お筆先 |
更新日/2024(平成31→5.1栄和改元/栄和6)年.2.14日
(れんだいこのショートメッセージ) |
お筆先の意義については、「お筆先の意義考」に記すことにする。それによれば、お筆先は世界文明的に価値を持つものと評し得るが、それだけの値打ちがありながら表に出されようとしていない。部分的に紹介されることはあるが、お筆先のお歌全体の公開が為されていない。わざわざ読まれ伝えられることができにくくされているようにしか思えない。これはあまりにも馬鹿げていることなので、れんだいこがここにサイトを設け誰でも一覧できるようにしておく。 精密に云えば、著作として公開されていない訳ではない。天理教本部は数種類のお筆先全集を発行しているし、解説本もそれなりにある。れんだいこは、井上昭夫氏の著「おふでさき英訳・研究」(天理教道友社、1987.10.26日初版)を参照しているが、英訳本もある。しかしながら、2007.11.24日現在ネット上で確認しようとしても、天理教本部サイトは無論、各教会のサイトでもごく僅かに言及し、お歌のごく一部を紹介している程度である。天理教研究者のサイトでも同じで、せっかくの教祖直筆であるお筆先の全文が掲げられていない。ネット上で公開されていないのは、例の著作権によるのかも知れない。それにしてもオカシなことである。連中は一体何を考えているのだろうか。手前らが飯を食うネタにのみ教祖を利用しようとしているのだろうか。教祖存命の時もそうであったが、教祖の御教えを己の甲羅に合わせて理解しようとする頑強さが鼻について仕方ない。しかしてそれは信仰とは云わないだろう。 ネット上を丹念に検索したところ、「おふでさき」が部分的ながらこの仕事に取り掛かっている。「お筆先」、「おふでさき全文」が全部掲載していることが判明した。しかしながら、直筆文そのものを掲載しても、現代文感覚からすれば随分分かり辛い。そこで、れんだいこは、読み易いようにれんだいこ文法式現代口語訳で全部掲載した。この試みは、れんだいこが初かも知れない。 教義上重要なものが隠匿されるの現象はお道だけでない。マルクス主義も同じ悲哀の中にあるからして組織の至る所ではびこる普遍現象なのだろう。とまぁ理解して特段に責めようとは思わない。願うらくは、れんだいこのこの営為を邪魔しないでくれ、それだけをお願いしておく。 れんだいこは、思想的なものに著作権を設ける作法を受け入れないし、この場合の当事者教祖中山みきも流行りの強権著作権など弄ばないと思うから、れんだいこがここで、お筆先全文を公開し、本格考察することにする。お筆先全文を知りたいという意味と、市井本の幾つかにお筆先号数の誤りがあるように思われるからである。これを確認する意味からも手掛けることにする。 原文は当時の大和方言と表記法でその多くが平仮名で書かれている為却って分かりにくい。れんだいこがれんだいこ文法に則り現代仮名遣いに改めた。工夫として、お歌の意味に応じて「宣明神意」、「つとめ神意」、「真柱神意」、「予言神意」、「神意一般」、「お歌神言」、「神言一般」、「こうき神示」、「埃-病諭し」、「貸物借物諭し」、「用木諭し」、「秀司諭し」、「屋敷諭し」、「上−高山諭し」、「日本−唐諭し」、「諭し一般」等々の区分ガイドを設けた。それぞれの執筆時期、背後事情が分かれば、なお能く理解できるだろう。 なお、お歌の号順序につき一部変更した。号数順だと意味が通じにくい箇所があり、取次が綴る順序を間違えたと了解し、本来の順序を推定し直した。その際号数は変えずそのままにした。更に、各号のお歌の執筆時期の背後事情を短く解説していく予定である。 2007.11.24日、2012.9.13日再編集 れんだいこ拝 |
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