補足・スパイ三船留吉考

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).4.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「スパイ三船留吉考」を論ずるれんだいこの視点は他の誰よりも違う。それは何も奇をてらってのものではない。松本清張、しまねきよし、立花隆、くらせみきおの諸氏が、当然の如く三船留吉のスパイ性を論じ、他の誰それのスパイ性をも論じようとしているのに対し、れんだいこはむしろ疑念をもってそれを眺めようとしている。宮顕一派によって指弾されたスパイ何がしについては当たっている場合もあろうしそうでない場合も考えられる。れんだいこは、そうでない場合の可能性について考えている。何しろ、れんだいこの一連の研究によって、宮顕一派の方がより胡散臭いスパイ集団であることが判明している。「スパイM」以降の超大物こそ何を隠そう宮顕ではないのか。となると、そのスパイ一派宮顕派によってスパイ指弾された者にいかほどの根拠があってのことか、如何なる理由で暴露されたのか等々疑問を覚えるのも致し方なかろう。

 れんだいこがつらつら考えるのに、宮顕派は、党内の有能党員あるいは将来の才器に対して予防拘束的にスパイ呼ばわりしていった可能性がある。特に労農畑出身の逸材に対して攻撃を集中している風がある。伊藤律に対する嫌疑も、これにより説明できる。従って、れんだいことしては、スパイと見なされた人士のほうに温かい目線を送らねばならぬことになる。この当時、苛烈な治安維持法下では党員は誰しも一度は検挙され、脛に傷持つ身で釈放されている。そういう訳で、スパイ呼ばわりしようと思えばその材料には事欠かない。このような流れの中で、偽装転向も含め活動していた人士の特に有能党員に狙いを定めて、宮顕派が傷口に塩を塗るようにして追討に乗り出していた形跡がある。

 既存の分析はここがからきし分かっていない。あたかも自称インテリの馬鹿さ加減を世に知らしめている風がある。それを思うから、市販の「スパイ三船留吉論」などとてもそのままでは食えない。「小林多喜二を売った男」(くらせみきお、白順社)を唾棄するのもそれ故である。如何に考証を良くしようとも、結論が捻じ曲げられていれば許し難い。そういう駄作が持て囃されている現状を如何せん。れんだいこのこの観点が共有される時代が来るであろうか。

 2004.6.28日 れんだいこ拝


戦前日共史(補足)スパイ三船留吉考 れんだいこ 2004/06/28
 2004.5.15日、くらせみきお氏より「小林多喜二を売った男 スパイ三船留吉と特高警察」(白順社)が出版された。くらせ氏は、表題通り「小林多喜二を売った男」なる観点から、三船氏の履歴を精緻に概述し、戦前日共史の闇の部分である潜入スパイ問題に言及している。既に考察されている「スパイM」については他書に譲り、専ら三船留吉に焦点を絞って解明せんとしている。れんだいこは、本書の資料的価値を認める。しかしながら、その観点に大いなる疑義を唱えたい。以下、これにつき言及する。

 一体、著者くらせ氏は、「三船留吉論」に付き公式的観点に依拠し過ぎてやいないだろうか。今日判明している諸資料からスパイM、三船留吉のスパイ性を問うことは正論であろう。それはもっと精緻に掘り下げられる必要があろうからその労は評価する。だがしかし、今やちょっと知識を持った者なら誰の目にもはっきりしつつある最も胡散臭い宮顕、袴田、野坂ラインのスパイ性の実証に向かわず、むしろ宮顕、袴田の語る観点に依拠しつつ三船留吉論を展開するなどとは錯誤が甚だしい。そのような考証は一層迷路に陥るだけだろう。

 「小林多喜二を売った男」が三船留吉であるとは日共党史の公認見解の引き写しである。著者は、他の見解を排斥しながらどうしても三船留吉をスパイにしたがっているように見える。れんだいこにはこの凡俗性ががまんならない。「本書の資料的価値を認める」が、その見解部分は到底共有しがたい。

 しかし、本書で重要な点を教えていただいた。「小林多喜二を売った男・三船留吉説」を説いているのが作家同盟の手塚英孝であるということを。しかしながら、手塚のそれは、「小林多喜二を売った男・三船留吉説」を指摘するだけで何の根拠も示していない。それはできないのだろうと思われる。

 ところで、本書は指摘していないが、その手塚英孝こそ宮顕の入党推薦者である。同郷の誼ということであった。戦後になって宮顕の小畑中央委員リンチ致死事件の研究に向かうが、宮顕の顔色窺いながら書き上げたことが歴然の駄作を発表している。ということは翻って、「小林多喜二を売った男・三船留吉説」には宮顕と手塚の共謀性こそ疑われねばならないことになる。つまり、このグル関係で「小林多喜二を売った男・三船留吉説」が流布されていることになる。これを知ったのは収穫であった。

 本書の著者は、宮顕と手塚の共謀性による「小林多喜二を売った男・三船留吉説」に何ら疑問を呈していない。本来、研究すべきここら辺りを何ら論及せず、逆に異説を排撃するのに夢中になっている。そういう御用性が分かる。この種の難しい問題こそ難しい故に難しいままに正面から取り組まねばならないだろうに。

 れんだいこが思うに、戦前日共党史における潜入スパイ論を手がけるなら、スパイM以前、スパイM時代、スパイM以降の三部作で捉えたほうが分かりやすいし正確を得るだろう。れんだいこが世の自称インテリ達に失望する所以は、この正面からの課題に向かわず、枝葉末節的な姑息的な営為に傾注するところにある。

 つまり、何故に「スパイMその後」で、泰山鳴動型の宮顕・蔵原−袴田ラインの活動を詮索せぬままに、ネズミ数匹型の重箱の隅を突付くかのような三船留吉論を大々的に持ち上げるのだろう。そういう意味で、本書はいわば捻じれ研究書に陥っていることになる。

 戦前日共党史は、戦後日共党史も同じことになるのだが、宮顕・蔵原−袴田ラインによって解体もしくは骨抜きにされたという史実がある。これは明らかなのに、ここを避けて通ろうとしている。本書もまたこの系譜に連なっている。如何に労作であろうとも、その事大主義性が資料価値以上の華を添えていない恨みがある。

 この見解に異論があるなられんだいこは引き受けよう。

 2004.6.28日 れんだいこ拝

 れんだいこのカンテラ時評bP109  投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 2月20日
 「三船留吉、小林多喜二を売った男」説について

 今日2.20日は戦前のプロレタリア作家にして拷問虐殺された小林多喜二の命日である。これを踏まえて東京新聞の「筆洗」その他数紙が言及している。れんだいこも追悼しておく。2008.6.29日に書き終えブログには未発表にしていた一文を転載しておく。2004.6.28日に「戦前日共史(補足)スパイ三船留吉考」を発表しており、その続編となる。格納サイトは以下の通り。

 「補足・スパイ三船留吉考」
 (marxismco/nihon/senzennikkyoshico/hosoku_
mifuneco.htm


 「蟹工船」がベストセラー化しつつあると云う。ワーキングプアーが蟹工船労働者の姿と二重写しとなり、労働者が立ち上がる姿に共鳴し、せめて小説の中だけでも鬱憤を晴らしたいと云う情動が働いているのだろう。れんだいこは、高校生時代に読み感想記をものした覚えがあるが、あたら惜しい事に散逸している。どういう風に受け止めていたのか知りたいが、その術がない。

 ところで、小林多喜二に関連して、2004.5.1日、くらせみきお著「小林多喜二を売った男」(白順社)が発売されている。れんだいこは既に2004.6.28日づけで「戦前日共史(補足)スパイ三船留吉考」で論評しているが再度書評しておく。れんだいこが我慢ならない観点から著述されており、こういう通説が流布されることを人民大衆的に拒否せんが為である。

 本書も叉「一見精緻な研究」とは裏腹に「読めば読むほど馬鹿になる仕掛け」になっている。精緻な研究がむしろマジック的な煙幕となって誤誘導的結論へ誘う手段となっている。多くの人は「精緻な研究」辺りで既に騙されてしまう。最近はこういう類いの悪書が多い。

 ヤング諸君が「蟹工船」を読むのなら、ついでにれんだいこの一連の研究にも目を通せば良い。れんだいこが時々に於いて興味、疑問を覚えた事項に対して、まずはれんだいこ自身が得心できるように工夫して精力的に検証している。そのでき映えは、性格の悪い御仁からの悪罵に堪え、ますます光芒を放ちつつある。尤も不断に書き直ししている。

 ヤング諸君、是非感想を伝えてくれ。こちらは学者でもない教授でもない何の肩書きも権威もない一市井人でしかないが侮ってはいけない。同じ事を論じても、そんじょそこらの通俗本よりはよほど為になるよう要点をしっかり捉まえ、今後論ずる際の基準になるような観点を打ち出している。ここにれんだいこ文の特徴がある。これに対話して欲しい。叩き台にして欲しい。

 しかしそれにしても左派戦線からの締め出しがきつい。れんだいこブログは公開して既に十年近くなろうとしている。結構な論議を生むであろう内容を提起している筈であるが、まともな批判に出会ったことがない。いわゆる無視されている訳であるが、にも拘らずれんだいこの指摘が万力攻め的に作用しつつあるとしたら滑稽なことである。

 さて、話を「小林多喜二を売った男」に戻す。題名からしてズバリ「小林多喜二を売った男・三船留吉説」を打ち出しているが、この説は果たして本当だろうか。まず何よりここを詮索せねばならない。ここを詮索せぬまま立花隆のように「もともと根っからのスパイ」、「当局の雇われスパイではなく、当局の人間そのものだったのではないかとも考えている」なる見解は、通説に徒に悪乗りしているだけなのではなかろうか。

 「小林多喜二を売った男・三船留吉説」は重要な史実を隠している。何かというと、この説が、かの宮顕肝煎りの説だということにある。れんだいこは、「宮顕論」で、「宮顕その人こそがスパイM以降の、スパイMに成り代わってその後の日共を統治した超大物スパイ説」を打ち出している。この観点によれば、日共党史は無論、日本左派運動史を根底から書き直さなければならなくなる。「れんだいこの宮顕論」にはそういう凄みがある。こういうことは本当は誰かに云って貰わなければサマにならないのだけれども、れんだいこ自身が言わざるを得ない情けなさがある。
 「宮顕論」
 (marxismco/nihon/miyakenco/miyakenco.htm

 それはともかく、初めてこの説を聞く者には衝撃が多過ぎて、れんだいこを誹謗し始める者が殆どであるが、こういう場合には先ず史実検証で論を闘わせねばならない。この手間を取らぬままれんだいこ説を誹謗する者は単にドグマにしがみついているだけに過ぎない。そう云われるのが嫌なら、「れんだいこの宮顕論」を逐条検討すれば良かろう。れんだいこは、「宮顕獄中十二年、唯一非転向完黙人士説」を完膚なきまでに打ち砕いている。この虚像を信奉し、未だに聖像視し、お追従する者達の安逸な精神を批判している。

 くらせみきお著「小林多喜二を売った男」の陳腐さは、宮顕説の尻馬に乗って、三船留吉を「小林多喜二を売った男」としているところにある。この場合、1・三船留吉スパイ論の検証、2・「小林多喜二を売った男・三船留吉説」の検証の二本立てにしなければならない。前者をいくら繰り返しても後者には辿り着かない。後者を成り立たせるためには後者自体を裏付ける因果関係が証明されねばならない。これが真っ当な検証方法であろう。

 くらせみきお著「小林多喜二を売った男」の凡俗さは、前者を後者に混同させて、つまりすり替えてひたすら「小林多喜二を売った男」と云う結論へと導き、押し付けているところにある。しかし、事情に明るいものなら胡散臭く思うであろう。この当時の小林多喜二の身辺は非常にキナ臭くせっぱ詰まっており、その連絡線は党の最高機密になっており、三船如きの下っ端連絡線に結ばれていたとすること自体が嘘っぽい。

 多喜二は文芸畑の党員であり、当然その筋の大物指令により地下活動していたと思うべきだろう。三船は畑が違うのではないのか。となると、この当時の文芸畑の大物として詮索されるのは蔵原か宮顕こそが臭い。つまり、「小林多喜二を売った男・三船留吉説」は、蔵原か宮顕が臭いと勘ぐられるべきところを三船にすり替えていると云う政治的意味がある。しかし、よりによって、勘ぐられねばならない当の張本人である宮顕が三船スパイ説を流しているというオマケつきである。

 こういう場合、「小林多喜二を売った男・三船留吉説」そのものが胡散臭く受け取られねばならない。普通の頭脳さえあれば、そういう推論になる。それをあえて、くらせ著「小林多喜二を売った男」は、宮顕の意向通りに「小林多喜二を売った男・三船留吉説」をプロパガンダしているという役割を果たしている。我々は、こういうものを鵜呑みにすべきであろうか。これを鵜呑みにするのが昨今流行の自称知識人の悪癖であるが、よほどオツムが弱いと云うべきだろう。

 そういう意味で、「小林多喜二を売った男」のグーグル検索で見つけただけなのだが、れんだいこが日頃兄事させていただいている加藤哲郎教授の書評に触れねばならない。申し訳ないが批判させていただく。加藤教授は次のように述べている。

 概要「スパイMと本書の主人公三舩留吉は、特高警察の奇才毛利基が用いた二人の最重要人物だった。小林多喜二も属した日本共産党の不幸は、この二人の大物スパイの正体を見究めることができないまま、それより格下の大泉兼蔵と、スパイであったかどうかも疑わしい小畑達夫を査問・リンチし、小畑を死に至らしめたことであった」
 (http://homepage3.nifty.com/katote/mifune.html)。

 この評はいかがなものだろうか。れんだいこは、1として三船を「スパイM」と並ぶほど大物視することに対する疑問がある。2として、宮顕派により査問テロされた大泉、小畑を「それより格下」だったとは思わない。4名しか居なくなった当時のれっきとした党中央委員である。能力的には小物だっかも知れないが党組織上は最高幹部である。

 尤も、教授が続いて「スパイであったかどうかも疑わしい小畑達夫を査問・リンチし、小畑を死に至らしめた」と明確に記述している下りの評価は惜しまない。こう書ける識者は滅法少ない。日共系御用学者よ、加藤教授は少なくともこの程度には発言しているぞ。教授の爪の垢でも煎じてみたらどうだ。しかしそれより何より、加藤教授が 「小林多喜二を売った男・三船留吉説」に違和感を表明せず同調しているのが気に入らない。

 以上、「れんだいこの『小林多喜二を売った男』書評その2」とする。仕舞いはこういうことが云いたくなる。本件に限らず、あれこれの検討課題に於いて、仮にれんだいこの見立ての方が正解だったとした場合、不正解見解をプロパガンダする書物を読んで賢くなるだろうか。現代はこういう手合いの「誤誘導結論押し付け書籍の氾濫時代」ではなかろうか。れんだいこが得心して読めたり、ハタと膝を打つようなものはめっきり少ない。ネット情報然りである。本当に知りたい情報がまだまだ表へ出て来ていない。

 「誤誘導結論押し付け書籍」だろうと読めばそれなりに知識は深まる。だが、下手な結論まで鵜呑みにすることにより却って馬鹿になりはしまいか。知識人必ずしも賢ならずの所以がここにある。我々は良書によって導かれねばならない。本書をそういう事を考える一助にしたい。

 2008.6.29日 れんだいこ拝

 jinsei/


【三船留吉考その1、履歴考】
 三船留吉の履歴は次の通り。

 1909(明治42).2.10日生まれ。秋田県由利郡鳥海町小川字戸坂47。上京して江東で全労組合員となる。日本共産青年同盟に加わり、共青中央委員になった。31年入党と推定。「全国アド紛失事件」(31年11月、加藤亮尚が検挙され、加藤の保管していた共青全国組織のアドレスが警察の手にわたり、12月地方活動家31名が検挙された事件)ののち、その組織的責任をとって、32年神奈川県共青組織に派遣された。その神奈川の組織も破壊されたあと、東京に復帰、再び共青中央委員となり、党の東京市委員会の責任者(委員長)に就任した。1933(昭和8).2.20日、小林多喜二虐殺事件発生。同年6.21日、除名処分に付されている。三船のパーティー・ネームとして三舵、武田、佐原保治、水原、香川等々いくつもの変名がある。

 三船留吉は、宮顕系党中央及びその追従派により「小林多喜二を売った男」として喧伝されている。しかし、れんだいこ調査によれば、それはない。むしろ怪しいのは宮顕ラインの線である。仮に百歩譲ってスパイだとしても、今日なお「スパイM(飯塚盈延)」ほどには詳細が明らかにされていない。

 1934.3.2日、三船が奥嶋時子と入夫婚の形で結婚。1935.3.4日、共産党中央委員会が壊滅する。袴田里美検挙。

 寺尾としが次のように回想している。
 「小柄で頭のよさそうな顔をしていた。私は彼とは1週2回の定期連絡をもって、銀座の有名喫茶店ばかりで会っていた。そのころまだめずらしかったロイド眼鏡をかけて、いつも最新流行の背広やスプリングコートを着ていた」。
 「三船に対しては非常なやり手という評価がなされていて、彼の態度も自信満々という風が見られた。彼は能弁であったし、ハッタリ屋であったからたしかに一見やり手のように見えた」。
 「査問することになっていたとき、彼は風を喰らって行方をくらましてしまった。私はそれを聞いて口惜しがった」。

 宮顕は、公判調書で三船について次のように述べている。
 「スパイ水原(三船の党名)のごときは、江東の改良主義的労働組合にいたスパイ」(「第5回公判調書」)。
 「元来、三船は、社会大衆党から入って来、共青、その他の組織に入り、その間組織を破壊される被害があったのであるが、探査をせぬうちに中央部に入ってきた男である」(「第7回公判調書」)。

 松本清張氏は、「小林多喜二の死」の中で、次のように記している。
 概要「小林多喜二は特高警察のスパイに転落していた三船留吉によって官憲に売られ、その結果、多喜二は特高の拷問によって築地警察署で落命した」。

 しかし、三船研究はスパイMのそれほどは進まなかった。しまねきよしが「日本共産党スパイ史」の中で三船の実態解明を試み言及しているが十分なものではない。

 立花隆の「日本共産党の研究」は、三船の特高スパイとしての事績の概要を系統的に明らかにした。異色な点は、三船スパイ論を一層亢進させ「もともと根っからのスパイ」、「当局の雇われスパイではなく、当局の人間そのものだったのではないかとも考えている」なる見解を披瀝したところにある。この見解の陳腐さは、「宮顕的三船スパイ説」の延長で、更にそれを急進主義的に結論せしめていることにある。立花よ、「宮顕的三船スパイ説」そのものを検証することから始めるのが研究であろうに、お前のそれは事大主義にのっかかっているだけのことではないのか。
(れんだいこの私論.私見) 日共党史の公認的三船留吉論について
 日共党史の公認的位置づけもその他論者の分析も「三船スパイ論」に傾斜しているが、字句通りに受け取ってはならない。第一、宮顕の述べているような三船の社会大衆党歴は確認されていない。宮顕の場合、全協の松原氏の例もあり、スパイでない者をスパイ呼ばわりし、党員でないのに党員であるかのように扱って除名するのは朝飯前のことである。これについては、立花氏の「日本共産党の研究」の中で詳しく論ぜられている。れんだいこ観点から見れば断じてスパイでない小畑中央委員をスパイ容疑で査問し、遂にリンチ致死せしめている。宮顕こそスパイの視点からの見直しが急がれる所以である。

 従って、流布されてきた「三船スパイ論」は一から検証し直されねばならない。むしろスパイでなかった可能性から詮索せねばならない。スパイだったとして、何時から如何なる心境によってスパイになったのか。それはどの線のスパイであったのか、三船の手引きとされている検挙のどれが本当で後は濡れ衣かを検証せねばならない。最大のテーマは、小林多喜二を売ったとの説は本当かどうかの吟味であろう。

 れんだいこは、小林多喜二を売ったとすれば宮顕の方こそ怪しく、それをそらすために三船説を流しているように見える。そもそも文芸戦線は特殊なそれであり、小林多喜二との秘密の連絡網は宮顕−蔵原の方こそ元締めだったのではないのか。これは当然に勘ぐられねばならないのにどの識者も言及していない。補足すれば、立花は、全協の松原氏の冤罪を立証した。その裏腹で三船の根っからのスパイ説を説いている。オカシイではないか。全協の松原冤罪説のように三船冤罪説に向かうのが筋ではないのか。変調な者が手掛けると、どこかで尻尾を出す典型だろう。

 2004.6.28日 2011.1.5日再編集 れんだいこ拝

【三船留吉考その2、三船留吉の党内履歴と系譜考】
 三船の「党内履歴と系譜」については、れんだいこの「熾烈な再建と壊滅の党史の流れ」と「宮顕の党中央潜入以降「査問事件」に至る党史の流れ」に記した。云えることは、党内労農畑の出身であり、非インテリ系譜で登用されていった形跡がある。立花式の当初より特高筋の可能性については穿ち過ぎではなかろうか。大泉の軟派に対してむしろ剛派の臭いがする。れんだいこは、小畑に対するようなスパイではない論までは主張しないが、宮顕式の「小林多喜二を売った男」説は採らない。

【三船留吉考その3、党活動から引退後の履歴考】

 三舵、武田、佐原、水原、香川、久喜等いくつもの変名を用いていた。スパイ発覚後、婿養子となり名を変えて別人として生き、家族にも過去を一切語ることがなかったという。

 1939年春頃、吾嬬精機鋼業に鉄鋼職人として入社。数年勤務後、退社。満州へ渡る。シベリア抑留。

 1949.7.20日、引揚帰国。富山市で奥嶋組を起こし、関西電力の下請け会社として有力下請企業に成長させ実業家として成功を収めた。

 1972.1.7日死亡(享年62歳)。






(私論.私見)