第9幕目のワンショット。こうして小畑の遺体が発掘されることになったが、その時の状況について次のように明らかにされている。小林五郎が書いた「特高警察秘録」(昭和27年7月に生活新社から出版)に次のように書かれているということである。
「玄関の次の部屋の畳を上げて見ると、新しい釘が打ち付けてある。素人が慌てて打ったらしく、曲げて打たれている。ねだを上げたが土を掘るものがない。土は柔らかい。勝手元から木炭用の十能を見つけて少し掘ってみるとシャベルが出てきた。シャベルで三尺程掘ると、むき出しの人間の膝が先ず現れた」。 |
当時の新聞報道第1報(1.16日)では、小畑の死因は「絞殺死」(窒息死)と断定されていたとのことである。現場で視認した警察医務官がそのように判断したということであったと思われる。ところが、翌1.17日新聞では、「撲殺」とある。不自然であるが、木俣鈴子が薪割りで小畑の頭部を殴りつけ、それが致命傷になったと書かれている。どういう事情で木俣が実行犯にされたのか定かでないが、ここも胡散臭いところである。翌1.18日、新聞は「脳震盪」と更に死因を変更している。この経過は、「絞殺死」(窒息死)ではないとする方向に誘導されていることが分かる。
この時の小畑の遺体の検診書が残されている。「村上次男及び宮永学而協 同作成に係る小畑達夫に対する死体解剖検査記録並びに鑑定書」(以下、「村上・宮永鑑定書」と略す、昭和9年1.30日検診)がそれである。他に8年後の昭和17年6.3日に古畑種基作成の鑑定書(以下、「古畑鑑定書」と略す)が出されている。両鑑定書の医学的解説をする力は私にはないので、素人の私が判る範囲で大筋のところを整理してみる。
ところで、「古畑鑑定書」の出された時期が秋笹第二審判決(昭和17年7.18日)直前であることは判るが、その他の被告人判決との絡みとか宮顕の公判の接近との絡みが今一つ解明できない。私の手元に資料がないということであるが、どなたかこのあたりの事情をお伝えしていただければ助かります。それと宮顕お気に入りの鑑定書も出されていると聞いていますので、内容付きで合わせてお伝えしていただければ助かります。(これは「中田鑑定書」であるが末尾に補足した)
一応ここで私なりに「宮永、村上鑑定書」に目を通して見ることにする。判る範囲で両鑑定書の鑑定評価とそれぞれの特徴を解析することにする。ここをしっかり確認しておかないと、宮顕の弁論はいつも巧妙なので、概要「『宮永、村上鑑定書』は、小畑の死因についても『警察べったり』であり、『でたらめな
鑑定』であるとか、『私たちの反対尋問になんらまともな答えができなかった』
とか云われているものである」という語りを真に受けてしまうことになる。
この宮顕論法を踏襲して、宮顕のお茶坊主小林栄三が、「犬は吠えても、歴史は進む」文中で、宮永鑑定人に対して「この宮永は、かって15歳の少年の死体を警察の云うままに50歳の成人男子として鑑定したほど警察べったりの人物であった」と意図的に誹謗しており、その真意はそういう鑑定人によって作成された「村上・宮永鑑定書」の信頼性を毀損せしめようとしていることにあるものと察することができる。
ところが、小林栄三のこの言説を追及した加周義也氏は、著書「リンチ事件の研究」で、これは1928年8.19日に東京千住で起きた「醤油屋一家殺し事件」を指しており、宮永鑑定人の鑑定に対する誹謗中傷であることを解明している。同書は、宮永鑑定人は「警察べったり」とか「でたらめな鑑定」をした訳ではなかったことを明らかにしている。ということは、宮顕やその意向を組む小林栄三らの件の発言は、極めて悪質得手勝手な人格中傷的名誉毀損的な問題発言であることが知られることになる。共産党中央の人士がかような人格レベルの者に牛耳られているということを確認する必要があるであろう。
宮顕話法にかかっては、批判されている当のものを熟知していなかったらすっかりその気にさせられてしまうという、狡知術的な罠が敷かれているからして、先入観抜きに踏みいらねばならない。「日本共産党の研究三.285P」を参照する。やはり聞くと見るとでは大違いであった。鑑定人の宮永学而と村上次男は、東京地方裁判所医務嘱託医師であったようで、同鑑定書は、昭和9年1.30日に非常に精密に小畑の遺体について書き記している。冒頭次のように記されている。
「今日午前10時30分より、東京帝国大学医学部法医学教室解剖場に於いて、同予審判事裁判所書記渡部正志、検事戸沢重雄立ち会いの上、村上次男執刀、宮永学而補助これを解剖するに、その所見左の如し」。 |
補足すれば、執刀者村上博士は、この時の所見に対し、次のように述べている。村上氏は後年東北大学医学部名誉教授となり、東北地方でのんびり余生を過ごしていた。その頃の述懐である。
「私は永年にわたる大学生活の中で、警察や外部からの圧力によって、法医学者としての節を曲げたことなど、ただの一度もありません。この件についても、もちろん同じことです。云われるような特高の圧力など、一切ありませんでした」。 |
私はこうした医学的且つ専門的な用語を理解する力がないので、「暴行」と「死因」に関する目についた理解し易いところを書き出してみることにする。同鑑定書はまず、小畑の遺体が死後20日以上(実際には24日)を経過しており、遺体に土砂が付着し汚染されており、体表面の一部にはかびが発生しており、皮膚の表皮のみならずその下部の真皮まで露出する等損傷が有り、そういう状態での鑑定であることを冒頭で明記している。つまり、「本屍の解剖の当時は死後変化がかなり顕著に現れていた」(古畑鑑定書)ということであり、暴行的損傷か腐敗的損傷かまでは判りにくい部分もあったということであろう。
次に、体の頭部より下肢に至る部位ごとの解剖時の状態とその損傷、出血ないし血流の様子別に詳細に鑑定をしている。次に、体の内景鑑定に移り、頭蓋骨及び脳から各内臓器の解剖時の状態とその損傷、出血ないし血流の様子別に詳細に鑑定をしている(恐らく、当の鑑定が日本共産党の中枢幹部の奇異な変死事件であることを踏まえて、後日に問題を生じぬよう余程留意しつつ解剖し鑑定したのではないかと思われるほどの精密なものとなっている。
そこまで留意しつつ鑑定しても「でたらめな鑑定」
呼ばわりされてしまったが。私のこの言い方が不審であれば、実際に目を通されるよう希望する)。以上を踏まえて、説明の項目にて暴力と死因に関係した内容を抽出し、最後に鑑定の項目で死因を特定するという、おおよそ模範的とも言える学問的手法で鑑定している。
「宮永、村上鑑定書」の真の意義は、小畑の遺体に実際に接したのはこの両名の鑑定人のみであることによる小畑の遺体の具体的な所見部分にこそある。繰り返すが、余程優秀な医師でもあったのであろうが、後日の争いの元にならぬよう精密を極めた検査をしている。その内容を記したいがとてもではない専門的な分析であるということと、かなり長大なものであることにより紙数が足りなくなる。今日においても、この解剖検査記録のほうは、別に「特高の筋書きに従って」、「ない傷をあるとしたわけではなく」、袴田も「解剖の事実にはあまりウソを書いていない」、「解剖の調書にはどこの部分がどうなっているかということは明白に書いてある」と証言している当のものである。
従って、詳細は「日本共産党の研究三.285P」に各自で目を通していただくとして、私なりに意外に論議されていないにも関わらず重要と思われる事項を抽出してみる。
第一点、食物与えず査問 |
概要「胃は、小にしてその襞厚く、内に食物残滓を含有せず」とある。 |
(私論.私見) |
つまり、小畑は腹ぺこ絶食状態に置かれていたことを指摘していることになる。「食事を供せず」の被告人陳述が具体的に裏付けられているということである。
|
第二点、指先リンチ |
概要「左右の指爪及び跡爪は著しく深く煎断せられて、爪床面の前側を露出し、左右の拇指(おや指)端にありては淡赤色にして血液を滲潤す。かく状態は普通の場合多く見ざるところなり」とある他、人差し指、中指等にもほぼ同様の出血・変色・深く煎断した爪跡について記載されている。 |
(私論.私見) |
つまり、「指先リンチ」の可能性があると指摘しているということになる。事件関係者の誰からの陳述にも「指先リンチ」の指摘がなかったことを考えると、このたびの「査問事件」にはまだまだ隠されたリンチの様子があるのではないのかということになる。 |
思うに、実際のリンチはもっと凄惨なものではなかったかとさえ思わせられる。仮に「指先リンチ」について陳述が為されていたとしたら、暴行があったいやなかったの応酬は無意味なことになる。こういう大事な陳述が予審判事によって引き出されていない作為をこそ見て取らねばならいように思う。他の部分にも同様な記述が見られるが、例え出血とか異常の有無の記載を転記してみても水掛け論にされてしまうであろうからこれら二点に注意を喚起しておくことにする。
「宮永、村上鑑定書」はこうしたおおよそ詳細な鑑定に基づき、次のように鑑定した。
概要「これら出血は、本死の生前の顔面前ひたい部及び頭部に鈍体の強く作用したる証拠とす」。 |
「脳内損傷のあれこれは暴力の結果とす」。 |
「心臓並びに大血管内の血液は流動性にして急死の像を呈す」。 |
「かく暴力は、『脳しんとう』を惹起し、『急性死』に致すに足るものとす」。 |
「首の鑑定については、外表所見のみにては判断し難し」。 |
「胸部において約あずき大の淡紫色、腹部において約だいず大の淡赤色、変色部あり」。 |
「その他背面部、指、下肢等にいずれも出血を伴なうを認める。すなわち、これらの表皮剥離並びに皮下出血もまた本屍の生前の鈍体によりて生じたるものとす」。 |
「本屍の生前に布の類、紐の類をもって緊縛したるものと認める」。 |
この詳細な「宮永、村上鑑定書」を受けて「古畑鑑定書」は次のように纏めている。
「被害者小畑達夫の死体顔面前ひたい部、頭部、胸 部、上肢、下肢及びその他に大小多数の皮膚変色部、表皮剥脱、皮下出血、
筋肉間出血、骨膜下の出血等があり、又頭蓋腔内において約鶏卵2倍大、ク ルミ大薄層の硬脳膜下出血、約クルミ大、エン豆大各一個の軟脳膜下出血、
左右同頭蓋カに約クルミ大の部分にだいず大数個、左右○○骨岩様部にあずき大数個の骨質間出血があったよしである。又心臓並びに大血管内の血液は流動性であったと云う」。 |
後の絡みでここで補足しておけば、以上のような鑑定所見に対して、宮顕は、「小畑の身体にあったという軽微な損傷というものが事実とすれば、それは大部分彼が逃亡をこころみて頭その他で壁に穴をあけようと努力した自傷行為とみなされる」とコメントしている。この「宮永、村上鑑定書」から「相当な暴行跡」を読みとるのか「軽微な損傷」と読みとるのか、
同じ文面を見て人は判断が違うということになるようである。
こうなると法医学医師と国語の読解力の講師連合で説明して貰わねばなるまい。それと、仮に宮顕発言に従って小畑が自傷行為をしたとしても、小畑は手縄・足縄・猿ぐつわのままどうやって逃亡しうるのだろう、小畑はそれさえ判らずめくら滅法押入内で暴れたのだろうか。小畑殺害に関与したのみならず、こういう物言いで死人を更に愚弄しようとする宮顕って一体どういう御仁なんだろう。そういう詐術で我々を煙に巻こうとする物言い根性が不埒である、と私は思う。
「宮永、村上鑑定書」は以上のように所見した上で、「本屍の死因は、頭部に加わりたる暴力による『脳しんとう』と認める」のが相当とした。これが最初の死因鑑定となった。こうして「宮永、村上鑑定書」は小畑の死因を「脳しんとう死」とする判定を法廷に提出するところとなった。
この「脳しんとう死」をめぐって、袴田の第一審公判法廷で、鑑定人宮永と被告人らが鑑定結果をめぐって争ったようで、袴田は次のように陳述している。
「デタラメな鑑定をした最初の鑑定人が法廷に出たとき、私が彼にたいして、そのデタラメさを指摘し、追及したときに、彼は最初からひじょうに興奮して共産党員なんかと口をきくものかといわんばかりの態度でした。かんで吐き出すように、一言二言いっただけで、あとはわたしのいうことに返事もしない態度でした」。 |
「宮永が私たちの反対尋問になんらまともな答えができなかった」と袴田は記述している。この時の主張の真意は、概要「解剖の事実にはあまりウソを書いていないが、結論部分の『脳しんとう』鑑定が『木に竹をついだようなデタラメな結論』をくだしており、『思想検事や特高警察のいいなりになって書いたもの』であり、殺人罪として起訴しようとする不当なものである」と指摘したかったようである。
|