人生論メッセージその3 | 「人生折節考」 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3).11.10日
(れんだいこのショートメッセージ) |
我が人生論が次に考察せねばならないことは、人生には折節があるということについてである。これには中国の大思想家孔子の諭しが非常に為になる。という訳で、暫く孔子の教えについて見てみることにする。 |
【「孔子の人生六節論」】 | ||||||||||||||||||||||||||||||
孔子は、ソクラテス、マホメット、釈尊とともに世界四大聖人といわれている。れんだいこは、これにイエス、王陽明、中山みきを加えて世界七大聖人としたい。その孔子の論説集である「論語」の最も有名な章句に次の一文がある。数え年74歳まで生きた孔子が、晩年に自らの生涯を振り返って述べたものである。
これを孔子の生涯に重ね合わせて現代語になおすと次のようになる。
これを世間一般の通念に意訳して章句ごとに分節すると次のようになる。 【孔子の人生六節論】
孔子はこの言葉によって、人が人として経過する心身の発達の一般法則を述べた。「志学」(しがく)、「而立」(じりつ)、「不惑」(ふわく)、「知命」(ちめい)、「耳順」(じじゅん)、「従心」(じゅうしん)は、その節々での特質を見事に表わしている。この「孔子の人生六節論」は、これを生き方の規範として参考にするよう、後世の者にメッセージしたものと受け取るのが良いと思われる。この名言が古来より愛唱される所以は、一つに単なる机上学ではなく孔子の我が身の体験に基づいていること、一つに孔子の見識の精華がここに散りばめられた人生訓となっていることにあるように思われる。 |
【日本思想の折節の教えについて】 | |
日本神道は人生の折節を次のように説いている。人の生命活動には「寿命とその成長プログラム」があるとの認識の下で、且つこのプログラムは7年周期で旬(しゅん)として質的変化を遂げるよう設計されていることを教えている。この節目ごとに「孔子の六節の教え」同様の生き方を参考にするよう促しているように思える。それによると次のようになる。 まず誕生から始まり最寄りの神社の氏子となる。これより幼年期が始まる。立派に育つよう、育ったことを神社に報告するのが七五三である。次に少年期に入り15歳で元服する。元服は、一人前の大人になったことを意味する。成人とも云いその責任感を持つようにとの裏意味がある。青年期、青春期を経て結婚する。家庭を持ち子供を育て働き盛りとなる。社会の中核としての壮年期を経て老年期へと向かう。この間、二十代をはたち路、三十代をみそ路、四十代をよそ路、五十代をいそ路と云う。ここまでを「人生五十年」と云う。 60歳を還暦、70歳を古希、77歳を喜寿、80歳を傘寿、88歳を米寿、90歳を卒寿、99歳を白寿と経年する。この間、幼年期、少年期、青年期間に対して古来より厄年思想がある。これを非科学的迷信の類とするのは意外と科学的ではない。厄年は、男女によって当たり年が異なり、男は25、42、61歳。大厄は42歳。女は19、33、37歳。大厄は33歳とされている。 参考までに「長寿の心得」は次のように説いている。
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【厄年の思想について】 |
古来より厄年思想があり、これを非科学的迷信の類とするのは意外と科学的ではない。厄年は、男女によって当たり年が異なり、男は25、42、61歳。大厄は42歳。女は19、33、37歳。大厄は33歳とされている。いずれも7年周期の旬節観に基いている。 |
【干支(えと)−十干(じっかん)について】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【干支(えと)】
【十二支】
【干支】 十干(じっかん)と十二支を組み合わせにして、60組にし、それらを年、月、日に用いたもの。数え年61歳は還暦。 |
【方位方角−六曜星について】 | ||||||||||||
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【古代インドの人生観】 | ||||||||||||
人の一生は長ずるに伴い、勉学から家庭へ、更に道徳的、宗教的、政治的、文化的方向へと焦点が移行するが、古代インドでも人の一生を大きく四期(1・青年期、2・壮年期、3・林住期、4・遍歴期)に分けて、処世法、人生観を次のように示唆している。これを説明すると次のようになる。
生き方の根底を為す価値観探求の軌跡を、「美→利→善→聖」というサイクルパターンにしていた事が興味深い。 |
(私論.私見)