【提言12、徳球対宮顕、逆転倒錯評価を許すな】 |
【提言12、徳球対宮顕、逆転倒錯評価を許すな。日共のネオシオニズム奴隷的本質こそ疑惑せよ】 |
これを「提言12」とする。筆者が戦後学生運動論を書き上げようと思ったのは、青春の一時期に自身が関わった学生運動を対自化し、自分なりに総括してみたかったからである。もう一つの動機として、日共系の理論と運動の無茶苦茶さは当たり前としても、それを批判した上に成り立っている新左翼系のそれにも到底満足できなかったからである。結果、数冊の戦後学生運動論を読んで、資料としての史実面は取り込ませて頂いたが、観点の面では全てれんだいこ史観から練り直している。未だ不十分な面があるとすれば、未批判的に取り込んでそのままにしているヶ所であろう。それらの箇所もいずれ目を通して書き直そうと思う。 最も云いたいことは、戦前直後の徳球系運動の評価が、新左翼も含め既成左翼のそれもデタラメであるということである。れんだいこ史観によれば、戦前戦後を通じてまずまず評価できるとすれば徳球ー伊藤律系運動の他に於いてない。戦前であれば、福本和夫運動、田中清玄運動が好評価できる。ところが、よりによってそれらの運動を根限り罵倒し批判し否定するのをもって左派気取りしている党派ないしは著述家が多い。というかそればかしである。よって学べば学ぶほど馬鹿になる。そういう仕掛けになっている。故に、筆者は、そういう凡庸な観点とは違う稀有な左派運動史観を持っている。 筆者が次に評価するのは60年安保闘争を牽引した第一次ブントであり、70年安保闘争時の全共闘運動である。それ以降は残念ながら瞠目させられる運動ないし党派はいない。しかしながら、第一次ブントも全共闘運動も、徳球ー伊藤律系運動が悪罵されるのと同じ構図で過小評価され過ぎている。こういう観点を受け入れて学べば学ぶほど阿呆になってしまう。 このことは、筆者が評価する運動に敵対した党派に対する間接的批判になっている。その筆頭は日共宮顕派である。筆者は、宮顕は野坂同様に、当局ないしはネオシオニスト奥の院から差し向けられたエージェント・スパイであり、戦前戦後を通じてこの二人の行く手は反革命的所業で一貫していると看做している。これに似た党派は他にもあり、主として穏和系運動を日共宮顕派が、急進主義系運動を革マル黒寛派が、その間に有象無象の変態党派が介在していると見立てている。当局公安奥の院の左派運動懐柔の戦略戦術はそれだけ長けていると看做している。 そういう複雑な左派運動になっている関係上、我々は、運動圏内の有益なものと有害なもの、無味乾燥のものを仕分けしつつ摂取せねばならない。実際には、見かけ上のものに騙されて有益でない思想ないし運動を左派気取りでぶっている手合いが多い。彼らは、学ぶことによって余計に目が曇り却って錯乱している。我々は、学ぶことによって歴史の条理を見抜き、真の友と偽の友を見抜かねばならない。 その見分けがつかない者は次のことを心得ればよい。宮顕式の排除の論理による統制運動、黒寛式の排除の論理による他党派解体運動、この両翼のウソを嗅ぎ取り拒否すればよい。そもそも左派運動圏に求められているものは切磋琢磨式の競り合い運動であり、純化式衛生運動ではない。むしろいつでも共同戦線運動が望まれているのであって、統制運動に拝跪するべきではない。宮顕式ないしは黒寛式の理論と実践は意図的故意に錯倒せしめられているものでしかない。この観点さえしっかり確立しておれば良い。 その上で、理論、手法の違いはあっても、それを内部で許容し、異論異端大いに結構但し何かしでかそうとするときには水差すな邪魔するなと互いに弁える共同戦線運動を創出せねばならない。この姿勢は党内にも党外にも通用させねばなるまい。ある程度の抵抗を活かす組織ほど頼もしいのは歴史の教えるところである。我々が、戦後から営々とこのように勤しめば積み重ねの効があり、今頃は左派政権を誕生せしめていることだろう。 だがしかし実際に遣ってきたことは、これの反対のことばかりであった。これではどうしようもない。これは何も左派運動のみならず全てに通ずる法理ではなかろうか。云うは易く行いは難しではあるけれども。 |
「新日和見主義事件」考察その一、はじめに(1999.12.1日) |
先の「査問事件」の考察は恐らく私の畢生の労作になったと自負しているが、今のところ誰からも批評を頂けないので拍子抜けしてしまう。マァ元気出して行こう、元来ネアカなので気にしないと思っていたら、宮地さんのホームページで取り上げて下さり、やはり見ている方もおられるんだなぁと心強くなり、頑張って書き続けていこうと再意欲が出ました。私の「査問事件」の考察は、一連の流れをドラマ化させたという点で、たたき台として誰かがせねばならない作業であったと今でも自負しています。是非党の再生作業の一里塚としてご利用賜りますよう改めてお願い申しあげておきます。あの作品が党の旗を守ることと現執行部を擁護することとは認識上厳格に区別する必要があるということをモチーフにして書き上げられているということをご理解しつつ読み進めて頂ければなお真価が見えてくると思います。 |
(私論.私見)