田中角栄式ハト派防衛論考

 更新日/2024(平成31→5.1栄和元/栄和6).2.7日

Re:れんだいこのカンテラ時評293 れんだいこ 2007/05/19
 【田中角栄式ハト派防衛論考】

 (れんだいこのショートメッセージ)

 最近手に入れた「田中角栄の国会演説と各党の代表質問上下巻」(会演説調査研究会、閣文社1990.5.20日初版)所収の所信表明演説と各党代表との質疑の中から見えてくる「田中角栄式ハト派防衛論」を確認したい。今日びのタカ派式防衛論とは様相がまるで違う。このことを明らかにさせ、日本国家及び民族の自立自存に思いを馳せたい。「田中角栄式ハト派防衛論」は、現下の憲法9条改正論議が踏まえるべき今もっての基準となるべきではなかろうか。れんだいこはそう思う。

 角栄の所信表明演説の最近のそれとの大きな違いは、内治外治の両面において満遍なく触れつつも、内治の方により多角的多岐精緻に言及していることである。しかも、より少なく言及されている外治のその過半が国交回復と国際友好親善と経済援助に充てられている。つまり、防衛論につき驚くべきほど寡言であるということになる。そういう事情からかどうか、四次防との絡みもあったのであろうが、各党代表は逆に「角栄の防衛論」を弱点として狙いをつけ質疑し、角栄が答弁するという構図が生まれている。これにより、奇しくも田中角栄式防衛論なるものが遺されることになったのは望外の成果と云えよう。

 れんだいこは、このやり取りをれんだいこ式に整理し、「田中角栄式ハト派防衛論」として纏め、世に打ち出したいと思う。現下の国会とマスコミメディアによる二頭建て牽引によるタカ派防衛論に基づく憲法改正運動に棹差してみたいと思う。最近の主流である「中曽根−小泉式タカ派防衛論」に対して、かってこの国に存在した「田中角栄式ハト派防衛論」を対置させ、後者の方が真っ当でないかと問いかけ直す機会を提供したい。

 遠吠えするばかりの社共式対応で、特に日共の確かな野党論で状況に立ち向かうことは愚昧である。ああいうのは予定された反対運動であり、痛くもかゆくも無く改憲派の手の内にあり、タカ派支配に裏協力している恐れがある。

 思えば、ロッキード事件で揺れた去る日、それによって利益を得たのはタカ派であった。最も激烈に反角栄闘争を仕掛け、容赦のない政界追放運動を牽引したのは日共であった。この両者に黒い糸の繋がりを見るのは、れんだいこだけだろうか。そういう史観を持つれんだいこの、「確かな野党論」による野党分裂政策に固執する日共を見る眼は冷たい。この党はどこまで腐っているのだと云う憤然とした思いがこみ上げている。

 それはともかく、ここで、「田中角栄式ハト派防衛論」を紹介する。憲法改正派に対してこれを武器にせよ、その値打ちは高い。それにしても、かような見解を保持していた角栄を極悪非道人として喧伝し洗脳し続けてきている日共の犯罪性は重い深いと云うべきだろう。日本政治の再生は、角栄の復権評価からしか有り得ない、れんだいこはそう思う。

 2007.5.19日 れんだいこ拝

【「田中角栄式ハト派防衛論概要」】
 「田中角栄式ハト派防衛論」は、日米同盟を受容している。その限りで、吉田内閣最初期の「東洋のスイスたる国際的中立」の立場には立っていない。角栄は、「東洋のスイスたる国際的中立論」に対して、それは理想であるとして却下し、我々は現実論に立つと述べている。思うに、角栄の「日米同盟受容」は、米ソ冷戦構造に於ける体制選択として、米側即ち資本主義陣営に与するという立場の表明であろう。その意義を、自由主義市場体制の擁護に求めていた形跡がある。今日の歴史は統制経済主義を志向したソ連側の体制崩壊を知らせており、「日米同盟受容」の選択の賢明さを教えている。

 「田中角栄式ハト派防衛論」は、その「日米同盟受容」を受けて、それが結果的に憲法前文及び第9条違反であろうとも、日米安全保障条約及びその関連諸法、自衛隊創設及びその関連諸法を受容している。これを日米安保体制と云う。この堅持については、ハト派とタカ派の相違はない。ハト派とタカ派の相違は、この次から始まる。

 「田中角栄式ハト派防衛論」は、「憲法前文及び第9条違反」の日米安保や自衛隊を認めるが、「憲法前文及び第9条」を重石として、極力整合的であるべきだとする。必然的に吉田内閣以来の解釈改憲を引き継ぐことになる。これに対して、タカ派は、「憲法前文及び第9条」を否定して、極力憲法改正すべきだとする。もはや解釈改憲を限界として、小難しい話を神学論争として一蹴していくことになる。つまり、「田中角栄式ハト派防衛論」は、護憲を前提にした軍事防衛論である。タカ派防衛論は、改憲を前提にした軍事防衛論である。一見似ているが、この違いは大きい。

 国防の基本方針は具体的には次のように定められる。その1は、日米安保体制に対する対応問題となる。ハト派は、米ソ冷戦構造に於ける体制選択としての資本主義陣営仲間入りという立場からのものであり、その限りにおいて盟主米国との繋がりを重視する。が、この体制下で憲法の明示する国際法の遵守、国際協調、国際平和創造に向かうというスタンスを採る。特徴的なことは、日米安保体制のくびきに置かれつつも、極力主権国家として振舞おうとするところにある。

 タカ派のそれは、米国を指導する国際金融資本の世界支配戦略に与し、日本を二等国家として存立せしめていくことが「国家百年の計」であるとする強度の日米安保体制深のめりスタンスを採る。ハト派の国防論を安保ただ乗り論として批判し、戦費の積極的負担に向かう。次に戦費のみならず自衛隊の派兵へと向かう。国際法は臨機応変のものとしてさほど重視せず、国際金融資本の論理と論法が正義だとして言いなりになる。そういう訳で、日本は隷従国家として振舞うことを辞さない。否、世界に先駆けての一番乗り支持を競う。

 その2は、自衛隊及びに軍事防衛費対する対応問題となる。自衛隊をどの程度まで育成発展させるのか、自衛隊の防衛区域はどの辺りまでかを問う。ハト派は、主権国家としての自衛の為に必要とする最小限度としての防衛力の漸進的整備を目指し、今後の経済運営に支障となることのない限りに於いてという制限を設ける。軍事防衛予算の「GNP1%枠」と「専守防衛枠」で歯止めをかける。タカ派は、その「GNP1%枠」と「専守防衛枠」を取り外し、国際責任論を唱えて国際金融資本の世界支配戦略の指図のままに世界各地の紛争への積極関与を目指す。現在、自衛隊の戦地派遣に続いて前線戦闘が画策されようとしている。

 その他3・米軍基地に対する対応問題、整理統合と負担問題、4・武器開発及び輸出禁止問題、5・非核三原則及び原子力開発問題、6・日米合同演習問題等々があり、それらいずれにおいても、ハト派の抑制に対してタカ派の積極という構図にあり、目下はタカ派の方針へと振り子が動いている。総じて、ハト派の目指すのは国際協調国家であり、タカ派の目指すのはネオ・シオニズム配下の好戦国家という違いになる。

Re::れんだいこのカンテラ時評832 れんだいこ 2010/10/23
 【在りし日の角栄の防衛論考】

 田中角栄の首相前の憲法観、憲法改正論、防衛論の開陳はなかなか見当たらない。角栄の専門は国土設計に始まる経済通による正味の政治を心がけ、或る意味で避けていたと思われる。対極的なのは中曽根で、軍事防衛、原子力行政、憲法改正論を威勢よく説きまくっていた。その癖底なしの経済音痴であった。未だに重鎮ぶっているが、中曽根を引き出すメディアの粗脳ぶりが知れよう。

 その角栄が、1962(昭和37).2.6日のロバート・ケネディ司法長官の来日懇談会で珍しく防衛論議している。これを確認する。出席したのは、ロバート・ケネディ司法長官、田中角栄政調会長、中曽根、江崎真澄、石田博英、宮沢喜一、山中貞則ら当時の自民党中堅であった。席上、ロバート・ケネディ司法長官が、日本の防衛力増強を持ち出した。背景に沖縄返還が日程に上りつつあったようである。この時、角栄は次のように述べている。

「アメリカが沖縄を返すに当たっては、アメリカが日本に憲法改正、再軍備を提起し、日本がそれを受け入れることが必要だ。日本の憲法が改正され、再軍備して共同の責任で防衛体制をとらねばできない」。

 角栄のこの発言は、自民党籍の角栄としては無難な成り行き発言であろう。この発言が国会で槍玉に挙げられることになる。しかし、上述の発言はリップサービスに過ぎず、角栄の真骨頂は次の発言にある。

 概要「なるほど、あなたの云うのは理屈だ。ただ防衛力増強と云われるが、アメリカが敗戦国である日本に押し付けた憲法は我が国に根付いてしまった。今や大木に成長している。大きな枝ぶり一本でも伐ろうとすれば、内閣の一つや二つは吹っ飛ぶ。根こそぎ倒そうとすれば、世の中がひっくり返る。しかし、我々にしても、あなたたちにいつまでも『おんぶに抱っこ』では申し訳ない。だから、どうしても防衛力を増やしてくれと云うのなら、アメリカから日本国民に対し、改めて日本国憲法の成立過程について一言あってしかるべきではないか」(佐藤昭子「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」)。

 角栄のこの発言は、(起論)米国の対日防衛力増強要請。(承論)防衛力増強の為には憲法改正を要する。(転論)ところが同じく米国によって押し付けられた戦後憲法が根づき大木に成長している。(結論)内閣が吹っ飛ぶ。世の中がひっくり返ると述べ、困難さを述べ間接的に否定していることになる。即ち、今日風に意義を確認すれば、米国の対日要請を御用聞き的に一方的に鵜呑みにするのではなく、政治的にかなり難しい要請であると切り返していることになる。その上で、「我々にしても、あなたたちにいつまでも『おんぶに抱っこ』では申し訳ない故に協力する」と述べ、但し、「アメリカから日本国民に対し、改めて日本国憲法の成立過程について一言あってしかるべきではないか」と注文を付けている。

 見事な切り返しではなかろうか。ところが、当時のマスコミメディア、社会党、共産党が最初のリップサービス発言を捉えて「日本の憲法改正・再軍備発言」であるとして問題化させた。2.9日、衆院予算委理事会で取り上げられ、角栄が「発言は遺憾であった」と釈明させられている。池田首相が次のように釈明している。 「沖縄、小笠原返還の前提条件に、仮にアメリカから憲法改正、再軍備強化などの要求を出されると大変なことになると発言したのが真意」。国語読解力的に見て、池田首相のこの理解の方が正しい。角栄は、「失言の池田と云われる俺が尻拭いするとは」と池田首相からお目玉を食らい「髭でもそるか」としょげ返る。これに対して、米国留学中の長女・真紀子が「ヤジ、ヒゲソルナ」と電報を打ってきたとの逸話がある。

 以上は、角栄の希少な憲法論、防衛論である。れんだいこは、角栄が部分で憲法改正を論じたこともあろうが、彼は真底の戦後憲法擁護政治家であったと判じる。その護憲ぶりは、口先社共の及ぶところではない。角栄こそ形骸化されつつある憲法の受肉化を政治と政策で後押ししていたのではあるまいか。

 付言すれば、米国即ち国際金融資本帝国主義の宗本家は、保守政党に在ってこういう異能的な政治能力を持つ角栄を早くより要注意政治家としてマークし続けていた。文芸春秋2001.8月号「角栄の犯罪25年目の真実」に発表された「国務省・電信機密文書655及び586」の「タナカ・ザ・マン」(インガソル駐日大使の詳細な「田中角栄レポート」)には次のように記されている。れんだいこが意訳要約する。詳しくは、次のサイトに記す。

 「アメリカ特務機関及び国務省の角栄レポート」
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/sisosiseico/cianokakueihyo.htm)  

 「田中角栄は、日本のためには優れた政治家であっても、それがアメリカの利益になるかどうかは未知数である。現在、福田と首相のイスを争っている。田中は、これまでの首相と違って学歴が低い。その為に軽蔑されている。彼の政治能力は高く、人を操縦するのも上手く、主要ポストを歴任して名声を上げている。最近、アメリカとの間で長年患っていた繊維問題も巧みに処理した。こたびの総裁選は、福田、田中、大平、三木で争われている。田中以外の3人が総裁になった場合、いずれとでも上手くやっていけるだろう。田中だけが我々との絆を持たず、それどころか接点すら持っていない。何をやりだすか分からない」。

 かく警戒されていた角栄が政権を取り、頭越しの日米交渉を出し抜くかの如く日中国交回復をやり遂げ、続いてソ連との交渉に向かい始めた。北方領土問題と云う難題があったが、シベリア共同開発に向けてお膳立てを整えつつあった。オイルショックに見舞われるや、日本外交上稀有の親アラブ政策を打ち出し石油資源確保に取り組んだ。続いて次世代燃料のウラン確保にも向かった。こういう逐一が、国際金融資本帝国主義の烈火の怒りを買い、キッシンジャーの断固たる指令が下された。用意万端一年後、ロッキード事件が勃発する。今で云う「鉄の検察ストーリー」が拵えられ、政財官学報司警の七者機関が総動員された。後の喧騒は承知の通りである。

 もとへ。こういう角栄の政治履歴を思えば、立花、日共式諸悪の元凶論を俎上に乗せ直すべきではなかろうか。中曽根以来麻生までの歴代自民党首相の粗脳、鳩山、菅の歴代民主党首相の粗脳を見せつけられるにつけ思う次第である。如何にマスコミメディアが中曽根、小泉を名宰相と囃したてようとも、「国務省レポート」の方が正しい。公開されていないが、「派手なパフォーマンスによる政治芸能力を持つので利用するのに具合が良い。どうにでもなる機会主義者であり、我々が金玉を抑えている」と記しているのではなかろうか。

 明日は小沢擁護集会が有るとのことである。れんだいこも行きたかったが諸般の事情で行けない。またの機会に出向かせて貰おうと思う。ネットで様子を確認するのを楽しみにしている。どなたかチューブを頼む。

 2010.10.23日 れんだいこ拝

【1972.10.28日の第70回臨時国会に於ける「田中角栄式ハト派防衛論発言集」】
 最近世界的に緊張緩和の動きが見られるとはいえ、我が国が今後とも平和と安全を維持していくには、米国との安全保障体制を堅持しつつ、自衛上最小限度の防衛力を整備していくことが必要であります。このたび、政府が第四次防衛力整備計画を決定しましたのもこのためであります。(中略)

 戦後四半世紀にわたり我が国は、平和憲法のもとに一貫して平和国家としてのあり方を堅持し、国際社会との協調協和の中で発展の道を求めてまいりました。私は、外に於いてはあらゆる国との平和維持に努力し、内にあっては国民福祉の向上に最善を尽くすことを政治の目標としてまいります。世界の国々からは一層信頼され、国民の一人ひとりがこの国に生を受けたことを喜びとする国を作り上げていくため、全力を傾けてまいります。あくまでも現実に立脚し、勇気をもって事に当たれば、理想の実現は可能であります。私は、政治責任を明らかにして決断と実行の政治を遂行する決意であります。

 (1972.10.28日の第70回臨時国会に於ける所信表明演説)。
 日本の防衛費が大きいかどうかという問題を例に挙げて申し上げます。防衛と云うものは、よその国の防衛なのではないのであります。自分を含めた国民全体の生命と財産をどう守るかというのであります。まず、その防衛体制が妥当であるかどうかという問題を考えるには、世界の国と比較することも一つの案であります。(中略)

 このように、各国はそれぞれ自国の防衛の為に相当の努力を払っておることを知らねばなりません。その意味から考えてみましても、わが国においても、この程度の負担をするのは止むを得ないことだと思うのでございます。非武装中立論を前提にして国防論や防衛論をする方々との間には意見の相違があることは止むを得ませんが、しかし、国防や防衛という問題をそのような観念論によって律することはできないのであります。(中略)

 日米安全保障条約を廃棄しなければならないというような端的な議論には与しないのでございます。(中略)自らの見識に於いて、自らの責任において、どうして自らを守るかという事については、数字に立って、現実を直視して、後代のためにも誤りの無いように努力すべきであると思います。

 (1972.10.28日の第70回臨時国会に於ける所信表明演説に対する10.30日の日本社会党成田委員長質疑に対する答弁)
 それから第三は、経済大国日本が軍事大国にならないかという問題でございますが、経済大国になりますと政治大国になるということは、これはもう当然でございます。日本が経済大国である。即ち、日本の輸出入の動向によって世界の情勢に影響を与えるということでありますから、好むと好まざるとにかかわらず政治的な影響を持つことは避けがたいのでございます。

 しかし、軍事大国にはならない。これは憲法が明定をしておるのでございます。国際紛争に対して日本は武力をもって解決できない、こういう大前提があるのでございまして、憲法を守ろうということを言う人は、特にこの事実を理解すべきでございます。でありますから、日本の防衛力がどのような状態になろうとも、侵略的なものとか軍事的な大国と云うものには絶対に無縁のものである。日本を守るという全く防衛一筋のものであるということを理解すべきでございます。

 (1972.10.28日の第70回臨時国会に於ける所信表明演説に対する10.30日の自由民主党桜内義雄質疑に対する答弁)
 アジアの平和構想を確立するため、日米安保を解消し、非軍事的な日米友好条約を結んではどうかとう御発言でございますが、毎々申し上げておりますとおり、日米安全保障条約は、日本の安全と独立を確保するために必要なものとして、これを廃棄するとか変更するとかという考えは全く持っておりません。(中略)

 我が国は、政治信条、社会体制のいかんにかかわらず、全ての国との友好的関係を維持してまいりますが、そのことが即等距離・中立の外交とはなり得ないのでございます。あくまでも自主外交でありますが、構造的に見ても、量的にみても、我が国の平和外交は自由主義陣営の一員として、これと密接な関係の上に立って進めることが、より効率的であると考えておるのでございます。(中略)

 なお、なぜこれほどの軍備増強をするか、日本に対する脅威の実体とは何かとか、自衛力の限界を示せ、兵器国産化は産軍複合体の危険がある、兵器輸出禁止法をつくったらどうか、こういういろいろな御指摘をいただきましたが、我が国国防の基本方針は専守防衛を旨とするものであり、四次防は、アジアの緊張を高めるような軍拡や軍備増強の計画では全く無いということは先ほど申し上げたとおりでございます。(中略)

 しかしながら、我が国の防衛力は、一次防以来の各防衛力整備計画によって逐次充実されており、今後どこまで伸びるかと云う問題に答える必要はあると思いますので、凡その整備目標を検討するよう防衛庁に指示をしているわけでございます。

 (1972.10.28日の第70回臨時国会に於ける所信表明演説に対する10.30日の公明党竹入義勝質疑に対する答弁)
 それから、きのうの桜内議員に対する答弁につきまして、私の真意に対するご質問がございましたが、私は速記録をみまして、十分私の真意を伝えていないような点もございますので、ここに改めて考え方を申しのべます。

 世界に類例の無い我が国憲法の平和主義を堅持してまいりますことは、申すまでも無いことでございます。その前提には変わりはないのでありますが、無防備中立の考え方と、最小限必要な自衛力をも持つという私どもの考え方とは合わないのであります。この際、明確にいたしておきます。(中略)

 独立国である以上、独立を保持し、その国民の生命財産を確保してまいるためには防衛力を持たなければならないということは、論の無いところでございます。理想的には、国連を中心とした集団安全保障体制が確立することが望ましいことでございます。しかし、現実の状態を見ますと、この機構は完備せられておりません。スエズが閉ざれても、これを開放する力もありませんし、御承知のアラブとイスラエルが毎日報復爆撃をやっておっても、これをとめることのできないような状態においては、最小限自分で自分を守るだけのことはしないければならぬのであります。

 そういう意味で、最小限度の防衛力を保持するということは当然んのことでございますが、しかし、もう一つの理想的な姿としては、自分だけで守るか、複数以上の集団安全保障の道をとるかということでございますが、これは東側、西側を問わず、自分だけで守ろうという国はないのであります。みんな複数以上で集団安全保障をとっております。日本だけがその例外になろうということは、それはできません。そういう意味で、国民の生命と財産を守らなければならない、しかし、国民負担は最小限度で理想的な防衛体制でなければならないというと、どうしても日米安全保障条約が必要になることは、過去四半世紀近い歴史に明らかなところでございます。(中略)

 それから、専守防衛ないし専守防御というのは、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱら我が国土及びその周辺に於いて防衛を行うということでございまして、これは我が国防衛の基本的な方針であり、この考え方を変えると云うことは全くありません。なお戦略守勢も、軍事的な用語としては、この専守防衛と同様の意味のものであります。積極的な意味を持つかのように誤解されない−専守防衛と同様の意味を持つものでございます。

 (1972.10.28日の第70回臨時国会に於ける所信表明演説に対する10.31日の民社党春日一幸質疑に対する答弁)
 先ほど述べましたとおり、世界に類例の無い我が国憲法の平和主義を堅持してまいりますことは申すまでも無いことでございます。こういうことでございますので、ご了承を賜りたいと存じます。

 (1972.10.28日の第70回臨時国会に於ける所信表明演説に対する10.31日の日本社会党堀昌雄質疑に対する答弁)
 安保条約を廃棄せよ、沖縄の毒ガスを点検せよ、四次防を撤回せよ、四次防を国会にはかれという問題でございますが、安保条約の目的は、間々申し上げておりますとおり、我が国の安全を確保することにありまして、政府としては、これを堅持してまいるつもりでございます。同様の理由により、四次防を撤回する考えもございませんし、四次防は重大な問題でありますので、国会においてはもとより、広く国民各界各層において議論していただきたい、こう考えるのでございます。しかも、防衛問題に対する国会の審議機関としては、各党にもお願いを申し上げておりますが、安全保障に関する常任委員会のごときものを設けていただいて、十分国会でご審議いただくのが正しいと考えておりますし、政府もそうお願いをしておるのでございます。

 (1972.10.28日の第70回臨時国会に於ける所信表明演説に対する10.31日の日本共産党不破哲三に対する答弁)

【1973.1.27日の第71回臨時国会に於ける「田中角栄式ハト派防衛論発言集」】
 第二次世界大戦後、四半世紀の歳月が過ぎました。国際政治は、力による対立の時代を経て、話し合い、強調へと移行してきました。これは、緊張と混迷の中で多くの経験を積んだ人類の英知の勝利であります。我が国は戦後、世界に例の無い平和憲法を持ち、国際紛争を武力で解決しない方針を定め、非核三原則を堅持へ四、平和国家として生きてまいりました。これは正しい道であったと思います。

 今日、大きな経済力を持つに至った我が国は、国際政治、国際経済の転換期の中で、平和の享受者たるにとどまることなく、新しい平和の創造に進んで参画し、その責務を果たすべきであります。この際、平和を一層確実なものにするため、核を初めとする全般的な国際軍縮に貢献してまいりたいと考えます。(中略)

 この機会に、我が国の防衛について一言します。我が久那が必要最小限の自衛力を保持することは、独立国として平和と安全を確保するための義務であり、責任でもあります。しかし、自衛力の保持と合わせて、日米安全保障体制を維持しつつ、国際協調のための積極的な外交の展開、物心両面における国民生活の安定と向上、国民すべてが心から愛することのできる国土と社会の建設、これらがしっかり組み合わされる中に、我が国の平和と安全が保障されることを強調したいのであります。

 (1973.1.27日の第71回臨時国会に於ける所信表明演説)
 防衛費と攻撃性の強いT2改機などの問題について言及がございましたが、防衛費につきましては、世界の各国が必ず、自分を守るために防衛費を組んでおります。私も、今日勉強してまいりましたが、日本以外の国々で、歳出に占める防衛費で日本よりも小さい国は見当たりませんでした。しかも、一番大きいのは40%を越している国もございますし、30%を越している国もございます。四次防を含めて、我が国の歳出に占める防衛費は、わずかに7.1%、8%未満である事実も十分ご理解をいただきたいと思いまして、私は、やはりこの程度の負担は、日本の独立と自由を守るためには必要なものである、こう考えておるのであります。

 我が国の防衛力は、憲法に許容する範囲内に限られ、侵略的、攻撃的な装備は保有できません。これは、石橋さんご指摘のとおりでございます。四次防もこの制約に従ってつくられたものでございます。47年度の防衛予算の中にも、その意味で、攻撃的な装備は一切含まれておりません。FST2改支援戦闘機につきましてもご言及がございましたが、次得ての為に必要な装備でございまして、同機の行動半径は短く、攻撃的脅威を与えるようなものではないことは、ご専門である石橋さん、十分ご理解をいただきたい、こ思います。

 どこまで日本の軍事力を増強するのか、平和時に於ける自衛力の限界なるものについてご言及がございましたが、先ほども申し上げましたように、我が国の防衛力は、憲法の許容する範囲内で、国防の基本方針にのっとり漸進的に装備を進めておるものでございますが、昨年四次防を決定しました際、我が国の防衛力は今後どこまでも無制限に増加するのではないということを明らかにできれば、国民の防衛に関する理解を得るためにも幸いであると考え、平和時の防衛力として防衛庁に勉強、研究するように指示したものでございます。これは非常に難しい問題でございますが、防衛庁では真剣に研究をしてくれておるのでございます。戦犯その考え方につきまして説明を聞いたのでございますが、中間報告の段階でございまして、指す州的な説明を受けるに至っておらないわけでございます。現に勉強中とご理解賜りたいと思うわけでございます。(中略)

 日米安全保障条約と四次防の中止のご発言がございましたが、先ほども申し上げましたように、我が国の防衛力は、憲法を守り、必要最小限でなければならないということでございます。また、必要最小限の負担で独立と自由を守るためには、日米安全保障条約が不可欠なのでございます。そういう意味で、日米安全保障条約を維持しながら、最小限の負担で日本の独立、自由を守ってまいりたいという悲願をご理解賜りたい。

 (1973.1.27日の第71回臨時国会に於ける所信表明演説に対する1.29日の日本社会党石橋政嗣質疑に対する答弁)
 国の安全保障に対する基本的見解について御発言がございました。自国民の生命と財産を守らなければならないことは国の義務であります。そのため、国防の基本方針に基づいて、最小必要限の自衛力を漸進的に整備し、将来、国連が有効な平和維持機能を果たし得るに至るまで、どうしても日米安全保障体制を維持しなければならぬのであります。先ほどもお答えを申し上げましたが、最も合理的な負担に於いて専守防衛の実をあげておる日本としては、日本だけで平和と独立を守れないと云う状態でありますので、日米安全保障条約と合わせて、日本の完璧な安全を保障しておる、これは不可分なものであるということを十分ご理解いただきたいものでございます。

 言うなれば、日米安全保障条約というものがもし廃棄されて、日本だけで防衛を行うとしたならば、今のような四次防が大きいなどという考え方、そんなものでは日本が守れるものではないという事実を、十分ご理解いただきたい、こう思うのでございます。その意味で、国連が有効な平和維持機能を果たし得る日まで、日米安全保障条約を維持してまいる、こう申し上げておるのでございます。しかし、これらの問題だけで解決できるのではなく、国際協調のための積極的な外交、物心両面に於ける国民生活の安定と向上、国民が心から愛することの出来る国土建設等の内政諸施策を推進して、これらの努力の総合の上に、我が国の独立と安全が保障されると考えるのであります。

 先ほどもご発言がございましたが、我が国は、平和な島国に閉ざされて、恵まれた四半世紀を過ごしてまいりましたので、ややもすれば防衛問題に対する関心が薄いかも知れませんが、その当否はさておき、国会の内外において論議が重ねられ、国民の合意が得られるように、政府は努力してまいりたいと考えるのであります。

 (1973.1.27日の第71回臨時国会に於ける所信表明演説に対する1.29日の自由民主党倉石忠雄質疑に対する答弁)
 日米安保条約の解消論にお触れになりましたが、我が国と米国を含む自由主義諸国との雄渾関係は、現在のアジアに於ける国際政治の基本的な枠組みの重要な柱になっております。このような枠組みの中で、政治信条や社会体制を異にする諸国とも友好関係の積極的な増進がはかられておるのであります。日米安保条約を解消することは考えておりません。

 軍備増強政策等に対しての御言及がございましたが、我が国は、憲法を守り、必要最小限の自衛力で自由と独立を守っていくことは国としての義務であり、責任であります。我が国は無制限な防衛力の拡張など全く考えておりませんし、厳重な制約もあることを承知いたしております。

 平和憲法下に於ける自衛力の限界ということでございますが、平和時の自衛力の限界という問題のように思いますので、その意味でお答えをいたしますが、昨日もお答えを申し上げたとおり、防衛庁に、難しい問題であっても、四次防等、国民の理解を得るためには、研究、勉強して欲しいと云うことを望んでおるわけでございます。国会も再開されるに当たって、防衛庁長官から中間報告を聴取いたしましたが、まだ結論が出ておりませんので報告になっておりませんが、引き続いて開かれる予算委員会でもこの審議が当然行われるはずであるから、引き続き早急に勉強して欲しいということを私からも依頼をしてあるわけでございます。

 (1973.1.27日の第71回臨時国会に於ける所信表明演説に対する1.30日の公明党浅井美幸質疑に対する答弁)

【1973.12.1日の第72回国会に於ける「田中角栄式ハト派防衛論発言集」】
 (1973.12.1日の第72回国会に於ける所信表明演説)

 珍しいほどにこの時、田中首相は、「当面緊急を要する諸問題について所信の一端を申し述べる」として、石油危機、中東問題、物価騰貴等の諸問題に言及して、軍事防衛問題に全く言及していない。
 1973.12.1日の第72回国会に於ける所信表明演説に対する12.3日の日本社会党勝間田清一質疑に対する答弁。

 「防衛費の削減、四次防の計画を中止せよとのことでございますが、間々申し上げておりますとおり、日本の防衛力なさ最小限のものを目標としております。しかし、防衛は国の基本であり、国民の生命、財産を守り抜くため最も重要なものでございます。その意味で、四次防を中止する考えはございません」。
 1973.12.1日の第72回臨時国会に於ける所信表明演説に対する12.3日の自由民主党石田博英質疑に対する答弁。

 「私が内閣を組織致しまして依頼、中国とは国交を正常化し、ドイツ民主共和国、ベトナム民主共和国とも外交関係を設定し、社会体制を異にする国家との交流を通じ、東西間の緊張緩和に貢献することを我が国外交の基本の一つとしておるのでございます。南北問題につきましても、まさに相手国の立場に立ち、その発展と民生の向上に寄与することを前提にしなければならず、右を踏まえまして、近く東南アジアの諸国を訪問し、親善友好の実をあげたいと考えて居るのであります。平和憲法をいただき、平和外交の推進を外交の根幹とする我が国と致しましては、武力による領土の獲得及び占領は許容できないところでございます。これこそ歴代自民党政府の一貫した外交の柱なのであります」。

【1974.1.21日の第72回国会に於ける「田中角栄式ハト派防衛論発言集」】
 (1974.1.21日の第72回国会に於ける施政方針演説)

 「自衛隊の施設及び在日米軍に提供中の施設、区域の周辺地区に於ける民生安定諸施策を抜本的に強化するため、新たな法律案を今国会に提出するほか、米軍が使用する施設、区域の整理統合についても引き続き真剣に取り組んでまいります。なお、昭和49年度に於ける防衛費については、当面する内外の情勢を十分勘案し、総需要抑制の見地からも、必要最小限の経費計上にとどめました」。(珍しいほどにこの時、田中首相は、「当面緊急を要する諸問題について所信の一端を申し述べる」として、石油危機、中東問題、物価騰貴等の諸問題に言及して、軍事防衛問題に全く言及していない)
 (1974.1.21日の第72回国会に於ける施政方針演説に対する1.23日の日本社会党成田知巳質疑に対する答弁) 

 「第三は、米国の核の傘の下にある問題について言及されましたが、核軍縮のため大きな努力が払われておりますが、その実現が達成されていない現在の国際情勢のもとにあっては、我が国の安全を維持するために日米安全保障条約に依存する必要があることは、政府が間々申し上げておるとおりでございます。このことは国会決議にもとるものではなく、政府としては、核兵器の全面的な禁止という究極の目標に向かって引き続き努力を傾けてまいる所存でございます」。
 (1974.1.21日の第72回臨時国会に於ける施政方針演説に対する1.24日の日本共産党金子満広質疑に対する答弁) 

 「第二次世界大戦に於ける日本の立場に対して言及がございましたが、当時の問題は歴史のかなたの問題でございまして、現在の日本は、新しい平和主義のもとに立って、国際協調の理念に従って行動しておることは、全世界の認むるところでございます。(中略) 最後に、日米安全保障条約を廃棄するか堅持するか、もちろん堅持をするのでございます。日米安全保障条約を廃棄するような状態の中で真の民主的な日本が成長するとは思っておりません。日米安全保障条約を堅持することによって、国民の負担を最小限にとどめながら、独立と平和を守り、真の日本の民主政治を確立してまいりたい、これが政府の基本であります」。
 (1974.1.21日の第72回臨時国会に於ける施政方針演説に対する1.24日の公明党竹入義勝質疑に対する答弁) 

 「最後に、防衛関係費等について申し上げますが、我が国防衛費の一般会計歳出予算に占める割合は、ここ20年間ほぼ一貫して低下しており、国民総生産に占める比率も諸外国に比してはるかに低位に置かれているのが実態でございます。総需要抑制の見地から、四次防の主要項目にかかる装備品の一部について調達を繰り延べることに致しましたが、四次防を中止することは考えておらないのでございます。なお、平和愛好国として我が国のイメージは定着しており、私が歴訪したいずれの国におきましても、日本が軍国主義復活のごときことは一切聞かれませんでした。だから、やはり日本人も自信を持って、私は、日本は真の平和愛好国家として世界の平和に寄与したい、こう言ったら、皆拍手しておるわけでございますから、平和に対しては自らが自信を持つことであります。そして、この大目的達成のために邁進をすること以外に無いということを申し上げて、答弁を終わります」。

Re::れんだいこのカンテラ時評711 れんだいこ 2010/04/16
 【戦後憲法体制と角栄、そのハト派的意義考(角栄の内治主義的政治の特質考)】

 はじめに

 角栄の政治家論、陳情政治論、政治資金論を確認したついでに角栄政治論そのものを確認しておくことにする。世上に意図的故意に流布されている立花式諸悪の元凶論とは大きく面貌を変えるであろう。なぜ今、角栄を問うのかと云うと、鳩山政権に聞かせたいからである。この思いが通じるだろうか。政治には常に針路をどちらに取り、どう舵を切るのかが問われる。困った時にはカク頼みが良いのではなかろうか。

 歴史は妙な縁を取り持つ。ロッキード事件の際に調子こいた捜査主任検事にして、後に第18代検事総長の座を射とめる吉永祐介は1932年の岡山県岡山市生まれである。他方、通産省随一の俊英として評価を得て後に角栄秘書、アラビア石油社長となった小長啓一は1930年の岡山県備前市生まれである。二人は共に東大入学が保証付きであったところ地元の岡山大学に請われて進学した誉れの同期であり、在学時より双璧の秀才として並び称されていた。その二人が後年、角栄を廻って真反対の立場に立つことになる。滅多にあることではなかろう。

 れんだいこは、同じ秀才ながら吉永はどこにでいる本質的に利巧バカであり、小長こそ滅多と居ない真正の秀才ではなかろうかと受け止めている。一度お会いしたいのだが、誰か労を取ってくれないだろうか。そういう訳で吉永については関心がない。角栄師事派の小長氏は、次のように評している。「田中さんが節々でやらせたことは後世の歴史家から必ずや高い評価を受けるときが来ると思っています」。 れんだいこは小長氏の眼力に誼を通じる。れんだいこの見るところ、角栄はそのどれもに卓越した政治的先見性、決断力、独創的で高度な政治哲学をもっていた。こう確認すべきではなかろうか。

 こう確認しないと、あまたの有能官僚が角栄に靡いた史実が理解できない。低脳評論家は、角栄がカネの力で官僚を手なづけたと何の疑問もなく云う。バカなことを云うでない。カネの力で籠絡される官僚が居たとしてもそれは低脳のシオニスタン官僚止まりであり、優秀な官僚ともなると人物の値踏みによってしか動くまい。普通に考えれば分かることが、巷の角栄論には通じない。

 ところで、ロッキード事件の立役者たる立花は「田中真紀子研究」の中で次のように記している。「今の日本の政治に起きていることを本当に理解しようと思ったら、さまざまな意味で、角栄政治、角栄の時代に立ち戻ってみる必要があるということである。そこまで立ち戻ってみないと、小泉改革がなぜ必要になったのかわからないし、小泉改革がなぜうまくいかないのかも分からない」。

 この観点は丁度、れんだいこと反対の立場から、「角栄政治、角栄の時代」を見つめなおそうとしている点で興味深い。角栄政治には、「戦後憲法体制上のハト派的首領」という政治史的な偉業が有り、この面での分析を欠いては評せない。にも拘わらず、角栄政治は、立花―日共―マスコミを始めとした自称インテリ派によって金権政治の諸悪の元凶として非難され、政界訴追されていった。

 日共に限って云えば、エセ左派運動の為すことはいつも変調である。れんだいこが日共問題に深く言及する所以がこにある。日共式運動を左派運動などと思っている間中、日本左派運動はマガイモノに耽り続けることになるだろう。もうエエカゲンに終わらせなければなるまい。そうなると、少なくとも六全協より語らねばならない。と云って見ても、六全協そのものを知らないレベルではどうにもならない。

 もとへ。この間、角栄政治の戦後政治史的位置づけや学問的分析が為されることなく今日に至っている。そこで、れんだいこが角栄論に挑んでいる。いつか次の世代の誰かが継承してくれるだろう。角栄が見直され、真に偉大な且つ独裁化することのないシャイな政治家であたことが共認される日が来るだろう。西郷隆盛論然り、歴史は重要な箇所で大きく歪曲されている気がしてならない。

 角栄政治の概要は「田中角栄の政治姿勢」に記したので参考にしていただくとして、ここではハト派的側面に絞って考察してみることにする。題名を「戦後憲法体制と角栄、そのハト派的意義考(角栄の内治主義的政治の特質考)」と命名する。要するに、角栄政治とは何かという課題である。以下、角栄の内治主義的政治の特質その1、社会基盤整備行政。角栄の内治主義的政治の特質その2、反防衛族的軍事費支出抑制と題して考察する。

 該当サイトは「戦後憲法体制と角栄、そのハト派的意義考(角栄の内治主義的政治の特質考)」
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/sisosiseico
/kakueiseijinohatohaco.htm)


 2005.9.11日、2010.4.16日再編集 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評712 れんだいこ 2010/04/16
 【角栄の内治主義的政治の特質その1、社会基盤整備行政】

 元全学連草創期の闘士にしてオルガナイザーにであり、後に角栄のスポークスマン的役割を果たした角栄秘書の早坂茂三氏は著書「怨念の系譜」で次のように述べている。

 「新潟県の農民は農地改革で自作農になったが、道路や鉄道、河川改修、架橋、多目的ダムなどの社会資本の整備は立ち遅れ、表日本に比べて悲劇的なほど格差があった。豪雪になれば陸の孤島である。零細農地のコメ代では人並みの暮らしもできず、男たちは冬、杜氏(とうじ)や土木建設の出稼ぎに行くしかない。新潟県の農民は日農に代わって、社会資本整備や現金収入が得られる仕事を創り出す政治家を痛切に求めていた」。

 増山榮太郎氏の「角栄伝説ー番記者が見た光と影」は次のように評している。

 「田中は、土木・河川開発事業の立法化に精出したのは、『出稼ぎせずとも食って行ける』自律農村の建設であった。そして、満を持して発表したのが『日本列島改造論』である。それは、田中がこれまで細切れに立法化した土木・河川開発を集大成し、体系化したものである」。

 角栄は、自らの政治的姿勢を次のように述べている。

 「国会議員の発言は、国民大衆の血の叫びである。理想よりも現実だ。政治とは何か。生活である」。

 「私が道路や橋や川や港、土地改良に力を入れるので、一部の方々は『田中は土方代議士だ』といわれるが、私は原水爆禁止運動も世界連邦運動も結構だが、『まず足元から』という気持ちで、敢えてこの批判に甘んじておるわけであります」(昭和33年5月の田中6回目当選時の「選挙公報」)。

 「田中は新幹線なんかつくりやがって国費の乱費だ、それより世界の平和の為にカネを出せなどと批判するヤツもいたが、バカヤローと答えたいね。そうでしょう、政治というものはまず自分たちがメシが食えない、子供を大学にやれないという悲しい状態から抜け出すことを、先決に考えなければいかんのだ。政治は高々と理想を掲げるとともに、現実を踏まえるものだ」(昭和53年6月、三島郡三島町での三島郡全越山会大会にて)。

 角栄は、著書「日本列島改造論(1972年発刊)」の冒頭で次のように述べている。

 「都市と農村の人達が共に住みよく、生き甲斐のある生活環境のもとで、豊かな暮らしができる日本社会の建設こそ、私が25年間の政治生活を通じ一貫して追及してきたテーマであった」。

 ここに角栄の唯物論的実務志向、事業感覚を垣間見ることができよう。角栄のこの言葉は実績で裏付けられている。主として日共系から「土建政治、箱物行政」として批判されてきたが、マルクス主義的唯物弁証法の視点に立つ時、「土建政治、箱物行政」は批判されるべき筋合いのものではない。むしろ、戦争に金かけるより内治の社会基盤整備に使うほうが理に叶っているであろう。このことさえ弁えぬ自称インテリが多くてお話にならない。

 こうして角栄は、地域貢献に立脚しつつ国政全般を俯瞰し、雪国裏日本の格差是正を目指す「暖国政治打破」論で政治家として孵化していった。角栄政治の特徴は、問題意識の深さと、その解決の為の的確な構想力と、大胆な決断力と比類なき行動貫徹力と責任感の厚きにあった。角栄の手掛けた実践例は他にない勝れものであり、格が違う。

 孵化した角栄はやがて力強い歩みを見せていくことになる。佐藤昭子は次のように述べている。

 「田中は新潟3区の利益だけを図ったわけではない。日本海側はあまりにも恵まれていない。日本海側の住人も太平洋側の住人も、平等に幸せになる権利を持っているはずだ。日本海側の悲惨な状況を改善することが、一極集中を排除し、やがては日本中の発展につながる。マスコミは田中のそういう発想を理解せず、目先のことだけで地域誘導だとか利益誘導だと判断し、自分達の作り上げた虚像しか報じなかった。だから、田中の真の姿は一般の国民には知られないままになっている」。

 れんだいこには、佐藤昭子のこの謂いこそ的確であるように思われる。

 角栄政治の特徴を物語る次のような話もある。

 「『政治とは何ですか』と新聞記者時代の早坂茂三氏は、当時自民党政調会長の角栄にズバリ聞いた。たちどころに『生活だ』という返事が戻ってきた。簡潔明快。絶句した私に43歳の政治家が言葉を続けた。『国民が働く場所を用意して、三度、三度の飯を食べさせてもらう。外国と喧嘩せず、島国で豊かに穏やかに暮らしてもらう。それが政治だよ』」。

 同じ問いに「愛」だとか「和」とか答える政治家もいよう。が、角栄の政治観は極めて具体的生活的である。

 早坂は、著書「鈍牛にも角がある」(光文社)の中で次のように記している。

 「角栄は戦後政治そのものである。角抜きでは戦後政治は語れない。とりわけ昭和47年7月の政権獲得から同60年2月、脳梗塞で言葉を失うまでの間、田中は日本政治の『主人公』だった。田中内閣に続く三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘の政権までを『三角大福中』と呼ぶ。ところが、その実質は『田中角栄の時代』だったのである」。

 「悪党・田中の力の源泉は最盛期で143人に達した数の威力である。今一つ、角栄は役人操縦術の家元であった。官僚国家、官僚主義ニッポンは、霞ヶ関のスーパーテクニクラート大集団の協力がなければ立法、行政ともに一センチも進まない。この役人達を田中は自在に動かした」。

 「持ち駒の主力は大蔵、建設、郵政の三省である。私の親方は田中軍団を一糸乱れず動員して、自分が操縦できる表の政権を作った。国家予算はじめ、政権党のあらゆる政策決定過程に介入し、衆参両議員、大がかりな地方自治体の選挙戦は事実上、自分が取り仕切った。『角影』『直角』『田中曽根』など、田中支配の時代にマスコミが使った形容詞は、歴代政権と田中の関係、距離を端的に表現している」。

 れんだいこの戦後政治史研究によれば、角栄は思われている以上に戦後政治史上の政府与党政権中枢に食い入っていることが判明している。そうした位置に居ることで日本復興の立役者となっている。そういう意味に於いて、「エネルギーに満ちた彼は日本を動かす強力なエンジンだった」という表現は適切である。

 不幸にもロッキード事件で倒されたが、彼の築いたシステムは生き残った。しかし、日本篭絡派にとって、その角栄システムが邪魔となった。「公共事業敵視論」の登場と共に「角栄の築いたシステム」は次第に失速し始め、小泉政権下の2005年、解体的状況を迎えた。「公共事業敵視論」はこの観点から捉えねばならない。「公共事業より社会保障を」も、この線で捉えねばなるまい。

 「田中角栄入門」は、次のように語っている。

 「あとにのこったのは、国民に夢を語ることの出来ない矮小な政治家や官僚たち、そして彼らと業界の利権構造のなかで蓄積された目のくらむような国の財政赤字と、未来に展望を見いだせないしょぼくれた大勢の国民である。角栄なき後、政治家はだれも国民に美しい夢を語ることをしなくなった。彼らがやっていることはただの権力闘争であり、自分たちの私腹を肥やすことだけである」。

 立花を随所で持ち上げる「田中角栄入門」の観点はかなり酷いが、この指摘はそのまま正しい。

 2005.9.11日、2010.4.16日再編集 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評713 れんだいこ 2010/04/16
 【角栄内治主義的政治の特質その2、反防衛族的軍事費支出抑制】

 角栄の内治主義的政治の特質その2として、反防衛族的な軍事費支出抑制を政策としていた点が注目される。インガソル駐日大使の国務省宛レポートは、角栄を次のように評している。「田中はこれまでの長い政治経験の中で、安全保障問題に強く関わったことは一度もなかった。日米の安全保障関係を変えようとする考えはないだろうが、前任者たちほど日本が日米安保に依存していることを強調することもないだろう」。「アメリカに対する田中の現実的態度は、両国の経済関係を強調するところによく表れている。アメリカとの関係を何度も強調しており、両国の関係を『分かちがたい兄弟』と表現する。だが、それがどういうことかという点は、アメリカが日本にとって最大の市場であるということ以外の説明ができないようだ」。

 実際、角栄は、軍事、防衛、安全保障の面については首を突っ込んでいない。防衛関係のポストに就いたことが一度もない。専ら経済専門的な業績を残している。この点で真反対が後の中曽根首相である点が興味深い。角栄は代議士初当選後次第に頭角を顕わし、その過程で能力と勢力を類稀なく発展させ、とうとう一国の首相の座まで辿り付いた。驚異とすべきは、この時既に国際舞台にも通用した当代一流の政治家に孵化していたことである。首相になって以来の角栄の政治的姿勢を、新たな三つの観点からベクトル化させることが可能である。

 一つは、国内政治における1・日本列島改造計画ベクトルである。角栄は、都市政策要綱、列島改造論の観点で、公共投資による社会基盤整備と中央と地方のバランスの良い国土改造計画を指針させた。一つは、国際政治における2・対中・ソ外交ベクトルである。対米協調を基本として維持しつつ中・ソとの友好関係をも築き、こうした等距離外交を通じて交易拡大を求めようとした。一つは、首相在任時の角栄を襲ったオイル・ショックの衝撃を通じての、その打開策としての3・新資源外交ベクトルである。角栄は、石油・ウラニウムを求めて東奔西走の外交活動を展開した。

 角栄政治の元々は、格差是正ベクトル、国土復興ベクトル、均衡ある国土の発展ベクトル、経済再建、民力向上ベクトルを原点としていた。その角栄初期政治は孵化して今や、1・日本列島改造計画ベクトル、2・対中・ソ外交ベクトル、3・新資源外交ベクトルの時代へ向おうとしていた。

 これらは「国家百年の大計」に基づく果敢な政治の断行であった。前任の佐藤政治とは極めて対照的でさえあった。首相在任時代の角栄は、官邸−砂防会館事務所−私邸の間を遮二無に精力的に仕事をこなしている。その様は歴代首相にあって群を抜いているといえる。この点で急ぎすぎたのかも知れないが、政治の遅滞を特徴とする日本的慣習からそう見なされるだけであって、政治を国際舞台の観点から見れば別な評価の栄誉に値していたのではなかろうか。

 その哲学は、軍事より経済主導のハト派政治であり、「安保条約により、予算を防衛費に突出させずに、経済発展に回せ」というリアル認識に支えられていた。そういう意味では、紛れもなく「吉田学校」の継承譜である。その眼目は、自主責任体制と公平市場主義と「財界依存体質からの脱却」、「中央偏向主義の是正」、「対米従属外交の改善」、「『政・官・民』のリアリズム的使い分け」、大衆的議会主義の育成にあった。 

 角栄のハト派的立場を象徴している次のような言説が残されている。1981.6.21日付読売新聞「元総理大臣が語る」の中の一説である。次のように述べている。 「ソ連は年間国防費が36兆8250億円、中国が14兆1600億円、西ドイツが6兆1千億円、フランス5兆円、日本は2兆2300億円だ。GNP対比0.91%というのは、世界にない訳ですな。中国でも9%でしょう。イギリスは3.3%、フランスは3.9%ですからねぇ」。これによると、角栄は、日本の防衛費がGNP対比1%以下というのを誇っていることになる。得意とした数字説得で要点を衝いている。確かに角栄時代までは、「軽武装、経済成長」の国家的枠組みを維持してきていたことが認められねばならない。ここに角栄のハト派的面を見て取らねばならない。

 だがしかし、「諸悪の元凶角栄説」論者は、角栄のこのハト派的面を無視して金権政治批判一本槍で批判しぬいてきた。それは余りにも愚劣な政治訴追運動であったのではなかろうか。この運動を誰が指導したのか。何と宮顕ー不破系日共であった。しかも、宮顕ー不破系日共は、その後のタカ派系中曽根政治に対しては口先では批判しても大甘な反対運動に止まった。これは何を意味するのだろうか。ここを疑惑せねばなるまい。

 もとへ。角栄の憲法観、防衛問題観について、佐藤昭子が「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」の中で、次のように明らかにしている。

 1962.2月、後に暗殺されたロバート・ケネディ米司法長官が来日し、政調会長であった田中角栄他、中曽根康弘、江崎真澄、石田博英、宮沢喜一ら当時の自民党中堅代議士と非公式に会談した。その席で、司法長官は日本の防衛力増強を持ち出した。その懇談の席で、角栄は次のように述べて反論している。

 「なるほど、あなたの云うのは理屈だ。ただ防衛力増強と云われるが、アメリカが敗戦国である日本に押し付けた憲法は、我が国に根付いてしまった。大きな枝ぶり一本でも伐ろうとすれば、内閣の一つや二つは吹っ飛ぶ。根こそぎ倒そうとすれば、世の中がひっくり返る。しかし、我々にしても、あなたたちにいつまでも、『おんぶに抱っこ』では申し訳ない。だから、どうしても防衛力を増やしてくれ、と云うのなら、アメリカから日本国民に対し、改めて日本国憲法の成立過程について一言あってしかるべきではないか」。

 角栄は去る日、日米安保体制観について次のように述べている。

 「日米安保条約は、日本だけが得をするとか、アメリカもそれで助かっているとかの損得で片付くものではない。日米が一体となって、北方の白熊がアジアにずかずかと足を踏み込んでこないよう睨みを利かせているところに大きな意味がある。アメリカがいかに巨大な力を持っていても、直接、アジアの全ての国の安全保障を負担するのは無理だ。そこで、日本とアメリカが一つになって、ソ連を注意深く牽制し、アジア各国に脅威を与えないようにする。これが日米安保体制だ。

 この日米安保条約のお陰で、我が国の防衛費は世界各国に比べて、驚くほど低い水準にままに抑えられ、それが日本の経済的復興と発展を支えた。だから、同盟国であるアメリカが日本の防衛力に不満を抱いているのなら、日本はアメリカの不満に真剣に応えなくてはならない。この程度の判断ができなければ、日本人はエゴイストと云われても仕方がない」。

 この辺りは、れんだいこの見解と異なるが、それはともかく、これが角栄の日米安保体制是認観である。これによると、あくまでも日本の国益から日米安保体制を捉えていることになる。当然の見地では有るが、アメリカ側即ちネオシオニストにとっては御し難い点で始末に困る観点でもあろう。彼らは、彼らの言いなりになる日米安保是認観を欲している。そういう意味で、角栄の日米安保体制是認観の民族主義性を見て取ることが肝要ではなかろうか。

 思えば、角栄政治とは、幕末維新、明治維新以来の内治派と外治派の抗争と云う歴史軸に於いて明確に内治派を意識しつつ首相の座に上り詰め、縦横無尽に活躍した稀有な政治家であったのではなかろうか。角栄政治は豊穣にして多角的な面を持っているので一概に捉えられないが、下手な左派運動より何倍も左派的な面を持っていたようにも思う。この路線の下で日本政治が続いていたなら、世界史上画期的な日本政治の質が世界に登場していたのではなかろうか。そう考えると悔やまれること夥しい。

 付言しておけば、角栄時代即ち彼が大蔵大臣、幹事長、首相職に在任中、国債発行を抑制せしめていた。当然のことながら、この時代には消費税なる悪税はない。角栄の睨みが利かなくなってより防衛費が突出し始め、国債が刷り抜かれ、3%消費税が導入され、続いて5%になり、地方が切り捨てられ、中小零細企業が切り捨てられ、社会資本的公共事業が抑制され、労働省が廃止され、雇用、年金、医療システムが破壊され、アジア間の対立紛争が煽られ云々。こういう政治ばかりしてきた。これでは世の中良くなる訳ないではないか。

 しかし、そういう政治をやると名宰相と囃したてられ、逆に向かうと暗愚と評される。ホワイトハウスから見てそうであっても、日本から見れば違う評価にならなければならぬところ、マスコミはいつもワシントン基準でものを云う。そういう風にしつけされているのだろうが、少しは休み休み云ってはどうだ。

 2005.9.11日、2010.4.16日再編集 れんだいこ拝

【角栄式防衛論考】
 先に「れんだいこのカンテラ時評bP230、安倍防衛論&鈴木防衛論考」で、鈴木善幸首相の防衛論を確認したが、ここで角栄の防衛論にも言及しておく。これについては、既に「れんだいこのカンテラ時評713、角栄内治主義的政治の特質その2、反防衛族的軍事費支出抑制」で確認している。本稿はその補足とする。

 吉田の「回想十年」は次のように記している。
 「私は再軍備など考えること自体が愚の骨頂であり、世界の情勢を知らざる痴人の夢であると云いたい」。

 戦後の軍事防衛論はここが始発となる。しかしながら挑戦動乱の勃発により日本に再軍備が迫られるようになった。この時の吉田茂首相の対応と、それに対する角栄の感想につき、早坂茂三「田中角栄回想録」が次のように記して伝えている。
 「(角栄曰く)朝鮮戦争が起こって、アメリカは自分が日本国憲法にかけた手かせ、足かせが邪魔になった。アメリカは日本を早く再軍備させたいんだから。で、吉田総理に憲法改正を要求してきた。早くせいとね。しかし吉田さんは『憲法改正は致しません』とハネつけた。そこが吉田さんの偉いところなんだな。吉田さんと当時の民自党の見識と云うものだ」。

 1969.10.10日、読売新聞インタビューに答え、日米安保自動延長論を述べている。
 「廃棄があるとすれば、安保に代わるもの、自主防衛か、国連による集団安全保障体制か、どちらかができたときだ。無防備中立論はとらない。この点、精神的には自主防衛だが、だからといって憲法9条を改正して日本を守ることは、今の自民党は考えていない。あくまで集団安全保障の中でやろうということだ。市民一人ひとりが警官を雇えば一番安全だが、それでは財布の方がとてもたまらないから警察制度があるのと同じ。そのぐらいの理屈は国民にはちゃんと分かっているはずだ。

 しかし、自主防衛でいくと、軍事費が歳出の5、60%を占めることになるが、そんなことはできないし、国民は戦前で懲りている。それに憲法9条もある。社会主義国だって集団安保じゃないか」。(自動延長は何年ぐらい見込んでいるのか。長期堅持となるのかに対し)「そんな感じだ」。(安保廃棄の野党が政権を取ったらどうなるのかに対し)「絶対に取りませんな。今は野党だから、そう言っているだけだ。責任政党になったら、国民にそんなことが言えますか。安保は結局、継続ですよ。国民は安保条約が良いとして、自民党政権がずっと続いているんだ」。

 1971.1.17−18日、朝日新聞の「日本の進路」と題する、田中幹事長とフランス紙「ル・モンド」のロベール・ギラン極東総局長との対談で、角栄式憲法論を次のように披瀝している。
 「現行の日本国憲法は既に25年間定着している。新憲法の成立過程というのは、占領下のことでもあり、必ずしも理想的なものではなかったと思うが、この憲法は日本人に消化され、ずっと守られてきた。今後、ある時期に改正されることがあったとしても、戦争放棄をうたっている9条が改正されることはない。それは原爆の洗礼を受けたという理由による。第三次世界大戦があれば、それは原水爆戦争となり、35億の人類の死滅を意味するという認識にたって日本は国際紛争は軍事力で解決しないという考えを貫く。日本の自衛隊はあくまで防衛的なもので、外部からの武力攻撃や間接侵略に対してまったく自衛の立場から国を守ろうということだ。一方で、アラブとイスラエル間にあるような紛争を解決することができるような国連のもとでの国際警察機構を作ろうということになれば、日本は大いに協力したいと考える」。

【高村正彦副総裁の「1972(昭和47)年の田中政権の自衛権に関する政府見解」に対するマジック解釈考】
 2014.6.27日、自民党の高村正彦副総裁が記者会見で、安倍政権の集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更の動きに対する、那覇市議会の「安倍内閣への抗議」(20日)、岐阜県議会の「慎重な検討を求める意見書」(24日)を次のように批判した。「いまだかつて一つの閣議決定に当たり、これだけ慎重にやったことは私の経験では知らない」、「自国の存立を全うするため必要な自衛の措置をとることを憲法は禁じていないとした昭和47年の自衛権に関する政府見解を出したときも与党の事前了承はなかった」。

 「1972(昭和47)年の自衛権に関する田中政権下の政府見解」に対する高村正彦副総裁解釈はどのようなものか。「1972(昭和47)年の自衛権に関する田中政権下の政府見解」を援用する形での「2014(平成26)集団的自衛権行使容認に関する憲法解釈としての安倍政権下の政府見解」が「いかにあり得ない解釈」を基にしているのかを確認しておく。ちなみに「1972(昭和47)年の自衛権に関する田中政権下の政府見解」とは、1972年10月14日、田中政権下の政府が、社会党の水口宏之議員によるかねてからの質問に応える形で参議院決算委員会に対し、集団的自衛権に関する政府見解として提出した資料のことを云う。全文は次の通りである。

 「 集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料」(昭和47年(1972年)10月14日参議院決算委員会提出資料 

 「国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、国際連合憲章第51条、日本国との平和条約第 5条(C)、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文並びに日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言 3第22段の規定は、この国際法の原則を宣明したものと思われる。そして、わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。

 ところで、政府は、従来から一貰して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っているが、これは次のような考え方に基くものである。憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることから、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。

 しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの擁利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武カ行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」。

 
 1972(昭和47).11.13日、参議院予算委員会での吉國一郎内閣法制局長官による「戦力に関する政府統一見解」は次の通りである。
 「戦力に関する政府統一見解」昭和47年11月13日 参議院予算委員会(吉國一郎内閣法制局長官)

 「戦力について、政府の見解を申し上げます。 戦力とは、広く考えますと、文字どおり、戦う力ということでございます。そのようなことばの意味だけから申せば、一切の実力組織が戦力に当たるといってよいでございましょうが、 憲法第9条第2項が保持を禁じている戦力は、右のようなことばの意味どおりの戦力のうちでも、自衛のための必要最低限度を超えるものでございます。それ以下の実力の保持は、同条項で禁じられてはいないということでございまして、この見解は、年来政府のとっているところでございます」。(中略)「ところで、政府は、昭和二十九年十二月以来は、憲法第九条第二項の戦力の定義といたしまして、 自衛のため必要な最小限度を越えるものという先ほどの趣旨の答弁を申し上げて、近代戦争遂行能力という言い方をやめております。 それは次のような理由によるものでございます。 第一には、およそ憲法の解釈の方法といたしまして、戦力についても、 それがわが国が保持を禁じられている実力をさすものであるという意味合いを踏まえて定義するほうが、 よりよいのではないでしょうか。このような観点からいたしますれば、近代戦争遂行能力という定義のしかたは、戦力ということばを単に言いかえたのにすぎないのではないかといわれるような面もございまして、必ずしも妥当とは言いがたいのではないか。むしろ、右に申したような憲法上の実質的な意味合いを定義の上で表現したほうがよいと考えたことでございます。

 第二には、近代戦争遂行能力という表現が具体的な実力の程度をあらわすものでございまするならば、 それも一つの言い方であろうと思いますけれども、結局は抽象的表現にとどまるものでございます。第三には、右のようでございまするならば、憲法第九条第一項で自衛権は否定されておりません。 その否定されていない自衛権の行使の裏づけといたしまして、自衛のため必要最小限度の実力を備えることは許されるものと解されまするので、 その最小限度を越えるものが憲法第九条第二項の戦力であると解することが論理的ではないだろうか。 このような考え方で定義をしてまいったわけでございますが、それでは、現時点において、 戦力とは近代戦争遂行能力であると定義することは間違いなのかどうかということに相なりますと、 政府といたしましては、先ほども申し上げましたように、昭和二十九年十二月以来、戦力の定義といたしましてそのようなことばを用いておりませんので、 それが今日どういう意味で用いられるかということを、まず定めなければ、その是非を判定する立場にはございません。 しかし、近代戦争遂行能力ということばについて申し上げれば、戦力の字義から言えば、文字の意味だけから申すならば、 ,近代戦争を遂行する能力というのも戦力の一つの定義ではあると思います。 結局、先ほど政府は昭和二十九年十二月より前に近代戦争遂行能力ということばを用いました意味を申し上げたわけでございますが、そのような意味でありますならば、言い回し方は違うといたしましても、一概に間違いであるということはないと存じます」 。

 2014.6.24日、与党協議会座長の高村正彦自民党副総裁が集団的自衛権の行使容認に関する試案を示した。全文は次の通りである。。
 
 【憲法第9条の下で許容される自衛の措置】

(1)いかなる事態においても国民の命と暮らしを守り抜くためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。従って、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。

(2)憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や第13条が「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を取ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来、政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和47年10月14日に参院決算委員会に対し、政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。

(3)これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、わが国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、冒頭で述べたような根本的に変容し、変化し続けているわが国を取り巻く安全保障環境を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的・規模・態様等によっては、わが国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。このように、わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。

(4)わが国による「武力の行使」が国際法を順守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合もある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでもわが国を防衛し、国民を守るためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。
(5)また、憲法上「武力の行使」が許容されるとしても、それが国民の命と暮らしを守るためのものである以上、民主的統制の確保が求められることは当然である。政府としては、わが国ではなく他国に対して武力攻撃が発生した場合に、憲法上許容される「武力の行使」を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続きと同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記することとする。

 2014.7.1日、安倍内閣は、臨時閣議で、他国への攻撃に自衛隊が反撃する集団的自衛権の行使を認めるための従来の憲法解釈を変える閣議決定をした。憲法9条の解釈を廻って、長年、集団的自衛権の行使を禁じてきた。安倍首相は、自衛隊発足から60年のこの日、「解釈改憲」により、日本が武力を使う条件となる「新3要件」を満たせば個別的、集団的自衛権と集団安全保障の3種類の武力行使が憲法上可能とした。

 〈武力行使の新3要件〉とは、@我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、Aこれを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない時に、B必要最小限度の実力を行使すること――という内容。 ▼密接な関係の他国に武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、集団的自衛権を含む「自衛のための措置」を可能に。▼自衛隊の国連平和維持活動(PKO)などで、自衛隊が武器を使える場面を拡大。▼自衛隊が他国軍に後方支援する場所を「非戦闘地域」に限る制約は撤廃。

 首相は記者会見で「いままでの3要件とほとんど同じ。憲法の規範性をなんら変更するものではなく、新3要件は憲法上の明確な歯止めとなっている」と強調した。しかし、これまでの政府の3要件には「我が国に対する急迫不正の侵害があること」という条件があり、日本は個別的自衛権しか認められないとされてきた。新3要件は「他国に対する武力攻撃」を含んでおり、集団的自衛権を明確に認めた点で全く異なる。さらに首相が「歯止め」と言う新3要件は抽象的な文言で、ときの政権がいかようにも判断できる余地を残している。 首相は「日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」としている。

 「日本人の命を守るため、自衛隊が米国の船を守る」。1日に首相官邸で開かれた記者会見。そう語る安倍晋三首相は傍らに、自らの指示で作らせた母子らが乗った米艦のパネルを置いた。集団的自衛権の議論に入る直前の5月15日の記者会見と同じものだ。自らの信じる結論に突き進む。「安倍さんを見ていると、正直、強引だなと思うことはある」。閣僚からもこんな感想が出るほど、今の首相は止められない。昨年末の特定秘密保護法。なりふり構わぬ法案審議に批判が集まり、首相は「丁寧に説明すべきだった」と謝罪した。5月の会見でも「与党協議は期限ありきではない」と熟議を約束。そこから50日も経たないうちの閣議決定である。

 《注意報1》2013/12/3 18:00

 時事通信は12月1日付で、政府が集団的自衛権の憲法解釈変更の試案をまとめたと報じました。その中で、政府が集団的自衛権について、自衛権発動の3つの要件のうち「必要最小限度」の要件を満たさないため行使が認められないとの憲法解釈をとっているかのように説明しました。しかし、この説明は誤りで、政府は、3要件のうち「わが国に対する急迫不正の侵害がある」という要件を満たさないため集団的自衛権行使が認められないとの見解を示しています。他方、時事通信に先駆けて報じた読売新聞の記事は、正確に報道しています。

 政府は、憲法9条の下で認められる自衛権の行使、いわゆる自衛権発動について、(1)わが国に対する急迫不正の侵害があったこと、すなわち武力攻撃が発生したこと、(2)これを排除するために他の適当な手段がないこと、(3)必要最小限度の実力行使にとどめることの3要件を満たす場合に限られるとの立場をとっています【資料1】。 このうち(1)(2)は自衛権の発動が許容されるための前提条件、(3)は自衛権が発動された場合の武力行使の要件と説明されています。(*)

 時事通信は、自衛権発動3要件の政府見解を説明した上で、集団的自衛権はこのうち(3)の「必要最小限度」を超えるとして「国際法上の権利として保有しているが、行使は認められない」との憲法解釈を維持していると報道しましたが、正確ではありません。政府は、集団的自衛権について「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」と定義【資料2】。その上で「自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていない」ことを理由に、集団的自衛権行使は憲法上認められないとの見解を示しています【資料3】【資料4】。(**)

集団自衛権「最小限の範囲内」=政府が憲法解釈変更案 (時事通信 2013/12/1 20:26)


 「閣議決定では集団的自衛権の行使できない」元内閣法制局長官が断言−憲法や法律が優先、依然変わりなく
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/shivarei/20140702-00036997/

 6.30日、集団的自衛権に反対する憲法や外交・安全保障の専門家によるグループ「国民安保法制懇」の会見に参加した大森政輔・元内閣法制局長官は次のようにコメントしている。
 「仮に他国から日本が攻撃された時、正当防衛的に『必要最低限の実力行使』として応戦する、いわゆる個別的自衛権は、現在の憲法下でも認められるとされている。しかし、例えば米国が『国またはそれに準ずる勢力』から攻撃を受けた時、日本が『アメリカ様にむかって何しやがる!この日本が相手だ』とばかりに、戦闘行為を行う集団的自衛権は、もはや、正当防衛ですらなく、憲法上認められないことは、『戦後から現在に至るまでの議論ですでに結論済み』である。集団的自衛権の行使が閣議決定に盛り込まれたからと言って、憲法9条が改正されていないのに、『集団的自衛権の行使が憲法上認められる』ということになるわけではない。『憲法9条によって集団的自衛権が認められない』ということは全然変わりない」。「法律に反することを閣議決定で定めることができるのかというと、法律の規定を変えるためには、立法機関である国会の審議に基づいて法改正するという手続きをとらなくてはならない。閣議決定によって、直接、法律の規定を変える効力はない」。今後、閣議決定を元に、安倍政権は、自衛隊法や周辺事態法など各法の国会審議での改正(改悪)を目指すのだろうが、『その都度、閣議決定の内容の問題がされ、憲法に違反するということが明らかにされるだろう』」。

 そもそも、閣議決定とは、首相が全閣僚の合意の上で、行政各部を指揮監督する方針決定であるが、この閣議決定よりも、国会で採決された法律の方が拘束力がある。それは、有権者が「主権ある国民の代表」として選挙で選んだ国会議員で構成される国会を「国権の最高機関」として、内閣よりも上に位置づけているからである。まして、最高法規である憲法が閣議決定より優先されることは当然のことなのである。

 一内閣の方針決定にすぎない閣議決定は、政権が交代すれば、無効とされることもある。民主党政権で内閣審議官を務めた下村健一氏(慶應大・特別招聘教授)は、民主党政権での「2030年代原発稼働ゼロを目指す」との閣議決定が、自民党政権になって無力化された実例があると指摘している。

 https://twitter.com/ken1shimomura/status/483811607084933120

 だから、もし多くの日本の人々が、集団的自衛権の行使を拒絶するのであれば、今回の閣議決定で意気消沈するのではなく、むしろ今後、自衛隊法などの関連法の改正が具体的に国会で審議される時にこそ、大きく声をあげる必要があるのだ。あるいは、憲法や国民主権、そして民主主義がなんたるかを、根本的に理解できていないし、しようともしない安倍政権に「為政者としての資格なし」としてレッドカードを突きつけ、退陣に追い込むという方法もある。そうすれば、安倍政権もろとも、集団的自衛権の行使のための閣議決定を葬り去ることができるのだ。大森元長官が一昨日の会見で繰り返し述べたように、憲法9条そのものは、依然、変わりない。その平和主義を活かすも殺すも、結局は主権者である、我々、日本の一般市民の肩にかかっているのだ。


 「★阿修羅♪ > カルト49」「イワツバメ 日時 2024 年 2 月 07 日」「田中角栄が「憲法9条」を盾にベトナム戦争への派兵要請を断っていた(ディリー新潮)&日本の歴代総理大臣の国籍」。
 田中角栄「ノー」と言える総理だった

 ロッキード事件の背景に「アメリカの陰謀」があったかどうかはさておき、彼の国にとって“扱いづらい”存在だったことは間違いない。泥沼化するベトナム戦争への派兵要請を断った田中角栄元総理。その際、“盾”として使ったのは「憲法9条」だった――。

 令和の世の政治を巡る難題の一つは、ご存じのように「ポスト安倍」が見当たらないことである。「角栄さんがいた時代とは大違いですね。当時の自民党には、“三角大福中”と言われたように実力者がたくさんいたため、国民には、誰かがつぶれても次の誰かが出てくる、という安心感がありました」

 そう語るのは、政治評論家の小林吉弥氏。「今、見渡しても先見性のある政治家がいないのも心配です。角栄さんは昭和40年代の初めから“日本の借金は1千億円を超えるだろう”と予想していました。今の時代に10年後20年後を見据えて、この国の財政状況がどうなるかを言える人はいません」

 一方、昨年末、当時の天皇陛下が「平成という時代が戦争のない30年間となって良かった」との平和への思いを話されたのを聞いて、角栄の言葉を思い出したと言うのは、新潟日報社の小田敏三社長だ。
 「角栄は、自民党の二階俊博幹事長など、1980年代に初当選した議員たちに次のように話していました。『戦争を体験した世代が政治の中心にいる時代は、平和について議論する必要すらない。いずれ戦争を知らない世代が、政治の中枢を占める時代が来るのが怖い』と……」。

 リアリスト

 高等小学校卒ながら自らの才覚と器量で国権の頂点を極めた今太閤。あるいは、金脈批判で総理の職を辞し、ロッキード事件で逮捕された悲劇の主。角栄についてはそうした部分が取り上げられることが多いが、「角栄が、リアリズムを第一とした平和主義を貫く人物だったということは、あまり光が当てられてこなかった側面です」と、小田社長は語る。

 「70年代に入り、アメリカから日本に対してベトナム戦争派兵への圧力が強まった時、総理だった角栄は『どんな要請があっても、日本は一兵卒たりとも戦場には派遣しない』と答えたと、当時の官僚から聞いたことがあります」

 その官僚が“アメリカからの強い要請がある”と食い下がると、「角栄は『そういう時には、憲法9条を使えばいい』と返したそうです。アメリカが日本に押し付けた憲法を逆手に取って、日本が派兵しない理由に使うというのは、リアリストの角栄らしい理論だと思います」。

 憲法9条を巡る知られざるエピソードは他にもある。
 「総理になる前、ジョン・F・ケネディ大統領の実弟で司法長官を務めたロバート・ケネディから9条改正を持ち掛けられたことがあった。その時、角栄は『日本は憲法9条を国民に定着させて平和国家を目指そうとしている。それをアメリカが変えようとするなら、日本国民に一言断りがあってもいいのではないか』と答えたと言います」(同)。


 アメリカに対しても決して尻尾を振らず、毅然とした態度で臨む。さすがは角栄と言いたいところだが、心配が先にたつ。どこかで彼の国の“地雷”を踏みはしなかったか、と……。





(私論.私見)