| 第6部の3 | リンチ事件5、司法鑑定の推移と論争 |

(最新見直し2011.01.07日)
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、「小畑の遺体の発見と司法解剖鑑定」を確認する。鑑定書は「村上・宮永鑑定書」、「古畑種基鑑定書」、「中田鑑定書」の三鑑定書が存在する。 2011.01.07日再編集 れんだいこ拝 |
| 投稿 | 題名 |
| 小畑の遺体の発見と司法解剖鑑定(「村上・宮永鑑定書」)結果について | |
| 再司法解剖鑑定(「古畑鑑定書」)結果について | |
| 両鑑定書に対する袴田と宮本の対応ぶりについて | |
| 補足 | 「査問中、食事を供していたのか」について |
| 補足 | 中田鑑定書について |
| 補足 | 両鑑定書に対するその他識者の見解について |
| 補足 | 日共の本音の弱腰露見される |
| 【小畑の遺体の発見と司法解剖鑑定(「村上・宮永鑑定書」)結果について】 | |||||||||||||||||||||
|
第9幕目のワンショット。こうして小畑の遺体が発掘されることになったが、その時の状況について次のように明らかにされている。小林五郎が書いた「特高警察秘録」(昭和27年7月に生活新社から出版)に次のように書かれているということである。
当時の新聞報道第1報(1.16日)では、小畑の死因は「絞殺死」(窒息死)と断定されていたとのことである。現場で視認した警察医務官がそのように判断したということであったと思われる。ところが、翌1.17日新聞では、「撲殺」とある。不自然であるが、木俣鈴子が薪割りで小畑の頭部を殴りつけ、それが致命傷になったと書かれている。どういう事情で木俣が実行犯にされたのか定かでないが、ここも胡散臭いところである。翌1.18日、新聞は「脳震盪」と更に死因を変更している。この経過は、「絞殺死」(窒息死)ではないとする方向に誘導されていることが分かる。
補足すれば、執刀者村上博士は、この時の所見に対し、次のように述べている。村上氏は後年東北大学医学部名誉教授となり、東北地方でのんびり余生を過ごしていた。その頃の述懐である。
私はこうした医学的且つ専門的な用語を理解する力がないので、「暴行」と「死因」に関する目についた理解し易いところを書き出してみることにする。同鑑定書はまず、小畑の遺体が死後20日以上(実際には24日)を経過しており、遺体に土砂が付着し汚染されており、体表面の一部にはかびが発生しており、皮膚の表皮のみならずその下部の真皮まで露出する等損傷が有り、そういう状態での鑑定であることを冒頭で明記している。つまり、「本屍の解剖の当時は死後変化がかなり顕著に現れていた」(古畑鑑定書)ということであり、暴行的損傷か腐敗的損傷かまでは判りにくい部分もあったということであろう。
思うに、実際のリンチはもっと凄惨なものではなかったかとさえ思わせられる。仮に「指先リンチ」について陳述が為されていたとしたら、暴行があったいやなかったの応酬は無意味なことになる。こういう大事な陳述が予審判事によって引き出されていない作為をこそ見て取らねばならいように思う。他の部分にも同様な記述が見られるが、例え出血とか異常の有無の記載を転記してみても水掛け論にされてしまうであろうからこれら二点に注意を喚起しておくことにする。
この詳細な「宮永、村上鑑定書」を受けて「古畑鑑定書」は次のように纏めている。
後の絡みでここで補足しておけば、以上のような鑑定所見に対して、宮顕は、「小畑の身体にあったという軽微な損傷というものが事実とすれば、それは大部分彼が逃亡をこころみて頭その他で壁に穴をあけようと努力した自傷行為とみなされる」とコメントしている。この「宮永、村上鑑定書」から「相当な暴行跡」を読みとるのか「軽微な損傷」と読みとるのか、
同じ文面を見て人は判断が違うということになるようである。
「宮永が私たちの反対尋問になんらまともな答えができなかった」と袴田は記述している。この時の主張の真意は、概要「解剖の事実にはあまりウソを書いていないが、結論部分の『脳しんとう』鑑定が『木に竹をついだようなデタラメな結論』をくだしており、『思想検事や特高警察のいいなりになって書いたもの』であり、殺人罪として起訴しようとする不当なものである」と指摘したかったようである。 |
| 【再司法解剖鑑定(「古畑鑑定書」)結果について】 | |||||
|
次のワンショット。その後のつなぎの経過は良く判らないが、こうして、袴田ら被告人は、最初の鑑定結果から8年後に、新鑑定人として東京帝国大学医学部教授であり法医学教室主任であった古畑氏を登場せしめることに成功したようである。この古畑氏の登場は被告人側の法廷闘争の結果のそれであるというほど単純ではないと思うが、推測部分になるので差し控えることにする。
袴田はこの時の印象を次のように記している。
次のワンショット。こうして、古畑種基医師による再鑑定がおこなわれることになった。既に8年の月日が経過してはいるものの、「宮永、村上鑑定書」には詳細な解剖所見が記載されていたので再鑑定されるに充分なものであったということになる。袴田にも「少しもさしつかえなかった」と認知されている。古畑医師は、昭和17年4.30日鑑定に着手し、同年6.3日に終了し、約1ヶ月所要していわゆる「古畑鑑定書」を作成し法廷に提出することとなった。
なるほど、「宮永、村上鑑定書」は、遺体発見時直後に解剖所見を出した関係で、「査問事件」の全貌が判らぬままに、遺体に痕跡している暴行的様子をそのまま直接的に死因に結びつけたという鑑定上の欠陥があったようにも思われる。しかし、このことは宮永、村上両医師が不誠実ないい加減な人物であったとは思えない。「査問事件」の経過も判らないままに解剖所見を出せと言われて無理矢理鑑定すれば、「脳しんとう死」を結論せざるをえないほどのおびただしい暴行の後があったというのが真相ではなかったかと、私は受け止めている。
こうして 「古畑鑑定書」は、「外傷性ショック死」判定を行った。古畑鑑定によって「宮永、村上鑑定書」の「脳しんとう死」鑑定がくつがえされたことになった。この鑑定結果の違いは、はじめの「村上・宮永鑑 定書」の「脳しんとう死」判定は殺人罪につながり、「古畑鑑定書」の「外傷性ショック死(虚脱死)」の判定は傷害致死罪につながるという意味で大きな訴因事由の変更につながることを意味していた。
ここは非常に大事なセンテンスなので別段落で確認する。古畑鑑定は、概要「暴行、空腹、渇き、精神的苦悶、格闘」等の具体的事由を挙げて「外傷性ショック死」と鑑定しているということである。にも拘わらず、ここの部分が袴田、宮顕により、あたかも古畑鑑定が漠然とした「ショック死」を鑑定結果させていたかのような詐術が行われることになるので、あえて段落替えで明示した。次稿で、この新鑑定結果に対して、袴田と宮顕がどういう態度を取ったかを見ていくことにする。 |
| 【両鑑定書に対する袴田と宮顕の対応ぶりについて】 | |||||
|
この新鑑定結果に対して、袴田がどういう態度を取ったかを最初に見ることにする。簡略にまとめるとかく述べているようである。曰く、概要「
古畑鑑定書は全部がそうだというわけではないが、基本的には私の結論と同じものでした」と言う。つまり、この前半部分では「古畑鑑定書」に対して「基本的には私の結論と同じ」とこれを評価していることが判る。これが本来の袴田の了解の仕方であったものと思われる。
あららっ、「事実無根」で「傷害致死という不当な罪名」をきせられとでも受け取れるような調法な言い方で煙に巻かれてしまった。この論旨展開はどこかで聞いたことがある。ソウカ、宮顕さんの検閲を受けていたということだな。一目瞭然だよ。ただし、宮顕は同じセンテンスで「梅毒」を持ち出したが、袴田はそれは余りにもと思ったのだろう、「酒飲み特有の脂肪肥満」を要因とする「内因性ショック死」を暗示させるという違いを見せてはいる。
宮顕の手に掛かってはとうとう古畑鑑定人も「学者的冷静と忠実を失ってしまった」
御用人物にされてしまった。宮顕のような御仁に気に入ってもらうためには、言いなりにならない限りいかようにも叩かれることが判る。
つまり、「古畑鑑定書」が「ショック死」を推測したのは良いが、その要因として「疲労」や「苦痛」という具体的要因を挙げているのがけしからんというわけである。結局ここに戻らざるをえないと言うことでもあろう。しかし宮顕もさすがの人である。「疲労」や「苦痛」という具体的要因が存在しなかったという論証に自ら向かおうとする。並の精神の人ではできない。これをどのように言いなすかみてみよう。いかにも宮顕らしい話法が聞こえてくる。
こいういう物言いを詐術と言わずして何と言えばよいのであろう。
こういう歪曲に対して、我々はどう待遇すべきだろうか。 |
| 【補足・「査問中、食事を供していたのか」について】 | |
宮顕の弁論に対して、大井広介氏は、「独裁的民主主義」の中で次のような疑問を提起している。
|
|
| この「査問中、食事を供していたのか」は、宮顕及びその言説のシンパに対する致命的な質問になる。宮顕は一貫してこの質問に答えていない。れんだいこが目を通した調書に拠ると、査問側の食事の記述は出てくる。しかし、被査問側に食事を供したとの記述には出くわさない。こうなると、食事を与えなかったと受け取るべきだろう。宮顕擁護派は、これに関してなべてダンマリを決め込んでいる。なぜなら、宮顕の発言にない事を述べる訳にはいかないからであろう。しかしそれは、被査問側に食事を出さなかったことを認めていることになろう。そうなると、そういう査問が対等平穏なものでありえたのかどうか推して知るべしだろうに、そこまでは智恵が廻らないようだ。
2005.7.1日再編集 れんだいこみ拝 |
| 【補足・中田鑑定書について】 |
| 事件後40年以上経って、宮本は、代々木病院副院長の医師中田友也に「小畑の死因に関する新たな鑑定書」づくりを命じた。第一審の「村上・宮永鑑定書」が「頭部に加わりたる暴力による脳震盪」を原因と為し、これを否定した第二審の「古畑鑑定書」がなお「外傷性ショック死」と認定していたのにも満足せず、何とかその死を自分には責任の無い「特異体質によるショック死」にしたがった。 宮顕は、中田医師を本来の医務業務から離れさせて、ひたすらこの新鑑定に没頭させた。この結果が、「小畑達夫は外傷性ショック死ではない」、「特異体質による単なるショック死か、または急性心臓死であると推定されます」との新鑑定書=中田鑑定書となった。 |
| 何と宮顕は、最後の切り札として「日共お抱え病院のお抱え医師による新鑑定書」を持ち込んだ。普通は、こういうヤラセは信に値しないと評されるものだが、何と日共盲者はこの新鑑定書を担いで宮顕弁護に乗り出している。持ち込む方も持ち込む方だが、担ぐ方も担ぐ方だろう。 2005.7.1日再編集 れんだいこ拝 |
| 【補足・両鑑定書に対するその他識者の見解について】 | ||
松本明重氏の「日共リンチ殺人事件」で貴重な記述が為されている。京都大学名誉教授・医学博士高松英雄氏の「解剖所見にみる私の鑑定と推理」という次のような一文が掲載されている。
纏めとして次のように述べている。
|
||
| 高松英雄氏の「解剖所見にみる私の鑑定と推理」こそ京都大学名誉教授の見識であろう。「何れの鑑定であれ、またこの私の推理であっても共通して言いえることは、すなわち、他殺である」の重みを知るべきだろう。 2005.7.1日 れんだいこ拝 |
| 【補足・日共の本音の弱腰露見される】 | |||
| 木村愛二氏の「憎まれ口」の「日本共産党犯罪記録」の2005.7.1日付「偽の友代表格・日本共産党のカリスマ『宮本顕治"獄中12年の嘘"』」に貴重情報が書き込まれていたので要約整理しておく。 それによると、月刊誌「WiLL」の2005年8月号に、立花隆と兵本達吉特別対談「宮本顕治"獄中12年の嘘"」が掲載されていると云う。内容については、れんだいこが記しているものの域をでないので繰り返さないが、末尾のところの次の情報が貴重である。これを転載する。
|
![]()
(私論.私見)