【提言2、在地土着型国體社会主義を目指せ】 |
(最新見直し2008.9.3日)
Re:れんだいこのカンテラ時評224 | れんだいこ | 2006/10/16 |
【提言2、在地土着型社会主義に戻り志向せよ」】 | ||
「提言2、在地型社会主義に戻り志向せよ」を提起する。今、といっても2006.10.16日だが、筆者が齢56歳を越えて思うことは、日本の左派運動がそもそもに於いて在地型社会主義を目指していれば、今よりはよほど良い政治的影響力と党派を形勢し得ていただろうということである。この点で、我が日本左派運動は致命的な間違いを犯し続けてきた。在地型を捨象して国際主義を標榜してみても、純粋抽象的な国際主義なぞどこにもありはしない。赤軍派の経験はそれを物語っていよう。あるいはエスペラント語の興亡がそれを証していよう。このことにもっと早く気づくべきだった。 とりわけ、戦前に於けるコミンテルン運動拝跪型の日共運動は、今となってはソ連邦やコミンテルン運動の正体が知れておるからして分かり易いが、決して真に左派的なものではなかった。しかし如何せん情報不足というのは怖い。当時の活動家は、マジメであればあるほどコミンテルン運動に真紅性を見出していた。渡政の悲劇がここに見て取れる。その他諸々多くの有能の士がこの倒錯のまま治安維持法体制にヤラレテシマッタことは惜しいことである。 しかし、戦後の左派運動も本質的には何も変わっていない。或る時からコミンテルン、後にはコミンフォルム運動拝跪型から転じたとはいえ、国際主義の理想を求める者は、それに代わる何ものかを求めて、結局は叶わなかった。国際主義の理想を捨てた者は、1955年の六全協後の日共を見ればよい。野坂といい宮顕というトンだ食わせ者に拝跪する王朝運動に屈してしまった。この経緯で、或る者は体制内化してしまい、或る者は反共の闘士として八つ当たりする者も出る始末となった。 筆者は今思う。端から在地型社会主義を目指していればかような失態に出くわすこともなかったのではなかろうか。一番肝要なものを求めないで、何故脇道を散策することに耽るのか、解せないことである。我々が目指す社会主義はそう難しい原理ではない。人はエゴイストとして人生するのか、共生を志向するのかだけのことである。生産力と生産性の向上は必然的に社会化を要請する。そういう時代に合わせた社会のより良きあり方を追求しようというだけの至極真っ当な欲求である。それならそれで、急ぐかゆっくり歩むかは別としてそれを目指せばよかろう。 そういう運動をかれこれ百年費やして、少しも事態が進展しないのはオカシ過ぎやしないか。それが筆者の疑問である。仮に、徒歩で東京向けて出発してもいつしか辿り着くだろうに。乗り物に乗ればよっと早く辿り着くだろうに。それが辿り着かないのは、東京へ行こうとして反対方向へ歩を向けているからではないのか。あるいは組織の指導者が、そういう風に逆指導しているからではないのか。そう思えば思い当たる節があるというのが筆者の気づきである。 筆者が学生時代の1970年代の東京の政治状況は、これを選挙運動で見れば、共産党と公明党の伯仲時代であった。否、やや共産党の方が優位であったかも知れない。あれから30数年、事態はどうなったか。池田大作及びその指導する創価学会ー公明党は着実に組織を伸ばしてきた。あたかも一歩一歩東京へ向けて歩み出し、とうとう東京へ辿り着いたかの如くである。公明党の目下の与党政治のあり方は愚劣でしかないが、権力へ向けて歩を進めそれに成功したのは疑いなかろう。これは、極端に言えば、誰がやってもそうなるのではなかろうか。 その誰がやってもそうなるのがそうならないとしたら、どこかオカシイということに気づくべきだろう。これを指導者論で見れば、野坂や宮顕や不破やその取り巻きの責任ということになるが、彼らがやってきた仕業を判じてみよ。紅い心は元々なくて異邦人が紅い心を演じて党中央を占拠し続けてきているからそうなるのではないのか。平素は紅い言葉をたまには述べるが、一朝事あればせんでも良い逆指導ばかりに夢中になってきたのではないのか。その挙句が、かくも惨めに創価学会ー公明党勢力にひけをとっているのではないのか。 その際立つ特徴は、弁舌が二枚舌、否マルチ舌にある。ああ云えばこう云うで有名になったオーム真理教の上祐なぞまだ可愛いというべきだろう。中学生と大人ほどの格段の差がある。そういうことをはっきりさせるには、彼らが歩んできた党史を見ればよい。が、彼らが作った党史がこれまたマルチ舌で脚色されているので、下手に読めば却って阿呆にされてしまう。そういう訳で、筆者が能う限りの資料を収集しつつある。そして、筆者なりのコメントを付しつつある。 そういう作業から滲んできたのが、筆者の気づきの確かさである。筆者が20歳過ぎから数年間、かの運動と関わり、抱いた疑問の確かさが確証された。これをどうするか。筆者の自己了解に留めるのか、世に晒すのか、積極的に述べ伝えるのか。さしあたりは、サイトに公開することで役目としようと思う。みんな僅かばかりの余生を過ごしている。どう生きるかは銘々の勝手である。筆者は、類縁の友と語り続け、何がしかの世への貢献ができればそれで本望と思っている。あと何年生きられるか分からないが、生ある限りはそうしようと思う。とまぁ思うままを書き付けてみた。 2006.10.16日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)