人生論メッセージその10 「中庸中道考」

 (最新見直し2008.7.22日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 ここで中庸中道について考察する。

 2008.7.22日再編集 れんだいこ拝



【アリストテレスの中庸論】

 人生を切り開いていく際に肝要なこととして、「中庸、中道」を尊ぶべしという精神がある。アリストテレスは次のように述べている。

 「徳は、『過超』と『不足』によって失われ、『中庸』によって保たれる」。

 アリストテレスは、西洋の哲学、科学の歴史にはかり知れない影響を及ぼしている巨大「万学の祖」と呼ばれる古代ギリシアの代表的哲学者である。紀元前384年、マケドニアに近いカルキディケ半島の小都市スタゲイロスに生まれた。父ニコマコスは父祖代々の医業を継ぎ、マケドニア王の侍医だった。アリストテレスは幼少時に父母と死別。17歳の頃高等教育を受けるためにアテネに行き、プラトンの学校アカデミアに入門した。このときプラトンはすでに60歳。それからプラトンが没するまでの20年間、アリストテレスは学生として、研究者として、教育者として活動した。アリストテレスはプラトンの影響を強く受けながらも、哲学においては反プラトン思考を持ちつづけ、自然科学とくに生物学の分野で成果をあげた。

 プラトン死後、アリストテレスは小アジアのアソツスに移り、アカデミアの分校のような研究所を創設。3年後レイポス島に移り生物学の研究に専念。その後、マケドニア王フィリッポスに招かれ、王子アレクサンドロス(のちに世界征服をめざしアジア征服を実行したアレクサンドロス大王)の家庭教師となった。

 フィリッポス王の死後、アリストテレスは再びアテナイに戻り、「リュケイオン」という名の学校を開いた。この学徒は「ペリパトス(逍遥)学徒」と呼ばれた。この名は、アリストテレスが毎朝高弟たちと散歩道(ペリパトス)を歩きながら哲学を議論したことに由来する。ここでアリストテレスは午前中に論理学、自然学、形而上学などの高等講義を、午後に一般聴衆向けに弁論術、詭弁術、政治学を講義した。

 紀元前323年末、アレクサンドロス大王の死が伝えられると、アテナイに反マケドニア運動が起こり、マケドニアと縁故の深いアリストテレスに対する市民の反感が高まった。このためアリストテレスはアテナイを去り、母親の故郷カルキスに移住、そしてその翌年に死去した。


【アリストテレスのニコマコス倫理学に於ける中庸論】

 アリストテレスの著作は、論理学、自然学、形而上学、実践学など広い範囲に及ぶ。このうち実践学的著作の代表作がニコマコス倫理学である。この著作名は息子のニコマコスが編纂したことに由来している。これを確認する。

 アリストテレス倫理学は、学問を理論学、実践学、制作術に大別した。さらに理論学は形而上学、数学、自然学の三分野、実践学は人間の行為に関する学問、制作術はものをつくる技術と規定した。人間はポリス(都市国家)の成員として生活するから実践学は国家学である。これは国家行政をよくするための政治学と国民の性格をよくするための倫理学を含む、とした。

 ニコマコス倫理学は、国民の性格学であるとともに個人の性格学でもある。人間活動の目的は善であり最高善でなくてはならない、これがアリストテレスの根本思想であった。その上で、政治の究極の目的は人間的善の実現であり、善が何であるかを把握するための学問が政治学である。善のうち最上のものが幸福である、とした。

 幸福の主要な実生活の形態は三つ即ち、享楽的生活と政治家的生活と理論的生活である、とした。その上で、享楽的生活は快楽を欲しがり、政治家的生活は名誉を求める傾向にあるが、快楽も名誉も富も真の善や幸福ではない、とした。

 理論的生活は幸福を求め、これこそ人間活動の究極的目的である即ち最高善は幸福である、とした。その上で、幸福な人とは、究極的な卓越性に即して活動する人のことであるとし、人間的卓越性とは身体の卓越性ではなく魂の卓越性である、とした。魂の卓越性には知的卓越性と倫理的卓越性があり、知的卓越性は教育に負うものだが、倫理的卓越性は習慣づけにもとづいて生ずる。倫理的卓越性つまり徳は、本性的に与えられるものではなく、習慣づけにより人間が完成されるとき自分のものとなる、とした。

 では、どのような行為、どのような状態で、倫理的卓越性(徳)を実現できるのか。この問に対する答えが、表題の言葉である。アリストテレスは体力と健康を例にして、こう述べている。

 「欠乏と過超によって失われる本性を有している……」 。
 「運動の超過も不足も、ともに体力を喪失せしめ、同じくまた飲みものや食物が多きにすぎ少なきにすぎるのは健康を喪失せしめるに反して、適正ならば健康を創成し増進し保全するのである」 。
 「節制とか勇敢とかその他もろもろの倫理的な徳の場合においてもこれと同様である」。
 「あらゆるものから逃避しあらゆるものを恐怖して何ごとにも耐ええないひとは怯懦だということになり、また総じて如何なるものをも恐れず如何なるものに向かっても進んで行くならば無謀だということになる」(中庸が「勇敢」である) 。
 「また、あらゆる快楽を享受し如何なる快楽をも慎まないひとは放埒だということになり、あらゆる快楽を避けるならば、まるで田舎者のようにいわば無感覚的なひとだということになる」(中庸が「節制」である)。
 「かくて節制も勇敢も(この部分を表題では「徳」とした)『過超』と『不足』によって失われ『中庸』によって保たれる」 。

【森田実・氏のニコマコス倫理学中庸論】

 森田氏は次のように云う。

 「この言葉は私個人にとっては非常に大切なものである。10代の半ば以後の約10年間、私の読む哲学、社会科学、人文科学系の書物のほとんどはマルクス主義系列のものだった。しかし、20代の半ば、私はマルクス主義の限界を感ずるようになっていた。そのとき出会ったのが河出書房版『世界大思想全集』である。これは『「哲学・文芸・思想』と『社会・宗教・科学』に分けて編纂されたもので、西欧の著名な思想家をほとんど網羅していた。

 1958年夏、私は共産党と訣別した。さらに1960年夏、それまで職業的に関与していた新左翼を含むすべての左翼運動の世界と絶縁した。あらゆる組織のほとんどすべての友と別れて、私はずっと望んでいた孤独を得た。孤独は私にとってはきわめて快適なものだった。自由を得る最も確実な手段である。同時期、職業を失い、浪人生活に入った。それまでの10年間の左翼時代のすべての関係を清算した結果得たのは、孤独と自由と十分すぎるほどの時間だった。20代半ばの私にとって『世界大思想全集』に取り組むことは、あたかも渡りに舟のようなものだった。読書は最も金のかからない時間の使用法だ。じたばたするのは好きではない。開き直った感じで私は大思想全集に取り組んだ。

 『哲学・文芸・思想編』の第一巻はプラトン、第二巻がアリストテレスの『ニコマコス倫理学』(高田三郎訳)だった。中庸重視のこの言葉は『ニコマコス倫理学』の第二巻第二章のなかで見つけた。このときから中庸が私の人生観の中心を占めるようになった。二〇代半ばの時期に知ったアリストテレスの道徳論によって私の人生は大きな影響を受けたのである。その後、三〇代になってアリストテレスについて原稿を書く機会があり、繰り返し読んだ『ニコマコス倫理学』との一体感を深めた」。




(私論.私見)