命題1 | 汝自身を知れ |
更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5)年.5.6日
(れんだいこのショートメッセージ) |
「れんだいこの日本左派運動に対する提言」は、「汝自身を知れ」から始まる。学生運動史の検証から浮かび上がることは、活動家自身が自己の立ち位置の相対化を為しえていないことである。これでは何事も首尾よく進展しない。そういう意味で、まずはここから言及することにする。 数多くの学生運動論が出されているが、筆者から見れば殆ど逆転評価で構成されている。こういうものは学べば学ぶほど馬鹿になる。これについては、提言の「徳球対宮顕、逆転倒錯評価を許すな。日共のネオシオニズム奴隷的本質こそ疑惑せよ」に記す。あるいは無知から来る場合もある。これについては、「ネオシオニズムに対するそもそもの無知から出藍せよ」に記す。筆者は、戦後左派運動が戦後日本の現状規定をそもそも誤ったと考えている。これについては、「戦後日本をどう規定すべきだったか」に記す。理論の過ちにより必然的に実践の過ちを生じる。故に、掛け声だけは革命的ながら空振りに終わってしまう。これについては「戦後日本左派運動の陥穽考」に記す。そういうことを踏まえると、汝自身を知ることが如何に難しくて重要であるかに気づかされる。そういう意味で提言の巻頭に「汝自身を知れ」を据えることにする。 2008.1.10日、2008.8.10日再編集 れんだいこ拝 |
【汝自身を知れ考その1】 | |
(はじめに) |
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「汝自身を知れ」は、古代ギリシャのアポロン神殿に刻まれていると聞かされている。筆者は、つくづく名言にして神言であるように思う。人は自分自身であるのに己を知らない。故に、足下を照らして、自身がまず何者であるかを知ることから始めよ、これが万事の始まりであり終りである、と云われているような気がしてならない。補足すれば、野球の野村監督は次のように述べている。「自分のことは自分が一番よく知っていると思っているかもしれないが、往々にして他人のほうが自分のことをよく知っていることが多い」。名言ではなかろうか。ここで云う「汝自身を知れ」は、野村監督の名言に続く神言だと思えば良い。
日共から目の仇にされ、諸悪の元凶視されてきている角栄であるが、筆者の評は違う。第64代首相の角栄は、「戦前戦後通じて不世出の異能政治家」と称されるべきであろう。その角栄の学生運動活動家を見る眼差しは、かくも温かかった。というか、筆者は、角栄は本質左派の偽装体制派としてのし上がった権力者だったのではなかろうかと推定している。 それに比して、日共の学生運動観は邪鬼を見るように厳しかった。筆者は、角栄と対極的に本質右派にして左派に闖入している偽装左派ではないのかと推定している。日本の近現代政治史にはこういう倒錯、歪み、捻じれが垣間見える。これが生身の政治の実態であることを知らねばならない。それはともかく、時の政権支配者が、こういう眼差しで学生運動を見ていたところに、当時の戦後学生運動家は感謝せねばなるまい。「親の心子知らず」では、ろくな運動が展開できまい。(「田中角栄の徳球系全学連活動家/早坂雇用の意義考」については別途にどこかで論及したい。今は先を急ぐ→「早坂秘書考」) かく構えて、戦後の敗戦の荒廃と不戦の誓い、鳴り物入りで導入された戦後民主主義の理念と諸制度、国家再建の歩みの中から生み出された学生運動の経過を共認していきたい。まだまだ資料が揃わず、且つ筆者の能力が乏しく咀嚼しきれていないところ多々あるが、どうぞ諸賢の力を貸していただきたい。そして、現代、次代の青年子女に読ませたい。ここから生み出される知恵は必ずや明日の社会づくりに有益に資するものがあると思うから。 今我々が確認せねばならないことは次のことである。なぜこの運動が潰れたのか、潰されたのか。その原因を尋ねずんばなるまい。筆者が考えるのに、一貫して横たわっているのは「理論の大いなる貧困」である。これを踏まえずに、左派戦線のかような無惨な落ち込み期に旧左翼であれ新左翼であれ、今なおしたり顔して人様に説教ぶるなどという痴態を許してはならない。その種の厚顔無恥な連中をよそに一路検証、新理論の創造に向かわねばならない。これが肝要であるように思われる。 2008.1.5日再編集 れんだいこ拝 |
【汝自身を知れ考その2】 |
「年相応の分別を弁えよ」。これを「提言1の2」とする。これを提言するのは、「提言1の1、汝自身を知れ」だけでは不十分だと気づいたからである。具体的には、若い時の分別と還暦期の分別に分けて考察されるべきではなかろうかということになる。実際には、その中間項として、青年期分別から還暦期分別に至る振り子の如く行きつ戻りつする壮年期の分別が考えられる。認識はかく、いわゆる弁証法的らせん構造になっている。この識別が存外大事なのではなかろうか。筆者は、この観点を得ることによって、学生運動観を相対化することができたように思う。 若い時の「汝自身を知れ」は、それまでの成長期に培った個人的感性、知性を原資にして活動に取り組むのが流れとなる。青年は青年期特有の尻軽の勢いを特質とし、体内燃焼の活発さに応じて自ずと過激急進主義的に取り組む。これが青年期の特徴だからして、このことが悪いということでは決してなかろう。この過程で更に体験、経験を積み重ね、理論を吸収しながらあるいは切磋琢磨しながらあるいは生を享楽しつつ次第に自身に似合いの智を獲得する。これが流れに逆らわぬ成長の仕方であり、それで良いのではなかろうか。これを仮に「青年期智」略して「青年智」と命名する。 問題は、「青年智」からいつ脱却するかであろう。これは分別のその後の到達点を仮に「還暦期智」略して「還暦智」と命名すると、「青年智」から「還暦智」へはどのように変転して行くのだろうか、これを愚考したい。ここでは「還暦智」の側から考察したい。「還暦智」は「青年智」に比べ、次のような出藍ぶりを見せるのではなかろうか。 青年智が親元を離れ、故郷を離れ、コスモポリタンに憧れる傾向を強める。やがて社会に出て稼ぎ手になりながら世間に揉まれる。この段階の智を「壮年期智」略して「壮年智」と命名する。「壮年智」は「青年智」のパフォーマンスであり、多岐多様な在り方を見せる。仕事を持ち、家庭を持ち、様々に履歴しながらな体験、経験を積み重ね、理論を切磋琢磨しながら次第に自身の気質、能力に応じた智を獲得する。いずれにせよ、社会での落ち着き先を見出す。 次に「還暦智」が訪れる。「還暦智」には明らかに違いが認められる。「青年智」が肯定より否定に向かいがちで、流行理論を追っかける傾向が認められ、「壮年智」が自身のパフォーマンスに精一杯となり、いわば自己発のあれこれで社会に関わるのに比して、「還暦智」は角栄の云うが如く重心が低くなり、世間の持ちつ持たれつ関係を味わうようになり、いわゆる円熟味を増す。「還暦智」は青年智、壮年智とは逆コースに向かい始め、次第に帰巣本能を強め、更には己の出自の民族的宗教的紐帯を嗅ぎ分けるようになる。民族的宗教的紐帯とは社会的アイデンティティーとも言い換えることができよう。これは、青年智、壮年智には備わらない智ではなかろうか。民族的宗教的紐帯に対する気づきは「いわば正しい民族的宗教的紐帯への覚醒」まで問い始める。古より流れるDNA的な民族的宗教的紐帯の真の流れを嗅ぎ取りつつ、時代変化に合わせると云う課題をも引き受けながら、新しい認識を獲得せんとするようになる。 興味深いことに、これに青年智が大いに関係するように思われる。なぜなら還暦智は単に壮年智の延長としてもたらされるのではなく、突如青年智を復活させ、さて余生をどう生きるべきかを問い掛ける面があるからである。そういう意味で、青年智が格別重要なことが分かる。青年智が還暦智を運命づけるからして、若い時の脳に刻まれるシワこそ財産なのかも知れない。こうして、還暦智も又要するにその人に似合いのものを導き出す。これが一般化するのかどうかは分からないが、筆者はこのように自問自答して来たし、筆者的変化は普遍性を持つと考えている。 留意すべきは、青年期に培った批判精神を媒介させるのとさせないのとでは、還暦智の出来上がりの質が違うことであろう。青年期に批判精神を養わないと還暦智に於いてもやはり当局言いなりの御用的通俗智にしか辿り着けない。分かりやすく云えば、政府やマスコミがプロパガンダする通りの口真似しかできない。この子羊性が市民生活に於いて悪政政府によりもたらされる環境公害、食品公害、医療公害の憂き目に遭わされ虐待されることになる。青年期に批判精神を養っておけば、この災難から多少なりとも逃げ出すことができよう。 この精神行脚過程を「成人」と云うのではあるまいか。「成人」とは、身体の成人的変化のみならず精神の成人的変化をも云う。後者の変化を辿らない成人は、「肉体老人、精神未成人」と云われて然るべきだろう。その基準をどこに置くべきかが問われるが、絶対的基準というものはなく、相対的に判断されるべきであろう。今日、「肉体老人、精神未成人」が多過ぎる世の中になりつつあるのは確かである。 この未成人が社会的権力を持たない限りは人様々であろうから大過ない。問題は、「肉体老人、精神未成人」のみならず「肉体未成人、精神未成人」な手合いまでもが大量生産されつつあることである。彼らが社会の要職に就き、中枢にのさばり、権力的に良からぬ事をし始めたらどうすべきか。もはや掣肘せねばなるまい。そうしなければろくな世の中にならず為にならない。現下の政治貧困は、この辺りに起因しているのではなかろうか。 還暦智は、己の社会的責任を嗅ぎ分け、身の回りを処理し、仕事をこなし、地域や職場や団体での協調と指導能力を磨き、良き後継者を育成せんとし始める特徴を持つ。田中角栄の「次第に重心が低くなる」なる弁は、このことを述べているように思われる。筆者が憧憬する天理教教祖中山みきは「山の仙人、里の仙人。里の仙人になれ」と指図している。毛沢東式大衆路線論も同じ意味であろう。その手法もこれまた人により千差万別で、体制内改良主義から革命主義まで、穏和主義から急進主義までいろんな手法がある。人様に極力迷惑をかけない限りに於いては、そのいろんな型が認められるのが健全であろう。肝腎なことは、共同し合えるかどうかである。改良主義と革命主義、穏和主義と急進主義は本来ぶつかり合うものではない。むしろ互いに縁の下の力持ちとなって助け合う補完関係にあるというべきだろう。 これが見識になるべきところ、どういう訳か日本左派運動には通用しない。「我が」、「我が」とお山の大将になり、どちらかが相手を倒さないと気がすまないらしい。それでいて左派運動的に何らかの前進なり権力樹立まで辿り着いているのならまだしも却って後退している。否博物館入り寸前まで追いやられている。こうなるとオカシイというより滑稽なことであるが、実際には多くの血が流されているのでからかう訳にはいかない。補足しておけば、党派間ゲバルトについては、筆者は内ゲバ問題とはみなしていない。これについては、「提言12の暴力主義を否定し競り合い運動に転換せよ」で言及する。 もとへ。それもこれも、汝自身を知らない、分別を弁えない咎めではなかろうか。本来はこのように発育して行くのが自然なところ、現代人は妙なほどに「汝自身を知ろうとしない」安上がり人間にされている気がしてならない。社会が健全に発達していたと考えられる時点に於いては、いつでも上下問わず人には皆な、この弁えがある。逆の場合には、この弁えを欠く。筆者は、これは偶然ではなく、意図的故意な愚民化政策によりもたらされているのではあるまいかと疑惑している。従って、これは解ける問題である。解かねばならない問題である。とりあえず、以上の気づきを提言しておく。誰か、この気づきを共認せんか。以上を提言1としておく。 2008.8.16日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)