【論争】論理学

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5)年.1.13日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「論争論理学」の分野も考究を要する。人は一般に、「論争」を通じて認識を深めることができるので、好んで論争に向わねばならない。いわば「論争の効用論」であるが、案外と理解されていない。この場合、論理学というより「論争の際のルールとマナー基準」の確立に向っておく必要がある。如何なるルールとマナーの下で論争がなされるべきかの基準設定論である。(以下略後日に記す)


 すえいどん「人はなぜ論争をするのか? 」。
 人はなぜ論争をするのか?
第一 (教育的指導) 相手が、自分の誤りに気づいて、改悛することを期待。
第二 (啓蒙) 論争をみている人が、それを参考に正しい立場に立つことを期待。
第三 (顕耀感情) 少なくとも自分の優位性(何についてかはともかく)を確認できる。
第四 (敵対感情) 少なくとも相手に打撃をあたえられる。
第五 (謙虚) 相手から学ぶことができる。

 第一は、たてまえだけど、ほとんど無理。第二が主流派か。言いにくいけど、第三もかなりの比率で(エバリが入るという奴ですね)。第四ははた迷惑。罵倒もこのあたりからか。しかし、これが一番エネルギーがあるのかもしれません(ルサンチマン!)。第五は、本来こうあるべきですが、極少数派。ごまをすればまっぺん氏はここ。自分について冷静に自己採点すると8割がた第三か。ほれ、ほれ、こんな事しらんだろとえばることこそ読書の喜びという呉智英の名言(引用不正確)があります。




(私論.私見)