角栄-大平連合の政治史的意義 |
更新日/2016.03.26日
(れんだいこのショートメッセージ) |
「越後の馬喰(ばくろー)の倅」と「讃岐の貧農のせがれ」。 2005.11.5日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その122 | れんだいこ | 2005/11/05 | |||
【増山榮太郎氏の「角栄伝説ー番記者が見た光と影」を評すその2】 増山榮太郎氏の「角栄伝説ー番記者が見た光と影」が市販されたようである。改めて読み直してみて値打ち物であることが分かったので、続評を書き付けておく。 「角栄-大平連合の政治史的意義」という考察は極めて意義が高いが、れんだいこの知る限り未考察の課題である。れんだいこが観る限り、表見的なあらゆる挟雑物を取り除いたときに見えてくる角栄-大平連合の政治史的意味は、これぞ戦前・戦後を問わず日本史上初めて土着系人民大衆派が政権にたどり着いた稀有な例ではなかったか。敢えて云えば、体制の懐深く入り込み用心深く階段を上り詰め、「日本土着型左翼の実効的な権力形態」を創出し、土着系左派の政治能力の高さを証し続けていたのではなかろうか。この時代、日本は経済はむろん政治も文化も多方面に於いて飛躍的に成長している。池田―(佐藤)―田中―大平時代の日本は、史上初とも云える二十年続いた善政時代であった。民活盛んにして、官僚も又使命に燃え国家発展に有意義な長期計画を立案し、「親方日の丸」式で官民力を合わせてこれを敷設していった時代であった。あぁ思えば懐かしい。あぁ思えば、この時代をへなちょこ左翼で生きたれんだいこはおぼこだった。へなちょこ左翼を「若気の至りの政治的訓練」として受け止め、むしろ好ましい感性として評価し、更に練成を促す社会システムが存在していたとは。失われてこそ見えてくる。 この観点に照らすとき、角栄-大平連合に立ち向かった守旧的官僚機構の壁の厚さよ、米英ユ特務機関の怜悧さよ、容赦なく追い詰めていった我が国の表見左翼のエセ性よ。これらが鋭く暴露されねばならない。特に、後者の表見左翼のエセ性という意味では、実に宮顕ー不破系日共党中央が遮二無二これに立ちはだかった史実が残されている。ここに日本左派運動の悲劇があるとれんだいこは考えている。この辺りは怒り無しには語り得ない。れんだいこが現日共党中央との和解なぞありえない、とするのはこうした認識によっている。 さて、「角栄―大平連合」の政治的意義はなへんに求められるか、これをスケッチしたい。結論的に云えば、マクロ的意義としては、戦後日本の国家統治構造を資本主義国の有姿のそれよりも改良した、社会主義国のそれよりも実質性を担保した、史上例のない「軽武装・産業発展型国家」として存立させようとしていた点に特質があったのではなかろうか。ミクロ的意義としては、自民党史上ではハト派系列に位置し、護憲の下で戦後民主主義体制を社会に土着化するべく政治、経済、文化の領域で培養に努力していた点に特質があったのではなかろうか。検察、警察の一定の抑制もこの時代ならではの見識に拠っていたのではなかろうか、今にして思えば。 増山氏の「伝説の角栄」は、ソ連最後の共産党書記長ゴルバチョフの次のような言葉を紹介している。
ゴルバチョフから見た戦後日本はそのように見え、事実、戦後保守主流派を形成したハト派政治主導による戦後日本はその通りではなかったか。この面からの考察が急がれているように思われる。 増山氏は、「伝説の角栄」の中で、次のように述べている。
しかしながら、全くナンセンスな金権政治の元凶レッテルで左右両翼から司法からマスコミからの執拗な射撃で「角栄―大平連合」は葬り去られた。以来、軽佻浮薄にして無思想故に内容空疎な、これこそ真の意味での国家に寄生する利権政治家にして愛国士気取りが跋扈することになった。連中は、骨の髄からの親米実はネオシオニズム被れであり、そういう売国奴イエスマン政治家が与野党・官僚・財界を問わず政権の蜜に群がり始めている。既に十重二十重に取り巻いている。かくて、我が日本は今日の惨憺たる国家に落とし込められてしまった。 マレーシアのマハティール首相は、クアラルンプールで2002.10.10日開かれた経済フォーラムで、次のように述べている。
我が日本は、かように評されるザマになってしまった。この評から既に3年経過しているが、日本はまさにこの傾向を深めつつある。小ネズミは相変わらずブッシュはんのためならと打ちでの小槌を振り続けている。 2002.10.13日、2005.11.5日再編集 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評№1094 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 1月15日 |
マレーシア元首相マハティール氏の1970年代日本論考 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK142 」の gataro氏の2013.1.15日付け投稿「<インタビュー>ルックイーストはいま マハティール・ビン・モハマドさん(朝日新聞)」に思うところあり、以下ブログしておくことにする。原文は「朝日新聞 2013.01.15 東京朝刊 11頁 オピニオン1、<インタビュー>ルックイーストはいま マハティール・ビン・モハマドさん」とのことである。マハティール氏につき、どこかで書きつけた記憶があると思い探すと、「田中角栄論」の「田中角栄の思想と政治姿勢、資金源、人脈考」の「角栄-大平連合の政治史的意義」の「Re:れんだいこのカンテラ時評その122、増山榮太郎氏の「角栄伝説ー番記者が見た光と影」を評すその2」でコメントしていた。以下、補足することにする。 マハティール氏につき、どこかで書きつけた記憶があると思い探すと、「田中角栄論」の「田中角栄の思想と政治姿勢、資金源、人脈考」の「角栄-大平連合の政治史的意義」の「Re:れんだいこのカンテラ時評その122、増山榮太郎氏の「角栄伝説ー番記者が見た光と影」を評すその2」でコメントしていた。以下、補足することにする。 インタビューゲストのマハティール氏の履歴は次の通り。1925年生まれ。マラヤ大学医学部卒。医学博士。開業医をへて、1981年から2003年まで22年間マレーシアの首相を務めた。そのマハティール氏は、1982年に「日本を見習え」とルックイースト(東方)政策を唱えた。この意味するところは、この発言は中曽根政権時代の1982年であるが、中曽根政権時代の政治の評では断じてない。中曽根政治が「戦後の総決算」なる大言壮語と共に壊し始めた「1970年代までの日本に対する郷愁の弁」である。マハティール氏が「日本を見習え」と唱えたのは、1970年代に結実した田中政権に至るまでの戦後保守ハト派政治への賛歌である。かく解すべきだろう。 それから30年余りを経て、マハティール氏は、「いまや日本の過ちから教訓を得るときだ」、「韓国により多く学ぶ点がある」と苦言を呈している云々。この意味するところは、中曽根政権時代以降の日本が、その憧れの日本を自ら壊して来たことに対する痛烈な批判である。「アジアを代表する知日のリーダーは、停滞が続く日本にいらだちを隠さない」とあるが、そのいらだちの原因をかく解するべきだろう。 マハティール氏が「在りし日の日本」を見習いルックイースト政策を掲げたことに対し、「成果をあげたのでしょうか」の問いに次のように答えている。「マレーシアの発展に寄与したことを疑う余地はない。労働に対する真摯(しんし)な姿勢、戦後復興への熱意と愛国心、独自の経営スタイル、職場での規律を日本から学んだ。貧しかったわれわれは、日本人の価値観や倫理観を見習い、民族(マレー系、中国系、インド系)間の協調を保つことで発展しようと考えた」、「多くの日本企業を誘致し、留学生を日本に送りました」、「日本は素材を輸入し、加工して輸出していた。貿易立国をめざすマレーシアにとって、技術を通して世界市場に打って出るモデルだった」。 「当時の日本は経済的に日の出の勢いでしたが、いま長い停滞のなかにいます」の問いに次のように答えている。「日本が苦境にあるのは、経済大国への道を切り開いた自らの価値を捨て、欧米に迎合したからだ。例えば終身雇用制などに重きを置かなくなった。政府の指導や民間企業との協力関係はいまや犯罪視される」。 「系列、行政指導、日本株式会社といった、欧米から批判されたシステムにあなたは肯定的でした。それらを捨てたことが間違いだと」の問いに次のように答えている。「大きな誤りだった」、「われわれが見習ったのは、現在の日本がやっていることではない。いまはあなたたちの犯した過ちを繰り返さないようにと学んでいる」。 「しかし90年代以降のグローバリゼーションは、そうした日本のシステムの生き残りを許さなかったようにみえます」の問いに次のように答えている。「確かにグローバリゼーションはやってきた。それは欧米のアイデアであり、彼らの利益のために考え出された。新たなシステムを採用すれば、混乱はつきものだ。日本は国内の状況を斟酌(しんしゃく)せずに受け入れた。それまでのやり方とグローバリゼーションを調和させることに失敗した」。 このやり取りから窺えるのは、質問者が「1970年代までの日本に対する批判」を尤もなこととして中曽根以降の国際主義路線を是認し、その立場からマハティール氏の「在りし日の日本賛美論」に疑問を呈し、マハティール氏が反論している姿である。日本人が日本を批判し外国人が日本を耽美すると云う滑稽なやり取りになっていることが分かろう。 これをもっと正確に云うと、1970年代半ばのロッキード事件で当時形成されてい戦後保守ハト派の二大派閥=田中派と大平派の鉄の同盟に楔を打ち込み、それ以降主流派に転じ始めた戦後保守タカ派の政権になって以来、日本は、マハティール氏が称賛した「在りし日の日本」を自己否定し始めた経緯に対して、質問者がその流れを是認し、マハティール氏が批判していることになる。そういう二人の逆さやりとりであるところに、この質議の面白さがある。 朝日新聞記事のキモの部分は以上にある。この後、その後の日本政治論、韓国との比較論、中国論へと続いている。この下りのやり取りはさほど意味がないので割愛する。 次に、「日本は経済的に自信を喪失し、その反動として右傾化が進んでいるとの指摘があります」の問いが為され、マハティール氏は次のように答えている。「危険なことだ。日本が自信を取り戻すのは軍事ではなく、経済力を回復させるしかない」。 「97年のアジア通貨危機でマレーシアは周辺国と違って国際通貨基金(IMF)の支援を求めず、通貨の変動相場を固定相場制にして、しのぎました」の問いに対して次のように答えている。「IMFを頼らなかったのは、自国のことは自国で決めるためだ」。 「10年以上たって、リーマン・ショックがあり、続いて欧州危機が起きました」の問いに対して次のように答えている。「欧米では、市場が自律的に需給を調整するといって、政府の規制を嫌う。だが金融市場はシステムを乱用して回復不能に陥った。ヘッジファンドが錬金し、銀行は無理な住宅ローンを貸し付ける。借り手は払えなくなり、銀行は債務超過で危機に陥る。強欲の結末だ。穴埋めに中央銀行が札を刷り、倒産企業を政府が支援している。かって批判してきたことをそのままやっているのだ」、「戦後、日本や韓国など東洋の国々が安く良質な製品をつくるようになった。欧米は製造業の分野でかなわなくなり、金融市場に活路を求めた。サブプライムローン、レバレッジ……。製品も雇用も生まない。商いとはいえない、ギャンブルだ」。 「米国のいいなりになる日本政府に何度も不満を表明しました。米国の意向をくんで、あなたが唱えた東アジア経済会議(EAEC)構想に反対した時やイラク戦争を支持した時です。そんな日本に学べと号令をかけたことを後悔はしませんか」の問いに対して次のように答えている。「われわれが見習ったのは、高い職業倫理で戦後の復興を果たした日本だ。米国の影響下にある日本ではない。米国はEAECに中国を含めたから反対した。環太平洋経済連携協定(TPP)でも中国を除外しようとする。われわれは東洋の人間だ。敵をつくるのでなく、自分たちの問題は自分たちで解決すべきだ」。 マハティール氏の弁はこれでも抑制的に語っていると窺うべきだろう。マハティール氏が見据えているのは現代世界を我が世の春とばかりに壟断している国際金融資本帝国主義である。次のように云いたかったはずである。れんだいこが忖度して書きつけておく。 世界を連中の都合のよいようにはさせない。各国がそれぞれ自律して共栄圏を創る国際関係を生み出さねばならない。その為に何を為すべきか、かっての日本には学ぶべきところがあり大いに学ばせて貰った。今の日本は逆漕ぎ専門で学んではいけない国になってしまっている。一体日本よ汝はどこへ連れて行かれようとしているのか分かっているのか。私の死に出の置き土産に云わせて貰う。日本よ覚醒せよ、余りにも可哀そうでならない。 jinsei/ |
拳骨左派勢力の公然登場に期待する。 | れんだいこ | 2002/10/12 | ||
新聞読んでたらこういう記事がありました。
これを、れんだいこ流に翻訳すれば、戦後吉田茂から池田―佐藤―角栄―大平―善幸まで続いた軽武装・経済発展型国家づくりに勤しんできた日本は、諸外国からの憧れの国家形成モデルであった。ところが、中曽根以降竹下―宮沢―橋龍―森―小泉と至る現下の系譜で日本は滅茶苦茶になった。もはや、真似てはならない沈没国家の格好例として日本を眺めるに過ぎない、ということになる。 この大借金財政国家は、景気浮揚のため補正予算組まねば成り立たず、組んだら組んだでドブに捨てるようなことにしかならないあり地獄に陥っている。なぜそうなるのか。政治家も学者も当り障りの無い総論賛成、各論逃げ腰という議論しか出来ず、それでいて互いに利権だけはがっちりキープし続けるという輩で運営されているからだ。国家再建の秘策を持ち合わさない頭脳が束になっても何も生み出せない。この醜態は最後の審判の日まで続くことだろう。 例えてみれば、バブル酔いの宴をまだ続け、気づいた時にはストリートで仰向けになっており、もはやブルブル震えながら膝を抱えることしか出来ない状態でうずくまっているという図だろう。最近の夜の街の寂しさは異常だ。これに気づかない政治なぞあってたまるものかは。 韓国、中国に対して優位を誇れた時代は終わった。それはあまりにも政治がお粗末過ぎたから。ニモカカワラズ、マスコミは相変わらずノー天気な解説ばかりしてらぁ。痛苦な反省に立ってグルメ思想から脱却しないと、この視点から見つめないと今の状況が客観化できない。策としては上に立つ者総員入れ替えしか無い。れんだいこはそう思う。 |
【70年代の日本評】 | |
日経新聞の「私の履歴書」シリーズでのルイス・ガ―-スナ―氏の「日本及び日本人」第27回目(2002.11.28日付け)には、70年代の日本の社会を次のように批評している。
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【2011.11.17、ブ-タン国王の国会演説考】 | |||
「【ユーチューブ完全版】ブータン王国国王・歓迎会及び演説(衆議院議場、2011.11.17) 」 2011.11.17日、国民の心理的幸福などを指標とする「国民総幸福量」(GNH)を重視する国として知られている来日中のブータン王国ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王(31)が日本の国会で演説を行った。ブ-タン国王の国会演説は次の通り。
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(私論.私見)