リンチ事件論争史諸論、民社党対共産党の国会質疑バトル

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).4.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「リンチ事件論争史諸論、民社党対共産党の国会質疑バトル」をスケッチしておく。


【亀山幸三の観点】

 亀山幸三氏は、「月刊現代」(昭和50.6月号)で次のように述べている。

 「この事件に言及することは、戦後の党再建以来党内では事実上のタブーであった。ということは、この件に関して宮本や袴田は極めて敏感であり、ちょっとでもこれに触れてくるものがあれば徹底的に追及し、弾圧するというところがあったからである。‐‐‐要するに、宮本、袴田らの党には誤りはありえないのである。だから、そういうことはあつてはならない。そこで全ては党史の名において整合化され、それ以外の見解はみな誤りとされる」。

 亀山氏の前半の指摘の「この事件に言及することは、戦後の党再建以来党内では事実上のタブーであった。ということは、この件に関して宮本や袴田は極めて敏感であり、ちょっとでもこれに触れてくるものがあれば徹底的に追及し、弾圧するというところがあったからである」が参考になるので引用した。

 後段の「要するに、宮本、袴田らの党には誤りはありえないのである。だから、そういうことはあってはならない。そこで全ては党史の名において整合化され、それ以外の見解はみな誤りとされる」は、亀山氏らしい言い方でピンボケだ。正しくは、「要するに、宮本、袴田らは、この事件をそれほど恐れているのである。だから、事件が明るみにされてはならない。そこで全ては党史を偽造してでも隠蔽しあるいは整合化し、宮顕、袴田らが示す以外の見解はみな誤りとされる」と述べるところであろう。

 以下、「リンチ事件論争史」を検証する。

 2005.5.12日再編集 れんだいこ拝

【神山茂夫の観点】
 神山茂夫は、1935年に逮捕され、獄中で次のように記している(寺田貢、神山茂夫、神山利夫「治安維持法違反被告事件裁判参考書類」、津田道夫「思想課題としての日本共産党批判」)。
 「1933年末、日本共産党は組織的に弱まり大衆との結合も、大衆への政治的思想的影響もまた失い始めてきた。大胆冷酷な自己批判によって、党の政策、戦術、活動方法及び組織構成を全面的に転換し以て党を強固化するばかりでなく失われた大衆との結合を改善する外に党の陥ったこの危機状態から脱出する道はなかった。

 当時の党中央部は、この危機及びそれを生じさせた客観的、主観的原因の究明を放棄し、問題を党内一、二の挑発分子の策動に帰した。従って、彼らに対する組織的技術的対策の問題にすり替えてしまった。いわゆるリンチ事件はその結果である。全面的自己批判に基づく決定的転換が最も強く要求されていたこの時、全党と全指導部を挙げて没頭した如き派重大な政治的誤謬であった。かくて、リンチ事件は党を敵の集中砲火の前に晒した上、全党的恐慌状態を呼び起こす直接の口火となった。

 この事件に続けて党清掃即党員登録による党の組織的強化の目論見は同じく部分を全体とすり替えた誤りである。合法的諸党が小ブル的分子から党を守る為に行う清党=細胞を基礎に、細胞員及び非党員大衆の面前で、非党員大衆の個々の**(履歴?)をも尊重して公然且つ大衆的に行われるのである。

 我が国のように、極度に非合法的党では問題にさえし得ない『清党運動』をこんな時代に、かかる方法で行わねばならぬと云うことは党の小ブル化の証明になるが、党の労働者化と再建強化の賢明な況や本人の提出する一片の履歴書を党中央部が審査して『清党』を行わんとするに至っては言語道断である。

 これらの諸事情と結びつき且つこれを利用した検察当局の全面的追撃は、遂に全党ことに若き共産主義者間の深刻広範な同様と混乱を巻き起こした。1934年始めの**細胞署名の文書を皮切りに、二、三の反中央的文書を撒布した後、6月頃結成されたと聞く『多数派』はかかる恐慌状態の所産である」。
(私論.私見) (れんだいこ見解)
 神山茂夫は、リンチ事件の結果を慧眼に批判しているが、リンチ事件そのものは、宮顕の筋書きに合わせてスパイ摘発闘争であったとしている。この辺りが、神山の終生代わらぬ限界というか凡庸さ、胡散臭さであるように思われる。

 2006.5.21日 れんだいこ拝

【春日民社党委員長が、「戦前のリンチ事件」を取り上げて共産党攻撃】

 1974(昭和49).6.26日、7月の参院選を前にして、毎日新聞が「(各党首)陣頭に聞く」のインタビュー連載を企画した。6.26日付けの第2回目に春日民社党委員長のインタビューが掲載された。この時春日氏は、共産党の戦前のリンチ事件を取り上げ、共産党の戦前のリンチ事件を取り上げ次のように攻撃した。
 「極悪非道ですよ、共産党は。反対者を殺すのだから。昭和8年、宮本顕治や袴田里見が何をやったか、予審調書を見れば分かる。連合赤軍の集団リンチ殺人事件とどこが違うか。口ではない。彼等が何をやったかだ。それをもとに判断するしかないじゃありませんか」。

 6.27日、共産党は直ちに反撃し、宮本太郎広報部長による談話「低劣な中傷について」を発表した。6.28日付け赤旗紙上に掲載された。

 「公党の指導者に対する許し難い中傷を加えている。これは、昭和8年、当時の秘密警察のスパイが、査問中特異体質のため死亡した事件を、特高警察が『リンチ・殺人事件』としてデッチアゲたことを取り上げたもので、その上『連合赤軍とどこが違うか』とまで云っている。我が党の宮本委員長らに殺人者と云う悪質な中傷を加えたものである。だが、この『事件』が、警察の捏造であったことは、戦前の暗黒政治下の裁判所でさえ事実上認めざるを得なかったところでだ。さらに、戦後の昭和22.5.29日に、治安維持法を撤廃した勅令735号(昭和20年12.29日)によって、将来にわたって刑の言い渡しを受けなかったものとすると、東京地検も確認している」、「宮本顕治氏は当時、暗黒支配に反対して投獄されたが、治安維持法による弾圧とデッチ上げ事件の不当性に最後まで抗議し、予審を通じて調書など作らせなかった。春日氏が『予審調書を見れば分かる』などといって、あたかも宮本書記長の予審調書があるかのように云っているのは、明白なデマである」、「共産党は近代的な民主主義政党であり、党の最高の処分が規約に基づく除名であることは当時から一貫している。さらに暴力を闘争手段とする連合赤軍などのトロツキスト暴力集団と最も激しく闘ってきたことも周知の事実である。春日氏が我が党指導者を殺人者にデッチ上げ、我が党を連合赤軍などと同一視して事実無根の中傷を加えているのは、選挙戦の中で手段を選ばぬ低劣な反共攻撃に出たものである」。

 6.28日、民社党の春日委員長は、共産党の抗議談話に対し、「リンチ事件を合理化しようとするもの」とする次のような反論談話を発表した。
 「共産党は、宮本委員長のリンチ事件が如何にも当時の警察のデッチ上げであるかのような反論を行っているが、この主張は当時の東京刑事地方裁判所の判決文に照らして、自ら行った査問の名による残虐な事件を合理化しようとするものであり、許し難い。宮本委員長と当時同僚であった小畑達夫氏の死は、判決文で明らかなように宮本委員長ら数名によるリンチによるものであったことは明確な事実だ。そのことは、共産党自身が引き合いに出している当時の古畑東大教授の鑑定によっても立証されている。小畑氏の死因は『外傷性ショック死』であり、共産党―――」。

 6.29日、共産党は、民社党の春日委員長の反論談話に対し再反論し、要旨次のような宮本広報部長談話を発表した。
 「問題の春日発言の中心は、宮本委員長を殺人者と呼び、それを裏付ける予審調書があるとしたことだが、それが低劣な中傷であることは、28日の春日談話で一層はっきりした。当時の特高警察の最大の狙いは、スパイの死をもって、疑心暗鬼による殺人事件として捏造したところにあったが、戦前の暗黒政治下の裁判所でさえ、これを殺人事件と為し得なかったにも拘わらず、春日氏が特高警察のデッチ上げと同じデマ宣伝を選挙戦で繰り広げていることは、戦時中から反共の為に支配階級のお先棒をつとめた反共右翼社会民主主義者の本質をさらけ出したものである」、「この事件に関しては、宮本委員長は、公判廷で起訴事実に全面的な反論を加え、鑑定書について不備と矛盾を鋭く追及したことも含め『リンチ殺人事件』なるものが全くのデッチ上げであることを立証した。また戦後出獄後は論文を発表し、全面的に解明している。春日氏は、裁判所側の文書などを絶対のものとして持ち出し、論点を外した見当違いの議論をしているが、鑑定問題も含め全面的に反証済みである」、「小畑は同僚どころか警察と連絡を取っていた明白なスパイであったし、党の最高の処分が除名であるという認識は当時から明白であった。赤旗の正式発表もその立場に立っていたことは、当時の記録を見れば一目瞭然である。にも拘わらず春日氏が指摘する赤旗記事は読者からの一通信の断片であり、それを、そも党の方針であるかのように持ち出しているのは当時の特高警察さえ為し得なかった卑劣な手段であり、氏の意図がどこにあるかを自ら暴露したものである」、「春日氏はまた、治安維持法の撤廃に伴って、この事件の刑の言い渡しが無効になったことに不満らしいが、氏の心情は、この事件についての特高流のデッチ上げによる反共宣伝をあくまで続けたいということではないか」云々。

【民社党と共産党のリンチ事件応酬再燃】

 1976.1.27日、春日一幸民社党委員長が、衆院本会議で「宮本のスパイ査問事件」を質問している。「共産党は、リンチによる死亡者の死因は特異体質によるショック死だとしているが、真実は断じて一つ」として、事件の究明と戦後の宮本の公民権回復に関しても疑義を表明し、「あのリンチ共産党事件なるものの事実関係を、あらためて国民の前に明らかにする必要があると思うが、政府の見解はいかがでありますか」と、政府の見解を迫っている。

 次のような見解を披歴している。
 「裁判所の判決に示されたものが真実なら共産党の抗弁はウソであり、共産党の主張が真実なら、あの判決は宮本氏らに無実の罪を科したことになりましょう。すなわち、裁判所のあの判決は真実に即した正当なものであるのか、それとも日本共産党が主張するがごとき、それは当時の特高警察によってデッチ上げられ、かつ、その云うところの天皇制裁判によるデタラメな判決であったものか、このことは本件がいかに戦前の司法機関の責任に属するものとはいえ、問題の重要性に鑑み、その真相をこのまま曖昧にしておくことは、本件に対する国民の疑惑はますます大きくなるばかりであります」。

 鈴木卓郎氏の「共産党取材30年」)は次のように記している。
 「共産党議員のヤジと怒号、一方では自民、民社党議員の拍手に包まれて春日一幸民社委員長がゲンコツでテーブルをたたきながら熱弁をふるった」。

 1.30日、塚本民社党書記長がスパイ査問事件についての詳細な質疑を行い、果ては宮本の「復権問題」、刑の執行停止に伴う残余の期間にまで及ぶ質問(衆院予算委員会)が為された。稲葉法相は、質問に答え、「宮本、袴田らの手で行われた凄惨なリンチ殺人事件」の事実を認めている。

 これに対し、不破書記局長が、衆院予算委員会で、戦前の治安維持法関連の質問をした。次のような遣り取りをしている。
不破  「特高警察が日本共産党や民主的な団体を弾圧するために、スパイを広範に用いていたということは明白な事実です」。
稲葉法相  「治安維持法、治安維持法と云いますけれど、当時の日共というものは暴力で革命をやり、政府を転覆しようとしておった事実がある訳です。それに対して、政府が防衛手段を講ずることは当然じゃないですか」。

 不破書記局長は、衆院予算委員会での春日質問を非難して、「国会を反共の党利党略に利用するもの。宮本委員長の復権は法的に決着済み。暗黒政治の正当化だ」と反論した。但し、「判決に不服なら再審の請求という手段がある」という稲葉法相の指摘に対してはノーコメントで通している。 

 1月末、自民党が「共産党リンチ事件調査特別委員会」設置する。

 この件に関するマスコミの報道は次の通り。朝日新聞「歴史の重み、矮小化の恐れ、醜聞の立証に終始する政争次元の論議は疑問」という見出しで、「この事件を論ずるためには、小畑氏の死因の究明ではなく、こうした政治社会的な背景の分析に力点が置かれるべきであり、しかもそれが戦争から敗戦につながった歴史への反省を込めて行われるべきであろう」。毎日新聞「取り上げる意義どこに 資格回復の是非いまさらに論議しても---」。読売新聞コラム「共産党は好きでないが」と前置きして、「春日演説が暗黒政治と軍国主義の復活を推進することになりはしないか」と憂えた。

 1.30日、公明党・矢野書記長は、衆院予算委員会で、概要「かっての治安維持法のもとで特定の思想が不当な弾圧を受けた、こういういきさつがある。民主主義を正しく育てていくために、こういった問題を今後教訓にしていかなくてはならない。従って、国会の責任というものは、なぜこういう事件が起ったのか、その政治、社会的な背景を分析する無歴史の教訓として、冷静に、公正に、且つ客観的な事態の解明が必要である」と述べた。

 2.2日、社会党・成田委員長は、遊説先の佐賀市で記者会見し、「今国会は政策対決を通じて解散を勝ち取る場であるにも関わらず、戦前の治安維持法体制下でおきた問題を持ち出したのは遺憾だ。この問題を歴史的背景と切り離して取り上げることは正しくない。全野党共闘を実現するために共民両党の節度ある態度をのぞみたい」と述べた。

 この喧騒の最中の2.4日、ロッキード事件が勃発する。不思議なほどリンチ事件論争が沙汰止みとなりロッキード事件騒動へ移って行くことになり、以降この問題は不問のまま今日へと至っている。

【浜田幸一・衆院予算委員会委員長が、「戦前のリンチ事件」を取り上げて共産党攻撃】

 1988.2.7日、衆院予算委員会で、共産党の正森成二議員の質問中、浜田幸一委員長が割って入り、共産党議長宮本顕治氏を殺人者呼ばわりし紛糾した。これについては「補足・浜田幸一元自民党代議士の貴重な事件分析」で確認する。


【「戦前党中央委員小畑リンチ致死事件」に関する宮顕系日共見解について】

 「日本共産党の研究」の著者立花氏は、「この問題は党の側から自己切開するだけの勇気を持つべき」とコメントしているが、至当であろう。立花氏は、「昭和51年、文芸春秋新年特別号」で次のように述べている。

 「今のように、過敏症的にそれにふれまいとする態度で行く限り、いつまでたっても、この問題は宮本路線のアキレス腱となりつづけるだろう。この問題を歴史的文脈の中で自己切開しない限り、この事件は歴史的事件として終わらず、現在的事件であり続けるだろう、と思うからである」。

 この指摘も至当であろう。問題は、何故「自己切開」できないかにある。立花氏はこの辺りになると口ごもっている。日共は、次のような公式見解を述べている。

 1、「戦前党中央委員小畑リンチ致死事件」は、当時の党中央によるスパイ摘発事件であるとして次のように述べている。それにれんだいこの見解を対置させておく。

 「治安維持法のもとで、日本共産党を迫害するため特高警察はあらゆる卑劣な手段を弄したが、その一つとして重用したのがスパイ挑発者を党内に潜入させ」云々。
(私論.私見) (れんだいこ見解)
 つまり、被査問者小畑中央委員はスパイであったという前提で論を為している。しかし、小畑の方が真紅の党中央であり、宮顕側の方がスパイグループだとしたらどういうことになるのだろう。れんだいこはそれが真実であったと思っている。

 2005.5.12日 れんだいこ拝

 2、「戦前党中央委員小畑リンチ致死事件」に基づく首謀者の摘発は権力犯罪とでも云うべきものであったとして次のように述べている。それにれんだいこの見解を対置させておく。
 「反動的裁判所は、宮本同志らの反証を無視して不公正な審理によって、治安維持法にもとづいて重刑を科した。この裁判は幾重もの意味で権力犯罪というべきものであった」。
(私論.私見) (れんだいこ見解)
 宮顕の云うが如く小畑氏がスパイであったとするなら、その言い分も少しは認められよう。しかしそれにしても、小畑致死事件の経緯は解明されねばならない。それが近代的刑法の原則であろう。問題は、既述した様にヤラレタ小畑がスパイでなくやった方がスパイであったとしたらどうなるかである。れんだいこ見立てに拠れば、正真正銘のスパイグループであった宮顕側のまさに権力犯罪であるのに、当局の庇護の下に逃げ込んだ宮顕が権力犯罪として批判していることになる。二重三重に許し難いペテン論理を駆使していることになる。

 2005.5.12日 れんだいこ拝

 3、補足として、事件関係者の摘発と裁判が権力犯罪であるとする理由を次のように縷々述べている。それにれんだいこの見解を対置させておく。

 「第一の権力犯罪は日本共産党員であること自体を『犯罪』として死刑や無期懲役を含む重罰を科する治安維持法そのものであった。第二の権力犯罪は、特高警察がそのスパイ挑発政策をかくして、大泉、小畑の査問を『党内派閥の指導権争い』に仕立てようとしたことだった。第三の権力犯罪は、『査問即殺害』として『殺人』『殺人未遂』の罪をきせようとしたことだった。第四の権力犯罪は、『残虐なリンチ』を加えて小畑を死にいたらしめたという不当な『認定』を全く不公正な審理で、一方的にくだしたことだった」(1976.1.11〜16日付け赤旗での「反論を避けた『反論』」論文)。
(私論.私見) (れんだいこ見解)
 そこまで云うのなら、互いに精査しあおうか。

 2005.5.12日 れんだいこ拝

  4、戦後の「復権問題」について次のように述べている。それにれんだいこの見解を対置させておく。
 「考えても見よ。宮本同志を処断した治安維持法そのものが、ポツダム宣言受諾後の新情勢下で絶対主義的天皇制権力、軍部ファシズムの崩壊によって、撤廃され、その効力を失った。明治憲法の主権在君の法体系はくつがえされ、思想、言論、結社の自由をはじめ基本的人権を不可侵のものとして保障する法規範がうちたてられ、それは現行憲法にも一定の範囲で反映されたのである」(1976.1.11〜16日付け赤旗での「反論を避けた『反論』」論文)。
(私論.私見) (れんだいこ見解)
 「小畑中央委員リンチ致死事件」は、治安維持法のみならず一般刑法上の罪名を被っている。戦後になって撤廃されたのは治安維持法のみであろう。このあたりを巧妙に詐術しているが、それは素人騙しに過ぎない。

 2005.5.12日 れんだいこ拝

 以上から、次のような「共産党の癖の有る三段論法」が見えてくる。

1、彼はスパイであった。2、それは官憲の挑発であった。3、党は、緊急避難的正当防衛として査問したのであり正義の闘いであった。
1、小畑の致死は偶発的なものであった。2、裁判は暗黒であった。3、小畑の死亡状況は官憲のデッチ上げである。

 この論法の姑息さは、前提の「1」を変えていることにある。前提が正しからざれば、その結論はご都合主義のものになる。その幼稚な論法で何人騙せるか、問題はそこにある。恐ろしいことに、日共党中央は、「事件の解明にむかうことについて」次のように述べている。れんだいこの見解を対置させておく。
 「そのカバーに手をかけ内側を知ろうとする徒輩は、『犬』であり、『反響意識をとおして特高警察と治安維持法の是認、戦前の日本史全体の反動的肯定につながる逆コース思想以外の何ものでもなかろう」(「文化評論1976.4月臨時増刊号「犬は吠えても歴史は進む」)。
 「国会の場を利用して真相究明などと騒ぐ連中は『日本共産党や私自身に関することだけではなく、まさに日本の民主主義の根底への挑戦』であり、『こうしたことは国政調査権の許され難い乱用の試みであり、議会制民主主義の精神の破壊であり、三権分立の民主的基盤への露骨な挑戦であり、これを許すことは日本国民全体への大きな災害をもたらすことは必定です』」(1976.2.22日付け赤旗「宮本委員長へのインタビュー」)。
(私論.私見) (れんだいこ見解)
 何と、「そのカバーに手をかけ内側を知ろうとする」こと自体を露骨に牽制していることが判明する。つまり、事件の解明にむかう者は「権力の犬」であり「日本共産党に逆らう反動ども」であると云うのだ。「真相究明などと騒ぐ連中による国会質疑を許すことはは日本国民全体への大きな災害をもたらすことは必定」とまで云う。これは、戦前の非業時代の共産党が「国体の変革を狙う非国民」と罵詈された論理の裏返しである。それにしても、世界の左派政党で、かような言辞を弄ぶ党中央は他にも居るのであろうか、俄かには信じられない。

 2005.5.12日 れんだいこ拝




(私論.私見)