を抱える宜野湾市の伊波洋一市長、移転予定先の名護市の稲嶺進市長との会談はセットされなかった。 この経緯は次の事を教える。世の物事には「一事万事の原則」がある。「普天間問題」の対応に見せた鳩山首相の采配は、公約のみならず今後に生起する政治事象一切の対応を象徴していると受け取るべきであろう。こうなると鳩山政権の云うこと為すことが全て「信に値せず」と云うことになろう。人心から離れた政権維持はできない。鳩山政権は致命的な重傷を負ったと受け取るべきであろう。たすけあい党はこれまで政権交代の流れを支持する故に、左右同床のやじろべえ性を危惧しながらも鳩山政権をエールしてきた。しかしもはやもはや忍耐の緒が切れた。物事には限度と云うものがある。座して待てない。たすけあい党は鳩山政権を見限った。 思えば、我々は、小泉型狂人レイプ政治、その亜流の安倍、福田、麻生政治に辟易させられてきた。この願いが叶って先の総選挙で政権交代を実現させた。かくて民主党連合政権の一番手として鳩山政権が誕生した。しかしながら今日まで期待を裏切り続けている。鳩山首相は日が経つにつれ祖父鳩山一郎のフリーメーソン的地金を現わし、ネオシオニズムの御用聞き政治に傾斜しつつある。先の鳩山一郎夫妻墓スプレー事件は奇怪であり、闇勢力に脅されている可能性がある。鳩山首相はこれに屈服したと思える節がある。とすればもはやそういう政権を延命させるのは害悪でしかない。政治感覚が真っ当なら鳩山は自ら降りるべきである。 鳩山政治が口軽遊び人政治に過ぎず、且つ本質的に自公政権と何ら違わないネオシオニズム御用聞き政治であることも次第に判明させてきている。日本経済の立て直しに無能であるどころか棹差し続けている。前原国交相の高速道路の無料化公約実現サボタージュの動きはこれを象徴している。「前原を除名しろッ!」は今や当たり前のことである。一体、鳩山政権になって真の景気回復策を講じた例があるか。税金垂れ流しは誰でもできよう。事業仕訳で人気を得ているが重箱の隅を突くようなものでしかなく、肝心要の軍事防衛、原子力、天下り、公務員給与等の利権に踏み込むことなく徒に日数を経つつある。子供給付金も消費税増税の口実にされつつある。口蹄疫騒動、「韓国哨戒艦『天安』撃沈事件」の対応にも解せないことが多い。 我が党には、日本政治の奥の院たるネオシオニズムの狙いが見えている。彼らは日本経済を長期に不況にさせ続けることにより日本を衰退させ、国債累積させ続けることにより日本の国家破産、日本溶解を策動している。待ち受けているのが憲法改正、自衛隊の武装海外派兵、優良民族企業の更なる外資化、国営事業の民営化による国富詐取である。教育の荒廃、文化精神面での植民地特有の性奴隷風潮化等各々。鳩山政権は日本人民大衆を、自公政権とは形を違えど同じくこの道へ誘導しつつある。我が党はかく断ずる。 この間、野党諸党、自公政権時の亡霊にして官房機密費貰いの御用評論家は揃って鳩山政権の一挙手一投足批判、特に小沢幹事長叩きに悪のり合唱してきた。たすけあい党はそれに対抗してきたが、ここへ至って結果的に同じく鳩山政権打倒に転換することになった。違いは次のところにある。我が党は今後、「鳩山政権打倒、民主党連合政権支持、後継政権創出」運動へと向かうことにする。政権与党は早急に鳩山首相に代わる後継「玉」選出に向かわねばならない。誰がなっても構わないが民族の自主自律的政治を担う意思と能力を持つ大衆生活擁護政権が条件である。連立は維持すべきである。 最刻の動きで、鳩山首相は23日夕、社民党の福島瑞穂党首が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県内移設に反対していることについて「連立で頑張ってもらえるよう求めたい」と述べ、同党の説得に努める考えを強調したと伝えられている。鳩山よ、悪いが政治は坊ちゃんの遊びではないんだ。社民党は連立で頑張るが、お前ではダメだと求めているのだよ。谷垣禎一自民党総裁は内閣総辞職か衆院解散を求めたとある。谷垣よ、衆院解散はない。内閣総辞職は有り得ると思うよ。誰がなるか指をくわえて見守っておれ。以上、緊急提言しておく。 2010.5.23日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評736 | れんだいこ | 2010/05/26 15:58 |
【「口蹄疫騒動考」所感その2】
れんだいこのカンテラ時評732で「口蹄疫騒動考」を発表した。全くの門外漢であるが第二信を発表したい。第一信で、政府の口蹄疫対策としての「迅速なワクチン摂取-殺処分-埋め立て」手法、これは「殺処分の遅れによる感染拡大阻止」とする立場から指示されているが、これに疑問を提起した。マスコミの登場させる学者がこぞってウィルス拡散への迅速果断なる対策を提言しているので、疑問を提起すること自体ナンセンスと云うことになるのだが、畜産農家は徒に政府の強権発動に従うのではなく、業者側からの自主的対策と専門的提言を為すべきだと主張したつもりである。目下の騒動は「日本のキレイ潔癖清潔病が生んでいる過度の事前予防」の可能性の有りなしやを問うたつもりである。残念ながら、その後の反応はこぞって「種牛まで含む一刻も早い処分、生活保障、融資対策」に向かっている。これは本当に正しい対応なのだろうか。 この間、「宮崎牛」のエース級種牛6頭のうち、最も精子供給量の多い「スーパー種牛」の「忠富士」が感染している疑いで殺処分され埋却された。他の5頭は経過観察措置とされているが、他の種牛49頭ともども殺処分されようとしている。これに対する畜産農家の悲鳴も部分的ながら伝えられている。れんだいこは、この悲鳴の方に真実があるのではないかと思っている。但し、この悲鳴が殺処分に対する悲鳴なのか、政府の過剰権力行使に対する悲鳴なのかが分からない。臭いとして後者の気がしないでもない。 鳩山首相、赤松広隆農相、山田正彦農林水産副大臣、小川勝也首相補佐官らは次のように説明している。「スピード感が大事」、「撲滅のために戦い、精いっぱいこの問題を解消していく」、「防疫措置の円滑実施を特別扱いするのは適当ではない」、「法律に書いてあって、直ちに殺処分しなければならないと書いてあるわけですから、法律に従ってやるのは当然のことだと思います。まだ49頭残っていることのほうが、むしろおかしいと思います」、「法律に従ったまでで、当然のことだと私は思っています。口蹄疫はこれだけ恐ろしい病気ですから。私は本当に日本の畜産の危機だと思っています」。 この弁によ殺処分指示が後々に於いて賢明なる措置であったとなるのであれば問題ない。逆に、取り返しのつかない愚策であったと評価されることにはならないのだろうか。本来ジャーナルというものは、この観点からの目線をも保持しなければならないのではなかろうか。目下は、余りにも感情的な殺処分エールのような気がしてならない。かくして日本畜産業界が壊滅的打撃を受けた後、口蹄疫よりもっと危険な狂牛病感染牛の大量輸入が待ち受けているとしたなら、無茶苦茶な暴政であったということにならないのだろうか。 村興し県知事として知られる東国原宮崎県知事は、「家畜伝染病予防法は現状に合わないところがあり、その法に基づいて一刀両断で49頭を殺処分するのはおかしい」、「49頭についても県の願いとしては、PCR検査をやりますから、抗体検査をピシッとやりますから、毎日のようにやりますから、経過観察をして頂けませんでしょうかと、何とか協議の余地はないだろうかと」と述べ抵抗したが、この「お願いベース」は無視された。 れんだいこが思うに、牛の病気についてはこれまで狂牛病、牛海綿脳症などで騒がれてきたが、それらに較べて口蹄疫がもっと大騒ぎすべきものなのか、同様の騒ぎとすべきものなのか、さほどでもないのかが分からない。しかしながら、ここが問われなければならないのではなかろうか。与野党とも「種牛まで含む一刻も早い処分、生活保障、融資対策」運動で呼吸合わしているが臭いのではなかろうか。そもそもの伝染ルートである韓国ではどのように対応しているのか、イギリスの殺処分の事例ばかりが報道されているが牛肉畜産大国のアメリカ、オーストラリアではどうなのか、これらを比較検証せねばならないのではなかろうか。 れんだいこには知識がないので、これ以上はコメントしにくいが、先の衆院選公約にもたもたし続けてきている鳩山政権が、口蹄疫騒動騒動にのみ果断なことが解せない。この迅速さに比すれば、先の衆院選公約がやる気のないお飾りにしか過ぎなかいことを逆照射しているのではなかろうか。沖縄の普天間米軍基地問題にしても年初から「5月末」と云いながら、結局は自公政権時案に戻しただけの結果になった。何の為の「5月末期限」だったのだろうか。信が置けない。 れんだいこのカンテラ時評735「たすけあい党緊急声明 今や鳩山政権打倒、民主党連合政権支持、後継政権樹立闘争に転回せよ」で述べたように、鳩山政権の意義は既に普天間米軍基地問題でシオニスタン政治を満開にしたことにより事実上終わっている。後は亡霊政権がいつまでさまよい続けるのかだけのことでしかない。その鳩山政権による口蹄疫なぞ又新たなシオニスタン政治に過ぎないと読みとるべきではなかろうか。今後次から次へとこの種の政治にお見舞いされることを危惧したい。 これに対する国民新党、社民党の連立維持、鳩山政権後継運動を是としたい。例によって自民、公明、緒新党、日共はシオニスタン政治の先導役の立場から鳩山政権股裂きを扇動批判している。しかし、無理な願望でしかない。民主党は単独政権与党たる圧倒的地歩を占めているのであり、この重みはますます強まることこそあれ逆はない。問題は、党内のシオニスタンと非シオニスタンがどう鬩(せめ)ぎ合いするのかである。どうか次第に比重がシオニスタン駆逐方向に移って欲しい。 もとへ。人間の家畜に対する仕打ちには目を光らせなければならない。なぜなら、動物にすることは追って人間にもするようになるからである。そういう意味で、我々はこの問題に深く注意を払わなければならない。今は、れんだいこのカンとして「殺処分反対」の立場を鮮明にしたい。あらゆる可能な方法を講じて後の最終手段であるべきものをイの一番にすることに反対したい。「生活保障、融資対策」の枠拡大を働きかけることをもって正義とする運動にも反対する。その前の正義があると思うから。ともかく、この問題に対する畜産業界当事者の生の声が聞きたい。これが伏せられている気がしてならない。 2010.05.26日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評737 | れんだいこ | 2010/05/27 19:32 |
【福島社民党へのエール】
2010.5.27日、社民党は党本部で三役会議と常任幹事会を開き、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題への対応を協議した。28日に辺野古に基地を造ることを前提とした閣議決定、これを請けての日米共同声明が為されようとしている動きに対し、1・辺野古案確定文言の削除2・党首の福島消費者・少子化担当相の閣議での署名拒否を申し合わせた。社民党は30日に緊急の全国幹事長会議を開き、28日に予定される共同声明や首相の記者会見などを踏まえた党の対応を協議する。社民党と鳩山首相周辺の調整は難航しており、社民党の連立離脱含みの緊迫した情勢を迎えている。 この社民党の動きをどう評するべきか。れんだいこは、福島党首の対応が正しいと思っている。「国外移転、最低でも県外」は鳩山首相自身が何度も宣明してきた首相公約である。それを「5月末」まで延ばしに延ばした挙句、自公政権案に差し戻した鳩山首相の政治責任こそ追及されるべきであり、その後始末に訪沖した社民党・福島党首に対し不快感を表明するとは問題外の難癖であろう。 確認すべきは、鳩山首相の「トラスト・ミー」の真相であろう。今や化けの皮が剥げ、オバマ大統領にネオシオニズムに対する忠誠であって日本人民大衆に対してのものではないことをあからさまにした。何度も云うが世の常として一事万事の法則がある。これに照らせば、鳩山首相及びその周辺のこたびの愚挙はホワイトハウスに対する「トラスト・ミー」派であることを明らかにしたことになる。今後どんな甘言を弄しても、もはや騙されてはなるまい。 通りで、国内景気に対する政治責任施策が皆無で、垂れ流しばかりに励んでいる筈である。これがいずれ消費税増税の口実にされることになるだろう。好評の事業仕訳でさう嘘っぽい。あれこれ突いているが要するに天下りもんの高給廃止、同高給退職金の廃止で済むものばかりである。廃止指定された機関には廃止しない方が良いものもある。そういう難しい判断が問われるものを急いで廃止する必要がない。為さねばならぬことは、「天下りもんの高給廃止、同高給退職金の廃止」であって機関廃止ではない。労働に対する適正給与であれば天下りでも良いではないか、れんだいこはそう思う。 ところで、有料高速道路の新料金制はいつ始めるのだ。現行より高くなるところは安くすれば良いだけのことではないのか。やる気があればすぐできるのにシナイサセナイところが臭い。前原国交相の動きはシオニスタン政治そのものではなかろうか。こいつは辺野古案差し戻しでも暗躍している。まことにケシカラン獅子身中の虫である。鳩山首相は、小沢幹事長の時には冷たく突き放すが、前原国交相に対しては一蓮托生的動きをしているように、れんだいこには見える。鳩山の臭いところである。 ところで、辺野古案の臭さをもう一度確認しておこう。これは、グアムへの移転費用に加えて辺野古基地整備費用と云う二重の支出を予定している。その金額が明らかにされていないが、れんだいこの推定するところ数兆円規模になるものと思われる。財政危機の折柄、こったら蛮行が許されるだろうか。自公政権はこれをやろうとしていた。鳩山政権がこれを引き継ごうとしている。社民党が署名拒否するのは当然ではなかろうか。一体日本は今後、幾ら巻き上げられるのだろうか。事業仕訳節税がバカバカしくなりはしないか。 れんだいこが再評価する1970年代の田中角栄-大平-鈴木政権の頃までは、防衛費関連はGNPの1%枠に抑えられていた。この留め金を外したのは1980年代初頭の中曽根政権になって以来である。今日の防衛費予算は消費税分額がそのまま横滑りした格好になっている。「米軍普天間飛行場の移設費用」は、これにオンする形で更なる出費になろうとしている。まともな政治家がいたら気違い沙汰と評するであろう。 よって、社民党の連立維持、鳩山政権のシオニスタン政治批判は当然である。鳩山シオニスタン政治への無条件の追随は、村山首相下の社会党の政策転換に次ぐ愚挙になろう。連立を維持し、左バネとして民主党連合政権を支える為に汗を掻き、与党政治責任を引き受けることこそ期待されている社民党像である。福島社民党は今、この位置をキープしている。これを良しとしたい。 日本政治に左バネがいなくなるほどシオニスタン政治に傾斜する。その愚をみさせられるほど腹立たしいことはない。左バネが政権与党の一員として汗を掻くほど素晴らしいことはない。こう心得てまっしぐらにポスト鳩山政権創出に向かって欲しいと思う。付言しておけば、歴史教訓になるが、自民党政権がハト派により牛耳られていた時、日本左派運動は左バネで支えれば良かった。ところが史実は、この時激しく闘い、タカ派政権になった時、口先三寸の反対運動になってしまった。逆ではなかろうか。これが自称在家歴史学者れんだいこの出した解である。 2010.5.27日 れんだいこ |
Re::れんだいこのカンテラ時評738 | れんだいこ | 2010/05/28 22:05 |
【鳩山首相の福島切り逆裁定を弾劾する】
2010.5.28日、鳩山首相は、沖縄県名護市辺野古周辺を普天間飛行場の移設先とする日米共同声明に反対し、政府対処方針への署名を拒否した福島瑞穂消費者・少子化担当相を罷免した。戦後、首相が閣僚を罷免するのは福島氏で5人目とのことである。福島よ、これで良い。歴史が称えるであろう。村山の二の舞を避けて良かったと思う。 鳩山シオニスタン政治が遂に素面を露わにした。鳩山政権はこれより以降ますますシオニスタン政治に傾斜して行くことが予想される。この手合いは端から参議院選に勝利する意思がない。否「上からの政権交代政治阻止」に向かうことになるだろう。政界遊び人の行状を見せられることになろう。全てはネオシオニズム奥の院の采配であると心得れば良い。これが早期に確認できただけ、マシとすべきだろう。これにより党内抗争に突入することが避けられない。どちらがどう制するのか、能力戦の火蓋が切って落とされたと心得る。恐らく郵政再改革も頓挫するよう仕掛けてくる筈である。こうなると亀井もジッとはしておられまい。 今日は今朝からキナ臭かった。以下、午前中の原稿をそのまま書き付けておく。 北沢防衛相が午前の閣議後の記者会見で、署名拒否の姿勢を示している福島消費者・少子化担当相について、概要「閣内にとどまって反対することは内閣の存立を脅かす。日米共同文書への県内移設明記に同意できないなら閣僚を辞任するべし。署名を拒否するということは首相に対する不信の表れになる。その前に自らの立場を明らかにする方が政治家として当然(の姿)だ」と強い調子で福島氏に辞任を迫っていた。 少し前なら名うてのシオニスタンたる北沢批判で済ますところであるが今は違う。こういう輩をよりによって防衛相に任命した鳩山首相の人事責任こそ問う。考えても見よ。「国外、最低でも県外」を貫くのであれば、それに相応しい防衛相を登用するのが常識ではないのか。高速道路無料化を貫くのであれば、それに相応しい国交相を登用するべきではないのか。公約阻止に動くことがあらかじめ分かっている人物を登用した鳩山人事こそ、そもそもから臭いのではなかろうか。人事を尽くして天命を待つのなら良い。しかしながら、北沢、前原の動きは端から逆行していたのではないのか。鳩山政治の胡散臭さとして認めるべきであろう。 北沢防衛相が福島辞任を公言した以上、何をためらうことがあろう。辞任すべきはお前であることをはっきりさせよう。前原に対しても然りで、これ以上高速道路無料化公約に違背する動きを見せるのなら、北沢と共に辞任させよう。これを指揮せず福島切りに向かう鳩山の逆裁定を許すな。これが真っ当な政治見識になるべきである。それはそうと、弁護士にして社民党経由で民主党入りの千葉景子現法相は、福島氏の処遇について「(福島氏には)連立内閣の一員としての立場を踏まえ判断をしていただきたい」と述べたとも伝えられている。こいつもシオニスタンだ。小沢叩きの時に逆指揮権発動で裏から扇動していたことが透けて見えている。こ奴も辞任させねばならない。 ここで気づくことがある。いわゆる「鳩山シンパ七奉行」を確認しておくと次のメンバーである。世話役・渡部恒三(羽田派、福島4区)、仙谷由人(前原派、徳島1区)、岡田克也(無派閥、三重3区)、前原誠司(前原派、京都2区)、枝野幸男(前原派、埼玉5区)、野田佳彦(野田派、千葉4区)、玄葉光一郎(野田派、福島3区)、樽床伸二(野田派、大阪12区)の面々。このうち、野田、樽床、前原は松下政経塾出身。いずれも民主党内の強度の改憲派で共通している。この改憲派が小沢叩き、福島叩きに興じていることを見据えねばなるまい。 鳩山は得体の知れない御仁である。その組閣に於いてシオニスタンばかりを登用したのではない。シオニスタンが反小沢とすれば、親小沢派をも登用することでバランスを採っている。この采配の妙で今日まで政権を保って来たと云える。しかし、やはりイケナイ。ここまで小沢の政治能力を雇われマダム的にうまく利用して政権交代を遂げたが、政権8ヵ月有余、いよいよ地金をあらわして来たと読むべきではなかろうか。鳩山は、首相として世にも不思議な朝令暮改というより朝令暮謝を繰り返して来た。その癖ちゃっかり、日米軍事同盟の深化、原子力発電行政の推進、財政破綻の放置と云う三点セットでネオシオニズムの御用聞きし続けている。れんだいこは、木村愛二氏の云う「偽の友は公然の敵より質が悪い」の言葉を思い出す。鳩山は今や「偽の友」であることを天下に明らかにした。となると、こういう曲者シオニスタン首相はもういいと訣別するのが筋ではなかろうか。 れんだいこが私淑する田中角栄とは政治の質が違う。角栄は、政権公約で「日中国交回復」を掲げ、政権を発足させるや一気呵成に日中交渉に乗り出した。そういう意味で、政治に表裏がなかった。止むを得ず台湾切り捨てにはなったが、椎名副総裁を送り、事前に根回ししている。これを確認すると次のような流れになる。 1972.7.7日、第一次田中内閣が発足。外相に盟友の大平正芳を登用。8.19日、キッシンジャーが来日し、軽井沢の万平ホテルでキッシンジャー-田中首相会談。8.22日、自民党副総裁に椎名悦三郎登用。8.31日、ハワイのクイリマホテルで日米首脳会談(田中.ニクソン会談)。9.17日、椎名自由民主党副総裁が、特使として台湾を訪問。日中国交正常化についての日本側の事情を説明。9.19日、将経国・行政院長らと会って帰国。9.25日、田中首相一行が羽田発で北京に向かう。9.27日、田中、大平、二階堂が外務省を交えず、中南海の毛沢東邸で毛沢東(78歳)と秘密会見。9.29日、日中共同声明調印。台湾の国民政府が国交断交を発表。 この流れの概要は、「首相時代の田中角栄」に記している。 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/syusyojidai/syusyojidai.htm) これが範とすべき政治ではなかろうか。これに比すれば鳩山政治は態をなしていない。オバマの御用聞き政治をして日米同盟の深化などと勝手にほざいている。これによりこの財政悪化時に天文学的な新たなお供えが決まったことになる。これ以上、鳩山政治と付き合うのは体に毒と云えよう。小泉の狂人レイプ政治も御免蒙りたいが、鳩山の軽口遊び人政治にもうんざりだ。 「政治とカネ」疑惑問題でもそうだ。自身に嫌疑が降りかからないうちには小沢幹事長に対して「政治とカネ」疑惑に対して説明責任を云い、追って自身にマミー乾金問題が浮上するやのらりくらりと交わし、小沢より一足早く検察審査会で不起訴を貰い、小沢疑惑に対しては引き続き千葉法相の逆指揮権発動を容認する。この一連の過程の政治が汚(きた)な過ぎるではないか。恐らく相当の裏があると解したい。先祖墓スプレー事件が臭い。あれ以来、鳩山はリモコンされていると見る。それでも耐えて鳩山政治に期待せよと云う者があるとしたなら、それはシオニスタン問題に解を見つけてから云うべきであろう。 政治は所詮、政治闘争として機能するものである。何も一々階級闘争論を持ち出すまでもない。昨日今日の一挙手一投足の政治の積み重ねから明日の政治を導き出すものである。その政治闘争の中継に「和の政治」があるのであり、のべつくまなき「和の政治」に耽るものではなかろう。鳩山首相があからさまにシオニスタン政治をシグナル化させた以上、闘うべき時には闘い、打倒に向かうことこそ次の時代の政治を手繰り寄せるのではなかろうか。 いずれ民主党は割れるように仕掛けられる。こちらが時間を稼ごうとしても、時が経つほど政権交代効果が表れることを恐れる勢力があの手この手で棹差して来る。今がその時だ。こういう時には座してはイケナイ、殴り返せばよい。幸いなことに先の総選挙でギャフンと云わせるに足りる議席を得ている。これが我々の武器である。日本政治を自由自主自律的なものにする為のシオニスタンとの非軍事型内戦である。我々の政治能力が問われている。心して参ろう。 2010.5.28日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評739 | れんだいこ | 2010/05/30 09:19 |
【社民党は連立を下野すべきか維持すべきか考】
「福島罷免」の結果、社民党は連立を下野すべきか維持すべきかが問われることになった。本日5.30日、社民党は緊急中央委員会を開くそうだが、れんだいこが知恵を授けておく。 結論から云えば、社民党は下野すべきだではなくする必要がない。なぜか。それは、「連立政権の元一日」の取り決めこそが要件であり、これから逸脱したのが鳩山首相及びその周辺であるからである。社民党は「連立政権の元一日」を擁護し政権交代政権の実効あらしめるべく更に奮闘努力するのが筋である。公然と連立政権の破壊に向かった鳩山一派とのせめぎ合いを通じて後継政権を安産させるべく働きかけるべきである。社民党にとって「政権交代政権の実効化」こそが政治使命であり、国民新党が盟友である。この強固な同盟ブロックの下で、民主党内の後継政権闘争を見守れば良い。この流れで参院選闘争に向かうべきである。これを第一結論とすべきである。 第二結論として下野も考えられる。しかし、この場合でも鳩山政権下での下野であり、後継政権が誕生するや速やかに「連立政権の新たな元一日」を求めねばならない。下野して万年野党化し反対政党としてのみ存在する愚を戒めねばならない。第三結論は万年野党化し反対政党としてのみ存在する社会党的DNA方向である。このいずれを採るべきか、これが問われている。れんだいこは断然、第一結論を一押しする。この観点から党内党議を深めれば生産的になろう。 ところで、少し気になる評が為されているのでコメントしておく。次のような評が為されている。「現実をいかに粘り強く一歩一歩変えていくかよりも、党のお題目を優先し、結局は現実に絡め取られていった社会党の教訓を活かすことなく、社民党はまた同じ轍を踏もうとしている。2度目の茶番劇で社民党はこれから何をやろうとしているのか。55年体制の一端を担い、何でも反対することで政治的立場を確保してきた旧社会党のDNAを受け継ぐ社民党は、実は自民党と同じくらい政権交代を嫌って内部から政権交代を破壊しているのではないのだろうか、とさえ思えてくるのだが」。 この評は一般論としては成り立つように聞こえる。しかしながら、こたびの「福島罷免」にそのまま当て嵌めようとすると支離分裂分裂する。前段の「何でも反対することで政治的立場を確保してきた旧社会党のDNA」批判の部分は正しい。後段の「社民党は、実は自民党と同じくらい政権交代を嫌って内部から政権交代を破壊しているのではないのだろうか、とさえ思えてくる」は何を指して云っているのだろうか。こたびの「福島罷免」は鳩山首相の逆裁定によってもたらされたものであり、福島消費者・少子化担当相に責任を被せるのはお門違いだろう。この評によれば辺野古案に署名すれば政権交代政権維持になり、署名拒否すれば政権交代政権破壊になると読むことができるが、逆であろう。言いなりになることの方が村山社会党時の自民政権すり寄りの愚と等しいのであって、言いなりにならなかった福島社民党を誹謗するのは錯綜評価であろう。そういう意味で解せない評である。 ここで、党派連立の意味について愚考しておく。党派連立とは、政党同士が政策の異、差を互いに認め合って共同し連立すると云うことだろう。この共同・連立には、政策の異、差を解消することは期待されていない。これが基本構造である。与党責任とは政権の個々の政策に異を唱えないということではない。国民新党が外国人参政権付与に対して強硬に反対したのは衆知のことである。共同・連立にはそういう幅が認められてしかるべきであろう。そういう個々の政策の違いを踏まえつつ餅を練り合わせできるのが共同・連立の意味であろう。かなり高等な政治能力が必要とされるということでもある。 従って、社民党が辺野古案に署名拒否したとしても、それをも含めて成り立たせるのが連立能力と云うことになる。その意味で、鳩山首相の福島罷免は、鳩山執行部の社民党に対する連立解消策動以外の何物でもない。それは、参院選を前にして政権交代勢力の力を殺ごうとするネオシオニズム奥の院からの指令によるものと考えられる。鳩山が弱みを握られてか、元々の地金を出してか分からないが、ここで反動的な本性を露わにしたことを意味する。ホワイトハウスにとっては慶事であろうが、日本人民大衆にとっては打倒域に入ったことを意味する。 ここで、左翼用語で云う統一戦線と共同戦線の違いを確認しておく。これについては、「統一戦線と共同戦線の違いについて」サイトで考察している。参考にして貰いたい。 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/jinsei/marxismco/marxism_kyodosensenron.htm) れんだいこが思うに、政治運動に統一戦線運動は要らない。しかるに統一戦線運動が導入されてきたのは、良からぬ悪だくみによってであると考えている。歴史的に見れば専らネオシオニズムが常用する戦略戦術である。我々には不要の運動理論と弁える必要がある。これを少し説明すれば、統一戦線と云うのは文字通り統一であるから足並みを乱すことはできない。常に統制的にならざるを得ない。この場合の問題は、誰がどういう基準で統制するのかにある。これを合議で判定した例を知らない。いつもどこかで誰かが裏から采配している。これが統一戦線理論の素性である。我々の運動にはこういうものは要らない。 これに対して、共同戦線は別である。基本的に課題ごとの共同であり、何から何まで規制されるものではない。考えて見れば当たり前のことであって、何から何までイエスマンするのなら弱小党派は主力党派に呑みこまれれば良いだけのことである。弱小と雖も党が党して存在すると云うことは主体性を保持しなければならないと云うことである。その主体性確保の上で連立ないしは共同するということである。ここを勘違いしてはならない。 統一戦線と共同戦線にはそういう仕組みと思想の違いがある。統一戦線運動はいわば硬直型運動である。共同戦線運動は柔軟型運動である。どちらが強いか、どちらが理に叶っているのか、それは実践プリズムを通せば直ぐに分かる。いかなる組織も運動も柔軟型運動の方が歴史の試練に耐える。にも拘わらず、長らく硬直型運動が跋扈してきた。その結果、首尾よく進展した運動例は何一つない。よって、統一戦線運動論で統制する者を疑惑せよ、ということになる。思えば、狂人レイプ首相・小泉の郵政選挙時の刺客騒動なぞ典型的な硬直型運動であった。マスコミはこぞって名宰相の断固毅然たる措置を礼賛し提灯報道し続けたが、小泉もマスコミも狂っていることを証左している。今鳩山が同じようなことをし始めている。これはネオシオニズム特有の政治現象であり、裏から誰かが強く指令していることを意味している。かく捉えれば無理なく解ける。 こういう手合いに日本政治が組み敷かれるのはそろそろおさらばとしたい。それが昨年の総選挙の結果としての総意であった。そこから生まれた鳩山政権がシオニスタン特有の政治に回帰した以上、我々の態度は自明ではないか。鳩山は政治生命を終えたのであり、これより後は悪臭を放つばかりである。舞台から去る儀式を丁重に行うしかないではないか。鳩山はもがかぬ方が良い。政権交代一番手の細川元首相を見習うが良い。恐らくそうはなるまいが。 誰か、この声を社民党の今日の総会に届けてくれ。 2010.5.30日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評740 | れんだいこ | 2010/05/31 19:46 |
【ポスト鳩山、れんだいこのつぶやき】
鳩山政権は、民主党を核として左右に国民新党、社民党を配する形で出発した。しかしながら、政権発足より今日までの間に鳩山政権のやるやる詐欺性がはっきりするに応じて支持率が更に下がり始め既にゾンビ化している。そういう折の2010.5.29日、社民党切り捨てを決断した鳩山首相自身はやる気まんまんのようである。この自信はどこから来るのだろうか。世上で宇宙人のあだ名を与えられているが、れんだいこにはクラゲの方が相応しいように見える。 鳩山首相続投は権力への妄執以外の何物でもないように見受けられる。鳩山首相派は今や小沢派と決裂状態に入っており、ネオシオニズム奥の院の支持を支えにして難局を乗り切ろうとしてるように思える。いずれこうなることが予想されていたが何ともはやアサマシイ。この様は、中曽根政権が田中角栄派の後押しを得て政権に辿り着き、次第にシオニスタン政治に移行し、後に満展開させた経緯を想起させる。ダブって見えて仕方ない。あの時も推進力は「政治とカネ」問題であった。 それはともかく、日本政治史の特徴として、政権がネオシオニズムの御用聞きを露わにすれば忽ち人心が離れる。よってシオニスタン政治に舵を切った鳩山政権の今後はますます支持率を下げることになろう。現在、米軍基地、対北朝鮮を廻る米日韓中の包囲網、宮崎牛殺処分、消費税増税、憲法改正、自衛隊の無制限武装派兵等々の諸問題に直面しているが、それらが全てに於いて国益に反する形で策動されることになろう。 既に、内治外治両面に於いて、郵政再改革、その他の小改革を除けば、重要案件になればなるほど自公政権のそれと何ら違わず、何の為の政権交代であったのか分からなくなっている。相変わらずのバラマキ政治、景気浮揚逆行政治は却って酷いとも云える。鳩山首相派は、それでもこの道を進む。なぜなら根っからのシオニスタンであるからである。そういう風に飼い慣らされ雇われていると思えば良い。殆どビョ―キの世界に入っていると思えば良い。 しかし、こうなると、7月の参院選が戦えないのは云うまでもない。日本人民大衆はそうはバカではない。云うか云わぬかは別にして腹に逸物持っている。かくて参院選前の後継問題が急浮上することになる。しかしながら、権力の甘い蜜を吸うウマ味を覚えた連中が自ら政権を手放すことはない。均しく中毒化するのが歴史の法理である。よって、引きずりおろされるまでしがみつこうとする。これをどうするかが問われている。参院選結果を踏まえての辞任論が生まれているが、そうは悠長に構えてはいられない。代表が自ら敗北するよう立ち回る変態をどこまで許すのかという問題が突き付けられており、待ったなしの局面を迎えていると受け止めるべきであろう。そういう意味で民主党内は正念場に入ったことになる。 で、一体だれが相応しいのか。ここが肝心な議論になる。鳩山派の岡田、前原、枝野、仙石その類のシオニスタンは論外である。こ奴らは早晩叩きださねばならない。元々自民党の出馬枠がなかったから野党から出自した手合いでしかない。そのシオニスタンぶりは自民党内若手のそれよりも酷いと云える。よって論外。 となると管がどうだろうかということになる。本来かく予定されていたのだが、このところ急激に消費税増税論者に転換しており色褪せ始めている。社民連上がりの頭脳の程度のお粗末さであろう。そこで腕組みして考えねばならない。順当なところは小沢以外にあるまい。元々は小沢代表で先の総選挙に臨む筈であったのであるからして、小沢の下での選挙でも相当に勝てた筈であるからして小沢には資格がある。党内が急速に小沢でまとまることを期待したい。 ウルトラCは国民新党代表の亀井であろう。しかし何分にも少数政党過ぎる。郵政再改革後は、水戸黄門的立場での御意見番役が良いような気もする。次に原口の線が出てくる。貫禄的に見て少し早い気がしないでもないが1959年生まれと云うから51歳である。田中角栄が首相になったのは54歳であるとを思えば年の頃は丁度良い。 実際には誰がなるか分からない。誰がなるにしても護憲尊憲派が条件となるべきである。仮に改憲派であっても急進的な改憲派でなければ良いと手綱を緩めておこうか。そうだ、福島が良いかも知れない。村山政権の先例もあり、村山政治の愚挙を禊する意味でも福島が手を上げるべきかも知れない。れんだいこは、この話に乗りたい。次期政権を首相・福島、幹事長・原口、副総理・亀井にすると打ち出し、参院選を小沢代表、原口幹事長体制で臨めばどうだろう。消費者・少子化相は田中真紀子か姫井由美子でどうだろう。次期政権はこの二人を抜擢せねばならない。 とか云う風に書きだしたらキリがないので、これぐらいにしておく。要するにポスト鳩山を真剣に討議せねばならないということだ。軽口過ぎる政治遊び人の鳩山を首相としてこのまま続投させ続けると日本はますます壊れてしまう。これは確かだ。本質的に彼は無責任が過ぎる御仁だ。これは治るまい。我々が、これ以上付き合う義理はない。 2010.5.31日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評741 | れんだいこ | 2010/06/01 20:33 |
【「鳩山善玉、小沢悪玉」論評の懲りない面々へ告ぐ】
社民党切り捨てにより一気に崩壊過程に突入した鳩山政権であるが、今朝のテレビ政治評論で、「新党請負人」の異名を持つという触れ込みの伊藤惇夫なる政治評論家が「鳩山善玉、小沢悪玉」論を聞かせていた。不快な評論であった。この御仁が細川政権の知恵袋だったとすると、細川首相もトンだ御仁に世話になったもんだと思う。 福島党首に続いて辞表を提出した辻元国交副大臣の「外務官僚・防衛官僚が辺野古現行案で囲い込みを行った、社民党はその圧力を鳩山総理と共に押し返そうと必死だった。(鳩山首相には)踏ん張って頂きたいと思っているが、もはやその様な流れが出来あがっている、気の毒なことだ」発言もウソ臭い。鳩山続投エールの変種に聞こえる。考えて見よ、鳩山首相と外務官僚・防衛官僚を対立させているが、前原、岡田、北沢等の名うてのシオニスタン、その配下の外務官僚・防衛官僚を登用したのは鳩山采配ではないのか。この人事にこそ胡散臭さがあるのではないのか。 鳩山政権発足8カ月有余、与党内部で誰が政権交代効果を前進させ、誰が抑制し、誰が縁の下の力持ちしているのか、これを理解することは難しい話ではない。沖縄問題のみならず高速道路無料化問題でも、誰が極力公約の線で努力しているのか、却って割高にせんとして棹差しているのか。これを理解することは難しい話ではない。これを逆に説くのが「雇われ」政治評論家のお仕事らしい。伊藤惇夫の弁の不快さはこれによる。 小沢批判は専ら「政治とカネ」問題に終始しているが、これは政治的識見に於いて批判できないことの裏返しであり、為にする小沢批判に過ぎない。政治見識に於いて、他のどの政治家よりも小沢のそれの方が護憲的であり清濁あわせ呑む責任政治である。このことは、小沢政治の逐一を対照させて見ればよりはっきりしよう。しかしながら、自公、日共、マスコミはこぞって「悪の代名詞」を小沢に被せてきた。れんだいこは、ネオシオニズムの命令であり、その御用聞きとして吠えているに過ぎないと読む。キタない奴らだ。 そうした折、ネオシオニズム系御用提灯専門の言論大砲たるマスコミに野中証言が降りかかった。これにマスコミ諸君がどう対応したか。今に至るまで逃げ回り、まともに採り上げていない。こうなると、「言論とカネ」問題に釈明できないマスコミ各社が、「政治とカネ」問題で見識ぶること自体が許されまい。今まで許されてきたことの方がオカシイ。 れんだいこが思うに、官房機密費、外交報償費問題は何も「言論とカネ」問題と云う風に採り上げるまでもない。もっと下のレベルの一般的な就業規則の類で考えれば良い。どの会社に於いても、公務員ならなおさら、業務に関わることで給与以外の報奨金を無断で他者から貰うのは禁止されている。これが露見すればクビである。立派な解雇事由に相当する。この違反を平気の平左で何食わぬ顔して頂戴していたのが政治記者であり政治評論家であったということになる。それとも何か言論人に限り、手前は裏金貰いが許され、且つその手と口で世間に向けては「政治とカネ」講釈を説く芸当が許されるなどと云う便利な取り決めでもあると云うのだろうか。 この問題を切開できない言論人が、小沢幹事長の「政治とカネ」問題を殊更に大きく採り上げ、「天の声」まで詮索するよう東京地検特捜部と呼吸を合わせてきたのが実際である。普通には何のカンバセ有りておめおめとテレビにでてくることができよう。その点、三宅久之はエライ。「たかじんのそこまで言って委員会」で堂々と開き直った。但し、そう云えば大昔に貰っていたことがあるなぁ程度のゴマカシと居直りの弁であった。問題は大昔のことではなく、例えば小泉政権時代の郵政選挙前後、飯島秘書官采配のマスコミ対策大盤振る舞い時に手を出していたかどうかなのだが、肝心のこの件ではダンマリしている。 この件では立花隆なぞにコメント取るのも面白かろう。あれほど金権批判を繰り広げてきたこの御仁がよもや「言論とカネ」問題で汚名を着せられることはあるまいが、今のところ質問したと云う話さえ聞かない。オカシナことである。立花よ、「政治とカネ」に続いて「言論とカネ」について蘊蓄を聞かせてくれないか。誰かインタビューしてみよ。 もとへ。「鳩山善玉、小沢悪玉」論を唱えて鳩山政権の延命を図ろうとする者達よ。君たちに聞きたい。普天間基地移転問題で見せた鳩山首相の「国外、最低でも県外」言質(げんち)を自公政権時の辺野古案差し戻しという事態を踏まえれば、鳩山首相が今後何を公約しようと空約束にしかならないと受け止めるのが筋ではなかろうか。否今後は律儀に公約を守りますと云う証文が見せれるものなら見せてほしい。これなしに鳩山続投を支持するのは鳩山同様に政治を遊びにしていることに他ならないのではなかろうか。普天間基地問題で見せた鳩山の軽口一切を一事万事と受け止めるべきではなかろうか。 もはや鳩山がどう述べようと信が置けない。そういう意味で、鳩山首相は致命傷を負っていることになる。思えば、社民党の福島党首を斬るのではなく、手前こそが辞任すべきだったのではなかろうか。そもそもこの覚悟で臨めば局面転回できたかも知れない。その覚悟なしに何度も思わせぶりにしていた「5月末期限」を迎え、辺野古案と云う最悪の結論に至った。云い訳は「抑止力に対する勉強不足だった」だと。あきれてものが言えないとはこのことだろう。 これにより、公約通りの主張をしていた福島を斬り、手前は続投意思を表明して居直っている。これを擁護する政治評論家がいる。マスコミは、この手の評論家を滅法好んで登場させている。エエ加減にして貰いたい。こう確認すべきところ、多弁饒舌を繰り返し鳩山続投を説く者、そういう者を登場させる者の魂胆こそ臭いと云うべきではなかろうか。鳩山政権続投派はここを説明する義務がある。 政治発言特に首相発言となるなら尚更のこと、その重みを弁えるべきであろう。朝に云うたことを夕べに翻し、飽きもせずすんまへんを繰り返す首相は史上、鳩山以外には見当たらない。今後どうなるか五里霧中ではあるが、賞味期限を過ぎた鳩山政権を終わらせ、後継政権の手で政権交代効果を発揮させるのが筋ではないのか。そうしてこそ政権交代一番手としての鳩山政権の功績が活かされよう。鳩山政権の居座りは腐臭以外の何物でもない。私はこう思う。 2010.6.1日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評742 | れんだいこ | 2010/06/02 22:39 |
【鳩山首相辞任考】
2010.6.2日、鳩山首相が辞任表明した。これを確認しておく。 この日、鳩山首相は、民主党両院議員総会で「この職を引かせていただ く」と述べ正式に辞意を表明した。同時に小沢幹事長を道連れ退任させたことも明らかにした。鳩山首相は、退任理由について、米軍普天間飛行場の移設問題をめぐる辺野古案への差し戻し、社民党の連立離脱などでの政権運営の混乱の責任、「政治とカネ問題」を挙げた。「国民が聞く耳を持た なくなった」と指摘し神通力切れを認めた。なお政治資金問題に関連して小林千代美衆院議員の辞職を促した。これをどう評すべきか。またぞろ森田実を始めとするピンボケ評論が罷り通ろうとしているので、れんだいこが棹差しておく。 そもそも鳩山首相辞任は致し方なかった。本人も認めているように完全に食傷されており、賞味期限切れであった。問題は、小沢幹事長道連れ退任は如何なものであろうかということにある。マスコミ好みの「鳩山善玉、小沢悪玉」論からすれば、小沢同時退任は当然と云うことになろうが、「小沢善玉、鳩山悪玉」論を掲げているれんだいこの観点からすると、「鳩山らしいイヤラシイ抱き合わせ心中」の強制でしかない。なぜなら、政務の鳩山は次から次へと失態していたのに比して党務の小沢は賢明懸命に仕事をこなしていたからである。よって、一般通念からすれば、仕事のデキが良い者を辞めさせる理由がない。鳩山が自爆すれば良いだけのことである。 しかしながら、鳩山は小沢を道連れにした。前日の6.1日の鳩山-小沢会談後の記者団通過時の左手の親指立ててのサインは何であったのか。普通は「ヤッタぜベイビー」サインと解き、「うまく行った」と告げていると読む。では誰に向けてのサインであったのだろうか、ここを詮索せねばならない。これは、鳩山がなぜ小沢を道連れにすることに拘ったのかを解明すれば解ける。こういう場合、来る参院選の影響という観点から考えるのが一番的確であろう。小沢幹事長采配下での選挙戦突入は、民主党にとって不利なのか有利なのか。一概には言えないが有利と見る。参院選は後1ケ月有余、いよいよこれから小沢采配が光るところである。それを阻止したことになる。では、鳩山は何故に参院選の為に党の為にならないことを承知で小沢を道連れにしたのか、ここを切開せねばなるまい。 れんだいこは、先祖墓蹂躙事件以来、公然と鳩山を掣肘しコントロールし続けている背後のネオシオニズム奥の院の指令によると見立てる。ネオシオニズム奥の院は、鳩山辞任後、民主党内で小沢の影響力が一層強めることを最も恐れている。子飼いの岡田、前原、仙石、枝野辺りでは太刀打ちできず、何より鳩山引退のきっかけとなった辺野古案差し戻しに尽力した手合いでは党内も世論も許さない空気を察知している。そこで何はともあれ小沢引きずりおろしを鳩山に命じ、鳩山はその意を受け、小沢、興石、平野との四者会談で強引執拗に抱き合わせ心中を迫り、その結果としての「ヤッタぜベイビー」サインであったと思われる。しかし、こうなると、鳩山は引き際でもミソをつけたことになる。 鳩山は、その後の首相官邸での記者団の質問に答え、「次の総選挙には出馬はしない」ことを明らかにしている。但し、任期途中での議員辞職は否定した。また、民主党代表選への出馬を表明した菅副総理に対して、「影響力を行使してはいけない。(後継)指名する意図はない」と話している。それなりの鳩山美学であろう。問題は鳩山政治のオタク性にある。ここを衝かない鳩山政治論は民主党の今後の為に良くない。れんだいこが見立てるところ、鳩山政治とは終始一貫、「改革仮面」を被った政治の遊び人性にあったと思われる。その意味で小泉式劇場型政治とハーモニーしている。恐らく背後の指示勢力が同一な為と思われる。 民主党が教訓を得るべきは、数々の大衆受けの公約は良いとしても、田中角栄式「政治は生活である」とする責任政治を全うせねばならないと云うことではなかろうか。この姿勢があれば、「米軍普天間飛行場の移設問題をめぐる辺野古案への差し戻し」など有り得なかった。選挙前にそう主張し、選挙後に首相の口から何度も「国外、最低でも県外」と繰り返している以上、後になってそれは首相個人の発言に過ぎず党の公約ではないなどと云う云い訳が通用する筈がない。ましてや自ら「5月末期限」を云い、それで時間を稼ぎながら、期限を迎えると「必ずしも5月末に拘らなくても良い」などと云いだし、その舌の根も乾かぬうちに急転直下辺野古案に差し戻した。この間、徳之島で移転騒動が起きている。こういう政治芸は遊び人のそれ故に起こるものであって、責任政治を引き受ける事を自らに課している者には有り得ない。れんだいこが、本質的に政治遊び人と断ずる所以である。 退任表明での「自分自身が政治資金規正法違反の元秘書を抱えていたなんてことは、私自身まったく想像だにしておりませんでした」も胡散臭い。元秘書にしてみれば迷惑な云われ方であろう。そう云えば、マミー献金もウソ臭い。あれが果たしてマミー献金なのかどうか詮索されていないが、それは一部であって変な筋からの献金が含まれていたことが十分考えられる。故人献金もケシカラン。政治資金収支報告書に記載されておらず、小沢のように記載している事例に比べてよほど悪質ではないか。その鳩山が小沢降ろしに「政治とカネ」問題を引き合いに出し引責させたというのも臭い話である。 そういう訳で、政権交代第二政権は愚直な者が望ましい。愚直ではあってもネオシオニズム奥の院に愚直なシオニスタンではイケナイ。論外である。政権交代効果を継続する有能の士を選出せねばならない。「道半ば」の観点から鳩山辞任を惜しむ声が為されているが、れんだいこには鳩山政権が政権交代事業の推進力になっていたとは思われない。むしろ前原の如く公約阻止に動いている面が強い。ヤルヤル詐欺政権という批判は当たっていると見立てる。鳩山政治のそういうオタク性、本質的に遊び人性が総括されねばならないと思う。 既に管が出馬表明している。無難と云うことになるのだろうか。但し、管が愚直な人物であるかどうかは疑問である。特に昨今では消費税増税にシフト替えしているので危険極まりない。「私の任期中は上げない」と公約しない限り支持し難い。今安易に財源不足解消策として消費税論議にのめりつつあるが、消費税は政治の薬物中毒税であり、根本から見直す時間が必要である。そういう意味で、「私の任期中は上げない」と云わせない限り、管に対しても端から警戒してかからねばならない。 もとへ。鳩山内閣は近く総辞職。民主党は後継代表を選出する両院議員総会を4日に開催する。その後、国会での首相指名選 挙を経て新政権を発足させる方針だと云う。16日までの会期を延長しない方針のため、残りの審議日数を考えると、郵政改革法案の今国会での成立は困難な情勢となったとある。いろいろ云いたいことはあるが見守るしかなかろう。民主党の能力がみえることになろう。 2010.6.2日 れんだいこ拝 |
鳩山首相の辞任の弁に思う | 武蔵 | 2010/06/03 22:21 |
れんたいこ様 いつもブログ拝読させていただき、日々わが国の行く末を考える糧にしておりました。今まで貴殿のご意見は99%正しいと、支持してまいりました。しかしながら、此度鳩山首相の辞任に関する貴殿のご意見には、全く賛成できません。鳩山氏はネオシオニズムの軍門に下り、その意のままに此度の辞任に至ったものではないと思います。唯単に敗北したということだと思います。鳩山氏は正に、戦後民主主義の申し子のごとき人で有ったと思います。わが国新憲法前文に掲げられた高い理想(夢想という人も有るでしょうが)を信じ、ここまでやってこられたのであろうと推察します。陰謀論、シオニスト、イルミナテイなどこれらの事柄に関して全く視野に入っていなかったのではないでしょうか。不肖、日々生きる糧を最低限確保しながら生きている私は、これらの言葉、単語を知ったのは、ごく最近2~3年前で有ったと思います。 鳩山さんは、首相在任8ヶ月の間に重大なことを勉強されて、愕然とされたのでは無いかと愚考いたします。遠い将来の、有るべき日米関係、沖縄問題、経済問題(最も重要な農業問題)、地方主権、新しい公共、これらの事柄は実現されるべきだということに言及されました。これらの言葉は私の心に直接的に突き刺さり、感動の余り涙が留めなく流れてきました。小沢さんと鳩山さんが硬い握手をかわす、ご両人のお顔が何よりも雄弁に、ともに「国難に向かおう」という決意が溢れていたように私は見ました。意見、見方は違っていても、目指すところは同じでは無いでしょうか?。諸国民の安寧です。「党門の友」 ともに切磋琢磨いたしましょう。 |
Re:鳩山首相の辞任の弁に思う | れんだいこ | 2010/06/04 09:09 |
武蔵さんちわぁ。コメント有り難う。目下、私事多忙につき、まずは御礼をば。鳩山評はもう少しすれば定まると思います。 2010.6.4日 れんだいこ拝 |
一定の評価はできる | パルタ | 2010/06/06 09:25 |
鳩山内閣では高校無償化と事業仕分けが実現できた。これは素晴らしい事だが、子供手当と高速無料化は結婚出来ず、自動車も持てない就職困難者にとっては負担が増えるだけではないだろうか。沖縄基地問題は外国政府が相手なのであって、自分達の思惑のみで出来る問題ではない。現在のアメリカの動向を見れば5月決着は不可能だ。アメリカと沖縄県民の利害は民主党公約以前から非和解的に完全に対立しているのであって、簡単に決着出来る問題ではない。それでも沖縄の自治体首長が総裁に立候補するなら5月決着は言えずとも「最低でも県外」は掲げるだろう。とにかく辺野古移転では県外でもなく、新基地を作る事になるので誰も納得出来ない。鳩山民主党の政策は自民党よりはましであったが、問題は多い。ただ、私が重視している点とマスコミが重視している点はズレ過ぎている。マスコミは小泉以外の首相は政権成立直後から引き降ろし、政治の停滞を招いてきた。しかし、マスコミは政権批判はしても彼ら自身が責任あるビジョンを国民に示さない。これでは何度政権交代しても同じ批判を繰り返すだろう。そもそもマスコミや自民党は民主党の公約や鳩山の言葉は重視するが、自らの立場は曖昧にする。基地反対派なのか賛成派なのか。自分自身は沖縄をどうしたいのか? もちろん、今回の事業仕分けは自民党時代に出来なかった大胆な政策であり、総裁が代わったからとて後退は許されない。「公約は守らねばならない」以前にその公約によって利益を得るのは誰か、それで誰が不利益を蒙るのかが明らかにされねばならない。親米右派が基地反対派に同情するがごとき芝居は滑稽だ。マスコミと右派は本心を述べよ。 |
Re::れんだいこのカンテラ時評743 | れんだいこ | 2010/06/06 21:09 |
【鳩山から管への転換に際しての雑感-管内閣はシオニスタンオンパレードの予兆あり】
2010.6月初頭、先の衆院選での民主党の圧勝により誕生した鳩山政権が普天間問題で座礁し、管政権に後継された。注目すべきは、鳩山前首相は自爆したにも拘わらず、小沢幹事長を抱き込みツートップ辞任を強いたことであろう。このことは何を意味するのか。来る参院選に於ける小沢采配のテコ入れを恐懼するネオシオニズム奥の院の采配によるとみるべきだろう。ということは逆に参院選はやはり相当に重要な政治戦になっているということになる。今後あらゆる汚い手を使って政権交代派に対するダメージが仕掛けられよう。れんだいこは、政権交代政権内部で「上からの反動策動」必至と見立てている。まず郵政再改革がどうなるかが見ものであろう。 6.6日現在、管新首相は組閣構想中である。政府および党の重役は、「小沢パージ秤」による「反小沢善玉、親小沢悪玉」ゲージで査定されているようである。6.8日に政権交代二番手としての管政権が組閣されるが、シオニスタン各派オンパレードになりそうである。これについては組閣を見て評することにする。 それにしても鳩山政権はあっけなく崩壊した。これを確認しておくことにする。れんだいこには許せないことがある。結局、やろうと思えばすぐにでもできた高速道路無料化公約を実施しなかった。よしんば無料でなくても、自公政権時の料金体系より低額化はできたはずである。景気浮揚に絶大な効果があることははっきりしている。これをしなかった鳩山政権とは何者だったのだろうか。それに引き替え、消費税増税の呼び水になりそうな子供手当は実施された。れんだいこは、財源不足の折柄、奨学資金制のように申請制にするのが良いとしている。借りてまでは要らないと云う層が居るからして相当に予算が浮く筈である。 天下り不正なども禁止論ではなく給与、退職金制限なら直ぐにでもできるはずである。軍事防衛費は更に垂れ流された。事業見直しなぞはものが小さい。そういうところのパフォーマンスだけが記憶に残った。結局、鳩山政権って何者だったのだろう。確かに政権交代前までは攻めの技を見せていた。しかし政権交代後の民主党は明らかに上からブレーキを掛けた形跡が認められる。郵政再改革だけが粛々と進められたが、これは小沢系の動きである。つまり、小沢系の仕事を除けば何ら実入りがなかったことになる。 鳩山政権崩壊前、普天間基地問題は自公政権時の辺野古案に差し戻された。続いて社民党斬りに向かった。れんだいこは、そのことの愚昧さもさることながら、その間の鳩山首相の朝令暮改ならぬマルチ舌に食傷した。一国の首相がああも口軽に発言し、すみません式訂正を繰り返すものではなかろう。れんだいこは、それを本質的に政治遊び人故と規定した。結局、この坊ちゃんは政治における信の重みを理解することはなかった。恐らく今後もそうだろう。 かくして、れんだいこのみならず人民大衆の不満は頂点に達した。これが引き金になり、参院選への影響もあり小沢幹事長が首を取りに行った。しかし、鳩山首相はタダでは転ばなかった。「小沢連れション退陣」を強いた。小沢幹事長はあっさりと「差し違い」を受け入れた。この間、ロッキード事件の再来かと思わせる与野党、マスコミ一致の「小沢悪玉論十字砲火網」が形成された。連中は、小沢が退任した今してやったりの美酒に酔っているであろうが酔い醒めの悪いことになろう。なぜなら政権交代効果機運は既に歴史的に不可逆的であるからである。シオニスタン派の政治遊びの余地は次第に狭まる。今から覚悟しておけ。マスコミ界のお調子乗り者どもが食傷される日も近い。 もう一つ確認しておこう。昨秋の政権交代以降、自公共が口先は違えど歩調を合わせて今日に至っている。テレビ討論などで与野党分けの席に自、公、共が並ぶと旧知の間柄の如く似合っているから面白い。それはそうだろう、「表の自公、裏の日共同盟」の鉄のブロックにより細川政権以来の政権交代が阻止され続けてきた。その仕掛けがはしなくも晒されているからである。共産党の党中央疑惑に向かう日も近い。れんだいこに云わせれば、共産党は1955年の六全協以来、極悪の野坂-宮顕コンビに党中央を壟断され、ネオシオニズム奥の院の指揮下に入っている。共産党と云う名を被せてはいるが実態はかっての民社党より右の親シオニズム党でしかない。 今や日本政治はシオニズム党化を競っている。自公共は完了している。民主党をこれに呼応させようとしているのが党内右派の諸グループである。管政権はこれにスクラムされて擁立されてようとしている。前途多難と云うべきだろう。最近生まれた諸新党も然り。政策を見れば良かろう。ついでに資金源を窺えば良かろう。彼らが「政治とカネ」問題を口にする資格があるのかどうか判明しよう。官房機密費問題で醜態を晒したマスコミ各社は「言論とカネ」問題で自浄化せぬまま、ほとぼりが冷めたと勝手に思ってか、最近になって疑惑のコメンテータがまたぞろ復活しつつある。政権交代永続革命により、こういう手合いを引きずりおろすに限る。日本にとって為になる政治、政党よ出でよの思いを強くする。 2010.6.6日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評744 | れんだいこ | 2010/06/09 21:50 |
【管政権出航に当たってのれんだいこ評】 2010.6.8日、電撃的な鳩山政権の崩壊を受けて管政権が後継した。鳩山政権の閣僚をほぼ引き継ぐと同時に官房長官に仙石、幹事長に枝野、その他野田、蓮舫、玄葉、安住等々マスコミ受けの良い且つ反小沢系を登用した。管政権は概ね好評で支持率を急速に回復させている。この政治劇をどう評するべきだろうか。れんだいこは、民主党総意による参院選シフト内閣と見立てる。鳩山政権下での選挙の突入は民主党の集団自殺であり、管政権創出はこれを未然に防いだ民主党の叡智政治劇であったとして称賛したい。まさに政治芸術であった。 滑稽なのは、鳩山政権下での民主党の凋落、党内分裂を期待していた自公、共産、その他諸新党の思惑外れである。管政権は、小沢批判に明け暮れる野党、マスコミ連合を逆手に取り、オールシオニスタン布陣で応えた。普通は、これで文句あるまいと思えるのだが、万年野党化しつつある自公、既に評論の態をなしていないマスコミは、これほど反小沢色を濃くした管政権に対しも相変わらず「小沢隠し」、「小沢の証人喚問」で応答している。頭脳のお粗末さがいやましに浮き彫りになる話ではなかろうか。 れんだいこは、こういう手合いが長らく日本政治を牛耳ってきたり、言論をリードしてきたことに怒りを禁じえない。彼らはどこまで日本のシオニスタン化を完遂すれば納得するのだろうか。日本の国家破産、これに伴う米英ユ進駐軍による直接統治の日が来るまで「小沢隠し」を云い続けるのだろうか。こうなるとこの連中は反小沢政治病者ではなかろうか。メガネの度が強過ぎよう。こういう手合いは治らないので今後は押さえつけるに限る。政界でもマスコミでも次の世代が登壇し仕切り直しに向かうべきだろう。 さて、そういう訳で残すところ1ヶ月余りとなった参院選の帰趨は決まった。後は選挙の日を楽しみにするばかりである。こうなると、敵がこの1ヶ月余の期間にどういう劇薬を仕掛けるのかである。民主党内シオニスタンがこれにどう呼応するのかしないのか、誰が呼応し誰が踏みとどまるのか、もう一つの政治芸術がこれから見えるであろう。 既に兆候がある。沖縄問題で社民党を斬り捨て、次に郵政問題で国民新党を斬り捨てようとしている。民主党を本体、社民、国民新党を両翼に従えた小沢式民主党連合政権構想が引き裂かれようとしている。トドメを指すのが消費税増税公約の打ち出し、高速道路無料化公約の更なる引き延ばし、その他政権公約の次から次への換骨奪胎であろう。全てが日本経済がV字回復しないよう、財政悪化が促進するよう、民主党連合政権が上から壊れるように仕組まれている。誰がこのシナリオを作り誰が推進しているのかは云うまでもない。 管政権が、これにどう立ち向かおうとしているのか。ここに関心が集まっている。管政権のオールシオニスタンキャスト布陣組閣が参院選用の為なのか、日本のシオニスタン化への転回としての小泉式政治の再来なのか、今は定かではない。恐らくワシントン-ホワイトハウスも頻りに探りを入れている筈である。鳩山首相のような「トラストミー証文」を手に入れたい筈である。そういう意味で、日本人民大衆から見てもワシントン-ホワイトハウスから見ても管政権の深謀ぶりが詮索されねばならない状況にある。或いは深謀はなくて単なるマスコミ受け狙いの短慮なのかも知れない。それにしても興味のわく探りである。 確かなことは、社民連上がりの首相が登場したことである。これは日本政治史上画期的で、マルクス主義のマの字も云わない革新系初の首相が誕生したことになる。そういう意味で社民連の能力が評価されることになっている。管首相が首尾よく政治能力を発揮すれば、日本の左派的政治変革にマルクス主義は不要であったことになる。逆は逆になる。そういう関心が生まれている。れんだいこは、マルクス主義と無縁の日本の左派的政治変革は可能であると考えている。但し、その際の日本式革命は西欧被れではなく在地土着的な共生秩序型衆議政治によって導かれるべきだと考えている。西欧型議会制民主主義の理念は、日本型革命の伝統の中に組み込まれてこそ花が咲くと考えている。その際、かっての池田-田中-大平政治が大いに参考になると考えている。 ところが、現代日本政治は、かっての戦後保守主流派のハト派政治を否定し、岸-中曽根-小泉政治のタカ派政治の尻馬に乗って単なる権力利権闘争にうつつを抜かしているように思える。民主党政治は今日まで、明らかに質の違うこの両者の政治のどちらを継承しようとしているのかが不明である。戦後日本政治の底流は、池田-田中-大平政治と、岸-中曽根-小泉政治が対立抗争しているのであって、この問題意識なき政治はあぶくでしかない。管政権政治は今のところ色を見せていない。不見識のまま手綱を取ればいずれ股裂きの刑に遭うであろう。以上を管政権出航時のれんだいこ評とする。 2010.6.9日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評745 | れんだいこ | 2010/06/12 13:54 |
【早くも危うし管政権考】 管政権は滑り出し上々で出航したが、れんだいこには早くも次第に不快指数が上がりつつある。管政権は発足と同時に郵政再改革法案の先送りで亀井郵政相辞任を余儀なくさせた。社民党は政権離脱し国民新党は引き続き連立維持模様という差はあるが、「鳩山政権に続き信の置けない管政権」ぶりが点滅した。許せないことは管政権が目下急速に政策転換を明らかにしつつあることである。次第に自公政権政策に疑似化しつつある。こうなると昨年の政権交代が何の為の政権交代であったのか、単に自公に代わる民主のポスト争いでしかなかったのではなかろうかという次第になりつつある。政権交代が政治闘争ではなく所詮はポスト狙いの権力闘争でしかなかったと云うことか。ならば政治が遊びにされているということになる。 問題は、管政権が何故に参院選前にこういう政策転換を表明しつつあるのかと云う疑念にある。思えば鳩山政権も、如何にして公約実現に向かうのかで苦労したのではなく、如何にして公約実現させないか、引き延ばすのかで時日を浪費した形跡が認められる。その結果、普天間問題、マルチ舌その他で自爆したのだが、辞任に当たって小沢幹事長を巻き込んだ。それは鳩山前首相の政治の私物化性を示していないだろうか。手前が自爆しただけのことであるから手前が責任をとって辞任し、後を仮に今の管政権に譲った方が更に支持率が上がっていたのではなかろうか。それを小沢幹事長辞任に持って行った鳩山の処理が臭いと云うべきであろう。 管政権は、何故に鳩山政権のハトタカ釣り合いの政権人事にすることなく一方的なタカ派に布陣したのか、これも臭い。但し深謀遠慮があるのなら許される。実際、これにより支持率がV字回復したことを思えばまま許される。許されないのは、何故に早々と消費税増税アドバルーンを上げ、高速道路無料化公約に沿う線での新料金政策を先延ばし続け、子供手当等々公約実現に幻滅を誘うよう仕掛けているのであろうか。財源問題を云うのであれば、大ナタとしての軍事防衛費の削減、公務員給与の上級職高給与削減、天下り給与、退職金の谷渡りにメスを入れる事を宣明しないのであろうか。れんだいこならずとも不審の念を抱くのではなかろうか。 要するに、鳩山-管政権は、「上から政権交代効果幻滅」を画策しつつあると云うことではなかろうか。決して政権交代公約の実現に汗をかいているのではない。ここを確認することが肝要であろう。この現象を誰かネオシオニズム論を媒介せずに解くことができるだろうか。ネオシオニズム論を媒介すれば、日本の国家的解体溶解、政財官学報司六者機関の「上から御用聞きシオニスタン政治」ぶりが容易く解ける。社民連出自の管首相が、その右派系市民運動のなれの果てにネオシオニズム陣営に加わった転落の様を見て取ることができる。管政権が今後、参院選が近づけば近づくほど意図的故意に政権交代政権に冷や水を浴びせ始め、自ら毀損する行為に出るだろうことも予見できる。それはなぜか。日本政界を裏でコントロールする国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの要請であるからである。この指令により、脛に傷持つ凶状持ちにされた与野党問わずの政財官学報司六者機関シオニスタンがうごめく醜態を見て取ることができるだろう。 「小沢悪玉論」は、この勢力により仕立てられた虚報である。にも拘わらず、シオニスタンマジシャンが手を変え品を変え「小沢悪玉論」を振りまき続けるであろう。これとどう対決するのか、これが問われている。れんだいこは、まずは分かり易く解かねばならないと考える。「小沢悪玉論」をリトマス試験紙にして、これを唱える者をシオニスタン組、これに異議を唱える者を在地土着派組と仕分けして、人民大衆がシオニスタン組の宣伝に騙されている事態に対し早急に対抗打開策を講じなければならないと考える。その主要な武器としては言論戦しかない状況であるが。 本来は、シオニスタン勢力の資金量に対抗する資金を生みだしていなければ闘えない。なぜなら政治には表でも裏でもカネがかかるとしたもんだから。しかしながら長年の金権政治批判運動で、シオニスタン勢力の資金問題には向かわず他方で、在地土着派組の資金調達には「天の声」まで詮索し、お陰でめっきり細った資金で闘わねばならない破目に陥らせられている。つまり軍資金が足りない。これが「政治とカネ批判運動」の実践的帰結である。どうしてもこれを主張してクリーン政治を願うなら、シオニスタン勢力の資金問題をも俎上に上げ、同時に批判して行くのが筋であろう。シオニスタンは両足両手、在地土着派は片足片手でケンカせねばならないとすれば勝てる戦も勝てない。これは自明の話である。 もとへ。「小沢悪玉論」は当然「角栄悪玉論」と連動している。我々は今こそ、この虚報を覆すべきではなかろうか。れんだいこは、角栄についてはサイトで公開している。早く戦後日本が輩出したこの異能偉才の大衆政治家を復権するよう、角栄が指針した青写真に基づく政治に向かうよう求める。日本列島改造論は必読の書であり、日本再生のキーである。地方分権、都市と地方の合理的関係のさせ方、日本の今後の生きる道筋等々を何と1970年初頭で予見的に示している。今に通用するバイブルである。このことを喧伝し認識を転換させるのが我々の運動の勝利の方程式であろう。 知るべきは、誰が憲法改正、これに基づくシオニスタンの傭兵としての自衛隊の常時武装海外派兵を画策しているのか。消費税増税、その他公租公課の増税による人民大衆生活の破綻、棄民化を誰が画策しているのか。中小零細企業の斬り捨て、大企業の優遇化、これに伴う外資の導入、企業乗っ取りを誰が画策後援しているのかということである。こういうことを掻きだせばキリがない。恐るべき売国、日本国溶解のワナが仕掛けられており着々と行動計画が敷設されていることを知るべきであろう。 この認識に照らす時、この道に自ら乗り出そうとしている管政権の危うさが見て取れる。政権交代政権は良し、されど左バネの支えなくしては意味がない。心してウォッチし続け、いきなりの暴動は無理でも再度の投票一揆を起す必要があろう。我々の票はどこに向かうべきだろうか、これを議論せねばなるまい。 2010.6.12日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評746 | れんだいこ | 2010/06/12 22:10 |
【鳩山、管の所信表明演説の物足りなさ、角栄のそれの素晴らしさ考】 2009年の政権交代により鳩山民主党連合政権が生まれ、鳩山首相は「友愛政治」を詠った。続く2010.6月の突然の鳩山首相-小沢幹事長同時退任劇を受けて管政権が誕生し、管首相は「リーダーシップ政治」を打ち出した。物足りなさを覚えたれんだいこはふと田中角栄の政治を仰ぎ見たくなった。角栄は、首相就任直後の所信表明演説で「決断と実行の政治」を詠っている。 比較するに、鳩山、管のそれの総花的言葉遊びの感触を得るのに対し、角栄のそれは簡潔明瞭、数等倍もより人民大衆生活擁護的である。興味があれば下記の演説で確認するが良かろう。問題は、既に角栄の立派な所信表明演説内容が呈示されていると云うのに、自公からの政権交代を掲げて登場している鳩山、管が何故にこのラインから大きく後退した線しか打ち出せないのであろうかということにある。誰か、この問題を解いて見せてくれないだろうか。資質問題に拘わることではなかろうか。 「1972.10.28日、第70回国会に於ける角栄の初の所信表明演説」 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/enzetu/syoshinhyomei.htm) 付言すれば、角栄は、所信表明演説で約束したテーマを次から次へと履行していることである。中国との国交正常化、成長経済政策の維持、国土の均衡ある発展、魅力的な地方都市育成、社会保障・年金・医療制度の充実、高齢者の雇用対策、公務員給与の改善、公共投資の充実による社会資本整備、平和憲法の擁護等々を目標に掲げ、単に口先で云うだけでなく具体的な施策を講じている。鳩山には耳が痛いだろうが、次のように述べている。「政治家は、国民にテーマを示して具体的な目標を明らかにし、期限を示して政策の実現に全力を傾けるべきであります」。 以上は前置きである。ここでは、「ポスト佐藤の政権取り抗争に於ける角栄の対福田先取の是非」を考察しておきたい。今まで考察したかったのにしていなかった。ここで取り組む。世評の一部では、ロッキード事件で潰された角栄に対し、年の若い角栄が先に福田に譲り、その後に政権取りに向かうのが順序であり、これを顧慮しなかった角栄の自業自得であるなる論を唱えている者が居る。結果論で云えば一理ありそうではあるが正論であろうか、これを問いたい。これを逆に云うと、角栄はなぜ福田より先に政権取りに向かったのか、その真意は奈辺にありやということになる。れんだいこはずっと気になっている。誰か、これを解いて説いてくれないだろうか。 れんだいこが思うに、角栄と福田では、同じ自民党の且つ同じ佐藤派の重役でありながら、歴史観、社会観、政治観、それらを一まとめにしての政治哲学が違い過ぎていたのではなかろうか。それ故に、角栄は福田に政権を渡せなかったのであり、福田に先んじて角栄政治を実践敷設したかったのではなかろうか。角栄にとって、政治の内実はそれほど真剣なものであり、年齢の順序による政権たらい回しなぞ許されなかったのではなかろうか。これが角福戦争の真意であり、政治史的位置づけになるべきではなかろうか。 では、福田と角栄の政治にはいかほどの間隔があったのか。これを見ていおくことは興味深いが紙数を増すので割愛する。要するに、福田政治は官僚派のそれであり体制的であり且つ現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義の御用聞きとセットされたものであった。他方、角栄政治は党人派のそれであり新体制的であり且つ国際金融資本帝国主義と対抗する在地土着派的な民族主義のものであった。この原理的な対立が両者を非和解的にしたのではなかろうか。 もとより政治的な意味においてである。実際の両者は同じ自民党の同じ佐藤派の席を並べ合う仲であり、大人の芸でほどよく付き合っていた。日本政治の特質である半ば抗争半ば和睦と云う高等な暗闘関係を維持していた。その両者であるが、ポスト佐藤の後継争いの段になると両者申し合わせた上で死闘戦に及ぶことになる。これに決着するやルールに従う。勝者側の角栄は敗者を人事で労り、禍根を和らげて行く。決して勝てば官軍の論理で非情の采配を振るうことはない。まさに大人の政治芸を史実に刻んでいる。自民党が長らく政権を保持し得た秘密がここある。つまり政治能力が高いと云うことであろう。 れんだいこは、ポスト佐藤を廻る政権取り抗争出馬時、角栄が何故この争いに向かったのかの角栄語録、決意表明文を探しているが手に入らない。誰かに教えてくれないだろうか。これをなぜ欲するのかと云うと、角栄政治が如何にマジメなものであったのかを確認する為である。今日びの甘ちゃん政治の姿勢との違いを確認する為である。今や政治家は口をそろえて「政治とカネ」を頻りに云い、クリーン政治を第一に掲げる。しかし出てくるのは、マミー献金であったり、仮想事務所経費であったり、漫画やキャミソール代の経費計上であったりする。この連中が、小沢前幹事長の秘書寮建設の経緯に口を尖らせ、説明責任を唱えて憚らない。 れんだいこは、その要因は本質的には政治の遊び人性にあると考えている。政治にマジメであれば、自らがマミー献金、仮想事務所経費計上、漫画やキャミソール代経費を計上している場合には、「政治とカネ」問題では黙して語らないものである。それが実際には手前の不祥事が露見するまで他者に対しては説明責任ありと批判し抜くのが相場となっている。そんなみみっちいことより私の政治の質を見てくれ、そこで評価してくれと開き直るのならまだ良い。そうではなく、説明責任あり、役職辞任当然、証人喚問の要あり、議員辞職せよとして訴追運動に精出す。この手合いが如何に精力的にクリーン政治を弁じようとも、人間性に於いてそもフマジメと云うべきではなかろうか。 なぜこういうことを敢えて記しておきたいのか。それは、昨今ブーメランが手前の頭上に降りかかってくる者が多いからである。野党の自公がクリーン政治を云うのはお笑いでしかないのに、よほど野党ボケしたかクリーン政治の裾を引っ張って放さない。昨今の自民党諸君は口を調法に回す者が政治家とでも思っているのだろう。そういう政治家ばかりになっている気がする。連中がマジメそうにクリーン政治を云えば云うほど、ブーメランが戻って来た時に当たらなければ良いのだが心配してやらねばならない。世話の焼ける御仁たちではある。 もとへ。こうなると我々は、マジメさとはどういう意味なのか、根本から考察し直さなければならないのではなかろうか。その際、角栄政治のマジメさは鏡になると思う。よしんば二号をもとうが三号をもとうが、政治におけるマジメさは何ら毀損されない、と、れんだいこは考える。違うだろうか。最近は安っぽい正義派が多くて困る。これもネオシオニズム派が流行らしているように思えるのではあるが。なぜなら、かの著作権も連中がもたらしてきたものであり、当のアメリカではかっての著作権万能社会から抜け出しを始めているというのに、日本ではさぁこれからますます強化しようと云うのだから、トラック競技に例えれば既に二周ほど遅れ過ぎていることになる。よってレースにならない。この手合いが殊のほか安っぽい正義を好む。この安っぽい正義が徘徊しており、本当の政治に向かっていないように思えて仕方ない。 以上、十分ではないが云いたかったことを云い得たと思う。どなたかの参考になればよいとも思う。 2010.6.12日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評747 | れんだいこ | 2010/06/13 20:38 |
【二宮尊徳、田中角栄の流れを汲む政治こそ我々が待望している政治ではなかろうか】 2010年、新聞広告にちょくちょく三戸岡道夫著「二宮金次郎の一生」 を見かけるようになった。中曽根元首相が推薦人となってコメントしていたので、どうせ碌でもなかろうと思い無視していた。そのうち気がついた。著者の三戸岡道夫氏と中曽根の間には何の縁故関係がある訳ではなく、例によって中曽根がしゃしゃり出ているだけではなかろうかと。あるいは三戸岡氏を最大限に評価すれば、中曽根の評で売れ行きを伸ばそうとしたのではなく、中曽根に「二宮金次郎伝」 を読ませることで、更には評者にならせることでネオシオニズムエージェントとしての中曽根を逆オルグしているのではないかと。 実際のところは分からない。いずれにせよ、二宮金次郎その人を知っておくに越したことはないと思い直し、取り寄せ読了した。読んでみての感想は「読んで良かった」。三戸岡氏に謝しておく。同氏は、東京大学法学部卒業、協和銀行入行、副頭取を最後に退職の履歴を持つ著述家であり、二宮金次郎履歴を丹念に検証している。 読みながら考えた。二宮金次郎考サイトを起こし、その履歴を中山みき伝の中に加えたらどうだろうかと。1787(天明7)年生まれの二宮金次郎の方が1798(寛政10)年生まれの中山みきより12年早く生まれているが、ほぼ同時代を生きており、二宮金次郎の方が実務的な社会改革に乗り出し、中山みきの方が霊能的な社会改革派であったと云う系統の違いはあるが、思想はどちらも共生的で、比較して耳を傾ければ共に味わい深い。この二人が交わることは終生なかったようであるが、仮にもし相会していたら、どんな交わりを結んだだろうかと考えると興味深い。 そういう思いから、中山みき研究サイトに二宮金次郎考を加え、中山みきの履歴に二宮金次郎の動きをも書き込んで行くことにする。二宮金次郎単独の履歴を辿るより面白いと思うからである。そのうち二宮金次郎思想をも書き加えたいと思う。且つ同時代の農政家・大原幽学履歴をも記すことにする。実にユニークにして有益な試みであろうと自画自賛しておく。 二宮尊徳の思想は「二宮翁夜話」で知ることができる。弟子の福住正兄(ふくずみまさえ)氏が記したもので、かなり膨大なものとなっている。れんだいこがこれを確認するのに、「尊徳式世直し世の立て替え思想」と位置づけることができるように思われる。同時代の中山みきのそれ、大原幽学のそれと対比させてみれば面白いように思われる。 思えば、戦後政治家の偉才・田中角栄はこの系譜の者ではなかろうか。小沢一郎も又然り。どういう訳かマスコミは、こういう在地土着的な叡智を持つ有能な政治家を悪罵する。低能の故か、売文売弁しているのかは人次第であろうが、日本政治は基礎から見直ししないいけないのではなかろうか。菅政治の危なさを思うにつき、急がねばならない。菅は聞き分けができると信じている。 二宮尊徳考 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/ninomiyaco/top.html) まだサイトアップするには早いのだけれども。日々更新してそのうちサマになるようにする。 2010.6.13日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評748 | れんだいこ | 2010/06/15 22:31 |
【「れんだいこの2010.6.15デモ参列ならざる参列記」その1】
今年も6.15がやって来た。れんだいこは、「2004.3.20、イラク戦争開戦一周年国際反戦デモ集会」に東京へ向かったが、あれ以来参加できていない。気忙しいのと手元不如意が重なり、なかなか思いきれない。行けば行ったで必ず得るものがあるだろうに、今年もあっというまに6.15を迎えてしまった。今年の6.15はどんな按配なのだろうと気遣うが、まずはあのオールド全学連達がが互いの健康を祝し合っているだろうと推測する。若い頃によほどデモっていたのだろう年の割には健脚揃いなのに笑った。来年こそは行けたら良いと思う。 あの「6.15」はどういう意味を持っているのだろう。60年安保闘争世代は一様に「6.15」を引きずっている。蔵田氏の論考なぞ読めば、そのことが痛いほど分かる。今も苦吟しておられる。70年安保闘争世代のれんだいこは、史実を通してしか語れないが、連中は生身で体得している。但し、「6.15」の解釈を廻っては各人各様であり、未だに総括されていない。もとより、これが「6.15の歴史的意味だ」とする絶対的結論は望むこともあるまい。「銘々の6.15」があって良い筈である。よって、れんだいこの考える「6.15」も永遠に試論であり、それで良かろう。その試論であるが、れんだいこは、既成の学生運動論、左派運動論が見落としている格別の捉え方をしている。これをここで再度問いかけ、関心ある者からの評を聞きたいと思う。 60年安保闘争を最も精力的にになったブント全学連は、60年安保闘争後、五分裂した。よって五つの見方があることが判明する。ブント以外の革共同のそれ、日共のそれ、その他の国内左派のそれ、国外左派のそれという風に数えると、十有余の60年安保闘争論があることになる。その60年安保闘争論の芯を為すのが「6.15」であり、よって「6.15」を踏まえずには60年安保闘争は語れない。この位置づけだけは恐らくそうは異論あるまい。 れんだいこは、「6.15」をどう捉えるのか。それは、運動主体側の理論がどうであれ、政治実践的には戦後ネオシオニズム直系の岸政権を打倒せしめ、ハト派政権を呼び水した極めて英明な人民大衆闘争であったと位置づけている。幕末までの百姓一揆、戦前の農民一揆以来の伝統を継ぐ労学一揆であったと評している。この労学一揆は、戦後ネオシオニズム直系の岸政権を打倒せしめ、自民党内護憲派のハト派政権を呼び水した点で、極めて有益な闘争であった。かく評している。 これを更に煎じつめれば、こういうことになる。戦後日本は、戦前の天皇制支配秩序、大東亜共栄圏運動の束縛から抜け出し、代わりに反戦平和運動、戦後憲法新秩序へと転換した。もとより手放しで礼賛できるほど甘くはない。戦勝国側が戦勝国特権として敷設したのがネオシオニズム支配体制であり、戦後日本は大枠では全てこの秩序枠の中に組み込まれた。よって、そのクビキの下での反戦平和運動、戦後憲法新秩序を御神体にしていたと捉えるべきだろう。 この矛盾がその後に政治運動の型と質を規定している。戦後日本は、用意周到に仕掛けられたネオシオニズム支配秩序と、それに同調する反戦平和運動、戦後憲法新秩序と、それを食い破る反戦平和運動、戦後憲法新秩序の三極下で政治運動が進展して行くことになった。これを食い破る系にブント全学連運動が位置していた。れんだいこ史観は、そのように捉えている。ここでは「6.15」の歴史的意味を捉えようとしているので、ブント全学連運動に焦点を合わせて評して見る。 ブント全学連運動は、60年安保闘争後、その総括を廻って五分裂した。最左派の観点から「もっと激しく闘うべきであった」として執行部の日和見性を衝いたのが革命の通達派(東大派)であった。これに対して、右派の観点から、「組織温存の観点が欠落した一揆主義であった」として執行部の急進主義性を衝いたのが戦旗派(労対派)であった。この両派の中間に立って「ブント=安保全学連の闘いは正当に評価されるべきだ」と主張したのがプロ通派(学連書記局派)であった。この三派の抗争に距離を保ち60年安保闘争後の新たな陣形を欲していたのが明大、中大ブントであり、関西ブントであった。この系譜が第二次ブントを創出して行くことになる。抗争三派のうち、革命の通達派は空中分解し、戦旗派は逸早く革共同全国委に吸収され、プロ通派も後追いして革共同全国委に合流して行くことになる。 この流れをどう読むべきか、つまりどう評するべきか。この総括が未だできていない。驚くべきは、60年安保闘争時の活動家自体が未だに評する視座を求めて彷徨っている情況にある。70年安保闘争時の活動家のれんだいこが、これを評せんとして登場するのは奇異ではあるが、そういう事情によって致し方ないということになる。敢えて弁護すれば、何事も渦中の者より距離を置いた者の方が能く見えると云う場合があると云うことであろう。 という訳で、れんだいこが60年安保闘争の歴史的意義及び限界を評して見ることにする。れんだいこ史観によれば、60年安保闘争の総括は、プロ通派が正しい。即ち「ブント=安保全学連の闘いは正当に評価されるべきだ」と評したい。従って、プロ通派が革共同全国委に合流したのは大きな間違いであったと考える。これにより、分裂解体したブントの再建を明大、中大ブント、関西ブントが担ったのは正しい。但し、それはブントの再建を担ったのが正しいと云う意味であって、ブントの理論が正しいと云う意味ではない。理論のお粗末さにも拘わらずブント運動の歴史的功績を感覚的に認め、その運動を継承せんとした感性が素晴らしいと云う意味での評である。 第二次ブントは、その後も「6.15」を求めて彷徨い続けることになった。その過程で分裂に次ぐ分裂を繰り返し、最後に最急進主義派としての赤軍派を生みだし、その赤軍派も今日的には破産し潰えている。ならば第二次ブント反赤軍派系が何らかの党派能力を維持し今日まで辿りついているかと云うとめぼしい党派は見当たらない。中には、党派ごと転向声明している部分をも生み出している。れんだいこは、この状況で、思考を再構築せんとしている。第一次ブント、第二次ブントの感性や良し、然るにあらゆる実践で破産しているのは偏に理論の間違いによるのではなかろうかと。 2010.6.15日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評749 | れんだいこ | 2010/06/15 22:40 |
【「れんだいこの2010.6.15デモ参列ならざる参列記」その2】
ならば、どこがどう間違えているのか。これを確認しておく。紙数の限りがあるので結論のみ記す。戦後日本の左派運動は、そもそもに於いて戦後日本の規定を間違っているのではなかろうか。れんだいこの学ぶところ、マルクス主義理論においては、ロシア10月革命以来、世界は資本主義対社会主義の枠で抗争しており、戦後日本は資本主義体制であり、この社会の様々の矛盾、軋轢は資本主義体制打倒によってのみ根本解決する。その手法は穏和系の議会主義的平和革命、中間係の敵の出方論、急進主義系のプロレタリア独裁革命の三理論に分かれ、それにより戦略戦術を異にしている。その後の社会主義圏の中ソ対立により、親ソ派、親中派、西欧コミュニズム間の理論対立もある。しかしながら、各派とも戦後日本=資本主義体制論であることでは一致している。 れんだいこは、そもそもここが間違いではないかと思っている。戦後日本資本主義体制論はマルクス主義経典読みのマルクス主義知らずの愚を犯しているのではなかろうか。本来のマルクス主義に従うと、戦後日本は国際金融資本帝国主義のクビキ下に置かれていることにより複相しているが、理論的にはプレ社会主義体制として位置づけられるべきではなかろうか。特に戦後憲法秩序的にはそうであり日米安保体制的には資本主義になると云う二面構造を示しているが。 この位置づけによると、日本左派運動は、世界史的に先取された戦後日本のプレ社会主義を護持、成育受肉化して行くのが目指すべき実践となる。つまりなべて反体制ではなく、プレ社会主義体制面では護持派、日米安保体制面では反体制派として実践して行くべきということになる。幸いなことに戦後日本は進駐軍時代より間接統治となったる。日本左派運動はこれを見抜き、政権取りを第一任務とすべきであった。だがしかし、この試みは、戦後直後の共産党運動を指導した徳求-伊藤律党中央時代を除いて記録がない。つまり、左派は永遠の外野席からの批判者に甘んじ、且つそういう風に仕向けられている。それも、急進派になればなるほどブルジョア議会ナンセンス論の色を濃くするので余計にそうなる。れんだいこは、ここが違うと見立てている。 さてそうなると、体制側の権化たる政府自民党の1950年代から70年代までを主流派として維持したハト派系政治と何者だったのかと云う問いが出てくる。れんだいこは、体制側の顔をしたネジレ左派であり、本来の左派が政権取りを狙わなくなった代わりに政権を担い、曲がりなりにもプレ社会主義体制を護持、成育受肉化せんとしていたのではないかという仮説に辿り着いている。このネジレ左派政治は1970年代の田中派-大平派により頂点に達し、1976年のロッキード事件によって鉄槌を食らう。興味深いことに田中派-大平派の選挙運動のスタイルは何とも人民大衆的である。彼らは支持者と膝を交えて政治政局を語り合うのを悦びとしている。 さてそうなると、そのロッキード事件時に最も強硬に田中角栄の政治訴追運動を担った宮顕-不破党中央の日共とは何者なのかと云うことになる。れんだいこは、左派側の顔をしたネジレ右派であり、口先では民主主義擁護をあれこれ述べるものの実践的には現代世界を牛耳る国際金融資本の左からの御用聞き派ではないかとみなしている。興味深いことに日共の党内支配、選挙運動のスタイルは何とも権力統制的排他的で反人民大衆的である。彼らは支持者に対して一方的に語るが、膝を交えて政治政局を語り合うのを不得手としている。 もとへ。ロッキード事件以降、政府自民党の主流派になったのがタカ派系の福田-中曽根派であり、以降この系譜が政権を担い続けることになって今日へと至っている。これを思えば、「1960.6.15」で自民党内ハト派を政権に呼び込んだ第一次ブント、ロッキード事件で自民党内タカ派を政権に呼び込んだ日共という鮮やかな対比が見えてくる。れんだいこ史観によればそうなる。 ブント自身が、こういう風に位置づけていないのでお話にならない。途中、田中派出自のは竹下、大平派出自の宮沢が登場しているが、福田-中曽根連合に身売りした内通派として一時の政権に与ったものでしかない。この自民党タカ派主流体制に風穴を開けたのが細川政権であり、久方ぶりの昨年の鳩山政権である。これをプロデュースしたのが角栄チルドレンの小沢であり、その小沢は常に悪玉説で政治活動を掣肘され続けている。 れんだいこによれば、戦後日本は、プレ社会主義体制を廻って護持派と解体派が相克している。小沢はかっての自民党内ハト派主流派時代の最期の政治家である。鳩山を後継した菅政権は、その小沢をどう処遇しようとしているのか。真相は来る参院選、その後の政局で見えてくるであろう。政治はまことに面白い。 「6.15」を担った第一次ブントは、第二次ブントに至っても、こういう政治の流れに無自覚であり、よって何らの生産的運動を創出し得ていない。そういう意味で今日の不遇は理論の間違いによる自業自得ではなかろうかと思わせていただいている。しかしながら、れんだいこは、ブントの感性が好きである。人間的にも面白い人物が多い。そのブント運動を目の敵にして党派形成している日共、革共同のそれは胡散臭い。今後、日本左派運動が再生するとしたなら、このブント魂、ブント精神を経由してのみ可能ではなかろうかと思っている。 というようなことが云いたかった。一応云いたいことを云ったので、これでお仕舞いとする。これを「れんだいこの「2010.6.15デモ参列ならざる参列記」とする。 2010.6.15日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評750 | れんだいこ | 2010/06/17 21:19 |
【菅政権に対するれんだいこ書簡-和魂洋学に立ち戻れ。その1】
今れんだいこはなぜ二宮尊徳に学ぼうとしているのか。三戸岡道夫著「二宮金次郎の一生」により履歴を知り、「尊徳夜話」を読む進めて行くうちに、これは三戸岡氏ならずとも大いに称揚して行くべしと思うようになった。現下の財政破綻期の日本には特に尊徳思想の処方箋が必要なのではなかろうか。このところ自公政権以来の給付金バラマキ政策が続いているが、れんだいこの理解する尊徳思想によれば邪道なものでしかない。 れんだいこの理解する尊徳思想によれば、こういう時期にあっては軍事防衛費等々非生産的経費の総量規制に断固たる大ナタを振るい、代わりに民力向上の諸施策に向かわねばならない。あくまでも期すべきは税収の自然増であり、その為の諸施策を講ぜねばならない。その為に真に必要な公共事業を大いに盛んにし、同時に農工商の経営環境を好転させるべく、それを阻害しているものを除去せねばならない。今日的には原始的な財政再建策であるが、基本はこうでなければなるまい。れんだいこの眼には、累積国債と消費税が大きなガンになっているように思われる。これに依拠しない財政策こそ真の政策であり、逆は逆であるように思われてならない。 目下の問題で云えば、菅政権の消費税増税による財政再建政策は打つ手が逆であり危うい。恐らく、国債累積推進と消費税導入派の口車に乗り、更なる失態を演じようとしているように見える。類は類を呼ぶの法理で云えば、菅も同じ程度の頭脳と云うことであろう。角栄、尊徳先生のツメの垢でも煎じて飲めば多少は効くのだろうが、反角栄、反尊徳政治を目指すことで正義ぶる折柄、漬ける薬はないと云うべきだろう。 思えば、尊徳思想とは、幕末の黒船渡来以来急ピッチで浸食し始めた西欧思想と云う名の実はネオシオニズム思想に汚染される前の原日本人的土着思想に基づく幕末版社会思想なのではなかろうか。原日本人的土着思想は本来体得感応すべき不文のところ、弟子の手により膨大な教話を遺して明らかにしている点で「尊徳夜話」の価値は高い。且つその思想の質の高みが、混迷窮地に立ち至っている現代日本を脱する処方箋を呈示していると思われる点で、日本総国民の必須指定学習文献とすべきではなかろうか。尊徳思想は学び実践し伝えられて行くべき日本の宝であり、これを絞殺してきた歴史こそ不審の眼で見直さねばならないのではなかろうか。 れんだいこは自今、尊徳思想をもっと学び、れんだいこの時事評論の随所に尊徳思想の諭しを入れて行こうと思い立った。外来思想の警句で味付けする政治評論家が多い今日ではあるが、日本にも内部から自生した勝れた文句があることを知らしめようと思う。外国文明を排する為ではなく、日本文明にも精通してこそ意味があることを知らしめんが為である。日本の自由、自主、自律は言葉から思想から始めねばならぬ。そういう思いから今後、角栄、尊徳思想を広めて見たいと思う。れんだいこ的には、中山みき思想と角栄思想と尊徳思想をミックスさせた政策を生みだして行くのが日本再生の真の処方箋ではなかろうかと思っている。 以上が総論であるが、尊徳思想をもう少し詳しく概括しておく。尊徳思想の特質は、幕末日本の農事、工事に適用した実践訓話集で、いわば縄文的土着思想の高度性を称揚し、この思想で導かれる穏和的な世直し、世の立て替え思想であると規定できよう。尊徳思想を如実に伝える「尊徳夜話」では全編で、原日本人的土着思想の質の高みからの農事、工事の指導、地域、藩の再建、ひいては世直し、世の立て替えを指南している。これを説く為に時に外来の仏説、儒説、古典中国思想を引用しているが、それらは見事に尊徳思想に焼き直され、咀嚼吸収された上で紡ぎだされている。あるいは時に、神、仏、儒思想の限界をも指摘して、尊徳思想の実践的有効性を自尊している。全て尊徳の経験に裏打ちされた諭しとなり且つ実践の手引きとなっている。ここに尊徳思想の特質がある。これだけの思想、教本を学ばぬ手はなかろう。 れんだいこは、尊徳思想とは役行者(えんのぎょうじゃ)の幕末再来ではないかと比定している。役行者を知らない方の為に付言しておけば、聖徳太子以来の、最澄、空海に先立つ中間にあって、日本式仏教の型を創造した真の開祖であると規定できる。役行者あればこそ最澄、空海式仏教が生まれ、仏教の日本化としての独特の神仏混淆宗教が創造された。その元一日の開祖の地位にある人物である。二宮尊徳をして、その役行者の幕末版と云えば褒め過ぎだろうか。あながち的外れでもない気がする。少なくとも、二宮尊徳と大原幽学と中山みきを合わせれば、この云いは決して大袈裟ではなかろう。してみれば、今更ながら幕末時には数多くの役行者が生みだされていたことに気づかされる。 役行者については「山伏修験道考」で推敲しているので、興味があれば読めば良かろう。 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/kodaishico/nihonshindoco/yamabushisyugendoco/yamabushisyugendoco.htm) 日本史は窮地に陥るやそのつど、類まれなる英明思想とそれを体現する政治家を生みだして乗り切って来た。その源泉はいつも原日本人的土着思想とも云える縄文思想であり、そこから叡智を汲みだして来た。社会状況の違いを踏まえ、古来よりの伝統思想を新しい時代に合わせ、適切な処方箋を生みだして来た。役行者を始祖とする山伏修験道の系譜は、その際の源泉である。れんだいこが山伏修験道に注目する所以であるが、明治維新以降、山伏修験道は弾圧されてきた。その理由をも問わねばなるまい。これについてはいつの日か論じたみたいと思う。 2010.6.7日 2010.6.17日再編集 れんだいこ拝 |
(私論.私見)