田中角栄式ハト派防衛論考 |
更新日/2024(平成31→5.1栄和元/栄和6).2.7日
Re:れんだいこのカンテラ時評293 | れんだいこ | 2007/05/19 |
【田中角栄式ハト派防衛論考】 (れんだいこのショートメッセージ) 最近手に入れた「田中角栄の国会演説と各党の代表質問上下巻」(会演説調査研究会、閣文社1990.5.20日初版)所収の所信表明演説と各党代表との質疑の中から見えてくる「田中角栄式ハト派防衛論」を確認したい。今日びのタカ派式防衛論とは様相がまるで違う。このことを明らかにさせ、日本国家及び民族の自立自存に思いを馳せたい。「田中角栄式ハト派防衛論」は、現下の憲法9条改正論議が踏まえるべき今もっての基準となるべきではなかろうか。れんだいこはそう思う。 角栄の所信表明演説の最近のそれとの大きな違いは、内治外治の両面において満遍なく触れつつも、内治の方により多角的多岐精緻に言及していることである。しかも、より少なく言及されている外治のその過半が国交回復と国際友好親善と経済援助に充てられている。つまり、防衛論につき驚くべきほど寡言であるということになる。そういう事情からかどうか、四次防との絡みもあったのであろうが、各党代表は逆に「角栄の防衛論」を弱点として狙いをつけ質疑し、角栄が答弁するという構図が生まれている。これにより、奇しくも田中角栄式防衛論なるものが遺されることになったのは望外の成果と云えよう。 れんだいこは、このやり取りをれんだいこ式に整理し、「田中角栄式ハト派防衛論」として纏め、世に打ち出したいと思う。現下の国会とマスコミメディアによる二頭建て牽引によるタカ派防衛論に基づく憲法改正運動に棹差してみたいと思う。最近の主流である「中曽根−小泉式タカ派防衛論」に対して、かってこの国に存在した「田中角栄式ハト派防衛論」を対置させ、後者の方が真っ当でないかと問いかけ直す機会を提供したい。 遠吠えするばかりの社共式対応で、特に日共の確かな野党論で状況に立ち向かうことは愚昧である。ああいうのは予定された反対運動であり、痛くもかゆくも無く改憲派の手の内にあり、タカ派支配に裏協力している恐れがある。 思えば、ロッキード事件で揺れた去る日、それによって利益を得たのはタカ派であった。最も激烈に反角栄闘争を仕掛け、容赦のない政界追放運動を牽引したのは日共であった。この両者に黒い糸の繋がりを見るのは、れんだいこだけだろうか。そういう史観を持つれんだいこの、「確かな野党論」による野党分裂政策に固執する日共を見る眼は冷たい。この党はどこまで腐っているのだと云う憤然とした思いがこみ上げている。 それはともかく、ここで、「田中角栄式ハト派防衛論」を紹介する。憲法改正派に対してこれを武器にせよ、その値打ちは高い。それにしても、かような見解を保持していた角栄を極悪非道人として喧伝し洗脳し続けてきている日共の犯罪性は重い深いと云うべきだろう。日本政治の再生は、角栄の復権評価からしか有り得ない、れんだいこはそう思う。 2007.5.19日 れんだいこ拝 |
【「田中角栄式ハト派防衛論概要」】 |
「田中角栄式ハト派防衛論」は、日米同盟を受容している。その限りで、吉田内閣最初期の「東洋のスイスたる国際的中立」の立場には立っていない。角栄は、「東洋のスイスたる国際的中立論」に対して、それは理想であるとして却下し、我々は現実論に立つと述べている。思うに、角栄の「日米同盟受容」は、米ソ冷戦構造に於ける体制選択として、米側即ち資本主義陣営に与するという立場の表明であろう。その意義を、自由主義市場体制の擁護に求めていた形跡がある。今日の歴史は統制経済主義を志向したソ連側の体制崩壊を知らせており、「日米同盟受容」の選択の賢明さを教えている。 「田中角栄式ハト派防衛論」は、その「日米同盟受容」を受けて、それが結果的に憲法前文及び第9条違反であろうとも、日米安全保障条約及びその関連諸法、自衛隊創設及びその関連諸法を受容している。これを日米安保体制と云う。この堅持については、ハト派とタカ派の相違はない。ハト派とタカ派の相違は、この次から始まる。 「田中角栄式ハト派防衛論」は、「憲法前文及び第9条違反」の日米安保や自衛隊を認めるが、「憲法前文及び第9条」を重石として、極力整合的であるべきだとする。必然的に吉田内閣以来の解釈改憲を引き継ぐことになる。これに対して、タカ派は、「憲法前文及び第9条」を否定して、極力憲法改正すべきだとする。もはや解釈改憲を限界として、小難しい話を神学論争として一蹴していくことになる。つまり、「田中角栄式ハト派防衛論」は、護憲を前提にした軍事防衛論である。タカ派防衛論は、改憲を前提にした軍事防衛論である。一見似ているが、この違いは大きい。 国防の基本方針は具体的には次のように定められる。その1は、日米安保体制に対する対応問題となる。ハト派は、米ソ冷戦構造に於ける体制選択としての資本主義陣営仲間入りという立場からのものであり、その限りにおいて盟主米国との繋がりを重視する。が、この体制下で憲法の明示する国際法の遵守、国際協調、国際平和創造に向かうというスタンスを採る。特徴的なことは、日米安保体制のくびきに置かれつつも、極力主権国家として振舞おうとするところにある。 タカ派のそれは、米国を指導する国際金融資本の世界支配戦略に与し、日本を二等国家として存立せしめていくことが「国家百年の計」であるとする強度の日米安保体制深のめりスタンスを採る。ハト派の国防論を安保ただ乗り論として批判し、戦費の積極的負担に向かう。次に戦費のみならず自衛隊の派兵へと向かう。国際法は臨機応変のものとしてさほど重視せず、国際金融資本の論理と論法が正義だとして言いなりになる。そういう訳で、日本は隷従国家として振舞うことを辞さない。否、世界に先駆けての一番乗り支持を競う。 その2は、自衛隊及びに軍事防衛費対する対応問題となる。自衛隊をどの程度まで育成発展させるのか、自衛隊の防衛区域はどの辺りまでかを問う。ハト派は、主権国家としての自衛の為に必要とする最小限度としての防衛力の漸進的整備を目指し、今後の経済運営に支障となることのない限りに於いてという制限を設ける。軍事防衛予算の「GNP1%枠」と「専守防衛枠」で歯止めをかける。タカ派は、その「GNP1%枠」と「専守防衛枠」を取り外し、国際責任論を唱えて国際金融資本の世界支配戦略の指図のままに世界各地の紛争への積極関与を目指す。現在、自衛隊の戦地派遣に続いて前線戦闘が画策されようとしている。 その他3・米軍基地に対する対応問題、整理統合と負担問題、4・武器開発及び輸出禁止問題、5・非核三原則及び原子力開発問題、6・日米合同演習問題等々があり、それらいずれにおいても、ハト派の抑制に対してタカ派の積極という構図にあり、目下はタカ派の方針へと振り子が動いている。総じて、ハト派の目指すのは国際協調国家であり、タカ派の目指すのはネオ・シオニズム配下の好戦国家という違いになる。 |
Re::れんだいこのカンテラ時評832 | れんだいこ | 2010/10/23 |
【在りし日の角栄の防衛論考】 田中角栄の首相前の憲法観、憲法改正論、防衛論の開陳はなかなか見当たらない。角栄の専門は国土設計に始まる経済通による正味の政治を心がけ、或る意味で避けていたと思われる。対極的なのは中曽根で、軍事防衛、原子力行政、憲法改正論を威勢よく説きまくっていた。その癖底なしの経済音痴であった。未だに重鎮ぶっているが、中曽根を引き出すメディアの粗脳ぶりが知れよう。 その角栄が、1962(昭和37).2.6日のロバート・ケネディ司法長官の来日懇談会で珍しく防衛論議している。これを確認する。出席したのは、ロバート・ケネディ司法長官、田中角栄政調会長、中曽根、江崎真澄、石田博英、宮沢喜一、山中貞則ら当時の自民党中堅であった。席上、ロバート・ケネディ司法長官が、日本の防衛力増強を持ち出した。背景に沖縄返還が日程に上りつつあったようである。この時、角栄は次のように述べている。 「アメリカが沖縄を返すに当たっては、アメリカが日本に憲法改正、再軍備を提起し、日本がそれを受け入れることが必要だ。日本の憲法が改正され、再軍備して共同の責任で防衛体制をとらねばできない」。 角栄のこの発言は、自民党籍の角栄としては無難な成り行き発言であろう。この発言が国会で槍玉に挙げられることになる。しかし、上述の発言はリップサービスに過ぎず、角栄の真骨頂は次の発言にある。 概要「なるほど、あなたの云うのは理屈だ。ただ防衛力増強と云われるが、アメリカが敗戦国である日本に押し付けた憲法は我が国に根付いてしまった。今や大木に成長している。大きな枝ぶり一本でも伐ろうとすれば、内閣の一つや二つは吹っ飛ぶ。根こそぎ倒そうとすれば、世の中がひっくり返る。しかし、我々にしても、あなたたちにいつまでも『おんぶに抱っこ』では申し訳ない。だから、どうしても防衛力を増やしてくれと云うのなら、アメリカから日本国民に対し、改めて日本国憲法の成立過程について一言あってしかるべきではないか」(佐藤昭子「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」)。 角栄のこの発言は、(起論)米国の対日防衛力増強要請。(承論)防衛力増強の為には憲法改正を要する。(転論)ところが同じく米国によって押し付けられた戦後憲法が根づき大木に成長している。(結論)内閣が吹っ飛ぶ。世の中がひっくり返ると述べ、困難さを述べ間接的に否定していることになる。即ち、今日風に意義を確認すれば、米国の対日要請を御用聞き的に一方的に鵜呑みにするのではなく、政治的にかなり難しい要請であると切り返していることになる。その上で、「我々にしても、あなたたちにいつまでも『おんぶに抱っこ』では申し訳ない故に協力する」と述べ、但し、「アメリカから日本国民に対し、改めて日本国憲法の成立過程について一言あってしかるべきではないか」と注文を付けている。 見事な切り返しではなかろうか。ところが、当時のマスコミメディア、社会党、共産党が最初のリップサービス発言を捉えて「日本の憲法改正・再軍備発言」であるとして問題化させた。2.9日、衆院予算委理事会で取り上げられ、角栄が「発言は遺憾であった」と釈明させられている。池田首相が次のように釈明している。 「沖縄、小笠原返還の前提条件に、仮にアメリカから憲法改正、再軍備強化などの要求を出されると大変なことになると発言したのが真意」。国語読解力的に見て、池田首相のこの理解の方が正しい。角栄は、「失言の池田と云われる俺が尻拭いするとは」と池田首相からお目玉を食らい「髭でもそるか」としょげ返る。これに対して、米国留学中の長女・真紀子が「ヤジ、ヒゲソルナ」と電報を打ってきたとの逸話がある。 以上は、角栄の希少な憲法論、防衛論である。れんだいこは、角栄が部分で憲法改正を論じたこともあろうが、彼は真底の戦後憲法擁護政治家であったと判じる。その護憲ぶりは、口先社共の及ぶところではない。角栄こそ形骸化されつつある憲法の受肉化を政治と政策で後押ししていたのではあるまいか。 付言すれば、米国即ち国際金融資本帝国主義の宗本家は、保守政党に在ってこういう異能的な政治能力を持つ角栄を早くより要注意政治家としてマークし続けていた。文芸春秋2001.8月号「角栄の犯罪25年目の真実」に発表された「国務省・電信機密文書655及び586」の「タナカ・ザ・マン」(インガソル駐日大使の詳細な「田中角栄レポート」)には次のように記されている。れんだいこが意訳要約する。詳しくは、次のサイトに記す。 「アメリカ特務機関及び国務省の角栄レポート」 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/sisosiseico/cianokakueihyo.htm) 「田中角栄は、日本のためには優れた政治家であっても、それがアメリカの利益になるかどうかは未知数である。現在、福田と首相のイスを争っている。田中は、これまでの首相と違って学歴が低い。その為に軽蔑されている。彼の政治能力は高く、人を操縦するのも上手く、主要ポストを歴任して名声を上げている。最近、アメリカとの間で長年患っていた繊維問題も巧みに処理した。こたびの総裁選は、福田、田中、大平、三木で争われている。田中以外の3人が総裁になった場合、いずれとでも上手くやっていけるだろう。田中だけが我々との絆を持たず、それどころか接点すら持っていない。何をやりだすか分からない」。 かく警戒されていた角栄が政権を取り、頭越しの日米交渉を出し抜くかの如く日中国交回復をやり遂げ、続いてソ連との交渉に向かい始めた。北方領土問題と云う難題があったが、シベリア共同開発に向けてお膳立てを整えつつあった。オイルショックに見舞われるや、日本外交上稀有の親アラブ政策を打ち出し石油資源確保に取り組んだ。続いて次世代燃料のウラン確保にも向かった。こういう逐一が、国際金融資本帝国主義の烈火の怒りを買い、キッシンジャーの断固たる指令が下された。用意万端一年後、ロッキード事件が勃発する。今で云う「鉄の検察ストーリー」が拵えられ、政財官学報司警の七者機関が総動員された。後の喧騒は承知の通りである。 もとへ。こういう角栄の政治履歴を思えば、立花、日共式諸悪の元凶論を俎上に乗せ直すべきではなかろうか。中曽根以来麻生までの歴代自民党首相の粗脳、鳩山、菅の歴代民主党首相の粗脳を見せつけられるにつけ思う次第である。如何にマスコミメディアが中曽根、小泉を名宰相と囃したてようとも、「国務省レポート」の方が正しい。公開されていないが、「派手なパフォーマンスによる政治芸能力を持つので利用するのに具合が良い。どうにでもなる機会主義者であり、我々が金玉を抑えている」と記しているのではなかろうか。 明日は小沢擁護集会が有るとのことである。れんだいこも行きたかったが諸般の事情で行けない。またの機会に出向かせて貰おうと思う。ネットで様子を確認するのを楽しみにしている。どなたかチューブを頼む。 2010.10.23日 れんだいこ拝 |
【1972.10.28日の第70回臨時国会に於ける「田中角栄式ハト派防衛論発言集」】 | |||||||
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【1973.1.27日の第71回臨時国会に於ける「田中角栄式ハト派防衛論発言集」】 | ||||
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【1973.12.1日の第72回国会に於ける「田中角栄式ハト派防衛論発言集」】 | |||
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【1974.1.21日の第72回国会に於ける「田中角栄式ハト派防衛論発言集」】 | ||||
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Re::れんだいこのカンテラ時評711 | れんだいこ | 2010/04/16 |
【戦後憲法体制と角栄、そのハト派的意義考(角栄の内治主義的政治の特質考)】 はじめに 角栄の政治家論、陳情政治論、政治資金論を確認したついでに角栄政治論そのものを確認しておくことにする。世上に意図的故意に流布されている立花式諸悪の元凶論とは大きく面貌を変えるであろう。なぜ今、角栄を問うのかと云うと、鳩山政権に聞かせたいからである。この思いが通じるだろうか。政治には常に針路をどちらに取り、どう舵を切るのかが問われる。困った時にはカク頼みが良いのではなかろうか。 歴史は妙な縁を取り持つ。ロッキード事件の際に調子こいた捜査主任検事にして、後に第18代検事総長の座を射とめる吉永祐介は1932年の岡山県岡山市生まれである。他方、通産省随一の俊英として評価を得て後に角栄秘書、アラビア石油社長となった小長啓一は1930年の岡山県備前市生まれである。二人は共に東大入学が保証付きであったところ地元の岡山大学に請われて進学した誉れの同期であり、在学時より双璧の秀才として並び称されていた。その二人が後年、角栄を廻って真反対の立場に立つことになる。滅多にあることではなかろう。 れんだいこは、同じ秀才ながら吉永はどこにでいる本質的に利巧バカであり、小長こそ滅多と居ない真正の秀才ではなかろうかと受け止めている。一度お会いしたいのだが、誰か労を取ってくれないだろうか。そういう訳で吉永については関心がない。角栄師事派の小長氏は、次のように評している。「田中さんが節々でやらせたことは後世の歴史家から必ずや高い評価を受けるときが来ると思っています」。 れんだいこは小長氏の眼力に誼を通じる。れんだいこの見るところ、角栄はそのどれもに卓越した政治的先見性、決断力、独創的で高度な政治哲学をもっていた。こう確認すべきではなかろうか。 こう確認しないと、あまたの有能官僚が角栄に靡いた史実が理解できない。低脳評論家は、角栄がカネの力で官僚を手なづけたと何の疑問もなく云う。バカなことを云うでない。カネの力で籠絡される官僚が居たとしてもそれは低脳のシオニスタン官僚止まりであり、優秀な官僚ともなると人物の値踏みによってしか動くまい。普通に考えれば分かることが、巷の角栄論には通じない。 ところで、ロッキード事件の立役者たる立花は「田中真紀子研究」の中で次のように記している。「今の日本の政治に起きていることを本当に理解しようと思ったら、さまざまな意味で、角栄政治、角栄の時代に立ち戻ってみる必要があるということである。そこまで立ち戻ってみないと、小泉改革がなぜ必要になったのかわからないし、小泉改革がなぜうまくいかないのかも分からない」。 この観点は丁度、れんだいこと反対の立場から、「角栄政治、角栄の時代」を見つめなおそうとしている点で興味深い。角栄政治には、「戦後憲法体制上のハト派的首領」という政治史的な偉業が有り、この面での分析を欠いては評せない。にも拘わらず、角栄政治は、立花―日共―マスコミを始めとした自称インテリ派によって金権政治の諸悪の元凶として非難され、政界訴追されていった。 日共に限って云えば、エセ左派運動の為すことはいつも変調である。れんだいこが日共問題に深く言及する所以がこにある。日共式運動を左派運動などと思っている間中、日本左派運動はマガイモノに耽り続けることになるだろう。もうエエカゲンに終わらせなければなるまい。そうなると、少なくとも六全協より語らねばならない。と云って見ても、六全協そのものを知らないレベルではどうにもならない。 もとへ。この間、角栄政治の戦後政治史的位置づけや学問的分析が為されることなく今日に至っている。そこで、れんだいこが角栄論に挑んでいる。いつか次の世代の誰かが継承してくれるだろう。角栄が見直され、真に偉大な且つ独裁化することのないシャイな政治家であたことが共認される日が来るだろう。西郷隆盛論然り、歴史は重要な箇所で大きく歪曲されている気がしてならない。 角栄政治の概要は「田中角栄の政治姿勢」に記したので参考にしていただくとして、ここではハト派的側面に絞って考察してみることにする。題名を「戦後憲法体制と角栄、そのハト派的意義考(角栄の内治主義的政治の特質考)」と命名する。要するに、角栄政治とは何かという課題である。以下、角栄の内治主義的政治の特質その1、社会基盤整備行政。角栄の内治主義的政治の特質その2、反防衛族的軍事費支出抑制と題して考察する。 該当サイトは「戦後憲法体制と角栄、そのハト派的意義考(角栄の内治主義的政治の特質考)」 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/sisosiseico /kakueiseijinohatohaco.htm) 2005.9.11日、2010.4.16日再編集 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評712 | れんだいこ | 2010/04/16 |
【角栄の内治主義的政治の特質その1、社会基盤整備行政】 元全学連草創期の闘士にしてオルガナイザーにであり、後に角栄のスポークスマン的役割を果たした角栄秘書の早坂茂三氏は著書「怨念の系譜」で次のように述べている。 「新潟県の農民は農地改革で自作農になったが、道路や鉄道、河川改修、架橋、多目的ダムなどの社会資本の整備は立ち遅れ、表日本に比べて悲劇的なほど格差があった。豪雪になれば陸の孤島である。零細農地のコメ代では人並みの暮らしもできず、男たちは冬、杜氏(とうじ)や土木建設の出稼ぎに行くしかない。新潟県の農民は日農に代わって、社会資本整備や現金収入が得られる仕事を創り出す政治家を痛切に求めていた」。 増山榮太郎氏の「角栄伝説ー番記者が見た光と影」は次のように評している。 「田中は、土木・河川開発事業の立法化に精出したのは、『出稼ぎせずとも食って行ける』自律農村の建設であった。そして、満を持して発表したのが『日本列島改造論』である。それは、田中がこれまで細切れに立法化した土木・河川開発を集大成し、体系化したものである」。 角栄は、自らの政治的姿勢を次のように述べている。 「国会議員の発言は、国民大衆の血の叫びである。理想よりも現実だ。政治とは何か。生活である」。 「私が道路や橋や川や港、土地改良に力を入れるので、一部の方々は『田中は土方代議士だ』といわれるが、私は原水爆禁止運動も世界連邦運動も結構だが、『まず足元から』という気持ちで、敢えてこの批判に甘んじておるわけであります」(昭和33年5月の田中6回目当選時の「選挙公報」)。 「田中は新幹線なんかつくりやがって国費の乱費だ、それより世界の平和の為にカネを出せなどと批判するヤツもいたが、バカヤローと答えたいね。そうでしょう、政治というものはまず自分たちがメシが食えない、子供を大学にやれないという悲しい状態から抜け出すことを、先決に考えなければいかんのだ。政治は高々と理想を掲げるとともに、現実を踏まえるものだ」(昭和53年6月、三島郡三島町での三島郡全越山会大会にて)。 角栄は、著書「日本列島改造論(1972年発刊)」の冒頭で次のように述べている。 「都市と農村の人達が共に住みよく、生き甲斐のある生活環境のもとで、豊かな暮らしができる日本社会の建設こそ、私が25年間の政治生活を通じ一貫して追及してきたテーマであった」。 ここに角栄の唯物論的実務志向、事業感覚を垣間見ることができよう。角栄のこの言葉は実績で裏付けられている。主として日共系から「土建政治、箱物行政」として批判されてきたが、マルクス主義的唯物弁証法の視点に立つ時、「土建政治、箱物行政」は批判されるべき筋合いのものではない。むしろ、戦争に金かけるより内治の社会基盤整備に使うほうが理に叶っているであろう。このことさえ弁えぬ自称インテリが多くてお話にならない。 こうして角栄は、地域貢献に立脚しつつ国政全般を俯瞰し、雪国裏日本の格差是正を目指す「暖国政治打破」論で政治家として孵化していった。角栄政治の特徴は、問題意識の深さと、その解決の為の的確な構想力と、大胆な決断力と比類なき行動貫徹力と責任感の厚きにあった。角栄の手掛けた実践例は他にない勝れものであり、格が違う。 孵化した角栄はやがて力強い歩みを見せていくことになる。佐藤昭子は次のように述べている。 「田中は新潟3区の利益だけを図ったわけではない。日本海側はあまりにも恵まれていない。日本海側の住人も太平洋側の住人も、平等に幸せになる権利を持っているはずだ。日本海側の悲惨な状況を改善することが、一極集中を排除し、やがては日本中の発展につながる。マスコミは田中のそういう発想を理解せず、目先のことだけで地域誘導だとか利益誘導だと判断し、自分達の作り上げた虚像しか報じなかった。だから、田中の真の姿は一般の国民には知られないままになっている」。 れんだいこには、佐藤昭子のこの謂いこそ的確であるように思われる。 角栄政治の特徴を物語る次のような話もある。 「『政治とは何ですか』と新聞記者時代の早坂茂三氏は、当時自民党政調会長の角栄にズバリ聞いた。たちどころに『生活だ』という返事が戻ってきた。簡潔明快。絶句した私に43歳の政治家が言葉を続けた。『国民が働く場所を用意して、三度、三度の飯を食べさせてもらう。外国と喧嘩せず、島国で豊かに穏やかに暮らしてもらう。それが政治だよ』」。 同じ問いに「愛」だとか「和」とか答える政治家もいよう。が、角栄の政治観は極めて具体的生活的である。 早坂は、著書「鈍牛にも角がある」(光文社)の中で次のように記している。 「角栄は戦後政治そのものである。角抜きでは戦後政治は語れない。とりわけ昭和47年7月の政権獲得から同60年2月、脳梗塞で言葉を失うまでの間、田中は日本政治の『主人公』だった。田中内閣に続く三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘の政権までを『三角大福中』と呼ぶ。ところが、その実質は『田中角栄の時代』だったのである」。 「悪党・田中の力の源泉は最盛期で143人に達した数の威力である。今一つ、角栄は役人操縦術の家元であった。官僚国家、官僚主義ニッポンは、霞ヶ関のスーパーテクニクラート大集団の協力がなければ立法、行政ともに一センチも進まない。この役人達を田中は自在に動かした」。 「持ち駒の主力は大蔵、建設、郵政の三省である。私の親方は田中軍団を一糸乱れず動員して、自分が操縦できる表の政権を作った。国家予算はじめ、政権党のあらゆる政策決定過程に介入し、衆参両議員、大がかりな地方自治体の選挙戦は事実上、自分が取り仕切った。『角影』『直角』『田中曽根』など、田中支配の時代にマスコミが使った形容詞は、歴代政権と田中の関係、距離を端的に表現している」。 れんだいこの戦後政治史研究によれば、角栄は思われている以上に戦後政治史上の政府与党政権中枢に食い入っていることが判明している。そうした位置に居ることで日本復興の立役者となっている。そういう意味に於いて、「エネルギーに満ちた彼は日本を動かす強力なエンジンだった」という表現は適切である。 不幸にもロッキード事件で倒されたが、彼の築いたシステムは生き残った。しかし、日本篭絡派にとって、その角栄システムが邪魔となった。「公共事業敵視論」の登場と共に「角栄の築いたシステム」は次第に失速し始め、小泉政権下の2005年、解体的状況を迎えた。「公共事業敵視論」はこの観点から捉えねばならない。「公共事業より社会保障を」も、この線で捉えねばなるまい。 「田中角栄入門」は、次のように語っている。 「あとにのこったのは、国民に夢を語ることの出来ない矮小な政治家や官僚たち、そして彼らと業界の利権構造のなかで蓄積された目のくらむような国の財政赤字と、未来に展望を見いだせないしょぼくれた大勢の国民である。角栄なき後、政治家はだれも国民に美しい夢を語ることをしなくなった。彼らがやっていることはただの権力闘争であり、自分たちの私腹を肥やすことだけである」。 立花を随所で持ち上げる「田中角栄入門」の観点はかなり酷いが、この指摘はそのまま正しい。 2005.9.11日、2010.4.16日再編集 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評713 | れんだいこ | 2010/04/16 |
【角栄内治主義的政治の特質その2、反防衛族的軍事費支出抑制】 角栄の内治主義的政治の特質その2として、反防衛族的な軍事費支出抑制を政策としていた点が注目される。インガソル駐日大使の国務省宛レポートは、角栄を次のように評している。「田中はこれまでの長い政治経験の中で、安全保障問題に強く関わったことは一度もなかった。日米の安全保障関係を変えようとする考えはないだろうが、前任者たちほど日本が日米安保に依存していることを強調することもないだろう」。「アメリカに対する田中の現実的態度は、両国の経済関係を強調するところによく表れている。アメリカとの関係を何度も強調しており、両国の関係を『分かちがたい兄弟』と表現する。だが、それがどういうことかという点は、アメリカが日本にとって最大の市場であるということ以外の説明ができないようだ」。 実際、角栄は、軍事、防衛、安全保障の面については首を突っ込んでいない。防衛関係のポストに就いたことが一度もない。専ら経済専門的な業績を残している。この点で真反対が後の中曽根首相である点が興味深い。角栄は代議士初当選後次第に頭角を顕わし、その過程で能力と勢力を類稀なく発展させ、とうとう一国の首相の座まで辿り付いた。驚異とすべきは、この時既に国際舞台にも通用した当代一流の政治家に孵化していたことである。首相になって以来の角栄の政治的姿勢を、新たな三つの観点からベクトル化させることが可能である。 一つは、国内政治における1・日本列島改造計画ベクトルである。角栄は、都市政策要綱、列島改造論の観点で、公共投資による社会基盤整備と中央と地方のバランスの良い国土改造計画を指針させた。一つは、国際政治における2・対中・ソ外交ベクトルである。対米協調を基本として維持しつつ中・ソとの友好関係をも築き、こうした等距離外交を通じて交易拡大を求めようとした。一つは、首相在任時の角栄を襲ったオイル・ショックの衝撃を通じての、その打開策としての3・新資源外交ベクトルである。角栄は、石油・ウラニウムを求めて東奔西走の外交活動を展開した。 角栄政治の元々は、格差是正ベクトル、国土復興ベクトル、均衡ある国土の発展ベクトル、経済再建、民力向上ベクトルを原点としていた。その角栄初期政治は孵化して今や、1・日本列島改造計画ベクトル、2・対中・ソ外交ベクトル、3・新資源外交ベクトルの時代へ向おうとしていた。 これらは「国家百年の大計」に基づく果敢な政治の断行であった。前任の佐藤政治とは極めて対照的でさえあった。首相在任時代の角栄は、官邸−砂防会館事務所−私邸の間を遮二無に精力的に仕事をこなしている。その様は歴代首相にあって群を抜いているといえる。この点で急ぎすぎたのかも知れないが、政治の遅滞を特徴とする日本的慣習からそう見なされるだけであって、政治を国際舞台の観点から見れば別な評価の栄誉に値していたのではなかろうか。 その哲学は、軍事より経済主導のハト派政治であり、「安保条約により、予算を防衛費に突出させずに、経済発展に回せ」というリアル認識に支えられていた。そういう意味では、紛れもなく「吉田学校」の継承譜である。その眼目は、自主責任体制と公平市場主義と「財界依存体質からの脱却」、「中央偏向主義の是正」、「対米従属外交の改善」、「『政・官・民』のリアリズム的使い分け」、大衆的議会主義の育成にあった。 角栄のハト派的立場を象徴している次のような言説が残されている。1981.6.21日付読売新聞「元総理大臣が語る」の中の一説である。次のように述べている。 「ソ連は年間国防費が36兆8250億円、中国が14兆1600億円、西ドイツが6兆1千億円、フランス5兆円、日本は2兆2300億円だ。GNP対比0.91%というのは、世界にない訳ですな。中国でも9%でしょう。イギリスは3.3%、フランスは3.9%ですからねぇ」。これによると、角栄は、日本の防衛費がGNP対比1%以下というのを誇っていることになる。得意とした数字説得で要点を衝いている。確かに角栄時代までは、「軽武装、経済成長」の国家的枠組みを維持してきていたことが認められねばならない。ここに角栄のハト派的面を見て取らねばならない。 だがしかし、「諸悪の元凶角栄説」論者は、角栄のこのハト派的面を無視して金権政治批判一本槍で批判しぬいてきた。それは余りにも愚劣な政治訴追運動であったのではなかろうか。この運動を誰が指導したのか。何と宮顕ー不破系日共であった。しかも、宮顕ー不破系日共は、その後のタカ派系中曽根政治に対しては口先では批判しても大甘な反対運動に止まった。これは何を意味するのだろうか。ここを疑惑せねばなるまい。 もとへ。角栄の憲法観、防衛問題観について、佐藤昭子が「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」の中で、次のように明らかにしている。 1962.2月、後に暗殺されたロバート・ケネディ米司法長官が来日し、政調会長であった田中角栄他、中曽根康弘、江崎真澄、石田博英、宮沢喜一ら当時の自民党中堅代議士と非公式に会談した。その席で、司法長官は日本の防衛力増強を持ち出した。その懇談の席で、角栄は次のように述べて反論している。 「なるほど、あなたの云うのは理屈だ。ただ防衛力増強と云われるが、アメリカが敗戦国である日本に押し付けた憲法は、我が国に根付いてしまった。大きな枝ぶり一本でも伐ろうとすれば、内閣の一つや二つは吹っ飛ぶ。根こそぎ倒そうとすれば、世の中がひっくり返る。しかし、我々にしても、あなたたちにいつまでも、『おんぶに抱っこ』では申し訳ない。だから、どうしても防衛力を増やしてくれ、と云うのなら、アメリカから日本国民に対し、改めて日本国憲法の成立過程について一言あってしかるべきではないか」。 角栄は去る日、日米安保体制観について次のように述べている。 「日米安保条約は、日本だけが得をするとか、アメリカもそれで助かっているとかの損得で片付くものではない。日米が一体となって、北方の白熊がアジアにずかずかと足を踏み込んでこないよう睨みを利かせているところに大きな意味がある。アメリカがいかに巨大な力を持っていても、直接、アジアの全ての国の安全保障を負担するのは無理だ。そこで、日本とアメリカが一つになって、ソ連を注意深く牽制し、アジア各国に脅威を与えないようにする。これが日米安保体制だ。 この日米安保条約のお陰で、我が国の防衛費は世界各国に比べて、驚くほど低い水準にままに抑えられ、それが日本の経済的復興と発展を支えた。だから、同盟国であるアメリカが日本の防衛力に不満を抱いているのなら、日本はアメリカの不満に真剣に応えなくてはならない。この程度の判断ができなければ、日本人はエゴイストと云われても仕方がない」。 この辺りは、れんだいこの見解と異なるが、それはともかく、これが角栄の日米安保体制是認観である。これによると、あくまでも日本の国益から日米安保体制を捉えていることになる。当然の見地では有るが、アメリカ側即ちネオシオニストにとっては御し難い点で始末に困る観点でもあろう。彼らは、彼らの言いなりになる日米安保是認観を欲している。そういう意味で、角栄の日米安保体制是認観の民族主義性を見て取ることが肝要ではなかろうか。 思えば、角栄政治とは、幕末維新、明治維新以来の内治派と外治派の抗争と云う歴史軸に於いて明確に内治派を意識しつつ首相の座に上り詰め、縦横無尽に活躍した稀有な政治家であったのではなかろうか。角栄政治は豊穣にして多角的な面を持っているので一概に捉えられないが、下手な左派運動より何倍も左派的な面を持っていたようにも思う。この路線の下で日本政治が続いていたなら、世界史上画期的な日本政治の質が世界に登場していたのではなかろうか。そう考えると悔やまれること夥しい。 付言しておけば、角栄時代即ち彼が大蔵大臣、幹事長、首相職に在任中、国債発行を抑制せしめていた。当然のことながら、この時代には消費税なる悪税はない。角栄の睨みが利かなくなってより防衛費が突出し始め、国債が刷り抜かれ、3%消費税が導入され、続いて5%になり、地方が切り捨てられ、中小零細企業が切り捨てられ、社会資本的公共事業が抑制され、労働省が廃止され、雇用、年金、医療システムが破壊され、アジア間の対立紛争が煽られ云々。こういう政治ばかりしてきた。これでは世の中良くなる訳ないではないか。 しかし、そういう政治をやると名宰相と囃したてられ、逆に向かうと暗愚と評される。ホワイトハウスから見てそうであっても、日本から見れば違う評価にならなければならぬところ、マスコミはいつもワシントン基準でものを云う。そういう風にしつけされているのだろうが、少しは休み休み云ってはどうだ。 2005.9.11日、2010.4.16日再編集 れんだいこ拝 |
【角栄式防衛論考】 | ||||
先に「れんだいこのカンテラ時評bP230、安倍防衛論&鈴木防衛論考」で、鈴木善幸首相の防衛論を確認したが、ここで角栄の防衛論にも言及しておく。これについては、既に「れんだいこのカンテラ時評713、角栄内治主義的政治の特質その2、反防衛族的軍事費支出抑制」で確認している。本稿はその補足とする。 吉田の「回想十年」は次のように記している。
戦後の軍事防衛論はここが始発となる。しかしながら挑戦動乱の勃発により日本に再軍備が迫られるようになった。この時の吉田茂首相の対応と、それに対する角栄の感想につき、早坂茂三「田中角栄回想録」が次のように記して伝えている。
1969.10.10日、読売新聞インタビューに答え、日米安保自動延長論を述べている。
1971.1.17−18日、朝日新聞の「日本の進路」と題する、田中幹事長とフランス紙「ル・モンド」のロベール・ギラン極東総局長との対談で、角栄式憲法論を次のように披瀝している。
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【高村正彦副総裁の「1972(昭和47)年の田中政権の自衛権に関する政府見解」に対するマジック解釈考】 | ||||
2014.6.27日、自民党の高村正彦副総裁が記者会見で、安倍政権の集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更の動きに対する、那覇市議会の「安倍内閣への抗議」(20日)、岐阜県議会の「慎重な検討を求める意見書」(24日)を次のように批判した。「いまだかつて一つの閣議決定に当たり、これだけ慎重にやったことは私の経験では知らない」、「自国の存立を全うするため必要な自衛の措置をとることを憲法は禁じていないとした昭和47年の自衛権に関する政府見解を出したときも与党の事前了承はなかった」。 「1972(昭和47)年の自衛権に関する田中政権下の政府見解」に対する高村正彦副総裁解釈はどのようなものか。「1972(昭和47)年の自衛権に関する田中政権下の政府見解」を援用する形での「2014(平成26)集団的自衛権行使容認に関する憲法解釈としての安倍政権下の政府見解」が「いかにあり得ない解釈」を基にしているのかを確認しておく。ちなみに「1972(昭和47)年の自衛権に関する田中政権下の政府見解」とは、1972年10月14日、田中政権下の政府が、社会党の水口宏之議員によるかねてからの質問に応える形で参議院決算委員会に対し、集団的自衛権に関する政府見解として提出した資料のことを云う。全文は次の通りである。
1972(昭和47).11.13日、参議院予算委員会での吉國一郎内閣法制局長官による「戦力に関する政府統一見解」は次の通りである。
2014.6.24日、与党協議会座長の高村正彦自民党副総裁が集団的自衛権の行使容認に関する試案を示した。全文は次の通りである。。
2014.7.1日、安倍内閣は、臨時閣議で、他国への攻撃に自衛隊が反撃する集団的自衛権の行使を認めるための従来の憲法解釈を変える閣議決定をした。憲法9条の解釈を廻って、長年、集団的自衛権の行使を禁じてきた。安倍首相は、自衛隊発足から60年のこの日、「解釈改憲」により、日本が武力を使う条件となる「新3要件」を満たせば個別的、集団的自衛権と集団安全保障の3種類の武力行使が憲法上可能とした。 〈武力行使の新3要件〉とは、@我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、Aこれを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない時に、B必要最小限度の実力を行使すること――という内容。 ▼密接な関係の他国に武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、集団的自衛権を含む「自衛のための措置」を可能に。▼自衛隊の国連平和維持活動(PKO)などで、自衛隊が武器を使える場面を拡大。▼自衛隊が他国軍に後方支援する場所を「非戦闘地域」に限る制約は撤廃。 首相は記者会見で「いままでの3要件とほとんど同じ。憲法の規範性をなんら変更するものではなく、新3要件は憲法上の明確な歯止めとなっている」と強調した。しかし、これまでの政府の3要件には「我が国に対する急迫不正の侵害があること」という条件があり、日本は個別的自衛権しか認められないとされてきた。新3要件は「他国に対する武力攻撃」を含んでおり、集団的自衛権を明確に認めた点で全く異なる。さらに首相が「歯止め」と言う新3要件は抽象的な文言で、ときの政権がいかようにも判断できる余地を残している。 首相は「日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」としている。 「日本人の命を守るため、自衛隊が米国の船を守る」。1日に首相官邸で開かれた記者会見。そう語る安倍晋三首相は傍らに、自らの指示で作らせた母子らが乗った米艦のパネルを置いた。集団的自衛権の議論に入る直前の5月15日の記者会見と同じものだ。自らの信じる結論に突き進む。「安倍さんを見ていると、正直、強引だなと思うことはある」。閣僚からもこんな感想が出るほど、今の首相は止められない。昨年末の特定秘密保護法。なりふり構わぬ法案審議に批判が集まり、首相は「丁寧に説明すべきだった」と謝罪した。5月の会見でも「与党協議は期限ありきではない」と熟議を約束。そこから50日も経たないうちの閣議決定である。
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「閣議決定では集団的自衛権の行使できない」元内閣法制局長官が断言−憲法や法律が優先、依然変わりなく 6.30日、集団的自衛権に反対する憲法や外交・安全保障の専門家によるグループ「国民安保法制懇」の会見に参加した大森政輔・元内閣法制局長官は次のようにコメントしている。
そもそも、閣議決定とは、首相が全閣僚の合意の上で、行政各部を指揮監督する方針決定であるが、この閣議決定よりも、国会で採決された法律の方が拘束力がある。それは、有権者が「主権ある国民の代表」として選挙で選んだ国会議員で構成される国会を「国権の最高機関」として、内閣よりも上に位置づけているからである。まして、最高法規である憲法が閣議決定より優先されることは当然のことなのである。 だから、もし多くの日本の人々が、集団的自衛権の行使を拒絶するのであれば、今回の閣議決定で意気消沈するのではなく、むしろ今後、自衛隊法などの関連法の改正が具体的に国会で審議される時にこそ、大きく声をあげる必要があるのだ。あるいは、憲法や国民主権、そして民主主義がなんたるかを、根本的に理解できていないし、しようともしない安倍政権に「為政者としての資格なし」としてレッドカードを突きつけ、退陣に追い込むという方法もある。そうすれば、安倍政権もろとも、集団的自衛権の行使のための閣議決定を葬り去ることができるのだ。大森元長官が一昨日の会見で繰り返し述べたように、憲法9条そのものは、依然、変わりない。その平和主義を活かすも殺すも、結局は主権者である、我々、日本の一般市民の肩にかかっているのだ。 |
「★阿修羅♪ > カルト49」「イワツバメ 日時 2024 年 2 月 07 日」「田中角栄が「憲法9条」を盾にベトナム戦争への派兵要請を断っていた(ディリー新潮)&日本の歴代総理大臣の国籍」。
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(私論.私見)