「リンチ事件秘密資料」がモスクワで発掘される。これを吟味検証する。 |
(最新見直し2011.01.09日)
(れんだいこのショートメッセージ) | |||
2002年頭インターネット同仁あたみぃ氏より、「周氏のホームページ」の「日本共産党を粉砕する」の中に次のような一文があるとの指摘を受けた。中々興味深いので一章設けることにする。 それによると、『宮本顕治スパイ査問事件」の新事実』(1994.06.23)のタイトルで、ソ連の崩壊のおかげで新しい事実が見つかったとして、「題名・旧ソ連機密文書が明らかにした『宮本顕治スパイ査問事件の新事実』、著者・加藤明、小林峻一、有田芳生、掲載誌・文藝春秋1994年7月号」文中の「コミンテルンの秘密史料」の紹介記事の下りを引用している。「この文書は、1941年4.18日に、コミンテルン人事部長および上級専門職員プリシェフスキーという人物からコミンテルン執行委員会のディミトロフ書記長に提出されたものである。四ページにわたってタイプ打ちされた文書には『秘密』と記せられている」とある。 その内容とは次のようなものである。
この文書の内容が如何に重要なかは次のことに有る。その一。宮顕は、公判においても戦後の弁明においても、「事件」は突発的に起ったものであること、その原因として小畑の特異体質による「内因性の急性心臓病」による自死であり、査問側に何らの落ち度も無くむしろ蘇生に努力しており、死亡したのは蘇生しなかった小畑の責任であるなどという珍妙な論を展開してきており、現日本共産党不破−志位系党中央もこの弁明を党の総力を挙げて擁護してきている従来の構図を覆す威力があることに因る。 このたび発掘された「コミンテルンの秘密史料」に拠れば、事件はっきりと、「処刑を決定」、「処刑された」と記されており、宮顕式弁明は二枚舌以外の何ものでもない事が明らかとなる。周氏は次のように論評している。
その通りであろう。 なお、この報告書を作成したのはプリシェフスキーという人物であり、文藝春秋1994年7月号に記事掲載された時点で87歳でモスクワに暮らしているとのことである。プリシェフスキーは次のように証言しています、とある。
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れんだいこは、プリシェフスキー証言に対して若干補足したい。仮にプリシェフスキーが書き上げ提出したものであるとしても、事件の構図の読み取りには在モスクワ日本共産党代表の野坂参三の意向が踏まえられていることが読み取られねばならないのではなかろうか。否むしろプリシェフスキーは野坂報告を下敷きに報告書を作成したという事情があるのではなかろうか。なぜなら、以下検討するが、この報告書は「スパイを処刑した」ということ以外には何ら有益な情報になっておらず、内容的に見ると噴飯ものである故にである。 今日明らかになっていることは、野坂はこの時点で既に日本の特高の意を受け、ソ連は無論米英の各当局とも通じる超一級の国際スパイとなっている。その野坂の思惑通りに「小畑リンチ事件」のシナリオが作成され、いわばコミンテルンが手玉に取られているというのが本報告書の持つ意味であることが知られねばならない。 では、野坂の思惑及びそのシナリオはどのようなものであったのかにつき解析したい。これが、このたびの「コミンテルンの秘密史料」漏洩が持つ第二の重要性である。まず一見して判明することは、意図的に宮顕の関与を隠蔽していることである。「中央委員会書記アキザサを長とする日本共産党指導部はこれらスパイの処刑を決定した」とあるように、何と秋笹が司令塔であったと詐術している。野坂は、なぜ宮顕を隠蔽させたかったか。ここに野坂−宮顕連合のどす黒い陰謀劇が見え隠れしている。決して党の為にならないことをしでかして、党の為に為したという弁明を送り付け、用意周到にも責任者の地位から降りている。陰謀家の面目躍如然としていることが分かる。 さて、「一九三三年日本共産党中央委員会は、そのメンバーのなかにオバタとオーイズミというスパイがいることを知った。存在した証拠は全く疑いの余地無きものであった」は、正確であろうか。今日判明していることは、大泉は自ら志願してのスパイであった。が、小畑については調査すればするほどその痕跡はない。むしろ、労働畑出身の有能な真に愛党的なボルシェヴィキであった。小畑の依拠していた全協は最も戦闘的な労働組合グループであり、当時としては珠玉の有能党員の巣窟であった。その代表として小畑が中央委員会に送り込まれており、その小畑がスパイ容疑でテロられたのが事件の真相であり、盛んにスパイ呼ばわりをし摘発運動を組織していた宮顕グループこそが当局の肝いり連中であった。嗚呼これが歴史の真実だとは。 以上、ほぼ肝要なことは書き上げたので、関連したれんだいこ発言集を添えて締めくくる。 |
あたみぃ 2002/01/05 | |||||
>それはそうと手前味噌になりますが、宮顕の戦前のリンチ事件の考察なぞは宮地さんのとれんだいこのセットで、かなりな出来映えになっています。それにしてはカエルの面にションベンでコトッとも声がしないなァ。まじめに左翼してるのだったら、わぁわぁ言い合いが起こっても良いのだけどもね。 えっと↓のページは以前にご案内しましたっけ?少なくとももうお一人おられるようです。<笑> http://shomon.net/seikei/nikkyo1.htm#940623 --------------------------------------------------- その資料とは、コミンテルンの秘密史料です。この文書は、一九四一年四月十八日に、コミンテルン人事部長および上級専門職員プリシェフスキーという人物からコミンテルン執行委員会のディミトロフ書記長に提出されたものである。四ページにわたってタイプ打ちされた文書には「秘密」と記せられている。 さてこの文書の内容なのですが、これがきわめて驚くべきこと、そして「やっぱり」ということが書いてあります。 一九三三年日本共産党中央委員会は、そのメンバーのなかにオバタとオーイズミというスパイがいることを知った。存在した証拠は全く疑いの余地 無きものであった。中央委員会書記アキザサを長とする日本共産党指導部はこれらスパイの処刑を決定した。オバタとオーイズミの処刑の実行はキジマ タカアキが行うことになった。日本共産党中央委員、中央委員会財政部長オバタは処刑された。もう一人のスパイ、日本共産党中央委員、組織部長オーイズミ ケンゾーは警察の援助によって処刑をまぬがれた(彼は警察によって『予防』逮捕された)。 はっきりと、「処刑を決定」「処刑された」と記されております。宮顕はリンチはなかった、小畑さんの「内因性の急性心臓病」と釈明しているが、これで殺人を目的としたリンチだったとはっきりといえるのではないでしょうか。 |
これは貴重な資料をありがとう。 | れんだいこ | 2002/01/05 |
あたみぃさんありがとう本年もよろしくね。今日はこれから寝るところで、今見たら眠気が吹っ飛ぶような貴重情報いただいているではありませんか。あの文章は周さんが書いているのかなぁ、だったら交流と意見交換せねばあかんねぇ、メールでは少し応答したことあるんだけどね。 それはそうと、れんだいこに云わせれば該当文の観点はまだ不充分ですね。どこがというと、小畑がスパイであったとして当然の如くリンチでもって処刑したという報告の秘密資料ですよね。それは厳しい状況下の党活動なら場合によっては数%の含みで是認されるでしょう。どこが問題かというと、宮顕を党の熱血闘士であることを前提にしておることです。そういう報告が為され、ソ連共産党担当官も是認したと云うことでしょう。だがしかし、その観点はソ連の担当官も騙されていることを示しています。恐らくモスクワに居た野坂の入れ知恵もあったのでしょう。 恐ろしいことは次のことです。野坂と宮顕は戦前も戦後もコンビです。恐らく当局の最高機密レベルでの回し者でしょう。この二人は陰に陽にタッグを組んで党中央簒奪に成功しました。そのなれの果ての姿として今日の共産党があるという捉え方こそが正確ではないかと確信しています。 従って、リンチ事件の場合の要諦となる観点は、スパイ側の宮顕が、生粋の労働畑出身の熱血有能闘士小畑をテロったという読み取りをしなければならないということです。してみれば、この事件は今日なお小畑の汚名と冤罪をはらさねばならないという宿題を残していることになります。宮顕が党中央に君臨してエンジン全開して以来、党活動は妙なほどに冤罪事件に取り組む姿勢が弱くなります。れんだいこから見れば、それもそのはずだろうよという合点が出来ます。 いろんな意味で、宮顕生存中に氏を総括せねばならないというのが日本左派運動の責務でしょう。宮顕は先の党大会で突然に降格して平の元中央委員OBの地位へ追いやられました。れんだいこから観れば、宮顕を擁護しきれないという見切りでの事前対応だと思われます。しかし哀しいかな、我等がサヨ達にはこの突然の降格さえ話題にならないのです。それでもって他方で物知り顔してるなんて姿はちゃんちゃらオカシイと思っています。善人面と口をしてよそさんの蝿を追う前に、手前の党の蝿を追えといってやりたくなります。 れんだいこの失望はあまりに深い。今日の党の変調を批判するよりどころに綱領路線を挙げているケースが多い。れんだいこに云わせれば、現下綱領も宮顕作成の随分変調にして奇怪なものでしかありません。そんなものを後生大事にして批判する方のほうがまだしも有能だとは、嗚呼あまりにも遅れ過ぎているとか思う。 |
Re:これは貴重な資料をありがとう、補足。 | れんだいこ | 2002/01/05 |
昨日はざっと読んだだけでコメント付けましたが、今読んで見ると報告書の記述は細工され過ぎていますね。逐条解説して見ます。 >一九三三年日本共産党中央委員会は、そのメンバーのなかにオバタとオーイズミというスパイがいることを知った。存在した証拠は全く疑いの余地無きものであった。 大泉のスパイ性に付いては本人も認めており、宮顕とは別系統でスパイにされていたと考えられます。小畑については、本人も最後の最後まで頑強に否定しています。『存在した証拠は全く疑いの余地無きものであった』というのは、明らかに詐術です。 >中央委員会書記アキザサを長とする日本共産党指導部はこれらスパイの処刑を決定した。 ここでも、査問の長を秋笹とするという詐術が為されています。当然宮顕が長であるとみなすべきでしょう。但し、宮顕自身は、法廷でも否認し逸見を長としていたと主張しています。しかし、経過に付いては袴田陳述書が正確と思われ、それによると明らかに宮顕が事件の黒幕に位置しています。その黒幕で居りたかったのが、突如小畑が逃げ出そうとしたことから思わず直接的に参戦し、柔道の締め技で気絶させた(実際には蘇生しなかったので殺したことになる)ことでシナリオに狂いが生じている。そう読み取るのが正確と見ております。 >オーイズミの処刑の実行はキジマ タカアキが行うことになった。日本共産党中央委員、中央委員会財政部長オバタは処刑された。もう一人のスパイ、日本共産党中央委員、組織部長オーイズミ ケンゾーは警察の援助によって処刑をまぬがれた(彼は警察によって『予防』逮捕された)。 ここの記述は特段問題ありませんが、オーイズミが警察当局の手で救出されたことを強調している点が興味深いように思います。れんだいこに云わせれば、このたびの査問は小畑にこそ主目的があり、その小畑が殺害された以上役目が終わっており、以降のオーイズミの身柄は厄介物になっていた。実際にその後の査問は気の抜けたソーダのようになり、だらだらと監禁が続けられた挙句に不自然な方法で警察が飛び込んできて解放されます。 全体として過剰なまでに宮顕の役割を隠蔽しています。こういう秘密書の記述に異議を唱えずにそのまま受け入れたところに、当時のコミンテルンの連中の能無しぶりが伺えます。恐らく、この報告書は野坂が起案したのではないかと推測されるように思います。この異常なまでの宮顕隠しが臭いと嗅ぎ取るべきではないでしょうか。 |
(私論.私見)