別章【田中角栄の能力、思想、政治姿勢、資金源、人脈考】 |
更新日/2023(平成31.5.1栄和元/栄和4).4.22日
(れんだいこのショートメッセージ) |
れんだいこが角栄に惚れるのは、人としてのパフォーマンスの質の高さに対してである。云うは易く行いは難しい中で、新潟の寒村の中から麒麟児として羽ばたき、一国の首相の座まで上り詰め、初志貫徹、男の本懐を遂げた。わが国の秩序に牢としてある世に登竜する前提としての学歴、門閥、閨閥もなく、元々は資金もなかった。しかし角栄の類稀なる才覚はそのないないずくめを全て凌駕させ、「天下盗り」の狼煙を挙げつつ突き進んでいくことになった。 れんだいこは、この事業行程自体が「ある種の革命」ではなかったか、という観点を持っている。この角栄の軌跡を「ある種の革命運動であった」という観点から客観化することは、今も新鮮ではないか、と受け止めている。 当然のことながら、一国の総理の座の重みは、「天下盗り」を自己目的とするものではない。角栄が権力を手に入れることにより構想した世界観、社会観の方にこそ真価がある。この偉業は半ば達成し、半ば挫折せしめられた。その挫折は、自身が招いた咎よりもより大きく「謀略」によってもたらされた。ここに角栄の悲劇がある。この悲劇の中に、権力の厚い壁を見て取ることができる。角栄の行く手に立ち塞がったものを客観化することは、今も新鮮ではないか、と受け止めている。 角栄の志は半ばに終わったが、以来角栄は病に倒れる日まで所与の条件下にあって最善の努力をしていた、と評価している。当時のような万力攻めをくらったら、角栄でなければとうに憤死するか脳死していたであろう。恐らくそういう思いにとらわれた日々もあったであろうが、運命を甘受し弄ばれるがままに任せた。 考えようで、これが角栄の最善最強の抵抗であったかも知れない。角栄が堪えて生きたからこそ、私のような角栄信徒が生まれている。恐らく、角栄は、歴史に深く思いをはせ、そういう者が生まれることを期待して、生き様を歴史に最後まで刻もうと決意していたのではなかろうか。後世の者達に、「俺を見よ、踏み台にせよ」のメッセージを伝えんが為に、自らを晒しつづける道を主体的に択んだ、とれんだいこは受け止めている。 この角栄の異能、鬼才を訪ねる事に興味がある。ここを能くすることが角栄に対する最高の史的なもてなしであろうと信ずる。そういう角栄氏のありし日の断片、人となり、思想、姿勢、資金源、人脈等々について見て見たい。 2005.9.8日再編集 れんだいこ拝 |
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