議会政治家の申し子としての角栄その1、選挙区守護能力

 更新日/2017(平成29).5.8日

 (れんだいこのショートメッセージ)

 ここで、議会政治家の申し子としての角栄考をしておく。これは、1・選挙区守護能力、2・陳情政治能力、3・政治能力の三論から構成される。角栄は、生粋の党人派政治家であり、大衆的支持基盤を持つ議会政治の落とし子代議士であった。それを証左する事項を以下掲げる。これを知れば、角栄こそ左派政治家の鏡と云うべきだろう。逆に、仮に社共の政治家の実態を見よ、無能さばかりが見えてくるではないか。角栄の政界追放は国際金融資本帝国主義の差し金に相違ないが、これに呼応した日本サヨ運動派は、ひょっとして手前達のそういう無能さと正体暴露から来るジェラシーだったのではなかろうか。

 2006.10.26日再編集 2010.1.4日再編集 れんだいこ拝



【1、「戸別訪問は3万軒、辻説法は5万回」】

 角栄は、戦後の普通選挙制度を重視しており、大衆的支持基盤を持つ議会政治の落とし子代議士であった。次のような語録を残している。

 「戸別訪問は3万軒、辻説法は5万回、雨の日も風の日もやれ。聴衆の数で手抜きはするな。流した汗と、ふりしぼった知恵だけの結果しか出ない。選挙に僥倖などあるものか。そして、選挙民には口でいって見せるだけでは絶対駄目だということだ。、必ず、自分で率先してやってみせろ。政治は結果である。そのためにこそ、選挙区をくまなく歩くことだ。選挙民が何を一番望んでいるのか、何に一番困っているのかを、他の誰よりも早くつかまなきゃいかん。とにかく歩け、歩いて話を聞け。しかし、それで終わったら並みの代議士に過ぎない。それをやった上で、現実のものにしてはじめて政治家というものだ。オレはそれを、最初から一人でやってきた」。

 「角栄の戸別訪問3万軒、辻説法5万回」は、ひたすら頭を下げて投票を頼む「通リ過ぎ連呼」ではない。「政治とは国民の生活そのものである」の信念に基づき、時に車座になり、有権者と目の高さを合わせ、その要望する「政治の声」を聞いた。それをその場受けの空約束、空手形にすることなく能う限り角栄政治に具現させた。この政治姿勢に対する信頼があればこそ、何が起り襲おうと角栄支持が失われることはなかった。粗脳の評論士が新潟県民の見識を愚弄したが、嗤われるべきは肩書きばかり立派で中身の評論士の方であったであろう。

 羽田孜は、回顧録で次のように記して角栄の「戸別訪問は3万軒、辻説法は5万回話」を裏付けている。

 「君の場合はお父さんが大変に苦労しながら築いた地盤だから間違いなく当選する。しかし、当選するだけじゃ駄目だよ。これから三万軒歩け」。
 「君は当選してから本当の仕事をやっていくためにも各地域の実情をしっかり見て来い。君の選挙区は日本の地方の一つの縮図なんだから、そこをキチンと見てくれば日本の国全体をキチンと語ることができるようになる。とにかく歩いて来い」。

 角栄の薫陶を受けた羽田は、角栄を次のように評している。
 「大変な努力家であると同時に政治の天才だったなと。あの人のことを思うと今でも気持ちが躍動するね」。

  角栄らしい物言いとして次のような演説がある。

 「私は役人は怖くねーが、あんたら地元の人が一番怖い」とおどけていた。
 「大学出も、70、80のばあさんも同じ一票」

 角栄の二度目の選挙時から応援してきた小倉康男・元六日町懲戒議員、六日町越山会会長は、田中の選挙戦について次のように語っている。

 「とにかく田中先生は、最初の選挙に落ちて以来、新潟三区の特に山間部の農村部をくまなく、それも何度も歩き回った。麦わらで作った笠を被り、地下足袋に脚半、冬になるとつぎはぎだらけの長靴で‐‐‐‐。そして誘われるとどの家にでも上がって大胡座をかき、村の衆と一緒に酒を飲んで何時間でも喋った。それまで、こんな政治家は一人もいなかった」。
 「農民達が、初めて同じ目線で話ができる政治家、それが田中角栄だった。新潟三区の保守系の政治家として選挙に強かったのは、大きな回船問屋の養子である旦四郎や、新潟で有数の旅館チェーンの息子である大野市郎などであったが、彼らは都市部の旦那衆に守られていて、雪で道が閉ざされた農村部には足を踏み入れようとしなかった」。
 「山に近い村は半年は雪に埋もれて何も出来ない。病人が出ても、道が雪に埋まって町の病院に連れて行けずに死んでしまう。男達は出稼ぎに東京へ行かなければならない。水も米も、電機も人間も全部東京に取られて、貧しい不便な生活を強いられている。そんな新潟県人の憤懣、怨念を村人達は田中先生にぶちまけたのだよ」。

 角栄のそういう選挙姿勢が「金帰火来」を生んでいくことになった。自民党の「金帰火来」は他のどの政党よりも地元民に対する国政報告を日頃から地道にしていくことになった。自民党が選挙に強いのは、単に金権に拠るのではなく、そういう普段からの足腰の強さにあった、と認めるべきだろう。

【2、「陳情受付け大衆政治家」その4、田崎の陳情政治評】
 田崎は、次のように陳情政治評をしている(「」より転載する)。
 「人の選挙をやらずして派閥の長になれるか。130選挙区(衆院の中選挙区)、1日1回選挙区回っても130日、2日ずつ回れば260日。選挙の応援をやっていれば、いざという時、議員の後援会が黙っちゃいない」(1982.12.16日)。





(私論.私見)