「吉本三木雄証言」(昭和51年5.13日)も貴重である。次のように述べている。
「組織の中で、小畑と最もウマが合って、助け合ったし、個人的な話までする仲であったのが、小生でした。小畑の気持ちや気性は小生が誰よりも一番よく知っているので(黒沢を除いて)、さればこそ、リンチで殺された三日間、小生の枕もと(丸の内警察留置場の独房)に彼は立ったのです。如何ばかり無念であったか! 大泉を信用したのが、小畑の間違いだったと存じます」。 |
その吉本氏について次のように語られている。
「赤旗に『スパイの嫌疑濃厚なり』と発表された、小畑無きあと全協中央常任の重鎮なりし、金属出の古島君を病気見舞いしたが、『小畑がスパイならば、宮本と、袴田は超スパイだ』と云っていました。なかなかうまいことを云うものだと感心しました」。 |
吉本氏の宮顕批判の舌鋒は凄まじく、次のように発言している。
「宮本の如き人殺し委員長をのさばらしておくこと国家機関ならば、なぜ、かの赤軍派リンチ事件の連中を無罪釈放せぬのか」。 |
「小畑とは最後まで週何回かの連絡をとっていたゆえに、よく承知しているのです。小生がつかまって小畑が殺されるまで三ヶ月の空間があるが、その三ヶ月間に小畑がスパイになりさがったとは到底考えられないことは、11月まで居た古閑君に聞いても判ります。宮本のしたことは、クーデターです。ヤクザの殴り込みです。卑怯な奴等です。当時小生がシャバにいたら、絶対にそのままにしてはおかなかったと存じます。例え一度は宮本の天下になっても、かのナガスネヒコの如く、やがては討伐される運命にあることを確信しています」。 |
(私論.私見) |
「吉本三木雄証言」は、吉本氏が生前の小畑と「組織の中で、小畑と最もウマが合って、助け合ったし、個人的な話までする仲であった」だけに小畑の人となりを知る者の証言として値打ちがある。「例え一度は宮本の天下になっても、かのナガスネヒコの如く、やがては討伐される運命にあることを確信しています」は余計なセリフで、ナガスネヒコ論に於いて問題があるが、「吉本三木雄証言」の値打ちを下げるものではない。
2006.5.25日 れんだいこ拝
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