津田道夫氏著「思想課題としての日本共産党批判」考 |
(最新見直し2009.4.3日)
(れんだいこのショートメッセージ) | ||||||
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【津田道夫氏著「思想課題としての日本共産党批判」考】 | |||||||
津田氏は、はしがきの冒頭で、1977.7月の参院選、12月の総選挙での後退を受け、概要「1970年初頭から喧伝された『自共対決時代』という神話が無残にも打ち砕かれた」と指摘した上で、日共党中央の選挙での敗北責任に関する弁明の卑劣さについて次のように言及している。
津田氏のこの指摘は今日にも当てはまる。ということは、日共党中央は、1978年時点での津田氏のこの指摘にも拘わらず、今日に至るまでの約30年間何ら耳を傾けていないことになる。 津田氏は、党中央のもう一つの癖について次のように言及している。
この指摘は、末尾の「都合の悪い歴史事実を党史の上で抹殺したり、改竄したりしている」と述べているところに値打ちがある。れんだいこは、これに次のように補足する。そうやって改竄された党史は、れんだいこ観点に照らせば、福本イズム、31年綱領草案、田中清玄委員長時代の武装共産党時代、戦後の徳球ー伊藤律時代等々好評価せねばならない下りを批判し、否定的に総括せねばならない戦前の相次ぐリンチ事件、野坂問題、宮顕問題に於ける支持見解を打ち出しており、逆さま見解で構成されている。お蔭で、党史は学べば学ぶほど観点が歪み実践的に役立たずにされてしまうように編集されている。 ご丁寧なことに、その上でなお且つ党史が隠蔽されている。日共関係の大衆団体然りで、宮顕ー不破系党中央の息の掛かるところ共通して「運動の歩み」が粗雑にされてしまうという癖を見せている。このことは案外知られていないが重要なことである。ちなみに、隠蔽とは編纂出版しないという意味ではない。形式的にするけれども、敢えてホームページ上に晒さず読ませないようにするという意味である。つまり、関係者のみ知っておけば良いとする偏狭密閉主義、その裏合わせの愚民主義が企図されているということになる。 |
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津田氏は、「第一部 自主独立から救国・革新へ」で、次のように述べている。
この指摘の意義は、日共の危機に対して、「内部からこの党をむしばむ思想」、「この党の日常的政治対応・行動様式における変態の発展」と指摘しているところにある。 「革命的伝統の扼殺」という小題で、次のように述べている。
これも的確な指摘であろう。問題は、理論の創造に関してであるが、日共の新理論が創造に値していたならば値打ちがあろう。実際には、「何の役にも立たないばかりか、日本の革命運動の革命的伝統をも扼殺(やくさつ)する変造理論」を編み出し押し付けた害にある。新理論というだけで踊らされてはならないところ、目くらましされてきた経緯がある。それを許したのは、総じて理論の貧困の為せる技であったと窺うべきであろう。 「日本共産党の思想状況の一側面」で次のように述べている。レーニンが、1903年のロシア社会民主労働党第2回大会の議事録を研究することの重要さを指摘していたことを伝え、次の言葉を紹介している。
これを踏まえて、次のように批判している。
これも的確な指摘であろう。れんだいこが補足すれば、宮顕ー不破系党中央の隠蔽主義は世界の他の共産党中央のそれに比べてより酷いのではなかろうか。インターネット上のホームページに於いて、党史や党大会の議事録公開はやろうとすればきることなのにしていない。これは偶然というより意図的故意と考えなければ理解できない。宮顕ー不破系党中央は何の為に隠蔽主義に浸っているのであろうか。 |
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津田氏のここまでの批判は至極真っ当なものである。だが、これから述べる「リンチ共産党事件論議の意味」に於ける津田氏の観点はいただけない。以下、これを解析する。 リンチ共産党事件に於ける津田氏の見解は、ひとまずは次のように語る。
かく「批判的に検討の必要」を述べてはいるが、津田氏のリンチ共産党事件見解は、次のようなものである。
この観点は、平野謙や中野重治らのそれと似たり寄ったりで、そしてそれは究極的に宮顕弁護に通じるのだが、「僅か4名のうちの一人である党中央委員たる小畑達夫のリンチ被致死」に対しての考察を避けている。むしろ、宮顕のスパイ摘発闘争の状況的背景を多く語ることで「革命的英雄主義の一つの表われ」として是認している。よって、小畑の死が外傷性のものであろうと特異体質のものであろうと問題のポイントではないとまで述べている。そして、「結局、宮本顕治を殺人罪にも殺人未遂罪にもひっかけることができなかったという事実」なるものが虚構にも拘わらずこの云いを重視し、次のように述べている。
つまり、当時の止むを得ない状況下でのスパイ摘発の為の革命的暴力の行使であったという理論で堂々と居直れ、日共の対応は女々しく姑息であると述べていることになる。しかし、この見解は、この問題に対する津田氏の根本的無理解な様を表している。もっとも、それは何も津田氏のみでなく平野謙、中野重治、神山茂夫らその他識者も同様であるが。れんだいこが、これらの論法の何がどこがおかしいのかを明らかにしておく。 第一に、宮顕一派の党内査問リンチが、革命派によるスパイ派に対する革命的暴力の行使であったとする論そのものが虚構の上に成り立っていることである。れんだいこ見解に立たない者には信じられないことであろうが、れんだいこの研究によると真実は、スパイ派の宮顕グループによる革命派の残存最高幹部小畑への査問テロであった。こう看做さないとリンチ共産党事件の真相が見えてこない。従って、リンチ共産党事件の考察は、革命派の残存最高幹部小畑がスパイという容疑を被せられ処刑され、今日なおその汚名下にあるという悲劇を踏まえ、小畑への冤罪を晴らすべく論が向わねばならない。このことは同時に、革命派の残存最高幹部小畑を葬った真性のスパイ派である宮顕一派の犯罪を明らかにする。 且つその宮顕一派が戦後なお暗躍し、戦後直後の党を指導した徳球ー伊藤律派を駆逐した後党中央に潜入し、その後の変態的独裁を続け、今日その系譜が党中央を牛耳り続けているという負の歴史が見えてこない。リンチ共産党事件直後に発生した多数派による疑惑追及の歴史的意義が見えてこない。れんだいこに云わせれば、リンチ共産党事件の真相解明はこのセンテンスで為されない限り何も考察していないに等しい。 そういう風に構図しない津田氏であるから、次のような馬鹿げた見解を開陳することになる。「宮本顕治の党史論の批判」で次のように述べている。
津田氏よ、申し訳ないが、あなたは、リンチ共産党事件問題の深刻さが何も見えていない。言及することは省くが、戦後の釈放過程の疑惑についても何も認識していない。その程度の知識で、宮顕ー不破系党中央の弁護に廻るのは愚か過ぎることである。あなたの宮顕ー不破系党中央批判の論考の値打ちをも下げることになる。 付言すれば、臼井吉見の中野重治との会談「人間・政治・文学」(雑誌「展望」1976.9月号)に於ける臼井の次のような発言を何も疑うことなく受け入れているようである。
津田氏よ、宮顕は網走の牢獄で十何年も頑張っていやしない。釈放前の半年ばかり、しかも春から夏の過ごしやすい時期を過ごしたに過ぎない。それまでの十年余も、刑確定前の未決囚としてかなり優遇されて過ごしている様子が明らかにされている。宮顕をして「唯一非転向完黙人士聖像」で評するのは無知極まりない。常識的に見てさえ、完黙なぞ有り得ないことを窺うべきであろうに。 |
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津田氏は、リンチ共産党事件に於いて愚昧な見解を披瀝した後話題を転じ、そこでは再び慧眼な批判を加えている。党史「日本共産党の五十年」の敗戦直後の党序列に関する記述で、それまでの徳田、志賀、金、袴田、神山、宮本、黒木の順が徳田、宮本、袴田、黒木、金、志賀、神山の順に書き換えられたことに対して、意訳概要「宮本=無謬神話を前提にした形而上学的党史解釈の為せる技」であると指摘している。 これなぞは確かに問題で、歴史記述はよほどのことがない限り当時の記述を残して行くべきではなかろうか。補足すれば、更にこの後、党中央が、マルクス・レーニン主義のくだりを科学的社会主義と書き換えていることも問題で、そのように改竄すべきではなかろう。政治主義的思惑で改竄、歪曲、すりかえを何の躊躇もなく為す宮顕ー不破系党中央とは一体何者なのか。 御用派ならともかくも批判派のイデオローグである津田氏をしてさえも、宮顕問題の肝心要な箇所になるとかくも幼稚にさせる仕掛けは一体何なのだろうか。れんだいこはそれを訝る。リンチ共産党事件については、れんだいこは、「宮本顕治考」の査問事件考の中で時系列的な解析を試みている。内容に批判があればいつでも引き受けようと思う。 続いて、神山茂夫関連の言及が為されているが又の機会に整理しておくことにする。 2006.5.20日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)