【提言16、マルクス主義的階級闘争論の一辺倒から抜け出せ】 |
(最新見直し2008.9.3日)
Re:れんだいこのカンテラ時評362 | れんだいこ | 2008/01/22 |
【提言16、マルクス主義的階級闘争論の一辺倒から抜け出せ。マルクス主義的階級闘争論を見直し、搾取(分配)と雇用と社会貢献の釣り合い理論で企業活動を見直せ】 | ||
この「提言16」も議論を呼ぶところであろう。 日本左派運動検証の大詰めは、マルクス主義的階級闘争論の見直しに向かわねばならない。一体、マルクス主義的階級闘争論とそれに基づく搾取論は真に科学的なのだろうか。それがプロレタリアートの解放理論であることは分かるが、我々は、これに依拠せずんば闘うイデオロギー及び理論を創出できないのだろうか。これを思案して見なければならない。 思うに、マルクス主義的階級闘争論は、「頭で逆立ちしていたヘーゲル式観念弁証法を足で立つ唯物弁証法というまともなものにした」と弁じているが、にも拘らず、ヘーゲル的弁証法の概念主義に拘った思弁的なもので、社会の実態分析には役立たないというかむしろ危険邪道ものではなかろうか。依然として「頭で逆立ちしている」理論のような気がする。 歴史と云うものは世代間の積み重ねであり、社会構成上の階級、階層、身分につき互いに対立、抗争しつつ社会の成熟度に応じたある種の合理的な拮抗釣り合いで調和しているとみなされるべきできなかろうか。資本制的搾取は、それを得手とする特殊な勢力が特殊なイデオロギーに基き導入扶植した特殊な生産及び分配手法であり、人類史の必然的行程としての社会法則ではないのではなかろうか。筆者は、こう考えるべきだと思うようになった。こう考える事により、誰と何を争うのか闘うのかがはっきりするように思っている。 彼らの魔手が伸びないところでは概ね君主制であろうが封建制であろうが共和制であろうが民主制であろうが、近代科学及びそれに基く生産は、今よりはずっとましなそれなりの分配システムを組み込んだ秩序を形成している、否いたはずで、資本主義制はその伝統を過度に捻じ曲げて守銭奴化しているとみなすべきではなかろうか。 近代科学に基く生産力の発展は、分け前として人民大衆に福利を享受させるべきところ、資本主義制によって資本の増殖に次ぐ増殖へと回転し、生産力の余剰は上層部の奢侈に変形的に費消され、下層階級が強力的に相変わらずの貧困にひしめく制度に意図的に落とし込められており、社会的登用制さえもがかっての時代より合理的でなくなっているのではなかろうか。生産力から見て食えなくはないのに食えない事態が発生しているのおかしいのではなかろうか。ここに社会的不満が発生し、その解決能力に応じて改良改革なり革命なり回天が必要とされているのではなかろうか。 資本主義的近代産業制は、資本家と労働者の二大階級を生み、その間に様々な階層を作っているが、搾取論で説明するのは矮小ではなかろうか。階級差は社会の発展と共に必然的に生み出されるが、これを資本主義制的に整序するのか近代産業制的に整序するのかが問われており、両者は別物なのではなかろうか。近代産業制を資本主義制にせしめているものを疑惑せねばならないのではなかろうか。 我々が考察すべきは、資本主義的近代産業制ではない社会主義的近代産業制の在り方であり、マルクス的な搾取論のみならず労働論、雇用論、機能論、社会的貢献論その他の見地からの総合的把握が必要なのではなかろうか。要求されるのはその社会の発達の程度に応じた合理的在り方ではなかろうか。 マルクス主義以来の左派運動が金科玉条する資本家=悪、労働者=善とする扁平な理論ではこの問題が解けず、太刀打ちできないのではなかろうか。近代産業制の果実からもたらされる労働論、雇用論、機能論、社会的貢献論その他の論を創造することにより、今よりはずっとましな労働運動、政治運動が生み出されるのではなかろうか。これを体制内化させず常に目線を高くする左派運動が望まれているのではなかろうか。 思うに、労働者階級及び個々の労働者は、俗流マルクス主義の諸理論に拠って擁護されていると同時に却ってスポイルされている面がありやしないか。真っ当な労働意欲、自己啓発、能力、責任を育てることに背を向けすぎていやしないだろうか。そういう風に仕向けられているのであろうが。その裏返しで、経営者ないしは事業体に対して不当に搾取者視し、事業意欲、能力、責任を育てる事に背を向けすぎていやしないだろうか。 考えてみれば、党派運動も一種の事業であり、党員及び指導者はその事業の主体者である。その意味では党派運動を能く為す者は感覚ないし精神がむしろ事業者、経営者に近い。逆に云えば、事業者、経営者は或る意味で党派運動を為している感があり、意識的には革命家であるかも知れない。つまり、日本左派運動が敵視している事業者、経営者の方がよほど革命的な面があるという背理がある。筆者のみならず多くの者が生活体験からそういうことを学んでいるのではなかろうか。 そういうことも含め、日本左派運動が依拠したマルクス主義理論が何の役にも立たないところから無視され始め、今や化石理論になりつつあるように思われる。筆者は、さりながらマルクス主義の良質面を救い上げ、これと他の諸理論との総合による現代的人民大衆解放理論を創造せねばならないと考えている。学問が学問に値するものでなければならないと考えている。学んで却って馬鹿になるような学問が主流化しつつあるが、それらとは叉別系の学問を起こす必要があるのではなかろうか。一歩後退し二歩前進していくべきできなかろうか。指針はこうである。「日本左派運動の懐メロ化に抗し、歴史的に依拠してきた基盤の根底的全面的再検討に着手せよ」。 一応以上で、「日本左派運動に対するれんだいこ提言完結」とする。筆者の目下の思想状況を吐露した。反応を聞かせてもらえば有り難い。 2008.1.22日 れんだいこ拝 |
階級闘争は現実です | パルタ | 2007/06/24 14:22 |
階級闘争はマルクス以前から日本でも、中国でも、欧州でもありました。そして、それは現在の日本、中国、中南米の現実でもあります。今日権力を握っているのは資本家以外の何者でもありません。そして、人は本に書かれた理論を知った時ではなく、生活出来ずに切羽詰まった時に高利貸しや役人、地主、殺人警官、反動軍人と闘うのです。 現在再び若者の間で労働運動が復活したのは食えないからです。しかし、現在の日本のかなりの企業経営者、官僚、政治家が全てロス派の意向で動いているのも事実でしょう。ロスやロックが資本家そのものであったとしても。 中国には階級闘争が必要だったし、今も必要です。しかし、何故結局中国もユーゴもロス派に都合の良い結果にしかなってないのかは考える必要はあると思います。何故中国で共産党が政権を取ったにも関わらず、今日に至るまで中国の労働者は生み出した富を軍閥と財閥と官僚に全て吸い取られて負け続けねばならなかったのか、何故日本の労働者は90年代以降悪化しているのか、貴方の論の中に鍵があるのかも知れないと思ってます。 |
Re:階級闘争は現実です | れんだいこ | 2007/06/24 19:56 |
パルタさんちわぁ。早速のレス有難うございます。階級闘争についですが、れんだいこは階級闘争論を満展開するつもりはありません。歴史を長い通史で見れば、マルクス主義的な階級闘争論で整理できるかとは思います。しかし、歴史その時の実態は、為政者と被支配者の支配の在り方を廻る調整と闘争であり、ことさら階級闘争論を持ち出す必要はないと考えております。歴史は日々の調整と闘争による漸次的変化の連続であり、但し、時代の大きな変わり目に於いて為政者が無能力を呈した場合に回天運動なり革命が必要で、歴史は実際にそのように変化してきたと了解しております。 資本家論についてもマルクス的理解に疑問を感じております。実際には、資本家といっても大手企業と中小零細企業とでは性格が異なっていると思います。経営者を資本家で括るのは飛躍しすぎで、絵に描いたようなワルというのは実際には居ないのではないでせうか。いずれにせよ、度の外れた収奪をしている場合には企業は長続きしておらず、それぞれ社の理念を掲げ、それなりの社会的貢献をしていることで存続しているのではないでせうか。伝統的な日本式経営に従う場合、所得格差もそれほど酷いものではありません。 収奪丸出しの資本家と云うのは、考えてみると、戦前の財閥然り、昨今のハゲタカ経営然りで皆なネオシオニズム系の息がかかっております。彼らは世界を植民地化させ、抵抗者を根こそぎ殺戮し、在地の文化文明を滅ぼしてきました。先進国の場合、彼らは在地の政府と結託し、権力の甘い蜜を吸い、我さえ良ければ式の根こそぎ収奪を体質としております。彼らの処世観には、富むか奴隷となるか、やるかやられるか、やられたら徹底的にやり返すの二元法しかありません。その昔、イエスが激しく弾劾したのも正論でせう。 彼らは昔から金融と軍事利権に絡んでおり、株と戦争でボロ儲けしております。石油、原子力その他資源独占もお手のもののようです。れんだいこ的には資本主義、資本家が悪いのではなく、ネオシオニズム的資本主義、資本家への捻じ曲げが悪いということになります。両者は質が違うのではないでせうか。これを区別せずに論ずると真相が見えてこないのではと思います。その点、このように分析しないマルキシズムと云うのは理論が粗い、そう思います。 現在我々がますます食えなくなっているのは、為政者がハト派からタカ派へ転換して以来です。ハト派時代の日本は、経済成長を図りつつ他方で世にも珍しい国民全般の生活保全に留意し社会保障、年金を整備しております。国際的にも協調と経済援助を行っております。今日から振り返れば善政を敷いていたと云えるのではないでせうか。不思議なことに、れんだいこも含めてその頃は政府批判ばかりしていた。1970年の頃はベトナム反戦運動があり、れんだいこの抗議ももっぱらこの方面から来る正義運動、それに関連するプロテストだったと思い直しております。 1970年代にハト派の絶頂期を演出した角栄−大平同盟がキッシンジャー戦略により鉄槌をくらわされ、1980年代より今日に至る中曽根−小泉同盟によるタカ派政治が始まることにより、善政時代の基盤が構造改革と云う名に於いて全て壊されつつある。こういう時には我々は怒らなければならないのに、逼塞させられている。皮肉なものです。 > 中国には階級闘争が必要だったし、今も必要です。しかし、何故結局中国もユーゴもロス派に都合の良い結果にしかなってないのかは考える必要はあると思います。何故中国で共産党が政権を取ったにも関わらず、今日に至るまで中国の労働者は生み出した富を軍閥と財閥と官僚に全て吸い取られて負け続けねばならなかったのか、 中国は文革で敗北し、ネオシオニズム走資派のケ小平が実権を握って以来、元の木阿弥に戻ったと見立てております。文革は反省せねばならない点が多々ありますが、ケ小平派の観点から見直す理由は何もないと考えております。今日日本に流布されているのはこの観点からのものばかりです。中国は旧文革派が理論を獲得すればいずれ内乱必至でせう。 > 何故日本の労働者は90年代以降悪化しているのか、貴方の論の中に鍵があるのかも知れないと思ってます。 有難うございます。れんだいこ的には、マルクス主義をよく学び、叡智を寄せて出藍しなければならないと考えております。但し、学ぼうにもあの程度の訳本では理解できないと思います。それほど狡知な手が入っていると見立てております。れんだいこ訳の「共産主義者宣言」が読まれることを願っております。市井本は肝心なところの訳が曲げられており、分かりにくくされております。れんだいこはそれを見つけて正訳にしております。あんまり注目されないんだけれども。とかなんとかでまた。 2007.6.24日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)