「法螺と戯言氏の宮顕疑惑」考 |
(最新見直し2012.03.04日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
2012.3.4日、ネット検索で「法螺と戯言」を見つけた。サイト管理人を仮にF氏と命名しておく。F氏は、れんだいこの宮顕論、リンチ事件考を踏まえた上で更に自身の見聞を加えた値打ちのある宮顕論を展開している。れんだいこの所説を好意的に言及しているので謝意も込めて確認する。「法螺と戯言」の全文はサイトで確認していただくとして、れんだいこに関わりのある部分、宮顕論上の秀逸な観点に特化して引用し、れんだいこコメントを付けることにする。F氏文は読み易くする為にれんだいこ文法に則り若干アレンジするものとする。腹の足しになる議論をがけている本稿は合格するだろうか。 2012.3.4日 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評№1017 |
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【法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その1】 | ||||||||
2012.3.4日、ネット検索で「法螺と戯言」を見つけた。サイト管理人を仮にF氏と命名しておく。F氏は、れんだいこの宮顕論、リンチ事件考を踏まえた上で更に自身の見聞を加えた価値ある宮顕論を展開している。れんだいこの所説を好意的に言及しているので謝意も込めて確認する。「法螺と戯言」の全文はサイトで確認していただくとして、れんだいこに関わりのある部分、宮顕論上の秀逸な観点に特化して引用し、れんだいこコメントを付けることにする。F氏文を読み易くする為にれんだいこ文法に則り若干アレンジするものとする。腹の足しになる議論を心がけている本稿は合格するだろうか。 F氏は、「2010年02月」のブログの「時事ネタ(ロッキード事件)」で次のように述べている。
「2010年12月」の「ロッキード事件と中曽根康弘氏(3)」で、当時のF氏のスタンスを次のように述べている。
これによると、1970年代までのF氏は「共産党信者であった」ことが分かる。そのF氏が共産党に失望し、のみならず疑惑を抱くようになった経緯が以下に立論されている。これを確認する。 F氏の「共産党失望から疑惑への経緯」に、朝日新聞2010年2月12日付け(奥山俊宏、村山治)記事「ロッキード事件 『中曽根氏がもみ消し要請』 米に公文書」(米ミシガン州のフォード大統領図書館所蔵 )が大きく関係しているようである。同記事は、ロッキード事件当時の中曽根幹事長の奇妙な言行を暴露している。この文書は1976年2月20日、ジェームズ・ホジソン駐日米大使(当時)から国務省に届いた公電の写しであり、米国立公文書館の分館であるフォード大統領図書館に保管されており、2008年8月に秘密指定が解除されたことから知られるようになった。この記事と共にF氏の「共産党失望から疑惑への経緯」への旅が始まる。 文書によると、1976年2月4日、ロッキード事件が米議会で暴露され、与野党いずれも政府に真相解明を要求し始めた。2月18日、三木首相は「高官名を含むあらゆる資料の提供」を米政府に要請すると決めた。 その日の晩の中曽根の怪しい行動が記されている。中曽根が米国大使館の関係者に接触し、自民党幹事長としてのメッセージを米政府に伝えるよう依頼している。 中曽根は、三木首相の事件の徹底解明方針とは逆に、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」、「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と発言している。 中曽根の怪しい行動は翌19日の朝にも確認できる。この日、一晩考慮した中曽根は「もみ消すことを希望する」と伝えている。文書には、中曽根氏の言葉としてローマ字で「MOMIKESU」と書かれている。文書中、依然として秘密扱いの部分が2カ所あり、大使館関係者の名前は不明にされている。 上述の朝日記事を読み流した者は多いが、F氏は、ここから中曽根疑惑の眼を点灯させる。以来、ロッキード事件論、角栄論、中曽根論、宮顕論、日本共産党論、小沢キード事件論、現代政治論へと思考の旅を続けて行くことになる。 中曽根疑惑につき、「時事ネタ(ロッキード事件(2)」で次のようの述べている。
「2010年09月」のブログの「時事ネタ(ロッキード事件)」で次のように述べている。
何と正確にも、「この組織を束ねる指導部には、日本を米国からの隷従から解き放ち、『国民生活を安定させるための戦術・戦略を構築する』能力と、意欲がないことが判明しました。むしろ、日本を危機に追いやる勢力に『意図』的に加担することでもって生き残りを目論む姑息さを見てきました」と証言している。先に共産党信者であったF氏を確認したが、いつしか共産党に失望と疑念を向け始めたことが分かる。 「2012年12月」のブログの「中曽根氏の宮本顕治氏についての照会」で次のように述べている。
このブログの何が大事かと云うと、F氏が、ロッキード事件勃発最中に中曽根が「宮顕のスパイ査問事件」に言及していることを重大視し、中曽根が何故に「宮顕のスパイ査問事件」に触れたのかにつき正当な疑問を発しているところにある。当該論文を読んだ者は多いのに多くの者は疑問をわかさず通り過ぎている。それに比べF氏は由々しき疑問を感じたと云う訳である。F氏の謎解きの旅の圧巻部分である。 F氏は、中曽根がわざわざ持ち出した「宮顕のスパイ査問事件」に興味を覚え、同事件の再確認へと乗り出したようである。その結果、共産党の戦前の党中央委員査問致死事件の主犯として収監されていた宮顕の戦後の釈放過程に疑義を唱えている。釈放前は「わずか4ヶ月強とはいえ、宮本氏は網走刑務所に服役中でした」と正しく認識している。「わずか4ヶ月強とはいえ」は、俗説の宮顕神話「網走獄中長期収監説」を一蹴している。その上で次のように述べている。
ここで、れんだいこが登場している。これにより、F氏が、れんだいこの日本共産党論、宮顕論、不破論を読んでいることが分かる。その上で、れんだいこの立論に共感していることが分かる。このことが「れんだいこ検索」にヒットし、れんだいこがF氏を知るきっかけになり、れんだいこがお返しの本ブログを書いていると云う次第である。情報はかくして世界を回り戻りつ又回ると云うことが分かり興味深い。 F氏は、「時事ネタ(ロッキード事件(2))」で次のように述べている。
これによれば、無名のれんだいこの所説を引用する意図が訝られ質問されたようである。その返答として、「氏の宮本顕治論は、広い資料および文献の渉猟が窺われ、それに基づく深くかつ論理的考察には大きな説得力があり、引用しました」と答えていることになる。御立派である。れんだいこが有名無名に拘わらず、れんだいこ立論に値打ちがあり、値打ちがある以上紹介すると開き直っている公正さが素晴しい。今でこそれんだいこは「検証学生運動上下巻」の執筆者として知る人ぞ知るの半有名人になっているが、この当時はもっと無名である。無名の人物の所論を紹介するのは勇気のいることである。感謝申し上げたい。この後に更に素晴しいれんだいこ好評価の弁を開陳してくれているが、それはそのケ所で確認することにする。 2012.3.6日 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評№1018 |
【法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その2】 | |||||||||||||||||
F氏の「共産党失望から疑惑への経緯」の旅は続く。「時事ネタ(ロッキード事件(2))」は次のように述べている。
F氏のこの観点は貴重である。かっての角栄バッシングと現在の小沢バッシングに通底している金権批判の流れに対してステレオタイプな批判であるとしている。その論拠として小室直樹氏の政治家論を説いている。小室理論を通して角栄の再評価に向かっている。 「ロッキード問題と、共産党および中曽根氏」で次のように述べている。まず「http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/486.html」の下記の下りを引用している。
上述の観点に対して、F氏は末尾で次のように補足している。
F氏のこの観点は貴重である。但し、「ロッキード事件の主役は二人おり、もう一人が中曽根康弘氏であった」と評するのはまだ甘い。正確には、「ロッキード事件の主役は二人であるが、中曽根犯罪が角栄にすり替えられたのがロッキード事件の本質であり、角栄冤罪、中曽根こそ真犯人」とする観点を披歴しても良かったのではなかろうか。 「ロッキード事件と中曽根康弘氏(3)」で次のように述べている。
F氏はここで、「角栄冤罪、中曽根こそ真犯人」の観点から、現在の小沢キード事件の構図をロッキード事件に当てはめて、そういう疑惑の構図における日本共産党の加担問題を採り上げている。これをどう解析するかで駄文ともなり白眉ともなる。「中曽根氏と共産党(3)」で次のように述べている。
ここは黙って拝聴することにする。続いて「1970年中盤の政治」で次のように述べている。
F氏はここで、ロッキード事件における日本共産党の角栄糾弾加担問題の背景に「宮顕スパイ殺人事件問題」が関わっており、このアキレス腱を利用されることにより懐柔されたとする観点を打ち出している。 「2011年01月」の「中曽根当時自民党幹事長の米国国務省担当官への問い合わせ」で次のように述べている。ここでロッキード事件勃発時における中曽根の奇妙な動きと、それによる角栄糾弾に向けての「宮顕スパイ殺人事件問題」をネタにしての日本共産党の利用と云う陰謀に触れている。
F氏のこの見解は、れんだいこの分析とハーモニーしている。と云うことは、「ロッキード事件の犯罪本質は寧ろ中曽根にあり、角栄は冤罪である。にも拘わらず、角栄糾弾のロッキード事件として喧伝され、これに日本共産党が加担した。これを陰謀したのも中曽根及び中曽根の背後勢力である」とする観点につき、れんだいことF氏が存在することになった。このことの意義が大きいと思う。 実は、れんだいこの立論はもっと強烈である。即ち、中曽根により宮顕リンチ事件のアキレス腱が突かれ、ロッキード事件の主犯追撃を中曽根から角栄に捻じ曲げさせられたと看做すよりも、中曽根と宮顕は元々同じ穴のムジナであり一朝事あれば裏同盟し合える仲間であるという前提に立って、中曽根が宮顕のリンチ事件の古傷に言及したところ宮顕が一も二もなく中曽根陰謀に加担したと云うのが実相ではなかろうか。 これをシナリオしたのが中曽根なのか米国側の奥の院だったのかは定かではない。米国側が宮顕のリンチ事件を持ちだして宮顕率いる共産党を徹底利用すると云う点で陰謀合意したことも十分考えられる。何より反角栄で米国側と中曽根と宮顕の三者の政治的利益が一致していたと推測したい。この互いの政治的思惑の解析も恐怖深いところであるが本稿の趣旨ではないので触れないことにする。 2012.3.7日 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評№1019 投稿者:れんだいこ 投稿日:2012年 3月 8日 |
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【「法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その3】 | |||||
F氏は、「時事ネタ(共産党の小沢いじめの根源的理由)」で次のように述べている。
F氏はここで、中曽根に政治利用される宮顕その人の解析に向かっている。宮顕の戦後の釈放と復権証明書の背景にある政治的陰謀を嗅ぎ分けしようとしている。結論として、戦後共産党運動を指導することが予見された府中グループの徳球―志賀派への対抗として宮顕を政治利用する為に府中グループより一日早い出獄が用意された可能性を窺っている。「宮本氏が占領軍軍支配に敵対しないとの確かな証(あかし)があったのだろうと思います」と述べており、宮顕の胡散臭さを指摘している。 「ロッキード事件を転機とした共産党のあからさまな変節」で次のように述べている。
F氏はここで、中曽根が宮顕のリンチ事件、戦後の釈放と復権証明書過程の胡散臭さを嗅ぎ取り、これを強請(ゆすり)の種として「当時昇竜の勢いにあった共産党の追求力を利用することを、中曽根氏は目論んだ」と推定している。宮顕は中曽根の強請(ゆすり)による角栄糾弾請負の取引に応じ、「かくして、以後、共産党を率いる宮本氏は、田中角栄追及を先鋭化を党の主要方針とさせてゆきます」と分析している。 「ロッキード事件と共産党」で次のように述べている。
ここも黙って拝聴することにする。続いて次のように述べている。
「(時事ネタ)中曽根氏の照会(3)」で次のように述べている。
F氏はここで、れんだいこの宮顕論、日共論の観点に賛意を表し、「このレンダイコ氏による考察が私に与えた衝撃」は、西岡昌司氏の通説ホロコースト論批判に匹敵すると激賞している。当事者のれんだいことして、この評に感謝申し上げておく。 2012.3.7日 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評№1020 |
【法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その4】 | |||||||
かくてF氏は宮顕疑惑を満開させるに至った。「宮本氏の疑惑(1)(原水爆禁止運動への分裂策動)」で次のように述べている。
F氏はここではっきりと「宮本顕治氏は日本国の反政府運動に権力の側から潜入した工作者(スパイ)であったとの結論を導きました」と語っている。続いて「宮本氏の釈放は、即、宮本氏を引き続き反体制勢力への『工作人=スパイ』として活用する意図が占領軍にあったからです」として、「戦後の共産党の活動に、そのことを裏付けるような何がしかを見つけることができるのではないでしょうか」と問い、宮顕及び宮顕率いる共産党の不審な活動履歴の検証に向かい始めている。 「そこで、まず、第一に取り上げるのは、原水爆禁止運動への分裂策動です」と述べ、以下、戦後日本の原水禁運動に果たした宮顕率いる日本共産党の分裂策動を縷々検証している。「2011年02月」の「「いかなる国」問題」の末尾で次のように述べている。
「部分的核実験禁止条約」で次のように述べている。
「2011年03月」の「「いかなる国」問題(最終回)」末尾で次のように述べている。
F氏は次に、「宮本顕治氏が米国と日本の支配勢力の走狗であったもう一つの証である(と、私が考えている)、「新日和見主義」事件の問題を次に考えてみたいと思います」と述べている。実際には割愛されて、「2011年06月」の「『共産党の余命3年』論」で次のように述べている。
こう記した後、日本共産党の党員推移状況、赤旗の紙数推移状況、苦しい財政状況を解析した上で次のように確認している。
末尾を次のように述べて締め括っている。
「共産党余命3年論」は興味深い。但し、この問題の深刻さは次のことにある。仮に共産党が3年後に解党したとして、現下の宮顕―不破系党中央は痛苦煩悶するだろうか。ここが肝腎なところである。実際は逆で、表向きはともかく裏では、去る昔の六全協での宮顕の党中央登壇で始まった日本共産党変質化の成功裡の完結として祝意し合うのではなかろうか。なぜならそういう請負こそが彼らの仕事だったからである。夢にもそのような仕掛けを思わない純朴党員は哀れである。党員ばかりではない、この間、日共の変質をマルクス主義の教条文を引き合いに出しながら説いて回った諸家が無数と云えるほどいる。しかし、日共の変質、その後の緩慢なる解体をを請負として引き受けている党中央問題として捉えない批判の薄っぺらさを恥ずべきではなかろうか。彼らの尤もらしい批判なぞ日共産党中央には馬の耳に念仏に過ぎなかったのではなかろうか。こういう場合、日共の変質を説いて回った諸家こそ当人の自負とは別に無能と評されるべきではなかろうか。そういう批判は諸家の単なる自己悦楽に過ぎないとも評せるのではあるまいか。 もう一つ。日本共産党の台所事情がそれほど苦しいとしたら、どうしても関心を払わねばならない次の疑問が出てくる。日共式選挙運動の特徴として全選挙区に立候補させる戦略戦術を採用して今日に至っているが、この間の供託金没収は一体幾らになっているのだろうか。天文学的な金額に及んでいる筈である。党財政が苦しいのに何故に供託金お供えが続くのか。この奇怪を問わねばなるまい。 没収金は企業会計で云えば純利の吐き出しである。如何なる優良企業でも負担に耐えない純利の吐き出しを為し得る秘密は何なのか。その金はどこから工面されているのだろうか。果たして党員、支持者の個人献金だけで賄っているのであろうか。案外と政治とカネを廻って「キレイ潔癖清潔」を売りにして来た共産党が裏で怪しい資金ルートを持っていると云うことになりはしまいか。この不正を誤魔化す為に去る日に、党会計のチェックを従来の中央委員会預かりではなく幹部会預かりにしたと云う規約改正が必要だったのではなかろうか。この秘密が暴露された時、この党が終わるのではなかろうか。それでも続くとしたらお化けであろう。 2012.3.9日 れんだいこ拝 |
【「法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その5】 |
さて、法螺と戯言氏のれんだいこ史観通底考その1~4の解析によって日本共産党がお化け政党であることが確認いただけたであろうか。F氏は原水禁運動における日共の果たした役割の変調を衝いているが、検証すれば原水禁運動のみならずあらゆる分野で確認できる。学生運動、労働運動、部落解放運動、冤罪告発運動、日中ソ友好運動、北方領土返還運動その他その他あらゆるジャンルにおいて変調指導を認めるのは容易である。問題は、そのよって来るところの要因解析だろう。れんだいこの解析、F氏の解析はもっと検証されるに値するだろう。 以下、補足的にれんだいこの「communism」を開陳しておく。以上の観点に立つと、日本における共産党運動は戦前は非合法故に雌伏を余儀なくされ、戦後は合法化されたものの1955年の六全協で党中央が野坂―宮顕系と云う曰くつきのスパイグループに占拠されたことで僅か10年足らずで換骨奪胎されてしまった。つまり現在から見れば戦前も戦後も不在と云うことになる。今現に存在する共産党はニセモノのそれである。現下の日本共産党の指導者及び幹部の誰を見ても共産主義者らしからぬ卑小な印象を持つのもむべなるかなで頷けよう。 保守系の者からすれば共産党なぞどうでも良い、共産党を壊滅させたのが宮顕―不破の現系譜の党中央なら結構なことであるとの評も生まれよう。これが自然な解と云うものである。確かに反共主義者から見れば日本左派運動壊滅の功績者であり称賛に値しよう。但し、そういう解では済まない問題があると云うことを確認しておきたい。れんだいこは次のように考えている。 保守系理論の共産党否定論はやはり間違いである。なぜなら、「共産主義」とは、西欧言語の「communism」の日本語漢訳であり、この訳に問題があるものの否定できるようなものではないと答えたい。語義に忠実に従うと「communism」とは寧ろ「助け合い主義」とでも訳した方が良いイズムである。「助け合い主義」と訳すと、我が社会に助け合いが要らないと云う論理は成り立たないのだから、当たり前の社会思想と云うことになる。「communism」とは人が空気を吸って呼吸するように当たり前の社会思想であり、これを否定できるようなものではない。これを否定するのは人が空気を吸って生きることを否定するような無意味な所為になる。こう確認したい。 考えても見よう。人の体自体が細胞、皮膚、血管、リンパ脈、筋肉、骨、内臓、頭脳等々が不断無限の「助け合い主義」により成りたっており、この助け合い関係を齟齬させるといわゆる病気になる。時に病気を交えながらも一定の助け合い関係を維持している故に生命が存続している。「communism」とは、人体のこの関係の如くに社会の仕組、在り方を目指すと云う思想になるので、これを否定すること自体がお粗末と云うことになる。史上、この「助け合い主義」を否定するものは選民主義である。その最たるものがユダヤ教に濃厚に表れており、それを急進主義的に引き継いでいるのが現代国際金融資本が信奉するネオシオニズムである。ネオシオニズムは、ユダヤ教に濃厚な選民主義を中和する意味で重要視されているモーゼの律法を再否定するパリサイ派の思想の系譜のものである。ユダヤ教内部は昔からモーゼ律法の受容度を廻って激しく対立していると理解せねばならない。 もとへ。「communism」の本来の意味は「助け合い主義」なのであるから、人は競ってでもこの主義に目覚める方が賢明であるとしても、但しここで注釈が必要となる。そういう「助け合い主義」の思想及び社会実践を我が国に導入した時、既にある種の歪みを伴っていた。歪みとは、「communism」が本来の「助け合い主義」ではない革命主義に偏重して導入された経緯にある。「communism」は、西欧近現代史を貫く在地王朝の打倒、その代替としての市民社会創出と云う名目での国際金融資本支配の新たな敷設を手引きすると云う役割を担って登場させられた。この革命主義がそれぞれの母国の歴史伝統的秩序を無慈悲に解体すればするほど革命的と云う煽りの中で信仰され、革命家はこの理想に挺身してきた。果たしてこの革命主義は云われるように信奉されるに足りるものであろうか。この革命主義の危険性を見抜いた人民大衆は一定近づくも敬して服さずの態度を採った。今落ちついて考えると、人民大衆のこの弁えの方にこそ真の知性が認められるのではなかろうか。 そういう歴史的事情を抱えていたので、いわゆる反共思想と云うものが生まれても仕方ない合理性があった。反共思想の系譜には2種類あると窺うべきだろう。一つは国際金融資本の奏でる選民主義の見地からの批判、もう一つは歴史伝統的秩序派からの批判。この2種が反共思想の由来の系譜であり、本来は混じり合わないものが混じって喧伝されてきたものである。今日これを評する時、それぞれの閉塞性を確認すべきではなかろうか。求められる解は、「communism」の否定ではなく原義的な意味での「communism」の再生ではなかろうか。「communism」が「助け合い主義」のものであるなら、時代の生産力に相応しい社会の在り方を考えるのは当然のことではなかろうか。その結果として、何も各国が一様なシステムのものになる必要はなく各国の歴史的伝統に根差した社会の成熟度に相応しいものとして創造されるべきだろう。その以降の際には革命的な流れも合って良いし、漸次的改良方式の流れも合って良かろう。今風に云えば、各国は各国の自主独立、自律自存の「communism」を目指すべきではなかろうか。これを仮に在地土着型「communism」と命名しておく。この在地土着型「communism」をこそ目指すべきではなかろうか。 宮顕―不破系の日本共産党が在地土着型「communism」を目指しているのであれば、れんだいこの批判は生まれなかった。れんだいこが宮顕―不破系の日本共産党を批判するのは、在地土着型「communism」を目指している側面もあるにはあるが、その本質が現代世界を牛耳る国際金融資本の裏からの支配コントロールを受け、左からの応援隊として機能しているからである。これは平素では分からない。一朝事ある時の緊迫時の対応、役割、作用で判断するしかない。とてもではないが食えない共産党であり、騙されてはならない共産党でしかない。これ故に、れんだいこが警鐘乱打している次第である。 目下の小沢公判に於ける日共の対応は、これまで縷々検証してきた日共ニセモノ論に立つといとも容易く解ける。検察正義論を満展開し、検察司法が首根っこを捉まえ我々が急所を蹴りあげるなどと公然と言明している。小沢秘書の5千万円授受現場を実写したかのようなスクープを仕立て上げ、これが小沢秘書判決の決め手になったとまで嘯く。前田検事が検察調書の杜撰さを内部証言するとスル―する。その他その他然りである。いくら党委員長が志位であろうが恣意的にもほどがあろうと云うものではなかろうか。こういう腐敗の一切を訝るのではなく整合的に説明できる理論がれんだいこ史観以外にあるだろうか。 もとへ。実のところはそういう日共論はもう良い。肝腎なことは、新しい「communism」運動の理論と実践の創造ではなかろうか。洋文字風の「communism」に拘る必要もない。その適正な日本語訳である「助け合い主義」の創造に向かうべきではなかろうか。 2012.3.6日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)