| 第6部 | 査問事件4、その後の党中央奪権謀議 |

(最新見直し2011.01.07日)
| 投稿 | 題名 |
| その後の党中央奪権謀議 | |
| 小畑の死体処理 | |
| 大泉の措置 |
| 【その後の党中央奪権謀議】 | ||
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次のショット。ここに驚嘆すべきことが語られている。暫く失語させられてしまうが語らねばならない。この後中央委員会の構成につき協議し、宮顕・逸見・ 袴田・秋笹の職務分担を取り決めた。袴田が次のように証言している。
恐るべきことのように思われるが、小畑の死体が放置されたその場(当の部屋か階下の食堂でかは陳述が分かれているが)で、宮顕と逸見の協議により、袴田と秋笹が中央委員に、木島の中央委員候補が平然と決議され、宮顕の口から任命されたと云う。「君達を中央委員にすることにした。これから4人が、党のすべてのことに責任を持つ」と宮顕が言い渡したことを見れば、この瞬間から宮顕が党を取り仕切ることになった様が見て取れよう。
会議を終えたところで木島が呼ばれ、大泉の監視役をすること、これから党の清掃を従来に倍して行う必要があるから下部党員の経歴書を至急取ることなどが宮顕から命ぜられたと云う。ここは注意を要するところである。この後宮顕は検挙されることになるが、既にこの時いくつかの方針を指令していることがこの文中から窺えることである。その一つは、大泉の監視。その一つは、党の清掃事業としてのリ
ンチ査問の強化。その一つは、追って判ることになるが、リンチ査問者の対象として全協及び党内に残存する戦闘的活動家をタ−ゲットとしての指令。その一つは、下部党員の経歴書提出である(この経歴書提出の不当性はこの後の稿で明らかにしようと思っている)。 |
| 【小畑の死体処理】 | ||||||
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次のショット。結局、秋笹が小畑の死体の処置を引き受けるようになった。秋笹が次のように証言している。
ここの部分は、立花氏の「日本共産党の研究.110P」では次のように書かれている。
こうして小畑の死体は25日の明け方頃秋笹と木島の手で床下に穴埋めにされた。その様子は大泉の16回調書中にても明らかにされているが割愛する。袴田は次のように証言している。
立花氏は、「日本共産党の研究三.111P」に次のように記している。
ここの部分も注意を要する。「査問事件」における暴力はなかった説を主張する輩は、事件の物証としての「出刃包丁、斧など」が見あたらないとしきりに主張しているが、この文中において「風呂敷に纏め、後に木島が下部党員に処分を依頼した」とあるのをどう読みとるのであろうか、是非聞きたいところだ。立花氏の研究は「犬の吠え」であるから根拠がないとでも言うのであろうか。もう一つ、家宅捜査が入っ
たのは事件発生後二十日以上経過した後のことである。事件関係者が「出刃包丁、斧など」を始末したことを推測するのに何の不思議があるだろう。この「出刃包丁、斧などが見当たらなかったので暴力はなかった」論法で行けば、スコップもなかったので小畑は床下に埋められていなかったとでも云うのだろうか。
但し、袴田同様に 「(死体埋蔵に関しての)特段の指示はしていない」と主張しており、「なお、宮本は、後に裁判で死体遺棄の共謀正犯に問われると、自分は小畑の死体には全く関係がなく、あれは秋笹、木島が勝手にやったことだとの主張を続けて今日に至っている」(「日本共産党の研究三.111P」)。
これではまるで「空中浮揚氏」の言いぐさそのものではないか。もっとも年代的に見て空中氏の方が真似てるということにはなるが。 |
| 【大泉の措置】 | |||||||||||
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第六幕目のワンショット。何となく査問の打ち切り模様になった。袴田は次のように証言している。
この「ホットした気分」の考察に注意を要する。今回の査問の主目的が小畑の査問であり、大泉は刺身のつまのようなものであったことを証左しているのではなかろうか。そういうセンテンスでここを読みとる必要がある。単に小畑の死亡により当惑したというのではなく、「とうとうヤッテシマッタ」という気分があふれている雰囲気を読みとる方が正確と思われる。
次のショット。上述で査問会が打ち切られ模様になったことを述べたがその前後のどの時点かが特定できないが、大泉の措置が次のように為されている。小畑の死亡が確認された後、大泉が査問されることになった。袴田は次のように証言している。
この時、「その目の前で宮本が小畑の死体を足で蹴ったら『ウウウと微かな声を立てた』といっておりますが、 之も言語道断のデタラメであります」(袴田18回調書)という陳述が為されている。大泉調書では、「宮本がその時私に『貴様は幸福なのだ見ろ』と云って其処に長くなっていた小畑を蹴ると、『ウーン』と幽かな声を立てました」(大泉16回調書)と述べていることに照応している。真相は判らない。宮顕はそこまでやるのかという思いもある。
私は、大泉のこの陳述はこれでも随分控えめに言っているようにさえ受け止めている。
読んで分かるように、得々として査問側のお代官的お情けを饒舌しているが、いかに凄惨な査問であったかが自ずと知れるという辻褄になっている。
この陳述で注意を要するのは、「少なくとも一週間くらい拘禁する必要を感じていた」という部分である。少なくとも一週間飲ませず食わせずしたら一体どうなるのだろう。恐らく、小畑は少し触れられただけでホ
ントに「異常体質性ショック死」で自死したことであろう。どうやら宮顕−袴田ラインは直接的暴力の加圧によらず自死することを願っていたのではなかろうか、と思われる。従って、小畑の逃亡行為はそのシナリオを察知した奇しくも偶然な氏の最後の革命精神の発揮であったということになるであろう。
この時かそれ以前かこの後の中央委員昇格決議の後のことか不明であるが、袴田自身が、「死体を埋める為に床下を見ようと思って階下に降り、8畳の間の畳を1枚か2枚上げた事は事実であります」(袴田12回調書)と陳述している。袴田のこの時の動きが袴田らしい。一階の畳を取り外して床下を覗く行為をしているが、特段の指示はしていない。
ここの部分につき、逸見第19回予審調書では次のように供述されている。
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(私論.私見)