【余が社会主義】意訳一九〇四年 (明治三七年)四月 遠松(高木顕明の筆名) 意訳・一部語註=戸次公正、れんだいこが更に意訳。 マルクス主義は、階級的な認識に基づく政治議論の世界として永らく通用してきた。歴史的趨勢の必然的到来としての社会主義、共産主義社会をマルクスと共に観て、革命闘争に挺身してきた。よしんば改良闘争に向かおうとも、その先に見据える社会は同様のバラ色社会であった。
ところで、マルクス主義とマルクス主義者との間には一定の乖離があることがはっきりしてきた。マルクス主義の理論によって革命を夢想しようとも、その人の生ある期間においてその社会が実現することが保障されなくなったからである。むしろ性急な一段階革命論による革命的行動は、各国のマルクス主義者から排斥されつつあるのがこのところの実際である。
こうなると、マルクス主義者には、過渡期理論とその生態論が要求されているということになる。個々のレベルでの生活実践論としてのマルクス主義が創造されねばならないということになっている。だがしかし、この新局面に立ち向かうマルクス主義者はあまりお目にかかれないように思われる。これが本稿をものすゆえんのところである。
私には、社会主義化活動がこれほど長期な歩みになった以上、マルクス主義は政治よりも宗教的とも云える活動に関係が深くなったと考える。信仰とその実践というテーマでの考察が必要になったと思える。以下、社会主義を仏教的に読み替えて、二段に分類して、第一を信仰の対象、第二を信仰の内容に設定しなおしてみたい。第一の信仰の対象は、さらに三段に分類され、教義、師匠(組織)、修行(闘争)に分岐させて考察してみたい。第二の信仰の内容は、二段に分類して、思想回転、実践行為に分岐させて考察してみたい。
第一の信仰の対象であるその一つの教義というのは何事であるかというと、すなわち南無阿弥陀仏であります。この南無阿弥陀仏は天竺(インド)の言葉であって、真にみ仏の救済の声である。闇夜の光明である。智者にも学者にも、官吏にも富豪にも安慰を与えつつあるが、弥陀の目的の本願は平民救済にこそある。
我らに力と命とを与えてくれるのは南無阿弥陀仏である。南無阿弥陀仏こそは、実に、絶対の、この世の慈悲であり、博愛である。この南無阿弥陀仏の御心を戦争のイデオロギーに利用するなどとは、ただあきれるよりほかはない。過去にそのような経過があるとしたなら、特殊理論の媒介無しには為し得なかったであろう。特殊理論の媒介無しに為し得た史実があるとするなら、南無阿弥陀仏がまるで理解されていなかったということになる。
第一の信仰の対象であるその一つの組織について考えてみたい。組織問題には、党中央と下部党員の関係付けがまず解明されねばならない。次に、指導者理論が確立されねばならない。指導者とはいわば師であり、これを仏教的に捉えるならば第一には釈尊である。釈尊の人生行程と一言一句は、ひながたである。王位を捨てて沙門[出家者]となり、自分と他人との「抜苦与楽」[苦からの解放]のために終生「三衣一鉢」[さんねいっぱつ=簡素な衣と托鉢で生活する乞食=こつじきの行者の姿]で菩提樹の下に生涯を終えた。その臨終のさいには鳥や動物類までが別れを悲しんだというのは、実に霊界[精神世界]の偉大なる社会主義者といえるのではないか。
釈尊のひながたに続いた指導者は、天竺や支那[中国]にその人をあげれば沢山にある。日本では、伝教[最澄]、弘法[空海]、法然、親鸞、日蓮、一休、蓮如等々数え上げれば切りが無い。いずれも平民に同情厚い御方である。とくに私は、親鸞の「御同朋御同行」、「僧都法師の尊さも僕従者の名としたり」、「僧ぞ法師のその御名は とうときこととききしかど 堤婆 五邪の法ににて いやしきものになづけたり」、「五濁邪悪のしるしには 僧ぞ法師という御名を 奴婢僕使になずけてぞいやしきものとさだめたる」(愚禿悲嘆述懐和讃九・十二)を高く評価したい。
云うたことから考えてみれば、彼は実に平民に同情厚いというだけでなく、確かに心霊界[精神的世界]の平等生活を成した社会主義者であろうと考えている。私はこれらの点から、本来の仏教は平民の母であつて貴族の敵である、と観る。
第一の信仰の対象であるその一つの闘争について考えてみたい。私は、仏教で云う極楽世界を社会主義の実践場所であると考えている。弥陀が三十二相なら、今集まりの新しい菩薩も三十二相、弥陀が八十随形好なら、行者も八十随形好である。弥陀が百味の飯食なら、衆生も百味の飯食である。弥陀が鷹報妙皈[應報妙服おうほうのみょうぶく=仏の作法に応じた袈裟のこと]なら衆生も鷹報妙皈で、弥陀が眼通で耳通・神足通・他心通・宿命通[六神通のうち前五通のこと。第六通は漏尽通]なら、菩薩も弥陀と違わない神通力を得て「仏心とは大慈悲これなり」、[観無量寿経]という心になつて、他方国土へ飛び出して有縁有縁の人々を済度するのに間隙のない身となる故に極楽という。まさに極楽土とは社会主義が実行されていると考えることができる。
極楽世界には、他方の国土を侵害したということを聞かなければ、大義を立ててそのために大戦争を起こしたということも一切聞いたことはない。これによって私は非開戦を論ずる者である。戦争は極楽に身をおく者の成すことではないと思っている。(しかし、社会主義者にもあるいは開戦論者があるかもしれない)(これは毛利柴庵を意味する)。
次に、信仰の内容である。その一の思想の回転について考えてみたい。専門家の方ではこれを「一念帰命」とか「行者の能信」とかと云ってやかましくいう。釈尊などの人師の教示によって理想世界を欲望し、救世主である弥陀の呼び声を聞きつけて、深くわが識心に感じられたならばその時、大安[識心=唯識では、識は六識=眼・耳・鼻・舌・身・意であり、心とはアラヤ識のことである。つまりは身と心のこと]心が得られ、大慶喜心が起こつて、精神はすこぶる活発になる。
まことにそうであろう。ある一派の人物の名誉とか爵位とか勲章とかのために平民が犠牲となる国に棲息している我々であるから。ある投機事業をこととする少数の人物の利害のために平民が苦しめられねばならない社会であるから。富豪のためには貧者は獣類のように視られているではないか。飢えに叫ぶ人もあり、貧しさのために操を売る女もあり、雨に打たれる小児もある。富豪や官吏はこれを玩弄物視[がんろうぶつし=価値の低いものとして人格を無視した扱いをすること]し、これを迫害しこれを苦しい労働につかせて自分は何とも思わず快しとしているではないか。
外界の刺激がこのようになつているから主観上の機能も相互に野心に満ちみちているのであろう。まことに濁世である。苦界である。闇夜である。悪魔のために人間の本性を殺戮されてしまっているのである。
ところがみ仏は、我らを護るぞよ救うぞよ、力になるぞよ、と呼びつづけている。この光明を見つけた者は真に平和と幸福とを得たのである。厭世的の煩悶事を去つて楽天的の境界に到達したのであろうと考える。
そのまま思想は一変しないわけにはいかない。み仏の成さしめたまうことを成し、み仏の行ぜしめたまうことを行じ、み仏の心をもつて心としよう。如来のしらしめんごとく身をたもつべしであろう。大決心はこの時である。善導の「観無量寿経硫」に「−切行者等、一心にただ仏語を信じて身命を顧みず、決して行に依って、仏の捨てしめたまうをばすなわち捨て、仏の行ぜしめたまうをばすなわち行じ、仏の去てしめたまう処をばすなわち去つ」とある。(「教行信証」信巻に引用されている)
次に、信仰の実践である。以上の思想の回転が、み仏の博愛に深く感じたものであるならば、如来の慈悲心を体認し(体忍か耐認かここでの耐忍は諦忍とするのがよいのか)これを実賎しなけばいけない。大勲位侯爵になつたからといつて七十面[づら]して十七、八才の妙齢の丸顔童顔をなぶりものにしていては理想の人物とはいわれないだろう。戦争に勝ったからといっても、兵士の死傷を顧みない将軍ならば我々の前には三文のねうちもない。華族の屋敷をのぞいたといって小児をなぐつた人物などはじつに不埒千万ではないか。
我々はこのような大勲位とか将軍とか華族とかいう者に成りたいという望みはない。このような者になるために働くのではない。ただひたすらに私の大活力と人の労働とによって実行しようとするものは向上進歩である。共同生活である。生産のために労働し、得道のために修養するのである。それなのに何であるのか。戦勝を神仏に祈祷する宗教者があ々と聞いては歎かずにはおれない。いやそれどころか哀れをもよおしお気の毒に感じられるのである。
この闇黒の世界に立つて救いの光明と平和と幸福を伝道するのは我々の大任務を果たすのである。諸君よ、ねがわくは、我らと共にこの南無阿弥陀仏をとなえたまえ。今しばらく、戦勝をもてあそび万歳を叫ぶことをやめよ。なぜならばこの南無阿弥陀仏は平等の救済したまう声なのだから。諸君よねがわくは、我らと共にこの南無阿弥陀仏をとなえて貴族根性を去って平民を軽べつすることをやめよ。なぜならばこの南無阿弥陀仏は平民に同情の声なのだから。諸君ねがわくは我らと共にこの南無阿弥陀仏をとなえて生存競争の念を離れて共同生活のために奮励せよ。なぜならばこの南無阿弥陀仏をとなえるのは極楽のなかまなのだから。このようにして念仏の意義のあらんかぎりは、精神的なとらえかたからさらに進んで社会制度を根本的に一変するというのが私が確信したところの社会主義である。
終わりにのぞんで、ある人が開戦論の証文のように引用している親鸞聖人の手紙の文を抜き出して、この書が開戦を意味しているのか平和の福音であるのか、しばらく読者諸君のお指図を仰ぐことにする。
○御消息集四丁の右上略
「つまるところ、あなたに限らず、念仏をとなえる人々は、自分自身のためにではなく、朝家の御ためまた国民のために、念仏をとなえあうようになさるのがよろしかろうと思います。自分が (浄土に) 往生できるかどうか確信できない人(往生不定の人) は、まず自分が往生できるようにと考えて念仏なさるのもいいでしょう。しかし、自分自身の往生は定まっている (往生一定) と思っている人は、仏のご恩を感じておられるのですから、御報恩のために念仏を心に入れて申して、世の中安穏なれ、仏法ひろまれと願うべきである、と思われます。」 以上
[*親鸞の手紙(御消息集広本七)の意訳文は、田川建三著「親鸞の虚俊と実像・5」 (雑誌「指」第三五九号一九八一年八月号所収「指発行委員会発行)から引用させていただいた。】 [*「朝家の御ため」には「おおやけのおんためともうすなり」という親鸞の左訓がついている。親鸞の時代における「おおやけ」とは「天皇家及びその支配体制」をさす] [*「国民」には「くにのたみひやくしよう」という親鸞の左訓がついている。
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