命題3  ネオシオニズムに対するそもそもの無知から出藍せよ

Re:れんだいこのカンテラ時評306 れんだいこ 2007/06/23
 【日本左派運動の致命的誤り考】

 筆者は、学生運動も含め日本左派運動の致命的な誤りに気づいている。今日かっての隆盛に比して落ちるところまで落ちた感のある日本左派運動であるが、この致命的な誤りに気づかない以上は仕方ない、否むしろ日本左派運動が下手に革命に成功しなくて良かったと思っている。以下、なぜ革命が起きなかった方が良かったのかにつき記しておく。

 こういう場合はいきなり結論を書いた方がよい。日本左派運動の致命的な誤りは、西欧史の、今日では世界史の真の抗争軸に無知過ぎることにある。真の抗争軸は経文的な階級闘争にあるのではない。それははるか長期の視野に立てばそうであるかのように概括できるというだけで、実践的には殆ど何の意味もない。

 眼前の喫急焦眉の真の闘争は、ユダ邪的ネオシオニズムと諸々の在地権力の、植民地化されるか主権を維持するかの闘争である。日本左派運動はこのことを全く認識できていない。日本左派運動はこれまでも今も、歴史上もっとも危険、悪質、残虐、非道なネオシオニズムに対して何の見識も持ち合わせていないという無防備な状態にある。ネオシオニズムとの闘争の重大性に比較すれば国内的な利害闘争は従たるものでしかない。

 筆者がなぜこのことを訴えるかというと、ここを理解しないと、現下の政治闘争、経済闘争、文化闘争の抗争軸がみえてこないからである。抗争軸の見えていない中で正義運動してみても足元をすくわれてしまう。それは悲劇であり喜劇になる。今我々が闘う対象は、ネオシオニズムの日本溶解政治に対してであり、日本植民地化に対してであり、日本傭兵化に対してである。これらは皆なネオシオニズムが意図的に策動しているところのものであり、我々は己を知り敵を知り正しく対処せねばならない。改憲は当然この狙いから導かれているものである。

 ところで、ネオシオニズムというのは筆者の造語である。世上のネオ云々用語に模して使っている。ネオシオニズムをより正確に規定すると、18世紀後半にロスチャイルド1世の秘密講義録を元にして作られた「シオン長老議定書」マニュフェストに基づくユダヤ教現代パリサイ派即ちロスチャイルド派の世界支配運動であり、それはサタニズムとシオニズム運動を特質とするということになる。

 世上では、陰謀主義についてマキャベリズム、ユダヤ人迫害及び世界征服思想についてナチズム、強権的統制的大衆運動についてファシズムをもって代名詞としており、左派圏内では議論の余地なく悪いものである。が、筆者の見るところ、ネオシオニズムこそ史上のあらゆる悪行の本家本元であり源泉であるように見える。これらの悪行は全てネオシオニズムの内に胚胎しており、現に今もなお至るところで確認することができる。彼らは、陰謀、金融支配、テロリズム、暗殺、拷問、虐待、差別、収奪、奴隷、規制等々あらゆる手段を駆使しており、自己に都合のよいような動乱、革命を引き起こし、反対の場合には情け容赦ない強権弾圧をお見舞いしている。

 にも拘らず、世上ではネオシオニズム批判を声高にせず、マキャベリズム、ナチズム、ファシズム、スターリニズム、テロリズムその他その他を造語してそれの批判に向かっている。私には安逸なように見える。なぜこういうことが起こるのかと云うと、現代世界を牛耳っているのがネオシオニズムであり、彼らが情報コントロールしているせいである。その為に彼らはメディア戦略を重視する。今ではいわゆる先進国のメディアは総じて彼らの支配下にあり、彼らが欲することは大々的に喧伝し、批判し、不都合なことは隠蔽する。最近の松岡農相変死事件の自殺認定、事件隠しはこれの為せる技であろう。恐らく不都合な何かがあった筈だ。

 日本左派運動は、世界の左派運動も含めて、このネオシオニズムのコントロール下にある。日本左派運動が、明治民権運動の頓挫以来乗り換えたマルキシズムにしても、ネオシオニズムのコントロール下で創造され運動展開されてきた気配が認められる。日本左派運動は、このことを知らなさ過ぎる。敢えて云えば、マルキシズムは、ネオシオニズム左派のようなもので、ネオコンは逆にネオシオニズム右派に位置する。マルキシズムとネオコンは左派右派の違いがあるが同じ土俵に乗っている。

 マルクス自身がこのことをどこまで承知していたのかは分からない。但し、かの階級闘争論、史的唯物論のものの見方考え方は明らかにネオシオニズム源流のパリサイ派のものであり、その観点から近代的諸科学の成果を吸収して理論化したものである。違いを見つけるとすれば、パリサイ派のそれがユダ邪教的選民主義に立脚しているのに対し、マルクスのそれはその狭い枠組みから抜け出ようとしていることにある。しかし、マルクスは、実践局面に入ると露骨にセクト主義に陥ったし、排他独善的であった。我々はそろそろこういうことを客観相対化せねばならないだろう。

 そういう目で見ると、マルキシズムの国際主義が、ネオシオニズムの「シオン長老議定書」マニュフェストに基づくワン・ワールド思想に帰一していることに気づかされる。マルキシズム国際主義インターナショナリズムは、コミンテルン、コミンフォルムを生み出したが、盟主ソ連に拝跪する統制運動に堕し、それは各国各地の在地主義的左派運動の創出と発展に重大な損失を与えた。

 我々は未だその被害を直視し得ていない。つまり、西欧被れから抜け出ていないように見える。「西欧被れ」批判は、西欧に通暁することを否定しているのではない。西欧に大いに通暁すべし、されども西欧の価値基準を良しとする勿れという意味である。ちなみに、この場合の西欧とは、ユダ邪的という意味で使っている。今日今なおこの「西欧被れ」から抜け出ていないように思われる。というか現代パリサイ派の思惟様式がますます汚染しつつあるというべきか。なぜこれを発信するのか。我々の闘う真の敵を見定めたい為である。ここが疎かにされていると思うからである。とりあえず以上このことを発信しておく。

 2007.6.23日 れんだいこ拝

【そもそもの誤謬としてのネオシオニズムに対する無知】
 (はじめに)

 「ネオシオニズムに対するそもそもの無知から出藍せよ」を提言2とする。この観点は、筆者がインターネットに登場して以降に獲得したものであり、比較的新しい。主として太田龍・氏の見解から学んでおり、なるほどと思うので提言しておくことにする。太田氏は、この問題を左派出自の者から捉え紹介した最初の偉人である。太田氏は当初スターリニズムと対抗したトロツキズムをこれこそ純正マルキシズムとして称揚した。しかし、トロツキズムに認められるネオシオニズム性に気づき、遂に自己否定するに至った。この間の太田氏の理論的営為の苦闘は高く評価されるべきであろう。

 2009.5.19日、太田氏は、腹膜炎のため急逝した(享年78歳)。太田氏の逝去により、日本におけるネオシオニズム研究の背丈が格段と低いものにならざるを得なくなった。それを思えば痛恨事である。筆者は生前一度お会いしたきりになってしまったが、その時の印象は履歴から想像される闘志風ではなく学者然としており、否学者でもない寧ろ思想家としての風貌を湛(たた)えていた。本書を大田龍・氏の霊前に捧げたい。如何に評してくださるのであろうか。今や聞くすべがない。 

 筆者が太田氏から得たのは、国際金融資本の裏政府的世界支配論である。未だに識者の多くは、この見立てを陰謀論として却下している。筆者は、これを真実とみなし、社会科学用語で「国際金融資本帝国主義ネオシオニズム」(略して「ネオシオニズム」)と命名している。実体権力を国際金融資本、その政体をロスチャイルド派帝国主義、彼らの支配を支えるイデオロギーをネオシオニズム、その系譜をユダヤ教パリサイ派、その表出権力を米英ユ同盟とみなしている。この辺りになると、太田氏の見解とどこまで一致するのか分からない。そういう意味で、筆者なりの咀嚼の産物であることをお断りしておく。以下、論証する。詳論はサイト「ユダヤ主義考」所収の「ネオシオニズム考」、「ネオシオニズム系組織及び機関考」に記す。
 学生運動史第一期の考察が格別重要なのは、この時期に戦後学生運動のレールが敷かれたことによる。第一期以降は、このレール上の試行錯誤、時に発展、時に衰退、時に分裂と云う様々な局面を見せる。これを詳細に追うのも一理あるが、筆者はレールを敷き変えようとしているので、時々の重要事件は当然として、レール替えに関係する事象に留意しながら情報を選択して行くことにする。それでは、この時期のレールとはどのようなものであったのか。当時では見えず、60数年後の今日2008年時点から見えて来たことを確認しておく。次のように云えるのではなかろうか。
 「レーニズム式帝国主義論を捨て国際金融資本帝国主義ネオシオニズム論を構築せよ」。これを「提言2の1」とする。

 日本左派運動の教条は、近現代史の抗争軸を帝国主義論で読み解く。いわゆるレーニズム式帝国主義論は、各国ごとの帝国主義を論(あげつら)い、不均等発展に於ける新旧帝国主義の覇権争いの動きを分析しているが、金科玉条とすべき見立てなのだろうか。太田龍的裏政府論即ち陰謀論の登場は、帝国主義論への固執に代わる知見であるように思われる。しかし、そう見立てる者は少ない。

 近現代史の特徴は、西欧世界に於けるネオシオニズムの台頭と共に彼らに世界が操られ、呑み込まれて行ったところにあると窺うべきではなかろうか。マルクス的資本主義論、レーニン的帝国主義論は、ネオシオニズムのの実態をそれとして見据えずず、むしろ隠蔽する煙幕的役割を果たしているのではなかろうか。マルクス主義を墨守するのではなくむしろ総検証が促されている所以である。そういう意味で、我々がマルクス的資本主義論、レーニン的帝国主義論を読み込む場合、資本主義、帝国主義とあるところを忽ちはネオシオニズムと置き換えて読むのが正しいとすべきであろう。
 「イエスがなぜ処刑されたのか。イエスの御教えとパリサイ派教学の絶対的二項対立を知れ」。これを「提言2の2」とする。

 ところで、ネオシオニズムというのは筆者の造語である。世上のネオ云々用語に模して使っている。ネオシオニズムは、史上のユダヤ教パリサイ派へとさかのぼる。彼らの歴史は悠久であり、フリーメーソン暦では西暦2009年は6009年になると云う。つまり、紀元前4千年前即ち6千年にわたる歴史を持っていることになる。連中はかくも長期間悪事を働き続けていることになる。彼らは、紀元前後のイエス教の発祥時、イエスが最も激しく論難したことで知られている。「イエスの御教えとパリサイ派教学の絶対的二項対立」を読み解かなければ、思想史の本質が見えてこない。

 イエスの教えるところ、パリサイ派の思想とは、神の御名を唱えて神を冒涜し、祭壇をマーモン(金権)で汚し、「金力こそ真の権力」とばかりに蓄財に励み、よろづに於いて慈悲を排斥し、行く手を遮る者には徹底報復あるのみを良しとするするサタニズム思想に犯されたもう一つの原理主義信仰であった。精緻な学的体系と伽藍を構築している故に手強く、イエスが不退転の決意で挑まねばならない難敵であった。イエスは、最後まで論難し続け、我が率先すると云うメッセージを残して刑場に赴(おもむ)き、磔にされている。これについて詳論はサイト「イエス教」に記す。
 
 磔刑に処せられたイエスの言行録はイエス教として確立されるべきであった。ところが史実は、ユダヤ教学に深く汚染された福音者によりイエスの言行を散りばめてはいるがイエスの御教えとは別系の教義として編纂され、キリスト教として継承されて行くことになった。キリスト教は、イエス教をユダヤ教の再臨思想をベースに焼き直したもので、「イエスの御教えとパリサイ派教学の絶対的二項対立」を曖昧糊塗させた折衷宗教でしかない。キリスト教の不正がここに認められる。このことを確認しないと有益なキリスト教論にはならない。

 昨今の原理主義キリスト教なるものは、より一層ユダや教ナイズ化されたキリスト教方向のものであり、そもそも胡散臭い。本来の方向はイエス教の再興であるところの逆方向すり替えでしかない。原理主義キリスト教なるもののイカガワシサはここに淵源がある。かく確認しておく必要がある。
 「ユダヤ教内パリサイ派のサタニズムとは何か」。これを「提言2の3」とする。

 イエス在世前後のユダヤ教勢力は、パレスチナの地に住み、信仰に於いても政治に於いても各派に分裂対立しており、内部抗争に明け暮れていた。かってのユダヤ王国は外敵と内部溶解により崩壊しており、その末裔としてローマ帝国の支配下にあった。当時のユダヤ教徒は、この惨状に対して、如何にしてユダヤ王国を再興するのかが関心事であった。この過程で原理主義的急進主義派としてのパリサイ派が台頭し、凄惨な内部抗争を経つつ、時機を見て幾度もローマ帝国に反乱し続けたが最終的に敗北する。その過程での悪知恵と残虐非道、執念に手を焼いたローマ帝国は遂に、エルサレムの地からの所払いを命ずる。

 これにより、ユダヤ教勢力は世界中へ離散し、キリスト教国化した各国の社会の一隅で非融和的社会を形成し生息した。後にこれがゲットーと云われることになるが、ゲットー的生息は単に弾圧された姿ではなく、好んでそうすることにより独特の宗派生活を維持し得たという事情も絡んでいる。この間、パリサイ派は、いわゆる旧教に代わるタルムードなるユダヤ教の手引き教義を生みだしている。中身が公開されていないが、筆者の知るところ世界に類例のない悪徳本となっている。この時期、ユダヤ教勢力は結果的にいわば雌伏した。この期間を、彼らの世界史では中世と云う。

 彼らは、モンゴルの東欧席巻、十字軍戦争を経てルネサンス時代になって漸く出番を迎える。これらの世界史的事変の背景にユダヤ教勢力の暗躍が認められるが、ここではこれに言及しない。いずれにせよ、ユダヤ教勢力は、16世紀頃より以降急速に社会進出を成し遂げて行くことになる。ルネサンスと共に始まった産業革命の果実を資本主義的に利用することで富を一挙に膨らませて行く。この頃、公民権獲得運動に乗り出し、その間営々と勢力を扶植し、その後世界中に国際的シンジケートを張り巡らしつつはるけき今日へと至っている。彼らは伝統的に表に出るよりは裏から各国政府を操り世界を靡(なび)かせるという政治手法を特技としており、そういう必要から秘密と陰謀を好み、時代に合わせて数々の秘密結社を創設している。

 彼らの思想及び哲学には、ヤルかヤラレルか、ヤルなら徹底的にヤルしかない。手加減や手打ちそのものが悪徳とされている。ここが異常なところである。共生思想と最も無縁なところで思想形成しているのがネオシオニズムの特徴である。彼らは、そういう風に思想形成しているからしてヤラレない為の秘術と万策を尽くし、陰謀、金融支配、テロリズム、暗殺、拷問、虐待、差別、収奪、奴隷、規制等々あらゆる手段を駆使する。

 その精神にあるのは、手前達は神に選ばれた選民であり、その他の民族は畜生類のゴイム賎民に過ぎない、ゴイムを家畜化しようが煮て食おうが焼こうが、それは神との契約で負託されたユダヤ人の自由であり権利であるとする手前勝手な思想である。故に彼らは、自己に都合のよいような動乱、革命を引き起こし、傀儡政権を後押しし、抵抗する者には何のためらいもなく確信的に「ゴイム屠殺論」に基き情け容赦ない強権弾圧をお見舞いすることができる。

 史上の諸民族の中で、正義の美名の下で確信犯的にかくも残虐非道を為し得るのは彼ら以外には認められない。ウソと思うなら、現下のパレスチナ難民、特にガザの悲劇を見よ。ネオシオニズムのらしさが如何なく発揮されている紛争地域である。とくと見よ。彼らは、世界に向けては国際法なるものを構築し、その基準を説教し押し付けるが、他方で手前達はフリーハンドという得手勝手な法理論に耽っている。これにより悪業の限りの残虐非道を為し得ている。

 この観点から、イスラエルの蛮行を凝視せねばなるまいに批判の声が弱々しい。宗教者、人道博愛主義者は世界に数多く居るが、見てみないふりをしている。とんだエセヒューマニストと云うべきではなかろうか。ネオシオニストの蛮行を咎められない国連なるものの正体を見抜くべきではなかろうか。
 「パリサイ派の近代的ネオシオニズム教典『シオン長老の議定書』に着目せよ。その戦略戦術を知らねばならない」。これを「提言2の4」とする。詳論は「シオン長老議定書考」に記す。

 近現代史を貫く真の革命勢力は、いわゆる国際金融資本帝国主義である。この勢力が1770年代に「シオン長老の議定書」に結実するネオシオニズムに基く世界支配戦略をマニュフェストして以来、世界各国は国際金融資本帝国主義に襲われるばかりの子羊と化した。この観点は現在、現代日本白眉の思想家と評されるに相応しい太田龍/氏の諸言説に結節している。筆者は、氏の観点を受け入れる。詳細は「シオンの議定書考」に記す。  

 彼らが、「シオン長老の議定書」でマニュフェストした如くに世界を操り始めている。しかしてその首領はロスチャイルドであり、その財閥及びその系譜の者達である。そういう意味で、「シオン長老の議定書」の持つ意味は大きく、これを露見させたのは世界史的事件と云うことになろう。その「シオン長老の議定書」を偽書扱いする一群のサヨイストが居る。これと対決する以外には左派運動の真っ当な進展はなかろう。

 ロスチャイルドの正体は何か。それは、史上のユダヤ教パリサイ派へとさかのぼる。思えば彼らの歴史は悠久であり、フリーメーソン暦では西暦2008年は6008年になると云う。つまり、紀元前4千年前からの歴史を持っている。彼らは、紀元前後のイエス教の発祥時、イエスが最も激しく論難したことで知られている。イエスの教えるところ、それほど手強く、そうであろうとも磔にされるまで挑まねばならない相手であった。イエスは我が率先すると云うメッセージを残して刑場に赴(おもむ)いている。

 彼らは、ローマ帝国に幾度も戦争を挑み最終的に敗北する。以来、エルサレムの地から所払いされ、以来世界中へ離散し、中世期にはキリスト教化国家権力のクビキの下で社会の一隅でのゲットー生息を余儀なくされ、いわば雌伏した。この期間を、彼らの世界史では中世と云う。

 彼らは、十字軍戦争を経てルネサンス時代になって漸く出番を迎える。以降急速に社会進出を成し遂げ、産業革命の果実を資本主義的に利用することで一挙に富を膨らませた。公民権獲得運動に乗り出し、その間営々と勢力を扶植し、その後世界中に国際的シンジケートを張り巡らしつつはるけき今日へと至っている。彼らは秘密結社を好み、表に出るよりは裏から各国政府を操り世界を靡(なび)かせている。

 この連中が国際金融資本帝国主義を形成する。この連中がそもそも資本制を導入し、西欧世界を席巻し始める。彼らの社会的台頭には多少は正の面もあった。特に初期の頃は、ゲットーからの解放理論が市民化論と結びつき、市民革命を領導したことにより、社会的ルネサンスを切り開いた面がある。この場合、ルネサンスを「自由、自主、自律」の息吹を社会全般に攪拌するイデーという意味で使っている。近代の入り口に当たって、このイデーは確かに進歩的役割を果たした。

 しかし、その彼らが勢力伸張させ、次第に彼らが住み着くところのそれぞれの国家の裏の支配者となって君臨し始めるや、彼らはルネサンス的イデーをかなぐり捨て、元々からの独特の選良主義的宗教観、世界観、社会観、処世観に則り社会操作をし始め、市民革命の抑圧に転じて自己否定し始め、果てしなき資本増殖主義、ルネサンス精神及び民主主義の形骸化、所得格差、それによる貧富社会の招来、強権政治、地球環境破壊をもたらし、社会を奇形化させてきている、のではなかろうか。この流れが今日へと至っている。

 その頭目が初代ロスチャイルド派であり、彼の子息をして西欧要衝各国に配置する等アミーバ状に触手を伸ばした結果、それらの国は西欧列強に仕立て上げられ、覇を競って世界の植民地化に乗り出すことになった。彼らは、狙いを定めた当該国の権力機構即ち政・官・財・学・報・司、警、軍の八者機関を右から篭絡する。同時に国債を発行させ慢性赤字状態にしてつけ込み、財政的にコントロールする。他方で、反国家、反権力運動を支援し左から揺さぶる。その反国家、反権力運動はネオシオニズム特有の二枚舌的無国籍型の国際主義運動に統制される。

 国内では内乱と革命、懐柔、国外では略奪と戦争の時代を創り上げる。その度に黄金金貨の山を築いたのではなかったか。これらを極力目立たぬよう即ち陰謀主義的に遂行する。陰に陽の秘密結社が生まれる所以がここにある。これが、国際金融資本帝国主義の世界支配方程式である。近代から現代に至る過程はこのように捉えなければ真相が見えてこないのではないのか。  

 彼らは、この戦略に立ち塞がる各国王朝を順次崩壊させ、最後まで頑強に抵抗したロシアのロマノフ王朝を解体しソ連邦を創出した。ソ連邦創出以降、世界は資本主義対社会主義がせめぎ合う体制間冷戦時代に突入した。この間、内乱と革命と戦争が絶え間なく、そのたびに世界は国際金融資本帝国主義に利する時代へと変容していくことになった。

 日露戦争がこれに利用されたと云う意味で、日本はこの流れと無縁ではない。むしろ駒として利用され続けられ、大東亜戦争まで誘導されるところとなった。この観点から見れば、そもそも幕末維新、明治維新、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦、シベリア出兵、第二次世界大戦へと至る経緯そのものが怪しい。

 筆者が思うに、これは歴史的必然的な発展行程ではない。明らかに、彼らが信奉するユダヤ教パリサイ派の、その教義にも両面ある内のより悪しき面に依拠した哲学、思想、宗教、文化からもたらされるタルムード的社会観世界観が生み出し、それに基き拵えられた人造社会に過ぎない。

 国際金融資本にしてロスチャイルド財閥及びその系譜にしてサタニズム化身させたユダ邪教義の信奉者であるこの連中が、マルクス及びマルクス主義者を手玉に取りうまく操ってきた歴史こそが左派運動史であるという裏面があるのではなかろうか。

 確認すべきは、左派運動はこの始発の時点より、ルネサンス的人民大衆解放運動と現代パリサイ派にして「シオン長老の議定書」派とも云うべき国際金融資本の奏でる世界支配運動が複雑に絡み合っていたことであろう。これに無自覚なままの左派運動は人民大衆解放運動を目指しながら国際金融資本の下僕として立ち働くことになる。この愚を深く知ることこそ、今我々に要請されている知性ではなかろうか。

 記せばキリがないのでこれ以上の言及は割愛するが、世界はこういう構図にある。戦後日本左派運動、その息子としての学生運動は、現代史のこういう構図に全く無知無防備であった。まず、このことを踏まえておく必要がある。我々は、戦後の左派運動が、ネオシオニズム支配下のGHQのお墨付きで始まった歴史を踏まえる必要がある。

 但し、そうい云っても、ひとたび手に入れた合法化左派運動を、当局肝いりの運動から脱して如何にして手前達の運動に仕上げていくのかは、その時々の指導者の能力に左右される。戦後日本左派運動の最初期を指導した日本共産党の、その指導部を構成した徳球系党中央は、これを能く為し得た。何しろ1947.2.1ゼネストの際、GHQの強権介入さえなければ政府権力を手に入れ、赤旗を国会になびかせることができたほど能力的な左派運動を指導した歴史を遺している。徳球運動は、戦後日本革命を自律的に手探りで邁進し、あわやというところまで政権に辿り着いた立派な史実を遺している。こう評するべきであろう。

 しかしながら、徳球系党中央運動は、戦後日本の奇跡的な経済的復興と党内対立により次第に勢いを失速させられ、足を引っ張られ始め、1950年の朝鮮動乱激動に巻き込まれ、共産党が再々度非合法化されるに及び北京への亡命を余儀なくされる羽目になった。その結果、中ソを盟主とする世界共産主義運動の武装反乱指令に盲目的に従わざるを得なくなり、その武装闘争が失敗に帰することにより最終的に潰えた。

 代わって党中央を掌握したのは、不屈な再建史を誇る戦前共産党運動の最終的な撲滅コンビと云うべき宮顕−野坂ラインであった。この系譜が今日の共産党まで続いている。宮顕−野坂ラインが、共産党をひいては左派運動を如何に殺(あや)めて行ったか、国際金融資本帝国主義の隷従であったか、これを考察せずんば歴史検証にはならない。こういう見立てが欲しいと思う。
 ネオシオニズムをより正確に規定すると、18世紀後半にロスチャイルド1世の秘密講義録を元にして作られたマニュフェスト「シオン長老議定書」に基づく現代ユダヤ教パリサイ派即ちロスチャイルド派の世界支配運動であり、それはサタニズムと蓄財帝国主義とシオニズム運動を特質とすると定義することができる。この「シオン長老議定書」を読み解かなければ、近現代史は見えてこない。「シオン長老議定書」とは、タルムード教義から導き出されたパリサイ派の近代版政治指南書と位置付けることができる。

 ネオシオニズムの危険性について、東洋の極東に位置する日本からは想像もできないが、西欧圏、中近東圏ではかくも長期間、ユダヤ教パリサイ派を震源とする「ユダヤ禍」との争いを演じて今日に至っていることを知らねばならない。これらの地域に於けるネオシオニズムに対する警戒観念には尤もな理由と根拠に裏づけられていると窺うべきであろう。

 世上では、陰謀主義についてマキャベリズム、ユダヤ人迫害についてナチズム、強権的統制的政治についてファシズムをもって代名詞としており、左派圏内では議論の余地のない悪質なものであるとされている。が、筆者は合点しない。筆者の見るところ、パリサイ派の教義であるタルムードこそが全ての悪徳要件を備えている。そのタルムードの教えから導き出されたのがネオシオニズムであり、これこそ史上のあらゆる悪業の本家本元であり源泉であるように見える。人類史上の悪業は全てネオシオニズムの内に胚胎しており、現に今もなお至るところで確認することができる。

 そういう意味で、マキャベリズム、ナチズム、ファシズムなる用語の無造作な使用は問題なのではなかろうか。より正しくはネオシオニズム叉はタルムーディズムと云うべきであり、かく云い換えたほうがより正確なのではなかろうか。これを理解しない者は、それだけネオシオニズムに籠絡されているに過ぎない。にも拘らず、日本左派運動内ではネオシオニズム批判を声高にせず、マキャベリズム、ナチズム、ファシズム、スターリニズム、テロリズムその他その他を造語して批判に向かうのを慣(なら)わしとしている。

 なぜこういうことが起こるのかと云うと、現代世界を牛耳っているのがネオシオニズムであり、彼らが情報コントロールしているせいであるとしか考えられない。その為に彼らはメディア戦略を重視する。「シオン長老議定書」にマニュフェストしてある通り、今日ではいわゆる先進国のメディアは総じて彼らの支配下に有り、彼らが欲することは大々的に喧伝し、批判、捏造し、不都合なことは隠蔽、歪曲、差し替えする。最近の松岡農相変死事件の自殺認定、事件隠しはこれの為せる技であろう。恐らく不都合な何かがあった筈だ。

 日本左派運動は、世界の左派運動も含めて、このネオシオニズムのコントロール下にある。日本左派運動が、明治民権運動の頓挫以来乗り換えたマルキシズムにしても、ネオシオニズムのコントロール下で理論創造され運動展開されてきた気配が認められる。日本左派運動は、このことを知らなさ過ぎる。敢えて云えば、マルキシズムはネオシオニズム左派のようなもので、ブッシュ政権時代のネオコンはネオシオニズム右派に位置する。マルキシズムとネオコンは左派右派の違いが有るが同じ土俵に乗っている。そういう意味で、ネオコンが第4インター系の流れから創出されたのも根拠があるということになろう。第4インター系諸党派は、これにつき釈明せねばなるまい。

 マルクス自身がこのことをどこまで承知していたのかは分からない。但し、かの階級闘争論、史的唯物論、プロレタリア独裁論のものの見方考え方は明らかにパリサイ派のものであり、その観点から近代的諸科学の成果を吸収して理論化したものである。その世界観、歴史観は寸分違わない。敢えて違いを見つけるとすれば、パリサイ派のそれがユダヤ教的選民主義に立脚しているのに対し、マルクスのそれはその狭い枠組みから抜け出ようとしていることにある。そういう意味では、パリサイ派内自己否定左派であったのかも知れない。しかし、マルクスは、実践局面に入ると露骨にパリサイ派式セクト主義に陥ったし、パリサイ派式に排他独善的であった。アナーキストの面々が辟易したところである。我々はそろそろこういうことを客観相対化せねばならないだろう。

 そういう目で見ると、マルキシズムの国際主義が、即ち第1インター、第2インター、コミンテルン、コミンフォルムの流れが、ネオシオニズムの「シオン長老議定書」マニュフェストに基づくワンワールド思想に帰一していることに気づかされる。マルキシズム的国際主義(インターナショナリズム)は、良い意味でもせいぜいネオシオニズム左派世界の創出であり、悪い意味では盟主ソ連に拝跪させ革命祖国防衛という名の統制運動に堕し、それは返す刀で各国各地の在地主義的左派運動の創出と発展に重大な損失を与えた。

 我々は未だその被害を直視し得ていない。つまり、西欧被れ主義から抜け出ていないように見える。「西欧被れ批判」は、西欧に通暁することを否定しているのではない。西欧に大いに通暁すべし、されども西欧の価値基準を絶対視する勿れという意味である。ちなみに、この場合の西欧とは、ユダヤ的という意味で使っている。今日今なお日本左派運動は、この「ユダヤ主義的西欧被れ」から抜け出ていないように思われる。というか現代パリサイ派の思惟様式がますます汚染しつつあるというべきか。なぜこれを発信するのか。我々の闘う真の敵を見定めたい為である。ここが疎かにされていると思うからである。
 「ネオシオニズムの生態を理解する為には、その首領ロスチャイルド財閥の金融資本主義の実態を知らねばならない」。これを「提言2の5」とする。ロスチャイルド派の国際金融資本支配については「ロスチャイルド考」で詳論する。

 近現代史を貫く真の革命勢力は、いわゆる国際金融資本帝国主義である。この勢力が1770年代に「シオン長老の議定書」に結実するネオシオニズムに基く世界支配戦略をマニュフェストして以来、世界各国は国際金融資本帝国主義に襲われるばかりの子羊と化した。この観点は現代日本白眉の思想家と評されるに相応しい太田龍・氏の諸言説に結節している。筆者は、氏の観点を受け入れる。

 彼らが、「シオン長老の議定書」でマニュフェストした如くに世界を操り始めている。しかしてその首領はロスチャイルドであり、その系譜の者達である。そういう意味で、「シオン長老の議定書」の持つ意味は大きく、これを露見させたのは世界史的事件と云うことになろう。その「シオン長老の議定書」を偽書扱いする一群のサヨイストが居る。これと対決する以外には左派運動の真っ当な進展はなかろう。

 ロスチャイルドの正体は何か。それは、史上のユダヤ教パリサイ派の近代版であり、古典的教説を当時に於ける最深レベルで焼き直した最強のイデオローグであると判ずることができる。実にロスチャイルドはユダヤ教パリサイ派のラビの系譜である。この連中が、雌伏した中世期を通じて次第に国際金融資本を形成する。この連中がそもそも資本制を導入し、西欧世界を次第に席巻し始める。

 彼らの社会的台頭には多少は正の面もあった。特に初期の頃はイタリアンルネサンスと親和し、ゲットーからの解放理論を生み、それが市民化論と結びつき、市民革命を領導したことによりルネサンス気風を全欧的に切り開いた面がある。この場合、ルネサンスを「自由、自主、自律の息吹を社会全般に攪拌するイデー」という意味で使っている。近代の入り口に当たって、このイデーは確かに進歩的役割を果たした。フリーメーソは、この土俵で暗躍した秘密結社と考えられる。かの時代、多くのインテリがフリーメーソンであったのも、これに照らすと故なきことではない。

 しかし、その彼らが勢力伸張させ、次第に彼らが住み着くところのそれぞれの国家の裏の支配者となって君臨し始めるや、彼らはルネサンス的イデー即ちフリーメーソン思想をいとも容易くかなぐり捨て、典型的にはイルミナティー思想を生む。近代のユダヤ教パリサイ派が、フリーメーソンからイルミナティーに転化するに応じて、先祖返り的に元々の選良主義的宗教観、世界観、社会観、処世観を満展開し始め、これに則り社会操作に着手する。市民革命の推進派から抑圧派に転じ、ルネサンス的イデーを自己否定し始める。

 彼らは、この転換により思想上の本音と建前を分裂させることになる。この作風があらゆる学問を汚染し始め、二枚舌学問を横行させることになる。学問が必要以上に難解、偏執的なものになったのは、こういう背景によってであると思われる。学問が社会進歩を担わないどころか反文明的になり、そういう学問、研究が次から次へと生まれ始めたのも、これによって説明できる。現代学問の反モラル性をこれ以外に説明できるだろうか。

 ロスチャイルド財閥支配下の国際金融資本帝国主義の登場により、果てしなき資本増殖主義、金融支配、強権政治、それに伴う民主主義の形骸化、所得格差、貧富社会、無慈悲な感性、性風俗の媚態化、地球環境破壊をもたらし、総じて社会を奇形化させてきた。この流れが今日へと至っている。それは、史上のパリサイ派思想の具現化そのものであり、パリサイ派思想の何たるかを示していよう。

 その頭目が初代ロスチャイルド派であり、彼の子息をして西欧要衝各国に配置する等アミーバ状に触手を伸ばした結果、国際金融資本を形成する。彼らが国内では内乱と革命、懐柔傀儡政権、国外では略奪と戦争の時代を創り上げる。その度に黄金金貨の山を築いた。各国政府及び支配階級を懐柔制御し、恭順しない王朝を順次内乱的革命により打倒し、あるいはカウンター勢力として議会を育成し、これを通じて王権を揺すり、総じて西欧を列強帝国主義化させる。各国帝国主義の背後に常に国際金融資本が潜んでおり、植民地主義へと誘導し、戦争資金を用立てては隣国同士を対立させ、戦争に次ぐ戦争を仕掛けさせ、戦争国の財政を放漫にさせ、国債発行による借金漬け国家にさせ、慢性赤字状態にしてつけ込み財政的にコントロールする。

 他方で、反国家、反権力運動を支援し左から揺さぶる。その反国家、反権力運動はネオシオニズム特有の二枚舌的無国籍型の国際主義運動に統制される。彼らは、狙いを定めた当該国の権力機構即ち政官財学報司の六者機関を右から篭絡する。陰に陽の秘密結社が生まれる所以がここにある。彼らが様々な姦計を廻らしつつ各国政府を裏から操作する。これが、国際金融資本帝国主義の世界支配方程式である。

 今日、ネオシオニズムの裏政府的国際支配は過去のどの時代よりも進んでおり、ヒエラルヒー的な搾取機関を通じて巨万の富を集積し、諸々の資源、食料、流通、消費ルートを押え、金融、保険、証券、株式市場をコントロールし、軍事、原子力、医薬、宇宙工学の最先端の動きを調御して万能権力体を創出している。グローバル化、ワンワールド化が彼らの標語であるが、その支配完成が寸前のところまで至っているとみなす。近代から現代に至る過程はこのように捉えなければ真相が見えてこないのではないのか。
 「ロシア10月革命を手放しで礼賛する時代は終わった。明治維新以来の軍国主義も育成操作された可能性が強い。こういうことを学ばねばならない。ネオシオニズム問題を共認せよ」。これを「提言2の6」とする。

 
彼らは、この戦略に立ち塞がる各国王朝を順次崩壊させ、最後まで頑強に抵抗したロシアのロマノフ王朝を解体しソ連邦を創出した。ロシア10月革命の意義は、この面からも考察されねば平衡を得ない。ロマノフ王朝は、日本の徳川将軍政治のようなもので、必要以上に暗黒に評されるには及ばない。

 ロシア10月革命は、ネオシオニズム左派の引き起こした革命と考えられる。これにより、ソ連邦が創出され、以降世界はネオシオニズム右派の主導する資本主義対左派の社会主義がせめぎ合う体制間冷戦時代に突入した。この間、内乱と革命と戦争が絶え間なく、そのたびに世界は国際金融資本帝国主義に利する時代へと変容していくことになった。近代以降の戦争と革命は、彼らが信奉するユダヤ教パリサイ派の、その教義にも両面有る内のより悪しき面に依拠した哲学、思想、宗教、文化からもたらされるタルムード的社会観世界観が生み出し、それに基き拵えられた人造動乱なのではなかろうか。  

 こういう世界史の裏面を知れば、国際金融資本にしてロスチャイルド財閥及びその系譜にしてサタニズムを化身させたユダユ教義の信奉者であるこの連中が、マルクス及びマルクス主義者を手玉に取りうまく操ってきた歴史こそが左派運動史であるという裏面があるのではなかろうか。

 確認すべきは、左派運動はこの始発の時点より、ルネサンス的人民大衆解放運動と現代パリサイ派にして「シオン長老の議定書」派とも云うべき国際金融資本の奏でる世界支配運動が複雑に絡み合っていたことであろう。これに無自覚なままの左派運動は人民大衆解放運動を目指しながら国際金融資本の下僕として立ち働くことになる。この愚を深く知ることこそ、今我々に要請されている知性ではなかろうか。

 ところで、ロシア10月革命に対して日本はこの流れと無縁ではない。日露戦争がこれに利用されたと云う意味で、日本は大きく関与していることを確認せねばならない。日露戦争の敗北がロマノフ王朝の勢威を殺ぎ、ロシア革命を大きく進捗させた。ロシア10月革命後、日本は直ちにシベリア出兵に向かい、革命政権を揺さぶっている。この観点から見れば、そもそも幕末維新、明治維新、日清戦争、義和団鎮圧出兵、日露戦争、第1次世界大戦、シベリア出兵、第二次世界大戦へと至る経緯そのものが怪しい。ネオシオニズム総本家に駒として利用され続けた挙句、大東亜戦争まで誘導された面があるように思われる。筆者が思うに、これは歴史的必然的な発展行程ではない。明らかに誘導されている気配が認められる。

 記せばキリがないのでこれ以上の言及は割愛するが、世界はこういう構図にある。戦後日本左派運動、その息子としての学生運動は、現代史のこういう構図に全く無知無防備であった。否長らくネオシオニズム左派運動に組み敷かれている。まず、このことを踏まえておく必要がある。以上を提言2としておく。





(私論.私見)