第五幕目、いよいよここから小畑死亡時の検証に入る。
ワンショット。袴田は次のように証言している。
概要「大泉の査問の途中、袴田と逸見が大泉の方に気を取られているうちに、初めはどこかへ寄り掛かりたいと云う風に身体を引きずるようにして移動させておった様子だったが気にも留めずおると云々」(袴田2回公判調書)。 |
「小畑は絶えず居座りながら動いて居たので、私はよく動く奴だと思いながら時々振り向いて同人の様子を見ておりました」(袴田12回調書)。 |
という具合に、小畑の身体の揺れと室内移動が始まっていた。後で分かることであるが、この時、小畑は指先で解いたのか査問用具が置かれていたところまでにじり寄って何らかの拍子に包丁を手に入れたのかどうかまでは判らないが、小畑は身をよじりながら手縄と腰縄をほどこうとしていたようである。
補足すれば、小畑に足縄手縄を解く器具を手渡した者がいるやも知れぬ。闇の部分であるが不自然な気がしない訳でもない。そのことはともかく、足縄手縄を解いた小畑は次第に窓際の方に寄りつき、逃げ出し格好を見せ始めていた。袴田は、次のように証言している。
「逃走の危険を感じ、彼を元の所へ引き戻そうとして立って行きますと、 後方から見たときは未だ手も足も縛られている様に見えておりましたが、側へ寄って見ると既に手も足も縛ってあったものを切り、頭から被せてあったオーバーもその上を巻いてあった紐を緩めてありました」(袴田12回調書)。 |
次のショット。いよいよここから小畑の急死事件が発生することになる。同時に小畑の無念の死が知らされることになろう。この時の様子について査問当事者が各々別々の様子を陳述しており一定しない。真相は「藪の中」に包まれている。最初に述べたように、私は次のように推論する。推論の根拠は、一定しない陳述の中で誰のそれが一番真実に近いものであるかをまず確定し、
そこから他の者の陳述を参考にしながら補足するという方法に従った。なぜなら、意識的に予審調書が混乱を招くようリードしている面も想定しうるので、眼光紙背に徹して読みとることが必要であるからである。
外が暗くなり始めていたので、この時午後4時頃であったとされている。袴田は次のように証言している。
「そこで私は、(逃走されては)大変だと思って(後方から)抱きしめるようにしてやにわに組み付き、座敷の中へ引き戻そうとすると、既に手足の自由になった小畑は私に(向き直って)自分から組み付いて来ると同時に『オー』と云う様な大声を張り上げました。そこで私もほとんど夢中で同人を引き戻し、略図のDの所へ一緒に倒れたのであります(袴田12回調書)。 |
つまり、逃げだそうと行動を起こした小畑に袴田が組み付いたところ、小畑は袴田に立ち向かいながら更に逃げ出そうとしたので、そうはさせじと袴田は取り押さえ二人は同時に倒れたということになる。小畑の最後の戦闘力であったが、いかんせん既に消耗著しい体力はそれを許さなかった。
次のショット。袴田は次のように証言している。
「その時私は仰向けに小畑は打ち伏して倒れたのでありますが、倒れた小畑の傍には逸見が座っており、またこの騒ぎに寝ていた宮本・
木島の両名が起きあがって来ました」(袴田3回公判調書)。 |
概要「私は、逸見に『しっかり押さえろ』と云ったのですが、その瞬間小畑が起きあがろうとしたので、木島はその両手で小畑の両足を掴んで又打ち伏せに倒し、宮本は、その片手で小畑の右腕を掴んで後ろへねじ上げ、その片膝を小畑の背中にかけて組み敷きました。逸見は、前から座っていた位置に倒れた拍子に小畑の頭が行ったので、その頭越しにすなわち小畑の頭に被せてあったオーバーの上から両手で小畑の喉を押さえて小畑が絶えず大声を張り上げて喚くので、その声を出させない為にその喉を締めました。その時私は、(起きあがり)小畑の腰のところを両手で押さえ付けていたのであります」
(袴田12回調書)。 |
「小畑は糞力を出して我々の押さえ付けている力を跳ね返そうとして極力努力したのであります」
(袴田12回調書)。 |
「かくして小畑を皆で押しつけている間、小畑は絶えず大声を発して怒鳴っておりました」(袴田2回公判調書)。 |
「最初私と一緒に同人が倒れた時同人の頭部が逸見の座っている前に行ったので、逸見は、片手で小畑の首筋を上から押さえ付けて片手で小畑の頭を振りながら『声を出すな、出すな』と云っておりました」(袴田2回公判調書)。 |
「しかし、小畑は大声を出し死力を尽くして抵抗し、我々が押さえ付けている手をはねのけ様としたが、我々もそれに対抗して全身の力で押さえ付けて居る中、小畑は『ウウ−ッ』と一声強くあげたと思うと急に静かになったのであります。かようにして小畑と我々とは互いに全力を尽くして争って居る中、小畑は最後に大声を一声上げると共に身体から力が抜けて終わったのです」(袴田2回公判調書)。 |
この点に関して、秋笹は次のように陳述している。
概要「小畑の声を止める為、逸見が柔道の手で小畑の喉を締めたが、逸見が一旦手を緩めたから『モットヤレ、ヤレ』とそそのかすと、逸見は夢中になって又締めたので遂に小畑は落ちてしまったと、袴田が秋笹に云ったことがある云々」(袴田3回公判調書)。 |
この陳述通りだとすると、袴田は自分の教唆責任を問われると思ってか、次のように反論している。
「私は逸見に『しっかり押さえろ』と云うと、逸見は俯向きになっている小畑の首筋を上から押さえ付けたのでありまして、決
して喉を閉めたのではありませぬ」(袴田3回公判調書)。 |
この袴田証言によると、引き倒された小畑に対しての取り押さえ側の位置は、袴田が主に腰と脚の部分を、逸見が頭と首ないし喉の部分を、木島は足の部分を、宮顕は右手を掴んでねじ上げつつ背中側から組み敷いていたということになる。なお、小畑の押さえ込みに加わった当事者の順序は、袴田→逸見→木島.宮顕となる。
ここで注意を要することは、これから見ていくことになるが、袴田以下各事件当事者の調書が、宮顕の取り押さえの様子と取り押さえに入った時期を廻って大きく食い違っていることである。ここを踏まえて読み進める必要がある。私は、用意周到意識的に混乱するように仕組まれていると推定している。
次のショット。袴田は次のように証言している。
「すると、喉をオーバーの上から締められたので苦しそうな声で呻いていた小畑が急に静かになりました。そこで皆が期せずして押さえ付けていた手を離し、極度の緊張が突然緩んだのでちょこっとの間ポカンとしておりました」(袴田12回調書)。 |
夢中になって小畑を押さえ付けていたみんなが気が付いた時には、小畑は身動きしなくなっていた。この騒ぎの最中、小畑が押さえ付けられてぐったりなった頃、押入に入れられていた熊沢がたまらず飛び降りてきた。袴田は、「お前の親父じゃないから心配するな」と云うと、熊沢は、「それは知っているわよ」と云った。袴田は、直ぐ再び押入の中に追いやった。
この経過は秋笹判決では次のように要領よく纏められている。
「たまたま小畑が同日午後一、二時頃隙を窺い逃走を企つるや、その場に居合わせた袴田、逸見、宮本及び木島の4名は相応じて共に小畑を組み伏せ、尚も大声を発し死力を尽くして抵抗する同人を一同にて押さえつけて、以てその逃走を防止せんとして互いに格闘し云々」(秋笹被告事件第二審判決文)。 |
ここのところの逸見の陳述は次のようになっている。
「自分と袴田の二人にて大泉の査問に取りかかりたるが、自分が夢中になって大泉の陳述を聞き居る時自分の横に居たる袴田が突然立ち上がり、後ろにいたる小畑の足に取りつき、その瞬間宮本は小畑のところに行き同人の背後より腕をねじ上げたり。
自分も驚きて後を見ると、小畑は三尺の壁のところより寄りかかる姿勢にて表通りに面する窓際より一尺くらい手前のところにおり、袴田は『この野郎逃げようとしたな』と云いつつ小畑の両足を押さえおりたり。そこで自分も小畑のところに行き、宮本の横側より小畑の肩を押さえつけ、宮本と袴田に向かい『早く縛れ』と申したるも両名とも縛る様子はなかりき」(逸見調書)。 |
「宮本が小畑の手をねじ上げるや小畑は倒れて長く延びたるが非常な力にて抵抗し大声を発しおりたり。その時木島は行火の所より跳ね起き、小畑の頸のところを押さえつけたり。宮本が小畑の腕をねじ上げるに従い小畑の体は俯向きとなり『ウーウー』と外部に聞こえる如き声を発した故、自分は外套を同人の頭に掛けようとしていると、小畑は『オウ』と吠える如き声を立て全身に力を入れて反身になる様な格好をし直ぐグッタリとなりたり。自分が小畑の逃走せんとするを認めてより同人がグッタリする迄はわずか5分間あるいはそれ以内の短時間なりき」(逸見調書)。 |
ここは暫くの沈黙を要する。逸見のこの言いによれば、「宮本と袴田に向かい
『早く縛れ』と申したるも両名とも縛る様子はなかりき」のまま4名でよってたかって押さえつけていったということである。どういう意味になるのかお互いよく考えてみよう。急なことで冷静さを失っていたにせよ、既に押さえ込みは完了しているのであり、更に圧迫を加える必然性がどこにあったのか。突発性で思わず本音通りの行動へ宮顕と袴田を誘導したのではなかったのか、と私は見る。
なお、この逸見証言によると、引き倒された小畑に対しての取り押さえ側の位置は、袴田が両足に取り付き、逸見が横から肩の部分を、木島は頸の部分を、宮顕は同人の背後より腕をねじ上げたていたということになる。袴田証言との食い違いはあるが、宮顕の位置と行為については変わらない。なお、小畑の押さえ込みに加わった当事者の順序は、袴田→宮顕→逸見→木島となる。袴田証言に比べて宮顕の関与の時期が相当早いということになる。
ここのところの木島の陳述は次のようになっている。
「自分は行火に入りて 寝ておりたるところ、自分の足を誰かがつついたる如き感がして目をさまし見たるに、小畑の頭部の方に宮本が半腰になって丁度同人の股の下に小畑の頭部が入るような格好をして両手で小畑の首の辺りを押さえており、又袴田は、小畑の右側に居て同人の体を押さえ、逸見は、小畑の左側に居て同人の体を押さえおりたり。小畑は言葉では表現できない様な苦しそうな聞く者にとっては不気味な声を立てておりたり。右の如き有様にて自分は小畑の断末魔の悲鳴や宮本らの緊張したる様子により宮本等は小畑を殺すのではないかと関知したるを以て、皆に『どうしたのですか』と聞きたるところ、袴田が『この野郎逃げようとしやがった』と云いたるより自分も一緒になって小畑の体を押さえ付け『黙れ黙れ』と申しおりたるに、小畑は前述した様な不気味な悲鳴を立てなくなってしまいたるにより同人の死亡したることを皆が直感し顔を見合わせいたるところへ秋笹が階下より上がり来たりたり云々」(木島調書)。 |
この陳述も 貴重である。木島の「皆に『どうしたのですか』と聞きたるところ、袴田が『この野郎逃げようとしやがった』と云いたる」という状況からすればかなり間延びした時間があったことになる。小畑は一挙に圧死されたのではなく、4名の再確認の元に引き続き押さえ込まれることにより気絶させられていったのではないのかということになる。もっとも気絶ではなく致死に至らしめられたのではあるが。
この木島証言によると、引き倒された小畑に対しての取り押さえ側の位置は、袴田が小畑の右側にいて同人の体を押さえ、逸見は小畑の左側にいて同人の体を押さえ、木島も一緒になって小畑の体を押さえ付け、宮顕は半腰になって丁度同人の股の下に小畑の頭部が入るような格好をして両手で小畑の首の辺りを押さえていたということになる。袴田証言、逸見証言との食い違いはあるが、宮顕の位置と行為については変わらない。なお、小畑の押さえ込みに加わった当事者の順序は、袴田.宮顕.逸見→木島となる。最後に加わったのが木島である点で逸見証言と一致している。
以上から推測できることは、袴田証言が宮顕と木島の関与を入れ替えており、木島の関与を早くすることによって宮顕が袴田に続いて他の者よりいち早く押さえ込んでいたという事実を隠蔽しようとしているのではないか、と推定し得る。
ここのところについて、1978年(昭和53年)に至って除名された袴田が、事件後45年目に してその手記(「週刊新潮」78年2.2日号)の中で、次のように新証言をしている。
「私はこれまで、45年前のこの不幸な事件で宮本が犯した大きな誤りについて、誰にも話したことはない。それは私が口を開くことによって、万が一にも宮本の立場を悪いものにしてはならないと配慮したからだ」。 |
「生涯を通じて、これだけは云うまいと思い続けてきた」事実を明らかにする」。 |
「宮本は、右ひざをうつ伏せになった小畑の背中に乗せ、彼自身のかなり重い全体重をかけた。さらに宮本は、両手で小畑の右腕を力いっぱいねじ上げた。ねじ上げたといっても、それは尋常ではなかった。小畑の体を全体重をかけて右ひざで押さえているのに、その肩の線とほぼ平行になるまで彼の右腕をねじ上げ、かつ押さえたのだ。苦しむ小畑は、終始大声を上げていたが、宮本は、手をゆるめなかった。しかも、小畑の右腕をねじ上げれば上げるほど、宮本の全体重を乗せた右膝が小畑の背中をますます圧迫した。やがて『ウォ−』という小畑の断末魔の叫び声が上がった。小畑は宮本の締め上げに息が詰まり、遂に耐え得なくなったのである。小畑はグッタリとしてしまった」。 |
「私は今まで、特高警察に対しても、予審廷においても、あるいは公判廷でも、自分の書いたものの中でも、この真実から何とか宮本を救おうと、いろいろな言い方をしてきた。この問題で宮本を助けるのが、あたかも私の使命であるかのように私は真実を口にしなかった。その結果、私も宮本も殺人罪には問われずに済んだのだ」。 |
ここは暫し黙そう。袴田は、概要「宮本を救おうと、いろいろな言い方をしてきた。私は真実を口にしなかった」と云っている。このセンテンスで、この時の調書では小畑死亡時の宮顕関与の曖昧化と関与順序の偽証が為されているのではなかろうか。
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