人生論メッセージその8 「運命考」

 (最新見直し2008.7.22日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 ここで労働の意義について考察する。

 2008.7.22日再編集 れんだいこ拝



 人生、社会に対して予見通りに事が運ぶことは少ない。むしろ、科学が発達した今日においても「禍福は糾える縄の如し(史記) であり、この傾向こそ不変であるように思われる。この言葉は、「福と禍はちょうどより合わせた縄のようなもので、表裏一体、変転きわまりなく、禍が福になったり逆に福が禍に変わったり――これが世の中だ」という意味である。『漢書』のなかにも、「禍は福の倚(よ)る所、福は禍の伏す所、憂喜門に聚(あつま)り、吉凶域を同じくす……夫(それ)禍と福と、何ぞ糾へる縄に異ならん」という文章がある。意味は同じ。この「禍は福の倚る所、福は禍の伏す所なり」は『老子』のなかにも出てくる。

 『史記』は歴史上最大の歴史書だと私は思っている。著者の司馬遷(BC145〜86)は東洋のヘロドトスといわれ、中国歴史学の開祖といわれてきた。 司馬遷は青年期に全国を遊歴して各地の史蹟、世情風俗を見て歩き、父の職を継いで太史令となったが、武帝の怒りにふれ宮刑(きゅうけい/去勢の刑)に処せられた。司馬遷はこの屈辱に耐え、父の遺志でもある『史記』の編纂・完成に力を尽くし、太古から当時までの中国人の歴史をまとめあげた。『史記』は不朽の名著であり、人間社会と人間の行動について本質をついた格言が数多く散りばめられており、金言・格言の宝庫と言っても過言ではない。

 この格言は、人生の富貴栄達に対する有為転変についてのみ諭したものではない。精神的な幸福論にも通じているものであることは論をまたない。幸福も不幸も永遠ではない、幸不幸は縄のように重なり合っているものだという意味の言葉としても使われる。

 フランスの著名なシャンソン歌手のイブ・モンタンが主演した「恐怖の報酬」という映画があった。はるか遠くにある石油製油所で発生した火災を消すためにダイナマイトの運搬を引き受けたイブ・モンタン扮する運転手がありとあらゆる危険を乗り越えて火災現場に到着し、多額の報酬を得る。得意絶頂の彼は帰路、交通事故で大金を持ったままあっという間に死んでしまう。このように成功した瞬間に身を滅ぼす人は少なくない。まさに禍福は糾える縄のようなものである。







(私論.私見)