ここで、議会政治家の申し子としての角栄その4として、角栄の政治経営能力を問いたい。政治経営能力とは聞きなれない概念であるが、こういう政治能力も重要なファクターではなかろうかと思われる。この能力は角栄に顕著に表れるので、角栄の政治経営能力検証を通して、この概念の重要性を確認してみたい。
結論から云えば、角栄は、かなり若い時期から会社を起業し、その経営を成功させ、いずれ業界の十指に入るであろうほどの成長見通しを予見させていた。それが、或る機会に政党への多額の政治献金を請われ、これを引き受けた際に意見を付したところ、政治家への転身話に乗せられことになる。最初の選挙では落選したが二度目の選挙で当選し、以降連続当選を果たして行くことになる。最初の時点では、引き続き実業家として且つ政治家でもあると云う二足のワラジを履いていた。ところが、政治家としての器量を増すことにより次第に政治家を本業化させる。
その時の角栄の胸中にあったのは、一企業としての角栄企業を日本一にする夢をあきらめ、その同じ才覚と経営能力で日本を経営することを志し、世界一の企業を目指して日本丸を操船し始めようとする意思だったのではなかろうかと思われる。これを分かり易く云えば、角栄は、日本を一企業として捉え、その発展を目指したのではなかろうか。これを能く為し遂げたところに角栄の非凡な政治経営能力があったと思われる。
上京した角栄は様々な職業を転々とした挙句、祖父を宮大工に持つ血筋のなさしめたものか建築設計士として身を起すことになり、田中建築事務所を開設する。事業は順調に進展し、やがて大口の理研の仕事を引き受けるまでに成長する。家を建て、工場を建てるには設計、発注、施行管理、竣工まで様々の目配せを要すが、これを見事にこなす能力があった云うことになる。更に、そうした技術面、営業面のみならず事務面、経理面にも明るかったことになる。これらを十全に目配せし、優良企業に育てたところに角栄の才能を認めねばなるまい。
こういう履歴を持つ角栄が政治家に転身するに及びやかで日本そのものを設計、施行管理し始めたのではなかろうか。角栄が活躍する時代の戦後日本史は、あたかも日本丸と云う親方日の丸船が正成長する時代である。これを角栄一人が為し得た訳ではなかろうが、この時代を牽引したのは間違いない。角栄なき後の親方日の丸船は次第に翼をもぎ取られた難破漂流船である。船長の能力次第でかくも変わると云うことではなかろうか。こういうことが云いたい訳である。以下、これを論証する。
2010.11.19日 れんだいこ拝
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