人生論メッセージその9 | 「奮闘努力考」 |
(最新見直し2008.7.22日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで奮闘努力について考察する。 |
【サン=テグジュペリの言葉】 | ||||
人生の航海は難しい。何もしなければ患うことも少ないが、それで悩みがなくなるというものでもないところに更に難しさがある。これを踏まえたときに、次の名句は大いに参考になる。
ここにこの言葉を紹介するのは、この言葉のなかに人生の最も大切なことがあると考えるからである。 「人生には解決法なんてない」というのは至言であり、その通りだと思う。解決法が見つからなくてもわれわれは生きることができる。その際、大切なのが前進するエネルギーと勇気――これが人生を前向きに生きる方法なのだ。 サン=テグジュペリ(1900−1944)はフランスの飛行士で小説家。『星の王子さま』(1943年刊)の著者としてよく知られている。第二次大戦中、北アフリカ飛行中に消息を絶った。
冒頭の言葉は『夜間飛行』(1931年刊)のなかの一節である。突然の嵐のために着陸不能になった飛行機を救おうとする極限の努力の最中に航空会社の支配人リヴィエールが叫んだ言葉だ。サン=テグジュペリの時代は民間航空の草創期だった。航空路線がヨーロッパからアフリカへ、さらに大西洋を越えて南米へと拡大していく――遭難の危険をおそれることなく新しい航空路線を切り開いていった時代の心意気が、この言葉によく示されている。
森田氏は次のように云う。私自身、若い頃に数万、数十万を動員するような大衆的学生運動の指揮を執る立場に立ったことがあり、「万事休す」といった緊急時も何回か経験した。そんなとき私は、とにかく行動すること、前へ前へと進むことを選んだ。難問にぶつかりゆっくりと答えを探すことができないときは、とにかく前進あるのみ。躊躇や逡巡は百害あって一利なし――と考えたのである。その行動のなかで答えがついてくることを信じて……。 |
【ロマン・ロランの言葉】 | |||||
ロマン・ロランも次のような力強い言葉を残している。
ロマン・ロラン――私自身の生涯を振り返ったとき、忘れられない作家の一人だ。青年期に読んだ『ジャン・クリストフ』、『魅せられた魂』、『ベートーベンの生涯』の三大作品はいまも記憶のなかに残っている。とくにロマン・ロランが『ベートーベンの生涯』の冒頭に引用したベートーベンの言葉、「正しく高貴に行動する者は誰でも、まさにその故に、不幸に耐え得ることを、私は証拠だてたいと思う」は忘れられない言葉だ。 もう一つ、『ベートーベンの生涯』のなかで引用されているベートーベンの言葉として忘れられないのは、「私は善良よりほかに卓越性のあかしを認めない」という言葉である。 人生はやり直しがきかない。もう一度やり直すことは絶対にできないのである。一つの道を選ぶということは他の多くの選択肢を捨てることを意味する。捨て去ったものに未練を残しても無意味である。人生は岐路の連続であり、その瞬間その瞬間に決断して、自らの道を選ばなければならない。この選択を他人にゆだねるか自分自身が決めるかは人生にとって重大事である。悔いなき人生を送るためには勇気をもって自分自身で決断しなければならない。これができる人間こそが真の自由人といえる。 ロマン・ロランの人生もしかり。彼は晩年、反戦、反ナチ、反ファシズムのレジスタンスに加わった。彼が死んだのはパリ解放の四か月後だった。ロマン・ロランの代表作『ジャン・クリストフ』の主人公はベートーベンをモデルにしたと言われているが、コマン・ロラン本人はこう語っている。「クリストフはベートーベンタイプの英雄であるが、われわれの時代のなかに投げ込まれている自主的存在である」 。クリストフはロラン自身でもあったと私には感じられる。 「ベートーベンの生涯」のなかでロマン・ロランは次のように書いている。
翻って現在の日本。形だけの成功を求めている人が非常に多いように見える。ロマン・ロランがいう「真の偉大」を求める精神を、日本の指導層のなかに植えつける努力が必要とされているように思う。 ロマン・ロランは多くの名言を残した。『昭文世界金言名言事典』(昭文社、1979年刊)より引用する。
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【モンテーニュの言葉】 | |
モンテーニュも正義と勇気を強調する次の言葉を残している。
。若いときから「理想の私」が「現実の私」に言いつづけてきた言葉に「失敗をおそれるな。誇り高く生きよ。勝利よりも大切なことがある」というのがある。モンテーニュ(1533〜1592、フランスの思想家、『随想録』の著者)のこの言葉は同じ意味の言葉である。
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【バイロンの言葉】 | |
イギリスの詩人バイロンの言葉も力強い。
バイロン(1788〜1824)はイギリスの詩人。バイロンの詩は若い頃によく読んだ。自由奔放に生き、放浪のうちに40年に満たない短い人生を送ったことで知られている。祖国イギリスを捨て、スイスを経てイタリア各地でさすらいの生活をしながら詩作をつづけた。さらにギリシアに渡り、トルコと戦う独立軍に参加。ここでマラリアに罹り客死した。
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立身出世は途中経過が大事。 死ぬほど退屈、極楽は地獄。 |
(私論.私見)