別章【小畑中央委員査問リンチ致死事件考】

 更新日/2016.9.29日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 2011年始、日共は遂に小沢どん証人喚問訴追運動を号砲した。れんだいこは、対抗措置として、ここに日共の致命的なアキレス腱である「戦前、宮顕の小畑中央委員リンチ致死事件考」を「れんだいこの特選論文集100選」に入れ、世間の評価を仰ぐことにする。れんだいこは従来、私的研究で済ませていたが、日共の余りもな政治主義的立ち廻りに堪忍袋の緒が切れた。日共に果たして小沢どんに証人喚問を主張し得る資格資質があるのかを本サイトで問いたいと思う。異論の者があればいつでも受け太刀する覚悟がある。どこからでもかかって来い。

 「戦前、宮顕の小畑中央委員リンチ致死事件」は、いつか歴史的に総括せねばならない政治史上のトゲである。本サイトを書きあげた時、宮顕は存命中であった。生存中に宮顕自身の言葉で釈明させたかったが、既に高齢になり過ぎていた。もっとも、高齢であろうとなかろうと宮顕が事件の真相を語ることはなかったであろう。宮顕は最後まで居直り、逃げまくったままあの世へ行ってしまった。当事者の宮顕が逝去した以上、この事件を論ずることは無意味かと云うとそうではない。現下の日共党中央は、宮顕生存中も逝去後の今も一貫して宮顕弁明通りに宮顕の潔白を訴えて来ており、その意味で同等の責任を負っている。このことを指摘しておきたい。

 本サイトを読めば、宮顕が何者なのかが判明するであろう。こういうトンデモ人物を共産党の最高指導者として長期間戴いた日共の責任問題が発生するであろう。しかも、宮顕は参議員二期を務めている。つまり日共は、こういうトンデモ人物を国会議員に送り出して来た党的責任を負っている。且つ宮顕擁護の姿勢を貫いて今日まで至っている。この責任は重い。しかし現実はそういう風には問われていない。れんだいこに云わせれば、日共及び日本左派運動が、それだけ狂っていると看做す。

 日共は今日でも、あたかも冤罪事件であるかのように吹聴し続けており、世評の通説もこれに従っている。しかし、れんだいこは、今日のテイタラクの日共を作った元凶としての宮顕批判の関門として位置づけ、日共のウソ詭弁につき告発し続けている。この事件を正しく認識することが、今日の日共の歪みを鏡写しすると思うからである。新左翼はさる日、日共批判を起点として誕生したが、残念ながられんだいこレベルの日共批判に立ちきれていない。本事件ではむしろ宮顕及び日共の弁明の尻馬に乗っている。新左翼の日共批判の尻軽を見るのは、れんだいこだけだろうか。 

 「戦前、宮顕の小畑中央委員リンチ致死事件」(以下、単に「リンチ事件」と云う)の解明は、宮顕の正体を暴く格好テキストとして意義がある。だがしかし、この事件は巧妙な上に巧妙にも極力隠蔽し続けられ、万一この事件に関心を寄せる猟奇家が現れた場合にも念入りな史実改竄と詐術により正確な読み取りが不可能にされてきていた。逆にいえば、それほど重要な史実であるということでもある。今これをれんだいこが読み取り、ここにサイトアップする。諸賢の批評を請う。

 2009.5.12日、大金先輩との遣り取りで、れんだいこの本事件解析の論証が今尚弱いことを指摘された。新たな資料が開示されない以上、これ以上の解析は無理だとも思うが、読み直してみることにする。読み直してみた結果、これ以上どう説得すれば聞く耳を持ってくれるのだろうかとも思う。もっとも、もっと分かり易く書き変えようとは思う。というより、どんなに書き換えても、内容がそれほど衝撃的と云う意味ではなかろうか。

 2003.10.7日、2011.01.01日再編集 れんだいこ拝

 この論考は、1999年10.11日より11.23日にわたっての「さざなみ通信」投稿文「宮顕リンチ事件の前提考察」、「リンチ事件そのものの考察」、「リンチ事件その後と公判の様子」を見直し、加筆訂正しています。
 「リンチ査問事件」につき関係者の訊問調書、公判調書を大幅に採用しましたが、煩雑を避けるために「予審訊問調書」につき単に「調書」とし、 「公判陳述調書」につき「公判調書」と記すことにします。逸見と木島の「調書」については第何回目のそれか判らないので不明のまま「訊問調書」、「公判調書」とする。
 引用文につきまして、読み易くするを第一義にする観点から現代仮名遣い、洋数字に改めています。なお、適宜句読点も挿入しました。又、引用の際原文が長い場合には概要「」文を設け、内容を変えない範囲で簡略にしております。
 「さざなみ通信」投稿文に追加した部分もかなりな分量になりました。
 長文になりすぎたため、文章が完結した頃合に色替えで最低限知っておくべき粗筋要点部分のみを表示する予定です。


 関連サイト
戦前日本共産党史考 戦後政治史検証 転向考
福本イズム考 不破哲三論 原水禁運動考
新日和見主義事件解析 日共解体新書

目次

【事件早わかり文】
リンチ事件
経過一覧
小畑中央委員査問リンチ致死事件概要
ウィキペディア2011.5.23日現在記述『日本共産党査問リンチ事件』とのれんだいこ問答
『宮本顕治批判を今も続ける立花隆氏の晩節』小文考
査問事件1、査問開始
査問事件2、凄惨な査問の様子
査問事件3、小畑致死事件発生
査問事件4、その後の党中央奪権謀議
査問事件5、宮顕逮捕、取調べの様子

【事件詳細解析文】
第1部 序文
第2部 「敗北の文学」の論評
第3部の1 査問に至るまでの予備知識
第3部の2 熾烈な再建と壊滅の党史の流れ
第3部の3 宮顕の党中央潜入以降「査問事件」に至る党史の流れ
第3部の4 補足・事件関係者の陳述調書漏洩の衝撃
第3部の5 鬼頭判事補暗躍のきっ怪考
Re別章【補足・奇怪な鬼頭判事補の暗躍考】(原サイトは角栄のロッキード事件経緯考)
第4部の1 査問事件1、査問開始
第4部の2 査問事件2、凄惨な査問の様子
第4部の3 補足・「予審調書・公判調書の信頼性」について
第4部の4 補足・別章別章【田中清玄考
第5部の1 査問事件3、小畑致死事件発生
第5部の2 補足・小畑の死亡原因考
第5部の3 補足・浜田幸一元自民党代議士の貴重な事件分析
第6部の1 査問事件4、その後の党中央奪権謀議
第6部の2 査問事件5、宮顕逮捕、取調べの様子
第6部の3 司法鑑定の推移と論争
第7部の1 その後の袴田党中央の動きと公判の様子
第7部の2 宮顕の獄中闘争と法廷論理、判決文
第7部の3 補足・徳球・志賀・市川らの獄中闘争
第7部の4 補足袴田によるスパイ判別帳、重要証言
第8部の1 通説(宮顕説)の疑問疑惑点列挙
第8部の2 「公判記録1」宮顕陳述の逐条検討
第8部の3 「公判記録2」宮顕陳述の逐条検討
第8部の4 補足・市川正一の公判陳述と宮顕のそれの明らかな違い
第9部 その後の党運動
第10部の1 戦後の釈放時の疑惑考、「復権証明書」の疑惑考
第10部の2 GHQ民政局法務部顧問ハワード・マイヤーズ考
第10部の3 鬼頭判事補の宮顕調書入手事件考
第10部の4 戦後違法釈放直後の宮顕の動静

【事件傍証補足】

補足・「杉本.岡田の樺太越境事変への無責任教唆の闇検証」
補足・スターリン圧制下のソ連での山懸他党員の粛清について
補足・「宮顕こそ胡散臭いとする証言集」(「西岡証言」、「吉本三木雄証言」他)
補足・宮顕による史実偽造「野呂委員長の遺言」について
補足・「リンチ事件秘密資料」がモスクワで発掘される。これを吟味検証する。
補足・スパイ三船留吉真偽考

【事件論争補足】

リンチ事件論争史諸論、民社党対共産党の国会質疑バトル
「立花隆・氏の日本共産党の研究」の果たした役割について
「リンチ事件」に関する不破弁明の大嘘
JCPウォッチ・土佐氏による立花氏の研究批判について
津田道夫氏著「思想課題としての日本共産党批判」考
学習院大教授・香山健一氏の事件論
「法螺と戯言氏の宮顕疑惑」考

インターネットサイト
関連著作




(私論.私見)