【提言10、日共式穏和主義的反対運動の欺瞞性を弾劾せよ】 |
(最新見直し2008.9.3日)
Re:れんだいこのかんてら時評258 | れんだいこ | 2007/02/17 |
【提言10、左派運動圏に於ける日共式穏和主義反対運動の欺瞞性を弾劾せよ】 | ||
これを「提言10」とする。日共は、1955年の六全協で宮顕−野坂派が指導部を簒奪して以来、左派運動内に穏健主義の種を蒔き、右傾指導に熱中してきた。それだけならまだしも、逆に急進主義的に闘う者、党内の非イエスマンに対しては暴力的牙を剥いてきた。こうした「権力に対する穏和主義、闘う者に対する急進主義」という倒錯運動が訝られず今日まで経緯している。そういう執行部が延々50年以上に亘って日共を指導し、党中央を形成している。今も彼らは党中央の座椅子を手放さない。こういう変態運動が罷り通ってきたという事象に対して、そろそろこれを総括せざるをえまい。 筆者が注目するのは、政治スローガンに見る「反対」表現を好み、粉砕表現を嫌う裏意図である。60年安保闘争時の指導が如実に物語っているので、これを検証する。興味のある者は、「れんだいこの戦後政治史1960年」の項で確認すべし。この時、日共は、世上の通念と違って悉く闘わない方向へ指導してきたことが判明する。60年安保闘争の昂揚は、筆者の見立てるところ主として、穏和主義を社会党が、急進主義を第一ブントが担うことでもたらされた。我々は、ここで、穏和主義と急進主義の共同戦線化による成功事例を学ぶことができる。 ところが、日共は、そのように了解しない。手前たちの運動こそが是であり、それ以外の運動は非であり、もし共同戦線に立つならば、ひたすら右傾化させる条件に於いてのみそれを欲する。即ち、排他的独善的右傾化を特質とする。かくて、その運動は、より多くの者たちを参加させるためと云う口実で幅広主義を採る。その結果、政治スローガンも最も穏和な「反対」表現を常用する。それは気の抜けたビールのようなものでしかない。しかして「粉砕」とか「阻止」なる急進的表現は、使用しないのではなくサセナイ。デモも、秩序だった請願デモを好む。間違ってもジグザグ・デモはサセナイ。60年安保闘争では、実際にこれを廻って議論が白熱している。こういうところは学ばないと分からない。 その結果、日共式反対主義、穏和な請願デモでは闘った気がしないと感ずる者たちは、ブントのデモに出かけた。お焼香デモ粉砕を叫び、ジグザグ・デモで鬱憤を晴らした。その第一ブントは、国会議事堂にも羽田空港にも首相官邸にも突入し、シュプレヒコールで気勢を挙げた。多くの逮捕者を出し、多くの者が負傷し、樺美智子女史が死亡する悲劇もあったが、幅広主義が幅広くしなかったのに対し、多くの者を引き付け運動の裾野を広げた。何しろ、デモが通るとパチンコ屋ががら空きになったと伝えられているほどである。多くの子供が「安保粉砕」を口真似して遊び始めたとも伝えられている。仮に賢明な社会学者が登場すれば、日共式幅広主義が運動を沈静化するのに役立っており、少しも幅広くしないことを例証するであろうが、筆者はそのような社会学者の分析を知らない。 それはそれとして、「いくら言葉を過激にしても、それが実現した例を知らない」という口実で、穏和な反対表現で良いとする主張を検討してみることにする。一体、我々は、粉砕とか阻止とか打倒とかの政治用語をどういう基準で使っているのだろうか。実現可能性のある用語のみが使われるべしとするような基準が必要であろうか。筆者は違うと思う。反対表現は、賛成か反対かの判断だけであり、忽ちは政治的見解の表明に過ぎない。事案が、許し難いものである場合、反対表現では物足りない。どちらへ転んでも良いが俺は反対だと云う場合には、反対でも良い。だがしかし、これは絶対に認めてはならない、強く反対すると云う場合には、それに相応しい表現を模索する。それが粉砕とか阻止とか打倒とかになる。それで良いではないか、その方が言葉の厳密な使い分けをしており、作法にかなっていると思う。一律に反対表現で済ませるほうが粗雑だと思う。 第一、反対なる言葉は単に見解及び態度表明に過ぎず、反対したと云うアリバイ証明でしかない。粉砕とか阻止とか打倒とかは逆に、実現しようがしまいが、運動主体者として歴史に責任をもとうとしている。そういう意味で、歴史的責任を引き受けた表現と云えよう。それが実現しないのなら、次には実現するように工夫すればよい。その繰り返しでよい。何で、この姿勢がなじられるのか分からない。逆に聞きたい。アリバイ証明的事なかれ主義的反対運動こそ政府当局者に対して何らの痛痒も与えず、実はガス抜き的役割で裏からの体制支援に堕しているのではないのか。 60年安保闘争は空前の盛り上がりを見せ、米国大統領アイゼンハワーがフィリピンまで来てスタンバイしていたにも拘らず来日を阻止し、岸政権の面子が失われ、内閣総辞職を余儀なくされた。それは日本左派運動史上、1947.2.1ゼネストに次ぐ壮挙であった。ところが、日共は、70年安保闘争の方が空前の盛り上がりであったと嘯く。何とならば、デモ届出数、参加者数が60年安保闘争時のそれを上回るものであったからなどと云う。しかし、70年安保闘争は、時の政権を何ら痛打しておらず、明らかに60年安保闘争に及ばなかったのではないのか。しかるに事態を逆に描いて恥じない。我々は、ウソで塗り固められたこういう変態運動、詭弁運動から脱却せねばならないのではないのか。しかしながら、日共式論理と論法はあちこちに伝播しており、急進主義的盛り上がりを抑圧させる格好で通用している。そして、それを誰も訝らないように堕している。筆者は、言葉も運動も、それに最も相応しい体裁をとるのが望ましいと思っている。 さて、明日か明後日にも米国副大統領実は真の裏大統領チェイニーが物騒な話を持ってやってくる。日共は例によって反対とのみ表現するのかと思いきや、反対そのものも控えているようである。こうなるとお笑いではないのか。人は話し合いで全て分かり合え、道理を説けば聞いてくれると云う特殊な思い込み信仰に耽っているようである。そういう世の中がくれば良いことはみんな分かっているが、世の中、道理説教だけでは何の役にも立たないことを知っているのも事実だと云うのに。他にももっと愚考してみたいことがあるが、とりあえず思いついたままを記しておく。 2007.2.17日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)