別章【田中角栄の人脈、派閥と形成能力について】 |
更新日/2021(平成31→5.1栄和元/栄和3).1.31日
「現実は、しばしば思考ではなく直観によって、より鋭く捉えられる」(メルロ・ポンティ)。 |
(れんだいこのショートメッセージ) |
角栄は、徒手空拳裸一貫から権力取りに向かった。今日の我々はそうした元気を夢想する者は少ないだろうが、当時の時代風潮として「天下盗り」は男子の本懐であった。左翼風空理空論に飽き足らなかった出自庶民男が、「思い」を遂げるためになりふり構わず突っ走って行った。敗戦による廃墟に佇んだ男の胸に去来したグランドデザイン、それが後の角栄を規定した、と私は受け止めている。その行方に立ち塞がったものが何であるか、それは闘った者のみが知るであろう。 そういう眼で見ると、角栄人脈とは、その「天下盗り」に結集した梁山泊の人士たちであったと云えよう。この人士達の共通項をもし抽出するならば、炙り出されてくるものはまさに非エスタブリッシュメント達の「それぞれの感慨」であり、それをベースにした世直し=日本列島改造計画事業であった。この事業の非凡さ、秀逸さに私は時空を超えて感服させられている。しかしながら、今、角栄たちが夢想した世直しのことごとくが逆方向に機能せしめられている。このことをどう思うべきか、この気持ちをいつか世に問いたかった。今、いよいよ手がけ始めた私の前途に良き哉幸いあれ! 興味深いことは、角栄はいつでも絵になる男であった。従って、梁山泊の蠢きも又一つ一つが劇画的になっている。いずれ、誰かが角栄物語を画き上げるだろうと思う。その時のデータベースを書き上げるつもりである。 2005.4.20日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)