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記載内容と疑問点 |
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9 |
「党は、白色テロル調査委員会を設定して、党組織の被害状況と原因調査を強力に促進することにした」
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(疑惑)
「白色テロル」という表記の仕方は如何なものだろう。戦後の何時頃からかはっきりしないが「赤色テロル」と変更されている。宮顕には基本的知識に於いてこういう欠けるところがある。 |
2 |
9 |
「調査委員会の構成は、逸見重雄が責任者であり、同志袴田里見、秋笹正之輔などがその委員であった」
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(疑惑)
「逸見重雄が責任者」などとどの口から言えるのだろう。全員一致して宮顕が責任者であったと語っている。逸見からすれば、濡れ衣の言われ方であろう。度を越した卑怯な云い方である。 |
3 |
9 |
「(スパイ)の摘発を中央部に要望する報告書を、いくつも提出してきた。その中にあって、大泉兼蔵と小畑達夫に対するスパイ容疑がもっとも数多く語られているのである」
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(疑惑)
大泉に対するスパイ容疑の上申書が為されていたことは史実である。小畑に対してのそれにつき私は聞知していない。では、当時の上申書につき誰々が容疑されていたのか明らかにせよ、それをせぬままのかような書き方は云い得の一方的誹謗ではないのか。 |
4 |
9 |
「同志野呂は、大泉などに連絡するために外出した途上でやられたということも明白になった」
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(疑惑)
野呂委員長の検挙の手引きを大泉が為したとは今日も確認されていない、当人も頑強に否定している筈である。こういうところを、宮顕はどういう根拠で明言し得るのだろう。知らないものを真に受けさせる悪質論法である。ちなみに、野呂逮捕の後、宮顕が不自然な格好と様子で家宅捜査に来ていることが証言されている。この疑惑の方こそ詮索されるべきであろう。 |
5 |
10 |
「もっと重大な問題は、両名は党中央委員であったが、その担当する組織や専門部はもっとも系統的に破壊されると言う事実であった」
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(疑惑)
こういう事実歪曲を鵜呑みにしてしまうと丸め込まれてしまう。史実はあべこべであり、大泉.小畑が担当していた全農や全協こそ闘う最後の砦となっていた。宮顕の関与したコップや東京市委員会こそ系統的に破壊されていたのではないのか。宮顕は、こういうウソを平気でつく芸当の持ち主であることを踏まえねばならない。 |
6 |
10 |
「すなわち、両名を除く、党中央委員並びに候補者を加えた党拡大中央委員会を開催し、そこで正式に決定したのである。査問委員会は拡大中央委員会の出席者によって構成された」
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(疑惑)
宮顕は、なぜこうもぎょうぎょうしい物言いを得意とするのだろう。当時、党中央委員といおうが党拡大中央委員会といおうが体を為しておらず、要するに党中央委員は逸見と宮顕、拡大すれば袴田と秋笹だけのことである。この4名に木島を入れて査問に当たったというだけのことである。何をものものしくいっているのだろう。察するに、事情を知らない者をかような表現で目くらましさせようとの下司な魂胆しか見えてこない。もう一つ、陰謀性を隠蔽するための小細工的な言い回しと受け取るべきであろう。 |
7 |
10 |
概要「査問会は開かれた。当日、大泉.小畑両名はそこへ導かれた。大泉兼蔵は私と一緒にその家に入ったのであるが云々」
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(疑惑)
これはたまげた。宮顕が連れて入ったのは小畑の方であるというのが当事者の一致した供述である。連れて入った順序も、小畑が先であり大泉がその後になる。こういう事実からして歪曲が為されている。しかし、宮顕は何の為にウソをつくのだろうか。察するに、こたびの査問が小畑にこそあったことをごまかす為のロジックであろう。 |
8 |
10 |
「身体検査をすると、手帳と三百円余在中の財布が出てきた。手帳には党員との連絡場所が明記されていた。地下に置かれていた党の条件と規律は、他の党員に塁を及ぼす恐れの有るそういう記入を禁じていたのである」
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(疑惑)
手帳嫌疑については、荻野スパイ論の際に、宮顕も同じく手帳を取られてシマッタと思ったという宮顕自身が明らかにしている下りが有る。どう整合的に説明するのだろう。 |
9 |
11 |
「かれらに対する訊問には、査問委員会の協議に従って、私が直接あたった」
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(疑惑)
ここでは宮顕本人が「私が直接あたった」と明記していることを覚えておこう。後で、これと違う言い方をしている下りに会う筈である。 |
10 |
11 |
「大泉に対してはかねて用意された訊問予定表に従って、聞いていった」
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(疑惑)
ここも当事者の供述と違っている。最初に訊問されたのは小畑の方である。なぜ、かような間違いが生まれているのだろう。私には、宮顕の作為しか考えられない。察するに、小畑査問粛清の魂胆をぼかすためのロジックであろう。 |
11 |
11 |
概要「小畑に対しても、予定の訊問を進めたが、現住居に一ヵ年以上もいつづけていたという新事実が暴露した」
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(疑惑)
住所移転には金もかかる。当時の党の財政状態も考慮せねばならない。それと小畑にそういう嫌疑をかけるのなら、査問側の宮顕、袴田、逸見、秋笹らは一ヵ年以上はいつづけなかったのか反証せねば不公平というものだろう。 |
12 |
12 |
「ここで彼(小畑)が何ら官憲の逮捕を恐れる事情にいなかったという事情が明らかとなった」
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(疑惑)
思わせぶりな意図的な書き方であるが、ならば問う。宮顕こそ査問されてみたら、「何ら官憲の逮捕を恐れる事情にいなかったという事情が明らかとなった」であろう。 |
13 |
13 |
「査問開始以来、まったく心禁阻喪して、極度におびえきり、日頃の官僚的な尊大ぶりはどこへやら、ひたすら哀願的態度によって終始し、かりにも無辜の党員がスパイ嫌疑を受けた場合に、自己の潔白を主張する場合、必然的にとられる決然とした態度がごう末も見られなかったことである」
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(疑惑)
この言い回しだけを読むとすっかりその気にさせられるであろうが、事実は、「騒ぐと得策ではない」と十分に言い聞かせていたのではなかったのか。為にする批判にもほどがあるというべきだろう。あるいは大泉の態度を小畑に言い換えているとも思える。 |
14 |
13 |
「小畑は、全協の日本通信労働組合の中央委員在任中検挙されると転向を誓い釈放されたが、その時知った万世橋署の高橋警部からその後映画をおごられ、党及び全協の情報を提供し、それに対して金銭の報酬を受けていたということを自白するに至った」
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(疑惑)
この言い回しも同じくここだけを読むとすっかりその気にさせられる、小畑のこの自白について他の当事者からの陳述がないところである。つまり本当にこのように自白したのかどうか分からない。ちなみに、「立花研究」によると、調査してみて「万世橋署の高橋警部」なるものは当時存在しなかったとのことである。存在しない者を根拠にして小畑スパイ説を裏付ける宮顕の嫌らしさをこそ窺うべきであろう。 |
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14 |
概要「みると、小畑が拘束されていた手足の紐をたちきって、窓際に近寄ろうとしているのに、同志袴田と逸見が気がついて小畑にとりつこうとしている。私も飛び起きて木島と共に小畑の傍へよった」
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(疑惑)
小畑死亡時の大事な陳述場面であるが、この本人の言い回しによると、宮顕の小畑掣肘は木島と共に最後の場面で関わったことになる。しかし、逸見陳述では袴田に続いて宮顕も取り押さえにかかったとされている。どちらの陳述が正しいのだろうか。 |
16 |
15 |
「ただちに秋笹が脈を取り、人工呼吸をはじめ、さらに私が続いて、柔道の『活』をこころみ、それを反復したが、小畑の意識はついに回復しなかった」
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(疑惑)
袴田陳述によると、蘇生に協力した様子が述べられている。皆それぞれが蘇生協力者として自身の立場を評価している胡散臭い部分である。なお、「ただちに」蘇生活動に入ったのではなく、秋笹と宮顕の言い合いが為されたという陳述もある。 |
17 |
15 |
「この突発事のために査問は休止された形となり、査問委員は木島を会場に残して階下の一室に集まって、今後の方針について協議した」
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(疑惑)
後に木島の役割について関係することになるが、宮顕はかく木島が査問部屋に居たことをここで認めていることに注意を喚起しておくことにする。確か、後で木島の関与を矮小化することになる記述に出くわす筈である。 |
18 |
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「警察においては定式どおり彼らに都合の良い不当陳述強要の拷問が加えられた。私はそれに対して一切応じなかった」
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(疑惑)
当時の特高の拷問は一番激しさを加えていた時期である。「それに対して一切応ぜずに」よくも生き延びられた幸運を疑惑したいと思う。ましてや、宮顕の謂いによれば、小畑はスパイであるからして、準仲間を殺された警察の恨みは昂ぶるが普通だろうに。 |
19 |
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「私は、予審の秘密暗黒訊問に対しても一切応じなかった」
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(疑惑)
前記同様「タフガイ宮顕」伝説となっている部分であるが、そういう態度の貫徹が本当に可能であっただろうか。他の被虐殺党員の事例との比較において私はどうも眉唾せざるを得ない。むしろ、有り得ない事と確認すべきではなかろうか。 |
20 |
17 |
「小畑の死因を、最初の鑑定書は、脳震盪であるとしたが、彼が暴れだした時、なにびとも脳震盪を引き起こすような打撃を加えていないのである」
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(疑惑)
宮顕論法の典型であるが、なるほど「彼が暴れだした時」には、「なにびとも脳震盪を引き起こすような打撃を加えていない」のは事実のようである。問題は、「彼が暴れていない時の査問中」にも、「打撃を加えている」かどうかで当事者の陳述に隔たりがあることである。宮顕は、終始一貫静かな査問であったと主張している。追って、その虚実を明らかにして行きたいと思う。 |
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17 |
「そうして再鑑定書は、脳震盪とみなすような重大な損傷は身体のどこにもないこと、むしろショック死(特異体質者が一般人にはこたえない軽微の刺激によって急死する場合法医学上、普通ショック死という)と推定すべきであるとした」
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(疑惑)
ここで、この記述全体が大嘘であることを確認しておきたい。再鑑定書には、前段の「脳震盪とみなすような重大な損傷は身体のどこにもない」などとはどこにも書いていないし、後段の「むしろショック死と推定すべきであるとした」とも書いていない。再鑑定書を読めば一目瞭然であるが、恐らく再鑑定書を読んでいない者を相手に丸め込もうとしているのだろう。それにしても、すぐ分かる嘘をこうも述べ得る宮顕なるものは一体どういう人格をしているのだろう。 |
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17 |
「そして、裁判所もついにこの事件を殺人及び殺人未遂事件として捏造することが不可能となった」
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(疑惑)
ここも宮顕の神経を疑うべき言い回しのところである。当該裁判で、起訴され、判決も「治安維持法違反、殺人、同未遂、不法監禁、死体遺棄、銃砲火薬類取締法施行規則違反」を認定している。「不可能となった」というのはどういう意味なんだろう。もっとも、正確には暴行致死罪を問われるべきであったであろうが、「殺人、同未遂」となっているようである。未遂ではなく既遂であるが。 |
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17 |
「防衛の為に大泉.小畑などの身体を拘束し、査問を遂行して彼らの正体を明らかにすることは、正当防衛である。従って、不法監禁致死も成立し得ない」
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(疑惑)
ここで堂々と「正当防衛論」を展開していることを銘記しておきたい。問題は、「身体の拘束の仕方」がどうであったかというこにも関係してくるであろう。それにしても酷い居直りである。 |
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18 |
「大泉.小畑等に対する手ひどい計画的私刑がなされたというようなことは、まったくの妄見である。小畑の身体にあったという軽微な損傷というものが事実とすれば、」
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(疑惑)
前述「正当防衛論」の下りで述べていることであるが、「小畑の身体にあったという軽微な損傷」とはどういうことだろう。鑑定書には、両鑑定書ともそのような記述はない。むしろ爪剥ぎまで含めた凄惨なリンチを推定している。宮顕は、こういう重要なところをどうして堂々と詐術し得るのだろう。私には許せないウソツキないしは異常人格としてしか解せない。 |
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18 |
「それは大部分彼が逃亡を試みて頭そのほかで壁に穴をあけようと努力した自傷行為とみなされる」
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(疑惑)
これが、日本共産党のかっての最高権力者の云い条である。暴行致死せしめたのみならず、このような言い条で死者を冒涜し居直る宮顕をどうして許せよう。この言葉自体にも嘘が見破られる。宮顕が云うがごとく静かな査問であったとしたら、小畑はなぜ逃亡を試みたのだろう。 |
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18 |
「後日、会場付近の人々が、きわめて会場が静かであったと一様に証言しているのは、我々が査問の円滑な進行の為に極力騒擾と混乱とを避けていた実情を立証するものである。傷害致死の認定も不当である」
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(疑惑)
この近隣の人の証言内容について疑義がある。仮に、査問アジト自体が特高との打ち合わせの中で為されていたとしたら、近隣の者の証言というそのものが胡散臭いことになる。これは今後解明してみたいところである。後段で「傷害致死の認定も不当である」としているが、宮顕は一貫して「静かな査問」であったとしていることに拠っている。その虚実についておいおい明らかにして行きたい。 |
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18 |
「二通の死体鑑定書自体が、学問的に見てきわめて杜撰、不備であり」
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(疑惑)
このように云い為す宮顕の恥知らずをこそ思う。特に当初の「村上」鑑定書は、日本共産党最高幹部の変死事件であるがゆえに、よほど留意しつつ精密な遺体鑑定をしている。実際に目を通せば分かる事を、この御仁はどうして平気で嘘をつけるだろう。私には異常人格者としてしか考えられない。 |
28 |
18 |
「小畑の体質から見て、心臓死を予想し得るにも関わらず、その点には全然盲目である」
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(疑惑)
ここで私は気が付いた。宮顕著作「公判記録」は1976年10月初本である。宮顕は、この時点で、まさか関係者の予審調書、公判調書が世に明かされるとは考えていなかったのではなかろうか。真実を知らぬ者を前提に云いたい放題で弁論している風がある。ひどい話だが、そう思えばいろいろ事実と相違していることを平気で言えてることが不思議でなくなる。この下りの「心臓麻痺ショック死」推定なぞ自らしているのも噴飯ものである。小畑が地下から化けて出るのではないかと思われる。 |
29 |
18 |
「小畑の死体を遺棄すべく協議決定したことは無く、また遺棄したこともない」
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(疑惑)
こういう居直り、他に責任なすりつけ論理を、党の最高幹部たる者が為すことではなかろう。追って、その実際を見ていくことになるであろう。 |
30 |
18 |
「防衛の為に拳銃を護身用として検挙に対するのは、緊急避難として正当である」
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(疑惑)
この下りは、査問時に宮顕が拳銃を保持していたことの弁明である。何と、査問の脅しに使ったのではなく、官憲の検挙に対する抵抗用として所持していたと言っている。ものはいいようではあるが、減らず口もいい加減にさせたいと思う。拳銃の出所も気になるところである。誰か調べてみたら良かろう。 |