人生論メッセージその3 「人生折節考」

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3).11.10日

 (れんだいこのショートメッセージ)

 我が人生論が次に考察せねばならないことは、人生には折節があるということについてである。これには中国の大思想家孔子の諭しが非常に為になる。という訳で、暫く孔子の教えについて見てみることにする。

 2008.7.22日再編集 れんだいこ拝



【「孔子の人生六節論」】
 孔子は、ソクラテス、マホメット、釈尊とともに世界四大聖人といわれている。れんだいこは、これにイエス、王陽明、中山みきを加えて世界七大聖人としたい。その孔子の論説集である「論語」の最も有名な章句に次の一文がある。数え年74歳まで生きた孔子が、晩年に自らの生涯を振り返って述べたものである。
 「吾十有五にして学に志し(志学)、三十にして立ち(而立)、四十にして惑わず(不惑)、五十にして天命を知る(知命)、六十にして耳順(したが)い(耳順)、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず(従心)」

 これを孔子の生涯に重ね合わせて現代語になおすと次のようになる。
 「私の生涯の軌跡を振り返ると次のような折節であった。
 15歳の頃、向学の意気軒昂で学問を志し、以降一(ひと)通りの学問を究めていくことになった。
(この頃孔子は、思想、修身学、治世学を欲して学んだようである)。
 30歳の頃には、孔子学として体系的な見解を身につけるに至り自立した。その後も精進を続けた。
 40歳の頃には、孔子学が世に通用するとの信念を持ち、同時に社会的に飯が食える自信を持つに至った。
(この頃孔子は魯国に仕えて官吏になっている。非凡な才能が認められ、大司冦(だいしこう)という高官に上り詰めている。大司冦とは、これを現代風にいうと大臣か最高裁判所判事のような高い地位にあたる。孔子は外交官としても非凡な能力を発揮し、名声を高めた)。
 50歳の頃には、個人的な利害に関わること少なく、自分の社会的使命を自覚する境地となった。
(この頃の孔子は果敢であり、理想主義に燃え、魯国貴族の横暴な政治を批判する頭脳となっていた。新興勢力として急速に台頭してきた武士階級、官僚、知識層を結集して、当時魯国の政治の実権を握っていた三桓氏の寡頭政治を打倒する戦いを挑んでいる。だが、孔子の革命運動はいま一歩のところまで敵を追いつめるが、最後に敗北し失脚してしまう。孔子は失意のうちに祖国を捨てて流浪の旅に出た。時に孔子は56歳。魯国における理想国家づくりが叶わぬとならば、他国において誰か孔子の言を取り入れぬものかはという願望を秘めての旅となった)
 60歳の頃、天地自然の聞き分けが素直に耳に入るようになつた。
 70歳の頃には、望み通りのことをしても摂理に照応しているようになった。
(この頃の孔子は、こうして諸国漫遊の旅に出たものの士官に成功せず、結局13年間の流浪ののち、68歳で再び祖国・魯に帰り、以後、数え年74歳で没するまで子弟の教育に専念する身となった。この道中孔子は三度も生命の危険にさらされた。孔子が貴族階級から危険人物とみなされていたためだった。流浪の旅のあと教育者になった孔子のもとには多くの弟子が集まった。その数3000名と『史記』は書いている)」。

  これを世間一般の通念に意訳して章句ごとに分節すると次のようになる。 

 【孔子の人生六節論

年代 特徴 名称 内容
10代から20代 青年期 (志学) 学に志し
30代 家庭を持ち一家の大黒柱となる頃 (而立) 自立し
40代 働き盛りを経て社会の中堅と成る壮年期 (不惑) 惑わず
50代 落ち着きを得て分別を持ち始める熟年期 (知命) 天命を知る
60代 功なり名を遂げる老壮年期 (耳順) 耳順(したが)い
70代 人生を全うしお迎えの時期を待つ身の頃 (従心) 矩(のり)を踰(こ)えず

 孔子はこの言葉によって、人が人として経過する心身の発達の一般法則を述べた。「志学」(しがく)、「而立」(じりつ)、「不惑」(ふわく)、「知命」(ちめい)、「耳順」(じじゅん)、「従心」(じゅうしん)は、その節々での特質を見事に表わしている。この「孔子の人生六節論」は、これを生き方の規範として参考にするよう、後世の者にメッセージしたものと受け取るのが良いと思われる。この名言が古来より愛唱される所以は、一つに単なる机上学ではなく孔子の我が身の体験に基づいていること、一つに孔子の見識の精華がここに散りばめられた人生訓となっていることにあるように思われる。

 れんだいこが思うに、「孔子の人生六節論」は「人の寿命とその成長プログラム」に対する孔子の体験に裏打ちされた処世論であり、人生はのっぺりだらりと生きるものではない、旬々の節目の時期に相応しく成長せよ、節目に相応しく生きることこそが最も人生を有意義に過ごさせるものであり自然であるという孔子の警句として価値があるように思われる。

 こういう教えは貴重で、的確であればあるほど価値を放つ。人の一生には、あるいはその集合体としての社会には、処世術として何らかの規範としての理想基準が必要不可欠なのではなかろうか。人は現実の社会のなかで揉まれて行くうちに、人生の意味とか目的とか効用を忘れて道に迷い、エゴイズム、その他諸々の誘引に翻弄され、その生命をいたずらに朽ち果てさせていく場合が多い。そのように人生の波間に漂う現実の自分を絶えず監視し、人生の道しるべのメッセージとして、孔子は論語の中で上記の「人生六節」を説いて聞かせた。孔子があまりに的確に表現し得たことにより、この章句は今日も生命力を失っていない。これが東洋の知恵となっている。


【日本思想の折節の教えについて】
 日本神道は人生の折節を次のように説いている。人の生命活動には「寿命とその成長プログラム」があるとの認識の下で、且つこのプログラムは7年周期で旬(しゅん)として質的変化を遂げるよう設計されていることを教えている。この節目ごとに「孔子の六節の教え」同様の生き方を参考にするよう促しているように思える。それによると次のようになる。

 まず誕生から始まり最寄りの神社の氏子となる。これより幼年期が始まる。立派に育つよう、育ったことを神社に報告するのが七五三である。次に少年期に入り15歳で元服する。元服は、一人前の大人になったことを意味する。成人とも云いその責任感を持つようにとの裏意味がある。青年期、青春期を経て結婚する。家庭を持ち子供を育て働き盛りとなる。社会の中核としての壮年期を経て老年期へと向かう。この間、二十代をはたち路、三十代をみそ路、四十代をよそ路、五十代をいそ路と云う。ここまでを「人生五十年」と云う。

 60歳を還暦、70歳を古希、77歳を喜寿、80歳を傘寿、88歳を米寿、90歳を卒寿、99歳を白寿と経年する。この間、幼年期、少年期、青年期間に対して古来より厄年思想がある。これを非科学的迷信の類とするのは意外と科学的ではない。厄年は、男女によって当たり年が異なり、男は25、42、61歳。大厄は42歳。女は19、33、37歳。大厄は33歳とされている。


 参考までに「長寿の心得」は次のように説いている。
 「人生は山坂多い旅の道。還暦、60差でお迎えの来た時は、只今留守と云え。古希、70才でお迎えの来た時は、まだまだ早いと云え。喜寿、77才でお迎えの来た時は、せくな道楽これからよと云え。傘寿、80歳でお迎えの来た時は、何のまだまだ役に立つと云え。米寿、88歳でお迎えの来た時は、もう少しお米を食べてからと云え。卒寿、90歳でお迎えの来た時は、そう急がずともよいと云え。白寿、99歳でお迎えの来た時は、ころを見てこちらからぼつぼつ行くと云え。気は長く、心は円(まる)く、腹を立てず、口を慎めば、命長らえる。

【厄年の思想について】
 古来より厄年思想があり、これを非科学的迷信の類とするのは意外と科学的ではない。厄年は、男女によって当たり年が異なり、男は25、42、61歳。大厄は42歳。女は19、33、37歳。大厄は33歳とされている。いずれも7年周期の旬節観に基いている。

【干支(えと)−十干(じっかん)について】

 【干支(えと)】
きのえ
きのと
ひのえ
ひのと
つちのえ
つちのと
かのえ
かのと
みずのえ
みずのと

 【十二支】

鼠(ねずみ)
うし
とら
兎(うさぎ)
たつ 龍、竜(たつ)
蛇(へび)
うま
ひつじ
さる
とり
いぬ
猪(いのしし)

 【干支】

 十干(じっかん)と十二支を組み合わせにして、60組にし、それらを年、月、日に用いたもの。数え年61歳は還暦。


【方位方角−六曜星について】
先勝 せんしょう
友引 ともびき
先負 せんぷ
仏滅 ぶつめつ
大安 だいあん
赤口 しゃっく

【古代インドの人生観】

 人の一生は長ずるに伴い、勉学から家庭へ、更に道徳的、宗教的、政治的、文化的方向へと焦点が移行するが、古代インドでも人の一生を大きく四期(1・青年期、2・壮年期、3・林住期、4・遍歴期)に分けて、処世法、人生観を次のように示唆している。これを説明すると次のようになる。

第一期 青年期 勉学中心。関心の中心は「愛欲」。「美」の価値を求め、判断は感覚的。
第二期 壮年期 家庭中心。関心の中心は「利得」。「真」の価値を求め、判断は実質的。
第三期 林住期 子供も成長し家を出て(出家して)林に住むことに憧れるので林住期と呼ばれる。「法(ダルマ)」、「善」を追及。判断は道徳的。
第四期 遍歴期 道徳的であることに満足できず「完全なる自己解放」(解脱げだつ)を求め遍歴するので遍歴期と呼ばれる。「聖」の価値を求め、判断は宗教的。

 生き方の根底を為す価値観探求の軌跡を、「美→利→善→聖」というサイクルパターンにしていた事が興味深い。





(私論.私見)