第5部の3 補足・浜田幸一元自民党代議士の貴重な事件分析

 (最新見直し日2011.01.06日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 自民党の暴れん坊の異名をとったハマコーこと浜田幸一元代議士の「宮顕査問致死(戦前日共の小畑中央委員リンチ致死)事件の国会質疑事件」というのがある。意外に大事だということが分かってきたので、本章を設けて検討してみたい。二つの視点から考察を要する。一つは、ハマコーの事件の認識の仕方である。れんだいこは、ハマコーの「小畑中央委員リンチ致死事件」に対する認識は、部分的なヶ所の誤差は別として極めて正確に理解していると評価する。ハマコーはその上で、左様な胡散臭さを持つ宮顕をトップに据えて数十年経過している日共の体質をいかがわしいと主張して次のように述べている。
 「そういう宮本氏を幹部として戴き、国政に関与させてきた日本共産党の姿勢に、大きな懸念を禁じえない」。

 これは非常にまっとうな見解ではなかろうか。

 次に、ハマコーがこの質疑の責任を取って予算委員長辞任に追い込まれ、実質的に見てこれが代議士引退へつながっているという重大性である。このことは見過ごされているが、ハマコーが開けてはいけない禁断の扉を開けたということの他に理由が考えられない。恐らく、ハマコーは未だ釈然としていないように思われるのでれんだいこがその背景を解析しておきたい。

 「小畑中央委員リンチ致死事件」の開示がなぜタブーなのか。それは現指導部につながる日共党中央が宮顕系譜であり、「小畑中央委員リンチ致死事件」の真相が明らかになると現下党中央の異邦人性が白日の下に晒されることになるからである。しかしてそれは、現下公安当局―現代世界を支配する国際金融資本帝国主義の重要な策略の一つである左派懐柔戦略を表面化させることになる。この姿形を明らかにすることは、日共党内のみならず左翼界全体ひいては政界総体に一種パニックを起こさずには済まされないからである。このこと故に、不認識に禁断の扉に接近したハマコーが葬られねばならなかった。そう読むべきではなかろうか。怖い話しだがそういうことである。

 2004.6.1日再編集 れんだいこ拝


浜田幸一元代議士の「小畑中央委員リンチ致死事件国会質疑事件」】

 1988.2.7日、衆院予算委員会で、共産党の正森成二議員と浜田幸一委員長の遣り取りで勃発した。1974年から1976年のロッキード事件勃発直前まで民社党と共産党の論争以降途絶えていた経緯のある「小畑中央委員リンチ致死事件」が突如、国会で蒸し返され質疑されることになった。これを確認しておく。

 【第一幕】 

 ケッタイナことにこの時正森議員は、国会議員のミニ権力を利用して政府に対し「過激派をもっと取り締まれ」と圧力をかけていた。この党の性癖であるが、自身が権力に対して立ち向かう闘争はおざなりを得手として、左派系他党派の運動に対してはまことに手厳しく批判するばかりか、時の権力に対して取り締まりを要請するという痴態を見せていた。この時は、直前の中核派による自民党襲撃事件を受けて、次のように質疑していた。

 概要「過激派の取り締まりを廻って政府が泳がせているのではないのか。断固として取締りを強化すべきである」。

 これを被害者側の自民党が主張するのなら自然であるが、共産党が代弁しているところが日共らしい。その際、日共のよくやる手法であり姑息な話法であるが、政府側の中にも同様の見解を持っている者が居るとして、浜田委員長の過去のテレビワイドショー出演時の発言を例に引き出し、次のように述べた。

 概要「1984.9.19日の中核派による自民党襲撃事件の際に浜田議員が、『この責任は誰にあるかというと、泳がしていた我々にもある』との発言をしている。この点では意見が一致します」。

 【第二幕】 

 ところが、引き合いに出された浜田委員長が黙って居られず、自身の発言の恣意的な利用に突如抗議し始め、事件が勃発する。浜田委員長は、正森議員の質疑中に割って入り、次のように述べた。

 概要「私の発言の真意は手ぬるいという意味である。政策として意図的に泳がせていることを認めているかのように利用されるのは曲解である。殺人者である宮本顕治氏をトップに据えているような共産党と不肖ハマコーの言説が一致していると云われることは心外である」。

 正森議員は、「過激派の泳がせ政策」の質疑が急転直下「共産党の最高指導者宮本議長の戦前のリンチ事件」に話題が転じたことに動揺した。「何を云っておるんだ。そんなこと、聞いておらないことを何を云っているんだ」、「そういう発言は断じて許せない」と待ったをかけた。浜田委員長は、既に勢い止まらず、戦前の宮顕らによる小畑氏リンチ事件疑惑を持ち出し、「これを隠蔽している共産党の体質とは政治信条から相容れるものがない」と述べ、この後、リンチ事件に触れて次のように述べた。
 「宮本氏らがはじめから小畑氏を殺すつもりはなかったとしても、共犯者の供述によれば、リンチの最中、『白状すれば助けてやる』といっている。つまり、『白状しなければ殺す』ということだ。しかも、そういいつつ、そのまま続ければ死んでも不思議ではないような暴行を加え続け、その結果、小畑氏は実際に死んでしまった。れっきとした殺人ではないのか。スパイでもない同志を残忍なやり方で殺し、しかも、戦後のどさくさにまぎれて、宮本氏はその罪をつぐなってはいない」。

 れんだいこから見て、浜田委員長発言は「共産党の最高指導者宮本議長の戦前のリンチ事件」の本質をまことに的確に突いている。以下、浜田委員長と正森議員の間で次のようなやり取りが為された模様である。
浜田委員長  お答えいたします。我が党は旧来より、終戦直後より、殺人者である宮本顕治君を国政の中に参加せしめるような状況をつくり出したときから、日本共産党に対しては最大の懸念を持ち、最大の闘争理念を持ってまいりました。でありますから……(発言する者あり)答え中です。ですから、私は、自由民主党としてはあらゆる行為をとってきたと申し上げただけであります。以上であります。何か質問があれば答えます。
正森委員  今私が聞いていることに答えないで、公党の最高幹部である我が党の宮本議長に対するそういう発言は断じて許せない。
浜田委員長  それでは、なぜ……
正森委員  いや、私は今あなたに答弁を求めていませんよ。
浜田委員長  それではなぜ牢獄の中にいたのですか。その理由は何ですか。それは何ですか。それは我々の最大の闘争です。承りましょう。一歩も引くわけにはいきません。
正森委員  今私はあなたに対して答弁してくださいと言っておりませんよ。
浜田委員長  取り消すわけにはまいりません。
正森委員  私は質問中です。これの切りのいいところで伺います。切りのいいところで伺います。
浜田委員長  いいんですか、そうでないと後悔しますよ。それはどういうことかというと、昭和八年十二月二十四日、官本顕治ほか数名により、当時の財政部長小畑達夫を股間に針金で締め、リンチで殺した。このことだけは的確に申し上げておきますからね。いいですね
正森委員  委員長、そんなこと言ってないじゃないか。何言うてんです。
浜田委員長   針金で絞め、リンチで殺した。このことだけは的確に申し上げておきますからね。いいですね。
正森委員  何を言っておるんだ。そんなこと、聞いておらないことを何を言っているんだ。(発言する者あり)
浜田委員長  いいですか。それを言わぬとあなた方は……そのことだけは言っておかなければ、あなた方はそのことでごまかそうとしておる。
正森委員  委員長は、私が質問しているのに対して関係ないことを何言うんだ。(発言する者あり)
浜田委員長  異議があるなら言ってきなさい。それだけを明確にしておかなければなりません。

 発端は、正森議員が、代々の自民党が過激派の泳がせ政策を取っていると指摘し、その論証の一つとして概要「1984.9.19日の中核派による自民党襲撃事件の際に浜田議員が、『この責任は誰にあるかというと、泳がしていた我々にもある』との発言をしている。この点では意見が一致します」と例示したことにあった。これに対し、浜田委員長が、概要「殺人者である宮本顕治氏をトップに戴く共産党との意見の一致を言われることは心外」として抗弁し、勢いあまって、戦前の宮本氏らによる小畑氏リンチ事件を持ち出し、「これを隠蔽している共産党の体質とは政治信条から相容れるものがない」と割って入った格好である。委員会内にヤジが飛び交い、議場は大混乱騒然となった。

 【第三幕】 

 正森議員は、この後「発言取り消せ、取り消さない」で揉めた。NHKはこの模様を時間の関係上途中で打ち切って「大草原の小さな家」を再放送した。同局には苦情の電話が殺到した。 

 【第四幕】 

 浜田委員長の発言を制止させる為に後で発言させることで決着させ、議場の混乱は収まった。正森議員の質問が次に移る。この間、関係資料を整える時間が与えられた。浜田委員長は、「このままでは、テレビを見ていた人に、あたかも私と、殺人者を最高幹部とする日本共産党とが同じ意見であるかのような印象を与えたままで終わってしまう。それは私としては我慢のならない」として、頃合の良い頃を見計らってシロクロの決着をつけようとしたが、故意か偶然か正森議員の宮沢蔵相に対する質問が長引き、まもなくテレビ放送時間を終わろうとしていた。

 【第五幕】 

 浜田委員長は待ちきれず、正森議員の質疑中に再度無理やり割って入った。「正森君ちょっとお待ちください」と割って入り次のように発言した。その遣り取りは次のようなものであった。
この時の「ハマコー発言議事録」が「反米嫌日戦線「狼」(反共有理)」の2007.8.17日付けブログ「共産党 宮本顕治は人殺し」にサイトアップされている。これを転載しておく。

浜田委員長  あのね、あなたの質問が終わる前に、ちょっとおかけください、恐縮ですが。
正森委員  私は質問中です。これの切りのいいところで伺います。切りのいいところで伺います。
浜田委員長  いいんですか、そうでないと後悔しますよ。それはどういうことかというと、昭和八年十二月二十四日、宮本顕治ほか数名により、当時の財政部長小畑達夫を股間に……
正森委員  委員長、そんなこと言ってないじゃないか。何言うてんです。
浜田委員長  針金で絞め、リンチで殺した。このことだけは的確に申し上げておきますからね。いいですね。
正森委員  何を言っておるんだ。そんなこと、聞いておらないことを何を言っているんだ。(発言する者あり)
浜田委員長  いいですか。それを言わぬとあなた方は……そのことだけは言っておかなければ、あなた方はそのことでごまかそうとしておる。
正森委員  委員長は、私が質問しているのに対して関係ないことを何言うんだ。(発言する者あり)
浜田委員長  異議があるなら言ってきなさい。それだけを明確にしておかなければなりません。
正森委員  先ほど委員長の発言で……
浜田委員長  質問を許します。
正森委員  先ほど委員長の発言で、我が党の宮本議長に対し著しく事実に反する不当な発言がありました。宮本議長の事件は、侵略戦争反対を貫く日本共産党指導者であること自体を重罪とする治安維持法等違反に問われたものであります。
浜田委員長  それはうそだ、刑事犯だ。
正森委員  その戦前の判決でさえ殺人とは認定していないものであります。しかも、その治安維持法自体、戦後の民主化の中で廃止され、宮本議長は勅令七百三十号で刑の言い渡しを受けざりしものとみなすとされ、判決自体がなかったものとされているのであります。ここに私は判決を持ってきております。勅令適用の文書もここにあります。このことは国会でもたびたび確認されていることであります。(発言する者あり)
浜田委員長  懲罰動議にかけなさい。受けて立ちます。

 【第六幕】 

 同委の質疑終了後、与野党理事が問題の取り扱いを協議した。野党各党は、「質問中に、それをさえぎって委員長が勝手に発言したのは問題だ」とし、特に共産党は、「委員長は更迭されるべきだ」と主張した。


【浜田幸一代議士辞任秘話
 その後の浜田氏は数奇な運命を辿る。予算委員長辞任秘話が次のように明かされている。「宮本議長のリンチ行為を指摘したら、こっちがリンチを受ける羽目になってしまった。これではシャレにならない」とあるように、「小畑中央委員リンチ致死事件国会質疑事件」の顛末は、マスコミとそれに操作された世間による「ハマコー辞めろ」大合唱を巻き起こさせ、袋叩き状態に陥ることになった。

 この時浜田氏は、1・質疑発言を取り消し、議事録から抹消するか、2・予算委員長の辞任かのどちらかを選ばねばならないことになった。浜田氏はその両方を拒否した。数時間審議はストップし、与野党理事会で「裏」の折衝が行われることになった。その後手打ち式を誘うかのように、派閥の親分である金丸氏が登場し、次のような纏め案を呑むよう指図したという。
 概要「予算委員会で陳謝し、人殺しの部分を議事録から削除すれば、何とかお前の首がつながるように、話をつけるメドはついている。それが嫌だというなら、辞めるほかないな。二つに一つを取れ」。
(私論.私見) 「金丸指図」について
 この提案の眼目が、「質疑発言の中の人殺し部分を取り消し、議事録から抹消する」ことにウェイトがあることが見て取れる。このことは何を意味するのであろうか。常識的に見て、実質的に審議された遣り取りを「議事録から抹消」するなどということが許されて良いわけがなかろう。単に、議場の混乱の責任を取らせるのなら分かる。この時金丸は、当然共産党は、何ゆえ「議事録から抹消」に拘ったのであろうか。もう一つ、「何とかお前の首がつながるように、話をつけるメドはついている」とあるが、金丸氏は誰とそのような話をつけていたのだろうか。ここに大きな闇がある。

 結局、浜田氏は、審議を混乱に導いた責任に対しては陳謝するが、議事録抹消は政治信条に関わるからできない旨を最終返答した。「私の発言の議事録からの削除だけは、絶対に認めるわけにはいかなかった」とある。金丸氏との縁が事切れた瞬間であった。かくて浜田氏は、2.12日、突如辞任声明をすることとなった。その後、自民党公報委員長などを歴任し、1993.6月、衆議院議員を引退し現在に至っている。浜田氏にはあまりにも高くついた「小畑中央委員リンチ致死事件国会質疑事件」となった。

「議事録削除」考 れんだいこ 2004/05/31
 国会が面白くないですねぇ。民主党の馬鹿たれどもは何を遠慮して小泉ごときを奉ったような質疑を遣り取りしているのだろう。やっぱ左派党派が追い詰めないと面白くない(念のため、この場合、共産党や社民党のこというてるのではないよ)。まぁまぁまぁの庇い合いで論戦にならない。今や自・公・民与党体制ができた感がある。10分ほど耳を傾けたが聞くのやめた。

 さて、「参院決算委:柏村議員の反日発言 議事録から削除」についてコメントしておく。れんだいこには、「議事録から削除」なる芸風がどこから生まれたのか興味がある。どなたか教えてくれはれ。

 れんだいこの知る限り、その昔ハマコーが「小畑中央委員リンチ致死事件国会質疑事件」を起こしており、これに日共が猛然と反発し、すったもんだの挙句、「質疑発言の中の人殺し部分を取り消し、議事録から抹消する」ことになった。

 これ以前にもこういう姑息なことが行われていたのかどうかわからないが、常識的に見て、実質的に審議された遣り取りを「議事録から抹消」するなどという事が許されて良いわけが無かろう。

 ハマコーの偉いところは次のことにある。審議を混乱に導いた責任に対しては陳謝するが、議事録抹消は政治信条に関わるから出来ない旨を最終返答している。「私の発言の議事録からの削除だけは、絶対に認めるわけにはいかなかった」とある。しかし、これによりハマコーの政治生命が断たれていくことになる。

 「参院決算委:柏村議員の反日発言 議事録から削除」はこのことを思い立たせる。
 2004.4.26日、自民党の柏村武昭参院議員が決算委員会で、イラクで人質にされた日本人について「反日的分子」と発言した。5.31日、同委理事会は、「反日」などの表現を議事録から削除することを決めた。柏村氏は「(発言は)間違っていない」と述べ、自身では撤回しない意向を示した。

 削除するのは、柏村氏が「反日的分子のために数十億円もの血税を用いることに強烈な不快感を持たざるを得ない」と発言した部分の「反日的」と「危険地域への反日活動家の一時出国制限」と述べた中の「反日」の2個所。扱いを一任された鴻池祥肇委員長が同日の理事会で職権により削除を提案、了承された。

 柏村氏は、同委で外国人犯罪の増加を指摘する中で「中国なんかはろくな裁判もない」とも述べたが、これは既に自身で削除を申し立てた。「反日発言」に関しては「政治信条に基づく」として、委員長に一任していた。

 柏村氏は「言葉狩りで委員会審議に支障が出てはいけないので一任した。『反日』は辞書で意味を調べたうえでの発言だ。騒がれたのは意外だった」と述べた(2004.5.31日付け毎日新聞、月足寛樹)、とある。

 れんだいこは思う。国会議員の発言は、内容吟味以前の問題であり、議事録に残されるべきではなかろうか。何の正義でさようなことがまかり通るのだろう。そういうことを繰り返せば、国会議員の質疑の重みもなくなろうに。なるほどどうせピリッとした遣り取りはしていないのだから、そのぅつまり体裁だけでも気になるという訳か。

 しかしなぁ、その昔より「頭隠して尻隠さず」という諺がある。議員にせよマスコミにせよなんでこのことを指摘しないのだろう。この国の自称知者たちの「頭隠しクセ」はこれもほとんどビョ−キの世界みたいな気もする。

 2004.5.31日 れんだいこ拝

【「日本をダメにした9人の政治家」】

 1993.12.9日、浜田幸一元代議士は、「日本をダメにした9人の政治家」を出版し、第5章で「一人独裁の宮本顕治は、即みそぎを」のタイトルを設け、次のように記述している。小畑中央委員リンチ致死事件」を次のように解析している。

 「『宮本顕治議長は人殺し』に関することだが、これはかっても民社党などが国会で問題にしたこともある。昭和8年(1933年)12月23日、日本共産党内で起こったリンチ殺人事件のことである。当時、共産党中央委員の宮本顕治氏らが、やはり中央委員の小畑達夫という人に警察に内通したスパイの嫌疑をかけ、二日にわたるリンチの末に死亡させた。この時、もう一人、大泉という党員も査問にかけられているが、彼は途中で『自白』したため、何とか殺されずに済んだ。大泉氏の予審調書には、こうある。(略)死んだ小畑という人がスパイでなかったことは、その後の調査によっても確実になっている。彼は最後まで、自分がスパイであることを認めなかった。しかし、宮本氏らは、初めからスパイと決め付けており、相手の言い分を聞こうともせず、一方的に痛めつけた。こんなのは、査問とは言わない。明らかなリンチである。

 裁判記録や関係者の調書によれば、殴るける、さらには薪割り用の斧で頭を打ったりした。それでもスパイであることを認めなかったので、今度は目隠し、猿ぐつわをし、耳には飯粒を押し込んで、両手をうしろまわしにし、針金と縄で縛り、足も同様にグルグル巻きにして身動きが出来ない状態にして、暴行を加えつづけた。リンチは翌日も続いた。苦痛の余り、小畑氏は『いっそ、ひと思いに殺してくれ』と叫んだ。しかし、宮本氏らは、頭から黒い布をかぶせて体を縛り上げ、火鉢の火を取ってきて足の甲に乗せたり、股間を露出させて絞めたり殴ったり、下腹部に硫酸を垂らして責め立てた。その結果、小畑氏は悶死した。宮本氏は仲間に命じて、死体を床下に埋めさせた。

 以上は、リンチに加わった人たちや関係者らの供述調書に書かれていることで、内容的には、宮本氏以外ほぼ一致しているし、死体の傷とも符合する。死体は頭のてっぺんから足の爪先まで、前身傷だらけ。共犯者らの証言があるにも関わらず、これを宮本氏は、『小畑が逃げようとして、自分で勝手につけた傷だ』とか、『死んだのは、小畑が特異体質だったからだ』などとうそぶいている」。
(私論.私見) ハマコーの「日本をダメにした9人の政治家」文中の「一人独裁の宮本顕治は、即みそぎを」の記述について
 浜田氏のこのまとめ方はかなり的確であるように思われる。細部では、「目隠しし、猿轡をし、耳には飯粒を押し込んで、両手を後ろに回し、針金と縄で縛り、足も同様にグルグル巻きにして身動きが出来ない状態」の発言での、「足も同様にグルグル巻きにして身動きが出来ない状態」のところがやや過剰であったり、「その結果、小畑氏は悶死した」とあるように、逃亡過程の暴行致死事件であることの分析が舌足らずである点とか問題もあるが、全体の構図はこの通リであったであろう。

 これがごく普通の調書の読み方であり、浜田氏の纏め方は的確である。ところが、なぜか共産党員となるやあるいは左派界隈では同じ調書を読んでもこの理解に達しないという変調世界になってしまう。この現象はなへんにありや。一言で云えば、日頃賢こぶる割には読解能力不足ということを証左しているのではなかろうか。




(私論.私見)