| 議会政治家の申し子としての角栄その1、選挙区守護能力 |

更新日/2017(平成29).5.8日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
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ここで、議会政治家の申し子としての角栄考をしておく。これは、1・選挙区守護能力、2・陳情政治能力、3・政治能力の三論から構成される。角栄は、生粋の党人派政治家であり、大衆的支持基盤を持つ議会政治の落とし子代議士であった。それを証左する事項を以下掲げる。これを知れば、角栄こそ左派政治家の鏡と云うべきだろう。逆に、仮に社共の政治家の実態を見よ、無能さばかりが見えてくるではないか。角栄の政界追放は国際金融資本帝国主義の差し金に相違ないが、これに呼応した日本サヨ運動派は、ひょっとして手前達のそういう無能さと正体暴露から来るジェラシーだったのではなかろうか。 |
| 【1、「戸別訪問は3万軒、辻説法は5万回」】 | |||||||||
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角栄は、戦後の普通選挙制度を重視しており、大衆的支持基盤を持つ議会政治の落とし子代議士であった。次のような語録を残している。
「角栄の戸別訪問3万軒、辻説法5万回」は、ひたすら頭を下げて投票を頼む「通リ過ぎ連呼」ではない。「政治とは国民の生活そのものである」の信念に基づき、時に車座になり、有権者と目の高さを合わせ、その要望する「政治の声」を聞いた。それをその場受けの空約束、空手形にすることなく能う限り角栄政治に具現させた。この政治姿勢に対する信頼があればこそ、何が起り襲おうと角栄支持が失われることはなかった。粗脳の評論士が新潟県民の見識を愚弄したが、嗤われるべきは肩書きばかり立派で中身の評論士の方であったであろう。
角栄の薫陶を受けた羽田は、角栄を次のように評している。
角栄らしい物言いとして次のような演説がある。
角栄の二度目の選挙時から応援してきた小倉康男・元六日町懲戒議員、六日町越山会会長は、田中の選挙戦について次のように語っている。
角栄のそういう選挙姿勢が「金帰火来」を生んでいくことになった。自民党の「金帰火来」は他のどの政党よりも地元民に対する国政報告を日頃から地道にしていくことになった。自民党が選挙に強いのは、単に金権に拠るのではなく、そういう普段からの足腰の強さにあった、と認めるべきだろう。 |
| 【2、「陳情受付け大衆政治家」その4、田崎の陳情政治評】 | |
田崎は、次のように陳情政治評をしている(「」より転載する)。
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(私論.私見)