角栄の政治家論、陳情政治論、政治資金論を確認したついでに角栄政治論そのものを確認しておくことにする。世上に意図的故意に流布されている立花式諸悪の元凶論とは大きく面貌を変えるであろう。なぜ今、角栄を問うのかと云うと、鳩山政権に聞かせたいからである。この思いが通じるだろうか。政治には常に針路をどちらに取り、どう舵を切るのかが問われる。困った時にはカク頼みが良いのではなかろうか。
歴史は妙な縁を取り持つ。ロッキード事件の際に調子こいた捜査主任検事にして、後に第18代検事総長の座を射とめる吉永祐介は1932年の岡山県岡山市生まれである。他方、通産省随一の俊英の評価を得て後に角栄秘書、アラビア石油社長となった小長啓一は1930年の岡山県備前市生まれである。二人は共に東大入学が保証付きであったところ地元の岡山大学に請われて進学した誉れの同期であり、在学時より双璧の秀才として並び称されていた。その二人が後年、角栄を廻って真反対の立場に立つことになる。滅多にあることではなかろう。
れんだいこは、同じ秀才ながら吉永はどこにでもいる本質的に利巧バカであり、小長こそ滅多と居ない真正の秀才ではなかろうかと受け止めている。一度お会いしたいのだが、誰か労を取ってくれないだろうか。そういう訳で吉永については関心がない。角栄師事派の小長氏は、角栄を次のように評している。「田中さんが節々でやらせたことは後世の歴史家から必ずや高い評価を受けるときが来ると思っています」。
れんだいこは小長氏の眼力に誼を通じる。れんだいこの見るところ、角栄はそのどれもに卓越した政治的先見性、決断力、独創的で高度な政治哲学をもっていた。こう確認すべきではなかろうか。
こう確認しないと、あまたの有能官僚が角栄に靡いた史実が理解できない。低脳評論家は、角栄がカネの力で官僚を手なづけたと何の疑問もなく云う。バカなことを云うでない。カネの力で籠絡される官僚が居たとしてもそれは低脳のシオニスタン官僚止まりであり、優秀な官僚ともなると人物の値踏みによってしか動くまい。普通に考えれば分かることが、巷の角栄論には通じない。
ところで、ロッキード事件の立役者たる立花は「田中真紀子研究」の中で次のように記している。「今の日本の政治に起きていることを本当に理解しようと思ったら、さまざまな意味で、角栄政治、角栄の時代に立ち戻ってみる必要があるということである。そこまで立ち戻ってみないと、小泉改革がなぜ必要になったのかわからないし、小泉改革がなぜうまくいかないのかも分からない」。
この観点は丁度、れんだいこと反対の立場から、「角栄政治、角栄の時代」を見つめなおそうとしている点で興味深い。角栄政治には、「戦後憲法体制上のハト派的首領」という政治史的な偉業があり、この面での分析を欠いては評せない。にも拘わらず、角栄政治は、立花―日共―マスコミを始めとした自称インテリ派によって金権政治の諸悪の元凶として非難され、政界訴追されていった。
日共に限って云えば、エセ左派運動の為すことはいつも変調である。れんだいこが日共問題に深く言及する所以がこにある。日共式運動を左派運動などと思っている間中、日本左派運動はマガイモノに耽り続けることになるだろう。もうエエカゲンに終わらせなければなるまい。そうなると、少なくとも六全協より語らねばならない。と云って見ても、六全協そのものを知らないレベルではどうにもならない。
もとへ。この間、角栄政治の戦後政治史的位置づけや学問的分析が為されることなく今日に至っている。そこで、れんだいこが角栄論に挑んでいる。いつか次の世代の誰かが継承してくれるだろう。角栄が見直され、真に偉大な且つ独裁化することのないシャイな政治家であったことが共認される日が来るだろう。西郷隆盛論然り、歴史は重要な箇所で大きく歪曲されている気がしてならない。
角栄政治の概要は「田中角栄の政治姿勢」に記したので参考にしていただくとして、ここではハト派的側面に絞って考察してみることにする。題名を「戦後憲法体制と角栄、そのハト派的意義考(角栄の内治主義的政治の特質考)」と命名する。要するに、角栄政治とは何かという課題である。以下、角栄の内治主義的政治の特質その1、社会基盤整備行政。角栄の内治主義的政治の特質その2、反防衛族的軍事費支出抑制と題して考察する。
該当サイトは「戦後憲法体制と角栄、そのハト派的意義考(角栄の内治主義的政治の特質考)」
(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/sisosiseico /kakueiseijinohatohaco.htm)
2005.9.11日、2010.4.16日再編集 れんだいこ拝
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