津田道夫氏著「思想課題としての日本共産党批判」考

 (最新見直し2009.4.3日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
Re:れんだいこのカンテラ時評その176 れんだいこ 2006/05/20
 【津田道夫氏著「思想課題としての日本共産党批判」考】

 ここでは、津田道夫氏著「思想課題としての日本共産党批判」(群出版、1978.3.20日初版)を叩き台として対話する。れんだいこは、津田氏が何者であるか知らないが、日共問題に関して真面目に思想営為していることは分かる。それ故に、対話し甲斐がある。随所に慧眼的判断を示しており、れんだいこがなるほどと思った箇所を引用して取り込んでおくことにする。

 但し、慧眼的日共批判を示していながらも、宮顕問題の肝心要の箇所での批判となると凡庸過ぎる観点を披瀝している。その観点は一人津田氏のみならず当世の良質的左派理論家にさえ共通しているもののように思われるのでこれを重大視し、ここでは津田氏を右代表人として祀りあげ、一網打尽的に叩いておこうと思う。

 れんだいこの観点との差異を浮き彫りにさせ、問題点をはっきりさせ、諸賢の判断を仰ぎたいと思う。れんだいこに云わせれば、宮顕問題の肝心要の箇所での批判の観点を誤ると、ひいては慧眼的日共批判の値打ちをも下げることになる。そういうこともあって日共批判論者は多々輩出したけれどもさほどの役に立たなかったのではないかと思っている。れんだいこのこの物言いが言い過ぎかどうか、とくとご読解あれ。

 2006.5.20日 れんだいこ拝


【津田道夫氏著「思想課題としての日本共産党批判」考】
 津田氏は、はしがきの冒頭で、1977.7月の参院選、12月の総選挙での後退を受け、概要「1970年初頭から喧伝された『自共対決時代』という神話が無残にも打ち砕かれた」と指摘した上で、日共党中央の選挙での敗北責任に関する弁明の卑劣さについて次のように言及している。
 「選挙での敗北の結果、危機が現われてきたのではなく、ここ数年特に顕著に進行していた危機の結果として選挙での敗北が帰結させられたということなのである。この敗北の原因を、いわゆる反共キャンペーンに帰して能事終れリ、とするやり方は思想的無責任無能力の見本以外でない。こういう云い方では、それならば、その『躍進』は、反共キャンペーンを正当に叩き返すだけの力を伴わぬ『躍進』だった、それでしかなかったということにもなってしまう訳である」。

 津田氏のこの指摘は今日にも当てはまる。ということは、日共党中央は、1978年時点での津田氏のこの指摘にも拘わらず、今日に至るまでの約30年間何ら耳を傾けていないことになる。

 津田氏は、党中央のもう一つの癖について次のように言及している。
 「日本共産党では不滅の革命的伝統ということを、よく誇示する。戦前・戦中・戦後にかけて、党は、一貫して戦争反対・自由と民主主義のために闘ってきたという訳である。いわば党の不滅性・一貫性・持続性ということが強調されるのである。そして、この強調のために都合の悪い歴史事実を党史の上で抹殺したり、改竄したりしている」。

 この指摘は、末尾の「都合の悪い歴史事実を党史の上で抹殺したり、改竄したりしている」と述べているところに値打ちがある。れんだいこは、これに次のように補足する。そうやって改竄された党史は、れんだいこ観点に照らせば、福本イズム、31年綱領草案、田中清玄委員長時代の武装共産党時代、戦後の徳球ー伊藤律時代等々好評価せねばならない下りを批判し、否定的に総括せねばならない戦前の相次ぐリンチ事件、野坂問題、宮顕問題に於ける支持見解を打ち出しており、逆さま見解で構成されている。お蔭で、党史は学べば学ぶほど観点が歪み実践的に役立たずにされてしまうように編集されている。

 ご丁寧なことに、その上でなお且つ党史が隠蔽されている。日共関係の大衆団体然りで、宮顕ー不破系党中央の息の掛かるところ共通して「運動の歩み」が粗雑にされてしまうという癖を見せている。このことは案外知られていないが重要なことである。ちなみに、隠蔽とは編纂出版しないという意味ではない。形式的にするけれども、敢えてホームページ上に晒さず読ませないようにするという意味である。つまり、関係者のみ知っておけば良いとする偏狭密閉主義、その裏合わせの愚民主義が企図されているということになる。
 津田氏は、「第一部 自主独立から救国・革新へ」で、次のように述べている。
 「日本共産党の危機とは、まことに、内部からこの党をむしばむ思想としての危機以外ではない。イデオロギーとしての危機といってもよい。凡そマルクス主義政党の危機として、これほど本質的な危機は有り得ない。しかも、それは現実の政治活動の渦中における、この党の日常的政治対応・行動様式における変態の発展と不可分に進行してきたし、きつつある」。

 この指摘の意義は、日共の危機に対して、「内部からこの党をむしばむ思想」、「この党の日常的政治対応・行動様式における変態の発展」と指摘しているところにある。

 「革命的伝統の扼殺」という小題で、次のように述べている。
 「まことに、政治上の日和見主義が、理論上の背教に導き、更にあらゆる分野に変質の萌芽をのばして行くが、これまで見てきたような傾向は、日本の革命運動の革命的伝統をも扼殺(やくさつ)する結果に導かずにはおかない」。
 
 これも的確な指摘であろう。問題は、理論の創造に関してであるが、日共の新理論が創造に値していたならば値打ちがあろう。実際には、「何の役にも立たないばかりか、日本の革命運動の革命的伝統をも扼殺(やくさつ)する変造理論」を編み出し押し付けた害にある。新理論というだけで踊らされてはならないところ、目くらましされてきた経緯がある。それを許したのは、総じて理論の貧困の為せる技であったと窺うべきであろう。

 「日本共産党の思想状況の一側面」で次のように述べている。レーニンが、1903年のロシア社会民主労働党第2回大会の議事録を研究することの重要さを指摘していたことを伝え、次の言葉を紹介している。
 「党員は全て、もし自覚的に自分の党の仕事に参加したければ、我が党大会を綿密に研究しなければならない。まさに研究しなければならない」。

 これを踏まえて、次のように批判している。
 「今日、世界各国の共産党は、ソ連の党や中国の党のように、その議事録を作って印刷するなどの便利を、1903年当時のロシアの党より、はるかに多く手に入れているに拘わらず、レーニンが『一歩前進二歩後退』で、徹底的な研究素材と為したような大会議事録を公表していない。特に、スターリニズムの成立以降、党員にも党外にも、これを公表しないという習慣が作り出されてきたように(も)思える。日本の党もその例外ではない。採択された決議、報告、挨拶、メッセージのたぐいと、代議員発言が、整理されてー一定の意志を加えられてー公表されるだけである」。

 これも的確な指摘であろう。れんだいこが補足すれば、宮顕ー不破系党中央の隠蔽主義は世界の他の共産党中央のそれに比べてより酷いのではなかろうか。インターネット上のホームページに於いて、党史や党大会の議事録公開はやろうとすればきることなのにしていない。これは偶然というより意図的故意と考えなければ理解できない。宮顕ー不破系党中央は何の為に隠蔽主義に浸っているのであろうか。
 津田氏のここまでの批判は至極真っ当なものである。だが、これから述べる「リンチ共産党事件論議の意味」に於ける津田氏の観点はいただけない。以下、これを解析する。

 リンチ共産党事件に於ける津田氏の見解は、ひとまずは次のように語る。
 「私は、日本の共産主義者が、あの苛烈な天皇制のテロリズム支配のもとで、あらゆる敵の密偵に取り巻かれていたとき、こういう場合もありえたという歴史の事実を、今日隠す必要など、いささかもないと考える。そして、その先のところに、あの時は状況がそうさせたのだ、として、全てを必要悪として合理化してしまう傾向ー状況後認主義ーが、あらためて思想の問題として批判的に検討されなければならなくなるのである。それが、スターリニズム批判の一課題でもあった。歴史の事実を押し隠すところからは、歴史の真実などつかみとりようもない」。

 かく「批判的に検討の必要」を述べてはいるが、津田氏のリンチ共産党事件見解は、次のようなものである。
 「日本の共産主義運動にあっては、あの苛烈な警察的天皇制の内と外からする追及という特殊にデスペレートな状態のもとにあって、それが理想的な闘争形態とは云えぬにしても、内部に送り込まれた『敵の犬』を処刑せざるを得ない場合も有り得たことを認め、その意味を今日、全的に明らかにする必要を述べた」。

 この観点は、平野謙や中野重治らのそれと似たり寄ったりで、そしてそれは究極的に宮顕弁護に通じるのだが、「僅か4名のうちの一人である党中央委員たる小畑達夫のリンチ被致死」に対しての考察を避けている。むしろ、宮顕のスパイ摘発闘争の状況的背景を多く語ることで「革命的英雄主義の一つの表われ」として是認している。よって、小畑の死が外傷性のものであろうと特異体質のものであろうと問題のポイントではないとまで述べている。そして、「結局、宮本顕治を殺人罪にも殺人未遂罪にもひっかけることができなかったという事実」なるものが虚構にも拘わらずこの云いを重視し、次のように述べている。
 「スパイ査問事件についても、いいわけ風に暴力は振るわれなかったなどと陳弁これつとめる必要など一切無いと考える。それは、却って日本の共産主義運動像を誤らせる結果にも導きかねない。だが、今日、日共は、なぜこうも言い訳論的な陳弁につとめなければならないのか」。
 「今次のスパイ査問事件論議に対する日共側の対応にも、ことのほかよく表われている。曰く、党の最高の処分は除名である。曰く、暴力は振るわれなかった。曰く、小畑の頭の傷は自傷行為の結果である。曰く、縄で縛り上げたのは、合意の上でやられた、などなど。だが、こういう理念論に基づく言い訳は、却って、議論を虚ろで白々しいものに導かざるを得ない」。

 つまり、当時の止むを得ない状況下でのスパイ摘発の為の革命的暴力の行使であったという理論で堂々と居直れ、日共の対応は女々しく姑息であると述べていることになる。しかし、この見解は、この問題に対する津田氏の根本的無理解な様を表している。もっとも、それは何も津田氏のみでなく平野謙、中野重治、神山茂夫らその他識者も同様であるが。れんだいこが、これらの論法の何がどこがおかしいのかを明らかにしておく。

 第一に、宮顕一派の党内査問リンチが、革命派によるスパイ派に対する革命的暴力の行使であったとする論そのものが虚構の上に成り立っていることである。れんだいこ見解に立たない者には信じられないことであろうが、れんだいこの研究によると真実は、スパイ派の宮顕グループによる革命派の残存最高幹部小畑への査問テロであった。こう看做さないとリンチ共産党事件の真相が見えてこない。従って、リンチ共産党事件の考察は、革命派の残存最高幹部小畑がスパイという容疑を被せられ処刑され、今日なおその汚名下にあるという悲劇を踏まえ、小畑への冤罪を晴らすべく論が向わねばならない。このことは同時に、革命派の残存最高幹部小畑を葬った真性のスパイ派である宮顕一派の犯罪を明らかにする。

 且つその宮顕一派が戦後なお暗躍し、戦後直後の党を指導した徳球ー伊藤律派を駆逐した後党中央に潜入し、その後の変態的独裁を続け、今日その系譜が党中央を牛耳り続けているという負の歴史が見えてこない。リンチ共産党事件直後に発生した多数派による疑惑追及の歴史的意義が見えてこない。れんだいこに云わせれば、リンチ共産党事件の真相解明はこのセンテンスで為されない限り何も考察していないに等しい。

 そういう風に構図しない津田氏であるから、次のような馬鹿げた見解を開陳することになる。「宮本顕治の党史論の批判」で次のように述べている。
 「この間の国会論議や印刷物の上での反共ヒステリーと反共産主義キャンペーンの相互増幅の中から、思想的に見て新しい問題が提起されてきたかと云えば、それは絶無というに等しく、相変わらず俗情に憑かれた論点が蒸し返されているだけである。その論点は、大きく二つに分けられ、一つは、いわゆるスパイ査問事件そのものに関して、リンチか正当防衛か、殺人か事故死かといった問題を廻るものであり、第二は、宮本顕治・袴田里美の敗戦時に於ける出獄は違法か適法かといった問題を廻るものである。まず後者について云えば、政治的には今日どのような意味でも、宮本・袴田の側に後ろ指をさされなければならぬ根拠は有り得ない」。
 「最悪条件下でのその雄牛の如き粘りには、予審に於いて何事も語らなかった事実と共に、脱帽せざるを得ないものがある」。

 津田氏よ、申し訳ないが、あなたは、リンチ共産党事件問題の深刻さが何も見えていない。言及することは省くが、戦後の釈放過程の疑惑についても何も認識していない。その程度の知識で、宮顕ー不破系党中央の弁護に廻るのは愚か過ぎることである。あなたの宮顕ー不破系党中央批判の論考の値打ちをも下げることになる。

 付言すれば、臼井吉見の中野重治との会談「人間・政治・文学」(雑誌「展望」1976.9月号)に於ける臼井の次のような発言を何も疑うことなく受け入れているようである。
 「宮本氏のように、網走の牢獄で十何年も頑張るというような特別な人もあるんだけれども云々」。

 津田氏よ、宮顕は網走の牢獄で十何年も頑張っていやしない。釈放前の半年ばかり、しかも春から夏の過ごしやすい時期を過ごしたに過ぎない。それまでの十年余も、刑確定前の未決囚としてかなり優遇されて過ごしている様子が明らかにされている。宮顕をして「唯一非転向完黙人士聖像」で評するのは無知極まりない。常識的に見てさえ、完黙なぞ有り得ないことを窺うべきであろうに。
 津田氏は、リンチ共産党事件に於いて愚昧な見解を披瀝した後話題を転じ、そこでは再び慧眼な批判を加えている。党史「日本共産党の五十年」の敗戦直後の党序列に関する記述で、それまでの徳田、志賀、金、袴田、神山、宮本、黒木の順が徳田、宮本、袴田、黒木、金、志賀、神山の順に書き換えられたことに対して、意訳概要「宮本=無謬神話を前提にした形而上学的党史解釈の為せる技」であると指摘している。

 これなぞは確かに問題で、歴史記述はよほどのことがない限り当時の記述を残して行くべきではなかろうか。補足すれば、更にこの後、党中央が、マルクス・レーニン主義のくだりを科学的社会主義と書き換えていることも問題で、そのように改竄すべきではなかろう。政治主義的思惑で改竄、歪曲、すりかえを何の躊躇もなく為す宮顕ー不破系党中央とは一体何者なのか。

 御用派ならともかくも批判派のイデオローグである津田氏をしてさえも、宮顕問題の肝心要な箇所になるとかくも幼稚にさせる仕掛けは一体何なのだろうか。れんだいこはそれを訝る。リンチ共産党事件については、れんだいこは、「宮本顕治考」の査問事件考の中で時系列的な解析を試みている。内容に批判があればいつでも引き受けようと思う。

 続いて、神山茂夫関連の言及が為されているが又の機会に整理しておくことにする。

 2006.5.20日 れんだいこ拝




(私論.私見)