第1部 | 査問事件序文 |
(最新見直し2010.01.04日)
投稿 | 題名 |
「宮本顕治論の緊急性」について序章 | |
補足 | 「宮本顕治論の緊急性」について補足 |
補足 | KM生氏の指摘 |
宮顕の党史的地位の重要性について | |
補足 | 加周義也「リンチ事件の研究」より抜粋 |
補足 | 浜田幸一「一人独裁の宮本顕治は、即みそぎを」より抜粋 |
【宮本顕治論の緊急性」について序章】 | ||||||||||
除名後の袴田は、著書「昨日の同志宮本顕治へ」で、長年の喉のつかえを降ろしたか次のように述べている。
袴田は野坂に対しても次のように云う。
袴田はかように述べているが無視されている。袴田の暴露が虚偽であったとするなら、何の利益があって袴田はかような証言を為したのだろうか。れんだいこは、長年、宮顕の切り込み隊長として関わってきた自身の立場をも自己否定するこの訴えに耳を貸さない我らがサヨ御仁の無能に恐れ入るばかりである。 米国に亡命したソ連の高級官僚として知られるレフチェンコは、ソ連の共産党史を次のように皮肉っている。
これは上記の書で私が一番注目した一節である。党史のご都合主義的書き換えは、ソ連のことだからと思って済ますわけにはいかないのではないかというのが私の主張となる。先の投稿文でも少し触れたが、既にわが日本共産党においても、徳球書記長時代の記述がずたずたにされている。手柄話しのようなところでは宮顕がわざわざ出てくるという具合に恣意的な構成になっている。仮に近未来に党の現執行部の腐敗が暴かれる時代がやってきたら、当然のことながら今の党史は大きく編纂し直されることが必至であろう。こんなことになるのはなぜなんだろう、こうなるともはや共産主義者の病気の一種と考えた方がよいのかもしれない。恐らく、「真理の如意棒」を持っているという認識の仕方と唯々諾々主義が原因なのではなかろうか。
次のことも指摘したい。元中央委員亀山幸三は、「代々木は歴史を偽造する」のあとがきの中で次のように述べている。
今日我々は、十分でないまでも亀山が手にしたよりも多くの資料を得ている。にも関わらず、現実はこれらの資料が精査されていない。この現象をどう了解すればよいのだろう。「もしも15年前に公開されていれば、少なくとも、神山氏と私は、そのままにしておく筈がない」となるところが、何事も無く平穏に経過させてきている現実がある。これを知性の貧困というべきか、怯堕(きょうだ)いうべきか分からない。しかし、いつまでも許すわけにはいかないことは確かであろう。という訳で、以下、れんだいこが及ぶ限り解析してみたい。日本左派運動の手痛い教訓の墓標として! |
【「宮本顕治論の緊急性」について補足】 | ||||||||||||||||||||||||
今日でも「宮本顕治論」に取り組む意義についてこれを過去のこととして否定する見解がある。「過去に拘ることにはあまり意味がなく、過去ばかり見つめる後ろ向きな議論は賢明ではない。過去を蒸し返したところで、反動勢力を悦ばせるだけであり、新たな攻撃を強める結果にしかならない」とする立場である。果たしてそうであろうか。というより、この論に拝跪させられる者は、この論がエセ左翼理論であり、極めて悪質反動的且つご都合主義的なそれであることに気づいているだろうか。この言い回しによれば、歴史はあって無きが如くに都合の悪い史実はいつでも切り捨てられることになる。 この論調を、旧大戦の総括のセンテンスに置き換えてみればよい。「過去に拘ることにはあまり意味がなく、過去ばかり見つめる後ろ向きな議論は賢明ではない。過去を蒸し返したところで、反動勢力を悦ばせるだけであり、新たな攻撃を強める結果にしかならない」が、果たしてアジア諸国民に通用するだろうか。けったいな優越者論理であり、如何に強者日帝側の傲慢な見解であるか唖然とさせられるであろう。韓国、中国が今なお靖国神社参拝問題、歴史教科書問題に不快感を覚えているのは、この論理に含まれているメンタリティーに対して向けられているのではなかろうか。典型的な居直り論理であり、「臭いものに蓋」の心情ではなかろうか。 私が「宮本顕治論」に取り組む意義は、まさにこのような論調と対決するためにある。この論理の敷設者こそ宮顕であり、氏の党中央簒奪によって党に定式化されたものである。今や、この論理が党全体を蝕んでしまい、下部党員まで納得させられてしまっている。何ら史実を実証しないまま「50年問題」の総括もこの調子でやられた。これが宮顕の行くところ向かうところに立ち現れる公式論理の特徴である。 「宮本顕治論」については次のように考える必要がある。それは決して過去のこととして済ませられることではなく、宮顕が党中央時代に敷いた総路線が今日の不破−志位執行部に丸ごと継承されており、今なおこのラインから外れることが許されていない。党内検察官が特高の目をもって徘徊している様子は伝えられているところである。 このことによって、現代党中央批判は、ことごとく淵源として宮顕にたどり着かざるを得ないという相関関係にある。従って、「過去に拘ることにはあまり意味がない」という姿勢は、宮顕の免責とその系譜である現下党中央の擁護を意図した露骨な御用理論であると云うことになる。逆に云えば、史実に拘り特に宮顕の党史的履歴を暴くことは、鋭く現下党中央批判につながっているということになる。 その卑近な例を挙げようと思う。宮顕の戦前の悪業「小畑中央委員リンチ査問致死事件(以下、単に「リンチ査問致死事件」と云う)」の際展開された論理が如何に今日にも引き継がれているかを明らかにさせてみたい。「リンチ査問致死事件」について、戦後の宮顕の釈放に当たって免責されたのだからその時点で解決済みであり、今更これを蒸し返すことには意味がない、反動勢力を悦ばせるだけであるという論調がある。私はこれにも異論があるが、それはさておくとして問題は次のことにある。宮顕が事件の弁明で展開した論理が今日の党理論の下敷きになって今も生きており、これが為に党運動を変調にさせている。であるが故に「リンチ査問致死事件」の清算は未だに為されていないし、これを黙過させる訳にはいかないということだ。 私の解明によれば、「リンチ査問致死事件」は、社会通念はもちろん当時の党規約によっても理不尽な暴力致死事件である。にも関わらず、宮顕は今日に至るまで体質性ショック死により思いがけなくも突然死したのであり、むしろ我々特に私は蘇生に努力したものである、蘇生しなかった小畑のほうに問題があるとまで言い張っている。この黒を白といいくるめる詐欺的詭弁論理の変態性が、今日の党中央理論の核心に宿っている。党組織の最高指導者のこうした姿勢は全党に影響を及ぼすことになる。 この論理あるいは姿勢の影響は、物事を正視してそこから教訓を生み出し、自己批判も交えながら事態の好転に向かわせるという人として当然の姿勢を欠落させる。あらゆる場で自己を正当化し肯定する論に立脚させ、状況に合わせてその場凌ぎのご都合論理で糊塗することに終始させるという作法を生みだしていく。このことは党史を見れば無数に例証し得るところである。今や、こういう安易愚劣な手法が党の習い性となっている。こうして宮顕以来、この党は、上級機関へ行けば行くほど本音の語りが為しえず、裏表のある口舌で世渡りする人士の巣窟となった。このことが宮顕が党中央に与えた最大の犯罪である、ということに気づかねばならない。 「リンチ査問致死事件」は、小畑の死亡を廻っての逆裁定論理だけに問題があるのではない。査問を正当化する組織論も宮顕特有の倒錯論理で構成されており、この理論が今日にも引きずられていることが知られねばならない。但し、これは、党内の有象無象イエスマンには発生しないので、そういう者は気づかないところである。 どういうことかというと、宮顕が先輩格の大泉・小畑両名の査問にあたって次のように述べていることが該当する。
その他等々の理由によって、宮顕運動は、いつのまにか共産党運動が瑞々しく持っていた感性と抵抗精神と現状を把握する理論を失ってしまい、本来的党運動の反対物に転嫁してしまった。こうして、体制を批判してやまない共産主義者の元来の運動が、その批判している当のものを身に纏いながら相も変わらず「階級敵」を批判し続けるという変態化せしめられてしまっている。その弊害は、「左」から為されていることにより仲間意識を背後からズタズタにさせていくことにあり、してみれば「右」からのそれらより却って始末が悪い。 以上、「宮本顕治論の緊急性」が古くて新しい命題としてあるということが説明できたであろうか。 もう一つ追加するとすれば、宮顕その人が野坂同様スパイであったとしたらどうなるかという重要な問題も残されている。この点は全く解明されていないが、れんだいこは数々の傍証によって確信している。もしそうであるとするならば、「50年問題」発生以降今日に至る党運動はその評価が根底から覆されねばならないことになる。怖い話しだがそういう可能性が充分にある以上「宮本顕治論」に背を向けることは許されない。今日我々が共産党中央に覚える不快感は、全てこの辺りの事情から発生していることが理解されねばならない。 もう一つ追加する。「リンチ査問致死事件」時の小畑圧殺の際に宮顕の果たした役割は、ある意味で宮顕の人となりを象徴しているのではなかろうか。数日の絶食状態に陥らせてられていた小畑が最後の抵抗を挑んだ時、宮顕は馬乗りになって背後から腕を捩じ上げ悶絶死させていったが、小畑を革命運動の聖戦士と仮託すれば、何を隠そう宮顕はその絞殺者ではないのか。この一例が宮顕の役割の万事をシンボライズしていないだろうか。そういう意味でも「リンチ査問致死事件」は古くて新しい。 |
【KM生氏の指摘】 | |||
ここに、上記を補足する恰好の投稿([JCP−Watch!]掲示板 )がある。無断であるが拝借したい。
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【宮顕の党史的地位の重要性について】 |
現在の党の在り方について疑問を覚え、そのよってきたるところにメスを入れようとすれば、どうしても第8回党大会から解きほぐさないと解明できない。
先の党創立記念講話で、いみじくも不破委員長が、「日本共産党の今の路線というのは、いろんな呼び方をされていても、実は、38年前に第8回党大会で決めた綱領の路線そのものなんです」と言っているように、この大会で満場一致された綱領路線のカメレオン化が今日の党の姿であるからにほかならない。ところで、第8回党大会に照準を合わせようとすれば、どうしてもこの大会で採択された綱領の起草者であり、且つこの大会でナンバー1の地位を獲得した宮顕に注目せざるをえないことになる。私の宮顕に対する関心はここから始まっている。 |
【加周義也「リンチ事件の研究」より抜粋】 | |
加周義也氏の「リンチ事件の研究」に次のような一節がある。私もそのとおりであると思うので以下ご紹介させていただく。
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【浜田幸一「一人独裁の宮本顕治は、即みそぎを」より抜粋】 | ||||
浜田幸一氏は、著書「日本をダメにした九人の政治家」(講談社、1993年初版)の「一人独裁の宮本顕治は、即みそぎを」の中で次のように述べている。
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(私論.私見)