【提言9、暴力主義を否定し競り合い運動に転換せよ】 |
(最新見直し2008.9.3日)
Re:れんだいこのカンテラ時評360 | れんだいこ | 2008/01/21 |
【提言9、左派運動内の暴力主義を否定し、党内党外の競り合い運動に転換せよ。左派運動圏に於ける日共式穏和主義反対運動の欺瞞性を糾弾せよ】 | ||
これを「提言9」とする。これも議論を呼ぶところであろう。「提言8」で、暴力革命論の「暴力」の従来の皮相理解の誤りを指摘した。日本左派運動には、世界のそれも大同小異であろうが、肉体的武器的暴力が対権力闘争に向けられることよりも、安易に党内反対派ないしは党派間に適用してきた負の歴史がある。その種の暴力は恣意的粗野なものでありヤクザの出入り暴力と何ら代わらない。あるいは党派的セクト的利害による「革命的」暴力であり、日本左派運動盛り上げに水を差す結果しかもたらさなかった。この種の暴力は、暴力革命論が本来意味する「暴力」とは別物なのに、両者が認識上厳密に区分されていないところから発生しているように思われる。 我々はそろそろ徒な暴力が左派運動圏内に大手を振って罷り通ってきた事態を総括せねばならないのではなかろうか。左派運動が健全であれば異論、異端、分派は当然のこととして、常に目指すべきは党内党外の競り合い運動であり、党内党外の対立を解決する手段として暴力を行使するものであってはならないとすべきだろう。見渡すところ、徒な暴力が行使されるところに宿っているのは運動規律の弛緩腐敗であり、もう一つは意図的故意の邪悪な動機からもたらされるものであったように思われる。かく認識して正々堂々たる競り合い運動に向かうべきであろう。 競り合い運動の模範的史実として、60年安保闘争の第1次ブントの闘いがある。第1次ブントが挑んだのは国家権力に対してであり、政治に対してであった。第1次ブントの暴力性が、他の諸党派に向けられたことは寡聞にして聞かない。学生大会の指導権狙いで多少の画策をした程度である。今から思えば許される範囲であったであろう。第1次ブント運動は競り合いで自ら範を示し、時の岸政権を打撃し瓦解させた。ゼンガクレンの名は世界に轟いた。そういう意味で素晴らしい闘いであった。 学生運動史の検証から云える対他党派暴力の行使は、60年安保闘争後の第1次ブントの内部分解により全学連中央を掌握した革共同全国委−マル学同系運動からであり、更に云えばその革共同全国委の革マル派と中核派の分裂以降専ら革マル派が得意としてきたのではないのか。かの他党派解体、諸雑派一掃運動こそもっとも馬鹿げた罪悪なチンケ暴力ではなかろうか。震源地は殆ど常に革マル派にあり、これにより急進主義系運動は重大な損傷を負い続けたのではないのか。してみれば、革マル派の邪な狙いが詮索されねばならないと思う。 全学連史を紐解くと、官学の東大、私学の早大が司令塔であり活動家の貯水池だったことが分かる。その早大で1969年、社青同解放派が革マル派の卑劣な策動により追い出されて以来、革マル派が学内憲兵隊と化して他派を寄せつけず、革マル派と民青同の二元支配となり、早大は学生運動の輝かしい歴史を逼塞させた。このことはもっと疑惑されて良いことではなかろうか。民青同と革マル派は表向き反発しているが、日本左派運動の鎮圧部隊として地下で通底しているのではなかろうか。思えば、全共闘運動に敵対したのもこの二派であった。第1次ブントの60年安保闘争に敵対したのもこの二派であった。その民青同は戦前党中央委員リンチテロ致死事件の頭目宮顕に指導され、革マル派は「組織名簿売り事件」の頭目黒寛に指導されている。妙な組み合わせではなかろうか。 こういうことを明らかにする為にも歴史検証が必要な訳であり、学生運動史論が必要な訳であり、これを疎かにすること自体が悪の暴力をのさばらせるのではないのか。この際、立花隆的な一見中立そうな見解は何の役にも立たない。むしろ邪悪な者の助っ人的役割を果たしていることになる。筆者はそう考えている。そういう意味で歴史を学ぶ事が必要な訳であり、各党派は結党以来の履歴を良くも悪しきの面も克明に記録し晒し、判断を歴史に仰ぐ姿勢を執る責務がある。これは党派としての公党責任であると考える。 ところが、これがからっきしできていない。悪は隠したがる癖があるので仕方ないとしても、自派をそうは思わないなら、かの時代の正義として堂々と開陳すべきだろう。物事には定向進化の流れがあり、時代のムードもあり、行き着くところまで行かないと評価が難しい。今日的に見て具合が悪いことがあったとしても、かの時代の正義を隠すことはなかろう。 もとへ。1970年安保闘争後の革マル派の海老原君リンチテロ致死事件以来、革マル派の中核派に対する復讐テロが公然と始まり、中核派がこれに反発し、革マル派のテロは社青同解放派にも向かい、この三派間で激しい党派戦争が繰り広げられることになった。他にもいろんな事件が起こったが割愛するとして、連合赤軍による同志テロ事件が発覚し左派圏を震撼させた。日本赤軍がパレスチナ連帯に向い、自爆テロへと突き進む。事の是非は単純には論ぜられないが、新左翼系左派運動が何やら特殊運動化したのは事実だろう。 あれから30有余年、そろそろ過去の運動を対自化させ、継承すべき面と排斥すべき面を分別すべきではなかろうか。この間、日本政治はネオシオニズム系の御用聞き政治家が一挙に台頭しており、売国政治ばかりに腐心している。戦後ハト派政治時代に築かれた国富的財産が強奪され、見るからにお粗末な惨状を呈して今日に至っている。いつの間にか公然と自衛隊の武装派兵が進んでおり、米英ユ同盟の裏部隊から前線部隊へ引き込まれようとしている。かっての社共運動も面影がない。社会党は解党し、共産党はますます貧相さを呈しつつある。この局面で日本左派運動の再生が為されないとしたら、もはや永遠に失われてしまうことになるだろう。筆者はあり得べからざる同時代的恥と受け止めている。 ならば処方箋も出さねばならないだろう。筆者は、日本左派運動が徒な運動圏内暴力で潰れた以上、まずは一刻も早くそれを取り除き、ここから再出発せねばならないと考える。しこうして正々堂々とした競り合いルネサンス運動に向うべし。これを当面さしあたりの漢方薬としたい。 2008.1.21日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)