国際交流時代を迎えて異文化の人々とのコミュニケーションの機会は増すことあれどその逆はない。その際、 そのコミュニケーションを誤解のないものにするために、自己主張と聞き分けの双方向の能力を高めねばならない。そうなるといきおいコミュニケーション用の論理的な思考、表現能力が必要となる。ならばすなわち論理学を学んでおくに越したことはない、という訳である。
現代論理学を学ぶ必要性は単にそのことだけではない。今日ほどマスコミ情報に溢れている時代はないし今後ともこの傾向は増幅されると思われるが、そうなると現代の支配者階級は、このマスコミ情報を意図的に操作することによってマインドコントロールを仕掛け、洗脳し、世論を操ろうとする。逆も真なりで、反政府運動側もイデオロギー闘争を仕掛けるようになる。
今ここに論理的検証能力の弱い無辜の民がいたとするなら、たちまちのうちに両勢力の餌食になりあるいは判断停止のふちに追い込まれるであろう。それを拒否しようとするなら、一人一人の民が弁論術を逞しゅうする以外に方法はない。ここに現代論理学を学ぶ必要性がある。但し、既成の論理学は重大な瑕疵を見せており、れんだいこの採るものではない。そこで、れんだいこが実践論理学と銘打って世に打ち出すことにする。
「実践論理学」と云う命名は既にあるのかもしれないが、れんだいこの知るところ従来にない概念である。よって、この命名をしたれんだいこの功績は日本論理学史上それなりに遇されるべきであろう。ついでに記せば、ドイツ語の「アオフへ―ベン」が従来「止揚」、「揚棄」と表現されているが、れんだいこは「出藍」と造語した。「アオフへ―ベン」の原義には「出藍」が相応しい。これもれんだいこの訳語功績であろう。れんだいこを売り込む為にではなく、功績を功績として認める基準を確立したい為に敢えて記しておく。学者が著作権に狂って碌な仕事をしていない折柄、対照的なれんだいこの活動を自賛しておく。
2005.3.19日再編集 れんだいこ拝 |