学習院大教授・香山健一氏の事件論

 (最新見直し2009.8.29日)

 産経新聞「昭和正論座」の「学習院大教授・香山健一 昭和51年4月19日掲載、歴史偽る共産主義の体質」(2009.8.29日再掲載)を転載し、批評しておく。
 
 歴史偽る共産主義の体質

 ≪左翼全体主義の異常感覚≫

 「嘘(うそ)八百」という言葉があるように、嘘はひとつつくと、その嘘を正当化するために、どうしても第二の嘘をつかねばならず、さらに、その第二の嘘をもっともらしく見せかけるために、第三の嘘をつかねばならなくなる。こうして、嘘は嘘を呼び、嘘は限りなく自己増殖して遂に止まるところを知らなくなる。まさに、嘘は八百の連鎖となり、“嘘の体系”、“嘘のシステム”となるのである。

 昭和八年末に起った日本共産党宮本委員長、袴田副委員長らの、いわゆる「共産党リンチ事件」についても、日本共産党は巨大な「嘘のシステム」を作り上げてきた。この四十年がかりの巨大な“嘘のシステム”は、組織的に計画された、いわば共同謀議の嘘であり、一見堅牢(けんろう)そうに見える。しかし、嘘はしょせん嘘に過ぎないものであって、巧妙に計画されたはずの“嘘のシステム”からも、真実は少しずつ漏れてくるものなのである。歴史はどんなに偽造しようとしても偽造しきれるものではない。それにしても恐ろしいのは、計画的、組織的に嘘をつくこの左翼全体主義政党の体質であり、嘘をつくことをなんとも思わないこの党の指導者たちの異常な感覚である。この嘘の情報操作が成功し、国民がこの嘘に支配されるとき、自由は失われ、民主主義は滅び、共産主義の独裁と圧政が勝利することになるのである。この嘘の全面的支配を許さないためにも、自由な言論人は、左翼全体主義勢力のいかなる組織的迫害と個人攻撃のデマ宣伝にも屈せず、嘘は嘘だと勇気をもって言い続けなければならない。

 ≪「平静な査問」に3つの反証≫  

 戦前の昭和八年十二月二十三日から二十四日にかけて、当時の日本共産党中央委員宮本顕治(当時二十八歳)、袴田里見(同二十九歳)両氏らが、小畑達夫、大泉兼蔵の両中央委員をスパイであるとして「査問」にかけ、リンチによって小畑氏を死亡させたというこの陰惨な事件について、共産党はこの事件は完全なデッチ上げだと主張してきた。例えば、宮本氏は朝日新聞一月三十一日号に掲載された「治安維持法時代とスパイ査問事件」のなかでこの事件は警察のデッチ上げだとして「査問は静かに進められた」ことを強調している。不破書記局長も衆院予算委員会の代表質問のなかで「別に悲鳴をあげる声や人を殴打するような声は聞こえませんでした」という点をことさらに強調し(一月三十日予算委議事録)、赤旗をはじめとする共産党機関紙誌は、「人を殴る音とか悲鳴とか異常な物音はきかなかったと証言している」(赤旗二月一日号)と「査問」の平静さを必死になって大宣伝している。

 だがこの「査問」は平静そのもので、悲鳴も異常な物音も全くなかったという共産党の大宣伝は、事件の当事者である共産党指導者自身の別の証言によって実は頭から否定されてしまっているのである。限られた紙面なので、私は共産党指導者自身による三つの反証を挙げておくにとどめよう。

 ≪「終始悲鳴を以て…」とは≫

 反証一。「査問は静かに進められた」と力説する宮本氏自身が、昭和二十一年三月の月刊読売では次のようにこれと全く矛盾することを書いているのである。「小畑は大声をあげ、猛然たる勢いでわれわれの手をふり切って暴れようとする。……逸見は小畑の大声が外へもれることをふせごうとしてか……風呂敷のようなものを小畑の顔にかけていた」。「大声が外へもれること」を防ごうと必死に努力していながら、隣近所で悲鳴や異常な物音を聞いたひとは一人もいないと強調し、「査問」は静かに進められたという宮本氏は明白に嘘をついている。

 反証二。リンチ事件のもう一人の加害者袴田里見氏は『党とともに歩んで』のなかで次のように書いている。「わたしは後ろから組みついたまま、足を払ったので、二人ともいっしょに倒れた。しかし、かれは立ち上るやいなや大きな声で“ワヮー”っといったんですね」。この証言も「査問」は全く静かに進められたという共産党の大宣伝とはあい反する。

 反証三。事件直後の昭和九年一月十七日号の赤旗は、国際共産党日本支部日本共産党中央委員会の公式声明「片野(大泉)、古川(小畑)の革命裁判の情況を全勤労大衆諸君に告ぐ」を掲載しているが、この党の公式文書は「『人の将に死なんとするやその言やよし』、スパイ片野(大泉)の最後の告白の態度は、終始悲鳴を以て一命を乞ふた彼としては、あまりに大出来である。……我々はスパイ挑発者を時としては死刑にすることが勿論(もちろん)絶対に必要である……」と明確に述べている。「終始悲鳴を以て一命を乞ふた」という凄惨な「査問」が、四十年後にはどうして平静な「査問」に変質するのであろうか。

 ≪国会は重大な疑惑の解明を≫  

 この三つの明白な証拠からして、私は宮本、袴田両氏と日本共産党は、なんらかの不都合なことをかくすために共同謀議で嘘を言っていると判断せざるを得ない。少なくとも、この四十年間のさまざまな時期に述べられた宮本、袴田両氏自身の発言は完全に矛盾しており、重大な疑惑に包まれているとみなさざるを得ない。国会はこの重大な疑惑と腐敗をも証人喚問で解明する責任があろう。そして、実は「査問は静かに進められた」というひとつの小さな嘘は、小畑氏の死体にあった無数の傷はかれが自分で自分に勝手につけた傷−−共産党用語ではこれを「自傷行為」と呼ぶのだそうだが−−であるとか、死体は遺棄したのではなく「仮埋葬」したのであるとか、「ショック死」は外傷によるものではなく異常体質によるものであるとか、共産党の最高処分は除名であって死刑ではないとかという嘘の一大連鎖につながっていくのである。

 連合赤軍にとって「総括」という言葉が「リンチによる死刑」を意味していたように、共産党にとって「査問」とは多くの場合「リンチ」を意味していた。共産党はこの事実をこそ率直に自己批判して責任をとるべきなのであって、巨大な“嘘のシステム”によってその場を逃れようとしてはならないと私は思う。私はまた、数十年後に刑期を終えた連合赤軍の殺人犯たちが、実は自分たちも遺体を「仮埋葬」したのだなどと嘘を言い始めることのないように願っているものである。

 共産党が嘘を強引なまでに国民に押しつけようとし、その嘘を指摘するひとびとを政治的、社会的に抹殺しようとする現在の体質そのものを否定しない限り、粛清は将来もまた必ず起こるし、共産党一党独裁国家は悲惨な「収容所列島」となるほかはないであろう。こういう嘘を多発し、歴史を偽造する前科と体質があるからこそ、宮本氏、袴田氏、野坂氏らがみなライフル銃を所持し、それは個人的趣味なのだと言っても、多くの国民は素直に信用しようとは思わないのではなかろうか。(こうやま けんいち)

 【視点】昭和51年1月の国会で、民社党の春日一幸委員長は8年の共産党リンチ事件を取り上げた。当時、共産党中央委員だった宮本顕治委員長らが小畑達夫氏をスパイ容疑で査問し、死なせたとされる事件だ。共産党は「悪質な反共攻撃」と反論し、宮本氏も「査問は静かに進められた」とする所感を朝日新聞に寄せた。

 香山氏は、もう1人の加害者とされる袴田里見氏の著書などを証拠に、共産党の「嘘」を指摘した。連合赤軍の「総括」が「リンチによる死刑」を意味するように、共産党にとって「査問」は「リンチ」を意味していたとして、共産党に自己批判を求めた。共産主義が持つ粛清と歴史偽造の体質をついた論文である。(石)





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