ここまで、筆者なりの戦後学生運動史を検証してきた。印象として、戦前も戦後のそれも、いろんな要因があるだろうが総じて自滅したと云う感慨が湧く。ここら辺りで、戦後学生運動史検証の纏めとして処方箋を提示しようと思う。これを仮に「れんだいこ提言」と命名する。理論は理論として止まるべきではなく、実践を生まねばならないと思うからである。付言すれば、理論が理論として止まるほうが良い場合は、理論が拙い場合に於いてである。(全貌はまだ分からないが)オウム真理教の例の如く半端理論のまま先走って実践処方箋を出せばろくなことにならないのは自明であろう。この場合に限って理論は理論に止めておくのが賢明であろう。理論訂正の為の処方箋が出されて後に実践に入るのが良かろう。
既に指摘したが、我々はまず第一に「汝自身を知らねばならない」。日本左派運動が歴史的に位置している足下を正しく知り、旧の中から受け継ぐべきものを受け継ぎ、新たなる創造と発展を期さねばならない。その為に「何を分別すべきか。為すべきか、為さざるべきか」、これを問うのが肝心である。この水路からのみ正しい処方箋が生まれるのではなかろうか。
そういう思いから以下、数々の提言をしていくこととする。いずれも、もつれにもつれた糸を解きほぐし、どう再出発すべきかの観点からの処方箋である。この観点抜きの絡まったままの左派運動はいずれ歴史博物館の標本にはなるだろうが、実践的には下降線を辿る以外になかろう。
「れんだいこの日本左派運動に対する提言」は、次の諸内容で構成される。
2008.1.13日、2008.9.16日再編集 れんだいこ拝 |