カンテラ時評37(1081~1110)

 (最新見直し2010.07.21日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 2007.3.24日 れんだいこ拝


 れんだいこのカンテラ時評№1081  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月13日
 第46回2012衆院選、終盤情勢考

 第46回2012衆院選は、いよいよ大詰めを迎えた。序盤情勢は、与党民主党野田政権の上からの反革命解散より旧政権側の自公にフォローの風を吹かせた。基本的にはこの構図が終盤に至っても変わらないまま投票日を迎えることになった。

 この構図安定化の為か、第3極の未来の党に対する関心を生まさせない為にか、特にテレビで顕著だが前代未聞の報道抑制が続いている。朝のニュース番組の三羽ガラスの朝ズバが少し触れ、特ダネがかする程度に触れ、モーニングが未だ無報道である。夕方、夜のニュース番組では採り上げているのかも知れないが異例中の異例な不祥事が続いている。当然のことながら恒例の激戦区、接戦区、面白選挙区等を廻る報道さえない。マスコミのこのような報道姿勢が厳しく問われるべきだろう。

 だがしかし、そういう報道管制を突き破り、未来の党が着実に支持を広げている。最終盤で当選見込みへと駆け込みそうな気配が認められる。この声がこだまとなるには時間がないが、切迫した時間に合わせて次第に響きつつある。

 逆にマスコミ鳴り物入りで登場した維新の会は急速に失速し、既に息切れしている。既に石原と橋下の二人の間のみならず、特に比例での天下り候補の不正を廻って党中央と立候補者間で内紛模様でさえある。マスコミ各社がなお幻想を振りまいているが、本物の未来の党が輝きを増しているのに比してニセモノのメッキが剥げつつある。

 思えばマスコミは2009総選挙でも人民大衆の選挙熱を冷まそうと躍起になって様々な事件、事故、芸能報道に明け暮れた。こたびも同様のそらし報道を続けている。申し渡しておくが日本人民大衆はそうは馬鹿ではない。既に目くらましの術を見破り未来を見据えている。

 残念なことは、未来の党が勝利の方程式までは生み出していない。しかしこれは何も未来派の責任ではない。未来派は、小沢系生活第一党、亀井・山田系新党、河村系減税党、社民の阿部を合同せしめ小選挙区選挙制対応した。しかるに合同すべき余地が十分に考えられる共産、社民が相も変わらず背を向け、それどころか投票分裂を誘う乱立戦略に打って出た。共産の場合には2009総選挙にも増して選挙区候補を立て相変わらずの唯我独尊に耽っている。度重なる供託金没収を意に介さないこの党の財政の仕組みが解せない。いずれこの仕掛けも検証せねばなるまい。

 共産、社民の対応は単に党利党略では説明できまい。投票分裂を企図する奥の院の働き掛けがあり、共産、社民の党中央がこれに呼応していると云うことではあるまいか。この闇こそ指弾されねばなるまい。大阪維新の会、東京石原新党の合同による日本維新の会の役割もそのようなものであり、野党側の投票分裂シナリオに沿うものとして了解すべきであろう。それが証拠に、日本維新の会の石原代表、橋下代表代行の舌鋒は自公民に対してよりも未来の党攻撃の際に激化する。推して知るべしであろう。みんなの党は、大阪維新の会との共闘に失敗し、且つ未来の党とのそれをも拒否し共産、社民並の単党主義を貫いた。吉と出るか凶と出るか分からないが渡辺代表の責任が重い。

 そういう結果として、旧政権派の自公大勝の構図となっている。これを突き崩すには我々の投票一揆しかない。2009衆院選の投票一揆は民主党フォローに向かった。2012総選挙では未来の党に向かう。今のところ爆発的なうねりにまでは至っていないが恐らく最終盤で未来の党へとなだれ込むことになるのだろう。その結果、未来の党の中核である小沢派が日本政治の一角に引き続き橋頭保を築くものと思われる。2009政権交代は当たり前の政治に戻す元年と為すべきところ、なり損ねた。その宿題を果たすべく未完の挑戦に向かうことになるだろう。

 以上の判断に従い2012衆院選の最終局面のれんだいこ予想をしておく。選挙区では自民230、未来100、民主60、維新30、公明15、みんな25議席前後が予想される。小政党は、共産5、社民1、日本1、国民新0、改革0、無所属3議席見当が予想される。未来の議席が減ずれば自民に加算される。自民の議席が減ずれば民主か維新に加算される。自民の大勝の原因は、小沢派を欠いた民主候補者のタマが悪過ぎることにある。興味深いことは、民主党内に残存した親小沢系候補に限って善戦していることである。菅、野田派は閣僚級を除き全滅するように思われる。

 この予想が当るか当らないか。当るも八卦当たらぬも八卦となる。その意味では参考でしかない。脱原発ベクトルが大きく働くとして未来100議席を予想したれんだいこ評が胸を張ることになるのか恥をかくことになるのか。マスコミ各社の意図的故意の自公+維新誘導報道よりは正確ではなかろうかと自負している。さあて、16日には早朝に連れ合いをけしかけ投票に行き、夜にはテレビ漬けとなってみよう。

 jinsei/



 訂正  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月13日
 第46回2012衆院選、終盤情勢考

 選挙区では→選挙区比例区総合で

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1082  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月23日
 第46回2012衆院選考その1、投票率の巻

 以下、後日の資料とする為に第46回衆院選を確認、検証、総括しておく。その1を「投票率の巻」とする。

 期日前投票は次の通り。全国で1203万9570人(←1398万4866人)、全有権者数の11.37%(←13.40%)、過去3回の国政選挙で最も多かった2009衆院選時より169万3796人減ったことになる(前回比13.91%減)。期日前投票率が最も高かったのは秋田の22.31%。低かったのは**。前回から増えた都道府県はなかった。期日前投票は2004年の参院選で導入され、その後増え続けてきた。前回の2009衆院選が過去最高で今回初の減少に転じた。在外投票の投票率は小選挙区19.97%、比例代表20.38%。

 気になることとして、選管がこういう数値を発表することは良いとして、更に期日前投票、在外投票の投票内訳を発表せねばなるまい。選挙の不正が噂されている折柄、あらぬ疑いを掛けられない為にも発表すべきである。今後は投票数、投票率、投票内訳を三位一体として発表すべきである。

 投票率は次の通り。投票は、全国300の小選挙区と11ブロックの比例区(総定数180)の議員を選出する為、2012.12.16日午前7時より全国各地の凡そ4万9000か所の投票所で始まった。即日開票される。総務省発表によると、午前10時投票率は全国平均で7・46%(前回2009年は13・19%)。午前11時投票率は14・03%(々21.37%)。午後2時投票率は27・40%(々35.19%)。

 投票は午後8時で締め切られるのが慣例のところ午後6時終了、午後7時終了とする時間繰り上げ投票所が増えた。投票終了時間は、開票所までの票の搬送時間などを考慮し、各自治体の選管が投票所ごとに繰り上げることができる。期日前投票の利用が浸透し遅くまで開票所を開くメリットが減っている、その他天候の判断によったものと思われる。

 最終的に投票率は小選挙区計算で59.32%となった。男女別投票率は男性が60.14%(←69.44%←66.80%)、女性が58.55%(←69.11%←68.18%)。当日有権者数は1億395万9866人(男性5020万4503人、女性5375万5363人)、このうち6166万9473人が投票した。

 2003年以来の60%割れとなり、1996年の59.65%を更に下回る衆院選戦後最低を記録した。前回の2009年衆院選は69.28%であり、194万4515人減、47都道府県全てで下回った。前々回2005年衆院選は67.52%。前々々回2003年衆院選は59.86%。投票率が最も高かったのは島根県の65.74%、次に山形県の64.86%、山梨県の63.67%。低かったのは高知県の53.89%。次に青森県の54.20%、栃木県の54.71%。

 選管の即日開票分発表にも意見しておく。選管は、投票率のみならず投票者数と投票総数の誤差率をも発表すべきである。これは不正投票、ミス投票等を監視する為に必要である。最近、選挙区と比例区の票を間違って渡すとか、二度投票さすとか、投票用紙を二枚渡すとか、従来ではあり得なかった不用意な手違いミスが頻発している。厳に戒めて貰いたい。投票箱の管理、投票の集計、無効票の確認も同様である。立会人のチェック体制機能を十分に発揮して貰いたい。これも選菅の重要な任務である。

 気になりだすといろんな不十分さが見えてくる。今日ではコンピューター集計も可能であるので、人間による手作業確認とコンピューター確認の両集計により万全を期すことが望まれているように思う。付言すればコンピューター確認のみでは却って不正の温床となるので両確認すべきであろう。

 最後に。投票率の低下をどう考えるべきか。政治的無関心層が増大していると考えるべきで、かってのような政治的関心層の積極的棄権によるとは考えにくい。このまま逓減が続けば普通選挙制の根底が崩れることになる。こうなると普通選挙制下での選挙人事前登録者制をも考えざるを得ない。登録者名簿に基づき投票用紙を発送すれば良く投票率も確かなものとなるように思われる。経費節減にも資するので大いに検討に値するのではなかろうか。

 なお、こたびの総選挙に於いて、いつもなら行っていた筈の総務省の投票呼びかけテレビコマーシャルがなかったと思う。あったのかも知れないが、午前7-8時帯にしかテレビを見ないれんだいこには確認できなかった。視聴率の高い時間帯に効果的な選挙公報をすべきではなかろうか。仮にテレビコマーシャルがなかった場合、その理由を開示させねばなるまい。

 もう一つ。今回の衆院選の小選挙区の投票総数は約6166万票、うち有効投票は約5962万票、無効票が約204万票、投票総数に対する無効票の割合は3.31%だった。小選挙区を導入した1996年以降で最も多く、これまで最多だった2000年衆院選の約187万票、2.99%を共に上回った。都道府県別では無効票の割合は高知が5.23%で最も高く、次いで大阪が4.62%、熊本が4.43%、東京が4.20%、佐賀が4.05%だった。最も多かった高知県の選挙管理委員会によると、無効票約1万7千票のうち約9千票が白票だった。政党を選ぶ比例代表の無効票は約148万票。無効票の割合は2.40%で、小選挙区の無効票の割合を初めて下回った云々。

 こうなると一言せねばならない。選菅は、無効票の内訳をも開示せねばならない。高知県選管によると「無効票約1万7千票のうち約9千票が白票」だったと云うことであるが、白票外が8千票と云うことになる。どういう無効票だったのかはっきりさせるに越したことはなかろう。我々は、未来の党の重点区であった岩手、埼玉、千葉、東京、神奈川、愛知の無効票をこそ知りたい。ぜひ情報を開示させねばならない。

 2012.12.19日 れんだいこ拝

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1083  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月23日
 第46回2012衆院選考その2、投票結果総評の巻

 その2を「投票結果総評の巻」とする。第46回衆院選の議席結果は次の通り。

 小選挙区300、比例区180の全480議席のうち、自民294(←118)、民主57(←230)、維新54(←11)、公明31(←21)、みんな18(←8)、未来9(←61)、共産8(←9)、社民2(←5)、国民新党1(←2)、大地1(←3)、新党日本0(←1)、改革0(←0)、諸派0(0)、無所属5(←8)となった。再政権交代により与党となる自公は、参議院で否決された法案を衆議院で再び可決して成立させることができる衆議院議席3分の2を上回る325議席を獲得した。第46回衆院選の各党獲得得票数は別表に記す。

 かくて2009政権交代の逆政権交代選挙となった。まるでオセロゲームのように民主党から自民党へと札が変わった。政権与党の民主党が有権者に不信任されたことになる。民主党は、3年有余に亘ってごく一握りの幹部で閣僚ポストをたらい回しにするメリーゴーラウンドで政治を私物化して来た。政治に於ける政治家発言がこれほど軽はずみにされた例はない。政治責任がなく言葉のあや的弁明に終始する政治遊びに終始した。その挙句、自公政治の方がまだましとして元の鞘に納まった感がある。

 れんだいこが窺うのに、こたびの解散は胡散臭いものであった。三代目の野田政権が意図的故意に御党を壊滅させる猿芝居を打ち、自公と通じて党内を騙しながら抜き打ち解散に出ている。意図的故意に政権を元の自公に禅譲すると云う寸劇を執り行った気がする。そういう意味で、野田首相そのものの胡散臭さが疑われる。野田首相はそもそも反革命式に御党解体の使命を帯びて党中央の座イスに座るように根回しされ登場してきた人物だったのではなかろうか。

 この観点から見れば野田政権の為したこと全体が胡散臭い。孫子の代にまでツケを及ぼさないと云う名目で消費税増税法案を可決させたが、原発については再稼働を画策し続けた。孫子の代にまでツケを及ぼさないのであれば原発再稼働など言語道断のところ優柔不断対応で終始してきている。辻褄が合わないこと夥しい。これに伴い同法案に反対した小沢派の追いだしを完遂している。冤罪が確定した小沢どんに対する執拗なバッシングを続け党外放逐したのも胡散臭い。代わりに公然と自公民体制を打ち出した。この間、民主党三代政権は、2009政権交代時のマニュフェストを反故し続け、その他民主党に幻滅を与えるような意図的故意の施策と発言を続けて来た。決して自然な流れではなかろう。

 但し、自公政治に食傷し、民主政治にがっかりした勢力を糾合した未来の党を支持する投票一揆は不発となり、未来の党は一敗地にまみれた。その未来の党に対抗する維新の会が第3極政党に躍り出た。未来の党と維新の会の中間に立ち、維新よりのみんなの党も躍進した。かくて2009政権交代が大流産し、元の黙阿弥あるいはそれ以上に反動化した旧体制が復活した。

 この結果をどう受け止めるべきだろうか。3.11福島原発事故に遭い、現に対応がままならぬ中で原発再稼働、増税政策、憲法改正、TPP推進を呼号した自民党が圧倒的な支持を受け政権復帰したが、これにき歴史責任を負うべきであろう。

 こたびの選挙期間中、選挙報道が極力抑制され、総務省の選挙公報もなく、真の第三極であった未来の党絡みの情報がほぼ遮断されると云う或る種報道管制が敷かれた異常下で選挙が執行された。その結果としての自公、維新、みんなの大勝であった。これを地団太を踏んで口惜しがるのが未来、共産、社民、大地の党であるところ、少なくとも代表レベルでは不思議と楽しそうなコメントをしている。それが証拠に大敗乃至じり貧したと云うのに誰も責任を取らない。ただ一人、民主の野田が辞任を余儀なくされたが、これまた後釜が同一系から選出されるようで何とも政治のお遊びの度が過ぎよう。

 しかし、それを幾ら強調したとしても事態は何ら変わらない。であるが故にむしろ新たに形成されつつある自公民体制、これを支援するマスコミの報道管制を打ち破れなかった側の主体的能力をも反省すべきだろう。ちなみに朝のニュース番組ではモーニングが一切選挙報道をしなかった。特ダネもほぼ同様にスル―し抜いた。朝ズバは辛うじて取り上げたものの第3極としての未来の党隠しに終始していた。

 この腐れメディアは、選挙結果が判明するやお祭り騒ぎで報道合戦する醜態を晒している。これを思えば、情報を公平に伝達する新メディアの創出が歴史的課題になったと明確に受け止めるべきだろう。これを総評とする。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1084  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月23日
 第46回2012衆院選考その3、各党寸評の巻

  第46回2012衆院選の各党の議席は次のようになった。これを各党別に分析する。

  最初に申し述べておくことは、新聞各社の事前予想がまたしても当たったことである。2005、2009総選挙の時もそうだったが各新聞社の予想は非常に正確ということになる。世論誘導するから結果が当たるのか、空気を的確に読むから当るのかまでは分からないが、ネット世論調査よりよほど正確と云うことが判明した。ネット世論調査の方に信を置いたれんだいこ予想の今後の自戒としたい。投票不正、開票不正の疑いもあるが確たる証拠がないので匂わせるだけとする。

 れんだいこ予想は、2005総選挙の時に大外れ、2009総選挙の時にほぼ的中、こたびの2012総選挙では大外れした。もっとも未来の大健闘に期待した分を自民に上乗せすれば辻褄は合っている。但し、維新と公明党の健闘は予想以上のものとなった。原発再稼働反対の声なき声が存在し、未来の党に結集すると見立てたのが誤りだった。この辺りもっとリアリズムに徹しないといけないと反省したい。それにしても、日本人民大衆の頭脳が予想以上にスポンジ化ピーマン化されつつある気がしてならない。普段からの寺子屋式政治学習の場を日本列島津々浦々に創建せねばならぬのではなかろうか。

 自民党は、選挙前勢力118議席を大幅に上回る294議席(選挙区237、比例57)を獲得した。小選挙区では300議席の79%を占めたことになる。比例は前回55議席を2議席上回る57議席にとどまったが、これは「選挙区は自民、比例区は公明」の申し合わせの影響もあるものと思われる。2009衆院選では、212→300→119議席(小選挙区64、比例55)の歴史的な大敗北を喫したが一気に挽回した。この時、岩手、秋田、福島、埼玉、新潟、山梨、長野、静岡、愛知、滋賀、長崎、大分、沖縄の13県の小選挙区で全敗し「空白県」となったが、こたびは逆にそれぞれ1議席以上を獲得し「空白県」を解消した。安倍総裁―石破幹事長体制が信認され組閣に着手した。特記すべきこととして2009総選挙で落選した元職議員、小泉チルドレンの相当数が復帰した。

 同党の小選挙区得票数は25.643.309票、比例区得票数は16.624.457票、票差は小選挙区基準で9.018.852票減。つまり小選挙区の約900万もの票が公明ないしは他党に流れていることになる。2009衆院選(以下、前回と記す)の小選挙区得票数は27.301.982票、比例区得票数は18.810.217票。これによればこたびの選挙で小選挙区得票数、比例区得票数とも約200万票減らしていることになる。にも拘わらず空前の大勝利とは怪奇現象が起っているとしか考えられない。小選挙区制の恐さでもあろう。

 公明党は、小選挙区に擁立した9人の候補者全員当選、比例区でも22議席を獲得し合計10議席増の31議席(選挙区9、比例22)とした。2009衆院選で落選した太田元代表、北側元幹事長が共に比例区重複保険を掛けない背水の陣を敷きながら見事に返り咲きした。天晴れと云うべきだろう。どこかの党に煎じ薬を飲ませたい。

 同党の小選挙区得票数は885.881票、比例区得票数は7.116.474票、票差は小選挙区基準で6.230.593票増。これは小選挙区を全員当選体制9名に絞り込んだことによるものであろう。前回の小選挙区得票数は782.984票。比例区得票数は8.054.007票。これによればこたびの選挙で比例区得票数で約100万票減らしていることになる。こちらも約100万票を減らしながら10議席増とは怪奇現象が起っているとしか考えられない。

 民主党は、2009衆院選の308議席、小沢系が抜けた後の公示前の230議席からみても4分の1以下の57議席(選挙区27、比例30)に大凋落した。前回は177→115→308議席(小選挙区221、比例87)となり歴史的な大勝利を収めたが、1998(平成10)年に現在の民主党が結成されて以来最低となった。これにより野田首相は即刻辞任を余儀なくされた。

 留意すべきは、辛うじて当選したのは鳩山、菅、野田政権下で要職に就きスポットライトを浴びた議員ばかりであり、冷遇された小沢系居残り組はほぼ完全に潰えていることである。要職者の中でもかなりの人数が落選しているが、小沢系居残り組の殲滅を思えばそれほどのことでもなかろう。かような憂き目に遭わされるのであれば後の祭りではあるが筋を通して小沢系がひとまとまりになり新党を創出した方が賢明だったのではなかろうか。

 同党の小選挙区得票数は13.598.773票、比例区得票数は9.628.653。票差は小選挙区基準で3.970.120票減。つまり小選挙区の約300万もの票が他党に流れていることになる。前回の小選挙区得票数は33.475.334票。比例区得票数は29.844.799票。これによれば、小選挙区得票数で19.876.561票、比例区得票数で20.216.146票減らしていることになる。どちら2千万票減と云う恐ろしい数字が出てくる。野田政権は、これを痛苦に受け止めているのだろうか、却って少数精鋭になったとして居直っているのであろうか気になるところである。

 以下、第3極政党を確認する。

 日本未来の党は、選挙前の61議席から9議席(選挙区2、比例7)に大きく減らした。小選挙区得票数で2.992.365票。比例区得票数で3.423.915票。票差は小選挙区基準で431.550票増。つまり小選挙区票を基礎票とした場合、空白選挙区から約43万票しか増やしていないことになる。これが実際なのかどうか俄かには信じ難い気がするのはれんだいこだけだろうか。実際であったとすれば、嘉田代表の訴求力が如何に弱かったかの責任問題に繫がるべきだろう。未来の党ついては別サイトで確認する。

 日本維新の会は、選挙前の11議席から54議席(選挙区14、比例40)に5倍増伸張した。比例代表で民主党を抑えて第2党の議席を獲得したほか全体の議席でも民主党との差が3議席に迫った。小選挙区得票数で6.942.353票。比例区得票数で12.262.228票、票差は小選挙区基準で5.319.875票増。つまり小選挙区票を基礎票とした場合、空白選挙区から約530万票増やしていることになる。未来の党との鮮やかな対比が確認できる。この党については興味がないので言及を轄愛する。

 みんなの党も選挙前の8議席から18議席(選挙区4、比例14)へと倍増した。前回の善戦に引き続き大健闘した。代表の渡辺が比例重複保険を掛けずに捨身で勝負した気迫が全軍を鼓舞したのではなかろうか。どこかの党の代表に煎じ薬を飲ませたい度胸であった。政策第一で安易な野合をせず単党主義で筋を通した結果の勝利であることを思うと更に興味深い。

 同党の小選挙区得票数は2.807.244票、比例区得票数は5.245.586票、票差は小選挙区基準で2.438.342票増。つまり小選挙区票を基礎票とした場合、空白選挙区から約240万票増やしていることになる。前回の小選挙区得票数は615.244票。比例区得票数は3.005.199票。これによれば、小選挙区得票数で2.192.000票、比例区得票数で2.240.387票増やしていることになる。どちらも約220万票増と云う数字が出てくる。こちらも未来の党との鮮やかな対比が確認できる。

 共産党は選挙前の9議席から1議席減の8議席(選挙区0、比例9)となった。この党は又も長期じり貧を繰り返す結果となった。捲土重来を呼号して且つ負け続けているのが既にお笑いの域に入っている。それでも宮顕、不破に続く同一系の志位執行部は続投意向を示しており党内権力を放さない。1955年以来60年有余、同一系執行部が続くと不倒最長記録を更新中である。これが党内で問題にならない特殊な党中央集中制タコ壺政党になっている。

 同党の小選挙区得票数は4.700.289票、比例区得票数で3.689.159票、票差は小選挙区基準で1.011.130票減。つまり小選挙区票を基礎票とした場合、約100万票減らしていることになる。前回の小選挙区得票数は2.978.354。比例区得票数は4.943.886票。これによれば、小選挙区得票数で1.721.935票増、比例区得票数で1.254.727票減らしていることになる。小選挙区で約170万票増加したのは候補者を増やしたことによるものであろう。しかるに比例区で約125万票減らしているのは由々しき事態であろう。

 社民党は、選挙前の5議席から2議席(選挙区1、比例1)となり、平成8年に旧社会党から現在の社民党に移行してから最少議席に転じた。こちらも福島執行部は続投意向を示している。福島代表の賞味期限はとうに終っているのに代表の座にしがみつくのは政治の私物化以外の何ものでもなかろうが、既にそういうことを問う活力さえ持ちあわせていないように思える。

 同党の小選挙区得票数は451.762票、比例区得票数は1.420.790票、票差は小選挙区基準で969.028票増。前回の小挙区得票数は1.376.739票、比例区得票数は3.006.811票。これによれば、小選挙区得票数で924.977票減、比例区得票数で1.586.021票減していることになる。社民党も比例区で約160万票減らしており、全国で140万票しか取れないと云う現実は既に解党的危機に陥っていることになる。

 新党大地は、選挙前の3議席から1議席(小選挙区0、比例1)となった。鈴木宗男代表が公民権停止処分を受けて活動できなかったとはいえ散々な結果となった。今後は分からないが案外と地力がないことを示した。小選挙区得票数で315.604票。比例区得票数で346.848票。票差は小選挙区基準で31.244票増。つまり約3万票しか増えていないことになる。前回の小選挙区得票数は0票、比例区得票数は433.122票。これによれば、比例区得票数で86.274票減らしていることになる。前回は代表の鈴木ムネオ一人が闘い約43万票取ったのに対し、6名の候補者を立てた今回は逆に約8万6千票減らしていることになる。理解し難い現象である。選管の再チェックをお願いしたい。

 国民新党は選挙前の2議席から1議席(選挙区1、比例0)となり、2005(平成17)年の結党以来、最少議席となった。去る日に亀井代表を追放した罰が当ったものと思われる。新党日本は、選挙前の1議席から0議席(小選挙区0、比例0)となった。党代表の田中康夫(兵庫8区)が落選し国会での足場を失った。改革クラブは、0→0議席。無所属は8→5議席。小泉龍司(埼玉11区)、中村喜四郎(茨木7区)他が健闘した。

 かくて自公両党が325議席が出現し、自公体制だけで衆議院議席の3分の2の320議席を上回る議席を獲得することになった。これにより参議院で否決された法案を衆議院の3分の2以上の賛成で再び可決して成立させることが可能になった。この自公体制に民主、維新、みんなの党他の改憲勢力が加われば憲法改正も可能となった。この間、憲法改正要件緩和の動きがあるが、これも不要となった。日本国憲法第九十六条「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」を緩和せずとも少なくとも衆議員では可能となった。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1085  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月23日
 第46回2012衆院選考その4、自公大勝要因の巻

 ここで「自公大勝要因の巻」として自公大勝の要因を確認する。これは「民主大凋落、維新とみんなの健闘、未来大没落、その他弱小政党のじり貧」の裏表の関係にもなっている。特に未来の党に注目し、その実質主体勢力である小沢派が何故にかくも一敗地にまみれたのかに留意しながら考察する。選管発表が公明正大なものであったとの前提で以下論ずることにする。選挙疑惑については最後の章で論うことにする。

 かくなる結果になったことに対して数々の要因が認められるが、要するに自公側軍師の作戦勝ちと云うことになるのではなかろうか。なぜなら、「民主の大凋落、自公、維新勢力の大勝利、未来の党への大打撃」と云う用意周到な仕掛けを狙い通りに完遂しているからである。

 その最大の仕掛けは、小選挙区比例代表並立制の特徴を熟知した者による弱小野党連合の分裂工作であったであろう。2009衆院選で萌芽した野党共闘の動きを掣肘し、その推進体である生活第一党の動きを封殺することに主眼が置かれ、その作戦が図星で当たった。その手法として対抗馬的な維新が結成され、実際には国民生活第一党が第3極であり仮想でしかないのに第3極として喧伝され、これにより生活第一党が意図的故意にスル―されることになった。もう一つの仕掛けとして共産、社民を小沢連合に組みさせない仕掛けが講じられ、共産、社民指導部がこれを受け入れている。こう理解する時、局面がよく見えてくる。そういう訳で、小沢どんの野党結集の動きは失敗するように楔が打ち込まれていた。

 故に、野党連合結集失敗は小沢どんの責任ではない。小沢どんはむしろ早くより非自公系野党の結集を呼び掛けていた。しかし合流したのは嘉田滋賀県知事派、生活第一党、亀井―山田新党、減税日本の三党でしかなかった。今から思えば大地党、新党日本が参加すべきのところ躊躇し、選挙の結果は芳(かんば)しくないことになっている。合流しないまでも選挙協力を結ぶ余地のあるところ傍観した罪は大きい。社民党の一部では合流の動きが見られたが福島執行部そのものが右を向いており何の影響も与えられなかったこうして自公軍師による野党分断工作はまんまと成功した。

 対する小沢軍師はその対応にも致命的な誤りを犯している。生活第一党が主勢力なって未来の党を結成したものの嘉田滋賀県知事を代表に立て、小沢どんは幹事長として采配を振うのではなくまたしても一兵卒に戻された。現有61議席を持つ生活第一党が代表を立てず、国会議員でもない滋賀県知事の嘉田代表が2012総選挙の采配を振うことになった。こうして未来の党は本来のリーダーである小沢どんの指揮下で総選挙に向かうと云う機会を失わされると云う大きな代値を払わさせられた。

 このシナリオを誰が仕組んだのであろうか。よしんば未来の党結成の功は認めても嘉田代表とワンセットにすべきではないところ、嘉田代表ありきの未来の党結成となり、それを呑んだ形で生活第一党が合流した。この筋書きが臭い。生活第一党の未来の党合流が成った瞬間、自公軍師の思う壺となりほくそ笑んだのではなかろうか。

 ところで、少数派野党分裂問題にはいつも共産党が絡んでいる。云うだけ野暮かもしれないが言及しておく。共産党は、2009衆院選では選挙区候補を絞った。ところがこたびは再び全選挙区に立候補させている。それは、2009総選挙で候補を立てなかったところの票が民主候補に向かったことで政権交代の一助の役割を果たしたことへの逆反省として全選挙区立候補制に再シフトしたとしか考えられない。それは、奥の院の対未来の党迎撃用の少数野党分裂指令に呼応したものであろう。

 この党の党中央はそう云う風に飼われているのではなかろうか。その上で共産党そのものが体制側から見てガス抜き安全パイとして利用されていると思う以外にない。口先の政策はともかくも、実際にやっていることを見よ、明らかに自公政権を利する形で裏から補完している。これまでも古くでは角栄を、鈴木ムネオを、目下は小沢どんに対する咬ませ犬として利用されてきたし、今後もされ続けるだろう。この日共的党中央を打倒しない限りこの党の再生はあり得ないと何度も申し上げてきているところである。

 結果は、全員落選どころか比例票を約125万票減らしている。公明党の絞り込み9名全員当選に比して余りにも鮮やかなお粗末さではなかろうか。供託金没収もかなりの金額になるが、それも毎度のことであり、それを難なく切り抜けている党財政が気になるところである。この党の経理を真に見た者はいない。監査役がまともなら卒倒するような手品経理になっているのではなかろうか。何から何までこの党の胡散臭さは折紙つきである。

 共産党は選挙後次のように声明している。「私たちが出発点とすべきは、2010年参院選比例票の356万票」であることを銘記して、このたたかいにのぞみました。この出発点にてらすと、総選挙で、わが党は、比例代表で369万票に、得票・得票率をわずかですが前進させました。小選挙区での全区立候補に挑戦し、選挙区選挙で470万票を獲得したことも、積極的意義をもつものでした」(2012年12月17日 日本共産党中央委員会常任幹部会「総選挙の結果について」)。

 共産党のこたびの小選挙区得票数は4.700.289票、比例区得票数で3.689.159票。前回の2009衆院選の小選挙区得票数は2.978.354。比例区得票数は4.943.886票である。衆院選同士の比較をせずに。2010年参院選比例票の356万票に比して「わずかですが前進」と総括している。これが科学的社会主義なるものに基づく分析であるらしい。嫌らしいと云うべきか姑息さにもほどがあろう。

 共産党の胡散臭さは以上の通りであるが、社民党がこれに倣い始めた感がある。福島執行部賞味期限切れを指摘せざるを得ない所以である。この党への言及は既に語るに値打ちがないので轄愛する。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1086  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月23日
 第46回2012衆院選考その5、小沢派一敗地にまみれるの巻

 ここで、「第46回2012衆院選考その5、小沢派一敗地にまみれるの巻」として未来の党の敗因を研究する。

 未来の党の前進を阻むもう一つの要因に、共産、社民に加えて、明らかに対抗的な維新の会がマスコミの支援を受けつつ登壇したことである。東の石原都知事、西の橋下大阪市長を押し立てて第3極として喧伝され、選挙の結果は堂々たる54議席を獲得している。未来の党は、この仕立てられた勢いに勝てなかった。今後の教訓として、この種のまやかしに惑わされない理論的戦闘的集団として党形成せねばならないのではなかろうか。

 敗因の戦術的要因として、前稿で述べたが未来の党への合流失敗が挙げられる。結果論になるが、こたびのみんなの党の善戦と比較した時はっきりするが、生活第一党で挑んだ方が却って戦闘力を増し、熱烈な支持を巻き起こしたのではなかろうかと思われる。そういう意味で未来の党への合流は失敗であった。如何なる経緯で未来の党への合流が決まったのか定かでないが、奥の院仕掛けの甘い話を持ち込み乗せられた謀略の臭いを嗅ぐのはれんだいこだけだろうか。

 数合わせで合流したものの代表の座を嘉田滋賀県知事に譲り、小沢どんは民主党の時と同じように一兵卒に戻らされた。これが果たして正しかったのだろうか疑問を禁じ得ない。この道を小沢どんが自ら選んだと仮定して以下苦言を申し上げる。

 小沢どんに期待されているのは小沢政権であるのに、小沢どん自身がいつまでも黒子癖に留まるなら次第に失望を生むであろう。これにつき、千葉4区で野田首相に戦いを挑んで敗退した三宅雪子は、「一夜明けての感想」として「稀有な個性と多数の支持がある小沢一郎を表に出さなかったことは残念でした」とブログしている。これが当然の正直な感想であろう。

 そもそも嘉田代表は、れんだいこの見るところ学者であり、政治的にはせいぜい地方自治の首長止まりの器でしかない。国政レベルで支持者を鼓舞し有権者の胸を震わせるような弁論弁証能力を持っていない。穏やかな口調そのものが政争には向いていない。その当人が代表の座を欲したところ、小沢どんを使いきると豪語する感性を疑う。小沢どんが性格的に黒子役を良しとするのであれば、誰か例えば森ゆうこを代表に据えて二人三脚体制を構築する方が賢明なのではなかろうか。嘉田が代表の座を譲らない限り未来の党に未来はない。いつそのこと生活第一党に戻って出直した方が良いと提言したい。

 嘉田代表にどこまで責任があるのか定かではないが、公示日当日の比例名簿提出を廻るゴタゴタもお粗末過ぎよう。そもそも選挙のプロである生活第一党側が名簿を作成しているものを、わざわざ提出日当日に強硬訂正させ、提出時間ギリギリに滑り込みセーフなどと云う不祥事があって良い訳がない。

 聞くところによると、嘉田代表肝いりの山口一区に立候補した飯田代表代行の比例重複順位を廻っての横槍であったと云う。それならそれで中国ブロックだけを訂正すれば良いだけのことであろう。それを全ブロックで現職議員と新人議員を対等に扱わせるとする改編指示を土壇場で為して大混乱させたと云う。あり得べからざる逆指揮であろう。そもそも「現職議員と新人議員を対等に扱う」なぞ非常識の極みであり聞いたことがない。生活第一党が練りに練った原案の方が正しいのは明らかであろう。

 かくて、比例名簿順位が滅茶苦茶なものになった。これにより、嘉田代表がわざわざ長崎2区から転籍させ近畿ブロック比例専任候補にさせた薬害肝炎被害者としての活動で知られる福田衣里子現職議員は比例名簿登載順位14位と云う絶体絶命の位置に登録させられた。小沢どんが絶対当選枠として用意していた比例専任候補が全員、選挙前に落選宣告されたことになった。恐らく選挙に臨んで一手一つにならねばならない時期の党に迷惑かけられないとの思いで我慢したのであろうが腹わたが煮えくりかえる暴挙であったに違いない。

 しかも未来の党のホームページ上に、その比例専任議員が登録されておらず雲をつかむようなことになっていた。残酷非情の仕打ちと云う他ない。こうなると嘉田代表の人間性が疑われると云うべきだろう。これについて嘉田代表の一片のお詫びも聞いていない。不自然な事この上ないと申しておく。

 嘉田代表は、12.17日未明の党声明で、「結党から三週間足らずでの総選挙・投票日という戦いでした。準備不足が原因です 」、「今後、今日のスタートを第一歩として、同じ思いの人を広く求めながら、より大きな高みをめざして進んでいきたいと思います。参議院選に向けて、これからが、スタートです」と述べている。ここには、多くの落選議員を出したことに対する責任、落選議員に対する労りの弁はない。むしろ小沢系議員の落選につき清々した気分さえ伝わって来る。何か人間性の資質に欠陥を感じるのはれんだいこだけだろうか。

 嘉田代表は18日、滋賀県庁で記者会見し、大きく議席を減らした原因について「小沢ファンと嘉田ファンが分極化してしまった。戦略が不十分だった」と発言している。結成間もない党内で早くも代表自ら小沢派との抗争を宣言していることになるが、もうそういう矮小消耗な政争なぞ見たくもない。嘉田ファンの党を創りたいなら嘉田党として純化するのが筋だろうと申し述べておく。仮に嘉田党が立ちあがるとして、彼女の果たした役割は何のことはない小沢派壊滅シナリオに基づき掻きまわしただけだつたことになる。

 未来の党の前進を阻んだもう一つの重要な要因に、卒原発論一本槍で臨んだことも挙げておかねばならない。原発問題の重要性から見てシングルイシュ―にしたこと自体は間違いではない。但し、卒原発の扉から全ての問題をこじ開ける、あらわる政治政策がこれに絡んでいるとして「一点突破、全面展開」の見地から訴えなければ単にシングルイシュ―に終わってしまう。実際この手のシングルイシュ―に向かってしまった。それは負けの道である。

 こたびの自公の大勝利を見ても明らかだが、有権者は原発問題のみならず景気回復、適切な経済政策を望んでいる。これはいつの時代でもそうで、政治の要諦は国民を食わすことにある。国民は目下の生活と将来の生活に不安を抱えており、これに応える政策を打ち出さない限り関心を寄せない。単発の卒原発論では見向きもされない。そういう関係であるのに経済政策論を打ち出さないまま選挙に挑んだ未来の党の勝利は暗かったと見なすべきであろう。そういう意味でも生活第一の党の方が訴求力があったと考える。

 最後に確認したいことは、これは小沢どんの手になるものと思われるが刺客作戦の失敗である。こたび千葉に多くの女性候補が刺客として送りこまれ全員討ち死にしている。これは仮に当選しても良からぬ戦術であると云わざるを得ない。今後は厳に慎むべきではなかろうか。

 元々小泉が郵政選挙で打ち出したものであるが、東京等の大都市圏ならいざ知らず、議員は生まれ育った故郷で闘うのが筋ではなかろうか。仮に野田を落選させたいとしたら一番にはその選挙区に有能候補を見いだすべきであり、いなければ千葉県全域から探し、それでもいなければあきらめるのが筋だろう。こたびの刺客作戦は策士策に溺れるの感があった。

 本稿の最後に2009総選挙の教訓でも述べたが選挙の意義について再確認し書き直しておく。「選挙は、お祭りであり集団芸術であり現代的な合戦である。いずれもパフォーマンスこそが命である。そこには良き軍師、プロデューサー、ディレクタ―が必要とされる。良き指導者を持ち各持ち場がこれを自主自律的に補翼する時、闘いは勝利する。逆は逆である」。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1087  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月23日
 第46回2012衆院選考その6、不正選挙疑惑の巻その1

 「第46回2012衆院選考その6、不正選挙疑惑の巻」とする。普通選挙は戦後日本が統治手法として採用している議会制民主主義の基礎中の基礎であり、昨今その前提が崩れつつあるように思える。投票モラルと投開票の公正さは先進国度を示すバロメーターであり日本は長らく先進国であり得た。その日本で昨今、不正選挙が蔓延し始めていると云うことであれば既に後進国に転落していると云わざるを得ない。銀行強盗の場合、相対的に重罰化されているが、不正選挙加担者には同様の措置が必要ではなかろうか。

 これを確認するのに、選挙公報の偏向性、投開票の不正の二方面からの検証が必要であろう。選挙公報の偏向性とは、政府公報の異常な抑制、マスコミの或る党に対する推奨宣伝、逆に誹謗宣伝、或る党に対する不言及等を云う。これについては最後の稿で述べることにする。本稿では投開票の不正について検証する。

 投開票の不正は、大項目として投票箱管理の不正、投票カウントの不正、無効票識別の不正が考えられる。投票箱管理の不正とは、期日前投票箱も含めて一体どのように管理されているのかと云う問題になる。投票箱が保管所乃至は投票所を出た後、どういう管理下で開票所に届くか殆どの者が知らない。選管の責任で運んでいるのか民間に外部委託的に発注して運ばせているのかも分からない。この間に投票箱がすりかえられるか、票の入れ替えの可能性が考えられる。情報が開示されていないので確かめようもない。そういう意味で投票箱の監視が不可欠となっている。選管は、この疑問につき納得いく説明をして貰いたい。

 投票カウントの不正とは、投票カウントの不正、票の入れ替え、無効票識別の不正等の問題を云う。期日前投票分にも同様の疑いがある。立会人が居るには居るが十分なチェックとはほど遠い情況下にある。いつ頃からかは分からないがコンピューター集計されるようになったようで、これはコンピューター会社から派遣された専門のスタッフが排他的に管掌するようである。こうなると立会人の目が届かない。

 この不正を防止する為には、コンピューター集計を第一次発表として次に原始的な手作業確認による第二次集計で二度確認によるすり合わせをする以外にない。手間暇が大変であろうが不正選挙防止の為とあらば止むを得ないのではなかろうか。現在の集計方法では、立会人がいれどもお飾りに過ぎずブラックボックス化していると云わざるを得ない。なお、後日の証としての票の一定期間管理も必要なように思われる。

 投票カウントの不正問題で特にチェックするところは、当日投票者数と投票数の一致精度の確認であろう。当日投票者数より以下の投票数は票が抜き取られた可能性に繫がり、以上の場合には水増しに繫がる。考えたくもないが、県単位で万単位の誤差が常態化しているとならば放置できまい。

 無効票識別の同様の精査も必要であろう。こたびの選挙では小選挙区で白票や候補者以外の名前が書かれた無効票が約204万票に上っている。無効投票率全国計は前回比1・32ポイント増の3・31%。都道府県別で割合が高かったのは高知県の5.24%、大阪府4.63%、熊本県4.44%、東京都4.20%の順。高知県選管の担当者によると、県全体の無効票約1万7千票のうち半数以上が白票で、候補者以外の名前を記した票も多かったという。比例区で例えば日本未来の党を単に未来と書いた場合に無効票とされているのかいないのか、されていた場合、そういう票が何票あるのか知りたいところである。選管は、こういうところを正確に情報開示する義務があろう。

 以下、不審点を確認する。その一は、投票率の怪である。 期日前投票が全有権者数の11.37%(←13.40%)に止まったことから小選挙区投票率の59.32%(←69.28%)も何となく納得されている。しかしながら、「投票所が混んでいた」、「初めての経験だが行列ができていた」との証言も数多く為されている。これを思えば、各選管が2009衆院選との比較が分かるような形で投票者数の増減を開示せねばなるまい。「初めての経験だが行列ができていた」のにまさか投票者が減っていたと云う訳には行くまい。

 次は、注目されていた福島県の票の怪である。福島原発事故の影響による票の出方が注目されていたが、比例選で最多票を獲得したのは原発再稼働派の自民党で23万8893票(前回を8万4511票減の25.98%)。原発のらりくらり派の民主は18万5503票(同34万6671票減の20.18%)。原発稼働派の維新の会は約16万3861票(得票率17・8%)、みんなは7万2392票(同2302票増の7.87%)、公明は8万5705票(同2万6434票減の9.32%)、未来の党は6万6563票(得票率は7・2%)、共産は5万9335票(同9088票減の6.45%)、社民は3万4176票(同2万6506票減の3.72%)。

 このどこがオカシイのかと云うと、軒並み低下した中で原発稼働派の維新の会が第2位の約16万3861票を獲得しているところである。福島でそれほど維新の会が人気を得ていたのか気になるところである。同様の疑惑で未来の党の票数が低過ぎる気がしてならない。嘉田代表が第一声を放った飯舘村でも237票(得票率8・7%)にとどまり10政党のうち5番目だった。福島県の小選挙区票は全部で922.763票、比例投票数は906.428票、票差は16.335票。この1万6千票の票差は許容範囲だろうか。どこの選管でもこういう万単位の票差が当たり前になっているのだろうか。福島の期日前投票は3万7913人で前回(4万4393人)に比べ14.6%減。

 れんだいこが不正選挙疑惑するのは福島県に限らず未来の党の票数が少な過ぎると思うからである。これを「未来の党の票数の怪」とする。小選挙区票でも然り、比例区票でも然りである。各党が立会人を出して監視しているからには不正はないと思われているが既述した通り機能していないことが考えられる。

 未来の党の票数の過少疑惑は、主として千葉、東京、神奈川、愛知の激戦区で際立つ。現職議員の得票数が異常に少ない。民主党候補と票を割るので前回より少ないのは理解できるにしても予想値より妙に少な過ぎる。例えば、神奈川3区の場合、自民現職の小此木八郎が85.451票、維新新人の高橋真由が39.781票、民主現職の勝又恒一郎が34.738票、みんな新人の毛呂武史が32.189票。未来現職の岡本英子候補は22.163票となっている。岡本候補は前回の2009衆院選では125.856票取っており新聞、雑誌予想でも当選確実視されていた。その現職の岡本候補が接戦にさえ持ち込めず維新、みんなの党の新人2名に遅れをとって5位となっている。解せないと云うしかない。

 埼玉7区現職の小宮山泰子も有望視されていたが、前回142.556票から今回は44.415票。票を大きく減らして新人の維新候補にさえ負けている。千葉3区現職の岡島一正も112.035票から31.161票。東京15区東祥三も105.131票から28.518票。下馬評の高かった岐阜1区の笠原多見子、愛知1区の佐藤夕子、愛知14区の鈴木克昌その他の得票数も予想より低過ぎる。誰一人として前回票を伸ばしていない。現職議員の場合、票を伸ばすことが通例で大きく減らすには相当の理由を要する。未来の党現職議員が民主を離党した故に考えられるとして済ませれているが釈然としない。

 未来党候補が僅かしか出ていない中国ブロック、四国ブロック辺りで票が出ないのは分かる。ところが、未来の党が重点的に候補を集中させていた岩手、埼玉、千葉、東京、神奈川、愛知でもさほどの票が出ていない。共通して当選にはるかに届かない票数辺りに止まっている気がしてならない。「票の怪」は未来の党候補だけではない。民主に残った小沢系候補の場合にも顕著に認められる。例えば、一新会会長代行にして滋賀県4区の民主現職の奥村展三の場合、44.231票で、自民新人の武藤貴也の57.049票、維新新人の岩永裕貴の47.715票に負けている。前回は113.801票であり、未来が対立候補を立てていないことを考えると票が割れることもないのに票減落差が大き過ぎる。逆に、千葉4区の野田首相の場合、163.334票(←162.153票)と微増させている。首相効果と云えばそれまでだが、野田首相の地元人気がそれほどあったのだろうか。

 しかし、これらは推測の域を出ないもどかしさがある。選管は、票の抜き取り、入れ替え、水増し等の不正がなかったことを証する為に投票者数と投票数、小選挙区票と比例区票、無効票につき精査して発表する義務があると云わざるを得ない。

jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1088  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月23日
 第46回2012衆院選考その7、不正選挙疑惑の巻その2

 選挙の不正疑惑を述べるれんだいこの言を負け惜しみの弁と受け取る方に次の事例を問いたい。同日行われた東京都知事選投票数と衆院選投票数の差票が著しいことが指摘されている。これをどう説明できるのだろうか。これを確認するに知事選投票数は6,647,744票、衆院選投票数は5,256,655票、差票は1,391,089票に上っている。何と約140万人もの者が都知事選のみ投票したことになる。国政選挙に投票して都知事選にはしなかったと云うのなら分かるが逆である。選管は「理由はわからない」としているとのことであるが分からないでは済まんだろう。

(訂正)上記の情報は「★阿修羅♪政治・選挙・NHK141」(http://www.asyura2.com/12/senkyo141/index.html)の往ける者氏の12.19日付け投稿「東京都民の皆さん、都知事選に投票して衆院選に投票しない人っているんですか?」(http://www.asyura2.com/12/senkyo141/msg/470.html)によるが間違いのようである。東京都選管発表は、都知事選投票数6.647.744票、有効投票数6.442.443票。衆議院小選挙区投票者数6.668.474票、有効投票数6.388.207票。衆議院比例代表票6.668.632票、有効投票数6.537.607票。これによると衆議院小選挙区投票者の方が都知事選投票者より20.888票多い。こちらが真実とすると、これを勘ぐるのには及ばないので訂正しておく。往ける者氏の情報がどこからのものなのかは分からない。

 ところで、未来の党票が抜き取られた可能性はないだろうか。東京ブロック比例区票の出方は自民が1.460.033票(占有率25.38%、当選5名)、維新が1.161.718票(20.19%、当選3名)、民主が900.975票(15.66%、当選2名)。ここまでは仮に良いとして、以下、みんなの党2名、公明党1名、共産党1名と続き、未来の党は377.577票(6.56%)となっている。衆議員現職の61名を持つ真正の第3極であった未来の党の比例票が8議席のみんなの党、21議席の公明党、9議席の共産党の後塵を拝する7位などと云うことが俄かには信じられない。

 未来の党の小選挙区票を見ると、1区(野沢哲夫)14.875票、3区(池田剛久)25.773票、5区(丸子安子)19.462票、7区(岡本幸三)17.437票、10区(多ケ谷亮)24.414票、11区(橋本久美)26.469票、13区(本多正樹)17.906票、14区(木村剛司)35.334票、15区(東祥三)28.518票、16区(初鹿明博)27.179票、18区(杉村康之)15.873票、19区(渡辺浩一郎)22.445票、21区(藤田祐司)11.408票、23区(石井貴士)18.125票、25区(真砂太郎)10.689票。

 以上の未来の党の小選挙区総数は315.907票(平均21.060票)。この選挙区票が全て比例票に流れたとした場合、空白選挙区からは377577―315907=61.670票しか出ていないことになる。空白選挙区は2区、4区、6区、8区、9区、12区、17区、18区、20区、21区、24区の11区ある。これを割ると5.606となり約5.600票しか入っていないことになる。

 しかし、候補を立てたところの選挙区で少なくとも平均21.060票取りながら、候補を立てていないところからは平均5.600票しか出なかったなどと信じられるだろうか。空白区では票が出にくいというも納得できない。維新、みんなの党は空白区であろうがそれなりの票が出ている。維新、みんなの党には期待値が多く、未来の党の期待値が低かったと云うのは眉唾であろう。実際には、維新のメッキが剥げ、みんなの党はそれなりに善戦するにしても未来の党への期待は高まりつつ最終盤へ向かったのではないのか。未来の党の票が抜き取られた可能性、維新の党その他に加算された可能性が強いと疑うべきではなかろうか。選管は、この疑いに根拠がないことを立証する責任があるように思われる。

 その二、東京12区の例であるが、自民も民主もいない公明党の太田昭宏と未来の党の青木愛の一騎打ちとなった東京12区で、結果は太田昭宏が114.052票、青木愛が56.432票と出た。ところが、無効票が1割超の10.83%となっている。選管発表によると白票だったとのことである。この選管発表を精査する術がないのでこれ以上の言及は留める。無効投票率が2番目に高かったのは17区の7・77%。この選挙区では自民の平沢勝栄、民主の早川久美子、維新の小林等の闘いとなっており、平沢勝栄が倍以上の票差で圧勝している。ちなみに小選挙区の無効投票率が東京都内全25選挙区とも2009年の前回衆院選を上回っている(2・75%)。

 こたびの総選挙では従来では考えられないミスも目立っている。長野県南牧村では、村内7カ所の投票所のうち5カ所の投票所で、投票用紙記入台に掲示した比例代表の表に日本未来の党が記載されていなかった。県選挙管理委員会によると、掲示する表の原本は県選管が各市町村に配布していたが、南牧村はこの表を使わず村の選管が作ったものを掲示していた。日本未来の党が記載されていないことに気づき16日午前10時半までにすべての投票所で新しい表に取り替えたと云う。

 鳥取県米子市選管は、衆院選の不在者投票40人分が16日午後8時までの投票時間内に届かなかったと発表した。米子郵便局の配達忘れが原因という。横浜市神奈川区選管は、区外にいる有権者に衆院選の不在者投票用紙を送り忘れ8人が投票できなかったと発表した。職員が執務室に置いたまま失念したと云う。神奈川県海老名市選管は、不在者投票施設に指定された医療施設が、入院患者3人が不在者投票した投票用紙を放置し、投開票後に裁断、廃棄していたと発表した。女性事務員が引き出しに保管したまま失念したという。こういうお粗末事例が目立っている。政治の信が失われて久しいが選挙の信まで失うとなると世も末だろう。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1089  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月23日
 第46回2012衆院選考その8、メディア支配の恐ろしさの巻

 本稿の「メディア支配の恐ろしさの巻」をれんだいこの2012衆院選総括の最終とする。

 こたびの選挙ほど良からぬメディア支配の生態を見させられたことはなかった。偏向的な選挙報道の塊のようなものとなった。従来の派手派手しい積極的な偏向報道とは逆に報道すべきところを報道しない消極的な偏向報道もあり得ると云う意味での教訓ともなった。まずは政府公報の異常な抑制に見られる。これまで衆院選公報コマーシャルが適宜に流されていたと記憶するがこたびは聞いたことがない。れんだいこは極力テレビを見ない、見るとすれば7-8時帯のニュースの時間帯であり、これしか確認できないが、他の時間帯でも見ていない聞いていないと云う証言が為されれば裏付けられる。

 いつもならある政府公報がなかったことが投票率の低下に繫がったことは容易く理解できる話しである。一体、国政選挙に関わる政府公報が為されたり為されなかったりさじ加減することが許されることだろうか。コマーシャルにも金がかかることなのでむやみやたらも困るが適宜な公報基準を確認したい。これにつき総務省見解を質したい。

 総じてマスコミメディアの偏向報道がこれほど極まった例を知らない。特にテレビ局系のこうした偏向報道が目に余るものであった。なるほどテレビ局はNHKを除いて民営ではある。しかしながら免許が容易に下りない制度下にある以上、批判的報道の自由は認められるにせよ何がしか公益性を踏まえた公平性が担保されて然るべきではなかろうか。こたびは衆院解散以来、選挙公示前まで、異常とも云える大阪維新の会、東京太陽の党の喧伝が続き、第3極でもないのに既に第3極であるかのようなキャンペーンが連日繰り広げられた。逆に真の第3極である未来の党は考えられる限りスル―された。

 公示後は、逆に選挙報道がピタッと止んだ。朝のテレビニュースではモーニングが一切報道しなかった。これにつき、モーニング報道責任者の見解を表明させねばならない。特ダネが一部報道したものの未来の党に言及する必要のない選挙ネタ報道でしかなかった。朝ズバはまま採り上げていたが自民、民主、維新報道に特化させていた。日曜日のサンデ―モーニングでさえ選挙たけなわであるのに選挙絡みの報道をしなかった。総じて選挙報道が抑制され、申し合わせたように未来の党隠しになっていた。なぜこのようなことが起るのか。奥の院筋からの強い達しがあり各テレビ局がこれに従ったと推測する以外にない。

 これが選挙後になると一斉に転じての大選挙報道となった。各テレビ局のコメンテーターが揃いも揃って「自公、維新の大勝利。民主、未来の壊滅的敗北」をうれしそうに饒舌していた。小泉政権時の総理大臣秘書官であった飯島勲が登場し、周囲を威圧しながら選挙結果にご満悦のコメントをしていたのには驚きと云うか裏の仕掛けを見た思いがする。れんだいこツイッターに「あまりにも露骨な小沢一郎抹殺計画にまんまと騙された国民と、自民党圧勝で鼻の下伸ばしてる後藤謙次、岸井成格、寺島実郎、橋本五郎、星浩の顔見るたびにはらわた煮えくり返るわぁ」、「読売五郎が得意満面で解説して薄笑い…吐き気するわ」のツイートが届けられているが尤もな感想であろう。

 メディアのこの痴態は偶然のものではない。これを裏で取り仕切る国際金融資本ネオシオニズム勢力による支配が存在する。この連中のメディア支配によって自公、維新の大勝利、未来の党の大敗北が画策され、事実その通りになったと云っても過言ではなかろう。こういう見方を陰謀論と云うらしい。れんだいこは現に存在するから指摘している。陰謀論の必要性を認めている。ところが、こういう陰謀論を説くのは陰謀論故に邪道とされている。主にサヨ系からそういう批判が為されるのであるが連中の頭脳バーコードの方こそイカガワシイ。国際金融資本ネオシオニズム勢力による陰謀を隠蔽する役割を果たしているとしか言いようがない。

 我々は今現実に起ったこととして、毎日毎日洪水の如く一定方向からの情報が流されるとマインドコントロールが為され洗脳に至り、その結果としての2012衆院選結果であり、それほどメディアの影響力が強いと知るべきだろう。この仕掛けを知るべきである。一敗地にまみれた未来の党が、生活第一党に帰って再出発するにせよ、選挙不正管理対策と同時にメディア対策の手を打たねば徒労に終わるであろう。

 我々は転んでもただでは起きない。経験から賢く学ぶべきである。堯幸とすべきは、かくなる現実を知ることによって既成メディアに捉われない和製アルジャジーラ版放送局の創出が政治日程に上げねばならなくなったと確認すべきだろう。何としてでも和製アルジャジーラ版放送局立ち上げに向かわねばならない。既成メディアに公正性を期待するのは百年河清の愚の類でナンセンスであろう。これを申し合わせとしたい。

 もう一つ。公選法によるインターネット規制が続いているが、こたびの選挙を期に終りとしたい。選挙期間中にインターネットを規制する合理的根拠はない。この規制を是として違反を監視する風潮があるがナンセンスと云うべきだろう。これを機会に公選法の悪しき規制を全般的に見直し不合理な規制は撤廃させるべきである。せめて欧米並みの水準で選挙活動の自由性を確立させたい。これも申し合わせとしたい。

 もう一つ。選管が今のような在り方であれば、お笑いでしかないが選管を管理する監理委員会が必要なようである。選管の透明度が高まれば不要であるが現下の仕組みでは到底信頼することはできない。これも申し合わせとしたい。

 選挙不正につき、街カフェTV の主宰者にして未来の党から埼玉4区に出馬した藤島利久氏が告訴予告している。それによると、「投票率の改ざん。得票数の改ざん、マスコミの偏向報道」を争点に挙げている。これが提訴されれば支援したい。現下の選挙実態を様々な角度から明らかにさせたい。政治の信が揺らいで久しいが選挙の信まで揺らいでいるとならば世も末だろう。国政の基礎となる選挙の信が揺らげばそれは近代国家ではない。日本の自律自存の国家主権擁護の為に近代選挙の水準確保に向かいたい。

jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1090  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月24日
 第46回2012衆院選考その9、不正選挙疑惑の巻その3の巻

 第46回2012衆院選考は一応打ちきったつもりだったが、不正選挙疑惑について非常に関心が強まっている。れんだいこの疑問もますます昂進しつつあり、そこで番外編として「不正選挙疑惑の巻その3の巻」を付け足すことにする。未来の党に限って何故に小選挙区票より比例票の方が少ないと云う怪奇現象が起きているのかを問うことにする。

 比例重複性を考えて見た場合、未来の党候補者に小選挙区票を入れた者は、比例票を未来の党と書くのが自然だろう。中にはへそ曲がりが居るだろうから多少のこぼれはあるかも知れない。しかし、そのこぼれを上回る比例票が出るのが自然である。よしんば減ったとしても候補者が立たない空白選挙区の比例票が加わるはずだから、結論はやはり比例票の方が小選挙区票を上回るとしたものだろう。このことを念頭に置いて以下検証する。

 舞台は広島県である。オカシイところは、比例票で未来の党がみんなの党に負けているところにある。未来の党は選挙区候補2名に対してみんなの党は0候補である。つまり、未来も2名しか候補を立てられないほどに強くない県であるが、みんなの党は候補を立てられないほど弱いエリアである。そこで未来の党の比例票が、みんなの党のそれに負けていると云うのが何とも解せない。票の不正工作のプロもどこかでぼろを出す。広島県での比例区票で、みんなの党の票を未来の党以上に設定したのはミスではなかろうか。

 ちなみに広島6区で未来から出馬した亀井候補は小選挙区で91.078票取っている。広島1区から未来から出馬したすげかわ候補は小選挙区で21.698票取っている。合計91.078+21.698=112.779票になる。全7選挙区の他の選挙区からの未来票が加算されるところ、未来の比例区票は逆に減っており66.752票しかない。つまり112.779―66.752=46.024票も減らしていることになる。率にして約40%減となっている。こういうことって有り得ることだろうか。

 小選挙区票が必ずしも比例票に結びつかないとの考えは、重複立候補制から考えると不自然である。隣の岡山県は、未来の党の候補者0で23.523票取っている。みんなの党は同じく候補者0で54.897票取っている。みんなの党の広島県票は小選挙区票0で比例区票を86.935票取っている。つまり小選挙区票と関係なく比例票が出ていることになる。これを踏まえれば、小選挙区票よりも比例票が上回るのが普通だろう。これが自然であろう。維新の会候補を見よ、候補の玉が悪くても比例票で稼いで当選している者も多くいるだろうが。

 誰か、広島県に於いて、未来の比例区票が小選挙区票より46.024票も減らしている、未来の党に限って比例票が減っている現象を怪奇なしに説明してみたまえ。

 同じような例として、宮城2区の未来の党小選挙区候補・斎藤やすのり氏に投票した数より比例区における未来の党の票が14.000近く少なく、比率にすると約40%の減少が見られることが指摘されている。新潟一区でも比例の票が内山こう候補の小選挙区票より10.938少なく、比率にすると不思議にも約40%の減少と指摘している。

 全く場所も異なる選挙区で、同じ未来の党から出馬した2人の候補が、小選挙区に比してその約60%しか比例で獲得できていない事実に鑑みるに、これは最早、偶然ではなく作為的に機械処理されたものと考えられる。かく指摘されている。そう考えないと辻褄が合わんだろう。

 こうなると、亀井、すげかわ候補は開票再審査訴訟を打つべしだろう。同様に全国それぞれの地域で同様の不審が見られるところの候補は同様の挙に打って出るべしだろう。思うに、2012衆院選は未来の党に限って何やら大がかりなパージ操作が行われた形跡が濃厚である。逆に維新の場合には水ぶくれされた可能性が強い。以上申し述べておく。

 2012.12.24日 れんだいこ拝

 jinsei/



 れんだいこのカンテラ時評№1091  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年12月26日
 選管の不正選挙防止対策と数値発表責任考

 2012衆院戦ほど不正選挙の疑いが濃厚になったことはない。近年囁かれ始めていたが一挙に公然化した感がある。その容疑について、「第46回2012衆院選考、不正選挙疑惑の巻」と題してカンテラ時評№1087、1088、1090で示した。他の方の追及も為されており追って裁判に持ち込まれる流れにある。ぜひ徹底検証すべきだろう。それにしても立候補者の中からもう少し疑義ありの声が出ないのはどうしたものだろうか解せないことである。

 それはそれとして、今後の在るべき姿としての「れんだいこ式選管15ケ条マニュアル」を書き上げた。これ公表し、今後の投開票モデルにするよう提案申し上げることにする。何事も処方箋を示さないと生産的議論にならないからである。

 まず、選管は選挙結果発表の標準的なマニュアルを作らねばならない。現行のように各選管で仕様が違い、なかなか良くできているところもあればわざわざ不正の温床となるような杜撰な発表しかしていないところも見受けられる。各選管の仕様が違う理由が分からない。共通して無効票の内容についての発表がないのも気になるところである。本来は次のような発表にしなければならないのではなかろうか。衆議院選をモデルにして以下提案申し上げる。

 大きな流れで云えば次のように云える。投開票で一番精力的に審査、管理せねばならないのは最も末端の各投票所の数値である。この原点さえ正確に把握すれば本来は何の問題も起らない。なぜなら後は積み上げでしかないからである。

 現行は、各投票所の投票箱が選挙区センターに持ち込まれ、そこで一括集計されている。これが不正の温床となている。なぜなら第一に、投票箱の移動中の管理が心もとないからである。道中で投票箱そのものの差し替え、あるいは投票箱の中の票の入れ替え操作の疑念がもたれているからである。長年このような心配は必要なかったが小泉政権の頃から囁かれ始め今に至っている。

 第二に、選挙区センターでは束にした投票用紙を投票マシ―ンにかけて集計しているが、この束の中身の確認の杜撰さとマシーン計数のイカガワシサが問題になっている。束の中身は立会人が確認できるので不正防止可能である。問題はマシーンの方である。

 マシーンの受注先が外資系のリモコン会社に特命発注されており、操作要員も全てその会社が取り仕切るので立会人も寄り付けずいわゆるブッラックボックスになっている。実際にはムサシが利用されているが票改変工作プログラムが装填されているとの噂がある。そういうムサシによるマシーン計算が検証されたと云う話しを聞かない。こういうことを思えば、そもそも各投票所の投票箱を選挙区センターに持ち込み一括集計するシステム自体が間違いであろう。各投票所単位で投開票すべきではなかろうか。

 各投票所単位での投開票は決して無理ではない。そもそも各投票所単位での投開票であれば、その投票数もさほど多くないので数時間もあれば選管の手作業とパソコン入力の組み合わせで確定できるはずである。何も仰々しくムサシなる投票マシ―ンを投入する必要もない。銀行が使用する札束を数え、偽札を識別する金銭機程度の性能を持つ仕分けマシーンで十分だろう。

 これの導入に当たっては各社入札方式で採用し、何回か試行錯誤すればより良いものになるはずである。選管の手作業と仕分けマシーンの連携で事は解決する。これを二度ほど算定すれば確定できるはずである。速報を第一次発表とし、追検証し第二次発表で確定させれば良い。なぜそうしないのかと云うことに疑問が残る。繰り返すが、選挙区センターへの投票箱持ち込みと外資系選挙マシーンの投入こそが不正の温床である。

 投票要領については特に改めるところはない。来場者が持ち込む投票はがきと投票者名簿の照合による?確認で良い。帳面方式で確認したものをパソコン上の投票者名簿にチェックすれば自動的に来場投票者数と投票率が分かる。問題は開票要領である。これもパソコンを利用すれば容易くできる。カウントされた票数それぞれを、あらかじめ作成されている仕様書にパソコン入力すれば良いだけのことである。

 各投票所単位での投開票にすれば全てが解決する。その場で投票所受付者数と投票数が確認でき、パソコンの表計算で誤差も忽ちに判明する。これにより票の水増し、抜き取りがチェックできる。投票率も確定する。有効投票、無効投票の確認もたちまちにできる。これにより有効投票率、無効投票率が確定する。次に小選挙区票の候補者の得票数、得票率が確定する。次に比例区票の各政党の得票数、得票率が確定する。無効票の場合、白票と対象外記入と誤字の三系に仕分けしてそれぞれの数値を小選挙区、比例区ごとに算出せねばならない。

 各投票所単位での投票数値が確定すれば後は積み上げでしかない。これを算定するのはパソコンで十分である。あらかじめ選管が仕様書を作成しておき、これに入力すれば良いだけのことである。まず各投票所単位での投票値、次に選挙区単位での投票値となる。ここで小選挙区の当選者が決まる。次に都道府県単位での投票値、次にエリアブロック単位での投票値。ここで比例区での各政党の議席数と当選者が決まる。比例重複議員の復活も決まる。最後に全国集計での各政党の議席数、当選者、小選挙区得票数、比例区得票数が決まる。

 この方式によれば、各投票所単位での投開票作業が基礎であり、後は全国会場での集計の二系で事足りる。別に難しくないこの積立て順序が意図的故意に反故にされ、わざわざ不正選挙に成り易い選挙区センター持ち込み仕掛けに誘導されているのではなかろうか。現行の選管の開票の仕方そのものが相当にねじ曲がっていることになる。これを糺さねばなるまい。なお、横並び表の横項目の増え過ぎを防ぐ為、無効票は別枠の表2にして公開した方が見易すかろう。表3で、それぞれの数値の前回対比も記しておけばなお良かろう。

 れんだいこが考えて見て、以上のようにすれば公正な投開票ができる筈である。以下は、そのマニュアルである。選管の投開票発表は次のような仕様にされていなければならない。発表用の簡略表と資料用の詳細表の二種を作成する必要がある。どちらも公開されねばならない。なお前回の数字との比較ができるように記されねばならない。

 (以下、15ケ条を記す。ブログ参照の事)
  http://08120715.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-43e6.html

 凡そ以上のような手続きを得、正確な数値の選管発表が為されねばならない。「第46回2012総選挙、福島県、東京都の結果考」で確認できるように東京都選管発表方式は逆に不正選挙温床になる類のものでしかない。各選管毎の様々な仕様による発表は、より優れた仕様のものに統一して発表されるべきだろう。今後はこの「れんだいこ式選管15ケ条マニュアル」に従って発表すべきである。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1092  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 1月 1日
 2013.1.1たすけあい党新年声明

 2013年、明けましておめでとうございます。本年を如何なる年にすべきかメッセージさせていただきます。

 「たすけあい党新年声明」は既に恒例になっております。「2007.1.1たすけあい党新年声明 」、「2008.1.1たすけあい党新年声明 」、「2009.1.1たすけあい党新年声明 」、「2010.1.1たすけあい党新年声明」、「2011.1.1たすけあい党新年声明 」、「2012.1.1たすけあい党新年声明 」とあり、本年の「2013.1.1たすけあい党新年声明」で連続7回目となります。一年の計は元旦にありと聞かされており、この良き伝統に倣っている訳であります。れんだいこの生ある限り発信し続けようと思います。

 2013年の期待と抱負を述べる前に、先の総選挙の不正を弾劾しておかねばなりません。まだ記憶が新しいうちに再度確認しておきます。これほど不正選挙疑惑が公然化した例はありません。マスコミは、これに加担した下手人であるからして箝口令(かんこうれい)を敷いていますが、隠せば表われるの理で大仕掛け且つ組織的な不正工作が仕組まれた選挙であったことが判明することになるでせう。人の噂も七十五日で済ませる訳には参りません。

 第46回2012衆院選の不正選挙に関心を持たないようなことでは日本政治は良くなりません。これが、この問題に拘らねばならない理由です。不正選挙を見過ごしておいて良い政治を期待することなど土台無理と云うものです。そういう意味で、2012衆院選の不正選挙弾劾と解明は2013年初頭の重大事案になっています。既に埼玉5区に未来党候補として出馬した藤島利久氏が訴訟手続きに入っているとのことですので、裁判の成り行きに注目したいと思います。日本政治の自律と自存を賭けて支援して行きませう。

 不正選挙判別は難しいことではありません。野田首相の千葉4区、未来の党から出馬した岡本候補の神奈川3区、同じく未来の党の亀井候補の広島6区の票を検証すれば良いのです。数え挙げればキリがありませんので省略し、僅かこの3選挙区の小選挙区票と比例票を取り出して再確認すれば白黒が判明します。日本の政治を裏から牛耳る黒幕勢力が許さないでせうが、再確認すれば千葉4区の野田候補の小選挙区票の異常な多さ、逆に神奈川3区の岡本候補、広島6区の亀井候補の異常な少なさ、三者共に比例区票が余りにも連動していない怪奇現象の仕掛けが判明するでせう。

 日本政治を裏から牛耳る黒幕勢力が不正選挙をしてまで得ようとしたものにつき愚考しませう。察するに、1・再政権交代、2・政権交代派主力の小沢派徹底壊滅、3・自公民連合派主力の温存と高位当選、4・小泉チルドレンの復活の四つの狙いがあったと思われます。その為の姦計が凝らされ、かのイカガワシサで有名な㈱ムサシ社の集計マシーン「テラックCRS-VA」をフル稼働させ狙い通りの結果に導きました。

 しかしながら、如何に上手に細工しても不正は隠しようもありません。あちこちで尻尾を出しております。問題は、これほど大がかり組織的な選挙不正に対して警察、検察が動くのかどうかにあります。目下行われている維新系の運動員逮捕はお茶濁しでしかありません。今からでも遅くありません。明らかに不審が認められる選挙区の票の検証をすべきです。小沢どん捜査に見せた執拗さで不正選挙捜査をやれば良いのですが恐らくやらないやれないでせう。イカガワシイ限りです。

 総選挙の結果、3年有余続いた民主党政権が崩壊し自公政権に戻りました。これは歴史の女神が下した審判ではありません。民主党を預かる側の野田政権が「上からの反革命」を仕掛け、意図的故意に御党を大敗へ誘導すると云う工作によってもたらされたものです。これに功のあった政権中枢の面々(野田、岡田、前原、枝野、玄葉、細野ら)は妙なほど小選挙区で大勝しております。小泉チルドレンも大勝しております。維新、みんなの党の主メンバーも大勝しております。逆は逆です。

 しかしながら不自然さが歴然としております。野田は落選の危機が云われ、首相には珍しい比例重複保険を掛けて選挙に臨みました。結果は2009衆院選よりも僅かですが票を伸ばすと云う盤石の当選をしています。ところが比例票が小選挙区票の半分しか出ていません。この現象は、小選挙区得票が水増しされたと推理するしかありません。元首相の菅は、事前の不人気ぶりから落選必至のところ比例で拾われております。こちらも小選挙区票の水増しが十分に考えられます。民主党は壊滅させるが、お前たちは特別に恩寵により当選させるとの意思が透けて見えて参ります。

 逆に、小選挙区票を大きく減らされているばかりか、比例票を更に減らされたのが未来の党の候補者面々です。僅か9名が勝ち上がることができましたが奇跡でせう。未来の党の落選者は不正選挙告発に立ち上がるべきです。今のところ藤島氏以外に告発の動きがないのは残念なことです。これは負け惜しみ的な見苦しい振る舞いではなく民主主義擁護の為の根底を問う闘いとして位置付けられるべきです。小選挙区票を減らされた上、それよりも更に比例票を減らされた仕掛けに対して猛抗議すべきです。選管管理下の票の検証で決着させねばなりません。その保存票さえ工作されればお手上げですが、とにもかくにも検証しなければなりません。れんだいこ推理によると信じられない事態が判明すると思います。

 もとへ。民主党の政権返上と云う元の黙阿弥結果を見て、2009政権交代とは一体何だったのだろうかと自問せざるを得ません。民主党政権は鳩山、菅、野田の三代政権となりましたが、この政権が為したことは、2009衆院選で掲げたマニュフェストの端からの反故でした。景気浮揚策の目玉として掲げられていた高速道路無料化法案の成り行きを見れば象徴的です。景気浮揚させない意図的故意の反動政治が敷かれ続けたと読むべきです。マニュフェスト反故の代わりにしたことが消費税増税法案の可決でした。財政再建を名目としていましたが、その口裏で次から次へと大型補正予算を組みつつあります。結局、日本経済の不景気化と財政破綻政策の両輪がセットされた政治にのみ勤しむよう誘導されていることが判明します。

 民主党三代政権はその間、党内を二分するマニュフェスト派であった小沢派を冷遇し続け、そればかりかマスコミの執拗な小沢バッシングに加勢すると云う醜態を晒し、最後には消費税増税法案に反対した咎で党外へ放逐してしまいました。小沢派が生活第一党を結成し来るべき総選挙に備え始めるや、野田政権は電光石火の早業で党内をも騙しながら抜き打ちの衆院解散に踏み切りました。結果、予想通り大敗し政権返上となりました。2012衆院選のイカガワシサの前にこの衆院解散のイカガワシサがあったこと、全てが筋書き通りであることを見てとらねばなりません。

 思えば民主党三代政権とは、政権取る前までは政権取らせて下さいとダダをこね、実際に政権取ると小泉ばりの遊び人風政治にうつつを抜かし、その挙げ句に政権返上すると云う何とも臭い芝居の連続でした。選挙後、海江田が代表となり再起を期していますが、もはやこの党の再起の道はありません。自然死することを予見しておきます。

 こうして、自公政権が生まれ第二次安倍政権が誕生しました。「自公政治こりごり、民主党政治がっかり」の後、今度は「うんざり」することになるだろうと予見しておきます。但し、「うんざり」はまだ良い方で、既に安倍政権後を睨んで石破政権のシナリオが敷かれております。石破政権の下で日本は財政破綻させられ「びっくりしんみり」させられることになるでせう。

 いつからこんな日本になったのか。そろそろこのことを考えなければなりません。日本政治は今やトンデモ時代に入っているのに、そういう自覚がないと手の打ちようがありません。時局を正確に認識する必要があります。かって日本は、明治維新以降、文明国、一等国、先進国入りを目指し、その基準の良し悪しは別としてその後の百年をアジアの雄として君臨して参りました。しかしもはやそれらは過去の遺物です。今やあらゆる指標が韓国、中国に遅れを取りつつあります。日本の今の政治が続くと益々この傾向が拡大します。今現にあるのは「脳がやられ、背骨を折られつつある日本」です。急速な勢いで野蛮国、三流国、不正国、後進国の小日本へと向かいつつあります。

 問題は、そういう日本が自然に作られたのではないと云うことです。何故にこういう日本に益々なりつつあるのか問いかけねばなりません。れんだいこ史観による解は、去る日の黒船来航と共に国際金融資本帝国主義の魔の手が伸び日本侵略が始まりました。戦前はこの魔手との国内国外問わずの戦いとなり敗戦を迎えました。戦後日本は、この魔手通りに工作、加工される日本になりました。その延長上に戦後民主主義体制が導入されました。この体制評価は良し悪し両面から評されるべきです。少なくとも無条件賛美の時代は終わりました。そろそろその空疎性に気付くべきです。

 但し、戦後日本の復興と引き続きの経済成長は魔手の思惑を超える勢いを見せ始めました。1970年代初頭の田中政権の誕生と共にコントロールの利かない日本の動きが出て参りました。戦後復興派の総帥が田中角栄であり、政界に於いては田中派と大平派のハト派系鉄の同盟が構築され自主自律の日本が胎動しつつありました。この動きに断固たる鉄槌が打ちおろされたのがキッシンジャー指令でした。これは初動に於いては金権批判となり、図星としてロッキード事件として楔(くさび)を打ちこまれました。1970年代半ばのロッキード事件を境にハト派系政治が掣肘させられ、日本は再び魔手の籠の鳥に入れられました。これに功のあったのが今に続く政治体制です。この間、国富が吸血され続け、それと共に日本の衰弱が始まりつつあります。

 その彼らが日本を吸いつくし、食い散らかした後に捨てる日はそう遠くありません。その日を如何なる日程のアジェンダにしているのかまでは定かではありませんが総仕上げに入っております。日本の原発列島化もこの見地から読みとる必要があります。豊葦原の瑞穂の国と詠われたさしもの日本も、人のみならずまともな生物そのものが住めなくなる放射能汚染島にされる可能性があります。日本は軍事基地と原発の両攻めを食らっております。魔手は日本からタダで出て行くのはありません。再起不能の日本に仕上げてから出て行くのです。この怖さを感知しないままの「日本いったん潰せ再起論」が云われておりますが無知でしかありません。2012衆院選の結果によって、そういう小日本化へのピッチが速まることが予想されます。

 しかし何事も反作用が生まれます。国際金融資本帝国主義派のシナリオが貫徹されればされるほど抵抗勢力が勢いを増します。これが世の中の道理で歴史弁証法と云われます。その勢力は、2012衆院選で大敗北を期した後、迅速に未来の党から分党し、生活党を立ち上げた小沢派が主導することになります。マスコミは今頻りに第二次小沢バッシングを仕掛け、小沢どん叩き、小沢派が結党した生活党の内部溶解を誘っております。これは魔手の雇われでしかないサガの為せる技でしかありません。臆面もなく駄文を書き続け口ぱくしております。

 この反動マスコミとどう対峙するのか、これが2013年の課題となっていると心得るべきです。反動マスコミの内部浄化期待は百年河清を待つの類です。2012衆院選の偏向的な報道ぶり見て来たばかりです。今や憤然と決別するべきです。インターネット最大限活用による新メディアを創出する以外にありません。第一に生活党自身が自前メディアを持つべきです。

 生活党は今は衆参15名の国会議員からなる小世帯でしかありません。しかしながら、2012衆院選が不正選挙でなかったなら100名を越す議員になっていたと推定できます。つまり、隠然と第二党を形成していると思うべきです。敵は自公民です。維新は当て馬だけの論外です。みんなの党も養殖されているだけの党です。その自公民政治は、魔手の雇われ政治を続ける以外にありません。その反作用として生活党への期待が増すことになります。よって生活党への期待がいやましに増すと知らねばなりません。

 但し、生活党の議員を増すことが目的ではありません。生活党を核としたオリーブの木連合による政権奪取、これに伴う生活党政治をさせることこそが要諦です。この政治のバイブルは田中角栄の日本列島改造論です。これを基礎に現代バージョンに焼き直して政策化せねばなりません。ここに日本救国の道があります。目下の政治は、これの反対ばかりをしているところに不幸があります。しかも意図的故意にです。

 生活党が飛躍する根拠は次の事情にも関係しております。それは、日本の穏和系左派運動政党として長らく社民(旧社会)、共産党がその地位にいましたが、もはや両党は実質的に崩壊しており、セミの殻の如き姿で残存しているに過ぎません。つまり今後は、社民(旧社会)、共産党支持者を生活党が糾合して行くことになります。戦後政治のハト派的特徴を持ちながら日本の伝統的な郷土愛主義者をも糾合して行くことになります。政治論的にはいわばハト派系の政治核としての歩みが運命づけられております。生活党の強みは、口先だけの万年野党政治に飽き足らない政権党を目指す政党であることにあります。この歩みは既に始まっております。2012年末に卵が返り、2013年は成育途上にあります。この流れが2013年政治史の本質的なものに成ります。

 たすけあい党は、この生活党の左バネとして行動を共にします。たすけあい党の後ろには新旧左翼の良質有能部分が結集します。生活党、これを補完するたすけあい党、更にこれを補完する勢力が魔手の企てを阻止することになります。もっとも実際にはやるかやられるかです。政治は本質的にそのような闘いとして存在しております。これを穏和にやるか急進的にやるかの差があるのみです。もっとも穏和と急進は対立するものではなく微妙に支え合う関係のものです。ここが分からないと良い政治運動になりません。

 我々は、魔手の手先どもの我が世の春を終わらせねばなりません。彼らに風前のともしび下の宴でしかなかったことを知らせてやらねばなりません。歴史には神が宿っています。この神は歴史のあるべき方向にリードする力を有しています。魔手の粗脳では解けない不思議の力を有しています。この神の力を借りながら、生活党もたすけあい党も、こんなテイタラクの政治を許せるかの気合いで競り出して行くことになるでせう。共に頑張りませう。

 2013.1.1日 たすけあい党党首れんだいこ拝

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1093  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 1月14日
 2012衆院選の当選者落選者疑惑考

 いつまでもとは思うのだが、れんだいこの胸中に於いて2012衆院選の開票疑惑が強まりこそすれ衰えない。ここで2012衆院選の当落疑惑を総確認してみたい。

 まず、野田前首相の千葉4区である。選挙前、落選の危機が囁かれ、首相としては珍しい比例重複保険を掛けて臨んだ野田首相が2009衆院選以上の大量得票となった怪が信じられない。検票すべきであると考える。次に、菅元首相の東京18区である。次点で比例復活当選したが、事前予想では落選の危機が云われており善戦過ぎる臭いがする。検票すべきであると考える。野田政権有力閣僚の宮城5区の安住、福島3区の玄葉、埼玉5区の枝野、東京7区の長妻、静岡5区の細野、三重3区の岡田、京都2区の前原の圧倒的な当選も気にかかる。これら有力閣僚たちの当選に不審はないが悠々と当選し過ぎではないかとの疑惑が残る。検票すべきであると考える。

 それに引き換え、小沢派の苦戦は信じられないほど壊滅的である。未来の党派のみではなく、民主党に残った元小沢派まで根こそぎ落選している。その殆どが現役議員であることを考えると、現役の強みを発揮して在任中の支持者拡大を図る日常活動が軒並みできていなかったことになる。小沢派が全体に国会報告に熱心であることを思うと信じられない。2009衆院選から大きく票を減らし過ぎている点も含めて気にいらない。検票すべきであると考える。

 特に、事前予想で当選確実視されていた神奈川3区の岡本英子の票が自民、維新、民主、みんな以下の最下位になっているのも気になる。埼玉7区の小宮山泰子も自民、維新に大きく負けている。栃木4区の山岡賢次、埼玉7区の小宮山泰子、千葉3区の岡島一正然りで当選の芽が囁かれていた割には勝負になっていない。全体に未来の党候補者は予想より最低4割減の怪現象となっている。未来の党不人気に因が求められているが、それにしてもと云う気がする。小沢派の苦戦は民主党内居残り組にも表われている。滋賀4区の奥村展三は神奈川3区の岡本英子同様に自民、維新に負け最下位となっている。納得できないので検票すべきであると考える。

 これとは逆に、2009衆院選で落選していた自民党の小泉チルドレンの復活現象が奇異である。落選中の活動がそれほど評価されたようにも思われないのに大阪11区の井脇ノブ子を除く全員が当選し、その多くがぶっちぎりのトップ当選している。新人ないし復活した小泉チルドレンを確認すると次の通りである。宮城1区の土井亨、福島1区の亀岡偉民。埼玉6区の中根一幸、埼玉9区の大塚拓、埼玉15区の田中良生、千葉5区の薗浦健太郎、神奈川4区の山本朋広、神奈川5区の坂井学、神奈川7区の鈴木馨祐、神奈川9区の中山展宏、神奈川14区の赤間二郎、東京7区の松本文明、新潟5区の長島忠美、新潟6区の高鳥修一、岐阜3区の武藤容治、愛知8区の伊藤忠彦、滋賀2区の上野賢一郎、大阪7区の渡嘉敷奈緒美、兵庫1区の盛山正仁、兵庫3区の関芳弘、岡山4区の橋本岳、広島2区の平口洋、長崎1区の冨岡勉、熊本1区の木原稔。総数24名に及ぶ。

 小泉チルドレン系現役組では神奈川11区の小泉進次郎となると桁違いの強さを見せている。東京8区の石原伸晃、東京10区の小池百合子、福井1区の稲田朋美、鳥取1区の石破茂然り。他に茨木7区の永岡桂子、東京3区の石原宏高、東京4区の平将明、東京5区の若宮健嗣、東京6区の越智隆雄、東京19区の松本洋平、東京20区の木原誠二、愛知6区の丹羽秀樹、石川3区の北村茂男、鳥取2区の赤沢亮正、岡山3区の阿部俊子、鹿児島4区の小里泰弘等が当選している。総数17名。小泉系のこの強さが本当のものなのかどうか検票で確かめたい。

 小泉系の圧勝には及ばないが維新の会の善戦も注目される。逐一の確認は轄愛するとして俄か仕立ての新党でかくも認知を受けていたことが容易には信じられない。マスコミのヨイショもあり選挙戦前半までは勢いがあったが後半は失速した観が見られた。結果は、選挙戦前半の勢いを数値化している。検票すべきであると考える。みんなの党の善戦も注目される。代表の栃木3区の渡辺喜美は理解できるとしても、神奈川4区の浅尾慶一郎、神奈川8区の江田憲司がこれまた桁違いの強さを見せている。これも信じ難い。自民、民主を撥ね退ける強さが本物だったのかどうか検票で確かめたい。

 事前予想通りの落選組を見るのも興味深い。北海道2区の三井辨雄、北海道4区の鉢呂吉雄、北海道11区の石川ともひろ、北海道12区の松木謙公、山形1区の鹿野道彦、山形3区の加藤紘一、埼玉3区の細川律夫、東京6区の小宮山洋子、神奈川10区の城島光力、神奈川12区の中塚一宏、新潟5区の田中眞紀子、滋賀1区の川端達夫、大阪7区の藤村修、大阪11区の平野博文、大阪12区の樽床伸二、兵庫8区の田中康夫、徳島1区の仙谷由人、福岡1区の松本龍、沖縄1区の下地幹郎。これらは接戦負けではない。かなりの票差での落選となっている。これに対して、北海道1区の横路孝弘、千葉6区の生方幸夫、東京1区の海江田万里、東京3区の松原仁、愛知5区の赤松広隆、大阪10区の辻元清美、佐賀1区の原口一博らが比例当選している。

 徳島1区の仙谷由人の落選は余りにもな不人気の故、スケープゴートにされたのではないかとの疑いが残る。まさか野田一家全員当選と云う訳にも行かず、仙谷落選が具合が良かったのではなかろうか。総評として云えることは、誰を落し誰を当選させるのかについて見えざる手が働いていた気がすると云うことである。これが神の手ならまだしも開票マシーンの為せる技であったとしたらお笑いである。全ては検票すればすっきりする。これができるのかできないのか。ぜひ国会で取り上げるべきである。議員定数問題以前の議員能力に関わる問題であると考える。

 よしんば検票に向かわないにせよ、2012衆院選ほど不正選挙疑惑が高まった例はない。せめて今後の選挙における不審払拭の手立てを講ずべきで、その議論を避けてはならない。私案については「れんだいこのカンテラ時評№1091 、 選管の不正選挙防止対策と数値発表責任考」に書きつけているので参照願う。この問題に正面から立ち向かえるのは、旧未来の党の面々である。生活の党は、前身の旧未来の党の名誉の為にも奮戦せねばならないと考える。森代表は「疑惑の声が届いているが、これを争わない」旨のコメントをしているが潔過ぎる弁ではなかろうか。選挙疑惑を抱えたままでの次の選挙なぞ空念仏にしか聞こえない。しつこく申し上げておく。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1094  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 1月15日
 マレーシア元首相マハティール氏の1970年代日本論考

「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK142 」の gataro氏の2013.1.15日付け投稿「<インタビュー>ルックイーストはいま マハティール・ビン・モハマドさん(朝日新聞)」に思うところあり、以下ブログしておくことにする。原文は「朝日新聞 2013.01.15 東京朝刊 11頁 オピニオン1、<インタビュー>ルックイーストはいま マハティール・ビン・モハマドさん」とのことである。

 マハティール氏につき、どこかで書きつけた記憶があると思い探すと、「田中角栄論」の「田中角栄の思想と政治姿勢、資金源、人脈考」の「角栄-大平連合の政治史的意義」の「Re:れんだいこのカンテラ時評その122、増山榮太郎氏の「角栄伝説ー番記者が見た光と影」を評すその2」でコメントしていた。以下、補足することにする。

 インタビューゲストのマハティール氏の履歴は次の通り。1925年生まれ。マラヤ大学医学部卒。医学博士。開業医をへて、1981年から2003年まで22年間マレーシアの首相を務めた。そのマハティール氏は、1982年に「日本を見習え」とルックイースト(東方)政策を唱えた。この意味するところは、この発言は中曽根政権時代の1982年であるが、中曽根政権時代の政治の評では断じてない。中曽根政治が「戦後の総決算」なる大言壮語と共に壊し始めた「1970年代までの日本に対する郷愁の弁」である。マハティール氏が「日本を見習え」と唱えたのは、1970年代に結実した田中政権に至るまでの戦後保守ハト派政治への賛歌である。かく解すべきだろう。

 それから30年余りを経て、マハティール氏は、「いまや日本の過ちから教訓を得るときだ」、「韓国により多く学ぶ点がある」と苦言を呈している云々。この意味するところは、中曽根政権時代以降の日本が、その憧れの日本を自ら壊して来たことに対する痛烈な批判である。「アジアを代表する知日のリーダーは、停滞が続く日本にいらだちを隠さない」とあるが、そのいらだちの原因をかく解するべきだろう。

 マハティール氏が「在りし日の日本」を見習いルックイースト政策を掲げたことに対し、「成果をあげたのでしょうか」の問いに次のように答えている。「マレーシアの発展に寄与したことを疑う余地はない。労働に対する真摯(しんし)な姿勢、戦後復興への熱意と愛国心、独自の経営スタイル、職場での規律を日本から学んだ。貧しかったわれわれは、日本人の価値観や倫理観を見習い、民族(マレー系、中国系、インド系)間の協調を保つことで発展しようと考えた」、「多くの日本企業を誘致し、留学生を日本に送りました」、「日本は素材を輸入し、加工して輸出していた。貿易立国をめざすマレーシアにとって、技術を通して世界市場に打って出るモデルだった」。

 「当時の日本は経済的に日の出の勢いでしたが、いま長い停滞のなかにいます」の問いに次のように答えている。「日本が苦境にあるのは、経済大国への道を切り開いた自らの価値を捨て、欧米に迎合したからだ。例えば終身雇用制などに重きを置かなくなった。政府の指導や民間企業との協力関係はいまや犯罪視される」。

 「系列、行政指導、日本株式会社といった、欧米から批判されたシステムにあなたは肯定的でした。それらを捨てたことが間違いだと」の問いに次のように答えている。「大きな誤りだった」、「われわれが見習ったのは、現在の日本がやっていることではない。いまはあなたたちの犯した過ちを繰り返さないようにと学んでいる」。

 「しかし90年代以降のグローバリゼーションは、そうした日本のシステムの生き残りを許さなかったようにみえます」の問いに次のように答えている。「確かにグローバリゼーションはやってきた。それは欧米のアイデアであり、彼らの利益のために考え出された。新たなシステムを採用すれば、混乱はつきものだ。日本は国内の状況を斟酌(しんしゃく)せずに受け入れた。それまでのやり方とグローバリゼーションを調和させることに失敗した」。

 このやり取りから窺えるのは、質問者が「1970年代までの日本に対する批判」を尤もなこととして中曽根以降の国際主義路線を是認し、その立場からマハティール氏の「在りし日の日本賛美論」に疑問を呈し、マハティール氏が反論している姿である。日本人が日本を批判し外国人が日本を耽美すると云う滑稽なやり取りになっていることが分かろう。

 これをもっと正確に云うと、1970年代半ばのロッキード事件で当時形成されてい戦後保守ハト派の二大派閥=田中派と大平派の鉄の同盟に楔を打ち込み、それ以降主流派に転じ始めた戦後保守タカ派の政権になって以来、日本は、マハティール氏が称賛した「在りし日の日本」を自己否定し始めた経緯に対して、質問者がその流れを是認し、マハティール氏が批判していることになる。そういう二人の逆さやりとりであるところに、この質議の面白さがある。

 朝日新聞記事のキモの部分は以上にある。この後、その後の日本政治論、韓国との比較論、中国論へと続いている。この下りのやり取りはさほど意味がないので割愛する。

 次に、「日本は経済的に自信を喪失し、その反動として右傾化が進んでいるとの指摘があります」の問いが為され、マハティール氏は次のように答えている。「危険なことだ。日本が自信を取り戻すのは軍事ではなく、経済力を回復させるしかない」。

 「97年のアジア通貨危機でマレーシアは周辺国と違って国際通貨基金(IMF)の支援を求めず、通貨の変動相場を固定相場制にして、しのぎました」の問いに対して次のように答えている。「IMFを頼らなかったのは、自国のことは自国で決めるためだ」。

 「10年以上たって、リーマン・ショックがあり、続いて欧州危機が起きました」の問いに対して次のように答えている。「欧米では、市場が自律的に需給を調整するといって、政府の規制を嫌う。だが金融市場はシステムを乱用して回復不能に陥った。ヘッジファンドが錬金し、銀行は無理な住宅ローンを貸し付ける。借り手は払えなくなり、銀行は債務超過で危機に陥る。強欲の結末だ。穴埋めに中央銀行が札を刷り、倒産企業を政府が支援している。かって批判してきたことをそのままやっているのだ」、「戦後、日本や韓国など東洋の国々が安く良質な製品をつくるようになった。欧米は製造業の分野でかなわなくなり、金融市場に活路を求めた。サブプライムローン、レバレッジ……。製品も雇用も生まない。商いとはいえない、ギャンブルだ」。

 「米国のいいなりになる日本政府に何度も不満を表明しました。米国の意向をくんで、あなたが唱えた東アジア経済会議(EAEC)構想に反対した時やイラク戦争を支持した時です。そんな日本に学べと号令をかけたことを後悔はしませんか」の問いに対して次のように答えている。「われわれが見習ったのは、高い職業倫理で戦後の復興を果たした日本だ。米国の影響下にある日本ではない。米国はEAECに中国を含めたから反対した。環太平洋経済連携協定(TPP)でも中国を除外しようとする。われわれは東洋の人間だ。敵をつくるのでなく、自分たちの問題は自分たちで解決すべきだ」。

 マハティール氏の弁はこれでも抑制的に語っていると窺うべきだろう。マハティール氏が見据えているのは現代世界を我が世の春とばかりに壟断している国際金融資本帝国主義である。次のように云いたかったはずである。れんだいこが忖度して書きつけておく。

 世界を連中の都合のよいようにはさせない。各国がそれぞれ自律して共栄圏を創る国際関係を生み出さねばならない。その為に何を為すべきか、かっての日本には学ぶべきところがあり大いに学ばせて貰った。今の日本は逆漕ぎ専門で学んではいけない国になってしまっている。一体日本よ汝はどこへ連れて行かれようとしているのか分かっているのか。私の死に出の置き土産に云わせて貰う。日本よ覚醒せよ、余りにも可哀そうでならない。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1095  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 1月23日
 生活党への期待と意義考その1、小沢どんの政治履歴その1、自民党時代考

 小沢系生活党が2013.1.25日に創立大会を開く。この期に同党への期待と要望を書きつけておくことにする。れんだいこツイッターに次のように発信した。「まもなく生活党エールの辞を送る予定です。2013年体制を痛苦に受け止めるのではなく、2013年体制の最中にあって更に小沢派排撃のジハードを呼び掛け悦に入る雇われ政論家の口舌をほ撃つつもりです。集中した時間が取れないので半端なものになるが書かずにはおれない心境です。ご期待あれかし」。こう書いた以上、書かずにはおれまい。

 生活党は今や政界唯一の野党らしい野党である。ここに同党の意義がある。これを逆に云えば、今や政界は表が自公民、これに維新の会、みんなの党が列なり、裏に共産、社民が連合しており、独特の新参者排除の構図ができあがっていることを意味する。驚くべきは、左派勢力の共産、社民がそのような役割を果たしていることである。平素、口先では万年野党として政権与党を攻撃する気楽な稼業に勤しんでいる。しかし、いざ政権交代の機運が訪れると、共産党は独特の「真の野党論」で唯我独尊しながら正面から排撃に向かい始める。この体質は、はるか昔の宮顕時代から変わらない。社会党転じて今は社民党は、こちらも昔から変わらず表で汗をかかず裏駆け引き専門に耽るのを得手とする。こういう悪しき習性が見えてくる。

 2012総選挙の構図を見れば良い。重要課題で殆ど政策一致する未来の党に対して、未来の党の方からオリーブの木連合を呼び掛けているにも拘わらず、社共の方から野党分裂を仕掛け共倒れに導くも恥ずるところがない。しかも両党とも党中央が選挙の敗北責任を負わない。政策よりも政権よりも党利党略を最優先する反オリーブの木運動の手法はいずこから発生しているのだろうか。この共産、社民両党の独特の飼われ方についての論証は別の機会に譲ることにする。

 今や、2012末総選挙以降、55年体制に比すべき新秩序が生まれたと見なしてよいと思われる。これを仮に2012総選挙後体制(略して「2013年体制」)と命名する。この「2013年体制」に抗する唯一の野党政党が生活党であると云うところに同党の意味がある。その生活党の誕生経緯を確認しておく。生活党は小沢派の系譜であるので、小沢どん及び小沢派の経緯から追跡する。これを大雑把早足で確認する。

 小沢どんは、自民党史上の旧主流派である田中派のプリンス的後継者であった。当時の田中派は大平派と共に戦後保守ハト派を形成していた。戦後保守ハト派とは、吉田茂を元祖とし池田隼人を中興の祖とする政治系譜である。世が世なれば小沢一郎は角栄、大平、鈴木善幸後の何代目かで首相に就く戦後保守ハト派虎の子の逸材であった。

 小沢どんの政治履歴を見るのに、1969(昭和44)年、父・佐重喜の急死に伴い第32回衆院選に旧岩手2区から自民党公認で立候補し、27歳の若さで初当選。この総選挙を党幹事長として指揮したのが田中角栄で、以後、田中派の七日会、木曜クラブに所属し、角栄の薫陶を受けることになる。1976(昭和51)年、ロッキード事件が勃発し田中角栄の不遇時代が始まるも、師たる角栄を裏切らず律儀にロッキード公判を欠かさず傍聴したことで知られる。

 1982(昭和57)年、自民党総務局長に就任。その後、衆議院議院運営委員長を歴任。1985(昭和60)年、第2次中曽根内閣第2次改造内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長として初入閣(43歳)。1985(昭和60)年、竹下登、金丸信らの田中派潰しの創政会結成に参加。これが後の経世会となる。竹下派七奉行の一人に数えられ竹下政権誕生に奔走する。1987(昭和62)年の竹下政権下で官房副長官に就任。1989(平成元)年の第1次海部俊樹内閣で党幹事長に就任(47歳)。これより以降数年間が絶頂期となる。自民党時代の以降の政治履歴は割愛する。

 かく羨望される履歴を持つ小沢どんが次第に自民党内に居れなくなった政治状況こそが悼ましい。その暗雲が覆い始めたのが1976年のロッキード事件であった。この事件を契機に、自民党内のハト派が下り坂になり逆にタカ派が陽の当たる坂道を登り始めることになる。この時代の小沢どんの政治履歴は、そういう時代の写し鏡足り得ている。

 戦後保守ハト派のその他大勢がタカ派系主流の新時流に迎合したなかで、この流れに義侠的に立ち向かったのが小沢どんであり、そこが共感を呼ぶ所以のものとなっている。大雑把に見て、こういう捉え方が正鵠を射ているであろう。これを逆に説く者がいるが保守系であればウヨ、左派系であればサヨと蔑視されるのが相応しい。

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 れんだいこのカンテラ時評№1096  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 1月23日
 生活党への期待と意義考その2、小沢どんの政治履歴考その2、脱自民党時代考

 1993(平成5)年、細川連立政権が誕生する。この時、小沢どんは他の多くの仲間と共に自民党を離党し(今日風に云えば角栄チルドレンの決起であったと思えば良い)、8党派連立の細川政権の中核となる(小沢どん転変第1)。細川政権は羽田政権に移行する。しかし、この反自民党政権は多党派派連立故の呉越同舟政権となり崩壊する。

 1994(平成6)年の自社連立による村山政権が誕生する。何と、細川連立政権時の与党の社会党が仇敵の自民党と組んで細川政変を内部から崩壊せしめたことになる。社会党の正体見たり枯れ尾花であった。小沢派は野党になり新進党を結成する(小沢どん転変第2)。その後、羽田派が分裂する。1997(平成9)年、公明党が分裂する。新進党が解散する。かくて、細川連立政権と云う果実が無残にも散らされた。

 1998(平成10)年、小沢派が自由党を結成する(小沢どん転変第3)。1999(平成11)年、小渕政権下で与党入りし自自連立政権を組む(小沢どん転変第4)。ここに公明党が政権入りし自自公連立政権が成立する。2000(平成12)年、連立を解消し野党になる(小沢どん転変第5)。この時、野田毅、二階俊博などの連立残留派が保守党を結成し分裂する。2001(平成13)年、小沢一郎政治塾(小沢塾)を開設する。

 2003(平成15)年、自由党が民主党と正式に合併する(小沢どん転変第6)。2004年(平成16)年、小沢系が一新会を結成する。2005(平成17)年、小沢系が一新会倶楽部を結成する。2006(平成18)年、前原代表が「堀江メール問題」の責任を取って党代表を辞任、菅直人を破り第6代の民主党代表に選出される(小沢どん転変第7)。小沢代表は菅を党代表代行、鳩山を党幹事長にするトロイカ体制を敷き民主党の快進撃時代が幕開けする。

 2007(平成19)年、福田政権下で連立交渉に入り、民主党内の支持が受けられず代表辞任を表明するも党内の慰留を受け続投。2008(平成20)年、民主党代表選に無投票で3選。2009(平成21)年、西松建設疑惑関連で公設秘書が逮捕された件で民主党代表を辞任。鳩山が民主党代表となり、小沢どんは選挙担当の代表代行に就任する(小沢どん転変第8)。

 同年9月、第45回衆議院議員総選挙で民主党が圧勝し、民主党が政権を掌中にする。小沢どんは鳩山政権下で幹事長に就任する(小沢どん転変第9)。2010(平成22)年、東京地検特捜部が政治資金規正法違反容疑で元小沢秘書の石川知裕衆議院議員、大久保隆規、ほか1人を逮捕、起訴。この頃より小沢バッシングが本格化する。同年、小沢系一新会倶楽部が北辰会に衣替えする。鳩山首相の鳩山美人ぶりが食傷され退陣を余儀なくされる。この時、鳩山は自らの辞任と共に小沢どんの幹事長辞任を強請、受け入れる。後継の菅政権は党内の過半を占める小沢派を徹底的に干す片肺人事を強行する。小沢どんは無役に甘んじることを余儀なくされる(小沢どん転変第10)。

 同年9月、民主党代表選挙で菅と小沢が争い小沢どんが惜敗する。ムサシの開票マシーンを使っており不正代表選の噂が残った。同年10月、陸山会事件で検察審査会によって起訴議決され、2011(平成23)年、強制起訴される。民主党常任幹事会が「強制起訴による裁判の判決確定まで党員資格停止」処分を決定する。これにより代表選の立候補資格および投票権を失う(小沢どん転変第11)。

 同年3.11日、三陸巨大震災が発生。菅政権の対応能力の欠陥が露呈する。同年8月、菅政権が総辞職。民主党三代目の野田政権が誕生する。野田首相は「どじょう政治」を標榜し、小沢派を限定つきながら人事登用する。但し、小沢どんに対する冷遇が続く。同年末、小沢どんを支持する内山晃ら9名の民主党議員が「新党きづな」を結成して集団離党する。

 2012(平成24)年4月、東京地方裁判所の第一審で無罪判決。2012(平成24)年、野田政権が消費税増税法案を閣議決定。小沢派は法案採決で反対票を投じ、民主党に離党届を提出する。民主党は離党組を除籍処分とする。小沢どんはグループ議員とともに国民の生活が第一を結党し代表に就任する(小沢どん転変第12)。同年11月、東京高裁が一審判決を支持。控訴側が上告を断念したことで陸山会事件の無罪が確定した。何の為の小沢バッシングであったのか、小沢どんの政治能力を殺ぐ為の国策捜査であったことが裏付けられたことになった。この無罪判決は、はるけきロッキード事件も然りだったのではなかろうかとの推断を呼ぶことになろう。

 第46回衆議院選を控え、国民の生活が第一を解党し滋賀県知事の嘉田を代表とする日本未来の党に合流(小沢どん転変第13)。但し、日本未来の党は61議席から9議席と大幅に議席を減らす。12月、総選挙の惨敗を受けて、小沢派と嘉田派の対立が表面化。小沢派は生活の党に改称し、側近の森裕子が代表に就任し現在に至る(小沢どん転変第14)。

 ここが小沢どんの現在の立ち位置である。この小沢派の政治履歴から何を窺うべきであろうか。そもそも小沢どんは何を求めて自民党を離党し自ら苦難を引き受けてまで有為転変しているのであろうか。小沢どんを突き動かす政治理念、情動は何なのだろうか、これを問わねばなるまい。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1097  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 1月23日
 生活党への期待と意義考その3、小沢政治の転回考

 小沢どんの現在の立ち位置の生活党の前身は国民の生活が第一である。名は体を表すと云う意味で、「生活」と云う党名に注目するべきではなかろうか。これは紛れもなく左派的な党名である。生活党は、社民党なり共産党なりが西欧的な政治思想に基づく党名であるのに比して、和製的な党名であるように思われる。これを左派的と云うより古代縄文の日本思想に近い党名のような気がする。どうやら小沢どんは政治的変転の果てに日本の伝統的な日本思想、世直し思想に辿り着いているのではあるまいか。ここが凡百の政治屋と違う小沢どんの魅力のような気がする。れんだいこは、保守系出自の小沢どんがここに辿り着いたことに畏敬を覚える。左派系出自のものがいつのまにか国際金融資本奴隷に転じて栄耀栄華を極めているチンケなご時勢に於いてをや。

 小沢どんの政治姿勢は、はるけき自民党時代の田中派に在籍していた当時の政治理念である戦後保守本流としてのハト派のそれに回帰しているのではなかろうか。人が幼児期の喜怒哀楽を生涯の母斑とするように、政治の場合には青年期の思想がDNA遺伝子となって刻印され影響を与え続けるのではなかろうか。小沢どんは政治的流浪の果てに角栄政治に戻ったのではなかろうか。これを俗に先祖返りと云う。

 かの時、小沢どんが師匠として崇めた田中角栄こそは、世の金権批判の汚名を取り外せば見えてくるのはまばゆいばかりの戦後保守本流としてのハト派政治の総帥にして権化であった。この政治を真っ向から否定する現代国際金融資本の意向により、この真価が貶され続けているが、戦後保守本流としてのハト派政治こそが戦後日本を牽引し、1970年代に於いて世界の羨む日本を建設してきたのではなかったか。今日の日本の惨状に照らす時、このことを何度強調しても足りることはない。

 見よかの時代を。日本国憲法に則り国債発行を原則的に禁止していた。当然、現在の如くに国債の累積債務に怯えることもなかった。消費税なる悪税もなかった。即ち国債も消費税もない軍事費もGNP1%枠の健全財政国家であった。国家財政は、景気循環の好景気を呼び込むことで法人税、所得税党の利益から徴収される直接税収入で賄われ、利益と関係なく徴収される間接税に依拠をすることはなかった。その為に、あらゆる法と慣習と情念が経済的発展を生み出すようメカニズムされ、高度経済成長型の歯車が上手く噛み合っていた。内需拡大による利益の余剰金が世界に対する経済援助額を増やしつつあった。それは憲法の指し示す国際協調と平和の理念に添う形のものであり諸外国から感謝されていた。経営側と労働側の利益分配率も今日ほどかけ離れておらず、何より経営者の報酬額も労働者側から見てまま納得できる範囲のものであった。企業の業績良好が雇用を生み、今日の如くに失業者、生活保護者を生み出していなかった。雇用と医療と年金が制度的に確立されており、額に汗して働く者への労働対価報酬にはそれなりの合理性が宿されていた。定年を迎えた者には長年の労働の功に報いる安堵の生活が保障されていた。一言で云えば、角栄が著した日本列島改造論の先取りであり、そのひながたが既に実践されていた。日本社会に一億総中流の夢があった。これらに比すれば思え今の時代を。

 小沢どんは、かの時代の善政をかく見据え、かの時代の如くの政治を再生させることに覚醒したのではなかろうか。小沢どんが自民党時代の全盛期に於いては、当時の中曽根政治とは違う政治の型を追及していたとはいえ、大きく見れば国際金融資本帝国主義の意向との妥協産物的政治に終始していた。小沢どんの政治手法の変化の時期ははっきりしないが、恐らく2003(平成15)年の自由党の民主党との合併以降の、2006(平成18)年、第6代民主党代表に選出されて以降より顕著になったのではなかろうか。この流れの中から2009衆院選時のマニュフェストが生まれる。2009衆院選時のマニュフェストは、個々の政策評価よりマニュフェストに貫かれている政治思想の方が注目されてしかるべきだろう。

 制度は時代に合わなくなれば反故されるが思想はそういうものではない、否むしろますます磨かれ時代に合わせて適用される。そういう意味で、小沢政治は古くなるのではなくますます真価を究められようとしており、凡百の政論家が云うような「小沢時代の終り」を迎えている訳ではない。「小沢時代の終り」なる弁は、彼らの飼い主の指令に基づくものであり彼らの願望に過ぎない。そもそも「小沢時代」そのものが未完のままなのであり、未完のものは成就を求めて追求されるのが常態であろう。よしんば肉体的な小沢時代が終ることがあるとしても、小沢政治が再生させようとした政治の灯火は受け継がれていくものであり、そういう意味で存命し続けるべきものである。

 もとへ。こうして、日本政治史上に日本初の在地土着的左派的な生活党が登場した意義は大きい。これを成し遂げたのが小沢どんであり、その思想を共有する同志たちである。ここに生活党の大きな魅力がある。当の当人たちが思っている以上に生活党の歴史的意義は高い。生活党の立ち上げにより、日本の従来の左派まがいの社会党、社民党、共産党は不要とさえなった。本来は生活党内の分派として存在すれば良いだけのものである。にも拘わらず生活党を目の敵にする社民党、共産党なるものが存在するとするならば、その党の党中央の異邦人性を疑惑せねばならない。良からぬ企みを持って党中央に登壇し占拠している国際金融資本の廻し者と的確に認識し、弾劾、放逐すべきだろう。

 小沢派の主導的な奮闘により2009政権交代が成就した。しかしながら待ち受けていたものは小沢派封殺でありマニュフェスト反故政治であった。その3年有余の拙ない民主党政権の果てに意図的故意に元の黙阿弥の自公政権へと政権奉還させた。早速に安倍政権が登場し国家財政の大判振る舞いに興じているがろくなことにはなるまい。次に石破政権が待ち受けているようだが俗に踏んだり蹴ったりの悲惨に遭うであろう。この程度のことは見えぬ先から予見できる。

 結局、先の細川政権と云い、こたびの民主党政権と云いお粗末な結果にされてしまった。但し試練は人と政治を鍛える。三度目の正直と云う言葉もある。生活党は見果てぬ夢を求める権利を掌中にしている。民主党の党的瓦解を尻目に生活党は何度踏みつけられても起き上がるし起き上がらざるを得ないであろう。なぜならそこに振り子の如く立ち戻らざるを得ない政治の要諦があるから。れんだいこはそう考えている。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1098  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 1月24日
 生活党への期待と意義考その4、生活党への注文

 以上、生活党出航に当ってのれんだいこ激励を送らせていただいたが、最後にかく期待の大きい生活党の足らざるものに注文をつけておく。先の2012総選挙に於いて未来の党に大同団結したのは良い。なぜなら弱い方こそ小異を捨て大義に拠るのが勝利の方程式であるから。結果は惨敗となった。数々の選挙不正が確認でき、ムサシマシーンにより開票操作された可能性があるので勝負判定は未決着である。しかしながらムサシマシーンを導入させ続けていることも含めて教訓化せねばならぬ。あれこれ挙げればキリがないので生活党単体としての努力でできそうなことを指摘しておく。

 その第一は党名である。現在の生活党なる党名はこれで良い。問題は、未来の党なる党名が提起された場合、それは政治用語ではないとして退けるべきではなかったか。「鉛筆もったら未来の党」なる標語もオカシイ。未来にしても鉛筆にしても、それは他党にも当てはまることであり、結局、党としては何も主張していないことになる。嘉田滋賀県知事の頭脳のイカガワシイところである。しかし、この問題は済んだこと故もう良い。

 その第二は政策である。脱原発は現下の状況下では絶対的に正しい。卒原発は脱原発を薄める響きがあるがまま良い。問題は、国政選挙で原発政策一本槍で臨むべきだろうかという問いにある。あれこれ併記せよと云っているのではない。真意は、原発問題があろうとも最優先は国民を食わす為の経済政策の提起提言を第一にせねばならないのではないのかと糺すことにある。国民を食わす為の経済政策に景気対策、雇用政策、財政問題が絡んでくることになる。いずれにせよ経済問題から入らねば政治ではない。経済問題を第一に取り上げない公約は言葉のアクセサリーにされてしまう。これを肝に銘じてもらいたいと思う。

 今どきで云えば、経済政策から始め次に原発であり軍事防衛であり教育であり地方自治であり規制緩和であり云々と続けるべきであろう。これに照らす時、先の総選挙での卒原発一本槍は拙劣だったと云うことになる。如何なる時も常に経済問題、国民に飯を食わせる処方箋からは入れ、これが云いたい。この点、その政策の適否は別としても自民党が一番原則的であるように思われる。

 その第三は政党の在り方である。政党はまず第一に国民に飯を食わす為の政治能力、施策を講ぜねばならない。次にその都度の時代の課題に対処せねばならない。野党の立場からできることは限られていようが党が掲げる政策の実現を目指して働かなければならない。当然、与党になれば直接的に対処せねばならない。野党は批判だけで足りるとする万年野党暮らしの処世法に馴染んではいけない。常に政権党の如くに責任政治の観点から立ち居振る舞いすべきではなかろうか。それは何も政府与党の政策に迎合することを意味しない。認めても良い法案もあろうし、徹底的に争う法案もあろうし、審議拒否すべきものもあろう。あるいは次善の改良提案すべきこともあろう。かく態度を構えるべきではなかろうか。

 その第四は公正選挙の訴求である。これまでは考えられなかった事象であるが2012衆院選では選挙不正疑惑が持ち上がっている。未来の党は直接の被害者であるにも拘わらず、これを問題にしていない。しかしそれは潔い態度だろうか。れんだいこは、オカシイと思った選挙区の検票が為されるべきであると考える。その為にどういう要件が必要となるのかを議論し検票し易い制度を求めるべきだろう。不正選挙疑惑は議会制民主主義の根幹が問われている訳であり、これに背を向けるなどあって良い訳がなかろう。政党の有権者責任を考えれば有権者への謝辞は儀礼であり、有権者が選挙を疑惑しているのなら不正の究明にこそ当るべきだろう。疑惑選挙区の検票をすれば白黒判定がつくのであるから、これに向かわねばなるまい。

 凡そ以上を肝に命ずれば追い風が吹く。その追い風は議員貴族を増やすことに利用するものではない。政治家たる者は畳の上での往生を願わぬ、命を歴史に差し出す者であらねばならない。但し滅びの美学に酔ってもイケナイ。目指すべきは政権であり与党政治であり、政治的発言の政策的物質化である。今日の政治家の言は明日の施策にならねばならない。そういう意味で、政治家たる者の発言責任は重く、精神において常に懐に辞表を、切腹を覚悟して事に処せねばならない。これにつき民主党三代政権が共通して見せたマルチ舌はお話しにならない。民主党にはこの毒が今も回っており政治医学的に見て解毒できない。そういう意味で民主党は終わっている。追って社会党の二の舞になろう。

 思うに、政治音痴は人として発育不全である。現代は、この発育不全が政策的に助長されている。詩人、芸人故に政治には関心がないと嘯く文化人がいるがふてぶてしいと云うべきである。あらゆるものが政治に関係している。政治に関心を持たないのは持たなくされているのであり去勢されている故のものである。この辺りのことを述べ始めるとキリがないので割愛するが、意図的故意にして用意周到に敷かれている精神及び頭脳のスポイル化に抗する知性こそ本物のインテリ性であると考えている。そういう構図下での彼我との力関係の上での丁々発止のやり取りこそ政治の醍醐味ではなかろうか。国民の政治音痴は政治家の政治白痴化を助長させる。そういう意味で、結果的に時の政治の質と国民の能力は釣り合いが取れていると見なすべきだろう。

 れんだいこは若かりし頃、時代が下る毎に何がしか改良が生まれ、世の中が次第に良くなると思っていた。これを仮に命名すれば進化史観と云うことができる。しかしそれはウソであり間違いであると見なすようになった。それが証拠に、戦後新日本は1970年代より退歩することはあっても少しも前進していない。よしんば科学技術は進歩し続けているにしても、それを活かす知恵が明らかに後退している。現代は、科学技術の進歩を活かす知恵が滅法逼塞しているのではなかろうか。

 その証拠の一つとしてテレビ番組の例を挙げておく。昔の番組の方が見て為になるものが多かった。ニュースキャスターにも個性派がままいた。今はさっぱりダメだろう。れんだいこは、2012衆院選で朝のニュース番組が各社揃って選挙情報をまともに取り上げなかったのを見て、それ以来テレビを見るのが馬鹿らしくなった。それまでも見ない方だったのだが朝のニュース番組は見ていた。今はそれさえ見なくなった。今見るのはスポーツ観戦ぐらいのものである。たまりかねてスカパーなるものに加入し朝も晩も囲碁将棋チャンネルばかり見ている。連れ合いは時代劇と事件物を気に入っているようだ。文明の利器のテレビがこんなに拙くしか使われず、視聴するに値する番組がなくなるなんて時代が予想できただろうか。

 著作権の過剰権利化による情報閉塞然りである。社会が賢くなっているとは到底思われない。その他その他の理由により退化史観なるものが存在することを実感している。嘆かわしいことではなかろうか。生活党に対するお願いは、我々の脳のしわと深みが増すように世の中をリードしてくれることである。この方向に舵を切れば我々はいつでも支持する。逆方向に向かうのであれば用はない。生活党は我々の期待を担ってくれると信じている。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1099  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 1月31日
 教条における「が」と「も」の違い考

 一般に思想の教条に於ける「が」と「も」の違いについて愚考してみる。これは、ネット検索で出くわした「狂おしく悩ましく」を早読みした時の感慨である。著者は元中核派の本部員であったようで、同派の内情を種々スケッチしている。れんだいこがオヤッと思ったのは「愛国民族主義問題」に於いて定説を持っていない様子に対してである。この問題についてはれんだいこも興味があり、「マルクス主義における愛国民族主義問題について」をものしている。

 「狂おしく悩ましく」」

http://blogs.yahoo.co.jp/hutagoyama_1/52737808.html

 「マルクス主義における愛国民族主義問題について」
 (marxismco/minzokumondaico/

 minzokumondaico.htm)

 例えばマルクス主義について確認すると、バイブルである「共産主義者の宣言」文中に「労働者は国家(祖国)を持たない」と云う言説がある。これにより日本マルクス主義運動においては新旧左翼問わず愛国主義、愛民族主義、国旗国歌(日の丸君が代)に反対の姿勢が導き出されている。しかしそれは「共産主義者の宣言」の文意における「労働者は国家(祖国)を持たない」が吟味されぬまま適用され過ぎているのではなかろうかと云う問題意識を介在させている。これにより「マルクス主義における愛国民族主義問題」が発生している。

 これを踏まえて、れんだいこは云いたい。「愛国民族主義問題」は未だ理論的に切開されていない。この問題においてはマルクスの言辞と雖も教条化すべきではない。そもそもマスクスのそれとエンゲルスのそれ、レーニンのそれ、トロツキーのそれ、スターリンのそれ、毛沢東のそれ、ホ・チミンのそれ、金日成のそれは微妙に違う可能性が強い。諸氏の言説がそれぞれの時代性、お国柄、精神性に影響されている可能性が強い。

 この辺りを見ずして精査のないままの「労働者は国家(祖国)を持たない」を教条化するのはむしろ危険なのではなかろうか。そもそもマルクス主義における教条主義は似合わない。マルクス主義が他の宗教、哲学、政治思想よりも教条性が強い主義だとしたら、それは原理的に反マルクス主義なのではなかろうか。そういうものが流行っているんだけれども。そして廃れているんだけども。

 そこで云いたいのは、今後に於いてはマルクス主義であろうと他の諸思想、宗教、哲学だろうと、その開祖、教祖、最高指導者の言といえども、これを仮に「A」とすると、A「が」かく述べて居るので従うべしとするのではなく、A「も」かく述べて居るので正しさが裏づけられるのではなかろうかと云う風に一歩控えて援用されるべきではなかろうか。つまり盲目的絶対的な基準を排し、あくまで吟味上の物差しとして評され尺度とされるべきではなかろうか。これを略して「『が』ではなく『も』とすべし論」、更に略して「がも論」として獲得すべきではなかろうか。

 こういう見地からあらゆる理論が精査されるべきだと考える。そういう精査を経て獲得されるものが導きの理論となるべきであり、それは時代を経て更に精査されると云う具合に不断に検証されて行くべきであり、これこそ思想運動の生命線ではなかろうか。近代曙光の精神「全てを疑う」はかようなセンテンスで活かされるべきではなかろうか。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1100  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 2月 2日
 キリスト教の親ネオシオニズム性考

 2012総選挙の八百長性に関心を持って以来、その後の政治に同様の臭いを嗅ぎまともに論評する気になれない。こういう時には原理的な問題に関心を寄せることにする。先にマルクス主義の「労働者は国家(祖国)を持たない」に端を発する愛国民族主義問題を検討したが、ここでは世上で云われているキリスト教のそれについて解析してみる。

 その実践的意味は、キリスト教信仰者(キリスト教徒。これを俗にクリスチャンと云うので以下クリスチャンと記す)が日本の国家中枢各機関に進出することの危険性を危ぶみたい故である。彼らには特有の売国的傾きが見られるからである。「彼らに特有の売国的傾き」は他の出自分野でも認められる。これらは現代史の第一級課題となっているのではなかろうか。

 れんだいこのこの危惧を裏付けるかのような次の一文に出くわした。2012.7.7日付けブログ「保守派政治家にクリスチャンが多い理由」が次のような問いを掲げている。

 保守派と言われる自民党の政治家にはクリスチャンが多いです。クリスチャンは統計上日本人の1%しかいないことを考えると異常な多さです。現役の方では麻生元首相・与謝野元大臣・山谷えり子議員・谷垣総裁・石破元大臣・野田聖子議員、あと安倍元首相もキリスト教系団体の統一教会と仲が良かったようです。自民党の言う保守とは、日本の伝統を重視する思想だと思うのですが、なぜ日本の伝統と相容れない一神教を信仰する人がこんなにも多いのでしょうか?(むしろ伝統を重視しない他の政党にはクリスチャンが少ないおかしな状況になっています。)

 上記文に登場している政治家はごく一部でしかない。精査すればもっと多くの与野党問わずの政治家が確認できよう。上記文は現首相の安倍、次期首相の呼び声の高い石破をクリスチャン政治家として挙げているところに意味がある。このことは実は怖い話しである。

 もとより信教の自由は認められるべきであるから政治家のキリスト教信仰自体に非はない。問題は、クリスチャンがこぞって日本の伝統習慣法律を軽視しあるいは反逆するように意識付けされていることにある。これは、日本史上の戦国時代の宣教師(バテレン)渡来時にも発生したことである。かの時、キリシタン大名下の軍兵が各地の神社仏閣を焼き打ちしたことは知る人ぞ知る史実である。結果的には神社仏閣側が反撃し、良し悪しは別として鎖国に至る過程でキリシタン狩りが数度となく行われ、その動きが封殺されたことは衆知の通りである。この問題は、近代以降の西欧列強の世界分割植民地化の先兵として宣教師(バテレン)が活躍した史実と照らし合わせた時、深刻になる。

 キリスト教問題はその親ネオシオニズム性にある。しかしてネオシオニズムは歴史的に見てユダヤ教パリサイ派特有のものである。クリスチャンも又通俗マルキストと同様に国家(祖国)を持たない。代わりにユダヤ教パリサイ派的世界秩序理念に従い、その国際センターの指導に一元的に服する傾向が強い。代わりに出世登用が約束されており、その餌を求めて魂を売るクリスチャンが多い。非クリスチャンに比べてクリスチャンには何重にもサロンへの誘惑が多く結社加入の機会が敷かれている。これによる組織盲従性が政治問題化されねばならないと考える。その昔、イエスがその誘惑のワナから逃れたのは「荒野問答」で知る人ぞ知る逸話である。

 理論的に見て、どうしてこういうことになるのだろうか。結論を先に述べれば、キリスト教は開祖イエスの御教えを部分的に取り入れながらも構図的にユダヤ教化されたキリスト教であり、開祖イエスの教えに基づくキリスト教ではない。むしろキリスト教はユダヤ教パリサイ派教義に取り込まれており、ユダヤ教パリサイ派の系譜をひく国際金融資本全盛の現代ではなおさらその傾向を強めつつある。これ故に学べば学ぶほどネオシオニズム化されたクリスチャンが生まれることになる。この謂いの妥当性はキリスト教教義の解析により判明する。これについては「イエス伝福音書考」で論述している。

 要するに、キリスト教教典の第一章が旧約聖書として天地創造から始まるユダヤ教の教典を掲げているところが臭い。イエス教教義であれば、ユダヤ教教典は参考資料にはなってもイエス教教義として取り込まれる筋合いのものではない。そもそも独善的な選良意識を基底に形成されているユダヤ教教義に最も厳しく対決したのがイエスなのではないのか。そういう意味でイエス教であるならばその教義にユダヤ教教典の入り込む余地はない。本来ならイエス教祖伝が編成され、キリスト教教典第一章の地位に治まるべきところである。実際はイエス教祖伝が隠され代わりに旧約聖書が拝戴されている。そういうすり替えが行われている。

 しかして、このことを誰も訝らず今日まで通用している。これによりキリスト教徒は不断にのっけからユダヤ教教育を余儀なくされている。この不正を糺さねばならない。その旧約聖書の解釈を廻ってキリスト教新派が数多く生み出されているが、本来確立されるべきのイエス教の見地からすれば何の意味もないことである。宗教的音痴の為せる技でしかない。

 キリスト教をかく解析したのは、既に為されているのかも知れないが少なくとも流布されていないので、れんだいこの功績だろう。キリスト教渡来より数百年、ようやくキリスト教が何者なのか解析し得たと自負している。「れんだいこのキリスト教論」が成るほどのものだとすれば、開祖イエスの御教えに基づかないものを基づいているとして奉じていて良いものだろうかと根本疑惑せねばならないことになる。既に数千年来そのようなキリスト教が流布されているのであるが、ならば本当のイエス教とはどういうものなのか、かく関心が進むべきであろう。これが自然な論理の流れである。

 この作業はさほど為されていないように思える。そこで、つたないながられんだいこが挑んでいる。一応の書き上げが「別章【イエス教論・キリスト教論考】」である。今後は誰しもこれを下敷に論を更に精緻にして行くが良かろう。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1101  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 2月 6日
 ヨハネの黙示録考その1、れんだいこの読後感

 2013(平成25)年2月頃、初めてヨハネ黙示録を読んだ。先のブログ「キリスト教の親ネオシオニズム性考」の影響だろうが、いつか確認しようとしていて転載していたのを読む機会を得た。そのサイト元のアドレスを開けると「Object not found!」となる。意味を変えない範囲でれんだいこ文法に即して編集替えする。訳文の正確さが気になるが今は原文、英文と照らし合わせる余裕がない。この訳文が正しいものとして以下論評しておく。今検索すると「ヨハネの黙示録」、「まんが黙示録入門」、「ヨハネの黙示録」等が次々と出てくる。結構関心が持たれていることが分かる。

 ヨハネ黙示録の最初の読後感は、こんなもんが何でイエスの御言葉であるものかと云う思いだった。ヨハネ黙示録とあるので№4福音書の著者であるヨハネの手に成るものと思われる。既に指摘したが、ヨハネ福音書は福音書中で最もイエス伝とかけ離れており、イエス及びその御教えの伝と云うよりはユダヤ教パリサイ派の教義を濃厚に認めている。そういうヨハネ福音書、ヨハネ黙示録を有り難そうに拝戴するキリスト教とはそも何者ぞと云うことになる。これが最初の感想である。

 次の感想はヨハネ黙示録の内容についての疑義である。ヨハネ福音書がイエス及びその御教えの伝と云うよりはユダヤ教パリサイ派の教義を濃厚に認めていることは既に言及したが、ヨハネ黙示録となると更に度が激しくなる。もはやユダヤ教パリサイ派の得意とする秘密結社の読誦文に近いと云う思いがする。世に胸糞が悪くなると云う言葉がある。ヨハネ黙示録は全文がそういう類のものである。

 悪魔、サタンと闘うキリスト像を語るが、そのキリストの闘い方そのものが悪魔的サタン的である。そういうものは決してイエスの教義ではない。後のフリーメーソン養成のための呪文のようなものであると考えられる。実際、フリーメーソン、イルミナティー等の秘密結社はこのヨハネ黙示録の諸啓示に似せて儀式を行っているのではなかろうかとさえ思える。この推測が事実ならヨハネ黙示録の罪は大きい。そんなものを後生大事に崇める世のキリスト教の無知蒙昧に怒りを覚える。

 次の感想は、ヨハネ黙示録から判明することであるが、キリスト教とはどうやらユダヤ教に激しく反発したイエス教とユダヤ教内部のキリスト信仰とが合体したものではなかろうかと云う思いである。ヨハネ黙示録はユダヤ教内部のキリスト信仰をパリサイ派的に記したものであり、その際にイエスの御教えをご都合主義的に取り入れて誤魔化しているところに特徴がある。もっと云えば、イエスの御教えを部分的に取り入れてはいるもののユダヤ教内部のキリスト信仰そのものである。従って、ユダヤ教内部のキリスト信仰を知ることはできても、本来確立されるべきイエス教とは全く別の信仰である。そういう問題のあるヨハネ黙示録を教義に取り入れているキリスト教の責任問題に及ぶが、キリスト教とは元々そのようなものであると考えれば辻褄は合う。こう確認すべきであろう。

 このようになぜ断言できるのか。それは、れんだいこが、イエスの御言葉を的確に知る故である。これについては、「イエスの教義考、山上の垂訓考」に纏めている。既成の「山上の垂訓」は福音書のそれと雖もかなり歪められているので手直しする必要がある。本来のイエスの御言葉はこのようなものだったのではなかろうかと推理して書き直している。まだ不十分なデキのものであるが他のテキストよりはましだろう。これとヨハネ黙示録の内容を比べて見るが良い。ヨハネ黙示録がイエスが最も嫌ったパリサイ派の言辞、論理、論法をイエスの言葉として記していることが分かろう。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1102  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 2月 7日
 ヨハネの黙示録考その2、総合解説

「ウィキペディアヨハネの黙示録」その他で「ヨハネの黙示録」の概要を確認する。

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2

 それによると、「ヨハネの黙示録」は古典ギリシア語で「: 'Aπōκάλυψις Ιωάννης」、ラテン語で「Apocalypsis Johannis」と記される。タイトルの「黙示」とはギリシャ語の「アポカリュプス(古典ギリシア語 'Aπōκάλυψις)」の訳であり、原義は「覆いを取る」ことから転じて「隠されていたものが明らかにされる」という意味である。英語では「revelation」、訳語としては「啓示」が相応しい。

 新約聖書の中で唯一預言書的性格を持つ書である。単に「黙示録」あるいは「ヨハネによる黙示録」、「神学者聖イオアンの黙示録」(日本ハリストス正教会)、「使徒聖ヨハネ黙示録」(天主公教会)、「イエス・キリストの黙示」(プロテスタント福音派)、「ヨハネが受けたキリストの啓示」(現代訳聖書)と称されている。

 ヨハネの黙示録は、キリスト教内で、その解釈と正典への受け入れをめぐって多くの論議を呼びおこしてきた書物である。著者はヨハネ福音書の著者である使徒ヨハネであると考えられているが、文体上の違いに着目し、仮にヨハネであったとしても福音書のヨハネとは「違うヨハネ」の筆であることを指摘する議論がある。そういうこともありヨハネ黙示録はペトロ黙示録と共に「真性に疑問のある書物」であると評されている。ヨハネ黙示録が「異端の書」、「偽預言書」として扱われてきたことには然るべき理由があると云うことになる。

 今日のキリスト教会では正典と認められ新約聖書の一番最後に登場している。但し、ローマ・カトリック教会が正典として認めたのは2世紀中頃である。中世末期、正教会でも正典に加えられはしたものの聖書の中で唯一奉神礼で朗読されることのない異筋の書となっている。

 ヨハネ黙示録冒頭で、迫害を逃れてエーゲ海の孤島パトモス島に避難していたヨハネによって書かれたと記されている。或る日のこと、ヨハネは神の啓示を受け、未来の光景や出来事を目にする。それを書き留め、小アジア(現在のトルコ西部)にある7つの主要なキリスト教会へ手紙を送ったという設定になっている。

 ヨハネ黙示録の成立時期はローマ帝国のドミティアヌス帝時代(紀元81~96年)の紀元95年前後であると考えられてきたが、聖書学者の中にはネロ帝時代(紀元54~68年)の68-9年頃と考える者もいる。

 啓示のあらましは次の通りである(「ヨハネの黙示録とは」その他を参照する)。

 (http://2012doomsday.web.fc2.com/yohane.html

 天の玉座に神がいて、周囲を24人の長老と、ライオン、雄牛、人間、鷲(わし)にそれぞれ似ている4つの生き物が取り囲んでいた。神の手には巻物があり7つの封印で封じられていた。7つの角と7つの目をもつ小羊が一つひとつ封印を解いていく。小羊が封印を解くごとに禍が地上を襲う。小羊が第7の封印を解くと、世界が沈黙で包まれた後、7人の天使が現れて、一人一人にラッパが与えられた。天使が一人ずつラッパを吹くたびに禍が地上を襲う。第7の天使が最後のラッパが吹くと最後の審判が行われることが予告される。

 7人の天使が7つの鉢に入れた神の怒りを地上に注ぎ世界に第一次終末が訪れる。救世主イエスが再臨し千年王国が実現する。神を信じ正しい行いをした人々が復活する。千年後、悪魔が再び現れ最初の王国が滅びる。これが第二次終末となる。メシアとの最後の決戦が演ぜられ、最後の審判で「命の書」に名前のない人は地獄に落とされ、名前のある人は天国に昇ることができる云々。救世主イエスの再臨が預言されたところで黙示録が終わる。

 この道中で、 戦乱や飢饉、大地震などのあらゆる禍、天使と悪魔の戦いや最後の審判の様子が記されている。この間、象徴的な表現が多用されており、数字や生き物(獣)がいくつも登場し、「ハルマゲドン」の様子が描かれている。バビロンは淫乱な女性の姿で表象されている。

 以上が「ヨハネの黙示録」の概要である。本来はイエス教とは何の関係もない、むしろイエス教義的には排斥すべき奇書でしかないが、奇書故に類が類を呼ぶの例え通り奇人が殊に愛読する。読書は勝手であるので、これを制限する必要はないが、イエスの御言葉をヨハネの筆を借りて綴った預言書と云う受け取り方だけは吹聴しないでもらいたいと思う。百歩譲って仮に値打ちがあるとしても、イエス系のものではなくパリサイ派系のものであると知る必要があろう。これを一言添えておく。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1103  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 2月11日
 2013.2.11建国記念日に思う

 2.11日は世間では建国記念日である。れんだいこにはサイト開設記念日である。開設したのは2000(平成12)年であるので、かれこれ13年になる。あの頃より政治情勢、生活状態が良くなったのだろうかと問うと否定的に答えざるをえない。これは寂しいことである。れんだいこの認識は進化したが、この後も進化し続けていくであろうが、それが世界に反映されない、そのことにもどかしさがある。しかし何事もあきらめてはいけない。生ある意味を歴史に刻み続け子孫に遺し伝えればならないと改めて思う。

 政治情勢的には、この十数年間で見るべきものは殆どない。わずかに小沢党が生活党と云う種を残し生育中と云うことぐらいだろうか。後は全体にますます右寄り、と云うか国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの御用聞き色を強め続けている。これは与野党問わない。与党は表からの御用聞き、野党は裏からの御用聞きの政治集団に過ぎない。こういう日本に未来はない。ただあきらめるのは早い。この御用聞き集団が纏めて歴史の屑かごに入れられる日が来る。これも歴史の法理である。そう思う故に、さほど気にならない。

 やはり問題は、国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの御用聞き政治を撃つ側の政治能力だろう。個々には優れた狙撃手が登場しつつある。問題は、狙撃手の共同戦線運動の構築にあるのではなかろうか。狙撃手は狙撃手に止まってはいけないとも思う。目指すべきは政権政治であり、狙撃手が撃とうとした政治の反対の信に足りる政治施策の実現に向かわねばならない。つまり、批判の刃は責任の餅臼に向かわねばならない。れんだいこの目の黒いうちに可能になるかどうか分からないが絶えず目指し続けねばならない。と思う。

 狙撃手の共同戦線運動の構築について。狙撃手にはそれぞれ得手不得手がある。それぞれが得手の部分で良き狙撃手となり、不得手の部分を他の狙撃手の能力で補完せねばならない。これが共同戦線運動の意味である。自由、自主、自律の規約を旨として極力統制色を薄めたもので構築しなければならない。新しい政治は新しい質のもので担われなければならないと信ずるからである。そういう規約論、組織論、運動論を構築せねばならない。これまでのように言葉に酔うだけの党中央統制型の運動を排さねばならない。そろそろ、せめてこれぐらいの確認をしても良いのではなかろうか。

 さて、建国記念日に一言申し上げておく。建国記念日とは、2009.2.11日付けれんだいこのカンテラ時評534「建国記念日考」で言及している。これを手短かに確認する。
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 建国記念日とは、日本書紀記述の「神武天皇が辛酉の年の春正月庚辰朔に橿原に宮を建てた」を由来としている。明治政府は、この記述をカムヤマトイワレ彦命即ち神武天皇即位日と読み取り、この日を日本国創建日として称え祝日とすることにした。既に西欧暦である太陽暦を採用していたので、これを西欧暦で換算させたところ「西欧暦紀元前660.2.11日」とされた。これにより1872(明治5)年、2.11日、紀元節祝日法が制定され、1873(明治6).11.15日、紀元前660年を元年として「皇紀○年」という年の数え方が制度化された。これが建国記念日の発祥である。

 戦後、1948(昭和23)年に制定された「祝日に関する法律」附則2項で戦前の「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)が廃止され、これに伴い日本国憲法の精神にそぐわないとして紀元節その他皇国史観に基くとみなされた諸祝日、大正天皇祭(12.25日)が廃止された。1951(昭和26)年頃から紀元節復活の動きが見られ、廃案の繰り返し後の1966(昭和41).4.6日、法86により「建国記念の日」を国民の祝日として追加して復活した。れんだいこは、「建国記念の日」を設けることに反対はしない。問題は、憲法記念日同様、単に祝日とするのではなく、祝日の内容の中身を検証する日にしたいと思う。日本がどのような国家的社会的歩みをしているのか、その元一日を尋ねる日にしたい。

 ところで興味深いことがある。建国記念日を「西欧暦紀元前660.2.11日」としていることについて共に悩みたい。これを理解するには実は相当な史観が要求される。と云うのは、建国記念日は邪馬台国滅亡後の紀元3世紀頃に設定しなければ史実に合わない。何故に紀元前7世紀に設定したのかが問われねばならない。紀元前7世紀の日本がどういう国体状況だったのかと云うと、恐らく日本列島各地で部族国家の形成が進みつつある頃であり大和王朝的統一王朝が出現するような時期ではない。にも拘わらず大和王朝建国をこの時期に求めたのはどういう意味なのか。「辛酉の年の春正月庚辰朔」から類推すれば「西欧暦紀元前660.2.11日」となったとの説明は苦し過ぎる。

 れんだいこは、「辛酉の年の春正月庚辰朔=西欧暦紀元前660.2.11日」が日本書紀独特の詐術記述に合わせての単なる辻褄合わせだった可能性と、日本建国の何らかの史実と対応している可能性の二通りを考えている。辻褄合わせ説には意味がないので思考しない。日本建国の何らかの史実対応説に思いを馳せたい。そう思えば2.11建国記念日はなかなか味わい深い。そういうことも含めて、建国記念の日を、憲法記念日同様、単に祝日とするのではなく日本がどのような国家的社会的歩みをしているのか、その元一日を尋ねる日にしたい。れんだいこのサイト開設記念日をこの日に設けたことの偶然的意味を感謝したい。

 jinsei/



 れんだいこのカンテラ時評№1104  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 2月13日
 邪馬台国論、同論争のもう一つの意義について続

 邪馬台国研究のもう一つの意義について確認しておく。これが最新の気づきである。「邪馬台国論、同論争の歴史的意義について」で、邪馬台国研究の意義について、邪馬台国と大和朝廷との皇統譜の解明と邪馬台国が存在していた紀元3世紀頃の日本の国体国勢状況を明らかにすることを確認した。「邪馬台国論、同論争のもう一つの意義について」で、「邪馬台国論証力」による論証能力練磨による果実を確認した。

 実は、邪馬台国研究にはもう一つの大きな意味がある。それは、紀元3世紀頃の邪馬台国までに形成されていた「原日本の解明」である。このことが如何に重要なことであるのかは、「原日本」がその後の日本史に脈々と今日まで続いていることにある。これにより、祖国日本論を唱える場合に、邪馬台国時代までの原日本と邪馬台国滅亡後の大和王朝時代以降のいわば新日本との識別をせずんば適切を得ないことになっている。このことがさほど重要視されておらず、為に祖国日本論上に於いて多大な混乱を招いているように見受けられる。そういう意味でも実践的な課題となっている。

 思うに、戦前の皇国史観とは、祖国日本論上、「原日本」を邪として蔑視し、大和王朝時代以降の「新日本」を正として形成した偏狭な国体論にしてイデオロギーではなかったか。皇国史観は、とかく問題のある日本書紀を絶対教義とし、こちらもとかく問題のある古事記を相対教義とし、この記紀二書を核として他書の都合の良い部分だけを抽出して構築した独特の歴史観ではなかったか。特に、幕末維新、明治維新来の政争で最終的権力者となった長州閥を主とする国際金融資本帝国主義傀儡派による絶対主義的天皇制の確立、これによる好戦主義の御用史学として持て囃されたのではあるまいか。

 そうとするなら、戦後史学は、皇国史観を崩壊させ、代わりに皇国史観が押しとどめていた大和王朝前の日本史解明に向かうべきであった。それにより、日本史内の原日本と新日本の内争と拮抗調和、あるいは同化と非同化を見つめての祖国日本論の形成に向かうべきであった。ところが、実際に為したことは、皇国史観を崩壊させたが、同時に祖国日本論そのものをも流産させてしまった。代わりに持ち込まれたのが国際金融資本帝国主義イデオロギーであるネオシオニズムに基づくいわゆる進歩史観であり、戦争と革命史観であった。それらに興味を持たない者には例えて言えば財テク処世法とでも云える経済ものハウツーのおしゃぶりおもちゃを持たせた。これにより、戦後日本人は、学んでも決して役に立たない情報過多のみの骨格のない無国籍型の歴史通経済通人間に化せられ今日に至っている。

 ここまで書けば、邪馬台国研究のもう一つの意義としての新しい祖国日本論の必要が分かろう。日本の国体、日本の精神、日本の情緒、日本の感性、日本の伝統、日本の所作作法を尋ね、現代における日本人としてのアイデンティティを持つ国際人を要請せねばならない。このことが如何に重要かは、現代政治、現代政治家の貧相を見れば分かろう。日本の歴史を知らない、日本史の背骨を持たない政治家に日本の将来を託すことの無謀さが分かろう。饒舌しかはびこらないのも道理ではなかろうか。

 最後に「原日本」解明の意義を付け加えておく。「原日本」は、大和王朝以前の更なる昔の日本である。その日本が、歴史をはるかに遡(さかのぼ)る故に未開の野蛮な日本であったと見なしてはならない。国際金融資本帝国主義の進歩史観テキストによればそうなるが、史実はさにあらず。「原日本」は、現代科学の物差しとは秤が違う故に単純な比較はできないが、我々が考えている以上に高度であり、合理的であり、何より今風の言葉で云えば地球環境と親和的共生的であった。或る意味で、現代人より相当賢い精神性の高い、開明的にして高度な文明社会を創っていたと窺うことさえ可能なのではなかろうか。れんだいこには、国際金融資本帝国主義の狡知の方がよほど未開で野蛮にして同心円的閉鎖的な生態を示していると見なしている。

 そういうことを確認する意味もある。地球環境の危機局面を打開する知恵を授かると云う意味もある。世界一言語とも評せる日本語を生み出した知恵がある。その他その他「原日本」が持つ豊饒な良さをもっと知らねばならない。いろんな思いを込めて、日本のふるさとを訪ねるべきではなかろうか。

 「邪馬台国論、同論争のもう一つの意義について」

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 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1105  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 2月14日
 れんだいこの日ユ同祖論否定論その1

 戦前来、意図的故意に「日ユ同祖論」が奏でられ始めて久しい。この論の虚妄を撃っておくことにする。

 「日ユ同祖論」の奇計論法は、「古代ユダヤの失われた支族の行方探訪論」を元に任意な当該地を措定して、いろんな理屈をつけては「ルーツとしての同祖性」を論うことにより同胞意識を醸成させ、結果的に近現代史の影の政府たる国際金融資本の浸透、植民地化政策の水路を開くご都合主義性にある。これに嵌まる者は共通して志操が低い。これが「日ユ同祖論」の事の本質である。

 はっきりしていることがある。日ユ同祖論者が如何に巧妙にこじつけを逞しくしようとも、ユダヤ教-タルムード世界のイデオロギーと日本の伝統的神仏精神との一致性を見出すことはできない。むしろ探査すればするほど対極的とも云える質の違いを確認して行くことになるだろう。日ユ同祖論者は、この精神の原基の違いを説明せねばならない。

 早い話が、ユダヤ教-タルムード教義即ちネオシオニズム的ユダヤ主義は選民主義を前提とするが、日本の伝統的精神はその逆であり共生主義(助け合い)で構築されている。仮に表層的に政治的社会的文化的類似を認めることができようとも、それらをユダヤルーツに求めるには及ばない。他のルーツあるいは自生的なものとして考えられる。それを無理やりにユダヤルーツ解釈に捻じ曲げることで「日ユ同祖論」を構築しているように見受けられる。

 この陥穽に気付かねばならないところ、近代以降、現代に至る自称知識人の多くは、母国の歴史を軽んずる罪によって容易にキリシタンとなりキリシタンの行きつく先としてシオニスタンにされている。それだけの知恵しかない故に今となってはユダヤ的選民主義の後塵を拝して二番手的なイエロー選民主義に浸って満悦するという痴態を示している。この手の機会主義者、立身出世者、権力猛者が跡を絶たない。

 知るべきは、現代世界を牛耳る国際金融資本の護教するネオシオニズムイデオロギーの狂気性である。西欧は、長い間これに悩まされ今も抑圧され続けている。彼らが権力を掌握する度合いに応じて世の不幸、即ち戦争と革命と云う名の権力的抑圧が訪れ、今日的には勢い余って地球を食いつぶそうとしている。これが拝金蓄財主義のなれの果ての末路である。彼らは、世界を我がものとすることによって同時に滅びの道に入るという背理性の裡(うち)にある。知識人が少しはましな知性を持っておれば、このことを分別し、滅びの道へは向かわないものを、その暗愚性によって目下の世界権力性にすり寄って美辞麗句しているのが実態である。

 日本の伝統的精神は元々見事なまでにユダヤ的背理から逃れている。ユダヤ精神が絶対真理信仰とすれば、日本の伝統的精神は相対真理信仰である。俗に一神教と八百万神信仰の違いとして指摘されている。ユダヤ精神が悪徳闘争的なものとすれば、日本の伝統的精神は善徳平和的である。ユダヤ教義が排他完結的な閉じられた構造のものとすれば、日本教義は共生開放的な開かれた構造のものである。ユダヤ教が神人契約を特徴とする厳命的なものとすれば、日本教は神人和楽を特徴とする談示的なものである。これらの違いは、日ユ同祖論どころか日ユの対極的な違いを示していよう。

 「日ユ同祖論」主張者は、表層的な同一性を唱える前に、こういう精神の型の違いを説明せねばならない。似ているどころか、まるで反対に位置していることを探る方が賢明であろう。もし敢えて「日ユ同祖論」を唱えるとするのなら、ユの優れているところと劣勢なところ、日の優れているところと劣勢なところのものを互いに補完させることにこそ関心を向かわせるべきではなかろうか。まことに日ユ精神は際立って異なっておりながら奇妙なほどに補完的関係にあり、それ故に交流せしめる余地があると考えられるからである。

 「れんだいこの日ユ同祖論の陥穽考」は以上を骨子とする。以下論証できるが、指数を増すばかりであろう。要は、「日ユ非同祖論、日ユ対比的相違論、日ユ補完論」を結論とすれば良い。これまでのような「日ユ同祖論」なぞ何の意味もないことを知るべきであろう。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1106  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 2月14日
 れんだいこの日ユ同祖論否定論その2

 以下、「れんだいこの日ユ同祖論否定論その1」を補足し「れんだいこの日ユ同祖論否定論その2」とする。れんだいこは、日本古代史、日本古古代史の研究を通じて、日ユ同祖論なるものの愚説を確信している。これを解き明かしておく。

 日本古代史、日本古古代史の解き明かすところによれば、日本は出雲王朝―邪馬台国ラインの日本(これを仮に「原日本」と命名する)と大和王朝以来の日本(これを仮に「新日本」と命名する)の延々と続く拮抗関係より成り立っている。これにより、一口には祖国日本とは言えない構図下にある。これについては、「れんだいこのカンテラ時評№1104、邪馬台国論、同論争のもう一つの意義について続」で述べた。かく史観を構えれば、日ユ同祖論なるものの愚説ぶりがはっきりする。仮に日ユ同祖論なるものが成立するとすれば、それは「新日本」との親和性に於いてであり、「原日本」との関係からすれば敵対性のものとなる。即ち、日ユ同祖論なるものが成立するとすれば、せいぜい「新日本」以来のものでしかない。ここを悟らねばならない。

 しかして、世界に誇る日本が専ら「原日本」に負っているとしたら、日ユ同祖論なるものの愚説ぶりがはっきりしよう。もっと云えば、西欧世界に於ける精神対立がユダヤ教的世界観、思想(以下、「ユダヤ的なるもの」と命名する)とイエス教的世界観、思想(以下、「イエス的なるもの」と命名する)の対立拮抗により成立しているとすれば、「原日本」は「イエス的なるもの」と親和的である。キリスト教は、「イエス的なるもの」から発したものであるが、過半が「ユダヤ的なるもの」に取り込まれ折衷させられているが故に比較しようがない。これが、れんだいこのキリスト教観である。これを思えば、日ユ同祖論なるものを唱えて日本を「ユダヤ的なるもの」に親和せしめようとする動きは幼稚な所為であり、これを非とする分別を持たねばならないと云うことになる。

 近現代史上、日ユ同祖論を唱える思想家、宗教家、歴史家、政治家が量産されているが、この理屈が分かれば他愛ないエピゴーネン(時代のお調子者)でしかないことが分かる。元々の粗脳が粗脳故に辿り着く見解であり、賢明なる智の持主は眉唾して一向に差し支えない。このことを申し上げておく。論証を省いたので短文なものとなったが重要な論文である。

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1107  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 2月19日
 国津神と天津神考、高天原は何処考その1

 2013.2月頃、れんだいこブログに日本古代史関係の推論を数典記した。題名で確認すると「2013.2.11建国記念日に思う」、「邪馬台国論、同論争のもう一つの意義について続」、「れんだいこの日ユ同祖論否定論その1」、「れんだいこの日ユ同祖論否定論その2」がそれである。同時並行して西欧宗教史関係の「キリスト教の親ネオシオニズム性考」、「ヨハネの黙示録考その1、れんだいこの読後感」、「ヨハネの黙示録考その2、総合解説」をものしている。

 これがどう絡むのか説明は難しいが恐らく、れんだいこの心性に於いて「古代史の秘密」を正しく解こうとする情動が密接に絡んでいるだろうと思っている。この観点から、今まで言及してこなかったもう一つの秘密について推理しておく。

 その前に一言。「★阿修羅♪空耳の丘61」の「れんだいこの日ユ同祖論否定論その1」のコメント07に、「日猶同祖論を否定するのはキチガイ」論なるものが開陳されている。それによると、れんだいこは「狂信的な反猶太」であり、「要注意人物」であり、「おそらく在日朝鮮人の工作員に違いない」とのことである。時代が大きく変わったことが分かる。何しろ「日猶同祖論を否定するのはキチガイ」ですぞ。日本はいつからこれほどの「親猶太」社会になったのだろう。浦島太郎の気分にさせられてしまう。

 もとへ。記紀神話を読めば、日本神話に登場する神々は天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)に系譜的に分かれている。天津神は高天原から天降ったとされる神の総称である。それに対して国津神は天津神が来日してくる以前の日本列島各地に生息していた土着の神々の総称である。日本神話は、この識別の上で天津神系を正統とする観点から天地創造譚、神々誕生譚、国譲り譚、神武東征の国取り譚、歴代天皇譚を記している。

 問題は、その読み解きに於いて論者の理解が錯綜していることにある。その原因は、天津神系神話の中に国津神系神話が混入され混然一体化されている為と考えられる。その最大の難関が天照大神、スサノオの命、二ギハヤヒの尊の正体である。れんだいこには、天津神系で捉えたり国津神系で捉えたり複相しているように見受けられる。当然、臣下の諸豪族も複相することになる。

 これでは歴史が解けない。にも拘わらず百人百様の理解の混然化したままに日本神話が語り継がれている。ここに日本神話が決して史書足りえず神話譚として受け止めざるを得ない所以がある。とは言いながら、記紀は随所で日本古代史を克明に記しているので貴重な史書とせざるを得ない。しかし、どこまでが本当の史書で、どこが偽書なのか、あるいはどういう筆法で婉曲表現しているのかが定かでない。これを「日本神話ジレンマ」と命名することにする。

 れんだいこはこれまで、記紀神話に記述されている天津神系と国津神系の抗争を前提として、「善玉天津神、悪玉国津神論」で説き分ける皇国史観の非を指摘してきた。むしろ出雲王朝、邪馬台国を国津神系に見てとり、国津神系是論とでも云うべき観点から古代史の秘密を解き明かしてきた。これは何もれんだいこの初見ではなく、これまでも幾多の論者が主張してきている。但し、その論者のいずれもが「歴史の縦の糸」を紐解けず、道中で理論破産させているように見受けられる。れんだいこの立論に功績が認められるとすれば、首尾一貫した国津神系皇統譜を見極めようとしているところにあると自己解析している。

 「天津神国津神考」の必要は、そうした「日本神話ジレンマ」を読み解くことだけに意義があるのではない。もう一つ、天津神系よりする記紀神話に依拠して日本古代史を読み取るのではなく、天津神渡来以前の国津神系の統治していた日本古代社会を読み取る為にも必要となっている。この社会を解析せねばならない理由として、「邪馬台国論、同論争のもう一つの意義について続」に記したが、かの時代、これを仮に縄文的古神道の時代と規定すると、この時代は今日的に見ても世界に通用する汎神論的共生思想を持つ等、精神性が気高い。且つそのことに規定されてと思われるが、今日的秤りでは評価されないものの秤り方を変えれば、思われている以上に高度高級な神人和楽文明社会、技術社会を形成していた形跡が認められる。この社会を検証し称賛し、今に活かさねばならないと考えている。

 なお且つ天津神渡来によって国津神系が駆逐滅亡されたのではなく、激しい攻防戦の末、或る時点より両者が「和をもって尊し」とする手打ち式和睦路線に道を開き、婚姻等も含め両者融合の日本史を切り開き、あるいはそれぞれがそれぞれの生活圏を維持しながら棲み分けしてきた形跡が認められる。それは、世界史に認められるような勝者が敗者を絶滅させない叡智に導かれている。この伝統がはるけき今日まで継承されているのではなかろうかと推理している。もっと云えば、日本の政治権力史は天津神系が掌握して来たものの、その裏面史は常に国津神系が支えてきたと思っている。

 そういうこともあって、天津神渡来以前の日本国体の姿と能力を探るべきだし、決して祖略に扱うべきではないとっている。これを思えば、皇国史観は子供段階の暴論イデオロギーでしかなかったと思う。戦後、そのような皇国史観を捨てたからと云って何も解決していない。津田史学の限界がここに認められると思っている。我々はもっと日本古代史に光を当て、大人の日本国体論を獲得すべきではなかろうかと思う。

 2010.10.5日、2013.2.19日 再編集 れんだいこ拝

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1108  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 2月19日
 国津神と天津神考、高天原は何処考その2

 ごく最近の史学の動きとして、邪馬台国が天津系渡来以前の国津系の最期の王朝であった可能性が見えてきつつある。「実在し滅ぼされた王朝」であった可能性が強い。これによると、邪馬台国は出雲―河内―大三輪系譜を中核とする日本列島津々浦々の在地権力を糾合した部族連合国家であった。出雲の地の「神在り月神話」は、かの時代の史実の今に残る伝承ではなかろうか。

 しかしながら、この歴史は二度の国譲り(一度目は出雲王朝の国譲り、二度目は邪馬台国の国譲り)を経て史上から抹殺されている。今日では僅か二千余文字の魏志倭人伝、その他諸々の遺跡でしか窺い知ることができない。いわば「勝てば官軍、負ければ賊軍」の例え通りに、敗軍側の歴史が抹殺されたと思えば良い。それを何とか痕跡をとどめる為に苦労して書き上げたのが記紀であり、その記紀記述が官軍寄りに過ぎるとして訂正的書き上げられ秘密裏に保存されたのが古史古伝であったと思えば良かろう。但し、古史古伝間の記述がこれ又バラバラに過ぎている。

 従来の邪馬台国論争は、邪馬台国をプレ大和王朝と位置づけ、且つ皇統譜的に大和王朝に陸続的に理解した上で所在地論争に耽ってきた。その延長線上で、一部の研究者間では既に「邪馬台国論争は終った」とさえ云われている。しかし、れんだいこ説に従うと、邪馬台国研究の第一ラウンドが終ったのであり、これから本格的な研究に向かう機運にある。終った説論者の「終った」は、己の虚妄の研究史が終ったと捉えるべきである。そう捉えずに終った説を唱え抜く者は、自らの研究スタイルが終ったことへの裏言の繰り言を述べているに過ぎない。

 今や、「実在し滅ぼされた王朝」として出雲王朝―邪馬台国を位置づけ、その所在地を比定せねばならない。そういう意味で、邪馬台国論は相変わらず古代史のロマンであり続けている。同時に、邪馬台国的部族連合国家政体の脆弱さとシタタカさを同時的に理解せねばならない。邪馬台国考、「国津神と天津神考」にはそういう意義がある。

 以上は、2010.10.5日段階の認識である。2012.8.4日以来のれんだいこの認識はもう一段グレードアップしている。即ち、大和王朝建国過程に於ける渡来族による土着族征伐史を「天津族対国津族」と云う呼称で表記すること自体に疑問を覚えるようになった。日本上古代史を「天津族対国津族」の闘いとして描く記紀の筆法に疑問を持つことになった。これは古史古伝とりわけ「ホツマ伝え」研究の効果である。記紀神話では、天津族を天照大神を拝戴する高天原王朝として登場させているが、ホツマ伝え等から読みとる限り、天照大神は元々国津族の最高神にして皇統譜の祖である。

 天照大神は男神の場合もあれば女神の場合もある。いずれにせよ時の最高のシャーマンであり時代の導き主である。天津族は、国津族の最高神である天照大神、その支配の圏域である高天原を横取りし、国津族が絶対的に従う天照大神、高天原を自らの皇統譜に拝戴することにより、国津族に帰順を強いて行った形跡が認められる。してみれば、天津族の天照大神拝戴は剽窃であるとする観点が欲しくなった。これにつき「高天原王朝神話考」で解析している。

 してみれば、天照大神拝戴を暗喩する天津(天孫)族と云う呼称も又剽窃であると云うことになる。然らば、どう表記するのが正しいのであろうか。解は見いだせないが、仮に直訳的に「外航渡来族」と命名しておくことにする。してみれば、従来「天津(天孫)族」と記した下りはなべて「外航渡来族」と書き換える必要があることになる。れんだいこの従来の記述を、この観点から書き直さねばならないが、気の遠くなる話しではある。それはともかく、かく認識した上で、「外航渡来族」が如何に国津族を平定しあるいは懐柔しあるいは和睦しつつ大和王朝を建国して行ったかを解明するのが日本古代史の必須の扉と云うことになろう。「外航渡来族」の権威を高める為に逸話されている高天原王朝譚はなべてこの観点から精査される必要があろう。これを仮に「天照大神ジレンマ」と名付けておく。

 この観点を得たことにより、記紀神話が高天原を比定し得なかった理由が解けた気がする。元々高天原は国津族系の聖地であり、その聖地を横取りしたものだから詳しく説くと皇統譜の辻褄が合わなくなり、敢えて筆法的に幻の高天原とせざるを得なかったのではなかろうか。歴史には、こういうジレンマがままある。歴史はかように改竄されテキスト化され盲信に至る。「天照大神ジレンマ」はその見本のような話しではなかろうか。こう読むことで、日本神話の特に上古代の意図的故意のややこしさの原因が分かって来た気がしている。この辺りの読み解きとなると、これ又気の遠くなる話しである。

 2010.10.5日、2013.2.19日再編集 れんだいこ拝

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1109  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 2月20日
「三船留吉、小林多喜二を売った男」説について

 今日2.20日は戦前のプロレタリア作家にして拷問虐殺された小林多喜二の命日である。これを踏まえて東京新聞の「筆洗」)、その他数紙が言及している。れんだいこも追悼しておく。2008.6.29日に書き終えブログには未発表にしていた一文を転載しておく。2004.6.28日に「戦前日共史(補足)スパイ三船留吉考」を発表しており、その続編となる。格納サイトは以下の通り。

 「補足・スパイ三船留吉考」
 (marxismco/nihon/senzenundoshi/proretariabungakuundoshico/takigico.htm

 「蟹工船」がベストセラー化しつつあると云う。ワーキングプアーが蟹工船労働者の姿と二重写しとなり、労働者が立ち上がる姿に共鳴し、せめて小説の中だけでも鬱憤を晴らしたいと云う情動が働いているのだろう。れんだいこは、高校生時代に読み感想記をものした覚えがあるが、あたら惜しい事に散逸している。どういう風に受け止めていたのか知りたいが、その術がない。

 ところで、小林多喜二に関連して、2004.5.1日、くらせみきお著「小林多喜二を売った男」(白順社)が発売されている。れんだいこは既に2004.6.28日づけで「戦前日共史(補足)スパイ三船留吉考」で論評しているが再度書評しておく。れんだいこが我慢ならない観点から著述されており、こういう通説が流布されることを人民大衆的に拒否せんが為である。

 本書も叉「一見精緻な研究」とは裏腹に「読めば読むほど馬鹿になる仕掛け」になっている。精緻な研究がむしろマジック的な煙幕となって誤誘導的結論へ誘う手段となっている。多くの人は、「精緻な研究」辺りで既に騙されてしまう。最近はこういう類いの悪書が多い。

 ヤング諸君が「蟹工船」を読むのなら、ついでにれんだいこの一連の研究にも目を通せば良い。れんだいこが時々に於いて興味、疑問を覚えた事項に対して、まずはれんだいこ自身が得心できるように工夫して精力的に検証している。そのでき映えは、性格の悪い御仁からの悪罵に堪え、ますます光芒を放ちつつある。尤も不断に書き直ししている。

 ヤング諸君、是非感想を伝えてくれ。こちらは学者でもない教授でもない何の肩書きも権威もない一市井人でしかないが侮ってはいけない。同じ事を論じても、そんじょそこらの通俗本よりはよほど為になるよう要点をしっかり捉まえ、今後論ずる際の基準になるような観点を打ち出している。ここにれんだいこ文の特徴がある。これに対話して欲しい。叩き台にして欲しい。

 しかしそれにしても左派戦線からの締め出しがきつい。れんだいこブログは公開して既に十年近くなろうとしている。結構な論議を生むであろう内容を提起している筈であるが、まともな批判に出会ったことがない。いわゆる無視されている訳であるが、にも拘らずれんだいこの指摘が万力攻め的に作用しつつあるとしたら滑稽なことである。

 さて、話を「小林多喜二を売った男」に戻す。題名からしてズバリ「小林多喜二を売った男・三船留吉説」を打ち出しているが、この説は果たして本当だろうか。まず何よりここを詮索せねばならない。ここを詮索せぬまま立花隆のように「もともと根っからのスパイ」、「当局の雇われスパイではなく、当局の人間そのものだったのではないかとも考えている」なる見解は、通説に徒に悪乗りしているだけなのではなかろうか。

 「小林多喜二を売った男・三船留吉説」は重要な史実を隠している。何かというと、この説が、かの宮顕肝煎りの説だということにある。れんだいこは、「宮顕論」(marxismco/nihon/miyakenco/miyakenco.htm)で、「宮顕その人こそがスパイM以降の、スパイMに成り代わってその後の日共を統治した超大物スパイ説」を打ち出している。この観点によれば、日共党史は無論、日本左派運動史を根底から書き直さなければならなくなる。「れんだいこの宮顕論」にはそういう凄みがある。こういうことは本当は誰かに云って貰わなければサマにならないのだけれども、れんだいこ自身が言わざるを得ない情けなさがある。

 それはともかく、初めてこの説を聞く者には衝撃が多過ぎて、れんだいこを誹謗し始める者が殆どであるが、こういう場合には先ず史実検証で論を闘わせねばならない。この手間を取らぬままれんだいこ説を誹謗する者は単にドグマにしがみついているだけに過ぎない。そう云われるのが嫌なら、「れんだいこの宮顕論」を逐条検討すれば良かろう。れんだいこは、「宮顕獄中十二年、唯一非転向完黙人士説」を完膚なきまでに打ち砕いている。この虚像を信奉し、未だに聖像視し、お追従する者達の安逸な精神を批判している。

 くらせみきお著「小林多喜二を売った男」の陳腐さは、宮顕説の尻馬に乗って、三船留吉を「小林多喜二を売った男」としているところにある。この場合、1・三船留吉スパイ論の検証、2・「小林多喜二を売った男・三船留吉説」の検証の二本立てにしなければならない。前者をいくら繰り返しても後者には辿り着かない。後者を成り立たせるためには後者自体を裏付ける因果関係が証明されねばならない。これが真っ当な検証方法であろう。

 くらせみきお著「小林多喜二を売った男」の凡俗さは、前者を後者に混同させて、つまりすり替えてひたすら「小林多喜二を売った男」と云う結論へと導き、押し付けているところにある。しかし、事情に明るいものなら胡散臭く思うであろう。この当時の小林多喜二の身辺は非常にキナ臭くせっぱ詰まっており、その連絡線は党の最高機密になっており、三船如きの下っ端連絡線に結ばれていたとすること自体が嘘っぽい。

 多喜二は文芸畑の党員であり、当然その筋の大物指令により地下活動していたと思うべきだろう。三船は畑が違うのではないのか。となると、この当時の文芸畑の大物として詮索されるのは蔵原か宮顕こそが臭い。つまり、「小林多喜二を売った男・三船留吉説」は、蔵原か宮顕が臭いと勘ぐられるべきところを三船にすり替えていると云う政治的意味がある。しかし、よりによって、勘ぐられねばならない当の張本人である宮顕が三船スパイ説を流しているというオマケつきである。

 こういう場合、「小林多喜二を売った男・三船留吉説」そのものが胡散臭く受け取られねばならない。普通の頭脳さえあれば、そういう推論になる。それをあえて、くらせみきお著「小林多喜二を売った男」は、宮顕の意向通りに「小林多喜二を売った男・三船留吉説」をプロパガンダしているという役割を果たしている。我々は、こういうものを鵜呑みにすべきであろうか。これを鵜呑みにするのが昨今流行の自称知識人の悪癖であるが、よほどオツムが弱いと云うべきだろう。

 そういう意味で、「小林多喜二を売った男」のグーグル検索で見つけただけなのだが、れんだいこが日頃兄事させていただいている加藤哲郎教授の書評に触れねばならない。申し訳ないが批判させていただく。加藤教授は次のように述べている。

 概要「スパイMと本書の主人公三舩留吉は、特高警察の奇才毛利基が用いた二人の最重要人物だった。小林多喜二も属した日本共産党の不幸は、この二人の大物スパイの正体を見究めることができないまま、それより格下の大泉兼蔵と、スパイであったかどうかも疑わしい小畑達夫を査問・リンチし、小畑を死に至らしめたことであった」
 (http://homepage3.nifty.com/katote/mifune.html)。

 この評はいかがなものだろうか。れんだいこは、1として三船を「スパイM」と並ぶほど大物視することに対する疑問がある。2として、宮顕派により査問テロされた大泉、小畑を「それより格下」だったとは思わない。4名しか居なくなった当時のれっきとした党中央委員である。能力的には小物だっかも知れないが党組織上は最高幹部である。

 尤も、教授が続いて「スパイであったかどうかも疑わしい小畑達夫を査問・リンチし、小畑を死に至らしめた」と明確に記述している下りの評価は惜しまない。こう書ける識者は滅法少ない。日共系御用学者よ、加藤教授は少なくともこの程度には発言しているぞ。教授の爪の垢でも煎じてみたらどうだ。しかしそれより何より、加藤教授が 「小林多喜二を売った男・三船留吉説」に違和感を表明せず同調しているのが気に入らない。

 以上、「れんだいこの『小林多喜二を売った男』書評その2」とする。仕舞いはこういうことが云いたくなる。本件に限らず、あれこれの検討課題に於いて、仮にれんだいこの見立ての方が正解だったとした場合、不正解見解をプロパガンダする書物を読んで賢くなるだろうか。現代はこういう手合いの「誤誘導結論押し付け書籍の氾濫時代」ではなかろうか。れんだいこが得心して読めたり、ハタと膝を打つようなものはめっきり少ない。ネット情報然りである。本当に知りたい情報がまだまだ表へ出て来ていない。

 「誤誘導結論押し付け書籍」だろうと読めばそれなりに知識は深まる。だが、下手な結論まで鵜呑みにすることにより却って馬鹿になりはしまいか。知識人必ずしも賢ならずの所以がここにある。我々は良書によって導かれねばならない。本書をそういう事を考える一助にしたい。

 2008.6.29日 れんだいこ拝

 jinsei/


 れんだいこのカンテラ時評№1110  投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 2月22日
 れんだいこ書評、仲俊二郎氏の「この国は俺が守る 田中角栄アメリカに屈せず」を評す

 仲俊二郎氏の「この国は俺が守る 田中角栄アメリカに屈せず」(栄光出版社、2011.11.10日初版)の書評をしておく。本書は、田中角栄の首相就任直前の動きから説き起こし、首相時代の動静、その後のロッキード事件のカニバサミ、角栄の死までの後半生を、心理描写を含めて活写した名作である。全編を、角栄擁護の観点から分かり易く論じている。立花隆―日共史観による角栄バッシング論が未だはびこる中、読まれねばならない一冊足り得ている。

 角栄の政治能力を国内的には無論、世界的にも認められたものとして高く評価し、その角栄がキッシンジャーの悪巧みにより倒されたとの観点を色濃く打ち出しているところに特徴がある。これにより角栄恋しの心情を吐露しているところに値打ちがある。心ある者はみんな角栄に恋している。未だにアホウどもが角栄を悪しざまに云うことで溜飲を下げているが、この連中に漬ける薬はない。最後の一冊として本書を紹介しておく。

 本書を読んで、れんだいこも角栄物語をしたくなった。書くとしたら、著者が抑制したキッシンジャーの更なる奥の院の思惑に迫りたい。既に角栄譚は揃いつつあるので、未だ論者が言及してこなかった角栄の社会主義者性、より正確には日本的な縄文的神人和楽思想に依拠した大国主命の現代版としての角栄像に迫りたい。その意欲を掻き立ててくれたことに謝意申し上げておく。

 著者の履歴を確認するのに、大阪市立大経済学部卒業後、川崎重工に入社し、その後をプロジェクトマネージャーとして世界各地でのプラント輸出に従事。その後、米国でアメリカ式人事トレーニングを受ける。経営コンサルタントとして独立、現在に至る。著書数冊あり云々。

 思うに、よほど優秀な方なのだろう。外資系に掴まった者は身も心も洗脳され、キリシタン、シオ二スタンになるのが相場のところ逆に日本を思い、角栄恋しへと帰還している。なかなかできない芸当ではある。そんじょそこらの洋行帰りにツメの垢でも煎じて飲ませたい。甚だ簡単ではあるが以上、書評とする。

 2013.2.22日 れんだいこ拝

jinsei/






(私論.私見)