第8部の2 「公判記録1」宮顕陳述の逐条検討

 (最新見直し2009.5.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 さて、一応最終章「われらは抗議す」を除き読み終えたので、以下公判廷における宮顕の特に異な気な陳述を整理する。まだまだ省略.削除されたところもあると思われるので全面的にとはいかないが、それでも書ききれないほど充分な変態弁明をしている。ここでは「公判記録1」を採り上げる。

 2009.5.13日再編集 れんだいこ拝



【第1回公判】

記載内容と疑問点
27  「それは警察のスパイとしての明白なる正体をもって居る大泉兼蔵の陳述が基礎となり」
 (疑惑)

 
これも嘘である。基礎となっているのは、袴田陳述である。各被告の調書が明らかになっていない時点では、この宮顕の弁明も本当らしく聞こえるが、今や平野本他で各被告の陳述が漏洩されており、嘘であることが明白となった。
28  「被告人達が党活動中、大泉、小畑等に対し個人的感情、ないしは悪感情をもっていて、野呂の検挙を奇貨としてそれを動機口実にしてスパイとして彼らを査問に附し、殺害せんとしたような解釈をやっていますが、しかしこれは勿論根本的に誤っていることはいうまでもありません」
 (疑惑)

 少なくとも、小畑までをスパイとしてその摘発闘争であったと云う言い分よりは的確であろう。実際は、私論によれば、真性スパイ派宮顕系による労働者派小畑派の殲滅戦であり、党中央簒奪劇であった。
28  「大体私が麹町警察署に検挙された時に、私を調べんとした山縣警部は鈴木警部等とテーブルを囲んで曰く、『これは共産党をデマる為に絶好の材料である。今度はこの材料を充分利用して、大々的に党から大衆を切り離す為にる』と言って、非常に満足したような調子で、我々に冷笑を浴びせていた」。
 (疑惑)

 
ここは重大な疑惑のあるところである。宮顕の口から、検挙された時既に小畑が殺されていたことを特高が知っていたと明らかにしている。これは一体どういうことなんだ。この時小畑の死体は床下に埋められており、翌年の大泉の逃亡に拠り知られることとなったというのが史実きである。

 私は、宮顕逮捕時点で特高が小畑死亡を承知していたことは事実であったと受止めている。ということは、小畑殺害経過に付き、特高が知っていたということになる。誰が知らせたのか、いうまでもなかろう。宮顕その人であると私は推理している。小畑殺害の前夜と殺害後暫くしての二度、宮顕は「ちょっと出かけて帰ってきている」。行く先は陳述していない。検事も聞いていない。この時が事前事後報告であったと私は睨む。
29  「しかし自分はテロによる訊問のため、警察においては陳述を拒否してきた」
 (疑惑)

 
前の続き文がこの下りである。つまり、前の文章は、宮顕に拷問が為されたことを脚色しようとして接続されていることが判明する。しかし、その為にあまりにも重大な秘密を漏らしてしまっていることになる。私は、宮顕には拷問が形ばかりしか為されていないと見なしている。なぜ分かるのか、それは物書きのはしくれの勘である。その様は追ってみていくことにする。
29  「逸見の供述は、党に対する反発的意図から自分たちに対し誹謗的態度をもって陳述している」
 (疑惑)

 
私はそうは思わない。もともと小畑に近い位置にいた逸見が丸め込まれて小畑殺害に手を貸した。その取り返しのつかない痛苦な反省から、もっとも忠実に事実を陳述していると思う。それを証左できるが、長くなるのでここでは以上のコメントとしておく。
33  「『出刃包丁を突きつけて白状すれば助けてやる』とか『マキ割を持って乱打した』とか、あるいは『腹部に炭火を押し当てて』とか、その他いわゆる暴虐と思われる印象を与えることを書いていますが、これらは全く事実に反するものであります」。
 (疑惑)

 
ここまで白を切るのなら、大泉.小畑を縄で縛り猿轡をかませ頭覆いまでしていたことまで否定すればよかろう。後述するが、それは認めている。以降の取り調べでマグロ状態の2名に手出ししなかったのであれば、そもそもそうした形態で取り調べをせねばならなかった理屈がおかしかろう。

 ちなみに、こう言い切っているのは宮顕だけである。もっとも、宮顕のこの陳述はそれぞれねじ曲げているところが宮顕らしい。正確にはこうなる。『出刃包丁か何かまではわからないが、白状すれば助けてやるといったのは事実』、『マキ割を持って乱打した、こんなことは誰も言っていない。大げさにフレームアップさせて否定するという下司な話法である』、『腹部に炭火を押し当ててのここはその通りである。他にも硫酸瓶から液をしたたらしたとあるがこれについては意図的に触れていない』。つまり微妙に歪曲させてそれを否定することに拠りそもそも何もなかったことにしようという詭弁話法である。
34  「アジトその他において警察署の許可を受けず且つ正当の理由なくして実包数発を装填せる拳銃一挺を携帯し、とあります。大体この共産主義者が拳銃を持つのは自衛上の為であります」
 (疑惑)

 
ここで、このたびの査問に宮顕が拳銃を持って臨んでいたことを当人が自認していることが分かる。その理由は、査問の脅し用ではなく、自衛上だと言う。この時拳銃を持ち合わせていたのは、宮顕と袴田と木島である。他の者は持っていなかったが、これはどういうことだろう。ちなみに、自衛の為であれば、宮顕の検挙時に拳銃を持ち合わせていなければ辻褄が合わない。そのときは、「今日が最後だ」という不思議なメッセージを残して荻野に会いに行っている。何と!荻野は前々からスパイと割れていたと除名理由で述べられている人物であるにも関わらずにだ!。
34  「鈴木という警部ですが、これが自分の所にも来て拷問を指揮しつつ『お前も岩田、小林の如く労農葬をやって貰いたいのか』といっていたが」
 (疑惑)

 
検挙当日の話だと思われるが、要は、拷問されたということをこういう文章からも補強しようとしているということだ。私には、作りすぎた話のように聞こえる。なぜ分かるのか、それも物書きのはしくれの勘である。
36  「党としては、中央部にいる人を査問に附する場合は、あるいは中央部全体でやるが、下部組織の人間をただ一応調べてみるという場合は、その組織を担当している直接の担当者が、中央部の担当者と話し合いの上処理しえるのです。従って、西沢の査問のため中央部の会議にかけるまでの手続きをとる必要はないのであります」
 (疑惑)

 
ここでいう西沢の査問とは、党印刷局員大串査問事件のことを言う。小畑リンチ事件の前々日、宮顕と西沢の謀議で為された査問であるが、ここに宮顕の無茶苦茶な組織論が展開されている。当時ほんの僅かになっていた最中で踏ん張っていた党員の査問に対し、「その組織を担当している直接の担当者が、中央部の担当者と話し合いの上処理しえるのです」と言う。

 公判でスパイ闘争の意義をとうとうと述べているが、実際の査問はこのような経路で為されることを宮顕自ら白状している。して、「中央部の担当者」とは宮顕でないという。袴田も知らないという。逸見はこの種のことに関係するタイプではない。小畑、大泉もスパイ闘争に積極的でないと問題にされていたほどの御仁である。となると宮顕以外いないではないか。その宮顕は、否認しつつ「中央部の会議にかけるまでの手続きをとる必要はない」と西沢の査問を庇っている。宮顕得意の目くらまし話法である。
44  「この事件は彼逸見のいうごとく、個人的感情や個人的対立関係によって、提起されたものではなく、その文献を読めば明白なる如く、党によって義務づけられているところのかかる方針に基づいて提起されたものであります」
 (疑惑)

 
ここで肝心なことは、宮顕が逸見の陳述批判を為す必要があって、当時の逸見のそれを自ずと明らかにしていることである。今日なお逸見の陳述調書全容は発表されていない。しかし、宮顕の反論によって、どこが食い違っていたのか自ずとしれることになる。もっとも反論できなかった為の食い違い個所も他に多多あるとは思われる。ここでの食い違いは、このたびの査問事件が宮顕派による小畑派の党内対立から引き起こされたものであって、小畑=スパイ説に逸見は立っていないということが知れることになる。
44  「こうして党がこの問題を取り上げたのは、既にその前年においてスパイ松原が全協に入り種々策動し」。
 (疑惑)

 
ここも貴重な陳述である。宮顕が「スパイ松原」闘争を指揮し、この公判でも得々と語っているが、松原氏がスパイでなかったらどういうことになるか。まして松原氏は党員でもなかったとしたら。松原夫婦は身の潔白を訴え続け、この問題で終生悩み自殺まで考えてきたとことが、今日立花氏の研究で判明している。どういうことになるのだろう。宮顕の人をその気にさせる詐術の裏でこういう被害者がいることが知らねばならない。
45  「ところで逸見の上申書を見ると、当時党はスパイに対して無定見であったといっておりますが、こういう文献を読んでいる限りスパイに対する闘争方針は、明確に規定づけられているので」
 (疑惑)

 
ここも大事な陳述である。党中央委員といえば5名しかいなかった最高幹部である。その一人であった逸見が、「スパイに対する闘争方針」に宮顕が言うが如く中央委員会の総意があった訳ではないと陳述していることになる。これは事実であった。小畑.大泉.逸見は少なくなった党員の再結集に懸命であった。この時宮顕グループはスパイ摘発闘争に血眼になっていた、その標的は党の有能党員、将来性豊かな青年党員、戦闘的大衆団体であった。宮顕グループの方がスパイ集団であり、「スパイに対する闘争方針」を掲げて党内撹乱をしていたというのが真相であろう。
46  「例えば、大泉の如きも松原の査問という党の方針に対し、全くスパイ挑発の問題を全然認識していないような態度をとり、その後も方針を忘れたようにけろりとし、」
 (疑惑)

 
ここも貴重な陳述である。饒舌している宮顕は、大泉のいい加減さを際立たせる為に陳述しているのであるが、逆に反宮顕系の大泉恐らく小畑、逸見らが「松原の査問という党の方針に反対ないし無関心」であったことを告げていることになる。しかも、松原が一貫してスパイでもなく党員でもなかったことを考えるとどういう意味になるか、宮顕らの、「対スパイ闘争」に狂奔する姿勢のみが浮き彫りになってくる。
47  「しかし、当時においては何ら逸身のいう如き原因で、ブロック的対立関係があろう筈がなく、」
 (疑惑)

 
ここも貴重である。先の「党中央委員間の個人的感情や個人的対立関係」は「ブロック的対立関係」としてたち現れていたと逸見が陳述しているのが知れる。当然、小畑−大泉ブロックと宮顕−袴田ブロックであり、逸見は小畑寄り秋笹は宮顕寄りという関係にあった。ちなみに野呂委員長は小畑寄りであったようである。その逸見が取り込まれた様子は袴田、秋笹陳述に詳しく述べられている。
48  「『赤旗号外』等を見ても、彼等に対する党の処置としては除名を宣告し、除名が最高であることを明確に立証しているのであります」。
 (疑惑)

 
宮顕の典型的な子供だまし話法がここで述べられている。「スパイに対する処置は除名」であるという結構な物言いをしているが、やってることは皆激しい暴力と陰険な恫喝ばかりであったというのが史実である。現実を知らない者はこの物言いにごまかされる。しかし、この物言いも実にええ加減である。赤旗号外に「除名が最高である」ことが「述べられ」ているが、それはそれだけで何も査問に暴力が伴わなかったことまで「立証」する力はない。こういう「言い回しフェチ」の部分も宮顕の特徴である。
51  「小畑の死亡を奇貨として、党のスパイに対する処分は殺害であるかの如く歪曲されて、大衆に極めて誤った印象を与えておるのであります」
 (疑惑)

 
ここも考察を要するところである。当時の共産主義運動内にスパイの摘発と場合による死の処分まであったことは数々の裏付け資料がある。しかし、スパイの処分=殺害ではない。この違いを無視して、スパイの処分=殺害説を否定することにより、このたびの小畑死亡に関しても無関係を引き出そうとしている。それは詭弁というものであろう。
53  「従って党の査問を開始するに当たって、党として決定したことは、彼等はスパイとしての如上の嫌疑があるから、これを査問に附するということだけであって、査問に当たってテロを用いるとか、場合によっては殺害するというようなことは、勿論問題になっていないのであります」
 (疑惑)

 査問事件のここが最大の問題点である。これを宮顕陳述の通り受止めるのか、数々の状況証拠からして逆にこの陳述の否定部分を更に否定して、「従って党の査問を開始するに当たって、党として決定したことは、彼等はスパイとしての如上の嫌疑があるから、これを査問に附するということだけではなくて、査問に当たってテロを用いるとか、場合によっては殺害するというようなことは、内々に合意していたのであります」と受止めるのかということになる。
54  「彼等は先ず日常活動についてのスパイとしての証拠をつかまれるや、その後はもはや自分は客観的にスパイと思われても仕方がないと、はっきり言ったのであります」。
 (疑惑)

 
ここが詐術されている。この陳述と以降の下りは大泉に関して述べられているところであるが、「彼等は」と述べることによって小畑も右同様視させている。「はっきり言った」も違う。大泉は自認したが、小畑は最後まで否認したというのが実際であったようである。実に、死亡したのは小畑であるのに、大泉の嫌疑を述べ連ねることに拠り小畑殺害を是認させていく手法を詐術と言わずに何と言おうか。
55  「彼(小畑)は、自分はその当時政治的水準が低かったからそういうことをやったのであって、自分としてはスパイではないがスパイと思われても仕方がないから除名は勿論承認する、と自白したのであります」
 (疑惑)

 厳しい査問の中で小畑が自認したのは以上の部分である。宮顕は、この自白を持って小畑がスパイであることを認めたといっているのだが、果たしてこの下りでそう受止めることができるであろうか。逆に、苦しさの中にあっても、頑として原則を譲らない、大泉のそれとは違う小畑の戦闘精神こそみえてくるように思われる。
56  「であるから、大泉のハウスキーパーであった為に、客観的にスパイを援助したということを煩悶して獄中で自殺した熊沢光子という婦人の『手記』を読んでみても」
 (疑惑)

 
ここは、宮顕が饒舌のあまりトンデモなことを述べている下りである。果たして、他の被告で、熊沢光子の『手記』を読み得た者がいるであろうか、宮顕曰く予審調書作成に全て拒否し続けたという当の宮顕がなぜ読み得たのであろうか。熊沢ばかりではない、宮顕は他の被告の調書全てに目を通しているようである。以降適宜その様を宮顕の陳述で明らかにしてみたい。
 「小畑は万世橋署に検挙された時転向を誓って釈放され、その後は高橋某警部と連絡をとり、党の情報を提供し、それによって30円ないし70円の報酬を貰っていたということを述べて、正真正銘のスパイであったことを自白したのであります」。
56  (疑惑)

 
ここは大いに疑問のあるところである。これだけ聞くと、小畑がさもスパイであったらしく聞こえる。しかし、このように小畑が自白したというのは宮顕陳述のみであるという不自然さがある。つまり宮顕得意の詐術であるが、それにしても宮顕は小畑のこうした過去についてどこから情報を仕入れたのだろう。この情報こそ特高通ならでは知りえたことではなかろうか。なお、小畑と接触があつたとされている高橋警部なるものは万世橋署はおろか警視庁にも該当者がいんかったと立花研究が明らかにしている。つまり、小畑スパイ説の作り話臭いところとなっている。
56  「査問会場での小畑の死亡は、小畑が暴行あるいは逃走を企てて暴れた際、小畑の体質に基づく内因的急死として惹起されたもので」
 (疑惑)

 
査問事件のここも最大の問題点である。何やら小畑が暴行と逃走を企てたと本末転倒の言い回しをしているが、小畑の死因につき、宮顕がここではっきりと「体質に基づく内因的急死」として陳述していることを確認しておきたい。
57  「このスパイに対する査問が行われ、そして中央部のスパイの巨頭が摘発されたということは、党にとっては画期的な党清掃の出発点となり」
 (疑惑)

 
この言い回しにも、宮顕グループがスパイ摘発に狂奔していた論理が聞けるであろう、実際はこれが出発点となり、最終的に党中央が瓦解したという歴史性がある。
57  「袴田の如きは、昭和10年3月頃まで健在して、党内に発生した多数派と称する反革命的な分派に対する闘争を組織し、党の革命的伝統を守り、労働者階級の前衛党としての党の歴史を保ちえたのであります」
 (疑惑)

 
ここの陳述も大事である。宮顕は、袴田の逮捕時まで党中央が維持されていたとみなしていることと、その過程で立ち現れた反党中央分派の方が多数派であったことを認めつつ、それとの戦いを擁護している点が確認できる。ちなみに、この時の多数派は小畑死亡事件の真相を明らかにせよと袴田党中央に迫っていた。つまり、当時の多数の党員が納得していなかったということである。むしろ、労働者派の小畑が正真正銘のスパイグループである袴田−木島ラインによってテロられたと指摘している。この呼びかけが次第に支持を得て多数派になったという経過がある。
57  「最後にこの査問の問題に関して、党があるいは日常闘争と離れてスパイ問題に狂奔していたという風に、予審終結等で表現しておりますが、」
 (疑惑)

 
恐らく逸見の予審調書と思われるが、宮顕はこれに目を通していることが窺える。以下、宮顕の陳述はこの文意を否定しようとして「党の日常的闘争」の必要との相関関係につき饒舌しているが、いくら否定しようとも突出して「対スパイ闘争」の満展開を呼号していった事実はどうにもならず、苦しい弁明を強いられている。
58  この後、宮顕と袴田と秋笹で、合同公判の必要を述べ合っている。意識的に逸見と木島がそれを避けようとしているかのように印象付けている。
 (疑惑)

 
事実は私にも分からない。もし、逸見が出てきたなら激しく食い違う陳述の解明にお互いが向かわねばならなくなったであろう。果たして、逸見のほうがそれを避けようとしたのだろうか。私には、裁判長の「逸見が併合を避けたいという希望をもっていたという点から考えてでたくないんじゃないかと思いますが‐‐‐」、「逸見がどうしても出てこなくてもその時やって‐‐‐」というわざわざの発言をしていることの方がやらせ臭く感じてしまう。

【第2回公判】

記載内容と疑問点
62 冒頭で逸見と木島大泉の合同公判拒否の経過が述べられている。裁判長は、逸見については、「どうしても出頭できないと家の人が使いに来たから」、木島については、「診断書が来ている。神経衰弱で今後2週間安静を要するという‐‐‐(笑)」、大泉については、「併合しない」と訴訟指揮している。
(疑惑)当時の司法制度で、被告の意思がこのように尊重されていたのかどうか、私には分からない。しかし、小畑死亡時の陳述でこれほど各被告に食い違いがあるというのに、真実解明の為の努力が為されようとしている風ではないように聞こえるのは私だけだろうか。印象付けとしては、宮顕.袴田.秋笹が望んでいるのに嘘の陳述している逸見.木島.大泉らがこぞって尻込みしている風な演出に成功している感がある。なお、大泉については「併合しない」との訴訟指揮も何やら臭い。やられた方の本人の出席をさせれば良いのに、「併合しない」方針のようであるとは変ではないか。
62 袴田の「この前の公判の時の他の皆の意見はどうでしたか」の質問に、裁判長は「それは訊(き)かない」とある。
(疑惑)この下りも変であろう。裁判長が合同公判、併合審理を望んでいるのなら、当然にも「訊いておくべき」であり、出席を促すべきではなかろうか。この遣り取りは、私の「やらせ演出説」(事情を知らない者、後世の者をたぶらかす為の作為的会話の遣り取り)を裏付けないだろうか。
63 「裁判長 だから分離されたいという希望を持っている者を無理に併せる必要はない」。
(疑惑)これが裁判長の訴訟指揮であった。えらい物分りが良いというか、これほど食い違う陳述の真相解明にえらく熱心でない姿勢が見えている。この下りも、私の「やらせ演出説」を裏付けていないだろうか。
66 「裁判長 然し出てこない者は仕方がない」、「袴田 令状を出したらいい‐‐‐(笑い声)」、‐‐‐「裁判長 とにかく出てこないから困る」、「袴田 裁判所としてもう少し何とか権限をもってやったら‐‐‐」
(疑惑)この掛け合い漫談は一体何なんだ!。今日共産党が言うような暗黒裁判にしてはえらいことが遣り取りされている。被告が、裁判長に対して堂々と逆訴訟指揮し得ている「世にも稀な民主裁判」ではないのか。
68 「裁判長 秋笹や袴田がスパイだということも言われるからね、(笑声)」、「秋笹 全体として逸見の云っていることが嘘か本当かということは、全体の真実を発見する上において大切なことで、逸見のいっていることでも、確かに事実に該当していて、袴田や僕が間違って云っていることもあるので、一概に逸見だけを否定することも問題です。だからやはり立ち合わせた上で、総合的に判断する必要があります」、「裁判長 立ち会ったところで効果が薄いと思う」
(疑惑)この秋笹陳述は非常に貴重である。「逸見のいっていることでも、確かに事実に該当していて、袴田や僕が間違って云っていることもある」と云っている。当人は意識していないが、秋笹のこのスタンスは、目下「やらせ演出」中の公判には非常に具合の悪いものであろう。後に秋笹が執拗な拷問で発狂させられていく伏複がここにもあると私は見る。なお、裁判長の「立ち会ったところで効果が薄いと思う」発言は、裁判長自身が逸見らの合同公判を望んでいない態度をにじませている点で、この発言も貴重である。
70 「秋笹 ‐‐‐例えば共犯者の袴田が、『がんと殺つけてしまえ』と云ったとか、袴田が、『殺してもいいじゃないか』と云ったとか、あるいは又、宮本が、『殺せ殺せ』と、云ったと云いますが、全然そういうことは皆が認めていないのに、逸見自身が共犯者として認めているというようなことがあるので‐‐‐」
(疑惑)ここでは驚くべきことが漏洩されている。今日でも逸見の陳述調書の全文は発表されていない。こういうところから推測していくしかない不自由さがあるが、袴田.宮顕らの陳述とは明らかに相違している様子がわかる。袴田の『がんと殺つけてしまえ』、『殺してもいいじゃないか』については、そういう言い方ではない冗談風に云ったことがあるかも知れないと本人が自認している。宮顕の『殺せ殺せ』の真偽は、この時秋笹は階下で用便していた際であるから秋笹自身には分からない筈である。つまり、逸見陳述による宮顕の『殺せ殺せ』発言は事実であった可能性がある。
71 「島田弁護人 分離して貰いたいです。逸見の言うのには、『自分は他の被告らが意見を異にしているから、一緒に審理してもらう必要も理由もないから分離してもらった方がいいのだ』と云っているのです」
(疑惑)ここも貴重である。逸見が合同裁判、併合審理を希望していない理由について弁護人が答えているところである。演出過剰で逸見の欠席をなじっていくもんだから、弁護人はこの下りで、逸見が病気で出席しないのではないと理由を開示している。逸見が嘘の陳述をしているから併合審理に出られないとの袴田.宮本論調に対して、『自分は他の被告らが意見を異にしているから、一緒に審理してもらう必要も理由もないから分離してもらった方がいいのだ』とさりげなく反論している。つまり、逸見から見て、袴田.秋笹.宮顕らの主張の方が嘘であると云っていることになる。

 この時逸見が合同公判に出席して真実を争おうとしたらどうなるか、それは当局のシナリオを崩すことになる。その道には、獄中の身に何が襲ってくるかわからない恐怖が待ち受けていたであろう、賢明な判断をしたように私は拝察する。付言すれば、それが判らなかった秋笹は執拗ないたぶりを受けて発狂死させられていくことになった。
73 「袴田 ‐‐‐病気で出てこないからば仕様がないが、転向しない被告らの前で言われるのが都合が悪いと言うのならば、彼の陳述が重大な意義を持たないという‐‐‐その点をはっきりしてもらいたい」、「宮本 弁護人の意見がどうあろうと、我々がこういう意見を持っているということをはっきりさせたい」
(疑惑)結局、ここの下りが焦点の公判になっている。つまり、合同公判、併合審理を望んでいる宮顕.袴田.秋笹の方の弁明が真実であり、それを避けようとしている逸見らの方が虚偽であると素人を騙したいのだろう。
76 「袴田 ‐‐‐その中でも、最も重要なことを述べているのは逸見であり、次には木島であり、なおまた、我々にとって不利になるような点を述べているので、これはぜひとも出てもらってそういうことを明らかにして貰いたいと思うのです」
(疑惑)ここで確認すべきは、逸見が「最も重要なことを述べている」且つ「我々にとって不利になるような点を述べている」ことを袴田が自認していることである。袴田らしいところだが、思わず本音を出している陳述であるように思われる。逸見陳述を、宮顕が云うように嘘とは云っていない。後半の「ぜひとも出てもらってそういうことを明らかにして貰いたい」は、云ってみるだけの演出であり、本当に出てくるとなったら大慌てすると私は窺う。

【第3回公判】

記載内容と疑問点
88 「プロレタリア作家であった小林多喜二は献身的に地下運動において活動中検挙され、数時間を待たずして死体となって警察署から運び出されたという事実があるが、これは当時労働者、農民の運動において最も献身的犠牲的行動をしていた者は、どういう運命に遭遇したかという点において最も歴史的のじけんなのであります」
(疑惑)宮顕の宮顕らしい発言の最たる個所である。小林多喜二に対するこの陳述は正しい。ならば、小林は虐殺されたのに、それ以上の党内的指導者的地位にあった当の宮顕がのうのうと今法廷で陳述し得ている姿こそ変調であろう。「最も献身的犠牲的行動をしていた者は、どういう運命に遭遇したか」とまで云う視点をもっているのなら、小林のように虐殺されなかった宮顕自身の行動はどういうものであったが故に生き延びえたのか合理的に説明させて見たい。

【第4回公判】

記載内容と疑問点
102 「党は単なる小ブル的党と違って、これらの最も困難な歴史的課題を担うものであるから、強固な民主主義的中央集権が必要とされ、その為に党活動規律強化という事が不可分の必要となり、当時党が経営細胞の建設の問題を提起して、それにあらゆるカンパニア、あらゆる事件に対するカンパニアと結びつけて、絶えず党のボルシェヴィキ活動化と規律の問題を提起したのは如上の趣旨によるのであります」
(疑惑)ここに典型的な宮顕の統制フェチぶりが語られている。「絶えず党のボルシェヴィキ活動化と規律の問題を提起した」と素性を自ら語っているが、この当時の党活動の実際に照らせば相応しくない提起であったことが分かる。確かに党内は混乱していたが、この当時為すべきことは残された連絡線の維持と発展、大衆化こそが肝要であった。宮顕らがやったことは、声だけ勇ましい「ボルシェヴィキ活動化」であり、「対スパイ闘争」の徹底化であった。しかも、狙われたのは党の有能幹部たちばかりに照準が合わされていた。

【第5回公判】

記載内容と疑問点
104 「4月下旬から資料の差し入れを手続き中だったのにそれが入らなかったのです。で、それでは陳述が不十分になるのでやむなく陳述を延期していたのですが、そして今回ももし入らなかったら支障をきたすので、一応延期願いをしておいたところ、ようやく昨日入ったのです」
(疑惑)今日党中央から戦前の暗黒法廷ぶりが指摘されているが、この宮顕陳述によれば「上げ膳.据え膳」であったことが分かる。なお、宮顕のかような都合で法廷が開かれたり延期されていたことも分かる。他の被告の場合どうだったのだろう。
108 「階級運動にとってもっとも縁が深く、そして危険なのは党内に忍び込んで行うところの挑発でありまして、今日の秘密警察はただ単に共産党その他革命的組織内の情報を得ることを目的とするのみではなく、その手先を積極的に内部に入り込ませて、その根本方針を共産主義とは縁のない方向に向けてくるのであります」
(疑惑)ここは御説ごもっとものところである。宮顕はかようなところまでなぜ詳しいのだろう。この当時これだけの認識で「対スパイ闘争」の意義を確認し得ていた者はいない。単に売られた−売ったの関係でスパイを摘発しようとしていた時期である。宮顕の分析がかなり的確深いのは、映し鏡ではないかと思われる。しかし、内容ともども怖い話だ。
110 「その後スパイの歴史の中で有名なのは、いわゆる全協に忍び込んだスパイ松原---この男はスパイとしてはかなり手腕家であって、単に一つの階級的組織に打撃を与えるにとどまらず、大衆団体と共産党との対立を政策的に惹起せしめようとする方針をもくろんだのであります」
(疑惑)ここは立花氏によって研究が為されているところである。宮顕の陳述は、額面どおりに受け取ればそのようになるという巧妙なところに特質がある。問題は、かくも断定的に云われている松原氏とは実際にはどういう人物であったのかということにある。立花氏の調査によれば、全協の将来性が期待されていた戦闘的な青年労組員であり、党員ではない。ましてスパイであったとは身に覚えのない濡れ衣であると強く抗議しており、当時の関係者で照合した結果松原氏の冤罪が証明されたいきさつが書かれている。とすれば、この宮顕陳述の犯罪性こそ指弾されねばならないことになる。ということで、この宮顕陳述は云いたい放題の垂れ流し論理であることが知れる。
118 「左翼の運動が新聞の上でちやほやされるという時期のファン的な気分によって結びついた分子は、ちょっと警察に留置されただけで、元々理論も実践もないのであるから、このたび出てから情報を提供するというような約束を結ぶことによってスパイとしての第一歩が始まるのであります。そもそもスパイの多くは、彼等がその素質において薄弱であったところの者がテロによって威嚇され、さこに生じた関係によってその第一歩を開始することが最も多い現象として見られるのであります」
(疑惑)ここも御説ごもっとものところである。宮顕はかようなところまでなぜ詳しいのだろう。えらい見てきたような事情通であることが知れる。以下も、一寸では知れない内容を綿々としるしている。

【第5回公判】

記載内容と疑問点
121 「裁判長 分離して審理してくれと言うのか---」、「宮本 あれが何時出たか分からない---」
(疑惑)ここは前後の文章を見ても何の遣り取りか分からない。云えることは、どうやら宮顕が婉曲に分離公判を望んでいることを主張しているようである。逸見が出てくるのかどうかを気にしている様が窺える。この時点まで、宮顕は一向に事件の核心を陳述していない。おかしなことである。
123 「32年6月にはスパイ松原が挑発活動をやっていたことが暴露され、除名を受けたのであります」
(疑惑)ここでも松原氏について言及している。これほど幾度もスパイ松原と名指しされた松原氏が党員でもなくスパイでもなかったとしたらことは公党としての責任問題にまで発展して然るべき問題ということになるであろう。一刻も早い党としての調査と冤罪であれば名誉回復措置が為されてしかるべきであろう。
123 「赤旗123号において、『プロパカ−トル並びにプロパカ−トルと行動を共にして党規を紊乱したる者に対する処分の決定』が発表されているのでありますが」
(疑惑)この「プロパカ−トルと行動を共にして党規を紊乱したる者」にまで処分の累を及ぼしていく「宮顕式対スパイ闘争」の有害性は多言を要しない。恐るべきは、常に判定者は宮顕であるという戦前−戦後−今日までの一貫した系譜がある。この論法で何人、何十人、何百人数が葬られたことであろうか。
124 「もし党内において疑わしき人物がおった場合は、所属の党機関に通告しなければならない。それ以外には何人に知らせてもいけない、確認されたスパイ、プロパカ−トルに対しては大衆の面前で無慈悲的に断罪することが必要である。---従って、彼等の挑発を双葉のうちに刈り取る為にはボルシェヴィキ的自己批判のやりはなしにとどめないで、組織的解決に努力することが大切である」
(疑惑)何やら今日的にも通用している組織論である。この一切の元締めに宮顕が君臨している訳で、いかにも好都合な仕掛けをしようとしているではないか。「双葉のうちに刈り取る」は既にこの頃からの言い回しであることに驚かされよう。そしてこの認識の仕方そのものが、特高のアカに対する取締観と通底しているである。
141 「党活動の方針は決定されるまでは充分協議されなければならないが、一度び決定されたならば、それが各党員に対して義務付けられるのであります。従って、多数の決定に対する無条件服従、その決定の責任ある遂行は党活動の根本条件となるのでありまして、とかく党員の中には決定を忠実に遂行せず、党の決定をサボるような分子が見出されるのであるが、これは党活動に対して重大なる妨害となり、結局スパイは挑発者の煙幕の役割を果たすものであります」
(疑惑)これが戦前も戦後も宮顕の常套的な組織規律論である。その弊害は党中央に対する拝跪であり、党中央の暴虐な統制の甘受を生む事にある。「一度び決定された」ものであっても、刻々変化する情勢に合わせて対応せねばならぬことを思えば、個々の党員の自主的理論形成能力を高める手段こそ根限り育成せねばならないという組織規律論こそ肝要ではないのか。宮顕論法に騙されてはいけない。
141 「なお、日常活動において党員に対して要求されることはいわゆる私生活の厳格さであって、共産主義者は飲酒とか、あるいは性的堕落とか、その他党則に反するような行為は絶対すべきではなくして、日常生活における模範的生活者となることを、党の規律は要求するのであります」
(疑惑)ここも宮顕の典型的な統制理論が開陳されている。云うことだけは立派なことを云うが、凡そ社会生活の一面化であり、これが実際に機能するのは下部党員に対してであり、自身の腐敗に対しては免責されているという仕掛けとなっている。なぜなら、下に対しては疑いを要請するが、上に対しては拝跪を促すからである。
144 「逸見の言う如く、はっきりした調査も為さず被疑者の部署を下して長い目でみているようなことは、結局スパイに党の組織を売り渡す為の手伝いをしているようなことになるのであります」。
(疑惑)この陳述から、対スパイ問題における逸見の姿勢が逆に見えてくる。逸見は、宮顕らのいうような意味でこれを重視せず、重要ポストから外して様子をみればよいのではないかと主張していたことになる。それは敗北しつつある党運動の現状を見据えた深い愛情からの示唆であり、宮顕らの「対スパイ摘発闘争」こそ危険な臭いを嗅いでいたのではなかつたか。
144 「党の最高の処分は除名であるということは、第一回の陳述で述べましたが」
(疑惑)にも関わらず実際にはどう展開されたかが肝心なこととなる。これは宮顕の言語体裁フェチであって、きれいごとは隠れ蓑であって実際にやられたことこそが問わればならない。この実際例をも見れば、いけしゃぁしゃぁとこういう宮顕の厚顔は卑怯というより異常でさえある。
 長い前置きが終わり、いよいよここから「小畑致死査問事件」の具体的陳述に入っている。以下、宮本陳述の逆を読むのが逆に読むのが真相になる。
151 「大泉、小畑に対する査問の動機について、私は、秋笹.袴田等とブロックを作って、大泉.小畑等と対抗したことはありませぬ。‐‐‐私等がブロックを作って両名を排撃せんが為に為されたものでありませぬ」
(疑惑)つまり、党中央委員会は「宮本.袴田.秋笹ブロック」と「大泉.小畑ブロック」で対立していたということになる。この様子は、査問時の訊問でも厳しく咎められたていることからも分かる。





(私論.私見)