【提言3、自由自主自律型の左派運動を創造せよ】

 (最新見直し2008.9.3日)

【提言3、自主自立型の左派運動を創造せよ】
 もう一つ訴えたい事がある。これを「提言3、自由自主自律型の左派運動を創造せよ」とする。これが、戦後革命は流産して良かったと思う根拠になっている。筆者は今、戦後学生運動が本当の敵と闘わず、或る時にはその下僕となって利用されて来たことに気づいている。通り一遍な政府批判、社会批判、体制批判であれ、それ自体にはさほど罪はない。それは、自身と社会、歴史との距離を測る意味で有益なことであった。しかし、各国の政府、社会、体制を裏から操作している本当の敵が居るとしたら、その者との闘いに向かわなくては不正であろうに、向かわなかった非を見て取る必要がある。ましてや、その黒幕に利用されるをや。

 この史観は、既に幾人かが指摘しており、現代では太田龍・氏の謦咳に接することができる。筆者は、太田龍史観に学びながら、自力でも補強しつつある。日本左派運動には未だにこの太田龍−れんだいこ史観的観点が確立されていないように見受けられる。それには深い理由があり、日本のみならず世界の左派運動が、現代世界の黒幕の裏からの手足となって役目を果てしている形跡がある。これを左派運動の呪縛と看做せる。しかし、それは左派運動の自己絞殺でしかなかろう。

 そういう意味で、そろそろこの辺りで何としてでも、左派運動の原点から理論と実践を問い直し、軌道を転換せしめねばならない。その為には先ず自由、自主、自律型の左派運動創出を目指さねばならない。これが、筆者の左派運動検証論の眼目であり、学生運動検証の主たる動機となっている。その他はノスタルジアである。

 多くの者が今、日本左派運動を捉え返そうとしてはいる。だがしかし、日本左派運動の牢とした転倒を凝視し、これを鋭く衝かない限り、傷口を舐めあう、聞いても所詮甘えたものにしかならないだろう。そういうものはないよりはましではあるが、二番煎じ、三番煎じ以上のものにはなるまい。我々は、これまでの運動を検証し、自己否定しつつ出藍する勇気と目線を持たねばならぬ。これをやり遂げて初めて新たな視界が広がるだろう。本来辿り着くべきだった原野に佇むことになろう。これを筆者の諫言としておく。


 2008.3.26日 れんだいこ拝




(私論.私見)